童子

室生犀星





 母親に脚気かっけがあるので母乳はいっさい飲まさぬことにした。脂肪の多い妻は生ぬるい白い乳をしぼっては、張ってくると肩が凝ってならないと言って、陶物すえものにしぼり込んでは棄てていた。少しくらいなら飲ませてもよいと云う樋口さんの説ではあったが、私はそれに反対し、妻もそれに同意した。脚気症の母乳はよく赤児あかごの脳を犯すことや、その取り返しのつかない将来すえのことを思うと、絶対にやってはならないことだった。「あなた方がそんなお考えなら勿論もちろんやらない方がいいんです。あとあとのことを考えると良くないから。」医者の樋口さんも毎時いつものように強情な私を知っているため賛成したのである。
「こんなに張っているのを飲まされないなんて……すこしくらいならかまわないんじゃないでしょうか。」
 母親は、ひろい胸から乳房を掴み出し、柔らかいぽとぽと音を立てて陶物にれる乳を見ながら、口惜くやしそうに云った。
 私はあくまでもそれを叱りつけ、看護婦会で周旋しゅうせんをしてくれる筈の乳母の来るのを待った。口入屋くちいれやが千葉のもので、その千葉から口入屋のおやじと乳母とその母親とが、今日明日のうちに上京してくるということだったが、返電さえも来ないので、牴牾もどかしかった。
「素性の知れないものの乳を遣るのは、どんなものでしょう。それに病気なぞあったりすると、牛乳で育てるよりかえって悪くならないでしょうか。」
「よく医者にからだを診て貰ったらいい。医者がよいと言えばいい。」
 そう話しているうちにも、朝と昼と、そして晩には、女中の夏と、世話をしてやっている平林とがかわる交る貰い乳をしに、動坂まで行かなければならなかった。そのたんびに平林に、乳を呉れる女の人のことを、私は気に病んでは尋ねた。
「子供が三人も四人もごろごろしていて二間きりの家です。けれども乳はたくさん出るらしいんです。」
「こちらから行くと厭な顔をしないか。」
「厭な顔なぞしません。」
「三度に一度くらいでも、晩方なぞ忙しいときに……。」
 私の気もちを知っている平林は、「そんな事は無い」と言った。そして、
「家じゅうのものが行くごとに赤ちゃんは今日はかげんがよいかとか、わるかったら関わず乳を棄ててとりに来てくれとか言ってくれるんです。乳は時間を見計って新鮮らしいのをお上げすると言っているんです。」そう言ったので、私はまだ会わないが善い人達だと思い、心から感謝した。
「そうか、こんどは何か持たせてあげないと悪い――。」
 夏も口をそえ「ああいう親切な人たちはない。」と言った。びんのなかの温かい乳を、母親はいつも一度掌にあてたり、滓がないかと明るみに透したりして、嬉しがった。それの消毒をしながら、
家人うちのひとが多いんですから何をげたらいいでしょうね。」
 そう言い、お祝いの品物の、さしあたり要らないものをあれも上げるこれも呈げると言った。そして自分の乳をしぼり、陶物にたまった濃い白い液体を覗きこんだ。
「こんなに乳が出るのに、これが飲まされないなんて――。」
 そういうと、そっと夏に、「こっそりと飲ましてやりたい。」と言った。
「そのコッソリで万事ブチコワシになることがあるぞ。」
 私は気むずかしく叱りつけた。しまいに乳を棄てるところがなくなり、庭の萩の植った陰地を掘って棄てた。
 或晩、玄関に客があったので、家のものが忙しく、私が何気なく出た。が、まだ一度も来たことのない女であった。
「あの……動坂から参ったんでございますが。」
「あ、動坂からですか。」
 すぐ貰い乳をさせて呉れる人だと思った。手巾に包んだ瓶をさげ、妹らしいのが格子の外で、からだをちぢめていた。
「いつもお世話さまで……オイ、動坂かららしったよ。」
 そう奥へ声をかけると、妻も夏もみんな出て来た。
「お手すきがございませんでしょうと、こちらへ序手ついでがありましたものですから。」
 手巾を開き、乳の瓶を取り出した。藍色の浴衣地ゆかたじの、袖がよれ、スリ切れた履物はきものが目立った。
「まあ、ご親切に、どうかおあがりなすってくださいな。」
 こんどは格子戸に隠れるようにしている妹の人にも、「お這入はいりなすって――。」と、初めて会った妻は、くれぐれも乳のことを頼んだ。太い腕をしているので、その健康なことは疑うまでもなかった。私は安心をした。
「毎日お乳をさし上げていましても、もしも腐ったりなぞしたりしては、大変だと思いましてね。」
「いえ、すっかりゴムの乳首にも慣れましたものですから――三度ずつおいそがしいのに頂いたりなぞして――。」
 妻はそういうと、赤児のねている部屋へあんないをしながら、
「ともかく一度見てやって下さい。こんなに肥って。」
「まあよくお肥りになって………。」そう四十近い女の人は言い、「どんなお子さまでしょうと毎日お噂をしていたんでございますよ。それにどうしましょう、こんなにお可愛くて――これが今日こそ行って見ましょうときかないんでございますよ。」と、妹のはずかしがるのを目でふりかえった。「そんな事をわたし言いはしなかったわ。」と、ぞんざいに言って妹なる人は赤ぐろい顔をそめた。
「これでわたしもんだか安心いたしました。気にかかるものでございましてね。」
 小さいくちびるを締めるように言って、勝気そうな顔をした女は立って玄関へ行った。その人が帰ってしまってから、みんなは話し合った。
「気になって気になって為様しようがなかったんですよ。きっと。」
 そういう夏に、「おれにしても気になる。」と私は言った。
 ――一日に三度ずつ動坂へ行くのには、あまりに人手がなかった。もうすこし近いとよいのだがと皆が言い合った。それにしても乳母の方のらちが開かないので、むやみに急がすと明日はきっとれて出かけるという返電があった。
 その日、乳母は、六十ばかりの母親と、口入屋の爺さんと連れ立って来たが、私は口入屋の爺さんの顔をみると、すぐ目を伏せてしまった。厭な奴だと、直覚的に上向いた鼻と日焼けのしたあぶらぎった顔をみたときにそう思った。
「月給は三十円くらいにしていただきましてな、それを半年分さき払いに、そして私の手間賃は十五円いただきます。」
 そう切口上をいうと乳母の母親にむかい、よく聞きけるように、
「これだけ言えばわしの役目は済んだのだから、あとはお母さんがよく娘さんに話をしなさい。」
 爺さんは、こんどは老母のわきに坐り、硬くなっている健康そうな娘に、「こう話が決ったら気にいらない事があったりしても、我儘わがままを言って帰ったりなぞしてはいけない――折角せっかく御縁があって来たのじゃから。」そう言うと母親が、小さい膝を娘の方に向けた。
「一年くらいの間だから、よく辛抱をしての、ときどきわしは逢いに来るし、つむぎ屋さんに万事おまかせしてあるから――。」
 眼の円い二十一二くらいの娘なる女は、その間じゅう俯向うつむいて、一言もいわずに黙っていた。膝がしらへ乗せた指さきで膝の肌をッついていそうで、しぶとい人間のような気がした。
「肝心のお乳を医者に診てもらわないと困りますね。お願いするにしてもそれが気にかかりますから。」
 先方の独りめになりそうで、私は爺さんの顔をみながら云った。
「乳のことは千葉の医者でも診てもらってきたんですが、大丈夫だそうです。最もお宅でも最一度もいちど試験していただけばなお結構です。」
 爺の言葉に続いて、母親も言った。「この子は近年病気一つしたことはなし、この通り頑固なからだをして居りますから心配はございません。」
 娘の方を見て、この話が乳のことでコワれないかと、いくらか不安そうに言った。
「では試験管にでもしぼっていただいて、すぐ樋口さんに見てもらいましょう。――ちょいとこちらへ入らしって。」
 妻は、乳母を勝手へつれて行き、そこで管に入れた乳を平林が医者へ持って行った。
「早稲田の方にも一軒廻らなければなりませんから、事の決まり次第に失礼いたします。」
 爺さんは契約書と、周旋料とを私から受取り、大きな財布にしまい込んだ。何しろこのごろは乳母になる女がないから仕事に骨が折れると云った。
「二三日べつに不良わるいものも食べなかったから、乳のわるい筈はない。」
 母親は、使いのえるまで、そんなことを言い続けた。乳母は、膝を固まらせ、窮屈そうにしているので、肩で息をついて居苦しそうにしていた。堅気な奉公をしたことのない女のように、ときどき私や妻の方をぬすみみる瞳が素早かった。
 平林が帰って来た。「乳はべつに不良いところがないそうです。」と言い、別に医者からの証明書のようなものを持って来た。妻も私も喜んだ。
「よく使ったからだですから、よい乳が出る筈です。」
 爺さんは、身仕度をすると、「じゃお母さんは明日にでもお伺いして、金の方のことを決めなさるとよい。わしは急ぐしするから。」と附け加え、一緒にかえるという母親と、玄関へ出た。
「なるべく汁気の多いものをいただいて、そして自分の家だと思っていないと、乳というものは不意に止まることがあるものだから。」
 乳が止まることのあるものだと聞くと、乳母は、胸へ手を当て、眼をるくした。「ともかく明日わたしが又来るから、そのとき模様を見てあげよう。」
 爺さんと老母とが帰ったあとで、妻は、すぐ乳を赤児にやって呉れと云った。貰い乳ばかりしていた赤児は、ゴムの吸管とは、全然かんじの違った柔らかい、いくらか手頼たよりのない乳母のちち首を口にふくんだ。私は悪い鼈甲べっこう色をした乳母の胸肌を、いい気もちで見られなかった。
「おいチいでしょう。ほら、たんと出るでしょう。」
 妻はその指さきで、乳母の乳房を上からこころもちすようにして、よけい流れ出るようにした。乳母は、上から赤児の、うす毛の生えた頭を覗きながらいた。夏も平林も、そうして私の心にも赤児が乳母の乳首に馴染なじんでくれればよいと思った。
 が、赤児は、すぐ乳首を離した。そして泣いた。すぐ又乳首をさしつけると、ちょいとふくんでまた離して泣いた。
「おかしい、出ないかな。しぼってごらん指さきで。」
 こんどは乏しい乳がちびりと出たきりだった。いくらやっても同じ事であった。乳母は、顔を真赤に染めた。しばらくしてから――
「も一度やってください。」
 そう妻が言いかけ、赤児の口を乳首にさしつけても、もう吸いつきそうもなかった。「空乳首をやって見るとよい。」私がそういうと妻はすぐ空乳首をった。赤児は、っとしたようにそれをしゃぶり、くろぐろとした瞳を静まらせ泣きんだ。
「どうして出ないんでしょう。」
 乳母は、心を焦ってしぼるほど、乳は、ちびりとしか出なかった。「毎日棄てているほど出た乳なんでございますが。」と、乳房をぐりぐりしぼった。そうしている乳母の額に汗さえ滲んで見えた。「しばらく休んでからにした方がいい。」私は見兼ねてそう言い、心で嘆息した。胸肌のうすい皮づきがくらみを持っているのまで、気になり絶望的な気もちにした。
 女中部屋でやすみさせてから、灯のいた下で、また赤児に乳房をくわえさせたが、二度ばかりで泣き出してしまった。しらべると一滴ずつしか出なかった。――もう乳を貰いにやる時間だったから、出ない乳首をさしつけておくわけに行かないので、念のためにと最一度やって見たがやはり駄目だった。私はいら立った。乳母は、又真赤になり鼻がしらに汗をかいた。
 妻は乳母と私とをみながら「どうして出ないんでしょう。」と云い、そうして「すぐ平林さんに動坂へ貰いに行ってもらいましょう。」と手巾に瓶をつつんでいる。夏は夕方で急しいからと、平林に行ってもらうことにした。平林は、すぐ出て行った。
「困ったな。乳首になじまないからいけないんだ。」
 私は妻に、わざと乳の出ないことを言わないで、そう言った。乳母は、あぶら汗をかいていた。
「あなたの子どもはどうしたんですの。」
 ふと妻がそう尋ねると、乳母は、汗とあぶらで光る顔をもたげた。
「死んでしまったのです。生れるとすぐに。」
「まあ。」
 妻は、目を円くしたが、私はべつに何んとも思わなかった。子供というものは死にやすい。もろい花のように思っていたからである。
「そして千葉にいたの。」
「いいえ。」
「どこに。」
 乳母は、言いにくそうに黙ってしまった。わたしは尋ねるなと目で知らせた。乳母は、やはり身体中をコワ張らせ、そのため息窒いきづまりしそうに見えた。
 平林がかえって来た。
「いつもより時間が遅かったから、こちらで持ってあがろうかと今言っていたところです、と、言って手巾にくるんでありました。」
 乳は生ぬるかった。それを消毒して飲ませると、赤児はハアハア言って甘美そうに飲んだ。こういう風にのませてあるから、よほど出る乳でないと向きませんと、妻が誰にいうとなく言った。乳母は、伏目にじっと赤児の顔を見ていた。頭がぼうとしているらしくわりの悪いところがあったので、疲れている、と、思った。
 晩も遅くなってから、夏がきゅうに書斎へやってきて、乳母が着物やその他の用事で浅草の宿までやって呉れと言って、さっき持って来た風呂敷を持ち、勝手口で今にも出掛けようとしていると言い、「何んでも吉原に奉公していたことがあるそうで、お宅は気づまりなんでしょう。」とも云った。
「今夜行ってもらうと、明日の朝お乳を飲ませないじゃないか。こまったことを言う人だね。」
 妻は不平を言い出した。
「今晩出してやると、あの女は帰って来ないかも知れないよ。」
 先刻、居苦しそうにしていた乳母が、何かを口実にして窮屈なこの家を出たいと考えているらしく私には思われた。
「そうね。でも来たばかりだのに………けれども分らないわね。」
 妻も危ながった。
「用事があったら明日昼間にしろと言って呉れ。今夜はだめだから。」
 夏は、その通りを言い、すぐ乳母をやすませることにした。あとで、
「旦那さまのおっしゃいましたとおりを言いますと、しくしく泣いていましたの。」
 妻にそう女中はって、堅気な家はきゅうくつなんでしょうとも云った。
 翌朝、ひと晩やすんだから、乳母の乳は出るだろうと心愉しみにしていたが、やはりちびりとしか出なかった。しまいに赤児の方で変に柔らかい乳首を厭がった。平林は、すぐ出掛ける用意をして玄関で待った。
「家へくる前にほんとに出たんですか。」
 妻は牴牾かしがって尋ねると、乳母は、やはりいつも茶碗にしぼっては棄てていたと言った。わたしはまるで出ない乳房のようにしぼんだ乳首を、厭なきもちで見た。
 平林は、瓶をもって出て行った。――それを乳母は見送ると同じい仕草しぐさをその乳首の上に加えたが、やはり出なかった。
 お昼にも、白い液体は出そうにもなく、さしつけたばかりでも赤児は厭がった。――乳母は、夏を通じて、昨夜の約束通りちょいと浅草まで遣って呉れと、しきりにせがんでかなかった。
「そんなに言うなら行って来いと云え。どうせ帰ってこないだろうから、乳が出ないから仕方がないじゃないか。」
「それもそうね。じゃ遣りましょう。」
 妻は、では、なるべく早くかえってくるように言って、乳母をやることにした。あとで私は、夏にたずねた。
「包みを持って行ったか。」
「ええ、みんな、ただ歯みがきだけ置いて行きました。」
 晩になっても帰ってこないことは目に見えていても、おそくまで勝手の戸締りをしないで置いたが、やはり帰って来なかった。乳母も窮屈で困ったろうが、一ト安心をした私だちはまたみちを絶れて困った。
「やはり当分は貰い乳をするんだな。どうも為方しかたがない。」
ほかにないでしょうか。」
「あれだけ捜してやっと見つけて、これだ、ちょっと急にはなかろう。」
 ふたりが話していると、夏は、こんなことを言い出した。
「勝手口で乳母さんが出しなに、歯磨はあんたに上げると言っていましたから、もうかえらないんでしょう。」
 莫迦ばか正直な夏は、私たちの気も知らずにぽかんとそんなことを言ったが、私はあっちイ行けとあごしゃくった。……赤児はやすらかな花のような、そういうことが言えるなら、それにも増して美しいくろぐろした一線を惹いた眼をつぶり睡っていた。その息づかいは平和にわたしの耳をなごめた。

 ………わたしだちは四年前の冬、結婚した。その晩は珍らしい大雪の翌日で、夜中に、雨戸一枚を繰り手洗鉢ちょうずばちにかがんだが、銅の手杓もてあがっていた。何となく青い層のある明け方の空気を雪と雪とが射し合い、その明りはむしろ痛みある寒さを感じさせた。私はそこでしばらくちながら、すやすや眠っているらしい女に、私がそうやって佇っていることを知らすまいと、こおったしきいの上に音もなく雨戸を閉めた。
 式を済すと、田端と神明町さかいの、或る百姓家の離れに住み、私は毎日抒情風な詩ばかり書いていたが、蟻の餌ほどの父が残して行った金なぞは、何時いつの間にかなくなっていた。貧しい地味な暮しをつづけているうちにも、すこしずつ自費の詩集なぞが売れて行った。まとめて父からの金で、私は十年ほどかかって書いた詩を書物にし、本郷の本屋へたのんで売ってもらっていた。
 そのころもう父親になっている恩樹という友だちが、やってくるごとに、三つばかりの女の子を抱いていた。私には恩樹がその子どもを得意そうに抱いたり、あやしたり、おしっこをさせたりしているのを見るごとに、いつもばかばかしい気がした。連れてこないときは、決って子供へのみやげの、パンとかお弄品もちゃとかの包みをかかえていた。それがあまりきまりすぎたものを見るようではあったが、恩樹は、自分で赤ん坊にお湯までつかわせるほど、好きだった。
「君のところでは、どうして子供ができないんだ。妻君はからだもわるくないし。」
 恩樹は、濁らない美しい目をして、よく私にそう言った。
「どうしてかな。しかし今子供なぞできたりすると困るんだ。何の用意もないし、貧乏だし……。」
 私はつとめてその話を避けるようにした。眼をらせるようにしたのである。
「子供は実に可愛くていいよ。」
 恩樹は、まるで天にでも捧げるように高々と子供を抱いては、遠い中野の奥までかえって行った。町へ出ようとするといっしょに連れてッてくれと聞かないんだ。つイ可哀そうになってね……恩樹は、嘘をついたことのないような顔を、その子供の頬に触れさせて言った。
 家主の婆さんは、女が犬を可哀がるのを厭がって、
「犬なぞお置きになるから、子に、遠いんですよ。むかしからそういうんですよ。」
 そう言っては、くるごとに嫌いな犬をしっしっと門のそばで、半ばコワがりながら叱っていた。
 国の方からも手紙がくるごとに、子供はまだか、まだできぬかと書いてあった。そのたんびに不愉快をかんじた。あちこちの結婚したての友だちがみな子供を持つのを見ると、なお子供のできることが厭な気がした。そればかりではなく、自分達さえ苦しい暮しをしているのに、それが生れたら大変だという気もしていた。貧しさの骨身を削ってきた下宿時代のことを考えると、それが生れてこないことばかり考えられた。
 夫婦きりで閑暇ひまのありすぎる退屈さが、おりおり訳のわからぬ不快をともなった。女は張り合いのない顔をし、よその赤坊をお湯につれて行ったり、犬や猫を飼ったりして寂しがった。
「どうして子供がないでしょうね。」
「どうしてだか。」
 むっつりと私はその話がでると黙り込んだ。そしてそのたんびに、
「子供なぞあったら困るだろうなア。なくてさえ困るんだから。」
 そういうとプイと立って、座を外した。その事に触れてはならぬと思ってか、女は、その話をしなくなり、人がくるとどうしてできないんでしょうね、と、そう云うばかりだった。
 三年過ぎても、女にはそのけはいさえなかった。友だちはよくその話で、わたしを皮肉ろうとした。恩樹は、もう次ぎの子どもを抱き、さきの女の子には、夏はすずしい白のレースの洋服をきせて歩かせていた。
「子供ができると、からだがさっぱりするそうですよ。ことにあなたは頭がいたむなんてよく言いますからね。」
 恩樹は、女の前でこう言っては、悒々ゆうゆうしているのは、生むものを生まないせいだよ、そう当らず触らず私に言っていた。そんなときでも、よい育ちをした恩樹の眼は静かに澄んでいたのである。
「できないものをどうにも為様がない。」
 私のいうことは、それだけだった。が、心にはすこしずつ子供がほしかった。時々考え込むと、よく十年前にいたことのある下宿屋の若夫婦が、二人きりになって寝ていたが、いつまでも子供ができなかった。夫婦がごろりと二人きりで寝ているのは、綾もないうそ寂しいものだと、やっと思うようになった。そういえば自分等もいつも定って起きるにも寝るにも二人きりだった。花も綾もない。そして手頼りなくしまいには子供のないことが、夫婦きりであることにつてない羞恥さえかんじさせた。
 が、愈々いよいよ子供ができるとなると、自分というものを知っているだけに、何んだか不具ものなぞできはしないかと、妙に不安になり、いっそ今まで通りに生れない方がよいとも思えた。――しかし、それよりも手頼りになる直接自分らの魂にも肉にも関係のある生きものが見たかった。
 それゆえ私は或晩、ふと女に曾つて言い出したこともない子供のことを言い出した。
「お前さえ生む気なら、子供はいつだって出来そうな気がする。」
「どうして?」
 女は今までにも出来なかったものが、急にできるものでないと言い出した。私は女に、私の秘かにしていたことを、まじめに話し出した。
「そんな事をいつしていました。いつころから。」
「国で式をあげたときから。」
 自分でも意想外にひややかな顔をし、なぜか気むずかしさが加わったが、いつの間にか私は顔を紅くそめた。
「そんなこと、嘘でしょう。」
 しばらくすると、女はなかば真顔になり、きみわるそうに微笑わらいをふくんで、わたしの目を覗き込んだ。
「全く真統ほんとうのことなんだ、嘘だと思っていてもよい。そのうちにできるようになるから。」
「ほんとう?」
 女は腹の上へ手をあててみたが、きゅうに立って次の間へ行って泣き出した。そんな恐ろしいことをひとりで遣っている人とは思わなんだと云い、朝まで泣き歇まなんだ。わたしは困難なときに子供なぞできなかったこと、そして子供が心からほしいと思ったときに、生れてくるものだと信じていたから、女の泣き歇むのを待つだけだった。
 が、ふしぎに女は元気になったようなところが、それからあとに現われた。
「まだから。」
 女は木の実でも埋めたのを覗き込むように、自分のからだに深い注意を仕出しだした。そして折々こんなことを言った。
「あなたは悪いことをしていたと、そう思いませんか。」
「思わない。」
 そう私はハッキリ答えたが、不自然ではあると心で附け加えた。
「わたしはそれを大変わるいことだと思います。」
 女は、むきになりそう言ったが、黙ってそれには答えなかった。
 腹に子ができてから、女は楽しそうに小さい襯衣しゃつやおむつを縫いはじめた。それを幾枚も畳んでは、一枚でも殖えるのを喜んだ。胎教だと言ったり、なるべく美しい子を生むのだと、西洋の名画なぞを枕もとに置いては見入っていた。この女にこれまで見ることのできない微妙さが、小刻みにわたしの目に映った。
「こんなんなら、もっと早くできてくれればよいのに、わるいお父さんだ。」
 女はこんなことを、ときには言い出したが、わたしは気むずかしい顔をし、なるべくそれには触れぬことにした。女は毎日指を折ってかぞえた。そして或晩わたしが、或る事をあかしてから、その子が腹にきたことを知ると、蒼くなってふいに考え込んだりした。


 翌朝になっても乳母はこないばかりか、千葉の方へ問合せても返辞すらなかった。為方なく毎日貰い乳をしたが、産婆からの紹介ですぐ下田端に乳があるということで、人手はなし動坂は遠いから、ひとず下田端の方へ貰いにゆくことにした。
「動坂は善い人たちだが人手がないから、よく礼を言ってお断りしよう。」
 動坂へ礼に行かせ、田端の下台へ毎日三度ずつ行くことにしたが、平林も夏もそのたんびに、下駄や着物の裾まわりを泥だらけにした。梅雨に入った元田圃であった下台は、泥濘ぬかるみで歩けない道路であった。一度なぞ夏は泥の中をころげ、胸のところまで汚してかえって来た。
「道路が悪いなんてまるで歩けないんですもの。」
 あまりたびたびそういうので、私はそれだけなら我慢をして呉れとも言った。が、勝手口でその事を繰りかえされるとしゃくにさわった。
「イヤなら止めてくれ。」
 とも云った。
 平林は、泥まみれになっても、黙って井戸端で洗足して、そのことを口へ出さなかったが、垣根につかまったりして歩くのか、指股に泥をよく食附くっつけていた。
「どんな家かね。」
「会社員みたいな家です。」
 私はさきで厭なかおをせぬか、と、気になり平林にたずねた。
「ちゃんと時間になると、瓶に乳をしぼって玄関へ出してあるのです。いただきますと言って持ってくるんですが、奥さんは寝そべって添乳そえぢしてめったに出ていらっしゃりません。」
「いつでもかい。」
「いつでも、出してあるんです。」
 平林は、へんに不平のある顔をし、それを言い出してはならぬというような表情をしていた。さきでも面倒くさがっているな、とすぐかんづいた。
「動坂の家とどちらが感じがいい?」
「そりゃ動坂の方です。」
「いつしぼったのかよく聞いて来るんだろうね。」
「え、おくさんはそのたびに、今しぼったばかりですと言っています。」
 その日、赤児は緑便をしたので、乳のせいだと思った。その剰余あまりをすかしてみると、どろどろなものが瓶の底に溜り、動かすと蝶の粉のようなものが浮いていた。
「こんな乳だから……お腹をコワしたんです。」
 女は、「よく気をつけて呉れればよいのに。」と、奥さんをうらんだ。「きっと朝しぼっておいたのをくれたんでしょう。」とも言った。
 それからずっと赤児は、腹をコワし、じめじめした梅雨は部屋のなかまで湿り込み、夏と平林とは、下田端からかえると、井戸端で足を洗わねばならなかった。その高声がよく私をいらいらさせた。
「夕方はおれが取りに行く、たかが道路がぬかっているまでじゃないか。」
 私はかっとし、夕方、瓶をさげ、八幡さまの垂れた緑の重い枝の下をぬけ、藍染川の上手の、二年ばかり前まできびの葉の流れていた下田端へでたが、泥濘ぬかった水溜りに敷き込んだ炭俵すみだわらの上を踏むと、ずぶりと足の甲へまで泥水が浸った。それを抜こうとするため、ちからが余りひょろついて、ぶなく倒れようとした。ハネ泥で裾まわりが濡れ気もちが悪かった。
 土間の湿けた格子内の、三尺式台の上に、瓶が出て居り、白いものが這入っていた。あけられた障子うちに、すぐ床をしき、奥さんらしい人がねそべり、よく働いたらしいあぶらのぬけたあしうらがこちらへ向いて見えた。見当をつけ此処ここの家だなと思った。
「ごめんなさい。」
「はあ。」
「お乳をいただきに参りました。」
「そこに出してありますから……。」
 奥さんは、そう寝そべりながら言ったが、蹠の位置はうごかなかった。わたしは瓶を手巾につつみ、
「いつもお忙しいところを済みません。これはいつころのお乳でしょうか。」
「今とっただけですよ。」
 奥さんはやはり起き上りそうもなかったので、わたしは鶏卵の包みをそっと置き、「粗末なものでございますが、どうぞおおさめなすって下さい。」そう言い、格子の外へ出た。道路はさき来たよりっと悪く、雨あしも小汚なく乱れ、四五軒つづいた長屋の入口の格子の裾がみな濡れはじめた。
 わたしはなるべく、飛び飛びに歩いては、水たまりへ足をすべらせぬように用心した。が、爪掛けをつッ込み、ぬるい水を足さきに浴びた。――それでも乳を大切にかかえている自分の姿が、みすぼらしく寂しい気がした、八幡坂を上りかけると、塀の内がわに、卯の花が暗い雨に浮きながらくたれていた。
「大変な路だ。まるで歩けない。」
 井戸端で足を洗い洗い言うと、夏は、くすくす微笑っていた。が、女はさっそく飲まさなければならないので、消毒の炭火をおこしていたが、乳の瓶を明りに透しちょいと眉をしがめた。
「これは腐っている……」
「そんなことはない。しぼって直ぐだと言っていたよ。」
「いえ、これをご覧なさい、ほら、滓がたまってどろどろしているでしょう。これを飲ませたらすぐ又不良くなりますよ。」
「困ったなア、あんなに苦労をしてとって来たのに。」
 そのとき障子のうちに寝そべっていた奥さんと、座敷中を取り散らしてあったのを私は思い出し、不愉快になった。
「動坂はどうだろう?」
「でも此方こちらにきめたのに、今さら行けた義理ではありません。」
「義理なぞ言って居られない時だから関わないじゃないか。」
「向うでは最うよその子に与っているんだそうですよ。」
「じゃ牛乳にするか。」
「そうするより為様がありませんわ。」
 樋口さんに話しにやると、つなぎにはそれでもよいが、ぜひ乳母をさがしたらよいと言って来た。
「こんどは乳母を国の方へ言ってやって見よう。ひょっとすると質のよいのが居るかも知れない。」
「え、それがよござんすね。」
 私はさっそく国へ手紙をかいた。すぐ捜して呉れるように頼んだ。――晩、或る友人が来て、山羊の乳というものは大へんよいそうだと話した。色が白くなるし営養も多いとのことだった。さっそく樋口さんに話しすると、牛乳よりよいかも知れないと言ってくれたので、田端のガードのそばにある山羊舎へ平林が毎日とりに行くことになった。さいわいに赤児は、やぎ乳をいた。みんなはほっと一ト安堵をした。生れてからずッと腹をコワしていた赤児は、やっとすこしばかり腹の方がなおりかかった。
 下田端の方へは、礼をもたせ断りにやった。そのときも膏気のない足の裏を私はさびしく思い出した。――国から乳母は一人もないと返事をしてきた。捜していたのか居なかったのか、腹立たしかった。
 秋、写真を二枚撮った。夏がおもちゃを持って踊って見せると、にっと微笑ったところを写した。国の母親と妻のさとへ一枚ずつ送った。国の母親はそれを毎日抱いて寝ていると書いてよこした。愛憎のはげしい母親が、そういう優しい心になってくれたのを喜んだ。――すこし咳をすると、すぐ樋口さんを呼んだ。
「赤児よりかあんたがたが、神経質になるからいかん。」
 肥った先生は、そういうとわたしと妻とに、或る程度まで打っちゃっておくようにと言った。わたしは外からかえるとすぐ赤児の顔を、その柔らかい頬をつまんでみなければ、書斎へはいらなかった。その抓み方が痛そうだと、女はよく抗議を言った。
「可哀そうに、そんな手荒いことなぞをして。」
「ほら、こうしてやると微笑っているじゃないか。ツマリこういう愛撫の方法もあることを知らないか。」
 実際、赤児は、くすぐられたようで、いつもよく微笑った。電燈を置くために作らせた紫檀したんの台が、書斎の机のわきに晩になると置いてあった。その上を叩くことを赤児はすいた。とんとんという工合に――書きものをしているときにへやへはいられると私は眉をしがめ、それによって妻は黙って赤児を抱いたまま、台を叩かないで出てゆかなければならなかった。そういうときあとで気附いて、わざわざ叩かせに呼びに行ったりした。そうすることによって私自身の気を柔げることができたからである。
 寒いのに赤児は、正月を迎えた。みんな雑煮をたべ、
「よい正月だ。」と言った。そのたびに自分がこうして正月を自分の子どもと一しょにすることを、珍らしいものに感じた。荒壁の凍てた寒い街裏の部屋にいた私は、よくその震えを振りかえってはぞっとした。――大寒も過んだ或日、夏がくらい咳を一つした。夕方も勝手の方でつづけさまにしていた。
「あれは風邪をひいているから、子どもを抱かせてはいけない。」
 妻にその注意をしているとき、夏は、赤児を抱いていたから、わたしはすぐ赤児を※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)ぎ取るように抱いた。そして妻にわたした。その晩、赤児は咳をした。二つ三つ続けているうち、わたしは真青になった。
「しまった。うつったぞ。」
「どうもそうらしいんですね、こまった事をした。」
 熱を計ってみると八度五分あった。それに不思議なことには、咳をするたびにぜいぜい苦しそうに息を切らすことだった。今夜はおそいから、明朝早く樋口さんを呼ぶことにし、水枕をしかせた。
 朝になっても熱が下りず、樋口さんは、風邪だと言い、それほど心配することはないと言った。私だちは氷で冷した。――が三日経ち四日経っても、まだ熱が下りずに、咳がつづいた。ぜいぜいいうのは喘息ぜんそくがあり、たんが、切れないから苦しいのだと言った。
 それから二日経った。樋口さんは頭をひねった。
「本郷の写野さんに診てもらって下さい。どうも気になりますから。」
 樋口さんは「わしは他のお医者と立ち会うことは平気です。わしばかりでは診られないところもあるから、却って立ち会ってもらった方があなた方がご安心でしょうから。」と、わけもなくそういうと、一向そんなことに関わらない顔をした。
「ではそういうことに願いたいものです。」
 無理もないことだと思い、すぐ写野さんへ電話をかけ、看護婦にも来てもらうことにした。その晩から赤児は、目に見えて苦しそうにぜいぜいやった。「こんなことで死なせるものか。」という腹が引締って私にあった。
 それに乳だけは順調に、そういう苦しいなかでも飲んだので、その方で切りぬけられると思えた。けれども熱がしつこく降りなかった。上る一方だった。
 写野さんがくると、すぐ厚みにきせた着物をゆるめ、からしの湿布を背中にした。が、十分もしたが反応がなかった。わたしは、掌の上にある時計を見詰めた。三分経った。からしをいで見ると、赤い反応が皮膚の上に出て来た。
「これが出ないと、ちょいと困るんだ。」
 写野さんはこういうと、障子に布を覆うこと、吸入はタところにやることなどを注意した。樋口さんは、七本目の注射を用意して立っていた。
「酸素饑餓きがという状態ですな。」
 写野さんは、これだけ言うと、無駄をいわずに、座を立とうとした。この人は技術で病気に向う人だと思った。樋口さんは情熱で病気に対う人と思った。
「大丈夫でしょうか。ああも悪いとは気がつかなかったのです。」
 私は新しく驚いて、写野さんの少し気取ったような、しかし自信の強い広い額を見あげた。
からしの反応が遅かったからちょいと心配はしました。しかし手当に残っていたものがありましたから……。」
 そういうと、すぐ帰ってしまった。どこか重々しく一流の気稟きひんをもっていた。わたしは写野さんに見てもらったことを喜んだ。そして信じた。
 吸入器を一つは伊織のおばさんが持ち、他の一つは車やの鈴木が水をさし、妻と看護婦が交る交る酸素吸入の口を向けた。炭火を起したりつぐために夏は忙しかった。夜中に、も一人看護婦が来た。吸入の霧のなかで、赤児はぜいぜい苦しそうに空気が足りなそうにあえいだ。わたしは病室と書斎とを行ったり来たりしながら、玄関の下駄を一ト隅によせたりするような、へんな真似をした。
 赤児は、わたしも妻も茶目であるにかかわらず、黒いつやつやした瞳をしていた。それがなおつやつやしくセルロイドのように光って、熱で、悲しそうに動いてみえた。
「しっかりしろ、死ぬには早いぞ。」
 わたしはそういうと、赤児の名をよんだ。あたりは吸入の霧で、ほとほとしずくが天井から下ちているような気がした。糊のしめった看護婦の白衣がしっとりしていた。妻の髪にも吸入の露があった。みな勇ましそうに働いた。
「今夜のうちに熱を下げなければなりません。」
 妻は、半分気狂いのようになり、吸入が窒ったとか、炭が足りないとか言った。実際今夜しくじったら取り返しがつかないと、私も頭に熱がさして来た。
「三十八度に下った、下った。」
 妻は、夜明方になり、そう叫びながら私の寝ているところへ来て言った。わたしは飛び起き、赤児の顔をさしのぞくとやはり苦しそうにハアハア言っている。
「この容子ようすですと朝までに、もっと下るでしょう。」
 看護婦が見当をつけ、私と妻とに安心をさせようとした。が、酸素の鉄管のからばかりがたまり、もう次ぎの分がなかった。
「困った。宮川病院を起したらどうだ。」
 すぐ近くに、去年私が入院したそれがあるので、夏がけ出して行った。
「起きなかったら、石で門を叩け。」
 そういううちにも、酸素は全くきれ、きゅうに室内がその水をくぐらせる音が絶えてしまったので、ひっそりした、そのひっそりした感じは、激しい不安を私に与えた。
「何をしているんだろう。」
 私は気が気でなかった。「ちょいと行って来る。」そういうと、すぐ通りへ出、病院へ走った。病院の白い門の前に、夜明けがたの白っぽい門がみえ、夏がぼんやり黒ずんで立った。
「オイ、起きたか。」
 近づくと私はそう叫んだ。
「ええ、いま開けていらっしゃるところです。」
 間もなく、ぎいと門の開く音がした。私は夏をそっち退けにし、酸素を貸してくれるように頼んだ。
「事務のものも居ないものですから。」
 下働きが睡そうにそう云って、すぐ出してくれそうもなかった。
「酸素のあるところを知っていますか。君は。」
「ええ、そりゃ存じて居ります。」
「じゃ僕が持って行く、そうして明日院長に話すから渡してくれたまえ。今はぐずぐず言って居られないから。」
「困りますわ。そんなこと。」
「責任は僕が負う。早くして下さい。死にかかっている病人があるんだ。」
 私は、下働きが薬局へ這入ると、そこへも図々ずうずうしく這入りこんで、一本だけ手に抱えた。時計が寂しくなっている。
「明日来て話するから。」
 そういうと私はすぐ家へかえった。門の前に看護婦が出て私のかえるのを待った。みんなは景気のよい音をきくと、ほっと一ト息ついた。
「なかなか起きて呉れないんですもの。」
 夏は、ぶつぶつ言っていた。
 夜が明けると、赤児がすやすや睡っていた。樋口さんが朝飯前にやって来た。
「すこし熱は降ったようだ。」
 水銀を振りながら、「赤児はすぐ悪くなるんだから安心がならない。」と言った。
「いつか僕らがあまり神経質過ぎるって言ったじゃありませんか。」
「そんなことを言いましたか、いや、それで赤児の場合は結構ですよ。けれども何んでもないときに騒がれると困る。」
 そういうと、おひるころに又来るからと言い、「このつたはぜひ分けて貰いたいですな。」と夏に言って出て行った。
「気さくないい人ですね。一日に三度も来て下さるんですよ。」
 妻は、看護婦にそう話した。樋口さんとは私が田端へきて八年にもなる知合いであった。
 翌日、写野さんがやってくると、樋口さんに、薬の方のことを言い、
「もう取り止めたようですね。」
 そう静かに言った。危険期を越えているとも言った。が、まだまだ安心はできない、どういう風にかわるかも知れないとも云った。私は写野さんを信じた。
「下手なことをやると、書かれるからな。」
 そう樋口さんを振りかえった。この前、やはり書きものをしている人の子供を見、書かれたと言った。
「医者にだってどうにもならない場合があるものですよ。」
 私はそれに同感した。あんなに善くしてくれたのに、書くなぞとは私は思いもよらなかった。
 医者は、毎日、写野さんと樋口さんとが立ち会って呉れ、一週間目になった。
「もう大丈夫だ。何しろ乳を飲むから都合がよい。」
 写野さんは、初めてハッキリ言ってくれ、私だちは安心した。看護婦も一人だけにした。気がつくと、夏も妻もみんな一週間のまにすっかり憔悴やつれてしまった、それでも妻は気ばかり立っていた。
「一時どうなるかと思いましたよ。やれやれ。」
 妻は、やっと帯を解いてねむった。その間じゅう私はひとりでゆっくり睡っていた。自分だけが安眠するのに気がひけたが、おれは仕事はあるし、一ト晩でもねむらないと、すぐからだを遣られるからという口実をつくった。「あなたは眠らないとあとあとにさしつかえるから。」と、妻もそう言って気づかないでいたが、あまり自分勝手でエゴイストで、きまりの悪い思いを心に感じていた。
 樋口さんは、やはり一日に三度ずつ来てくれた。生れるとすぐ赤児を見ていた医者は、よくこんなことを言った。
「これまでに苦心してきたんだから、もしものことがあってはあなた方に顔向けがなりませんからね。」
 正直一図で善良な樋口さんは、或る朝、晴れた座敷へこぼれる日ざしに、もうセルの服を着込んで茶をすすりながら、はればれした表情をした。
「こんどはいろいろどうも……。」
 そう私はあいさつをした。
「たいがい写野さんとも意見は同じかったんですよ。あの方はなかなか目利きですからね。」
 樋口さんは、そういうと立って帰って行った。私は樋口さんのむしろ無邪気なところを微笑ほほえんであじわうことができ、赤児はすこしずつ笑うようになった。


 誕生月が過ぎても、まだ歯がでなかったばかりでなく、這うこともしなかった。やっと抱き上げると、足に手を当ててやると立てたのが、このごろになって足を曲げ、触ると痛そうに泣いた。
「この子はいったいどうしたんでしょうね。足が立たなくなったの。見て下さい。」
 そう言えば、足をくの字に曲げて、さわると泣いた。「ともかく写野さんへ行って見てもらうとよいな。」
「え、そうしましょう。」
 写野から俥でかえると、妻は、青い顔をしていた。
「楽山堂病院の整形科へ紹介をかいてもらいましたの、写野さんでも専門ちがいで分りかねるそうです。」
「楽山堂病院って遠いんじゃないか。電車じゃあだめだし。」
「俥にします。」
「そう、じゃ行ってくるとよい。」
 妻は、すぐ下町へでかけた。まだ、なおったばかりなのにあんなに連れてあるいてよいか知らと思えたが、あのままにして置けば足の方の病気が固まっても困るという考えが私にあった。帰えると、
「この子は神経が立っていて足の筋が一本引き釣っているんだそうです。マッサーヂするより外に治療の仕方がないって、そうして頂いて参りました。まあ、随分泣きましてね。」
「そうだろう、がこんな赤児の足なんか揉んで、あとで何かにさわりはしないかな。門の前まで聞えるように泣いたりなぞしては、心臓にさわりはしないか。」
「それは丈夫だと言っていました。病気で泣くんじゃないって――そして此麼こんなに神経の立っている子は珍らしいって言いましたよ。」
「そうか。」
 私はしかしこの楽山堂行きは、なんだか気がすすまなかった。が、もう治療にかかっているのだから、それを歇めるわけに行かなかったが、隔日に俥が門の前へ梶をおろし、赤児を抱いた女の姿をみると、うっとしい気がした。わけても赤児の泣きさけぶときは、可哀相な気もした、
「きょうは休んだらどうだ。風もすこし寒いし泣くから……。」
 そう言っても、隔日だから一日遅れると、それだけ治療が遅れると言って聞かなかった。いったいに赤児に注射するときでも、女はそれを平気な顔で眺め、こうすればなおるものだと信じているらしかった。が、私は注射のときはこの間の大患のときも、なるべく病室にいないで書斎に坐って、その赤児の泣声がきゅうに苦痛のために止められ、やがて泣き出すときまで、あぶら汗が滲みながれたほど、赤児の身になって見て、ツラかった。
「あんまり泣くものですから、よその病室からみんな集ってきて覗きにくるほどですよ。ほんとにこんな大きい声を出す子はありません。」
 病院からかえった女は、いくらか足が楽になったらしいと言って、赤児の足をみせた。わずかしかない肉附きを揉むなんて、やはり私は信じかねた。
「いまに後悔することがあっても、おれは知らない。あそこへ連れてゆくのはどうも厭な気がする。」
「だって仕様がありません。」
「全く仕様がないことだ。」
 私は黙り込んでしまい、室を立った。赤児はすこしずつ肉がついたようにも見え、瘠せたようにも見えた。食事をするとき、ああと言い、何かをつかもうとした。赤児がそばへきていると、食事がウマかった。自分のようなものにもこんな子が生れたのだという、あたり前の考えが珍らしく、きめ細かい人間の内側のちからを感じた。
 緑が深くなると、向いの画家のKさんの家でも、おとなりの早瀬さんでも、気候が不順だからと、鎌倉と房州とへ子供をつれ転地をした。どちらにも弱い子があったが、それよりもずっとうちの赤児はよわかった。そういう隣近所のことを聞いただけでも、東京に居残っていると病気になりそうで心寂しかった。
 或晩、地震が来た。恐ろしい音が屋内をもんどり打った。ちょうど茶をのんでいたのだが、私は機械的に庭へ飛び出した。そこに石燈籠があったので、台笠が落ちはしないかと仄白ほのじろい石を見詰めていた。
「あ、恐かった。」
 そういう妻は、ちゃんと赤児を抱き、赤児は、くろぐろした瞳をくらやみのなかにツヤ消しをしたその光をふくみ浮していた。私はそのとき赤児よりも自分がさきに飛び出したことに、自分自身を不愉快に感じた。
「思わず知らず抱いて出たんですよ。何も考える間もないんですもの。」
 妻は、しずまった空に樹の尖端せんたんがまた震えているのを見ながらそう云って、私が一人で飛び出したことを、べつに何とも言わなかった。私は赤児の瞳を見た。そしてやはり私自身をイヤな感じをもって考えた。
「いやな気もちだ。」
「どうして?」
「お前よりさきにあいつを抱いて出なかったことが、イヤな気もちだというのだ。お前はなぜおれに抱いて下さいッて頼まなんだ。」
「そんな間なんてあるものですか。母親のそれが役目なんです。」
「それではお前だけの子か。」
 私は負けたのを知りながら、どうも子供は生長せいちょうするまで、母親のものらしく思えた。父親はそれを監視しているだけのものか。そうも考えられた。
「自分がコワイからさきにあなたは飛び出した。」
「あ、飛び出した。」
「わたしはあとからコワかったんですの。子どもを抱いて出たあとでね。」
「うむ。」
 私は黙ってしまった。やはり凝り固まった自分ばかりを考えている私自身に、不愉快をかさねた。
 樹の青みが深くなると、発育の遅れた赤児を抱いた夏や妻が、よく庭へでているとき、不思議に赤児は、空の方をよく見詰めていた。そばへ寄って透してみると、空ではない、樹でもない、何か木の葉が枝端れにひらひら舞うている一枚を、珍らしそうに眺めているのだった。
「お前をよく知っているらしいが、どうもおれというものを確かに知っていないらしい。つまりおれが父親だということを、そういう意味をはなれてもお前とくらべると、赤児は全で他人のような顔をしてみているように思われる。」
「そうでしょうかしら、しかしく知っているらしいんですよ、ほら、お父さんですよ、分って?」
 女は、そう言って赤児をさしつけても、私より夏の方へ行こうとした。女は、なるべく私に馴染ませようとしても、駄目だった。しかし何処どこかに私を見る目と、よその人を見る目とに相違があった。柔らかい馴れた視線があった。

 国から母親が来、二週間ばかりすると帰った。その日、はじめて電車に乗せ、晩方上野まで行ったが、赤児は電車の音や騒々しい人込みに怖れた。田端の静かな家のまわりだけしか知らなかった赤児は、眼をまるめ、びくびくさせ、しまいに泣き出してしまった。刺戟がはげし過ぎるように思われた。熱でも出ると大変だと思い、自動車ですぐ帰った。
 あくる日、樋口さんは、ちょいと風邪をいたのだと言いその手当をしたが、「どうも弱い子ですね。上野まで出て、コレだから大変だ。」と云った。赤児というものは、一週間病気をすれば、一週間だけ発育が遅れるということも、話に出た。そういえば、うちの赤児は、ふつうの赤児よりか半年遅れていた。歯も出なかったし、這うことも、抱いても足が立たなかった。が、私はその黒い瞳と、私に似もつかない美しい整うた顔をしているのが得意だった。
 田舎にいる杉原という詩人も、もう父親になっていたが、やって来ると、すぐ赤児の綺倆きりょうをほめた。
「うちの子は色が黒くて、てんで話にならない、これは傑作だ。」
 杉原が、そういうと私は、赤児が私似であるか、それとも女に似ているかと尋ねて見た。
「奥さんに似ている。」と言った。
「しかし半分くらい似ていないか。」
「そういえば少し似ている。」
 とも言った。
 実際赤児の顔ほど、ふしぎに両親の顔をうつし出しているものはなかった。その表情の動きのなかにも、かすかながら父母の何ものかが漂うているのだった。そういう判りきったことを執念しつこく私の心に対い、恐ろしいほど凝視するような気もちだった。
「こんど又できるんだ。こまった。鬼灯ほおずきの根でも飲まそうかと思うんだ。」
「よせ、そんなことは!」
「でもおれは子供どもというものは、そう可愛くないんだ。少しも愛情がうつらないんだ。」
「どうしてだろう?」
 私には杉原のそういう気もちが分らなかった。そのくせ彼れは子供どものお弄品を街から包にして持って、いつも田舎へかえった。
「第一綺倆がわるい――。」
 美しいものに溺れる杉原は、そういう単純なことにも、自分のすききらいを言い張った。それにしても可愛くないなぞとは、どうしても思われなかった。
「抱いたりなんかするだろう。」
「それは抱いてもやるさ、しかしどうも君くらいに愛情がおこらない。君はマルで夢中だ。悪党のくせによく可愛がっているから感心だ。」
 杉原はこういうと、それが私だけの前でつくろって言っているのではないように思われた。かれは優しい美しいものには、それと同じい柔らかい気もちになることができたが、そうでないものには、かれらしい病的な悒としい気分になるらしかった。
 が、赤児は、一日ずつ咳をしつづけた。それに喘息の気もありそうであったが、いつもの事で、気にかけようもなく、毎日、医者は一度ずつ来てくれた。玄関に靴音がし、そうしてすぐ樋口さんの白い夏服をみると、赤児は、すぐ直覚的に泣き出した。
「どうも困るなア、そう嫌われてしまっては!」
 樋口さんはしまいに裏木戸からこっそり庭へ廻り、そうして、
「どうですか、寝ていますか。」と、こ声でいい光る夏服をみせまいとした。そういう注意深いところも、何んだか私にはたいへん好ましかった。
「目をさましていますよ。そっとして。」
「咳は?」
「ときどき出ます。それにぜいぜいやるんです。」
「啖がきれないんでしょう。啖のきれる薬を上げましょう。じゃ失礼。」
 樋口さんは、そういうと又裏木戸からかえって行った。――が、赤児は、それから二日たつと、青いダルい顔をし、しきりに咳をしはじめた。
 その朝、女は私の部屋へきて言った。
「おとなりの早瀬の奥さんがね。どうも坊ちゃんは百日咳らしいと言って、いまのうちに注射をしておもらいなさい、そうでないと大事おおごとになるから……それに早瀬の御主人もやはりそうらしいって、見るに見かねて、さし出がましいけれどもッて言っていらっしゃいましたよ。そういえば、どうもそうらしうござんすね。」
 早瀬さんとは、垣どなりで、よく聞くとやはり同じい郷里の人だった。それにもう三人も子供をそだてた経験から、その注意は私の胸にぎくりと来た。
「どうもそうらしい。いいことを教えてもらった。」
 私は感謝し、すぐ医者に注射をしてもらったが、「いまから百日咳になりかかろうとしているのだ。」樋口も写野も言ってくれた。何となく大きい困難を前に払ってしまったようで嬉しかった。
 が、どういうものか咳が発作的に来た。一日に一度ずつくらいに――しかしそういうことに馴れているので、気にしながらも、ただ服薬だけさせた、樋口さんも大したことではないと言っていた。しかし顔の色はだんだんに悪くなり、手足がよく冷え、すこしでも抱いていないと火のつくように泣き立った。
 或る朝、夏は赤児を抱いたまま、これも顔色を変えながら言った。
「いま大へん咳をなすった、そしてからだをブルブル震わせなさるんですもの、びっくりしてしまいまして――。」
「ブルブル震わせた?」
 妻はすぐ抱きとったが、しかし別にかわりはなかった。あやして見ると微笑い、ううと言った。
「しかし顔色がわるいな。どうも気になる青さだ。」
 私は赤児をさしのぞき、いくらか力なさそうにしている瞳の色を見た。何となく寂しい気がした。赤児のわるい顔色と勢のない眼のいろは、いつも私にイヤな寂しい気をおこさせた。それがいつもよりずっと変な気にならせた。
「足をみろ。」
「冷えています。けれどもほら微笑っていましょう。」
「床にねかしておいたらどう。」
「下に置くと泣き出すのです。泣くと咳が出てぜいぜい遣るんです。」
「困ったな。どうすればいいんだか。」
 やはり抱いているより外に仕方がなかった。気のせいか、脣の色まで、いつもより紅いところがなかった。医者は喘息の発作だと言い、実際それ以外に何等の徴候とてはなかったのである。
 あやすと微笑い、山羊乳もいつもほど飲んだが、むやみに頭を振り、物憂そうにしていた。
 或朝、妻は赤児を抱き、書斎へはいって来た。いつものことなので、机の上から、わるい顔をしているのと、元気のなさそうなのを見た。
「豹、どうした、いいかげんに癒ってくれないと、みんなが困るぜ。」
 私はそう言い、立って赤児をあやそうとしたが、妻は、ふとこんなことを言った。
「さんざん病気をしたあげくに、この子は死ぬんじゃないでしょうか。」
「そうお前は思うか。」
「ええ、どうもそんな気がしてなりませんの。」
 私は黙っていたが、「いまトラれてたまるか。」と少し腹立つような声で言った。コレまで育ててきて、死なせるなんてことが有り得ようかとも思った。死んでも引き戻してやるとも言ったが、空疎なことを言ったので心寂しかった。
「そんな考えをもたない方がよいよ、こうして、ほら、この通りにぴんぴんしているんだから、なア、豹。」
 私は、手をとってみたとき、あまり冷くなっているのに、驚いた。足も、きのうよりも酷かった。
「どうもおかしい、こんなに手足が冷えている。」
「そうね、医者を呼びにやりましょうか。」
「すぐに呼ぶとよい、いや、おれが電話をかけに行ってくる。」
 私はすぐ宮川病院へ、電話をかけに出かけた。電話をめったにかけない私は、あわてて番号を間違わせ、うまく言い当てたときに、交換手が出るときゅうに番号がどもって言えなかった。そういうことを幾度も繰り返しているうち、ますます電話をかけ違えてしまった。
「…………」
 黙っているうち、向うではどんどん切ってしまった。これでは遅れるばかりだと、すぐ家へかえり使つかいを樋口さんへ出した。午前一杯医者はこなかった。その間に二度発作があり、赤児は、ああ……という咳のあと息をひいては苦しんで、済むとハアハアと言った。
「これはいけない。これはだいぶ変ってきたぞ。」
 背中に私はぞくぞくした寒さを感じ、又使を出した、が出ちがって来なかった。手も足も冷たくなった。しかしれいの黒い瞳はやはり静かにちからない顔のなかで、くろぐろと光っていた。
「豹、豹。」
 妻はうろうろした声で呼んだ。
「早く医者がきてくれるといいんだが……。」
 そこへ樋口さんがきたが、大分長く考えていたが、
「心臓がわるくなっている……こりゃ大変だ。」
 そういうと、さっそく注射をし、「こんなになっているとは知らなんだ。とにかく写野さんに見せておく方がいいですね。」と言った。
「わたしもそう思っていたんです。」
 手頼りにならない気がして、私は樋口さんをぼんやり眺めた。急にきたと云えば急だったし、ゆっくり来たといえば、ずっとさきからこの傾きがあったのだ。が、私はいつもの発作だから大したことはあるまいと思っていた。
 写野さんの電話が通じないので、使を出したのが四時ころで、外出していて急の間にあわないらしかった。私だちは苛々した。樋口さんも手のつけようもないらしく、一ト先ず帰って、電話で打合せをしてから、一しょに来ると云った。
 夕方、客があり話していると、妻は、私を呼んだ。その声はいつもより違っているので、飛んで行った。そのとき赤児は、第三回目の劇しい咳と引息でがちょうのように泣いた。ガアガアアアと息をあえいだ。
「どんなに苦しいか知れない。」
 私はひとり言をいい、そして手のつけようもなかった。
「医者が来ない。困った。」
 私だちは、腹のなかまであぶらを流す思いをつづけた。晩の八時になった。何という変りようであろう、赤児は、もう床にはいったまま、いつもそうする子でないのに、おとなしくぐったりしていた。私はからだじゅうの毛あなに、ぞくぞくする懸命な異体のわからない昂奮こうふんをかんじた。
「夏、表へ出て見ろ、俥が来ないか。」
 夏はそとへ出たが、すぐ引きかえし、
「お見えになりません。」と、これも息を切らした。とにかくおれは落着いていなければいけない、そう心を引き締めた。
「大丈夫でしょうか。」
「さあ。」
 私はそれきり何も言わなかった。
「潜りがあいた。医者だ。」
 そういうと、私はすぐ書斎へ行き、机のわきに落ちつき、どす黒い姿を凝り固まらせ、あわてたところを見せまいと、煙草に火をつけた。
 写野さんへは、病状を話した。そして急にきたものらしいと附け加え、
「どうも手足が冷え、へんだと思っていたんですが。」と言った。
 写野さんは、私の説明をこの人がよくするように、考え考え、そうして大概の見当が頭でつきそうな時分に、じゃ一つ見ましょうと立ち上った。
 写野さんは、すぐ看護婦に「今夜は三十分ごとに注射しなければいけない。」と言ったときに、樋口さんはそれを用意して一本打った。が、又一本打った。そして写野さんは赤児の頭の枕の下へ手を入れ、その頭を四寸ばかり高めた。
「辛しの湿布だ。それから湯たんぽで手と足を温めるんだ。」
 しゃがみ込んでそういうと、辛しの湿布がきたが、布だったので、
「紙にするんだ。」と言った。
 赤児はハアハアと言い、くるしがった。湿布をした。十分経った。ひじが脚の下までしか来ないで、手首は寂としてびくともうごかなかった。「手足が冷える冷えると思っていたが、やはりいけなかったんだ。」と私はふるえながら思った。
「これは危ない!」
 写野さんは、へいぜいとは違った声でそう樋口さんに言った。赤児の目が釣り出した。そして息がきこえなかった。室じゅうに音というものがなかった。
「お父さん、今ですよ。」と妻が言った。
 写野さんが人工呼吸をやった。汗とあぶらが赤児の肌身と写野さんの手のひらににちゃついた。私は生れてはじめて人工呼吸を見たので、それでなくとも、ああすれば助かる助かると思った。
「樋口君、かわってくれたまえ。」
 そう写野さんが言ったときには、妻は泣き出した。写野さんは赤児の瞼をめくり、電燈をよせて見た。あんなに電燈の光をよせたらまぶしいだろうと私はふと思った。それと同時にこの子のくろぐろした瞳は見おさめであった。
 部屋の隅で、夏が泣き出した。声を挙げしばらく妻も泣きやまなかった。
「お父さん、最ういちど抱いてやってください。」
 ぼんやりしている私に、目を閉じた子を妻はわたそうとした。
「あ、抱いてやるとも。」
 そう言った私は、抱き取ると、頭がぐなぐなになって、重かった。もっと静かに抱けばよいと思っているうち、全く死んだなと思った。それまで私は何というぼんやりした、うつけた気持ちでいたことであろう。――こんどは、床の上にそっと置いた。
「どうかあちらへ。」
 私は書斎へ二人の医者をあんないした。樋口さんは泣いた目をしていた。あれほど永い間診ていてくれたのだからと、そういうことも嬉しかった。
「どうも惜しいことをしました。」
 写野さんは、鞄を手にとりながら言った。
「たびたびお世話になりました。」
 妻もそこへ出て挨拶をした。玄関へ医者を送ると、静かに俥に乗るけはいがした。何も尋ねるな、そう考えた。
「わたしもう御用事がございませんから。」
 看護婦もかえった。医者がきて四十分して赤児が死んだのだ。
 赤児の顔の上に清い布が掛けられた。それを見い見い、やはり死んだかと、信じかねた。
「今死のうとする赤児に灌腸するのはよくないじゃないか。あのとき呼吸が上の方へグッと詰ったような気がした。」私はあきらめ兼ねてそう妻に言った。
「いえ、ああして助かることがあるのです。わるいことはなかったのです。」
 妻は、医者のしたことの、最も正しいことであることを言った。私は黙り込んだ。が、死児をみると、どうも諦めかねた。怨むまいと思うが怨むぞと、そう誰に向ってか絶えずつぶやいている、あさましい私自身をどうすることもできなかった。


 初めての経験で何からしてよいか分らなかったが、隣の早瀬さんや根岸のおばさんなぞが来てくれ、車やさんと植市とが使あるきとお葬いの手配りをしてくれた。
 棺に入れるとき、私達はもう一度抱いてやったが、やや硬張ったそのからだを持ち、閉じられた眼をみていると、まだすやすやと睡っているように思われた。が、ふしぎなことには、その死顔がやや暗色をおびているせいか、二つばかり急な時間のあいだに歳をとっているように、マセて見えた。死児というものは、こんなに歳とって見せるものかとも思われた。
「靴下も入れてやりましょう、それから帽子も、おもちゃも。」
 まだ一度も穿いたことのない毛糸の靴下をはかせ、入れられるだけのお弄品を入れた。笛も太鼓も入れた。
 どれを見ても女達は泣いた。私はすこし変な気がしてくると巻煙草まきたばこを口にくわえた。歯の間がすくと息がぬけるので、涙ぐむようなことがなかった。――墓地は、田端の大龍寺にした。子規の墓があり静かだったし、近くておりおり行けるような気がしたからである。
「あそこならおれも埋められてもよい。」そう言い、妻にイヤがられた。――晴れた翌朝私だけ家にのこり、友人も沢山行って葬いが済んだ晩、国から妻の姉が来た。
 灰葬には、私、妻、早瀬のおくさん、妻の姉、夏なぞが行った。三河島の河ぶちの暗い溝水に沿い、俥が走った。猫入らずの製造所の板塀にそれの広告文字のかかれているのが、目を惹いた。
 骨はかなりな量があった。銀杏の実のような膝がしらや、パイプのような細い足の骨などが、竹箸のさきに触れた。眼を泣きらせた妻は、箸のさきに小さい堅いものを引っかけながら、
「歯が出ない出ないと言っていたのに、ほら、こんなに揃っている。」
 そう言い、それを拾いはじめた。
はぐきの中に埋っていた歯は焼いてもこわれないんです。」
 隠亡おんぼうは、自分でも馴れた手付で、それの幾つかを拾った。
「歯がないないって言っていたのに。」女はそればかり言い、はぐきを破って出るちからがなかったのだと、口惜しそうに繰りかえした。小さい素焼の壺に入れ、みんなは又俥に乗った。
 道路の曲り角に、床屋の白服をきた若者が、黒いものを棒のさきで衝ッつきながら、折柄おりから正面から来た駄馬のわだちかそうとした。輪はごっとりと小石を乗り上げ、それを辷ろうとしたときに、若者は小さい黒いものをひょいと棒切れで追った。が、黒い小さい生きものは、そのはずみに二三寸ばかりきへ走ったあとへ、輪がひと廻りし、私の俥が通ったのである。鼠はうまく生きのがれ、何となく私はやすらかな心地がした。
「イヤな事をする。」
 しばらく白い乾いた道路に震えている影が目を去らずにいて、不愉快だった。

 私だちは毎日ぼんやりして、女は女で何をするにも元気のない顔をしていた。子守唄が一年ばかりつづいたあとで、その日から絶えてしまったので、これも家をひっそりさせるに充分だった。同じことを繰り返し、あきらめかねていた。
 或朝、私は門の前へ出ると、そこに早瀬さんの三人の子供があそんでいた。「ちょいと入らっしゃい、抱いてあげるから。」そう四つの女の子にいうと、はずかしそうに垣根にからだを擦りよせ躊躇ためらったが、思い切ったように走って来た。
「なかなか重いな。つぎはあなただ。」
 その上の子も、妹のようにしなを作ったが、そうされるのが嬉しいのか、これも走ってきて抱かれた。
「こんどは兄さんの方だ。」
 一番兄は七つだった。重かった。と、きゅうにそんな事をしているまに、私はむやみに悲しくなって来て、潜り門から家へ飛び込んだ。何という寂しい気もちだか。――そしてしばらくその気もちが離れなかった。
 妻は妻で、よその子さえみれば「ああしてみんな達者なのに自宅の子だけどうしてあんなに弱かったのでしょう。」と、口説いた。
「おれはよその子をみても、あれは余所の子でおれの子じゃないと思うと、何んでもなくなるのだ。」
 そう私は言ったが、やはりそればかりでない気もした。そして童話なぞ書くことを頼まれると、よその子の喜ぶものなぞ書いていられるかとも、あさましく腹立たしかった。二人とも、ひまさえあれば溜息をついた。
「何も面白くない。」
 女は女でそう言い、朝早く大龍寺へ参りに出かけた。「何が面白いことがあるものか。」私は不気嫌に毎日ぼんやり暮した。――或る知人に七人の子供があったのに、長女をこの春亡くした。すると或る人が、「君は七人もあるんだから一人くらい亡くしても関わないだろう。」と言った。するとその知人は「七人もあるからなおその一人を欠かしたくないのだ。」と言ったそうだ。私はそれの心もちが分った。
 坂の上にいる或る彫刻をやる知り合いが、ぼんやりうつけ者のように夕方あるいている私にこう言った。
「またコサえるさ。」
 私はあたまがぐらぐらし、やっと口がきけたくらいだった。
「あのとおりの顔がまたと生れてくるとでも君は思っているのか。」
 そういうとこの男の子どもも、何かのついでに死んでくれればよいとまで、その瞬間にかっとした。そうなればこんな不用意な口をきくまいと思われたからである。「またおあとがあるだろうから……」そういう風に言われると私はさびしく黙った。しかしあの通りの顔は世界じゅうに一人もないぞという気がした。
 妻が寺参りにでかけると、箪笥たんす曳出ひきだしのそばへ私はしばしば行こうとしては、ふいに立ち停まりあたりを見廻した。やはり静かな庭樹のかげが、障子に映り誰もいる筈はなかった。が、その白みある明るい光では、よく赤児がしていた水枕のびちゃびちゃする音が、私の耳にきこえた。
「おれはいったい何しにここへやって来たのだったか。」
 私はひとりで呟やくと、曳出しの鍵に手をかけようとした。鍵は別の曳出しから取り出し、ひと廻りさせ、がっちりと開けたのである。そして私は手早くいろいろな品物や書類のたまっている中から、手ざわりの角の荒い写真をつまみ出し、それを懐中にしまい曳出しをしめた。そういう感情には絶対にそれを人目にふれさせまいとする注意深さと、自分がそうすることによって妙な感情になるまいとする努力とが打ち合った。も一つは、そんなことをする詰らなさがたとえ人目にふれずにいても自分の心になにか羞かしそうな妙にものにてらうようなうす痒さとが、かさなり合うのだった。
 そして私はどかりとあぐらを組み、それを開いて眺めた。静かで快い気もちがした。よく泣いたときうるさいと言い叱ってみたりしたことが、人並みにあんなに言うんじゃなかったともツイ思い出された。誰でもみんなが持つおさない感情がどやどやと足音をさせ、しばらく私をとりかこんでくるのが、何より嬉しかった。
 私は間もなく写真をしまい込み、鍵をかけ室を出た。そういう、つまらない事をしたあとで、きゅうに蜂に刺されたように悲しくなって了った。そこらの畳をがりがり引掻き、どこか遠いところを呼んだら、何かが戻って来そうな気がした。ああ耐らないという気がした。あのときどうにかならなかったものか、とも思い、もっとさきに医者がきてくれればよかったのに、そうしてそれを気づかずに居たのは何という馬鹿だったろうと、私は文字通り畳をがりがりやった。怨むまいと思うが怨むぞと。頭があつくなり、かっとして気でも狂いそうになった。
「この容子だとおれ自身あぶないぞ。」
 そういう気もした。
 お寺から妻がかえって来ると、坐ってこう言った。
「白いお骨の壺が三つならんでいたので、尋ねると去年の秋から順繰りに三人の子供が死んだ家があるんだそうです。二人目からそのおくさんがすこしずつ気がへんになり、三人目が死んだときは、全く気がフレてしまって、とうとうこの間田端の脳病院に入ったんですって。何という話でしょう。」
 私は黙ってきいていたが、そんなに死なれては気が違うのも当り前のように思われ、ならないのが不自然なように思われた。すくなくともそういう女はずうずうしいとも考えられた。
もっともな話だ。おれにしても少しはへんになる。」
 妻は、しばらくしてから、又ぼんやり部屋へはいって来、何もいわずにうろうろしていた。そして、
「子守唄もうたえないし……。」
 ぽつんとそんなことをいう。
「何をつまらないことをいうんだ。……写真はちゃんと封をしておいたよ。見るとおたがいにいけないから。」
「え、見ませんとも、見たらそれこそ大へんです。」
 実際、女はまだ一度も見ないらしかった。私がそれを好んで見、女はなるべく見ないようにしているお互いの気もちが、どういう風にそれをべつべつに考え違っているのかと、おりおり私は考えた。がどこまでどちらが真実であるかが分り兼ねるような気がした。――ぼんやり食事をしていると、何かを考え出し、それをお互に悟られまいとするようなことが多く、箸をもったまま眼で庭をさぐり合うことがあった。そういうとき不思議にわずかの間に遠い笛の音色をそらんじ、それの消えてゆく尾について哀愁が起った。さまざまな音色の笛がいつも赤児の枕もとにおいてあったから、それが何処からか起ってくるような気がした。
 ちいちゃい童子どうじはいつも一人で歩き、持ちきれぬほど色彩のはげしい笛や太鼓や兎や犬を抱え、菅で編んだ笠をかむり、足にはおぼえのある毛糸の靴下をはいていた。靴下はだいぶ擦り切れているのを見ると、よほど歩いたものらしく思われた。くろぐろした瞳はやはり力なかったが、その働きは四年も五年も一時に歳をとっているような、濃い悲しそうな色をたたえていたのである。
「お前はそうして歩きつづめているが、いったいどこへ出かけて行くんだね。どんなところにあてがあるんだ。」
 私は童子にちかより、そのあたまに手を置いたが、童子は私の目をながい間ながめ、そうして初めてなごやかに微笑って私の手にその手を結びつけ幾度か逡巡ためらいいくらか羞かしそうに口のうちで「お父さん」とそう呼びかけた。
「あてがないけれど、やはり此処ではじっとしていたより歩いた方がいいの。何がなし一日こうして歩いては少しずつ行くんだけれど、さっぱり分らない。」
「お前とおれのいるところは、よほど遠いような気がするね。おとうさんにはよくお前の顔がわかるが、そのようにお前にもよくおれの顔がわかるかね。ほんとにお前は其処そこにいるんだけれどね。」
 童子は、まだ新らしい菅笠をちょいと傾け、そして小さい荷物を石塊の上にそっと置いた。
「ええ、わたしにもよく分りますが、しかしおとうさんの向いに誰がいるのか、よくここからは見えないのです。」
「あれはお前のおかあさんさ。よくないね、もう忘れてしまっては?」
「いえ、ここからはよく見えない、声だけはするけれど。」
 童子は、しばらくすると又あるき出して、荷物をかついで寂しい足音を立てて行くのである。
「もう少し話したらどうだね。お前のようにそんなにせかせかして行かなくともよいではないか。」
「あなただちはそうしてご飯をたべて居らっしゃればいいのです、ですけれど此処ではそういう暢気なことをしていられないのです。」
「なぜだ。」
「なぜでもあなた方とわたくしとはもう別なものですから。」
 童子は、すたすた歩き出し、あとをも振りかえろうとしなかった。私は目をすえ、見送っているうち、庭のあたりでこのごろ飼った河鹿かじかがしめやかに啼いた。
「啼きましたね。」
「ア、啼いた。」
 私はふと思いかえしたように、女が箸を下におこうとするときに言った。
「あの子が死ぬ前の日に、(さんざんこの子は病気してからわるくなるんじゃないか。)と言ったね。なぜああいうことを言ったのだ。あれは言いあてたようなものだ。」
「でもあのときはうもあんな気がしてならなかったのです。言っちゃわるかったか知ら。」
「悪かった。へんにあの言葉があたまに残っていていけない。」
 二人はまた黙ってしまった。食事はすんだが話をするでもなし、しないでもなしと云うような時間がみごもるように重くるしくなって来ていた。……私はそれがほとんど随所で全くフイにいつでも歩いている童子の、定まらない足もとを見ることができた。机のわきでも電車に乗っているときも、そうして外からかえってきたときに出てくる女の肩の上にも、晩はわたしのすぐそばにも睡っているように思われた。
 それが何事にもそのようであるように、私はこころでいつもきれぎれな話をせずにいられなかった。も一つは日を経るにしたがって童子は四歳にも五歳にもなり、脣もとが締まって耳にも紅みがよけいにさして来たのである。そういう歳をとってゆく童子の顔は、やはり不良い蒼い色はしていたが、したしそうによくあやして微笑ったときそのままな姿でいたのである。わけても鳥籠の下に、いつも妻や夏に抱かれては覗いていたように、私は机のわきから立って、よくその赤い朱塗りの鳥籠をのぞいた。そこに小鳥のために入れられた水壺が、わずかばかり冷たそうな色をたたえ、そらのうすい色をうつしていた。それを私と同じように童子の顔がさしのぞき、すばやい小鳥の羽掻きをながめていた。
「あれからお父さんはいつもこういう工合にすわり、さていつも元気のないかおで何から何まで厭になってしまったのさ、しかし段々考えるとお前はさきに死んでしまって或いはひょっとするとよかったかも知れない……。」
 そりゃおとうさんのように長く生きているうちには、さまざまな面白いこともあるが、それさえあの笛の音いろのように――(おまえは笛がよく鳴るかわりにすぐ消えやんでしまうことはよく知っているだろうね)――すぐあともなくなり、次から次へとつまらないことばかりが、そういうことを書いてある大きな書物があるとすれば、それと同じいことばかりを繰り返しているようなものだ。だからお前があのように花につつまれて死んでしまったことが、お前のきらいなことに会わずにしまったような仕合せをも感じられるかも知れない。
「それともお前はやはりお父さんのようにいろいろなことを為たりされたりすることがよかったかも知れない。イヤなことでも知らないでいるより知っていた方がよいかもしれない。そこまでゆくとどう言っていいか分らないくらいだよ、お父さんはできるだけのことをしたが、おまえのからだが弱かった。しかしあのときもっと早くおまえをどうにかすれば………。」
 そうすれば、お前はそういう姿で、そんなにまで悲しそうな顔をしなくともよかったかも知れない、どこにいるかさっぱり判らないようなお前にしなくともよかったかも知れない、私がわるかったかもしれない、しかしどうにもならないことだ。おとうさんも一度は生みつけたものを怨んだときがある。そのようにお前もそれを考えているかもしれない。私はしばらくすると私自身の腹の中にそっ聞耳ききみみを立てるように、何かをさぐりながら聞こうとした。
「おれはまた下らないことを喋り出した。おれはへんに悒々し出してしまってしまいにへんになるかも知れない。」
 私は小鳥の顔を見上げた。ツイツイと止り木を移っている間に、うすうすその顔が目についた。
「オイ、あそこに、ああいうふうにも一人だれかが覗きこんでいる奴がある。ツイツイとうごいている奴のそばに、も一人、たしかに覗いているものがある。」
 女はうしろ向きに、次の竹窓を隔てて畳の上に、何かに読みふけっているらしく見えた。
「鳥籠にですか、鳥籠はきょうはどこへ出ているのでしょう。」
「座敷の軒だ。」
「誰もいない、ほんとに見えはしませんの。」
「ほら、その、鳥かげだ、すうっと映ってくる。」
 女は、佇ったまま、眼を凝らしていたが、すぐにもろなみだぐんだ。そしてなお飽かずに鳥籠を見つめていたが、「此処の家はもう厭ですから越してしまいましょうか。」と心からそう言った。
「何処へ行ったって面白くもおかしくもない世の中だ。つづめていえばイヤなことばかりだ。」
 私はそういうと、ぐったりと跪座あぐらを組み、そういうとき吐息をすると、それなりからだのちからが抜けてしまうような気がするように、だらりとしてしまった。がっかりして俯向いていたが、何もも詰らない、くさくさした気になって仕方がなかった。起きるのも寝るのも、そうして、こうして坐っているのさえ厭だった。「おれはおれ自身をどうしていいのかさえ分らない。何て怠屈で不愉快なダラけた気もちだろう。」と思えた。
「おれはちょいと医者のところへ行って見ようと思うんだ。まだ尋ねたいこともあり、だいいち、あれがどんな原因で死んだかということをも聞いてみたいような気がするから。」
 私は考え考えいるうち、ふとずっと先きから、執拗しつこく心にねばりついていることを、そっと落ちついて、女に、そう大事でないように云った。
「だって今さらそんなことを言ったって、どうにもならないことだし……だしぬけにそんなことを言って行くものじゃありませんわ。」
「どうにもならないことだが……だが、あのときそれを聞くことを忘れた。大事なことだ。」
 どういうことが原因で、そして私どももるべきことをどれだけ手ぬかりしたか、ああいう風にしていたらあんな事にならなかったとか、そういう取り返しのつかない又気のつかないことを、今になってそれを知ろうとすることは、何となく死児へ挨拶をしたような気もするし、私だちの心もちをも和らげることができそうに思えた。
「うっちゃって置けば、それなりで忘れてしまう。忘れてしまえばなお取り返しがつかない。」
 そうも考えたが、わざわざ私が医者のところまで行き、肩の凝るような気もちでそれを尋ねることを考え出すと、やはり鬱陶うっとうしい気がした。
「やはり行かないでいる方がよいかな。そういうことは尋ねるものでないかも知れない。向うにしたって尋ねて行ったらどんなにばかばかしく考えるかも知れない。しかしまだ何となく私だちと医者とにつながっているものがある……。」
 それは向うにないかも知れない、しかし正直に私にわだかまっているものが、凝らずゆるまずに残っているのはどうすることもできない。
「却って微笑われるくらいですよ、あの子はああいう弱い子だったのですから、いまさら何と言ったって――」
「何と言ったって為様がない、ないがしつこくおれは何もかも瞭然と頭にイリかねるのだ。」
 そう言いかけ、私はばかばかしく死を疑うぐどんな人間の頭になっているのに、ふと気がついた。「おれはおれ自身で諦らめきれないで、逃げ道ばかり捜しているのだ。医者にしろ誰にしろ何を知っているものか。おれさえ何かに触れればそれにくッつこうとしているのに、おれはなんだか少し卑怯ひきょうになっている。」私はそう思うと、すこし肩がかるくなるような気がした。
「初めっからこうなっているのかも知れない。そうしてだんだん日が経つと私もしまいにはけろりとしてしまうのだ。人問らしく忘れてしまうかも知れない。」
 そう思うと心が軽くなったが、消炭のようにうすい不愉快さが、かげのように映って来た。が不思議にそのかげあざのある肌のように消えようとしなかった。





底本:「文豪怪談傑作選 室生犀星集 童子」ちくま文庫、筑摩書房
   2008(平成20)年9月10日第1刷発行
底本の親本:「現代日本小説大系36」河出書房
   1955(昭和30)年
初出:「中央公論」
   1922(大正11)年10月号
入力:門田裕志
校正:岡村和彦
2013年10月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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