銭形平次捕物控

群盗

野村胡堂




【第一回】



「親分、ありゃ何んです」
 観音様にお詣りした帰り、雷門へ出ると、人混みの中に大変な騒ぎが始まって居りました。眼の早い八五郎は、早くもそれを見付けて、尻を端折はしょりかけるのです。
「待ちなよ、八、喧嘩か泥棒か喰い逃げか、それとも敵討ちか、見当もつかねえうちに飛込んじゃ、恥を掻くぜ」
 平次は若駒のようにはやり切った八五郎を押えて、兎にも角にも群衆をかきわけました。
「はいよ、御免よ」
 などと、八五郎は声を張りますが、場所が場所なり日和もよし、物好きでハチ切れそうになって居る江戸の野次馬は、事件を十重二十重に囲んで、八五郎の蛮声でも道を開いてはくれません。
 その間に誰が気が付いたものか、
「銭形の親分だよ、道を開けなきゃ――」
 などと言うものがあり、やがて道は真二つに割れます。
 群衆の中に、居疎いすくんだのは二人の若い男女、男の方は三十前後の町人風で、女の方は十八、九の旅姿の娘、これは非凡の美しさですが、何処か怪我をした様子で、身動きもならず崩折れましたが、それを介抱している男の方も、額口を割られて、潮時のせいか、鮮血が顔半分を染めて居ります。
「どうしたんだえ、これは?」
 平次は、兄妹とも夫婦とも見える、この二人の前に突っ立ちました。
「ヘェ」
「怪我をして居るじゃないか」
「危なく返り討ちになるところでした――、親分さんが、お出で下さらなきゃ」
 若い男は、血だらけの顔を振り仰ぐのです。
 色白で少しのっぺりして居りますが、なかなかの好い男です。縞物の地味なあわせ、小風呂敷包みを、左の手首に潜らせて、端折った裾から、草色の股引が薄汚れた足袋たびと一緒に見えるのも、ひどく手堅い感じでした。
「返り討ちは穏やかじゃ無いな、――一体どうしたというのだ、いや、此処じゃ人立ちがして叶わない、八、其辺の茶店の奥を借りるんだ、お前は娘さんを――」
 平次は眼顔で八五郎に合図すると、直ぐに傍の茶店の奥へ、若い男をつれ込みました。
 その後から、旅姿の娘に肩を貸して、同じ茶店の奥へ入って来る、八五郎の甘酸っぱい顔というものは――
 何しろ娘の可愛らしさは非凡でした。旅姿も舞台へ出て来た名ある娘形のようで、汗にもほこりにもまみれず、芳芬ほうふんとして腋の下から青春が匂うのです。
「先ず、その傷の手当をするがよい」
 奥へ入った平次は、若い男の右小鬢こびんの傷を、茶店で出してくれた焼酎で洗って、たしなみの膏薬こうやくをつけ、ザッと晒木綿さらしもめんを巻いてやりました。打ちどころが悪くて、ひどく血は出しましたが、幸い大した傷では無く、こうして置けば四、五日で治りそうにも見えます。
「まア/\こんなことで済んでよかったよ、ところで、深いわけがありそうだが、それを聴かして貰おうか」
「有難うございます、銭形の親分さんだそうで、飛んだところで、良い方にお目にかかりました」
「敵討ちが望みなら、強そうな武者修行か何んかに助けて貰う方がよかったかも知れない、俺じゃ、助太刀の足しにはならないぜ」
「飛んでもない、親分さん」
 それから温いお茶を呑んで、煙草を吸いながら、心静かに平次は、二人の話を聴いたのです。
「――私共は腹違いの兄妹で、私はさん之助、妹はお比奈ひなと申します。遠州浜松の生れで、父は栄屋という大きな呉服屋をいたして居りましたが、今から十年前父の山左衛門は、家中の悪侍大友瀬左衛門という者に討たれ、それがもとで一家離散をしてしまいました」
 山之助は涙ながらに――文字通り、涙に濡れて語り進むのでした。
 大友瀬左衛門が栄屋山左衛門を討ったのは、少しばかり用立てた金を、やかましく取立てた怨みで、栄屋もそれで潰れましたが、大友瀬左衛門も、城下の町人を殺した罪で永のいとまになり、それからは良からぬ者を集めて、自ら首領になり、海道筋を荒し抜いた上、近頃は江戸に入って、押込強盗を働いて居るという噂でした。
 山之助はそれから間もなく、知辺を訪ねて江戸に入り、新鳥越しんとりごえの呉服屋、越中屋金六というのに奉公して、親の敵討ちは叶わずとも、せめて父祖の家、栄屋を再興する念願に燃えて、一生懸命働いて居りましたが、
「――故郷の浜松在の叔母に預けて来た妹のお比奈が、叔母が死んで頼るところが無くなり、一人旅の苦労を重ねて、江戸の新鳥越に、兄の私を訪ねて参りました。それはツイ二日前のことでございます」
 ところが、肝腎の兄が奉公して居る越中屋というのは、元は日本橋で相当の店を開いて居たが、主人の金六が中風をわずらって没落し、今では新鳥越に引っ越して、呉服屋とは名ばかり、主人一人、奉公人一人の、見る影もない小布屋こぎれやに成り下り、妹お比奈がせっかく浜松在から訪ねて来ても、お勝手の板の間より外には、寝かす場所もないという有様だというのです。


「思案に余って二人は、観音様にお詣りして、せめては親達の後生のお願いでもしたら、敵討つ力も無い不孝な私共にも、運の開けることもあろうかと、つい此先まで参りますと――」
 山之助はゴクリと固唾かたずを呑んで、暫くは絶句するのです。
「何があったんだ」
「敵大友瀬左衛門と逢ったのでございますよ、親分さん」
「フーム」
「つく/″\江戸は狭いと思いました。今までは私の方から――恥かしい事ですが、逃げて廻って居りましたが、今日という今日は、妹を連れた私と、子分の伊八というならず者をつれた瀬左衛門が、浅草雷門前の道の真ん中で、けもかわしもならず、私共兄妹と顔を合せてしまったのです」
「で、名乗りでもしたのか」
「飛んでもない、親分、私は算盤そろばんより重いものを持ったことがなく、それに途中で不意に逢ったんでは得物というものはありません。商人の家に奉公して居る私が、何処で敵に逢うかも知れないと申して、脇差や匕首あいくちを持って歩くわけにも参りません」
「妹のお比奈さんは?」
「たしなみの短刀を持って居る筈ですが、これも着換の中に巻き込んで、風呂敷に入れて背負って居りますので、急なことでは取出すわけにも参りません、――よしやまた、女持の短刀位取出したところで、切取り強盗を稼業にして居る大友瀬左衛門に刃向えるわけもなく、子分の伊八は、喧嘩伊八と言われた男で、それ一人でも私共兄妹の手に余ります」
「――」
「伊八は私共を見付けると――おや栄屋のせがれと娘ですぜ、雷門前で返り討ちにするわけにも行かねえが、敵討ちなんて悪い了見を起こさねえように、こうしてやれ」
 と、いきなり石を拾って私の小鬢を殴り妹を突き飛ばして、何処ともなく姿を隠してしまいました。
「で、どうしたのだ」
「あんまり腹が立つから五、六間追っ駆けましたが、二人共怪我をして居る上、あっと言う間に十重二十重に弥次馬に取囲まれ、逃げも隠れも、悪者を追うこともならなかったのでございます」
「――」
「何んという因果なことでございましょう。五体満足な男に生れながら、ひ弱く育ったばかりに、親の敵を討つこともならず、敵の姿を見付けると、泥棒猫のように逃げ廻らなきゃならないとは――」
 山之助は又も男泣きに泣くのでした。
「親の敵も討ちたかろうが、差し当りこれから、どうする積りだ」
 平次は兎も角も、この不運な兄妹を慰める外はありません。
「今からヤットウの稽古をしたところで追っ付かず、それに越中屋の主人の金六は、身動きも自由にならない病人で、たった一人の奉公人の私が、今更見捨てもなりません。そうかと言って、貯えも路用もあるわけは無く、一人の妹を、江戸へ留め置くことも、も一度浜松へ帰す当てもございません」
 意気地の無い兄は、泣くより外にすべは無かったのです。
 妹のお比奈は、兄よりはいくらか気丈らしく、泣きもこぼしもしませんが、まだ身動きするのが痛いらしい、そっと唇を噛んで、美しい眉をひそめるのが、ひどく八五郎を悩ませます。
 草臥くたびれ果てた旅姿のくせに、何んというこれはまた魅力を発散することでしょう。
「親分、可哀想じゃありませんか、つれて行っちゃどうです」
 縁台の上に崩折れて、物も言わずに差俯向く娘を見ると、八五郎は我慢のならない心持になるのでした。兄の多弁さに比べて、千万無量の歎きを、ジッと耐えて居るお比奈は、心の中で泣いて泣いて、泣き崩れて居るように思えてならないのです。
「何処へつれて行くのだ」
 平次にも旅籠賃はたごちんの工面などがつく筈もなく、差し向き気のきいた叔母さんの心当りもありません。
「あっしのところでよかったら、叔母さんに頼んで見ますよ、若い女一人位なら、どうにでもなるでしょう」
 八五郎は思い切った様子で言うのでした。


 四日、五日、無事な日は過ぎました。
 彼岸過ぎの江戸は滅っ切り涼しくなって遊びにも仕事にも、申分のない日は続きますが、どうしたことか、それっきり八五郎は来ず、今日あたり一つ、此方こっちから押しかけて行って見ようかと思って居るところへ、当の八五郎は、気の抜けたような顔をフラリと持ち込んで来たのです。
「お早う、親分」
「お早うじゃないぜ、八、先刻さっき鳴ったのは上野の巳刻やつじゃないか」
「もうそんな時刻ですかね、道理で腹加減が昼近いと思いましたが――」
「あんな野郎だ、昼飯の催促をしたって、今日はろくな干物もねえよ、ところであの娘はどうしたえ、首尾よく住みつきそうか」
「貰った猫の子のようですね、――喉を鳴らして、コロ/\して居ますよ」
「それは好いあんべえだ」
「すっかり叔母の気に入っちゃってね、無口で気が付いて、食は細いが、よく手伝ってくれるし、こんな嫁を貰ったら、さぞ――なんて」
「恐ろしく気を廻すんだね」
「それほど気に入ったのに、叔母はあのきりょうのことを、一と言も言わないのは剛情じゃありませんか、女のヒネたのは若い女のきりょうのことを言うと、見識に拘わると思って居るんですね、嫁なんてものは、顔があっても無くても仔細しさいはないと――」
「顔の無い人間なんてのは無いよ」
「あの叔母なんてえ代物は、それ位のことを考えて居ますよ、――ところで、それほど叔母によくする娘が、あっしの姿を見ると、そっと滑るように逃げ出すのはどうしたことでしょう」
「お前という人間が怖いのさ」
「あっしはそんな怖い顔をして居ますかね親分」
「袖でも引かれたらどうしようと思って居るんだろう」
「そんな思い過しをされちゃ叶わねえから、近頃は二階から降りて、あの娘の傍へ行くときは、懐手ふところでをすることにきめて居ますよ、変な素振りでもあったと言われちゃ、あっしの恥ばかりじゃありません」
「懐手をしたって、顎を引っかける手がある」
「お前さん」
 後ろの方から、番茶をくんで出た、女房のお静がたしなめました。
「ハッハッハッ、八がそんなことで怒るものか、心配するなよ――ところで何んか変ったことがあるのか」
「大ありですよ、昨夜遅くなってから、あの兄貴の山之助が訪ねて来ましてね、大層世話になったから御恩返しの心持で、そっと教え度いことがあると――」
「虫歯の禁呪まじないか何んかだろう、お前此間頬をらして居たぜ」
「そんな間抜けなもんじゃありません。近頃江戸中を荒らし廻る黒雲五人男の素性と名前――それに人相まで、事細かに教えてくれたから大したものでしょう」
「何? 黒雲五人男――そいつは大変なことじゃないか、山之助は何処でそれを嗅ぎ出したんだ」
 平次が驚いたのも無理はありません。何々五人男という群盗が、江戸の綱紀の乱れに乗じて、勇侠者流のような顔をして跳梁した頃のことです。「百両盗んで五両か十両を貧乏に施こし、あとの九十何両を飲み食いや悪遊びにつかって、義賊面もねえものだ」とって平次が腹を立てたのは、この仲間のことだったのです。
 わけてもその中の「黒雲五人男」は、残忍で婪欲どんよくで、狡猾こうかつで陰険で、手のつけようの無い兇賊団でしたが、二、三年前東海道を荒らし抜いて江戸に入り、それから引続き諸人の恐怖と迷惑の種子たねになって居たのでした。
 手口はその時/\で違いますが、それは五人の兇賊が、盗賊の手柄争いをして、毎年首領の地位を争うものだとも言われ、その神出鬼没さと、無法残酷な手口に、南北両奉行、二十五騎の与力、百二十人の同心、ことごとく手を焼いて居たのです。
「その黒雲五人男の素性人別が、手に取るようにわかったのは大したことでしょう。もっとも訊けばその筈で、あの山之助の親を討って浜松を立退いた大友瀬左衛門の一味が、黒雲五人男だと聴いたら、どうです親分」
「フーム」
「黒雲五人男は、五人共遠州の者で、最初の首領は大友瀬左衛門で、これは浜松の御家中で、百石をんだ立派な武士、取って四十五という、格服の良い青髯あおひげの浪人者、それから瀬左衛門と負けず劣らず、仲間で立てられて居るのは、早川水右衛門というこれも浪人者、年は五十五、六と言うから先ず泥棒には珍らしい年寄だ」
「次は伊八というやくざ、二十七、八の好い男で、身軽で気が強くて、箸にも棒にもかからねえ曲者くせものだそうですよ、その次は坊主還りで宗玄そうげんという四十男、エガ栗頭の大入道で、恐ろしい髯武者だが、不断は深い笠を冠って居るから、容易に人相は見せない――これで四人でしょう」
「あとの一人は」
「それが大変で、――お源という、二十四、五の年増女ですよ、黒雲五人男と一口に言うが、本当は黒雲四人男と一人女で」
「――」
「この女は悧口で愛嬌があって、色っぽくて、手が早くて、噛みつかれると命が危いから、まむしのお源というんだそうですよ、大友瀬左衛門も早川水右衛門もこの女には一目も二目も置く」
 八五郎の説明は、それで大方きました。
「有難う。大きに助かるよ、それだけ素性と人相がわかれば、黒雲五人男だって、呑気に江戸の往来を歩いちゃ居られまい」
「それじゃ親分」
「あれ、もう帰るのか、八」
「ヘッ、あっしが居ないと、あの娘が淋しがりますよ」
「勝手にしやがれ」
 八五郎はイソ/\と帰って行きました。が平次に対する、黒雲五人男の挑戦は、これをきっかけに恐ろしい勢いで始められることになったのです。


 それから五日の間に、黒雲五人男は二ヶ所に押入り、一人を傷けて一人を殺し、夥しいものをりましたが、場所がかけ離れて居るので、平次も出しゃ張るわけに行かず、そのまま口惜しがりながらも見過してしまいました。
 が、三度目は大変でした。
「わッ、親分、とうとうやって来ましたよ」
 ガラ八の八五郎、馬のように泡を吹いて明神下の平次の家へ飛込んで来たのです。
「何がやって来たんだ、相変わらずあわてた野郎じゃないか、盆と正月が一緒に来たって、男の子はそう物驚きをするものじゃねえ」
「驚きますよ、親分、黒雲五人男が来たんだから――」
「何処へ来たんだ、路地なんかで待たしちゃ済まねえ、此方こっちへお通し申すんだ」
 平次は八五郎の眼の色の変ってるのを見てわざと落着き払って居るのでした。
「向う柳原のあっしの家ですよ」
「へエ、お前の家へ、そいつは飛んだ御苦労だ、何を盗って行ったんだ」
「お奉行所の手形(門鑑)と、御用の提灯ちょうちんが一と張り、――しゃくにさわるじゃありませんか」
「そいつは皮肉だな、お前はそれを黙って見て居たのか」
「あっしが居さえすれば、黒雲五人男を数珠じゅずつなぎにしますよ。癪にさわることに昨日友達五、六人と川崎へ行って一と晩飲み明かして、朝がけに帰って来ると、大変な騒ぎじゃありませんか」
「怪我は無かったのか」
「お比奈さんと叔母と二人っ切りでしょう、猿轡さるぐつわを噛まされて、押入へほうり込まれ、家中を掻き廻したらしいが、叔母のへそくりなんかには眼もくれませんよ、もっとも二両二分と、穴のあいたのが五、六十枚、竹筒に入れて枕元の柱にブラさげてありますがね、相手は黒雲五人男だ、からかい面に竹筒を外して、家中にバラ撒いて行ったが、勘定して見ると一文も不足して居なかったなんざ、人をめたものですね」
「兎も角も行って見よう、放って置けねえことをしやがる」
 平次は八五郎を促すように、向う柳原まで飛んで行きました。
 路地の中はまだ三々五々の人立ち、評判の兇賊黒雲五人男が押入ったというので、お長屋の格が上ったように思って居るのでしょう。
 家の中へ入ると、八五郎の叔母はまだプリ/\して居りました。
「私のところへ押込が入るなんて、本当にあきれ返ってモノが言えないじゃありませんか、千両箱の二、三十も持って居るとでも思ったのか、――若くて綺麗なお比奈さんが居るから、私はもうそればかり心配で――」
 と、まくし立てるのです。
「泥棒が入ったのは宵か、夜中か、それとも暁方かえ、叔母さん」
 平次はその鋭鋒を避けながら静かに訊きました。
「夜中でしたよ、――子刻ここのつ前だったかね、お比奈さん」
「――」
 お比奈は黙ってうなずきました。
「人数は?」
「たった一人でしたよ、盲目地めくらぢあわせに、豆絞まめしぼりの頬冠りで、懐中に呑んで居た匕首あいくちを抜いて脅しながら――俺は黒雲五人男の一人だ、岡っ引の家を承知で入ったが、ジタバタすると命が危ない、良い子だ、静かにしろ――とお比奈さんと私を縛り上げ、猿轡まで噛ませて家中を捜し廻り――どうせ金のある筈はねえが、こいつはサバした貧乏だ、せめて、十手位は持って居そうだと思ったのが此方の間違えだ、せめてこれでも――と御用の提灯とお奉行所の手形を持って行ってしまいましたよ」
「それっ切りか」
「それっ切りならいいが、私の頬っぺたを匕首で叩いて、口惜しいじゃありませんか――良い婆さん振りだが、少しヒネ過ぎたなんて、つまらない事を言いながら、お比奈さんを引寄せて、その頬っぺたへ、自分の頬っぺたを持って行くんですもの。私はもう飛付いて引っ掻いてやろうと思いましたが、縛られた上、口の中へ汚い風呂敷を詰められちゃどうすることも出来ません」
「で?」
「それでもいい加減に諦めたと見えてお比奈さんと私を押入の中へ投り込み灯を消し――火の用心に気をつけろ火鉢にはまだ火があるぜ――なんて、余計な世話まで焼いて、後ろ戸を閉めて行ってしまいました」
「人相や身体付き、声などに叔母さん心覚えは無かったのか」
「ありませんよ、泥棒なんかに近づきは、――でもたった一つ気の付いたことがあります」
「――」
身扮みなりも言葉の様子も、町人かやくざでしたが、頬冠りの手拭の下に、ふくらんで居るまげの格好は、野郎頭やろうあたまじゃありません、あれは髷節が高くて、固鬢かたびん付けでカン/\に固めた武家の髷に違いありません、ねえお比奈さん」
「――」
 振り返るとお比奈は、相変らず言葉少なに、そして淋しそうにうなずいて居ります。
「そいつは良い事に気が付いてくれた、甥の八五郎より、立派な御用聞になれるぜ叔母さん」
「まア、それ程でも無いでしょうよ」
 などと、叔母さんは満更まんざらでもない様子です。
「ところで、それからどうしたんです、叔母さん」
「何時までもそうして居るわけに行かないから、お比奈さんと二人で押入の戸を蹴飛ばして転げ出ると、御近所の衆を起して兎も角も縄を解いてもらいました。別段怪我も無いし、お比奈さんの可愛らしい頬が、火ぶくれになったわけでも無いから、そのまま八五郎が帰るのを待ちましたが、この子と来たら、御存じの通りの呑気者のんきものでしょう」
 叔母さんの鋭鋒は、いつもの通り八五郎の方に向いて行くのです。


 平次は時を移さず、八五郎を新鳥越の越中屋金六の家へ走らせ、お比奈の兄の山之助に急を告げました。――もっとも事件は大したことも無かったので、忙しかったら来なくてもいいという条件付です。八五郎が帰って来ての報告は、
「山之助は胆を潰して居りましたが、昼は前々から人でも頼まないと、店をあけられないから、よろしくお願してくれということでした」
「昨夜、山之助は外へ出た様子は無いのか」
「主人の金六はヨイ/\で身動きも怪しく、ロレツも廻らず、下の世話まで山之助にさせるので、人でも頼まなきゃ、一と晩でも家をあけられない――とこれは近所の評判ですよ。昨夜も夜半よなか過ぎまで、何彼と介抱をして居たそうで、あんな評判の良い男はありませんね。一季半期の奉公人に出来ない事ですね」
 黒雲五人男と、お比奈の兄の山之助との間に、何人か連絡は無いかといった、少しばかりの疑いも、あれでは吹き飛んでしまいます。
 しかし、事件はこれが本当の発端でした。兇賊の一団、黒雲五人男の跳梁と、銭形平次の死闘は、これを皮切りに展開されたと言ってもよかったのです。
 黒雲五人男の挑戦の第一手段は、
「サァ、大変だ、親分、黒雲五人男は御用の提灯を持って池の端の生薬屋、丸屋吉兵衛のところに押入り、漢方と南蛮物の毒薬を一と箱盗み出して行きました、その中には江戸中の人間を半分は殺せる程の毒が入って居るんだというから大変じゃありませんか」
 というのは八五郎の報告でした。
「銭形の親分、近頃お南の奉行所に変な者が出入する様子です。出入商人にも変りは無く、曲者の忍び込んだ様子も無いのに、お奉行所の中でいろ/\変ったことが起ったり、妙な物が紛失します」
 八丁堀組屋敷からは、与力笹野新三郎の使いで、若い下っ引が飛んで来ました。まさに、八五郎のところから盗み出された、御用の提灯と、奉行所の手形が悪用されて居るに違いありません。

【第二回】



「親分、妙なことになりましたが――」
 フラリと八五郎がやって来たのは、それから四、五日経ってからのことでした。
「何が妙なんだ、大層腐っているようだが」
 そういう平次も、黒雲五人男の跳梁に任せて、影もつかめない昨今を、珍らしく腐り続けて居たのです。
「あの、新鳥越の越中屋の山之助がやって来ましてね」
「お比奈の兄と言った方が手っ取り早いぜ」
「そのお比奈さんの兄が、青い顔をしてやって来て――向う柳原のあっしの家へ、暫く泊めてくれないかという相談なんで」
「新鳥越から向う柳原は、少し遠過ぎるぜ、あの小布こぎれ屋の店はどうするんだ」
「暫く休むんだそうですよ」
「フーム」
「詳しく言うとこうです。あの山之助が、黒雲五人男の素性や名前を、あっしに漏したでしょう」
「――」
「それを嗅ぎつけた黒雲五人男の仲間が、どこで何うき出したか、山之助の奉公している越中屋を突きとめ、を変え人を換えて山之助をつけ狙って居るんだそうです」
「で?」
「これじゃ、命が危ない、越中屋の店のことも気にかかるが、主人に頼んで店を閉めてもらい、向う柳原のあっしの家へ来て、暫く黒雲五人男の眼をらせ、様子を見定めた上で、又新鳥越へ帰り度い――とこう言う頼みですよ」
「ありそうなことだが――あのよい/\の主人金六独りでは身動きも出来まい、誰がそれを介抱するんだ」
 平次は当然の疑いを持出しました。
「兄の山之助があっしのところへ来て居る間、妹のお比奈さんが、新鳥越へ行って、主人の介抱から、三度の世話、閉めて居ると言っても、少しは店も見るんだそうで――」
「つまり、兄と妹と入れ替るわけだな」
「早く言えばその通りで」
「それが妙なことかえ、八」
「――」
「あの綺麗な妹が、兄と入れ替っちゃ、成程お前にして見れば妙なことかも知れないよ――ところで、お前はそれを承知したのか」
「男と見込まれちゃ、イヤとも言えませんよ。もっともあっしの傍では、あのお比奈坊が、たもとをいじったり、爪を噛んだり、眼をつぶったり、断わって貰い度い様子でしたがね」
「よい/\の年寄の傍より、八五郎の傍の方が良いというわけかえ」
「それに違えねえと思うんだが――」
「お前という人聞は、よく/\結構に出来て居るよ――ところで、入れ替えは済んだのか」
「今日、これから始まるんですが、どうしたものでしょう、親分」
「男と見込まれたんだろう――兄に頼まれちゃ、妹の手前もあるというわけだ」
「でも、袂を裏返したり、爪を噛んだり、眼をつぶったり」
「娘の所作しょさなんか、俺に訊いたってわかるものか、袂を裏返したのは、のみをさがす為で、爪を噛んだのは、かんのせいで、眼をつぶったのは、眼にほこりが入った為とでもして置け」
 平次はこんな事を言って、煙草の煙を輪に吹くのです。
「銭形の親分が、あれだけは玉に傷さ、情事いろごととなると、まるっきり通用しねえ」
 八五郎は拳固を顎杖あごづえにして、納まらない顔をするのでした。
「そんなに不服なら、山之助を此の俺の家へつれて来るがいい、黒雲五人男をおびき寄せるおとり位にはなるだろう」
あっしは?」
「お前は時々新鳥越を覗くんだな、その気があるなら、偶には病人の世話位は手伝ってやるさ、散々親不孝をして、両親に死に別れたお前だ、赤の他人の年寄の世話をするのも飛んだ功徳になるかも知れないよ」
「ヘッ、そんなものですかね」
 などと、ツイその気になる八五郎です。


 それから三日目、山谷さんやの春徳寺に、思わぬ事件が起りました。
 春徳寺の檀家で、本銀ほんしろがね町の阿波屋三郎兵衛、独り娘お由利が長の患いで、一度は医者にも見放されたのが不思議な切っかけで本服し、今では以前の美しさも健やかさも恢復した喜びに、先祖の菩提寺なる春徳寺改築のために、祠堂金しどうきん三千両を寄進することになり、その日出入の鳶頭かしらが宰領で、人足にかつがせた吊台に、三つの千両箱を積み、阿波屋三郎兵衛夫婦が、娘お由利と共に、山谷の春徳寺に乗込んで来たのです。
 時刻は丁度昼少し前、昔は寺の多い山谷でも、名刹めいさつのうちに数えられた春徳寺でしたが、数度の火災に檀家も離散し、今は仮寺のみじめな板屋根で、まことに名ばかりの寺に過ぎませんでした。
 両替屋阿波屋三郎兵衛の寄進で、本堂の再建が出来れば、春徳寺も昔の姿を取戻すわけで、その日のもうけは、三日も前からの大騒動、住職の春厳和尚、子供のように喜んだのも無理のないことです。
 ところで、阿波屋の一行、主人夫婦に娘お由利、手代の宗次郎、鳶頭の銀次に、手代りを加えて人足四人の同勢、春徳寺に着いた時は、出迎えに出たのは、水も垂れそうな寺小姓が一人、
「お早いお着きでございます。住職以下未刻やつ(二時)過ぎのお着きと承って、まだお出迎えの仕度もいたして居りません、暫く此方にてお待ちを願います」
 一行を本堂の側の一室に案内して、まことに行き届いた挨拶です。前髪立の美少年、曙染あけぼのぞめの振袖、精巧せいごの袴、短いのを前半に差して、紫足袋、さながら絵に描いたようです。
 その頃、山谷の山内には、よくこんな寺小姓を見掛けることがありました。振袖火事の娘が三ッ橋で見かけたのも、多分こんな姿だったでしょう。谷中や湯島、芳町あたりの蔭間かげま茶屋にも、こんな艶姿あですがたの少年が養われて居たことは言うまでもありません。
「それは御丁寧で恐れ入ります。実は昼過ぎ日本橋を出て未刻やつ過ぎ申刻ななつ近く参る筈でしたが、お寺からお使いの方が見えて、昼頃の方が御都合がよいというお言伝だったので、取急いで参ったようなわけで――」
 阿波屋三郎兵衛はクド/\と弁解をして居ります。
「――そんなわけで、まだお茶の仕度も出来て居りません、恐れ入りますが、お嬢様のお手を拝借願えませんでしょうか」
 小姓は顔を挙げて、母親の後ろに小さくなって居る娘お由利の顔をチラと見たのです。
「それはいと易いことで、これ、由利や」
 父親に声を掛けられると、お由利は雷鳴かみなりに打たれたような驚きでした。
「では、お願いいたします」
 お小姓は静かに立上って庫裡くりの方に退くと、死ぬほど恥ずかしがったお由利は、かれたもののように起って、その後を追うのです。
 庫裡には大釜に湯が沸いて居りました。茶道具から菓子まで、何んの手落もなく其処に取揃えてあります。
 年頃の見当はつきませんが、前髪立の美しい小姓と、十八になったばかりの、これは申分なく可愛らしい町娘は、ままごとのような心持で、お茶の仕度をしたのです。阿波屋の主人夫婦と手代宗次郎と、お由利自身の分、それから本堂に担ぎ入れた三千両の祠堂金を見張っている鳶頭の銀次の分、ほかに本堂前の段々にくつろいでいる、四人の人足の分、それを二人は、幾度にも/\、面白そうに運ぶのでした。それが済むと、今度は菓子、
「お嬢様、これで皆んな済みました。お嬢様も此処で召し上りませんか――私も戴きますが」
 お小姓はお由利にもお茶と菓子をすすめ、自分も一碗の茶を取って、口のところへ持って行くのでした。


「わッ、大変、親分」
 ガラッ八の八五郎、泳ぐように飛込んで来たのは、其日も漸く暮れかける頃でした。
「何んだ、大変が迷児まいごにでもなったのか、相変らず騒々しい野郎だ」
 平次は慢性大変中毒で、八五郎のわめくのを、大した驚きもしません。
「三千両ですよ、親分、三千両――」
「誰がお前に三千両くれると言ったんだ」
「誰もくれるわけじゃありません。三千両の大金が煙のように消えたんですよ」
「言うことが大きいな」
「その上、人が一人殺されたんだ。親分、大急ぎで行ってみて下さい」
 八五郎はまだ格子につかまったままわめき立てるのです。
「もう少し落着いて話せ、お前の様子はまるで三千両の憑物つきものがして居る様だぞ」
 平次にたしなめられると、八五郎は漸く中へ入って、冷たい水を一杯所望し、胸を撫でおろしながら、漸く話し出しました。
 山谷の春徳寺へ、三千両奉納の一埒いちらつ
「絵に描いたような綺麗なお小姓だそうですよ――そのお小姓のくんでくれた茶を呑むと、阿波屋の夫婦をはじめ、娘のお由利も鳶頭も人足四人も、性も多愛もなく睡りこけてしまったんだそうです」
「睡り薬だろう、それも利きの良いところを見ると南蛮物だ、ツイ此間池の端の丸屋で盗まれた毒薬の中に、天竺てんじく阿片あへんからった、恐ろしい眠り薬があると聴いたが」
 平次は早くも、この企ての奥に、並々ならぬ用意のあることを見て取ったのです。
「鳶頭の銀次は茶が好きじゃないから、半分しか呑まなかったんで、一番先に気が付いたそうですよ、ハッと思って見ると、本堂にかつぎ込んで、台の上へ杉なりに積んだ、三つの千両箱が無い、思わず這い寄って、空っぽの台を叩きながらわめき立てたということですよ」
「で?」
「続いて、阿波屋の夫婦も、四人の人足も気が付いたが、肝甚の娘お由利と、手代の宗次郎の姿が見えない――娘は庫裡に行って居る筈――と、廊下伝いに行ってみると、廊下の端っこに、手代の宗次郎が、胸を一と太刀、しんの臓をえぐられて、蘇芳すおうを浴びたようになって死んで居る」
「娘は?」
「庫裡に居ましたよ、正体もなく睡りこけて、両手にひしと曙染の大振袖を抱いたまま」
「装束を変えて逃げたのか」
「曲者はその小姓にきまって居ますが、何処へ逃げたか、まるで見当もつかず、第一、三千両を持って行ったとすると、合棒あいぼうが無きゃなりません」
 八五郎は八五郎だけの知恵を傾けるのです。
「ところで、先刻さっきから春徳寺の住職も小僧も出て来ないようだが、何処へ行って居るんだ」
「それが大笑いで」
「何が大笑いだ」
「寺の納戸の中へ、メチャ/\に縛られた上、猿轡さるぐつわまで噛まされて、二人仲よくほうり込まれて居ましたよ」
「寺に居るのはそれっ切りか」
「まだ外に、釜吉という五十年配の寺男が居ますが、門跡前まで使に出て居たそうで、ぼんやり帰って来たところを、三輪の万七親分に縛られてしまいましたよ」
「門跡前へ何んか用事があったのか」
「春徳寺は貧乏寺で、ろくな用意もないから、三千両という大金持参の大檀那の接待に、門跡前の知合の寺へ道具を借りに行ったんだそうで、膳箱を背負って、碗を十人前、皿小鉢を一と箱両手にブラ下げては居ましたが、あのなりじゃ三千両は盗めそうもありませんね」
「――」
「もっともあっしがそう言ってやると――出直すという手があるぜ、無駄は言わねえものだ――と三輪の親分は大きな眼をきましたよ」
「ところで、お前はどんな切っかけで、山谷あたりへ行ったんだ」
 平次の問は当然でした。向う柳原に住んでいる八五郎が、山谷のニュースを拾って来るのは、少し時間が早過ぎます。
「ヘッ、ヘッ、あのの顔を見に行きましたよ」
「誰だ、あの娘てえのは、羅生門河岸あたりに、又筋のよくねえのをこさえたのか」
「飛んでもない――あの清浄無垢な娘ですよ、新鳥越町の越中屋――」
「山之助の妹のお比奈の顔を見に行ったのか」
「まア、そんな事で」
「お比奈は元気か」
「せっせと洗濯物をして居ましたよ、越中屋の金六は、あの娘にしもの世話までさせるんですって、罰の当った話で」
「兄の山之助はそればかり心配して居るよ」
「そう言えば、山之助の姿は見えませんね」
 あの事があってから、妹のお比奈は越中屋へ行き、兄の山之助は銭形平次に引取られて居るのでした。
「昨日から風邪の気味で隣の六畳に寝て居るよ、呼んで見ようか」
「それに及びませんがね」
「ところで、何処まで聴いたっけ」
「お比奈が洗濯をして居るところですよ――裏へ廻って無駄話をして居ると、三輪の子分が表の往来を駆けて行くじゃありませんか、唯事でない様子なので、けて行くと山谷の春徳寺で、その騒ぎの真っ最中でしょう」


 この事件は、三輪の万七のお膝元だからと、済ましては置けないものがありました。それは、春徳寺で用いられた毒薬は、池の端の丸屋で盗まれたものに相違なく、其辺一帯は、銭形平次の縄張内と言ってもよかったのです。
 もう一つ、それより大分前のことですが、由比正雪の一味が、神田上水に毒を投じて、江戸の人心を撹乱かくらんし、謀反むほんを企てて徳川幕府を倒そうとしたことなどがあり、毒薬に対する幕府の神経は、火器に対する場合に劣らず、想像以上に尖鋭になって居た時でもあったのです。
 平次は八五郎と共に、時を移さず、山谷まで飛んだことは言うまでもありません。
 春徳寺に着いたのは、もう酉刻半むつはん(七時)という時刻だったでしょう。秋の陽はとうに暮れて、寺町は淋しく暗くなりまさるばかりですが、春徳寺だけは寺社の係り役人を迎え、三輪の万七の子分達を交えて、高張提灯たかはりぢょうちんの物々しい警戒振りです。
 だが、盗まれた三千両は、それっきり行方もわからず、殺された手代宗次郎の死骸は、引取手もなく、寺の一室にそのままにしてあります。
 平次が来たと聞くと、寺社の役人河村半治は、ホッとした顔になりました。慣れない仕事で、自分ではどうにも裁きがつかず、そうかと言って、評判のよくない三輪の万七に全部を任せるのもはなはだ気が進まなかったのでしょう。
「おや、平次が来てくれたか、それは有難い。万七と相談をして、良きように取計らってやれ、拙者は一応引揚げる、いずれ又参るとして――」
 寺社役河村半治は、晩酌の膳と内儀の顔が恋しくなった様子で、さっさと引揚げてしまいました。
 神社仏閣の中で起った事件は、言うまでもなく寺社奉行の係りで、町方は口を出す権利さえ無かったのですが、上野の山内のように、山同心が居て、自治的に取締りが出来て居る場所は別として、一般江戸の町の寺や社で起った事件は、民事的なものは別として刑事上の事件は、江戸の治安を背負って立つ、町奉行配下の与力同心に任せ、寺社の係りは事件を委嘱した形式を採って、手を引いて報告を聴くのが慣例になって居たのです。しかし、納まらないのは、此辺を縄張にして居る三輪の万七でした。
「銭形の親分のめえだが、もう下手人があがって居るんだぜ。親分に汗を掻かせる程のこともあるめえよ」
 などと、はなはだ平らかでない調子です。
「有難う、このまま引揚げて、晩酌でもやる方が気がきいているが、眠り薬が池の端の丸屋から盗まれた物らしいから、毒薬の御取締の手前放っても置けない」
 平次は穏やかに弁解しました。
「なアに、つまらねえ泥棒さ、三千両の小判が見付かりさえすれゃ」
 万七はひどく軽くあしらって居りますが、事件には底の底がありそうで、企みの深さに、平次は圧迫的な予感さえ持って居たのです。
「ところで、その寺男の釜吉というのが、大きな荷物を背負って来たと言ったが、門跡前の寺から此処までの道順と、時刻を調べたことだろうな」
「そんな事にぬかりがあるものか、花川戸で喉が乾いたから、一杯呑んだと言って居るが、調べてみるとそれも確かだ。だがな、銭形の、釜吉は五十男だが、力もあり機転もききそうだ、狐の化けたような、偽物の寺小姓を使って、阿波屋一家へ一服盛りさえすれば、あとはわけも無い、眠り薬を呑まない手代の宗次郎をあやめて、三つの千両箱を隠すだけのことなら、荷物をチョイと縁側におろしても出来ることだぜ」
 三輪の万七は、この事件を、怪しい寺小姓と、寺男の釜吉の共謀とにらんでいる様子です。
 平次はそれをいい加減にあしらって、寺の中に入りました。阿波屋三郎兵衛と女房のお仲、それに娘のお由利は、眠り薬の覚めた後の気分の悪さが治り切らず、それに三千両の紛失は、阿波屋にとっても、償い難い重大事なので、同じ目にあった鳶頭の銀次と共に、本堂の傍の部屋に踏止って、果てしもない相談事に没頭して居ります。
「銭形の親分だそうで、丁度よいところ」
 三郎兵衛は青い顔をしながらも、席を設けて平次を迎え入れました。
「飛んだ災難でしたね」
「いやもう、散々の目に逢いましたよ。お寺へも気の毒ですが、もう一度三千両の金をこさえることは、私にも出来ないことだ、何んとか取返して頂けませんか。それに手代の宗次郎も、下手人が挙がらないうちは行くところへも行けないでしょう」
 大家の主人らしい闊達かったつさのうちにも、諦め兼ねた愁悶が太い眉を曇らせます。
「その寺小姓の顔に、見覚えは無かったでしょうな」
「飛んでもない、夢にも見覚えのない顔でしたよ。声は少し皺枯しわがれて居りましたが、まるで絵に描いたような美しい顔で」
それがまた、憎くてたまらない様子です。


「殺された宗次郎は、毒茶は呑まなかったことでしょうな」
 平次は変った角度から問をすすめました。
「呑まなかった様です。茶碗に口をつけましたが、そのまま下へ置いて、お小姓の後を追って、庫裡の方へ行ったようで」
「その呑み残しの茶碗の茶は」
「三輪の親分が、急須きゅうすに戻して、何処かへ持って行きました。本草の学生がくしょうにでも見せて、どんな毒を使ったか調べ度いということで」
 それは当然な用意でした。
「お内儀とお嬢さんが、席を外されたようだから、その間に一寸伺いますが――」
 三郎兵衛は「何んなりと」と言った顔を振り向けました。
「手代の宗次郎を、お嬢さんの婿にでもするような話があったことでしょうな」
「その通りですよ、親分。娘は来年はやくだから、年内に盃事だけでもさせて置き度いと、内々話を進めて居りました――どうしてそんな事が?」
 三郎兵衛は、平次の慧眼に一寸驚いた様子です。
「綺麗なお小姓に誘われて、お嬢さんが庫裡へ行った――その後からお茶も呑まずについて行ったというのは、わけがある筈で」
「成程、若い者の心持は、そう言ったものでしょうな」
「そのお嬢さんが、曙染の振袖を、抱きしめたまま、眠って居たというのも、変な話じゃありませんか」
 平次は其処まで突っ込んで行ったのです。
「それも、随分責めて見ました。若い娘にあるまじきことで、世間の聞えも悪いと思いましてな――すると娘の申分にも、満更の言いわけとばかりも思えない節があります」
「?」
「娘はこう申すのです――お小姓にすすめられてお茶を呑んだ、喉は乾いて居たが、ひどく苦いと思った、すると間もなく四方あたりが真っ暗になって、地獄の底に引き入れられるように眠くなった、恐ろしいから、並んで坐って居るお小姓の袖を掴んだ、何んか言ったかも知れないが、それっきり気をうしなってしまって、暫く経って気がつくと、曙染の振袖をひしと掴んでいたが、肝心のお小姓は、振袖から脱出して、姿も見えなかった――というのです」
 三郎兵衛は父親らしい熱心さで、娘のために、こう弁ずるのでした。
 そんな話をして居るところへ、隣室へ退いた内儀のお仲は、娘のお由利の手を取らぬばかりに、元の座に戻って来ました。母親のお仲は四十前後、美しさの僅かに残る、平凡な町家の内儀で、娘のお由利は、品は無いが、丸ぽちゃで、愛嬌があって、いかにも可愛らしい十八娘でした。
「銭形の親分さん、いろ/\娘に訊いて見ましたら、大変なことを申します」
 内儀のお仲は少し息を弾ませて居ります。
「大変なこと?」
「娘は、まア、私は驚いてしまいました、あのお小姓を捜し出してくれと、飛んでもないことを申します――あれは大泥棒の人殺しだと申しても聴きやしません。そんな筈は無い、大泥棒の人殺しは他にあるに違いない――と」
 内儀が意気込むのも無理のないことですが、浮気な江戸娘の無分別さ、我儘で、ほれっぽくて、物の道理もわからないのが、此時代の江戸の市井に、幾多の物語と伝説とを作ったことは事実で、芝居と絵本と、みだらな話で、娘をこう教育した、母親の無分別さも考えないわけには行きません。
「そんな馬鹿なことが」
 三郎兵衛は居住居いずまいを直して、煙管きせるを逆に取りました。娘を意見し馴れたポーズです。
「でも、娘は、こう言うんです。名前は聴かなかったが、あのお小姓には、間違いようの無い目印があるから、それを頼りに捜せば、すぐわかるに違い無い――って」
「目印?」
 平次は膝を立て直しました。
「右の耳の後ろ、玉をのべたような首筋に、豆粒ほどの、真っ紅なあざがあるんですって」
「そいつは有難い、絵に描いたようなきりょうで、首筋の赤い痣だ、地獄の底へ行っても見付かりますぜ、親分」
 傍で聴いて居た八五郎が夢中になって乗出します。
 其処を切上げた平次は、庫裡の一室に納めてある、手代宗次郎の死骸に目を通しました。二十三、四の華奢きゃしゃな男で、傷は前からしんの臓へ一と突き、血潮に塗れて、惨憺さんたんたる姿です。
 たった一と突きでらちをあけた曲者の手際は非凡で、これは決して素人の盲目突きではありません。
 お茶の用意をした部屋には、お由利が抱きしめて居たという曙染の振袖がそのままにしてあり、其処には血潮の跡もありません。
 庫裡の奥には、住持の春厳和尚と小坊主の岩良が、鼠に引き残された、坊主雛のように淋しく控えて居りました。六十過ぎの痩せた老僧と、十四、五の小坊主です。
「阿波屋さんの皆さんが着くほんの四半刻よはんときほど前でしたよ、深い饅頭笠で顔を隠した、腰法衣こしごろも修行者しゅぎょうじゃが訪ねて来て冠物のまま阿波屋の使いの者だがと私を呼出し、いきなり一と当て当て身を喰わせて眼を廻させてしまいました。気の付いた時は、岩良と二人、メチャ/\に縛られて納戸に投り込まれて居たのです。いやはや、どうも、沙汰の限りで、これで春徳寺の再興もフイになるかと、私は私の不徳を責める外はありません」
 慾の無さそうな老僧ですが、それでも一代の心願がフイになると思ってか、眼をショボ/\させて歎くのです。小坊主は傍から、老師の泣き濡れた顔を珍らしそうに覗いて居ります。あまり賢くは無さそうです。

【第三回】



 春徳寺の三千両紛失事件は、それっきり迷宮入になって、阿波屋三郎兵衛の手代宗次郎を殺した、兇悪な下手人も、見当もつかぬうちに三日五日と日が経ちました。
 ある生温かい日の夕方、
「親分、あの病人のへその穴まで調べて来ましたよ」
 こんな途方もない事を言いながら、相変らず旋風つむじのように飛んで来たのは八五郎でした。
「何を言うんだ、馬鹿々々しい」
 平次は縁側の日南ひなたで、鼠の尻尾しっぽのような、世にも情けない、懸崖の菊の鉢の世話をして居りました。
「でも、親分は新鳥越の越中屋釜六のところを、時々は覗いて見るように――って言ったでしょう」
「お前が、あのお比奈という娘の顔を見たい様子だったから、大した用事でもない用事を頼んだのさ。誰が病人の臍の穴を覗けなんて言うものか」
「ところで――お比奈坊の兄の山之助は居ませんか」
 それは此間から黒雲五人男に狙われて、平次のところへ逃げ込み、銭形の羽掻はがいの下で暮して居る、菊屋の[#「菊屋の」はママ]山之助のことだったのです。
「気分が良いと言って、先刻さっき明神様へお詣りに行ったよ、――飛んだ素直で良い男だが、屈託していて可哀想だから、久し振りで出してやったのさ」
「それじゃ、どんな事を言ってもいいわけで――実は、此間から一日に二度ずつ、新鳥越の越中屋を覗きましたよ。お比奈坊は一寸見ははにかみやで無口で取すまして居るようですが、段々顔馴染になると、飛んだ面白い娘で、あっしとすっかり仲好しになってしまいましたよ」
「フーム」
「あれで飛んだ色っぽいところがあるから面白いでしょう、仲人なこうどを立てるまでもなく、あの様子なら、小当りに当って――」
「馬鹿だなア、あのはなか/\しっかりしているから、つまらねえ真似をすると、飛んだ眼に逢わされるぞ」
「大丈夫ですよ――ところで、今日という今日、お比奈坊が、ちょいと用事があるけれど、病人を一人置いては出られない、気の毒だけれど、半日留守番をして下さらない?――と言うんじゃありませんか。おっと承知の助、皆まで言うな――か何んかで、大呑込で引受けたのは、此間親分に頼まれた、あの病人の身体のことでしょう」
「フーム」
「中風で口もきけない病人と、半日にらめっこをして暮すのはあまり楽じゃないが、その代りお比奈坊にイヤな思いをさせずに、何も彼も調べられるでしょう。――先ず第一にあっしはあのよい/\の釜六に行水を使わせることにしましたよ」
「思い付きだな」
「ところが、やって見て驚きましたよ、大釜に一杯湯をわかして、流しにたらいを置いて、病人をとこから牛蒡抜ごぼうぬきにつれ出して見ましたが、臭いの臭くないのって――」
「若い娘一人の手じゃ、そんなに度々行水も使わせられなかったことだろうよ」
 平次は妙なところへ同情して居ります。
「兎も角も、ざっと洗って、元の床へ納めてやりましたがね、あの病人は誰が何んと言ったって、正真正銘の、まじりっ気無しの病人ですよ。右半身は石っころのようになって居るし、眼も耳もうとい上に、口も利けやしません――それでも久し振りに身体を洗ってもらって良い心持になったと見えて、口をモグモグさせながら、片手拝みにあっしを拝んで居ましたよ」
「飛んだ功徳くどくだったな、いずれ良いむくいがあるよ」
「酬いはテキメンで、お比奈坊が帰って来て、そりゃ喜んで居ましたよ、私一人では重くてどうにもならないから、兄が帰って来るのを待って、一日も早く湯を使わせてやり度いと思って居ました――と」
「いや、俺からも礼を言うよ。越中屋釜六が、本当の病人でないと、山之助お比奈兄妹は、とんだ濡衣ぬれぎぬを着なきゃならないんだ――いつか江戸を荒し廻った強賊の「疾風はやて」が、偽の中気病ちゅうきやみになって居たことがあるから一応は釜六も疑って見たのさ」
ねんの入ったことですね、――でもあの釜六ばかりは、医者に見せるまでもなく、真物ほんものよい/\ですよ、もっとも、何処かで見たことのある顔だとは思ったが、そいつは思い出せません」
 記憶の百色箪笥たんすの、何処へしまい忘れたか、八五郎は鼻の穴を仰向にして、大空を嗅ぎ廻すような恰好をするのでした。
ほかに気の付いたことは無いのか」
「行水が済んでから、家中を捜して見ましたが、売れ残りの小巾こぎれが少しあるだけで、何んにもありやしません」
「刃物は」
「切れそうも無い莱切なきり包丁が一丁あるだけ、そう/\見事な懐中煙草入がありましたよ。かますの中には、国分こくぶの上等が少々、多分山之助のものでしょうが、少し贅沢ぜいたくですね」
「あとは?」
「女物と男物が、だらしもなくまじって居ましたよ、お比奈坊、顔の造作や物言いはひどく片付いて居ますが、世帯の方は一向片付きませんね」
「女房には不向じゃないか」
「ヘッ、片付けの方は、あっしがやります」
 八五郎は顎を撫でるのです。
「おや、山之助が帰ったじゃないか」
 二人は急に口をつぐみました。気が付くと路地の中へ、少し疲れたような山之助が、ナヨ/\と入って来るのでした。


 そのあくる日、平次は与力筆頭笹野新三郎の八丁堀役宅に呼出されて居りました。
「平次か、忙しいところを気の毒であったな、実は困ったことが起きたのだ」
 縁側に平次を掛けさせて、近々と煙草盆を持って来た笹野新三郎は、その頃漸く四十になったばかり、家代々の与力ですが、当代の新三郎はわけても闊達かったつで聡明で、銭形平次とはよく馬が合ったのです。
「ヘェ、どんなことでございましょう」
 平次は膝に手を置いて次を待ちました。
 美しい秋日和でした。
「外でもない、此間から、南の御奉行所に、何んとも素性の知れぬ者が出入するという噂のあることは、知って居るであろうな」
「存じて居ります。向う柳原の八五郎のところへ押入った、武家風の泥棒が、御用の提灯ちょうちんと御奉行所出入商人の手形を盗んで参りました。それを変なところで役に立てはしないかと、ビク/\して居りましたが――」
 平次は言いよどむのです。間違いもなくその門鑑が悪用されて居ると知っても、八五郎の手落ちにし度くなかったのです。
「いずれ出入の町人のような顔をして入って来ることであろうが、六十枚の手形が出ていることだから、どれが曲者くせものやら一向に見当はつかない、――兎も角も、宵に忍び込んで、夜っぴて仕事をする様子で、書き役の手文庫から抽斗ひきだし、本箱までが散々の荒しようだ。後で念入に調べて見ると、書き役の書類の中から、いつぞやお前に追われて、品川沖で海の中に沈んだ強賊「疾風はやて」の記録だけが紛失している」
「――」
 平次はジッと考え込みました。
「あれから三年経ったが強賊の「疾風はやて」は三千両の金を盗み溜めて、本国へ帰参の手蔓てづるにするために、養い娘のお島という八人芸の女と、せがれの皆吉という美少年を使って、強賊を働いた末、お前に見出されて船で逃出し、品川沖で水死したということであったな」
「左様でございます。養い娘のお島というのが生き残り、疾風の女房――お島には養い親を引取って世話をして居りましたが、その母親も間もなく亡くなり、お島も何時いつからともなく姿を隠してしまいました。生きて居たら、二十五、六にもなりましょうか」
「その疾風と申した強賊の名を、お前は覚えて居ることだろうな」
「本名は木村六弥、又の名を森右門と申しました」
「いずれ記録を新しく作らなければなるまい、よろしく頼むぞ」
「かしこまりました」
「その記録をって盗んだというのは、子細しさいのあることだろう、何かの手掛かりと思ってわざ/\呼んだのだ」
「有難うございます。森右門の木村六弥は死んだ筈でございますが、倅の皆吉と養い娘のお島はまだ生きていることと存じます。丁度山谷の春徳寺で、三千両の祠堂金しどうきんが盗まれた折でもあり、とことんまで調べて見たら、何んか繋がりがあるかもわかりません」
 曾て「疾風はやて」の木村六弥が、主家帰参のために盗み溜めたのも三千両、春徳寺で盗まれたのも三千両、「疾風」の記録に[#「記録に」はママ]南町奉行所で盗まれ、それに一脈の関係のありそうな山之助お比奈兄妹の後ろにも、「疾風」の時と同じように、中気の病人が付きまとって居るのです。
 もっとも、曾て疾風が扮装したのは、偽の中気でしたが、山之助の主人で、お比奈が世話をしている越中屋の釜六は、八五郎が調べたところでは、間違いもなく真物の病人というのが、二つの事件の違いでもあります。
 平次は妙に割切れない心持で明神下の自分の家へ帰って来ました。
 黒雲五人男と、山之助お比奈兄妹は、何んかしら重大な繋がりがあるようですが、兄の山之助は、おびえ切った姿で平次のところに泊り込んでおり、妹のお比奈は病人の介抱に隙も無い有様では、黒雲五人男と、この二人の間には、さしたる連繋があろうとも思えません。
「あの、ちょいと」
 平次は、路地に入ろうとした足を停めました。耳に馴れた快よい響きが、思いも寄らぬ場所で平次を呼止めたのです。
「何んだお前か」
 建物の袖の蔭から、ソッと出て来たのは、平次の恋女房のお静だったのです。曾ては両国の水茶屋で、美しさと清らかさをうたわれた茶汲女でしたが、フトしたことから平次と親しくなって、散々苦労をした末に一緒になった二人です。
 でも、平次と一緒になってからのお静は見事でした。夫の平次と自分の生活を、少しでも豊かにすることばかり考えて、貧しさの中に精一杯のつつましやかな努力を続けて居るのです。その内気で出しゃ張りの無いお静が、自分の家の路地の外に、平次の帰りを待って居るというのは、容易のことではありません。
「何があったんだ」
 平次は重ねてきました。


 お静の眼顔に案内されて、平次は黙ってその後に従いました。何んか重大なことがあったらしく、お静は顔を少し緊張させて、黙りこくって、神田明神の境内へ入って行くのです。
 平次は妙な思い出し笑いのコミあげて来るのを、どうすることも出来ませんでした。二人がまだ恋仲であった頃、平次の姿を見付けたお静は、店からソッと抜け出して、眼顔で合図しながら、町の裏へ、河岸ぶちへ、案内して行った、楽しい逢引の一カットを思い出して居たのです。
「ね、お前さん、あの人は矢張り女よ」
 明神様の裏手に廻って、捨石に並んで掛けると、顔をそっぽの方へ向けたまま、偶然並んで掛けた他人同士のように、お静は口を開くのでした。
「女? 山之助が?」
「お前さんは、そう言ったでしょう。呉服屋の番頭だと言った山之助さんの手に、ばちだこのあるのは変だって」
「言ったよ、声も恰好も、男に違えねえが、素振に変なところがあるし、あのばちだこはどうも呑込めないって」
「私は、それから気をつけて居ました。すると、風邪を引いたと言って、どうしても町湯へ行かないし、もう一つ、うちへ来てから七日にもなるのに、少しもひげが伸びないでしょう」
「あ、成程、いいところへ気がついた」
 平次は思わず褒めてしまいました。お勝手へ引込んで、世帯のやりくりより外には、何んにも知らないような顔をして居るお静に、こんな結構な知恵があろうとは思わなかったのです。
「それに、声も格服も男だけれど、身のこなしに、妙に柔らかい丸味があるでしょう」
「フーム」
「それから、女にはよくわかりますが、あの人には男の匂いが無いんです」
「――」
「もう一つ、先刻、お勝手の落しのぶたが曲って居たのへ足を乗せて、思わず落しの中へ落込むと、あの人はキャッと悲鳴をあげたじゃありませんか。どんなに気の弱い人だって、男はあんな悲鳴をあげる筈は無いでしょう」
「その落しの蓋を、お前はわざと曲げて置いたんじゃないか」
「あら、そんな事」
 お静は思わず顔を赤らめて、襟に顎を埋めましたが、おとなしいようでも岡っ引の配偶つれあいは、それ位の技巧が無いとは言い切れません。
「兎も角、そいつは有難かった。山之助が女とわかると、いろ/\考え直さなきゃならないことがある。お前もよく見張って居てくれ――なァに大丈夫、何んにも怖いことがあるものか。お前は黙って家へ帰るがよい。俺は相手が用心しないうちに、もう一つ突っ込んで調べ度いことがある」
 平次はお静を家へ帰すと、其足ですぐ向う柳原の八五郎の巣を訪ねました。
「おや、親分、珍しいことですね、親分の方から此方へ来るなんて、まア/\」
 などという八五郎を押し留めて、
「直ぐ仕度してくれ、新鳥越へ行くんだ」
「お比奈のところですか、今日も一度覗いて来ましたが、――」
「精の出ることだ」
 二人はあまり冗談も言わず、銘々のことを考えながら新鳥越の越中屋へ行きました。もう日が暮れかかって居る頃です。
「ま、親分さん方、こんなところへ」
 などと、お比奈は嬉しそうに二人を迎えてくれます。
「病人はどうだえ、世話の焼けることだろうが、お前は感心だよ」
 平次はお比奈のすすめるままに、狭い店の中に入り込みました。
「今丁度晩の仕度のところでした」
「そうか、兄さんもお前がよくしてくれるので、安心して居る様子だよ」
「本当に済みません。兄さんが臆病なばかりに、飛んだ御厄介になって」
「何んの、そんな事は構うものか、ところで、俺も何んかの縁だ、ちょいと病人の見舞をして行き度いが――」
「汚いところですが、どうぞ」
 平次はお比奈に案内されて、たった一と間の病間へ入って行きました。プーンと鼻をつく異臭が、さすがの平次を辟易へきえきさせましたが、それでも割り込むように狭い部屋に入って、傾く夕陽の――丁度窓から射し込むのにすかして見ると、八五郎が言ったように、これは間違いもなく半身不随のまま死にかけて居る中気の病人で、嘘も掛け引もないことは一と眼でわかります。
 一つ二つなぐさめの言葉をかけましたが、病人の釜六には、それも通じない様子です。
 平次はいい加減に切上げて、八五郎を誘って、暮の街へ飛出す外はありません。踏み留まって調べるには、これはあまりにも陰惨です。
 外へ飛出すと、
「八、近頃六十年配の、左の小鬢こびん禿はげのある行き倒れが無かったか、調べてくれ――それがわかったら誰が引取って行ったか嗅ぎ出すんだ、多分乞食だろうと思うが――」
 平次はいきなり八五郎に一つの仕事を言いつけるのです。
「乞食ですって、親分?」
「あの病人は呉服屋なんかじゃないよ、立派な物貰いさ、顔は申分なく陽にけて居るくせに、歯は真っ白だし、手の甲と同じように手の平まで陽に焦けて居る。人足や百姓のような、激しい仕事をする人間じゃない――多分中気で行倒れになって居る物貰いを拾って来て、釜六に仕立てたんだろう、――非人頭に訊くがいい、うまく行けば一ぺんにわかる筈だ」
「やって見ましょう、――お比奈坊は何んだって、そんな乞食を――」
「お比奈坊のことなんか、忘れてしまえ」
「ヘェ」


 平次は其処から直ぐ本銀町の両替屋阿波屋三郎兵衛の家へ急ぎました。事件は妙に急迫感を帯びて来たので、寸刻の遅れも許されず、町駕籠まちかごを拾って精一杯の酒手さかてをやったのは平次にしては珍しいおごりです。
「あ、銭形の親分、丁度私の方から参ろうと思って居りました」
 阿波屋三郎兵衛はイソ/\と迎えるのです。
「お嬢さんはどんな様子で?」
「そのことでございます。最初は散々に駄々をこねて居りましたが、あの小姓は三千両の盗人ぬすっとで、手代の宗次郎を殺した下手人に相違なく、それに身許も名前もわからず、捜しようも無いではないか、そんな者に逢わせろというのは、世間様への聴えも恥ずかしい、何時までもそんな事を言うなら久離きゅうり切って勘当する――と申しますと、それからは床に就いたっ切り、三度の食事にも起きて来ず、まるで半病人になってしまいました。その上誰が何んと言っても返事をせず、朝から晩まで泣いて居ります。不心得な娘でございますが、万一のことがあっては、三千両の金にも換えられません。親分にお目にかかって、良い知恵を拝借し度いと思って居りました」
 阿波屋三郎兵衛は、面目次第もない首を垂れるのです。我儘わがまま一杯に育った一人娘が、思春期の爆発的な狂態は、親の意見もさして役には立たなかったのでしょう。
「それは困ったことで、――兎も角、あっしが逢ってみましょう」
 平次は娘に逢って、手代宗次郎を殺して、三千両の金を奪った、色小姓の正体を突きとめる気になって居りました。
「では」
 三郎兵衛の案内で、平次は娘の部屋へ通されましたが、それは世にも可愛らしく、艶めかしい六畳で、床に就いて居る我儘娘を看護みとって居たらしい母親のお仲は、平次の顔を見ると、静かに立って隣の部屋にはずし、行灯あんどんを中にして相対したのは、あわてて床の上に起直った、娘のお由利の取乱した姿と、銭形平次の冷たい顔だけになってしまいました。
「お嬢さん、あのお小姓は、男姿にはなって居るが、実は女とわかりましたよ」
「え?」
 銭形平次の言葉は、無言戦術のお由利にも、恐ろしい衝撃しょうげきを与えました。
「あれは黒雲五人男の内の一人で、お源という、名題の毒婦とわかりましたよ。女が女を思い詰めて、どうするのですお嬢さん、恥かしいとは思いませんか」
 平次の言葉は丁寧ですが峻烈でした。
「いえ、いえ違います、違いますよ、そんなことはあるものですか、あの人は、確かに男」
「証拠は?」
「私が振袖にすがりつくと、それをパッと脱ぎ捨てて、用意の絆纏はんてん頬冠ほほかむりをして外に飛び出しました。お乳と胸毛と――そんなものを皆んな見てしまったんですもの」
「――」
「あの方は私に囁きました、いつかは又逢おうと」
 こう言われると、平次の築き上げた空想の構図も、すっかり突き崩されてしまいます。
「そしてあの小姓が引揚げる時、宗次郎を刺したのも、お嬢さんは見て居たでしょうね」
 お由利は激しく頭を振ります。恐らくその時は、昏々として麻睡させられて居たのでしょう。
 平次は黙って引揚げる外は無かったのです。明神下まで帰って来ると、夜更けにも拘らず、八五郎が待って居りました。
「どうした八、わかったか」
「非人頭のところへ行くと一ぺんにわかってしまいましたよ。片鬢かたびんの禿げた乞食のおやじが、中気で身動きも出来なくなったのを、綺麗な若い女が来て、知辺しるべの者だからと引取って行ったそうですよ。もっとも、場所は草加そうかで、少し遠いからわからなかったわけで、あっしが一度見たように思ったのは、満更夢では無かったとわかりましたよ」
「それは何時のことだ」
「三月ほど前で」
「よし、それでわかった。お前は明日あしたの昼頃新鳥越へ行って、あのお比奈坊を口説くどいて見る気は無いか」
「へっ、からかっちゃいけません」
「大真面目だよ、抱きついても構わねえ、首の後ろに真っ赤なあざは無いか、それを見極めるんだ。頬摺ほおずり位はしたっていいとも、万々一だよ、髯を剃った跡があったら、其処でしばって構わねえ」
「あの、お比奈坊が、三千両泥棒のお小姓ですか、親分」
「まだわからねえよ、――それからこう言うんだ、親分の平次が、泥棒の隠した三千両を見付けたそうだから、今晩は取出すことになって居ると――」
「本当ですか、それは?」
「本当なら、こんなことをお前に頼むものか」
「ヘェ、何が何んだかわからなくなりましたね」
 八五郎は平次の思惑おもわくはかりかねて、眼をパチ/\させて居ります。


 翌る日の夕刻、薄暗くなりかけた頃、越中屋に居た筈のお比奈は、不断着ふだんぎのまま、山谷の春徳寺の山門を入りました。
 本堂の前で、お賽銭箱の中に、なにがしかの鳥目ちょうもくを投げ入れると、暫く黙祷をして居りましたが、何におびえたか、いきなり身をかえしてバタ/\と逃げて行くのを、山門の前で、大手を拡げた八五郎に止められてしまったのです。
「あ、八五郎親分」
 隙を狙って、雌豹めひょうのように逃出そうとしましたが、その時後ろから銭形平次が、
「皆吉、久し振りだったな」
 と声を掛けると、お比奈は、暫く石畳の上に立ちすくんでしまいました。平次の後ろには、「あのお小姓に逢わせるから」と無理に誘い出された阿波屋の娘お由利が、何が何やらわからず夢心地に立って居るのです。
「えッ、もうこうなれば」
 お比奈はパッと裾を蹴返すと、一瞬、闘志沸々たる悪少年皆吉になって居りました。
「それ、八」
「御用ッ」
 争いは深刻でしたが、平次の力添えで瞬時に片付いてしまいました。
「畜生ッ、覚えて居やがれ、岡っ引奴」
 平次を睨んで悪罵の荒らしを浴びせるお比奈は、もう物静かな娘のおもかげもありません。
     *     *
 平次はその夜のうちに、春徳寺の沙弥檀の下から、三つの千両箱を取出して、寺社奉行の役人に引渡しました。
 そして事件が一段落という時、八五郎のために、こう説明してやったのです。
「あれは今から三年前、浪人木村六弥が、主家帰参のために入要な三千両を盗み溜め、それを俺に邪魔された上、品川沖で、水死をしたことがあるが――その後日物語さ。お比奈は六弥の倅の皆吉で、小さい時から女姿で育ち、自由自在に女にも男にもなれるという重宝な野郎だが、人間は恐ろしく太いよ。死んだ親父の志を継ぐために三千両の金をこさえることを考え、義理の娘のお島を無理に引入れて、黒雲五人男の芝居を書いたのさ」
「お島というと、あの八人芸の」
「栄屋の山之助というのは、実は女で、八人芸のお島が姿を変えたのだよ。皆吉のお比奈に無理に仲間にされ、喧嘩になって浅草で額を割られた、あれは黒雲五人男のせいではなくて、義理の弟の――しかも女装になって居る皆吉のせいだよ、――其処へ俺が顔を出すと、この平次には昔の怨みがあるから、馬鹿にしてやろうと思い付いて、あんな黒雲五人男の芝居をこさえたのだ」
「ヘェ、太え奴等で」
「お前の家へ入った泥棒は、お島の山之助だ」
「でも、侍髷さむらいまげが頬冠りの下から見えたと叔母は言いましたぜ」
「付け髷だよ、五、六寸の棒がありゃ、叔母さんの眼位は胡魔化せるよ」
「ヘェ、あきれた話で」
「それから丸屋で毒薬を盗んで、春徳寺で三千両をったのさ、お島の山之助は悪事をいやがるから、人質のつもりで俺のところへ預け、お比奈の皆吉が一人でやった仕事だよ。住職と小僧を縛った修業者も、皆吉の早変りさ」
「首の赤いあざは?」
「そんなものはわけも無く描けるじゃないか」
「三千両の金が、あの寺にあるとどうしてわかったんです」
「千両箱は一つ五貫目もあるんだ、――あの時は外へ持出すひまが無かったよ。それに合棒も無いとわかると、寺の中に隠して居るときめて差支さしつかえはあるまい。俺が三千両を見つけてしまったと、お前がお比奈に言うと、我慢が出来なくなって、日暮れを待ちかねて様子を見に来たろう、――阿波屋の娘のお由利は、それをふすまの隙間から見て、お小姓に違いない――と飛出そうとするんだ、それで間違いあるまい」
「ヘェ、恐ろしいことですね、あんな綺麗な若造が――」
「義理の姉のお島が手伝ったといっても先ず皆吉一人の仕事だ。黒雲五人男が江戸一パイにはびこると見せた手際は恐ろしいよ」
「お島はどうしました」
「何処かへ逃げたよ、それでいいじゃないか」
 こう言った平次です。





底本:「銭形平次捕物控 鬼の面」毎日新聞社
   1999(平成11)年3月10日
初出:「サンデー毎日」毎日新聞社
   1950(昭和25)年9月3日号〜17日号
※「釜六」と「金六」の混在は、底本通りです。
※初出時の表題は「銭形平次捕物控の内」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:結城宏
2017年5月31日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード