玉章

室生犀星




 故郷ふるさとにて保則やすのり様、十一月二十三日の御他界から百日の間、都に通じる松並木の道を毎夜参りますうちに、冬は過ぎ春がおとずれ、いまでは、もう、松の花の気はいがするようになりました。御身おみさまも、なぜ、わたくしがかくもさびしい松並木の道をおとずれるかについて、きっと、奇異な思いを抱かせられることと思いますが、それをあからさまに申し上げれば、ただ紀介ノリスケ様にお目もじしたいばかりの夜歩きに違いないと申す外はございません。お亡くなりになられた方にお目にかかるということは変な言葉のようにきこえますけれどそれは何時いつも都からお越しの折に、あれらの松並木の道をおとおりになっていたということだけで、わたくしには生きた思いがいたして来るのでございます。かつての紀介様のお踏みになった土地や、お目にとまった松並木の松の木や、土手や、小さい丘や、涼しい蔭なぞには、過ぎた日の紀介様のお眼がありありとみひらかれてうつってまいります。あそこまで参れば、わたくしの耳は紀介様のお声をきくことが出来まするし、ご機嫌かった日のお笑いごえを耳に入れることもできます。わたくしの耳は松並木にまいれば、ひとりでにあからみ、しずかに物声にきき入ろうとする用意をするようになりました。たんに耳ばかりではございません、わたくしの五体があそこではそれぞれの記憶のなかに、手は手、胸は胸、脇の下までが別々の感じをもとめ、そして別々の思いにふけってゆくのでございます。ことさらに胸にのこった紀介様のおからだの重みも御身様の前で申し上げるのも何となく気がけるような気になりますけれど、人の美しいちからはどのようにしても、滅びきらないものに思われます。かつて紀介様はいつか何かのまぎれに、ふいにおせになったことがございました。人の思いは何百年とか何千年とかいう永い歳月をもただ、一呼吸ひといきに次の時代の人に移ってあらわれることがあるものだ、まるできのう考えたような新しい思いをそのままに移しかえてくるから妙だ、人間の考えたものの前では、永い歳月などというものは有りえない、よい人間の考えたことは全く今すぐに思いついたことと同じ程度に新しいのだ、と、こういうふうに仰有おっしゃったことがありました。実際人間は亡くなっても、それを考えるときはすぐきのうお亡くなりになったとしか思われないくらい近い日を考えるようになるものでございます。
 こういう毎夜のわたくしの歩みはいつも、松並木のなかばまで参りました時に、きっと一応立ちまって見るのがつねでございました。それは前のたまずさにお示ししたようにふしぎな一つ家のともしびがもとでございました。どういう晩にもともれていない日はなく、そして決ってわたくしがやかた近くにもどりかけ、灯びにうしろを見せる時分にふっと消えるのが毎晩の例でございました。保則さま、ごめんあそばせ、しまいにわたくしは御身様おみさまがあそこにお住みになられているのではないかと、そんなふうに考えることもございました。わたくしの生涯をかげのかたちに添うようにおまもりくださいました御身様が、ただ、故郷ふるさとをおなじくした、おさな友達であるという理由ばかりで、あのように親切におちからをかしていただいたかと思いますと、そういう思いの外側にきらりと光るものを感じられるのでございます。それは何物であるかという問いよりもきっと御身様のお眼のかがやきがわたくしの胸に残っているためとより外に考えようとてもございません。
 さて、わたくしは或る夜ふしぎなひとに立ち寄って見ましたが、それは何の不思議さもない、普通のお百姓家であったことを知りました。年老いたおうなは普通の土器かわらけよりも大きい灯火をかかげていることが、奇異であるとすれば、全く奇異に大きいともしびでございました。わたくしはそれをたずねて見ないあいだは心の落着きをとり入れられませんので、老媼ろうおうにこう尋ねて見たのでございます。
卒爾そつじながら灯びは民家にあるものより大きくはございませんか。」
「お気づきでしたかお姫様、これは夜に都にのぼる旅の衆の心たのみにしているのでございます。しかし夜中じゅうともしているわけではございませぬ。」
「旅人はよく尋ねて見えまするか。」
「はい、三日に一度くらいの割合で道に迷うて尋ねて見えられます。しかしさてあなたさまは?」
 老媼は息を入れてしんとした眼付で彼女にいった。
「あなた様は永い間往還おうかんをゆききしてござったが、あれはおそらく百日のあいだでござりましたな。」
「よくごぞんじでいられる。」
「あなた様がお館をお出になるのがたそがれでござったゆえ、永い間には、もうお顔までおぼえてしまいました。」
「遠目でよくも顔までお見えになられた。」
「それは毎日の夕方ゆえでございました。もうお出になるころだとここの柱にもたれて見渡していますると、きまってお館の戸が開かれました。そしてあなた様はその戸をっそりとお立ちでになられました。」
「よく見ていてたまわりました。」
「はじめは戸がきしんでそこだけが悪くなっているのではないかと思うくらい、窮屈きゅうくつげに出られるのが気になっていたのでございますが。」
「館を出るときにはいつも悸気どうきがいたして、すぐには、出られないような気になっていたのです。」
「きっとそれは思い詰めていて、きゅうに、その思いつめたものから離れられない証拠かもぞんじません。そしてあなた様は原をよぎって往還に出られるあいだ決まって二度は館の窓をお見上げになる、館のしとみは下りていまするのに、それがお気になるのかと、わたくしめはそう眺めていました。川をお渡りになるときに、風はいつもいたずら好きにあなた様のくろがみをなびかせて参ります。それから衣裳をきらきら光らせていますのが、残んの光に美しく見えてまいります。それより何という数多いご衣裳でございましょう。」
 老媼は目にあまる衣裳のうつくしさを、どういったらいいか、まようているくらいであった。実際、彼女は毎夜ごとに衣裳をとりかえ、帯をかえ、うちぎをかえたのだった。そうでもしなければ到底着つくせないほどの、撩乱りょうらんたる御衣おんぞは、もう着る機会さえもないような気がしていた。彼女は子供のようにそれを見てもらいたかった。見る人は生きているわけではない、また、実際に見られているわけでもない、しかし、それをそうしなければいられないところに、彼女の息つくやさしさがあった。きっと見ていただけるし、きっと、見てもらえるようにするといういのりめいた心は、すこしも怠けることなく衣裳をとりかえさせたのであった。この心をつきつめたところにあらゆる彼女の用意ある、和歌のようなただよいがあったのだ。
「わたくしは百日の間に着たような機会が、ふたたびわたくしの衣裳の上にあろうとは思われません。」
「ご免あそばせ、わたくしがあなた様の御本心に辿たどりつくまでには三日も四日も考えつづけて、やっとあなた様がお方様のためにそのようにご衣裳をお取りかえになることを知ったのでございます。そして自分でもほっと致したほどでございます。」
「それははずかしいこと、二度と口にすべきことではないかも知れませぬ。」
 彼女はだれも知らない夜歩きが、こういう遠くの一つ家から見まもられていることに、はにかみと不思議さとを感じた。
「それから今ひとつ申し上げたいことがございます。」
「それはいかなる事。」
 彼女はおもてを立てなおした。
一昨年おととしの秋あたりから都から立派なお方様が夕方車を召してお通いになっていたことがございました。」
 彼女はからだじゅうが冷たくなるほど驚きに圧せられた。
「あのお方様はあなた様の何にあたらせられます。」
「夫にございます。」
「これは恐れ多いことを申し上げました。したが、去年十一月ころからはたりとお姿を見ないようになりましたが、ひそかに、もしやと不吉な考えをわたくしめが持っていたのでございます。」
「十一月の二十三日にご他界になられました。」
 彼女は眼をしばたたいた。此処ここにいて紀介を見ていた人があったのかと、一つ家のともしびにえにしのなかったとは、いえなかった。
「わたくしめも、それからあとのあなた様の夜歩きも、百日のおん供養くようだというふうに拝していました。」
「その願明がんあけも近いうちにめぐってまいります。」
「えにしというものの深さと手近いことは、まったく眼にとまらぬほどにございます。都からのお方様は二度ばかりおたずねがございました。」
「まあ、それは。」
 彼女は益々ますます驚きにき入れられ、手につめたい汗を感じた。
「一度はあなた様のお館の位置をおたずねになり立ち寄られ、わがつまに当たるものであるがとのおおせにございました。」
「あとの一度は?」
「あとにお尋ねあったときは出水でみず近火ちかびのあった折、そちの屋敷にとどめてくれるようにと、ねもごろなおたのみでございました。その折にいただいた黄金もいまだにたいせつに所持いたしております。」
 彼女は胸のうちで紀介さま、かくも、お心づくしをかたじけのうしていながらいまごろになり気づいた心のぬかりをおゆるしあるように、と、よく細かいことに気づく紀介が、ここまで心をくだいて深い用意をしていてくれたかと、胸もとがこころよくしまってくることを感じた。
「しかし出水もなく近い火のあやまちもなかったかわりに、もう、お姿を拝むことがなくなりました。あのようにすこやかにわたらせていながら、あえなくなるとは、人のいのちのもろさがはかられませぬ。」
「それは何時いつころのことでございましたろう。」
「昨年の春もやっと三月になったばかりの日にございます。あなた様には何ともわたくしめのことは、お仰せになりはしませんでしたか。」
「いいえ、少しも。」
 彼女は思いあてていった。
「事あらば近い家をたずねて救いをわれた方がよいとだけ、申していたようにおぼえております。」
「それはわたくしめの家を指してそうおっしゃったにちがいございません。ここからはお館が近うございますゆえそれに、お方様がお越しになられた夜はあかあかとともしびが、西にも東にもともれていたようにおぼえております。そして間もなく灯びが消えたしばらくの後に、往還におくるまの音がいたしてまいりました。わたくしめは不倖な生涯をおくったものの一人でございましたから、お方様とあなた様のあまりにもお美しいくらしを、ひっそりと胸に抱いてやすんでいたのでございます。わたくしに一人の子供もなく、母親になる資格とてはございませんけれど、恐れながら母の持つ、そういういたわりを感じることで、自分もいつもふくよかなねむりにつくことができていたのでございます。」
「そのお言葉にはお礼を申しつくせないくらい、かたじけない思いがいたします。ご老媼ろうおうさま、いまから後はえにしなき、わたくしどもではないことを承知あるように。」
「お姫様、それは勿体もったいないおことばでございます。」
 こうして一つ家の老媼と相知ることができ、永い間頭にあった一つ家というものを知ることができました。えにしは、何処いずこにも宿り、何処にもつながりを見せるものに思われます、あそこに紀介様がお越しになったばかりではなく、かげながら後事こうじたくされていたということも、わたくしには、えも言われぬ美しさの本物にふれたような気がいたしてまいります。わたくしは決してふしあわせとか、はかないとか、どうしたらいいかという目標のないことを申したくありません、申しようもございません、恐らくわずかばかりではありましたけれど、紀介様との生活のこまごまとしたものまでが、かえってわずかな間であっただけに、一つも取りおとすことがなく、みな、集めてたのしくくらしていたようにおぼえます。人は永い間のしやわせを取りとめるには、なかなかに艱難かんなんなものが前にも後にも待ち伏せにしているものでございますから、短い間であったためにも、いろいろな、しやわせがおとずれて来たように思われるのであります。それは、それは、しやわせ過ぎるわたくしだったかも分りません。

 きょうこそお話し申し上げようとしながら、つい、また、ほかのことを書いてしまいました。きょうこそはと何時いつでも書きかけながら話の本統にふれないでいて、わきみちのことばかり書いているのは、一体、どうしたものでございましょう。別に心でそれを避けるわけでもありませんのに話はいつでもれて行ってしまうのです。保則様、いつか、きっとお話する機会のあるまでは、たずねないで下さいと申し上げたことも、きょうお話しいたそうとしますそれなのでございます。それは紀介様がもうだいぶお悪くなっていて、そしてそのなかでも大変ご気分のおよろしげに見える或る日のことでございました。昼下りのうららかな日のさす寝殿しんでんでいつになく
山吹やまぶき
 と、お呼びになるお声がきこえて来ました。そのお声はいつもとちがった改まった、いかにもご用ありげなお言葉にえたところがございました。うろたえて参りますと、紀介様は晴れやかな、何ひとつ曇ったところのないお顔付でいられました。それはお心もそのように晴れやかであることに、すぐ、気づくようなお元気さでございました。
「いつかの若い武士のはなしなんだが、あの人から便りがあるか。」
 突然なおたずねだったものでございますから、あるいは、わたくしはその折に顔をあからめたかも分りません。あまりに不意な、あまりにだしぬけでございましたから、故意にそうおおせられるのではないかと、そうも取れるのでございました。
「あれ以来おたよりとては、絶えてございませぬ。」
 わたくしは言葉をついでおたずねしないわけには行きませんでした。
「いまごろ何故なにゆえそうおたずねでございます。」
「それについてそなたの気を悪くしない程度で、きいていてもらいたいことがある。」
 そう仰有おっしゃる紀介様のお顔にも、依然、少しもみだれた色がうかばないでいて、かえってお眼はやわらかに澄んで見えていました。
「いかがなことでございましょうか。わたくしに関することで何か……」
「気にかけてはいけない、少しも気にかけることではないのだ、ただ、あの武士がいまだに丈夫でいるならば、わが亡き後にそなたのところを知らしてやれと申したいのだ。」
「それはまた何故にございます。」
「そなたの身をまもる人がいなければならぬからだ、それには、そなたのしたしい人でなければ親身になって身をまもってくれぬからだ。」
 わたしはこうべを垂れてだまってしまいました。やっと、わたくしの口をついで出る言葉は、ただのひと言に尽きているのでございました。
「そのようなことは再度にどとおはなしくださいませんよう、あらためて山吹から申し上げとうございます。」
 紀介様は手をふってそんなに神経質になってくれては、こまると仰有おっしゃられました。
「決してそなたにやきもちをやいているのではない、よくお聞きあれ、人というものはその終の日に近づいてゆくと、気持が澄んで一点の濁りもないところに、ようように辿たどりつくものらしいのだ。わたしはいま、恰度ちょうど、そういう境にいるのだ、そこからお前を見つめていて、何が祈られるかそなたに分るか、何がそなたの生涯をふくよかにするかが分れば、それを選ぶということが自然になされることではないか。」
「それでもわたくしは、そのようなお言葉をお聞きするのがつろうございます。」
「それはそなた自身が心をくるしめるように考え込むからいけないのだ、わしの顔や眼つきをごらん、何一つやましいことは考えていない、そなたももっと大きい心になって聞いてもらわないとこまるのだ。」
「はい。」
「つまりわしは何を眼あてにして死のうとしているのか、それが分ってくれれば有難い、人は死ぬことにすら目標がいる、死ぬ奴には死ぬために生きるものがほしくなるのだ、つまりそなたをわしの信じた人につきあわせるということだけで、どれだけわしの心が広くはれやかになるか分らない、ただ、そのままのそなたを見る不安をまぬがれることが、わしには必要なのだ、そなたの身をまもるには、若い武士より外に人はいない、ほかにそなたに近づく人がいるという考えを、わしは信じないしそういう考えをしりぞけたいのだ。」
「はい。」
「あの若い武士をひと眼みたときから、わしの心にはやきもちが起らずに、しずかな友達としてのよしみが感じられた。決して悪い人間ではない、むしろ、よい人間の質を感じた。そなたに近づいているほどの人間にはそれだけの資格がいる、それをあの若い武士は智恵や容貌の点からもいしくも持ち合していた。よい人間にはよい人間が近づくという、運命的なものさえ感じられた。世界の何びとよりも、そなたのいろいろな相談事はあの若い武士の胸の内にあるといっていいのだ。そなたが故郷人ふるさとびととか幼な友達とかいう考えからでなくとも、ついに人を選ぶとしたら、わしでなければあの若い武士より外には、人という人は見当らなかったであろう。」
 わたくしはうつ向いたままの、顔をあげることすら出来ませんでした。じっと見つめている床のうえがきゅうに明るくなったように見え出して来ました。子供の折に眼をつぶっていてきゅうに開けたときの、ああいう明るいまぶしいものさえ感じられて参りました。おはずかしいはなしですけれど、紀介様のしばしばおおせになるああいうお言葉には、やはり嫉妬のようなお心がまざっていると考えていましたわたくしは、そういう考えがはずかしくてならなかったのでございましたけれど、それをどう改めるわけにも参りませんでした。どれほど心を正しく引きもどそうといたしましても、邪念は依然わたくしから意地悪く去ってはくれませんでした。
 それがどうでございましょう、いま紀介様がこう仰有おっしゃっていられますあいだに、あまりにもはっきりと人間の一等高い心というもののありかが、それが病んでいる人にとって病んでいるという大変に悲しいおしごとの数々が、だんだんに重なり積み上ってついにきょうの紀介様のお言葉にあらわれたと申していいような気がします。ここまで紀介様は平然と歩いて来られ、そのために少しもお心をいためはなさらなかったことさえ、わたくしには人の心の偉さが感じられてまいりました。かえってわたくしにそれをお明かしになることが、御気苦労があったように思われます。それはわたくしの至らなかったことばかりでなく、わたくしはまだ紀介様のような愛情の高さにまで及びつけないでいたからでございます。山々に入りお薬をとっていたわたくしのあるかないかの苦心よりも、紀介様はお床のうえでわたくしの十倍も二十倍も高いところにお上りになり、わたくしを見つめていられたのでございました。
「山吹、わしのいったことがよく分ったか。」
 わたくしは何の躊躇ためらいもなく、手をついて申し上げました。
「よく分りましてございます。」
「あの武士はいま何処どこにいるのか。」
「故郷にいらっしゃるように思われます。」
「川べりの何とかいったな。」
立田川たつたがわでございます。」
「あそこの景色はいまも眼にあるね、景色というものは見たときよりも、思い出すと美しい。」
 紀介様のお顔はやはり平明な落着きを見せていられ、わたくしに言いたいことを仰有おっしゃったあとの満足さでかがやいていられました。およそ立派という言葉は、こういう時にその意味をあらわしてくるような気がいたします。
 保則様、きょうは思い切って申し上げることも、心置きなくおつたいいたしました。もう何も申し上げることもございません、いつもお越しくださるようお手紙をいただきながらそれのお返事もいたさなかったのもこれらの気持をおあかししたあとで書こうと考えていたのでございます。もしおたずねくださるようなれば、いつにてもお越しくださいませ、むかしのような山吹が一人いるきりでございます、むかしも今も、ここまで来てみれば、どれだけも変っていようとは思われません、変っているのはかえってわたくしより外の人かもわかりません、外の人も変っていないのかも知れません、ただ、人間はその気持のうごきによって、変る変らないという二つのことがらが決るのでございましょう。もう、松並木には春の日がうららかに当り、皓々こうこうたる音すら冬ほどの厳しさがなくなりました。土手、小さい丘、原、小径こみち、そういうきれぎれの景色にすら、春はゆたかにしるされています。どうぞ、遠慮なくお越しくださいませ、ひとへも、館のうちのお庭にも、かつての山吹がごあんない申しあげ、かたわら故郷のおたよりも聞きたいと、それのみを念じ上げまいらせます。





底本:「犀星王朝小品集」岩波文庫、岩波書店
   1984(昭和59)年3月16日第1刷発行
   2001(平成13)年1月16日第6刷発行
底本の親本:「室生犀星全王朝物語 下」作品社
   1982(昭和57)年6月
初出:「婦人画報」
   1946(昭和21)年3月号
※表題は底本では、「玉章たまずさ」となっています。
※初出時の表題は「春御衣はるおんぞ」です。
入力:日根敏晶
校正:門田裕志
2014年3月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード