池袋の店

山之口貘




 池袋は、いま、時々刻々に変貌しつつあるのだ。池袋駅東口には、すでに、西武百貨店がその巨体を構え、西口には、東横百貨店が控えているのであるが、東口にはさらに三越や伊勢丹の姿も現われるとのことで、これら四つの大百貨店の勢揃いを想像しただけでも、近い将来の池袋の風貌がうかがわれるわけである。東口駅前も、いまは広場になっていて、各方面へのバスの便があり、地下鉄が完成したり、上越、信越線がはいってくるようになるあかつきには、すっかり大池袋に化けるのだ。
 さて、こうした新装をこらすために、池袋の街は至るところごった返していて、落着きのない雰囲気に包まれているのだ。ちょいとご無沙汰しているうちに、旧武蔵野線の出口の筋向いあたりにあったあのゆうれい横丁も消えてしまって「平田屋」で焼酎一杯という気分も出しようのない変り方になったのだ。区画整理のためにそこら一帯も様子を変えて「小山珈琲店」も場所をずらされたついでに、無理に店を拡げて、うなぎの寝床みたいな細長い格好の店になった。筆者は、原稿の押し売りとか、ぼろ生活のための金策などの往き帰りを、旧武蔵野線を利用しているので、つい「小山珈琲店」に寄るのだが、模様変えしてからの客種の増えたことにはおどろいているのである。筆者の舌など、珈琲の味のわかる舌ではないにしても、うまいとおもえば高く、安いとおもえばまずかったりするのは、どちらも困るのだが、この店のは安い割にしてはうまいみたいな感じのするところが一般にうけているのかも知れないのだ。筆者はここでしばしば、ステッキを片手の秋田雨雀氏の姿も見かけるのである。なにしろ、繁栄している店なのだが、来る人達の生活もこの店ぐらいに、たがいに繁栄したいものだ。
 駅の端のトンネルをくぐって西口へ出ると、パチンコ屋の横丁に、やはり珈琲店で「スター」というのがある。若い主人で、去年の夏東口広場での絵の街頭展のために事務所的便宜をはからってくれたり、若々しい定連とスター文庫の計画を立てたりして多少の本など置いてあったりする店で、客のおつき合い旁々商売しているという風なのだ。ここではまたしばしば、窪川鶴次郎氏の姿を見かける。この界隈から少し離れて、二叉の交番の手前の右横丁をはいったところには「象の子」という店がある。客の希望によって色々の珈琲をのませてくれる店だ。筆者は過日、ある新聞社のA君に案内されて「芳林堂」という本屋の横をはいったが、突き当って右へ折れたところに「おもだか」という店がある。おかみさんの顔を見て、二十年ばかり前のことをおもい出したのだ。そのころ、東両国の国技館前の通りにあった「安兵衛」という飲屋のおかみだったからなのだ。主人はときくと、なくなりましたといい、いまは、ときくと、ひとりですとおかみは答えたのである。
 東横百貨店前のマーケットのなかをうろうろしていると、三味線の音がきこえて来たりする。三味線とはいっても、東京あたりで俗にいっているところの蛇皮線の音である。蛇皮線というのは、三味線の元祖で、もともと琉球でも三味線さんしんと呼ばれているのである。錦蛇の皮を張ってあるので、蛇皮線と呼んでももっともらしくきこえるのだ。泡盛屋「さんご」で鳴らす琉球の三味線なのである。主人は、暴風の名産地石垣島の出身で、本来は絵の方の人なのである。定連には、国展、独立、自由美術などの画家、彫刻家多数であるが、この店では、カラカラで泡盛を出すので、杯でたのしめるのである。
 泡盛屋は、西口にもう一軒、「おもろ」がある。「おもろ」では、毎月一回、沖縄舞踊の紹介をしているが、カラカラで泡盛をのみながら、蛇皮張りの三味線をきく「さんご」の客も、沖縄舞踊を見ながら泡盛をあおる「おもろ」の客も、池袋のごった返しのごたごたを忘れ、しばらくは沖縄の祖国復帰におもいを致すのだ。

(「報知新聞」一九五三年四月二日)





底本:「山之口貘詩文集」講談社文芸文庫、講談社
   1999(平成11)年5月10日第1刷発行
底本の親本:「山之口貘全集 第三巻」思潮社
   1976(昭和51)年5月1日
初出:「報知新聞」
   1953(昭和28)年4月2日
入力:kompass
校正:門田裕志
2014年1月2日作成
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