錢形平次捕物控

邪戀の償ひ

野村胡堂





 早春のよく晴れた陽を浴びて、植木の世話をしてゐる平次の後ろから、
「親分、逢つてやつて下さいよ。枝からもぎ立ての桃のやうに、銀色のうぶ毛の生えた可愛らしい娘ですがね」
 八五郎は拇指おやゆびで、まむしを拵へて、肩越しに木戸を指すのです。
「何んだ、その桃の實てえのは?」
「桃ぢやありませんよ。武家風のお孃さんですよ、――永代橋の欄干らんかんもたれて、泣き出しさうな恰好をして居るぢやありませんか。蟲齒の禁呪まじなひなら、水の流れを見詰めて、ヂツとして居る筈はないし、こいつはてつきり、橋の上に人のまばらになつたところを見定めて、ドブンとやらかすに違げえねえと、肩に手を置いて、お孃さん、無分別をなすつちやいけませんよ――とやると、あつしの懷中の十手をチラリと見て、――叔父さんが殺されたに違ひないのを押し隱して、家名が大事かは知れないけど、馬術不鍛錬ふたんれんで過つて死んだことにして宜いのでせうか――つて」
「フーム、面白さうだな」
「それからあつしは、そんな馬鹿なことは武家方だつて通るわけはねえ。何んかに落ちない事があるなら、錢形親分のところへ行つて相談して見るが宜い。錢形の親分は江戸開府以來の捕物の名人で――」
「ヌケヌケとそんな事を言つたのか」
「さうでも言はなきや、十七八の武家のお孃さんが、あつしと一緒に明神下まで來てくれませんよ。尤もあつしも今朝は清淨で、八幡樣へ朝詣りに行つた歸りだから――」
「不斷はもろ/\の罪穢つみけがれで滿々として居るんだらう。若い娘なんか二三丁先から匂ひを嗅いで寄りつかない」
「無駄は宜い加減にして、逢つて下さるでせうね。親分、そりや可愛いゝ娘ですよ」
「娘は可愛いだらうが、武家の紛糾いざこざといふ奴は、惡いおでき見たいに根が深くて、うつかり手を付けると、ひどい目に逢はされるぜ」
 平次は一應尻込みはしましたが、この時、八五郎の後ろに近づいて、遠くの方から拜むやうに見て居る娘の顏を見ると、ツイ、
「――まア、折角遠いところから歩いて來なすつたんだから、ちよいとお話だけ聽いて見るとしようか、御案内申すが宜い、八」
 斯う言ひ捨てて平次は井戸端へ手を洗ひに廻つて、女房のお靜に取次がせました。おびえきつて居る女客は、時々入口まで來て氣が變つて、プイと逃げ出すことがあるので、物柔かなお靜に迎へさせる方が無事なことを、平次は長い經驗から心得て居るのでした。
「一體どんな心配事があつたんです、お孃さん」
 平次は座に着いて八五郎の後ろに小さくなつて居る娘を見やりました。
 精々十七八、まだ子供らしさは拔けきれませんが、八五郎が言つたもぎ立ての桃は良い形容詞でした。化粧もろくにしないらしい處女の肌には若さが馥郁ふくいくと匂つて銀色のうぶ毛の見えるのさへ何んとも言へない新鮮さです。
 眼鼻立は町娘のやうな素直さで、取立てて美しいといふほどではありませんが、いかにも純潔で可愛らしさが溢れます。身扮みなりはさすがによく、平常着らしい銘仙の折目にも、形の良い島田まげにも、少しの崩れもないばかりでなく、帶の赤さに若々しい魅力が燃えて、この素姓のよささうな娘を、妙になまめかしいものに見せるのは、成熟しかけて居る女の良さといふものかもわかりません。
「叔父が永代橋から、馬に乘つたまゝ、大川に落ちて亡くなりました。――たつた四日前のことですが、私にはどうも、間違つて死んだものとは思へません」
「橋から落ちて? 欄干らんかんでも腐つて居たのかな」
 娘の話は印象的で唐突ですが、何やら容易ならぬ匂ひがあります。
「いえ、橋はどうもいたして居りません」
「では、叔父さんは、馬の方が得手でなかつたとでも」
「叔父は馬術が大の自慢で、昨日も久し振りで遠乘りがして見たいからと、赤坂の親類へ參るのに、わざ/\前の日から馬の支度をさせました」
 娘の話は平次の心持に關りもなく進みます。


 飛躍する感情に任せて、先へ/\と連絡もなく進む娘の話にブレーキを掛け乍ら、平次は大骨折でこの娘の口から事件の全貌を引出しました。
 娘の叔父といふのは、深川佐賀町に住む三千五百石の大旗本で、板屋八十郎といふ無役ながら裕福の聞えある家柄の當主、若冠じやくくわん二十五歳の美男ですが、豫々武藝學問にもたしなみ淺からぬ聞えがあり、拔擢されて近々に境奉行となり、祖先に因縁のある佐渡守に任官するといふ内意をさへ受けて居たのです。
 その輝やかしい出世を眼の前にして、祖先の墓にも詣で、親類の誰彼にも吹聽するつもりで、日頃自慢の飼馬『音無頼おとなせ[#「音無頼おとなせ」はママ]』に乘つて出かけたのは四日前の朝。意氣揚々として永代橋にかゝると、馬はいきなり狂奔して棒止ちになり、たてがみに獅噛みついて、必死と馬のかんを撫めようとする、主人板屋八十郎を乘せたまゝ、二つ三つ橋の上に氣違ひ染みた輪を描くと見るや、欄干を越えて眞つ倒樣に大川へ落ち込んでしまつたのです。
 咄嗟の出來事で、立ち直る隙もなく、板屋八十郎は馬の下になつたまゝ、水底深く沈んでしまひました。馬は四足を上に向け、滅茶々々に狂ひ廻り、馬の下になつた板屋八十郎は、あぶみが足にからまつたか、それとも手綱に腰をしばられたか、暫くは浮び上がる樣子もなく、そのまゝ引き潮に流されて、川下の方へ流れて行きます。
 荒れ馬に驚いて飛び散つた橋の上の群衆も、かくと見て欄干に戻りましたが、唯あれよ/\と言ふばかり、一人も飛び込む勇氣のある者はなく、よしや飛び込んだところで、水中の荒れ馬を押へて、馬の下の武士を救ふことなどは思ひも寄りません。
 橋番所から救ひの船を出したのは、それから大分經つた後、その時はもう馬も溺れ、馬上の武家――板屋八十郎もこときれて居りました。
 八五郎のつれて來た娘は、この板屋八十郎のめひでした。詳しく言へば、板屋八十郎の姉の忘れ形見で、その姉が三年前に亡くなり、嫁入先も沒落して、娘の多世里だけが、板屋家に引取られて育てられて居るのです。年は十七、八五郎が言ふ通り、武家育ちらしい堅苦しさはなく、れかけた桃のやうな可愛らしい娘姿でした。
「ところでお孃さん」
「――」
 平次が問ひかけると、娘多世里は自分の喋舌しやべり過ぎたことに氣が付いたらしく、ハツと口をつぐんで平次の顏を見上げました。
「お孃さんはどうして、叔父さんの死んだのが、過まちやはずみでなくて、人に殺されたのだと仰しやるのです」
 平次はこの邊で一本極め手を入れました。
「でも、馬の腰に、吹矢が突つ立つて居たんですもの」
「吹矢?」
 三尺くらゐの竹筒に、疊針ほどの磨き竹に、先端さきを筒形に卷いた紙の羽根を附けたのを入れて、人間の息で五間も十間も先へ飛ばす吹矢は、徳川時代には鐵砲や弓矢に次ぐ恐ろしい飛道具で、もと/\小鳥を捕つたり、的を射て遊んだりする道具であつたにしても、場合によつては、隨分命取りの危險な武器にもなつたのです。
 尖端さきの竹は、油に漬け火で痛めた上に削つたもので、鐵のやうに鋭くなつて居りますが、時には疊針を使つたものもあり、現に板屋八十郎の乘馬の尻に突つ立つて居た吹矢は、疊針に羽をつけたもので、小鳥などを狙ふ、玩具のやうな吹矢ではなかつたのです。
「子供の惡戯いたづらぢやございませんか。ものの機みで、何處からか飛んで來たと言つたやうな」
「でも、場所は永代の袂で、人通りの多いところですし、吹矢の羽は鹿毛馬の毛並と同じ色の焦げ茶色でした」
「――」
 平次は默つてしまひました。吹矢の羽根は白い紙ときまつたもので、それを焦茶色に塗るのは容易ならぬたくらみが匂ひます。


「叔父さん泳ぎの方はどうでした」
 平次は重ねて訊ねました。水の心得さへあれば、大川へ落ちたくらゐのことで、一人前の若い武家が、滅多に溺れる筈もありません。
「叔父はそればかりを申して居りました。――武藝一と通りはをさめ、弓槍劍人に後れを取る氣はないが、大川を眺め乍ら育つて居るのに、母親が案じて水へ近づけなかつた爲に、水練の方を稽古しなかつたのは、返す/″\も殘念であつた。この年になつて、犬掻きを始めるわけにも行かない――と苦笑ひをし乍ら申して居るのを幾度か聽きました」
「泳ぎの心得がなくても、馬の背にでもつかまつて居れば、助かる工夫はありさうなものだが――」
「馬の下になつて水の中深く潜つた上、漸く這ひ上がつた時は、馬は四足を空樣にして暴れ狂ひ叔父を寄せつけなかつたと――これは橋の上から見て居た人達の話でございます」
「で、叔父上を、怨んでゐる者でもあると仰しやるんで?」
 平次は一歩踏込んで見ました。
「そんな心當りは一つもないのでございます」
「お配偶つれあひは?」
「話だけでまだ定まつた縁はございません」
 二十五歳の美男で、目ざましい出世をしようといふ三千五百石の大旗本に、定まる奧方も許嫁もないといふことが、フト平次の心の中に、さゝやかな疑問の波を立てました。
「外には、不審と思はれるやうな事は?」
「取立てて申すほどのこともございませんが、離屋に住んでゐらつしやる、杉本の小父樣が、どうも唯の死樣とは思はれない、事荒立てて表沙汰になれば、板屋家の瑕瑾かきんともなることだが、このまゝに伏せてしまつては、死んだ八十郎殿も浮ばれないことだらう――と申します」
「――」
「お葬ひも濟んだことですが、杉本の小父樣にさう申されると私も變な心持になり、何心なく永代橋へ參り、――屋敷から橋は、裏門を出ると直ぐでございますので――欄干にもたれてツイ泣いて居りました。その耻かしい姿を此方こちらに見られ、高名な錢形の親分に逢はせてやると仰しやるので」
 氣が落着いたものか、多世里の話も次第に筋が通つて、さすが武家育ちらしくたしなみのよさも見えるのでした。
「その杉本の小父樣といふのは?」
「私共とは何んの掛り合ひもございません。私の祖父樣――つまり板屋家の先代順三郎樣のうたひの師匠で、もとは能役者のうやくしやだとか申しますが、四年前から板屋家に入つて、祖父樣が亡くなつた後は、親類のやうな、用人のやうな、相談相手のやうなことをいたし、離屋に住んでゐらつしやいます」
「ほかに、御身内の方は?」
「叔母樣が居ります。亡くなつた當主八十郎樣の母親で」
「それから」
「御隱居の主水もんど樣、御隱居と申しても、實は御先代の惣領で、八十郎樣には、腹違ひの御兄樣に當りますが、御病弱の上お足も惡く、それに學問がお好きで、武家の跡取になるのはお嫌だと申し、屋敷の外に一軒小さい家を建てて、學問三昧に暮して居ります」
「――」
「それから、用人の松坂彦六、若黨の三之助、あとは下男と下女だけでございます」
「御當主八十郎殿の亡い跡は、板屋家の家督はどうなります」
「遠縁の園江金次郎樣が、表向だけ、御養子の屆出になつて居ります」
 これは武家の一つのならはしでした。嫁も子供もない二十五歳の當主に、養子や後取りの用意は無用のやうですが、武家――わけても大名は死後養子がかなはず、跡取りがなくて當主が亡くなつた場合は、取潰しになるのは定法で、直參、わけても大旗本などには、その例が適用されるために、萬一の場合にそなへて、御上筋だけの名目養子を屆け出で、跡取の子供が生れた場合は、それを離縁するのが當然の仕來りになつて居るのでした。
 板屋家の當主八十郎が急死すれば、當然跡取りはこの名目養子の園江金次郎になるわけで、其處に何にか妙な匂ひがしないでもありません。
「折角ですが、それだけのことでは、町方の御用を承はる私が參つて、彼これ詮索せんさく立てもいたし兼ねます。私の代りに八五郎を差上げますから、杉本樣とやらに御引合せ下すつて、何彼と御相談相手になすつては如何でせう」
 平次は相變らず引込み思案でした。


 それから五日目、錢形平次は八五郎の使の者と一緒にいよ/\深川に乘込んで、この事件の中心に首を突つ込むことになつてしまひました。
 平次がこの事件を手がけて、眞相を明るみに出さなかつたのは、板屋八十郎が馬諸共大川に落ちて死んだといふことにして、過失死の屆出が通れば、跡目は何んのとゞこほりもなく、養子園江金次郎に相續仰せ付けられるにきまつて居りますが、うつかり詮索立てをして、八十郎の死が殺しであつたとなると、次第によつては名目養子も叶はず、家事不取締といふことで、輕くて秩祿ちつろくの何割か※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしり取られ、重ければ取潰しといふ憂目にも逢はないものでもありません。
 平次が不精をきめて動かなかつたのは、そんな含みもあつたわけで、事件はどうやら、そのまゝで濟みさうにも見えたのですが、娘多世里が平次のところへ訪ねて來てから四日目の晩、板屋で居候暮しをして居た、能役者崩れの杉本友之助――多世里が小父さんと言つて居た五十男が、自分の脇差で胸を突いて死んで居たといふのです。
 平次は斯うなると嫌も應もありません。明神下から深川佐賀町まで飛んで行くと、
「親分、矢つ張り大變なことになりましたよ」
 八五郎は待ちきれなくなつてか、永代の橋詰まで、長んがいあごを持つて來て居りました。
「杉本とかいふ人が自害したといふぢやないか」
「内から閉めきつた離屋で死んでゐるんだから、一應自害のやうには見えますがね、人間は脇差を自分の手で背中へ突き貫けるほど刺せるものでせうか」
 八五郎もなか/\うまい事を言ひます。
「變なとこから入るぢやないか」
 永代橋のたもとの直ぐ側、路地の中へスルスルと入る八五郎を、平次は呼びとめました。斯んなゴミゴミした路地から、三千五百石の大旗本の屋敷へ行ける筈はありません。
「近道なんですよ、――板屋家の惣領で、家督を弟の八十郎に讓つて、自分から進んで隱居した、主水樣といふのが此處に住んでゐるんです」
 八五郎は板屋家の塀の外に、寄生木やどりぎのやうに喰ひ付いた小さい家を顎で指し乍ら、切戸を押しあけて板屋家の庭へ入るのでした。
「その主水といふ人にも逢つて見度いな」
「あの騷ぎも知らん顏に、本ばかり讀んでゐるといふ變り者ですが、――後で御案内しませう、――尤も、變に顏を出して主人面をすると、跡取りの園江金次郎に濟まぬといふんださうで、武家は氣が知れませんね」
 八五郎に取つては、武家の義理や體面は、氣の知れない痩我慢としか思へなかつたのでせう。
 屋敷を半分廻つて、裏庭に出ると、母屋おもやから廊下でつながつた、さゝやかな離屋があります。中に居る二三人の中から、五十五六の巨大な中老人が顏を出して、
「これは、錢形平次殿、――飛んだ御苦勞でござるな。かゝうどの杉本殿が自害をして相果てたが、御隱居の大奧樣が、一應調べて頂きたいと仰しやるのでな。――當家の掛り人と申しても、杉本殿は士分でなく、間違ひがあつたところで、別段當家の瑕瑾かきんになるわけではないが、出來ることなら表沙汰にはし度くないと思つたが大奧樣のお言葉に反くわけにも參らぬでな」
 辯解とも不平とも愚痴ぐちともつかぬことを言ふのです。用人松坂彦六といふ喰へない男と、あとで八五郎は囁きます。
 平次の顏を見ると、雇人達は遠慮して母屋へ引揚げました。狹い濡れ縁を踏んで入ると中は六疊と三疊の二た間だけ、その奧の方の六疊に、掛り人杉本友之助、胸を刺されて死んでゐるのです。
 死顏は至つて穩かで、五十前後の立派な人物です。背が高く、色が白く、目鼻立の整つた、年齡を超越した美男で、着物はつむぎの縞物で晝のまゝ、胸に脇差を突き立てたまゝ、柱に凭れて死んで居たのですが、刄物を拔かなかつたので、出血は大方着物の懷中に流れて、四方あたりに大した汚れもありません。
 平次が行つた時は、脇差は死骸の胸から拔いて側に置き、死骸は寢かして檢屍を待つて居りました。八五郎が言つた通り、傷はまことに深く、杉本某が柱に凭れて居るところへ、後ろから近づいて力任せに突いたものとしか思はれず、言ふ迄もなく下手人は顏見知りの親しい者でなければなりません。
「戸締りは?」
 平次は後ろに立つて居る用人をかへりみました。
「中から嚴重に締つて居りました。廊下の錠も外からおりて居たさうで」
「廊下の錠?」
「杉本殿は妙な癖がありまして、夜中に人に來られるのをひどく嫌がり、宵のうちから雨戸を締めて、廊下の出口――母屋への通ひ路ですが――其處には外から海老錠えびぢやうをおろさせ、鍵は下女のお吉が預つて居ります。夜中母屋へ行くと思はれることは、御先代順三郎樣(八十郎等の父親)御在世の頃から、愼しみ謹んで居られたやうで」
 松坂彦六の説明は、隨分腑に落ちないものですが、美男の掛り人が、自分の部屋以外から錠をおろさせて、瓜田くわでんくつの疑ひを避けたのは、まことに行屆いた注意であつたかも知れません。これは後で氣付いたことですが、死んだ當主八十郎の母で、主水の繼母に當る女隱居は、お禮と言つて四十四五、これは年齡を飛躍して驚くべき美人で、姪の多世里の幼々うひ/\しい可愛らしさと共に、まことに罪深い禁苑の果物だつたのです。
 自分の寢室に外から錠をおろさせた、たしなみ深い杉本友之助。下手人は何處から入つてこの男を刺し、何處から逃げて姿をかくしたことでせう。念のため下女のお吉を呼んで訊くと、
「錠はいつもの通り、戌刻半いつゝはん(九時)には外からおろしました。――今日卯刻半むつはん(七時)外から聲を掛けましたが、お返事がないので、錠をあけて入つて見るとこの有樣で――いえ、戸締りには何んの變りもございませんでした」
 ハキハキと應へる三十女です。
「鍵は何處に置いてあるんだ」
「私の腰でございます――飛んでもない。杉本樣がやかましく申しますので、肌身はだみを離したこともございません」
 お吉はさう言つて、扱帶しごきにくゝり着けて、帶の間に挾んである巾着の中から、小形の鐵の鍵を出して見せるのでした。
 平次は一應錠前を調べて見ましたが、海老錠は海老錠でも、鐵磨きに眞鍮しんちゆうあはせた恐ろしく堅牢なもので、少し小型ではありますが、火箸や針金は言ふ迄もなく間に合せの合ひ鍵などで開くやうなものではなく、多く大奧などで使ふのを、特別に頼んでかざり屋に打たせたものでせう。


 離屋から庭の植込みを縫つて一と廻りすると、大奧樣と言はれる、先代板屋順三郎の後家で、十日前に大川に落ちて死んだ八十郎の母親お禮の住んでゐる部屋の前へ出ます。
 家中の者に會つて見ようと決心した平次が、第一番に此處へ顏を出したのは、まことに當然の順序でした。用人に取次いで貰ふと、
「此方へ通すがよい」
 障子を開けさせて、縁側の方を振り向いたのは、――錢形平次も息を呑んだほどの艶色です。
 年は四十五六と聽きましたが、陰影の深い細面ほそおもてで素顏に近い脂の乘つた血色は、どう見ても三十五六よりは上でなく、眉の跡の青さも水々しく、紫色の被布ひふを着て端然と白襟を合せて居りますが、絹に包んだ夜光の珠のやうに、その輝きは隱すすべもありません。
 これも後で聽いたことですが、先代の配偶つれあひで、惣領の主水を生んだ正室お玉の方といふのは、身合も由緒も立派な家の出でしたが、さう美しいといふほどの奧方ではなく、惣領主水を生んで間もなく他界し、その後順三郎のめかけであつたお禮は、板屋邸に入つて主水の身の廻りの世話をして居るうち、すゝめる人があつて假親を作り、お上筋は武家の娘といふことにして、板屋家の後妻に直り、間もなく八十郎を生んだのです。
 板屋家に入る前、お禮はツイ眼と鼻の間の、南部樣お下屋敷裏に圍はれて居りましたが、その前身は所謂いはゆるお羽織と言はれた辰巳たつみ藝者の一人で、艶名江東かうとうに隱れもなくいろ/\浮いた取沙汰もあり、板屋順三郎に引かれても幾匹かの狼が、その黒板塀の外をウロウロして、無氣味な噛み合ひを續けて居たと言はれて居ります。
 板屋家の奧方お玉の方が亡くなつて、妾のお禮が屋敷に引取られてからは、さすがに浮いた評判もなく、お禮もまたよく身を愼んで、順三郎の恩寵を一身に集め、さすがと言はれる行状でした。夫、順三郎の死後は、有髮うはつあまさながらの身持で、世間は申す迄もなく、屋敷の尊敬を集めて居る有樣です。
「飛んだことでございました、奧樣」
 平次は沓脱くつぬぎの上から丁寧に挨拶しました。
「錢形の親分、私は不思議でなりません。伜は馬術が自慢で、あんなことでおぼれる筈はなく、それに杉本樣の死にやうも、どう考へても尋常ではない樣子です。若し人樣の手に掛つて死んだものなら、板屋の家に少々の御とがめがあらうとも、下手人を搜しだして、二人のうらみが晴らしてやり度いと思ひます」
「――」
「錢形の親分」
 お禮の擧げた眼は濡れて居りました。この上もなく堅固に暮して居ると言つても、辰巳たつみのお羽織だつた昔のおもかげが、嚴重な表情の間を漏れて、甘く優しく惱ましく、相手を打つのです。
「御尤もでございます。――が、殿樣を怨んでゐる者のお心當りはございませんか」
 平次は平凡な常識的なことを訊ねました。
「そんな者がある筈もありません。親の口からは申しにくいことですが、伜は何處から何處までよく出來た男で、誰にでも立てられました」
 それは恐らく親馬鹿の言ひ草とばかりも言へません。板屋八十郎の人柄は兎も角、腕も器量も、全く並々ならぬ好青年武士であつた樣です。
「殿樣御不慮の後、御當家家督はどうなりませう?」
「矢張り名目めいもく養子の園江金次郎樣が乘込んで跡を取ることになりませう。親類方は多世里と一緒にするつもりで居るやうですが」
主水もんど樣は?」
「あれは武士嫌ひの學問好きで、――少々變つて居りますから」
 お禮の方はこの繼子を、物の數ともしないのでせう。
「御舍弟しやていの八十郎樣と御兄上の主水樣との仲は?」
「肌合ひは違ひますが、仲が惡かつたとは申されません――それに主水殿は、學問好きだけに、母親の私を大事にすることはよく知つて居ります」
 言ひ廻しは變ですが、繼母の生んだ弟に家督を讓つて學問に隱れた主水は、孝行者として世間に噂されて居たのでした。
 丁寧に挨拶して、縁側を離れた平次は、若黨の三之助と、庭木戸の前でハタと逢ひました。三十二三の小意氣な男です。
「私は三之助といふ者さ。このお屋敷に奉公して三年になるが、殿樣も大奧樣も御隱居の主水樣も、そりや良い人達だな。御用人の松坂さんは、ぼんやりして居るやうで、思ひの外眼が屆くが、大奧樣が蔭からいろ/\氣を配つて下さるから、――」
 そんな事を言ふのでした。
「平次親分、丁度宜いところへ。園江金次郎樣が見えて居るが――」
 噂をされた用人の松坂彦六は、庭下駄を突つかけた、二十前後の青年武士を案内して來ました。色の淺黒い、知的な感じのする、なか/\の男前で、これならば多世里の配偶つれあひとして、三千五百石の板屋家を繼がせても差支へはないと思はせます。
 平次は丁寧に挨拶してやり過ごす外はありません。町方の御用聞が、大旗本の屋敷の中で、まだお客扱ひの武家に、無遠慮に物を訊ねることもなりません。
「園江樣の屋敷は?」
 後ろ姿を見送り乍ら、平次は若黨の三之助に訊ねました。
「赤坂だ、――遠縁の園江金之丞樣の御次男で、評判のお方だが――三日前まで甲州へ行つて居られた筈だ。甲州勤番の兄さんの御用でな」
 三之助も、この青年武士には好感を持つて居る樣子です。
「親分、あの若い武家が、昨夜ゆうべ何處に居たか、それを訊かうぢやありませんか」
 八五郎は妙に氣色ばみますが、
「いや、餘計なことだ、――下手人は一人だ。あの方は杉本といふ人は殺せても、十日前に馬にワザをする筈はない」
 平次は頑固ぐわんこらしく顏を振るのです。


 平次は八五郎に案内されて、板屋家の塀の外の、若隱居主水のいほりを訊ねました。
「何? 錢形平次、――私に用事があるといふのか」
 聲は嚴しくて容赦のない冷たさがありました。内からサツと障子を開けたのは、二十五六の總髮の武家――といふよりは、無腰の浪人姿で、青黒い四角な顏、深い眼、弱々しい身體、智的ではあるがしたしめないところのある人柄です。
 中の調度は簡素ですが、座右に積んだ和漢の書物は素晴らしく、足の惡い主水は、その中に埋もれて、一日一杯古人を友とし、名利の外に悠々自適して居るのでせう。
 これが、繼母への義理を立てて、三千五百石の家督を捨て、弟に讓つて隱居をした、名題の孝行者と知らなかつたら、氣むづかしい貧乏武士くらゐにしかめなかつたでせう。
 足が惡いとか、武藝が不得手だと言つたところで、それは明かに口實で、それを又正札通りに受取つて、出世の階段を一足飛びに、何んとかの守にならうとした八十郎の野心のたくましさや、繼子の孝行を吹聽し乍ら、はゞかり恐るゝ色もないお禮の無反省が、平次の心持をフト暗くしてしまひます。
「杉本さんは人手にかゝつて殺されました。お心當りはございませんか」
「私が何を知らう」
 主水は、思ひの外素直に應へましたが、その言葉には何んのふくみもありません。
「板屋樣御家督はどうなりませう」
「園江金次郎といふ立派な跡取りがあるではないか」
 何をつまらぬ――と言つた主水の顏です。
 平次はそれ以上何んにも訊くことがなくなりました。ねばつて居たところで、この人嫌ひらしい變人に、イヤな顏をされるだけのことです。
「親分、もう歸るんですか」
 主水の隱宅を出て、フラフラと永代の方へ行く平次を、八五郎は不足らしい顏で追つかけました。
「歸るよ、武家の揉め事は、矢張り俺のしやうに合はないらしい」
 平次はそんな事を言ひ乍ら、永代橋の欄干に凭れて、ゆら/\と搖れてゐる、春の水を眺めて居りました。
「まさか飛び込むんぢやないでせうね親分」
「お前と心中するのは不足だよ、――その上生憎あいにくなことに俺は泳ぎを知つてゐる」
「――」
「八、馬といふものは、生れながら泳ぎを知つてゐる筈だな。犬でも、猫でも同じことだが」
「習はなきや泳げないのは人間ばかりで」
「その馬がおぼれたのはどういふわけだ、――尻に吹矢を射たれたくらゐで、達者な四つ足が溺れ死ぬのは變ぢやないか」
「へエ?」
「この邊に馬の先生は居ないか、八」
「興作屋敷跡に小さい馬場を拵へて、大坪流の權藤要之介といふ先生が馬の稽古をしてゐますが」
「そいつは宜い鹽梅あんべえだ。行つて見よう」
 其處から興作屋敷跡は一と丁場でした。お勝手から訪づれて、丁寧に頼み込むと、
「何? 錢形平次が物を訊きに來た。あ、宜いとも、此方へ通すが宜い」
 取次ぎも待たず、奧から主人の聲が呼び入れます。
 通されたのは奧の小部屋で、主人要之介はサアサアなどと遠慮させない歡迎振りです。年の頃四十五六、中肉中背の、よく陽に焦けた、練達な感じのする浪人者でした。
 平次の説明を一通り聽くと、
「成程、尤もな不審ぢや。不審を不審のまゝにせずに、私のところへ訊きに來たのは、さすがに錢形平次と言はれるだけあつて、見上げた心掛けだな」
「恐れ入ります。――馬は橋から落ちたくらゐのことで、さう手輕に死ぬものでせうか。それからお伺ひいたします」
「馬といふものは、驚き易いものだが、生得しやうとく泳ぎは知つて居る。水馬の術などは、その馬の性状を生かすのが主意で、重いよろひを着けた人間が、馬に泳がして貰ふ術といつても宜い――まして音無瀬おとなせと言はれた名馬が、橋から落ちたくらゐのことで容易に死ぬ筈はない」
「すると」
「待つてくれ――平次、落ちるにしても人を乘せた馬が仰向きになるのはをかしい。唐土もろこしの繪には、仰向けに落ちる馬の繪もあるが、――水の上に落ちても立直らずに、四足を上に向けてバタ/\やつて居るといふのは變だな」
「尻に吹矢ふきやを射込まれて居ります」
「それくらゐのことではあるまい。――橋の上で二三度グルグルと廻つたのは、吹矢を射込まれた爲ではない、――馬は氣が變になつて居たのだ」
「?」
馬醉木あせびかな?」
あせび――成程、そこへ氣が付きませんでした」
「よく庭木などにして居る、茶の木に似た木だよ。丁度今頃白い小さい壺形つぼがたの花が咲いて居る筈だ。その花や葉を馬に喰はせると、よだれを流して泥のやうに醉ふ。馬に取つてはこれほどの恐ろしい毒はない。若し馬醉木の花か葉を喰はせるか、その煮汁を飼糧かひばに入れて馬にやり、醉つたところへ尻に一本吹矢を射込んだとしたら、馬は正氣を矢つた氣狂ひのやうに飛び出すにきまつて居る。水に落ちて助からなかつたのもその爲だ」
 權藤要之介の説明は丁寧でした。
「親分、ありますよ。その馬醉木あせびとかいふ木なら丁度板屋家の屋敷の裏に――」
 八五郎は眼の色を變へます。
「有難うございました。それで大方わかりました」
 平次は引止める權藤要之介を振りきるやうに、丁寧に禮を言つて外へ飛び出しました。


「八、お前は板屋家の後家、お禮さんのことをとことんまで洗つて來い。お羽織だつた頃の情夫いろは言ふ迄もなく板屋順三郎のお妾のお禮が身性みじやう、ことに男出入りを念入りに調べるんだ。二十年も二十五年も前のことだが、そんな事は不思議に世間の人は忘れないものだ」
「親分は?」
「俺は板屋家を、もう一度調べて見る。急ぐんだぞ、八」
「へエ」
 八五郎と別れて、平次はもう一度板屋家に引返しました。用人松坂彦六を呼び出して、もう一度離屋に入ると、杉本友之助の死骸を隣りの三疊に移させて、六疊の部屋を眞にめるやうに調べ始めたのです。
「何を搜すんだな? 親分」
 平次の態度の物々しさに驚いて、用人松坂彦六は呆氣あつけに取られて居りますが、平次は委細構はず、四方の壁を叩いたり、縁側の板の隙間を一枚々々調べたり、全く氣狂ひ沙汰の探索です。
「あつた」
 平次は到頭歡聲をあげました。
 床の間の敷板を、茣蓙ござを張つたまゝポカリと引剥ぐと、その下に一尺五寸四方ほど、床板を切拔いた穴があり、その穴をのぞくと、床下の土は綺麗に堀られて、中腰になつて歩くほどの道がついて居ます。道の盡きるところに一枚板があつて、それを押すと、何んの苦もなく庭へ出るのでした。
 驚いたことに床下の道はよく踏み堅められ、出口をふさいだ板の内側には、用意の草履と下駄が、一足づつ備へてあるではありませんか。
 杉本友之助を殺した下手人は、離屋の戸締りを内から嚴重にした上、この床の間から地下道に降りて、何んの苦もなく逃げ去つたことは言ふ迄もありませんが、その前からこの地下道は、離屋に住んでゐる杉本友之助が頻繁ひんぱんに使つて居り、下手人はそれを知つて、密室の殺人の逃げ道に利用したのでせう。
 平次は尚もあちこちと歩いてゐるうちに、裏庭の隅に、茶の木に似て六尺あまりに延び、白くて小さい壺形の花を着けた馬醉木あせびを見付けました。よく見るとその木の枝がところ/″\折られ、花もひどく※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしり取られたらしいのも、ひし/\と思ひ當ります。
「親分、皆んなわかつたぜ」
 其處へ飛び込んで來たのは勝ち誇つた八五郎でした。
「あのおこなひすました御後室のお禮といふのが大變な女だらう」
 平次は先を潜ります。
「その通りさ。お羽織藝者の頃から情夫いろが何人あつたかわからねえが、深間といふのは能役者の杉本友之助で、妾宅へ入り浸つてゐたのが――板屋家の奧方が死んで、あの女が乘込んだ時は、お腹がポテと來て居たといふから間もなく生んだ八十郎は、誰の子だかわかつたものぢやない、――世間の噂ぢや、八十郎の顏は色白でのつぺりして、杉本友之助そつくりだといふことですぜ」
「そんな事だらうと思つたよ」
「それから暫くあの能役者崩れは足を遠退いて居たが、御主人の順之助樣が年を取つて少々ヨボヨボになると、うまい事を言つて板屋家に乘込み、うたひの師匠だか、用人だか、居候だかわからないやうに暮して居るが、――殿樣を絞め殺した後は――」
「何んだと?」
「これは世間の評判ですよ、證據があつたわけぢやねえが、杉本友之助が乘込むと、間もなく殿樣が死んだのは唯事ぢやあるめえといふ者もありますよ」
「よし/\、それで大方わかつた。この儘歸つても宜いが、平次が馬鹿にされたと思はれるのもイヤだから、ちよいと筋を通して行かう。來い、八」
 平次は馬醉木あせびの枝を一本折つた上、何處で見付けて置いたか、打ち割つた竹片たけきれの三尺あまりもあるのを七八本大事さうに抱へて、板屋家の塀の外の、若隱居主水の家へ縁側から聲を掛けるのでした。
「板屋樣、ゐらつしやるでせうね。――これを御覽下さい、障子の隙間から入れますよ。馬醉木あせびに吹矢竹の割つたの、――あつしには何も彼も皆んなわかつたつもりですが――あわてて腹なんか切つちやいけませんよ。あつしは何んにも言やしません。武家の意地や體面や、つまらねえ義理は大嫌ひだが、旦那のなすつたことは無理もねえ。――よくわかりますよ。慾得づくの事と違つて、――あつしはこのまゝ歸つて、二度と此處へは參りませんが、旦那は百までも生きて、金次郎樣と多世里さんの、可愛らしい若夫婦の上を見てやつておくんなさい――なアに、あの女怪をんなばけはあつしがちよいと細工をして、此處に居られねえやうにして上げますよ。ぢや板屋の旦那」
 平次はそつと縁側を離れました。中ではあの氣むづかしさうな板屋主水、涙を流しながら、疊に双手もろてを突いて、障子の隙間から、御用聞風情の平次の後ろ姿を拜んで居るのでした。
        ×      ×      ×
 歸る途々、八五郎の執拗しつあうな問ひに答へて、平次は斯う説明してくれました。
「あの主水といふ人は少し古風で頑固だが、性根は立派な人だよ。繼母に義理を立てて、一度は弟に家督を讓つたが、その弟八十郎は、繼母のお禮と姦夫かんぷ杉本友之助の間に出來た不義の子と知つた時、どんなに口惜くやしかつたことだらう。――だが事を荒立てたり、弟を手に掛けたりする。と、板屋家の破滅だ。――さうかと言つて、姦夫姦婦の子が板屋の跡取りになり、何んとかの守に任官するのを默つて見ては居られなかつた――馬醉木と吹矢で運を天に任せた細工はそのためだよ。その博奕ばくちがうまく當つて、弟の八十郎は過つて水死したことになつたが、まだ父親を殺した杉本友之助が、ヌクヌクと板屋家に入り込み、自分の部屋に外から鍵などをおろさせて、床下の道から、夜な/\繼母のお禮の部屋に通つて不義の樂しみを重ねてゐる。フトした事から、近頃になつてそれを知つた主水は、我慢がなり兼ねて昨夜ゆうべ友之助のところへ忍んで行き、面と向つて責めたに違ひあるまい。友之助はツベコベ言つて、さかねぢでも喰はせたことだらう、我慢のなりかねた主水は傍にあつた友之助の脇差を取つて一ト思ひに突いた。そして内から戸締りをして、あらかじめ見定めて置いた、床下の道を潜つて歸つたといふ段取りではないか」
「成程。それで皆んなわかりましたよ」
「主水は古風な人間だから、憎いとは思つても母と名のつくお禮には手は出せまい。こいつは俺の手で、何んとかして板屋家から追つ拂ひ、あの可愛らしい多世里を園江金次郎と娶合めあはせて、主水の後見で板屋家を立ててやり度いところだね」
「――」
「俺は昔から言つてる通り、武家のイザコザは大嫌ひさ。主水のやうな人間も好きぢやねえが、あの人の好いところを買つて、今度は默つて引揚げる氣になつたまでのことだよ、――これを聽いたら、世間ぢや俺達のことを馬鹿といふだらうよ。その代り、橋を渡つたら、お前の馴染のあの家で、ちよいとやく拂ひに一杯やらかさうぢやないか。女房には内しよだよ」
 馬と人を呑んで、ノタリノタリの春の夕陽に淀む永代の下を眺めながら、平次は首をすくめて苦笑ひするのです。





底本:「錢形平次捕物全集第二十七卷 猿蟹合戰」同光社
   1954(昭和29)年6月10日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋新社
   1950(昭和25)年4月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2017年4月18日作成
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