錢形平次捕物控

鐘五郎の死

野村胡堂





 三河町一丁目の大元締おほもとじめ、溝口屋鐘五郎の家は、その晩割れ返るやうな賑ひでした。親分の鐘五郎は四十三歳、後厄あとやくの大事な誕生日を迎へた上、新に大々名二軒の出入りを許されて、押しも押されもせぬ、江戸一番の人入稼業になつた心祝ひの酒盛だつたのです。
 集つた子分は三十八人、店から奧へ三間ほど打つこ拔いて、底の拔けるやうな騷ぎ。――十六基の燭臺、二十幾つの提灯に照された酒池肉林は、歡樂きはまつて淺ましい限りでした。
 親分の鐘五郎は、暫くこの有樣を眺めてをりましたが、あまり強くない酒を過したのと、この上頑張つてゐると、子分共の感興をさまたげることに氣が附いて、上座の子分二三人に目顏で合圖をしてそつと起ち上がりました。こゝから廊下續きの自分の部屋に歸つて、靜かに休むつもりだつたのでせう。
 子分の勘次と六助は、早くも氣が附いて、親分の後にしたがひました。
「いゝよ、休むのは獨りの方が氣樂だ。――お前達の姿が見えなくなつたら、後が淋しからう。歸つてゆつくり飮み直すがいゝ」
 薄暗い廊下の端つこ――自分の部屋の入口に立つて、鐘五郎は手を振りました。鬼の鐘五郎と言はれた酷薄こくはく無殘な男ですが、滿ち足りた今宵ばかりは、さすがに鷹揚な心持になるのでせう。
「それぢやあんまり」
「いゝつてことよ、みんなの氣の付かないうちに歸つてくれ」
「それぢや、親分」
「あとを頼むよ」
「お休みなさいまし」
 勘次と六助は、親分の鐘五郎が唐紙を開けて自分の部屋に入るのを見定めて、もとの酒宴の席に歸つたのです。それが丁度亥刻よつ(十時)――上野の鐘が騷ぎの中を縫つて、響いてゐるのに氣が附きました。
忌々いま/\しいぢやないか。――裏の臆病おくびやう馬吉奴、まだ尺八を吹いてやがる」
 勘次は大きく舌打をしました。もとは飯田町の伏見屋傳七の身内で、勘次や六助と同じ釜の飯を食つた臆病馬吉といふ男が、伏見屋が沒落した後、勘次や六助が溝口屋の身内になつて、相變らず威勢の良い暮しをしてゐるのに、甲斐性がないばかりに日傭ひよう取にまで身を落し、好きな尺八一管を友に、溝口屋の裏に住んで見る影もなく生きてゐる馬吉だつたのです。
「宵から息もつかずに吹いてゐるよ。どうせ臆病馬吉の藝當だから、糸に乘るやうな代物しろものぢやねえが、こちとらの酒までまづくさせるのは業腹だね」
「――おや、今晩はいつもよりうめえやうだが――」
「うまくたつて、女を口説くどく足しにはならねえよ」
「違えねえ」
「ハツハツハツ」
 二人は顏見合せて笑ひながら、もとの亂酒の席にかへりました。ドツ、ドツと波打つ馬鹿騷ぎの間を經つて、ひよぐるやうな尺八の調べが、狹い庭をへだてた隣の長屋から、小止みもなく響いて來るのです。
 それから四半刻(三十分)と經たぬうちに、事件は思はぬ大發展をしました。酒席の手のすいた時、下女のお元は親分の床がまだ敷いてなかつたことに氣が附き、あたふたと廊下傳ひに駈けて行きましたが、唐紙に手を掛けて、
「親分、お床を敷きませう」
 ひよいと覗くと仰天しました。
「あツ、た、大變ツ。誰かツ、誰か來て下さいツ」
 ヘタヘタと敷居際に腰を拔かしたのも無理はありません。親分の溝口屋鐘五郎は、八疊の部屋一パイに浸す血潮の中に虚空こくうを掴んで死んでゐたのです。


 騷ぎは一瞬にして宴樂の席に水をブツ掛けました。
「何んだ/\」
「何を騷ぐんだ」
 ドカドカ雪崩なだれ込んだ子分達、親分溝口屋鐘五郎が、紅に染んで縡切こときれた姿を見ると、さすがに亂醉の酒もさめてしまひます。
 その間に頭立つた子分は、血潮の中の鐘五郎を抱き起しました。傷はたつた一箇所、後ろから左肩胛骨ひだりかひがらぼねの下、心臟の眞つ唯中をつらぬいて、曲者の卑怯さは見る者を齒噛みさせますが、その代り聲も立てずに死んだことでせう。
 心きいた者は、町内の外科と、土地の御用聞――三河町の佐吉と、町役人に急を知らせました。が、時を移さず飛んで來た醫者も御用聞も、手の下しやうはありません。鐘五郎は間違ひもなく人手に掛つて相果てたのですが、見渡したところ、窓も雨戸も、稼業柄らしく恐ろしく嚴重に締めきられ、入口はたつた一つ、醉つたとは言つても、三十八人の子分共が、七十六の眼で見張つてゐる酒席の後ろの廊下――明けつ放しの三尺の板敷を通る外に、こゝへの通路はなかつたのです。
 稼業柄らしく――といふ言葉は、溝口屋鐘五郎の生活を形容するためには、極めて重要な意義を持つものでした。江戸で一番と言はれた人入稼業の溝口屋が、こゝまで伸しあげるためには、どれだけ多勢の人を泣かせて來たかわからず、從つてどこに命をねらふ敵がゐるのか、鐘五郎自身にも見當が附かぬ有樣で、出入りには三人五人の子分をつれ、入つては二重三重の締りの中に籠つて、不慮の襲撃にそなへるのが、鐘五郎日頃のたしなみになつてゐるのでした。
「親分がこゝへ入つてから、誰も來たものはないか」
 中年者の、ことに馴れた佐吉は、くり返しくり返し訊きましたが、亂酒狂態の中にも、お互が見張つた形になつてゐるので、おびたゞしい燭臺と提灯の明りに照らされながら、廊下をこゝまで忍べる道理はありません。
「お元の外には誰も親分の部屋へ入つた者はありませんよ」
 廊下の側に陣取つて、あまり酒を飮まなかつたらしい子分の喜太郎は言ふのです。
「その私が、親分が殺されてゐるのを見附けたぢやありませんか」
 したゝか者らしい感じのする下女のお元は、敢然として抗議しました。
「お元がこゝへ入るのを見てゐたのは誰だ」
 佐吉は四方あたりを睨め廻します。
あつしで」
 喜太郎は顏をあげました。
「お元が親分の部屋へ入つてから、悲鳴をあげるまでに、少しは間があつたのか」
「いえ、唐紙をあけると直ぐ張りあげたやうですよ」
「それぢや親分を殺す隙はなかつた筈だ――」
「まアそんなことで」
 これでは仕樣がありません。
 尤も溝口屋三十八人の子分には、いろ/\の分子が交つてをりました。その中には、日頃親分の酷薄な態度を怨んでゐる者もあり、中にはかつて親分鐘五郎の敵方だつた者の子分で、途中から轉げ込んで來た者もないではありません。現に顏の良い六助や勘次も、もとを洗へば飯田町の伏見屋の子分で、溝口屋にたてを突いた仲間ですが、今では鐘五郎の傘下に馳せ加はり、忠勤を勵む外には、何んの餘念もないことは、溝口屋一家の者は言はずもあれ、大きく言へば江戸中で知らない者もなかつたのです。
 よしや子分の中に、異心を抱く者があつたとしても、七十六の眼玉の光る中、明りの洪水こうずゐを浴びた廊下を、どう工夫をして鐘五郎の部屋に近づくでせう。


「錢形の兄哥あにい、――かういふ始末だ。溝口屋は確かに人手に掛つて殺されたに違げえねえが、締めきつた奧の部屋へ、鼠一匹入つた樣子はないのだ。今更かまいたちでも濟されず、俺も今度といふ今度はかぶとを脱いだよ。日頃のよしみ、何んとか智惠を貸してはくれまいか」
 三河町の佐吉が、すつかり角を折つて、そつと錢形の平次のところへ相談に來たのは、それから三日も經つてからのことでした。
「俺が行つたところで、大した役にも立つまいが、兄哥の氣が濟むなら――」
 平次は思ひの外氣輕に御輿をあげました。
「そいつは有難てえ」
 いそ/\と後を追ふガラツ八の八五郎。
「お前の出る幕ぢやないよ、おとなしく留守をするがいゝ」
 平次は佐吉の氣を兼ねて、一應は止めました。
「へエ――」
「不足らしい顏をするぢやないか。それぢや外から溝口屋の評判を訊くがいゝ。溝口屋の評判はよくないやうだから、うんと怨んでる者が一人や二人はあるだらう」
「へエ――」
 ガラツ八の八五郎は平次の申附けに反き兼ねた樣子で、途中からどこともなくれてしまひました。
 兎も角も溝口屋へ行つた平次は、三河町の佐吉のてつをふまないやうに、外廻りから探索の手をつけました。表通りは六間間口の磨き拔いた格子。――そこは宵から締めてゐた筈で、鐘五郎の命を狙ふ者などの忍び込んだ筈はなく、裏へ廻ると、狹い庭をへだてて長屋が五六軒。按摩あんまと、屑屋と、人足と、占者と、地紙賣とが住んで、仕舞ひ忘れた洗濯物くらゐは狙ふかも知れませんが、人の命などを狙ひさうなのは一人もおりません。
 その中で一番筋の立つたのは、もと飯田町の人入稼業で、伏見ふしみ屋傳七の子分――と言つても、庭掃にわはきや飯炊きをしてゐた馬吉といふ男だけ。伏見屋が沒落してからは、人足にまで身を落しましたが、臆病馬吉といふ綽名あだなで呼ばれて、本人も大して極りも惡がらずに返事をする呑氣者。尺八を吹くのと、上手に飯を炊く外には、何んの取柄もない男です。
「あの晩、何にか氣の附いたことはないのか」
 平次の問ひに對して、馬吉は蟲喰ひ月代さかやきを撫でながら應へるのでした。まだ三十そこ/\、若くも威勢よくもあるのですが、何んの因果いんぐわか生得恐ろしい臆病者で、かう平次に訊かれてさへ、もうガタガタ五體がふるへ出して、言ふこともしどろもどろと言つた心細さです。
「溝口屋の親分の心祝だつたさうで、宵から大變な騷ぎでしたよ。――尤もこちとらには、何んの關係のあることぢや御座いません。あつしは一と晩尺八ばかり吹いてゐました」
 ガラツ八に似た馬面を振り仰いで、馬吉は淋しく笑ふのでした。あれ程の祝事にも、近所には何んの挨拶もなかつたのでせう。
「溝口屋はそんなに近所で評判が惡かつたのか」
「へエ――。こちとらのひがみかも知れませんが、あつしのもとの親分の、飯田町の伏見屋のやうなわけには參りませんよ。伏見屋ぢやあんな騷ぎのある時は、近所へ一人前づつでも膳部を配つて、おやかましう御座いますと、丁寧に挨拶したものですが、へエ」
 馬吉の不平は、さう言つたひがみに過ぎません。
 平次はなほも近所の噂をあさりましたが、馬吉と大同小異で、溝口屋を憎む心には、何にか一貫したものがある樣です。
 中に入つて調べると、溝口屋の間取りは、佐吉から聽いた通りで、三十八人の眼をのがれて、鐘五郎の部屋に入る方法のないことは、あまりにも明かでした。鐘五郎の部屋といふのは一番奧の八疊で、九月の聲を聽くと、夕方から締めきり、寢る時は鐘五郎自身、もう一度戸締りを見直すといふ嚴重さで、庭から忍び込む方法のないことも佐吉の言つた通りです。
 尤も外から聲を掛けて、鐘五郎自身に開けさせて入るといふはありますが、その假説は鐘五郎の性格を知らない人の言ふことで、あまりにも前半生に罪を作つてゐるので極端に警戒性の發達した鐘五郎は、店先から入つて子分共の關所を通つた客でなければ會ふ筈もなく、どんな親しい人と見極みきはめが付いても、嚴重な雨戸の締りを外して、庭から寢室へ直接客を通すなどといふことは、全く想像もできないことだつたのです。
 よしんば又、雨戸を鐘五郎に開けさせて庭から直接入つたとして、曲者くせものは鐘五郎を刺した後で、どうしてこゝを拔け出したことでせう。窓も雨戸も、嚴重に締つてゐたことは、子分達全部が證言することで、その間に疑ひを挾むべくもありません。
「これぢや手が付けられない、兄哥が持て餘したのも無理はないよ」
 平次もつく/″\さう言ふ外はなかつたのです。
「ね、錢形の、この通りだ」
 三河町の佐吉も平次の困惑するのを見て、ホツとした樣子でした。
「だが、曲者が入つて、溝口屋を刺したことだけは確かだ。念のため子分の重立つた者に、一人一人會つて見ようぢやないか」
 平次は諦めませんでした。この上は三十八人の子分の顏から、曲者の匂ひを嗅ぎ出す一手です。


「親分、御苦勞樣で」
 一の子分の喜太郎は、少し光澤つやのよくなつた顏を撫でながら、したゝかな微笑を浮べました。
「親分の死骸を見附けた時のことをくはしく聽きたいが――」
 平次は靜かに問ひ進みます。
「へエ――。何遍もくり返して、そらで覺えてしまひましたが、――あの晩、騷ぎの眞つ最中にお元の聲を聞き付けて、六助と勘次とあつしが驅け付けました。親分は部屋の眞ん中――丁度衝立ついたての前のところに引つくり返つてもう蟲の息もありません。こいつは大變と思つたから廊下の入口を六助に見張らせ、勘次に言ひ付けて、外科と三河町の親分さんと、町役人のところへ人を駈けさせました」
「雨戸は開けなかつたのか」
「勘次が開けようとするのを、あつしが止めました。そいつは後で證據になりさうだと思つたからで」
 喜太郎はさすがに行き屆きます。
「曲者は宵のうちから入つて、騷ぎの後までこの部屋に隱れてゐたかも知れない。――搜して見なかつたのか」
「搜しましたよ。大掃除おほさうぢほどの騷ぎをしましたが、床下にも、天井裏にも、押入にも疊の目にも、のみ一匹隱れてゐるこつちやございません。この通り、親分は疳性かんしやうで、掛物も置物もない部屋です」
 喜太郎は四方を見廻してパアと手を擴げました。衝立一つ、煙草盆一つ、行燈あんどんが一つ、他には、何んの興味も裝飾もない、鐘五郎の無趣味な生活が、よく現れてゐる部屋でした。
「雨戸を開けたのは?」
「三河町の親分がお出でになつてからでした」
「その時廊下を通つた人はないのだな」
「廊下には三十何人の子分が、目白押しになつてゐましたよ。頭の上でも渡らなきや通れるわけはありません」
 喜太郎は平次のくどいのを馬鹿にしたやうにひよいと廊下の方へあごをしやくるのでした。
「親分の評判はどうだつた。――親分を怨んでる者はないのか」
「そいつはどうも、へツ」
 喜太郎はさすがに答へ兼ねました。いきおひと力に附いてゐる喜太郎にしては、親分の評判などは、どうでもいゝ問題だつたにしても、改めてかう訊かれると、さすがにヅケヅケしたことも言へません。
 續いて六助に會つて見ました。これはまだ三十そこ/\の分別者らしい男ですが、もとは溝口屋と張り合つて沒落した飯田町の伏見屋の身内だつたことは、平次もよく知つてをります。
「何時からこゝへ來てゐるんだ」
 平次の問ひは豫想外でした。
「もう四年になります」
「早いもんだなア、伏見屋が死んでもう四年になるのか」
「いえ、伏見屋の大親分が亡くなつたのは三年前で」
「さうか、――この家の居心地はどうだい」
「――」
「あの晩はどうしてゐたんだ」
「勘次と狐拳きつねけんで飮んでゐましたよ」
「酒はどつちが強いんだ」
「まア似たやうなもので」
 これ以上は何んの手掛りもありません。
 勘次は三十五六の精悍せいかんな感じのする男ですが、六助と二人、みんなの見てゐる前で、狐拳をしながら飮んでゐたに相違なく、少しの疑ふ餘地もなかつたのです。
 三河町の溝口屋と飯田町の伏見屋は、同じ人入稼業の競爭相手でしたが、伏見屋傳七が年寄の上に病身だつたので、若くて惡辣あくらつな溝口屋のために次第に出入りの大名屋敷を奪はれ、三年前伏見屋傳七が死んだ後は、伜の傳之助は店を疊んで行方ゆくへ知れずになつてしまひました。伏見屋の多勢の子分達が散り/″\バラバラになつた中に、馬吉のやうに日傭ひよう取になつたのもあり、六助や勘次のやうに、たくみに溝口屋に取入つて、三年經たないうちに良い顏になつてゐるのもあつたわけです。
 若し溝口屋三十八人の子分の中に、親分の鐘五郎を殺す者があつたとしたならば、それは伏見屋のうらみを承け繼ぐ、六助と勘次のうちでなければなりません。こんな話をすると、
「錢形の、――そいつは一應尤もだが、二人共溝口屋の子分になりきつてゐるぜ。それにあの晩六助と勘次は、親分の鐘五郎を送つて部屋の入口まで來たことは確かだが、そこで親分と別れてもとの席へ歸つたのは、喜太郎も見てゐる――それからは狐拳きつねけんの曲飮みだ」
「フーム」
 さう言はれると、六助と勘次も、鐘五郎を刺すひまがなくなります。
「喜太郎はその間に立たなかつたのかな?」
「その間といふと」
 平次の不審を、佐吉は訊き返しました。
「鐘五郎が自分の部屋へ引込んでから、お元が死骸を見掛けるまで四半刻(三十分)ほどの間だ」
「一度手洗に立つたが、それは、ほんの一寸だ」
 と佐吉。
「そのほんの一寸が恐ろしい」
「喜太郎が立つと、廊下の側にゐる人間はなくなるが、廊下に向いた障子はあちこち開けてあるし、部屋中には燭臺が十六、百目蝋燭らふそくを惜し氣もなく點けてゐる上に、軒には提灯が二十幾つブラ下がつてゐたんだぜ。まるで晝だ、人間がそつと通れるわけはない」
 佐吉の調べも思ひの外よく屆いてをります。


 その晩八五郎は、しをれ返つて引揚げて來ました。
「どうした八、目星は付いたか」
「あれから丸半日、足を擂粉木すりこぎに飛び廻りましたよ。三河町が變な顏をするから、あつしあつしで、外から犯人ほしを擧げるつもりだつたんで」
 八五郎は邪魔物扱ひにされた腹癒せに、一世一代の働きをしてアツと言はせるつもりだつたのでせう。
「それがどうした」
「親分の前だが、大外れ、まるで見當も付きませんよ」
 八五郎は額を叩くのです。
「内からさぐつて判らないくらゐだもの、外から判るわけはないよ」
「でも、鐘五郎の身の廻りの世話をしてゐるお元といふ女が、内々鐘五郎を怨んでゐることは突き留めましたよ」
「そんなこともあるだらうが、――あれは女の手際ぢやないよ。たつた一と突で、聲も立てずに死んでゐるんだ。それに、お元がやるなら何もあんな晩に限つたことぢやあるまい。何時、どこでもできることぢやないか。そつと首を掻いて、雨戸を開けて置いても、判らないことは同じだ」
「成程ね。――あつしはお元ばかり狙つたんだが」
「それつきりか」
「まだありますよ。あの晩は、飯田町の伏見屋の三回忌だつたさうですね」
「何?」
「伏見屋傳七は病死といふことになつてゐるが、本當のところは、首をくゝつて死んだといふ噂ですから、怨みを繼いだ子分か身内がないとは限りません」
 ガラツ八の八五郎。――錢形平次の爲には、順風耳の役目を勤めるこの男は、今度もまた大變なことを聽き出して來たのです。尤もその材料を分類整理して、素晴らしい結論に到達することは、平次に任せなければなりません。
「そいつは耳寄りだ。伏見屋の身内で、あの晩變な素振りした者でもあるのか」
「六助と勘次――あの二人の裏切り野郎は、狐拳きつねけんで飮んでゐましたよ」
「そいつは聽いた」
「伏見屋の伜の傳之助は、駒込の親類に引取られて、まくらもあがらぬ大病だ」
「フーム」
臆病おくびやう馬吉は尺八ばかり吹いてやがる。尤も隣の騷ぎがしやくにさはつて、默つて寢ちやゐられなかつたかも知れない」
「馬吉は死んだ親分――伏見屋傳七の三回忌と知つて尺八を吹いてゐたのか。それとも忘れてゐたのか」
「佛壇の前に饅頭まんぢゆうだの眞桑瓜まくはうりだの、やたらに積んで、線香の燃えさしがザクザクあつたところを見ると、まんざら忘れたわけぢやないでせう」
「フーム」
「あの下手な尺八がとむらひの足しになると思つてゐるところが臆病馬吉ぢやありませんか」
「それから」
「馬吉の尺八友達で、足の惡い春松といふ男は、よひから留守だつたさうですよ」
「そいつは何んだ」
「伏見屋の帳面をつけてゐた男で、三河町の三丁目に住んでゐますよ。尺八は馬吉の先生で、不景氣な野郎だが、字が滅法うまい」
「足はひどく惡いのか」
「一人で歩けないこともありませんが――」
「その春松の樣子をさぐつて來てくれ、あの晩どこへ行つたか。――そいつは大事なことだよ」
「へエ――」
 ガラツ八は彈みが付いたやうに飛び出しました。いよ/\事件の山が見えたやうな氣がしたのです。


 ガラツ八の八五郎が三河町へ飛んで行つた後、事件の重大な發展に氣の附いた平次は、自分もその後を追ひました。
 三河町三丁目で、足の惡い春松と訊くとすぐわかります。いゝや近所で訊くまでもなく、とある路地の奧から響き渡る八五郎の張り上げた聲は、平次には何よりのしをりになつたのでした。
「やい/\、知らぬ存ぜぬで通ると思ふか。あの晩お前が宵から消えて、夜中に歸つて來たことは、長屋の衆が皆んな承知だぜ。どこへ行つて來たんだ、眞つ直ぐに白状しねエ」
「どこへも行きやしません。――この足ですよ、親分」
 ガラツ八の噛みつくやうな聲と、春松のつぶやくやうな聲が、惱ましい對照で、同じことを際限もなく繰り返してをります。
「八、どうした」
「親分、この通りだ。しよつ引いて行つて、二三百引つ叩きませうか」
 平次の姿を見ると、ガラツ八は懷中の捕繩などをまさぐるのです。
「ウム、口を開かなきや仕方があるまい。可哀想だが引立てて來てくれ。繩には及ぶまいよ、どうせ逃げ出す相手ぢやない。――その代りお前の背中を貸してくれ」
「へエ――」
「その男を背負つて行くんだ。ツイ、そこまでだよ。――遠慮をするな」
「へエ――」
 八五郎はいなみやうもなく、足の惡い春松を引つ擔ぐやうに、平次の後に從ひました。
 そこから一丁目まで、溝口屋の裏へ廻ると、臆病馬吉の長屋の格子をガラリと開けたのです。
「又來たよ」
「あ、錢形の親分」
 馬吉はもう、サツと顏色を變へて、ガタガタ顫へ出しました。
「馬吉、あの晩のことをもう一度繰り返してくれ」
「へエ――」
「溝口屋が殺された晩、亥刻よつ(十時)から亥刻半(十一時)まで、お前は何をしてゐたんだ」
 平次は假借のない顏です。
「尺八を吹いてゐましたよ、親分」
「それつきりか」
「へエ――」
「伏見屋の三年忌だつたさうぢやないか」
「へエ――」
「お前の尺八は供養くやうになるのか。――尤もあの晩は大層うまかつたといふが」
「――」
「見ろ、春松は縛られてゐるんだぜ。あの晩こゝへ來て、二人で何をやつたんだ」
 平次は後に從ふガラツ八と、その背中にゐる春松を指さしました。
「尺八を吹いてゐましたよ、親分」
「二人でか」
「へエ――」
「一人は拔け出して、溝口屋へ忍び込んだ筈だ」
 平次の論告は峻烈です。
「飛んでもない、親分」
「お前が春松をつれて來たのを、誰知るまいと思ふだらうが、大の男が大の男をおんぶして歩くのを、月がなくたつて、江戸中の人が知らずにゐると思ふか」
「春松に尺八を吹かせて、お前が脱けだしたに違ひあるまい。――溝口屋の裏から忍び込んで、宵の内に奧にもぐり、鐘五郎が部屋へ入つて來ると、衝立ついたての後ろから飛び出して、背中を一と刺しやつた筈だ」
「親分、違ひます。違ひますよ」
「いや違はない、お前の外に鐘五郎を殺した者はない」
「あの明るい廊下を、三十何人の子分の眼をかすめて、逃げ出す工夫はありません」
「それ見ろ、廊下の明るいことも、子分が三十何人で飮んでゐたことも、お前はみんな知つてゐる」
「――」
「その廊下を通る工夫はあつた筈だ。――喜太郎が小用に立つた時かな。――」
「さうだ。――部屋が暗いと外が明るい。――部屋をうんと明るくすれば、廊下はかへつて暗い筈だ。何んだつて俺はこんなことが判らなかつたんだ。――お元は年増でも女だ。身扮みなりも色つぽいし赤いものも着けてゐる。薄暗い廊下を通つてもすぐ判るが、あの壁の色と同じ茶色の着物でも着た人間が通つたら、部屋の中で飮んで騷いでゐる人間には判らなかつた筈だ。――八、この野郎を押へてゐろ」
「へエツ」
 春松を放り出したがラツ八は、矢庭に馬吉に組付くと、その胸倉を取つてねぢ倒しました。
 平次は四方あたりを見廻しました。何んにもありません。恐ろしく念入りな貧乏暮し、土瓶どびん一つ、鉢卷をした火鉢が一つの淺ましい世帶で、溝口屋の砂壁と同じ色の着物――それは御隱居の着る十徳か何かであるべき筈のもの、こゝにある道理はなかつたのです。
 三尺の押入を開けると、煎餅蒲團せんべいぶとんが二枚、その下敷になつてゐるのが、柿色かきいろの大風呂敷ではありませんか。
「これだ」
 ズルズルと引き拔いて、パツと擴げると、隅つこの方にほんの僅かばかりですが、飛沫ひぶいた血汐の跡。
「馬吉、これでもまだ強情を張るか」
「へツ――」
 ガラツ八のたくましい腕の中に、臆病馬吉はヘタヘタと崩折れると、女の子のやうに、シクシクとせぐりあげるのでした。


「聽いて下さい。錢形の親分さん」
 馬吉は涙の中から言ふのです。
 飯田町の伏見屋傳七が死んだのは、噂の通り縊死いし。溝口屋鐘五郎の惡辣あくらつな奸策に乘ぜられて、一つ/\出入大名の屋敷を縮尻しくじり、最後にのつ引ならぬ窮境に追ひ込まれて、自分の命を縮めたのでした。
 子分達はチリチリバラバラ、中には敵の溝口屋に入つてヌケヌケと押し歩く六助、勘次のやうなのもあります。伏見屋の伜傳之助が、駒込の知邊にわづらつてゐるのに、近頃は誰も見舞つてやる者さへなく、その中で足の惡い春松と臆病者の馬吉だけは、感心に昔の恩を忘れず溝口屋の榮えを齒噛みをして口惜しがつてゐたのでした。
 が、不具者と臆病者の悲しさ、二人の力では、出入りの嚴重な溝口屋に、一と太刀恨むすべもなく、馬吉は溝口屋の裏に住んで、敵の樣子を狙ひながら、足掛三年の長い月日を、仕返しの工夫と、その時節到來を待つて、むなしい憤怒の日を送つてゐたのです。
 鐘五郎が誕生日を祝つた日、それは丁度伏見屋傳七の三回忌で、是が非でも思ひ立たなければならなかつたのでした。春松をつれて來て一と晩自分の代りに尺八を吹かせ、それを現場不在證明アリバイに、宵から、溝口屋の奧に潜んだ馬吉は、臆病者の一生懸命さで、どうやらうやら目的を遂げました。
 そこを逃げ出すのは容易ならぬ仕事でしたが、幸ひ用意した柿色の風呂敷が役に立つて、喜太郎が小用に立つた間に廊下を拔け、自分の長屋に逃げ歸つて、春松を送り返した手順は、平次が想像したものと寸分の違ひもありません。
「かうなれば、逃げも隱れもしません。溝口屋殺しはあつし一人の罪、春松だけは許してやつて下さい。お願ひで御座います。親分」
 馬吉は後ろに手を廻して、觀念の眼をつぶります。
「飛んでもない、馬吉一人の罪ぢやありませんよ。――あつしも相談に乘つたんだから、一緒に縛つて下さい。――仲よくお處刑臺しおきだいに並ばうぢやないか、なア、馬吉」
 春松は膝と手で這ふやうに、平次と馬吉の間に割つて入りました。
「何を言ふんだ。足の不自由なお前に、こんな大それたことができるものか」
「足が不自由だつて、俺は臆病ぢやねえ」
「何をツ」
 二人の爭ふのを、
「まア、いゝ。春松も追つてお調べがあるかも知れないが、お上の御沙汰を待つがいゝ」
 平次はなだめて馬吉を引立てました。
「親分、お願ひがあるんだが――」
「何んだ、未練がましいことを言ふなよ」
「そんなことぢやありません。繩付のまゝ、溝口屋の庭を通つて行つて下さい」
 馬吉は妙なことを言ふのです。
「何をするんだ」
「つまらないことなんですが、平常ふだんあつしの臆病を笑つてゐる六助と勘次のつらが見てやりたいと思ひます」
「よし/\」
「親分、縛つて下さい。繩付でないと睨みがきゝません」
「成程、そんなこともあるだらうな」
 形ばかりの繩を掛けた馬吉を引立てて、平次は溝口屋の庭へ入つて行きました。
 多勢の子分達に交つて、六助、勘次が、それを見送つてゐることは言ふまでもありません。
「親分、ちよいと待つて下さい」
「何んだ」
 繩付の馬吉は立ち止りました。
「やい、六助、勘次。――伏見屋の親分の敵は、この俺が――臆病馬吉が討つたよ」
「――」
「大きな面アしやがつて何んでエ。畜生ツ、恩知らず。馬鹿野郎ツ」
「――」
 言ふだけのことを言ふと、馬吉は絶句して、縛られたまゝ、ボロボロと涙を流すのです。
 溝口屋の子分は色めき立ちましたが、平次と八五郎がついてゐるので、今更手出しもならず、六助と勘次は、こそ/\と人の後ろに隱れてしまひました。
        ×      ×      ×
 臆病の馬吉は、打首にもなる可きでしたが、溝口屋鐘五郎の惡事が平次と八五郎の骨折で段々明るみへ出たのと、伏見屋の怨みをむくいたといふ筋が立つて、三宅島へ遠島になり、二年の後には赦されて江戸に歸りました。
 臆病馬吉の侠名けふめいが、江戸中に響いたのはその後のことです。





底本:「錢形平次捕物全集第二十五卷 火の呪ひ」同光社
   1954(昭和29)年5月10日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋社
   1942(昭和17)年8月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2016年9月21日作成
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