錢形平次捕物控

結納の行方

野村胡堂





「親分」
「何だ八、又大變の賣物でもあるのかい、鼻の孔がふくらんでゐるやうだが」
 錢形の平次は何時でもこんな調子でした。寢そべつたまゝ煙草盆を引寄せて、こればかりは分不相應ぶんふさうおうに贅澤な水府煙草を一服、むらさきの煙がゆら/\と這つて行く縁側のあたりに、八五郎の大きな鼻が膨らんでゐると言つた、天下泰平な夏の日の晝下りです。
「大變が種切たねぎれなんで、近頃は朝湯に晝湯に留湯だ。一日に三度づつ入ると、少しフヤけるやうな心持だね、親分」
「呆れた野郎だ。十手なんか内懷うちぶところに突つ張らかして、僅かばかりの湯錢を誤魔化ごまかしやしめえな」
「飛んでもねえ、そんな不景氣な事をするものですか、――不景氣と言や、親分、近頃錢形の親分が錢を投げねえといふ評判だが、親分のふところ具合もそんなに不景氣なんですかい」
「馬鹿にしちやいけねえ、金は小判といふものをうんと持つて居るよ。それをはふるやうな強い相手が出て來ないだけのことさ」
「へツ、へツ」
「いやな笑ひやうをするぢやないか」
「その強さうな相手があつたら、何うします、親分」
「又ペテンにかけて俺を引出さうと言ふのか、その強さうな相手といふのは誰だ、――次第によつちや乘出さないものでもない」
 平次は起直りました。春から大した御用もなく、巾着切きんちやくきりや空巣狙を追ひ廻させられて、錢形の親分も少し腐つてゐた最中だつたのです。
「品川の大黒屋常右衞門――親分も知つてゐなさるでせう」
「石井常右衞門の親類かい」
「そんな氣のきかない淺黄裏あさぎうらぢやない、品川では暖簾のれんの古い酒屋ですぜ」
「フーン」
「其處の娘――お關といふのは、十八になつたばかりだが、品川小町と言はれる大したきりやうだ。手代の千代松と嫁合めあはせ暖簾を分ける筈だつたが、近頃大黒屋は恐ろしい左前で、盆までに二三千兩まとまらなきや主人の常右衞門首でもくゝらなきやならねえ」
「――」
 平次は默つてガラツ八の長廣舌に聽き入りました。この天稟てんぴんの早耳は、又何か重大なものを嗅ぎつけて來た樣子です。
「幸ひ、池の端かや町の江島屋良助の伜良太郎が、フトした折にお關を見染めた」
「あの馬鹿息子がかい」
「息子は馬鹿でも、親爺は下谷一番の金持だ。上野の御用を勤めて、何萬兩と溜め込み、金の費ひ途に困つて、庭石の代りに小判を敷いたり、子供の玩具おもちやにしたり」
「嘘を吐きやがれ」
「それは嘘だが、兎に角、伜に日本一の嫁を貰ふんだからと嫌がる大黒屋へ人橋けて口論き落し、その代り結納は千兩箱が三つ、こいつはからぢやないぜ、親分」
「大黒屋へやつたといふのか」
 三千兩の結納は、江戸の大町人のする事にしても、少しおごりが過ぎます。
「池の端の江島屋から、馬に積んで番頭と仲人なかうど夫婦が附添ひ品川大黒屋まで持つて行つて、江島屋の番頭太兵衞や、仲人の佐野屋佐吉夫妻が立ち會ひの上、三つの千兩箱を開けて見ると、こいつが皆な大粒の砂利じやりになつてゐたといふから驚くぢやありませんか」
「何だと? 八」
 錢形平次もさすがに驚きました。江戸の街の眞晝、三人も附添つて行つた三千兩の小判が、馬の背の上で砂利に化ける筈はありません。
「だから行つて見て下さいよ、――三千兩は目腐れ金だが――」
「大きな事を言やがれ」
 一兩はざつと四匁、その頃の良質の小判は一枚でも今の相場にして一萬圓位につくわけで、三千兩の値打、直譯ちよくやくして三千萬圓、經濟力は五千萬圓にも相當するでせう。三貫とも纒まつた錢を持つたことのないガラツ八が、こんなこと言ふのは洒落しやれにも我慢にもなりません。
「放つて置けば大黒屋の亭主は本當に首でもくゝるかも知れませんよ。それに、品川小町のお關を見ただけでも、飛んだ眼の法樂だ――」
「止さないか、馬鹿野郎、――品川は繩張り違ひだ」
「池の端は親分の支配しはいだ」
「支配――てえ奴があるかい、人聞きの惡い」
「兎に角行つて見ませう。人助けの爲だ」
「それぢや池の端の江島屋の方へ當つて見るとしようか」
「有難てえ、それで頼まれ甲斐があつたといふものだ」
 やうやく腰をあげた平次。ガラツ八はその後ろから、つ立て尻になつてあふります。


 池の端の江島屋といふのは、その頃上野寛永寺の御用を勤めた、老舖しにせの佛具店で、袈裟けさ法衣ころも、佛壇佛像から、大は釣鐘までも扱ひ、その上、役僧達の金融きんゆうから、上野出入りの商人の取次まで引受けて、巨萬の身上を作つた下谷一番の大町人でした。
「錢形の親分、丁度いゝところで――」
 主人の良助は、平次の顏を見ると、そのまゝ奧へ通します。
「不思議なことがあつたさうだね」
 平次は好奇心以外何にも持ち合せない調子で應へました。
「不思議だか當り前だか解りませんが、兎に角、仲人なかうどの佐野屋さん御夫婦と番頭の太兵衞が附いて、馬で送つた三千兩が品川の大黒屋に着いて、奧へ持つて行つて開くと、砂利になつて居たさうで――狐にばかされたのなら木の葉になります。相手が人間だけに、貫々を勘定して、砂利を詰め替へたのは憎いぢやありませんか」
 江島屋の口調では、大黒屋の細工と信じ切つてゐる樣子です。
「附いて行つた人達は駕籠かい、それとも徒歩かちかい」
「佐野屋のお内儀さんだけは駕籠で、あとの二人は歩きましたよ。佐野屋さんの二人は馬の前に立つて、太兵衞は馬の後から行つたさうですが――」
「途中で休むやうな事はなかつたらうか」
「番頭を呼んで訊いて見ませう」
 良助が手を鳴らすと、平次の姿を見て次の間まで來て居た太兵衞は、四十男の心得た顏を出しました。
「ね、三千兩を送つて行く途中で、馬に水を呑ませるとか、人間が息を繼ぐとか――兎も角何處かで休むやうな事はなかつたのかい」
 平次は續けました。
「飛んでもない親分さん、三千兩に間違ひがあつては大變と思ひ、三里あまりの道をわき眼もふらずに參りました。水も茶も呑むどころの沙汰さたぢやございません」
 少し頑固ぐわんこらしい太兵衞はもつての外と頭を振ります。
「何か途中に變つたところがありやしなかつたかい、喧嘩とか、出入事とか、――お前さんに突き當つて、馬から眼をらせた奴とか」
「そんなものは、御座いません、――御膝元とは言ひ乍ら、三千兩の大金をかう無事に持つて行けるんだから、本當に有難いことだと思ひました、それが――」
 太兵衞は口惜くやしさうです。子飼ひの番頭らしい一こくさで、何べん大黒屋へ呶鳴どなり込まうとしたことでせう。
「馬は何處のだい」
「町内の十一屋に頼みました。駕籠や吊臺つりだいぢや面白くないから、古風に飾り馬にしようといふ話で――」
 これ以上は何を訊ねても判りません。平次はガラツ八をうながし立てゝ、其處から一丁とも離れない、仲通りの飛脚屋ひきやくやに立寄りました。
「錢形の親分さん、――江島屋の三千兩のお話でせう、手前共もあの騷ぎにや、飛んだ迷惑をしてゐますよ」
 十一屋の親方は、平次の顏を見るとこぼし始めました。
「馬は何處に居るんだい」
「お目にかけませう、裏のうまやですが」
 案内してくれたのは、裏の大きな厩、五六頭の馬の中にまじつて、一きは美しい、鹿毛かげを親方は指します。
「こいつはいゝ馬だ、――こんなのはたんとあるまいね」
 と平次。
「武家方の乘馬にはありますが、飛脚馬ひきやくうまには勿體ない位の鹿毛ですよ。千兩箱が三つといふと精々十五六貫ですが、此暑い盛りに、三里の道を水も呑ませずに行くんだから、これ位のでなきあ安心がなりません。――ドウドウ、二本松生れの五歳のをすで、ドウ、ドウ」
 親方は鹿毛の鼻面をで乍ら、自慢半分に説明してくれます。
いて行つたのは?」
「其處に居る野郎で、――やい三次、此處へ來て挨拶をしな。錢形の親分さんが訊きてえことがあるとよ、――あれ、あんな野郎だ。頬冠ほゝかむりをしたまゝ顎をしやくるのは、手前の辭儀じぎかい」
「まあ、いゝやな、――三次兄哥あにいとか言つたね。昨日の事を少しくはしく話してくれまいか」
 平次はそれとなく、この男の樣子を觀察しました。年恰好もよく判らないほど物さびて居りますが、精々三十――どうかしたらもう少し若いかも知れません。葛飾在かつしかざいの百姓の子だといふが、それにしてもむくつけき姿です。
「江島屋の門口で旦那が指圖をして多勢の見る前で馬につけた三つの千兩箱を、品川の大黒屋の店先で、これも多勢の手でおろされ、奧へ運んで行つただけですよ」
「それから三次兄哥はどうした」
「一杯御馳走になつて、御祝儀を頂いて、いゝ心持になつて歸りましたよ」
 何と云ふ無造作なことでせう。こんな鹽梅あんばいでは、平次の鼻でも、疑はしいものは嗅ぎ出せさうもありません。
 取つて返して、江島屋の家族や雇人を一と通り調べましたが、伜の良太郎が二十五にもなつて、少し呂律ろれつが怪しいほどの足りない人間だといふことを發見しただけ。
「品川の大黒屋の方に何かあるだらう」
「直ぐ行きますか、親分」
「向うへ着くと暗くなるが、一と晩の違ひで三千兩の始末をされるのも業腹ごふはらだ。行つて見ようか」
「へエ」
 平次と八五郎は其處から品川まで、三里の道を急ぎます。


 大黒屋の前は眞黒に人立ち、此處には思ひも寄らぬ大變な事が始まつて居りました。
「えツ、默らないか、武士に向つて誘拐かどはかしとは何だ。――借金の抵當かたに、今晩は拙者が直々に伴れ歸り、内祝言ないしうげんを濟ませて、宿の妻にするのに何の不思議だ。それが厭なら、用立てた金子百五十兩、三年間の利に利が積んで、六百五十兩になる、今此處で返して貰はうか」
 威猛高ゐたけだかになるのは、三十五六の浪人、高利の金を貸して、品川一圓の憎まれ者になつて居る、澤屋利助の用心棒、大川原五左衞門といふ御家人崩れです。
「旦那、それは御無理で、澤屋さんから金は借りましたが、旦那に娘を上げるとは申しません。それに重なる災難で、昨日も三千兩の金が紛失ふんしつし、思案に餘つてゐるところでございます」
 店の板敷にひたひを押し付けぬばかり、亭主の常右衞門の聲は濡れてをりました。五十七八のまだ働き盛りですが、苦勞にやつれた痛々しさは、痩せた肩にも、そげた頬にも刻み付けられた姿です。
「――何? 娘をやる約束はしなかつた? 馬鹿も休み/\言へツ、――返濟相成兼候節は如何なる物を御取上げ候共異存無之いぞんこれなく其方そちの判をした證文が入つて居るぞ。其娘は兼々拙者所望の品だ。六百五十兩の代りに貰つて行くのが、誘拐かどはかし同樣とは何といふ言草だ」
「――」
「金は澤屋が貸したに相違ないが、その月のうちに證文はこの大川原五左衞門が買ひ取つてある、――さあ娘を渡して貰はうかい」
 五左衞門の釘拔くぎぬきのやうな腕はグイと伸びました。
「あれ――ツ」
 見ると父親常右衞門の袖の下に隱れた娘のお關は、五左衞門の手に從つて、ズルズルと引出されました。
 十八娘の美しさが、恐怖きようふと激情に薫蒸くんじようして、店中に匂ふやうな艶めかしさ。鹿の子絞り帶も、緋縮緬ひちりめん襦袢じゆばんも亂れて、中年男のセピア色の腕にムズと抱へられます。
「お願ひでございます。大川原樣、それではお孃樣が可哀想――」
 飛び付くやうに若い手代、五左衞門の腕にひしとすがります。二十三四の久松型で、主人の娘の危急に取りのぼせたのでせう。
「何が可哀想、――娘は嬉し泣きに泣いてゐるではないか」
 パツと拂つた手に彈かれて、手代は物の見事に土間に尻餅をきました。
「千代松、――長谷倉はせくら先生をお願ひして來てくれ、早く、早く」
 主人が聲を掛けると、手代の千代松は土間から外へ、まりのやうに轉げ乍ら飛出します。
「親分、入つて見ませうか」
 見兼ねて、ガラツ八は平次のひぢを突きました。
「待ちな、もう少し見た方がいゝ、――まだ宵のうちだ。二本差がどんなに威張ゐばつたつて、嫌がる女を、引つ擔いで行くわけにも行くまいぢやないか、落着いて見物するがいゝ」
 平次は、野次馬の後ろから背伸びをしてこんな事を言ふのです。
「でも、親分」
「氣が揉めるのかい、――あの娘は綺麗過ぎるから、いろ/\紛糾いざこざが起るんだよ。あの顏を見たとたんに、俺は三千兩の行方ゆくへが判るやうな氣がしたよ」
「江島屋へ嫁にやるのを邪魔する奴があるんでせう」
「シツ――お立會の衆が顏を見るぢやないか、なんて野暮な聲を出すんだ」
 二人はそれつ切り口をつぐみましたが、中の爭ひは、深刻に、執拗しつあうに續きます。
「來た/\、長谷倉先生が來たぜ、もう大丈夫だらう」
 動搖どよめく彌次馬。それを掻きわけて靜かに入つて來たのは、四十前後の立派な浪人者でした。
「御免よ、――娘を連れて行きたいが、仔細しさいはあるまいな」
「へエへエ、どうぞお召連れ下さいまし」
 長谷倉甚六郎の心持をはかり兼ね乍らも、亭主は相槌あひづちを打ちました。後ろからは手代の千代松が何やら目頭で合圖をして居ります。
「お聞きの通り、その娘は拙者が親元になつて、近々嫁入りさす筈になつて居る。無法なことを召さると容赦ようしやはいたさんぞ」
「何? 何が無法」
 大川原五左衞門はいきり立ちます。
「嫌がる娘を小脇に抱へて、無理に連れ出さうとするのは無法の沙汰ではないか」
 長谷倉甚六郎の調子は、靜かですがきつとして居りました。
「默れツ、借金の抵當かたに取つて行くのだ――其方は何者だツ、餘計な口を出すと、爲にならんぞツ」
「拙者は長谷倉甚六郎、西國の浪人者だ。十年越しこの町内に住み、うたひや碁の手ほどきから、棒振り劍術、物の本の素讀などを少しばかり教へて居る」
「貧乏浪人の長谷倉とは御手前か、――なら、口を出さぬがいゝ。これは六百五十兩といふ大金の出入事だ、――返濟相成兼候節は如何なる物を御取上げ候とも異存無之――と首と釣替の判をした證文が入つて居るのだ」
 大川原五左衞門は威猛高です。
「その物が、この娘だと言ふのか」
「いかにも」
「默れツ、――物は物、人間は人間だ。昔から人間を抵當かたに入れるのは御禁制と知らぬか」
「何?」
「如何なる物――とは讀んで字の如く物だ。其邊のたるでもかめでも古下駄でも持つて行くがいゝ。人間を連れて行くのは誘拐かどはかしも同樣ではないか、痴呆奴たはけめ
たはけと言つたな」
「それがたはけでなくて何だ。まして、拙者親元になつて、近々嫁入りさす娘だ。其方如き赤鬼にやつてたまるものか」
「己れツ」
「や、手向ひするか」
 カツとなつて斬り込む大川原五左衞門のやいば、長谷倉甚六郎身をひねつて片手拜みの手刀。
「あツ」
 ポロリと落した五左衞門の刀を取上げると、足をあげてしたゝかに腰のあたりを蹴飛ばしました。
「覺えて居れツ、證文に物を言はせるぞ」
 腰をさすり乍ら起上がる大川五左衞門。
「馬鹿奴ツ、證文の表はたつた百五十兩だ。三年で四倍半になる高利を、武士たる者が貸していいか惡いか、白洲しらすへ出て述べ立てゝ見るがいゝ」
「何を」
「それからこの腰の物は後日の爲に預り置く。商人の店先へ來て、拔身を振り廻した曲者、訴へて出れば御法通り所構ところがまへだ。それとも穩便に返して貰ひたかつたら、六百五十兩持つて來い。びたもんけても相成らぬぞ、ハツハツハツ、馬鹿な奴だ」
 カラカラと笑ふ浪人長谷倉甚六郎、まことに水際立つた男振りです。
「親分、驚いたね」
 それを見て舌を卷いたのは、ガラツ八ばかりではありません。
「手の内も見事だが、智慧者だな、フーム」
 平次も暫らくはうなつて居ります。


「錢形の親分さんで、――飛んだところをお目にかけました」
 奧へ平次と八五郎を通して、主人の常右衞門はしをれ返ります。
「いや、かへつていろ/\の事が判つたやうな氣がするよ。三千兩の始末を、もう少し詳しく聞きたいが――一體どんな經緯いきさつなんだ」
「かう言つたわけでございます、親分」
 主人の常右衞門は、心の苦惱を絞り出すやうに、かう語り始めました。
 品川一番と言はれた大黒屋が、家業の左前になつたのはツイ五六年前から。型の通り米相場で大穴をあけ、地所も家作も手放して、あと五六百兩の不足を、高利貸の澤屋利助に借り、利に利がかさんで、それがもう二千兩になつてゐるのでした。
 その證文の一枚を買ひ受けたのは、澤屋の用心棒の大川原五左衞門、半歳も前から、執念深くお關を嫁にと迫りますが、相手が惡いので大黒屋も我慢がなり兼ね、丁度江島屋からかしこくない伜を承知で嫁に來てくれるなら、三千兩の結納金ゆひなふきんを出さうと言ふのを渡りに船と、いやがる娘を説き伏せ、家の爲、親の爲、身を賣つたつもりで嫁入りするのを承知させたのでした。
 その結納金が三千兩、江島屋からは確かに出したと言ひ、此處へ着いたのは箱に詰めた砂利で、纒まりかけた縁談も滅茶々々、その噂を聞くと大川原五左衞門は、早速貸金の抵當かたにお關をよこせと乘込んで來る始末だつたのです。
「三つの千兩箱は何處で誰が受取つたんだ」
 平次は第一問を發しました。
「店で私が受取り、手代や小僧に奧――と申しても此部屋より外にありません。――此處へ運ばせて、御仲人おなかうどの佐野屋さん御夫婦、それに江島屋の番頭の太兵衞さんに一杯差上げ――」
「その間、千兩箱は」
「その床の間に置いて、四人の眼で見張つて居りました」
「一寸も眼を離さなかつたらうな――手水てうづに立つとか、何とか」
「そんな事はございません。すぐ千兩箱を開けて中味を見るのも、ガツガツして居るやうでたしなみが惡いと思ひ、四半刻ばかり經つて、汗も乾き、心持も落着いたところで、四人立會ひの上開けて見ました」
 常右衞門はゴクリと固唾かたづを呑みます。
「すると、中は砂利が一パイ詰まつて居たといふのだらう」
「左樣でございます」
「店から此處へ持つて來るとき、小判にしては輕いと氣が付かなかつたのかな」
「何分、皆な夢中になつて居りました。それに、千兩箱などは、奉公人達も持ちれて居りません」
 傾いた家運を自嘲するやうに、常右衞門の唇には、淡い淋しい笑ひが浮びました。
「この縁談をこはしたいと思ふ者があるに相違ないが――」
 と平次。
「それはもう、親の私から申しては變に聞えますが、町内だけでも、娘を欲しいといふ方は十人や二十人ぢやございません」
 お關の人氣の凄まじさ。ガラツ八はうろ/\店口の方を見て居ります。その邊から、後光でも射すんではないかと思つたのでせう。
「その中でも、一番がつかりするのは」
「手代の千代松でございます。――お關と一緒にして、暖簾のれんをわけてやる筈でしたが、かうなると、因果いんぐわふくめるより外に仕樣もございません。分けてやる暖簾がこんなでは」
「それから」
「先刻の大川原五左衞門樣も、隨分腹を立てなすつたやうで、でも、六百五十兩の金を返せば、これは文句がなかつたでせう」
「千代松は昨日何處にも出はしまいな」
「昨日も、一昨日も、しをれては居りましたが、何處へも出掛けません。――それに、あれは遠縁の子飼ひで、そんな惡いことをする人間ではないと思ひます――が」
 常右衞門の言葉が、滿更見當違ひでないことは、平次にもよく判ります。あの久松型の正直で弱さうな千代松が、三千兩を何うしようと云ふ人間とは覺えません。
「先刻五左衞門を取つて押へた、長谷倉甚六郎といふ浪人者は、ありやどんな方だい」
「立派な方でございます。町内の若い衆にいろ/\のものを手ほどきして、十年も此隣りに住んでゐらつしやいますが、あんな智慧者で、あんな立派な方はございません。――娘のお關などは、どんなに可愛がつて頂いたことか」
「すると、三千兩は何處で誰が入れ替へたのだらう」
 平次も此處まで來ると、ハタと當惑たうわくしてしまひました。
「江島屋さんが、そんな事をなさる筈もございませんが、――それでも、此處でなく、途中でないとすると――」
 常右衞門は江島屋の主人や番頭を疑つて居るのでせう。
「兎に角、本當に江島屋から出したものなら、何處かに隱されてゐるに違ひない。何とか搜し出す工夫もあるだらうから、あんまり氣を落さない方がいゝ」
 平次はさう言つて常右衞門をなぐさめずには居られませんでした。この主人は、本當に首でもくゝりさうだつたのです。
「縁談は破れたも同樣ですから、江鳥屋さんからは、明日にも三千兩の結納を返せと言つて來るに決つて居ります。その時は」
 濃い死のかげが、この中老人の額を曇らせます。
「そんなに突き詰めちやいけねえ、もう少し心情を大きく持つがいゝ」
 平次もさう言ふのが精々です。
 それから千代松に逢ひましたが、
「私は何にも存じません、――が、親分さん、旦那はあの通り、放つて置けば、氣が變になるか、死ぬか、何方にしても無事で濟みさうもありません。お願ひですから、助けてやつて下さい」
 さういふ一生懸命さが、平次を打つだけ、何の取止めたこともありません。
「お前はまさか、三千兩の行方は知つちや居ないだらうな」
「え?」
 平次の言葉は冷酷れいこくでした。
「この縁談を壞すだけならいゝが、三千兩の行方が判らないとなると、幾人もの命にかゝはるぜ」
「親分さん、それぢや、――私が、この私が隱したと言ひなさるんですか」
 千代松の唇はサツと白くなります。
「さうは言はないが――」
 平次は煮え切らない返事をして背を見せました。
 次に逢つたのはお關、これは恐怖と心配にさいなまれて、たゞ、ひた泣くばかり、何を訊いてもらちがあきません。
「私は何にも知りません、――でも、とうさんは氣の毒です。どうか、助けて下さい、親分さん」
 さう言ふだけ。
「千代松が怪しいとは思はないか、お關さん、この男はこの縁談を一番打ち壞したがつて居る樣子だが――」
「そんな事はございません、――千代松は氣の弱い正直者です。そんな大それた事をする千代松ぢやございません」
 千代松のことゝなると、お關は必死と涙の顏をふり上げます。
 平次とガラツ八は、これつ切りで大黒屋を切り上げました。これ以上ねばつたところで、何の目星も付きさうにはなかつたのです。
 引揚げ際に、砂利を詰めた三つの千兩箱を見せて貰ひたいと言ふと、千代松は裏の物置に案内してくれました。
「旦那は見たくもないと言つて、此處に投り込みました。――この通り」
 かぎも何にもない物置の中に、砂利じやりを詰めた千兩箱が三つ、ガラクタと一緒に投げ込まれてあつたのです。
 物置の外へ出ると、ポツポツ雨が降り出して來ました。隣の長谷倉甚六郎の浪宅からは、何やら素讀そどくを教へる聲。
「八、大急ぎで歸らうぜ」
 平次は何となく淋しい心持で往來に飛出しました。金に支配されて、泣く者、怒る者、命まで投げ出さうとする者、その種々相が、江戸つ子で貧乏で、三兩も三千兩も同じやうに考へてゐる平次には腹立たしかつたのです。


 翌る日の朝、――
 卯刻むつ半前に八五郎は叩き起されました。
「八、今日も歩くんだぜ」
「へエ――何處まで行くんで」
「まあ、默つて來るがいゝ」
 平次は池の端の江島屋へ待つて、番頭の太兵衞をさそひ出したのです。
「番頭さん、品川の大黒屋には、怪しいのは一人もねえ、――仲人なかうどの佐野屋夫婦は、馬の先に立つて歩いてゐるし、千兩箱には手も掛けないから、これは疑ひやうはねえ」
「すると」
 太兵衞はくすぐられるやうな不安に顏を上げました。
「一番損なのはお前だよ、番頭さん」
「へエ――」
「金は途中で拔かれたに違ひないが、馬の後から歩いて來たお前が知らなきや何うかしてゐる。馬を曳いて行つた三次とお前が馴れ合へば、小判を砂利に變へられない事もない」
「冗談でせう、親分さん、私は――江島屋の子飼で、白鼠しろねずみといはれた私が、そんな馬鹿なことをするものですか」
 太兵衞はいきり立ちます。中年者らしい頑固さが、相手の身分も、事情も忘れさせるのでせう。
「それぢや、池の端から品川へ行つた道筋を一昨日の通り歩いて見てくれ。――どんな細かい事でも思ひ出して、話すんだ」
「行きませう。かうなりや、唐天竺からてんぢくまでも參りませう」
「そんなに遠くまで行くには及ばない」
 平次はこんな調子で、到頭尻の重い太兵衞をおびき出したのです。
 池の端仲町の江島屋の門口に立つた三人は、
「さあ行かう、俺は佐野屋の代りに一番先だ、八は馬だ、一番後は一昨日の通り番頭さん――」
 一歩踏み出しました。加藤織之助樣屋敷の角を御數寄屋おすきや町へ――。
「どんな事でも言はなきやなりませんか」
「どんな事でも、石つころにつまづいたことでも、犬に吠えられた事でも」
 平次はうなづいて見せます。
「此横町から出て來て、私に道を訊いた人がありましたよ」
 いくらも歩かないうちに、――御數寄屋町と同朋町の間の、狹い横町を太兵衞は指します。
「どんな人間だ」
「浪人風の男で、――顏は忘れましたが、ひたひに古傷のあつたことだけ覺えて居ます。元黒門町の上總かづさ屋へ用事があるが、何處を何う行けばいゝか――と丁寧に訊くから、小戻りして教へて上げましたよ。上總屋は此處から見えませんが、少し戻ると、それ、よく見えるでせう」
 太兵衞は小戻りして元黒門町の方を指さします。
「その間に馬は?」
「佐野屋さんの後ろから、門奈かどな傳十郎樣の御屋敷前を、天神下へ曲りました」
「一寸の間見えなくなつたわけだね」
「ほんの一寸、煙草一服ふ間もありません。私は大急ぎで追つ驅けたんですから」
「江島屋のすぐ前でやつたのは恐ろしい智慧だ」
 平次は何を考へたか、その邊の路地を二つ三つのぞいてもう先へ進まうともしません。
「此處で千兩箱の中の小判を砂利じやりに詰め替へたといふんですかい、親分」
 太兵衞はムツとした樣子です。
「――」
「そんなひまがありやしません。私は馬から十間とも遲れなかつたんだ」
「――」
 平次は併しそれには應へようともしません。
「親分」
 ガラツ八は平次の顏に動く表情から、事の重大さを讀みました。
「十一屋へ行つて見よう、多分駄目だらうが」
 と平次。
 三人は飛脚屋ひきやくやの十一屋へ取つて返しました。
「親方、三次は? 昨夜から歸らないだらう」
 飛込んだ平次。
「醉拂つて歸りましたが、今朝はまだ起きて來ませんよ。昨夜勝負しようぶ事でかしたやうで」
「大急ぎで逢ひたい。その寢てゐるところへ案内してくれ」
「へエ――」
 十一屋町親方は不承々々に立上がりました。三人を案内して、うまやの後ろへ廻ると、其處は中二階になつて、三次の萬年床がむしろの蔭に敷いてあります。
「三次、もう辰刻いつゝだぜ、起きろ、――錢形の親分が、手前に逢ひてえとよ」
 ヒヨイと筵をかゝげた親方。
「あツ」
 一ぺんにのけぞりました。
「何だ/\」
 覗けば、馬方の三次、飼糧切かひばきりの中に首を突つ込んだまゝ、紅に染んで死んで居たのです。
「親分、こりや大變なことになりましたね」
「こんな事だらうと思つたよ」
 忙しく死骸を起しましたが、くびを半分切落されて、冷たくなつた三次から、何にも手繰りやうはありません。
「こんな腕節の強い野郎の首を、飼糧切りに押し込むなんて、人間業ぢやありませんぜ」
 舌を卷くのは親方です。
「醉つて居たんだらう。着物は泥だらけだ――」
「さう言へば、馬鹿に當つたとか言つて、フラフラし乍ら歸つて來たやうだが――」
 解つたのはそれ丈け、其邊中を搜して見ると、小判が一枚小粒が二つ三つ落散つてゐましたが、それが多分三次の命を奪つたゑさの殘りでせう。
「行かう、八、今度は品川だ」
 平次は切り上げて、白日の中へ飛出しました。


 品川の大黒屋へ待つて、昨夜家を開けた者はないか――と訊いて見ると、主人常右衞門始め、手代の千代松も、その他の奉公人も、宵からしめつぽく引き籠つて、一人も出た者はないとわかりました。
「お關さんにちよいと逢ひたいが」
 平次は最後の切札を出すより外に工夫はありません。
「親分さん、御用は?」
 美しいが、おど/\するお關、その顏を平次はヂツと見ました。
「お關、――人間が一人殺されたよ。――この縁談を打ち壞してくれ――と、誰に頼んだ」
「――」
「言つてくれ、――三千兩の大金は、人一人を氣違ひにする。――早く言つてくれなきや、此上とも騷ぎが大きくなるぜ」
 平次は、事件の火元ひもとをお關と見たのです。これほどの美しい娘が、涙乍らに頼んだとしたら、どんな恐ろしい事が起るか、よく解るやうな氣がしたのです。
「私は何にも存じません、親分さん」
 お關の眼の清らかさ。
「それは本當か」
 平次の當惑さは一と通りではありません。
「親分、千代松を當つて見ませう」
 ガラツ八は口を出しました。
「いや、千代松にこれ程のことは出來ない」
 平次は頸をひねつて居ります。
「それぢや、これだけ聞かしてくれ、――一昨日をとゝひのあの時刻に、三千兩の結納が馬で來るのを知つて居たのは誰と誰だ」
「それなら申上げられます、とうさんと千代松と」
「それから」
「あとは奉公人達も知りません」
「若しや、お隣の浪人には話さなかつたか」
長谷倉はせくら樣には、御心配して頂いて、ツイ愚痴ぐちを申しました」
「有難う、それ位でよからう」
 平次はお關に別れて外へ出ると、そつと店の小僧を物蔭に呼出しました。
「小僧さん、昨夜お隣の御浪人のところに素讀の稽古があつたかい」
「夜は休んだやうですよ、頭痛づつうがするとか言つて」
「さうだらう、頭痛のするやうな晩だつたよ」
 平次はガラツ八を眼でさし招くと、
「八、いゝか、今度は命がけだよ」
 そつと囁きます。
「何をやらかすんで」
「俺と一緒に來るがいゝ」
 眞つ直ぐに入つたのは、言ふまでもなくお隣の浪人者、長谷倉甚六郎の門口です。
「御免」
「ドーレ」
 破れた障子を開けて、狹い土間へ顏を出したのは、主人長谷倉甚六郎自身でした。尤も天にも地にもたつた一人暮し、取次も、主人も兼帶けんたいの貧乏浪人でもあつたのです。
「長谷倉さん、少し殺生が過ぎましたネ」
 平次はズバリと言つて退けました。
「な、何を申す」
「三千兩はお關さんが可哀想だから隱したのでせう。それは解りますよ。江島屋の馬鹿息子へ、あの娘をやる位なら、あつしだつて馬子まごおどかして、同じ鹿毛かげ馬を仕立てさせ砂利を詰めた千兩箱を脊負はせて、天神下の角でアツといふ間に入れ換へる位の藝當はやりますよ」
 平次は遠慮もなくまくし立てます。
「無禮者ツ、何を言ふのだ」
おどかしつこなしに願ひませう。――額に古傷を描いて、番頭の太兵衞に道を訊き、ちよいと馬から遲らせたのは旦那のめえだが、大した働きだ」
「默れツ、無禮者ツ」
「だが、三次を殺したのはやり過ぎですよ。旦那、人の命さへ取らなきア、この平次は眼をつぶつてあげたのに」
おのれツ」
 何時の間に拔いたか、長谷倉甚六郎の手にひらめく一刀、平次の肩先へ電光の如く浴びせるのを、引つ外して懷へ入つた右手、それがさつと擧がると、得意の投げ錢、七八枚の四文錢が、續けざまに飛んで、――二つ三つは除けましたが、幾つ目かは甚六郎の額を打ち、あごを打ち、ひぢを打ちます。
「御用ツ」
「神妙にせいツ」
 平次の袖の下を掻いくゞつて飛込む八五郎、その鼻の先へ白刄がス――ツとなびくと、上りがまちの破れ障子はピシリと閉ぢられました。
「八、拔かるな」
「合點」
 飛込む二人。が、一歩遲れました。長谷倉甚六郎は。入口の二疊に大胡坐おほあぐらをかくと、肌おしひろげて、一刀をわれとわが腹に突つ立てゝ居たのでした。


「氣の毒なことに、お關を助けるつもりでやつた細工だ。最初は大した惡氣わるぎがなかつたらう」
「――」
 平次は長谷倉甚六郎の死體を片手拜みに、しめつぽくかう言ふのでした。
「そのうちに、あんまり器用に三千兩を隱したので、これほどの人も慾が出た。――お關の嫁入りを邪魔するつもりで隱した三千兩だが、あんまり自分の智慧がたくましかつたので、ツイ、三千兩を隱し了せる氣になつた。馬子の三次を眠らせさへすれば、誰知る者もあるまいと思つたのが間違ひ――」
「もう一人、代りの馬を曳いて天神下で待つて居た相棒があつた筈ぢやありませんか」
「それは多分、かなりの金を貰つて、その晩のうちに遠方へ逃げて了つたらう。三次は江戸の酒と女とさいころに引かされて踏み止つたばかりに飼糧切かひばきりの中へ首を突つ込まれた」
 平次の明察に曇りはありません。
 が、三千兩の金の隱し場所は、死んだ長谷倉甚六郎の口からでも聞かなければ、容易に解りさうもなかつたのです。
 甚六郎の浪宅は、ほんの二た間、めるやうに搜しましたが、三千兩はおろか、三兩のたくはへもありません。
「こいつは驚いた。三千兩は何處へ消えたんだ」
 ガラツ八は根氣よく見て廻りますが、日が暮れるまで見付かりません。
 そのうちに檢屍も濟み、隣の大黒屋の主人や、日頃娘のやうに可愛がつて貰つたお關も來ました。死體の始末をして、かねと燭臺を出す積りで小さい佛壇を開けると、中には金色燦爛さんらんたる豪華な佛具が一パイ。
「おや、これは、私の家の物置に預つてある品だが――」
 常右衞門の顏は不思議でした。
「それはどういふわけで?」
「長谷倉さんは昔は大した御身分で、お國許では大きな佛壇を持つて居られたが、浪々の身ではそんな佛壇を裏長屋に置くわけにも行かないと仰しやつて、大きな茶箱に佛具を一パイ詰め、お位牌、燭臺一つ、香爐かうろ一つ殘したあとは、皆な私の家の物置に預けて置きましたよ」
「成程、その物置にある筈の佛具が此家の佛壇へ一パイ詰つてゐるのが不思議だといふわけだね」
「へエ――」
 話はそれつ切りでしたが、通夜僧つやそうが來て讀經が濟むと、
「御主人、一寸」
 平次は常右衞門を呼出しました。
「へエ、――何か御用で」
 けゞんな顏をする常右衞門とガラツ八に提灯ちやうちんの用意をさせて、つれ込んだのは、大黒屋の物置、砂利を詰めた千兩箱が三つ、淺ましく投り出された中に三人は立ちました。
「自分の家でないとすると、大黒屋に隱すのが一番確かだ。長谷倉といふ浪人は智慧者だね」
「へエ――?」
 平次の言葉は謎のやうです。
「長谷倉甚六郎からあづかつたといふ、佛具の箱は?」
「あれですよ、親分」
 主人の指した茶箱、簡單に掛つた繩を拂つて開けると、中には千兩箱が三つ、ふたを開くと、三千枚の小判が、さんとして灯の下に光ります。
「あツ」
 常右衞門とガラツ八は、思はず聲を呑みました。
「御主人、この金は江島屋へ返すがいゝ。三千兩で賣つちやお關さんが可哀想だ、――千代松は婿むこにして不足はない男だ。――借金は働けば返せるだらう。無法な利息は、お上へ屆出て、何とかして貰へるだらう」
 平次は小判の光と、驚き呆れる常右衞門の顏を見比みくらべ乍ら、泌々しみ/″\とかう言ふのでした。





底本:「錢形平次捕物全集第十卷 八五郎の恋」同光社磯部書房
   1953(昭和28)年8月10日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋社
   1937(昭和12)年7月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2014年4月10日作成
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