おきなわやまとぐち

山之口貘




 おんなじ沖縄出身である旧知の男に出会したところ、かれはぼくに「あなたの放送を聞きましたよ」と言ったが、「しかしあなたの日本語はひどいもんですな、まるでおきなわやまとぐちのまる出しじゃありませんか」と来たのである。ぼくはまたかとおもってふき出してしまったが「じゃまるで、あなたの日本語みたいじゃありませんか」と逆襲すると、かれもまたふき出してしまったのである。似たようなことは、同郷人の間にしばしば見かけたり、経験したりする風景で、お互がお互の日本語を、おきなわやまとぐちだと言ってくさし合っている図なのである。
 おきなわやまとぐちというのは、その言葉自体が示しているように、言語としては正体のあいまいなもので、日本語でもなければ方言でもないのであるが、沖縄方言と日本語とをこねまぜたものである。たとえば、おきなわやまとぐちのおきなわは沖縄で、方言ではウチナーである。やまとぐちはヤマトゥグチで日本語のことをいうのである。
 つまり、おきなわという日本語とやまとぐちという方言とで出来ているところのおきなわやまとぐちという言葉みたいな、そういうものをおきなわやまとぐちというのである。言わば、沖縄製の日本語とでもいうようなものなのであって、言語としては奇型であり、通用性に乏しいものなのである。そのために、日常の言語生活の上でおきなわやまとぐちは、時に悲劇を演じたり、時には世間を戸惑いさせたり、あるいはまた同郷人の間でバカにされたりするわけなのである。
 こどものころ、こんな話を聞いたことがある。沖縄のある家で、勉学のために息子を東京へ出したが、息子から電報が来た。「クビキルカネオクレ」とあるので、大騒ぎとなった。しかし、カネオクレとある。自殺をするにしてはカネオクレが納得のいかないことなので「ナゼクビキルスヘン」との問い合わせをしたところ「クロシロニスルスグカネオクレ」との返電が来て、はじめて息子の真意が読めたとのことである。というのは、息子の首のつけ根には生れながらにして黒いあざがあったとのこと、それを東京の医師の手術を受けてなおすための金の請求だったとの話なのである。こんな話も、おきなわやまとぐちに結びついたものなので、ぼくなどにとっては他人事ではないわけなのである。
 沖縄方言にふうるというのがある。便所のことである。ふうるはもともと屋外の屋敷の一隅にあるのが普通なのであったが、そこは家のうしろの方にあたるので、別名をやあぬくしとも言うのである。やあはやで家のこと、くしはうしろのことである。ふうるは日本語の便所にあたる呼び方で、その場の現実的なものをほうふつとさせるのであるが、やあぬくしは、御不浄とか手洗とかみたいに多少間接的な呼び方である。ある人が、訪問先の家で「家のうしろはどこですか」とたずねて、その家の人を戸惑いさせたとのことであるが、かれにとっては尿意をもよおしたからのことで、つまりはやあぬくしをたずねたわけなのである。おきなわやまとぐちの典型的なもので、同郷人の間なら理解出来るのであるが、それは方言と結びつくからで、方言を知らない一般には日本語として通用するはずがないのである。
 ぼくの日本語がおきなわやまとぐちと言われたにしても、「クビキルカネオクレ」とか「家のうしろはどこですか」とかほど、通用しないほどのみっともないものであるとはおもわないのであるが、調子が沖縄調であることはテープ録音によっていやなほど知らされているのである。それにしても、似たり寄ったりの沖縄調の日本語を振りかざして、頭ごなしに来られたのでは、腹が立つより先にふき出さずにはいられなかったのであるが、同郷のよしみからなのである。

(「朝日新聞」一九六二年三月三〇日)





底本:「山之口貘詩文集」講談社文芸文庫、講談社
   1999(平成11)年5月10日第1刷発行
底本の親本:「山之口貘全集 第三巻」思潮社
   1976(昭和51)年5月1日
初出:「朝日新聞」
   1962(昭和37)年3月30日
入力:kompass
校正:門田裕志
2014年1月2日作成
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