錢形平次捕物控

五つの命

野村胡堂





「親分、變なことがあるんだが――」
 ガラツ八の八五郎がキナ臭い顏を持ち込んだのは、まだ屠蘇とそ機嫌のぬけ切らぬ、正月六日のことでした。
「何が變なんだ、松の内から借金取でも飛込んだといふのかえ」
 錢形の平次は珍らしく威勢よく迎へました。ろくな御用始めもないので、粉煙草ばかりせゝつて、心待ちに八五郎の來るのを待つてゐたのです。
「借金取や唐土たうどの鳥には驚かねえが、――こいつは全く變ですぜ、親分」
「だから何が變だと言つてるぢやないか」
「一町内の子供が五人、煙のやうに消えて無くなつたのは、變ぢやありませんか、親分」
 ガラツ八の小鼻は、天文を案ずるやうにふくれます。
「子供が五人揃つて消えた?――そいつはまゐりだらう」
 平次は事もなげです。その頃子供達がさそひ合せて、親の許しを得ずに、伊勢詣りの旅に出ることがよく流行はやりました。伊勢詣りとわかれば箱根の關所もやかましいことは言はず、先々の宿も舟も、何彼と便宜べんぎを與へてくれる世の中だつたのです。
「七つから九つまでの子供ですぜ、その中には女の子が二人居ますよ」
「成程そいつは少し變だな」
「その上、夕方かごめ/\か何んかやつて遊んでゐて、不意に見えなくなつた。菅笠すげがさ柄杓ひしやくも仕度をする間がありませんよ」
 どんな無鐵砲な拔け詣りも、それ位の用意はあるべき筈です。
神隱かみかくしかな」
 平次は何時の間にやら、坐り直して居りました。
「そんなものはあるでせうか、親分」
 人間が不意に見えなくなつて、何日か何年かの後、ヒヨツクリ現はれるのを、昔は羽黒や秋葉の天狗てんぐのせゐにして、これを神隱しと言つたのです。その中には誘拐いうかいや、迷子や、記憶きおく喪失さうしつや、借金逃れもあつたでせうが、昔の人はそんな詮索せんさくをする氣もないほど鷹揚だつたのでせう。
「――」
「神や佛が、そんなむごたらしい事をする道理は無いぢやありませんか、ね親分。五人の子供の親達の歎きは、見ちや居られませんよ」
「――」
「何んとかしてやつて下さいよ」
「何處だえ、それは? 何時のことなんだ」
 平次はやうやく乘出しました。
「本郷の菊坂で」
「フーム」
「三日前、よく晴れた夕方でしたよ。胸突坂むなつきざかの下で遊んでゐた町内の子供が五人、何度へ潜り込んだか、暫らくの間にき消すやうに見えなくなつたんですつて――」
「遊んでゐたのを、誰が見て居たんだ」
「空地で遊んでゐたのを、多勢の人が見て居ましたよ。もつとも一番後で五人の子供が空地の隅つこ一とかたまりになつて話してゐるのを見たのは、鑄掛屋いかけやの權次といふ、評判のよくない男で」
「それがどうしたんだ」
「鍋鑄掛が一とわたり濟んで、空地にひろげた店を片付けてゐると、五人の子供達が、何にかおびえたやうに、ひとかたまりになつてしやべつて居たさうです。權次はそれつ切り中富坂の家へ歸つたから、後は何んにも知らないと言ふんで」
誘拐かどはかしかな」
「五人の子供を一ぺんに誘拐かどはかす工夫はありませんよ。おどかしたつて、だましたつて、人目につかないやうに、何處へもつれて行けないぢやありませんか」
「――」
「五羽の軍鷄しやもだつて、人に知らせずにそつと始末するのはむづかしいでせう」
 ガラツ八は躍起やつきとなつて抗辯しました。これがまる二日考へ拔いた智惠だつたのです。
「近頃外に人さらひの話はなかつたのかな、――綺麗な子をさらつて人買ひに賣るといつた」
 人買ひといふ世にも殘酷な惡人が、その頃はまだ根絶こんぜつしてゐなかつたのですが、さらはれるのは、男も女も、必要の上から、必ず綺麗な子に限られて居たのです。
「親分、そいつはあつしも考へたが、五人の中で綺麗なのはお光といふのがたつた一人だけ、あとは念入りにきた[#「きたい」はママ]子ばかりですよ。人さらひだつて、あれぢやみがきやうがないと、親達が言ふんだから嘘ぢやありません」
「子をさらつて置いて、金にする手もあるぜ、そいつは一番憎いが、――そんな樣子はないのか」
「三日經つが、何んとも言つちや來ません。もつとも揃ひも揃つて貧乏人の子ばかりだから、一兩づつ出せと言つてもむづかしい位で、あんなのぢや商賣になりませんよ」
 ガラツ八は大きな手を振りました。
「其處まで氣が付けば、あとは俺が行つても調べやうはあるまい、――兎に角四宿じゆくかためて、江戸から持ち出させねえやうにするが宜い、それから大川筋が一番臭い、船を虱潰しらみつぶしに調べることだ」
「その手配はして置きましたよ、菊坂の富五郎親分が一生懸命で」
「外に工夫はあるまいよ、――それから、五人揃へて遠くへ連れて行くのはむづかしからう。――近所の菓子屋で近頃變つた客がないか訊いて見るが宜い。子供五人音を立てさせないやうにして置くには、少し位の菓子ぢや間に合ふまい」
「へエー」
「何んか變つたことがあつたら、そつと教へてくれ。宜いか」
「へエー」
「お前の手柄になりさうだ、――五人の子供を助けるのは、功徳くどくにもなるぜ」
 平次の激勵げきれいを背後に聽いて、ガラツ八は出かけて行きました。事件には充分に好奇心を持ち乍ら、ガラツ八の手柄にさせる氣で、平次は暫らく神輿みこしをあげないつもりでせう。


「親分、だから言はないこつちやない」
 ガラツ八が旋風せんぷうのやうに飛込んで來たのは、七草粥なゝくさがゆがすんだ翌る日でした。
「何をあわててるんだ。格子で鼻面を打つたり、彌造をこせえたまゝ人の家へ飛込んだり、第一、突つ立つたまゝ話をする奴があるかい」
「だから、親分は困るぢやありませんか、昨日ちよいと顏を出しや、人一人死なずに濟んだかも知れない」
「誰が一體死んだんだ、落着いて話せ、八」
「あの娘の弟ですよ」
 振り返ると入口にしよんぼり立つて、十八九の美しい娘が、中の樣子に氣を兼ね乍ら、時々湧き上がる涙をいて居るのです。
「何處の娘さんだか知らないが、門口へ立つて泣いてゐちや氣の毒だ。早く中へ入れるが宜い」
 平次が立上がる迄もなく、早くも裏口から廻つた女房のお靜は、泣きれる若い娘を、抱き上げるやうにして家の中へ入れてやりました。
 少し眼を泣きらして居りますが、初々しいうちにしつかり味のある娘で、至つて粗末な身なり乍ら、好みも上品に、顏形もよく整つて、何んとなく人好きのする風情があります。
「一體どうしたといふのだ、話して見るが宜い」
 平次は靜かに問ひ進みました。
「お新さんといふんですよ。九つになる弟の信太郎と八つになる妹のお光と、二人一緒に行方不明になつて、母親と散々心配してゐると、一昨日の晩ヒヨツクリ信太郎が歸つて來て――」
「何? 歸つて來た、――あの五人組の一人だな」
「――何をいても言はねえ樣子を見ると、三日の間、子供心にもどんなに心配したものか、さいの河原から逃げ返つたやうにやつれて居るが、何處へ行つてどうしてゐたか、なだめても、すかしても言はねエ」
「それから何うした」
「とに角、夜更けでもあり、本人がおびえ切つて、雨戸を開けるのさへこはがるから、萬事は夜が明けてからとして、親子三人一室へ床を敷いて、トロトロとするともう朝だ。母親は食事の仕度をして、お新さんは町役人やら、一緒に子供の見えなくなつた家へ知らせて歸ると、不思議なことに、六疊に寢て居た筈の信太郎は見えない」
「フーム」
 八五郎の話すのを聽き乍ら、お新は又ドツと湧き上がる新しい涙にひたつて居ります。
「また大騷動になつて、町中探したが見えない、一日ひと晩騷ぎ疲れて、今朝になると――」
 ガラツ八もさすがにゴクリと固唾かたづを呑みました。お新はもう疊の上に突つぷして、聲をあげて泣いてゐるのです。
「どうしたといふのだ」
 平次もツイ乘出します。
「殺されてゐたのですよ、――むごたらしく。死骸は五日前に五人の子供達が見えなくなつた、空地の枯草かれくさの中に捨ててあつたが」
 ガラツ八はこれだけ説明して口をつぐみました。その時お新は涙を拭いて、やうやく口をはさんだのです。
「親分さん、それにまだ妹のお光が歸つて來ません。助かるでせうか」
 こんな心配にさいなまれて、お新はガラツ八と一緒に、平次へすがりに來たのでせう。
「そいつは氣の毒だ、俺の力に及ぶことなら何んとかしよう。もつとも、弟さんが歸つた晩、すぐ手を廻せば、何んとかなつたかも知れないが、ひと晩のおくれは大變なことになつたのだよ」
「私共の手落ちでございました、親分さん。母もそればかり言つて、あきらめ兼ねて居ります」
 お新はさう言つて又泣くのです。


 平次は直ぐ菊坂へ出かけました。現場もよく調べ、御用聞の富五郎にも逢つて、いろ/\聽き出しましたが、八五郎が報告した以外には、何んの手掛りもありません。
 行方不明になつた子供は五人、お新の弟信太郎と妹のお光、それに孫吉といふのが八つ、三次といふのが七つ、お留といふのが六つ、いづれも荒物屋の子、駄菓子屋の子、日雇取ひようとりの子で金を目當てにさらはれる筈もなく、お新の母親のお豊は武家ぶけの後家で、少しはたくはへもあるやうですが、長い間賃仕事をして、これも細々とした暮しです。
 菊坂の空地といふのは、胸突坂むなつきざかの下から本妙寺の裏に續いた荒れ地で、子供の遊び場と町内の埃捨場ごみすてばになつて居る。何んの變哲もない場所で、其處には捨井戸も穴もあるわけはなく、五人の子供を音も立てさせずに隱せる道理はありません。
「この通りだ親分、――四宿も船も手の屆く限り調べさせたが、この十日あまり、江戸からろくな猫の子を持出した者もありませんよ」
 八五郎はすつかり持て餘し氣味です。
 一軒々々、子供の家を訪ねましたが、五日あまりの心配に打ちひしがれて、何を訊いても一向らちがあきません。最後にたどりついたのはお新母娘の家。
「親分さん、此上は娘のお光だけでも無事に歸りますやう、――お願ひ申上げます」
 武家の出だつたといふ母親のお豊も、たゞおろ/\と泣くばかりです。
 平次は一應信太郎の死骸を見せて貰ひました。九つといふにしてはがらの小さい、ひ弱さうな子ですが、その代り智慧の方はよく廻つたらしく、眼鼻立もキリリとして、死骸の可愛らしさは涙をさそひます。
 のどのあたりに大きくあざの殘つてゐる外着物に取亂した樣子のないのが、何にか知ら合點の行かないものがあります。
「此着物は五日前からズーツと着て居たのかな」
「いえ、一昨日の晩歸つて來た時、あんまりひどい樣子をしてゐるので、着換きかへさせました」
 お新はすぐ應へました。
「その着物を見せて貰はうか」
「ハイ」
 立ち上がつて、押入から袖疊そでだたみにした子供の着物を出して、平次の前に押しやります。
「フーム」
 平次がうなつたのも無理はありません。着物はまだ眞新しいのですが、ひどくほこりと泥とに汚れて、所々には蜘蛛くもの巣が引掛つて居る上、幾つかの鉤裂かぎざきまでこさへてあるのです。
 ひと通り眼を通すと、平次はその着物を熱心にぎ始めました。
「何んか匂ひがあるんですか、親分」
 ガラツ八も大きな鼻をうごめかします。
「この匂ひは何んだと思ふ――」
「?」
「良いかをりだらう、線香の匂ひにも似て居るが、馬糞線香まぐそせんかうぢやない」
 二人は顏を見合せるばかりでした。
「こんな匂ひを何處かで嗅いだことがありますよ」
「思ひ出してくれ、頼むから」
「へエ――」
 ガラツ八の鼻の穴は、何んか遠い記憶きおく辿たどるやうに天を仰ぎました。
「ところで、誰かにうらまれてゐるやうな心當りはないのかな、――元は身分の方だつたと聽いたが」
 平次はうら淋しく佛の前にうづくまる母親に訊きました。
「いえ、それはもう二十年も前のことで、――それも輕い身分でございました。夫に別れて七年になりますが、人樣に怨まれる覺えは御座いません」
 さう言はれる迄もなく、こんな人柄な母子を、怨んで居る者があらうとも思はれません。
「親分、あの菓子屋の方も本郷から小石川中調べましたが、變つたことはありませんよ」
 ガラツ八は口をはさみます。
「よし/\、菓子やあめでつなげるのは半日やひと晩だけさ。五人の子供を六日も七日も隱すのに、そんな細工ぢや駄目だ、あれは俺の考へ過ぎだつたよ。ところでお前は權次とか言ふ男に逢つたのか」
鑄掛屋いかけやの權次でせう、逢ひましたよ」
「案内してくれないか」
「あの野郎は天道樣の當るうちは、野天に陣を張つて鍋鑄掛なべいかけをやつてゐるから、何處に居るかわかりやしません」
「家は何處だ」
「中富坂で、――行つて見ませうか」
「兎も角も當つて見よう」
 二人は其處からほんのひと丁場の中富坂まで行つて見ました。


「何んにもない」
 鑄掛屋權次の家へ踏込ふみこんで、ひとわたり家搜しした平次は、さすがに呆れ返つてほこりだらけになつた手を叩きました。
「打つ飮む、兩刀遣ひだから、ろくな行火あんくわもありやしません。飛んだくたびれまうけで」
 八五郎も苦笑するばかりです。木枯の吹いた後の雜木林のやうな淋しい世帶は、八五郎の巣よりも慘憺さんたんたるものです。その日菊坂の空地に鑄掛の仕事をして居た權次が、事件に何んかの關係を持つてゐるかも知れないと思つた平次の感は、これで見事に外れました。此處には行方不明になつた五人の子供はおろか、五匹の鼠も住んぢや居ません。
「親分」
 一寸外へ出た八五郎は、面喰めんくらつたやうに飛んで歸りました。
「何んだ」
「權次は眞砂まさごつ原に居ますよ、近所の人が見て來たさうで」
「行つて見よう」
 二人は眞砂町まで引返したことは言ふ迄もありません。
「あれだ、親分」
 遠くから指されるのも知らずに、鑄掛屋の權次は、近所から集めた鍋や釜を六つ七つ並べた中に、フイゴをゑて、煙草を輪に吹いてゐるのでした。まさに『鍋鑄掛すてつぺんから煙草にし』といつた圖です。
「おい、權次」
「あツ、錢形の親分」
 平次はその前に立ちはだかりました。顏を擧げたのは四十五六のし固めたやうな男、貧乏摺びんばふずれがして、猿のやうな眼が、ずるさうにまたゝきます。
「あの日のことを、もう一度くり返してくれ。お前の口から聽きたいんだ」
「へエ、何べんでも繰返くりかへしますが、大したお役に立ちやうもありませんよ、親分」
「そんなことはどうでも宜い」
「へエ」
 權次はペラペラと繰返しました。今から六日前の夕刻、菊坂の空地で仕事をして居ると、近所の子供達が五六人で、面白さうに遊んで居ましたが、そのうちに薄暗くなつて、仕事仕舞にして立ち上がると、今まで空地一パイに飛廻つてゐた子供が、すやうに見えなくなつた――といふのです。
「それに間違ひあるまいな」
「へエ」
「本當に掻き消すやうに見えなくなつたのか」
「へエ――、神隱しか何んかでせうな、あれは。その時は大した氣にもかけませんでしたが、あとで五人の子供衆が歸つて來ないと聽いて、ゾツとしましたよ」
「それから菊坂の空地へ行かないのは、どういふわけだ」
 平次は何時の間にやら、そんな事まで搜つて居たのです。
「あすこは良い仕事場でしたが、あの事があつてから、氣味が惡くて行く氣になりませんよ」
「大層氣が弱いんだな」
「へエ、今日も仕事を休んで歸らうと思ひますよ。この近所の衆があつしの顏を見て、こんなに仕事を持つて來てくれましたが、フイゴがそんじて仕事が出來ません」
 こんな事で一向要領を得ぬまゝ、平次は引揚げなければならなかつたのです。何時まで待つても權次は仕事を始めさうもありません。
「八、あの權次の身持をよく搜つて見てくれ。大した役に立たないかも知れないが、念のためだ」
「親分は?」
「俺はあの子供の着物の匂ひを突きとめに行くよ」
「へエ――」
もつとも何處へ行つたものか、俺にも見當はつかないよ。香木屋かうぼくやかな、香道の先生かな、それとも寺方かな」
 平次も首をひねつて居ります。


 その翌る朝、もう一度ガラツ八が飛込んで來ました。
「親分、大變ツ」
「サア、到頭來やがつた、お前が飛込んで來さうな日和ひよりだと思つたよ」
 平次は空模樣などを見乍ら、からかひ氣味に言ふのです。
「落着いてゐちやいけませんよ、本當に大變なことになつたんで」
「子供達が歸つたのか」
「そんな事なら驚きやしません、又菊坂に人殺しがあつたんですよ」
「何? 又菊坂に? 誰が殺されたんだ」
鑄掛屋いかけやの權次」
「よし、行つて見よう」
 平次は十手を懷中にねぢ込むと、もう立ち上がつて居りました。其處から菊坂までは、ほんのひと飛び。
 鑄掛屋の權次は、かつて五人の子供が行方不明になつた空地の眞ん中ほどに、あけに染んでこと切れて居たのです。
 菊坂の富五郎とその下つ引達、町役人まで顏を揃へ、むらがる彌次馬を追ひ散らして居りましたが、平次の顏を見ると、富五郎はホツトした樣子です。五人の子供のうち一人は殺され、四人はそれつ切り行方不明で、次第につのる町内の非難やら、八丁堀のお叱りやらで、つく/″\氣が滅入めいつて居たのでせう。
「お、錢形の、この通りだ」
「どれ/\、恐ろしく出來た腕だ」
 平次は死骸を引起して舌を卷きました。
「權次はやくざ附き合ひをして、評判の惡い男だつた。なんか盆茣蓙ぼんござの間違ひぢやあるまいか」
 富五郎はそんな事を考へて居るのです。
「いや違ふ、富五郎兄哥あにきの前だが――この手ぎわを見てくれ。やくざ劍術は刀を引き乍ら斬るから、傷口は手前が下がる。まして權次は逃げるところを後ろからやられたんだ。相手がやくざ者なら背中の方がもつとけて居る筈だ、――ところが、權次は背後から斬られて居るくせに、切先が胸の方へ下がつて居る、これは据物斬すゑものぎりの名人の腕前だ。突つ込むやうに、前下がりに斬つた傷だ」
 据物斬りの口傳くでんを平次は聽覺えて居たのです。武士は突き出すやうに斬り、やくざは引き乍ら斬る。劍道には此二つの型――劃然くわくぜんたる上品下品の型のあることを平次は思ひ出したのでした。
「すると?」
 富五郎は四方を見廻しましたが、其處には寺方も武家屋敷もあり、何事を目當に搜しやうもありません。
 權次の懷を探りましたが、百も持つては居ず、手拭に包んで腹掛の底にひそませたのは、ひと束のかぎだけ。權次は鍵や錠前ぢやうまへの直しもやつたのですから、これも商賣道具の一つと言つてしまへばそれまでです。
「八、もう一度中富坂へ行つて見よう、――俺は見落したものがあるやうな氣がする」
 平次は八五郎に合圖をすると、其處そこは其儘にして、もう一度權次の家へ行つて見ました。
「此處には何にもありませんぜ、親分。此間天床裏から床下まで見たぢやありませんか」
「いや、もうお前を床下へ入れるまでもあるまい」
 平次は家の中へ入ると、いきなり商賣道具のフイゴに手を掛けました。
「そのフイゴは損じて居ると言つたやうですね」
「それを思ひ出したんだ――この通りだ。持ち上げて見るが宜い」
「へツ」
 八五郎は小さいフイゴに手を掛けましたが、何が入つて居るのか、容易よういに動きません。
「かまはないから打ちこはして見ろ」
「へエ」
 平次とガラ八が一と骨折つて頑丈ぐわんぢやうなフイゴこはしました。中から出たのは、ザクザクと眞新しい小判、ざつと小千兩もあるでせう。
「これだ、八」
「どこから持出したでせう」
「言ふ事が變だと思つたら、この野郎は五人の子供の隱された穴を知つて居たんだ」
「穴ですか」
「香木のある穴だ。伽羅きやらだか、沈香ぢんかうだか知らないが、とにかく、名香をしまつてある穴だ。來い、八」
「へエ――」
 平次とガラツ八は、フイゴと小判を町役人に預けて、もう一度引返しました。


 二つ三つ心當りを搜つて、菊坂の空地に引返すと、もう夜でした。富五郎も町役人も引上げて、その邊一帶不氣味に靜まり返つて居ります。
「此邊に大名屋敷はあるかい、八」
「ありますよ、本郷の通りへ出ると百萬石の加賀樣、春日町へ下ると水戸樣だ」
「そいつは少し遠過ぎる、もう少し近いところはお前ぢやわかるまい。近所の人を一人呼んで來てくれ、なるべく年寄としよりが宜いな」
 やがて八五郎は近所の老人を一人つれて來ました。それに同じことを訊くと、
「菊坂の北は本多美濃守みののかみ樣、阿部伊豫守いよのかみ樣」
「それから」
「菊坂をはさんで小役人、御家人の屋敷が二三百あつて、西には松平右京亮うきやうのすけ樣、南には松平伊賀守樣のお下屋敷があります」
「そんな事かな」
 平次は少しがつかりした樣子です。
「外にはありませんよ」
「八、下つ引を五六人飛ばして、其邊の大名屋敷を片つ端から訊かせるんだ。盜賊は入りませんかと――いや待て/\――大名屋敷に伽羅きやら沈香ぢんかうがあるのは不思議はないが、大名が町家の子供を五人もさらつて行く道理はない――それにお新の弟の信太郎は、一度は無事に歸つてゐる。あの子を殺したのは武家ぢやない――權次を斬つた人間とは別だ」
「すると?」
「待つてくれ、外に此邊に大名屋敷はないのかな」
「ありませんよ」
 近所の老人は答へました。
「伽羅や沈香は、こちとらの家にある品ぢやない――ところで、鑄掛屋いかけやの權次は空地のどの邊に店を張つて仕事をして居るんだ。大體場所がきまつて居るだらう、炭の斷片かけらか、鐵屑かなくづがある筈だ。――此邊か、よし/\。此處から、子供達の遊んで居た場所を見て居たとする。おや? あれは何んだ」
 平次は空地の向うの隅にある粗末な土藏――月の光にほのかに光るのを指しました。
「去年お取潰しになつた、讃州さんしう丸龜まるがめの山崎志摩守しまのかみ樣の御下屋敷跡ですよ。土藏一つだけ殘つて居ますが、あれはひどい雨漏あまもりで、山崎樣御盛の頃拂下げになり、取こはすつもりで、そのまゝになつて居ります」
 町の老人が説明してくれました。
「持主は?」
「誰にも分りません。中にたぬきんで居るの、大蛇が居るのつて、不氣味な噂が立ちますが、誰の物とも分らないので、手のつけやうがありません」
「開けてくれまいか」
「それは困りますよ、親分」
「あとは俺が引受けた。兎も角中を見よう」
 平次はもうその土藏の前に立つて居ります。
「大丈夫ですか、親分」
 ガラツ八は心配さうに覗きました。
「大丈夫だとも、五人の子供を遠くへ持つて行ける筈はない。生きてピンピンして居るんだ。此土藏に氣の附かなかつたのは俺の手ぬかりさ――權次のふところに鍵の束があつたな、あれを借りて來てくれ」
 やがて錢形平次は、ガラツ八が借りて來た鍵の束の中から合ひさうなのを搜し出して、錠前にガチヤガチヤやつて居ります。
「親分、不意に内から切つて出たらどうします」
 ガラツ八はそつと袖を引きました。
「馬鹿野郎、曲者くせものが中へ入つて自分で鍵がかけられるか、それよりお前の後ろを見ろ」
「あツ」
 ガラツ八が身をかはすのと、白刄がひらめくのと、そして平次の手から投げ錢が飛ぶのが一緒でした。
「曲者ツ」
 平次は早くも左手に十手を拔き出します。右手には高々と構へた、四文錢が一枚。
「無禮者ツ、誰に斷つてその錠前を開ける」
 曲者は一刀を脇構わきがまへに※(「口+它」、第3水準1-14-88)しつたしました。恐ろしく精悍せいかんな感じのする中年男です。
「四人の子供の生命を助けるのだ、誰に斷ることがあるものか」
おのれツ」
 サツと斬りつけて來るのを外して、平次の手から、二枚、三枚、錢が飛びます。宵月はありますが、どんな手練も、夜氣をつんざいて飛ぶ錢を受けようはありません。
おのれ」
 曲者はこぶしを打たれ、頬を打たれ、ひたひを打たれ、あごを打たれてひるむところへ、平次はすきを見て體當りをくれました。
「野郎ツ」
 後ろからはむずと組みつく八五郎の怪力。
「八、その野郎は俺一人で澤山だ。早く土藏を開けて。中を見ろ、四人の子供が死にかけて居るに違ひない」
「合點ツ」
 八五郎はパツと土藏の中に飛込むと、平次の手を逃れて、曲者もそれに續きます。
「八、氣をつけろ、曲者が――」
 平次が聲をかける間もありません、土藏の闇の中では、八五郎と曲者との必死の闇試合が始まつて居るのです。
        ×      ×      ×
 その間に騷ぎを聞いて、町役人ととびの者が驅け付けました。幸ひ曲者の刀は、平次の投げ錢に奪ひ取られて、八五郎の剛力はそれを組み伏せたところへ、洪水こうずゐが土藏一パイに照らし出したのです。
 中には幾つかの唐櫃からびつと長持。
「四人の子供が居る、一つ殘らず開けて下さい」
 平次の號令に、唐櫃も大長持も一つ/\開かれました。
 中から出て來るのは、おびたゞしい骨董こつとう、金銀、香木。
「あツ、これはどうだ」
 何千兩とも、幾萬兩とも知れぬ大判小判の波の中に、町役人はたゞ驚きの聲をあげるばかりです。
「子供は居ない」
「そんな筈は無い、もう少し見て下さい」
 殘る長持が二つ、その中の一つを開けると二人の女の子が半死半生はんしはんしやうで轉げ出ました。
「あ、お光ちやんと、お留ちやんだ」
 もう一つの長持には、殘る三次と藤吉。
 四人共生きた色もありませんが、その時驅け付けた親兄弟に抱き上げられて、たゞシクシクと泣くばかりです。
 土藏の中にあつたのは、昨年三月、八歳の當主虎之助治頼はるよりが死んで、公儀から御取潰しになつた、丸龜四萬五千石の城主、山崎家の財寶ざいはうばかり。側用人丹下村右衞門は先代志摩守しまのかみ歿後ぼつごドサクサまぎれに三萬六千兩の黄金と、おびたゞしい財寶骨董をこの土藏に取込み、山崎家取潰しの時これを目録もくろくから除外させて、ほとぼりのさめた後、持ち出すつもりで居たのです。
 子供等五人を土藏に封じたのは、隱れん坊に浮かれて、うつかり閉めずに置いた土藏の中に入つたのを、村右衞門が發見して大いに驚き、五人こと/″\く縛つて猿轡さるぐつわを噛ませ、長持に入れて口をふさぎ、土藏の祕密の世間にれるのを防いだのです。その間に折を見て中の財寶を持出す計畫だつたことは言ふまでもありません。
 五人の中で悧口りこうな信太郎は、隙を見て土藏を脱出ぬけだしましたが、村右衞門におどかされた言葉が恐ろしくて祕密をもらす間もないうち、鑄掛屋いかけやの權次にさそひ出され、今度はうんと權次に責められて土藏の祕密を打ち明け、かへつて權次に殺されたのでせう。これは丹下村右衞門の口から聽いたことと、いろ/\の事件とを綜合そうがふして、平次の組み立てた想像です。
 信太郎から祕密を聞いた權次は、合鍵あひかぎで土藏に忍び込み、一度は小判を盜み出しましたが、二度目には村右衞門に見附けられて斬られてしまひました。
「主家の御取潰しにまぎれて、大金と寶物を取込むとは太い奴ぢやありませんか」
 八五郎が腹を立てるのも無理のないことです。
「その通りだ。あの金は山崎家の後を立てる爲に、舊臣きうしんの身の立つために、入要な金だつたんだ。それに、五人の子供を長持に入れて置くとは鬼のやうな奴さ。殺すつもりは無かつたにしても、一日おくれると助けようはなかつた。俺は子供にひどい事をする奴は許す氣になれないよ」
 平次のこんな激しい憎惡は、ガラツ八も見たことはありません。丹下村右衞門が極刑きよくけいに處せられたこと、お豊お新母娘の喜びなど、語るまでもないことです。
 そして八五郎がどんなにお新に親切だつたかといふことも。





底本:「錢形平次捕物全集第十七卷 權八の罪」同光社磯部書房
   1953(昭和28)年10月10日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋社
   1943(昭和18)年1月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
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校正:門田裕志
2015年12月13日作成
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