錢形平次捕物控

五つの壺

野村胡堂





「親分、長い間お世話になりましたが――」
 八五郎はいきなり妙なことを言ひ出すのです。まだ火の入らない長火鉢の前、お茶をのんで煙草をふかして、煙草を呑んでお茶をすゝつて、五尺八寸の身體が、ニコチンとカフエーンで一杯になつた頃、何やら繼穗つぎほのない話を思ひ出したのでせう。
「大層改まるぢやないか、――まさか長い草鞋わらぢくについての挨拶ぢやあるめえな」
 平次は大きく欠伸あくびを一つ、節をつけて、さて――と言つた顏になります。
「そんなしめつぽい話ぢやありませんよ。例へば、煙草がなくなるとツイ、向柳原から此處まで飛んで來て、尻から煙の出るほど吸ふといつたあつしでせう」
「どうもさうらしいな。飯の食ひ溜めといふことは聽いたが、煙草の呑み溜めは、八五郎一人にそなはる藝當だよ」
「そこでね、親分。それもこれも不斷小遣ひのないせゐでせう」
「恐ろしく悟りやがつたな」
「金儲けなんて藝當はあつしの柄ぢやなし、こいつは一番心を入れ換へて、溜めるに越したことはないと覺悟をきめましたよ。道話の先生もさう言つたでせう――儲けるより溜める方が早い――と」
「大層なことになるものだな。氣は確かか、八」
「へツ、ずんと正氣で、この通り」
 などと、自分の胸をドンと打つて見せる八五郎です。
「ところで、金を溜めて、何うしようといふのだ。江戸つ子にはないたしなみだが、後學のために聽いて置かうぢやないか」
「先づ第一に、煙草を呑み度くなる度毎に、一々此處まで飛んで來るのが止せますね」
「成程、下駄が減らなくて宜いだらう」
「小遣ひがなくなつて、親分のところへ借りに來ると、きまつたやうにお靜姐さんが風呂敷包を持つて、お勝手口から驅け出すでせう。あれは殺生過ぎて見ちや居られませんよ、親分の前だが」
「馬鹿野郎」
「へエ」
「お靜がお勝手口から飛び出したつて、まさか、身賣をするわけぢやあるめえ、多寡たくわが質屋通ひだ。こちとらの女房が質屋の暖簾のれんをくゞるのは、三度の飯をくのと同じことだよ。餘計な氣を廻しやがると、水をぶツかけて、かどのムク犬をけしかけるよ」
「ま、待つて下さいよ。金の入用なわけがもう一つあるんで」
「何んだえ、それは」
「叔母さんが早く氣に入つた女房を持て/\と、うるさく言ひますが、握りつこぶしぢや男つ振りがどうあらうと、來てくれ手がありませんよ」
「成程、祝言の入費が欲しいのか、そいつは本當だらう、早くさう言へば宜いのに。煙草も質屋も餘計なことぢやないか」
「で、此間こないだから、飮むものも飮まずに、せつせと溜めましたよ」
「もうやつて居るのか、いくら溜つたんだ――安心しなよ、貸せとは言はねえ」
ちりも積れば山で、十文二十文と溜めて叔母へ預けた金が、ざつと六百二十四文」
「何んだ、一貫ともまとまらねえのか、六百文や七百文は金とは言はない、それはぜにだよ。馬鹿馬鹿しい」
「尤も溜める一方から、叔母を口説くどいて借り出しましたがね、元金もとが入つてるせゐか、叔母も大した惡い顏もせずに貸してくれましたよ、――その方は二分二朱と十六文――こいつは二分金が入つて居るから、確かにかねで」
「呆れてモノが言へねえよ、お前といふ人間は。六百二十四文溜めて、二分二朱も借り出せば、差引勘定一體どういふことになるんだ」
あつし算盤そろばんの方は不得手でね、一つ親分にパチパチとやつて貰はうと」
「算盤なんか俺の屋敷にあるものか、俎板まないたか何んかで間に合せて置け、馬鹿々々しい」
 平次はまことに劍もほろゝでした。が、八五郎が斯んな馬鹿な話をする眞意は外にあつたのです。


「ところで、親分、金を溜めた話の續きですがね」
「何んだ、まだ金を溜めることにこだはつて居るのか、よく/\お前といふ人間は――」
 江戸つ子の生れそこなひ金を溜め――といふ短詩はまだ現はれませんでしたが、金を溜めるのを、江戸つ子の恥としたのは、平次の時代ではもう常識になつて居たのです。
「世の中には、恐ろしく溜めた野郎もあるものですね。淺草福井町の加納屋五郎次、親分も御存じでせう」
 八五郎の話はようやく本筋に入りさうです。
「知つてるとも。ケチで高慢で、女道樂がひどくて、五十になるまで、よく罰も當らずに生きて居ると思ふやうな親爺おやぢだ」
 福井町で代々の兩替屋、地味に堅實に暮して、江戸長者番附へるのさへ、物要りで人目につくからと、たつて斷わつたほどの人間です。代々蓄積した富は、はかり知れないと言はれて居ます。
「あの加納屋五郎次といふのは、代々の通り名で、東照宮樣御入國以前の家柄ださうですが、代々の遺言で、當主は死ぬまでに、かめ一パイのかねを子孫にのこすことになつて居るさうですね。今の主人は六代目で、どんなに内輪に見積つても、瓶五杯や、六杯の金が隱されてあるのだらうといふことで」
「フム」
「いくらあると思ひます、その瓶五杯に入つて居る金は」
「そいつは瓶次第さ。瓶と一口に言つても、鐵漿瓶おほぐろがめから水瓶、梅干瓶から、司馬温公しばをんこうの碎いた水瓶まであるぜ」
「瓶は一斗くらゐ入る瓶としてですよ、小判でざつと――三千兩は入りますね。いや、小判は薄いから、五千兩も入るかな」
「六百二十四文とは、少し身上しんしやうが違ふやうだな」
「それを何處に隱してあるか、當主一人しか知らないから面白いでせう」
「知つたつて面白くないよ」
「何しろ大した身上ですね、五代の間に瓶で五六杯の金、――それを聽いただけでも、う背中がムズムズするぢやありませんか。あつしが一念發起して、金を溜めたくなつたのも無理はないでせう」
「勝手にしやがれ、借りてやらないから」
 平次は面白くもなささうに舌打しました。
「ところで、話はこれからなんで」
「もう止さうぢやないか。粉煙草は俺が達引くし、お小遣ひに不自由すれば、少し口やかましいけれど、あんなに氣の良い叔母さんがついて居るし、金や情婦いろに不自由する八五郎でもあるめえ、人の小判なんかかぞへたつて、面白くも何んともあるものか」
「それがね、親分。近頃その加納屋の、六代もかゝつて溜めた金――何萬兩とも知れぬ瓶をつけ狙つてゐる曲者があるといふから大變ぢやありませんか。あんまり澤山金を持つて居ると、魔がさすんですね」
「こちとらは魔がさす氣遣ひはねえ代りに、移り替へ時になると、秋風が身にしみるよ。ハツクシヨン」
 平次は甚だしく冷淡な口調ですが、その癖八五郎の話に引入れられて、ひどく熱心に聽いて居る樣子です。心得たもので八五郎は、平次のお茶らかすのも構はず、あひの手澤山に、この話を進めて行くのです。
 銀行も金庫も、株券も手形もなかつた時代に、金がどうしてたくはへられたか、これは實に面白い問題でした。幕府の御金藏でさへも、無宿者や浪人に破られた例があり、まして防備のない一般町人が、金を保存する上に拂つた苦心に、どんなに深刻なものがあつたか、想像に餘りあるものがあつたでせう。
 竹筒、唐櫃からびつ、大地の下――と隱す場所はいろ/\あつたことでせうが、その大部分は本人或は子孫に取り出され、再び流通貨幣の役目に就いたにしても、その幾部分かは、いろ/\の原因で隱したまゝ忘れられ、後の世の人の好奇心と欲望をそゝつたことも想像されるのです。
 金銀がいろ/\の形で貨幣くわへいとして通用するやうになつてから、恐らく數百年も經つたことでせう、その間に戰亂や盜難を避けて大地の底に埋められ、そのまゝ忘れてしまつた額も、決して少ない筈はなく、大袈裟おほげさに言へば、我々の踏んでゐる大地の下には、思ひも寄らぬ巨額の金銀貨が埋藏されてゐることもあり得るのです。
 寶搜しの小説や物語が、いろ/\の形で人の興味をひいたのはその爲で、すで歐羅巴ヨーロツパの――あの古い歴史を持つた國では、寶探しを專門の仕事にし、禁呪まじなひうらなひと、鶴嘴つるはしを道具にして、一生を打ち込んだ人も少なくないと言はれて居ります。
「ところで、その加納屋ですがね、――近頃變な野郎が狙つて居る樣子で、二度も三度も縁側や土藏の、土臺下を掘られたと聞いちや、捨てて置けないぢやありませんか」
 八五郎は尚ほも、『溜めた金』の話を續けるのです。
「誰がそんな事を言つたんだ」
「加納屋の番頭の忠吉ですよ、――ケチで高慢で女道樂がひどい主人にくらべると、忠實まめで正直で働き者で話のわかる、良い男ですよ」
「一杯飮ませたんだらう、お前に。わかつて居るよ、飮ませるのは判つた男で、飮ませねえのはわからず屋さ」
「親分、あつしは怒りますよ。何時何處であつしはそんなわからねえことを言ひました。酒を呑ませたつて、呑ませなくたつて、はゞかりながらこの十手の手前――」
 八五郎は懷ろの奧に忍ばせてゐる十手を爪搜まさぐるのです。
「わかつた、八。こいつは俺の言ひ過ぎだ、勘辨してくれ。ツイ冗談がかうじたんだ」
 平次は泳ぐやうな手付きで、八五郎をなだめるので、この男の一本調子は、知り過ぎるほど知り拔いて居ります。
「なアに、腹を立てたわけぢやありませんがね。親分が、あんまりわからねえ事を言ふから――」
「よし、お前をからかつた詫に、福井町の加納屋へ、俺も行つて見るとしよう。その土臺下に掘つた穴が、土龍もぐらもちの仕業か、人間の惡戯か、それを見極めりや宜いんだらう」
「酒で口説くどかれて、親分を引張り出しに來たわけぢやありませんがね」
「まア、宜いよ、行かうぜ」
 平次は氣輕に立上がると、手早く支度をして、八五郎をうながし立てるのです。


 福井町の加納屋は、なりしづめて嚴重な板塀の中に閉ぢ籠つたやうな家でした。時刻はまだ思ひの外早くて、辰刻半いつゝはん(九時)頃の秋の陽が、その外廓を物々しく照らして居ります。
 入口に立つて、平次は暫らく中の樣子を見て居りました。方十二三間もある角屋敷で、かたの如く店構へも尋常、暖簾のれんも下がつては居りますが、兩替と質よりは、先祖代々の蓄積と信用と、それから金利でふとつた家で、奧の方に土藏が二たむね、脅威的な物々しさで往來を覗いて居ります。
「御免よ」
 八五郎は先に店へ入ると、
「あ、八五郎親分、錢形の親分も御一緒で――もうあのことが聞えましたか」
 番頭の忠吉は、きもをつぶした樣子で二人を迎へました。
「あ、早耳が自慢だよ。そこは稼業柄しやうべえがらでね」
 などと、八五郎は要領よく應じます。實は何んな事があつたのか、平次にも八五郎にも少しもわかつてはゐないのですが、番頭のあわてた樣子が唯事でないので、一應知つて居ることにして、事件をぎ出さうといふのでせう。
「實は、お屆けしたものか何うか、迷つて居りました。親分方がお出で下されば、主人も否應は申すわけはございません」
「さうとも、さうとも」
 八五郎は相槌あひづちを打ちました。
「暫らくお待ちを願ひます」
 番頭の忠吉はアタフタと奧へ引つ込みましたが、やがて主人の五郎次をつれて來ました。忠吉はせて臆病らしく、そのくせ動作の早い高麗鼠こまねずみのやうな四十男。主人の五郎次は、色白のよく肥つた、五十年配の、典型的な旦那衆です。
「いや、錢形の親分さん、これは内證で濟まされることでないから、いづれお屆けしようと思つて居りましたが、肝心かんじんの香之助が表汰沙[#「汰沙」はママ]にするのを嫌がるので、ツイ愚圖々々して居りました」
 五郎次は首筋などを掻くのです。金持や顏役によくあるで、内輪に起つた事件を、口留めして内證で濟まさうといふ計畫だつたのでせう。
「兎も角、香之助とやらに會ひ度いが」
「へエ/\どうぞ、此方へ」
 忠吉は店の裏の、三疊敷の小部屋に案内しました。其處は若い番頭の香之助が、店番かた/″\寢泊りしてゐる部屋だと、主人の五郎次が説明して居ります。
「この通り、大した怪我でもないのですが」
 主人の五郎次は、部屋の外から、寢てゐる香之助を指さすのです。
 見ると、二十七八の若い番頭香之助が、頭から肩を、晒木綿さらしもめんで包まれて、粗末な布團の中に寢て居ります。
「どうしたんだ、番頭さん」
 二三度店へやつて來て、顏馴染になつて居る八五郎は、その枕許に膝行ゐざり寄りました。
「今朝起きて、下男の猪之松ゐのまつが雨戸を開けると、庭先に香之助どんが、血だらけになつて、氣をうしなつて倒れてゐたんださうです。驚いて抱き起して見ると、幸ひまだ息があつたので、呼びかけたり、水を掛けたり、そのうちにお組が氣をきかして、町内の外科を呼んで來たので、間もなく正氣を取戻しましたが、何分、頭の上から肩へかけて、ひどい打ち傷で、暫らくは靜かにして手當をしなければなるまい――と斯う申します」
 番頭の忠吉は説明してくれました。
「この間から、土臺下に穴を掘られて、困り拔いて居りました。八五郎親分にも見て頂きましたが、これぢや不用心でやりきれません。昨夜も中庭で變な音がしたんださうで、香之助どんが起きて行つて、新しく出來た土藏の下の穴を覗くと、いきなり後ろから撲たれたんださうで」
 番頭の忠吉は尚ほも附け加へました。
 怪我をした香之助は、面目もない姿でそれを聽いて居りましたが、
「もう少し、その時の樣子をくはしく聽き度いな」
 と平次が訊ねると、
「それつきりでございます。――變な音がしたので起き出しました。曉方あけがた近かつたと思ひます。雨戸を開けて外へ出ると、誰か土藏のあたりで、ウロウロして居ります。そつと降りて行つて、手捕りにしようと思つた私が無分別だつたわけで――」
「?」
 話し續ける香之助は、ホツと息を繼ぎます。傍から、それに、湯呑をすゝめて、口を濡らさせたのは、十九くらゐに見える美しい娘。それは加納屋の遠縁に當る孤兒みなしごで、引取られて下女代りに働いて居るお組とあとでわかりました。
「すかして見ると、土藏の土臺下に又も大穴があいて居ります。其處を調べるつもりで、首を突つ込むやうにしてゐると、いきなり後ろから、頭をたれたまでは知つて居りますが、あとは何んにも存じません。呼び覺まされて眼を開くと、この部屋に移されて、皆さんに介抱されて居りました」
 香之助は語りをはつて、枕に額を押へるのでした。繃帶だらけの顏は、少しむくんで淺ましく變つて居りますが、二十七八のこれは好い男で、話の調子もハキハキして居ります。
「昨夜は月がなかつた筈だが――」
 平次は問ひ返しました。
「曉方近かつたので、外はぼんやり見えました」
「薄明るくなるまで、泥棒は穴を掘つて居るでせうか」
 それは八五郎でしたが、
「お前は默つて居ろ」
 平次はそれをたしなめて、さて、外廻りを一巡りすることになりました。


 百五六十坪のところは、母屋おもやと土藏が二た棟、それが皆んな廊下でつながつて、幅を取らないやうにしてありますが、それでも中庭といふのは少しばかりで、青い物を植ゑる場所もありません。
 母屋おもやの縁の下や、土藏の土臺下などは、ところ/″\淺ましく掘り散らされて居り、それを埋めた土の生々しさが、この家を包む怪奇なのろひを暗示するやうでもあります
「この邊でしたよ、番頭さんが眼を廻してゐたのは」
 下男の猪之松が庭を案内してくれました。二十七八のまだ若くて元氣な男ですが、眞つ黒で少し跛足ちんばで、おまけに小人に近い小男です。
 指さされたあたりを見ると、土の上に少し血がこぼれてゐるらしく、穴は一尺ほど土藏の土臺下を掘つたものですが、その直ぐ傍に、くははふり出してあるのも、昨夜の名殘りらしくて無氣味です。
「この鍬は? 少し血が附いてゐるやうだが――」
「物置から持ち出したものです。物置は締りがありませんから、誰でも持ち出せます」
 猪之松ゐのまつが指さした方を見ると、お勝手から裏木戸へ出る途中に、二間四方ほどの低い物置があります。
「主人の部屋は?」
「母家と土藏の間になつて居ります。表の方に向つて居るので、此處から中は見えませんが」
「奉公人達は、何處に寢るんだ」
「お二人の番頭さんは店と佛間を挾んで右と左に。下女のお富さんとお組さんは、お勝手の側の四疊半に。それだけでございます」
「小さい二階があるやうだが」
 主人の部屋の上のあたりに載つかつた小さい二階を、平次は見上げました。
「あれは若旦那のお部屋でしたが、親御の旦那樣と仲違ひなすつて、今では本所のあたりに住んでゐるといふことです」
「仲違ひといふと?」
「若旦那が少しつかひ過ぎたのと、一緒に居るおあやさんが、大旦那の氣に入らなかつたのでお二人は親の許さない仲ですが、御一緒になつて、本所でその日暮しをなすつて居るさうで、お氣の毒なことです」
 下男の猪之松はがらにも似ぬなか/\の達辯で、大した遠慮もせずに、問はるゝ儘にあれこれと説明してくれます。
「その若旦那は、此處へ來ることがあるのか」
「滅多にありません。いらつしやれば、親旦那と喧嘩になるにきまつて居りますから」
「ところでもう一つ訊き度いが」
「へエ、へエ」
「今朝お前が雨戸をあけた時、何處か一箇所、明いて居たところはなかつたか」
 平次の問ひは不思議でした。
「いえ皆んなよく閉つて居りました、ちやんとさんまでおりて。一體この家は、恐ろしく戸締りが嚴重で、貧乏育ちの私などは、あんまり戸締りがしつかりしてゐるので、反つて氣味が惡いと思ふほどでした。今は馴れつこになりましたが」
「お前は生れは何處なんだ」
「三河島でございますが、――もう五年も奉公して居ります。こんな身體ぢや何處へ行つても使つて下さいませんので、――給金の贅澤も言つちや居られません」
 これを飜譯ほんやくすると、給金は安いけれど、他へ行つては使ひ手もないので、我慢して此家こゝに居る――といふことになるのでせう。
 併しこの多辯は、平次に取つては、何よりの好都合でした。
「この家は、板塀が廻してあるから外からは滅多に入れないことだらうな」
「へエ、この通り嚴重な締りで、溝鼠どぶねずみのもぐる穴もありません。今朝なども、店も切戸も裏口も、皆んな締つて居りました。私があけたんですから、間違ひはありません」
「曲者は何處から逃げたんだ」
 口をれたのは八五郎でした。
「サア、其處まで私にわかりませんが――」
「主人と若旦那は餘つ程仲が惡いだらうな」
 平次はもう一度話のよりを戻します。
「勘當するくらゐですから、仲の惡いのは町内でも評判ですよ。何しろ親御は溜める一方で、若旦那は費ふ一方ですから、それにさう言つちや惡いが、親旦那はあまり人情や義理にこだはるたちぢやありませんが、若旦那は費ひが荒い代り、奉公人にも、近所の衆にもまことに當りの良い方で」
「若旦那の配偶つれあひのお綾さんといふのは?」
「隣町の日雇取ひようとりの娘ですよ。あまり釣り合はなさ過ぎるので、若旦那が何んとお願ひしても、親旦那は一緒にさしてくれません」
「さぞ綺麗なことだらうな――裸體はだかで玉の輿に乘るやうぢや」
 八五郎がまた横から口を出します。
「大してお綺麗といふ程ではないが、可愛らしい優しい人ですよ。親孝行で働き者で、その上愛嬌があつて」
「親は?」
「可哀想にた親共亡くなりました」
「怪我をした番頭の香之助は若旦那と格別親しいといつたやうなことはないのか」
「そんな事はございません。あの香之助といふ人は三代も前からの番頭で、親の香兵衞、お祖父さんの香七から、忠義を勵んだと言はれて居ります」
「それで、暖簾のれんをわけてでもやつたのか」
「加納屋には、そんな仕來たりがないさうで、出店も別家も孫店も、ありません。皆んな一生奉公で」
 それは恐ろしい犧牲ですが、その犧牲をさへ意識しないほど、代々の香七、香兵衞、香之助は忠義一途にり固まつて居たのでせう。
「その香之助へ、お組といふ娘が大層よく世話をして居たやうだが――」
「へツ、へツ、お互に若い人ですから」
 下男猪之松は、何やら含蓄がんちくの深い笑ひをらしました。


 その事件があつてから五日目の朝でした。八五郎の『大變ツ』が、旋風つむじを起して、明神下の平次の家へ飛び込んで來たのです。
「どうした、八」
 平次は日頃の冗談も飛び出さないほど、八五郎の樣子が緊迫きんぱくしてゐたのです。
「到頭やられましたよ」
「誰が?」
「加納屋の香之助ですよ。あの怪我も治りきらないのに、土藏の前で、背中から一と突きにやられてゐます」
「そいつは俺の手ぬかりだ」
 平次は少しあわてました。八五郎と一緒に福井町に飛んで行つた時は、もう晝近い頃。
「濟みません、親分。度々たび/\御手數をかけて」
 迎へてくれたのは老番頭の忠吉でした。
 それを尻目に、人立ちのする中庭に入つて行くと、香之助の死骸は、縁側から部屋の中へ運び入れて、主人五郎次が指圖役に廻り、下男の猪之松と、下女のお富が何や彼と世話をして居り、もう一人の下女――遠縁の娘といふお組だけは、この家でたつた一人の泣き役で、貧し氣な香之助の床の前を飾りながら、せぐり上げ、せぐり上げ泣いて居るのです。
「親分、又この騷ぎだ、――私はもう、つく/″\いやになりましたよ」
 主人の五郎次は、縁側に立つて、しかめつつらをして居ります。
「飛んだことでしたね、一寸拜まして下さい」
 平次は穩かに受けて、死骸を見せて貰ひました。香之助は頭の繃帶もまだ取れて居りませんが、それでも何にかわけがあつて夜中に外へ出たものでせう。見ると兩手にひどく泥が附いて、傷は左の背中――腰のあたりから、上向きに突き上げたもの、恐らく心の臟まで刄先が屆いて居ることでせう。
「刄物は?」
「ありませんでしたよ」
「長目の脇差わきざしだらうと思ふが――」
「――」
 主人は四方あたりを見廻しましたが、誰も應ずる者はありません。
「土藏の前を見せて貰ひませうか」
「では――」
 主人が案内して、平次は土藏の前の、香之助の殺された現場に行くと、八五郎と忠吉と、下男の猪之松がその後ろから跟いて來ました。
「此處だつたな、猪之松」
 主人の五郎次は、土藏の後ろ――土臺下の一角を指さしました。
「へエ、その邊だつたと思ひますが――」
 土臺下は少し掘り散らされて、血の附いたくはが抛り出してあります。多分この前香之助をつた鍬と同じものでせう。今度は柄から尖端さきまで生血に濡れて、何んとなく無氣味に見えますが、その割に大地にはあまり血の跡がなく、掘りかけた穴も、ひどく小さいのが、この前の時と違つたところです。
「戸締りは?」
「今朝縁側の戸が一枚開いて居りました」
 猪之松が答へました。
「この前の時は、皆んな締つて居たと言つたやうだな」
「どうも、あの時の事が、まだ不思議でなりません。香之助さんが外へ出たところだけでも、開いて居なきやならない筈ですが」
「誰か小用に起きて、締めたんぢやありませんか、――宵に締め忘れたものと早合點して」
 主人の五郎次でした。
「店とか切戸とか、裏口とか、外から曲者の入つた場所はなかつたのか」
「裏口が開いて居りました」
「行つて見よう」
 平次は八五郎と猪之松だけをつれて、裏木戸に廻つて見ました。此處も恐しく嚴重で、物凄い忍び返しを越えて、中へ忍び込むことなどは思ひも寄りません。
「こいつは、内から締つて居ちや、外からは容易に入れませんね」
 八五郎は締りの嚴重さに舌を卷いて居ります。
よひのうちに忍び込んで居るか、内から開けて入れて貰ふ外はあるまいよ」
 平次は簡單にその謎を解きました。
「この家に裏切者が居るわけで――」
「さうとは限らないが」
 平次は何やら深々と考へ込んでしまひました。事件はようやく怪奇な面を見せて來たのです。
「親分、妙なことがありますが」
 八五郎は物置の傍で、うさんな鼻をふくらませて居るのです。この時、猪之松はもう用事が濟んで母屋の方へ引揚げて行きます。
「何んだい」
「草花や植木なら兎も角、わざ/\名も知れない雜草を植ゑて仕立てる者があるでせうか」
「――」
 平次は八五郎の指さすあたりを覗きました。手頃ではあるが、頑丈といふ外には取柄のない物置の、東側の土臺のあたりを、ひどく掘り散らしたらしく、新しい土が散亂してをりますが、それを丁寧に掻きならして、上に名もなき雜草が植ゑつけられ、激しい日光に半分しをれて居るのが妙に八五郎の眼をいたのでせう。
「誰にも言ふな、――ところでお前は御苦勞だが、本所に世帶を持つてゐるといふ、この家の惣領のれん太郎のところへ行つて見てくれないか」
「へエ」
「家は番頭の忠吉が知つて居るだらう。本人夫婦に逢つて、いろ/\訊いた上、昨夜ゆふべ外へ出なかつたかどうか、近所の噂もかき集めるんだ――宜いか」
「そんな事ならわけはありませんよ。それぢや親分」
 八五郎は母屋へ飛んで行くと、忠吉から何やら訊いて、直ぐ飛び出してしまひました。


 八五郎の報告は、その日のうちに、明神下の平次の家で受取りましたが、これがまた、思ひも寄らぬものでした。
「加納屋の惣領の練太郎は、女房のおあやと一緒に、三輪の萬七親分に縛られてしまひましたよ」
「エツ」
 それは平次に取つても豫想外でした。いつものこと乍ら、三輪の萬七は此處へもまたちよつかいを出して、平次の向うを張るつもりでせう。
「三輪の親分が、この間から福井町へ來るといふことは聞いて居ましたが、散々調べた末、勘當された惣領の練太郎が、番頭の香之助に手引きさして加納屋代々が埋めてあるといふ、金のかめを盜み出しに來て、床下から幾つかの瓶を見付け、裏切の香之助の口をふさぐつもりで、くはで毆つて逃げ出したに違ひないといふんです」
「俺も一度はさう思つたよ、――ところで三輪の親分が、練太郎夫婦を縛つて行つたのは何時のことだ」
「それが昨日の夕方だから變ぢやありませんか。――香之助が殺されたのは、どう考へても、昨夜の夜半よなか過ぎですよ」
「すると、加納屋の金をねらつてる曲者は、惣領の練太郎の外に、もう一と組あるといふわけだな」
「それが變ぢやありませんか。ね、親分」
「俺には少しわかりかけた事があるが、――いや、まだお前に話すほどまとまつては居ない」
 平次は口をつぐんでしまひました。
「あんまり業腹ごふはらだから、福井町を廻つて、いろんな事を聽き出して來ましたよ」
「業腹と空き腹は、お前につきものだが、何にか面白いことがあつたのか」
「加納屋の若旦那の練太郎が、勘當になつたのは、好きな女を女房にしたり、金づかひが少し荒かつたせゐもあるが、何より親旦那をつかまへて、――代々多勢の人を泣かせて金を溜め、瓶へ入れて隱して置くといふのは馬鹿氣たことだから、取り出して世の爲にも人のためにも、加納屋のためにもなることに費つてしまへ――と言つたのが惡かつたんですつてね」
「尤もなことだな」
「だから、近所では若旦那の方の肩を持つて居ますよ。おまけにあの加納屋五郎次と來たら、因業いんごふで女癖が惡くて、殺された若い番頭の香之助などは、三代前から唯で働かされて、何時まで經つても嫁も貰つてやらず、暖簾のれんもわけてやらず、腐りきつて居たさうですよ」
「――」
「それに、加納屋の主人と來ては、三年前に内儀が亡くなつてからは、若い時の女道樂が内の方へ向いて、金のかゝらない、手數のいらない女癖がかうじ、若い下女などは、三月とも居付かないといふから達者なものでせう。――内儀のあるうちは、まだしも金のかゝる女道樂も、外でばかりやつて居たから、始末がよかつたさうで」
「イヤなことだな」
 平次はそれつきり何んにも言ひませんでした。事件は最後の大詰まで、噛み合ふ齒車のやうに、強力な必然性で、モリモリと押し進んでゐたのです。
「それから、今日急に思ひ立つて、香之助のとむらひも濟まぬうちから、物置の土臺を直させたり、お佛壇の引つ越をさせたりして居ますよ」
「佛壇の引つ越し? 主人が言ひ出したのか」
「今まで店の隣りの六疊にあつた大佛壇を、奧の自分の部屋に引つ越させましたよ。大した信心氣ぢやありませんか」
「――」
「それから近所の噂は? こいつはあまりあてにならないが、評判の惡いのは主人と番頭の忠吉で、御近所の受けの良いのは、若旦那の練太郎と、番頭の香之助と、下男の猪之松と、それから下女のお富ですよ」
「もう一人の下女のお組は中に入つてゐないやうだが」
「あれはまだ小娘で、可愛らしいといふだけのことぢやありませんか。憎まれもしなければ贔屓ひいきにもされませんよ、――尤も加納屋の遠縁の娘で下女代りに働かされて居るのと、樣子が可愛らしいので、御近所の衆からいぢらしがられて居りますがね」
 これはしかし八五郎の集めた噂の全部でした。


 それから七日經つた朝、加納屋を見張らせて居た八五郎は、三度目の『大變』を持ち込んで來たのです。
「又一人やられましたよ、親分。あの福井町の加納屋で」
「誰がどうしたんだ」
「主人の五郎次が、剃刀かみそりで喉笛を掻き切られて血だらけになつて死んで居るのを――」
「何んだと?」
たらひに湯をくんで行つた下女のお組が見付けて大變なことになつて居ます」
「場所は?」
「奧座敷の縁側で」
「よし、行かう」
 平次はうして、三度目の福井町行きになつたのです。
「時刻は?」
「今朝、番頭の忠吉は店に居たさうです。お富とお組はお勝手に、下男の猪之松は使ひに出てゐたやうで」
「兎も角、現場を見なきや」
 平次が乘込んだ時は、加納屋は無氣味な不安と焦燥せうさうに、沼の底に沈んだ寺のやうに靜まり返つて居ました。
 話すのは皆んなコソコソと囁くやうで、歩くのはすべて爪立ちをするやうです。
 奧へ入つて見ると、主人の死骸を始末して居るのは、急を聞いて驅けつけて來たらしい、勘當された伜の練太郎と、その若い女房のおあやで、――練太郎はこの間三輪の萬七に縛られましたが、間もなく疑ひが晴れて三日目には歸されたと――後で聽きました。
 下男の猪之松は庭でウロウロして居り、番頭の忠吉は佛樣の飾り物の世話に手一杯で不氣味な出來事に恐れをなしたか、親類の衆も近所の人達もまだ來ては居りません。
 平次の顏を見ると番頭の忠吉は、留めを破つた水の樣に、恐ろしい達辯で説明しました。
「ほんの一寸の間でした。今日は兩國に仲間の參會があるとかで、朝の食事が濟むと、縁側の明るいところで、いつものやうに御自分でひげを剃りましたが、湯が少しぬるいとかで、お組さんをお勝手へ熱いのを持つて來るやうにやつた後で、誰が忍び込んだか、旦那の剃刀かみそりで喉笛を掻き切つた樣子で、――傷が深かつたのと、この邊に誰も居なかつたので、氣のついた者もありません」
「――」
「お組さんが、お勝手で殘つた釜の湯を沸し直し、たらひに入れて持つて來ると、旦那は血だらけになつて、縁側に引つくり返つて居たさうです。その間本當に四半刻とも經つては居ません」
「切戸が裏には開いて居たことだらうな」
 平次は問ひを挾みました。
「裏には開いて居りましたが、其處から土藏の庇合ひあはひを通つて此處へ來れば、お勝手に居る者は見えない筈はありません」
「お勝手には」
「お組さんが居ました。お富の方は一寸用事があつて、店の方へ來て居ましたが」
「――」
 平次はそれを聽きながら、死骸を調べる氣になりました。五十前後の達者な男を、みねの高い剃刀で殺すといふのは、容易ならぬ手際です。
「御覽の通りです。私は親父とは隨分仲が惡う御座いましたが、それでも殺した相手は放つちや置けません。一體誰が斯んなむごたらしい事を――」
 伜の練太郎は、生前の不孝を思ひ出したか、思はず聲が濡れます。
「――」
 平次はうなづいて、死骸の傷のあたりを丁寧に見てゐます。
 傷は右の首筋――頸動脈けいどうみやくから喉笛を深々と切つたもので、大の男も恐らく一とたまりもなかつたことでせう。此處から店までは少し遠く、お勝手のお組が知らないくらゐでは、店に居る忠吉とお富までは聞える筈もありません。
 平次は一とわたり見終ると、お勝手の方へ入つて行きました。其處には下女のお富とお組が何やらヒソヒソと話して居ります。
 平次はそれにはお構ひなく、お勝手の流しと下水のあたりを覗き、それから引返して、
「お富さんと言つたネ」
 年を取つた方の下女に聲を掛けました。
「へエ」
「ちよいとお前は店の方へ行つててくれ」
「へエ」
 お富は何が何やら解らずに立去りました。その後ろ姿を見送つて平次は、眼配せして八五郎を廊下に立たせ、恐れをのゝく、若い下女のお組と、土竈へつつひの側に相對しました。
「お組、自分では氣がつくまいが、お前の身扮みなりはひどく取り亂してゐるぜ。髮はきむしられでもしたやうに根がゆるんで居るし、襟がなゝめに曲つて居るし、前掛も濡れて居る。それに、一番大事なことは、右の袖口がひどく濡れて居るぢやないか」
「――」
 お組は平次の顏をチラと見ましたが、そのまゝ首を垂れて、つと、板の上を見詰めて居ります。
「流しの隅から下水に桃色に水が溜つて居ることにも氣がつくまい。――いくら大家たいけでも、朝つから生魚を料理したわけでもあるまいから、それは間違ひもなく人間の血だ」
「――」
「お前は主人に頼まれて、顏剃の湯を持つて行つた。すると主人は剃刀まで用意して居たが、フトお前にからかつて見たくなつたことだらう――主人は多分お前を押し倒したことだらう、――その時、お前の右手はフト主人の用意した剃刀に觸つた。無我夢中で取上げて、それを力任せに振りまはしたことだらう。――氣が付いて見ると、主人は仰向けに倒れて、喉から血が噴いて居る。お前はさぞ仰天したことだらうが、主人が間もなく息が絶え、お前の右手には、ひどく血が飛沫しぶいて居る」
「――」
 平次の論告は、その眼で見て居たやうに、正確に鮮明です。
「お前はたらひで手を洗つた。――袖口に附いた血も洗つたことだらう。盥の湯が眞赤になつたので、驚いてお勝手へ持つて來て流しに捨て、――お富には主人は湯がぬるいと言つたから――と言譯して、熱い湯を沸かして持つて行き、縁側で始めて悲鳴をあげたことだらう、――違つて居るところがあるなら、言つて見るが宜い」
 ツイ癖になつて居る十手を拔いて、お勝手の板敷の上を、立て膝のまゝ、トントンと叩いたのです。
「その通りです、親分。少しも違つては居りません。どうぞ私を縛つて下さい」
「――」
「でも、旦那は、香之助さんを殺しました。そして十日も經たないうちに、私にあんな事を言ふんです。――夫の仇を討つていけなかつたでせうか。私は、香之助さんと――」
「よし/\、多分そんな事だらうと思つたよ。だが、主殺しを許すわけには行かない。お前はしばらく自分の部屋で待つて居るが宜い。俺にはまだ片付けなきやならない仕事がある、――八」
「へエ」
 八五郎は廊下からヌツと顏を出しました。
「お前はお組を見張つて居るんだ。宜いか、逃がしちやならねえよ。しつかと頼んだぞ」
「へエ」
 八五郎は不承々々ながらこの娘の監視を引受ける外はなかつたのです。


 伜の練太郎は平次を待つて居りました。
「親分、父を殺した下手人は解つたでせうか」
 それは父親の五郎次と違つて、やせぎすの背の高い純情型の三十男でした。
「解りましたよ、若旦那」
「誰です、それは、親分」
「それを話す前に、少し聽いて貰ひたいことがある」
「?」
「加納屋の代々が、黄金の一杯入つたかめを一つづつ、子孫のために遺して置いたといふ言ひ傳へは御存じでせうな」
「私は加納屋の惣領だから、それはよく知つて居ります」
「それは何處に隱してあるのです」
「それがわからないので、父親も長い間苦勞して居りました。三代前の主人が不意に死んで小判の瓶を隱した場所を遺言する間もなかつたさうです」
「――」
「家の廻りから土藏の土臺下を掘つたのはその爲――つまり小判をさがすたためだつたと思ひます。誰が掘つたか、私にはわかりませんが」
「――その仕事を、旦那は番頭の香之助に言ひつけ、家の者が寢靜まつてから、彼方此方と掘らせた、――フトした事から主人は、佛壇の中に――多分剥がすことの出來ない裏板か何にかに――祖先の隱した書置を見付け出し、それ程の寶を、香之助に掘らせかけたことを後悔した」
 平次は自分へでも言ひ聽かせるやうに話し續けるのでした。
「――」
「さう言つては濟まねえが、亡くなつた御主人は慾が深過ぎた。金のかめの隱し場所がわかると急に香之助が邪魔になつて、その口をふさぐことを思ひつき、或晩香之助が夢中になつて土藏の土臺下の穴をかき出して居る後ろから忍び寄り、くはを振り上げて腦天と肩を二つ三つ喰はせ、眼を廻したのを、死んだことと思つて家に入つてしまつた――あの晩、雨戸も裏口も締まつて居たのはその爲だ」
「――」
「外から曲者が入つたと見せる細工を、主人は取りのぼせて、うつかり忘れたのだ」
「――」
「だが香之助は正氣に返つた。傷も大したことがなかつたので、考へて見ると口惜しくてたまらない。傷の手當で寢て居るうちに、フト隣りの部屋の佛壇に氣がつき、そつと忍んで行つて、小判の瓶の隱し場所を知つたことだらう。傷はなほりきつて居ないが、愚圖々々して居て、小判の瓶を移されては何んにもならぬ、――夜中にそつと忍んで行つて、小判の瓶の隱し場所を今度は間違ひもない見當で掘り始めた」
「――」
「それを知つた主人の五郎次は、そつと追つかけて行つて、背後うしろから脇差で突いて殺した。しやがんで居るところをやられたから、香之助の傷は腰から胸へ突き上げた」
「――」
「それから主人は、物置の東側にあつた死骸を、土藏の土臺下に移し、香之助の掘りかけた穴を埋めて、その上の土をならし、夜目ながら草まで掘つて來て植ゑた――これは少し細工が過ぎて、かへつて八五郎にまで疑はれたが――」
 平次の説明は、かなりくはしく、そしててのひらを指す如く正確なものでした。
「何處です、それは親分」
「あの頑丈な物置の床下だ」
「行つて見よう」
 瓶で幾杯かの小判は、さすがに練太郎を興奮させたのです。
 平次を先頭に、誰も彼も物置に向ひました。ありつたけの鍬とすきを働かせて、多勢の手が物置の床下を半刻の間に掘つてしまつたのです。
 其處から現はれた、大きい瓶が五つ。
「サア、若旦那、こいつはお前さんの手で開けなきやなるまい」
 ふたをした手頃のかめ、繩などはもう切るまでもありません。若旦那の練太郎はその一つに、手を掛けて、
「錢形の親分、かめをあける前に、はつきり斷つて置きます。この中にいくら入つて居るにしても、先祖代々隨分罪なこともし、人の怨みも買つて溜めた金です。私はこの半分――いや、せめて三つ一つだけ身につけて、あとは貧乏人にでもやり度いと思ひますが――」
 練太郎は慾のないことを言ふのです。
「見上げたことだな」
「私は前からそれを言つて、父親と仲違ひをしてしまひました。今ではもう、私の考へにさからふ者もない――それ、見て下さい」
 練太郎の手は、腐つた繩を切つて、第一の瓶の蓋を勢ひよく拂ひのけました。
「あツ」
 その中から現はれたのは、山吹やまぶき色の美しい小判の山と思ひきや、こと/″\青錆あをさびに錆びた穴あき錢ばかり。思ひきつて大地にパツと伏せましたが、瓶の中からは小判はおろか、小粒一つも出ては來なかつたのです。
 練太郎はあせつた心持でした。
「それ、次にこそ」
 が第二の瓶も、第三の瓶も、そして第四の瓶も、悉く青錢ばかり。最後にあけた第五の瓶だけは、さすが小判と小粒取り交ぜて、ざつと千兩ほど入つて居るのでした。
「何んといふことだ、――飛んだ恥かしいことで」
 練太郎はおもてを伏せました。
「いや、それで宜いのだ。天下通用の寶を、無暗に土の中に埋められてはかなはない――多分、本物の小判を埋めたのは、第一代目の主人だけで、あとは一生苦しいやり繰りを續け、死ぬ時になつて、祖先への申譯に、青錢を埋めたことだらう、――小判と言はずに金の瓶と言ひ傳へたのはその爲だらう、――青錢の瓶でも何んでも、代々金を瓶一杯づつ埋めると言へば、子孫へ溜めることの示しにもなる」
 平次は苦笑ひをするのです。
「でも、これで、飛んだ清々しましたよ」
 少しは極りが惡さうでしたが、練太郎は思ひの外恬淡てんたんで、口惜しいとも思はぬ樣子です。
「寶搜しといふ奴は、大方こんなものだ」
 平次はようやく兩頬に苦笑を浮べました。
「ところで、親の敵は、親分」
 練太郎は改めて訊くのです。
「八五郎が見張つて居ますよ。オーイ、八、何處に居るんだ」
「此處ですよ、親分」
 小判の瓶――いや青錢の瓶を取卷く人數の中から八五郎は長んがい顏を出しました。
「お前に見張らせて居た娘は?」
「逃げてしまひましたよ」
 八五郎の氣樂さ。
「何んだと?」
「もう江戸から出て箱根の關所へかゝつたかも知れません。――それとも親分は、あんな可愛らしい娘を、主殺しで磔刑はりつけ柱にのつけるつもりですか」
「もう宜いよ。仕樣のない野郎だ」
 平次ももう一度苦笑する外はありません。
「親分の言ひつけ振りは、不斷にもない、恐ろしく念入りでしたよ――あの謎が解けなきや、あつしは錢形の子分と言へねえ」
「何をつまらねえ。縮尻しくじつたら縮尻つたやうに尻尾を卷いてサツサと歸れ、馬鹿野郎」
「へエ」
 右手に十手を引つかついで、左手に高々と彌造やざうこさへて、八五郎は鼻唄を唄ひながら歸つて行くのです。





底本:「錢形平次捕物全集第二十八卷 遠眼鏡の殿樣」同光社
   1954(昭和29)年6月25日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋新社
   1950(昭和25)年12月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2017年3月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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