鶴と鶯

槇村浩




 よく昔から梅に鶯、松に鶴と申します。これは或所のお話です。近頃は日本付近にあまり鶴が居ないので珍らしいものです。これは朝鮮と支那との境の山奥に珍らしくも猟人等の手をのがれて命をつないで居る一羽の鶴があります。一度は日本見物をしたいと云ふ考で早速用意にとりかゝり、花の都の東京さして東海道を真一文字に東の方へとんで行ったが、地図で見ると小指でつぶせるが狭いやうでも広い所、とう/\道をふみちがへて東京へ行く筈であったのが、わらぶきの家のならんで居る田舎の奥の山又山の所へまで来てしまった。
「ではこの山で少し休もう」と中へ/\と上って行くと今まで聞いたこともないび妙な音楽が耳に入ってくる。「ハテナをかしいぞ」よく見れば乞食のやうな見すぼらしい姿をした一人の鳥がバイオリンを弾いていた。鶴は「あなたは非常にバイオリンがお上手だ、名前は何といわれます。」鶯は恥しげに「いえ下手で仕方がありません、名は鶯と申します。」「ではあなたはうはさに聞いた鶯さんですか、私は朝鮮と支那の山奥から日本は花の都の東京見物に来て道をふみ迷ってこんな所へ来たのでございます。どうか之からお心安く……」とう/\二人は大の仲よしになって、鶯は梅を家とし、鶴は松を借ってすんで居ました。或日鶯は「時に鶴さん、私は東京見物に行きたいんだが噂に聞けば東京はこゝから南へ三十里、すれば八日か九日でゆききも出来る、何と鶴さん一しょに行かないかへ」といひます。鶴はすぐに「あゝよいとも/\、では早く仕度にとりかゝらう」と、この二羽は南へさして三日四日でとう/\東京へ着きました。所が鶴はからだが大きいので来るとすぐにつかまへられてしまひました。つかまへた人は、鶴を庭の木へつるして其の家の人と翌朝は鶴を料理して食べよう、と相談してゐます。さても一方鶯は鶴がとらへられたのを見てコッソリ後をつけて行き、これを見とゞけて家とはいふばかりの巣に一人いためる胸の中、やがてハタと膝をうち、何思ったか夕方の鐘が鳴るのを合図とし、彼の家の庭にこっそりしのび込み、「ホーホケキョ/\、鶴は目出たい今時分、之を殺してたべるとは情を知らぬ人々だ、鶴は許してやるがいゝ、殺せば三代たゝるぞよ」とくりかへして何べんも歌ひました。これを聞いたのはこの家の下男、急いで主人へつげると主人も驚き、耳をすまして聞いて見れば何程其の通り、「これはいかぬ、成程わしが悪かった、鶴は目出たい今時分、あゝさうだ鶴はゆるしてやるがいゝ」鶴には丁度に合ふ、鶴の一声、鶴は目出たく許されて家に帰って鶯の友情を謝し、東京見物はこり/\だと元の田舎の山へ帰り二人仲よく暮しましたが、鶴はいつも人にかたりました。「良い友達をもっているものは幸福である。」と(完)
(大正十一年六月三十日)





底本:「槇村浩全集」平凡堂書店
   1984(昭和59)年1月20日発行
※著者が、高知市立第六小学校三年生、四年生のときの作品。謄写版刷りの、同校文集「蕾」から、底本に採録された。
※底本は新字旧仮名づかいです。なお促音の小書きは、底本通りです。
入力:坂本真一
校正:雪森
2014年8月8日作成
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