子供ができてから半年ほど経つと、国の母から小包がとどき、ひらいてみると、小さい太鼓と笛とが入つてあつた。太鼓には六十銭といふ赤縁の正札が貼られたままあつた。巴の紋のついた皮張りで、叩いてみると、まだ新しいだけよく鳴るのである。無器用な作りを見せた笛にも、やはり田舎らしい、
片町といふ目ぬきの田舎の市街に、中島といふおもちややがあつた。風船、ゴム玉、汽車や刀や、さまざまな珍奇な
太鼓は毎日よく鳴るのである。とんとんとことんといふふうに、それを部屋にゐて机にかじりつき、あたまが濁り怺へかねてゐるときにも、知らず識らず私はほほ笑むやうな気になり、やかましくても叱るわけには行かんのである。遠いやうにも聞え、また近近と頭にひびきもする。しまひにはペンを投げ出し、いらいらした顔と目をこすり、こすることによつて一度に草臥れた私は、子供のそばへ行き、かんかんと太鼓を叩くのだつた。あたまは益益いたむが、坐り込んでさうしてゐると何だか優しくなれるからだつた。正札だけは人がみてもをかしいから
朝は朝晴れのなかに太鼓の音がひびくのである。勉強部屋へはいらぬ前に、こんな音をきくのは、頭の調子をわるくするとは知りながら、疲れた頭になつて泣くな泣くなと太鼓を叩くのである。それゆゑ、つい書きもののとつつきが