柘榴の花

三好達治




 万物の蒼々たる中に柘榴の花のかつと赤く咲きでたのを見ると、毎年のことだが、私はいつも一種名状のしがたい感銘を覚える。近頃年齢を重ねるに従つて、草木の花といふ花、みな深紅のものに最も眼をそばだて愛着を感ずるやうに覚えるが、これはどういふ訳であらう。その深紅のものの燃上るやうなものといふ中でも、柘榴ざくろの朱はまた格別の趣きがあつて、路傍などでこの花を見かけて眼を驚かせるその心持の中には、何か直接な生命の喜びとでもいふやうなものが、ともすればふさぎ勝ちな前後の気持を押のけて、独自のせまり方で強く胸に逼つてくるのを私は覚える。それは眼を驚かせるといふよりも、直接心を驚かせるやうな色彩である。それは強烈でまた単純でありながら、何か精神的な高貴な性質を帯びた、あの艶やかな朱である。柘榴の花の場合にはその艶やかな朱が、ぽつんぽつんとまるで絞出し絵具を唯今しぼりだしたばかりのやうに、そのまた艶やかな緑葉の威勢よくむらがつた上に、点々と輝き出てゐるのであるから、その効果はまた一層引たつて、まるで音響でも発してゐるやうな工合に、人の心を奪つてしばらくはその上にとどめしめないではおかない、独占的な特殊な趣きがある。
 私は毎年この花をはじめて見るたびに、何か強烈な生命的な感銘を覚えるといつたが、そのやうな場合、私は路上にあつて、その花にむかつて同じやうな感銘を覚えた去年のその同じ季節のある日から、今日のこの日まで、まる一年間の間の生活の要約、その風味とでもいつていい、何か圧縮された鮮明なしかしまた名状のしがたい感懐を覚えるのである。
「ああまた柘榴の花が咲いた、この私の好きな花が今年もまたここに咲いた。ああさうだ、去年もこの橋の袂でこの花を見て、丁度今日のこの時と同じやうな感慨を覚えた。その時私はこの橋を渡つて去年も今日と同じやうな用足しに出かけたのではなかつたらうか。それから早くも一年がたつた。その間に戦況はますます苛烈を極め、私の身辺からも多くの若者たちが出征した。その若者たちは遠い極地の東西南北から交々こもごも私に事情のゆるすかぎりの通信を送つてくれる。その度に私はいつも胸をしめつけられるやうな集注した心持をもつてそれらを読んだ。私自身は病気といふほどの病気もせず、家内の者もまた至極無事に、この平穏ではない世界のさなかに、私の生涯の間に於ても比較的無事平穏な期間に属する静かな生活を送ることができた、さうして一年がたつて、さうしてまた柘榴の花が咲いた。海は毎日同じ声でこの美しい日本の国土に戯れかけてゐる。沖の方に見える伊豆の島は初夏のおぼろめく霞の奥にいつも変りのない姿で浮んでゐる……」
 そんなことを考へるともなく考へ感ずるともなく感じながら私は路を急いでゆく。さうして私の心もまた何ものかに促されるやうにその路を急ぐのである。まことに、一つの強い感懐は、いつもこのやうに一つの方角にむかつて私の心を促したてる。さうしてともすれば鈍りがちな私の心の重い歩みをせきたてて、前方にむかつて私の背中を押しやるのである。自然はこの時、一つの鮮明な強烈な色彩をりて、突然鋭く私の心の隙間に、一閃の光明を投げ入れた。それは思ひ設けないさまで意味もないただふとした一些事にすぎなかつたが、私の心は初夏のあざやかな朱花に対して既にめざめ「実は、私はいつまでもぼんやり、かうもしてはゐられなかつたのだ」といふ強い不意の驚き――何か悔恨の風味をもつた驚きを覚えないではゐられない。
 いつもきまつて、初夏の来るごとに柘榴の花は私の心をせきたてる。いやこれはひとり、柘榴の花のみにかぎつたことではない、自然の繊細な美しさ、例へば山の端に落ちかかる三日月のやうなもの、或は林の小径で拾つた小鳥の羽、或はまた風にあがつて青空の中に見失はれてゆく蒲公英たんぽぽの綿毛、さういふ軽微な微妙なものも、また重々しい大輪の日まはりの花や、はじめにのべた柘榴の花の強烈な色彩と同じく、私の心を促して一つの方角に駆りたてるやうに思はれる。
 私はかう書きながら、いつぞやの暮春の頃、奈良の春日の森を友人と共に歩きながらふと拾つた一片の目白の羽毛の、その根方の方は白く、そこから次第に微妙にぼかしになつて、ほのかな緑色が尖端の方ではそれこそ見事な濃緑色に染上げられてゐる、その自然の染色の微妙極まる手際に、ほとんどその日一日心を奪はれてゐた。今では十余年以前の経験を唯今も思ひ出してゐるのである。
 或はまた、それよりもまた更に数年も以前に、私は病を養つてゐた信州の山間で、ある日路傍の山がつから係蹄けいていにかかつた野兎を一羽貰ひうけた。その小動物の褐色の毛並が、それはまだ落葉のはじまつたばかりの季節でちらとも雪の舞ひそめない時分であつたのに、その毛並にはすでに白毛が生じはじめて、褐色のものの尖端の方がわづかに白く染まりかかつてゐるものが、数へれば数へられるほど全身にちらばつてゐるのを発見して驚いた、そんな古い経験をも想ひ起してゐるのである。
 私にはいつも、自然は強大な或は繊細なあらゆる美の手段をつくして、沈滞する人の心をつねに眼ざめしめようと、人人の心に向つて不断に好機を捉へようとして待ちかまへてゐるもののやうにさへも思はれる。私の心がたまたまさういふ機縁にふれて、何かしら直截な生命感とでもいつていいやうな、そのまますぐと納得のゆくある感じでもつて眼のさめるやうに覚える時、私はまたいつも、自然の方の側に不断にその用意の整つてゐたのがほのかに推し測られるやうにさへも思はれるのである。
 私は路傍の柘榴の花について語りはじめて、いささかお喋りの度を過したやうにさへも思はれる。兵馬倥偬こうそうを極める唯今のやうな時局下に、私は無慙な閑談を試みたとがめを蒙るかもしれない。けれども私の若い友人達が東西南北の戦地から私のためにおくられる折ふしの私信の間にも、つねにこの種の閑談が介在してゐて、それが武人としての彼らの風貌にいかにもふさはしく、日本人としての彼らの心情にきはめて微妙に誇張なく調和してゐるのを覚えるのは、私のひそかに日頃から会心のこととしてゐるところである。果して然らば、私の閑談をも、読む人幸ひに多くとがめたまはざれ。





底本:「花の名随筆7 七月の花」作品社
   1999(平成11)年6月10日初版第1刷発行
底本の親本:「三好達治全集 第一〇巻」筑摩書房
   1964(昭和39)年12月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2015年1月16日作成
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