沖縄帰郷始末記

山之口貘




 三十五年ぶりで郷里に帰り、ついこのごろになって帰京した。
 沖縄での滞在期間一ヵ月に限られているところの岸信介大臣の証明する身分証明を懐にして行ったのであるが、沖縄へ行ってみると、色々の事情が次から次へとできて、さらに現地での滞在を一ヵ月のばしてもらって満二ヵ月を過し、往復ともに一ヵ月半ほどで東京に舞い戻ったわけである。
 三十五年ぶりに郷里へ帰るとはいっても、なにもその三十五年ぶりを、ぼく自身が特に強調したのではなかったのであるが、何年ぶりの帰郷なのかと相手にきかれるので、そのように答えたまでのことなのであった。しかし、沖縄が、現代の国際情勢のもとで、世界の注目するところのものであることから、沖縄出身のぼくのことまでが、自然周囲のうわさにのぼったにちがいない。それに、貧乏詩人だということまでが手伝ってのこともあって、盛大な歓送会があったり、餞別にしては世間をびっくりさせた程のものをいただいたり、おまけに、新聞、雑誌の上でも騒がれたのである。こんなことが、沖縄の現地にも強く響きわたったのかも知れない。
 那覇の泊港に船が横づけになったとき、岸壁の群衆は大きな幟までおし立てて迎えてくれたものである。紺地に白で「バクさんおいで」と大書されたもので、中学のころの旧友がすでに白髪の頭をして、その幟を両手でかかえているのである。三十五年ぶりとはいえ、錦を着て帰ったのでもないのにと、ぼくはおもわないではいられなかったのであるが、貧乏詩人の、その貧乏が、ぼくの錦ではないのかとおもいなおし、感激をあらたにした次第なのであった。
 東京をたつ前に、ある雑誌と二、三の新聞の原稿をたのまれていたのであるが、どれ一つとして現地でそれを書くことができなかった。なかでも、ある新聞からは第一信をと念をおされたのであったが、義理をはたすことができず、従って、外のも不義理の結果になってしまったのである。帰るころになって次第にそのことが気になり、一信だけでも、船のなかで書かねばなるまいとおもい、それを大阪に着いてから、速達で送ってぼくの帰京より一足でも先に東京の新聞社に間に合わせるつもりでいたところ、どういうものかひどくペンが重たくて、それもついに全うすることができず、帰りを急ぎながらも、そのために三晩を大阪の旅館でぐずついてしまったのである。ところが書けないとなると書けないもので、ついにそのまま東京に帰りついたのである。
 だが、真先に、女房とこどもからの抗議なのである。旅行先から、一枚のはがきさえ便りも寄越さなかったからなのである。なにしろ、述べたように、頼まれた原稿など、何一つとして一行さえも書けないで、鬱々とつづいているところなので、一枚のはがきのことから、つい妙なことになってしまった。
 女房は顔を赤くして怒り、「よっぽど、捜索願を警察に突き出してやろうかとおもった」と向うむきのまま云ったりしたのである。あとでの話によると茨城にいた義兄が、新聞でぼくの沖縄行を知り、「まさか、行きっきりになるんじゃあるまい」と、その義弟に不安をもらしたとのことであるが、女房側の親兄弟の間では、はじめからぼくのことを遠いところの人であるとして、それを気にしているようで、亡くなった義母も、「遠いなあ」と云って、ぼくらの結婚に一抹の不安を持っていたことなどおもい出すのである。なにしろ一ヵ月の予定が二ヵ月にのびたのであったから、そのことだけでも一本のはがきは出せる筈なのに、と彼女はぐちをこぼした。
 さて、折角、東京に帰って来ても、外出することができないのである。帰京のあいさつをしなくてはならないのであるが、約束の原稿が気になるのである。相手の方ではあきらめているにしても、またもういらないといわれるとしても、原稿を持って行っての上でなら、こちらもあきらめがつくわけで帰京のあいさつを後回しにしてその原稿をまず書くことにしたのである。
 しかし、六、七枚書いたが、気にいらないので、別にまた書いたら十枚位になってしまったがそれも読み返してみると、どうもおもしろくないので、また別に書き出したのである。それがまたなかなかすすまないのである。書き上げ次第、帰京のあいさつも出すつもりで、これは印刷もでき上っていて、机の上で出発を待っているのであるが、ぼくの原稿はまだできないのである。
 そこへ、本紙のY氏があらわれた。仕方がないので、机の上のあいさつ状を一枚手渡したのである。やがて、「随筆」を、とのことなので、一信の原稿も書かないうちに沖縄のことかとおもって尻込みしたが、まあ最近の心境みたいなものというわけなのであった。

(「産経新聞」一九五九年二月二七日)





底本:「山之口貘詩文集」講談社文芸文庫、講談社
   1999(平成11)年5月10日第1刷発行
底本の親本:「山之口貘全集 第四巻」思潮社
   1976(昭和51)年9月19日
初出:「産経新聞」
   1959(昭和34)年2月27日
入力:kompass
校正:門田裕志
2014年1月2日作成
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