錢形平次捕物控

持參千兩

野村胡堂





「親分のまへだが、あつしも今度ばかりは、二本差が羨ましくなりましたよ」
 ガラツ八の八五郎は、感にたへた聲を出すのでした。カラリと晴れた盆過ぎの或る日、平次は盛りを過ぎた朝顏の鉢の世話を燒き乍ら、それを手傳はうともせずに、縁側から無駄を言ふ、八五郎の相手をして居ります。
「おや、妙なことを言ふぢやないか、お前は武家と田螺和たにしあへは大の嫌ひぢやなかつたのか」
 さう言ふ平次は、朝顏の世話に餘念もありません。
「好きにもなるだらうぢやありませんか。飯田町から番町、神田へかけて、第一番といふ娘を手にいれて、その上に持參が千兩」
「いづれはヒビの入つた娘だらう、てゝ無し子を生んだとか、筋の惡い男と驅け落ちをしたとか」
「飛んでも無い」
「夜な/\首が長くなつて、行燈あんどんの油をめる藝當があるとか」
「そんな藝當なんかありやしません。綺麗で利發で、そりや氣立ての良い娘ですよ」
「泣かなくたつて宜い。その娘がどうしたんだ?」
「相手もあらうに、中坂の浪人者、寺西右京の伜で、業平なりひら習之進と言はれて居る男つ振りだが、評判のよくねえのへ小判で千兩の持參で嫁入はひどいでせう」
「一と箱は少し大きいな。にんばけ七の娘でも、持參は百兩と昔から相場のきまつたものだ」
「それがその千兩で、――無瑾むきずで可愛らしくて、申分の無い娘に、千兩の持參とは何んといふことです」
「俺が叱られて居るやうだが、先づ話の筋を通してから、怒るなり泣くなり、お前の勝手にするが宜い」
「へエ? さう言へば、まだ何んにも言はなかつたやうで」
「呆れた野郎だ」
 平次は八五郎と並んで縁側に腰をおろして、泥だらけになつた手で、器用に煙草をつまみました。一本の煙管が、客にも主人にも共通です。
「元飯田町の質屋、紀の國屋信兵衞といふのを親分は御存じでせう」
「大層な身代ださうだな」
「その信兵衞は腹の底からの町人ですが、飯田町といふ場所で、武家の客を相手にして、親代々質屋を渡世とせいにして居たら、人間の性根はどんなことになると思ひます」
「骨が折れることだらうよ」
「小唄の文句にもあるでせう、『意氣は深川勇みは神田、人の惡いは飯田町』とね。人の惡いのを看板の御家人、小旗本、生摺なまずれの用人、小者が、朝夕質を置きに來て、強請ゆすりがましい事を言ふのを相手にしてゐたら、大概の我慢や辛抱は摺り切れてしまひますよ」
「で、どうしたといふのだ」
 平次は一向に興奮も同調もする樣子は無く靜かに問ひ返しました。
「紀の國屋信兵衞、御無理御尤で片輪の印籠いんろうやガタガタ丸を、無法な金で質に取らされ、町人は自分一代限りとして、子供の代には曲りなりにも武家になり度いと思つたのも無理のないことぢやありませんか」
「さうかなア」
 腹からの町人の平次には、町人としての誇りがあり、八五郎の言ふ話には腑に落ちないものもありますが、武家のうるさい客を相手に商賣をしたわけでは無いので、それは八五郎の觀察をそのまゝ呑込む外はありません。
「ところが、信兵衞の碁敵ごがたきで、中坂に住んでゐる浪人の寺西右京、これは元の武家に返り咲き度いが、中國筋の舊主へは、仔細あつて歸參叶はず、伜習之進のために、せめて御家人の株を買つてやることにしたが、長い間の浪人暮しで、貯へといふものは少しも無い。賣りに出た御家人の株といふのは何んと千兩、小判のかけらも無い寺西右京は、碁を打ち乍ら溜息ばかりついて來た」
「仕草は細かいな、――見て居たのか」
「見て居たわけぢやありません。が、そんな事だらうと思ひますよ。すると紀の國屋信兵衞は、相手がしちようを逃げてばかり居るので不思議に思つた。今日はどうかなされたかと訊くと、寺西右京隱し兼ねて、實は斯く/\、かやうと打ち開けた。それを聽くと紀の國屋信兵衞、實は私も武家になり度いのが生涯の望み、私は年寄、伜は柔弱、二本手挾たばさむ望もないが、幸ひ娘のお玉は氣象者、顏かたちも親の口からは申し憎いが先づ十人並に勝れて生れついて居る。その上、奉公人の噂にきくと、寺西樣の習之進樣に氣があるとやら無いとやら、相手は今業平と言はれた美男、無理もないことでございます。ところでいかゞでせう――と」
「――」
「紀の國屋信兵衞はうまい具合に持込んだ。綺麗で利發で評判の良い娘のお玉に、持參金が千兩、これを聽いて寺西右京は渡りに舟だ、伜習之進に嫌も應も言はせない。話はとん/\拍子に纒まつて、飯田町名物のお玉さんが、インチキ浪人の胡麻摺ごますり浪人の、寺西右京の伜、ノツペリ習之進のところへ嫁入したのがこの春」
「それがどうしたといふのだ」
「それつ切りなんで、お玉さんは千兩の持參を持つて行つたが、寺西家の方は、話の行き違ひがあつた相で、今だに御家人の株はモノにならない。ところが嫁が來てから、寺西家の暮し向はグンと良くなつた。家賃は申す迄もなく、酒屋米屋の拂ひもとゞこほらず、身裝みなりまで小綺麗になつたのを見て世間の人は、千兩の持參が、日向の雪達磨ゆきだるまのやうに、見る/\減つて行くだらうと、人事乍ら氣が氣ぢや無い」
「餘計な心配だ」
 平次はさう言つたものゝ、これは何やら良からぬものがはらんで居さうにも思へるのです。言ふまでもなく、徳川幕府の綱紀も次第に紊れて、旗本御家人はその借金の始末などのために、養子名義で金持の町人の子を容れ、事實は家名や秩祿ちつろくの賣買をしたことはあまりにも有名なことです。


 それから四五日、やがてもう八月といふ頃、暫らく顏を見せなかつた八五郎が、相變らず事件の匂ひを嗅いでやつて來ました。
「親分、中坂の浪人者の家に、矢張り變なことがありましたよ。良い娘に千兩の持參などといふ虫の良い話は、矢張りろくなことはありませんね」
「嫁のお玉がどうかしたのか」
 平次は退屈し切つて居る樣子です。日頃にもなく自分から話の中に乘出しました。
「あの嫁がどうかすれば、あつしは放つて置きませんよ。死んだのは、お駒といふ十九の娘で、寺西家の娘分といふことにはなつて居ますがね、なか/\のきりやうで」
「で、お前にも似ぬ、氣の無い顏ぢやないか」
「飯田町の富(下つ引)の野郎にあとを頼んで來ましたがね」
「どんな樣子だ、お前の知つてるだけ話して見ろ」
「昨日から寺西家では虫干むしぼしが始まつて居るんだ相で、土用干といふ位だから、土用中にやるのかと思つたら、土用中は濕氣があるから、秋口になつてやる方が宜いんですつてね。微祿した浪人者だから、ピカ一は祖先の系圖で草摺くさずりの切れた具足がお職だらうと思ふと大違ひ――」
「何が大違ひだ」
「嫁の衣裳の虫干しですよ。この春嫁入したばかりで、虫もカビも附いてるわけは無いが、其處がそれ見得ですよ。千兩の持參で來た嫁の仕度を見せてやらうといふのでせう、廣くもない家中に綱を張り渡して、七重八重と言ひえが、十重二十重とへはたへに嫁の衣裳をかけ並べ、木戸も潜戸くゞりも開けて、御町内の衆へ豊樂の見物勝手だ、いやその評判といふものは――」
「俺はそんな事を聽いてはしないよ。寺西の娘分といふのが、どうして死んだんだ」
「最初から筋を通さなきや、錢形の親分だつて見當は付きませんよ。マア、暫らく我慢して聽いて下さい」
「――」
「虫干は晴天三日續く、二日目の今日の晝前、嫁の部屋の鏡の前で――」
「鏡の前と言つたな」
「お玉の嫁入道具の一つで、珍らしくギヤマンの鏡ですよ。こいつは一と身上にも掛け向ふ程の値打だが、紀の國屋が大名から質に取つたといふ自慢の代物で」
「それからどうした」
「嫁のお玉が、自分の部屋へ入つて來て、鏡の前に死んでゐるお駒を見付けて大騷動になつた相で、丁度その時外から歸つて來た、寺西家の用人見たいなことをして居る、若黨上りの彌之助と、お勝手に居たかゝうどのお鐵といふのが、一緒に飛込んで介抱したが、もう虫の息も無かつたといふことで」
「人に殺されたのか」
「刄物が無いから、さうでも思はなきやなりません。それに傷は背中を一とゑぐりだ。どんな氣丈な女でも、自分ではそんなことは出來ません、――でも」
「何がでもだ」
「嫁の部屋から木戸を通つて道は一本しか無い。木戸の外には坂なりに隣の家のお勝手口があり、隣の内儀はお勝手に居たが、誰も人は通らなかつたと言ふし、彌之助が坂下から歸つて來て、路地を入つて、隣の家のお勝手口の前へ來たとき、嫁のお玉の驚く聲を聽いたといふから、どう考へても殺し手はありませんよ」
「家の中には?」
「花嫁の部屋は十文字に綱を引いて、虫干の着物で一パイだ、それを掻きわけて、自分の部屋へ戻つて來ると、娘分のお駒が、嫁のお玉の一番晴れの振袖を着て、帶まで締めて、扱帶しごきを卷いたところを、後ろからズブリと背中を突かれた」
 八五郎の説明はなか/\行き屆きますが、それでも平次を承服させるわけには行きません。
「兎も角行つて見よう。飯田町の富が持て餘して居るだらう」
 到頭平次も、八五郎や富に任せ切れなくなつて、此事件に乘出す氣になりました。


 中坂の寺西家は、坂から路地を入つた深い構へで、浪人の住居としては、何んとなく物々しいところがあります。それがまた、浪人寺西右京の暮しやうでもありました。
「待つてくれ、俺は裏から入つて見たい」
 表の格子へ手を掛けた八五郎を押へて、平次は横手の路地から入つて行きます。そこは二つのしもた屋が背中合せになつて居り、取つ付きのお勝手口には、達者さうな内儀が、此邊には數の少い共同井戸の、井戸端で洗濯をして居ります。
「お内儀さん、ちよいと通して下さいよ」
「さア、どうぞ」
 内儀は道をけました。
「寺西さんの家に騷ぎがあつたとき、お内儀さん此處に居たんでせう」
 平次は此内儀から、何んか重大なものを期待して居る樣子です。
「何しろ子供が多勢で、朝つから泥んこになるんですもの。私は半日は井戸端に噛りついて、子供達の着物を洗つて居ますよ」
「その間に、誰も寺西さんの裏口へ入らなかつたのかな」
「猫の子一匹入りやしません。此通り狹い路地だから、入れば私と鉢合せをするわけで」
 平次の調子の良さに、お内儀は釣られた樣子で、よく話してくれます。
「彌之助さんとやらは?」
「あの人が通ると間もなく、寺西さんの家から、女の悲鳴が聞えました」
「それが殺されたお孃さんの?」
「いえ、お嫁さんのお玉さんの聲でした」
「今日のことでなく、此處からよく出入する人か、此邊をウロウロしてる者はありませんか」
 平次は一歩々々と問ひを積み重ねて行きます。
「通る人はよくありますよ。表へ廻るより少し近いんですもの。それに、此間から此路地を入つて、寺西さんのお家を覗いてる男があつて、不氣味でなりませんでした」
「それは?」
「よく顏を見る人で」
 内儀はフト言ひ過ぎたことに氣が付いた樣子で、急に口が重くなりました。
「お内儀さんその男を知つて居るんだらう、いづれはわかることだから、教へてくれないか」
「近所の衆が皆んな知つてることだから、教へて上げても構はないけれど――私から聽いたと言はないで下さいよ」
「それはもう、そんな事を言ふ氣遣きづかひは無い」
「實はね」
 内儀は腰を伸ばすと、平次の耳に囁やくやうに、
「――」
「お嫁さんのお里の紀の國屋の若い番頭で、常吉とか言ふ人ですよ」
「それだ、親分」
 八五郎はツイ聲を出しました。
「馬鹿ツ、紀の國屋の番頭が、嫁のお玉さんなら兎も角、此家の娘分のお駒さんとやらを殺す筈は無いぢやないか」
「さう言へばさうですがね」
「まア現場を見なきやわからないよ。家へ裏から入つて見よう。お前は表から行つて、ちよいとことわつて來てくれ」
「へエ」
 八五郎が表の方へ廻るのを見送つて、平次は低い四つ目垣添ひに、寺西家の裏の枝折戸を押しました。青桐が三本ばかり並んで、左手は隣の家の庭になつて居り、右手は寺西家の狹い庭、目の下に飯田町から神田一帶を見渡して、狹苦しくはあるが、なか/\の眺めです。


 枝折戸しをりどの中、二三間先は嫁のお玉の部屋、つまり娘のお駒の殺された部屋らしく、二人の若い女が何やら片付けをし、主人の寺西右京らしいのはそれを指圖して居ります。
「あ、暫らく待つて下さい、御檢死が濟むまで、それを片付けちや」
 平次はツイ聲を出しました。二人の女は部屋に張り渡した、虫干の綱を外して、鏡臺や死體を片付けようとして居るのです。
「お前は?」
 主人の寺西右京はとがめるやうにそれに應へました。五十前後の、武家といふよりは、物馴れた商人のやうな中老人で、成程、武術體術よりは、算盤そろばんや碁の方がいけさうです。身なりも小綺麗、顏容も、業平習之進の父親らしく、弱々しくはあるが、なか/\立派です。
「神田の平次と申しますが」
「あ、豫々かね/″\噂に聽いた、錢形の親分か。それはよく來てくれました。娘分のお駒は可哀想だが、斯んな事になると、素人では手も足も出ない。さア、さア、どうぞ」
 なか/\如才がありません。
「飛んだことでしたね、八五郎から大體の樣子は伺ひましたが、旦那と御新造さんのお口から、もう一度詳しいことを伺ひ度いもので」
「それは、易いことだ」
 主人右京が話しかけるのを押へて、
「ちよつとお待ち下さい、其邊を一應調べてからにいたしませう」
 平次は濡れ縁から上つて、三尺の開きから、六疊の部屋に通りました。東向の腰の低い一間窓は大きく開いて、此處から碧梧桐あをぎりの葉に邪魔され乍ら、お隣の庭越しに、神田から駿河臺するがだいの景色がよく見えます。
「さア、どうぞ」
「お二人とも暫らく、動かないで下さい」
 平次は二人の女に聲をかけて、窓から内外の景色や物の配置をよく觀察して居ります。
 二人の若い女といふのは、嫁のお玉と、かゝりうどのお鐵で、これは下女代りに働いて居る女と後でわかりました。
 嫁のお玉は選り好みが過ぎて、その頃の嫁入の適齡期をやゝ過ぎた二十歳、それにも拘らず、誰の好みか半元服のまゝ、これはいかにも利巧者らしい良い女でした。色が淺黒くて眼の切れが長く、決して美人といふ顏では無いのに、何んとなくその聰明さが人をひきつけるのです。
 掛り人のお鐵は二十四五の、後で出戻りと聞きましたが、齒も染めず、眉も落さず、身裝は至つて粗末ですが、木綿物の野暮つ度い單衣や、地味な黒い帶から、不思議な魅力がこぼれて、なか/\の良い年増です。
 お駒の死骸は、窓寄の鏡の前に倒れて居りました。背後うしろから心の臟を一と突きされたにしては、思ひの外血が少なく、窓を背にして崩折れたせゐか、血の大部分は飛散りもせず、お駒の衣裳と、疊と、壁を濡らして居ります。
 一瞬に命を奪はれたらしく、大した苦痛の色もなく、これは非凡のきりやうでした。色白のポチヤポチヤした娘で、年もお玉より一つ下の十九、それが、嫁のお玉の晴着を借りて、娘らしく着飾つたまゝ、鏡の前でやられて居るのです。
 紀の國屋のぜいで、京で染めたといふ縮緬ちりめんの振袖、今の時候では暑いにきまつて居りますが、斯んな時でもなければ、嫁のお玉に借りて着て見られる筈もなく、それに重つ苦しい金絲で縫取りした厚板の帶、芝居に出て來るお姫樣のやうな恰好で、扱帶しごきを卷きつけて、鏡の前へ立つたところを、濡れ縁から這ひ上がつた曲者に、窓越しに背後からグサリとやられたのでせう。
「この鏡は、前から此處に置いてありましたか、動かしはしなかつたでせうね」
 平次は顏を擧げて三人を見ました。
「元のまゝになつて居ります。お駒さんは、その鏡と窓の間に倒れて死んで居たんです」
 かゝり人のお鐵は言ふのです。
「鏡を後ろに置いて、着物を着る者は無い筈だが――」
 平次はフトそんな事が氣になりました。鏡は窓の方へ近く置いて、自分を明るく照らして、身づくろひや化粧をするのが當り前です。殺されたお駒は現に扱帶しごきを持つて、それを締めようとして居るのですから。
「でも、虫干しで、窓から風を入れるために、鏡も此方へ移して居りました」
 嫁のお玉は筋の通つたことを言ひます。
 側へ寄つて見ると、世にありふれた、白銅磨きの鏡ではなく、その頃では寶玉のやうに高價だつた、和蘭渡りのギヤマンの鏡で、わくや臺は、日本の職人が作つたものらしく、うつかり見ると、唯の姿見に過ぎません。


「親分、何んか手掛りがありましたか」
 八五郎が庭から廻つて濡れ縁の上へ、無作法な顎を突き出すのでした。
「手掛りなんてものは、さうザラに轉がつちや居ないよ。お前は何をして居たんだ」
「若旦那と紀の國屋の主人に逢つて來ましたよ。いろ/\話があるやうで」
「まア、宜い、――ところで、今日の騷ぎのあつた時のことを、詳しく聽かして下さい」
 平次は八五郎の相手を宜い加減にして、主人の右京と、嫁のお玉の方に振り返りました。
「お前から話す方が宜い」
 右京は嫁のお玉の方を向いて顎を引きます。
「幾度も幾度も――申上げたことですけれども」
 お玉は同じことを何遍もくり返して、宜い加減うんざりした樣子ですが――。
「お氣の毒だが、あつしはまだ聽かないので」
 平次に促がされて、漸くその氣になりました。
「お駒さんが、虫干が始まると、私の着物のうちで、氣に入つたものを、一と通り着て見たいから、貸してくれるやうにと、たつてのお話でした」
「――」
 それは、男から見ると、馬鹿々々しく途方もなく、屈辱的な望みでさへありますが、十九になつたばかりの、きりやう自慢の娘に取つては、極めて自然な望みだつたかも知れません。
 紀の國屋の嫁入仕度は、飯田町から神田へかけても噂になつた程で、その虫干の豪華さは、若い娘達に取つて、夢のやうな觀物みものでもあり、羨望の的でもあつたのです。
 三日にわたつて、家中に張り渡した綱に、紅紫絢爛けんらんたる振袖、小袖、帶やら襦袢じゆばんやらが、取換へ引換へ掛けられるのです。
 娘分とは言つても、寺西家の居候に過ぎないお駒が、それを一と通り着て見度くなるのも無理のないことでした。色白で着物の引立つお駒、華奢きやしやで骨細で、どんな着物でもよく似合ふお駒が、豪華な着物を引つかけて、自分の美しさを、鏡にうつして見るのが、どんなにたまらない誘惑だつたでせう。
「私は喜んでお貸し申しました、外へ出かけるわけでなく、唯肩へ引つ掛けて見る分なら、何んでも無いことですもの。でも、私は用事があつて、一々お世話が出來ないので、お駒さんに任せつ切りで、好きなやうにさせたまでのことです」
「帶も獨りで締めたのかな」
「さうだらうと思ひます、――お鐵さんが手傳つたかも知れませんけれど」
 嫁のお玉は、チラリとお鐵の方を見ました。
「いえ、私はお勝手が忙しかつたので、何んにも存じません」
 お鐵は少しあわてゝ打ち消しました。
「あの時、鏡臺の抽斗ひきだしから、鍵を出さうと思つて、この部屋へ入つて參りますと」
「鍵を?」
「着物を入れ換へるのに、納戸なんどに置いてある箪笥たんすの鍵が入用でした」
「で?」
「部屋の中に、お駒さんが血だらけになつて轉げて居るんですもの。私はもう、どんな聲を出したかわかりません」
 お玉は極り惡さうに、でもおびえ切つて言ふのです。
「此處へ來るとき誰にも逢はなかつたのかな」
「廊下を此方へ曲つた時、何んかチラリと向うの縁側に見えたものがあるやうに思ひましたが、はつきりはわかりません」
「それは男かな、それとも女かな」
「さア」
 お玉は大きい眼を見張つて默つてしまひました。
「それから?」
「私が大きな聲を出すと、裏から枝折戸をあけて彌之助さんが入つて來ました。それから、お勝手から、お鐵さんも驅けつけてくれましたが、その時はお駒さんはもう」
 嫁のお玉は首を垂れるのです。
「その時、誰にも逢はなかつたのか」
「お勝手まで、御新造さんの聲が聞えましたので、水下駄を突つかけて、家の角を廻ると、枝折戸の方から飛んで來る彌之助さんとバツタリ顏が逢ひました」
 お鐵はなか/\の達辯で、要領えうりやうよく、その時の人の動きを説明してくれます。
「その騷ぎの前御新造は何處に居なすつた?」
 平次は、本人のお玉へでなく、よく話のわかるお鐵に訊ねました。
「お勝手の隣の四疊半で、何んか片付けものをしていらつしやいましたよ。私はお勝手の流しのところに、お仕事をして居たので、よく見えました。――そのうち、何處かへ行つた樣子で、暫らく見えませんでしたが、少し經つと戻つて來て、直ぐ又出て行つた樣子でした。すると、御自分のお部屋のあたりで、キヤツと恐ろしい聲がしたので、私は驚いて外から廻つて行きました」
「その時、私は、納戸の箪笥から、物を出さうと思つて行つて見ましたが、鍵が無かつたので、お勝手の隣の四疊半に戻つて、もう一度出直して、この六疊へ參りますと――」
 その時のことを思ひ出したらしく、お玉は美しい顏をこはばらせて、固唾かたづを呑みました。


「八、お前は近所の衆の噂を手一杯にかき集めて見ろ」
「そんな事なら、わけはありません」
 それは八五郎の本役でした。細かい調べから、符合と行き違ひを分類して、微妙な手掛りを見出すのは、八五郎の智慧では出來さうもありませんが、トボケた調子で顎を取るのは、八五郎持つて生れた才能と言つても宜かつたのです。
「それから、曲者の逃げ道と、得物を見付け度い、近所の庭を一と通り調べてくれ」
「へエ――親分は?」
「いろ/\の人に逢つて見るよ、まだわからない事だらけだ」
「それぢや親分」
 八五郎は飛んで行きました。その後ろ姿が見えなくなつた頃、平次は奧の一と間に、主人の寺西右京と相對して居りました。
「お心當りは?」
 當り前のことを訊くと、
「困つたことだが、心當りは何んにも無い」
 主人右京は苦り切るのです。
「殺されたお駒さんは、どういふ掛り合ひになります」
「私の世にある頃の朋輩ほうばいの娘ぢやよ。孤兒みなしごになつて、本國から私を頼つて來たのが二年前、それから奉公人ともなく娘分ともなく、此處に住むことになつたが」
「男との噂は?」
「無かつたやうに思ふ。尤もあの通りきりやう良しで、その上派手な氣象だつたので、近所の若い男には、隨分騷がれたが、本人はなか/\のしつかり者で、間違ひなどは無かつた筈だ」
 右京は念入りにお駒の身持を保證し乍らも、妙に言葉尻の濁るのはどうすることも出來ない樣子でした。
 平次は主人の部屋を出ると、嫁のお玉が、人影をチラリと見たといふ廊下の曲り角にかゝりました。其處からは丁字形の中廊下があつて、向うの裏口あたりがチラリと見えます。曲者が縁側からお駒を刺して逃げたとすれば、成程折よく此處へ差しかゝつたお玉の眼にチラリと姿が映つたかも知れません。
「お前さんは、彌之助さんとか言つたね」
「へ、へ」
 三十前後の少し日向ひなた臭い男が、平次の前に小腰を屈めました。不意に平次と顏を合せて、面喰つた樣子です。武家奉公をした小者が、主人が浪人すると共に、暇も取らずに用人格に引上げられたと言つた感じで、腰の低さにも、品の惡さにもその前身がよく現はれて居ります。
「お駒さんが殺された頃、何處に居たんだ」
「町へ用事があつて參りました。裏から入る積りで、路地の中の井戸のあたりまで來ると、御新造の悲鳴で、へ、へエ」
「お駒さんには、男があつたことゝ思ふが、まさか、お前さんぢやあるまいな」
 平次はズバリと言つて退けました。
「と、飛んでもない、お駒さんは氣位の高い人でございました」
「その氣位の高いために、人にうらまれてはゐなかつたのか」
「さア」
 彌之助の答は急に澁ります。
 店には、若旦那の習之進が、何やら忙しさうに仕事をして居りました。この家の主權は、主人の右京ではなくて、この伜の習之進に移つて居るやうな感じです。
 年の頃は二十二三、いかにも聰明らしい良い男でした。色白で、ポーツと頬が櫻色で、唇が薄くて、齒並びが綺麗で、手足が華奢で、芝居の色子の少しひねたといふ感じですが、こんなのは案外、したゝかな魂の持主であることは、長い經驗で平次はよく心得て居ります。
「錢形の親分だつてね、飛んだ御苦勞で」
 自分の方からお世辭を言つて、習之進はニツと微笑しました。男のくせに、非凡のこびです。聲は顏容かほかたちに似ぬバリトーンで、少し太く錆びて居りますが、それが又快く異性などに響くのでせう。
「飛んだことでしたね、――何んかお氣付きのことはありませんか」
「何んにも無い。私は丁度、此處で調べ物をして居たので」
「お一人で――」
「誰も居なかつたやうだ。父は二階でうたひか何んかやつて居られたし」
 謠や碁に凝つて居る父の右京に比べて、店らしいところで、調べ物をして居る習之進は、兎も角も働き者と言つて宜いでせう。
「お駒さんをつけ廻す男は無かつたでせうか、あのきりやうですから」
「お駒に氣のあるのは、サア、彌之助位のものだらうよ。でも、彌之助はたしなみの良い男だから、顏色にも口にも出しては言はなかつた。それより」
「?」
「お駒はお玉の着物を着て居たといふから、曲者はお玉と間違へて、後ろから忍び寄つて刺したのではあるまいか」
「成程」
 この優男やさをとこの智慧の廻るのに、平次も一寸驚いた樣子です。
「お玉が此家に嫁入する前、追ひ廻してゐる男が大分あつたといふことだ」
「例へば、どんな男でせう」
「紀の國屋の甥で、あの店に居る常吉とかいふのが、大層な執心であつたと、ツイ今も紀の國屋の主人の信兵衞殿が話されたが」
「その紀の國屋の御主人はもうお歸りで」
「いや、二階で、父と話をして居ることゝ思ふ」
「では、いづれ、お目にかゝりませう」
「そこで、常吉とやらが怪しいとは思はないのか、錢形の親分」
 習之進は追求するのです。
「一應は調べて見ますが、でも、曲者はその常吉とやらではございません」
「はて?」
 平次の言葉のひどく自信あり氣なのが、習之進を驚かした樣子です。
「何んでもないことです。滅多に見られないやうな、あんな立派や[#「立派や」はママ]ギヤマンの姿見が、部屋の中にありました。お駒さんは、窓へ後ろを向けて、鏡に向つて立つて居たのです。濡縁ぬれえんから這ひ上がつて、窓越しにお駒さんを刺すと、曲者の姿はお駒さんの前の鏡に映らなきやなりません」
「フーム」
「知つてる顏だと一應油斷もするわけですが、でも、紀の國屋の常吉が來て、後ろからヌツと顏を出せば、お玉さんでないお駒さんは、驚いて振り返るか聲を立てる筈で」
「さう言つたものかな」
 いかにも智慧の廻りさうな習之進ですが、平次に説破されて默つてしまひました。


「親分、ちよいと」
 八五郎は、あわて腐つた顏を、碧梧桐あをぎりの蔭から出しました。
「どうしたんだ、八、大層あわてゝ居るぢやないか」
「あわてもしますよ、親分、――血だらけの短刀を見付けたんですもの」
「何? 短刀、何處にあつた?」
「隣の庭のやぶの中にありましたよ。ろくに掃除さうぢをしない上に、草がひどいから、虫も蛇も出さうで、難儀な搜しものでしたよ、親分」
 八五郎はさう言ひ乍ら、少し短いが、よく切れさうな、血染の短刀を平次の手に渡しました。
「大層恩にきせるぢやないか、どれ」
 受取つて、打ち返し/\、平次は眺めて居ります。
「八寸そこ/\かな、金具は眞鍮、さめも新らしいが、ひどい血だ。おや、柄の中程に、絲がついてるぢやないか。たこ絲らしいが、二三寸のところで、切れて居る。誰のものだらう、主人が知つてるかも知れない」
「未だ話がありますよ、親分」
「ま、待つてくれ、此方が大事だ」
 平次はその血染の短刀を手拭で卷いて、二階に持つて行きました。
「おや、錢形の親分」
 主人寺西右京と話して居た、紀の國屋の主人信兵衞は、あわてゝ立上がりました。
「いえ、挨拶は後でします、どうぞ、そのまゝ、ところで、此短刀の持主を御存じでせうか」
 平次は信兵衞を押し留めて、血染の短刀を右京に見せました。
「いや、見たことの無い品だ、業物わざものらしいが、拵へは品が惡い、武家の持物ではない」
「紀の國屋さんは?」
「私はそれを知つて居る道理は無い」
 信兵衞は少し苦々しく言ひ切つて、暇乞の挨拶になるのです。
「紀の國屋さんに聽いて置き度いことがありますが?」
「はて、どんな事でせう?」
をひの常吉さんは、今日朝からお店に居るでせうか」
「何處へも出掛けなかつた筈です、――堅い商人の家では、主人か大番頭の許しが無くては、若い者が勝手に外へ出るなどといふことはありませんから、これは確かです」
「有難うございました。いや、飛んだお邪魔で」
 平次は丁寧に挨拶して階下へ降りると、八五郎は待ち構へたやうに物蔭へ引つ張つて行つて、止めどもなくまくし立てるのです。
「いやもう大變な家ですよ、此家は」
「どうしたといふのだ」
「侍だか二本差だか知らない。が、犬畜生の寄合見たいな家で」
「?」
「近所で知らない者はありやしません。あの殺されたお駒といふのは、かゝうどには違ひないが、二年も前から、伜の習之進と夫婦だつたんですぜ」
「そんな事だらうと思つたよ」
「あの生つちろいのが又、恐ろしい男で、お駒の外にもお鐵にも手を出し、二人を妾同樣にして居たが、親の右京は人間が甘くて伜の言ひなり放題だから、小言一つ言へなかつたとは腹が立つぢやありませんか。――その上習之進の野郎、お駒とお鐵に因果いんぐわを含め、御家人の株を買ふといふことにして、紀の國屋の娘を、千兩の持參付きで嫁に迎へ、當座は夫婦らしくして居たが、近頃はお駒とヨリを戻して、兩手に花の暮しだといふからしやくにさはるぢやありませんか。――くわけぢや無いが、あつしはそんな人間は大嫌ひで」
「わかつたよ、お前の腹の立つのも尤もだが、それからどうした」
「お駒がお玉に取つて代つて、習之進の本當の女房のやうな顏をして居るから、納まらないのは、あの達者なお鐵だつた相で、考へて見ると、あの女が一番怪しくなりますよ」
「ところで、彌之助がお駒に氣があつたといふのは本當か、習之進はさう言つて居るが」
「大嘘でなきや、亭主野郎の自惚れですよ。彌之助は正直眞つ當な男で、お駒とお鐵が大嫌ひなやうで――嫁のお玉の味方といふのは、この家では彌之助たつた一人かも知れませんね」
「よし/\、いろんなことがわかつたよ、ところでもう一つ、あの短刀のさやと、五六間ほどの凧絲が何處かに隱してある筈だ、それを搜してくれ、その二た品が手に入れば、下手人はすぐわかるだらう。――もう暗くなりさうだ。俺は歸るよ、八」
「へエ、あつしはまだ用事がありますがね」
「短刀の鞘と風絲を頼むぜ」
「あの良い年増のお鐵が、そつとあつしに話し度いことがあるんですつて」
「さうか、それは面白い話かも知れない」
 平次は何を考へたか、飯田町を後に、暮近い街を明神下へ歸つてしまひました。


 その晩、八五郎の使――飯田町の富がやつて來たのは、まだ宵のうちでした。
「親分、大變なことになりました、すぐお願ひします」
「何が起つたんだ」
「お鐵がやられたんです、あの年増の下女が」
「そいつは、いけない――其處までは氣が付かなかつたよ」
 平次が飛んで行くと、中坂の寺西家の前で、人立ちを追ひ散らし乍ら、八五郎は平次を待つて居りました。
「あ、親分」
 八五郎は救はれたやうに坂まで迎へます。
「どうしたんだ、八」
「油斷をしない積りで、富兄哥あにいと二人で見張つて居ましたがね。凧の絲も、短刀の鞘も見付かりやしません。そのうち戌刻半いつゝはん(九時)になつたから、お鐵との約束を思ひ出して、お勝手口へ行くと、肝心かんじんのお鐵が、井戸端で殺されて居るぢやありませんか」
「殺されて居た、確かに、か」
「見て下さい。あのお駒さんを殺した血染の短刀が、同じやうに、お鐵の背中へ突つ立つて、お鐵は流しの下に死んで居るんぢやありませんか」
「短刀を何處へ置いてあつたんだ」
「御檢死が濟むまで預つて居ましたがね、いつまでも拔身のまゝ懷中ふところへ入れても置けないから、お勝手の隣の四疊半に置くと、何時の間にか持ち出されてしまひました」
「間拔けな話だな」
「どうも相濟みません、あつしの油斷で」
 八五郎は素直にあやまるのです。
「ところで、下手人の當りはついたのか」
「まるつ切り、見當もつきません、外から來た者も無し、家の者は皆んな揃つて居るから、イヤになるぢやありませんか」
「嫁のお玉さんはどうした」
「其邊に居ますよ。――あの綺麗な新造が怪しいんですか」
「いや、念の爲だ。――兎も角、死骸は富兄哥に任せて置いて、家の者一人々々に逢つて見よう」
 平次は八五郎と一緒に、主人の寺西右京を始め、伜の習之進、嫁のお玉と順々に逢つて行きました。最後に店の隣の長四疊に居る筈の、彌之助の部屋に行つて見ると、何處へ行つたか姿は見えず、部屋の眞ん中に葛籠つゞらが引出してあつて、紙片が一枚、その上へ何やらおもりに載せて、二本燈心の行燈が淋しく照して居るのでした。
「あ、これは短刀のさやですよ、親分」
「どれ」
 成程それは、お駒とお鐵を殺した、あの短刀の鞘に間違ひもなく、その上丁寧に、細いが丈夫さうな凧絲を一とつかみほどの輪にして、これも葛籠の上に置き、半紙一枚に、甚だ下手な字で、
――二人の女を殺したのはこの彌之助に相違ない。寺西家のために、外に手だても無かつた。私は大川に身を投げて死ぬ、一片の供養を頼み入る。
彌之助
 と斯う書いてあるのでした。
「八、もう俺達に用事は無い、歸らうか」
 平次は何を考へたか、誰に挨拶をするでもなく、飯田町の夜へ出て行きます。
「親分、もう歸つて宜いんですか」
「下手人は身を投げることだらう、十手捕繩もあの世へは通用しないよ」
「へエ、――あつしには腑に落ちないことばかりですが」
「何が腑に落ちないんだ。こんな時は腑だの財布さいふだのといふ代物は、チラチラ見せびらかさないやうに、腹掛のどんぶりにでもしまつて置け」
 夜の大氣は、まだ温くはあつたが、なんとなく新凉を感じさせる爽やかさがあります。
「でも、あの時、彌之助は、お駒が殺されてから、路地を入つて來た筈ですよ」
「お前もなか/\氣がつくやうになつたぜ、その通り、お駒を殺したのは彌之助ではなかつたのさ。――我慢がなり兼ねてお鐵を殺したので、序にお駒殺しの罪まで背負つて、大川へ身を投げたことだらう」
「すると、お駒を殺したのは誰です」
「引返して縛るなんて、つまらねえ事を言はなきや教へてやる」
「親分が言ふなと言へば、地獄へ落ちて舌を拔かれるまでも言やしません」
「お駒を殺したのは、お駒のよく知つて居る女、お駒に帶を締めさしてやつて、窓を後ろにして立つて居るお駒の背中へ、そつと手を廻し、扱帶しごきを締めてやるやうな恰好で、短刀を左肩胛骨ひだりかひからぼねの下に、力一杯刺した女」
「すると」
「鏡は前にあるし、下手人も前に居る。窓は後ろだ、殺されたお駒も氣がつかなかつたわけだ。下手人はお駒が死んでしまつたのを見屆けると、かねて青桐の枝に掛けてあつた、凧絲の端に血染の短刀の柄を結び、縁側から力一杯引いた、――すると、短刀は宙に飛んで隣の庭の藪に落ち込み、凧絲は切れた、――あの邊で切れるやうに仕掛をして置いたかも知れぬ」
「下手人は?」
「千兩の持參金で、業平なりひらと言はれた男の嫁にはなつたが、男は二人も女を持つて居た。その一人などは、嫁が來て三月も經たないうちから、嫁をあんな離れた部屋に追ひ退け、自分は男の部屋に寢起して、女房のやうな顏をしたことだらう」
「へエ、あのお玉が?」
「あの女は氣象者だよ。――尤も家の中に、彌之助といふ味方も居た。彌之助はお玉に惚れて居た、お玉が可哀想でならなかつた。お玉がお駒を殺したのも無理はないと思つたことだらう。早速短刀の鞘と、お玉の使つた凧絲を隱してしまひ、その上、お鐵が、お駒殺しをお玉の仕業と睨み、今夜お前にその證據を教へる筈だつたので、先へ廻つて彌之助が殺してしまつた。――お鐵の教へる證據といふのは、多分、お玉がお勝手の隣の四疊半から、二度も出て居るが、お鐵はその後を追つてお玉のしたことを見極めたに違ひない。お玉が縁側でチラと見たといふ人影がお鐵だつた」
「へエ」
「短刀は町人の物、お玉の持つて來た守り刀だつたらう。あれを見せた時の紀の國屋の顏色は無かつたよ」
「――」
「惡いのは、寺西右京と、あの息子の習之進さ、いづれろくな事はあるまい。俺も紀の國屋の主人にそつと教へて、千兩の持參をあきらめて、無事なうちに娘のお玉を取戻すやうに、さう言つてやらう」
「――」
「サア、俺の家へ寄つて一杯つき合つて行け。お前も、間違つても、二本差がうらやましいなどと、つまらねえ氣を出すな」
「へツ、急に凉しくなりましたね、親分」
 妙に感にたえて、八五郎がブルブルツと身顫ひをするのです。
熱燗あつかんが待つて居るよ、急がうぜ」





底本:「錢形平次捕物全集第四卷 からくり屋敷」同光社磯部書房
   1953(昭和28)年5月10日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋新社
   1952(昭和27)年8月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2015年5月25日作成
2017年3月4日修正
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