錢形平次捕物控

死骸の花嫁

野村胡堂





「あツ、大變。嫁御よめごが死んでゐる」
 駕籠の戸を押しあけた仲人なかうどの伊賀屋源六は、まさに完全に尻餅をつきました。
「何?」
「そんな馬鹿なことが」
 伊賀屋源六が大地を這ひ廻る後ろから、六つ七つの提灯は一ぺンに集まつて、駕籠の中をおほふところなく照らし出したのです。
 中には當夜の花嫁、浪人秋山佐仲の娘お喜美が、晴着の胸を紅に染めて、角隱しをした首をがつくりと、前にのめつて居るのも痛々しい姿でした。
 その癖襟から頬へかけて流れる美しい線が、青白い影を作つて、宇田川町小町とうたはれた非凡の艶色は、死もまた奪ふ由なく、八方から浴びせた提灯の光の中に、凄慘な美しいものさへかもし出して居るのです。
「何? 娘が?」
 花嫁の父親秋山佐仲は、後ろの方から、轉げるやうに飛んで來ました。さすがに武家の出だけに、一人娘の嫁入りの儀式につらなる禮裝の麻裃あさがみしも、兩刀を高々と手挾たばさんだのを、後ろに廻して、膝の汚れも構はず、乘物の中に手を突つ込み、娘の首を起してハツと息を呑みました。
 花嫁化粧念入りに仕上げた顏は、なまりの如く變つて、クワツと見開いた眼は、底知れぬ恐怖にかげつて、恐らくこの生命をうしなつたのうちにこそ、最後に映つた兇惡無殘な、下手人の面影がこびり付いてゐることでせう。
 傷は左乳の上、薄物の紋附は紙よりももろく、たつた一と突き心の臟をゑぐつて、音も立てずに死んだ樣子。女持の華奢きやしやな短刀が、ふくよかな花嫁の胸に突つ立つて、朱羅宇しゆらうのやうに燃えてゐるのも凄慘です。
「娘。これ、どうしたことぢや」
 父親の佐仲は、血潮に汚れるのも構はず、娘の身體を駕籠から抱きおろしかけましたが、フト其處が――娘が今宵嫁入る筈の、彌左衞門町の田原屋の店先だつた事に氣がつくと、
「恐れ入るが、田原屋殿。此まゝ立ちかへるにしても、一應の手當をいたしたい。何處かの隅なりと、お場所を拜借いたし度い」
 う人垣の後ろに見える、田原屋の主人久兵衞に聲を掛けるのでした。
「御尤も。恐れ入りますが、此方からお入りを願ひます」
 田原屋久兵衞は先に立つて、路地の奧から裏口へと案内したのです。さすがに店先から、商人の家へ死骸を入れる氣にはならなかつたのでせう。
 死骸は二人の駕籠屋に持たせて、後からお喜美の父親秋山佐仲と、仲人の伊賀屋源六夫婦、それに當夜の聟――田原屋の伜田之助などが續きました。
 死の花嫁は、斯うして新聟の家へ、冷たいむくろとなつて擔ぎ込まれたのです。店先には行列に附いて來た、盛裝の人達。歸りもならず薄暗がりに三々五々、吹き寄せられたやうに集まつて、辻褄つじつまの合はぬ囁きを、氣ぜはしく取交し、家の中には、今宵の晴れの儀式に招かれた親類縁者が數十人、これは默りこくつて、右往左往に動いて居ります。
 時は六月二十三日、場所は本郷一丁目の大地主、田原屋久兵衞の家。宇田川町小町と言はれた浪人秋山佐仲の娘お喜美は、斯うして花嫁衣袋を碧血へきけつに染めたまゝ、淺ましくも痛々しい姿で聟の家へ擔ぎ込まれたのでした。


「親分、こいつは江戸開府以來でせう」
 驅け付けた八五郎は、手振り身振りでこの一らつを報告するのです。
「お前に言はせると、りつが驅落ちしても、とびが油揚をさらつても江戸開府以來さ」
 錢形平次はそんな事を言ひ乍らも、さすがに事件の重大性を見拔いたらしく、女房のお靜に晩酌の膳を引かせると、手早く支度に取りかゝりました。
「でも、花嫁が駕籠の中で殺されるなんざ江戸開府以來でも古渡こわたりの方ぢやありませんか。ね、親分」
「古渡りの江戸開府以來は嬉しいな。さア出かけようぜ」
 平次は先に立つやうに、夜の本郷臺へ急ぎました。夏場のことで、表通りの店はまだ開いて居りますが、蚊遣煙かやりが淡くこめて、何處からともなく爪彈つまびきの音も聽えて來る戌刻半いつゝはん(九時)過ぎ、江戸の夜の情緒は、山の手ながら妙になまめきます。
「此處ですよ」
 八五郎は田原屋の横の路地を入つて、庭木戸から案内しました。まだ歸りもやらぬ花嫁行列について來た人達や、當夜招かれた親類達は、消し殘つた提灯に三々五々額を集めて、顏見知りの錢形平次に默禮などを送つて居ります。
「御苦勞樣で、錢形の親分」
 丁寧に挨拶する主人の久兵衞に輕くこたへて、平次と八五郎は、花嫁の死骸を擔ぎ込んだ次の間を覗きました。
 一應床の上に横たへた花嫁のお喜美は、角隱しを取つて晒布さらしを顏に掛けてありますが、血にまみれた花嫁衣裝もそのまゝ、祝言の部屋から持つて來たらしい燭臺しよくだいの百目蝋燭らふそくに左右から晴れがましく照らし出されて、此上もなく殘虐ざんぎやくで陰慘です。
「錢形の親分か、――此通りだ。よく見て下され、――娘の無念を晴らし度い」
 膝行ゐざり寄つたのは、小鬢こびんに霜を置いた五十前後の武士。花嫁の父、秋山佐仲といふのでせう、恰幅かつぷくの立派な、眼鼻立ちの整つた、物言ひの確りした人物です。かみしもは取りましたが、紋附は血に汚れて、引寄せた一刀にツイ力瘤ちからこぶの入るのも妙に殺氣立つて見えます。
「五丁目の奎齋けいさい先生は今歸りました。心の臟をゑぐつて居るから即刻息が絶えたことだらうと言ふ見立てで」
 主人の久兵衞は背後から言葉を添へます。
 平次は死骸に近寄つて、顏の晒布さらしを取りました。血をうしなつた娘の顏は青白く引緊つて、死色の濃い頬に、柔かい鼻筋が影を落して居るのも哀れですが、クワツと開いた眼には、恐怖と怨恨が凍り付いて、美しいだけに、物凄まじさも一としほです。
 胸――左乳の上の短刀は拔いて、白紙に包んだまゝ床の側に置いてあります。檢屍前はこのいまはしい道具も取隱すわけに行かなかつたのでせう。刄渡り六寸程の直刀すぐは[#「直刀すぐはで」はママ]、なか/\の業物わざものらしく、拵へも見事、武家娘の嫁入り道具に相應ふさはしい品です。
「これは、お孃樣の品に相違ないでせうな」
 平次は秋山佐仲をかへりみました。
「母親の形見――娘の嫁入り道具の一つに相違ないが、家を出るとき忘れたとやらで、仲人の伊賀屋さんが、箪笥たんすの上で見付けて、駕籠の中へ入れてやつたやうであつた――」
 秋山佐仲の話は次第に落着きを取戻して、事務的に進みます。
「?」
「へエ、私がその仲人の伊賀屋源六で、――秋山樣の仰しやる通りでございます。宇田川町を出たのは暗くなりかけた時分でございました。フト見ると、お孃樣のお部屋に、女持の懷劍が殘つて居りましたので、あわててまだ庭に居る駕籠の中へ入れて差上げました」
 伊賀屋源六は辯解らしく言ふのです。そんな事で、つまらぬ疑ひを受けてはかなはないと思つて居る樣子です。
「その時、お孃さんは何か言はなかつたかな」
「有難うと仰しやつた樣子で」
四方あたりは暗かつたのか」
「へエ、――親御の秋山樣は浪人者の娘が嫁入りするのに街の明るいうちから、麗々しく練り出すわけにも行くまいと仰しやつて、行列を揃へたまゝ、暫らくお庭で待つて居りました、――左樣、動き出したのは四半刻も經つてからでせうか」
 伊賀屋源六の言ふこともよく行き屆きます。四十五六の一克者らしい男ですが、芝口に數代住み古りた質屋しちやで、愛嬌のないのは稼業柄かもわかりません。


「それつきり、嫁御の無事な姿を見たものはないのかな」
 平次はさり氣なくたづねますが、この問ひがいかに重要な意味を持つて居るか、八五郎――後ろの方に神妙に控へて居るあごの長いのが、急に分別顏になつたのでもよくわかります。
「行列が動き出さうとする時、乘物のの隙間から、花嫁のすそみ出して居ることに氣が附いて、私が直してやりましたが――」
を開けたのだな」
「細目に開けました」
「その時花嫁に變りはなかつたのか」
「いつもの通り、お元氣でございましたよ。ニコニコして」
 それは仲人伊賀屋源六の女房お國でした。四十二三の世話女房で、世帶やつれはして居りますが、何んとなく見よげです。
「すると花嫁は、今晩の祝言を喜んで居たわけだな」
「それはもう、――本人が望んで來たくらゐですもの」
 お國は妙に太鼓判たいこばんを押します。
「お神さんが裾を直すとすぐ駕籠が上がつたのだな」
「左樣でございます」
「それから宇田川町から本郷まで、遠い道を一刻もかゝつて辿たどり着いたことだらうが、この田原屋の店先へ來て仲人の伊賀屋さんが駕籠の扉を開ける迄、誰も花嫁の顏を見た者がないわけだな」
「?」
「すると、お神さんに妙な疑ひがかゝるのだが――」
 平次は含蓄がんちくの多いことを言つて、伊賀屋の女房の顏を見るのでした。
「飛んでもない。親分さん、私が――」
 女房はあわてて打ち消しましたが、何を思ひ付いたか、急に勢ひ込んで、
「さう/\さう言へば芝口で、仙臺樣御忍びの行列に逢ひましたが」
「夜分にお忍びの行列?」
「本所お下屋敷からのお歸りだつたさうで」
 それはありさうなことでした。
「その間花嫁の駕籠は?」
路傍みちばたにも置けませんので、暫らく路地に入れて、お行列の通り過ぎるのを待ちました」
「その路地の中には、人が多勢居たのか」
「十五六人は居たやうでございます――でも」
 お國は何やら言ひかけて口をつぐんでしまひました。
「場所は」
「仙臺樣の屋敷横、自身番のところで」
「宇田川町から駕籠に附いて來た人達は、皆んなその路地の中に居た筈だな」
「いえ、路地の中に居たのは二三人で、あとは往來にしやがんで居りました」
 百萬石も劍菱けんびしも袖振り合ふ――と言はれた江戸の街ですが、六十二萬石の大藩の主となるとなか/\見識がうるさく、その上仙臺屋敷の傍では、土下座をしないまでも、自然江戸つ子にも遠慮があつたのです。
「その時誰か、嫁の駕籠の傍に近寄つた者はないのか」
「さう言へば、芝口のやくざで、磯の安松といふのが、ウロウロして居りましたが――」
 お國の言葉には、いろ/\に取れる意味があります。
「ところで、この守り刀のさやは何處にあつたのかな、――少し泥が附いて居る樣だが」
 平次は、血染の短刀と並べてある、螺鈿らでん入りの鞘を取り上げました。よく見ると鞘の外には泥が附いて居るばかりでなく、鞘の中には、深く血さへ附いて居るのです。
「花嫁の膝の上にございました」
 代つて答へたのは、仲人の伊賀屋源六でした。平次はそれを輕く聽いて、死骸の傍に近々と寄ると、靜かに花嫁衣裝の胸をくつろげます。
 血潮はのりのやうに固まつて、不氣味さは一通りではありませんが、その血潮にれた、死骸の胸――乳のふくらみの美しさは、眼に沁みるやうです。
「八、これを見ろ」
 平次は身を開きました。
「え、エ、?」
 八五郎には何が何やら解らない樣子です。
「傷口が二つあるよ。二つとも深傷ふかでだ――並んでゐるから、見えないかも知れない。拭いて見るが宜い」
「――」
 八五郎は懷ろ紙を取り出すと、佛の前の水に濕して、娘の胸のあたりを靜かに拭きました。と、一つと見えた傷が、喰ひ違つてブイ字型なつて居りますが、明らかに二つ、くつきりと目立つて居ります。


「錢形の親分」
 外へ出ると、庭の薄暗がりから出て、そつと平次を呼び留めるものがあります。
「――」
 振り返る二十二三の若い男、緊張した青い顏が、間伸びがして少し長く、愚鈍ぐどんさうなうつろな眼、一應若旦那型の良い男――とは踏めますが、あまり嬉しくない人物です。名乘るまでもなくそれは、田原屋の伜田之助で、錢形平次も滿更知らない顏ではありません。
「あの野郎を縛つて下さい。駕籠の中の花嫁を刺し殺すやうな野郎は、磔刑はりつけ火焙ひあぶりにでもしなきや腹が癒えません」
 田之助はさう言ひ乍ら、自分の言葉に興奮して、ガタガタと胴顫ひをして居るのです。待ちに待つた嫁、親に無理を言つて貰つた嫁が、死骸になつて來たのでは、全く泣いても泣ききれなかつたでせう。
「あの野郎とは誰のことだ」
 平次の問ひは冷たく素氣ないものでした。
「磯の安松の野郎ですよ、あん畜生は身の程も知らずにお喜美さんを追ひ廻してゐました。三文博奕ばくちを渡世にして居る野郎が、浪人と言つても立派な武家のお孃さんを――」
「――」
 田之助は身を揉んで口惜くやしがるのです。
「その上あの野郎は、お喜美さんが此處へ嫁入りすると話がきまると、――それが本當なら生かしちや置かない――と、お喜美さんへおどかしの手紙をやつたさうで――」
「それをどうしてお前さんは知つて居なさるんだ」
 平次は反問しました。
「お喜美さんから聞きました」
「嫁入り前の?」
「嫁入りの時は死んで居た人ですもの、嫁入り前に極つて居ます、――私とはもう三月も前から――」
 浪人しても武家の娘と威張つたお喜美が、やくざの安松からおどかしの手紙を貰つたり、三月も前から町人の息子と交渉があつたといふことは、この時代としては甚だ穩かならぬことです。
「外に、お喜美さんに言ひ寄つた男や、嫁に欲しいと言つた男はないのかな」
「それはもう、いて捨てるほどありました。嫁に欲しいと言つた口は、私が知つて居るだけでも六つ七つ。附け文をしたり、言ひ寄つたり、宇田川町の秋山さんの家のあたりを、毎日ウロウロする男が、五人も六人もあつたといふことで――」
「大したことだな」
「それもその筈で、あのきりやうで、愛嬌があつて、一と眼見た男は、誰でも夢中にさせられてしまひました」
 田之助の話は萬更の形容とも思はれません。花嫁のお喜美が本當にそんなに騷がれた娘だつたとしたら、これは餘つ程考へなければならない事です。
「なア八、お武家の一人娘だぜ。十八や十九と言へば恥かしい盛りだ。たしなみの良いなら、滅多なことで人樣に愛嬌を振りくものぢやねえ――雌犬めいぬだつて毛嫌ひつてものがあらア、――十人も二十人もの若い男を矢鱈やたら無性に引付けるのは、容易ならぬ怪物えてものと思はないか」
 田之助が母屋おもやへ入つて行く後ろ姿を見送つて、平次は八五郎に囁くのです。
「そんなものですかね」
素人しろうと娘が愛嬌を見せるのは、一生に一人と言ひ度てえくらゐのものだ、――殺されたお喜美とその親の浪人者のことを、トコトンまで調べてくれないか」
「合點ツ」
「ま、待ちなよ。今直ぐといふわけぢやねえ、差當り此處で聞けるだけは聞いて行き度い。第一、あの駕籠を見て置かなきや――」
「磯の安松とか言ふ野郎を擧げてしまひませうか」
「それも宜からうが、急ぐには及ぶまい」
 平次は言ひ捨てて、路地の中にゑたまゝになつて居る駕籠に近づきました。
「ちよいと、提灯を貸してくれ」
「へエ」
 駕籠屋が差出した提灯を受取ると、平次は駕籠の中に頭を突つ込むやうにして、念入りに調べました。
「ひどい血ですね、親分」
 後ろから覗く八五郎。
「この血の中で、死骸の膝の上にあつたといふ、短刀のさやが、大して汚れてゐないのは不思議ぢやないか、八」
「へエ?」
「その癖拭いた樣子もない、――鞘には泥が附いて居るくらゐだから」
 平次は何やらむづかしい方程式を考へて居る樣子です。
「仲人の伊賀屋夫婦の外には、嫁の駕籠を覗いた者もないやうですが、――どうして短刀を胸に突つ立てたんでせう」
「それが解れば、下手人げしゆにんは直ぐ擧がるよ」
「駕籠の扉の開いたところを狙つて、遠くから弓かなにかで短刀を射込んだのぢやありませんか」
 八五郎は妙なことに氣が付きました。
「やつて見るが宜い、短刀は花嫁の胸へ前から突立つて居るんだぜ。扉の開いたところを射込んだのぢや肩かほゝに立つのが精一杯さ」
「へエ、さう言つたものですかね」
 八五郎の結構な智惠も、これでおぢやんです。
「さて、それでは引揚げるとしようか」
 平次は斯んなことで見切りをつけた樣子ですが、八五郎はまだ何やらねばつて居ります。
「こんなにひどい血だから、駕籠の外へもこぼれたでせう。血の跡を逆に辿たどつて行つたら、何處でられたか、一と眼で判りやしませんか」
 八五郎はもう一つ結構な智惠を持ち出しました。
「素的だ、化物退治にそんな筋のがあるぜ、――血の跡を慕つて行くと、洞穴ほらあなの中に、※々ひひ[#「けものへん+非」、U+7305、310-16]こふを經たのが、手傷を受けて唸つて居たとね――ところが、こいつはそんな都合には行かないよ。駕籠を擔いで來た若い衆の草鞋わらぢを御覽、――其方ぢやない、後棒の方だ、――駕籠から血がこぼれたものなら、その草鞋にも血が附いて居なきやなるまい」
「へエ?」
「ところが、草鞋は綺麗だ。血なんか附いちや居ないだらう」
 八五郎は提灯を突きつけて見ましたが、一丁人の駕籠屋の草鞋には泥の外には何んにも附いては居ません。
「でも、駕籠からひどく血がみ出して居るぢやありませんか、――それとも花嫁は此處で殺られたんで?」
「いや、此處へ來てから一刻近くなるんだ、その間に滲み出したのだよ。座布團は厚いし、駕籠はガタガタの辻駕籠ぢやない。念入りに拵へた金蒔繪きんまきゑ代物しろものだ、少しくらゐの血はれる氣遣ひはない」
「そんなものですかね」
 この結構な智惠も又ローズ物になつてしまひました。
「若い衆の肩に訊いて見る外はない――お前達が此處へ來る間に、何んにも氣が付かなかつたのか」
 平次は改めて駕籠屋の方に向き直りました。
「へさ、さう言へば、若いお孃さんにしては、少し重いやうに思ひましたが」
 後棒の老巧なのが小首をかたむけるのです。
「少し重い? 最初からそんな心持だつたのか」
「へエ、宇田川町を出る時から、そんな氣がしました」
吉原なかへ飛ばす四つ手は、魂が拔けて居るから輕いつてね」
 八五郎は横合ひから餘計なくちばしを容れて、
「馬鹿野郎、場所柄つてことを知らねえのか」
 手ひどく平次にたしなめられました。


 平次は明神下の家へ引揚げて、ひと息つくと、間もなく八五郎がやつて來ました。この男が仕事に夢中になると、晝も夜中もありません。
「親分、いろ/\のことがわかりましたよ」
「まア、一杯やり乍ら落着いて話せ。何がわかつたんだ」
 一度片付けた晩酌の膳を出して、猪口ちよこを二つ、かんざましになつた徳利の尻を、まだ熱くなつてゐる銅壺どうこに突つ込みます。子刻こゝのつ(十二時)近くまで飛び廻る子分に對してそれは平次のさゝやかなねぎらひ心でした。
「あの磯の安松の野郎を早く縛らなきや」
「どうしたといふんだ」
「あの野郎が秋山の娘と出來て居たんださうで――尤も三文博奕ばくちを渡世の安やくざには違げえねえが、安松といふ野郎は飛んだ良い男ですよ」
「フム」
「秋山佐仲といふ浪人者はまた大變な野郎で、――昔々の大昔は武家だつたかも知れないが、何處の藩の糊米のりまえを頂いたとも知れない、親代々の浪人者で、辯口がうまいのと、押出しが立派なのと、書畫骨董こつとうが少しわかるのを資本もとでに金持に取り入つて僞物を賣込んだり、才取りをしたり、押借強請ゆすりはやらないが、貸金の催促は名人で、刀をひねくり廻して、無理な金でも※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしり取つて來るといふ、大變な二本差ですよ」
「フム」
「その娘のお喜美が、宇田川町小町と言はれたきりやうだから、こいつは唯ぢや濟みませんよ。最初は伊賀屋の業平なりひら息子源三郎と深い仲になり――」
「待つてくれ。そいつは田原屋へお喜美を嫁入りさせた仲人なかうどの源六の伜ぢやないか」
「その通りですよ。伊賀屋源六は芝口で代々の質屋だが、近頃いろ/\の手違ひで、恐しく左前だ。何んかの手蔓てづるで田原屋から千とまとまつた大金を融通ゆうづうしてもらひ、それで漸く家業は立ち直つたが、その恩があるから、田原屋の言ふことなら、どんな無理なことでもいやとは言へない」
「――」
「田原屋の伜、あの冬瓜とうがん野郎の田之助が相手もあらうに浪人の娘お喜美に惚れて、死ぬの生きるのといふ騷ぎだ、――この春神明樣のお祭で見染めて、宇田川町まで後をけて行つた上、本郷から毎日通つて、塀の節穴を覗いて暮したといふ罰の當つた野郎だ」
「で?」
 平次は靜かに先をうながします。
「磯の安松と、伊賀屋の源三郎と、兩手に花とふざけて居たお喜美が、――親の秋山佐仲の入智惠もあつたことでせうが、本郷で指折りの分限者ぶげんしや、田原屋の嫁になる氣になつた」
「――」
「息子の冬瓜野郎が少しくらゐ陽當りが惡くたつて、三文博奕ばくちの安松や、分散しかけて居る貧乏質屋の伜とは比べものにならない」
「伊賀屋と秋山佐仲は前から知つて居るのか」
「お客樣で相談相手で、贋物にせもの持込みの合棒ですよ」
「成程な」
「お喜美が伊賀屋の伜と安松を振り捨てて、いよ/\田原屋へ嫁入りすると決つた。伊賀屋の伜源三郎は諦めもするでせうが、磯の安松はさいころの目にけても引つ込むわけに行かない、――阿魔ツ、唯は置くものか――ときばを磨いて居るところへ、仙臺樣のお忍びで、都合よく鼻の先の芝口の路地に、花嫁の駕籠が停つた」
「待つてくれ、八。さう言ふと仙臺樣が磯の安松に荷擔かたんでもしたやうに聞えるが――」
 平次は横槍を入れました。
「其處がそれ都合よく、あの路地のところへ差しかゝつた時、仙臺樣が――」
「物事はさう都合よく行くものぢやないよ――仙臺樣が折よくお忍びで通りかゝつたにしても、路地の中に入れた駕籠には二三人の人が付いて居た筈だ。その隙を狙つて扉を開けた上、花嫁の懷中ふところから守り刀を奪ひ取つて胸へ二度も突き立てるなんて器用な事は出來さうもないぜ」
「へーツ」
 八五郎も少し困りました。
「その上、花嫁の膝の上へ、行儀よくさやを置いて來るなんざ、磯の安松がどんなにきものすわつた野郎でも、容易に出來ないことだ」
「でも、親分。あの野郎は――」
「まア宜い、行つて此眼で見る外はない」
 錢形平次は何を考へたか、立上がつて出かける支度にとりかゝるのでした。
「お前さん、もう上野の子刻こゝのつ(十二時)が鳴りましたが――」
 女房のお靜は驚いて見上げました。ツイぞこんな事を言つたことのないお靜ですが、眞夜中から出かける夫をさすがに案じないわけに行きません。
「御用に早い遲いはないよ、――人一人の命にもかゝはることだ。お前は戸締りをよくして、寢て居るが宜い。淋しかつたらお隣の御隱居さんに頼むんだ――遲くて氣の毒だが」
 言ひ捨てた平次、八五郎をうながして外へ飛び出してしまひました。


 芝口の路地――花嫁の駕籠を入れたといふあたりを搜し當てた平次と八五郎は、提灯を振り照らして念入りに調べて見ましたが、血潮の跡はおろか、守り刀の鞘についた、淡赤い泥に似寄りのものもありません。
 念のため、辻番で訊いて、磯の安松の家を叩き起して見ると、本人はまだ寢もやらず、
「何んだと、錢形の親分だ。へツ、親分が聽いて呆れらア、安岡つ引のくせにしやがつて、――秋山のお喜美が殺されたのを調べたきや、芝か品川へかけて、五十人もの男をしらつぶしに洗つて見ろ、あの阿魔を殺したがつて居る野郎は五人や七人ぢやねえ筈だ――俺が殺したといふのか? くそでもくらへ、この手で殺し兼ねたからこそ斯うして自棄やけ酒を呑んで居るんだ。あの時天びん棒を持つて飛び出すと、合長屋の奴等が折重なつて留めるぢやないか。言ひ草が良いやな、秋山の阿魔なんざ、三枚におろしたつて文句はねえが、仙臺樣のお忍びの行列に間違ひがあつちや、町内一とうの迷惑だつてやがる。勝手にしやがれ、――そんなことで俺はあの阿魔を殺し損ねたんだ。下手人になるのが怖くて言ふんぢやねえ。はゞはり乍ら磯の安松、三尺高い木の上から小唄の良いのどを海の向うの房州の阿魔つ子に聽かせてやり度えくらゐのものだ」
 まさに大虎です。格子の中へ首を突つ込んだ八五郎は引つ込みがつかなくなつて眼を白黒して居ります。
 平次は其處を宜い加減にきり上げて、宇田川町の秋山佐仲の浪宅に向ひました。
 娘喜美の死體は、檢屍が濟むと直ぐ宇田川町に運んでその晩はそのまゝ、親類と近所の衆とでお通夜をいとなんで居りました。
「錢形の親分か、娘を殺した奴の見當でも付いたのかな」
 秋山佐仲は持前の愛嬌をかなぐり捨てて、恐しく無愛想に平次を迎へました。
「まるつきり見當もつきません。が、今夜のうちに一應調べたいことがありますので」
「さうか、勝手にするが宜い」
 秋山佐仲はそつぽを向いて、線香などをあげたり口小言でも言ふやうに念佛を稱へて居ります。
「八、庭を見度い。提灯を貸せ」
 平次はそれに構はず、庭へ降りて四方あたりを見廻して居りましたが、やがて、駕籠を据ゑた跡らしいものを撒水まきみづしめりの上に見出すと、其邊の土などを念入りに調べた末、
「――この泥だよ、八、守り刀の鞘に附いて居たのは。壁のつくろひか何にかに使つた荒木田あらきだが、雨や撒き水に解けて、此邊一面の庭に鍍金めつきしたやうになつて居たんだ」
 平次は庭土を指でつまんで、八五郎に見せて居ります。
「すると、どんな事になるでせう」
 八五郎には、それが何んの意味ともわかる道理はなかつたのです。
「家の中へ入らう。主人あるじはあまり良い顏をしないが――」
 平次はもう一度家の中に入ると、お通夜の衆に交つて四方を眺めて居りましたが、部屋の隅にある古箪笥ふるだんすに眼をつけるとそつと立ち上がつて、その上の何やら斑點しみのあるのを透して見た上懷ろ紙を出して靜かに拭きました。
 紙の上には、明らかに古くなりかけた血液がにかわのやうに――少量ではあるがべつとり附くではありませんか。
「仲人の伊賀屋さんが、守り刀を見付けたといふのは、此箪笥の上でせうな」
 平次は主人の秋山佐仲に訊ねました。
「左樣」
 主人の答へのブツ切ら棒さ。だが平次はそれに滿足したらしく、
「その伊賀屋さんはどうしました。見えない樣ですが」
「お通夜に仲人は無用だ。妙な事を思ひ出させて困るから、先刻歸つて貰つたよ」
 秋山佐仲は何を下らぬ――と言つた調子です。


 芝口の質屋、――伊賀屋に行つたのは、もう子刻半こゝのつはん過ぎ丑刻やつ近い時分でした。不思議なことに、まだ寢もやらず、ヒソヒソと話しこんで居る源六お國夫婦を前に、平次は斯う折り入つた樣子で話したのです。
「さて、伊賀屋さん、二人揃つて、あつしのいふことをよく聽いてもらひ度い――あつしには花嫁殺しの下手人げしゆにんはわかつたつもりだが、萬一間違ひがあるといけねえ。違つた所があるなら、違つて居ると言つて貰ひ度い――」
「今晩、ようやく暗くなつた頃だ。宇田川町の秋山さんの浪宅から、いよ/\花嫁の行列が出ようと言ふ時――伊賀屋さんはフト、血の附いた短刀を持つて庭から家の中へ飛び上がつて、その短刀を箪笥たんすの上に置いた男の姿を見た筈だ。氣が付いて見ると、駕籠の扉の前には短刀の鞘が捨てゝある」
「――」
「その男は庭の暗がりの中で駕籠の中の花嫁にうらみを言つた事だらう。花嫁のお喜美はそれをお茶らかして笑つたに違ひない――男はカツとして、駕籠の中で手にさはつた女の守り刀を引拔き――夢中になつてその胸を刺したが、ハツと氣が付くと、自分のやつた罪の恐しさに、血染の短刀を持つたまゝ家の中に飛び込み、面喰つて箪笥の上に置いたことだらう」
「――」
「お前はそれを見た。下手人をかばつてやり度さに、箪笥の上の血染めの短刀を取り上げると、駕籠の前に落ちて居る鞘に納めて、花嫁が忘れたことにして駕籠の中へ入れてやつたことだらう」
「――」
「夫の樣子がをかしいので、お神さんはすぐその後で、花嫁のすそを直すとか言つて、駕籠を覗いた――花嫁は死んで居る、――その下手人は誰か、お神さんには一と眼で判つた筈だ。それにつけても、今更ながら自分の伜を振り捨て、その伜を半氣違ひにして、金持の田原屋へ嫁入りする花嫁のお喜美憎さの心持が、一ぺんに燃え上がつた」
「いえ、それは」
 お國はあわてて口をはさみましたが、平次の自信に滿ちた調子を見ると、又急に默つてしまひました。
「それに、萬一の場合は、伜の罪を引受けるつもりで、死骸の膝の上にあつた守り刀の短刀を拔いて、力任せに死骸の胸に突き立てた」
 平次は靜かに言ひきつたのでした。
「それが惡かつたでせうか、錢形の親分、――でも、あの女を殺したのは、この私に違ひないんです。伜や家の人は、何んにも知りやしません。さア、私を、この母親を縛つて下さい」
 源六の女房のお國は、自分の手を後ろに廻して、平次の方に詰め寄るのです。それは平次も持て餘した程の、無智で、執拗しつあうで、氣違ひ染みた熱心さでした。
「――行列は本郷一丁目の田原屋の門口へ着いた時、主人は素知らぬ顏をして駕籠の扉を開け、芝居染みた仰天振りを見せた」
 平次はそれを拂ひ過けるやうに語り進みます。
「もう澤山。さア、親分。私を、この私を縛つて下さい」
「靜かに、お神さん、――隣り部屋で聽いて居た源三郎は外へ出て行つた樣子だ。格子かうしを開けつ放したまゝ、可哀想に、――この俺にはどうする事も出來ない」
 平次はガツクリと首をうなれます。
「あツ、あの子は出て行つた――死ぬ氣に違ひない、――お前さん、追つかけて下さい、――あの子はまだ若い。私が、私が」
 お國は障子を押し倒して這ひ出すと、跣足はだしのまゝ格子の外へ、母親の本能のみちびくまゝに、曉闇を縫つてバタバタと伜の後を追つて行くのでした。
        ×      ×      ×
「いやだな、八。御用聞は罪が深いよ」
 曉の風に、夏ながらゾツと總毛立つ樣子、――歸りを急ぎながら平次はう續けました。
「俺はあのお神が、花嫁は駕籠の中でニコニコして居たと言つた時から、こいつは變だと思つたよ。その時はもう庭は暗くなつて、駕籠の中の花嫁の頭などは見えなかつた筈だ。――それから短刀の鞘に壁土の荒木田あらきだの泥が附いて居たり、鞘の中に一度血刀ををさめた跡があつたり――傷口が二つあつたり、不思議な事ばかりだつたよ」
「矢つ張り下手人は、あの伊賀屋の伜源三郎に違ひないんですね」
 八五郎はまだそんな事を言つて居ります。
「氣の毒だが間違ひはないよ、――でも二人も三人も男をこさへた上、お仕舞ひには金に轉がる女の罪の深さは、源三郎どころぢやないよ。その上あのお喜美といふ娘は二本差の家に生れたくせに、男と見れば誰にでも怪しい愛嬌を振りいて、男が自分に夢中になるのを樂しんだ樣子ぢやないか。いづれは馬鹿で正直な男に殺されるやうに出來て居たのかも知れないよ」
あつしに言はせると宇田川町小町と言はれたきりやうだもの、若い男が迷ふのも當り前ですよ。さう言ふあつしも少しは迷つて見度くもなりますぜ」
「馬鹿だなア、――近所に住んで居なくて、お前は飛んだ命拾ひをしたかも知れないよ」
「ちげえねえ」
 無駄を言ひ乍ら、二人は、明神下の平次の家へ急ぐのでした。其處には世にもつゝしみ深い女房が、もやらず平次の歸りを待つて居るのです。





底本:「錢形平次捕物全集第二十五卷 火の呪ひ」同光社
   1954(昭和29)年5月10日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋新社
   1949(昭和24)年7月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2017年1月12日作成
2017年3月4日修正
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「けものへん+非」、U+7305    310-16


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