錢形平次捕物控

鈴を慕ふ女

野村胡堂





「八、あれをけてみな」
「へエ――」
「逃がしちやならねえ、相手は細くねえぞ」
「あの七つ下りの浪人者ですかい」
「馬鹿ツ、あれは何處かの手習師匠てならひししやうで、佛樣のやうな武家だ。俺の言ふのは、その先へ行く娘のことだ」
「へエ――、あの美しい新造しんぞが曲者なんですかい。驚いたな」
「靜かに物を言へ、人が聞いてるぜ」
 錢形の平次と子分のガラツ八は、その頃繁昌した、下谷の徳藏稻荷いなりに參詣するつもりで、まだ朝のうちの廣徳寺くわうとくじ前を、上野の方へ辿たどつて居りました。
「ガラツ八、よく見て置くんだよ、心得の爲に話して置くが――」
「へエ――」
 平次は一段と聲を落しました。
「武家はちよいとこはい顏をして居るが、よく/\見ると顏の造作の刻みが深いといふだけのことで、まことに人相に毒がねえ、――きばのあるけものに角がなく、角のある獸に牙がねえのと同じ理窟りくつで、あんな怖い顏をした人間は、十中八九は心持のいゝものだ。ところが本當の惡黨とか、腹の黒い人間といふものは、思ひの外ノツペりした顏をして居るものだよ。見るがいゝ、あの武家のたもとの先には、此處からでも見える位、朱が付いてるだらう、あれが手習師匠の證據だ。子供の手習を直す時朱硯しゆすゞりに袂の先が入つたんだらう」
「へエ――、するとあの美しい娘が惡人てえ證據は?」
「あの娘と摺れ違つた時見ると、袖の先に同じやうに赤いものが付いてるが、それは朱ぢやなくて血だ。それにあの娘は廣徳寺前で、袂から泥燒どろやきのお狐樣を落したらう」
「それは、あつしも見ましたよ。あれは徳藏稻荷の門前で賣つて居ますね、素燒のお狐に泥繪具どろゑのぐを塗つて、一つが十二文。あれは懷中ふところへ忍ばせて置くと、願事がかなふとか言つて、手弄てなぐさみをする手合がよく持つて居ますが――」
「それだよ、そのお狐を若い女が袖に忍ばせて居るのも可笑をかしいが、何かのはずみで落つことすと、乾き切つた往來の上で尻尾がけた。――この通り」
 平次は何時の間に拾つたか、内懷から尻尾の缺けた素燒の狐を出して見せました。
「何時の間に拾ひなすつたんで、早業だね、親分は?」
「馬鹿、靜かに物を言へ、往來の人が顏を見るぢやないか、――ところで、女が物を落すと、どんなに忙しい時でも大抵とゞまつて一應は拾ひ上げるものだ。そして、役にも立たないことだが――こはれたものなら、元の通りいでみるとか何とか、どんなにつまらない物でも、それ位の未練は持つて居るものだ。ところがあの娘は何うだ」
「お狐をおつことして、尻尾が缺けると、ちよいと振り向いたつ切り、拾ひ上げようともせずにサツサと行つて仕舞つた――成程、こいつは可笑しいや」
「解つたか、八。あの女は馬鹿か豪傑か、でなければ腹の中に容易でない屈託くつたくがあるんだ。それも並大抵のことではない、女が願事が叶ふといふ禁呪まじなひのおコンコン樣を捨てゝ行くのは容易ぢやない」
 平次の明察は、すつかりガラツ八を景氣付けました。
「ね、親分。この仕事を私にまかしちや下さいませんか」
「何だと」
「八五郎の手柄初めに、根こそぎ洗ひ出してみませう」
「大丈夫か、ガラツ八」
「大丈夫かは心細いな」
「――」
「第一、あんな吹けば飛ぶやうな新造を、錢形の平次親分とその一の子分の八五郎とで跟けたとあつちや、世間の聞えもよくねえ」
「それもさうだな。萬に一つの間違ひはあるまいが、あの娘を見失つちやならねえよ。俺は徳藏稻荷へ行つて、お前の歸つて來るのを待つて居るから」
「有難てえ。それぢやまかせて下さるんだね、親分」
「ドヂを踏むな、相手が綺麗な新造だと思ふと間違ひだぞ」
「だ、大丈夫――」
 ガラツ八は平手を額にかざすと、平次に別れて娘の後を追ひました。


 平次が徳藏稻荷へ行つて見ると、はたして思ひもよらぬ大事件が待ち構へて居りました。
 神樣にも流行廢はやりすたりで、今は跡形あとかたもありませんが、その頃大變流行つた徳藏稻荷の門前は、何があつたのか、朝から黒山の人だかりです。ハツと思ふと早足になつて、人混みを分けるともなく顏を出すと、
「アツ、錢形の親分、丁度いゝところで」
 町の口利くちきゝらしいのが、顏見知りと見えて、袖を引かぬばかりに案内してくれます。
「何うなすつたんです。これは?」
「大變な間違ひがありましたよ、あれを見てやつて下さい」
 指したのは、さゝやかな玉垣の下。
「あツ、これはひどい」
 錢形の平次も思はず聲を立てました。
 人の死體や、殘酷ざんこくな場面は、嫌ひだといつても隨分澤山見て來た平次ですが、まだ、こんな變つたのは見たこともありません。
 眞新しい紅白の鈴ので縛り上げられた中年者の男が、二た突き三突き、匕首あひくちされて、見るも無慙むざんな死にやうをして居るのです。
「錢形の親分、この通りだ。これは堂守の仁三郎といつて、町内の人氣者だ。人にうらみを買ふたちの人間ぢやない、金を溜めるやうな心掛の男でもねえ、それがこんなむごたらしい有樣になつて、朝詣りの人に見付かつたんだ。何とか敵を討つてやつて下さい」
「へエ――、大變な事をする奴もあるものですね。玉垣の前で堂守を殺すなんて、隨分ばちの當つた話ぢやありませんか」
 平次はさう言ひ乍ら、一と通り死體を檢べましたが、四十五六の巖乘がんじような男で、女や子供に縛られさうながらではありません。朝といつても日中ひなかの事ではあり、多分當身あてみか何か食はされて、一度目を廻したのを鈴の緒で縛り上げられ、後で氣が付いて口を利かうとしたので、匕首あひくち盲目めくら突きにされたものでせう。
 もつともまだ人通りも少い時分で、死體は玉垣の横手の方にあつたのですから、夜が明けたといつても一とときや半刻は、知らずにすごせば過せないこともありません。何人目かの朝詣りの人が、拜殿に下つてゐる鈴の緒が引千切れて居るのに氣が付いて急に騷ぎ出すと、間もなく玉垣の横、一寸人目に付かないところに、堂守だうもりの死體が轉がつて居るのが見付けられたのです。
 役人の見える前に、平次は忙しく四方を探しましたが、賽錢箱の上に下つて居る大きな鈴と、その鈴に附いた紅白の鈴の緒が千切り取られてゐるほかには、何の變つたところもありません。賽錢さいせん泥といふのは、何時の世にもあつたもので、器用なのは鳥黐とりもちで釣り、荒つぽいのは箱を打ちこはすのですが、見たところ、そんな樣子は少しもありません。
「ハテ――」
 錢形平次ほどの者も、思案に餘つて雙腕もろうでこまぬきました。
 そのうちに、徳藏稻荷の前は彌次馬で一パイ。
「仁三郎が殺されたとよ」
「あんな佛樣みてえな人間を殺す奴は、どんな野郎だらう」
「それに玉垣迄血でけがしてよ、ばちの當つた畜生ぢやないか。お稻荷樣だつて默つちや居なさるめえ」
 こんな噂を平次はヂツト聽いて居りました。この事件には、餘程深い奧がありさうです。やがて平次は、門前の土産物屋へ行つていろ/\尋ねて見ましたが、朝詣りの客は土産物などに眼をくれないので、ツイ今し方表戸を開けたばかり、何にも知らないといふ心細い有樣です。
「十八九の美しい新造が、この禁呪まじなひのお狐を買つて行かなかつたかえ」
「へエ、そんな事もありましたでせうが、何分毎日二三十づつ賣れるお狐さまですから、はつきり覺えちや居ません。場所柄で藝妓衆や水茶屋の姐さん方がよくお買ひになりますよ」
 土産みやげ物屋のお神さんの記憶きおくは甚だ心細いものです。


「ちよいと、おイさん」
 不意に、本當に不意に娘は立ち止りました。お屋敷風とも町家風とも付かぬ、十八九の賢さうな瓜實顏うりざねがほ、何處かおきやんなところはありますが、育ちは良いらしく、相應に美しくも可愛らしくもあるうちに何となく品があります。
「――」
 不意討を喰らつて、ガラツ八は往來の眞ん中に立ちすくみました。秋が深いにしても、朝の光の中に鬱陶うつたうしく頬冠り、唐棧たうざんを端折つて、左のこぶし彌造やざうをきめた恰好は、どう贔屓目ひいきめに見ても、あまり結構な風俗ではありません。
「私の家は此處よ、後を跟けて來たんならもうお歸り」
「へエ――」
「何て間拔なおほかみだらう」
「あツ」
 虹のやうな啖呵たんかを、ポカンとして居る向うびたひに浴びせて、娘は路地の中へさつと消えて了ひました。あまりのあざやかさに、暫らくは後を追ふことも忘れて、娘の言葉を噛締めるやうに、ガラツ八は立ち止りましたが、
「あツ、いけねえ」
 路地へ飛込んだがもういけません。中は羊腸やうちやうたる拔け裏、娘の姿は本當に虹のやうに蒸發して了つたのでした。
「畜生め」
 大きく舌打を一つ、折角引受けた大仕事を縮尻しくじつてしまつて、面目次第もなく、朝の元の大通りへバアと出ると、丁度通りかゝつたのは先程の武家、――親分の平次が手習師匠に見立てた五十前後の浪人者です。
「この武家をけてやれ、新造の尻を追ひ廻すよりは、氣がとがめないだけでもいゝ」
 勝手な獨り言を言ひ乍ら、少しやり過して、くだんの七つ下りの羊羹色やうかんいろ浪人の後から跟け始めました。それから大通りを暫く行つて、路地を二つ三つ曲ると、とある路地の中へ。
「どつこい、今度は逃さねえぞ」
 浪人者のかゝとを踏むやうに續いて入らうとすると、今度もまた見付かつて了ひました。
「これ/\町人」
「へエ、へエ」
「先程から拙者の後を跟けて居るやうだが、何か用事でもあるのかな」
「飛んでもない」
剽盜おひはぎ泥棒ならあきらめて歸るがよからう。此通り無祿むろくの浪人者だ、一文も持合せがない。その上年こそ取つて居るが、拙者は腕が出來て居るぜ。ハツハツハツハツ」
 カンカラカラと笑ひ飛ばすと、きざみの深い物凄い顏のひもゆるんで、群青ぐんじやうで描いたやうな青髯あをひげの跡までが愛嬌になります。
「へエ、あつしは惡い人間ぢや御座いません」
「さうだらう。其方の人相は、どう買ひかぶつても惡人といふ相ぢやない。鼻がそつくり返つて、眼尻が下がつて、齒が少し亂杭らんぐひだな。そんな刻みの深い顏は、總て善人か愚人ぐじんにあるものぢや」
「へエ――」
「惡人はもう少しノツペリして凄味すごみがあるな」
 ガラツ八、もうすつかり面喰らつて了ひました。
「親分もそんな事を申しましたよ、あのお武家は、一寸凄い顏をして居るが、きつと佛樣のやうな方に相違ないつて――」
「佛樣は少し嫌だな、まあいゝ。ところで何の用事で拙者の後を跟けた、返答によつては許さんぞ」
「決して旦那の後を跟けたわけぢや御座いません。先刻せんこく旦那の前へ行つた、あの綺麗な新造が、何處へ行くかと思つて、ちよいと、その――」
「馬鹿野郎」
「へエ――」
「お前のやうな馬鹿が居るから、若い娘が一人歩きも出來ないのだ。今日だけは見逃してやる、さつさと歸れ」
「へエ――」
 ガラツ八は全く散々な敗北でした。二三町スツ飛んで、浪人者が路地の中へ消えるのを待つて、近所の酒屋で聞いて見ると、白川鐵之助といふ九州邊の浪人者で、大した金持といふ譯ではありませんが、生活くらしには困らないらしく、別に仕官の途を求めるでもなく、毎日ブラリブラリと遊んで居るといふことでした。
「あの浪人者は、手習子てならひこを集めて、師匠をして居るでせうね」
「いゝえ、そんな話は聞きませんよ。身寄も知邊もない一人者で、時々ブラリと外へ出る外は、珍糞漢糞ちんぷんかんぷんな本ばかり讀んでますよ」
「しめたツ」
 ガラツ八は、それだけ聞くと、横つ飛に徳藏稻荷とくざういなりへ驅け付けました。娘を見失つたのは、何と言つても大失策だいしつさくに相違ありませんが、その代り、あの浪人者を手習師匠と鑑定かんていした、親分平次の失策も掴んだのです。これなら五分と五分――いや七分と三分位かも知れませんが、兎に角、親分のお小言も緩和くわんわされるだらうと思つたのです。
 徳藏稻荷の前へ歸つて來ると、黒山の人だかり。
「ハイヨハイヨ」
 彌次馬を別けてはひつて見ると、玉垣たまがきの下、紅白の鈴の緒でしばられた堂守の死體を前に、錢形平次は腕をこまぬいて考へて居るところでした。
「親分、これは何うした事です」
「おゝ、八か。あの娘は何うした」
「入谷まで跟けて行つたんですが、恐ろしい八幡の藪知らずの拔け道へ入り込んで、到底消えつちまひましたよ」
「何? 見失つた? 馬鹿野郎ツ」
「その代り親分、あの浪人者は手習師匠でないつてことまで突き留めて來ましたぜ」
「そんな事を誰が頼んだ、馬鹿ツ。向うへ行つて了へ」
「へエ」
 ガラツ八は、まことに滅茶々々です。


 徳藏稻荷の堂守だうもり殺しは、それつきり下手人げしゆにんが判りませんでした。錢形平次は身一つに引受けて、いろ/\探索たんさくの手をつひやしましたが、何としても解りません。
 仁三郎は全くの一人者で、金も係累けいるゐも、人に怨を買ふおぼえもなく、その上、賽錢さいせん箱が無事で、取られた物といつては、拜殿のすゞだけ。これも仁三郎を縛る爲に、鈴の緒を引千切つた時、一緒に轉げ落ちたのを、其儘誰か拾つて猫ばゞをきめ込んだのかもわかりません。
 併しこの時代の迷信深い彌次馬が、お稻荷樣の拜殿の鈴を隱すといふのも受取れないことです。
 さては、鈴を盜む爲であつたか――
 フト平次はそんな事を考へました。併し、社の拜殿の鈴などは、迷信的な氣持にさからつてまで盜むほどの物ではなく、第一小さい社はすつかり荒れて了つて、最近一手に寄進する金持があつて、改造に取かゝる手筈にまでなつて居たのですから、古い鈴などは、その時は自然新しいのと替へられるでせうし、手順をんで頼めば、隨分安く手に入らないとは限りません。どう考へても、人を殺してまで奪るほどのものではなかつたのです。
 それにつけても、あの娘を逃したのは、何といふ手ぬかりでせう。子分思ひの平次もこの時ばかりは、ガラツ八に半日も物を言ひませんでした。袖の尖端さきに血のついた娘――それも、間違ひなくこの境内から出た女の行方を、つまらない手違ひから見失つて了つたといふのは、何としたドヂでせう。
 最後に殘る手段は、鈴の行方を調べることです。平次は其日のうちに、あらゆる子分を狩集めて、界隈の古道具屋や堂宮を聞かせました。
「親分の鑑識めがねは曇らねえ、確かにありますぜ」
 第一に飛び込んで來たのはガラツ八。
「何があつたんだ」
 と平次、さすがに腰が上がります。
「近頃下谷中の古道具屋から、鈴を買ひ集めた者があるつて言ひますぜ」
「本當か、八」
「本當か――は情けねえ、この足で歩いて、此耳で聞いたんだ。間違ひつこはねえ、その上、堂宮の拜殿の鈴がチヨイチヨイ盜まれる」
「何だと」
「親分、こりや何處かに鈴を集めて謀叛むほんでもたくらむ奴があるに違げえねえ――」
「馬鹿だなおめえは、すゞが鐵砲玉の代りになるかよ――ところで、その鈴を買ひに歩くのは男か女か」
「男も女も、武家も、町人もあるつてことですよ」
「何時頃から始まつたことなんだ」
「なんでも半年ばかり前からボツボツあつた事だが、激しくなつたのは、この二三日だつてことですよ」
「よし、それで解つた。八」
「へエ――」
「手前、何時でも、親分の爲なら命を投げ出すと言つたね」
 平次は少しきつとなります。
「言ひましたとも。はゞかり乍ら小判形の八五郎、金や命に絲目は付けねえ」
「絲目を付けたくも、金なんか持つちや居めえ」
圖星づぼしツ、親分のめがねは曇らねえな」
「幸ひ命だけは一つ持つて居るだらう、そいつをちよいと貸してくれ」
「お安い御用だ、他所行よそゆきのですか、それとも平常ふだん使ひのですか」
「馬鹿だな、お前は」
 すべてう言つた調子ですが、昔の江戸ツ子は、斯うした警句の爲に、自分の命位は何とも思はずにけました。
「誰にも言つちやならねえよ、俺達の知り合ひから出來るだけ鈴を集めるんた、――それから、熊や三公にさう言つて、まだ手の屆かねえ場末から鈴を集めさせ、それを脊負しよつて、手前てめえ暫らく鈴を賣つて歩くんだ」
「そんな事なら何でもありやしません、やりますとも」
「血眼で鈴を探して居る奴は、鈴で釣るより外にはねえ」
「解りましたよ、親分。鈴でも半鐘はんしようでも賣つて歩きますよ」
 物事を單純に考へるガラツ八は、もうすつかり成功したつもりで飛出して了ひました。


 その翌る日、八五郎はすつかり鈴屋になり濟して、入谷から根岸の方へ流して居りました。萬筋まんすぢの野暮つたいあはせに、手甲てつかふ脚絆きやはんをつけ、置手拭までした恰好は、誰に教つたか知りませんが、すつかり行商人の板について居ります。肩から小鈴の箱を飴屋さんに掛けて、兩手には、大きい鈴を、新しいのと古いのとを取交ぜて、五つ六つづつげました。
「――エー、鈴はいりませんか、大きいのは拜殿の鈴から、小さいのははさみの鈴、腰下げからポツクリの鈴――新らしいのもある、古いのもある。金の鈴、銀の鈴、眞鍮しんちうの鈴、あかの鈴、――足結あゆひの鈴、手の鈴、くしろの鈴、大刀の鈴、鈴鏡すゞかゞみ。さては犬の鈴、たかの鈴、凡そ鈴と名の付くものなら何でもある――鈴は要りませんかな――」
 ガラツ八は時々ふところを覗いて、假名かなで書いて貰つた口上書を辨慶べんけい讀みにし乍ら、斯う言つた聲を張り上げました。猫の蛋取のみとりさへ觸れ歩いた時代ですから、鈴賣りなどは決して珍らしいものではありません。
「チヨイと、鈴屋さん」
 八五郎は時々呼び止められて、猫の子の鈴、はさみの鈴などを賣りましたが、徳藏稻荷で盜まれたやうな、大きな鈴は誰も振り向いてはくれません。
 翌る日、ガラツ八は根岸の奧へはひり込んで居りました。すつかりもう板について、懷を覗かなくともスラスラと口上も言へるし、元手もとでかまはずの鈴も相當賣れますから、何だつたら、此儘足を洗つて、鈴賣りになるのも惡くない――といつたやうな暢氣のんきな氣持になつて居りました。
「エ――鈴屋で御座い。鈴はいりませんかな、手の鈴、足結あゆひの鈴、くしろの鈴――」
 と張り上げて居ると、
「ちよいと、鈴屋さん」
 大家たいけれうの裏手らしい黒板塀くろいたべいの潜りが開いて、若い女が小手招ぎをして居ります。
「へエへエ」
「御新造樣が鈴を御覽になりたいと仰しやるよ、ちよいと此處から入つておくれ」
「へエへエ」
 さそはれる儘に、ヒヨイと庭に入ると、後ろの潜戸はピシリと締められましたが、そのはずみに振り返つて見ると、呼込んだ娘といふのは、三四日前、廣徳寺前から跟けて、入谷で首尾よくかれた、あの袖の先に血の付いた袷を着て居た娘だつたのです。
「あツ」
 ガラツ八は、思はず聲を出しましたが、庭石につまづいたやうな振りをして誤魔化ごまかしました。樣子はすつかり變つて居るし、手拭は吉原冠りにして居るし、多分俺とは氣が付くめえ――といつた、相變らずガラツ八流の樂天的な心持で、娘の後に跟いて、寮の庭を廻りました。
「御新造樣、鈴屋を呼んで參りました」
 障子の中へ聲を掛ける。
「御苦勞だつたね、八重」
 優しくこたへて、秋の朝日の這ひよる障子を開けたのは、二十二三とも見える、少し病身らしいが、恐ろしい美人。ガラツ八も吉原冠りの手拭を取つて、思はずヒヨイとお辭儀をして了ひました。
 眉のあと青々あを/\と妙に淋しくほつそりして居りますが、水際立つた元祿姿げんろくすがたで、敷居の上に櫻貝のやうな素足の爪を並べて立つと、腰から上へ眞珠色しんじゆいろかすみたなびいて、雲の上から美妙な聲が聞えるといつた心持、ガラツ八は一ペンに降參して了ひました。
「下町には居るさうだが、この邊へ鈴屋が來るのは珍らしいね。どんな品があるか、皆な見せておくれ、氣に入りさへすれば、幾箇いくつでも買つて上げるから」
「へエ――」
 唖然あぜんとして居たガラツ八は、やうやく人心地が付くと、そゝくさと鈴の箱を開けました。
 しかしこの時、燈籠とうろうの蔭、木戸の後ろ、縁側の隅などに、幾人かの人間が、に狙ひ寄る猛獸のやうに、眼を輝やかして居るのに、八五郎少しも氣が付かなかつたのです。
 箱の中の鈴と、手に持つた鈴と、洗ひざらひ縁側に並べると、八五郎を案内した美しい女中は手を擧げて合圖しました。
「それツ」
 四方から飛出したのは、こと/″\く女。女中、小間使、お針、飯炊き、あらゆる種類を盡して、八五郎の八方からサツと飛かゝります。
「あツ、何をする」
 と言つたが追ひ付きません。女と思つて甘くあしらつて居る内に、風呂敷をかぶせて、帶紐おびひもで縛つて其儘、物をも言はず奧へ擔ぎ込みます。


 ガラツ八は出かけてから、もう三日歸りませんでした。錢形平次、さすがにはふつても置けません。
 與力の笹野新三郎をたづねて訊くと、石原の利助は堂守殺しの下手人として、徳藏稻荷の隣に住んで居る、やくざ者の仙吉を擧げたといふ話。これは賭博ばくちの元手に困つて、仁三郎の財布さいふを狙つたものと見たわけです。
 仁三郎の臍繰へそくり――そんなものが若しあつたとしたら、ろくにかぎぢやうもない、仁三郎の部屋へ忍び込んで、何とかしてるのが本當で、賽錢箱さいせんばこの上に登らなければ取れない鈴の緒を引千切つて、玉垣たまがきの下へ死體を投り出して置くといふのは、あまりに念入りな頭の惡さです。
「そんな筈は御座いません。下手人は思ひもよらぬ大物でせう」
 平次はさう言つて與力の役宅を出ましたが、さて、大きい口を利いたものの、手繰たぐつて行く手蔓てづるが一つもありません。
 念の爲に下谷へ引返して、徳藏稻荷の氏子うぢこ總代――和泉屋といふ町内の酒屋の主人に逢つて訊いてみると、思ひも寄らぬ新事實があがりました。
 それは、徳藏稻荷の建物はひどく古くなつたので、最近堀留ほりどめ穀物こくもつ問屋で、諸藩のお金御用も勤め苗字めうじ帶刀たいたうまで許されて居る、大川屋孫三郎が、全然新しく建てて寄進することになり、材木まで用意して、來春早々工事に取かゝる運びにまでなつて居るといふのです。
 それだけなら何でもありませんが、その上、古い堂宇だううは、信心の爲孫三郎が申受け、御本尊をのぞいた一切の附屬品ふぞくひんと共に、根岸の寮の廣い庭に移して、其儘まつらうといふ事に決つてゐるといふ話なのです。
「賽錢箱から鈴の緒まで新しいのと代へて下さるさうで、氏子一同大喜びで御座います。それにつけても、こんなに荒れたまゝで大川屋さんに差上げては、いくら何でもお氣の毒だからと申して、玉垣と鳥居を塗つたついでに、木連格子きつれがうしだけは紅殼べにがらで塗つて置きました。その矢先あの騷ぎで、本當に私共まで、どんなに迷惑したかわかりません。親分のお力で一日も早く下手人が捕まるやうに――と、氏子うぢこ一同さう申して居ります」
 和泉屋の主人の話を聞くと、平次の眞つ暗な胸には、サツと一道の光明が射しました。
「有難う御座いました、いろ/\解りました。稻荷樣のばちといふこともありますから、そのうちには下手人も判りませう。おやかましう――」
 和泉屋を飛出した平次は、其足ですぐ根岸の大川屋の寮を目當てに行きました。まさかガラツ八の眞似をして鈴屋になつて出かけるわけにも行きません。岡つ引にしては少し手堅てがた平常着ふだんぎの儘、先づ四町四方もあらうかと思ふやうな板塀の外をグルリと一と廻りしてみました。
 近所で聞いてみると、大川屋の主人といふのは、働き盛りの四十男ですが、早く配偶つれあひを失ひ、先年吉原で馴染を重ねた華魁おいらん請出うけだして、親類の承諾しようだくを得て後添に直しました。これが不思議と心掛の良い女で、美しくも優しくもあつたのですが、何分の病身、堀留ほりどめの本宅に置くわけにも行かず、根岸にこんな立派な寮を建てゝ、女手に飽かして住はしてあるのだといふことでした。
 その女は、お米といつて、不思議に鈴の音を愛し、長い間買ひ集めて家の中は鈴だらけ、召使を呼ぶにも食事を知らせるにも、一々鈴を鳴らすのだと聞いて、平次はすつかり有頂天になりました。
 門を入つて耳を澄ますと、成程秋の空氣にひゞいて、何處からともなく、ゆかしい鈴の音が聞えて來ます。
「これだ/\」
 平次は獨り言を言ひ乍ら、寮の玄關にかゝりました。


 れうの玄關には、大きい鈴がブラ下がつて居りました。その頃では珍らしい試みで、成程『鈴屋敷』だと思ひ乍ら、二つ三つガランガランとやると、玄關の障子がなめらかに開いて、
何誰どなた樣で――」
 首をかしげたのは、忘れもしないガラツ八に跟けさした娘。成程桃色の啖呵たんか位は切りさうなおきやんな娘です。
「あツ、お前さんは矢張り此家こゝの人か」
「――」
 娘はサツと顏色を變へて、其儘障子を締めさうにするのを、
「どつこい待つた。俺はお上の御用を聞いて居る平次といふ者だが、お前さんには徳藏稻荷の仁三郎殺しの疑ひがかゝつて居る。變なことをしちやかへつて爲にならねえ、默つて主人に取次いで、どうして鈴を集めたか、仔細を話してあかしを立てなきア、何んな事になるか判らないぜ」
 平次の態度には、商賣柄にも似ぬ、噛んでふくめるやうな物優しさがありました。娘はハツと顏を伏せましたが、思ひ定めた樣子で、
「暫らくお待ち下さいまし」
 靜かに奧へ消えます。
 やがて通されたのは、さまで廣くはありませんが、妙に小綺麗に片附いた寮の奧座敷、待つ間もなく、
「お待たせいたしました。錢形の親分さんださうで、丁度いゝ方にお目にかゝりました。私は大川屋の配偶つれあひで、米と申します」
 敷居際で靜かに挨拶したのは、最早名妓めいぎといつたおもかげはありませんが、如何にも洗練せいれん[#ルビの「せいれん」はママ]された美しい女房振りです。
「面倒な駈引かけひきは拔にして、早速うけたまはりますが、手前共の八五郎といふ男――、鈴賣に身をやつして參つた筈で御座いますが、あれは何うなりました」
 平次の調子は、平淡なうちにも一歩も假借かしやくせぬ嚴しさがありました。
「ハ、ハイ、あの方は、身分を仰しやいませんので、全く敵の廻し者と思ひ込み、暫らく此寮へ留まつて頂きました」
「さうでせう、――いやさう打明けて仰しやつて下さると大變私もお話を申上げよくなります。ところで、その次に伺ひたいのは徳藏稻荷の鈴の事ですが、あれは一體何うなりました」
 平次の言葉は直ちに問題の核心かくしんに觸れて行きます。
「あれは少しも存じません。先程お取次に出ました、召使の八重と申す娘に、朝夕あの鈴を見張り乍ら、お詣りをさせて置きましたが、あの日行つて見ると、鈴は紅白こうはくごと引千切られ、玉垣の下には、鈴の緒で縛られた死骸があつたと申します。八重は氣丈な娘で御座いますから、若しやと思つて死骸の近所を探したさうですが、鈴は矢張り無かつたさうで御座います。その時たもとの先を少し血潮でよごしたとか言つて居りました」
 お米の答は明快を極めました。眉の跡の青々とした明眸の女主人あるじは、さすが昔の全盛をしのばせて、年にも柄にも似合はぬ頭のよさがあつたのです。
「さうでせう。――あのに鈴の緒を千切れるわけもなく、氣が強いといつても仁三郎を殺せる筈もありません。最初往來で摺れ違つた時は、袂の血を見て吃驚しましたが、仁三郎の死體を見て、これは女子供の仕業でないとわかりましたよ。お蔭で大分眼鼻が付いて參りました」
 かう言ふ平次の態度や言葉は、その人柄のやうに慇懃いんぎんで、世の常の岡つ引とはあまりに違つて居りました。最初は多少警戒的な氣持で話して居たお米も、次第に信頼しきる心持になつて、
「それから、どんな事を申上げれば宜しいでせう?」
 ツイかう言つてみるのでした。
「たつたこれだけの事を打明けて下さい。何うして、こんなに澤山の鈴を集めなすつたか――、この鈴は何になさるつもりか。それから、八五郎を敵の廻し者と間違へたと仰しやつたが、その敵といふのは誰か、それだけを聞けば、私の用事は濟みます」
「ハイ、決して隱し立てはいたしません、何も彼も申上げます。父が生きて居れば、どんな事があつても口外の出來ないことですが、今ではもう昔話になりました」
 お米は思ひ入つた風情にかう申しました。


 お米の父といふのは、芳村道之丞といふ切支丹侍きりしたんざむらひで、島原の殘黨。一が事を起す前に七人の同志と江戸に潜行せんかうし將軍御膝元で事を擧げるつもりでしたが、島原の亂も案外早く平定し、徳川のいしずゑはいよ/\鞏固きようこで、痩浪人の策動では何うにもならないと解ると、七人の同志と相談して、チリヂリバラバラになり、芳村道之丞は其中心人物として、長い間一味の連絡れんらくに當つて居りました。
 其後、天草で習つたオランダ風のかざりを應用して、精巧せいかうな鈴を作ることを工夫し、芳村道齋と名乘つて江戸中の好事家かうずかの人氣を集めましたが、名人業めいじんわざであまりお寶にはならず、年中貧乏を看板に、女房一人、娘一人を養つて事足れりとして居りました。
 女房おあやが死んだ後は、その唯一の形見の金簪きんかんざし鑄込いこんで大きい鈴を作り、自分の仕事部屋に掛けて、朝夕清澄な音を樂しんで居りましたが、或夜賊が入つて、芳村道齋を斬つた上、あらゆる鈴を盜んで行つて了ひました。
 翌る日まで生きてゐた道齋は重い手傷にもくつせず『敵は河井龍之介、敵は河井龍之介』と言ひ續けて命を落しました。
 河井龍之介といふのは、日頃父道齋と懇意こんいにして居たこれも西國の浪人者で、多分父道齋が、島原の殘黨七人の連絡係をつとめ、その所名前書を持つて居るのを知つて、奪ひ取らうとしたのでせう。島原の殘黨七人の所名前が判れば、強請ゆすつても訴人しても相當の金になつたのです。
 一人殘された娘のお米は、惡者の手に掛つて吉原に身を沈め、生來の美しさとかしこさで、一時は全盛をうたはれましたが、縁あつて大川屋孫三郎に落籍ひかされ、今は何不自由なく暮して居るものの、何ういふものか身體が樂になると反つて氣が弱つて、昔父道齋の作つた美しい鈴の音が忘れられません。
 夫孫三郎の許しを受け、金に飽かして新古いろ/\の鈴を買ひ集め、その中から、道齋銘だうさいめいのを探し出して樂しみにして居りましたが、不思議なことに、母の金簪きんかんざし鑄込いこんだ、父の最後の傑作けつさくが見えません。
 段々詮議して居るうちに、誰の手を經てどうして賣られたか、その鈴は徳藏稻荷の拜殿にあることを見付け、鈴だけ所望するのも、稻荷樣をだますやうで氣がさすので、社殿やしろを全部寄進する代り、古いほこらを何も彼も申受け、此根岸の寮に移して、拜殿に掛けた父の最後の傑作――玲瓏れいろうたる名鈴の音に、朝夕親しむつもりだつたのです。
「こんなわけで御座います。親分、父親の作つた鈴の音を慕ふ私の心持をお察し下さいまし」
 長物語を了つたお米は、物悲しさうに平次の顏を振り仰ぐばかりでした。


「親分、これから何うなるんでせうね」
 とガラツ八。
「俺にも解らねえ、二日でも、女護の島見たいなれうに引止められて居たんだから、手前てめえも少しは智惠が付いたらう。何とか此先を考へてみな」
「チエツ、雁字がんじがらめにされて、納戸なんどに投り込まれて居たんですぜ。あんな恐ろしい女護ヶ島つてあるわけのもんぢやねえ、あの肥つちよの飯炊めしたきがまた恐ろしい力で」
「こぼすなよ、八」
 錢形の平次と八五郎は、こんな事を言ひ乍ら、根岸の奧の寮を引上げました。
 入谷まで來ると、何を考へたか、平次は卒然として往來に立停ります。
「八ツ、手前あの浪人者は手習師匠ぢやねえと言つたつけな」
「何ですつて?」
「あの騷ぎのあつた朝、廣徳寺前で逢つて、お前がけて行つた武家だよ」
「へ、へツ、千りよの一失つて講釋師かうしやくしは言ひますぜ。あの時ばかりは親分の鑑識めがねも曇つたね」
「つまらねえ事を言ふな――斯うつと、あの浪人者が手習師匠でないとすると、あの袖の赤いのは朱ぢやなくて紅殼べにがらだ」
「へエ――」
「徳藏稻荷の木連格子きつれがうしは、紅殼べにがらを塗つたばかりだつて、和泉屋の亭主は言つたね、――あの拜殿の鈴を※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしり取るのは、賽錢箱さいせんばこの上に登らなきやならねえが、足元が惡いから、鈴を取るとグラリと行く、塗り立ての木連格子に、袖や袂位は強くさはるだらうぢやないか」
なある――」
「それに、大川屋の御新造は、父親を殺した河井龍之介といふのは、生きて居れば五十を越した筈で青髯あをひげの凄まじい、一寸怖い顏をした男だと言つた」
「へエ――?」
「さア、來い、ガラツ八。[#「ガラツ八。」は底本では「ガラツ。八」]手前にとつちや怪我の功名だ、その浪人者の家へ案内しろ」
「親分、かうお出でなせえ」


 二人はちうを飛んで白川鐵之助と名乘つた浪人者の長屋へ驅付けました。ソツと格子から覗くと、家の中は鈴だらけ、主人の鐵之助は、障子にるゝ秋の陽の中にいゝ心持さうに晝寢をして居ります。
「今日は、今日は、御免下さい」
 八五郎が格子を開けると、
「河井龍之介、御用ツ」
 錢形平次が飛込むと一緒でした。浪人者はさすがに身だしなみで、引付けてある一刀を引拔き、
「何をツ」
 眞向から向つて來るのを迎へて、ピユツ、ピユツと、平次得意の投げ錢。一箇は刀を拔くこぶしを打ち、一箇は眉間みけんをしたゝかに打ちました。
「あツ」
 とたじろぐところを、折重なつて、犇々ひし/\と縛り上げます。ガラツ八も人柄相應に馬鹿力があるので、こんな時は存外役に立つのでした。
        ×      ×      ×
 河井龍之介の首は、間もなく鈴ヶ森にさらされました。
 堂宮だうみやの鈴を盜み歩いたのは、自分が道齋を殺した時盜んで賣つた鈴の中に、島原の殘黨の所名前が書いてあることに氣が付いた爲でしたが、お白洲しらすでそんな事を申立てても、もう上役人も相手にしてはくれません。一つは河井龍之介の家から沒收ぼつしうした鈴に、そんな所名前などを書いたのは一つもなかつたからでもあります。
 尤も、徳藏稻荷から盜んだ鈴だけは、そつと錢形平次の手から、お米の手へ返してやりました。その鈴を二つに割ると中には細々こま/″\と何やら書いてありましたが、平次は素よりそんなものを讀まうともしなかつたのです。
 後日その事に就いて、與力の笹野新三郎にかれた時、平次はケロリとして、
「今頃島原の殘黨ざんたうが、二人や三人ヨボヨボになつて江戸に居ることを詮索せんさくしたところで、何の足しになりませう。それより大事なことをお耳に入れて置きますが、河井龍之介を捕へた手柄てがらは、この平次ではなくて、ガラツ八の野郎で御座いますよ。あの男はなか/\馬鹿ぢや御座いません、おついでの時褒めてやつて下さいまし」
 こんな事を言つて居りました。





底本:「錢形平次捕物全集第十四卷 金の茶釜」同光社磯部書房
   1953(昭和28)年9月10日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋社
   1931(昭和6)年11月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「ノツペり」と「ノツペリ」の混在は、底本通りです。
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
※初出時の副題は「鈴を恋う女」です。
入力:門田裕志
校正:湖山ルル
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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