青春

献じる詞(牢獄にて)

槇村浩




(若き日の孤独を灼きつくす情熱を
われらに与えよ
われらをして戦いに凍えたる手と疲れたる唇に
友を亨けしめよ
銀の鉛屋根の上に
朽葉色の標燈の照らす夜を
われらの老いたる母のひとり眠る時
明るき原と自由なる槌を、こゝに
赤きプラカードのごとく
われらと共に擁する友を亨けしめよ

牢獄! 崩れた喜びと愛と思い出の蘇る日
友と生活の悦びを
金盞花えの雑りけなき接吻と共に
鉄色の電気の溶流の瞬間の衝撃のごとく
野の空気の翼の自由なはためきの中に
放射状の紫の果樹の列を、裸わなる跣のくるぶしに踏みしめ
悩める囚われの日々と夜の森とを忘れ
友よ、美くしき少女の唇を心ゆくまで頒とう)

おゝあの美くしい日を誰が返してくれる
これはゲーテが失った彼のヒューマニズムについての歎声だった
だが僕は同じ首章をもって
戦いの中に、磨りへらされた一つの青春について
歌うのだ
僕は永久に行く――ヒューマニズムの不朽の希望について
そしてその不断に前方に波うつ自己像の前に
不朽の希望にふくらんだ胸一ぱいに双手を拡げて
僕は叫ぶのだ
おゝあの美くしい日を誰が返してくれる!と

牢獄で僕は黄銅のゆがんだ壁面に向ってこう呼んだ
革命と赤旗との符号が、この凹んだ影の上に白く輝いていた
友達とゆうものは
女の同志にもらった可愛いゝM・ボタンのかたみのように
何となつかしいものだろう
僕は小さいテリヤのように病み
(こゝでは
弱った心臓の上を弾き台のように行進する澄んだ血の混濁さがあり
そして毒の沼の中で、肋骨が一本々々めりこんで行ったのだ!)
飢えた昔のアヂトを夢みながら
むしょうに友がなつかしくなった
太陽!―――赤い自画像の中に写しとった歓呼する焔は
世界の乾板の上に
出没する友の肖像を灼きつけた
おゝ、たちこめた層雲のような遠いなつかしい部署の中から
同志は僕を呼び、僕は同志に答えた

美くしき友は来た
コーカサスの氷の嶺に匍いよる紫の靄のように
バスクの原っぱの濁れた頬に
巴丹杏色の太陽の接吻するように
生楽のパンタポーネを鳩色の胸に燃やしながら
囚われの鎖を腰に巻き
憂愁に蔽われた装われたる若さもなく
友は来た、常に情熱のほゝ笑みを投げながら
燃える眼眸の友は来た!

牢獄の暗い窓辺を打ち開いて
僕らは語り合った
黒と金の海流のうちよせる向う岸の物語を
赤色の心臓の列柱に交叉しては流れてゆく、静かな電流の響きを
太陽の旗幟をかゝげる男と女の疲れた労働者たちを
それらの間で活動する、セクトを知らぬ若き党のことゞもを
そして僕らは、目を見合せ
何となく幼い日の思い出に帰って来た
お互は接吻し
お互の身内にふと黄昏の女囚のかすかな歌の響きに似た
ものを感じ合った

(黄昏の女囚の歌)

囚塀へいの築地を君すぎて
苦き河辺の春を呼び
返らぬ花のひともとを
接吻くちづけしつゝ投げし時

聖き晨の鐘楼に
くるめく胸は沈みゆき
頬の紅と緋色めく
衣に春は返りきて

死して違わぬ同志ゆえ
鎖をぎし大理石なめいし
空のあなたに君遠く
時はわれらに辛かりき

光を嗣来し同志らに
花さき匂う青春はるくれど
我はひとやに朽つるべき
さだめに笑みて君を思う

時はわれらに辛かりき

こゝには群像が欠けている
小供の思い出の日のように
あの時僕は、雨のふる
軌道の凹壁をひとりぼっちで歩きながら
小さい世界の群を蝕もうとする絵具屋の飾窓に………窓の下の反射する赤い舗道の凹みに
少年の群像を
首のない少年の群像を僕は見たのだ
飴色の雨滴を横つぶしに受け付け
石膏の影の列はガードの下で踊っていた
なぜ首がなかったか―――僕は知らない
よぢれた飾幕の後を僕は敢てのぞこうとはしなかった
仰向いて窓枠をゆすれ………だが自己像の不具さの中に見出した愛着は棄て難い
金と赤との光線の中で
ガードは驀進する舗道の影を左右にゆすり
僕は棒っきれの切れっぱしをやけに引きずりながら
前かがみになって立ち去った
どこから棒切れを………それは問題でない
茫漠たる生活のヴェールが、どこえの問題を引っさらってしまうように!
だが僕は長いこと
自己像の旋転する面影の群の中に
自分が打ち落しもせぬ音なしの列像の前で
棒きれをひっさげて突っ立っている僕自身をめつけぬように
自分の少年の肉体を自分ですりつぶさねばならなかった

ひょろ長いみづきが銀木犀の傍で猫のように枝をふっている
アルマーニュの谷間の忘れられた寺院が
春さきのせゝらぎの中から
こってり厚化粧して飛び出して来たように
横肩を落してその上からのぞきこむ――
古ぼけた銅像と校舎と庭園と運動場を
そして持主のブルジョアが水っぽい壁の上にはりつけたレッテル―――T・M・S
ずり落ちそうな古カバンを抱え
だぶ/\のズボンをたくしあげ
鍔広い帽子をめくって額の生際をふきながら
十一から十四までを僕はこゝに通った
神経質な電鈴が、錆びついた壁のひゞわれにしみこんでは
百人の少年たちの海燕のような心臓をひんまげては急かし立てる校舎で
猫背になり
僕は室の中で真直ぐに立とうとするねずみもちのような時代を過したのだ

止めよう! 石膏のぼろ/\落ちた美術室の飾棚の上で
首の落ちた少年像をまたまさぐるなんて!
カラーの折り込みに苦心する級友の間で、
ぼろ/\の帽子を目深かに引っかぶって
僕は曲げられぬねずみもちの誇りを捨てなかった
この幼い誇りが
ひねくれた庇からふてくされた顔を面とさらすまでには
孤独な情熱を燃やしきる鉄の火炉が沢山まだ必要だったのだ

おゝ人がかたくなな青春の銅扉の前にたじろいだ時
感傷のニュアンスは何と流れるように日の旋りを経たしめたことだろう

この期間のなつかしい友人たちを僕は永久に忘れない
低い鉄柵と石楠の並木の間で
何となく友欲しさに交わした愛情は
ヒューマニズムの昂奮に燃えて探し廻った「正義」は
決して忘れられるものぢゃないのだ!
おゝ僕等の小さい秘密結社、「共産主義幼年同盟」
それは、ぬるでとこめじんの間を匍って行く銀の光の、透き通った鉱脈の中に自分を浸しながら
とめどもなく身分に脈うつ晩秋の匂いを嗅ぎ合った時生まれたのだが!

人生のイデアは、空間の境時標の上に彼のきらびやかな表象をひるがえし
聖なるプラトーと
帝冠を戴いたアインシュタインは
生れ出た国家と斃れゆく国家の墓穴を
いつでも断章で終る恋文で一ぱいになった僕等の楓の傍の
石膏の並木に掘りつゞけた
そしてシラー
愛しきれぬ潔癖さ
それからゴリキー
当惑すぎるほどの、全く包擁すぎる包擁癖
おゝもし世界の自己像が、浮揚したヒューマニズムの上でつまづきさえしなかったなら!

空疎な独白から眼をあげ
肩をそびやかして一切の倦怠を笑い飛ばした時
僕等はお互の若い眼の中に
未来のコンミュニズムの輝きの発止と飛ぶ火花を
おぼろげに認めたのだ
僕等は十三だった!

さようなら! と僕は言った
それは不遜な少年たちが次々に放校される順番が
僕に廻って来た時だった
三年后に治維法に問われた[#「問われた」は底本では「間われた」]Kが姿を見せなくなってから間もなく
ひっぺがした上のホックと
下から二番目のM・ボタンをかけぬ学校に
僕は永別したのだ
(五年たってから、彼と同じ牢獄の編笠が僕をその下に立てた)
それは本当に止まり木のような
イデアのぼろっきれからの最後の訣別だった
小さい同盟員のあんなに多くが
社会の嵐の中で、次々にコンミュニストに育ち
次々に拷問の鉄扉の中で、始めて庇をつきのけた顔と顔とをまともに合わせえた、こんな少年の学園は
そんなに多くはありゃしないんだ!

そして高知が僕等の集中的舞台だったのだ!

ここでは花崗石のきりゝと引きしまった横顔が、七千万キロの断層を形成する
青ずんだ潮ざえに押し流された島々の南の
いかつい太陽が槌を振って、原始の道路工夫のように
幼い素朴な峡谷に硫化鉄の溶液を流しこんだ
(だが、美しい峡谷を荒らすものは、暗い太陽の槌だけではない!)

北境の嶺は
青紫の自由の夢の小さいかけらのように
硬ばった鳥の巣石の一枚岩を、澄明な宇宙の彫像と接吻けしめる
(だが、山潮のどよめきと、崩れた防風林の誇りかな歌の間に
失われた自由の嶺は鋭く身を反らそうとする!)

褐色の急潮が
鳥のようにきらめく紫色の翼をあげて
黒い漁船の列りを載せた端正な海の横顔をはたとうつと
めくるめく光焔を青い鉱床に転がしながら
太陽な天空の剥片をめぐりながら
一色に塗り潰された宇宙の
片麻岩の岩壁のすきまえ沈んで行く
二つの空は明るい暗の中に溶けこみ
黒い海狼と共に、無窮の南の夜が訪れてくる
猫背のようにそゝり立つ自然の中に
はてしなく尾を曳く生活の歌が
しわぶくようなかすかなさゞめきを立てゝ覆われて行く
(だが、夜は次第に浅く、空は次第にうすれる―――昔は決してこうではなかったのだ!)

だが追憶は止めよう!
こんな粗放な農地に戦いの都市が興り
螺盤を結ぶ輪の中央に鉄の発動力が起って来た
それは僕等の活動の地盤だった
僕等は戦いを僕等のものにし
鉄の発動力に僕等を鍛えるために闘った
僕等は革命のために出掛け
潮ざいに呑まれて行く海燕のように、地下に姿を消した
そしてあの昔の幼友達は
多くの年の后、多くの所をへだてゝ
この花崗岩の牢獄にまた訪れて来たのだ

僕は君を見つめ、君は僕と語っている
あの混迷期が何であったろう
誹謗と
無能を止めよ―――
党と同盟は
死と裏切りの岐点の上で
こまねずみのようにはげしく回転し
正確に
すっくと立ち上ったのだ!

僕はこんなに君を愛し
君は偉大な情熱をもって僕を抱いている
亡ぼされ、過ぎ去り、失われたひとやの春………
返らぬ命を告げられた毒殺と拷問の死刑台での、灼けるような熱情………
秋空に再び萠えぬこめこじんのような蝕まれた心の傷痕………
それが何であろう
僕らは決して歎くまい
おゝあの美しい日を誰が返してくれる!と

樹々は革命の青い精をぱっと燃やし
暮れて行く空の赤潮にどっとさらわれて行った
静かに燃える額を友に押しあてながら
生くる日も死する日も! と古い同志の彫った
石の床の上に冷い指先で
僕は十一月七日! と書いた





底本:「槇村浩詩集」平和資料館・草の家、飛鳥出版室
   2003(平成15)年3月15日
※()内の編者によるルビは省略しました。
入力:坂本真一
校正:雪森
2014年9月11日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




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