椎の実

橋本多佳子




 私は淋しがり屋と云はれてその時はいやだつたが、考へて見るとさう云はれても又仕方がないことでもあつた。友達などに会つてゐると、別れたあとの淋しさがいやで、知らぬうちに一生懸命なんとかしてと引留め策を考へてゐるのである。だから人中にゐる間ぢゆう淋しがりやであるのは本当で、人にさう感じられるのも仕方ないことである。
 私は時折句を作りに奈良の森林へゆく。大抵ひとりだからあまり奥へは行けず、近くで静かな人気のない森や谿をいくつか知つてゐて、冬にはあの森と川、春は馬酔木林と辛夷の美しい樹林、夏は、秋は、とそれぞれ好むところを持つてゐるのである。この日もぶらりと一人出かけた。若宮の御祭の翌日なので人一人ゐず、広い参道は昨日の塵を女人夫が掃除してゐるだけ、右手の飛火野へ外れて出ると一面の芒野で、ほほけた穂が日にふちどつて燦いてゐる。けふは男女の群もゐない。それはよいのであるが、子供が来ないのが淋しい。詩興も湧かない。鹿苑を横切つて森の中に入り、いつもの馴染みの木々の間に立つ。奥山から流れてくる細い流れを越えると、この間の台風に根ごと倒れた大杉や松が、一々番号をつけられてまだそのままにされてゐた。日が洩れてゐるその一つ木に腰を下して休む。足もとには末枯れた春日歯朶や厚い青苔がふかふかとあつたかい。
 そのときふと気がついた。少しも淋しくないことである。「これなら淋しがりやでないではないか。」と、ひとり言をいつた。いつまでもかうしてゐたい。今の私は静かに充ちてゐる。
 周囲に立つ竹柏、杉の太い幹等、頭上には森がふかく、遠くに空を感じるばかりである。山鳩がばさばさ羽音荒く飛び立つた。そこへ小鹿を連れた鹿の一群が近づいて来て苔を喰べたり、後肢で立つて小枝をピシツと折つてみたりする。小鹿は嬉しくて遠く駆けまはるので、母鹿ははらはらして、私を横眼に要心するのであつた。雄鹿同士は、すぐ角を合はせて立ち上つたり、とかく荒つぽい。すこし恐しくなつたとき、どうしたのか一匹の鹿が駆け出すと、小鹿も母鹿もみんなあとを追つて行つてしまつた。
 私は句のやうなものをいくつか手帳に書きためて立ちあがる。これなり帰るのも惜しく、偶々たまたま出会つた木の実とりの子供達についてゆく。長い竹竿を持つてゐて、椎の繁みをたたいてまはるのである。椎の実は一寸見ただけでは眼につかないが、ここぞと思ふところをうつとぱらぱら落ちて地面にはづむ。私も面白くなつて手伝つて、椎の実を分けて貰つて喰べた。象牙のやうに尖つた白い膚、甘い生々しい柔かさ、森の実の味である。

椎の実の見えざれど竿うてば落つ

 こんなにして子供達に木の実を貰ひ、句を貰つてわかれた。
 ふたたび飛火野に出て帰る途中、さつきの芒野の中から別な子供の群が駆け出した。今度は手に手にみんなが長い銀穂の芒を持つてゐる。中には六尺とあらうと思ふのもある。「何をするの。」と聴くまもなく、その一人が広い草野に出て、投槍のポーズをして高く天へ放り上げた。穂の芒は切口の方を先にして天へつき進んだが、やがて抛物線を描いて遠くの地上に落ち、ピンと突きささつたのである。大きい子も小さい子も思ひ思ひに銀の投槍である。落日ちかい天に光つて抛物線がいくつも飛ぶ。種々美しい遊びがあるものだとしばらく見て立つてゐた。
 寒くなつた。襟をあはせて、夕靄に点いた街の灯の方へ歩きはじめた。何か胸一杯に充ちた楽しさである。人に会つたあとのあの淋しさなどみぢんもなく明るい。もつともそれは私の帰る行先に暖く家路の灯が一面にひろがつてゐたせいでもあらう。





底本:「花の名随筆11 十一月の花」作品社
   1999(平成11)年10月10日初版第1刷発行
底本の親本:「橋本多佳子全集 第二巻」立風書房
   1989(平成元)年11月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2014年1月1日作成
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