最近欧米に於ける財政経済事情

井上準之助




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    例言
本編は大正十三年九月一日芝公園協調会館に開催の教化団体聯合会主催震災記念国力振興大講演会に於ける前大蔵大臣井上準之助氏の講演速記を謄写したものである。


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 私は九ヶ月間の時日に世界を一周致しまして、数日前に帰つて参つたのでありますが、其間に外国から日本を見る機会が多かつたのであります。従つて種々の考へが其間に浮びましたから、それを今日諸君の前に申上げて見たいと思ふのであります。さう云ふ考へは、総て結論を持つて御話するのが道でありますが、実は帰りますと即刻、此演説をする様に依頼を受けたのでありまして、従つて考へが多くしてそれに対する私の結論が少ない様な恨みもありますが、それは予め御承知を願つて置きます。それから人が自己の生活して居る環境を離れて、其自己を見ますると、感じの程度が少しく平準を失ふ様な事が無いでもない。或は私もさう云ふ弊害に陥つて居るかも知れませぬから、其辺は加減して御聴取り願つて置きたいのであります。
 日本を一歩踏み出しまして、何人も第一に気附きます事は、日本は国が狭くて、人間が多過ぎると云ふ事であります。第二には非常に天恵の薄い国であると云ふ事を感ずるのであります。日本の国体と云ひ、吾々の家族制度と云ひ、是は吾々の最も誇りとする所でありまして、恐らく此の点に於ては世界に秀でたる国であらうと思ふのです。併し乍ら物質的に日本を見ますと、日本位天恵に乏しい国は無いのであります。第一に世界各国何れの所に行きましても、千里の沃野が耕やされずに捨てられてあると云ふ様な場所が幾らもあるのであります。又そこには石炭山の非常に立派なものがあり、そこには石油坑があり、そこには鉄山があると云ふ様な訳でありますが、日本には斯かる物質的に世界に誇り得るものは無いのであります。况んや日本は面積の割合に耕し得る地所が非常に狭い。仮りに天恵の乏しい国と比較して見ましても、伊太利の如きは最も天恵の乏しい国と云はれて居りますが、其北部には日本よりは多く耕し得る沃野があるのです。又西班牙も瘠せた所として有名ですが、西班牙には立派な鉱物があると云ふ様に、天恵の点で比較すると、日本は余程薄いのでありまして、物質的に申すと、日本の立国の基は、国土ではなくして、人にあると云ふ事が強く考へられるのであります。現状に於ては斯くの如くでありますが、併し今後の事を考へて見ると、一年に六十万乃至七十万の人々が増加しつゝあります。此狭い土地で現状に於てさへも多過ぎる人口が、更に今後増加するとしたならば、之を一体如何に解決すべきかと云ふ事は、日本から一歩外国に踏出しますると、一層感じを深くするのであります。然らば其解決の道に就て、従来唱へられました色々の方法を考へて見ますると、殆んど実効を挙げ得る案は無いのであります。それに就て私の海外で感じた事を申しますると、是迄人口問題には、何時でも海外移民と云ふ様な問題が伴つたのでありますが、併し今後日本の増加する人口を海外に送り出して、此問題を解決することが出来るかと云へば、先づ出来ぬと判断せらるゝ事実を私は認めて来たのであります。[#「来たのであります。」は底本では「来たのであります 」]換言すれば海外移民は非常に希望する、又外交上に於ても、常に斯くの如き事に努力しなければならぬが、其実行に於ては何うかと云ひますと、差迫つて居る日本の人口増加の問題を、是に依つて解決する事は不可能である事が感ぜられる。過去の事実を考へて見ましても、布哇に移民を送り出してから、三十年を経過して居ります。此三十年の間、屡※(二の字点、1-2-22)海外移民問題を聞くのでありますが、果して然らば今日幾何の日本人が、外国に住んで居るかと云ふ事を考へると、僅かに七十万、即ち百万足らずに過ぎないのであります。併し日本人は一年に七十万づつ殖へて行くのであります。三十年掛つて一年の人口増加を解決して行つた所で、到底長い間の問題を解決することは出来ないのであります。殊に欧羅巴戦争が起りましてから、大いに考ふべき事実の起つたと云ふのは、インターナショナリズムの思想であります。[#「思想であります。」は底本では「思想であります 」]欧羅巴戦争に依つて、世界人民が互に国境を持つて居る事の為に、非常なる苦しみを経験したので、従つて国境を見ずして、世界の人類が相寄つて、世界を統一しやうと云ふ理想を持つ者が沢山出来たのであります。[#「出来たのであります。」は底本では「出来たのであります 」]其一部の実現は、ベルサイユ条約に規定されて、各国努力して居る国際聯盟であります。即ち道義に基いて、各国の問題を片附けやうと云ふのが、其主義でありますが、さう云ふ事が耳に入ると同時に、世界には千里の沃野が横たはつて居つて、日本の勤勉なる農民を迎へて居る様に見える。是に依つてこれ等の問題も、何とか解決される様な気がするのです。併し乍ら実際に就て見ると、それは非常に予想に反する。今日大戦争を経ても、未だ欧羅巴では戦争前より多くの常備軍を持つて居る有様である。リーグ・オブ・ネーション・ユニオンの総会があつて、私も日本の代表者として五六日間行つて居りましたが、世界の有力家が名論卓説を吐く中にも、インターナショナリズムの美名の下に、自分の国の立場から、総てに勝手な議論をして居る事が容易に認められましたが、国と国との間の交渉は、邪推、猜疑心を以て満されて居る事は常であつて、其の会合の間にもそれが現れて来まして、将来はいざ知らず、今日に於て日本の此差迫つた問題を解決するのには決して頼りにならぬと云ふ感じがするのです。私は元来国際聯盟は尊敬する。之は必ず将来に非常なる社会人類の為に幸福を持来し、又永久平和の為に大なる貢献を為すべきものであると云ふ事を確信して努力を厭はぬのでありますが、併し乍ら現状から云ふと、日本の今日の難問題を解決すると云ふ事は、余程困難である。又斯う云ふ事を度々聞きます。日本人は非常なる活動的な国民である。此活動的の国民を、斯かる狭い国土に集めて置く事は、世界の平和を害する基である。故に日本の国民に相当活動し得る余地を与へ、其領土を広げてやらなければならぬと云ふ事を唱へて、是は相当の共鳴者もあるのでありますが、今日の世界中の状態、即ち互ひに国境を尊重し、互ひに其国の利益を相争つて居る時代から申しますると、自国の国民を勝手に、勝手とは云はずとも、相当の条件で[#「条件で」は底本では「条伴で」]、他国に出して、大いに其の国の目的を達すると云ふ事は、私は政府としてやるべき事だと思ふ。併し希望はあるが、実際問題としては余程困難な問題と考へるのであります、さすれば日本の問題は、日本人自らが解決しなければならぬ。一方から云ふと、斯くの如き天恵に乏しい国に生れた吾々は、誠に気の毒な人民で、世界の人民に比較すると、不利益な国民でありますけれども、諸国相対峙して、国威を輝かさうとする時には、自己の問題は、自己が解決するより外は無い。即ち世界の人間の働くよりも、より簡単に、より質素に生活する外に、国威を輝かして、日本国を護つて行く事は出来ぬと思ふ。ヒューマンビーイング、即ち広く人類と云ふ事を考へると、日本人は何故に他国より余計に働いて、不味い物を喰つて、苦しまなければならぬかと云ふ問題が起る。亜米利加の労働者は、まづいながらも自動車を持つて走廻つて居る者もあります。然るに日本ではさう云ふ事が出来ないと云ふ事は、何う云ふ訳か。それは今日の如く各国が相対峙して、其国の国威を輝かさなければならぬ其国の境界内に生活をして行かなければならぬと云ふ現状から云へば、此の日本に生れたお互ひは止むを得ぬと私は思ふのである。
 人口の問題の解決に就ては、勿論種々様々の考案もあらうと思ひます。或は工業を盛んにして、大いに国を富まさせなければならぬと云ふ事も、明かな事実でありますが、工業を盛んにしても、此増加する人口を、都合好く按配して、解決して行くと云ふ事は、余程困難である。金を儲けて人民を養つて行くと云ふ事は、工業が盛んになれば出来ます。併し乍ら仮りに例を取つて、英吉利を見ると、あれ程工業が盛んで、あれ程富の程度の高い国であるだけに、其工業に働いて居る労働者は、千五百万人に上つて居ります。日本の現状から云ふと、工業を盛んにするには、到底金が足りないのですが、金が出来ても、此多い人口を按配するには他に、方法を求めて行かなければならぬ。他に求めると云へば、日本の現状から云へば、北海道は云ふに及ばず、朝鮮迄も大いに開発して、人口の問題を解決しなければならぬと思ふのであります。朝鮮や北海道に就ては、地味が何うとか、気候が何うとか云ふ様な贅沢論もあるが、独逸の状態を見ますると、独逸は他国に比して余り天恵に富んで居る国ではありませぬ。日本程ではありませぬけれども、非常に痩せて居る土地が多いのであります。然るに独逸は斯かる土地に対しては科学的の研究をして種々の試作を為し、非常なる努力の結果、今日では立派なる沃野と化して居る所が多い。之を考へると、方針を立てゝ今日の問題を解決する事に向つたならば、相当なる成績を挙げ得るだらうと私は考へて居る。
 そこで人口の問題は今日の世界の状況から云へば、之を自国で解決する事を余儀なくされて居るのでありますが、さうなると何うしても世界の人よりも余計に働いて、質素簡易なる生活をするより外に道は無い。是は根本問題でありまするが、それならば欧羅巴の経済状態と、日本の経済状態とは、如何に違つて居るかと云ふ事に就て、私が目撃した所を簡単に申上げると、欧羅巴はあれ程の大戦争をして、非常に苦しんで居ります。実に予想以外に苦しんで居るのです。而して此共通的の苦しみは、戦争中に非常なる巨額の公債を作つて、此公債の利払ひに、非常に困難して居る事であります。英吉利は勿論の事、仏蘭西の如きも独逸の如きもさうでありますが、概略を申せば、英吉利の如きは、公債の利払ひ許りで、歳出の三分の一以上に達して居ります。今英吉利は九十何億の歳出でありますが、其内三十何億は公債の利息でありますから、非常なる巨額の利息を払つて居る事になります。仏蘭西に於ては、公債の利払ひをする金は、全然取れない。普通の年でも、公債の利払ひの為に、四億法位の公債を殖して居る有様であります。独逸の如きは、あれ程巨額の公債を募つたが、到底利払ひも出来ないし、又元金の償却も[#「償却も」は底本では「償も却」]出来ないから、当分これは放置するより仕方が無いと云ふ事を議会で決議した。斯かる有様でありますから、戦争の為に社会に大なる変動を来し、或る者は生活に甚しき困難を来す様な有様で、非常に困つて居ります。更に困るのは、社会の変動の為に失業者が激増し、最近に於ては、是は戦後の変態ではありますけれども、此失業者の多くなつた事の為に社会が不安の状態に陥らんとするので、政府が之を支へて居る様な有様であります。従つて巨額の金を、其科目に対して支出して居るのであります。英吉利も亦同様に苦しんで居ります。斯かる激しき変動を社会に来して居るので、日本にあるが如き軽佻浮薄なる状况も相当にあります。例へて見ると、英国、米国、独逸、仏蘭西辺りでは例のダンスが流行して居りまして、是は殆んど今日世界共通的に流行つて居ります。朝から晩迄踊り続けると云ふ様な、人間の癈頽した状況が相当にあるのです。併し乍らそれは要するに、社会に勢力の無い人でありまして、相当の有識階級に於ては、戦争以前よりもずつと真面目になりまして、大いに奮闘努力して居る事が見えるのであります。是は仏蘭西の革命後に於ても、さうであつたさうであります。先日独逸の大使が、一緒の船で帰つて来た時に、船の中で話して居つたのでありますが、仏蘭西革命の時に仏蘭西へ英吉利から行つて革命当時の事情を詳しく見て書いた人があるが、是に依ると恰も其時の状態は、今日の英吉利仏蘭西の状態であつたと云ふ事であります。さうでありませう。さう云ふ社会の変動があると、一部には余りにみつともない様な状態が起る。併し又今云ふ如く有識階級には、非常に真面目な風が起つて居る。例へば私の感じた事柄でありますが、独逸に行くと、丁度暑い時でありましたが、昔の独逸と違つて伯林に行くと、今の様な擯斥すべき気風がありましたが、一歩地方に入つてハンブルグ辺りに行くと、まるでカラーもシヤツも着て居らない様な者が、リュツクサツクに色々な物を詰めて背に負ひ、数十人隊を為し、老若男女一団となつて、休みの日など森の中やら、田舎道をぞろ/\歩いて、身体を錬り、精神を養つて居ると云ふ状況は、実に感心すべき状態であります。又商業家とか政治家と云ふ様な者に会つて話して見ましても、非常に真面目なもので、独逸辺りでは皆将来の事を考へて居るのであります。さう云ふ有様でありますから、欧羅巴の事情は見方に依りましては非常に良いのであります。例へば英吉利で見ると、思ひ切つた財政の整理緊縮をして、其為に昨年辺りは財政の余裕が四億円も出て来て、公債を返した様な有様であります。又貿易も改善せられ、失業者も二百万乃至百五十万人に上つて居つたものが、百万人に減つて居る。[#「居る。」は底本では「居る 」]尤も平生は三十万乃至五十万の失業者でありますから、未だ平生よりは多いのでありますが、余程良い状態に戻つて来て居る。仏蘭西も今申上げる如く困難なる状態にありますが、一口に巴里と云へば、巴里と云ふ所は金利の安い所で、世界各国に金を貸して居つたと云ふ聯想が浮ぶのでありますけれども、今日はそんな事業は無くなつて、自国の公債を募る為に、非常に金利は高くなつて居る。併し乍ら一方仏蘭西の国の基礎を為して居る百姓は何うかと云ふと、以前から勤勉で貯蓄心に富むのは、仏蘭西の農民である。是に就ては極く一部の観察ではあるが、仏蘭西は財政上非常に困難をして居る。然し乍らあの百姓の勤勉貯蓄は、即ち仏蘭西の財産である。従つて仏蘭西に相当金を貢いで、復興を図る事は、何等支障が無いと云ふのが、亜米利加辺りの観察であります。即ち仏蘭西の百姓の気分は、戦争があつても少しも変つて居らぬのであります。独逸に行きますると、独逸は戦争の為に、非常な打撃を被つて居りますが、独逸の工場は、今日でも汽車に乗つてずつと来ると、以前よりも寧ろ秩序整然たるものであります。と云ふのは戦争中に一時に工場を拡張したので、今日は外観は頗る立派である。然し乍ら内部は三分の一しか、工場は動いて居らぬと云ふ状況にあります。けれども独逸の人気の堅実なる事は、其有識階級の者に会つて見るとよく分るのであります。さう云ふ風に各国共に非常に困つて居りますが、一方には非常に健全なる分子が居つて、真面目に働いて居ります。唯是迄の問題を見ると、ベルサイユ会議に於て賠償金を決めても、独逸が支払はぬと云ふので、仏蘭西はライン河の向ふの是も独逸の工場の盛んなるルール地方を占領して仕舞つたのです。戦争の悲惨なる事は、直接に目撃した事はありませんでしたが、今度ルール地方に行つて見て、実に憐れなるありさまに驚いたのであります。仏蘭西軍が来て、一番独逸の工場の盛んなるエッセン、ヂユッセルドルフ、ケルンと云ふ様な所を皆占領して、此処に入る者からは輸入税を取る。出る者には輸出税を課す。石炭を掘れば其何割を仏蘭西で取る。鉄道も占領して勝手にさせぬと云ふ様に、賠償金支払ひに反対した所置として、斯くの如き事を行つて居るのであります。斯かる有様で、欧羅巴の事情は少しも片附いて居らぬ。其片附かぬと云ふ事が普通になつた為に、此頃の倫敦会議に依つて、各国協議の結果解決が出来、其解決に依つてルールを占領して居つた仏蘭西軍が引上げて、其代りに相当程度の賠償金を、独逸が仏蘭西に支払ふと云ふ事になつた。是で欧羅巴の一番困難なる問題が大体片附いた訳で、是から相当欧羅巴の事情には、改善の曙光を認められると申して宜いのであります。
 所で之を日本に比較すると、私は白状致しまするが、日本を立つ前に、私が日本の事情を考へて、欧羅巴の事情を朧げながら、比較し想像して居つたのであります。日本も非常に悪い、然しながら欧羅巴も必ず此位の程度に悪からうと云ふ様に、大体の見当を附けて居つたのであります。私は余り内地の事を知り過ぎて居る為に、却つて悲観する惧れがあると思つて居つたのであります。併し行つて見て色々な事情に接觸して見ると、行く前に考へて居つたよりは、欧羅巴の事情、殊に英吉利の事情は好いのであります。そこで倫敦会議が片附いたと云ふ事になると、世界は多少改善される。其改善される時に日本が果して是に附いて行けるか何うかを茲に考へなければならぬ。是は理窟を聞かれるとよく解りませぬが、私は経済界の事に就ては、経験上斯う云ふ事を思つて居る。世界の波に乗つて行ける間は、其国は衰へずに行きます。[#「行きます。」は底本では「行きます 」]例へば世界の波がずつと上下して行く時に、日本も是に乗つて、世界が繁昌する時には日本も繁昌する、世界が不景気に陥れば日本も不景気に陥ると云ふ有様であれば、日本は人後に落ちずに、世界の背後に附いて行くことが出来るけれども、若しそれが出来ずに、世界が独り繁昌して、日本独り衰へると云ふ事になると、波の下漬になり、段々底に押附けられて、日本は立場を失ひはせぬかと云ふ事を虞れるのである。例へば先程内務大臣は金利が高いと云はれた。金利が高いと云ふのは高い故があるから高いのであるが、世界の事情が改善されて金利が相当に下つて来た時に、此の金利で日本が附いて行けるかと云ふと、決して附いては行けませぬ。それから私は多く船に乗つて旅行しましたから、船の例が出ますが、世界の景気が直ると云へば、船の如きは常に、新造して戦闘の用意をして置かなければならぬが、果して日本は戦闘し得るだけの新造船が出来つゝあるか、何うかと云ふ事を考へると、日本は出来て居らぬ。そこで私の今云ふ前提が正しいならば、是は余程考へなければならぬ事で、此儘で行けば日本は世界の波に乗つて、世界の大勢に附いて行くことが出来なくなりはしないかと云ふ事を、余程心配するのである。実は大正五、六年から、[#「六年から、」は底本では「六年か、ら」]あれ程好い景気が出て、非常なる金を得た時に、どうも日本人には、殊に経済界に居る人々は少し金が多過ぎた。国民一般に就て考へても、実際の金の力より見て、荷が勝ち過ぎた。私はよく人に云ふのですが、劒道に馴れない人が五尺の段平を狭い室で振廻すと同じで、襖も障子も畳も傷だらけにして、自分も草臥れて五尺の段平を放り投げて溜息吐息の有様である。是は要するに其人の劒道の力では、五尺の段平が重過ぎると云ふ事で、敢て何人を責むる迄もなく悪かつたら悪かつたで、自ら改めるより外は無い。改めると云ふ事になれば、経済界は勿論政治上に於ても経済界と持合つて注意して行かないと日本は立遅れをすると云ふ事が考へられる。
 一体整理緊縮と云ふ事を申しますが、民間の整理と云ふのは、何を云ふのであるかと云ふ様に、抽象的に唯だ整理と云ふ事に就て馴れない人から質問を受けるのでありますが、それに就て私は外国と比較して斯う申します。外国では欧羅巴戦争後経済界に非常なる変動が来ましたから、沢山に損をした人がある。工場でも立行かなくなつた工場が沢山ある。商売人にも非常に損した人が沢山ある。英吉利に行つて其状態を調べて見ると、此人間は是だけ損をした、併しながら資本を捨てゝ仕舞つて今日は整理した、それから此処の銀行でも是だけ損をしたが配当を減らし積立も捨てゝ整理をした。斯う云ふのであります。それはどうかと云ふと、是迄一千万円の資本を有つた人が五百万円を損したと云ふ場合に、日本であれば矢張り一千万円の資本を持つて居る様な顔をして居る。英吉利ではそれでは信用を得られないからして、五百万円損をすれば、五百万円だけ事業を縮少して仕舞ふ。さうすると世間から云へば、一千万円の信用のあつた者が、五百万円の信用しか無くなる訳であるけれども、併し五百万円の信用は確実である。所が日本では一千万円の内五百万円を損しても、猶ほ一千万円の資本を持つて居る様な顔をして居れば無理であるからして、却つて其信用は五百万円にも或は三百万円にも附かない事になるかも知れない。其為に却つて其事業が大破綻を来す事になるのでありますが、英吉利に於ては五百万円では、五百万円の信用しか得られないと云ふ事で、綺麗に整理をして根本から立て直して掛るから、立派に解決が附くのであります。斯くして戦闘準備をやり直すより外に、今日は道が無いのであります。それを怠れば今申す如く世界が立ち直つても、日本は此波に附いて世界と共に仕合せを得ることが出来ないと云ふ事になるのであります。茲が余程奮発努力しなければならぬ点であると思ふのであります。
 実は地震と云ふものは、財産を破壊した点から云ふと、非常に悲惨なものであります。私は其当時政府に居つたのでありますが、其悲惨なる事実に遭つて、財産を破壊された事は実に巨額であつても、併し乍ら之を動機にして経済界を整理し、人心の緊張もして行つたならば、非常なる善い動機ではないか、其為には財産の相当の破壊は敢て惜くはないではないかと云ふ事を思ひ、そこで非常なる緊縮の方針も立てゝ見たのでありますが、色々政治上の関係とか、或は反対の説もありまして、結局都会で金を使へば地方が疲弊すると云ふ様な事で、国民一致之を動機にして大奮発することが出来なかつた事は非常に残念至極に考へるのであります。併し今日でも遅くはない。必ず之を一の動機にして、日本を立て直すと云ふ事が必要と考へるのであります。
 それから地震と云ふものに対して、外国がどう考へて居るかと云ひますると、最初の地震には外国人は左程心配はしなかつた様であります。地震と云ふものは、伊太利にもあれば仏蘭西にもある。何処にもある事だと云ふ風に考へて、之を重大視して日本の財力を疑ふと云ふ様な事も、先づ無かつたと思はれますが、一月十五日に地震が又あつたと云ふ事を聞いて、斯うなると何度繰り返すか分らぬと云ふ感じが西洋人に強く響いた。それと同時に内閣が度々変りまして、政治上の変動は、或は地震よりも多かつたかも知れない。……………さう云ふ有様であつたから、今日は政治上世界各国に於て困難して居る際ではあるし、地震と云ふ大事件が起つたのに之を始末する内閣が二度も三度も変ると云ふ事は、之を外から見ると、何か日本に起つたのではないか、日本は何うなるか分らぬと云ふ感じが幾分かあつたのです。さう云ふ事は、今後は必ず無からうと思ふ。又あつてはならぬのですが、併しながらさう云ふ事は、国の信用の上から云ひますると、非常に重大なる影響を来す。甚しきに至つては東京横浜は再建する価値があるかどうかと云ふ様な事迄云つて、勿論是は日本の事情に疎い人でありますが、さう云ふ者も出て来て、何だか日本の社会は終始動いて居る様に疑惧して来たと云ふ事が私の外国を旅する間に心配した事であります。斯う云ふ事があつてはならぬ。斯う云ふ記念日に当りまして、私が外国漫遊で得て来た事を御話して、御参考に供することは誠に光栄であります。国家のため、大いに努力して戴くことが出来れば、洵に幸ひでございます。





底本:「教化資料第六輯 最近歐米に於ける財政經濟事情」教化團體聯合会
   1924(大正13)年10月14日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
入力:田邉浩昭
校正:小林繁雄
2011年7月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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