俳句とその成る事情が、戯曲や小説に企て及ばないものがあるといったが、その感をもっとも深くしたのは、
身の上や月にうつぶく影法師
の句である。この句だけで解ったとしたら私のいう意味とはひどく掛け違ったものになる。伊勢の津城主藤堂家領地に起った寛政一揆の民間記述は『岩立茨』二冊だそうである。この一揆の直接責任者である茨木理兵衛は、匿名の『岩立茨』の著者にさんざんにやッつけられ、「伐ってとれ竹八月に木六月、茨の首は今が切りどき」という落首さえあったその頃、茨木理兵衛は農人群の悪罵のうちに、一方では岡本五郎左衛門の一揆鎮撫が功を奏しつつあるとき、帰宿謹慎を命ぜられ、私宅に退いて、自殺の準備をしているところへ、奥田清十郎が来て、俯仰天地に恥ずるところのないものが自殺する所以はなし、自裁を命ぜらるることなからん、よって時機を待ち功をたて罪を償うこそ家臣の途なれと説破した。
理兵衛はこの説に服して生存し、浪々十年、旧知三百石で召還されたが、流転の十年は理兵衛に脱疽を患わせ、当年の奇才縦横はどこへか失って懊悩の後半生をおくってしまった。
こうした、寛政九年の一揆のあとに残された、責任被処罰者の生きたる残骸がつくったものが、前にいった句である。
身の上や月にうつぶく影法師
戯曲にかいても小説にかいても、「身の上や」の句から滲みでる哀傷の人生を表現するほどのものは企て及ばない。もし、「身の上や」の句でなく、句を従に置いてかくならばそれはもとより出来るべき筈だが、それでは表現の方途が違うから、私のいう意味と変ってくる。