錢形平次捕物控

迷子札

野村胡堂





「親分、お願ひがあるんだが」
 ガラツ八の八五郎は言ひ憎さうに、長いあごを撫でて居ります。
「又お小遣ひだらう、お安い御用みたいだが、たんとはねえよ」
 錢形の平次はさう言ひ乍ら、立ち上がりました。
「親分、冗談ぢやない。又お靜さんの着物なんかいぢや殺生だ。――あわてちやいけねえ、今日は金が欲しくて來たんぢやありませんよ。金なら小判というものを、うんと持つて居ますぜ」
 八五郎はこんな事を言ひ乍ら、泳ぐやうな手付きをしました。うつかり金の話をすると、お靜の髮の物までもねない、錢形平次の氣性が、八五郎に取つては、嬉しいやうな悲しいやうな、まことに變てこなものだつたのです。
「馬鹿野郎、お前が膝つ小僧を隱してお辭儀をすると、何時もの事だから、又金の無心と早合點するぢやないか」
「へツ、勘辨しておくんなさい――今日は金ぢやねえ、ほんの少しばかり、智慧の方を貸して貰ひてえんで」
 ガラツ八は掌のくぼみで、額をピタリピタリと叩きます。
「何だ。智慧ならあらたまるに及ぶものか、小出しの口で間に合ふなら、うんと用意してあるよ」
「大きく出たね、親分」
「金ぢや大きな事が言へねえから、ホツとしたところさ。少しは附合つていゝ心持にさしてくれ」
「親分子分の間柄だ」
「馬鹿ツ、まるで掛合噺かけあひばなし見たいな事を言やがる、手つ取り早く筋を申し上げな」
「親分の智慧を借りてえといふのが、外に待つて居るんで」
誰方どなただい」
「大根畑の左官の伊之助親方を御存じでせう」
「うん――知つてるよ、あの酒の好きな、六十年配の」
「その伊之助親方の娘のお北さんなんで」
 ガラツ八はさう言ひ乍ら、入口に待たして置いた、十八九の娘をせうじ入れました。
「親分さん、お邪魔をいたします。――實は大變なことが出來ましたので、お力を拜借に參りましたが――」
 お北はさう言ひ乍ら、淺黒いキリヽとした顏を擧げました。決して綺麗ではありませんが、氣性者きしやうものらしいうちに愛嬌があつて地味な木綿の單衣ひとへも、こればかりは娘らしい赤い帶も、言ふに言はれぬ一種の魅力でした。
「大した手傳ひは出來ないが、一體どんな事があつたんだ、お北さん」
「他ぢや御座いませんが、私の弟の乙松おとまつといふのが、七日ばかり前から行方不明ゆくへしれずになりました」
「幾つなんで」
「五つになつたばかりですが、智慧の遲い方で何にも解りません」
「心當りは搜したんだらうな」
「それはもう、親類から遊び仲間の家まで、私一人で何遍も/\搜しましたが、此方から搜す時は何處へ隱れて居るのか、少しも解りません」
 お北の言葉には、妙にからんだところがあります。
「搜さない時は出て來るとでも言ふのかい」
「幽靈ぢやないかと思ひますが」
 かしこさうなお北も、そつと後を振り向きました。眞晝の明るい家の中には、もとより何の變つたこともあるわけはありません。
「幽靈?」
「昨夜、お勝手口の暗がりから、――そつと覗いて居りました」
「その弟さんが?」
「え」
「をかしな話だな、本物の弟さんぢやないのか」
「いえ、乙松はあんな樣子をして居る筈はありません。芝居へ出て來る先代萩せんだいはぎの千松のやうに、たもとの長い絹物の紋附を着て、頭も顏もお稚兒ちごさんのやうに綺麗になつて居ましたが、不思議なことに、はかまの裾はぼけて、足は見えませんでした」
 お北は氣性者でも、迷信でこり固まつた江戸娘でした。かう言ふうちにも、何やらおびやかされるやうに襟をかき合せて、ぞつと肩をすくめます。
「そいつは氣の迷ひだらう――物は言はなかつたかい」
「言ひ度さうでしたが、何にも言はずに見えなくなつてしまひました」
「フーム」
 平次もこれだけでは、智慧の小出しを使ひやうもありません。
「私はもう悲しくなつて、いきなり飛出さうとすると、父親が――あれは狐か狸だらう、乙松はあんな樣子をして居る筈はないから――つて無理に引止めました。一體これはどうしたことでせう、親分さん」
 弟思ひらしいお北の顏は、言ひやうもない悲みと不安がありました。七日の間、相談する相手もなく、何彼と思ひ惱んだことでせう。
「お袋さんは?」
「去年の春五十八で亡くなりました。――それからとゝさんはお酒ばかり呑んで、乙松が行方不知になつても一向心配をする樣子もなく――江戸の眞ん中を『迷子の迷子の乙松やい』とかねや太鼓で探して歩けるかい、馬鹿々々しい――なんて威張つてばかり居ります」
とつつあんの伊之助親方は、たしか六十を越した筈だし、お袋さんが五十八で去年亡くなつたとすると五つになる子があるのは少し變ぢやないか、お北さん」
「拾つた子なんです」
「さうか――それで親方は暢氣のんきにして居るんだらう」
「でも、私が小さい時なんかとはくらべものにならない程可愛がつて居ました。今度だつて口では強いことを言つても、お酒ばかり呑んで居るところを見ると、心の中では、どんなことを考へて居るか判りやしません」
 お北の言葉で、次第に事件の輪廓りんくわくが明かになつて行くやうです。
「その子の本當の親元は何處なんだい」
 と平次、これは肝腎の問ひでした。
「それが解りません。五年前の夏、天神樣の門の外で拾つて來た――と言つて、白羽二重の産衣うぶぎに包んで、生れたばかりの赤ん坊を抱いて來ましたが、赤ん坊に附いて居たお金は少しばかりではなかつた樣子で、あちこちの借など返したのを、私は子供心に覺えて居ります」
「伊之助親方は知つて居るだらうな――八、こいつは一向つまらない話らしいぜ、手前てめえの智慧でもらちが明きさうだ、やつて見るがいゝ」
 平次は默つて聽き入る八五郎をかへりみます。


 それから二日目、平次が新しい仕事に喰ひ付いて居ると、氣のない顏をしてガラツ八は、歸つて來ました。
「何をニヤニヤして居るんだ、乙松おとまつの行方が解つたのか」
 と平次。
「面目ねえが、何にも判りませんよ」
「それが面目のないつらかい」
「これでも精々しをれて居るつもりなんだが、どうも可笑をかしくてたまらないんで」
「何が可笑しい」
「二日二た晩、伊之助親方と呑んで居たんだが、酒ならいくらでも呑ませるくせに、あの話となるとどうしても口を開かねえ、あんな頑固なおやぢは滅多にありませんね、親分」
「放つて置くんだな、幽靈退治はもう澤山だ」
「でもお北坊が可哀想ですよ、母親の亡くなつた後は、身一つに引受けて世話をしたんで、泣いてばかり居ますよ」
「いやにお北の事となると思ひやりがあるんだね」
「冗談でせう、親分」
 さう言ひ乍らもガラツ八があかくなつたのです。平次はそれを世にも面白さうに眺めやるのでした。
「だつて、乙松は殺された樣子もなく、肝腎の親父が呑んでばかり居るやうぢや、この仕事はお北坊のお守にしかならないよ、俺は御免をかうむらう」
「でも親分は、智慧なら貸す筈だつたぢやありませんか」
「止しだ、金なら馬に喰はせるほどあるが、今日は智慧が出拂つたよ」
「――」
「なア、八、こいつは伊之助親方が承知の上でして居る事なんだ。乙松は生みの親の手許に歸つて、伊之助はまとまつた禮を貰つたのさ、餘計な事をするだけ野暮だ。お北坊には可哀想だが、放つて置くがいゝ」
「だつて親分」
「多分馴合ひの若いのが、親の許さない子を産んでよ、始末に困つて捨てたんだらう。後で親が死ぬか何かして、幸ひ子供の拾ひ主も判つて居るから、金をやつて取戻したのさ――この筋書にはづれつこはねえよ。詮索せんさくしたところで、戻る子供ぢやねえ。それよりは、可愛がつてくれる亭主でも搜してよ、早く身を固めるやうに――とお北に言つてやるがいゝ。此處にも一人可愛がつてくれ手がありさうぢやないか。ネ、八」
「――」
 八五郎は少しなゝめになつて、プイと外へ出てしまひました。此上お北の爲に、働いてやる工夫のないのが、淋しくも張合のない樣子です。
 がそれから三日目、江戸の初夏が次第にかんばしくなつた頃、お北は顏色變へて飛込んで來ました。
「親分さん、とゝさんが、大變」
「どうした、お北さん」
「死んで居るんです」
「何?」
「昨夜到頭歸らなかつたんで。醉つても外へ泊つた事のない人ですが――、不思議に思つて居ると、今朝格子の中に冷たくなつて轉げて居ました」
卒中そつちうぢやないか」
「いえ、斬られて居るんです」
「何? 人手に掛つたのか――そいつは大變ツ」
 平次は立上がつて支度をして居ります。
「ね、親分、だから言はないこつちやねえ」
 とガラツ八。
「殺されるのが判りや俺はうらなひを始めるよ。文句を言はずにお北さんと一足先に行くがいゝ」
「それでは親分さん」
 二人は飛んで行きました。


 平次はなんとなく苦い心持でした。八五郎へはポンポン言ひましたが、せめて三日前に乘出して、伊之助を警戒して居たら、命まではられずに濟んだかも知れない――といつた淡い悔恨がチクチク胸に喰ひ込むのです。
 ――よしツ、あの娘の爲に、一と肌脱いで、敵を討つてやらう――
 大根畑の伊之助の家へ着く頃までには、何遍も、何遍も、自分へさう言ひ聞かせて居るのでした。
 伊之助は少し變り者で、あまり附き合がなかつたものか、この騷ぎの中にも、集まつて居るのはほんの五六人、叔母のお村が采配をふるつて、どうやら斯うやら、遺骸を奧へ移したところです。
 奧と言つたところで、たつた二た間の狹い家、手習机の上に線香と水を並べて、伊之助の死骸は、その前に轉がしたといふだけのことです。
「親分さん、この通りの姿になりました。敵を討つて下さい」
 氣性者らしいお北も、急に此世へたつた一人殘されたと判つたやうに、泌々しみ/″\と涙をこぼしました。
 冠せた半纏はんてんを取ると、後ろから袈裟掛けさがけに斬られた伊之助は、たつた一刀の下に死んだらしく、蘇芳すはうを浴びたやうになつて居ります。
「凄い手際ですね、親分」
 ガラツ八は後ろから首を長くしました。
据物斬すゑものぎりの名人だらう。藁束わらたばの氣で人間を切りやがる」
 平次も何となく暗い心持でした。町方の御用聞の平次には、自分では指もさせないだけに、武家の切捨御免がしやくにさはつてたまらなかつたのです。
「辻斬でせうか」
「いや、――辻斬が死骸を家まで持つて來る筈はない」
「物盜り?」
 八五郎は日頃平次に仕込まれた通り、一應常識的な疑ひを竝べます。そのくせ腹の中には、そんな手輕なものぢやあるまいと言つた、直感らしいものが根を張つて居るのです。
「何にも盜られた樣子はありません。見れば、財布もある樣ですし」
 涙の隙からお北は言ひます。
「八、財布の中を見てくれ」
 八五郎は紅に染んだ死骸の首から、財布のひもを外しました。死んだ女房が夜業よなべに縫つてくれたらしいしまの財布の中には、青錢が七八枚と、小粒で二分ばかり、それに小判が一枚入つて居るではありませんか。
「これは迷子札まひごふだですよ、親分」
「親方はもう六十だらう、迷子札は可怪しいぜ、讀んで見な」
 小判形には出來て居ますが、よく見ると眞鍮しんちうの迷子札で、
甲寅きのえとら。四月生、本郷大根畑、左官伊之助伜 乙松
 と二行に書いて、その下に十二の寅が彫つてあります。
とつさんの迷子札ぢやねえ、こいつは行方不明の乙松のだ」
「何? 乙松の迷子札? ――矢張り子供は承知の上で返したんだね」
 平次の言ふのはもつともでした。行方不明の子供の迷子札が、親の財布へ入つて居るのは、さうでも考へなければテニヲハが合ひません。
「親分さん、それは、昨夜私が入れてやつたんですよ」
 お北は變な事を言ひ出しました。
「何? そいつは話が違つて來るぜ。とつさんの財布へ五つになる伜の迷子札を入れたのは、何か呪禁まじなひにでもなるのかい」
「いえ、とゝさんが入用なことがあるから、乙松の迷子札を出せつて、手箱から私に出さして、財布へ入れて出かけたんです」
「何處へ行つたんだ」
「半刻經たないうちに歸つてくる、銅壺どうこの湯を熱くして置け――つて」
 お北はその時の事を思ひ出したらしく、又新しい涙に濡れます。
「近いな」
 平次は獨り言のやうに言つて、それからいろ/\と調べましたが、その他はなんの手掛りもありません。
 叔母のお村は四十七八、伊之助には義理の妹で、お北の知つて居るほども、事情を知らず、家の中は出來るだけ搜して見ましたが、文盲もんまうな伊之助は、書いた物といふと、毛蟲よりも嫌ひだつたらしく、大神宮樣の御札と、佛樣の戒名かいみやうより外には、何にもありません。
「捨てられた時着て居たといふ、白羽二重の産衣うぶぎは?」
 平次に取つては、これが最後の手掛りでした。
「その後は見たこともありません、多分――」
 おきたは涙を押へて、淋しく頬をゆがめました。何も彼も酒に代へる癖のあつた伊之助が、多分賣るか流すかしたことでせう。
「かうなると五年の月日は短いやうで長いな、證據らしいものは一つも殘らない」


 その日のうちに、鼻の良い八五郎は、伊之助の家を中心に、十町四方の匂ひを嗅ぎ廻りました。お北の樣子を見て居ると、斯うでもしてやらずには居られなかつたのです。
「親分、――いゝことを聞き出しました」
「何だい」
 八五郎が神田へ歸つたのは、もう夕暮れでした。
「伊之助があの晩家から出ると直ぐ、近所の居酒屋へ飛込んで、一杯引つかけ乍ら、これから金儲けに行くんだ――つて言つたさうですよ」
博奕ばくちぢやあるまいな」
「酒は好きだが、勝負事は嫌ひだつたさうで、多分大きな仕事でも請負うけおつて、手金がはひる話だらう、つて居酒屋のおやぢは言つてましたが」
「仕事の請負に、迷子札を持出す奴はないよ。八、こいつは面白くなつて來たぜ」
「へエ」
 八五郎は無關心ですが、平次の態度は急に活氣ついて來ました。
「俺はだん/\判つて來るやうな氣がする。伊之助は惡い男ぢやないが、酒が好きで、仕事が嫌ひだから、五年前捨兒に付いてゐた金を呑んだ上、かなりの借金が出來たんだらう。今度又乙松を親の手へ返して、まとまつた禮を貰つたらしいが、借金を返すといくらも殘らない――死骸の財布に二分しきやなかつた――でもう少し金を欲しいと思ふ矢先、フト思ひ付いたのは迷子札さ」
「――」
「あれを持出されると困る筋があるのを承知で、乙松の本當の親へ強請ゆすりに行つたんだらう――再々の事で、向うでも愛想あいそを盡かし、いゝ加減になだめて歸して――後をけてバツサリやつた。が、憎くて殺したわけぢやない、それに、五年も子供を育てて貰つた恩があるから、死骸だけでも持つて來て、入口から投り込んで行つたんだらう」
「見て來たやうだね、親分」
「物事はかう組み立てて考へるのが一番手つ取り早く解るよ」
 平次の異常な想像力は、その鋭い理智をたすけて、これまでも、どんなに難事件をといたか解りません。
「それだけ解りや、相手が突き留められさうなものぢやありませんか、親分」
「もう一と息だよ――お前御苦勞だが、伊之助の出入りして居るお邸で、五年前にお産のあつた家を探してくれ。白羽二重の産衣うぶぎを用意する位だから、御目見得以上の武家だ」
 平次は一歩解決へ踏込みます。
「でも、捨兒すてごだつて言ふぢやありませんか。捨兒を拾つたのなら、出入りのお屋敷とは限りませんぜ」
「大嘘だよ――捨兒とでも言つて置かなきア、世間の口がうるさかつたのさ。迷子札を持つて、半刻はんとき強請ゆすつて歸れるなら、出入りのお屋敷に決つて居る」
「成程ね――ついでに斬られた場所も解るといゝが――血糊はこぼれちや居ませんか」
「そいつは考へない方がいゝ、多分屋敷の中でやられたらう」
 八五郎は飛んで行きましたが、得意の耳と鼻を働かせて、二刻ばかり經つと、揚々と歸つて來ました。後ろにはお北がいて居ります。
「親分、判りましたよ」
「おそろしく早いぢやないか」
「お北さんが萬事心得てましたよ」
「成程ね」
 ちよいと、からかつて見ようと思ひましたが、若い娘の口を重くするでもないと思つて、のどまで出た洒落を呑込みます。
「親分さん――とゝさんの出入りの御屋敷でお目見得以上といふと、三軒しかありません。一軒は金助町の園山若狹わかさ樣、一軒は御徒おかち町の吉田一學樣、あとの一軒は同朋町どうぼうちやうの篠塚三郎右衞門樣」
 お北は父の代りに帳面をやつて居たので、よく知つて居ります。
「その中で五年前にお産のあつた家は?」
「八五郎さんでは、外の事と違つて聞出し憎からうと思つて私が一緒に歩きました。中で御徒士町の吉田樣の御孃樣百枝もゝえ樣と仰しやる方が、その頃初の御産で、嫁入り先から歸つて、御里で御産みになりましたさうです」
「取上げたのは?」
「黒門町のお元さん――それも行つて聞きましたが、肝腎かんじんのお元さんは三年前に亡くなつて、今は娘のお延さんが家業を繼いでやつて居ます。何にも知らないけれども、吉田樣のお孃樣なら六年前に、金助町の園山若狹樣に縁付き、その翌る年御里方へ歸つて若樣を産み、今でもお二人共お達者で暮してゐらつしやるさうですよ」
 お北の説明はハキハキして居ります。が、それだけの事情はよく判つても、それが乙松の失踪しつそうや、伊之助の殺された事と、何の關係があるか、容易に見當も付きません。
「吉田一學樣のところで、生れた赤ん坊を入れ換へたんぢやありませんか。何かわけがあつて、娘の産んだ子を伊之助に育てさせ、他の子を産んだ事にして、園山若狹樣の跡取にしたといつた筋書は狂言きやうげんになりますぜ」
 ガラツ八は一世一代の智慧を絞ります。
「狂言にはなるが、本當らしくないな――五年經つて、元の子を取戻したのがわからねえ」
「眞つ向から當つて見ませうか」
「俺もそれを考へて居るんだ、危い橋を渡つて見るか」
「危い橋?」
強請ゆすりに行くんだよ、一つ間違へば伊之助親方の二の舞だが」
 平次は何を思ひ立つたか、淋しく笑ひます。


「御免下さいまし」
「誰ぢや」
 御徒町の吉田一學、御徒士頭おかちがしらで一千石をむ大身ですが、平次はその御勝手口へ、遠慮もなく入つて行つたのです。
「御用人樣に御目に掛りたう御座いますが」
「お前は何だ」
「左官の伊之助の弟――え、その、平次と申す者で」
「もう遲いぞ、明日出直して參れ」
 お勝手に居る爺父おやぢは、恐ろしく威猛高ゐたけだけです。
「さう仰しやらずに、ちよいとお取次を願ひます。御用人樣は、屹度御逢ひ下さいます」
「いやな奴だな、此處を何と心得る」
「へエ、吉田樣のお勝手口で」
 どうもこの押し問答は平次の勝です。
 やがて通されたのは、内玄關の突當りの小部屋。
「私は用人の後閑武兵衞こがぶへゑぢやが――平次といふのはお前か」
 六十年配の穩やかな仁體です。
「へエ、私は左官の伊之助の弟で御座いますが、兄の遺言ゆゐごんで、今晩お伺ひいたしました」
「遺言?」
 老用人は一寸眼を見張りました。
「兄の伊之助が心掛けて果し兼ねましたが、一つ見て頂きたいものが御座います。――なアに、つまらない迷子札で、へエ」
 平次がさう言ひ乍ら、懷から取出したのは、眞鍮しんちうの迷子札が一枚、後閑こが武兵衞の手の屆きさうもないところへ置いて、上眼使ひに、そつと見上げるのでした。
 色の淺黒い、苦み走つた男振りも、わざと狹く着た單衣ひとへもすつかり板に付いて、名優の強請場ゆすりばに見るやうな、一種拔き差しのならぬ凄味さへ加はります。
「それを何うしようと言ふのだ」
「へ、へ、へ、この迷子札に書いてある、甲寅きのえとら四月生れの乙松といふ伜を引渡して頂きたいんで、たゞそれ丈けの事で御座いますよ、御用人樣」
「――」
「何んなもんで御座いませう」
「暫らく待つてくれ」
 こまぬいた腕をほどくと、後閑武兵衞、深沈たる顏をして奧に引込みました。
 待つこと暫時ざんじ
 何處から槍が來るか、何處から鐵砲が來るか、それは全く不安極まる四半刻でしたが、平次は小判形の迷子札と睨めつこをしたまゝ、大した用心をするでもなくひかへて居ります。
「大層待たせたな」
 二度目に出て來た時の用人は、何となくニコニコして居りました。
「どういたしまして、どうせ夜が明けるか、斬られて死骸だけ歸るか――それ位の覺悟はいたして參りました」
 と平次。
「大層いさぎよい事だが、左樣な心配はあるまい――ところで、その迷子札ぢや。私の一存で、此場で買ひ取らうと思ふ、どうぢや、これ位では」
 出したのは、二十五兩包の小判が四つ。
「――」
「不足かな」
「――」
「これつ切り忘れてくれるなら、此倍出してもよいが」
 武兵衞は此取引の成功をうたがつても居ない樣子です。
「御用人樣、私は金が欲しくて參つたのぢや御座いません」
「何だと」
 平次の言葉の豫想外よさうぐわいさ。
「百兩二百兩はおろか、千兩箱を積んでもこの迷子札は賣りやしません――乙松といふ伜を頂戴して、兄伊之助の後を立てさへすれば、それでよいので」
「それは言ひ掛りと言ふものだらう、平次とやら」
「――」
「私に免じて、我慢をしてくれぬか、この通り」
 後閑武兵衞は疊へ手を落すのでした。
「それぢや、一日考へさして下さいまし。めひのお北とも相談をして、明日の晩又參りませう」
 平次は目的が達した樣子でした。迷子札を懷へ入れると、丁寧にいとまを告げて、用心深く屋敷の外へ出ました。


 翌る日一日。平次はガラツ八を鞭撻べんたつして、吉田一學の屋敷と、一學の娘百枝もゝえの嫁入り先、金助町の園山若狹わかさの屋敷を探らせました。
「園山若狹樣は一千五百石の大身だ。殿樣は御病身で、世捨人も同樣だといふが、あの弟の勇三郎といふのがうるさい。うつかり町方の御用聞が入つたと判ると、どんな眼に逢はされるかも知れないよ、用心するがいゝ」
「大丈夫ですよ、親分」
 ガラツ八は探りにかけては名人でした。とぼけた顏と、早い耳とを働かせて、何時も平次が及ばぬところまで探りを入れます。
「俺はもう一度吉田一學樣の屋敷を、外から探つて見る」
 二人は手分けをして、それから丸一日の活躍を續けたのです。
 日が暮れると、神田の平次の家へ、平次も八五郎も引揚げて來ました。お北は事件の成行を心配して家を叔母のお村に頼んだまゝ、晝から此處で待つて居ります。
「親分、ひどい眼に逢ひましたぜ」
 ガラツ八は餘つ程驚かされた樣子で、報告も忘れてこんな事を云ふのでした。
「殿樣の弟の勇三郎に見付かつたらう」
「いえ、――あれは猫の子のやうな人間で、屋敷の中へまぎれ込んだあつしを見付けても、ニヤリニヤリして居ましたが、怖いのは用人の石澤左仲さちうで、いきなり刀を拔いて追つかけるぢやありませんか、いや逃げたの逃げねえの」
「ハツハツ、そいつはよかつた」
「よかアありませんよ。あんな無法な人間をあつしは見た事もない――玄關側から、木戸を押して、奧庭へ入りかけると、いきなり、コラツピカリと來るぢやありませんか。コラツは呶鳴どなつたんで、ピカリは引つこ拔きですよ」
ちうを入れるには及ばない――で、樣子は解つたかい」
「解るの解らねえのつて、はゞかり乍ら、殿樣の夜具の柄から、お女中達の晝のお菜まで判りましたよ」
「そんな事はどうでもいゝ」
「ところが、それが大切だいじなんで――殿樣は三年越の御病氣、少々氣が變だといふことですが、兎に角寢たつ切り、奧方の百枝樣はまだ若いし、若樣の鶴松樣は五つ、家の中は、ニヤリニヤリの勇三郎――こいつは殿樣の弟で、三十二三のちよいと好い男だ――それと癇癪持かんしやくもちの用人、石澤左仲の二人が切り盛りして居ます」
「――」
「ところが、十二三日前、若樣の鶴松樣が、晩の御食事の後で急に腹痛を起し、一度は引付けなすつたが、金助町では手が屆かないと言ふので、曉方用人の左仲がお伴をして、お里方へ伴れて行つた。今では御徒おかち町の吉田一學樣のところに居るが、奧方は毎日見舞ひ、弟の勇三郎も時々見舞つて居るが、いゝ鹽梅に持ち直して、二三日でけろりとなほり、今では元の身體になつたといふことですよ」
 八五郎の報告はざつと此通りでした。
「その鶴松といふ坊ちやんは、以前と少しも變らないのか」
「弟の勇三郎樣が言ふんだから、ウソではないでせう」
「顏も、物言ひも――」
「多分そんな事でせう」
 八五郎の話はこれで全部です。
「親分の方はどうでした」
「俺の方は散々のていさ。園山の坊ちやんが、來て泊つて居ることは判つたが、あとはなんにも判らねえ」
「へエ――」
 ガラツ八は少し呆氣に取られた形でした。聞込みにかけては、親分の平次もガラツ八の足元にも及ばなかつたのです。
「でも、それで見當だけは付いたよ。今晩こそ、お北さんの敵を討つてやるよ」
「――」
 どんな成算が平次にあるのでせう。


 その晩亥刻よつ過ぎ、平次は約束通り、御徒町の吉田一學屋敷へ、お北と一緒に出向きました。
「平次、迷子札は何うした。――いろ/\相談をした上、三百兩に引取りたいと思ふが、何うだ」
 後閑こが武兵衞は老巧な調子で話のいとぐちを開きました。
 今晩は打つて變つて奧の廣い部屋へ通した上、隣の部屋には二三人の人が居るらしく、何となく改まつた空氣です。
「御用人樣――いろ/\考へましたが、どうも金づくでお渡しは相成り兼ねます」
「フーム」
「兄伊之助が心に掛けた伜乙松を御渡し下さるか――」
「左樣な者は一向知らぬと申したではないか」
「では、御當家に御泊りの、園山樣若樣、鶴松樣に、この北と申すめひが御目通りいたしたいと申します。それを御叶おかなへ下されば、迷子札は相違なく差上げますが」
 平次は疊に兩手を突いて、ピタと話を進めました。明るい灯、廣々とした部屋、それを四方からあつする空氣も唯事ではありません。
「これ/\左樣な馬鹿な事を申してはならぬ。鶴松樣はもう御休みぢや」
「では致し方が御座いません、此儘引取ることにいたします」
 平次は一歩も引く色はなかつたのです。
「平次」
「ハイ」
「物事は程を越してはならぬぞ」
「存じて居ります」
「致し方もないことぢや」
 後閑武兵衞が手を上げると、それが合圖だつたものか、
「――」
 後のふすまがさつと開いて、四十五六の武家が一人、たすきを十文字に綾取あやどり、六尺柄しやくえ皆朱かいしゆの手槍をピタリと付けて、ズイと平次の方に寄ります。
「平次、覺悟せい」
 凄まじい殺氣、寸毫すんがうのたるみもないのは、此處で二人を音も立てさせずに成敗するつもりでせう。
「お、石澤左仲樣」
「存じて居るか」
「さう來るだらうと思つたよ」
「何を言ふ」
 一方からは後閑武兵衞、これは羽織だけ脱いで、一刀を引拔き、逃げ路をふさいだまゝ、肅然しゆくぜんと立つて居ります。
「これ位の事が解らなくて飛込めると思ふか、いや、御兩人、御苦勞千萬な事だ」
 平次は後ろにお北をかばつて、身體を斜に構へました。右手にもう得意の投げ錢が、何時でも飛ばせるやうに握られて居たのです。
「無禮だらう。身の程もかへりみず、御直參の大身へ強請ゆすりがましい事を言つて來るとは、何事ぢや。此上は迷子札を出さうとも勘辨はならぬ、觀念せい」
 石澤左仲の槍先は、灯にキラリと反映し乍ら、兎もすれば平次の胸板を狙ふのでした。
「御冗談でせう。そんなものに刺されてたまるものか――ね、御兩人、よつく聞いて貰ひませう。話は五年前だ。御當家から園山樣へ縁付かれた百枝もゝえ樣が、郷里の御當家に歸つて雙生子ふたごを御生みになつた」
「えツ」
 平次の言葉は、二人の用人を仰天させました。
「世にいふ畜生腹ちくしやうばら、これが縁家先に知れると、離縁にならうも知れぬ。御用人の取計らひで、その内の一人鶴松君を若樣とし、もう一人の乙松樣を、手當をして出入りの左官伊之助に貰はせ、一生音信不通の約束をした。――ところが」
 平次が此處まで説き進むと、
「默れ、其方如きの知つた事ではないぞツ」
 石澤左仲の槍は、兎もすれば平次の口をふうじようとするのです。
「どつこい待つた。あつしを殺せば、門口に樣子を見て居る子分の者が十六人、一手は園山樣の勇三郎樣に驅付け、一手は龍の口御評定所に飛込み、御目付へ訴へることになつて居るぞ。證據は迷子札――いやまだ/\澤山ある。吉田、園山兩家は、七日經たないうちに取潰される――どうだ御兩人」
「――」
 平次の言葉は、石澤左仲の癇癪かんしやくを封ずるに充分でした。
「話はそれから五年目だ――手つ取早く言へば、園山家の冷飯ひやめし食ひ勇三郎が、兄上は病弱、鶴松君を亡きものにすれば、間違ひもなく園山家の家督かとくに直れると思ひ込んで、鶴松君に毒を盛つた」
 石澤後閑兩用人の顏色の凄まじさ。


 平次は尚も、やいばの中に説き進みます。
「鶴松君はその場で死んだが、奧方と御用人は重態と言ひふらして、御里方に遺骸を運び、五年前から伊之助の子になつて言つてゐる乙松を、伊之助から取上げ、お顏が瓜二つといふほど似てるのを幸ひ、鶴松君御恢復ごくわいふくと言ひふらしたが、言葉や行儀が直る迄、尚御屋敷に留め置かれた」
「――」
「乙松樣が、伊之助とお北を戀しがつてむづかるので、夜中連れ出して、大根畑の伊之助の家を覗かせたこともある。が、その後伊之助はもう少し金が欲しくなり、殘して置いた迷子札を持つて、強請ゆすりがましく御當家へ來たのを、後のわざはひを絶つ爲、後閑こが樣が手に掛けた、――それとも、石澤樣かな」
「――」
 平次の明智は、一がうの曇りもありません。何から何まで、推理の上に築いた想像ですが、それが拔き差しならぬ現實となつて、二人の用人のきもを奪つたのです。
「さア、何うしてくれるんだ。このお北には親の敵、名乘つて尋常に勝負と言ひたいところだが、せめて詫言わびごとの一つも言ふ氣になつたらどんなものだ」
 平次の追及の益々猛烈なのを聞くと、後閑武兵衞は刀を納めました。
「平次とやら、一々尤も――其方の申すことは道理だ。金づくで濟まさうと思つた私の淺薄さを勘辨してくれ」
「――」
「この一らちは、私と石澤殿との考へたことで、殿樣も奧方も御存じないことだ――兩家の大事には代へ難かつた。許してくれ」
「後閑樣、さう仰しやるとお氣の毒ですが、御大身の直參も御家が大事なら、左官の伊之助も自分の家や命が大事ぢや御座いませんか」
「――」
「まして五年越し若樣を養育した上、蟲のやうに殺されちや浮び切れません。娘のお北の心持は一體どうしてくれるんで」
「相濟まぬ」
「相濟まぬ――で親を殺された者の心持は濟むでせうか。御用人、人間の命には、大名も職人も變りはありませんよ」
「――」
「龍の口へ訴へ出ると申したのは、決しておどかしぢやありません。あんまり沒義道もぎだうなことをされると、町人風情もツイそんな心持になるぢや御座いませんか」
 平次は少しも責手せめてをゆるめません。
「平次とやら、其方の言葉は一々胸にこたへたぞ――何を隱さう、腹黒い勇三郎樣に、御家督を繼がせる心外さに、これは皆なこの石澤左仲のした事だ。伊之助の歸途かえへりを追つかけて、斬つて捨てたのもこの私だ。後閑氏ではない」
 石澤左仲、手槍を投捨てると、疊の上にどつかと坐りました。癇癪かんしやく持だけに、生一本で正直者で、思ひつめると待て暫しがありません。
「石澤氏」
 驚いたのは後閑武兵衞でした。
「いかにもお北に討たれてやらう。命はちりほども惜しくないが――平次、これだけを聞いてくれ。大身の武家も左官の家も變りがないと言つても、家來の私から言へば、主家をつぶすわけには行かぬ」
「――」
「勇三郎樣は佞奸邪智ねいかんじやちで、をひの鶴松君まで毒害した。それを知つて園山の家督に直しては、用人の私が御祖先に相濟まぬ、――長い事は言はぬ、たつた一年、いやひと月待つてくれ。勇三郎樣の惡事をあばき、詰腹つめばらを切らせて、園山家を泰山の安きに置き、百枝もゝえ樣、乙松樣を金助町にお迎へ申上げた上、改めて名乘つて出て、縛り首なり、なぶり殺しなり、何うでも勝手になつてやる」
 石澤左仲の言葉は、一つ/\血の涙のやうでした。何時の間にやら正面の襖が開いて、園山家の百枝が、鶴松になりすました乙松を抱いて、これも涙にひたり乍ら見て居るのでした。
「親分さん、引揚げませう、――とゝさんも惡かつたんですから」
 お北も泣いて居りました。勝氣でもしつかり者でも、武士の義理堅さには、さすがに打たれた樣子です。
「よし/\、お北さんがさう言ふなら、あつしは事を好むわけぢやねえ。忠義な人達にめんじて、今晩は歸るとしよう――その代り、このお北を、金物町のお屋敷へ引取つて、若樣のお側へ置いてやつて下さい」
「それはもう、言ふ迄もない、お北とやら此處へ來るがよい」
 美しく氣高い百枝がさし招くと、お北はもう、前後も忘れて、乙松の側へ飛んで行きました。
おとや、逢ひたかつたよ」
「姉や、よく來てくれたね」
 抱き合ふ二人、言葉とがめをするのも忘れて、百枝はほゝ笑ましく眺めやるのでした。
        ×      ×      ×
「親分、敵は討つたんですか」
 大むくれのガラツ八に迎へられて、
ち兼ねたよ。見事にかへうちさ、武家は苦手だ。町方の岡つ引なんか手を出すものぢやねえ」
 平次は苦笑して居ります。





底本:「錢形平次捕物全集第十卷 八五郎の恋」同光社磯部書房
   1953(昭和28)年8月10日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋社
   1936(昭和11)年5月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2014年4月11日作成
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