銭形平次捕物控

七人の花嫁

野村胡堂




本篇もまた、平次の独身もの。許嫁の美しくて純情なお静が平次のために喜んで死地に赴きます。


「やい、八」
「何です、親分」
「ちょいと顔を貸しな」
「へ、へ、へッ、こんなつらでもよかったら、存分に使って下せえ」
「気取るなよ、どうせ身代りの贋首にせくびってえ面じゃねえ、顔と言ったのは言葉のあやだ。本当のところは、手前の足が借りてえ」
 捕物の名人とうたわれるくせに、滅多に人を縛ったことのない御用聞の銭形の平次は、日向ひなたとぐろを巻いている子分のガラッ八にこんな調子で話しかけました。
 松は過ぎましたが、妙に生暖かいせいか、まだ江戸の街にも屠蘇とその酔いが残っているような昼下がり、中年者の客を送り出すと、平次はすぐ縁側へ廻って、ガラッ八を居睡いねむりから呼び起したのです。
「へエ――、どこへ飛んで行きゃアいいんで――」
「今の話を聞いたろう、あの客が長々と話し込んだ――」
「いいえ」
「聞かねえ?」
「人の話なんか聞きゃしませんよ、そんなさもしい八さんじゃねえ」
「いい心掛けだ、――と言いてえが、実は居睡りをしていたんだろう」
「まアそんなところで、――何しろ日向はあったけえし、懐は涼しいし、じっとしていりゃ、睡くなるばかりで――」
あきれたものだ。まアいいやな、俺が詳しく復習さらってやろう」
「お手数でもそう願いましょうか」
「黙って聞けよ」
「へエ――」
 平次の態度にはいつもに似気なく真剣なところがあるので、無駄の多いガラッ八も、さすがに口をつぐんで、親分の顔を見上げました。
「今ここへ見えたのは、十軒店じゅっけんだな八百徳やおとくの主人だ。一人娘のおせんを、同じ商売仲間の末広町すえひろちょう八百峰やおみねの跡取り息子に嫁にやるについて、俺の力が借りたいと言うのだよ」
「悪い虫でも付いているんでしょう、どうせ当節の娘だ」
「そんな話じゃねえ。聞けば近頃、神田から日本橋へかけて、花嫁がチョイチョイ消えてなくなるそうだな」
「それなら聞きましたよ。祝言の晩に行方ゆくえ知れずになった花嫁は、暮からこっち、二人ぐらいあるでしょう。どうせ言い交した男でもあって、いよいよという晩に花嫁姿で道行みちゆきめたんじゃありませんか。土壇場に据えると女の子は思いのほか強くなりますからね」
「ところが、八百徳の主人の話では、消えた花嫁が三人もあるんだそうだよ」
「妙に気が揃ったものですねえ」
「そんな暢気のんきな事を言っちゃいられない、一と月や半月のうちに、花嫁が三人も行方知れずになるというのは、少し可怪おかしくはないかな、八」
「そう言えばそうかも知れませんね」
「どこの家でも、娘に男があって逃げたと思い込んでいるから、世間体をはばかって表沙汰にはしないそうだが、八百徳の主人は、どうも自分の娘も消えてなくなりそうで心配でたまらないと言うんだよ」
「なるほどね」
「そこで手前てめえへ頼みというのは――」
「そのお仙とかいう娘に、虫が付いてるかどうか嗅ぎ出して来いというんでしょう」
「そんな気障きざな用事じゃない。娘の身持は八百徳の主人が引受けるって言うから、差し当りそれを信用するとして、手前はソッと嫁入りの行列にいて行って、一と晩見張っていさえすりゃいいんだ」
「なるほど、こいつは、嫌な役目だ」
「何だと、八」
「智恵も銭もらねえ代り大した辛抱役だ。花嫁に蹤いて行って、三三九度から、床盃まで見せられた日にゃ、全く楽じゃないぜ」
贅沢ぜいたくを言うな」
「これでも独り者ですぜ、親分」
「独り者だから、そんな場所によく眼が届くんだ、役不足なんか言っちゃならねえ」
「へッ、助からねえな」
 ガラッ八は文句を言いながらも、頭の中では、その晩の冒険に対する、いろいろの計画をめぐらしておりました。


 日本橋の十軒店から神田の末広町まで、自動車を飛ばせば十五分くらいで行ってしまいますが、昔の花嫁の行列はそんな手軽なわけには行きません。
 町内の駕籠清かごせいから別仕立の駕籠が五挺、花嫁と、仲人なこうど夫婦と嫁の付添いと、親類の重立った者が乗って、あとは定紋の付いた提灯ちょうちんを挟んで、思い思いに歩くところですが、時節柄物騒というので、駕籠だけを飛ばせ、仕出しはゆるゆる後から練って行こうという寸法、韋駄天いだてんのような粒選つぶよりの若い者に担がせた五挺の駕籠は、江戸の街の宵霜よいしもを踏んで、ちょうど明神下から鼠屋横町ねずやよこちょうへ抜けようとした時でした。
 闇の中から不意に飛んで来たのは、一本の棒、これが花嫁の乗った真ん中の駕籠の、先棒の股の間へサッと入りました。
「あッ、何をしやがる」
 と言った時は、もう見事につんのめって、弾みの付いた駕籠は、往来の真ん中へドタリと落されました。
「それ出た」
 それくらいのことは心得た後棒の若い者、息杖いきづえを取って花嫁の駕籠の前に立塞たちふさがりましたが、相手はその出鼻をくじくように、横合から飛出して、胸のあたりをドンと突きました。
 なにぶん宵闇の中に起った不意の出来事で、それに、曲者は恐ろしい手練、後棒の若い衆は思わず跳ね飛ばされて尻餅をつくと、その間に飛付いた、第二、第三の男、物をも言わずに花嫁の駕籠を引っさらって、引摺るように、横手の狭い路地の口へ――。
「野郎、待ちやがれ」
 先棒はようやく起き上がりましたが、むこずねしたたかにやられて、急には動けません。前後の四挺の駕籠は、このときようやく下ろされて、八人の若い者が、
「何をしやがる」
 息杖を振りかぶって、八方から花嫁の駕籠を追い駆けました。幸い路地は三尺の抜け裏で、駕籠は容易に通りません。花嫁の駕籠は少し斜めに、その口を塞いだまま放り出されたところへ、十人の威勢のいいのが、十本の息杖を振りかぶって、すかさず追いすがったのでした。
 別に町駕籠を仕立てて、花嫁の行列のすぐ後に続いたガラッ八は、この騒ぎを見ると転がるように降り立ちました。
「とうとう出やがったか、逃すな」
 それでも商売柄、一番先に路地の口に飛付きました。が、花嫁の駕籠が入口を塞いで急には曲者くせものの後を追うことも出来ません。
「えッ、面倒臭え」
 駕籠を飛越して路地の闇に入ると、鼻の先に通せん坊をしたのは恐ろしく岩乗がんじょうな木戸。
「やい、ここを開けろ」
 押しても叩いてもビクともすることではありません。
 そのうちに、四挺の駕籠から飛降りた仲人夫婦やら付添いの者、これは一番先に花嫁の安否ということが頭へ響きます。
 飛付くように駕籠のたれを押上げて、
「お仙さん、驚いたろう」
 と見ると、中は空っぽ。
「あッ」
 咄嗟とっさの間に、駕籠の中から花嫁はさらわれてしまったのでした。


 八百峰の近くまでたどり着いて、いくらか心持にすきの出来たところを狙ったやり口や、抜け裏を利用して、駕籠で入口を塞いだ細工などを見ると、容易の曲者ではありません。
「親分、何とも申し訳がねえ、俺は腹でも切りてえ」
 すっかり恐れ入って報告する八をなだめるように、
「いや、その様子では俺が行っても失策しくじったかもわからねえ。手離せねえ用事があったにしても、手前一人でやったのが間違まちげえだ」
 平次はそんな事を言っております。
 時を移さず、鼠屋横町の抜け裏から、八百峰の立ち騒ぐ人達の様子、驚き呆れる十軒店の八百徳まで廻ってみましたが、手掛りらしいものは一つもありません。
「六尺棒を若い衆の股の間に投げ込んだ手際じゃ、ザラの泥棒や人さらいじゃねえ――」といううわさを聞いたのがせいぜい。平次は何の得るところもなく、暁方あけがた近くなって引揚げて来ました。
 その頃は、諸大名の門番や、見附の番人は言うに及ばず、渡り仲間ちゅうげん、軽輩な士分の者まで、一種の武器として、棒を使ったもので、駕籠屋の股へ棒を放り込むくらいの事は、ちょっと心得のある者なら、誰にだって出来ます。
 花嫁は評判の堅い娘で、八百峰の総領とは許嫁いいなずけ同士、色恋の道行でないことは、口善悪くちさがない近所のおかみさん達までが牡丹餅判ぼたもちばんします。
 それに、盗まれた花嫁は、暮から勘定して四人目、手口はそれぞれ違いますが、とにかく、余程深い企みのあることは、鼻の良い平次には、判りすぎるほど判ります。
 それから三日目。
「親分、聞きなすったか」
 朝のうちから、ガラッ八が呶鳴どなり込んで来ました。
「何だ、八、相変らず騒々しい」
石原いしはらのも失策しくじったんですとさ」
「何?」
昨夜ゆうべ柳原河岸で、石原の利助りすけ親分があの大きい眼を光らせている中から、五人目の花嫁がさらわれたっていいますぜ。材木河岸の美倉屋みくらやの娘で、今度のは大した容貌きりょうだ」
「フーム」
「これで五分と五分だ、石原のでさえ馬鹿にされたんだ、八五郎ばかりが失策ったんじゃねえ――、ざまアみやがれだ」
「馬鹿野郎ッ」
「へッ」
「石原の兄哥あにきが失策ったからって、手前のドジの言い訳になるか」
「へエ――」
「俺はそんな心掛けの人間は大嫌いなんだ。こっちはこっち、石原の兄哥は石原の兄哥だ。人の失策しくじりを喜ぶような野郎は、俺のところにいて貰いたくねえ」
「へエ――」
「手前は人間はガラガラして、まことに出来のよくねえ野郎だが、悪気のないところだけが取柄とりえだったんだ」
「へエ――」
 平次の怒りは、いつになく峻烈しゅんれつを極めました。さすがのガラッ八も、あまりの風向きに、しばらくは口も利けません。
「さア、出て行きゃアがれ、俺はそんな根性の曲った野郎を見ていたかアねえ」
「親分、なるほど、そう言われてみると、あっしが悪かった、勘弁しておくんなさいまし」
「ならねえ」
「そう言わずに、親分」
びを入れたきゃア、石原の兄哥へ行ってそう言ってみろ」
「…………」
「まごまごしやがると、向うずねをカッ払うぞ、石原の兄哥の手柄を喜ぶような心持になったら、改めて逢ってやる」
 あまりの剣幕に驚いたか、ガラッ八は二つ三つお辞儀をすると、おびえた猫の子のように、後ずさりに格子こうしの外へ飛出してしまいました。
 日頃温和な平次が、こんなに怒るのは、何か仔細のあることでしょう。人のいいガラッ八は、押して聞き返す勇気もなく、妙にあきらめ兼ねた涙ぐましさで、いずこともなく立ち去ってしまいました。


 間もなく、第六人目の花嫁が盗まれました。新革屋町しんかわやちょうの染物屋の娘おたつ、同じ神田鍋町の酒屋伊勢直いせなおへ嫁入りさせましたが、どこでどうり替えられたか、向うへ行って、綿帽子を取ってみると、花嫁が変っていたというのです。
 家を出て駕籠かごへ乗せるまで、仲人は花嫁から手を離さず、伊勢直への道中は、時節柄出入りのかしらや職人に頼んで厳重に守らせ、駕籠を下りると、仲人の外に、多勢の人垣を作って送り込んだのですから、途中で掏り替えられるはずは万に一つもありません。
 その上、何ということでしょう。この晩は双方から頼み込まれて、特に銭形の平次が乗り出し、宵から嫁の姿を見張って一刻いっときも綿帽子から眼を離さなかったのです。
 嫁のお辰は、里方の染物屋にいるうちに替えられたに相違ありませんが、それが、どこで、どうして入れ替ったか、さすがの平次にも、全く見当は付きません。
 お辰の代りに、花嫁に仕立てられたのは、どこから来たともなく、二三年この方、神田あたりを彷徨さまよい歩く女乞食のおろく、これは、何を訊いても一向取り止めのない始末です。
「お前はどこから――誰が連れて来たんだ、言わないか」
「言わないよ」
「言わなきゃアつよ、あきれた馬鹿だ」
 寄ってたかって責めると、
「黙っていさえすれば、伊勢直の若旦那のお嫁にするって言われたんだ、言うもんか」
 この調子では全く手が付けられません。
 もっとも、評判娘のお辰とは似も付かぬ容貌きりょうで、年も三十は幾つか越したでしょう。綿帽子さえなかったら、お辰と間違えられるお六ではありませんが、女乞食にしては様子がいかにも華奢きゃしゃなのと、一言も口を利かなかったので、伊勢直へ連れ込むまで、誰も気が付かずにいたのでしょう。
 それよりも重大な原因は、近頃の物騒なうわさに怯えて、人間という人間が、あまりに緊張しきっていたために、思わぬ心理的欠陥に乗ぜられたのでしょう。なにしろ伊勢直は煮えくり返るような騒ぎ、せっかく宵から大目玉をいていた平次も、今度という今度は、すっかり面目玉を踏みつぶしてしまいました。
 なおもお六をつかまえて、おどかしたり、すかしたり、一と晩がかりで責め抜いてみると、「誰やら知らない人が来て、伊勢直の若旦那と添わせてやるからと言って、知らない家へ引摺り込んで、湯へ入れて、化粧をさせて、紋付を着せて、染物屋の裏口からそっと引入れた――」というだけは解りましたが、お六の足りない脳味噌は、問い詰められると混乱するばかりで、「誰やら」という人相も「引入れられた」という家も、まるで見当が付きません。
 解ったことと言うと、お六の着ていた紋付や帯は、お辰の着ていた品と、色も柄もそっくりそのままというほどよく似ておりますが、実は、今までに誘拐かどわかされた五人の花嫁の身に着けた品のうちから、お辰の嫁入り支度と似寄りの品を集めたもので、少し気を付けさえすれば、誰にでもその違いは判る程度のものだったことです。
「銭形の親分、御覧の通りの始末だ。誰の所為せいというわけではないが、どうか嫁を探してやって下さい。六人の花嫁を一緒に探して下されば、それに越した事はありません。万一の事があったら――」
 伊勢直の主人はゴクリと固唾かたずを呑みました。
「面目次第もございません、平次の男に賭けて、キッと探し出してお目にかけます。三日と言いたいが、せめて後五日、この月中には何とかいたしましょう」
 言葉は柔かいが、平次の胸の中には、勃然ぼつぜんとして、命がけの決心がきまったようです。後ろ指をさされるような心持で、そのまま外へ――。騒ぎを聞いた近所の人が往来へかきを築いて、闇の中には物々しいささやきが微風のように動きます。


「おっア、家に居なさるかい」
「あら親分」
 お静は平次を迎えてイソイソと立ち上がりました。平次の許嫁いいなずけになってからは、両国の水茶屋へ出るのはしてしまって、八丁堀の与力よりき、笹野新三郎のところへ、手不足の時だけ手伝うのがせいぜい、大抵は家にいて、母親を相手に、嫁入りの心支度ともなく、針を持つ日の多いこの頃だったのです。
 この時、お静は、平次とは九つ違いの十八、厄前に祝言の盃だけでも済ませるつもりで、仲人まで立てておりましたが、お上の御用の多い平次は、せめて春永はるながにでもなったら――と、一日延しに延していたのです。
 美しさも賢さも申分なく恵まれたお静は、平次の顔を見ると、ポッと顔をあからめて立ち上がりましたが、それを抑えるように、
「まア、親分、よくいらっしゃいました」
 次の間から母親が出て参ります。
「すっかり御無沙汰をしちゃった。お変りもないようで、こんな結構なことはねえ。ところで今日は少しお願いがあって来たんだが――、ちょうどいい塩梅あんべえだ、おしい坊も一緒に聞いておくれ」
「まアまア、御用の多い身体を気の毒な。そう言って使いでも下されば、こっちから伺ったのに」
「とんでもねえ、年寄りを歩かせるようないい話じゃないんで――、実は」
 平次は言いにくそうに頬をでました。
「…………」
「これは仲人から言って貰うのが順当だが、それでは俺の心持が済まねえ」
「…………」
 母娘おやこは黙って顔を見合せました。重大な意味のあるらしい、平次の真意を測り兼ねたのです。
「ざっくばらんに言ってしまえば、一日延しにしていたあっしとお静の祝言を、わけがあって、この月のうちに運びたいと思うんだが、どんなもんだろう」
「えッ、早いに越したことはありませんよ。私もお静も、親分がその気になって下さると、どんなに嬉しいかしれはしないが――」
 母親は真っ紅になって差し俯向うつむくお静を振返って、こう続けました。
「この月といっても、あと三日しかないから、支度がとても間に合わないよ、親分」
「おっア、それも承知だ。が、あと三日のうちに祝言の真似事だけでもしないと、俺の男が立たないことがあるんだ」
「親分の男が?」
「そう言っただけでは解るまいが、――知っての通り、近頃あっちこっちで花嫁が盗まれる。それも、神田一円と日本橋の数ヶ町かけての祝言ばかりを狙って、暮から六人も行方知れずだ。神隠しに逢うのか誘拐かどわかされるのか、ともかく容易なことじゃねえ」
「そうだってね、親分」
「笹野様もことのほか御心配で、平次何とかしろとおっしゃるが、こればかりは雲をつかむようで、どうにも手におえねえ。神隠しなどという言い訳は、お上の筋は通らないから、十手捕縄を預かる者から言えば、これはどこまでも悪者の仕業に相違ねえ」
「…………」
「ガラッ八も石原の兄哥あにき失策しくじったのを承知で、伊勢直の祝言へ行って見張ったはいいが、この平次までが見事に裏を掻かれ、尻尾を巻いて引き下がってしまったようなわけだ」
「…………」
「世上の人が後ろ指をさしているようで、どうにも外へ出る勢いもねえ。お願いというのはここだよ、おっア」
「…………」
「この節はすっかり怯えてしまって、この界隈かいわいには猫の子の祝言もねえ。ぐずぐずしているうちに、相手が見切りを付けて、六人の花嫁をまとめてあやめるとか――そんな事はないまでも――、遠国にでも持出されたら手の付けようがねえ。ここでもう一度相手から仕掛けさせて、動きの取れぬ証拠を握るためには、たった一つでもいいから祝言が欲しいんだよ」
「…………」
「俺の眼の前で花嫁を掏り替えた相手だ。平次が嫁を貰うといったら、万に一つも黙って見ているはずはねえ。お静坊に、幾度も危ない思いをさせちゃア気の毒だが、一番花嫁になって誘拐かどわかされて、曲者の巣を探って貰うわけには行かないだろうか」
 折入っての頼み、男の額には冷汗さえ浮べておりますが、あまりの事に、母親は返事のしようもありません。しばらく胡麻塩ごましおになった首をえりに埋めて、何を考えるともなくぼんやりしてしまいました。
「親分、そんな事でお役に立つなら、どうぞ私を使って下さい」
 祝言をしてとは言いませんが、お静は顔を上げて、平次よりはむしろ、母親の心持を測り兼ねた様子でこう言いました。
「お静、何を言うのだえ、お前」
「いえ、おっさんの御心配は御尤ごもっともですが、私は親分のお力を信じ切っております。高田お薬園の手入れの時だって、お茶の水の空家に吊された時だって、親分は見事に救って下すったじゃありませんか。ね、おっ母さん、どうぞ私を、今晩にも親分のところへやって下さい」
 母親の膝に手を置いたお静、それを揺すぶりかげんに、少し甘える調子でせがんでおります。平次はこの健気けなげな娘の心意気に打たれて、両手を合せて拝みたいような心持で、黙って差控えました。


 その翌々日、平次はお静と祝言の盃をあげることになりました。仲人は笹野新三郎の用人、小田島伝蔵おだじまでんぞう老人、いずれ春には輿入こしいれするはずで、ボツボツ支度を心掛けていた矢先ですから、貧しい調度ながら、一と通りのものは揃っております。
 お静の家から平次の家までは、ほんの二三町、駕籠かごにも車にも及びません。平次とお静がって断るのも聞かず、小田島伝蔵老人夫婦の外に、平次の朋輩やら子分やらが二三人、花嫁姿のお静を遠巻きにして、平次の家に送り届けたのは、その晩のまだ宵の内でした。
 ガラッ八が居たら、さぞ頓興とんきょうな声で、一座を賑わしてくれるだろう――と思うと、見えざる相手の仕掛けを待って期待と闘争心に燃える平次の胸にも、何かしら一脈の淋しさが冷たい風のように吹き入ります。
 新妻をさらわせるつもりの平次、祝言の席から誘拐かどわかされるつもりのお静、二人の気持を薄々読んだ客――この祝言は、まことに不思議なものでした。
 どうせ裏店うらだな住まいの平次、智恵や侠気はあっても、金っ気などはろくにありません。それでも花嫁を迎える用意だけは一と通り調えて、借り物ながら屏風びょうぶを廻し、島台を飾り、足の高い膳や、絹物らしい座蒲団ざぶとん、時節柄寄せ集め物の火鉢まで、どうやらこうやら揃いました。
 二た間っこ抜いたへやが式場で、その裏が花嫁の支度部屋、長屋の者が集まって、目出たく三三九度が済むと、「高砂たかさごや――豆腐イ」と言った調子のが始まります。
 紋付姿の平次も立派でしたが、それにも増して、お静の花嫁姿は鮮やかでした。このまま、お開きとなれば、何もかも無事に納まります。六人の花嫁を盗んだ曲者くせものも、さすがに銭形の平次の嫁には手を付けられなかったのでしょう――か。
 やがて花嫁は次の間へ下がりました。怪し気ながら、紋付を脱いで、色直しということになります。盃は幾巡いくまわりかして、さんざめく一座、誘拐かどわかしも何も忘れてしまって、だいぶいい心持になって来ましたが、どうしたことか、しばらく経っても、お静の姿が見えません。
「ちょいと」
 髪結のおつるさんが、屏風から顔を出して小田島老人を呼びました。
「嫁さんはどうしたんだい」
「先ほどから、お見えになりません」
「何?」
 一座は騒然として立ち上がりました。頭から被った風呂敷でもかなぐり捨てたように、乱酔が一遍にさめてしまったのです。
「色直しの着付けを済まして、御不浄へいらしったようですが、それっきり見えません」
 界隈かいわいでよく知られた、名人の髪結、額から右の眼へかけて赤いあざのあるお鶴が、その醜い顔をゆがめておろおろしております。
「とうとうやりやがったな」
 むこ姿の平次、せわしく羽織をかなぐり捨てると、足袋跣たびはだしのままパッと裏庭へ飛出しました。誰が開けたか、路地へ抜ける木戸はバタバタになって、そこには夜目にもほの白く、贋物まがいものながら、※(「王+毒」の「毋」に代えて「母」、第3水準1-88-16)たいまいかんざしが一本落ちております。


 平次の活動は、本当に火の出るようでした。六人の花嫁を救い出すために、あらゆる物を賭けてしまった平次は、このうえ失策を重ねるようなことがあれば、死んでも申し訳が立たないことになるのです。
 世上のうわさ、笹野新三郎の督励、それはしばらく我慢するとしてもお静の母親の嘆きは、一刻も見てはいられません。それに、あの自分のために進んで、死地に飛込んだお静の、清浄無垢むくな美しい身体を考えると、さいころの目一つに、あらゆる身上しんしょうを張り込んだ人間のように、平次は腹の底から胴顫どうぶるいを感ずるのでした。
 平次は今までも決して遊んでいたわけではありませんが、もう一度必死のスタートを切って、嫁入りと関係のある、あらゆる商売を調べてみました。第一番に、神田日本橋の呉服屋、越後屋、白木屋をはじめ、筋の立ったところを全部当ってみましたが、江戸中に毎日、幾つあるか判らない祝言のうちから、神田日本橋のをり出して聞くなどは、呉服屋へ行ったところで、何の足しにもならないことが判っただけでした。
 次は鰹節屋かつおぶしや、小間物屋、箪笥屋たんすや、諸道具屋、肴屋さかなや、酒屋、いやしくも嫁入りの御用を勤めそうな店は、自分か子分か一と通り廻ってみましたが、どこにも怪しい節などはなく、また婚礼の日取りなどを聞き廻った人間の噂は一つもありません。
 しかし、七人の花嫁誘拐かどわかしの手口は、ことごとく周到な用意と、長い間の計画でやったことで、偶然の廻り合せで、行当りばったりな仕事でないことはよくわかっております。
 念のため、一度は諦めた女乞食のお六を、その巣にしている明神様の裏手の、建て捨てた物置小屋へ見に行きましたが何としたことでしょう、これは、見るも無慙むざんくびり殺されて、ボロと藁屑わらくずの上に、醜い死骸を横たえております。
「しまったッ、こんな事なら、もう少し口を利かせるんだった」
 と言ったところで追い付きません。
 今度ばかりは銭形の平次ほどの者も、全く持て余してしまいました。
 下町中の質屋という質屋、古物屋こぶつやという古物屋は、子分の者を飛ばして詮索しましたが、暮からこっち、嫁入道具などを持ち込んだ者は一人もありません。
 こんな空しい努力を続けているうち、たった一つ気の付いたことは、石原の利助と、ガラッ八が、平次とほぼ同じ調べ口で、あっちこっちを探し廻っているということだけでした。


 平次は、お静にいろいろのことを言い含めておいたはずですが、不思議なことに、誘拐かどわかされたお静からは、何の合図もありません。
 お静の襟や帯揚の中には、格子や雨戸のすきからでもほうれるように、平次宛に書いた手紙が、幾本も用意してあったはずですが、どんな場所に閉じめられたか、そんなものは、一つも平次の手許に届かなかったのです。
 そればかりでなく、お静の帯の間や、懐の中には小さい竹笛が幾つか潜めてあるはずです。その笛を引っ切りなしに吹いてくれさえすれば、平次の子分達が聞込まないまでも、近所の人が変に思って、井戸端の噂ぐらいに上らないはずはありません。
 平次は夜となく昼となく、神田から日本橋を、へとへとになるまで彷徨さまよい歩きました。みちに落ちた鼻紙にも驚き、按摩あんまの笛の音にも胆を冷して、本当に気の触れた犬のように駆け廻ったのです。
 しかし何もかも無駄でした。もしかしたら、六人の花嫁と一緒に、美しいお静の死体は、今日にも大川に浮くかも知れない――といった恐ろしい幻想に、平次は休むことも眠ることも出来ない有様になっておりました。
 犇々ひしひしと身に迫るのは、喰い入るような恐ろしい後悔です、疲れ果てた足を引摺るように、聖堂裏から昌平橋を渡って柳原の方へ出ようとする平次の、塩垂れ果てた肩へ、後ろからソッと手を置いたものがあります。
「親分、御心配ですね」
 振返ってみると、髪結のお鶴、まずい顔ですが、それでも人のいい笑いを浮べて、慰め顔に、平次の顔を差しのぞきます。
「あ、お鶴さんか」
 平次は夢見るように立止まりました。
「お静さんの行方は、少しも判りませんか」
 毛筋をびんに差して、襟の掛った小袖、結び下げた黒繻子くろじゅすの帯は、少し猫じゃらしに尻を隠します。
「困ったよ、お鶴さん、お前さんにも心当りはないだろうか」
「ホ、ホ、ホ、銭形の親分がそんな事をおっしゃっちゃ困るじゃありませんか、でも、今度ばかりは、本当にお気の毒ねえ」
 親切とも、皮肉とも聞える言葉を空耳に、平次はお鶴にいてその家の前まで行っておりました。
「ちょいと寄っていらっしゃいな? お茶でもれましょう」
「有難う、少し休まして貰おうか」
 断るかと思った平次は、お鶴に誘われるまま、細かい格子戸を潜りました。
 中は女やもめの住みそうな、磨き抜かれた調度、二三人の若い梳手すきてが、男の客を物珍しそうに、奥の方から娘らしい視線を送っている様子です。
出涸でがらしでございます」
 汲んで出す茶、一と口飲んで、長火鉢の猫板の上に置いた平次。
「あの娘さん達は、夜もここへ泊んなさるのかね」
「いえ、用事のない時は、日が暮れると銘々の家へ帰しますよ」
「住込みもあるんだろう」
「私はこんな性分で、人様の娘を預かることなどは、面倒臭くて出来ませんから、皆んな帰って貰いますよ」
「すると夜分はお鶴さん一人だね」
「え」
「ちょうどいい塩梅あんべえだ、これからチョクチョク遊びに来るとしよう」
「あれ、冗談ばかり、そんな事を言うと罪ですよ、これでも女なんですから」
「それはそれとして、いい加減にして、頭巾ずきんったらどうだえ」
「え? 何をおっしゃるんです」
 お鶴は思わずきっとなりました。
「七人の花嫁を出して貰おうか」


 平次の手はサッと延びて、お鶴の左の手首をピタリとつかみます。
「何をするんだえ、いやらしい、巫山戯ふざけたことをすると、岡っ引だって勘弁しないよ」
 と言うのを引寄せて、グイと掴んだ女の腕をしごくと、二の腕に赤々と朱彫しゅぼりの折鶴。
丹頂たんちょうのお鶴、御用だッ」
「何をッ」
 どこから取出したか、お鶴の手には、キラリと匕首あいくち、平次の首にサッと来るのを、叩き落してひざの下へ。
「お前が怪しいことは、早くから気が付いたが、証拠がなくて踏込まずにいたんだ。花嫁が七人も続けざまに消えてなくなるのに、それを手掛けた髪結を疑わずにいるほどの平次と思うか」
 言う内にも、懐から蛇のように引出した捕縄、見る見るお鶴の身体は高手小手に縛り上げられてしまいました。
「何をするんだ、私は女髪結のお鶴、下町でも知らない者はない。何を証拠に、銭形とも言われる者が縄を打つんだ」
 畳をめさせられた額の赤痣は火のごとく燃えて、醜女しこめの怨みの眼は、毒蛇のようにキラキラと光ります。
「黙れッ、あの壁を見ろ、ところどころに爪で引っ掻いた蛇の目の印があるだろう、あれはお静に言い付けた合図のしおり、俺の名前から思い付いた銭形だ。あの印があるところにお静が居るに相違ない――サア言え、七人の花嫁をどこに隠した」
「知らない知らない、たって探したかったら、裏は神田川だ、水の底でも覗いてみるがいい」
 不貞腐ふてくされたお鶴、歯を食い縛って、平次の顔を憎々しく見上げます。
「七人の命には替えられない、言わなきゃア、平次の宗旨にはないことだが、お前の身体を五分試しだ。これでもか」
 平次もさすがに一生懸命です、額にふり注ぐ冷汗を片手なぐりに拭き上げると、女の手から打落した匕首を取って、その白々としたのどへピタリと当てました。
「冷たくて、とんだいい心持だよ、さア一と思いに突いておくれ、――お前に殺されれば本望だ。何を隠そう、私は長い間、お前に岡惚おかぼれしていたんだよ」
 それは恐らく本音でしょう。平次を斜め下から見上げる悪女の眼には、不思議な情火が、メラメラと燃えさかるのです。
「えッ、しぶとい女だ、言えッ、七人の花嫁をどこへやった」
 思わずゾッとしながらも、平次は匕首の背を返して、女の頬を叩きます。
「駄目だよ、そんな事を言っているうちに、七匹の雌は一とまとめにして江戸から送り出す手筈てはずが出来ているんだ。わたしは処刑おしおきになるだろうが、その代り私の首がさらされる頃は、お静を始め七人の花嫁は、島原か長崎へ叩き売られているよ」
「何? 一と纏めにして江戸から送り出す?」
 平次はサッと次の間の唐紙からかみを開けました。この騒ぎに、梳手の娘達はどこへ行ったかわかりませんが、突当りの障子を開けると、目の下は真っ黒に濁った神田川の流れ、平次の胸には、始めて事件の謎を解く最後の曙光しょこうが射したのです。

一〇


「石原の親分、そういったようなわけだ、面目次第もないが、当分ここへ置いておくんなさい」
 ガラッ八は悄気しょげ返って、利助の前に両手を突きます。
「…………」
 利助は黙って腕をこまぬきました。平次の恬淡てんたんな心持が、今はもう判りすぎるほど判りましたが、長い間反目して来た利助は、ガラッ八の前に釈然として見せるには、少しばかり負惜しみが強かったのです。
「ともかく、びをするなら、石原の兄哥にしろというくらいですから、あっしの言うことなど聞く銭形の親分じゃありません。ついでの時、どうぞよろしく取りなして下さい。私はあの親分から見離されるくらいなら、くびでも吊って死んでしまいますよ」
 道化たうちにも妙に真剣なガラッ八の調子を見ると、利助は何となくくすぐったい心持になります。
「まア、いいやな、その内に何とかなるだろう。しばらくここにブラブラしているがいい」
「有難うございます、親分」
 二人がそんな話をしているところへ、表から利助の子分が二人連れで帰って来ました。
「親分、変な噂を聞き込みましたよ」
「何だ?」
「両国の水よけに、緋縮緬ひぢりめんの片袖が引掛っていたそうですよ」
「えッ」
「そればかりじゃありません。この二三日、鬱金色うこんいろ扱帯しごきだの、鹿子絞こしぼりの下締したじめだの、変なものが百本杭や永代へ流れ着くそうですよ」
「そいつは耳寄りな話だ、行ってみるか、八兄イ」
 利助は立ち上がりました。
めえりましょう」
「お静さんを始め七人の花嫁は、どこか河岸っぷちの家にでも押し込められているにちげえねえ」
 それから間もなく、利助とガラッ八は、子分の者に軽舸はしけがせて、大川の右左を、かみからしもへ、下から上へと見廻り始めたことは言うまでもありません。
 日はもうトップリ暮れて、筑波颪つくばおろしが、灰色の水を渡ってピューと吹き起ります。
 ちょうどその時。
 銭形の平次も一そうの軽舸を漕がせて、大川の上を見廻っておりました。これは、浜町河岸から駒形まで、両岸の人家には眼もくれずに、川の中に浮んでいる船にばかり目を付けております。
 七人の美女を一と纏めにして、人目に付かぬように上方へ持って行くには、船より外に手段てだてはないと睨んだのでしょう。
 橋の上手、この時候には滅多に見掛けない屋根船のもやっているのを、遠くの方から二三度うかがった平次は、最早躊躇ちゅうちょはしませんでした。
 見ると目ざす屋根船はいかりを上げて、上げ潮に揺るぎ出しそうな有様。
「待て待て、その船に不審がある」
 宵闇の中から声を掛けた平次、軽舸をピタリと付けさせると、ふなばたから舷へ、サッと飛び移りました。
「何だ、いきなり人の船に入って来やがって」
 水棹みずさおを取り上げて、ガバと打ってかかるのを、身を開いて、ツ、ツ、ツ、懐へ入ると見るや当身一本、船頭は苦もなく水垢あかの中にります。
 中へ飛込もうとすると、
「誰だ、騒々しい」
 胴の間から飛出したのは、一人、二人、三人、いずれも荒くれた大男、そのうちの一人は二本差のようです。
「御用だぞ、神妙にしろ」
「何をッ」
「七人の花嫁を誘拐かどかわしたのは、その方だろう」
「何を、それッ、相手は一人だ、斬ってしまえッ」
 三人の男は、切っ先を揃えて、平次を三方から取り囲みました。平次の武器というのは十手が一挺。
 真っ先に飛込んで来た脇差を引っ外して、十手を左に持換えると、右が懐に入って、取出した青銭。
「エッ」
 真っ先の一人は、左の眼を打たれて引退きました。
 しかし相手はまだ二人、舳先へさきの方からはもう二三人船頭が助太刀に飛んで来る様子です。
 平次は十手と青銭とかわがわる飛ばして、わずかに身を防ぎましたが、相手の武家は思いの外の使い手で、平次も次第に圧迫されるばかりです。
 大川の上から下へ、軽舸を漕がせていた利助とガラッ八は、この時ようやく平次の危難を見付けました。
「それッ」
 と屋形船へ舳先を叩き付けると、利助、ガラッ八を始め、二人の子分、
「銭形の兄哥あにき、もう大丈夫だ、利助が来たぞッ」
「親分、八五郎が参りました」
「御用ッ」
「御用ッ」
 船の上には、一としきり乱闘が続きましたが、平次と利助の捕物上手な駆引と、一つは多勢の力で、大した過ちもなく、間もなく一味五人を、雁字がんじがらめにしてしまいました。
 中仕切を開けて入ると、胴の間には、縛られた七人の花嫁、踏み砕かれた花束のように一とかたまりになってふるえております。
「あッ、親分」
 その中でも一番美しくて、一番気の確かなお静は、平次の姿を見ると、悪夢から覚めたように飛起きて、駆寄りました。

     *

 七人の花嫁を誘拐した髪結のお鶴は、丹頂のお鶴という有名な女賊で、額から眼へかけての赤痣は、人目を忍ぶために絵の具で描かせたものでした。
 しかし痣はなくとも恐ろしい醜婦で、三十過ぎるまで男というものに眼を掛けられたこともなく、もとより縁談を持込む物好きもなかったので、自棄やけと呪いとがこうじて、世上の美しい花嫁を皆んな手当り次第に祝言の席からさらって幸福の絶頂から不幸のドン底に落してやろうと、思い立ったのでした。
 それを助けたのは、ことごとくお鶴の相棒や子分で、美しい盛りの七人の女を、船で島原か長崎へ持って行って、いい値に売り飛ばそうとする矢先を、危うく銭形の平次に捕まってしまったのです。大川へ緋縮緬の片袖や、鬱金の扱帯を流したのは、お静の智恵だったことは言うまでもありません。
 ガラッ八を叱り飛ばして、利助のところへやった平次の真意は、言うまでもなく、この先輩と和解するためで、平次のわだかまりのない態度に、今度こそは利助もすっかりかぶとを脱いでしまいました。





底本:「銭形平次捕物控(九)不死の霊薬」嶋中文庫、嶋中書店
   2005(平成17)年1月20日第1刷発行
底本の親本:「銭形平次捕物百話 第八巻」中央公論社
   1939(昭和14)年
初出:「オール讀物」文藝春秋社
   1932(昭和7)年1月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:結城宏
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