火山の話

今村明恒




一、はしがき


 わが日本につぽん地震ぢしんくにといはれてゐる。また火山かざんくにともいはれてゐる。地震ぢしん火山かざんおほいからとて御國自慢おくにじまんにもなるまいし、つよ地震ぢしんはげしい噴火ふんか度々たび/\あるからとて、外國がいこくほこるにもあたるまい。實際じつさいこのごろのように地震ぢしん火災かさい噴火ふんかなどになやまされつゞきでは、かへつてはづかしいかんじもおこるのである。たゞわれ/\日本人につぽんじんとしてはかような天災てんさいくつすることなく、むし人力じんりよくもつてその災禍さいかをないようにしたいものである。かくするには地震ぢしん火山かざん何物なにものであるかをきはめることが第一だいゝちである。所謂いはゆる敵情偵察てきじようていさつである。敵情てきじようこと/″\くわかつたならば、災禍さいかをひきおこすところのかの暴力ぼうりよくくだくことも出來できよう。この目的もくてきたつしてこそわれ/\は他國人たこくじんたいしてはづかしいといふかんじからはじめてまぬかられるであらう。
 火山かざん地震ぢしん強敵きようてきである。強敵きようてきおそれずとは戰爭せんそうだけに必要ひつよう格言かくげんでもあるまい。むかしひとはこれらの自然現象しぜんげんしようなりおそれたものである。火山かざん噴火ふんか鳴動めいどう神業かみわざかんがへたのは日本につぽんばかりではないが、とく日本につぽんにおいてはそれがなり徹底てつていしてゐる。まづ第一だいゝちに、噴火口ふんかこうかみたまへる靈場れいじよう心得こゝろえたことである。たとへば阿蘇山あそざん活動かつどう中心ちゆうしんたる中岳なかだけ南北なんぼくなが噴火口ふんかこうゆうし、通常つうじよう熱湯ねつとうたゝへてゐるが、これが數箇すうこ區分くぶんせられてゐるのできたいけ阿蘇あそ開祖かいそとなへられてゐる建磐龍命たけいはたつのみこと靈場れいじようとし、なかいけみなみいけを、それ/″\奧方おくがた阿蘇津妃命あそつひめのみこと長子ちようしたる速瓶玉命はやみかたまのみこと靈場れいじようかんがへられてあつた。丁度ちようどイタリーの南方なんぱうリパリ群島中ぐんとうちゆう一火山島いちかざんとうたるヴルカーノとうをローマの鍛冶かじかみたるヴルカーノの工場こうじようかんがへたのと同樣どうようである。さら日本につぽんでは、火山かざんぬし靈場れいじよう俗界ぞつかいけがされることをいとはせたまふがため、其處そこきよめる目的もくてきもつ時々とき/″\爆發ばくはつおこし、あるひ鳴動めいどうによつて神怒しんどのほどをらしめたまふとしたものである。それゆゑにこれ異變いへんがあるたびに、奉幣使ほうへいしつかはして祭祀さいしおこなひ、あるひ神田しんでん寄進きしんし、あるひ位階いかい勳等くんとうすゝめて神慮しんりよなだたてまつるのが、朝廷ちようてい慣例かんれいであつた。たとへば阿蘇あそ建磐龍命たけいはたつのみこと正二位勳五等しようにいくんごとうにのぼり、阿蘇津妃命あそつひめのみこと正四位下しようしいげすゝめられたがごときである。
 天台宗てんだいしゆう寺院じいんは、高地こうちおほまうけてあるが、火山かざんもまた彼等かれらせんれなかつた。したがつてめづらしい火山現象かざんげんしようの、これ僧侶そうりよによつて觀察かんさつせられたれいすくなくない。阿蘇あそ靈地れいちからはたまみつたともいひ、また性空上人しようくうしようにん霧島きりしま頂上ちようじよう參籠さんろうして神體しんたい見屆みとゞけたといふ。それによれば周圍しゆうい三丈さんじようなが十餘丈じゆうよじようつの枯木こぼくごとく、日月にちげつごと大蛇おろちなりきと。鳥海ちようかいまた阿蘇あそ噴火ふんか大蛇おろちしば/\あらはれるのも、迷信めいしんからおこつた幻影げんえいほかならないのである。ハワイとう火山かざんキラウエアからは女神めがみペレーのなみだ毛髮もうはつ採集さいしゆうせられ、鳥海山ちようかいさんいし矢尻やじり噴出ふんしゆつしたといはれてゐる。神話しんわにある八股やまた大蛇おろちごときもまた噴火ふんか關係かんけいあるものかもれぬ。
 火山かざんかんする迷信めいしんがこのように國民こくみん腦裡のうり支配しはいしてゐるあひだ學問がくもんまつた進歩しんぽしなかつたのは當然とうぜんである。むかし雷公らいこう今日こんにち我々われ/\忠實ちゆうじつ使役しえきをなすのに、火山かざんかみのみ頑固がんこにおはすべきはずがない。火山地方かざんちほう地下熱ちかねつ利用りようなどもあることだから、使つかようによつては人生じんせい利益りえきあたへる時代じだいもやがて到着とうちやくするであらう。
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二、火山かざんのあらまし


 わが日本につぽんには火山かざんめづらしくないから、他國たこくおいても一兩日いちりようじつ行程内こうていない火山かざんのないところはあるまいなどとおもはれるかもれないが、實際じつさいはさういふふうになつてゐない。たとへば現在げんざい活動中かつどうちゆう火山かざん南北なんぼくアメリカしゆうでは西にしほう太平洋沿岸たいへいようえんがんだけに一列いちれつならんでをり、中部ちゆうぶアメリカ地方ちほうでは二條にじようになつてみぎ南北線なんぼくせんにつながつてゐる。大體だいたい太平洋沿岸地方たいへいようえんがんちほう火山かざんれつもつ連絡れんらくつてゐるので、わがくに火山列かざんれつも、千島ちしま、アレウト群島ぐんとうてアメリカの火山列かざんれつにつながつてゐるのである。その歐洲おうしゆうにはイタリーに四箇しこ、ギリシヤに一箇いつこ有名ゆうめい活火山かつかざんがあり、そのほかにはイスランドに數箇すうこあるきりで、北米ほくべい東部とうぶあるひ歐洲おうしゆう北部ほくぶにゐるひとには、火山現象かざんげんしよう目撃もくげきすることが容易よういでない。太平洋たいへいよう中央部ちゆうおうぶとくにハワイとうにはキラウエアといふ有名ゆうめい活火山かつかざんがあるが、活火山かつかざんもつと豐富ほうふ場所ばしよはジャワとうである。こゝには活火山かつかざんだけのすう四十箇しじつこかぞへられるといはれてゐる。わがくに活火山かつかざんにはなりんでゐるけれども、ジャワにはおよぶべくもない。
 こゝろみに世界せかいおいある活火山かつかざんげてみるならば、南米なんべいエクワドルこくおけるコトパクシ(たか五千九百四十三米ごせんくひやくしじゆうさんめーとる)は、圓錐形えんすいけい偉大いだいやまであるが、噴火ふんか勢力せいりよくまた偉大いだいで、鎔岩ようがん破片はへん六里ろくり遠距離えんきよりばしたといふ、このてんついての記録保持者きろくほじしやである。またその噴火ふんか頻々ひんぴんてんおいても有名ゆうめいである。
 西にしインドのしようアンチル群島中ぐんとうちゆうにあるマルチニックとう火山かざんプレー(たか[#「たかさ」は底本では「たかき」]千三百五十米せんさんびやくごじゆうめーとる)は、その西暦せいれき千九百二年せんくひやくにねん五月八日ごがつやうか噴火ふんかおいて、赤熱せきねつした噴出物ふんしゆつぶつもつ山麓さんろくにある小都會しようとかいサンピールおそひ、二萬六千にまんろくせん人口中じんこうちゆう地下室ちかしつ監禁かんきんされてゐた一名いちめい囚徒しゆうとのぞほかこぞつて死滅しめつしたことにおい有名ゆうめいである。ヴェスヴィオ噴火ふんかによるポムペイ全滅ぜんめつ慘事さんじまさるともおとることなきほどの出來事できごとであつた。このとき噴火口内ふんかこうない出現しゆつげんしたたか二百米にひやくめーとる鎔岩塔ようがんとうめづらしいものであつたが、それは噴火ふんか末期まつきおい次第しだい崩壞ほうかい消失しようしつしてしまつた。
 ハワイのキラウエア火山かざんたか千二百三十五米せんにひやくさんじゆうごめーとる)は、ハワイとう主峯しゆほうマウナ・ロア火山かざん側面そくめん寄生きせいしてゐるものであるが、通常つうじよう場合ばあひ、その噴火口ふんかこう鎔岩ようがんたし、しかもこの鎔岩ようがん流動りゆうどうして種々しゆ/″\奇觀きかんていするので、觀光客かんこうきやくえずひきつけてゐる。火山毛かざんもうはその産物さんぶつとしてもつと有名ゆうめいである。山上さんじよう有名ゆうめい火山觀測所かざんかんそくじよがある。また觀光客かんこうきやくのためにひらいた旅館りよかんもあり、ハワイとう船着場ふなつきばヒロからこゝまで四里よりあひだ自動車じどうしやにて面白おもしろ旅行りよこう出來できる。
「キラウヱア火山」のキャプション付きの図
キラウヱア火山

 マウナ・ロアは四千百九十四米しせんひやくくじゆうしめーとるたかさをつてをり、わがくに富士山ふじさんよりも四百米以上しひやくめーとるいじようたかいから、讀者どくしやはその山容さんようとして富士形ふじがた圓錐形えんすいけい想像そう/″\せられるであらうが、じつにあらず、むし正月しようがつ御備餅おそなへもちちかかたちをしてゐる。あるひ饅頭形まんじゆうがたとでもづくべきであらうか。山側さんそく傾斜けいしやわづか六度ろくど乃至ないし八度はちどぎない。これはその山體さんたいつくつてゐる岩石がんせき玄武岩げんぶがん)の性質せいしつるものであつて、そのけてゐるさい比較的ひかくてき流動りゆうどうやすいからである。昭和二年しようわにねん大噴火だいふんかをなしたときも噴火口ふんかこうからなが鎔岩ようがんが、あだか溪水たにみづながれのように一瀉千里いつしやせんりいきほひもつくだつたのである。もつと山麓さんろくちかづくにしたがひ、温度おんどくだつひには暗黒あんこく固體こたいとなつてはやさもにぶつたけれども。
「火山毛(キラウヱア火山)」のキャプション付きの図
火山毛(キラウヱア火山)

 スマトラとジャワとのあひだ、スンダ海峽かいきようにクラカトアといふ直徑ちよつけい二里程にりほど小島こじまがあつた。これが西暦せいれき千八百八十三年せんはつぴやくはちじゆうさんねん大爆裂だいばくれつをなして、しま大半たいはんばし、あとにはたかわづか八百十六米はつぴやくじゆうろくめーとる小火山島しようかざんとうのこしたのみである。このときおこつた大氣たいき波動はどう世界せかい三週半さんしゆうはんするまで追跡ついせきられ、海水かいすい動搖どうよう津浪つなみとして全地球上ぜんちきゆうじようほとんどいたところ觀測かんそくせられた。また大氣中たいきちゆう混入こんにゆうした灰塵かいじん太陽たいよう赤色せきしよくせること數週間すうしゆうかんおよんだ。じつ著者ちよしやごときも日本につぽんおいてこの現象げんしよう目撃もくげきした一人ひとりである。
「マウナ・ロア(ハワイ島)」のキャプション付きの図
マウナ・ロア(ハワイ島)

 ジャワとうのパパンダヤング火山かざん西暦せいれき千七百七十二年せんしちひやくしちじゆうにねん噴火ふんかおいて、わづか一夜いちやあひだ二千七百米にせんしちひやくめーとるたかさから千五百米せんごひやくめーとるげんじ、ばしたものによつて四十箇村しじつかそん埋沒まいぼつしたといふ。おそらくはこれが有史以來ゆうしいらいもつと激烈げきれつ噴火ふんかであつたらう。
 イタリーでもつと著名ちよめい火山かざんはヴェスヴィオ(たか千二百二十三米せんにひやくにじゆうさんめーとる)であるが、これが世界的せかいてきにもまた著名ちよめいであるのは、西暦せいれき紀元七十九年きげんしちじゆうくねん大噴火だいふんかおいて、ポムペイ降灰こうはいにて埋沒まいぼつしたこと、有名ゆうめい大都市だいとしナポリに接近せつきんしてゐるため見學けんがく便利べんりなこと、およ三十年位さんじゆうねんくらゐにて活動かつどう一循環いちじゆんかんをなし、噴火現象ふんかげんしよう多種多樣たしゆたようにて研究材料けんきゆうざいりよう豐富ほうふなること、登山鐵道とざんてつどう火山觀測所かざんかんそくじよ旅館りよかん設備せつび完全かんぜんせるとうるものである。著者ちよしや七年前しちねんぜんたときは、つぎの大噴火だいふんかは、あるひ十年じゆうねん以内いないならんかとの意見いけんおほかつたが、このとし九月三十日くがつさんじゆうにちたときは、大噴火だいふんか時機じき切迫せつぱくしてゐるようにおもはれた。あるひ數年内すうねんない大爆發だいばくはつをなすことがないともかぎらぬ。
 イタリーの地形ちけい長靴ながぐつのようだとよくいはれてゐることであるが、その爪先つまさきいしころのようにシシリーとうよこたはつてをり、爪先つまさきからすな蹴飛けとばしたようにリパリ火山群島かざんぐんとうがある。其中そのうち活火山かつかざんはストロムボリ(たか九百二十六米くひやくにじゆうろくめーとる)とヴルカーノ(たか四百九十九米しひやくくじゆうくめーとる)との二箇にこであるが、前者ぜんしや有史以來ゆうしいらい一日いちにち活動かつどう休止きゆうししたことがないといふので有名ゆうめいであり、後者こうしやまへにもしるしたとほり、火山かざんなる外國語がいこくご起原きげんとなつたくらゐである。このほかイタリーにはシシリーとうにエトナ火山かざんたか三千二百七十四米さんぜんにひやくしちじゆうしめーとる)があり、以上いじようイタリーの四火山しかざん、いづれもわが日本郵船會社につぽんゆうせんかいしや航路こうろあたつてゐるので、甲板上かんぱんじようから望見ぼうけんするにはすこぶ好都合こうつごうである。もし往航おうこうならば左舷さげん彼方かなたにエトナがたか屹立きつりつしてゐるのをるべく、六七合目以上ろくしちごうめいじよう無疵むきづ圓錐形えんすいけいをしてゐるので富士ふじおもすくらゐであるが、それ以下いかには二百以上にひやくいじよう寄生火山きせいかざん簇立ぞくりつしてゐるので鋸齒状きよしじよう輪廊りんかく[#「輪廊りんかくが」はママ]られる。このやま平均へいきん十年毎じゆうねんごと一回いつかいぐらゐ爆發ばくはつし、山側さんそくしようずる彼方此方かなたこなた中心ちゆうしんとして鎔岩ようがんながし、あるひ噴出物ふんしゆつぶつによつて小圓錐形しようえんすいけい寄生火山きせいかざん形作かたちづくるなどする、つぎに郵船ゆうせんがメシナ海峽かいきよう通過つうかすると、はる左舷さげん鋸山式のこぎりやましきのヴルカーノがえる。さらすゝむと航海者こうかいしやには地中海ちちゆうかい燈臺とうだいばれ、漁獵者ぎよりようしやにはしま晴雨計せいうけいづけられてゐるストロムボリがえる。この火山島かざんとう直徑ちよつけいわづか三粁さんきろめーとる小圓錐しようえんすいであつて、その北側きたがは人口じんこう二千五百にせんごひやくまちがあり、北西ほくせい八合目はちごうめ噴火口ふんかこうがある。火孔かこう三箇さんこ竝立へいりつして鎔岩ようがんたゝへ、數分間すうふんかんおきにこればしてゐる。もしそこを通過つうかするのがよるであるならば、ばされた赤熱鎔岩せきねつようがん斜面しやめんながくだつて、あるひ途中とちゆうまり、あるひ海中かいちゆうまで進入しんにゆうするのがられるが、日中につちゆうならば斜面しやめん流下りゆうかする鎔岩ようがん水蒸氣すいじようきくので、これによつてそれとづかれるのみである。この火山かざん噴出時ふんしゆつじける閃光せんこうとほ百海里ひやくかいりらすので、そこでストロムボリが地中海ちちゆうかい燈臺とうだいばれる所以ゆえんである。かくてこれ展望てんぼうをほしいまゝにしたわが郵船ゆうせんはナポリこう到着とうちやくし、ヴェスヴィオを十分じゆうぶん見學けんがく機會きかいとらへられるのである。頂上ちようじようからえず蒸氣じようき火山灰かざんばひによつてぐにそれがヴェスヴィオなることがづかれるが、それと同時どうじ今一いまひと左方さほう竝立へいりつしてえるとがつたやま見落みおとしてはならぬ。山名さんめいはソムマといはれてゐるが、これがソムマすなは外輪山がいりんざんといふ外國語がいこくごおこりである。地圖ちずるソムマはヴェスヴィオをなか抱擁ほうようしたかたちをしてゐる。すなは不完全ふかんぜん外輪山がいりんざんであつて、もしそれが完全かんぜんならば中央ちゆうおうにある圓錐状えんすいじよう火山かざん全部ぜんぶ抱擁ほうようするかたちになるのである。ヴェスヴィオは西暦せいれき七十九年しちじゆうくねん大噴火前だいふんかぜんまでは、このソムマの外側そとがはのばしたほどの一箇いつこ偉大いだい圓錐状えんすいじよう火山かざんであつたのが、あのをりの大噴火だいふんかのために東南側とうなんがは大半たいはんばし、その中央ちゆうおう現在げんざいのヴェスヴィオを中央火口丘ちゆうおうかこうきゆうとしてのこしたものと想像そう/″\されてゐる。ポムペイの遺跡いせきやま中央ちゆうおうから南東なんとう九粁くきろめーとる遠距離えんきよりにあるが、これはそのときりつづいた降灰こうはひによつて全部ぜんぶ埋沒まいぼつせられ、その幾百年いくひやくねんあひだその所在地しよざいち見失みうしなはれてゐたが、西暦せいれき千七百四十八年せんしちひやくしじゆうはちねん一農夫いちのうふ偶然ぐうぜん發見はつけんによりつひ今日こんにちのようにほとんど全部ぜんぶ發掘はつくつされることになつたのである。ポムペイのほろびた原因げんいん降灰こうはひにあることは、空中くうちゆうから寫眞しやしんでもわかるとほり、各家屋かくかおく屋根やね全部ぜんぶけてゐて、四壁しへき完備かんびしてゐることによつてもわかるが、西暦せいれき千九百六年せんくひやくろくねん大噴火だいふんかのとき、わづか三十分間さんじつぷんかん同方向どうほうこうつゞいた火山灰かざんばひが、やま北東ほくとうにあるオッタヤーノのまち九十糎くじゆうせんちめーとるつもり、おほくの屋根やねいて二百二十人にひやくにじゆうにん死人しにんしようじたことによつても、うなづかれるであらう。かういふふう家屋被害かおくひがいと、放射ほうしやされた噴出物ふんしゆつぶつによつて破壞はかいせられたサンピール市街しがい零落れいらくとはいちじるしい對象たいしようである[#「對象である」はママ]。もし昨日きのふまで繁昌はんじようしたサンピールの舊市街きゆうしがい零落れいらくしたあと噴出物流動ふんしゆつぶつりゆうどう方向ほうこうからながむれば、のこつたかべ枯木林かれきばやしのようにえ、それに直角ちよつかく方向ほうこうからるとかべ正面整列しようめんせいれつられたといふ。
「ヴェスヴィオ火山の遠景」のキャプション付きの図
ヴェスヴィオ火山の遠景

「ヴェスヴィオ火山平面圖」のキャプション付きの図
ヴェスヴィオ火山平面圖

「ポムペイ鳥瞰圖」のキャプション付きの図
ポムペイ鳥瞰圖

 ヴェスヴィオに登山とざんしたひとは、通常つうじよう火口内かこうないには暗黒あんこくえる鎔岩ようがん平地へいち見出みいだすであらう。これはえず蒸氣じようき火山灰かざんばひ鎔岩ようがんとう中央ちゆうおう小丘しようきゆうからあふたものであつて、かゝる平地へいち火口原かこうげんづけ、外輪山がいりんざんたいする中央ちゆうおう火山かざん中央火口丘ちゆうおうかこうきゆうづける。わが富士山ふじさんごと外輪山がいりんざんたない火山かざん單式たんしきであるが、ヴェスヴィオのごと外輪山がいりんざんゆうするものは複式ふくしきである。

 われ/\はこれまで海外かいがい著名ちよめい火山かざん一巡いちじゆんしてた。これから國内こくないにて有名ゆうめい活火山かつかざん一巡いちじゆんしてたい。
 有史以前ゆうしいぜんには噴火ふんかした證跡しようせきゆうしながら、有史以來ゆうしいらい一回いつかい噴火ふんかしたことのない火山かざんかずはなか/\おほい。箱根山はこねやまごときがその一例いちれいである。われ/\はこのしゆ火山かざん死火山しかざんあるひ舊火山きゆうかざんづけて、有史以來ゆうしいらい噴火ふんかした歴史れきしつてゐる活火山かつかざん區別くべつしてゐる。たゞしわれ/\の歴史れきし火山かざん壽命じゆみよう比較ひかくすればきはめてみじか時間じかんであるから、現在げんざい死火山しかざんおもはれてゐるものも、數百年すうひやくねんあるひ數千年すうせんねん休息状態きゆうそくじようたいをつゞけたのち突然とつぜん活動かつどう開始かいしするものがないともかぎらぬ。これは文化ぶんかひらけてからあまおほくの年數ねんすうない場所ばしよたとへば北海道ほつかいどうなどの死火山しかざんにはありべきことである。
「日本火山分布」のキャプション付きの図
日本火山分布

 歴史年代れきしねんだい噴火ふんかした實例じつれいつてゐながら、現在げんざい噴火ふんか休止きゆうししてゐるものと、活動中かつどうちゆうのものとあるが、前者ぜんしや休火山きゆうかざんづけて活火山かつかざん區別くべつしてゐるひともあるけれども、本篇ほんぺんおいては全部ぜんぶこれを活火山かつかざんづけて必要ひつようのあつた場合ばあひ休活きゆうかつ區別くべつをなすことにする。たゞこゝにことわりをようすることは噴火ふんかといふ言葉ことば使つかかたである。文字もんじからいへばくとなるけれども、これはえるすのではない。勿論もちろんきはめてまれ場合ばあひには噴出ふんしゆつせられた瓦斯がすえることがないでもないが、一般いつぱんおもはれてゐるのは赤熱せきねつした鎔岩ようがんである。たゞしこれが赤熱せきねつしてゐなくとも噴火ふんかたることにかはりはない。たとへば粉末ふんまつとなつた鎔岩ようがんすなは火山灰かざんばひのみをときでもさうである。しかしながらたん蒸氣じようき瓦斯がすまた硫氣りゆうき噴出ふんしゆつするだけでは噴火ふんかとはいはないで、蒸氣孔じようきこうまた硫氣孔りゆうきこう状態じようたいにありといつてゐる。箱根山はこねやまかたちからいへば複式火山ふくしきかざん經歴けいれきからいへば死火山しかざん外輪山がいりんざん金時きんとき明神みようじん明星みようじよう鞍掛くらかけ三國みくに諸山しよざん中央火口丘ちゆうおうかこうきゆう冠岳かんむりだけ駒ヶ岳こまがだけ二子山ふたこやま神山かみやまとう、さうして最後さいご活動場所かつどうばしよ大涌谷おほわくだにであつて、こゝにはいまなほ蒸氣孔じようきこう硫氣孔りゆうきこうのこつてゐる。
 日本につぽんける活火山かつかざん兩大關りようおほぜきひがしほう淺間山あさまやまとすれば、西にし阿蘇山あそざんである。なかにも阿蘇あそはその外輪山がいりんざん雄大ゆうだいなことにおい世界第一せかいだいゝちといはれてゐる。すなはちその直徑ちよつけい東西とうざい四里より南北なんぼく五里ごりおよび、こゝに阿蘇あそ一郡いちぐん四萬しまんひとまつてゐる。たゞ噴火ふんかはこの火口かこう全體ぜんたいからおこつたのではなく、周圍しゆうい土地とち陷沒かんぼつによつてひろがつたものだといふ。このひろ外輪山がいりんざんなかいくつかの中央火口丘ちゆうおうかこうきゆうがあるが、それが所謂いはゆる阿蘇あそ五岳ごがくである。これおも東西線とうざいせん南北線なんぼくせんとに竝列へいれつしてゐるが、中央ちゆうおう交叉點こうさてんあた場所ばしよ現在げんざい活火口かつかこうたる中岳なかだけたか千六百四十米せんろつぴやくしじゆうめーとる)がある。この中岳なかたけ火口かこうまへしるしたとほり、南北なんぼく連續れんぞくした數箇すうこいけから成立なりたち、おもなものとして、北中南きたなかみなみみつつを區別くべつする。阿蘇あそはこの百年ひやくねんぐらゐのあひだ平均へいきん十一年目じゆういちねんめ活動かつどう繰返くりかへしてゐるが、それはそのみつつのいけのいづれかゞ活氣かつきていするにるものである。しかしながら、まれにはほか場所ばしよからすこともある。火口かこういけ休息きゆうそく状態じようたいにあるときは、大抵たいてい濁水だくすいたゝへてゐるが、これが硫黄いおうふくむために乳白色にゆうはくしよくともなれば、熱湯ねつとうとなることもある。活動かつどうさきんじて池水ちすい涸渇こかつするのが通常つうじようであるけれども、突然とつぜん爆發ばくはつして池水ちすい氾濫はんらんせしめたこともある。このために阿蘇郡あそぐん南半なんぱんたる南郷谷なんごうだにみづあつめてながれる白川しろかは文字通もじどほ乳白色にゆうはくしよくとなり、魚介ぎよかい死滅しめつせしめることがある。北方ほつぽう阿蘇谷あそだにみづ黒川くろかはあつまり、兩方りようほう相會あひかいするところ外輪山がいりんざんやぶ外方がいほうながる。すなはちこの外輪山がいりんざんやぶ火口瀬かこうせである。箱根山はこねやまでこれに相當そうとうする場所ばしよ湯本ゆもと早川はやかは須雲川すぐもがは相會あひかいするところである。阿蘇あそ活動かつどうみぎほか一般いつぱん火山灰かざんばひばし、これが酸性さんせいびてゐるので、農作物のうさくぶつがいし、これをしよくする牛馬ぎゆうばをもいためることがある。阿蘇あそ火山灰かざんばひはこの地方ちほうで『よな』ととなへられてゐるが、被害ひがいたん阿蘇あそのみにとゞまらずして、大分縣おほいたけんにまでもおよぶことがある。これは空氣くうき上層じようそうには通常つうじよう西風にしかぜがあるので、下層かそう風向かざむきの如何いかんかゝはらず、こまかな火山灰かざんばひ大抵たいてい大氣中たいきちゆう上層じようそうり、東方とうほうはこばれるにるからである。
「阿蘇火口の平面圖」のキャプション付きの図
阿蘇火口の平面圖

 阿蘇あそ日本につぽん活火山中かつかざんちゆうもつとのぼやすやまであらう。國有鐵道こくゆうてつどう宮地線みやぢせん坊中驛ぼうぢゆうえきまた宮地驛みやぢえきから緩勾配かんこうばい斜面しやめんのぼること一里半いちりはんぐらゐで山頂さんちようたつすることが出來できる。頂上ちようじようちかくに茶店ちやみせ宿屋やどや數軒すうけんあり、冬季とうきでも登攀とうはん不可能ふかのうでない。たゞしある意味いみける世界第一せかいだいゝちのこの火山かざんおいひと觀測所かんそくじよをもゆうしないことは、外國がいこく學者がくしやたいしてもはづかしくおもつてゐたが、いま京都帝國大學きようとていこくだいがく觀測所かんそくじよがこゝに設立せつりつされてゐる。
 つぎはひがし大關おほぜきたる淺間山あさまやまたか二千五百四十二米にせんごひやくしじゆうにめーとる單式火山たんしきかざん)をのぞいてることにする。このやま阿蘇あそ同樣どうよう噴火ふんか記録きろくふるく、回數かいすうすこぶおほいが、阿蘇あそ噴火ふんかのだら/\として女性的じよせいてきなるにたいし、これは男性的だんせいてきであるといつてもしかるべきである。休息きゆうそく間隔かんかく比較的ひかくてきとほいが、一度いちど活動かつどうはじめるとなか/\はげしいことをやる。げん明治四十一年頃めいじしじゆういちねんごろからはじまつた活動かつどうおいては鎔岩ようがん西方せいほう數十町すうじつちよう距離きよりにまでばし、小諸こもろからの登山口とざんぐち七合目しちごうめにある火山觀測所かざんかんそくじよにまでたつしたこともある。とく天明三年てんめいさんねん西暦せいれき千七百八十三年せんしちひやくはちじゆうさんねん)の噴火ふんか激烈げきれつであつて、現在げんざい鬼押出おにおしだしとづけてゐる鎔岩流ようがんりゆうしたのみならず、熱泥流ねつでいりゆう火口壁かこうへきもつとひく場所ばしよから一時いちじ多量たりようあふれさせ、北方ほつぽう上野かうづけくに吾妻川あづまがは沿うて百數十村ひやくすうじつそんうづめ、千二百人せんにひやくにん死者ししやしようぜしめた。最初さいしよ活動かつどうおいては火口内かこうない鎔岩ようがんが、火口壁かこうへきへりまですゝみ、一時いちじ流出りゆうしゆつ氣遣きづかはれたけれども、つひにそのことなくして、鎔岩ようがん水準すいじゆんふたゝ低下ていかしてしまつたのである。
「淺間の噴火(菜花煙)」のキャプション付きの図
淺間の噴火(菜花煙)

 このついでにしるしてきたいのは、飛騨ひだ信濃しなの國境こつきようにある硫黄嶽いおうだけ一名いちめい燒岳やけだけたか二千四百五十八米にせんしひやくごじゆうはちめーとる)である。このやま近時きんじ淺間山あさまやま交代こうたい活動かつどうするかたむきをつてゐるが、降灰こうはひのために時々とき/″\災害さいがい桑園そうえんおよぼし、養蠶上ようさんじよう損害そんがいかうむらしめるので、土地とちひと迷惑めいわくがられてゐる。
 近頃ちかごろ噴火ふんかもつともよく記憶きおくせられてゐるのは櫻島さくらじまたか一千六十米いつせんろくじゆうめーとる)であらう。その大正十二年たいしようじゆうにねん噴火ふんかおいては、やま東側ひがしがは西側にしがはとに東西とうざいはし二條にじよう裂目さけめしようじ、各線上かくせんじよう五六ごろくてんから鎔岩ようがん流出りゆうしゆつした。この状態じようたいはエトナしきしようすべきである。たゞ櫻島さくらじまはかういふ大噴火だいふんか百年ひやくねんあるひ二三百年にさんびやくねん間隔かんかくもつ繰返くりかへすので、したがつて鎔岩ようがん流出量りゆうしゆつりようおほく、前回ぜんかい場合ばあひいちろく立方粁りつぽうきろめーとる計算けいさんせられてゐるが、エトナは西暦せいれき千八百九年せんはつぴやくくねん乃至ないし千九百十一年せんくひやくじゆういちねん十回じつかいおい合計ごうけい〇・六一立方粁りつぽうきろめーとるしかしてゐない。かくて櫻島さくらじま毎回まいかい多量たりよう鎔岩ようがんすのでしまおほきさも次第しだいしてくが、今回こんかい東側ひがしがは鎔岩ようがんつひ瀬戸海峽せとかいきよううづめ、櫻島さくらじまをして大隅おほすみ一半島いちはんとうたらしめるにいたつた。かうして鎔岩ようがんあらされた損害そんがいおほきいが、それよりも火山灰かざんばひのために荒廢こうはいした土地とち損害そんがい地盤沈下じばんちんかによつてうしなはれた附近ふきん水田すいでんあるひ鹽田えんでん損害そんがいはそれ以上いじようであつて、鹿兒島縣下かごしまけんかける全被害ぜんひがい千六百萬圓せんろつぴやくまんえん計上けいじようせられた。
 櫻島噴火さくらじまふんかいちじるしい前徴ぜんちようそなへてゐた。數日前すうにちぜんから地震ぢしん頻々ひんぴんおこることは慣例かんれいであるが、今回こんかい一日半前いちにちはんぜんからはじまつた。また七八十年前しちはちじゆうねんぜんから土地とち次第しだい隆起りゆうきしつゝあつたが、噴火後ふんかごもとどほりに沈下ちんかしたのである。そのほか温泉おんせん冷泉れいせんがその温度おんどたかめ、あるひ湧出量ゆうしゆつりようし、あるひあらたに湧出ゆうしゆつはじめたようなこともあつた。
 霧島火山群きりしまかざんぐん東西とうざい五里ごりわたふたつの活火口かつかこうおほくの死火山しかざんとをゆうしてゐる。そのふたつの活火口かつかこうとはほこみねたか千七百米せんしちひやくめーとる)の西腹せいふくにある御鉢おはちと、その一里いちりほど西にしにある新燃鉢しんもえばちとである。霧島火山きりしまかざんはこのふたつの活火口かつかこう交互こうご活動かつどうするのが習慣しゆうかんのようにえるが、最近さいきんまでは御鉢おはち活動かつどうしてゐた。たゞ享保元年きようほがんねん西暦せいれき千七百十六年せんしちひやくじゆうろくねん)にける新燃鉢しんもえばち噴火ふんかは、霧島噴火史上きりしまふんかしじようおいもつとはげしく、したがつて最高さいこう損害記録そんがいきろくあたへたものであつた。
 磐梯山ばんだいざんたか千八百十九米せんはつぴやくじゆうくめーとる)の明治二十一年めいじにじゆういちねん六月十五日ろくがつじゆうごにちける大爆發だいばくはつは、當時とうじ天下てんか耳目じもく聳動しようどうせしめたものであつたが、クラカトアには比較ひかくすべくもない。このとき磐梯山ばんだいざん大部分だいぶぶん蒸氣じようき膨脹力ぼうちようりよくによつてばされ、堆積物たいせきぶつ溪水たにみづふさいで二三にさん湖水こすいつくつたが、東側ひがしがはながした泥流でいりゆうのために土地とちのみならず、四百餘しひやくよ村民そんみんをもめてしまつたのである。
「磐梯山の爆發(平面竝に斷面圖)」のキャプション付きの図
磐梯山の爆發(平面竝に斷面圖)

 肥前ひぜん温泉岳うんぜんだけたか千三百六十米せんさんびやくろくじゆうめーとる)は時々とき/″\小規模しようきぼ噴火ふんかをなし、少量しようりよう鎔岩ようがんをも流出りゆうしゆつ[#ルビの「りゆうしゆつ」は底本では「ゆりうしゆつ」]することがあるが、寛政四年かんせいよねん四月一日しがついちにち西暦せいれき千七百九十二年せんしちひやくくじゆうにねん五月二十一日ごがつにじゆういちにち噴火ふんか場所ばしよから一里程いちりほどはなれてゐる眉山まゆやま崩壞ほうかいを、みぎ磐梯山ばんだいざん爆發ばくはつおな現象げんしようのように誤解ごかいしてゐるひとがある。この崩壞ほうかい結果けつか有明灣ありあけわん大津浪おほつなみおこし、沿岸地方えんがんちほうおい合計ごうけい一萬五千人いちまんごせんにんほどの死者ししやしようじた大事件だんじけん[#ルビの「だんじけん」はママ]もあつたので、原因げんいん輕々かる/″\しく斷定だんていすることはつゝしまねばならぬ。磐梯山破裂ばんだいざんはれつあとにはおほきな蒸氣孔じようきこうのこし、火山作用かざんさよういまもなほさかんであるが、眉山まゆやま場合ばあひにはごう右樣みぎよう痕跡こんせきとゞめなかつたのである。
 磐梯山ばんだいざんちか吾妻山あづまやままた一切經山いつさいきようやまたか千九百四十九米せんくひやくしじゆうくめーとる)がある。このやま活火山かつかざんであることは明治二十六年めいじにじゆうろくねんいたるまでられなかつたが、このとし突然とつぜん噴火ふんかはじめたゝめ死火山しかざんでなかつたことが證據立しようこだてられた。このさい調査ちようさむかつた農商務技師のうしようむぎし三浦宗次郎氏みうらそうじろうし同技手どうぎて西山省吾氏にしやましようごし噴火ふんか犧牲ぎせいになつた。少年讀者しようねんどくしや東京とうきよう上野うへの博物館はくぶつかんをさめてある血染ちぞめの帽子ぼうし上着うはぎとをわすれないようにされたいものである。
 東北地方とうほくちほう活火山かつかざん鳥海山ちようかいざんたか二千二百三十米にせんにひやくさんじゆうめーとる)、岩手山いはてさんたか二千四十一米にせんしじゆういちめーとる)、岩木山いはきさんたか千六百二十五米せんろつぴやくにじゆうごめーとるとうがある。いづれも富士形ふじがた單式火山たんしきかざんであつて、歴史年代れきしねんだいおいあま活溌かつぱつでない噴火ふんか數回すうかい乃至ないし十數回じゆうすうかい繰返くりかへした。享和年間きようわねんかん鳥海噴火ちようかいふんか享保年間きようほねんかん岩手噴火いはてふんかとにおいては、鎔岩ようがん流出りゆうしゆつせしめたけれども、それもきはめて少量しようりようであつて、やま中腹ちゆうふくまでもたつしないくらゐであつた。
 大島おほしまといふ名前なまへ火山島かざんとう[#「火山島か」はママ]伊豆いづ渡島おしまとにある。伊豆いづ大島おほしまゆうする火山かざん三原山みはらやまたか七百五十五米しちひやくごじゆうごめーとる)とづけられ、噴火ふんかふる歴史れきしゆうしてゐる。爆發ばくはつちからすこぶ輕微けいびであつて、活動中かつどうちゆうおいても、中央火口丘ちゆうおうかこうきゆうちかづくことが容易よういである。渡島おしま大島おほしま歴史年代れきしねんだい數回すうかい噴火ふんか繰返くりかへしたが、兩者りようしやとも火山毛かざんもうさんすることは注意ちゆういすべきことである。たゞしいづれも暗黒針状あんこくしんじようのものである。
 北海道ほつかいどうには本島ほんとうだけでも駒ヶ岳こまがたけたか千百四十米せんひやくしじゆうめーとる)、十勝岳とかちだけたか二千七十七米にせんしちじゆうしちめーとる)、有珠山うすさんたか七百二十五米しちひやくにじゆうごめーとる)、樽前山たるまへさんたか一千二十三米いつせんにじゆうさんめーとる)の活火山かつかざんがあつて、いづれも特色とくしよくある噴火ふんかをなすのである。そのうち樽前たるまへ明治四十二年めいじしじゆうにねん噴火ふんかおいて、火口かこうからプレーしき鎔岩丘ようがんきゆうし、それがいまなほ存在そんざいして時々とき/″\その彼方此方かなたこなたばすほど小爆發しようばくはつをつゞけてゐる。また有珠山うすさん明治四十三年めいじしじゆうさんねん噴火ふんか數日前すうじつぜんから地震ぢしん先發せんぱつせしめたので、とき室蘭警察署長むろらんけいさつしよちよう飯田警視いひだけいし爆發ばくはつ未然みぜんさつし、機宜きゞてきする保安上ほあんじよう手段しゆだんつたことは特筆とくひつすべき事柄ことがらである。十勝岳とかちだけ近頃ちかごろまで死火山しかざんかんがへられてゐた火山かざんひとつであるが、大正十五年たいしようじゆうごねん突然とつぜん噴火ふんかをなし、雪融ゆきど[#ルビの「ゆきど」は底本では「きゆど」]けのため氾濫はんらんおこし、山麓さんろく[#「山麓の」は底本では「山麗の」]村落そんらく生靈せいれい流亡りゆうばうせしめたことは、人々ひと/″\記憶きおくになほあらたなものがあるであらう。
「樽前岳の鎔岩丘」のキャプション付きの図
樽前岳の鎔岩丘

 わがくに陸上りくじよう火山かざん巡見じゆんけんするにあたつてどうしてもはぶくことの出來できないのは、富士山ふじさんたか三千七百七十八米さんぜんしちひやくしちじゆうはちめーとる)であらう。このやま琵琶湖びはことも一夜いちやにして出來できたなどといふのは、科學かがくらなかつたひとのこじつけであらうが、富士ふじわか火山かざんであることには間違まちがひはない。ふるくは貞觀年間じようかんねんかん[#ルビの「じようかんねんかん」はママ]ちかくは寶永四年ほうえいよねんにも噴火ふんかして、火口かこう下手しもて堆積たいせきした噴出物ふんしゆつぶつ寶永山ほうえいざん形作かたちづくつた。すなは成長期せいちようきにあつた少女時代しようじよじだい富士ふじ一人ひとり子持こもちになつたわけである。やがておほくの子供こども複式火山ふくしきかざんかたちともなり、つひには現在げんざい箱根山はこねやま状態じようたいになるときるであらう。
 みぎほか日本につぽん近海きんかいおいては、時々とき/″\海底かいてい噴火ふんかみとめることがある。伊豆南方いづなんぽう洋底ようてい航海中こうかいちゆう船舶せんぱく水柱みづばしら望見ぼうけんし、あるひ鳴動めいどうともなつて黒煙くろけむりのあがるのをることもあり、附近ふきん海面かいめん輕石かるいしうかんでゐるのに出會であふこともある。大正十三年たいしようじゆうさんねん琉球諸島りゆうきゆうしよとううち西表島北方いりむてとうほつぽう[#ルビの「いりむてとうほつぽう」はママ]おいても同樣どうよう現象げんしよう實見じつけんしたことがあつた。
 以上いじようとほり、われ/\は内外ないがい活火山かつかざんをざつと巡見じゆんけんした。そのたがひ位置いち辿たどつてみるとひとつの線上せんじようならんでゐるようにもえ、あるひがん行列ぎようれつるようなふうにならんでゐる場合ばあひ見受みうけられる。かういふみやく所謂いはゆる火山脈かざんみやくであつて、もつと著名ちよめい火山脈かざんみやく太平洋たいへいよう周圍しゆういよこたはつてゐる次第しだいである。かくしてとき火山かざん火熱かねつ原因げんいんあるひ言葉ことばへていへば、火山かざんから流出りゆうしゆつする鎔岩ようがん前身ぜんしんたる岩漿がんしよう地下ちか貯藏ちよぞうせられてゐる場所ばしよは、けつしてふかいものではなく、地表下ちひようか一二里いちにりあるひふかくて五六里以内ごろくりいないへんらしく想像そう/″\せられる。ふたゝ火山脈かざんみやく辿たどつてみると、それが地震ぢしんおこすぢすなは地震帶ぢしんたい一致いつちし、あるひあひ竝行へいこうしてゐる場合ばあひおほみとめられる。しかしながら火山脈かざんみやくともなつてゐない地震帶ぢしんたい多數たすうあることをわすれてはならない。元來がんらい地震ぢしん地層ちそうやぶすなは斷層線だんそうせん沿うておこるものが多數たすうであり、さうして地下ちか岩漿がんしようみぎ沿うて進出しんしゆつすることは、もつともありべきことであるから、みぎのように火山脈かざんみやく地震帶ぢしんたい關係かんけいしようじたのであらう。
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三、噴出物ふんしゆつぶつ


 噴火ふんかによつてされるものゝ本體ほんたいは、第一だいゝち鎔岩ようがんであり、これが前身ぜんしんたる岩漿がんしようである。岩漿がんしよう非常ひじようたかねつ壓力あつりよくとのもときはめて多量たりようみづ含有がんゆうすることが出來できるから、外界がいかいあらはれて鎔岩ようがん多量たりよう蒸氣じようきくのである。この蒸氣じようきひろがるちから火山かざん爆發力ばくはつりよくとなるのである。それが火口かこうからあがつて形状けいじようは、西洋料理せいようりようり使つかはれるはなてゐるから菜花状さいかじようくもばれる。これには鎔岩ようがん粉末ふんまつくははつてゐるから多少たしよう暗黒色あんこくしよくえる。それがすなはけむりばれる以所ゆえんである[#「以所である」はママ]。かういふふうに噴出ふんしゆつはげしいとき電氣でんき火花ひばなあらはれる。性空上人しようくうしようにん霧島火山きりしまかざん神體しんたいみとめたものは以上いじよう現象げんしよう相違そういなからう。
 鎔岩ようがん種々しゆ/″\形體けいたいとなつて噴出ふんしゆつせられる。火山灰かざんばひほかに、大小だいしよう破片はへんされる。もし鎔融状ようゆうじようのまゝのものが地上ちじようちるさい、ある程度ていど冷却れいきやくしてゐたならば、空中旅行中くうちゆうりよこうちゆう回轉運動かいてんうんどうのためにつたかたち維持いじし、そのまゝ、つむがた鰹節形かつぶしがた皿形樣さらがたよう火山彈かざんだんとなり、また内部ないぶから蒸氣じようきすためぱんがたのものとなるのである。
 鎔岩ようがん大部分だいぶぶん火口底かこうていから次第しだい火口壁かこうへき上部じようぶまであがつてつひ外側そとがはあふいづるにいたることがある。あるひ外壁がいへき上部じようぶしようじたからいづることもあり、また側壁そくへきかしてそこからあふることもある。この流下りゆうかさいなほ多量たりよう蒸氣じようきしつゝあると、こーくすのような粗面そめん鎔岩ようがんとなるが、もし蒸氣じようき大抵たいていされてしまつたのちならば、表面ひようめん多少たしようなめらかにかたまり、あるひなはをなつたようなかたちともなり、またさいかはるようにおほきなひだつくることもある。ハワイ土人どじんはこれをパホエホエしきんゐでゐる。こーくすじよう鎔岩ようがん中央火口丘ちゆうおうかこうきゆうから噴出ふんしゆつせられて、それ自身じしん形體けいたいげてくことがおほい。鎔岩ようがん無數むすう泡末ほうまつふくまれたものは輕石かるいしあるひはそれに類似るいじのものとなるのであるが、その小片しようへんらぴりづけられ、火山灰かざんばひとも遠方えんぽうにまではこばれる。
「火山彈(伊豆大島)」のキャプション付きの図
火山彈(伊豆大島)

 火山毛かざんもう成因せいゝん一應いちおう説明せつめいようする。讀者どくしや化學かがくまた物理學ぶつりがく實驗じつけんおいて、硝子管がらすくだかしながらきゆうきちぎると、くだはしほそいとくことを實驗じつけんせられたことがあるであらう。ハワイの火山かざんのように海底かいていからあがつて出來できたものは、鎔融状態ようゆうじようたいおい比較的ひかくてき流動りゆうどうやす性質せいしつつてゐることは、まへにもべたところであるが、かういふ硝子質がらすしつ鎔岩ようがんたいしてこれをばすようなちからくははると火山毛かざんもう出來できるのである。歴史れきしのどこかにらした記事きじがあるが、そのなか或場合あるばあひ火山毛かざんもうであつたらしくおもはれる。寶暦九年ほうれきくねん七月二十八日しちがつにじゆうはちにち弘前ひろさきおい西北方せいほくほうにはかくもはひらしたが、そのなかには獸毛じゆうもうごときものもふくまれてゐたといふ。これは渡島おしま大島おほしま噴火ふんかつたものである。ピソライトといふすゞめたまごのようなものが、火山灰かざんばひなかころがつてゐることがある。これは雨粒あめつぶ火山灰かざんばひうへころがつて出來できたものにぎないのである。火山かざんはまたどろ噴出ふんしゆつすることがある。ヴェスヴィオの山麓さんろくにあつたシラキュラニウムのまち泥流でいりゆうのためにうづめられたが、このごろ開掘かいくつせられてある。天明てんめい淺間噴火あさまふんかける泥流でいりゆう被害ひがいまへべたとほりである。
「こーくす状鎔岩」のキャプション付きの図
こーくす状鎔岩

「犀皮状鎔岩」のキャプション付きの図
犀皮状鎔岩

 火山かざん噴出物ふんしゆつぶつ固體こたいほかおほくの氣體きたいがある。水蒸氣すいじようき勿論もちろん炭酸瓦斯たんさんがす水素すいそ鹽素えんそ硫黄いおうからなる各種かくしゆ瓦斯がすがあり、あるものはえてあをひかりしたともいはれてゐる。またこれ瓦斯がす或物あるもの凝結ぎようけつして種々しゆ/″\鹽類えんるいとなつて沈積ちんせきしてゐることがある。外國がいこくある火山かざんからはヘリウム瓦斯がす採集さいしゆうされたといはれてゐる。日本につぽんおいてもこれが研究けんきゆうされたけれどもだその實在じつざいみとめられないようである。もしこれが成功せいこうするならば、飛行船用ひかうせんようなどとしてきはめて有益ゆうえきであり、火山かざん利用りようがこのてんおいても實現じつげんすることになるのであらう。
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四、噴火ふんか模樣もよう


 ストロムボリのようにかつて活動かつどう休止きゆうししたことのない火山かざん磐梯山ばんだいざんごときはめてまれに、しかし突然とつぜん爆發ばくはつをなす火山かざん特別とくべつとして、一般いつぱん活火山かつかざんは、間歇的かんけつてき活動かつどうするのが原則げんそくである。すなは一時いちじ活動かつどうしたのちは、暫時ざんじ休息きゆうそくして、あるひ硫氣孔りゆうきこう状態じようたいとなり、あるひ噴氣孔ふんきこうとなり、あるひはそのような噴氣ふんきまつたくなくなることがある。その休息時間きゆうそくじかん長短ちようたんあるひ休眠きゆうみんからめたときの活動かつどうぶりにも各火山かくかざんにめい/\の特色とくしよくがあつて、一概いちがいにはいへないが、平均期間へいきんきかんよりもなが休止きゆうししたのち噴火ふんか平均へいきん場合ばあひよりもつよく、反對はんたいみじか休息きゆうそくしたのち場合ばあひ噴火ふんか比較的ひかくてきよわい。また平均へいきんよりもおほきな噴火ふんかをなしたのち休息期きゆうそくきながく、反對はんたいちいさな噴火ふんかをなしたのち休息期きゆうそくきみじかい。
 活火山かつかざんあらたに活動かつどう開始かいししようとするとき何等なんらかの前兆ぜんちようともな場合ばあひがある。土地とち噴火前ふんかぜん次第しだい隆起りゆうきしたことは、大正三年たいしようさんねん櫻島噴火さくらじまふんかおいはじめてづかれた事實じじつである。おそらくは大抵たいてい場合ばあひおいてさうなのであらう。噴火後ふんかご實測じつそくによつて一般いつぱん土地とち次第しだいさがつてくことはすでおほくの場合ばあひ證據立しようこだてられたところである。讀者どくしやもちかれるとき、これに類似るいじした現象げんしよう觀察かんさつされることがあるであらう。
 噴火ふんか間際まぎはになると、きはめてせま範圍はんいのみにかんずる地震ぢしんすなは局部きよくぶ微震びしん頻々ひんぴんおこることが通常つうじようである。地表近ちひようちかくに進出しんしゆつして蒸氣じようきが、地表ちひようやぶらうとするはたらきのためにおこるものであらう。地震計ぢしんけいもつ觀察かんさつすると、かういふ地下ちかはたらきの所在地しよざいちわかるから、それからして岩漿がんしよう貯藏ちよぞうされてゐる場所ばしよふかさが想像そう/″\せられる。またさういふ種類しゆるい地震ぢしん爆發ばくはつともな地震ぢしんとの區別くべつも、地震計ぢしんけい記録きろくによつてあきらかにされるから、地震計ぢしんけい噴火ふんか診斷器しんだんきとなるわけである。
 火山かざん地震ぢしん安全瓣あんぜんべんだといふことわざがある。これには一めん眞理しんりがあるようにおもふ。勿論もちろん事實じじつとして火山地方かざんちほうにはけつして大地震だいぢしんおこさない。たとひ多少たしようつよ地震ぢしんおこすことがあつても、それは中流以下ちゆうりゆういかのものであつて、最大級さいだいきゆう程度ていどはるかにくだつたものである。まへ噴火ふんか前後ぜんご地盤ぢばん變動へんどう徐々じよ/\おこることをべた。最大級さいだいきゆう地震ぢしんではかような地變ちへん急激きゆうげきおこるのである。火山地方かざんちほうではその程度ていど地變ちへん緩漫かんまんおこるのであるから、それで火山かざん地震ぢしん安全瓣あんぜんべんとなるわけであらう。
 噴火前ふんかぜんには周圍しゆうい土地とちもちかれてふくらむような状態じようたいになることは、すで了解りようかいせられたであらう。かような状態じようたいにある土地とちおいて、從來じゆうらい温泉おんせん湧出量ゆうしゆつりようしたり、したがつて温度おんどのぼることあるは當然とうぜんである。其他そのたあらたに温泉おんせん冷泉れいせんはじめることもあり、また炭酸瓦斯たんさんがす其他そのた瓦斯がす土地とちからして、とり地獄じごくむし地獄じごくつくることもある。
 まへ内外ないがい火山かざん巡見じゆんけんした場合ばあひ記事きじかゝげていたが、諸君しよくん兩方りようほう比較ひかくせられたならば、國内こくない火山作用かざんさようがいしておだやかであつて、海外かいがいもつと激烈げきれつなものに比較ひかくすればはるかにそれ以下いかであることを了解りようかいせられるであらう。それで噴火ふんか珍現象ちんげんしよう收録しゆうろくするには、いきほひ海外かいがい火山かざん材料ざいりようあふがざるをなくなる。勿論もちろんそれには研究けんきゆう行屆ゆきとゞいてゐるのと、さうでないとの關係かんけいくははつてゐる。
 噴火ふんか前景氣まへけいきいよ/\すゝんでると、火口かこうからの噴煙ふんえん突然とつぜんいきほひしてる。もし櫻島さくらじまのように四合目邊しごうめあたりからつくはじめ、そこから鎔岩ようがんなが慣例かんれいつてゐるものならば、その完全かんぜんにするために、土砂どさばすなどはたらきをする。いよ/\噴火ふんかはじまると菜花状さいかじよう噴煙ふんえん大小だいしよう種々しゆ/″\鎔岩ようがんまじへてばし、それが場合ばあひによつては數十町すうじつちようにもたつすることがある。このさい鎔岩ようがん水蒸氣すいじようきくことが目覺めざましい。また菜花煙さいかえん彼方此方かなたこなた電光でんこうひらめくのがられる。このさい雷鳴らいめい噴火ふんかおとはうむられてしまふが、これはたん噴煙上ふんえんじようにて放電ほうでんするのみで、地上ちじよう落雷らくらいしたれいがないといはれてゐる。あるひみぎのような積極的動作せききよくてきどうさかはりに、噴氣ふんきあるひ噴煙ふんえん突然とつぜんやむような消極的しようきよくてき前徴ぜんちようしめすものもあり、また氣壓きあつ變動へんどうとく低壓ていあつさいおこくせのあるものもあるから、活動中かつどうちゆうあるひ活動かつどうてんじそうな火山かざんのぼるものは、このしゆ火山特性かざんとくせい注意ちゆういする必要ひつようがある。
 噴火ふんか突然とつぜんおこると、それがきはめて激烈げきれつ空氣波動くうきはどうともなふことがある。火口近かこうちかくにゐてこの波動はどう直面ちよくめんしたものは、空氣くうきおほきなつちもつなぐられたことになるので、巨大きよだい樹木じゆもく見事みごとれ、あるひこぎにされて遠方えんぽうはこばれる。勿論もちろん家屋かおくなどは一溜ひとたまりもない。
 噴煙ふんえんくははつて火山灰かざんばひやラピリは、噴火ふんか經過けいかともなつて、其形状そのけいじようおいても内容ないようおいても色々いろ/\變化へんかする。千九百六年せんくひやくろくねんのヴェスヴィオ噴火ふんかについては、初日しよにちから八日目やうかめいたるまでに噴出ふんしゆつした火山灰かざんばひ日々ひゞ順序じゆんじよならべ、これを硝子管がらすくだにつめて發賣はつばいしてゐる。正否せいひのほどは保證ほしようがたいが、それはとにかくこんな些細ささい事物じぶつまで科學的かがくてき整理せいりせられてゐることは歎賞たんしようあたひするであらう。
 火口かこう上皮じようひ一兩日いちりようじつあひだのぞかれると、噴火現象ふんかげんしようさら高調こうちようしてて、つひ鎔岩ようがん流出りゆうしゆつせしめる程度ていどたつする。たゞしこの鎔岩ようがん流出りゆうしゆつするかいなかはその火山かざん特性とくせいにもるのであつて、鎔岩流出ようがんりゆうしゆつかならおこるものともかぎらない。
 けた鎔岩ようがん温度おんど攝氏千度内外せつしせんどないがいで、千二百度せんにひやくどにもたつする場合ばあひもあるが、其流動性そのりゆうどうせいは、この温度おんどつてさだまること勿論もちろんであつて、同一どういち[#ルビの「どういち」はママ]温度おんどでも成分せいぶんによつていちじるしい相違そういがある。まへにもべたとほり、深海底しんかいていから火山かざんさんする鎔岩ようがん流動性りゆうどうせいんでゐるが、大陸たいりくまたはそのちかくにある火山かざんからさんするものは、流動性りゆうどうせいともしく、噴出物ふんしゆつぶつ堆積たいせきして圓錐形えんすいけい高山こうざんつくるのが通常つうじようである。また鎔岩ようがん次第しだい冷却れいきやくしてるとどんな成分せいぶんのものも流動りゆうどうがたくなり、其後そのご固形こけい岩塊がんかい先頭せんとう岩塊がんかいえて前進ぜんしんするのみである。
 噴煙ふんえん間歇的かんけつてきおこると、時々とき/″\見事みごと煙輪えんわ出來できる。丁度ちようど石油發動機せきゆはつどうき煙突上えんとつじようるように。
「煙輪(エトナ)」のキャプション付きの図
煙輪(エトナ)

 閃弧せんこといふものがある。千九百六年せんくひやくろくねんのヴェスヴィオ噴火ふんかおいて、ペアレット撮影さつえいかゝるものである。この現象げんしよう少年讀者しようねんどくしやむかつて説明せつめいすることはすこぶ難事なんじであるが、たゞ噴火ふんかさいはつせられた數回すうかい連續的爆發れんぞくてきばくはつ寫眞しやしんれたものと承知しようちしてもらひたい。この珍現象ちんげんしよう目撃もくげきすることさへ容易よういとらがた機會きかいであるのに、しかもこれを寫眞しやしんにとつて一般いつぱんひとにもその概觀がいかんつたへたペアレット功績こうせきとすべきでゐる[#「すべきでゐる」はママ]
「閃弧」のキャプション付きの図
閃弧

 ペアレットはストロムボリにてたまたとしようしてゐる。そのおほいさは直徑ちよつけい一米程いちめーとるほどであつてあをひかつたものであつたといふ。これに觀察かんさつ阿蘇山あそざん嘉元三年かげんさんねん三月三十日さんがつさんじゆうにち西暦せいれき千三百五年せんさんびやくごねん五月二日ごがつふつか)の午後四時頃ごごよじごろ地中ちちゆうから太陽たいようごと火玉ひだまみつそらのぼり、東北とうほくほうつたといふことがある。現象げんしようきはめてまれであるので、正體しようたいがよくめられてゐないが、電氣作用でんきさようもとづくものだらうといはれてゐる。ヴェスヴィオの千九百六年せんくひやくろくねん大噴火だいふんかおいて、非常ひじようつよ電氣でんきびた噴煙ふんえんみとめたこともあり、そのなびいたけむりちかづいたとき服裝ふくそうにつけてゐた金屬きんぞく各尖端かくせんたんから電光でんこうはつしたことも經驗けいけんせられてゐる。
 噴火作用中ふんかさようちゆうもつとおそれられてゐるのは、赤熱せきねつした火山灰かざんばひ火口かこうから市街地しがいちむかつて發射はつしやされることである。このこと西暦せいれき千九百二年せんくひやくにねん五月八日ごがつやうかマルチニックとうプレーさん噴火ふんかついしるしたとほりであるが、サンピール二萬六千にまんろくせん人口中じんこうちゆう生存者せいぞんしや地下室ちかしつ監禁かんきんされてゐた一名いちめい囚徒しゆうとのみであるので、みぎ現象げんしよう實際じつさい目撃者もくげきしや一人ひとり生存せいぞんなかつたわけである。しかしこの噴火ふんかいてもつと權威けんいある調査ちようさげたラクロア教授きようじゆは、同年どうねん十二月十六日以來じゆうにがつじゆうろくにちいらい數回すうかいわた同現象どうげんしよう目撃もくげきした。同教授どうきようじゆ計算けいさんによると、火口かこうから打出うちだされてから山麓さんろくあるひ海面かいめん到達とうたつして靜止せいしするまでの平均へいきんはやさは、毎秒まいびよう二十米以上にじゆうめーとるいじようであつて、最大さいだい毎秒まいびよう百五十米ひやくごじゆうめーとるにもおよび、その巨大きよだい抛射物ほうしやぶつからはなたれる菜花状さいかじようくもは、たか四五千米しごせんめーとるにもたつしたといふ。さうしてこれが通過つうかしたあとにはたゞ火山灰かざんばひラピリのみならず、おほきな石塊せきかい混入こんにゆうしてゐた。かゝるおそろしい現象げんしようはこれまでみぎのプレー噴火ふんか經驗けいけんせられたのみであつて、其他そのた火山かざんおいてはいまだかつて經驗けいけんされたことがない。
「白熱灰の抛射」のキャプション付きの図
白熱灰の抛射

 かういふ大規模おほきぼ噴火ふんか最高調さいこうちようたつするのは數日すうじつあるひ一週間内いつしゆうかんないにあるので、その噴火勢力ふんかせいりよくとみに減退げんたいしてくのが通常つうじようである。





底本:「星と雲・火山と地震」日本児童文庫、復刻版、名著普及会
   1982(昭和57)年6月20日発行
底本の親本:「星と雲・火山と地震」日本兒童文庫、アルス
   1930(昭和5)年2月15日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「あそざん」と「あそさん」、「ちようかいさん」と「ちようかいざん」、「台」と「臺」、「岳」と「嶽」の混用は底本のとおりです。
入力:しだひろし
校正:仙酔ゑびす
2012年2月15日作成
2012年5月6日修正
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