錢形平次捕物控

お珊文身調べ

野村胡堂





「やい、ガラツ八」
「ガラツ八は人聞きが惡いなア、後生だから、八とか、八公とか言つておくんなさいな」
「つまらねエ見得みえを張りあがるな、側に美しい新造でも居る時は、八さんとか、八兄哥あにいとか言つてやるよ、平常ふだん使ひはガラツ八で澤山だ。贅澤を言ふな」
「情けねえ綽名あだなを取つちやつたものさね。せめて、錢形の平次親分の片腕で、小判形の八五郎とか何とか言や――」
「馬鹿野郎、人樣が見て笑つてるぜ、往來で見得なんか切りやがつて」
「へエ」
 捕物の名人、錢形の平次と、その子分ガラツ八は、そんな無駄を言ひ乍ら、濱町河岸を兩國の方へ歩いて居りました。
 逢へばつまらない無駄ばかり言つて居りますが、二人は妙に氣の合つた親分子分で、平次のやうな頭の良い岡つ引に取つては、少し腦味噌なうみその少ない、その代り正直者で骨惜しみをしないガラツ八位のところが、丁度手頃な助手でもあつたのでせう。
「ところで、八」
「へツ、有難てえことに、今度はガラ拔きと來たね。何です親分」
「今日の行先を知つて居るだらうな」
「知りませんよ。いきなり親分が、サア行かう、サア行かう――て言ふからいて來たんで、時分が時分だから、大方『百尺』でもおごつて下さるんでせう」
「馬鹿だね、相變らず奢らせる事ばかり考へてやがる――今日のはそんな氣のきいたんぢやねえ」
「へエ――さうすると、何時か見たいに、食はず飮まずで、人間は何里歩けるか、お前にためさせるんだ、てな事になりやしませんか」
「いや、そんな罪の深いのぢやないが――變な事を聞くやうだが、手前てめえ、身體をよごしたことがあるかい」
「身體を汚す?」
文身ほりものがあるかといふことだよ、――實は今日兩國の種村たねむらに『文身自慢ほりものじまんの會』といふのがあるんだ」
「へエ――」
「これから覗いて見ようと想ふんだが、のみした程でもいゝから、身體に文身ほりもののない者は入れないことになつて居る」
「それなら大丈夫で」
「あるかい」
「あるかいは情けねえ、この通り」
 袷の裾を捲つて見せると、成程、ガラツ八の左の足のくるぶし筋彫すぢぼりで小さくもゝの實をつたのがあります。
「ウ、フ、――その文身ほりものの方が情けねえ」
「さう言つたつて、これでものみしたあとよりはでかいでせう。――一體そんなことを言ふ親分こそ身體を汚したことがありますかい」
「眞似をしちやいけねえ」
「何べんも親分の背中を流して上げたが、つひぞ文身ほりもののあるのに氣が付いたことがねえが――」
「それア、手前てめえがドヂだからだ、文身ほりものは確かにある」
「ちよいと見せておくんなさい」
「往來で裸になれるかい、折助をりすけがえんぢやあるまいし」
「見て置かねえと、何とも安心がならねえ。向うへ行つて木戸でもかれると、錢形の親分ばかりぢやねえ、この八五郎の恥だ」
「餘計な心配しんぺえだ」
 無駄を言ふうちに、兩國の橋詰、大弓場の裏の一くわくの料理屋のうち、一番構への大きい『種村たねむら』の入口に着きました。
「入らつしやいまし」
「錢形の親分がお出でだよ」
「シツ」
 大きい聲で奧へ通すのを、平次は半分目顏で押へました。種村の前に世話人が四五人、怪し氣な羽織などを引つ掛けて、一々出入りの人の身體をしらべて、手形代てがたがはりに文身の有無を見て居りますが、平次は顏が賣れて居るせゐか、不作法な肌を脱ぐ迄もなく、其儘木戸を通されて、奧へ案内されたのです。
 川に面した廣間を三つ四つつこいて、如何にも文身ほりもの自慢らしいのが、もう五六人も集つて居りますが、平次は別段その中から人の顏を物色するでもなく、
「親分、石原のが來て居ますぜ」
 と袖を引くガラツ八を目で叱つて、隅つこの方へ神妙に差し控へました。


 文身ほりものといふのは、もとは罪人の入墨いれずみから起つたとも、野蠻人やばんじん猛獸脅まうじうおどしから起つたとも言ひますが、これが盛んになつたのは、元祿げんろく以後、特に實暦はうれき、明和、寛政くわんせいと加速度で發達したもので、平次が活躍して來た、寛永くわんえいから明暦めいれきの頃は、まだ大したことはありません。
 圖柄でもわかる通り、大模樣の文身ほりものの發達したのは、歌舞伎かぶき芝居や、浮世繪うきよゑの發達と一致したもので、今日殘つて居る倶梨伽羅紋々くりからもん/\といふ言葉は、三代目中村歌右衞門が江戸にくだつて、兩腕一パイに文身ほりものを描いて、倶梨伽羅太郎を演じてから起つたことだと言はれて居ります。
 この物語の時代には、文字や圖案めかしい簡單な文身が、漸く繪に進化しただけのことで、まだ、大模樣やボカシ入や浮世繪風の精巧せいかうな圖柄はありません。併し珍らしいだけに、世の中の好奇心の方はかへつてさかんで、こんな會をもよほすと、江戸中の文身自慢は言ふに及ばず、のみした跡のやうな文身を持つて居る人間までが、見物旁々やつて來るといふ騷ぎだつたのです。
 やがて定刻の未刻やつが遲れて、申刻なゝつまでに集まつた者が九十八人、それに一々くじを引かせて、番號順に肌を除いで、皆んなに見せなければなりません。第一番はとびの者らしい若い男で、胸へヒヨツトコの面を彫つて、背中へはおかめの面が彫つてあります。まことにとぼけたもので、相當手がこんで居りますから、その時代の人には珍らしく、ワツと褒め言葉が掛りました。
 次に出たのは、中間者らしい三十男。
「眞つ平御免ねえ」
 クルリと尻をまくると、兩方のしりかへるとなめくぢを彫つて犢鼻褌ふんどしの三つの上に、小さく蛇がとぐろを卷いて居ります。
 第三番目に出たのは、背中へ櫻の一と枝に瓢箪へうたん、寛政天保以後のやうに手のこんだ文身ほりものではありませんが、これもその時分の人の眼には、相當立派にうつります。
 斯うして九十八人裸にして押し並べ、それへ世話人が等級を附けて、第一等には白米が一俵、第二等には反物一反といふ工合に褒美を出す仕組み――其後、文化八年に一度、天保の御改革ごかいかくに一度、文身御法度ほりものごはつとになりましたが、大體この競技會の型は、維新近くまで頻繁ひんぱんに催されましたから、年を取つた方で、今に記憶して居る君も少くないことでせう。
 ガラツ八のくるぶしの桃などは、あまりケチなんで吹き出させてしまひましたが、不思議なことに錢形平次の文身ほりものは一寸當てました。肌を押し脱ぐと、背筋を眞ん中にして、左右へ三枚づつ、眞田さなだもんのやうに、六文錢の文身、これは何となく方がきいて居りました。
 さて、いよ/\九十八人全部裸體はだかになつてしまつて、この日の一等は、胸から背へかけて、胴一杯に、きつね嫁入よめいりを彫つた遊び人と、背中一面に大津繪おおつゑ藤娘ふぢむすめを彫つた折助とが爭ふことになりましたが、いよ/\これが最後といふ時、
あつしのも見ておくんなさい」
 パツと着物を丸めて、滿座の視線の中へ飛込んだ男があります。
「何だ、無疵むきずの身體ぢやないか。色が白いだけぢや通用しねえ、退いた/\」
 世話人がかき退けるやうにすると、
「俺の文身はこの下なんだ、諸人にひけらかすやうな安い繪柄ゑがらぢやねえ」
 白木綿を一反も卷いたらうと思ふ新しい腹卷を、クルクルと解くと、その下から現はれたのは眞つ白な下腹部を三卷半も卷いて、へその上へ鎌首かまくびをヒヨイともたげて、赤いほのほのやうな舌をいて居る蛇の文身ほりもの
「あツ」
 九十八人の文身自慢で集つた人達も、思はず感歎の聲をあげました。
 見ると、白皙はくせき長躯、浪裡らうり張順ちやうじゆんを思はせるやうな好い男、一とわたり、一座の騷ぎ呆れる顏をたそがれの色の中に見定めると、腹卷をクルクルと卷き直して、丸めた着物を小脇に掻い込むと、
「御免よ、あつしは忙しい身體なんだ。白米は後から貰ひに來るぜ」
「あツ」
「待ちな」
 と言ふ聲を後に二階の縁側の欄干らんかんを越えると、ひさしを渡つて、腹ん這ひに雨樋あまどひに手が掛りました。
「御用ツ」
 續いて飛付いたのは、先刻から虎視眈々こしたん/\として、一座をねめ廻して居た石原の利助、縁側へ飛出して、曲者の後ろから欄干を越えようとする前へ、
「ちよいと親分、私の文身ほりものも見てやつて下さいな」
 と立ちふさがつた者があります。
「えツ、邪魔だツ」
「あれさ、石原の親分。あんなヒヨロヒヨロ蛇より、もつと面白いものをお目にかけようぢやありませんか」
 からみ付いて、利助を引戻したのは、此店の女中とも、客ともつかぬ、變な樣子をして居りますが、二十二三の滅法美しい女。
「えツ、何をしやがるんだ。手前てめえのお蔭で、大事な捕物を逃したぢやないか」
 女を突き飛ばした利助。同じく屋根を渡つて、下へ飛降りましたが、ほんの暫らく手間取るうちに、怪しい男は何處へ逃げたか、影も形もありません。
 一方利助に突き飛ばされた女は、起き上がると思ひの外ケロリとして、
刺青ほりものがありさへすりや、女だつて構やしませんわねエ」
 少しこびふくんだ調子で、世話人の方へやつて來ました。
「そりやいゝとも、お前さんを入れて丁度百人だ。皆んなかうして薄寒くなるのに、裸になつて待つて居るんだからお前さんにも肌拔はだぬぎになつて貰はなきやならないが、承知だらうな」
「そんな事は何でもありやしません。なアに錢湯へ行つたと思や――」
 女は自分をはげますやうにさう言ひながら、それでも少し含羞はにかむ風情で、肌を押し脱がうとしました。
 二百の瞳が、好奇に燃えて、八方からチクチクするほど見張つて居る中、たそがれかけたとは言つても、まだ充分に明るい川添の廣間で、不思議な女は、サツと玉の肌をさらしものにしたのでした。
「あツ」
 百人が百人、感嘆の聲をあげたのも無理はありません。白羽二重に紅を包んだやうな、なめらかな美しい肌に、彫りも彫つたり、
 頸筋くびすぢに鼠、左右の腕に牛と虎、背に龍と蛇、腹に兎と馬――
 上半身に十二の内、、丑、寅、、辰、うまの七つまで、墨と朱の二色で、いともあざやかに彫つてあるのでした。
 女はさすがに身をぢて、二つの乳房をたなごころに隱し、八方から投げかけられる視線を痛さうに受けてうづくまりました。
 丁度其處へ、石原の利助は、廣い階子段を二つづつ飛上がるやうにやつて來たのです。
「女は何處へ行つた。餘計な事をしやがるんで、到頭曲者を逃がして了つたぞ」
「此處に居るよ、石原の親分」
「あツ」
 利助もさすがに立ちすくみました。息せき切つて飛込んだ鼻の先へ、匂ふばかりに半裸體の美女、しかも、その上半身には、十二支の内、七つまで、羽二重に描いた藍繪あゐゑのやうに見事な文身がしてあるのです。
「お前は何だ」
「女よ――少しお轉婆てんばだけれど」
「その文身ほりものは?」
「御覽の通り十二支さ、からうままで、あとの五つを見たかつたらつらを洗つて出直してお出で」
「何だと、女」
 女はさう言ふうちにも、肌を入れて前褄まへづまを直しました。
「反物は我が貰つたよ、皆さん左樣なら」
 小腰を屈めて、滑るやうに出ようとすると、
「待て/\、お前は先刻の野郎の仲間だらう、叩けばほこりの出さうな身體だ。番所までちよつと來い」
 と追ひすがつた利助、先へ廻つて大手を擴げます。
 丁度、その時でした。
「あツ、俺の紙入れがない」
「俺の羽織がねえぞ」
「大變、着物がなくなつた」
 といふ騷ぎ、九十八人悉く裸體になつて居るのですからその被害は大變です。
 泥棒は多分、先刻の蛇の文身ほりものの男の騷ぎから、引續いて女の文身の騷ぎの間に仕事をしたのでせう、全然まるつきり裸にされたのが二十二三人、あとの七十何人も何かしら奪られない者はない有樣です。


「親分、一體ありやどうしたことです。九十何人裸にされるのを、錢形の親分が默つて居ると言ふ法があるものですか」
 とガラツ八、種村たねむらの騷ぎを後にしての歸り道、あまりの事に平次に喰つてかゝりました。
「ハツ、ハツ/\、おめえもさう思ふか、いや面白次第もないと[#「面白次第もないと」はママ]言ひたいが、實は少しばかり心當りがあつて、多分あんな事になるだらうと思つて居たんだ」
「へエ――」
「だから、手前てめえにも着物や持物に氣を付けろと言つたぢやないか。それに、人の言ふことを空耳そらみゝに走らせるから、平次の子分のガラツ八ともあらうものが、財布を盜まれるやうなへまをやるんだ」
「まさに一言もねえ、あの中で一品ひとしなも盜られねえのは親分だけでせうよ。石原の親分が、煙草入れをやられたのは大笑ひさ」
「馬鹿野郎、餘計な事を言ふな」
「へエ――、それはさうと、石原の親分が縛つて行つた、あの綺麗な年増が、矢張り曲者でせうかね」
「そんな事がわかるものか、俺は小泥棒を擧げに行つたんぢやねえ。十二ぐみ殘黨ざんたうが、何人來るか見に行つたんだ」
「えツ」
「お前も知つてるだらう。一頃江戸を荒し廻つた十二支組、元は強い者いぢめを[#「強い者いぢめを」はママ]する惡侍やならず者をこらすつもりで、十二人の仲間が、銘々めい/\干支えとちなんだ、身體に十二支を一つづつ文身したんだが、だん/\仲間に惡い奴が出來て、強請ゆすり、かたり、夜盜、家後切やじりぎりから、人殺しまでするやうになり、十二人別れ/\になつて了つたといふ話はお前も聞いて居る筈だ」
 平次が案外シンミリ話し出したので、
「へエ――、二三年前に、そんな噂がありましたね」
 ガラツ八も引入れられて、眞面目に受答へをします。
「ところが近頃妙なことがあるんだ」
「へエ――」
「ちよい/\人殺しがあるが、檢屍けんしに立會つて見ると、それが大抵たいてい十二支のうちの一つを、身體の何處かにつて居るんだ」
「へエ――」
「どうだ、此謎は解るかい」
「いゝえ」
「感心したやうな顏をするから、解つたのかと思ふと、何だ」
「叱つたつていけませんよ」
 二人はそんな話をし乍ら、平次の家へ歸つて來ました。
 錢形の平次も、全くこの時ほど迷つたことはありません。近頃頻々ひんぴんとしておこなはれる、たちの惡い押込、強盜、家後切やじりきりは、どう考へても一二年此方このかたのさばり返つた十二支組の仕業に相違ありませんが、その十二支組の仲間と思はれるのが、斬られたり、くびられたり、水へ突つ込まれたり、此間から五六人も死骸になつて現はれたのですから、十二支組が仲間割れしたか、それとも、第三者で義憤ぎふんの士がそつと十二支組を片附けて居るとでも思はなければなりません。
文身ほりもの自慢の會』に、十二支組の仲間らしいのは、蛇の文身の男より外には、一人も來た樣子はありません。すると、あの上半身に十二支のうち七つまで彫つた美女、あの石原の利助に縛られて行つた女――といふのは何だらう。
 平次は腕をこまぬいて考へ込んでしまひました。
「錢形の親分、ちよいとお顏を拜借さして下さいませんか」
 磨き拔いた格子戸を開けて、慇懃いんぎんに小腰を屈めたのは、石原利助の子分で、清次郎といふ中年男、年は平次より大分上でせうが、岡つ引の子分よりは商人と言つた感じのする、目から鼻へ拔けるやうなたちの男です。
 尤も頭の良い平次には、少し勘定の合はないガラツ八が丁度いゝ相棒であつたやうに、石原の利助のやうな、年を取つた傅統主義の岡つ引には、うした世才に長けた子分も必要だつたのでせう。
「お、清次郎兄イか、用事は何だ」
 と平次。
「大變なことが起りました。ちよいと親分に八丁堀までお出になるやうに――と、笹野の旦那樣のお言葉添で御座います」
 藍微塵あゐみぢんの七三に取つたすそを下ろして、少し笑まし氣にかたむけた顏は、全く利助の子分には勿論ない人柄です。
「何うしたといふんだい」
「へエ――、その、種村でつかまへた女を伴れて來て、改めて見ると、文身ほりものが半分消えちまつたんで」
「あ、そんな事か」
「親分はもう御存じで――」
「知つてるわけぢやないが、大方そんな事だらうと思つたよ。實は俺もそのを用ひたんだ。背中へ藍墨あゐずみで、六文錢をいて行つたが、濡れ手拭てぬぐひくと、綺麗に消えるよ」
「へエ――」
「すると親分の文身はペテンだつたんですね」
 とガラツ八。
「當り前さ、俺は親から貰つた生身なまみを汚すことなんか大嫌ひだよ」
「へエ――」
 二人の子分は全く開いた口がふさがりませんでした。
「すると、あの女は、何の目當で、文身なんか描いたんでせう?」
 と清次郎、これは成程ガラツ八よりは事件の急所を知つて居ります。
「それが解つて了へば何でもないんだが、まだ少しばかり解らないことがある――、笹野の旦那のお言葉なら、行かないわけには行くまいが、俺はもう少し考へをまとめたいことがあるんだ。すまないが清次郎兄イは、家の八の野郎を伴れて、一足先に行つて見てはくれまいか」
「へエ――」
「それから念の爲に言つて置くが、女の身體をれ手拭でよく拭いた上、髮を解いて頭の地を見てくれ。頭の地に何にも變つたことがなきア、あの女に用事はないが、萬一あの頭にいはくのある女なら、逃がさないやうにつて、石原の兄イへさう言つてくれ」
「へエ」


 二人の子分――清次郎とガラツ八は宙を飛込んで八丁堀へ驅け付けました。
 與力、笹野新三郎の役宅へ飛込んで見ると、女はまだ町奉行所には送らず、庭先にむしろを敷いて、裸蝋燭はだからふそくの下で、身體を拭かれて居ります。
「不屆きな女だ。文身ほりものなんぞきあがつて、なんて事をするんだ」
 四十を越した石原の利助が、濡れ手拭で、若い女の肌を拭いて居るのは、あまり結構な圖ではありません。
 後ろ手にほんの形ばかり縛られた女は、灯影に痛々しく身をくねらせて、利助の荒くれた手に、遠慮會釋もなく凝脂ぎようしを拭かせて居ります。
 左には、またゝく赤い灯、右上からは、青白い月、女の顏も肌も、二色に照らし分けられて、その美しさは言ひやうもありません。赤い灯に照された方は、輕い苦惱に引歪ひきゆがんで、少し熱を帶びたやうに見えると、青い月に照された方は、眞珠色に光つて、深沈しんちんとしてすべての情熱がよどんで見えます。
 笹野新三郎は、さすがに見るに忍びないか、おもてを反けて月を眺めて居ります。小者、折助手合は、物の隅、建物の蔭などから、好奇に燃ゆる眼を光らせて、この半裸體の女の、不思議なアク洗ひを見物して居りました。
「恥つ掻きな女だ。何だつて又、こんな馬鹿な事をしたんだ。早く言ふだけの事を申上げてしまつて、旦那樣の御慈悲を願へ」
「――」
「お前は、あの蛇の文身の男を知つて居るだらう、あれは十二支組の者と睨んだが、何處に居る何と言ふ者だ」
「――」
「フーン、物を言はないつもりだな、それもよからう。自慢ぢやねえが、俺は少しばかり腕が強いんだぜ。さいはひお前の文身ほりものを洗ひ落すついでに、一皮いでやらうぢやないか、石原の利助を三助にするなんざア、お前に取つちや一代のほまれだ」
 利助の左の手が女の丸い肩に掛ると、右手に持つた濡れ手拭が、恐ろしい勢ひで女の背から、肩から、腕を摩擦まさつし始めました。
「あつ」
 身をねぢ曲げて、もがく女。
「えツ、動くと當りが強いぞ」
 ピシリと肩に鳴る利助の
 女の肩から腕から背へかけての皮膚ひふ――羽二重のやうな美しい皮膚――は、利助の恐ろしい力にかれて、見る/\血がにじみ出して來ました。
「ウーム」
 強情に堪へる唇から、セイセイらす息にれて、破れた笛を吹き續けるやうな、無慙むざんな悲鳴が、ヒー、ヒーと斷續します。
「あ、これ利助――」
 新三郎は見兼ねて手を擧げましたが、
「旦那、放つて置いて下さい。斯うでもしなきア、素直に口を開く女ぢやありません。――野郎、默つて見て居ずに、しほでも持つて來い」
 利助は、振り返つてもう一人の子分にそんな事を言ひます。
 丁度其處へ、ガラツ八と清次郎が飛込んで來ました。
「平次親分は後から參りますが、その前に女の髮を解いて頭の地を見て下さいつて言ひましたよ。頭の地に何にもなきア、唯の女だが、何かいはくがありや大事な女だと言ひましたよ」
 とガラツ八、自分の親分は豫言者のやうに心得て居るだけに、斯う言ふ聲も何となくほこらしく響きます。
「よしツ」
 利助は案外素直に答へて、女の亂れかゝつた髮の中から、元結もとゆひを探しました。子分にはさみを持つて來さして、嫌がるのを無理に切ると、丈なす黒髮が、サツと手にからんで水の如く後に引きます。
「えツ、ジタバタしたつて何うにもなる場合ぢやねえ、靜かにしろ」
 女の頭を膝の間にはさむやうに、亂れ髮を掻き分けて、蝋燭らふそくの灯を近づけた利助、何を探し當てたか、
「あツ」
 とたじろぎました。とたんに、蝋燭がなゝめになつて、蝋涙がタラタラと女の頬へ。
 女は熱いとも言はず、凄婉せいゑんな瞳を擧げて、世にもうらめしさうに、利助の顏を見上げました。
「どうした利助」
 新三郎も思はず縁側から降り立ちました。蝋燭の灯を中心に、女の頭の上に顏を集めると、濃い黒髮の地に、藍色あゐいろゑがかれたのは、まぎれもない一匹の鼠の文身ほりもの
「お、お」
 驚く新三郎の顏へ正面まともに、
「馬鹿にしちやいけねえ、十二支組のお珊姐御さんあねごだ。臭い息なんか掛けると罰が當るよ」
 桃色の啖呵たんかが、月下へ虹の如くかゝります。


 その晩、錢形の平次が八丁堀へ驅け付けた時は、笹野新三郎の役宅は上を下への大騷動でした
 十二支組の女首額で、頭の地へ鼠の文身をして居るおさんが誰の手を借りたか、見事に繩を切つて逃げ出してしまつたのです。
「平次、遲かつた。大變な事になつたぞ」
 と笹野新三郎。さすがに役目の手前、奉行所へ送らずに自分の役宅やくたくから逃げられたでは申譯が立ちません。
「旦那、あの女が十二支組のおさんとわかれば、かへつて筋が判然はつきりして來ました。御心配には及びません」
 平次は大して驚いた樣子もなく、いつもの平靜な調子で、お珊がけたといふ繩の切目などを見て居ります。
「お前は何も彼も判つて居るやうだが、少し話してはくれまいか」
「へエ――、何にも判つて居るわけぢや御座いませんが、これだけはたしかで御座います、十二支組の殘黨で、生き殘つて居るのが、鼠の文身をして居るお珊と、蛇の文身をして居る巳之吉みのきちと、ゐのしゝの文身をして居る亥太郎ゐたらうと三人だけですが、その三人が、何か命がけの爭ひをして居るらしう御座います」
「――」
「兎に角、お珊の隱れ家だけでも、直ぐ突きとめて參りませう」
「何處へ行くつもりだ」
「なアに、あれだけの十二支を女の肌に描くのは、繪にしたつて心得がなくつちや出來ません。あつしの背中へ六文錢を描いてくれた、人形町の彫辰ほりたつあごを探つたら、大方女の住家の當りが付きませう、御免」
 平次はフラリと八丁堀の役宅を出ました。人形町までは、若い平次の足では本當に一と走りですが、彫辰へ行つて聞いて見ると、さて、思つたやうに簡單にはらちがあきません。
「そんな新造しんぞが來ましたよ。親方が六文錢を描かせて、お歸りになつた直ぐ後でしたが、何でも、お茶番をやるんだから、腰から上へ、七つだけ十二支を描いてくれ――とかう言ふ註文ぢやありませんか、斷る筋のものでもありませんから、二た刻ばかりかゝつて念入りに描いてやりましたよ、――町處は知りません、あんまり綺麗な女だからつて、若い者が後で騷ぎましたが、此邊で見たことのない女で探しやうがありません。だがね、親分、繪を描いただけでさへ、あんなにいゝ心持なんだから、此方から金を出しても、あの羽二重のやうな肌へ、存分ぞんぶん圖柄づがらつて見たいと思ひましたよ」
 彫辰はこんな事を言ひ乍ら、名人らしく、わだかまりもなく笑つて居ります。
 少し大きい口を利いて、笹野新三郎に別れて來た平次は、暫らく去りもへず、彫辰の戸口でうなつて居りました。


 話は少し前後しますが、誰やらに繩を切り離されて、そつと物置から連れ出されたおさん、少し痛む身體を我慢して、みちびかれるまゝに、そつと裏門を拔け出しました。ほんの一二町行くと、とある路地から、小手招きする者があります。つかれ果てたお珊は、それを疑ふ氣力もなく、フラフラと入つて行くと、突き當りは、一寸したしもたや、開け放したまゝの入口を入らうとすると、後ろからパツと飛付いて横抱きにしたものがあります。
「あツ」
 と驚くすきもありません。やうやく解いてもらつた繩をもう一度掛け直したばかりでなく、今度は念入りに猿轡さるぐつわまで噛ませて引摺り上げます。こんな事をする位なら、最初から繩付のまゝ引張り出して來れゝばいゝ筈ですが、それでは人目に立つとでも思つた細工でせう。
 奧へかつぎ込まれて、投り出すやうに引据ゑられたおさん、思はず四方あたりを見廻すと、目の前に坐つて居るのは細面に青髯あをひげの目立つ、一寸凄い感じのする若い男。
「お珊、久し振りだなア」
 少し脂下やにさがりに銀煙管を噛んで、妙に含蓄がんちくの多い微笑を送ります。
「あツ、お前は亥太ゐた――」
 驚くお珊、かう言つたつもりですが、猿轡さるぐつわを噛まされて居りますから、もとより聲は出ません。恐ろしい苦痛を忍んで、僅かに負けじ魂の眼を光らせます。
「ウ、フ、思ひ出したか。どうだお珊、お前と俺との間には、まだ濟まない勘定がある筈だ。今晩は一と思ひにそれを決めようと思つてれて來たんだ。猿轡を噛ませちや氣の毒だが、大きい聲を出されると厄介だ。少しの間我慢をしてくれい? 何? お前は怒つて居るのか、――――ハ、ハツハツ、猿轡が氣に入らないんだらう、よし/\解いてやる。その代り、間違つても大きい聲を出すと、一と思ひに芋刺いもざしだよ」
 亥太郎はさう言ひながら、立ち上がつてお珊の猿轡を解きました。尤も、同時に脇差を一本、縛られたまゝのお珊の前へ置くことを忘れるやうな男ではありません。
「さア、これでよからう。兎に角、あの八丁堀の組屋敷からお前を助けて來たんだ。俺はお前の爲には恩人だ、少しは素直に言ふことを聞いてくれるだらうな」
 周圍あたりには誰も居ません。親分に遠慮して皆な外へ出て了つたのでせう。亥太郎の執念深さうな青い眼だけが、お珊の美色にからみ付くやうに、その顏から、頸筋くびすぢから、縛られた胸を見詰めて居ります。
「おさん、手つ取り早く言はう、俺とお前は昔の仲間、三年前に別れ/\になつて、今は十二支組もあるわけはねえが、俺はどうもおめえが忘れられねえ――内々樣子を探ると、お前は巳之吉みのきちと夫婦みたいに暮して居るやうだが、そりやお前惡い了簡れうけんだぜ。巳之はあれから身を持ちくづして、泥棒、家後切、人殺しまでやるさうだ。言はゞ十二支組の面汚つらよごしさ。そんな惡い人間はあきらめて、俺のところへ來るがいゝ、近頃商法が當つて、金も大分出來たから、お前に不自由させる樣なことはねえつもりだ」
「お默りツ」
 おさんはたまり兼ねて斯う言ひました。
「何?」
「默つて聞いて居りや何だとえ、巳之みのさんは泥棒や人殺しをするから、別れろツて、――馬鹿も休み/\お言ひよ、泥棒や人殺しはお前の方ぢやないか。その上、昔の十二支組の者が、自分の素性すじやうを知つて居るのが恐ろしさに、お前は、仲間の者を片ツ端から殺して歩くつて言ふぢやないか。誰がそんな鬼のやうな奴の言ふことを聞くものか。私は十二支組の大姐御おほあねごでお前は一番の新米の亥太郎ぢやないか、馬鹿も休み/\言はないと承知しないよツ」
「少し聲が高いぞ女、これが見えないか」
 亥太郎はドギドギするのを取上げて、お珊の胸へピタリと付けました。
「さア、殺しておくれ、殺されたつて、お前なんかの――」
 半分言はせず、亥太郎は飛付くやうに、もう一度猿轡さるぐつわを噛ませました。
「えツ、やかましい女だ。もう少し小さい聲で物を言へ、野中の一軒家ぢやねえぞ」
「――」
「暫らく考へさせてやる。明日になつても強情を張ると、お前ばかりか巳之吉の命はねえぞ」
「――」
「俺は彼奴あいつの巣を見屆けてゐるんだ。ちよいと笹野の旦那に教へてやりや、獄門臺ごくもんだいに上る野郎だ」
 お珊の美しい眼が、深怨しんゑんと憤怒に燃えるのを亥太郎は面白さうに何時までも何時までも眺めて居ります。


「親方、判つた」
 その翌日の夕刻、ガラツ八はころがるやうに平次の家へ飛込んで來ました。
「何が判つた」
「情けねえな親分、しつかりしておくんなさい。一日と一晩あつしは寢ずに働いたんだ」
「ガラツ八、俺は寢ずに考へたんだ」
「考へたつてこれが判るわけはねえ、足の裏に文身のある人間は親方――」
「シーツ、小さい聲で言へ」
「三人で手分けをして、八丁堀から兩國まで、錢湯といふ錢湯を一軒づつ歩いたんだ。何處の番臺で聞いても、足の裏に文身ほりものをして居る人間なんか、見たこともねえ――つて言ひましたぜ」
「それぢや、わかつたと言ふのは何だ」
「どつこい話はこれからだ。一日一と晩歩き廻つて、すつかり汗になつて、町内の錢湯へ行つて、何氣なく其話をすると、――どうだい親分、燈臺下暗とうだいもとくらしだ、この町内にゐるぜ――足の裏に文身をしてるのが」
 ガラツ八の聲は物々しく低くなります。
「誰だ」
「驚いちやいけませんよ、石原の利助親分の一の子分、あの清次郎――」
「何、何だと」
 平次はこの時ほど仰天ぎやうてんしたことはありません。それから笹野新三郎の役宅に飛込んで行つて、一ときばかり密談をすると、何氣ない樣子をして、清次郎を呼出させました。
 まさか惡事露顯ろけんとも知らず、ノコノコやつて來た清次郎を平次とガラツ八と二人で取つて押へるのに、どんなに骨を折つた事でせう。繩をかけて、足の裏を見ると、丁度土踏つちふまずのあたりに、ほんの一寸五分ばかりの小さいゐのしゝ文身ほりものしてあつたのです。辯解がましい事を言ふのを其儘にして置いて、清次郎の家へ驅け付けて見ると、二三人の子分が、おさんを縛り上げて、めさいなんでゐる最中、バタバタと縛り上げて、事情は一瞬の間に解決してしまひました。
        ×      ×      ×
 十二支組の一人、亥太郎が、自分の惡事のさまたげになるので、素姓を知つた昔の仲間を片つ端から殺しましたが、おさんの美色に未練があつたばかりに、たうとう最後の二人でつまづいてしまつたのです。これだけの細工をしながら、一面は年恰好まで變へて、利助の子分として分別臭い顏をして來たので、何うしても捕らなかつたのは無理ないでせう。
 巳之吉の隱れ家も直ぐわかりました。これも亥太郎の手込てごめに逢つて、九死一生の危いところを救はれ、平次の取なしで少しばかりの罪はそのまゝ流してもらひました。
 巳之吉が『文身自慢ほりものじまんの會』へ出たのは、日蔭ひかげの身乍ら、あの見事な蛇の文身が見せたかつた爲で、おさんはそれを察して彫辰に十二支を描かせ、『文身自慢の會』を騷がして、男の危急を救つたのでした。
 平次は十二支組の祕密を讀むことが出來ない爲に、隨分長い間苦勞しましたが、お珊の鼠が頭の地にあり、巳之吉の蛇が腹に卷き付いて居るのをして、亥太郎のゐのしゝは足の裏にあるに相違ないといふ結論に到達したのでした。一つは十二支組の文身が、こと/″\く人目に付かぬところにあつたのから思ひ付いたわけです。
 文身ほりもの發達の最初のページに、斯うしたロマンスもあつたといふことを話すのが、この物語の目的です。巳之吉とおさんが、平次の情けで目出度く夫婦になつたことや、正業に就いて長生きをしたといふ樣な事は毛頭此處へ書くつもりはありません。





底本:「錢形平次捕物全集第十三卷 焔の舞」同光社磯部書房
   1953(昭和28)年9月5日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋社
   1931(昭和6)年10月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2014年5月14日作成
2016年9月18日修正
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