世界大戦の後

(時事問題)

槇村浩




 今より凡そ八年前大正三年の六月も将にくれんとする時、突如天の一方より来った飛電は全欧否全世界の人民を驚倒せしめ、わづか九日の間で英仏独墺露の五強国は戈をふるって立った。我大日本帝国も独国が東洋根拠地と頼んだチンタオを攻落し、英海軍と協力し南洋の敵を討ち遠く地中海にまで出動して聯合軍を助けた。かくて此の戦は伊、米の二強国も加はり華麗なる都は炎の苞にかはり修羅の大激戦は世界の天地を震駭して、之が結末は大正七年末独軍の屈服により終り、明けて大正八年六月廿八日フランスはベルサイユ宮殿に於て講和会議が開かれ、調印がすんだのは此の戦の起った「其の日」であった。かくて我等は平和の希望に満たされて居るのであるが、欧亜の界は建国以来未だ二三年、人心尚安からざる者がある。之は今次の戦乱に於ける新興国である。其国名を略記すれば旧土耳其いよ/\縮少されコンスタンチノーブル自由国と称し、面積わづか百方里其領地はアッシリア、ヘヂアズ、アルメニア、パレスタイン等の国々が出来、旧ロシアの王朝は顛覆され首府をモスコーにうつし労農政府の支配下に立ち、シベリア方面にてはウラジオ政府チタ政府等互ニ割拠し、コーカサス方面ではアゼバイジャン、ジョージヤ其他バルト沿海に国をたつるもの少からず、其筆頭はフィンランドとし独逸の東北にダンチツに自由市の独立を見、更に東北にはポーランド、リトワニアがあり、黒海沿岸の北部にはウクライナ、タウリダ、ドン等其他バシキール、ヒバ、ボハラ、北ロシア、チェック、スロパック、ユーゴー、スラブ、ハンガリア、最近時にては英領エジプトが今春独立し、インドも反旗を飜し独立を企だてゝ居る。まづ兎に角此の戦争に於て武器は長足の進歩をなし、世界の思想は一新され軍備は制限せられた。此の二十世紀の文明の時世にあたって我国民はもっと/\覚醒し、一層努力し、奮励し、尚もっと/\立派な国民になると云ふ修養をつむことが大切であらう。
(一一・六・一〇)





底本:「槇村浩全集」平凡堂書店
   1984(昭和59)年1月20日発行
※著者が、高知市立第六小学校三年生、四年生のときの作品。謄写版刷りの、同校文集「蕾」から、底本に採録された。
※底本は新字旧仮名づかいです。なお促音の小書きは、底本通りです。
入力:坂本真一
校正:雪森
2014年8月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード