鉄の死

室生犀星




 虎の子に似てゐたブルドツクの子どもは、鉄といひ、鉄ちやんと呼ばれてゐた。のそのそと物ぐささうに歩いて嬉しいときは何時も一声だけ吼えた。
 鉄は、もう一頭ゐるゴリといふ土佐ブルと時々格闘をした。土佐ブルは鉄の二倍くらゐ大きさがあつて、格闘するごとに耳のつけもとを食ひ破られ、そのため耳のつけもとの毛が生えないで、つるつるにはげてゐた。負けるくせに辛抱づよく闘ふ鉄は引き分けてやつても戦ひを挑んできかなかつた。
 ゴリは純粋の闘犬であつた。僕はゴリと鉄とが顔を合さないやうにゴリは裏口に、鉄は表門につないで置くやうにしてゐた。しかし運動に連れ出すときに顔を合すので、時にはお互に知らん顔をしてゐることもあつたが、両方の眼が正面から見合ふやうな時にその日の機嫌の工合で、眼の光がかち合つたなと思ふと、もう一つの塊になり、塊のなかから唸り声と、体と体との揉み合ふ動物的な重い音とが続くのであつた。鉄はいつも下敷にされてゐたが弱つても我慢づよく叫び声をあげなかつた。
 それでゐて仲の善い時は二頭とも、僕につれられて運動に出た。鉄の方は鎖から放してゴリは綱で引いてゆくのだが、鉄はそんな時にわざと子供のやうにあまえてゐた。大森谷中に住んだ四年のあひだ、僕は毎日夕方と朝との一時間を溝川の土手づたひに、この犬たちと散歩しない日はなかつた。何処の家の庭に万作の木があつて春になると咲くとか、何処の家の女の子供は朝学校に出るとき決つて泣くとか、何処の家は女ばかり住んでゐてそのなかで一番美しい女が主人であるとか、何処の家に筧があつて夏になると涼しい水音が滴るとか、何処の家に柚子の木や柿の実がなつて美事であるとかいふことを、僕はいつのまにか覚えてゐた。溝川には川えびや鮠の子のやうなものがゐて、昔は大森谷中も大沼であつたことなど僕の散歩に風景的な背景を考へさせてゐた。
 僕は大森馬込の奥に小さい家を建てて、沼地の谷中の町から去年の春に引越して行つた。鉄とゴリ、ほかに黒い猫が一疋僕らの荷物と一しよに馬込の新しい家に連れて行つたが、猫は二日も経たないあひだに前の貸家に行き、人気のない畳にさす春の日のなかに蹲つてゐた。何度連れてかへつてもやはり前の家をたづねて行き、食事も新しい家ではしなかつた。僕は庭をつくるために鉄やゴリの運動をさせることができなかつたが、或る日鉄の姿が見えず、前の家に人をやつて見るとそこの庭さきのもと彼の犬舎のあつたところに、昔のゆめでもさぐり当てるやうに温かくほかほかと睡つてゐた。
 黒猫はひと月もかへつて来ないあひだに、鳶のやうな鋭い眼の光を持ち、のら猫のずる逃脚にげあしと疑ひ深い心をもつやうになり、女房や女中が連れに行つても馴染みをれた卒気そつけないふうをした、僕はそんな猫なら打つちやつて置けと言つたが、古い家や古い庭や潜りなれた垣根を慕ふ、執念深い畜生の心を悲しまざるをえなかつた。食物も食はないまでに古い居なれた家になじむ、さういふ義理固い変らない心も何か僕に応へるものがあつた。
 或る生暖かい更けてから暴風雨に変つた晩が明けて、朝の食物をやらうとすると鉄もゴリも犬舎のなかにゐなかつた。ゴリは鎖の結び目から鎖を切つて行つたのだ。昨夜の烈しい雨のなかに出かけるからには、やはり前の家にちがひないと思ひ、行つて見ると二頭とも縁の下に喧嘩もせずにぬくぬくと睡つてゐて、茫々たる春夜を守りつづけてゐた。
 しかし二三ヶ月も経つと前の家にゆくやうなことがなくなつたが、黒猫だけはたうとうかへらなかつた。痩せ衰へた皮と骨とのからだをささへて、依然、古い家のまはりをうろついてゐた、それは死を賭してもなほ猫は猫の性格と伝説のなかをさまよはねばならないものを持つてゐるらしかつた。猫を哀れむ女房や子供たちは、最後に視力も衰へはてた黒猫をつれに行つたが、
「…………」
 と愛猫の名前を呼んで見ても、ふしぎさうに女房や子供たちを眺めるだけで、すぐ傍に寄りつかうともしなかつた。その眼はやつと古い飼主を見定めるくらゐで、それも、うろ覚えに近いうさん臭い眼つきにすぎなかつた。子供たちもしまひに思ひ切つたが、女はさうは簡単にゆかなかつた。しかし黒猫の方で来ないのでどうにも呼びやうもなかつた。
 鉄はつないでなかつたので馬込の町をよくぶらぶら歩いてゐた。小学校への通路になつてゐる大通りで生徒たちはみんな此の「てつちやん」を覚えてゐた。鉄はみんなから呼びならされてゐたが、それでゐて傍に行かうともしないでブルドツク特有のゆつたりとした、肥つたからだを搬ぶやうな歩きやうをしてゐた。それほど人にはなれてゐる鉄は別種の犬とゆき合ふと、すぐ格闘を挑んで行き、いつも血だらけになり馬込街道の埃を立ててゐた。さういふとき生徒たちの一人がすぐ僕の家に馳け込んで、僕を呼びにくるのであつた。素人眼しろうとめに恐ろしく見える格闘も僕には何んでもなかつた。
 僕は鉄を喧嘩から引放しかれの頭をなでながら、小言こごとをいふのであつた。
 ――弱虫のくせに喧嘩ばかりしやがつて骨を折らすぢやねえか。
 鉄はそんなとき悲しさうに首を垂れて、謹慎の意志をあらはしてゐた。
 さういふ鉄ではあつたが、ゴリには勝目がなかつた。どうかすると一週間に一度くらゐ格闘をやり、そのたびに鉄の耳もとのれいのはげのところが食ひやぶられてゐた。これは何とかしなければなるまいと相談したが、却々獰猛な顔つきの土佐ブルの貰ひ手はなかつた。二三人の人が来て一瞥するとこんな恐ろしい犬はこまると言つて引き取つてくれなかつた。そのうち或る学校の教師で犬好きな人がゐて、その人に呉れてあげることにした。一、馬や牛を見ると飛びつくこと、二、九尺くらゐの石垣をとびこえること、三、同類に食ひついたら放さぬこと、さういふときは首を締めて呼吸を止めること、四、自動車にとびつくこと、五、猫を見ると食ひ殺してしまふこと、だから猫には一切近づけぬこと、さういふ細々とした注意がきをして僕は四年間朝夕をともに散歩をしたゴリに別れた。ひとつは鉄がいつも酷い目に遭ふので子供や女達から、それでは可哀さうだからといふ抗議が原因してゐたが、別の意味でこの大型の犬の運動は僕には重荷でもあつた。手入れをするだけでも二頭で一時間はかかつた。
 鉄はひとりになると寂しさうだつた。犬はときどき格闘をさせないと人間に食ひつくやうになると言はれてゐるほどだから、どこか逞しさが脱け落ち気抜けのしたやうなところが、へいぜいの鉄の物憂い調子の間にあらはれた。その筈だつた、四年のあひだに月に三度あて格闘してゐた対手がゐなくなつたのであるから、生活的には張りがなくなつたも同様であつた。かれはボンヤリと寝てばかりゐて、何も面白いことがなささうであつた。僕が彼を呼んで見てどうだい兄弟、やはり食ひつかれてゐた方がよいかと呟きながら、れいのはげのところを撫でてやると鉄は悲しさうに首をさしのべてゐた。はげは、四年間の間に無数の傷あとをのこし、完全に毛が生えてゐなかつた。或る時は化膿し或る時は手術して手当をした傷だつた。しかし多少酷い目に遭つても鉄は友だちがほしいらしかつた。僕にその気持がわからないではなかつた。
 或る暑い六月の末に、鉄は朝からるさうに寝てばかりゐて、呼んでもすぐには起きなかつた。皆は鉄が少し変だと言つてゐたが食事はいつさいしないで、涼しい木蔭で荒い呼吸づかひをし、胸がまるで風船玉のやうにふくれたり縮んだりした。これは食あたりかも知れないと思ひ、食物をしらべたが中毒するやうなものではなかつた。犬猫病院のお医者に見せると、これは心臓なんかめちやくちやだと言ひ、葡萄糖と、カンフルとを注射した。多分、猛烈な中毒症状であらうといふことであつた。生命は取止めることができるかどうかといふと、医者は多分だめでせうと言つた。これまで度々鉄ちやんを診たが今度ほど重態なことがないと、度々手にかけた医者が言つた。
 ――まあ諦めてもらひませうか。
 僕は体温をはかつて見たが、七度七分くらゐしかなかつた。夜中になるとさういふ重い病気のくせに、通りに出て、通りからはいつた大工の普請ふしん小屋の鉋屑のなかに寝てゐた。
 ――死場所をえらんでゐるのか。
 その翌晩も出て行つたが、もう歩く元気がなく家のよこ手の草原のなかに寝てゐた。鉄は広い人気のないところに行つて勝手に寝てゐたいらしく、人間が煩さうな気はひをして見せた。それは分りすぎるほど僕に分つてゐる気持だつたから、僕らは只眺めてゐるだけで、言葉を出さないでゐた。
 四日目に医者は多分今晩くらゐでせうと言つた。口のなかに黄疸の症状があらはれ、心臓は依然めちやくちやだつた。これは心臓に虫が蝟集してゐる犬には恐ろしい病気かも知れない、中毒ではないかも知れぬ、その証拠には体温が上らなかつた。
 翌朝、僕は五時に起き勝手に行つたが、ゆきが戸を外しながら泣いてゐた。鉄はまだ柔らかい温かいまま死んでゐた。子供たちは前の晩に鉄が死んだら死がいを見せてくれるなと、僕にたのんでゐた、だから僕は木箱のなかに入れて風呂敷につつみ、いつでも寺に持つてゆけるやうにして置いた。気がつくと死がいから這ひ出したダニが一疋、朝の涼しい土の上をあるいてゐた。僕はそれを静かに見てゐると鉄の死んだことを、どういふふうに家のものに話さうかと考へた。
 ゆきは木箱に入れてしまつてからも、まだ泣いてゐた。僕は四年前の春寒いころに松屋の屋上で支払つた二十円の金を思ひ出し、その虎の子に似たブルドツクの子どもを自転車につけて、僕の家にとどけてくれた配達夫の顔をおもひ出した、それから二日目にデイステンパーにかかり入院させたときに、例のお医者がこんどと同じやうな言葉で、――まあ諦めて貰ひませうかと言つたことを頭にうかべた。あのときも今度も同じいことを言つたぢやないか、と僕は自問して見た、――デイステンパーがなほつてから毎晩鉄は湯たんぽを犬舎のなかに入れてもらひ、湯たんぽに抱きついて寝てゐた。
 そのころ居た女中が縁側でその湯たんぽを入れながらいふ声が、僕の耳にまだ記憶をのこしてゐた。
 ――おあつたかにしましたからお休みなさいな。
 家の者がみんな起きて出て、鉄の死んだことを知つたが子供たちは別に何ともいはずに行つた。出がけに早くお葬ひをしてやつておいて頂戴と言つた。見ることも聞くこともいやであるらしかつた。





底本:「日本の名随筆76 犬」作品社
   1989(平成元)年2月25日第1刷発行
   1999(平成11)年8月25日第10刷発行
底本の親本:「室生犀星全集 第五巻」新潮社
   1965(昭和40)年8月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2014年7月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード