角力

久保田万太郎





 ……だまつて、一人で、せッせと原稿を書いてゐた石谷さんが急に立ち上り、
「一寸、ぢやァ、行つて来ます。」
 万年筆をいそがしく内かくしへしまひながらいつた。
「どこへ?」
「行つていらつしやい。」といふ代りにうッかりわたしはかういつた。……わたしはわたしの席で、用があつて来たある新聞の人と、用をすましたあとの世間ばなしをしてゐた。
「角力へ……」
 けゞんさうに石谷さんはいつた。
「あゝ。」
 気がついて、わたしは、うしろの壁の時計をみた。
「三時ですね、もう。」
「すこし今日はいつもより遅くなりました。……あッちの人たちは疾うにもうでかけました。」
 ……あッちの人たちとは中継係の人たちをいふのである。
「行つてみようかしら、わたしも?」
 ふいと、そのとき、石谷さんのその言葉の尾についてわたしはいつた。
「…………」
 石谷さんはけゞんさうにまた眼鏡を光らせたが、
「どうです、行きませんか?」
 すぐ、また、直截にいつた。
「連れて行つてくれますか?」
 といふ意味は、不意に行つても邪魔にならないか?……わたしはさういつたつもりである。
「たまには御覧なさい、国技館のけしきも。」石谷さんはそれにはこたへないで、「いかにいまの角力といふものが……」
「行きます。……連れて行つて下さい。」
 そのまゝわたしは椅子を立つた。お客を外の人にまかせてとも/″\石谷さんといそいで事務室を出た。……といふことのそも/\が、その四五日わけもなくいそがしかつたあとをうけた天気のいい午後で、訪ねたいと思つた人の都合をきかせると御不在、折角立てた予定のこはれた恰好のつかなさが、さうした出来ごゝろをわたしに起させたのである。
 ……出ると、外は、一ぱいの日の光だつた。
「これで、むかしァ、なか/\みたんですよ、角力を。」
 自動車に乗るなりわたしはいつた。……とにかく、こッちから、「行つてみようかしら?」と売込んだのである、義理にも、何とか、事それに関したことを話さなければいけない必要をわたしは感じたのである。
「いつです、むかしといつて?」
 石谷さんはわらつた。
「小錦の横綱時分です。」
「小錦の?」石谷さんは耳を疑ふやうに、「それぢやァ、あなた?」
「えゝ、三十年まへです。……小学校の高等二三年時分です。」
 といつて、わたしは、朝潮だの、逆鉾だの、源氏山だの。……大砲だの、荒岩だの、谷の音だの、さうした人々の、その時代に活躍した人々の名まへをあげた。
「戯談ぢやァない。」
 たとへばさういつた感じに、石谷さんは、急にまた声をだしてわらつた。


「開橋記念」で両国の近所はわけもなくにぎやかだつた。ことに茶番の屋台のかゝつた橋のたもとのごとき人で埋つてゐた。……欄干だけの、野広い感じの、何の修飾もない橋の上。……そのあたらしい橋の上には、みなぎつた一ぱいのあかるい日ざしが、張りわたされた万国旗と一しよにはげしく風にあらがつてゐた。
「すッかり夏ですねえ、もう……」
 わたしは石谷さんにいつた。……遠く、河の上も、明るく、目まぐるしく波立つてゐた。
 雑沓は国技館のまへまでつゞいた。われ/\の自動車は辛うじて茶屋のまへに着いた。……たッつけをつけた若い衆たちのいそがしい行交ひがすぐにわたしに三十年前のわたしを感じさせた。
 靴をぬいで草履をはくと、石谷さんは、そのまゝさッさと中へ入つて行つた。わたしはだまつてそのあとに従つた。
 行司だまりのすぐ上に放送局の場所はあつた。技術部の人たち、中継係の人たちの、若い、緊張した顔がずらりとそこにならんでゐた。そのなかに松内さんのいつものニコ/\した顔がまじつてゐた。……石谷さんとわたしとは、その隣のあいた場所に入つた。
 土俵では吉の岩と小野錦。……さうした名まへをもつた二人が仕切直しをつゞけてゐた。……わたしは土俵に落した眼を間もなく広い場所へうつした。
「これッきりですか?」
 おもはずわたしは……自分でもやゝ頓驚にわたしはいつた。
「…………?」
 石谷さんはわりから顔をあげた。
「いゝえ、これッきりしか入つてゐないんですか?」
 ……なぜなら、どこもかも、み渡すかぎりガラ空きの、……といつてはうそになる、東西の桟敷はあらかた一ぱいになつてゐる、しかも正面は、二階は、三階は、ぱら/\とごまをふりまいたやうにしか入つてゐない。……といふことは、さうなると、なまじその両方の桟敷の一ぱいになつてゐることが外の場所のガラ/\なことをよけいはッきりさせた。
 ……たとへば浴衣の上に引ッかけたあはせ羽織の、どつちつかずに、どこまでも折合ひ兼ねた気ぶッせいさ。……一つにはさうしたゆがみもわたしを手伝つたが、それにしても、どうひいき目にみても五分と入つてゐないのである。
「でも、まだ、いゝはうなんですよ、今日は。」
 といつてくれたのは松内さんである。
「これでゞすか?」
「来るわけがありません。」石谷さんはピタリとわたしを押へて、「こんな、あなた。……あたりまへです、これが。」
 ……が、割れッ返るやうな入の、たぎり立つ人気の、さうしたけしきしかわたしには感じられない。……そうしたけしきなしに角力は成立たない。……すくなくとも三十年まへはさうだつた。
 ところで吉の岩と小野錦である。仕切のことにして勝負は簡単だつた。立つたと思ふとすぐカタがついた。
 ……線香花火。
 呼出しは直ぐにつぎの取組を用意した。


「こんなにいまのやうに長かつたんでせうか、むかしも?」
 わたしは石谷さんにいつた。
「何がです?」
「いゝえ、仕切。……こんなにいつまでも、立たなかつたんでせうか、むかしも?」
 ……なぜ、また、さうした藪から棒な質問をしたかといへば、吉の岩と小野錦のあとに上つた生汐と土州山、此二人もいたづらな仕切直しばかりをつゞけた。そしてわたしはいゝ加減退屈した。……もしさうとすれば……むかしもさうした仕来りをもつてゐたとすれば、こッちにそれだけの辛抱がなくなつたのである。むかし我慢の出来たことがはッきりいま出来なくなつたのである。
 が、わたしは安心した。決してさうでなかつたと石谷さんは言下にいつたから。その理由として、たとへば、むかしは上の位置のものは下の位置のものゝ声をうけて立つた。よし無理があつても立つた。つまり横綱は横綱の、大関は大関の身分をもつた相撲をどこまでも取つたのである。いまはしかしそれがなくなつた。だれもがいまは互角にとることばかりをたてまへとした。それだけ、つまり、みづから守ることに急になつた結果がそれ/″\のその仕切を長くするのである。
「だから、角力に、『品』がなくなりました。……むかしのやうな堂々としたところがなくなりました。」
 石谷さんは歎息した。
 所詮は、で、それだけ角力が理ぜめになつたのである。角力取の料簡がこまかになつたのである。石谷さんのその「品」といふ言葉は「詩」といふ言葉にそのまゝ置きかへていゝ。そして、わたしに、いまの角力は「詩」を失つた……といへないだらうか?
 かういつたら、読者は、たつた一二番の勝負しかみないで何をいふとわらふかも知れない。が、いかにわたしでも、吉の岩と小野錦、生汐と土州山、まさかにたゞそれだけをみてさうはいはない。ありやうは、去年、水上瀧太郎君に連れられて春場所を一日みたのである。そして、わたしは、かうした疑ひをそのときはつきりもつたのである。
 もちろん、わたしは、そのときすぐ水上君にそれをいつた。角力といふものがこんなぐうたらなものとは思はなかつたとさへわたしはいつた。
「古い、古い。」
「貝殻追放」の作者はあたまで諾かなかつた。そんなことをいふのは進歩したいまの角力が分らないのだ、いまの角力の、うちにもつ切実さが感じられないのだと、逆にむしろ叱られた。
 口惜しかつたが、さきは、いつの場所でも欠かしたことのない玄人である。こつちは明治四十二年に出来た国技館の木戸をその日はじめてくゞつたほどの素人である。歯の立つわけがない。おとなしくわたしは旗を巻いた。……といふいりわけが……さうしたいきさつがまへにあつたのである。


 ……そのあと、わたしは、その片つ方づけたすくない入の中に老優片岡仁左衛門を発見した。
 はじめは、だが、どッかでみたとしよりだ位にしかわたしは思はなかつた。そのうち側に、とも/″\我当のゐるのをみてあゝさうかとわたしは気がついた。それほどその存在に気力が感じられなかつた。気がつくと一しよに寂しい気がした。
 が、それによつてわたしは勇気をえた。外に、もッと、さうした見物はゐないだらうかとわたしは三方に眼をくばつた。土俵の上の進歩した角力をみる手間で、わたしは、客席での進歩しない……といつてわるければ昔ながらの、三十年まへのにほひをわたしに感じさせるであらう何かをさがしたいと思つたのである。
 そしてそのおもひたちの、決して無理でも、ないものねだりでもたかつたことは、紫の事務服、白いエプロンをかけた売店の女たちの、甘栗のふくろをさげたり、水菓子のはんだいをかゝへたりして桟敷の間をまご/\するのとゝもに、わたしは、呼出しのたッつけのかげにかくれた白ちりめんの兵児帯。……さうした古風な、いまの世の中のどこにももう残つてゐない人情を、のどかに屈託のない人情を、そこに果してみつけることが出来たのである。
「一寸。」
 突然、石谷さんはいつた。「一寸、あれ……」
 わたしは石谷さんのいふ方をみた。白い、長いひげをはやした一人のみだてのない老人が四五間さきの歩みをもそ/\とあるいてゐた。
「分りますか、あれ?」
「いゝえ。」
「鬼竜山です、当年の。」
 いそいで、わたしは、もう一度そッちに眼を向けた。手取で売つたかれ、強い相手にむかつてしば/\奇勝をはくしたかれ、親孝行の聞えの高かつたかれ。……幕の中ほどをつねに上下してゐたかれに対してことさらな感じをわたしはもつたのである。ある場所でかれは全勝した。そのときの如き、わが事のやうにわたしは喜んだ。
 同時にこれといふ背景をもたない、勢力のないかれをどうかしてすこしでも出世させたいとつねにわたしはねがつた。……といふのも、つまりはそれだけ、世間にも広く人気のあつたわけの、新聞でいろ/\かれについて書いたればこそ、書きたてればこそわたしのやうなかくれた贔屓も出来たのである。
「生きてゐたんですかね。」
 間もなく人の中に没し去つた、そのうしろすがたをみ送つてわたしはいつた。
「あの時代のものは大てい、もう……」石谷さんはそれにはこたへないで、「とにかく三十年といへば……」
 朝潮も、源氏山も、大砲も、荒岩も、谷の音も、だれももう十年まへ、十五年まへ、二十年まへすでにこの世を去つた。そしていま残つてゐるのは、関の戸となつた逆鉾と、峰川となつたこの鬼竜山だけださうである。……そして、その間、石谷さんは相撲について書きつゞけた。……ことによると、だから、鬼竜山についてのわたしのその知識も、石谷さんによつてそも/\つぎこまれたのかも知れないのである……
「JOAK。……JOAK……」
 そのとき、隣のますで、松内さんがマイクロホンに話しはじめた。夏場所角力六日目の実況放送がはじまつたのである。……烈しい西日が場内を斜めにくぎつて、土俵には、越の海といふ角力と大浪といふ角力とが上つてゐた。





底本:「日本の名随筆 別巻2 相撲」作品社
   1991(平成3)年4月25日第1刷発行
   1997(平成9)年5月20日第5刷発行
底本の親本:「久保田万太郎全集 第一四巻」好學社
   1947(昭和22)年9月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2015年2月20日作成
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