錢形平次捕物控

八五郎の戀

野村胡堂





「親分、近頃つく/″\考へたんだが――」
 ガラツ八の八五郎はがらにもない感慨無量かんがいむりやうな聲を出すのでした。
「何を考へやがうたんだ、つく/″\なんてつらぢやねえぜ」
 錢形平次は初夏の日溜りを避けて、好きな植木の若芽をいつくしみ乍ら、いつもの調子で相手になつて居ります。
「大した望みぢやねえが、つく/″\大名になりてえと思つたよ、親分」
「何? 大名になりてえ、大きく出やがつたな、畜生ツ」
 平次はさう言ひ乍ら、楓林ふうりん仕立ての盆栽ぼんさいの邪魔な枝を一つチヨンとりました。
「第一、お小遣ひに困らねえ」
「成程ね、大名衆がお小遣ひに困つた話はまだ聞かねえ」
 平次もそんな事を言ふのです。植木に夢中になつて、八五郎の哲學などは、どうでもよかつたのでせう。
「お勝手元不如意と言つたところで、こちとらのやうに、八文の湯錢に困るなんてことはねえ」
「餘程困ると見えるな、八」
「へエ、お察しの通りで」
 八五郎は、ポリポリ頸筋を掻きました。
「呆れた野郎だ。大名高家を引合に出して、八文の湯錢をせびる奴もねえもんだ」
 さう言ひ乍らも平次は、お靜を眼で呼んで、あまり澤山は入つて居さうもない自分の財布を持つて來させるのでした。
「濟まねえ、親分、湯錢と髮錢と、煙草を一と玉買ひさへすりやいゝんで、――そんなに要りやしませんよ」
「まア、取つて置くがいゝ。大名ほどのぜいは出來めえが、それだけありや、町内の人參湯で一日ゆだつてゐられるだらう」
「へツ、濟まねえなア、――それぢや借りて行きますよ。ね、親分、お小遣はまア、親分から借りるとして」
「まだ不足があるのかい」
「大名の話の續きだが、――夏冬の仕着しきせにも不自由はなく」
「仕着せだつてやがる」
「質屋の出し入れがないだけでも、どんなに氣が樂だか解らねえ。その上、出入ではいりはお駕籠、百姓町人に土下座をさせて、氣に入らねえ奴があると、いきなり無禮討だ」
「氣に入つた女は、いきなりしよつ引いてお部屋樣だらう」
「そ、それを言ひたかつたのさ、ね、親分」
 ガラツ八は少し相好さうがうを崩して長いあごを撫でます。
「馬鹿野郎、又何處かの小格子の化け損ねた狐のやうなのにはまり込みやがつたんだらう」
「そんな玉ぢやありませんよ。あつしがしよつ引いて來たいのは先づ――」
「煮賣屋のお勘子だらう、ちやんと探索が屆いて居るよ。手前てめえが買ひに行くと、お煮〆にしめが倍もあるんだつてね」
「馬鹿にしちやいけません。あんな小汚いのは此方で御免だ――先づこの八五郎がしよつ引いて手活けの花と眺めたいのは――」
「大きく出やがつたな」
「横町の中江川平太夫の娘おことさん」
「わツ、助けてくれ」
 平次は大仰な身ぶりをしました。横町の中江川平太夫といふのは、北國浪人で六十幾つ、髮が眞白な上、進退不自由の老人ですが、界隈切つての物持ちで、その上、養ひ娘のお琴は、少し智慧は足りないと言はれて居りますが、見てくれだけは、凄いほどの美人でした。
 これ位の娘になると、ガラツ八とは大釣鐘おほつりがねに提灯で、どう間違つても一緒になれつこはありません。ガラツ八が冗談の題目にしたのも、平次がすつ頓狂な聲を出したのも、掛け合ひばなし程度以上のものではなかつたのです。


 その頃、神田、日本橋、下谷へかけて、通り魔のやうに荒し廻る兇賊がありました。
 仲間といふ者を持たぬ、たつた一人の仕業のやうですが、はりを渡り、ひさしを傳ひ、天窓を切破り、格子を外し、鼠かいたちのやうに忍び込んで、人をあやめ、財をかすめ、姿も形も見せずに煙の如く消えて了ふのです。
 腕も拔群ですが、何よりの特色はその輕捷けいせふな身體で、もう一つの特色は、さまたげる者は殺さずんばまない、鬼畜の如き殘虐ざんぎやく性でした。
 盜られた金は何千兩、傷けられ、殺された人も三人や五人ではありませんが、あまりの神出鬼沒ぶりに、錢形平次も手の下だしやうがなかつたのです。
 町内では、夜廻りをふやし、時候しゆん外れの火の番を置き、とびの者まで動員して、曲者狩に努めましたが、冬からの跳梁てうりやうを指をくはへて眺めるばかり、かつて曲者の姿を見た者もなく、よしんば見た者があるにしても、その場で斬られるのが落ちで、怨嗟と恐怖が、下町一パイに、夕立雲のやうにひろがつて行くのを、どうすることも出來ない有樣でした。
「親分、やられましたよ」
 八五郎が飛込んで來たのは、その翌日の朝。
「何がやられたんだ」
「中江川さんのところへ、あの泥棒が入りましたよ」
「えツ、そいつは大變だ」
 平次は羽織を引つかける隙もなく、草履を突つかけて飛んで行きました。其處からほんの二三町。
退いた/\、見世物ぢやねえ」
 ガラツ八が群がる彌次馬を追つ拂ふ中へ、平次は熱い物がさめない中に――と言つた大あわての調子で飛込んだのです。
「あ、錢形の――よく來て下すつた、この通りの始末だ」
 おろ/\するのは、主人の中江川平太夫、見事な銀色の毛を申譯ほどのまげに結つて、物を言ふ度毎に、言葉のリズムに乘つて、首がブルブルと顫へます。
「あツ、これはひどい」
 切り破られた引窓、其處からいつもの手で、紐を傳はつて、ましらの如く忍び込んだ曲者は、丁度、目を覺して飛起きた、娘のお琴を一と當て、猿轡さるぐつわを噛ませた上、雁字がんじがらめにして、其儘家中を搜したのでせう、滅茶々々にかき亂した中へ、朝の光がうら/\と射し込んで、世にも不思議な對照を見せて居ります。
 平次はまだ縛られたまゝになつて居る娘のお琴を引起すと、菜切なきり庖丁を持つて來て、バラバラと繩を切りほぐし、それから猿轡を取つて、
「何うなすつた、お孃さん、――飛んだ災難でしたね、――見たこと聞いたこと、詳しく話して下さいな」
 ガラツ八に雨戸を開けさせ、亂れた娘の衣紋まで直してやり乍ら、平次は物柔かに問ひ進みました。
「何にも知りません、――氣が付いた時は床の中から引出されて、こんなに縛られて居りました」
「引窓をコジ開ける音とか、此處へ入つて來る樣子とか、――そんなものに氣が付きやしませんか」
「いえ」
 娘は美しい顏を上げます。氣がゆるんだせゐか、耻しい姿を、平次やガラツ八の前にさらした口惜くやしさのせゐか、ポロポロと涙が、睫毛まつげを溢れて、少し蒼ざめて居りますが、それでも、存分に豐かな若い頬を濡らします。
 年の頃、精々十九、二十歳、無表情で整ひ過ぎて、少し白痴美はくちびに近い美しさですが、魂の通つた人形を見るやうで、それがまた限りない魅力でもあります。
 寢卷の上へ袷を引つ掛けて、その上からキリキリと縛られて居る樣子を見ると、曉方夢中で小用にでも起きたところを曲者に當身あてみを喰はされ、そのまゝ縛り上げられた顛倒のうちに、後も先も忘れてしまつたのでせう。
「それにしても、私が來るまで、よく繩を解かずに置いてくれました」
 平次は結び目を殘して切つた細引を、そのまゝ自分の袖に落し乍ら、中江川平太夫をかへりみました。
「何かのお役に立たうと思つてな、繩を解いたり、雨戸を開けたりしちや、證據を皆な掻き消すやうなものだから」
 平太夫は老巧らしくさう言ふのです。
「ところで、盜られなすつたのは?」
「大したことではない。當座の小遣ひのつもりで、出して置いた十二三兩と、明日本郷の地所を求める約束で、用意した手付てつけが五十兩、合せて六十二三兩ほどぢや、――そんな事で濟むなら、世間を騷がせる迄もないと思つたがな」
 大したことではないと言ふのが六十何兩、この浪人の裕福さは、かねて聞いて居りますが、八文の湯錢に困つたガラツ八は、顎を撫で乍ら平次と顏を見合せます。
「あなたは、何にも御存じなかつたので?」
 散々荒された部屋の中を見廻し乍ら、平次はこの頼み少い老人を見やりました。
「耳も眼も遠いから、滅多なことでは氣がつきませんよ、――尤も氣がついて、なまじ腕立てなどをしたら、私の身體が危なかつたかも知れない」
「――」
 心細い侍――そんな事を考へ乍らも、ヨボヨボの中江川平太夫を非難する氣にはなれません。
「こんな事を言つては變だが――いや、平次親分だから言ふが、金の在高ありだかが知れると私の命がないかも知れない。僅か六十兩や七十兩で濟めば、――」
 中江川老人はさう言つて、眞白な頭をブルブルふるはせるのでした。
 曲者の入つた跡から、逃げた出口まで、平次は入念に見廻しました。物置の後には九つ梯子はしごがあるのに、曲者はそれに氣のつかなかつたものか、物干場から物置の屋根に上り、其處からお勝手の上へ出て、引窓をコジ開けて入つたのは、この曲者の手形のやうな手順です。
 ひさしの上はほこりで汚くなつて居るのに、家の中に足跡のないのは、用心深く履物はきものを懷へでも入れたのでせう。お琴を縛つて、次の間を荒し拔いた上、主人平太夫の寢間は覗いても見ずに、其儘縁側から出たのは、年を取つても二本差などには觸れない、如何にもかしこいやり口です。
おどかすわけぢやありませんが、この樣子ぢや、もう一度入るかもわかりませんよ」
 平次は一と通り見た上で、こんな不氣味なことを言ふのでした。
「そんな事は?」
 中江川平太夫はさすがにギヨツとした樣子です。
「用心なすつて下さい」
「私はこの通り身體がきかないから、氣ばかりあせつても、何の役にも立たない。女子供ぢや、泥棒の入つた後へ來るのは氣味が惡いだらうし、――若い者ぢや、娘があるから泊めるわけに行かない。お氣の毒だが平次殿、暫らく此處へ泊つては下さらぬか、錢形の親分御宿と聞いたら、石川五右衞門でも寄り付くことではあるまい」
 そんな洒落しやれを言ひ乍らも、中江川平太夫は泣き出しさうでした。
「そんなわけにも參りませんが、どうでせう、この男を泊めて下すつちや、――年は若いが、これなら女護によごヶ島へ轉がして置いても大丈夫で」
 平次はさう言ひ乍ら、ニヤリニヤリとガラツ八の鼻を指すのです。
「親分」
 驚いたのは八五郎でした。


 その晩から、ガラツ八は中江川平太夫の家に泊り込むことになりました。家が廣いので、奧へは主人の平太夫、お勝手の側の居間にはおことが一人、ガラツ八は店を直して格子をはめた表の部屋に宵から曉方までもぐり込むことになつたのです。
 大名の話から、お琴の噂まで出た後で、ガラツ八も最初はしぶりましたが、向柳原の叔母の家に居ても、親分の平次の家に居ても、居候に變りはないのですから、結局晩酌ばんしやくと御馳走と、お琴の美しさを滿喫するのが景物で、少しは良い心持にウカウカと二三日過してしまひました。
 それは四日目の朝。
「八、兩國まで一緒に來いツ」
おうツ」
 珍らしく平次にさそはれた八五郎は、少し極り惡く中江川の家から飛出し、平次を追つて一氣に兩國まで。
「何かあつたんで? 親分」
「廣小路の酒屋へ入つたよ」
「へエ――」
「手口はいつもの通り、庇を渡つて天窓から入り、手代が一人斬られて、盜られたのは百兩ばかり」
 そんな事を言ふうちに、二人は彌次馬に取圍まれた酒屋――桝屋ますや傳七――の前に立つて居りました。
「親分さん、大變なことになりました。この通り」
 飛んで出たのは主人の傳七です。指さした方を見ると、ひさしに掛けた梯子、最初はそれを渡つて樂々と天窓をコジあけ、隣の部屋に居た手代を蟲のやうに殺して、次の間の用箪笥ようだんすから百兩餘り入つた主人の財布を[#「財布を」は底本では「財希を」]盜つて逃げた――と思はれました。
 併し、不思議なことに、此處でも、梯子は庇に掛けたまゝ使つた樣子はありません。横木に少しの泥も付いては居ず、二本の脚が、柔かい土にメリ込んでも居ず、梯子を掛けた竹の古い雨樋も、少しも傷んではゐなかつたのです。手代は、寢たまゝ喉を刺されて、夢から死への無慙な往生を遂げたらしく、凄まじい血潮の外には、何も變つたものはありません。
「この泥棒には人間の心がない」
 平次はツクヅクさう言ひました。今までの手口から見て、無耻むちで、殘酷で、手加減も遠慮もないところを見ると、どう斟酌しんしやくして考へても、人間らしい心の持主とは思へなかつたのです。
「隣は?」
「空家でございます」
「その隣は?」
輕業かるわざの小屋で」
「行つて見よう、八」
 平次はガラツ八をさし招くと、路地を拾つて、輕業小屋の裏木戸から入りました。
「御免よ、――誰か居ないのかえ」
「へエ――」
 ヌツと顏を出したのは、五十年配の人れのした男。平次とガラツ八の顏をまぶしさうに眺めます。
「此處に誰と誰が泊つて居るんだ」
「へエ――」
 五十男の顏から、不敵な忿懣ふんまんが消えると、それが次第に恐怖になつて行く樣子です。
「俺は神田の平次だ。朝早くから氣の毒だが、ツイ其處に人殺しがあつたんだ。念のため小屋に泊つてゐる男の顏を見て置きたい。皆な此處へ呼出してくれ」
「へエ――」
 錢形の平次と氣が付くと五十男はアタフタ小屋の中に驅け込みます。
 後で解つたことですが、これが木戸番の三太。その聲に應じて、ゾロゾロと出て來たのは、太夫元の權次郎、竹乘りの倉松、囃方はやしかたの喜助、それに女が二三人、朝といつても、かなり陽が高くなつてゐるのに、思ひ切つて自墜落じだらく[#「自墜落じだらくな」はママ]風を、ズラリと裏木戸に並べたものです。
「親分さん、何かよくねえことがあつたさうで」
 權次郎は四十男のしたゝかげな額を撫でて、ヒココヒヨコとお辭儀をしました。
「全くよくねえ事だよ、枡屋の手代が殺されて、百兩ばかり盜られたんだが、泥棒は此の小屋のひさしから、空家の屋根を傳はつて、枡屋の庇へおり、天窓をコジ開けて入つて居るんだ」
「へエ――」
「板庇がこはれて、木端こつぱが路地に落ちて居るから、その見當に間違ひはねえつもりだ。ところで、此の小屋の庇から、隣の空家の屋根までは一間半はあるだらう、あれだけ無造作に飛付ける人間は、此處に幾人居るんだ」
「――」
 權次郎は默つてしまひました。その後ろに蒼くなつてふるへて居るのは、竹乘りの名人倉松、地上三間あまりのところを庇から屋根へ樂々と飛移る藝當の出來るのは、輕業小屋の中にも、この男の外にはありません。
「倉松とか言つたね、竹乘りはあざやかだといふことだが、ちよいと身體を見せてくれ」
「へエ――」
 平次は、ガラツ八に眼配せすると、二人がかりで、倉松の身體を調べました。あわてゝ袢纒はんてんを引つかけて、襟も裾も合つては居ませんが、他には別に不審のかどもなかつたのです。
「昨夜寢た場所と、お前の荷物を見せて貰はうか」
「――」
 默つて案内したのは、汚い樂屋がくや。男達三四人は其處に雜魚寢ざこねをする樣子で、まだ床も敷きつ放しですが、何の變つたところも無く、倉松の荷物といふ、小さい竹行李たけがうりを、引くり返して調べたところでも、着換への袷の外には何にも出て來ません。
 平次はがつかりした樣子で外に出ました。


「親分、あてがはづれましたね」
 ガラツ八、犬つころのやうにその後に從ひます。
「外れるものか――皆な思つた通りだよ」
「だつて何にも證據はないぢやありませんか」
「證據はあり過ぎるよ」
「へエ――」
「たとへば、これだ」
 平次は裏木戸の外の一寸人目につかぬ物蔭にしやがむと、泥と血にまみれた、匕首あひくちを一ふり持つて來ました。
「おや? そいつは何處に?」
「溝板の隙間に打ち込んであつたよ」
「それぢや、あの野郎だ。しよつ引いて行きませうか」
「待て/\、少しに落ちない事がある」
 平次は元の小屋に引返すと、その匕首あひくちを皆なに見せました。
「小屋の道具でないことは確かで――第一、そんなによく切れるのは危なくて、舞臺へ持出せやしません。尤も、銘々めい/\どんなドスを隱して持つてゐるか、それまでは解りませんが――」
 權次郎の言ふことは一向取止めもなかつたのです。
「此處のし物に、繩拔けがあつた筈だが」
 平次は不思議なことを訊きます。
「それは、倉松の十八番でございますよ」
 權次郎は此上もなく無造作な調子でした。
「拔けるのは倉松だらうが、縛るのは誰だい」
「お客に縛つて頂きます。――お客が引込み思案で出て下さらない時は、三太がやりますが」
「ちよいと、此處でやつて見てくれ」
「へエ――」
 權次郎も三太も倉松も變な顏をしましたが、錢形平次の望みにそむきやうもなく、舞臺で使ふ細引を持つて來て、木戸番の三太の手で、キリキリと倉松を縛つて見せました。
「もうそんな事でよからう、拔いて見てくれ」
「――」
 倉松は何か襲はれるやうな心持らしく、引つ切なしに平次の顏を見て居ります。これが、何時、本繩に變るかも知れないと思ふのでせう。
 でも、二度平次に催促さいそくされると、藝人らしく、はつきり見得を切つて、
「え――ツ」
 氣合が一つ、繩はゾロゾロと解けて、死んだ蛇のやうに、倉松の足許に這ひます。
「御苦勞々々。それでいゝ、――飛んだ邪魔をして濟まなかつた」
 平次は、丁寧に禮さへ言つて、小屋の外へ出るのでした。
「親分」
 暫らくすると、ガラツ八はたまり兼ねた樣子で聲を掛けました。
「何だい、八?」
「倉松の野郎を縛らないんですか」
「無駄だよ」
「?」
「繩拔けの名人だ、縛るだけが野暮さ」
「へエ――」
「それに倉松は繩を拔けるのが渡世とせいで、縛る方は得手ぢやなかつたんだ」
 ガラツ八は、不服さうに頬をふくらせます。
「それより、あの娘の方はどうした?」
 平次は話題を變へました。
「娘?」
「知らばつくれちやいけねえ。中江川のお琴さんだよ。用心棒に手前を置くのは何の爲だと思ふ」
「――」
 ガラツ八の顏は見物です。
「呆れた野郎だ、若い娘と三日も四日も鼻を突き合せてゐるくせに、まだらちが明かねえのか」
「親分」
「手前は、あの娘を女房にしたいつて言つたらう。だから、俺はすゐをきかして、手前を用心棒にしてやつたのさ。中江川さんは年寄で、眼も耳も遠いから、三日經たないうちに、手前とお琴さんは、夫婦約束位出來るだらうと思つたんだ。――相惚れの仲人なかうど實は廻し者――つてね、それから俺が乘出して口をきくのさ」
 平次はそんな事を、面白さうにまくし立てるのです。
「だつて無理だよ、親分、あゝ見えても武家の娘だ」
「武家の娘が何だい、――それともお琴さんが二本差してゐるとでも言ふのかい」
「弱つたなア」
「弱ることなんかあるものか、――どうせ年寄は早寢だらう」
「そりや、宵には奧へ引込むが」
「それから手前へ晩酌ばんしやくが出るだらう、――醉つた勢ひで、何とかならないものかね」
「あれでも武家の娘だ。綺麗なだけで大した悧口ぢやあるまいと思つたが、どうしてどうして」
「手前より悧口だと解つたのかい、ハツ、ハツ、ハツ、ハツ、こいつは大笑ひだ」
 何が面白いのか、カラカラと笑ふ平次。その羽目を外した調子を、ガラツ八はムツとした心持で見詰めるのでした。


 それから三日の間に、兇賊は三ヶ所を荒し廻りました。質屋と、呉服屋と、女隱居と、――中でも末廣町の女隱居は、あんまり金を深くしまひ込んで、さすがの曲者くせものも搜し兼ねたものか、叩き起して刄物でおどかし、落しの中の石疊の下にあつた、百二十兩の小判のありかを言はせてしまひました。
 その時、曲者の姿を、おぼろ氣ながら見てしまつた女隱居は、危ふく殺されるところでしたが、曲者は曉近い外部おもての人通りに驚いて逃出し、既にやいばを喉笛に擬せられた女隱居は、危ふいところで命を助かつたのでした。
 平次とガラツ八が、朝のうちに驅け付けて、まだ驚きと怖れから癒り切らぬ女隱居の口から、一生懸命訊き出したことは言ふ迄もありません。
 女隱居は、六十前後、かつては日本橋あたりの大店おほだなの主人の圍ひ者だつたさうで、下女一人を使つて、つゝましく暮して居りました。
 昨夜は丁度下女を葛西かさいの在所に歸して、たつた一人淋しく過してゐると、夜中過ぎに、天窓をコジあけて、覆面ふくめんの大男が入つて來たといふのです。
「大男――? それは本當かい」
「へエ、大きな男でございましたよ。頭巾を冠つたまゝで、よくは解りませんが、聲の樣子ではまだ若さうで」
「下女は長く奉公してゐるのかい」
「五六年も居りますよ。大の忠義者で、まだ三十そこ/\でせう。一度縁付いたさうですが、不縁になつて私のところへ參り、もう一生動かないといつて居る位で、へエ」
葛西かさいの在から、使でも來たんだらうな」
「口上で、――母親が加減が惡いから一と晩泊りでも來るやうにと、百姓衆が言つて來ました」
「下女の知つて居る人かい」
「いえ、村の人ぢやない――と言ひました」
 こんな事は、何時まで訊ねて居ても際限もありません。いづれは僞使に決つて居るやうなものです。
昨夜ゆうべの事を、もう一度くはしく話して貰はうか」
 平次は女隱居の言葉を、くり返して檢討する積りでせう。
子刻こゝのつが鳴つてから寢付きましたから、丑刻やつ近かつたかも知れません。變な音がして眼が覺めると有明の行燈の前に、眞つ黒な男が立つて居るぢやありませんか」
「確かに男だね」
「それはもう親分さん、――飛起きて聲を立てようとすると襟頸えりくびを押へて枕に仰向に押付けられ、喉笛を脇差でピタピタと叩くぢやありませんか」
 その時の事を思ひ出したか、女隱居はゾツと身を顫はせました。
「何にも物を言はなかつたのか」
「――金を出せ――たゞそれだけです。何にも言ひません。それつきり默りこくつて、四半刻もヂツとして居るんですもの、命より惜しい虎の子だつて隱し切れるものぢやありません」
 奪ひ取られた百二十兩の惜しさが、身にみたものか、女隱居は此時はじめてポロポロと涙をこぼしました。
「聲は?」
「低い聲で、――聞いたことのあるやうな、ないやうな――」
「――」
「仕方がないから、落しの中の、石疊の下に、とらの子を隱してあることを言ひました。すると、私の胸倉を掴んだまゝ行つて、落しを開けて黄八丈の財布に入れた、百二十兩の小判を取出し、憎らしいぢやありませんか、悠々と勘定までして自分の懷ろに入れ、それから元の部屋に歸ると、もう一度脇差わきざしを拔いて、この私を――」
 女隱居は自分の喉のあたりを指し乍ら、恐怖に絶句したのです。
「それから」
「どうせ、姿を見られると、決して助けては置かない泥棒だと聞いてゐたので、私も觀念しました。――觀念したくないにも、聲が出なかつたのです。思はず念佛を稱へると、泥棒はあわてゝ私の胸倉を突放し、蒲團の中へ私を押込んで、裏口から飛ぶやうに逃出してしまひました」
「外で物音でもしたのかい」
「物音がしたかも知れませんが、私には聞えません。私はもう生きた心地もなかつたので、聞き落したのでせう。泥棒があんなにあわてたところを見ると、人聲か足音か、何か聞えたに違ひありません」
「時刻は?」
「間もなく丑刻やつ半だつたと思ひます」
「曉方と言つても、まだ人の通る時刻ではないな」
 平次はいろ/\の事を考へてゐる樣子でした。
「どうしたらいゝでせうね、親分さん。あの百二十兩を奪られてしまつては、私はもう明日から暮しやうがありません」
 女隱居は命に別條のないことをはつきり意識すると、次第に盜まれた百二十兩が惜しくなつたものらしく、頼み少ない姿で、悲歎にくれるのでした。
「泥棒はきつとつかまへてやる、――もう少し落着いて、俺の言ふことを聽いてくれ」
「――」
「泥棒の足を見なかつたかい、何をいて居たか」
跣足はだしでしたよ。尤も懷ろへ草履か雪駄を入れて居るのがチラと見えましたが」
「八、聞いたか、泥棒は履物を懷中へ入れて居たとよ。以前は泥の付いた履物のまゝ、疊の上も蒲團の上もみ荒した泥棒が、此の間から馬鹿にお行儀のよくなつたのに、手前てめえも氣が付くだらう」
「さう言へばさうですね」
 八五郎は一應うなづきました。が、それは何んな意味のあることか解りさうもありません。
「此處でも梯子はしごは使はなかつたやうだな。ところで、お婆さん、外に氣の付いたことは?」
 平次はまだこの女隱居から引出せさうな氣がしたのです。
「頭巾の下から、切り揃へた毛が少しはみ出して居たやうですよ」
「何? 頭巾の下から、切り揃へた毛? さア大變だ、八?」
 平次は躍り上がりました。
「そいつは何でせう、親分」
「たしかに女でないなら、そいつは總髮そうはつだ。總髮にしてゐる男といふと――」
「醫者か、八か、法印か――」
「しめたツ」
 平次は新しい光明を臨んで驀地まつしぐらに飛出しました。


 神田から下谷日本橋界隈に、總髮姿で身體の利きさうな男といふと、筋違すぢかひ見附外に大道易者をしてゐる、浪人大谷道軒の外にはありません。
「八、下つ引を二三人呼んで來い、相手はうんと手剛いぞ」
「大丈夫ですか、親分」
「大概大丈夫なつもりだが、――念のため筋違見附を覗いて行かう」
 二人は一氣に筋違ひ見附へ――。
 その頃筋違見附、今の萬世橋のたもとは、丸ノ内、日本橋から、上野へ、甲州街道への要路で、警戒の嚴重なところであり、人出の多いところでもありました。
 見附外の少し離れた空地、三脚の臺を据ゑ、天眼鏡を構へた易者は、時々編笠を取つて汗を拭きますが、無精髮ぶしやうがみの總髮、まだ四十そこ/\の屈強くつきやうな男です。
「八、止さう」
 平次は張り切つた肩を落しました。
「どうしたんで? 親分」
「總髮は江戸に何十人あるか解らねえ、迂濶うくわつにあの易者を縛つて、物笑ひになるのもイヤだ」
「それぢや、あの野郎の家へ行つて、家搜しませうか」
「家は何處だい」
「鍋町の源助だなで」
「いやな事だが、それも仕方があるまいな、行つて見よう」
 二人は鍋町へ引返しました。
 源助店の路地の外に、ガラツ八を見張りに置いて、道軒の家へもぐり込んだのは平次たつた一人。
 それから一刻あまり、近所の思惑をはゞかり乍ら、平次は一生一代のいやな家探しを續けました。
 何處にも、血の付いた脇差も、小判のかけらもありません。天井も、床下も、押入も、蒲團の中も見ました。
「ありませんか、親分」
 ガラツ八はたまり兼ねて入つて來ました。
「何にもないよ、浪人者にしても、念入りの貧乏だな」
「その佛壇は?」
「盜んだ金を、入口から見透しの佛壇へ入れて、御先祖樣にお目にかける奴もあるめえ、――が待てよ、外の考へやうもある」
 平次はもう一度ひき返すと、佛壇の中を念入りに見た上、下の抽斗ひきだしめるやうに調べました。
「おや?」
 抽斗を拔いて、その奧へ手を突つ込むと、何やら指先に觸れるものがあるのです。ズルズルと引出して見ると、
「親分」
 八五郎は思はず喊聲をあげました。黄八丈の財布が一つ、しごいて見ると、中から出たのは、數も百二十枚、昨夜女隱居が盜られたといふ小判にまぎれもありません。
「――」
 平次は默つて考へ込んで居ります。
「親分、見附へ行つて見ませう。氣が付いてずらかつちや一大事」
「騷ぐな八、まだ縛るには早い。去年の暮から諸方で盜つた金はどう積つても千兩以上だ。此處にあるのは百二十兩、あとの金が出ねえうちは、滅多に繩を打つわけには行かねえ」
「だつて親分」
「まア、いゝ、俺に任せて置け、――この事は人に言ふな」
 平次は黄八丈の財布に入つた百二十兩を元の引出しの裏に入れると、泥棒猫のやうに、そつと大谷道軒の浪宅を滑り出たのです。
 それから二日目。
「ところで、八」
「へエ――」
 平次のところへ行つた八五郎は、妙にくすぐつたい笑顏に迎へられました。
「あの娘はどうだえ」
「へエ――」
「まだモノにならないのか」
「ありや鑑定めがね違ひですよ、親分の前だが」
 八五郎は照れ臭く頸筋を叩きます。
「何が違つたんだ」
「あのお琴といふ娘は飛んだ喰はせものですよ」
「はてね?」
「第一、中江川平太夫の娘なんかぢやありやしません」
「へエ――」
「二三日は娘らしくして居ましたが、近頃ぢや――」
 ガラツ八は頸を縮めて赤い舌を出すのです。
まごかい、娘でなきや――」
 と平次。
「親分もどうかして居ますぜ」
 ガラツ八の鼻の穴は次第に大きくなります。
「何がどうしたんだ」
 と平次。
「不思議なことばかりで、あつしには見當も付かねえ」
「何が不思議なんだ」
「第一、あの平太夫はそんな年寄ぢやありません、髮こそ眞つ白だが」
「そんな馬鹿なことがあるものか、第一ヨボヨボして、歩くさへ不自由ぢやないか」
「でも――」
「手前氣が弱くてそんなつまらねえ事を考へるんだ。待ちな、俺が結構な禁呪まじなひを教へてやる。今晩あの平太夫の前で、あの娘をよめにくれと言つてみるんだ」
「そんな馬鹿なことが言へる道理はありません。痩せても枯れても向うは武家で、此方は唯の岡つ引だ」
「つまらねえ遠慮をするぢやないか。武家でも浪人だらう、手前は十手捕繩をお上から預かる一本立の御用聞だ」
「だつて、あの娘は、あつしの事なんか、何とも思つちや居ませんぜ」
「居ないことがあるものか。大ありの名古屋だ、畜生奴ちくしやうめツ」
「痛いツ」
 平次の手は威勢よくガラツ八の背をなぐつたのです。
「それでも文句を言ふなら、結納の代りだとか何とか、いゝ加減な事を言つて、これを見せるがいゝ」
 平次は何やら風呂敷に包んだ品を、ガラツ八に持たせるのでした。
「何です、これは」
浦島うらしまの玉手箱だ、あけちやならねえ、――耳を貸しな、少し含んで貰ひてえことがある」
「へエ――」
「たまには耳も掃除さうぢして置くんだぜ、いゝ若い者が、こんな汚い耳をして居ちや、お琴さんだつて、結構なことを囁やく氣にもなれないだらうぢやないか」


 その晩中江川平太夫の家で、大變な騷ぎが起つたのです。
 丑刻やつ少し過ぎ、いつぞや中江川平太夫が心配したやうに、兇賊が例の天窓から、二度目の襲撃をして娘のお琴を縛り上げ、部屋々々をあさつて、店に寢て居るガラツ八のところまでやつて來たのでした。
 遠い有明にすかした曲者は、ガラツ八の上に馬乘りになると、脇差の一と突き。が、その手はちうよどみました。何か見當の違つたものを感じたのでせう。
「泥棒々々ツ」
 恐ろしい聲で、後ろからわめき立てたのは、床に寢て居る筈のガラツ八です――。いや、ガラツ八は早くもこの襲撃を察し、床の中には枕と座蒲團と雜物ざふもつを入れ、自分は後ろの戸棚の蔭に隱れて、神田中に響き渡るやうな聲を出したのです。
 曲者は面喰つて立ち上りました。が、ガラツ八の大音聲にきもを潰した上、近所のざわめき始めたのに氣おくれがしたらしく、縁側の戸を開けて、パツと外の闇へ――。
「御用ツ」
 其處には錢形平次が待つて居たのです。
 火のやうな格鬪が一瞬庭に展開しました。曲者の脇差わきざしが、幾度か平次に迫りましたが、得意の投錢がそれを封じて、暫らく睨み合ふうち、家の中から助太刀のガラツ八が、大音聲と一緒に飛出して來たのでした。
        ×      ×      ×
 大盜中江川平太夫は、平次と八五郎の手に召捕られ、その夜のうちに南の御奉行所假牢かりらうに送られました。
 娘――と稱した、妾のお琴は、逐電ちくてんして行方知れず。その後の取調べで、中江川平太夫は白虎びやくこの平太と異名を取つた大盜賊で、三十臺に傷寒しやうかんわづらつて頭の毛は眞つ白になりましたが、年はまだ四十そこ/\、ヨボヨボどころか恐ろしい體術の達人で、猿のやうにはりを渡り、ひさしを飛ぶ術を知つて居たのです。
「驚いたね、親分。平太夫が泥棒と、餘つ程前から解つたんですかえ」
 ガラツ八は繪解が聞きたい樣子です。
「自分の家へ泥棒が入つたと訴へ出た時から解つたよ。智慧のある者は、自分の智慧に負けるのさ。あんな細工をしなきやまだ判らずに居たかも知れないが――町内の物持が皆なやられて、裕福と噂のある自分の家だけ無事では變だと思つたのだらう」
「あの時、何んな事がをかしかつたんで?」
「家の中に泥の足跡あしあとのなかつたのを第一番に氣が付いたよ。自分の家に泥足で入るのはイヤだらうし、それに引窓は内からこはしたんだから、梯子はしごにも及ばなかつたんだ――俺がそれに氣が付くと、あの後で入つた家へは泥の足跡を付けないやうに用心した上、梯子を一度も使はなかつた」
「へエ――」
「お琴を縛るのに、寢卷の上へあはせを羽織らしたのもをかしい。かばひ過ぎたんだ。それから繩の結び目は、植木屋や仕事師や、船乘や、岡つ引ぢやない、あれは小道具の方から來た武道の傳授でんじゆ物だ」
「へエ――」
「俺に泊つてくれと言ふのを幸ひ、手前を泊めたのは、それとなく二人の間を見張らせる爲さ。平太夫がそんなに年寄でないことや、あの女は娘でないことも俺は氣が付いて居たよ」
「――」
「俺に疑はれたと思ふと、手前に寢酒をあてがつた後で家を脱出し、兩國の酒屋に押入つて、竹乘の倉松にうたがひをかぶせたり、女隱居にわざと素足や總髮を見せて、飛んでもない方へ疑ひを外らせる工夫をしたのさ。あの女隱居はなか/\確り者らしいが、その確り者が命がけで耳をすまして居て聞えない物音を、曲者だけが聞いて逃出す筈はない。あわてた振りをして女隱居を殺さなかつたのは、後でいろ/\喋舌しやべつてもらひたかつたからだ」
「――」
「一度は易者の大谷道軒を疑はせたが、どんな馬鹿でも、前の晩盜んだ金を、戸締りもない家の佛壇の抽斗ひきだしに隱す筈はない」
「あの晩、お琴を嫁に欲しいと言はせたのは?」
「平太夫も近頃少し氣をもんで居ると解つたからだよ。何しろ八五郎といふいゝ兄さんが、女の側に居るんだからね」
「冗談でせう」
 ガラツ八も少し極りが惡さうです。
「いや、冗談ぢやない。髮の白い弱身で、それ位のことはあつた筈だ」
「あの包の中は?」
「黄八丈の財布と、手代を刺した匕首あひくちと、お琴を縛つた細引の結び目と、――それから毛の先を切つたかもじさ、それを頭巾の下に冠つて總髮そうはつに見せたんだ」
「何處からそんなものを」
「一度使つた物を、あれほどの惡黨が持つて居る筈はない。いづれは何處かへ捨てたに違ひないと思つたから、かもじ屋から新しく買つて來て、ちよいと先を切つて間に合せたのさ」
「へエ――」
 ガラツ八も開いた口が塞がりません。
「あの晩、いつもの通り飮んで寢ちや、手前の命はなかつた筈だ、――だから、惡いことは言はねえ、武家の娘などに思ひをかけるより、煮賣屋のお勘子で我慢して置くのさ、その方が命だけでも無事だぜ」
「へツ」
 ガラツ八は苦笑ひをして、ピシヤリと額を叩きました。
煮〆にしめを腹一杯食つてよ、町内のお湯を買ひ切つて三日ばかりつかつて見ねえ、こいつは大名にもないぜいだぜ」
 平次はさう言つて、カラカラと笑ふのです。





底本:「錢形平次捕物全集第十卷 八五郎の恋」同光社磯部書房
   1953(昭和28)年8月10日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋社
   1938(昭和13)年6月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2014年4月10日作成
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