「八、大變なことがあるさうぢやないか」
江戸開府以來と言はれた、捕物の名人錢形平次は、
あわて者の八五郎、一名ガラツ八は、平次のためには『見る眼嗅ぐ鼻』で、その
その鼻面を叩くやうに、『大變なこと』といふのを浴びせられて、八五郎さすがに面喰ひました。まさにお株を取られたかたちです。
「へエ、何んですそれは? あつしの知らない大變なことてえのは?」
彌造をほぐすと、左に曲つた
「八さん
お勝手から出て來た平次の戀女房のお靜は、濡れた手を拭き/\八五郎に注意をしてやります。
「默つてゐろ。女房が亭主に裏切りをするのは見つともいゝものぢやねえ」
「まア」
お靜はちよいと
「何んです、親分、――あんまり脅かさないで下さいな」
「八五郎の
「そんなことなら、五日も前から聞込んでゐますよ」
「エライ、さすがは
「名畫だか名幅だか知らないが、たかがへへののもへじに毛の生えたやうな
「驚いた野郎だな、お前といふ人間は」
「さうですかね、――そんなエテ物を盜む奴も物好きだが、盜まれて騷ぐ方もあまり賢こくはないと思つたんで」
「
「へエ」
「その盜られた品といふのは、一つ/\が何百何千兩といふ名畫ばかりだ。中には公儀にお屆けになつてゐる品もあり、寺寳として寺社奉行所の臺帳に載つてゐる品もあるんだよ」
「へエ、そんな間拔けなものを盜つて、どうするつもりでせう。
八五郎の氣樂さ、これを教育して名畫の有難味を解らせるためには、もう一度生れ變つて來させるより外はありません。
「質に入れるとか、古道具屋に賣るとかすれば、直ぐわかるやうに手配してあるんだが、不思議なことに、盜まれた品は盜まれつきりで、二度と姿を見せないから厄介だよ」
「それをどうせうといふので?」
「金を盜つたとか人を
平次は噛んで
「親分はどこでそんな話を聽き込んだんです」
「下谷竹町の永寳寺――こゝでは
「いつです、それは?」
「ツイ先刻、お前と入れ違ひに歸つた筈だが」
「それつきりですか」
「まだあるよ。淺草馬道の
「屏風? そんなものをどうして持出したんです」
「お前が泥棒ならどうする、六曲一双の屏風だよ」
平次は妙なことを言ひ出しました。
「大八車を持つて行つて、積んで來るわけには行きませんか」
「間拔けだなア。引越しぢやない、盜むんだぜ」
「親分の
「泥棒の上を越すほど智慧が廻らなきや、氣のきいた泥棒を縛れるものか。聽くがいゝ、その泥棒は六曲一双十二枚に描いた雪秋の[#「雪秋の」はママ]秋景山水の繪を、ソツと剥がして繪だけ持つて行つたのだよ」
「へエ、それぢや賣物になりませんね」
「馬鹿だなア」
こんな話の眞つ最中でした。お靜は障子を五六寸だけ開けて、
「あのお客樣ですが――」
つゝましく取次ぐのでした
「どこだ」
入口の格子の開いた樣子のないのを平次は氣がついたのです。
「お勝手なんです、――若い綺麗な女の方、――親分さんに内々でお目に掛りたいんですつて」
若くて美しい女の訪問客は、さすがに氣になつたものか、お靜の調子も妙に切口上になります。
「こゝへ通すがいゝ。
平次は事務的になりきつて、相手の若さも美しさも問題にしない樣子です。
お靜はもう一度お勝手へ引返しましたが、やがてひどくあわてた樣子で戻つて來ました。
「まアどうしたことでせう。ツイ今しがたお勝手へ來た若い女の人は、どこへ行つてしまつたか、その邊に姿が見えないんですもの」
ツイ
「そんな馬鹿なことが――」
平次も續いてお勝手から、水下駄を突つかけて外へ出ましたが、その邊には若くて美しい女は
「どうしたんです親分」
八五郎はその後から、
「人間一人消えてなくなつたよ、――尤も、思ひ立つて何にか頼みに來ても、急に
平次はお靜を
「お武家風の――お小間使か何んかでせう。堅い家風のお邸の召使といつた樣子でした」
「ウム」
「十七八でせうか、
「うまいな、お前の
「あら」
夫の平次に褒められると、お靜はあわてて自分の城廓――お勝手に逃げ込むのです。
平次と八五郎はそれから直ぐ出動しました。最初は下谷永寳寺、寺格の高い襌家の
「平次殿、飛んだお手數をかけて濟みませんが、こんなことにかけては、寺社の御係りも錢形の親分にお願ひする外はあるまいと申すのぢや」
こう言つた筋のことを、冷嚴和尚は
「飛んだことでございました、――その品はどこに置いてありました」
「この床の間ぢやよ、――見事な大幅での、
和尚は自分の
「――襌家には
阿波屋――日本橋本銀町の兩替屋阿波屋藤兵衞のところでも雪舟の秋景山水の屏風が盜まれたことを、平次は思ひ出しました。
それは兎も角、老和尚の説明は尚ほも續きます。
「それ
冷嚴和尚はこの日本的の寳物と言ふべき名幅にも大して未練は持つてゐない樣子です。
「で、戸締りはどうなつてをりませう」
「寺方のことだ、嚴重とは申難いが、容易に賊の入れる筈はない。それに、一つ二つ不思議なことがある」
「?」
「幅は卷いても、五尺はたつぷりあらうといふ大きいものだ。賊はそれを持ち運ぶのに困つたものか、上下の
「それを拜見いたしませうか」
和尚は執事を呼んで幅から切り離された軸を取寄せました。
「これぢや」
平次はわからぬながら一應念入りに見せて貰ひました。金襴も
「他に變つたことはございませんか」
「これは王若水の一軸と
「その紙を拜見いたしたうございますが――」
「これがその五兩ぢや」
五兩の小判を包んだまゝ、執事に持つて來させました。
「これは、
平次は小判を包んである紙の
「左樣日本の品ではない、――丁寧に扱つても、
老和尚冷嚴から訊くべきことはこれで全部でした。曲者の入つた場所はよくわかりませんが、彼岸詣りの善男善女に
淺草馬道の壽滿寺も、永寳寺に於ける場合と全く同樣で、これは元信の『高士觀瀑』といふ尺五ぐらゐの名幅を、十日ばかり前秋の風入れで取出したところを、誰がどうしてさらつたか、半日のうちに盜み去られたといふのです。今度はさして大幅でなかつたためか、
「その日は二つお
若い
「眞つ晝間で軸から切り取る隙がないとすると、長いまゝで持ち出したことになるが、誰かそんなことに眼が屆かなかつたでせうか」
平次は丁寧に問ひ返しました。
「何にか眞新しい
「若い男?」
雪舟の一軸を菰に包んで、ヒヨイと肩に擔いだ若い男の道化た姿を想像して、平次は額を撫でました。
「それから、賽錢箱に大金を投り込んだ者はありませんか」
「ありましたよ。昨日賽錢箱を調べると、三兩の小判を
「いや、まだ、何んにも解つてはゐませんがね、――その雪舟の幅はいつ頃このお寺に入つたものでせう」
「先代――いや先々代の住職がこんなものを好きで、自分の居間に掛けるつもりで買つた品だといふことですが、物が良いので世間の評判になつて、近頃では寺寳の一つになり、滅多に
こんな言葉のうちにも、何にか知らいろ/\の暗示がありさうです。
平次と八五郎はそこから引返して日本橋
「飛んだお骨折だね、平次親分」
主人の藤兵衞はまだ三十代の良い男でした。大町人らしい
「屏風はこれですね」
部屋の隅に立ててある六曲一双の屏風、内側の繪を
「これは死んだ親父が道樂で集めた品のうちの一つでね、大層自慢にしてゐたものだが――私はまア、あまりこんな物に未練はない。書畫骨董よりは遊藝の方が好きな方でな」
藤兵衞は
「これは何時でも、こゝへ出して置くんで?」
「いや、さう言ふわけでもないが、年中箱へ入れて藏の中にしまひ込んで置くと、品物のためにもよくないと聞かされてゐるから、何にかあると取出して飾るんだ。――ツイ十日前、私の誕生日で道樂仲間を
藤兵衞は面白さうに笑ふのです。
「ところで、外に變つたことはありませんか、その
「變つたことがいろ/\ある。第一剥がれた屏風の前に、小判で八兩の金が置いてあつた」
「
「その通りだ、――それから、泥棒が入つた樣子も出た樣子もない。あれだけの仕事をして音も立てないところを見ると、忍術使ひか何んかだらう」
「この部屋の近くに休んでる人はありませんか」
「一と間置いてこの私が寢てゐる。尤も年が若いから私もあまり
藤兵衞はどこまでも呑氣さうでした。金があるにまかせての遊蕩三昧で、書畫骨董の有難味などは
「屏風を剥がすのは、やさしいことではないと思ふが――少しは音がしたことでせう」
「いや、屏風がひどく濡れてゐたところを見ると、曲者は水で濡らして、器用に剥がしたものらしいな。縁側には
「それは
平次も感歎しました。
「戸締りは?」
「不思議にどこからも曲者の入つた樣子はなかつた」
「奉公人や出入りの者に、その頃變つたことはなかつたでせうか」
「さう言へばそのことがあつて二三日經つてから、下男の元吉といふのが暇を取つた」
「それは?」
「
數へて見ると、それは壽滿寺へ賊の入つた日に當るのです。
「?」
平次は默つて次を
「左の
「その膏藥が時々場所が變りやしませんか――人相を變るための手段かも知れません」
「そんなことがあつたかも知れない。兎も角二十三四の小氣の利いた男で、下男や庭掃きなどをしてゐる人間ではなかつた。それに少しは學問もあつたやうで、時々何にか書いたものを讀んでゐることがあつたといふことだ」
藤兵衞の説明で、その下男が曲者といふことは、殆んど疑ひの餘地がなくなります。
「變なことを訊きますが、お
「その通りだ」
「今から三十年も前にあの寺に
「さア、三十年前といふと、私が四つか五つの時だから、覺えてゐないが、番頭が知つてるかもしれない」
早速老番頭の金兵衞を呼んで聽くと、丁度の雪舟の屏風を作つた頃、仲橋の古道具屋の北田屋道八の手から、王若水か何んか知らないが、見事な唐子の繪を買入れて、それは永寳寺に寄附したといふことがわかりました。
「その代金は?」
「さア、そこまでは覺えてゐませんが」
金兵衞はよく禿げた頭を
念のために、下男部屋を見せてもらふと、平次はこゝで押入の中から面白いものを發見しました。
それは半紙一枚に書いたものです。
秋景山水 (雪舟)
翌る日の朝、明神下の平次の家の外で、思はぬ騷ぎが始まりました。
六十四五の丈夫さうな老人が一人、無殘にも
「親分、た、大變ツ」
女房に手を引かれるやうに、寢卷姿の平次は路地の外まで引出されました。まさにそれは大變です。骨組の確りした、そして慾の深さうな老人が、ドブ板の上で冷たくなつてゐるのです。
手際は至つて平凡ですが效果的でした。後ろから左の胸、
「どうしました、親分。路地の外に殺しがあつたさうですね」
八五郎はいつものやうに、間拔けな彌造を拵へてフラリとやつて來ました。
「驚くな八、殺されたのは仲橋の古道具屋の道八だよ――多分
「すると、あの繪の泥棒と
「その通りだよ、思つたより
「あんな繪を集めてどうする氣でせう」
「それがわかれば、曲者はすぐ縛れるよ、――おや誰か、客が來たやうだ」
平次は自分の家の格子の外に立つて、
「頼まう」
などと、練達無比な聲を張り上げる、四十年輩の武家を指しました。
平次はあわてて家に入つて、その武家を
「御用は?」
と丁寧に訊ねます。
「外でもない、平次殿、――拙者の主家で、世にも得難い名幅が盜難に逢つたのだ。町方は支配違ひだが、日本の寳とも言ふべき名畫に萬一のことがあつてはならぬ。ことをわけて平次殿にその探索をお願ひするやうにと、主人からの申付けで參つたのぢや」
中年の武家は、樣子の
「その盜まれた名幅は、
平次の言葉は唐突ですが、恐ろしく效果的でした。
「どうしてそれを、――
久保木桂馬と名乘る中老人は、眞四角に一禮するのです。
「その幅の紛失したのは?」
「昨夜ぢや」
「外から入つた樣子は?」
「ないから不思議だ、――しかも幅は尺三ほどの手頃のものだが、
「どこに置かれたので」
「
「參りませう、大急ぎで」
平次と八五郎は、路地の外の古道具屋の死體を、驅けつけた下つ引や、町役人に任せて湯島天神町に向ひました。
「その繪はいつ頃お手に入れたものでせう。御先祖から傳はつた物ではないと思ひますが」
「その通りだ。今から二十五六年前、拙者がまだ弱年の頃だ。御先代丹波守樣が[#「丹波守樣が」はママ]、御出入りの古道具屋から求められた品だ」
「その古道具屋を御存じありませんか」
「仲橋の北田屋とか申したが――」
明神下から湯島天神町への道々平次と久保木桂馬との話は續きました。
「お代は?」
「それはわからぬ。が、不思議なことに、幅を置いてあつた違ひ棚の上に、小判で十二兩の金子が置いてあつた」
「
「よくそんなことまで、――さすがは高名な平次殿だ」
久保木桂馬は舌を卷いてをります。錢形平次は
旗野丹後守は三千石の大旗本で、年の頃四十二三。久保木桂馬とは、主從の關係を越えて
「平次か、何分頼むぞ。巨勢金岡の繪が惜しいのではない、私は父親の
かう言つた調子の殿樣でした。
「昨日から、外へ出た方はございませんか」
「ないだらうな、久保木」
殿樣は用人を
「ハイ、一切外へ出さないことにしてあります。門番にも堅く申付けて、塀際へも人を寄せつけません」
「それは用心なことで」
平次は丹後守の
「これだけでせうか」
「まだ小間使の
「是非逢はなきやなりませんが」
「よし/\、呼んで參らう」
久保木は間もなく十七八の可愛らしい小間使をつれて來ました。
「――」
ハツと平次は息を呑んだのも無理のないことです。その愛くるしい左の頬には
「これで皆んなぢや」
久保木桂馬は、そんなことに頓着なく、そゝくさとどこかへ行つてしまひました。
こゝまでは平次の探索の滑り出しは、極めて快適に行きましたが、それから先は恐ろしい
何も彼も事實を知つてゐる筈の小間使ひの
勿論お比奈の請人宿元も調べましたが、これは全くの
その日の晝頃、湯島から本郷一帶に妙な噂が廣がりました。
「旗本旗野丹後守樣のお小間使が、大泥棒の手先になつて成敗されるが、身許がわからないので、夕刻
といふ噂です。その頃の五兩は人間一人一年の給料よりも多く、先づは大金と言ふべきで、町の
その時刻になると、湯島天神町の辻番の前には縁臺を出し、番手桶に六尺棒まで揃へました。見物はそれを取卷いて十重二十重の人垣を作り、暮れ
が、やがて
あたりは薄暗くなつて、見物がザワザワ騷ぎ始めた頃。
「折角だが皆の衆、わけがあつて、今日は沙汰止みぢや、――さア/\歸つた/\。水を撒くから、そのつもりで」
番太の老爺は縁臺の上で一とくさりやると本當に手桶を持出して、
「畜生ツ、何んてことをしやがる」
見物は暫らく湧きましたが、諦めの早い江戸つ子達は、それでも大した未練氣もなく、夕闇の中へバラバラと散つて行きます。
それから半刻(一時間)ほど經つと、八五郎は鬼の首でも取つたほどの勢ひで、明神下の平次の家に飛び込んで來ました。
「わかりましたよ、親分」
「元町の繪師、岡谷
平次は面白さうにしてをります。
「えツ、親分どこでそれを」
ガラツ八は暫らく開いた口が
「まアいゝ、お前の方はどんな樣子だつた」
「あの人ごみの中へ、阿波屋の下男だつた元吉が來てゐるに相違ないと言つた親分の見當は、さすがに見事に當りましたよ。阿波屋の番頭が直ぐ見付けて、私に教へてくれたので、大骨折であとをつけると、元町の岡谷半嶺といふ繪師の家へ入るぢやありませんか」
ガラツ八の踏んだ手順は素より平次の考へたプランだつたことは言ふまでもありません。
「俺の方は、眞物の
「へエ驚きましたね」
「騷ぐのはこれからだ。出かけようか、八」
「どこへ」
「元町の岡谷半嶺の家だ」
平次と八五郎は即刻元町の岡谷家へ乘り込んだことは言ふまでもありません。そこで一と汗掻く氣で行つた二人は、
「これは/\錢形の平次親分。老先生は
案内してくれたのは、木綿の
案内のまゝに、默つて奧へ通ると、
「これは錢形の親分、飛んだお騷がせいたした」
「――」
床の上に起き直つたのは七十近い老畫伯の岡谷半嶺で、
「――五つの繪が四つまで手に入りました。殘る一つに大きい未練はありますが、さうまでは神佛も見のがしては下さるまい。錢形の親分にこゝで追ひ詰められたのも何にかの因縁と申すものでせう。聽いて下さるか、平次親分」
岡谷半嶺は病苦を忍んで語りました。その話は長くて
が、門閥のない悲しさ、
わけても王若水の唐子、元信の觀瀑、徽宗皇帝の孔雀、金岡の觀音、雪舟の山水は、
岡谷半嶺はその後畫道に精進し、獨得の境地を開き、狩野派とは別に、確乎たる門地を打ち建てて、押しも押されもせぬ大家になりましたが、若かりし頃フトした過ちで描いた五つの僞作のことが、何んとしても氣になつてならず、藝術家らしい惱みが嵩じて、つひに重病の床につくやうになつたのです。
「平次殿、御察し下され。私も畫工の端くれで、何んとか言はれてゐる身の上だ。昔の名人巨匠の僞作を五點も殘して、このまゝのめ/\とあの世へ行かれようか、――あの五點も
岡谷半嶺は崩折れるのです。そして元吉の介抱で元氣を取戻して、ようやく
「私の娘の
「――」
「あとに氣に掛るのは娘比奈の身の上と、――道八憎さに思はぬ罪を重ねたこの金三郎で御座るよ、平次殿」
死に行く人の涙ながらの訴へに、
「安心なさいまし、お孃樣は私が救ひ出しませう。そして金三郎樣とやらは、二三年江戸から足を拔いて下されば」
「有難い、平次殿」
岡谷半嶺はやつれ果てた顏を枕に埋め、その背を撫でてゐた金三郎も思はずその背に眼を伏せました。
平次は翌る日岡谷半嶺の晩年の傑作一幅を持參して、旗野丹後守に詫びを入れ、娘お比奈を無事につれ戻ると、その日のうちに金三郎と
「驚いたね、へへののもへじに毛の
ガラツ八は後日かう尋ねました。
「思案に餘つて頼みに來たんだらう。五枚の繪を是が非でも師匠のために取返さうとしたのは矢張り繪のことのわかるあの金三郎だよ。金三郎のやることが
平次はつく/″\さう言ひます。が、金三郎を許したことを大して後悔してはゐない樣子でした。