ヴェニスに死す

DER TOD IN VENEDIG

トオマス・マン Thomas Mann

実吉捷郎訳




第一章


 グスタアフ・アッシェンバッハ――または、かれの五十回目の誕生日以来、かれの名が公式に呼ばれていたとおりに言うと、フォン・アッシェンバッハは、一九××年――これはわれわれの大陸に対して、幾月ものあいだ、じつに脅威的な様子を見せた年だったが――その年の春のある午後、ミュンヘンのプリンツレゲンテン街にある自宅から、ひとりで、かなり遠くまで散歩に出かけた。午前中の、めんどうな危険な、今まさに最大の慎重と周到と、意志の透徹と細密とを要する労作で興奮しすぎて、この作家は、自分の内部にある生産的な機関の不断の振動を――ツィツェロによれば、雄弁の本体にほかならぬ、あの「精神のたえざる動き(motus animi continus)」を、昼食後にもやはり制止することができなかった。そして気持を軽くしてくれるまどろみを見いださなかった。これは精力がますます消耗されやすくなっているこのさい、かれにとって、途中で一度はぜひ必要だったのだが。そこでかれは、茶をのみ終るとまもなく、空気と運動が元気を回復させ、有効な一夕をえさせてくれるだろうという望みをいだいて、戸外を求めた。
 それは五月はじめのことで、湿気の多い寒い幾週日のあと、うその真夏が不意にきていた。イギリス公園は、つい若葉が出はじめたばかりなのに、八月ごろのようにむっとこもっているし、町の近郊は馬車や散歩の人たちでいっぱいだった。しだいに静かになってゆく通りから通りへとたどりながら、アウマイスタアの店までくると、アッシェンバッハは、民衆でにぎわっているその料亭りょうていの庭を、しばらくながめ渡したのち――庭のへりには、辻馬車や自家用の馬車がとまっていた――そこから、かたむく日ざしのなかを、公園の外側のひろびろとした広野を越えて、家路いえじについた。そして疲れをおぼえていたし、フェエリングの上方に雷雨がせまっていたので、一直線に町までつれもどしてくれるはずの電車を、北部墓地のところで待っていた。
 ふとかれは、停留所にもその近くにも、人影がないのを見いだした。線路をさびしく光らせながら、シュワアビングのほうへ延びている、舗装されたウンゲラア通りにも、またフェエリンガア街道にも、のりものは一つも見えなかった。売物の十字架だの、墓碑だの、記念碑だので、別の、いた墓地のできている、石工場いしくばのさくのむこうには、何一つ動くものもなかった。そしてむこう側にある斎場さいじょうのビザンチウム式の建物は、黙然と落日のなかによこたわっていた。その堂の正面は、ギリシャふうの十字架や、明るい色彩の古代エジプトふうの絵画で、飾られているうえ、なお、つりあいよく並べられた金文字の銘を表わしていた。つまり、あの世の生命についてのえりぬかれた聖句で、たとえば、「かれら神の家に入る」とか、「久遠くおんの光りかれらを照らせ」とかいうのであった。そしてこの待っている男は、これらの文句を読み取って、その透明な神秘のなかへ、心の目を没入させることに、真剣な気散じを見出した。そのときかれは、夢想からわれに返りながら、入口の前の階段を見張っている二匹の黙示録ふうの動物の上方に、柱廊の中に、ひとりの男のいるのに気づいた。この男のあまり尋常でない姿が、かれの考えに全く別の方向を与えたのであった。
 ところでその男が、堂の内部から青銅の門をくぐって歩み出てきたものか、それともそとからいつのまにか近づいて、上まで昇って行ったものか、それははっきりしなかった。アッシェンバッハは、この疑問に格別深入りはしないで、前のほうの推測にかたむいていた。中背で、やせぎすで、無髯むぜんで、きわだって鼻の平たいその男は、赤毛の型に属していて、その型に特有な乳いろのそばかすの多いはだをもっていた。かれが決してバユワアル族(訳者註。バイエルン人の祖先)のたねでないことは、明らかだった――すくなくとも、かれの頭をおおっている、広いまっすぐなへりのついた皮帽は、かれの風さいに、異国的な、遠方からきているような印象をそえていたわけである。もちろんかれはさらに、この国の風習になっている背負袋ルックザックを、しめがねでとめて肩にかけているし、粗毛織あらけおりらしい布地の、黄ばんだ、バンドつきの服を着ているし、脇腹わきばらにあてている左の下膊かはくには、灰いろのずきんをはずしてかけているし、それから右手には、先に鉄のついたつえをもっていて、それを斜めに床へ突っぱったなり、足を組み合わせながら、そのにぎりの上へ腰をもたせているのである。ゆるい運動シャツからほそく突き出たくびに、のどぼとけがはっきりとむきだしにあらわれて見えるほど、頭をあおむけたまま、かれは赤いまつげのある、どんよりした目で――両眼のあいだには、上をむいた丸い鼻と全く奇妙に調和しながら、垂直の精力的なしわが二本とおっているのだが――鋭くうかがうように、遠くの方をながめていた。こういうわけで――それに高められたと同時に高く見せるかれの居場所が、この印象を助長したのかもしれぬ――かれの姿勢は、なんとなくごう然と見渡しているような、豪胆な、またはあらあらしいおもむきをさえそなえていた。なぜなら、夕日にむかってまぶしさに顔をしかめているせいか、または顔つきがいつでもゆがんでいるせいか、ともかくかれのくちびるは短かすぎるように見えたからである。すっかり歯からまくれてしまって、歯ぐきまでむき出しになった歯並が、白く長くそのあいだからあらわれているほどだった。
 アッシェンバッハは、なかばうっかりと、なかば糺明きゅうめいするように、この見知らぬ男を熟視しながら、おそらくつつしみを欠いてしまったのであろう。なぜといって、かれはその男が自分をにらみ返したのを、急に感じたからである。しかもそのにらみかたが、いかにも好戦的で、いかにもまともに目をさすようで、いかにも露骨に、やるところまでやろう、そして相手の視線をむりにもはずさせよう、というはらを見せたものだったので、アッシェンバッハは、ばつが悪くなって、身を転じると、さくにそって歩きはじめた――もうあの人間のことは気にしまい、とふと決心しながら。かれはその男のことを、次の瞬間にはもう忘れていた。ところで、その見知らぬ男の姿の中の旅人めいたものが、かれの想像力にはたらきかけたのか、それともほかに、何か肉体的なまたは精神的な影響が、そこにかかわっていたのか、どっちにしても、かれは自分の内心がふしぎに広まってゆくのを、全く思いがけなく意識した。それは一種のそわそわした不安であり、遠きを求める、若々しく渇した欲望であり、非常にはつらつとした、非常に新しい――とは言えないまでも、非常に遠い昔に捨てられ忘れられてしまった感情だったので、かれは両手を背に、視線を落したなり、この感じの本体と目標をぎんみしようとして、しばられたように立ちどまってしまった。
 それは旅行欲だった。それだけのものだった。しかしほんとうに発作として現われたうえ、情熱的な境にまで、いや、錯覚にまでたかめられたものだった。かれの欲望は視力をえた。労作の幾時以来、まだしずまっていなかったかれの想像力は、この多様な地上のあらゆる奇跡とおどろきを急に思い浮かべようと努力して、それらに対する一つの実例をつくり出したのである。――かれは見た。一つの風景を、もやのふかい空のもとにある、しめった、肥沃ひよくな、広漠こうばくとした熱帯の沼沢地を、島と泥地でいちどろをうかべた水流とから成っている、一種の原始のままの荒蕪こうぶ地を見た。たくましいしだのしげみの中から、怪奇な花をつけた、生いしげった、もりあがった植物の谷の中から、毛のはえたしゅろの幹が、遠近に突き出ているのを見た。妙に醜悪な形の樹木が、その根を、宙に浮かせてから地面の中へ、緑のかげのうつる、とろりとした流れの中へ、突きさしているのを見た。――そこの浅瀬には、大皿ほどもある、乳いろの、浮かんだ花のあいだに、肩のとび出た、ぶかっこうなくちばしの、変った種類の鳥たちが立って、じっとわきのほうを見つめているのである。――それからうずくまっているとらの両眼が、竹やぶのふしの多い幹のあいだに、きらきら光るのを見た。――するとかれの心臓は、驚愕きょうがくと不可解な欲望で高鳴ったのである。やがてまぼろしは消えた。そして頭をひとふりしながら、アッシェンバッハは墓石工場こうばのさくにそうて、ふたたび散歩をはじめた。
 かれは、すくなくとも、世界交通の利益を随意に享受するだけの資力をえて以来、旅行というものを、感覚と嗜好しこうに対してときどきとらねばならぬ、一つの衛生上の処置としか考えていなかった。自我とヨオロッパふうのたましいとから課せられるさまざまな使命に、あまりにもいそがしくされ、生産の義務をあまりにも負わされ、気ばらしをあまりにも好まない結果、多彩な外界の愛好者となりえないかれは、あらゆる人が自分の圏内から離れずに、地球の表面について持ちうる見解で全く満足していて、かつて一度も、ヨオロッパを去ろうと試みたことさえなかった。ことにかれの命が徐々におとろえはじめて以来、仕事が成就せぬかもしれぬという芸術家のおそれが――なすべきをなさぬうちに、そして完全に自分を出しきってしまわぬうちに、時計のねじがすっかり解けてしまうかもしれぬというあの憂慮が、もはや単なる気まぐれとしてしりぞけられなくなって以来、かれの外的生活は、ほとんどひとえに、かれにとって故郷となったこの美しい町と、それからかれが山地に建てて、雨の多い夏をすごすことにしている、あの殺風景な別荘とに限られていたのである。
 それにまた、たった今、かれをかくもおそくかつ不意におそったものも、理性と若い時からおこなってきた自制とによって、たちまち緩和され是正されてしまった。かれは、自分が生きる目あてとしているその作品を、いなかへ移り住む前に、ある段落まで書き進めておくつもりだった。そしてかれを幾月かにわたってかれの労作から引きはなすであろう世界漫遊の考えは、あまりにもいいかげんなあまりにも計画に反するもののように思われた。それはまじめに問題にするわけには行かないのである。そのくせかれには、どういうわけでこの誘惑が、かくもだしぬけに現われてきたか、それはわかりすぎるほどわかっていた。これはかれが自ら承認したことだが、遠い新しいものをしたうこのあこがれは、解放と負担脱却と忘失とをねがうこの欲望は、逃避の衝動なのだ。――あの作品からのがれよう、固定した、つめたい、激しい奉仕をおこなう日常の場所からのがれようとする衝動なのだ。なるほどかれはこの奉仕を愛していたし、またかれの強じんで尊大な、いくたびも試錬をへた意志と、このつのってくる倦怠けんたいとのあいだの、精根を枯らすような、日ごとにくりかえされる闘争をさえも、ほとんど愛していたことはいた。この倦怠は何人にも知られてはならぬものだったし、どうあっても、不随意と弛緩しかんのどんな兆候によってでも、作品の上に現われてはならぬものだった。――しかし、弓を張りすぎないことは、こうまでいきおいよくほとばしり出る欲求を、きままに窒息させてしまわないことは、賢明なように思われた。かれは自分の労作のことを考えた。ついきのうと同じく、きょうもまた筆をとめなければならなかったあの個所のことを――気ながないたわりにも、急速な奇襲にも屈しようとしないかに見える、あの個所のことを考えた。かれはそこをさらにぎんみして、障害を突破しよう、あるいは解消させようと試みたが、しかも嫌忌けんきのおののきを感じながら、攻撃を中止してしまった。ここには何も異常な困難が呈示ていじされているのではなかった。かれをなえさせるのは、もう何物によっても満たされえぬどんよくとなって現われている厭気いやき――そこから来る狐疑こぎであった。もちろんどんよくというものは、すでに青年時代のかれによって、才能の本体であり最奥の素地であると見なされていたのだし、そのどんよくのために、かれは感情を制御し冷却させていたのだ。それはかれが、感情というものには、のどかな偶然や半端な完全で満足したがる傾向のあるのを、知っているからである。してみると、その抑圧された感覚が、今になって復しゅうするのであろうか――かれを見すてることによって、かれの芸術をこれ以上ささえたり生気づけたりするのをこばむことによって、形態と表現とに対するあらゆる快感、あらゆる恍惚こうこつをうばい去ることによって? かれは粗悪なものを製作したわけではない。かれが自分の卓越について、どの瞬間にも悠然ゆうぜんとして確信をもっていること――すくなくともこれは、かれの年齢からくる利得だった。しかし国民がかれの卓越を尊敬しているのに、かれ自身はそれを楽しむ気にはならなかった。そして自分の作品には、火のごとく生動する気分の標識が欠けているような気がした。それは喜びの産物であり、ある一つの内的な実質以上のもの、それ以上に重要な特長であって、鑑賞する人たちの喜びとなるあの標識なのである。かれは、食事をととのえてくれる女中と、それを食卓に運んでくれる従僕と三人きりで小さな家に暮らす、あのいなかの夏をおそれた。またしても自分の不満な遅筆をとりまいて立つであろう、あの山頂や絶壁の見なれた様相をおそれた。だからそこで、夏がすごしやすい生産的なものになるためには、あるそう入が、多少の即興的生活が、遊惰ゆうだが、遠国の空気が、そして新しい血液の供給が必要なのである。では旅行だ。――かれはそれに満足だった。そうひどく遠いところへ、何もとらのいるところまで行くのではない。ひと晩を寝台車に送ってから、快い南国の、どこでもいい、万人むきの休養地で、三四週間ひるねをするのだ……
 電車の騒音が、ウンゲラア通りをしだいに近づいてくるあいだに、かれはそう考えていた。そしてのりこみながら、今夜は地図と旅行案内を調べることですごそう、と決心した。乗降口で、ふとかれは、あの皮帽の男を――ともかく重大な結果を生じたこの滞留の伴侶をさがしてみよう、と思いついた。けれどもかれのゆくえははっきりしなかった。かれはさっきいたところにも、その先の停留所にも、なおまた車の中にも見いだすことができなかったからである。
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第二章


 プロイセンのフリイドリヒの一生を叙した、明澄雄渾めいちょうゆうこんな叙事詩の作者、人物の多い、ある思想の投影のなかに、人間のさまざまな運命を集めた「マアヤ」という長編小説のじゅうたんを、長いあいだひたむきに織り出した、根気のいい芸術家、「みじめな男」という標題で、恩を知る幾多の青年に、最もふかい認識のかなたにある、道徳的果断の可能性を示した、あの力づよい物語の創作者、最後に、(これでかれの成熟期の諸作は簡単にあげられたわけだが)「精神と芸術」についての情熱的な論文――その組織的な力と対比的な雄弁とは、荘重な批評家たちをして、これをそぼくな文学と感傷的な文学に関するシラアの論究と直接に比肩させた――の筆者であるグスタアフ・アッシェンバッハは、シュレエジエン州の郡役所所在地Lに、ある司法高官の息子として生まれた。かれの祖先は、将校、裁判官、行政官など、国王と国家につかえつつ、緊張した、つつましくきりつめた生活を送った男たちであった。かなり誠実な知性が、一度かれらのあいだで、ある説教師の一身に具現したことがある。この一族には、前の世代に、この作家の母、すなわちあるボヘミアの楽長の娘によって、前よりも性急な、前よりも官能的な血が入って来た。かれの外観に見える異人種の標識は、かの女から伝わっているのである。職務的にきまじめな謹直さと、さらにばく然とした、さらに激しい衝動との婚姻が、ひとりの芸術家を、しかもこの特殊な芸術家を生み出したのであった。
 かれの人物全体が名声というものにむけられていたので、かれは、別に早熟ではなかったにしても、それでも、その音調がきっぱりしていて、個性的な含蓄がんちくのふかいために、早くから公衆に対して、成熟した巧妙な腕を見せていた。ほとんどまだ高等中学校ギムナジウムにいた頃から、かれは名を知られていた。それから十年たつと、自分の机上から威容を示すこと、自分の名声を管理すること、簡単ならざるを得ぬ手紙の文言(なぜといえば、おびただしい要求がこの成功者、この信頼に値する者のもとへ、殺到さっとうしたからである)の中で、温良な重要な人物になることを会得していた。四十歳のかれは、本来の労作の艱難かんなんと浮沈に疲れ果てながら、世界のあらゆる国々の切手のはってある郵便物を、毎日毎日片づけなければならなかった。
 平俗からも奇矯ききょうからも、同じ程度に遠ざかっているかれの才能は、広い公衆の信仰と、気むずかしい連中の、嘆賞と要求とをふくんだ関心を、同時にかちうるようにできあがっていた。こうして青年の時すでに、あらゆる方面から、業績に対する――しかも異常な業績に対する義務を負わされていたかれは、かつて一度も安逸あんいつというものを、かつて一度も青春ののんきな怠慢を知らなかった。三十五歳の頃、かれがウィインで病気になったとき、ある明敏な観察者がかれについて、集会の席でこう言った。――「ごらんなさい。アッシェンバッハの暮らしかたは、昔からいつもこんなふうで、」と言いながら、語り手は左手の指をぎゅっとにぎり合わせてこぶしをつくった――「こんなふうだったことは一度もないんですよ。」――と言いながら、かれはひらいた手を、だらりと安楽いすの背からたらした。これはあたっていた。そしてこれについての勇敢でかつ道徳的な点は、かれの本性が決してたくましい性質のものではないこと、そしてたえざる緊張を義務としているだけで、本来それを持って生まれたのではないことである。
 医者の配慮が、少年のかれに、学校へ通うことを禁じて、家庭での課業をせまった。単独に、友愛なしにかれは成長した。しかもそのくせ早くも、才能にはとぼしくないものの、それを実現するのに必要な、肉体的地盤がめったにない一族、――若いうちに最善のものを出してしまうのが常で、能力というものがめったに長生きをしない一族――そういう一族に自分が属していることを、さとらなければならなかった。しかしかれの最もすきな言葉は、「こらえとおせ」というのだった。――かれは、フリイドリヒを扱ったかれの小説を、まさにこの命令語の聖化としか見なしていなかった。この語はかれにとって、受動的で同時に他動的な美徳の総和だと思われたのである。それにまたかれは、年をとることをせつにねがった。かれはもとから、真に偉大な、包括的な、いや、真に尊崇そんすうすべきものと呼び得るのは、ただ、人間的なもののあらゆる段階で、特徴的な生産をするだけの力を授けられた、芸術家の生活のみだ、という意見だったからである。
 こういうわけで、かれはその才能から負わされたいろいろな使命を、弱々しい肩にになって、遠い道を行かねばならなかったので、大に規律を必要とした。――ところで規律はむろん、しあわせと、父かたから伝わった、かれのうまれながらの相続分であった。四十、五十になっても、またほかの人たちが浪費したり、夢想したり、大きな計画の遂行を平気でのばしたりするような年齢の時にもすでに、かれは朝早く冷水を胸と背に浴びることで、その日課をはじめた。それから銀の燭台に立てた二本のろうそくを、原稿のかみのところにすえたまま、眠りのあいだにたくわえた力を、真底から良心的な朝の二時間または三時間にわたって、芸術へ供物くもつとしてささげたのである。マアヤの世界を、またはフリイドリヒの英雄生活の展開しているあのぼう大な叙事詩を、事情にうとい人たちが、圧縮された力と長い呼吸との産物だと思うとき、それはゆるすべきだった。いや、それこそは本来、この作家の倫理性の勝利を意味するものだった。じつはそれらの作品は、むしろ毎日のこまかい仕事のうちに、何百という一つ一つの霊感をもとにして、偉大な形にまで積みかさねられたもので、それらがかくもはっきりと、しかもあらゆる点ですぐれているのは、その作者が、かれの故郷の州を征服したのと似たような、かたい意志とねばり強さとで、幾年ものあいだ、全然同一の作品の緊張のもとにこらえとおし、本来の制作に、もっぱらかれの最も強力な、最も尊厳な時をあてたからにすぎぬのである。
 ある重要な精神的産物が、たちどころに広い深い作用を及ぼし得るためには、あるひそかな親和が、いや、一致が、その創始者の個人的な運命と、かれと同時代の人々の一般的な運命とのあいだに、存立している必要がある。人々は、なぜ自分たちが一つの芸術作品に名声を与えるかを知らない。くろうとなかまから遠くへだたっているかれらは、それだけの関心を正常化するために、その作品に幾多の美点を見いだしていると思っている。しかしかれらのかっさいの本来の理由は、はかり得ぬものであり、共感である。アッシェンバッハは一度、あまりめだたぬ個所で、現存するほとんどすべての偉大なものは、一つの「にもかかわらず」として現存し、憂患ゆうかんと苦悩――貧困、孤独、肉体の弱味、悪徳、情熱、そのほか無数の障害にもかかわらず成就じょうじゅしたものだ、と端的に言明したことがある。しかしこれは一つの所説以上のものだった。一つの経験だった。それこそかれの生活と名声との公式であり、かれの作品を解くかぎであった。だから、それがまた同時に、かれのえがく最も固有な人物の倫理的性格であり、外面的行動であったとしても、なんのふしぎがあろう。
 この作家の好んで描く、多様な個性をもった新しい姿で何度も現われてくる、英雄型については、すでに早く、ある賢明な分析者が、こう書いていた。――かれは「理智的な青年的な男らしさの概念」で、「その男らしさは剣ややりで腹をつらぬかれているのに、昂然こうぜんたるはじらいのうちに、歯をくいしばったまま、静かに突立っているものなのだ。」一見あまりにも受動的な刻印があるにもかかわらず、これは美しい、さえた、精密な言葉だった。なぜといって、運命の中でのおちつき、苦悩の中での典雅てんがというものは、ある忍従を意味するにとどまらない。それは一つの能動的な業績であり、積極的な勝利なのであって、ゼバスチアンの姿は、芸術一般の――ではないとしても、たしかに今ここに語られている芸術の、最も美しい象徴である。この物語られた世界をのぞいたとき、人は見た――内心の空洞くうどうと生物学的な衰微とを、最後のせとぎわまで、世間の目から隠している、あの優美な自制を。ぶすぶすといぶる情欲を、きよいほのおにまであおり立て得る、いや、美の王国を支配するほどに飛躍し得る、あのきいろい、感覚的に不利なみにくさを。一つのたかぶった国民全体を、十字架のもとに、自らの足もとに屈せしめるだけの力を、精神の白熱的な深みから取って来る、あの蒼白そうはくな非力を。形態への空虚な厳格な奉仕の中にあるあの温雅な態度を。生れついたぎまん者の危険な、うその生活と、たちまち精根を疲れさせるあこがれと芸術を。――これらすべての運命と、なお幾多の同じようなものを観察してみれば、人は、一体世の中に、弱さのもつ壮烈以外に、壮烈というものがあるだろうか、とうたがう気になる。ともかくしかし、どんな剛勇が、この剛勇よりもさらに時勢に適しているだろうか。グスタアフ・アッシェンバッハは、すべてこんぱいの極限ではたらいている人々、負担過重の人々、すでに精根を枯らした人々、まだ毅然きぜんとしている人々――体格が貧弱で、資力にとぼしく、意志の恍惚こうこつと賢明な管理とによって、すくなくともしばしのあいだ、偉大なものの効果をあえて発揮する、あの業績上の道徳家たち――すべてそういう人たちを描く作家なのであった。そういう人たちはたくさんいる。かれらは時代の英雄たちである。そしてかれらすべては、かれの作品のなかに自分たち自身を再認した。自分たちがそのなかで、裏書され、たかめられ、もてはやされているのを見いだした。かれらはかれに恩を感じた。かれの名をひろめたのである。
 かれは時代とともに若くて粗野だった。そして時代からよい助言を得なかったかれは、公生活でつまずいたり、失策を演じたり、弱点をさらけ出したり、常識とつつしみに対して、言行ともに違反を犯した。しかしかれは威厳をかくとくした。かれの主張によると、この威厳をえようとする当然の衝動と刺激は、あらゆる偉大な才能に、うまれつき備わっているのである。いや、かれの進展全体は、威厳へ向っての、意識的な、反抗的な、懐疑と皮肉のあらゆる障害を越えて進む上昇であった、と言ってさしつかえない。
 形成というもののはつらつとした、精神的に拘束しない具体性は、市井しせいの大衆の悦楽となっている。しかし無制限な情熱をもった青年たちは、ただ問題的なものだけに心をとらえられる。そうしてアッシェンバッハは、どんな若者とも同じ程度に、問題的であり、無制限であった。かれは精神の奴隷となり、認識で乱作をおこない、まくべき種子をひいてつぶし、秘けつを放棄し、才能に容疑をかけ、芸術を裏切った。――じっさい、かれの創作が、信頼しつつ鑑賞する人たちを、楽しませ、高め、生気づけていた一方、若々しい芸術家なるかれは、二十歳の人たちを、芸術の、芸術家生活自体の、うたがわしい本質に関する毒舌で、疲れさせなやませたのであった。
 しかし高貴な有為ゆういな精神というものは、認識のもつ鋭いにがい魅力に対して、最も早く最も徹底的に、鈍感になるものらしい。そして青年のもつ、憂愁をふくんできわめて良心的になっている徹底性も、巨匠となった壮年のかの深刻な決意にくらべれば、浅薄さを意味する、ということはたしかである。それはつまり、知識というものが、意志、行為、感情を、そして情熱をすら、すこしでもなえさせ、沮喪そそうさせ、成りさがらせる傾向のあるかぎり、それを否定し、拒絶し、昂然と乗り越えて行こう、という決意なのである。「みじめな男」についてのあの有名な物語は、その柔弱な愚劣な半悪党の姿に具体化されている。当代のいかがわしい心理主義への嫌悪けんおの激発として解釈するほかに、どんな解釈の仕様があろう。――それは無気力から、背徳から、道徳的な気まぐれから、自分の妻をあるなま若い男の腕のなかへ追いやりつつ、そして深刻さから、下劣なことをおこなってもかまわぬと信じつつ、一つの運命をだましとる男なのである。ここで非道なものを弾劾だんがいしている言葉の重圧は、あらゆる道徳的懐疑からの、奈落ならくに対する共感からの転向を宣明し、いっさいを理解するのはいっさいをゆるすことだという、同情的な命題のだらしなさに対する絶縁を宣明した。そしてここに準備されたもの、いや、すでに実現されたものは、かの「更生せる天真の奇跡」であった。少したってから、この著者の対話編のなかで、あきらかに、そして神秘的な強調をいくらかこめて、言及された奇跡なのである。ふしぎな連関ではないか。この時期に、かれの美的感情のほとんど過度に強まったのが認められたのは、――名人芸と古典性とのじつに明白な、いや、計画的な特徴を、それ以後かれの製作にさずけた、あの構成上のけだかい純潔と簡素と均整とが認められたのは、この「更生」の、この新しい品位ときびしさとの、精神的な結果だったのだろうか。しかし知識のかなた、分解し阻止する認識のかなたにある、道徳的果断というもの――それはふたたび、世界とたましいとの単純化を、道徳的簡易化を、従って同時に、悪へ、禁断のものへ、道徳的に不可能なものへの強化を、意味してはいないだろうか。そして形態というものは、二種の相貌そうぼうをもってはいないだろうか。それは道徳的であると同時に非道徳ではなかろうか。――たんれんの成果及び表現としては道徳的だけれど、元来一つの道徳的無関心を包含しているかぎり、いや、道徳的なものを、その堂々たる専制的な支配のもとに屈せしめようと、特に努力しているかぎり、非道徳的であり、反道徳的でさえもあるのではなかろうか。
 それはともかくとして、発展というものは一つの運命である。そして広汎こうはんな公衆の関心と大衆的信頼をともなう発展と、名声の栄光もあいきょうもなしに実現される発展とが、ことなった経路をとらないわけがあろうか。一つの偉大な才能が、放縦ほうじゅうなさなぎの状態からぬけ出て、精神の品位をゆたかな表現で知覚するのになれ、孤独の――助言者もない、つらいひとりきりのなやみや闘争にみちた、そして人々の間で権力と名誉をかちえた孤独というものの、厳格な風習をおびるとき、それを退屈と感じて冷笑しがちなのは、永遠のジプシイかたぎだけである。それに才能の自己形成の中には、なんと多くの遊戯と反抗と享楽とがあることだろう。グスタアフ・アッシェンバッハの提示するものには、時とともに、役所風で教育的なおもむきが現われてきた。かれの文体は、後年には端的な奔放ほんぽう性を、巧緻こうち斬新ざんしんな陰影を欠いた。それは模範的で固定したものへ、みがきのかかった伝統的なものへ、保守的なものへ、形式的なものへ、型にはまったものへすら、変って行った。そしてルイ十四世について伝説が主張しているとおり、この初老の男も、その言葉づかいからいっさいの野卑やひな語を追放してしまった。文部当局がかれの著書の精選された幾ペエジを、規定の学校用読本の中へ取り入れたのは、そのころであった。それはかれの心にかなったことだった。そうして即位したばかりの、あるドイツの君主が、あの「フリイドリヒ」の作家に、その五十回目の誕生に当って、貴族の身分をさずけたとき、かれはそれを辞退しなかったのである。
 動揺の数年ののち、二三度そこここに滞留してみたのち、かれは早くもミュンヘンを永住の地としてえらんで、精神というものに特別な例外の場合にさずけられるような、市民的栄位について、そこでくらしていた。かれがある学者の一族から出た少女と、まだ青年のころにむすんだ結婚生活は、短かい幸福期ののちに、死によって断たれてしまった。娘がひとり――すでに人妻だが――かれに残った。むすこというものを、かれは一度ももったことがなかった。
 グスタアフ・フォン・アッシェンバッハは、中背というよりもすこし低目で、浅黒くて、無髯むぜんだった。頭は、すんなりしているくらいのからだつきのわりに、いくらか大きすぎるかに見えた。てっぺんがうすく、こめかみのところが非常にく、そして白くなっていて、うしろへなでつけてある髪の毛が、深いしわのたくさんある、いわばきずあとでもついているような、ひいでたひたいをふちどっている。金のふちなしめがねのかな具が、みじかい、上品な曲線をもつ鼻のつけねにくいこんでいる。口は大きく、時にゆるんでいるが、時に突然ほそくなって――ひきしまる。ほおのあたりはこけて、しわがより、よく発達したあごには、やわらかい裂目さけめができている。たいていは無抵抗に横にかしいでいるこの頭の上を、さまざまな意味ぶかい運命が、通り越して行ったらしく思われる。それでいて、普通なら苦しい、動揺した生活がしとげる、あの人相上の仕上げを、この場合引き受けたものは、芸術だったのである。このひたいの奥で、ボルテエルとあの国王とのあいだにかわされた、戦争についての会話の、電光に似たやりとりがうまれたのだ。この目が、めがねごしのものうげな深いまなざしで、七年戦争の野戦病院の、血にまみれた地獄をのぞいたのだ。個人的に考えても、むろん芸術とは一つの高められた生活である。芸術は一段とふかい幸福を与え、一段と早くおとろえさせる。それに奉仕する者の顔に、想像的な精神的な冒険のこんせきをきざみつける。そして芸術は、外的生活が僧院のようにしずかであってさえも、長いあいだには、ほうらつな情熱と享楽とにみちた生活によっても、めったに生み出され得ぬような、神経のぜいたくと過度の洗練と倦怠けんたいと、そして好奇心とを生み出すのである。
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第三章


 いくつかの世俗的な事務と文筆的な事務とが、旅ごころにもえる者を、あの散歩ののちなお二週間ばかり、ミュンヘンに引きとめていた。ようやくかれは、例の別荘を、住み移れるように四週間以内にととのえておけと、さしずを与えた。そして五月中旬と下旬のあいだのある日、夜汽車でトリエストへ旅立ったが、そこには二十四時間滞留しただけで、その次の朝、ポオラ行の船にのりこんだ。
 かれの求めていたものは、異国風で関連のない、それでいてすぐ手に入れ得るものだった。そこでかれは、アドリア海の数年来有名になったある島に、足をとどめた。島はイストリアの岸に近く、きれいな色のぼろをまとった、全く耳なれぬ言葉の農民が住み、海のひらけている個所には、美しくさけめのできた断崖のけしきがあった。しかし雨とおもたい空気と、小市民的な、小じんまりとオオストリアふうなホテル客と、そしてなだらかな、砂地のなぎさでなければ得られぬ、海に対するあのやすらかにしっとりした関係の欠けていることが、かれの気持をいらいらさせ、うまく自分の目的地にきたという意識を、かれに起こさせなかった。内心のある衝動が――それはどこへむかっているのか、かれにはまだはっきりわからなかったのだが――かれをおちつかせなかった。かれは船の連絡をしらべた。さぐり求めつつ、あちこちを見まわした。すると突然、思いがけないと同時にごく自然に、行先がかれの眼前に見えた。一夜のうちに、その比類のないところへ、童話のように異常なところへ達しようというなら、どっちへ行くのか。しかしそれはわかりきっている。自分はこの土地でどうしようというのだろう。自分は道をまちがえたのだ。あそこへ旅行するつもりだったのだ。ためらわずにかれは、このあやまった滞在の中止を通告した。島に着いてから一週間半ののちに、快速のモオタアボオトが、かれとかれの荷物を、もやのかかっている朝、水の上をあの軍港へとつれもどした。そしてかれはその港で上陸したが、それはただすぐに踏板ふみいたを渡って、ヴェニスへ出帆するばかりになって碇泊ていはくしている船の、しめったデッキを踏むためであった。
 それはイタリアの国籍をもつ、老朽したのりもので、古ぼけて、すすけて、陰気だった。アッシェンバッハは、船に踏み入るとすぐに、せむしのきたならしい水夫によって、にやにやしたいんぎんな調子で、船の奥のほうの、洞窟どうくつのような、人工照明の船室へ、むりやりに入れられたが、そこには、テエブルのむこうに、帽子をななめにかぶって、巻たばこの吸いさしを口の隅にくわえたなり、旧式な曲馬団長のような顔つきをした、やぎひげの男がひとりすわっていた。男は気取った顔つきをしながら、軽い事務的な態度で、旅客たちの身の上についての事項を書きとめては、かれらに乗船券を交付しているのだった。「ヴェニス行ですね。」とかれは、アッシェンバッハの請求をおうむがえしに言いながら、片腕をのばすと、ななめにかたむけたインキつぼの、かゆのような残りかすの中へ、ペンをさしこんだ。「ヴェニス行の一等ですね。今さしあげますよ。」そう言って、大きなまずい字を書くと、小箱から青い砂を取って、その字の上にまいて、砂を陶器の皿の中へ流しこんでから、きいろい骨ばった指で券を折りたたんで、また書いた。「行先をじょうずにおえらびになりましたなあ。」とかれは書きながらしゃべった。「なるほどヴェニスか。すばらしい町ですよ。教養のあるかたにとっては、たまらないほど心をひかれる町です――その歴史から言っても、また現在の魅力から言ってもね。」かれの動作のなめらかなすばやさと、それにともなう空疎くうそ饒舌じょうぜつとは、どこか人をぼうっとさせるような、わきへつれて行くようなものをもっていた。なんとなく、この旅客のヴェニスへむかおうという決心が、まだぐらつきはしないかと、心配しているかのようなふうなのである。かれは急いで金を受け取ると、ばくちの世話人のような器用さで、つり銭をテエブルのよごれたらしゃ張りの上へおとした。「どうぞごゆっくりお楽しみなさいまし。」とかれは俳優めいたおじぎをしながら言った。「この船にのっていただくのを光栄に存じます。……さあ、皆さん。」とかれはすぐに腕を高くあげながら言って、まるで事務がぐんぐん進行してでもいるようなふうをした――用事をすませてもらおうとしている人なんぞ、あとにはもう一人もいないのに。アッシェンバッハは甲板へもどった。
 片腕をらんかんにもたせながら、かれは、船の出発の時に居合せようとして波止場はとばをぶらついているのんきな群衆と、船上の旅客たちとをながめていた。二等の連中は、男も女も、箱や包みを腰かけにして、前甲板にうずくまっていた。若い人たちのひとむれが、第一の甲板の旅行団体をなしていた。これは生き生きした気持で、イタリアへの小旅行に集まっている、ポオラの町の商店員たちらしかった。かれらは自分たちのことや、自分たちのくわだてのことを、すくなからずさわざ立てていて、しゃべったり笑ったり、好い気になって自分たち自身の手まね身ぶりを楽しんだりすると同時に、同僚たちが折カバンを小わきにかかえて、商用で海岸通りにそうて歩きながら、この遊んでいる連中をステッキでおどかすのに対して、達者なあざけりのことばをあびせかけた。ひとり、淡黄の、極端に流行ふうな仕立の夏服に、赤いネクタイをつけ、思いきってへりのそりかえったパナマ帽をかぶった男が、からすのなくような声を出しながら、ほかのだれよりもはしゃいだ様子を見せていた。しかしアッシェンバッハは、その男にいくらか余計注意してみるやいなや、この青年がにせものなのを、一種の驚愕きょうがくとともに認めた。かれは老人である。それはうたがうわけにいかなかった。小じわが目と口のまわりをかこんでいる。頬の淡紅は化粧だし、色のリボンでまいてあるむぎわら帽の下の、くりいろの髪の毛はかつらだし、くびはやつれてすじばっているし、ひねりあげた小さな口ひげと、下くちびるのすぐ下のひげとは染めてあるし、笑うときに見せる、きいろい、すっかりそろった歯並は安物の義歯だし、両方のひとさしゆびにみとめ印つきのゆびわのはまった手は、老人の手なのである。ぞうっとしながら、アッシェンバッハは、その男の様子と、その男が友人たちと相伍あいごしている有様とを見守っていた。かれが老いているのを、不都合にもかれらと同じ気取った、はでななりをしているのを、不都合にもかれらの仲間の一人にふんしているのを、かれらは知らぬのであろうか。気づかぬのであろうか。見受けたところ、かれらは当然のこととして、また習慣的に、かれの仲間入りをゆるし、同類として扱い、かれがふざけて脇腹を突つくのを、いやとも思わずに突つき返している。これはどういうぐあいのものなのだろう。アッシェンバッハは片手でひたいをおおって、寝が足りないためにほてっている目をとじた。かれには、いっさいが全くあたりまえとばかりは思えない気がした。なんとなく、世界が夢のようにへだてられ、奇妙なものへゆがめられてゆくけはいが、あたりにはびこってゆくように思われた。これは自分の顔をすこし暗くしてから、ふたたびあたりを見まわしたら、あるいは制止することができるかもしれない、とかれは思った。ところがそのせつなに、泳いでいるような感じがかれをおそった。そして不合理なおどろきとともに目をあげながら、かれは、重い暗い船体が、徐々に岸壁からはなれてゆくのに気づいた。機関が前後に動いているあいだに、少しずつ少しずつ、波止場と舷側げんそくとのあいだの、きたならしく光る水の帯が、幅をひろげていって、たどたどしい操作のうちに、汽船は船首の斜檣しゃしょうを沖合のほうへ向けた。アッシェンバッハは右舷のほうへ歩を移した。そこに例のせむし男が、かれのために寝椅子をひろげておいてくれたのである。そしてしみだらけの燕尾えんび服を着た給仕スチュワアドが、かれの用向をたずねた。
 空は灰いろで、風はしめっていた。港や島々が取り残された。そしてまたたくうちに、あらゆる陸地は、もやのかかった視界から消えてしまった。石炭のこまかい粉が、湿気でふくらみながら、洗われた甲板の容易にかわかない上へふっていた。一時間後にはすでに、帆布の屋根が張られた。雨がふりはじめたからである。
 外套がいとうにくるまって、本を一冊ひざにのせたなり、この旅行者は休息していた。そしてかれの知らないうちに、幾時間かすぎた。雨はやんでいた。リンネルの屋根はとりのけられた。水平線は完全だった。くもった大空のもとに、荒涼とした海の巨大な円盤が、ずうっとひろがっていた。しかしうつろな、区分のない空間の中では、われわれの感覚は時間の尺度をも失ってしまう。そしてわれわれは不可測の境地で夢うつつになるものだ。影のように奇妙な人物――あの老いぼれのおしゃれや、船の奥にいるやぎひげなどが、なんともつかぬしぐさや、わけのわからぬ夢語むごをともなって、この休息者の脳のなかを通って行った。そうしてかれは寝入ってしまった。
 正午ごろ、かれは中食のために、廊下めいた食堂へむりにおりて行かされた。そこへは寝室兼用の船房のとびらが通じていて、そこの長いテエブル――その上座でかれは食事をしたのだが――の末座のほうでは、例の店員たちが、あの老人をもこめて、十時以来、元気な船長といっしょに鯨飲げいいんしていた。食事は貧弱だった。そしてアッシェンバッハは、すばやくたべ終った。かれは空模様を見ようとして、かり立てられるようにそとへ出た。――ヴェニスの上空は、いったい明るくなろうとはしないのかしら。
 明るくなるにちがいない、とよりほかにかれは考えていなかった。なぜならいつでもその都は、光り輝きながらかれを迎えたからである。しかし空と海は相変らずにごってなまりのようで、時々きりのような雨が落ちてきた。そしてかれは、水路を行く時には、今まで陸路をとって近づきつつ見いだしたヴェニスとは、ちがったヴェニスに到達するのだ、と観念してしまった。かれは遠くを見渡して、陸地を待ち望みながら、前檣ぜんしょうのかたわらに立っていた。むかし夢に丸屋根や鐘楼が、このうしおの中からうかびあがってくるのを見た、あのゆううつで熱狂的な詩人のことを、かれは思い出した。あの当時つつましい歌となった、畏怖と幸福と悲哀のうちのいくらかを、ひそかにくりかえしてみた。そして早くも形づくられた感覚に、苦もなく心を動かされながら、ある新しい感興と混乱、感情のおそい冒険が、旅にあるこのなまけ者のために、あるいはまだ取っておいてありはせぬかと、自分の厳粛な疲れた心をぎんみしてみた。
 そのとき右手に、平らな海岸が浮きあがってきた。漁船が海をにぎやかにしていた。温泉島が見えてきた。汽船はその島を左手に残して、速力をゆるめながら、その島にちなんだ名の、せまい港をぬけて進み、かたのところへくると、ごたごたとみすぼらしい家並やなみに面して、完全に停止した。検疫けんえきのはしけを待たねばならぬからである。
 そのはしけが現われるまでに、一時間たった。人々は到着していながら、しかも到着していないわけだった。すこしも急ぎはしないのに、それでいてじれったい気持にかられるのを感じるのである。例のポオラの町の若い連中は、公園のあるあたりから水を渡ってひびいてくる軍隊の号音にも、おそらく愛国的に心をひかれたのであろうが、甲板にあがってくると、アスティ酒のいきおいで、対岸で調練をしている狙撃兵たちにむかって、万歳をとなえた。しかしあのめかしこんだ老人が、いつわって青年たちにしていた結果、どんな様子になってしまったか、それはじつに不愉快なながめだった。かれの老いたのうずいは、若々しく強壮なのうずいとはちがって、ぶどう酒に抵抗する力がなかった。かれはなさけないほど泥酔していた。目をとろんとさせて、巻たばこをふるえる指にはさんだまま、からくも平衡へいこうをたもちながら、酔いのために前後へひっぱられて、ひとつところをよろよろしているのである。一歩でも歩いたら倒れたかもしれないので、かれはその場を動く勇気がなかったのだが、それでもあわれな元気を見せて、近よる者をたれかれとなく、ボタンをつかんで引きとめては、あやしいろれつでしゃべったり、目をぱちつかせたり、くすくす笑ったり、ゆびわのはまったしわだらけのひとさしゆびを立てて、くだらないじょうだんを試みたり、そしてたまらないほどみだりがわしく、舌のさきで口のはたをなめたりした。アッシェンバッハは眉をくらくしながら、かれの様子をながめていた。するとまたしても、まひしたような感じにおそわれた。まるで世界が、奇怪なゆがんだものへ醜化してゆくという、かるいながらもとどめがたい傾向を見せているかのような気がしたのである。が、そういう感じにおぼれていることは、もちろん事情がゆるさなかった。というのは、ちょうどそのとき、機関のくような動きがまたはじまって、船は目的地のつい近くで中断された航行を、ふたたび開始しながら、サン・マルコの水路を進んで行ったからである。
 かくしてかれはふたたび、あの最もおどろくべき阜頭ふとうを見た。この共和国が、近づく航海者たちのうやうやしいまなざしにむかってかかげてみせる、幻想的な建築物のあのまばゆい構図を見たのである。――宮殿の軽快な華麗さとためいき橋と、水ぎわの獅子と聖者のついた円柱と、童話めいた殿堂のきらびやかに突き出ている側面と、門道と大時計を見とおすながめと――そしてかれは、じっと見やりながら、陸路をとってヴェニスの停車場に着くというのは、一つの宮殿の裏口からはいるのにひとしい、そして人はまさに、今の自分のごとく、船で、大海を越えて、都市のなかでの最も現実ばなれのしたこの都市に到達すべきだ、と考えた。
 機関はとまった。ゴンドラがいくつも寄ってきた。舷門梯げんもんていがおろされた。税関の役人たちがのりこんできて、いいかげんな調子で役目をはたした。上陸をはじめてもいいことになったのである。アッシェンバッハは、自分と自分の荷物を、町とリド(訳者註。原意はなぎさ。ヴェニスの潟の中にある細長い地帯の称)の間を往復する小蒸汽の発着所まで運んでくれるべきゴンドラがほしいむねを、通じさせた。海岸に宿を取るつもりだったからである。かれの計画は賛意を表された。かれの願望を、ゴンドラの船頭たちが方言でたがいに言い争っている下のほうの水面まで、大声にどなってくれる者があった。かれはまだ下船をさまたげられていた。ちょうど今、はしごまがいの階段を、大骨折でずるずると引きずりおろされてゆくかれのトランクが、かれをさまたげているのである。そこでかれは数分のあいだ、あのいやらしい老人の無遠慮からのがれることができない羽目になった。老人は酔いにもうろうとかり立てられて、この未知の男に別れのあいさつをしたのである。「この上なく愉快なご逗留とうりゅうをいのります。」とかれは足をうしろへ引いておじぎをしながら、やぎのなくような声を出した。「どうかよろしくご記憶を願います。Au revoir(ではまた)、excusez(ごめんください)、そうして bon jour(ごきげんよろしゅう)、閣下。」かれの口はよだれを流している。かれは目をむりにとじる。口のはたをなめる。そしてかれの老いたくちびるの下の染めたひげが逆立つ。「よろしくお伝えください。」とかれは、二つのゆびさきを口にあてたまま、もつれる舌で言うのである。「かわいいおかたに――世にもなつかしい、世にもきれいなかわいいおかたに、どうぞよろしく……」すると突然、かれの義歯がうわあごからはずれて、したくちびるの上へ落ちた。アッシェンバッハはのがれるすきをみつけた。「かわいいおかたに、おやさしいかわいいおかたに。」というはとのなくような、うつろな、そしてろれつのまわらない声を、アッシェンバッハは、綱の手すりにつかまって舷門梯をおりてゆきながら、うしろに聞いていた。
 およそだれでも、はじめて、または久しくのらなかったあとで、ヴェニスのゴンドラにのらねばならなかったとき、あるかるいおののき、あるひそかなおじけと不安を、おさえずにいられた人があるだろうか。譚詩たんし的な時代から全くそのままに伝わっていて、ほかのあらゆるものの中で棺だけが似ているほど、一種異様に黒い、このふしぎなのりもの――これは波のささやく夜の、音もない、犯罪的な冒険を思いおこさせる。それ以上に死そのものを、棺台と陰惨な葬式と、最後の無言の車行しゃこうとを思いおこさせる。そしてこういう小舟の座席――棺のように黒くニスのぬってある、うす黒いクッションのついたあのひじかけいすは、この世で最もやわらかな、最もごうしゃな、最も人をだらけさせる座席であることに、人は気づいたことがあるだろうか。アッシェンバッハはそれを知覚した――船首にきちんとひとまとめにしてある自分の荷物とむかい合って、船頭の足もとに腰をおろしたときに。こぎ手たちは相変らず争っていた――乱暴に、わけのわからない言葉で、いかく的な身ぶりで。しかしこの水都の一種特別なしずけさは、かれらの声をやわらかく受けいれて、とかして、流れの上一面にふりまくかに見えた。ここの港内はあたたかだった。熱風シロッコのそよぎになまぬるくさわられながら、しなやかな水の上でクッションにもたれたまま、旅人はいかにも異常な、と同時に甘美な遊惰を楽しみつつ、目をとじた。船路ふなじは短かいのだろう、いつまでもつづけばよいものを、とかれは思った。かすかにゆられながら、かれは自分が雑踏と声のもつれから、すべり去ってゆくのを感じた。
 身のまわりが何と静かに、そしていよいよ静かになってゆくことか。かいの立てる水音、波が小舟のへさきに当って立てるうつろなひびき――へさきは急勾配に、くろぐろと、そして先端をほこのように武装されて、水の上に突き出ているのである――それからもうひとつ、ある言葉、あるつぶやき――歯のあいだから、けいれん的に、こぐ腕の動きにつぶされたようなおんで、ひとりごとを言っている船頭のささやき――そういうもののほかには、何ひとつきこえなかった。アッシェンバッハは目をあげた。そしてかるいいぶかりとともに、身のまわりにかたがひらけて、船路が沖合へむかっているのに気づいた。つまり、かれはそうのんびりと休息しているわけにはゆかないような、意志の遂行を少しは志さねばならぬような情勢だったのである。
「じゃ、汽船の発着所までだ。」とかれは、なかばふりかえりながら言った。つぶやきはとだえた。なんの返事もなかった。
「じゃ、汽船の発着所までだ。」とかれはくりかえしながら、すっかりうしろをふりむいて、船頭の顔をまともに見あげた。船頭はかれのうしろの一段高くなった船べりの上に立ったまま、色のあせた空を背にして、高くそびえていた。それは無愛想な、いや、残忍な顔つきの男で、水夫らしく青い着物にきいろの飾帯かざりおびをしめ、あみ目のほどけかかった、つぶれたむぎわら帽を、ぐいとななめにかぶっていた。かれの顔立と、上むきの短かい鼻の下にある、ブロンドのちぢれた口ひげとは、かれを少しもイタリア種らしく見せなかった。からだつきはむしろ細いほうだから、その商売に大して長じているとは思えないにもかかわらず、かれはひとこぎごとに全身を投げかけながら、ぐいぐいといきおいよくかいをあやつっていた。二三度、気張ってくちびるをあとへ引きながら、白い歯をあらわした。赤ちゃけた眉をしかめて、客の頭越しにむこうを見やると同時に、きっぱりした、ほとんど乱暴な調子でかれは答えた。
「旦那はリドまで行くんでしょう。」
 アッシェンバッハは応じた。
「そりゃそうさ。しかしわたしがゴンドラにのったのは、ただサン・マルコへ渡してもらうためだ。わたしは小蒸汽を利用したいのだ。」
「小蒸汽にはのれませんよ。」
「と言うと、なぜだね。」
「小蒸汽じゃ荷物は運びませんから。」
 それはその通りだった。アッシェンバッハは思い出したのである。かれはだまった。しかしこの人間のぶっきらぼうな、高慢な、異国人に対してあまりにも国ぶりにそぐわぬ調子は、やりきれない気がした。かれは言った。
「それはわたしの勝手だ。もしかしたら、荷物は預けてしまおうかと思っている。あともどりするんだね。」
 しんとしたままだった。かいがぴたぴたと音を立て、水がにぶくへさきに当った。すると例の話し声とつぶやきが再びはじまった。――船頭が口の中でひとりごとを言っているのである。
 どうしたらいいのか。この妙に逆らうような、気味の悪いほどきっぱりした人間と、たったふたりきりで水の上にいる旅行者は、自分の意志を貫徹する手段を、何ひとつ持たぬのである。自分がもし腹を立てていないとしたら、ともかくどんなにかゆったりと休むことができるだろうに。この舟路が長くつづくことを、いつまでもつづくことを、自分は願わなかったろうか。物事をなりゆきにまかせるのが、最も賢明なのだ。しかもそれは何よりもまず、きわめて快適なことなのだ。かれのうしろにいる専断的な船頭のかいのはこびに、ごくやんわりとゆられながら、かれの座席――低い、黒いクッションのついたひじかけいすからは、怠惰のもつ魅力が発散するかと思われた。一人の凶漢の掌中におちいってしまったという観念が、夢のようにアッシェンバッハの心をかすめた――自分の考えを呼びあげて、能動的な防衛を講じさせることはできずに。すべてが単純なゆすりをめざしているのかもしれぬと思うのは、いっそう腹立たしい気がした。一種の義務感または自尊心、いわば、そういうことを予防せねばならぬという警戒が、もう一度かれに気を取りなおさせる力をもった。かれは問うた。
「船賃はいくらだね。」
 するとかれの頭越しにむこうをながめながら、船頭は答えた。
「払ってもらいます。」
 これに対してどう言い返すべきかは、はっきりきまっていた。アッシェンバッハは機械的に言った。
「わたしは一文も払わない。びた一文も払わない。もしきみが、わたしの行こうとも思わないところへ、わたしをつれてゆくのならね。」
「リドへ行こうというんでしょう。」
「しかしきみといっしょには行かないよ。」
「じょうずにこいで行ってあげまさあ。」
 それはそうにちがいない、とアッシェンバッハは思った。そして緊張を解いた。――それはそうにちがいない。きみはじょうずにこいで行ってくれる。たとえきみがわたしの所持金に目をつけて、うしろからかいでひとなぐりして、わたしを冥府めいふへ送ったとしても、やっぱりきみはじょうずにこいで行ったことになるのだろう。
 しかしそんなようなことは何一つ起こらなかった。それどころか、道づれが現われてきた。それは音楽的なおいはぎども――ギタアやマンドリンにつれて歌う男女たちをのせた一隻のボオトで、その連中はあつかましくゴンドラとすれすれに進みながら、水の上のしずけさを、物ほしそうな、外国人向きの詩歌でみたしたのである。アッシェンバッハは、さし出された帽子のなかへ、金を投げこんだ。するとかれらは沈黙した。そしてこぎ去った。そこで船頭のささやき声がまたきこえ出した。船頭はけいれん的に、きれぎれにひとりごとを言っているのである。
 こうしてゴンドラは着いた――町へむかってゆく汽船の残した波にゆられながら。市庁の役人がふたり、両手を背に、顔を潟のほうへむけたまま、なぎさを行ったり来たりしていた。アッシェンバッハは、ヴェニスのどの船着場にも必らずかぎざおをたずさえて出張っている、あの老人にたすけられながら、踏板をつたわってゴンドラを見すてた。そして小銭がなかったので、棧橋のとなりにあるホテルへ入って行った。そこで金をくずした上、思いどおりの賃銀をこぎ手に払うつもりだったのである。玄関口で用向をすませて、もどってくると、手荷物は波止場の手押車にのせてあったが、ゴンドラと船頭は消えてしまった。
「あいつは行ってしまいましたよ。」かぎざおをもった老人が言った。「悪い男です。免状を持っていないのですよ、旦那。船頭で免状のないのは、あいつひとりでさあ。ほかの連中からここへ電話がかかってきました。あいつは自分が待ち受けられているとわかったのです。そこで行ってしまったわけですよ。」
 アッシェンバッハは肩をそびやかした。
「旦那はただでのっていらしったわけだ。」と老人は言いながら、帽子をさし出した。アッシェンバッハは貨幣を投げこんだ。かれは荷物を水浴ホテルへ持ってゆくようにさしずすると、その手押車のあとについて、並木道を通って行った。両側に酒店や勧工場や下宿屋があって、ななめに島をつらぬきながら、なぎさまで走っている、白い花の咲いた並木道である。
 かれは広壮なホテルへ裏側から、庭に面したテラスからはいってゆくと、大きなロビイと玄関口をぬけて、事務所へ行った。通じてあったので、かれはまめまめしいのみこみ顔で迎えられた。支配人――黒い口ひげのある、フランス風な仕立のフロックコオトを着た、小柄な、ものしずかな、こびるようにいんぎんな男が、かれをエレベエタアで三階へ案内して、部屋を教えた。それは桜材の家具のついた、感じのいい室で、強いにおいのする花で飾ってあり、高い窓々からは、ひらけた海への展望がきいた。その使用人が引きさがったあと、かれは窓の一つへ歩みよった。そして背後で荷物がはこびこまれ、部屋の中におさめられているあいだ、かれは午後らしく人かげのとぼしいなぎさと、日の当っていない海とをながめ渡していた。海は満潮時で、低い長くのびた波を、おだやかな一定した拍子で、岸へ送っていた。
 孤独でだまりがちな者のする観察や、出会う事件は、社交的な者のそれらよりも、もうろうとしていると同時に痛切であり、かれの思想はいっそうおもくるしく、いっそう奇妙で、その上かならず一まつの哀愁を帯びているものだ。ひとつのまなざし、ひとつの笑い、ひとつの意見交換で片づけてしまえるような形象や知覚が、不相応にかれの心をとらえ、沈黙のうちにしずみ、意味ふかいものとなり、体験となり、冒険となり、感情となってしまう。孤独は独創的なものを、思いきって美しい、あやしいほど美しいものを、詩というものを成熟させる。孤独はしかし、倒錯とうさくしたもの、不均衡なもの、おろかしいもの、ふらちなものをも、また成熟させるのである。――だからここへくるみちのさまざまな現象――恋人についてうわごとを言った、いやらしい年寄りのめかし屋や、営業をとめられている、賃銀をもらいそこなったゴンドラの船頭などが、今なお、この旅人の心をおちつかせないのだった。それらは理性に対して困難を提供しもせず、実を言うと省察の材料を与えもしないのだが、それでいて、かれの感じたところでは、本来きわめて奇異なものであった。そしておそらくはその矛盾によってこそ、心をおちつかせないのであろう。そのあいまに、かれは目で海にあいさつしながら、ヴェニスをこれほど手のとどきやすい近さに意識するという喜びを感じた。ようやくかれは身を転じて、顔を洗って、部屋づきの女中に、居心地のよさを完全にするためのさしずを二三あたえてから、緑の服装をした、エレベエタアがかりのスイス人に、一階までおろしてもらった。
 海に向いたテラスで、かれは茶を飲んだ。それから下へおりて行くと、海岸の遊歩道に沿って、ホテル・エキセルシオオルの方角へ、かなりの距離を進んで行った。帰ってきた時には、もうばんさんのために着がえをする時間になっているらしかった。かれは身じまいをしながら仕事をするくせがあったので、その流儀で、ゆっくりときちょうめんに着がえをした。そして、それでもいくぶん早目にロビイへ現われた。そこには泊り客の大部分が、たがいによそよそしい様子で、相互に無関心をよそおいながら、しかしみんな一様に食事を待ちながら、あつまっていた。かれはテエブルから新聞を取ると、皮の安楽いすに腰をおろして、一座をながめた。かれの最初の滞留地にいた連中とは、かれにとってこのましいちがいかたでちがっている一座だった。
 寛大にいろんなものを包含している、広い視野がひらけていた。方々の大国の言語のひびきが、おさえられた調子でいりまじっている。どこにでも通用する夜の正装が、外面上、人間的なもののさまざまな変種を、礼儀正しいひといろに総括している。アメリカ人の無味なまのびのした顔つきや、人員の多いロシアの家族や、イギリスの貴婦人たちや、フランスの保母のついているドイツの子供たちなどが見える。スラヴ系の成分が勝っているらしい。すぐそばでは、ポオランド語が話されていた。
 家庭教師かお相手かと見える婦人に監督されながら、おとなになりかけたのと、まだなりきらないのとの一団が、とうのテエブルを囲んであつまっているのである。十五から十七までぐらいらしい若い娘が三人と、十四ばかりの髪の長い少年が一人とであった。目を見はりながら、アッシェンバッハはその少年が完全に美しいのに気づいた。蒼白そうはくで、上品に表情のとざされた顔、蜜いろの捲毛まきげにとりまかれた顔、まっすぐにとおった鼻とかわいい口をもった顔、やさしい神々しいまじめさを浮かべている顔――かれの顔は、最も高貴な時代にできたギリシャの彫像を思わせた。そしてそれは形態がきわめて純粋に完成していながら、同時に比類なく個性的な魅力をもっているので、見つめているアッシェンバッハは、自然のなかにも、造形美術のなかにも、このくらいよくできたものを見かけたことはない、と思ったほどであった。さらに目についたのは、この姉弟きょうだいの服装や一般的なしつけの標準になっているらしい、教育上の観点と観点とのあいだの、明らかに根本的な対比だった。三人の少女たちのこしらえは――中で一番年かさなのはおとなと言ってもよかったが――みにくい感じを起こさせるほどに、厳格で貞潔だった。一様に僧院めいたみなり――スレエトいろで、ころあいの長さで、きまじめで、わざと似合わないような仕立で、白いかたいカラアとそでぐちとが唯一の明るさをそえているこのみなりは、容姿のもつどんな好ましさをも、おさえつけ、さまたげていた。ぴったりと頭にへばりついた髪は、顔を尼僧めかしく空虚な無表情なものに見せていた。ここに支配しているのは、たしかにひとりの母親であった。しかもかの女は、娘たちに対して必要だと思う教育上の厳格さを、少年の上にもあてはめようとは、思ってもみないのである。優柔ゆうじゅう愛撫あいぶが目に見えてかれの生活をきめている。かれの美しい髪にはさみをあてることを、人ははばかった。髪は「とげをぬく少年」(訳者註。古代ロオマの彫像)に見るように、うねうねとひたいへ、耳へ、さらに深くうなじへかぶさっているのである。イギリス風の水兵服は、ふくらんだそでが先のほうでつぼまって、かれのまだ子供っぽいながらもほっそりした手の、きゃしゃな関節に、きっちりとまきついているが、この服が、そのひもだのネクタイだのぬいとりだので、このなよやかな姿態に、あるゆたかな甘やかされたおもむきをそえている。かれは、見守っているアッシェンバッハのほうへなかば横顔を見せながら、黒いエナメル靴の足をかさね合わせ、片ひじをとういすの腕について、にぎった手に頬をもたせたまま、なげやりなしとやかさという姿勢で、姉たちのくせになっているらしい、卑屈なくらいのぎごちなさは全然なしに、すわっていた。病身なのであろうか。なぜなら顔のはだは、わくをなしている捲毛まきげの金いろの黒味と、ぞうげのように白くうつり合っているから。それともかれはただ、かたよった気まぐれな愛情にいだかれている、甘やかされた秘蔵児ひぞうっこなのだろうか。アッシェンバッハは、そう信じたい気持になっていた。ほとんどどの芸術家かたぎにも、美を創造する不公平を承認して、貴族的な優遇に同感と敬意をささげるという、ぜいたくな反逆的な性向が生れついているのだ。
 ひとりの給仕が歩きまわって、食事の用意ができたとイギリス語で知らせた。一座の人たちはしだいしだいにガラス戸をぬけて、食堂へと消えて行った。おくれた人々は玄関のほうから、エレベエタアのほうからきて、そばを通りすぎて行った。食堂の中では給仕がはじまった。しかしあの若いポオランド人たちは、まだとうのテエブルを囲んで動かなかった。そしてアッシェンバッハは、深いひじかけいすにゆったりと身をゆだねたまま、しかも美を目の前に見ながら、かれらとともに待っていた。
 小柄でふとった、顔の赤い半貴婦人の家庭教師が、ようやく立ちあがるあいずをした。かの女は眉を高くあげながら、自分のいすをうしろへずらせておじぎをした――灰白色の衣裳で、真珠の飾りをふんだんにつけたひとりの大柄な婦人が、ロビイに入ってきたときに。この婦人の態度は冷静でつつましやかで、かるく粉を打ったその髪のととのえかたも、その着物の仕立かたも、敬虔けいけんが上品の成分と見なされている場合なら、いつも必らず趣味を規定する、あの簡素なところをもっていた。かの女はドイツ高官の夫人としても通ったであろう。ただかの女の装身具によってのみ、ある空想的にごうしゃなものが、かの女の姿態の中へ入ってきている。それは実際、ほとんどねぶみもできないほどの装身具で、みみわと、さくらんぼ大の、やわらかく微光する真珠の、三重になった非常に長いくびかざりとから成っているのだった。
 きょうだいたちは急いで立ちあがった。かれらは、接吻するために、母親の手の上へ身をかがめた。母親は、鼻のとがった、手入れはとどいていながらも、いくらか疲れの見える顔に、ひかえ目な微笑を浮かべながら、かれらの頭越しに目をやって、二言三言、フランス語で女家庭教師に話しかけた。それからガラス戸のほうへ歩を運んだ。きょうだいたちがそれにつづいた。少女たちは年の順に、そのあとから女家庭教師、最後に少年という順序だった。何かの理由で、少年はしきいぐちをまたぐ前に、ふりかえった。すると、ほかにはもう誰もロビイに残っている者はなかったので、少年の異様にほのぐらい目が、アッシェンバッハの目と出会った。アッシェンバッハは、よみさしの新聞をひざに、じっと見とれたなり、その一団を見送っていたのだった。
 かれの見たものは、なるほどどんなこまかい点から言っても、きわだってはいなかった。かれらは母親より先に食卓にはつかなかった。かの女を待って、かの女にうやうやしくあいさつして、食堂にはいる時には、普通一般の作法を守ったのである。しかしそれがいっさい、いかにも明確に、いかにも規律と義務と自尊とを強調しながら表示されたので、アッシェンバッハは、妙に心を打たれる思いがしたわけであった。かれはなお数秒間ためらっていたが、やがてかれもかれで食堂へはいって行って、自分のすわる小卓を教えてもらった。それは、かれがちらっと残念に思いながら確認したとおり、例のポオランド人の家族の席とはずっと遠くはなれていた。
 疲れていながらも心は生き生きとして、かれはひまのかかる食事のあいだ、抽象的な、いや、先験的な事柄に身を入れ、人間の美が生ずるために必要な、法則的なものと個性的なものとのあいだの、あの神秘的なつながりのことを思いめぐらして、そこから形態と芸術との普遍的な問題に及んだ。そして結局、自分の思想や発見は、さめて考えれば全くつまらない無用なものだとわかる、夢の中の一見巧妙なある種のヒントのようなものだ、と思った。食後はたばこをふかしたり、腰をおろしたり、そぞろ歩いたりしながら、夕ぐれらしくいいにおいのする遊園にしばらくいてから、早目に床について、連続的にふかいながらも、たびたび夢像ににぎわされる眠りのうちに夜をすごした。
 天気は次の日もよくなりそうになかった。陸風が吹いていた。にぶいろにくもった空のもとに、海はどんよりと静まったまま、言わばちぢこまったようになって、水平線を平凡にちかぢかと見せながら横たわり、そして長い砂州を数列もあらわしてしまうほど、なぎさからずっと遠のいていた。部屋の窓をあけたとき、アッシェンバッハは潟のくさったようなにおいをかぐように思った。
 ゆううつがかれをおそった。早くもこのせつなに、かれは旅立つことを考えていた。かつて幾年か前に、ほがらかな春の数週日のあと、かれはここでこういう天候にみまわれて、健康をひどくそこなわれた結果、逃げるようにしてヴェニスを立ち去らねばならなかったことがある。あの当時の熱病めいた不快が、こめかみをおされるような、まぶたのおもたくなるような感じが、早くもまた起ってきはしないのか。滞留地をもう一度変えるのはめんどうであろう。しかし風が変らなければ、ここは自分のとどまるべきところではない。かれは念のために、荷物をすっかり解いてしまわずにおいた。九時に、かれはロビイと大食堂のあいだの、朝食のためにあけてある小さい食堂で食事をした。
 この部屋には、一流ホテルの名誉心の一つになっている、あのおごそかな静寂が領していた。かしずいている給仕たちは、ぬき足で動きまわっていた。茶器のかちゃかちゃいう音、小声でささやかれる言葉――きこえるものはそれだけだった。入口とななめにむかい合った一隅に、かれのテエブルからテエブル二つをへだてて、例のポオランドの少女たちが女家庭教師といっしょにいるのを、アッシェンバッハは認めた。胸をぴんと張って、淡色の金髪をなでつけ直して、赤くなった目をして、小さな白いかたいカラアとカフスのついた、ごわごわした青いリンネルの着物で、かれらは席についていた。そしてさとうづけの果物のはいったガラス器を、たがいに取りまわしていた。かれらはもうそろそろ朝食を終ろうとしている。少年は見えない。
 アッシェンバッハは微笑した。なるほど、小さなのらくら者め、とかれは思った。――君はこの連中とはちがって、眠りたいだけ勝手に眠るという特権をうけているらしいな。――そして突然陽気になったかれは、胸のなかでこういう詩句を吟じた。
「いくたびか変えぬ、よそおいと暖かきゆあみとやすらいは。」
 かれはいそがずに朝食をすませて、金モオルのついた帽子をぬいだまま食堂へ入ってきた門衛の手から、幾通かの回送されてきた郵便を受けとると、巻たばこをくゆらしながら、二三の手紙を開封した。そういうわけで、かれは、むこうの席で待たれている朝寝の少年が入ってきたとき、まだそこに居合わせたのだった。
 少年はガラス戸から入ってくると、静かななかを、ななめに部屋を突切って、姉たちの食卓のほうへ歩いて行った。その歩きかたは、上体の姿勢にも、ひざの動きにも、白靴の足のあげようにも、なみなみならぬ優雅なところがあった。それは非常に軽やかで、やさしいと同時に昂然こうぜんとしていて、そのうえ、途中で二度、広間のほうへちょっと頭を向けながら、目をあげてはまた落したとき、子供らしいはにかみで美しくされていた。微笑しながら、持前のやわらかくぼかしたような口調の低い一語とともに、かれは自分の席を占めた。そしてことさらこのときは、かれの顔が、見つめているアッシェンバッハのほうへ真横に向けられていたので、アッシェンバッハはまたしても、この人間の子のそれこそ神に近い美しさに、感嘆した。いや、驚愕きょうがくしたのであった。少年は、青と白のしまのある、リンネルの、軽快な、ブラウスのついた服を着ていた。服は胸のところに赤絹のリボンがついていて、くびすじのところで、あっさりした白い立襟たてえりにくぎられている。ところでこの服の特徴に対して、別に上品な釣合いも見せようとしないそのえりの上に、花の咲いたような首が、たとえようもなく愛くるしくのっている。――それはパロス産の大理石のもつ淡黄色の光沢をおびた、エロスの神の首で、細いおちついた眉があり、こめかみと耳は、直角にたれかかる捲毛で暗くやわらかくおおわれていた。
 いいなあ――とアッシェンバッハは、芸術家がときどき、一つの傑作に面して、その狂喜、その恍惚こうこつをあらわす、あのくろうとらしく冷静な是認の気持で、そう思った。そしてさらにこう考えた。――全くだ。海やなぎさがわたしを待っていないにしても、――おまえがいるかぎり、わたしはここを去らない。――しかしそのままかれはそこを出た。使用人たちに注視されながら、ロビイを通りぬけて、大きなテラスをおりて、まっすぐに板の小橋を渡ると、ホテル客専用の、仕切ってあるなぎさへ行った。リンネルのズボンと水兵式のブラウスとむぎわら帽をつけて、そのなぎさで水泳場取締人の役をしているはだしの老人に、浜の貸小屋を教えてもらうと、かれはテエブルといすとを、砂にまみれた木造の壇の上に出させて、自分でさらに海に近く、ろうのようにきいろい砂の中まで引っぱって行ったそのねいすに、ゆったりとからだを休ませた。
 なぎさの光景――文化というものが水ぎわでのんきに官能的に楽しんでいるこのながめは、いつものとおり、かれを楽しませ喜ばせた。灰いろをした浅い海は、ぼちゃぼちゃやっている子供たちや、泳いでいる人々や、両腕を頭の下に組んで砂州の上にねている、雑多な人物たちなどで、すでににぎわっていた。一方には、小さな、赤と青にぬられた、竜骨のないボオトをこいでは、笑いながらてんぷくしている連中もあった。小屋の長くつらなった列――小屋に付属した壇の上には、小さいベランダにすわるようにすわっている人がある――その列の前には、遊びたわむれる動きと、ごろごろねそべっている安息、訪問とむだばなし、場所柄の無拘束をあつかましくのんきにたのしんでいる裸形に並んで、念入りな朝の端麗たんれいがあった。前のほうのしめって固い砂の上には、白い浴用ガウンと、濃い色合いの、ゆるやかな肌衣を着たまま、ぶらぶら歩いている人が少しあった。右手にある、子供たちのこしらえた、入り組んだ砂の城には、小さな万国旗が一面にさしてあった。貝がらだの菓子だの果物だのの売り手たちが、ひざをつきながらその商品をひろげていた。左手には、ほかの小屋となぎさに対してはすかいに並んでいて、そのがわでなぎさを仕切っているいくつかの小屋の一つの前に、ロシア人の一家族が野営していた。――ひげをはやした、大きな歯の男たちと、ぐったりした、気力のない女たちと、画架の前にすわって、絶望のさけびをあげながら海をかいている、バルチック種の令嬢と、温良でみにくい二人の子供たちと、ずきんをかぶったやさしく恭順きょうじゅん奴隷どれいぶりの老女中が一人とである。感謝をこめて享楽しながら、かれらはそこで生活している。言うことをきかずにあばれまわる子供たちの名を、あきずに呼び立てたり、菓子売りのおどけた老人と、わずかなイタリア語で長いあいだじょうだんを言い合ったりして、自分たちの人間的な共同生活をだれが見物していようと、ちっとも気にかけていなかった。
 それでは滞留することにしよう、とアッシェンバッハは思った。――ここよりいいところがあるだろうか。そして両手をひざの上に組み合わせたなり、かれは目を遠い沖合のほうへさまよわせた。その視線をぼうばくとした空間の単調なもやの中で、すべり去らせ、もうろうとさせ、消えさせた。かれは海というものを、深い理由から愛している。――つらい仕事をしている芸術家の、安息を求めるきもちからである。そういう芸術家は、現象のもつおごりたかぶった多様性をさけて、単純な巨大なものの胸に身をひそめようとするのだ。未組織のものへ、無際限なものへ、永遠のものへ、虚無へむかっての嗜好しこう――かれの使命とは正反対の、しかもそれ故にこそ誘惑的な、禁制の嗜好から愛するのである。完全なものにもたれて休息したいというのは、優秀なものをえようと努める者のあこがれだ。そして虚無とは完全なものの一形態ではなかろうか。ところで今アッシェンバッハが、かくも深く空虚のなかへ夢想をはせていると、突然、波打ちぎわの地平線をひとつの人かげが横切った。そしてかれがまなざしを、無辺際むへんざいの境からたぐりよせて集中したとき、それは左手からきかかって、かれの前の砂地を通りすぎる、あの美しい少年なのであった。少年ははだしで、水をかちわたる用意をして、ほっそりした脚をひざの上まであらわしたまま、ゆっくりと、しかしはきものなしで歩くのになれきってでもいるように、軽くかつ昂然こうぜんと歩いていた。そしてはすかいにならんだ小屋のほうをふりむいた。ところが、そこにうれしげにだんらんしながらがやがやさわいでいる、例のロシア人の家族が目に入ったと思うと、たちまち腹立たしげなあなどりの雷雨が、かれの顔いっぱいにひろがった。ひたいはくらくなり、口はつりあがり、くちびるから片側へかけて憤激のゆがみが走ると、それが頬を引きさき、そして眉がいかにも重苦しくしかめられた結果、それにおされて目はうもれたようになりながらも、その下から悪意をふくんでいんうつに、憎悪の言葉を語っていた。かれは視線をおとした。もう一度おびやかすようにふり返った。と思うと、はげしくうっちゃるように、身をそむけるように肩を動かした。そして敵をあとにした。
 一種の思いやりまたは驚愕きょうがく、何か尊敬とはじらいのようなものにかられて、アッシェンバッハは、まるで何ごとも見なかったかのように身をそむけた。というのは激情をふと目にしたこの荘重な観察者は、自分の知覚したことを、自分自身に対してさえ利用するのが、いやでならなかったのである。かれはしかし明朗な気持にされたと同時に、心をゆり動かされていた。言いかえれば、幸福にされていた。人生の最も温良な一片に対して向けられた、この幼稚な狂熱――それは神々こうごうしい無意味なものを、人間的な関係の中へおいた。ただ目を楽しませるだけにしか役立たなかった、あの自然の貴重な彫像を、いっそうふかい関心にあたいするものとして見せた。そしてこの未成年者の、もともと美しいゆえに意義ふかい姿に、はくを加えたのである。そのはくがあるので、かれを年齢以上に真剣に扱うことが許されるのだ。
 まだ身をそむけたままで、アッシェンバッハは少年の声に――すきとおるような、いくぶん弱々しい声に、耳をすましていた。その声で少年はすでに遠くのほうから、砂の城のまわりではたらいている遊び仲間に、あいさつかたがた、自分のきたことを知らせようとしたのである。みんなはかれに答えた。つまり、かれの名かその名の愛称かを、なん度もかれにむかってさけんだのだ。そしてアッシェンバッハは、いくらかの好奇心でそれにきき入ったが、「アッジオ」とか、またはいっそうたびたび「アッジウ」とかいう、終りのUの音を長く引いてさけばれる、音のきれいな二綴り以上には、くわしく聞きとることができなかった。かれはこのひびきをよろこんだ。このひびきは耳にこころよい点で、あの対象にふさわしい、と思って、胸の中でそれをくり返してみた。それから満足したきもちで、手紙と原稿にむかった。
 小さな旅行用の紙ばさみをひざにのせたまま、かれは万年筆で、あれこれの通信をかたづけにかかった。しかし十五分もたつとすでに、かれは、自分の知る限りでの最も味わいがいのあるこの境遇を、こんなふうに心で見すてて、つまらない仕事でいっしてしまうのは、もったいない気がした。筆と紙をわきへ投げすてると、かれはまた海へもどった。そうしてまもなく、砂の家を作っている子供たちの声につられて、頭をゆったりといすの背にもたせたまま右へむけて、あのすぐれたアッジオの行動をさがし求めようとした。
 最初の一べつがかれを見つけた。かれの胸の赤いリボンは、見そこなうべくもなかったのだ。少年はほかの連中といっしょに、一枚の古い板で、砂の城のしめったみぞに橋をかけることにとりかかりながら、さけんだり、首であいずをしたりして、工事のさしずを与えていた。そこには、かれといっしょに十人ばかりの仲間がいた。かれと同じ年かっこうの、そして幾人かはもっと年下の、少年少女たちで、かれらはいろんな国語――ポオランド語やフランス語や、それからまたバルカン地方のなまりで、入りみだれてしゃべっていた。しかし最もひんぱんにひびいたのは、かれの名であった。あきらかにかれは求められしたわれ嘆美されているのだ。とりわけひとり、かれと同じくポオランド人で、黒い髪にポマアドをつけ、バンドのついたリンネルの服を着た、「ヤアシュウ」とやら呼ばれている、がんじょうな若者は、かれの最もちかしい家来であり朋友ほうゆうであるらしかった。ふたりは、砂の城の工事がひとまず終ったとき、からみ合うようにして、なぎさづたいに歩いて行った。そして「ヤアシュウ」と呼ばれる男は、その美しい少年に接吻した。
 アッシェンバッハは、その男を指でおどかしたい気持にさそわれた。「しかしおまえにすすめるが、クリトブロスよ、」とかれは微笑しながら思った。「一年間旅に出るがいい。おまえが全快するには、すくなくともそのくらいはかかるからね。」それからかれは朝食に、行商人から買った大きな熟し切ったいちごをたべた。太陽は空のもやの層を突き破ることができないのに、暑さはひどくなっていた。精神が怠惰にとらえられている一方、五官は海の静寂の巨大なうっとりさせるような楽しみを味わっていた。「アッジオ」とかなんとかいうのが、どういう名だろうか、それを推量し探究するのは、この荘重な男にとって、適切な、時間を完全に充実させる課題であり仕事であると思われた。そしていくらかのポオランド語の記憶にたすけられながら、かれは、それが「タッジオ」という意味にちがいない、つまり「タデウス」の略称で、よびかけのときに「タッジウ」と聞こえるのだ、と確認した。
 タッジオは水浴していた。かれを見失っていたアッシェンバッハは、かれの頭と、ぬき手を切っている腕とを、ずっと遠くの海の中に見つけた。海はずっと沖のほうまで浅いらしいのである。しかしみんなは早くもかれのことを気づかっている様子だった。早くも女たちの声が、小屋からかれによびかけた。またしてもあの名前を絶叫したのである。それはほとんど一つの合言葉のようになぎさを支配した。そして例のやわらかな子音と、終りの長く引いたUの音があるので、甘いと同時に野生的なおもむきを持っているのだった――「タッジウ。タッジウ。」かれはもどってきた。逆らう水をあしであわだてながら、頭をぐっとうしろへねかせるようにして、かれはうしおのなかを走っている。そして少年らしいやさしさと鋭さをもつ、このいきいきした姿態が、捲毛から水をしたたらせながら、空と海との深みから出てきた、なよやかな神のように美しく、水から浮かびあがり、水をのがれてゆくありさま――このながめはいろいろの神話めいた観念を呼び起こした。このながめは、太初の時代について、形態の根源と神々の誕生について語る、詩人の報知に似ていた。アッシェンバッハは、目をとじたまま、胸中にひびきはじめたこの歌ごえに耳をすました。そしてふたたび、ここは居心地がいい、そして自分は滞留しようと考えた。
 そのあと、タッジオは水浴の疲れをやすめながら、砂にねていた。右肩の下にしいた、白いシイツにくるまって、むきだしの腕に頭をのせていた。そしてアッシェンバッハは、かれをながめずに、本の幾ペエジかを読んでいる時でさえも、ほとんど一度だって、少年がそこにねていること、そしてこの嘆賞すべきものを見るには、ただ頭をちょっと右へ動かすだけでいいのだ、ということを忘れてはいなかった。かれはまるで、この休息者を守るためにすわっているような――自身の仕事にたずさわりながら、それでもやはり、そこの右手に、自分から遠くないところにいる、高貴な人間像をたえず見張りながら、ここにすわっているような気がしたくらいであった。そうして、ある父めいた好意――みずからをぎせいにしつつ、心の中で美しいものを生み出す人が、美の所有者に対して感じる、感動的な偏愛で、かれの心はみたされ動かされていた。
 正午すぎになぎさを去ってホテルへもどると、かれは自分の室までエレベエタアで運んでもらった。部屋の中でかれはかなり長いあいだ、かがみの前にとどまって、自分の白い髪と疲れた鋭い顔とを見つめていた。このせつな、かれは自分の名声のことを考えた。そして自分のてきせつな、しかも典雅てんがの栄冠をいただいた言葉のゆえに、多くの人々が自分を往来で見知っていて、うやうやしく自分をながめる、ということを考えた。――ともかく思い浮かべられるかぎりの、自分の才能のあらゆる外的な成果を、頭に呼び起こした。そして自分が貴族に列せられたことまで思い出したのであった。やがてかれは、中食をとるために食堂へおりて行って、例の小卓でたべた。食事を終ってから、エレベエタアにのったとき、同じく中食をすませてきた若い連中が、かれのあとから、その浮動する小部屋へ、どやどやと入ってきた。そしてタッジオものりこんできた。かれはアッシェンバッハのすぐそばに立っていた。かれがこれほどそばにきたのははじめてである。アッシェンバッハが、塑像そぞう的なへだたりをおかずに、くわしく、かれの人間性のさまざまなこまかい点をこめて、かれを知覚し認識したほどの近さなのであった。少年はだれかから話しかけられていた。そして言いようもなく愛くるしい微笑を浮かべて答えながら、早くも二階で、うしろむきに、目をふせたなり、ふたたび外へ出てしまった。美しさははにかませるものだ、とアッシェンバッハは思った。そしてその理由をきわめてひたむきに熟考した。とはいえかれは、タッジオの歯なみが充分このましいものではないことを認めた。先が少しぎざぎざで、青白くて、健康らしい光沢がなく、時折痿黄病いおうびょう患者に見られるように、異様にもろそうな透明さをもっているのである。かれは蒲柳ほりゅうの質だ、病身なのだ、とアッシェンバッハは思った。――おそらく長生きはしないだろう。そうしてかれは、そういう考えにともなう満足または安堵あんどの感じについて、自分に弁明をすることを断念してしまった。
 かれは自分の部屋で二時間をすごしてから、午後小蒸汽で、くさったにおいのする潟を横ぎって、ヴェニスへ行った。サン・マルコの近くで降りると、その広場で茶をのんでから、この土地での自分の日程にしたがって、街路を散歩しはじめた。ところが、かれの気分、かれの決心の、完全な激変をさそいだしたのは、このそぞろあるきなのであった。
 気持の悪いむしあつさが、街上によどんでいた。空気が非常に濃いので、住居や店や小料理屋などからわき出すにおいだの、油の臭気だの、香料のもやだの、そのほかいろいろなものが、散らないでもくもくとただよっているほどだった。巻たばこのけむりは、ひとつところにたゆたっていて、なかなか消えてゆかない。せまいなかで押し合う人の群は、この散策者を楽しませるかわりに、うるさがらせた。長く歩いていればいるほど、このいとわしい状態は、いよいよ苦しくかれをとらえて行った。これは、海風が熱風シロッコといっしょになってひき起こすことのある、興奮と弛緩しかんとをかねた状態なのであった。せつない汗がにじみ出た。目はきかなくなり、胸は重苦しく、熱が出て、血が頭の中で音を立てた。かれは雑踏する商店街を逃げ出して、橋を渡って、貧しい人たちのいる裏町へ行った。そこではこじきたちがかれをうるさがらせた。そして運河から出るいやな蒸発気が、呼吸を不愉快にした。しずかな広場で――ヴェニスの中心にある、あの忘れられたような、魔法にかかっているような感じのする場所の一つで、泉水のふちにやすらいながら、かれはひたいをぬぐった。そして旅立つほかはないとさとった。
 こういう天候の時のこの都市が、かれにとって極度に有害だということは、二度目に、しかもこれでいよいよ最後的に、証明されたわけであった。片意地ながんばりは不合理な気がしたし、風の変る見込みは全く不たしかであった。すみやかな決断が肝要なのだ。今すでに帰郷することは、できない相談である。夏の住居も冬の住居も、かれをいれる用意はできていない。しかしここだけに海となぎさがあるわけではない。そしてほかのところなら、潟だの、その潟から立つ熱いもやだのといういやな添え物なしに、海となぎさがあるのだ。かれは人からほめて聞かされたことのある、トリエスト付近の小さな海水浴場を思い出した。そこへなぜ行かないのか。しかもこうやってまたも滞在地をかえることを、まだむだに終らせないように、なぜ即刻ゆかないのか。かれは自分にむかって、決心したと宣告して、それから立ちあがった。もよりのゴンドラの発着所で、のりものにのると、かれは運河のうすぐらい迷路を、獅子の像が側面についている、きれいな大理石の露台をくぐりぬけ、ぬるぬるしたかべのかどをまがり、ゆらぐ水面に大きな看板を斜めにうつしている、悲しげな高楼の正面を通りすぎて、サン・マルコまでつれて行ってもらった。そこまで行くのは、ひと苦労だった。というのは、レエス工場やガラス工場と提携しているゴンドラの船頭は、いたるところで、見物や買物のためにかれをおろそうとしたからである。そしてヴェニスをつらぬく奇怪な船旅が、持ち前の魅力をふるいはじめたとしても、このおとろえた女王の巾着きんちゃく切めいた商売は、ふたたびいまいましく興味索然さくぜんたらしめることに、力をつくしたのであった。
 ホテルに帰り着くと、かれはまだばんさんもすまぬうちに、事務所で、思いがけない事情にせまられて、あしたのあさ出発せねばならぬ、と言い渡した。かれは遺憾いかんの意を表された。勘定をすました。食事をしてから、なまあたたかい宵をゆりいすに腰かけて新聞をよみながら、裏側のテラスですごした。眠りにつく前に、荷物をすっかりまとめて、いつでも旅立てるようにしておいた。
 さしせまった再出発が心をおちつかせないので、かれは存分にはねむらなかった。朝になって窓をあけると、空は相変らずくもっていたが、空気は前よりもさわやかになっているらしかった。すると――かれはやはり早くも後悔しはじめた。あの通告は、性急なまちがったものではなかったか。一つの病的な薄弱な状態を示す行動ではなかったか。もしあの通告をもう少しひかえていたとしたら――あんなにすぐ気を落さないで、ヴェニスの空気へ順応しようという試みに、または天気の好転に、いっさいをゆだねたとしたら、そうしたら今ごろは、いそがしさと重荷の代りに、きのうと同じようななぎさの午前が、かれの目前にあるわけなのだ。もうまにあわない。今となっては、きのう欲したことを欲しつづけるほかはないのだ。かれは身なりをととのえて、八時に、朝食をとるべく、エレベエタアで一階へおりて行った。
 かれが入って行ったとき、例の小さい食堂には、まだひとりの客もいなかった。かれが席について、注文したものを待っているうちに、ぽつぽつやってくる人があった。ちゃわんを口にあてたまま、かれはあのポオランドの少女たちが、付添いの婦人といっしょに現われるのを見た。かの女たちは厳格な、朝らしくすがすがしい様子で、目を赤くしたまま、窓ぎわのすみにある自分たちの食卓へと進んで行った。そのすぐあと、門衛がかれのそばへ、帽子をぬいだなりよってきて、出発をうながした。――かれとそのほかの旅客たちを、ホテル・エキセルシオオルまでのせてゆく、自動車のしたくができている。ホテルからはモオタアボオトで、会社の専用運河をとおって、停車場までお送りする。時刻はせまっている――という。アッシェンバッハは、時刻は決してせまっていない、と思った。かれののる列車の出発までには、まだ一時間以上もまがあるのだ。旅立ちの客をそうそうに送り出してしまうという旅館のならわしが、かれには腹立たしかった。そしてかれは門衛に、自分はおちついて朝食がとりたいのだ、という意味を示した。男はためらいがちに引っ込んで行ったが、五分ののちにまた現われた。車はこれ以上待っていない、と言う。それなら車を出すがいい、そして自分の荷物はのせて行くがいい、とアッシェンバッハは、むっとして答えた。――自分自身は任意の時刻に、公共の汽船を利用するつもりだから、どうか自分の退去についての配慮は、自分自身にまかせておいてもらいたい。――その使用人は腰をかがめた。アッシェンバッハは、うるさいとくそくを追い払ったのにほっとして、ゆうゆうと朝食を終った。その上なお、給仕に新聞を持ってこさせさえした。かれがやっと席を立ったときには、時間はかなり切迫していた。そのせつなに、偶然、タッジオがガラス戸から入ってきた。
 かれは自分の一家の食卓へゆく途中で、出発しようとするアッシェンバッハのゆくてを横切った。かれはこの白髪の、広いひたいの男のまえに、つつましく目をふせたが、すぐにまたその目を、例の愛くるしい調子で、やわらかくまともにかれのほうへあげてから、通りすぎて行った。さよなら、タッジオ、とアッシェンバッハは思った。――会ったのはわずかのあいだだったね。――そうしてかれはいつものくせとは逆に、考えたことをじっさいくちびるで形にあらわして、無意識につぶやきながら、こうつけ加えた。「幸福をいのるよ。」――それからかれは出立した。心づけを分け与え、フランスふうのフロックコオトを着た例の小柄な物静かな支配人に、別れのあいさつをされて、きた時のように徒歩でホテルを出ると、手荷物をもった小使に付き添われながら、白い花の咲いている並木道をとおって、島を斜めに突切って、棧橋へむかった。かれはそこに着いて、席を占めた。――そしてその次にきたものは、悔恨のあらゆる深みを通っての、憂苦にみちた、なやみの旅であった。
 それは潟を横切り、サン・マルコをすぎ、大運河をさかのぼってゆく、なじみの深い船路ふなじだった。アッシェンバッハは、船首のまるい腰掛に腰をおろして、腕をらんかんにささえたまま、片手で目をおおっていた。いくつもの公園があとになった。小さい広場がもう一度、威儀のある典雅な様子でひらけてきて、それから見すてられた。高楼の大きな列が見えてきた。そして運河が方向を転じると、リアルトオ橋のみごとに張りわたされた大理石のアアチがあらわれた。旅人はじっとながめた。そしてかれの胸はさけていた。この都市のふんいき――海と湿地との少しくさったようなにおい、かれがあれほどのがれたいと思ったそのにおい――それを今かれは、深い、したわしくせつない息づかいで、吸っているのだ。いかに烈しく自分の心が、これらすべてに愛着をよせているか、それをかれが意識しなかった、考えてみなかった、というのはあり得ることだろうか。けさはなかば心残りだったもの、自分の行為の正しさについてのかすかな疑惑だったもの、それが今は憂愁ゆうしゅうとなり、ほんとうの悲痛となり、いくたびかかれの目に涙を浮かばせたほどのはんもんとなった。そしてそれは自分がとうてい予知し得なかったはんもんなのだ、とかれはみずからに言った。かれがじつにたえがたいと、いや、時にはどうしてもがまんができないと感じたものは、明らかに、自分は二度とヴェニスを見る折はなかろう、これが永久の別れだ、という考えなのであった。なぜと言って、この都がかれをませるということがわかったのは、これで二度目なのだし、かれがこの都をあわてて逃げ出さざるを得なくなったのは、これで二度目なのだから、従って今後かれはむろんこの都を、自分には不可能な、そして禁制の滞留地と見なすほかはなく、かれはこの地にたえることができぬのであり、この地を再びおとずれるなぞは、無意味なことであろう。じっさいかれは、もしいま旅立ってしまえば、二度も肉体的に自分を閉口させた、このなつかしい都に再会することは、はじらいと反抗心がさまたげずにはおくまい、と感じたのである。そうして心的な愛好と身体的な能力とのあいだのこの係争が、この初老の男にとって、突然、いかにも重大な緊要なものに思われ、肉体の敗北がいかにも屈辱的な、どうあってもくいとめるべきものに思われた結果、かれは、きのう別に気を入れて戦いもせずに、その敗北をこらえよう、承認しようと決心したあの軽率なあきらめかたが、われながらのみこめないほどであった。
 かれこれするうち、汽船は停車場に近づいた。そして苦痛と困惑は、混乱にまでたかまってしまった。このなやんでいる男にとって、旅立ちは不可能と思われたし、あともどりも同様不可能と思われた。こうして全く思いみだれながら、かれは停車場へ歩み入った。時間は非常におそかった。もし列車にのるつもりなら、一刻もぐずぐずしてはいられないのである。かれはのるつもりでもあり、またのるつもりでもなかった。しかし時刻は迫る。かれをむちうって進ませる。かれは急いできっぷを買うと、構内のさわがしいなかで、ここに詰めている例のホテル会社の社員を物色した。その人間が現われてきて、大きなトランクはあずけました、と報告した。もうあずけた? ――はあ、たしかに――コモ行として。――コモ行? ……そしてあわただしい言葉のやりとりから、怒気をふくんだ問いと、まごついた答えから、すでにホテル・エキセルシオオルの荷物係りの手にあったその大トランクは、別な人たちのほかの荷物といっしょに、全く方角ちがいへ送りだされた、ということがわかった。
 アッシェンバッハは、こういう事情のもとでただ一つもっともだと思われる顔つきを、懸命にたもとうと努めた。ある冒険的なよろこび、うそのようなおかしさがこみあげてきて、ほとんどけいれんのようにかれの胸をゆすぶった。社員は、できればなおトランクをさしとめようとして、あたふたととんで行ったが、果してむなしく引き返してきた。さてそこでアッシェンバッハは、荷物なしで旅行するのはいやだ、あともどりをして、水浴ホテルで、その品の再到着を待つことにきめた、と言い渡した。会社のモオタアボオトは停車場のそばにとまっているのか。――つい近くにとまっている、と男は確言した。男はイタリア語で雄弁をふるって、出札がかりを説いて、売った乗車券を買いもどさせた。トランクを早く取りもどすために、電報を打つことにする、少しも費用と手数を惜しまぬようにする、とちかった。そして――こういうわけで、この旅行者が、停車場に着いてから二十分の後には、ふたたび大運河の中を、リドへの帰路についているという、奇妙なことが起こったのであった。
 変にうそのような、はずかしいような、こっけいで夢のような冒険だった――つい今しがた、きわめてふかい憂愁のまま、永久に別れを告げたばかりの場所に、運命の手でくるりと向きをかえさせられ、もときたほうへ吹き流されて、同じひとときのうちに再会するというのは。へさきにあわを立てて、こっけいなすばしこさで、多くのゴンドラや汽船のあいだを、側面から風を受けて走りながら、この小さいせっかちなのりものは、矢のようにその目的地へと突進して行った――たったひとりの乗客が、いまいましげなあきらめの仮面の下に、脱走した少年のもつような、不安と自負のこもった興奮をかくしているあいだに。まだ相変らず、時折、この不運についての笑いが、かれの胸を動かしていた。それは――かれが自分に言ったとおり――幸運児をさえこれほど好意的にみまうことはあり得ないような不運なのだ。いろいろ説明をして聞かせねばならず、いろいろな驚いた顔をがまんせねばならぬが――それがすめば――とかれは自分に言った――万事はまたよくなる。それがすめば、一つの不幸が予防され、一つの重大な過誤が訂正されたことになる。そしてかれがうしろにしたと思っていたいっさいが、ふたたびかれの前にひらけ、任意の時間にわたってふたたびかれのものになるのだ。……それにしてもこの速い船脚は、かれの錯覚だろうか。それともほんとうにかてて加えて、風までがやっぱり海のほうから吹きつけているのだろうか。
 波が、島からホテル・エキセルシオオルまで設けられたせまい運河の、コンクリイトの岸壁に打ちよせていた。一台の乗合自動車が、もどってくるかれをそのホテルで待っていた。そしてさざなみの海を下に見る、まっすぐな道をとおって、かれを水浴ホテルまでのせて行った。ゆるいフロックコオトの、小柄な、ひげのある例の支配人が、出迎えのために、外の階段をおりてきた。
 小声でこびるような調子で、かれはこの突発事件をくやみ、それは自分および会社にとってすこぶる心苦しいことだ、と言ったが、しかし荷物をここで待つというアッシェンバッハの決心には、確信を以て賛成した。――もちろん今までの部屋はふさがってしまったが、それでもあれに劣らないのをすぐに用立てる、というのである。「Pas de chance, monsieur(ご運がなかったのですね)」と例のスイス人のエレベエタアがかりが、すべるように昇ってゆくとき、そう言った。こうして逃亡者はふたたび宿を与えられたのである――もとの部屋と、位置も設備もほとんど完全にひとしい部屋に。
 この奇妙な午前中の旋回に疲れてぼんやりしてしまったかれは、てさげかばんの中味を部屋の中にあんばいしたあと、ひらいた窓のわきの安楽いすに腰をおろした。空はまだ灰いろなのに、海は淡緑の色調をおびて、空気は前よりもうすくきよらかに、小屋やボオトのあるなぎさは、前よりも色彩を増したように見えた。アッシェンバッハはそとをながめていた――両手をひざにおいたまま、ここへもどってきたことに満足しながら、自分の移り気に、われとわが願望を知らぬのに、不満を感じて頭をふりながら。そのままかれはおよそ一時間ばかり、休息しながら、そしてぼんやり夢みながらすわっていた。正午ごろ、かれはタッジオを見かけた。赤いネクタイのついた、しまのあるリンネルの服を着て、タッジオは海のほうから、なぎさの往来どめのさくをくぐり、板張りの道にそうて、ホテルへ帰ってくるところだった。アッシェンバッハは、その高い場所から、すぐに、まだほんとうに目をそそがないうちに、それがタッジオだとわかった。そうして「おや、タッジオ、きみもやっぱりまたいたんだねえ。」といったようなことを考えようとした。しかしその同じせつなに、かれはこのさりげないあいさつが、自分の心の真相の前に、力なく倒れて沈黙してしまうのを感じた。――自分の血の感激と、たましいの歓喜と苦痛とを感じた。そして、タッジオのゆえにこそ、あれほど告別がつらく思われたのだ、とさとった。
 かれは全く身動きもせず、全く姿を見られずに、その高い席にすわったまま、自分の心の中をのぞきこんでいた。顔いろは活気づいて、眉はあがり、好奇的な生彩のある、注意ぶかい微笑が、口もとを引きしめていた。やがて頭をあげると、いすのひじかけを越えてだらりとたれている両腕で、ゆっくりとまわすような、あげるような動作をえがいた――てのひらを前に向けながら、両腕をひらいてひろげることを暗示するかのようにである。それは心から進んで歓迎する、おちついて受けいれるしぐさであった。
[#改丁]

第四章


 今では毎日毎日、あの熱い頬をした神が、はだかで、火をふく例の四頭立の馬車をかって、ひろい天空を走っていた。そしてかれのきいろの捲毛は、それと同時におさまりかけた東風の中で、ひらひらとなびいた。ほの白い絹のような光沢が、ゆるくうねる海の沖合にかかっている。砂はしゃくねつしている。銀いろにちらちら光る大気の青みの下には、ばらいろの帆布が浜小屋の前に張り渡されて、その帆布のつくる、くっきりとくまどられた影の班点のうえで、人々は午前のいくときをすごしていた。しかし宵もまたこの上なくこころよかった――遊園の草木が芳香をはき、空の星屑がいつもの輪舞をおどり、そしてやみに包まれた海のつぶやきが、かすかに押しのぼりながら、たましいに語りかける時には。こういう宵は、軽い秩序をもったひまのある、そして好ましい偶然の、おびただしい、ぎっしり並んだ可能性でかざられている、新しい晴朗な一日を、ひそかに喜ばしく保証してくれるのだ。
 じつにぐあいのいい不運によって、この地に引きとめられたあの旅客には、その持物をふたたび手に入れたことに、再度の出発の理由を見いだすなぞ、思いもよらぬことだった。かれは二日のあいだ、多少の不便をしのばねばならなかったし、大食堂での食事に、旅行服のまま出ねばならなかった。やがて、迷っていた荷物がようやくまたかれの部屋におろされたとき、かれは徹底的にそれをほどいて、とだなやひきだしを自分のもので一ぱいにした――さしあたりいつまでと限らずに滞留することにきめ、そしてなぎさでの時間を絹の服ですごし得ることや、ばんさんの時にふたたび然るべき夜の服装で、自分の小卓に姿を見せることに満足して。
 この生活のこころよい均斉な調子は、早くもかれをかなしばりにしてしまったし、こういう暮らしかたのやわらかな輝やかしい静穏は、たちまちかれをうっとりとさせてしまった。これはじっさいなんという滞在地であろう。南国の海辺の洗練された水浴生活の魅力と、珍奇で玄妙なこの都市の親しく迎えてくれるような近さとを、それは結びつけているのだ。アッシェンバッハは享楽を好まなかった。仕事を休んだり、安息に専念したり、のんきな日々をすごしたりせねばならぬ場合にはいつでも、またどこでも、かれはすぐに――そしてことにもっと若い頃にはそうだったが――不安と嫌忌けんきをおぼえて、日常生活のけだかい艱難かんなんへ、神聖で冷静な奉仕へもどりたくてたまらなくなるのだった。ただこの土地だけはかれを魔法にかけ、かれの意欲をゆるめ、かれを幸福にした。よく午前中、自分の小屋の日よけの下で、南国の海の紺青こんじょうをながめてぼんやり夢みながら、あるいはまたなまあたたかい夜、サン・マルコの広場に長い時をすごしたあと、そこから大きな星のかがやく空のもとを、リドまでのってかえるゴンドラの、クッションに身をもたせながら――するとにぎやかな灯火や、セレナアドのとけるような響きが、あとに取り残されて行くのだが――かれは山地にある自分の別荘のことを、雲が低く庭を横ぎって走り、おそろしい雷雨が夜、家の灯を消してしまい、そしてかれのかっているからすどもが松のこずえで舞っている、あの夏の力闘の場所のことを、思い起こすのであった。そういう折、かれははるかに仙境へ、地球の果へきてしまっているように思うことがよくあった。そこは世にもかろやかな生活が人間に授けられていて、雪もなく冬もなく、あらしもなく豪雨もなく、海神がたえまなくやわらかに涼しいいぶきを立ちのぼらせ、そして日々がめぐまれたゆとりのうちに、のどかに平和に、しかも全くただ太陽とその祝典にのみ捧げられつつすぎてゆくところなのである。
 なんどもなんども、ほとんど間断なく、アッシェンバッハは少年タッジオを見た。限られた空間、だれにでも与えられている生活の秩序から、当然、その美しい少年が、短かいまをおいて終日かれの近くにいる、という結果が生じたのである。かれはいたるところで少年を見、少年に出会った。――ホテルの階下の部屋部屋で、町への往復の涼しい船路で、広場そのものの壮麗そうれいなけしきのなかで、そして偶然が力をそえてくれれば、そのあいまになおしばしば、ほうぼうの大路小路で。しかしおもに、そしてきわめてうれしい規則正しさで、なぎさの午前が、あのかわいい姿に帰依きえと研究とをささげる長い機会を、かれに提供してくれた。そうだ。幸福がこんなふうに拘束こうそくされていること、情況の恩恵がこんなふうに毎日きまって再びはじまること、これこそはまさしく、かれにこの滞留をとうとく思わせるものであり、晴朗な一日をいかにもあいそよくさし出しては、次々に並べてゆくものなのであった。
 かれは、ふだん仕事欲が高鳴る時なぞにそうするごとく、朝早くから起きた。そして太陽がまだやわらかく、海が白く輝きながら朝の夢をみているころ、たいていの人よりも先になぎさへ行っていた。往来どめのさくの番人に、かれはやさしくあいさつする。かれのために居場所をととのえ、茶いろの日よけを張り渡し、小屋の家具をそとの壇の上に移してくれる、はだしの白ひげの老人にも、親しげにあいさつする。それから腰をおろすのである。それにつづく三四時間はかれのものだった。太陽が高くのぼって、おそろしいいきおいを占め、海がしだいに紺碧こんぺきをふかめ、そしてかれがタッジオを見ることを許される時なのである。
 かれはタッジオが左手から、波打ぎわに添ってこっちへくるのを見る。うしろのほうから、小屋のあいだから歩み出るのを見る。あるいはまた突然、しかも多少のうれしいおどろきを覚えながら、タッジオのくるのを見のがしていたこと、そしてもうそこにきているのに気がつくこともある。タッジオは、このごろなぎさでいつも必らず着ている、青と白の水着を着たまま、例の通りのいとなみを、日光と砂のなかでふたたびはじめている――あのかわいらしく無意味な、のんきにめまぐるしい生活を。それは遊びであり、また休息であり、逍遙しょうよう徒渉としょう、掘ること、捕えること、ねそべること、泳ぐことであった――壇の上の婦人たちに見張られ、呼びかけられながらである。かの女たちはうら声で、「タッジウ、タッジウ。」とかれの名をひびかせる。するとかれは懸命に身ぶりをしながら、かの女たちのほうへかけてくる――自分の体験したことを話してきかせるために、自分の見つけたもの、つかまえたもの――貝がらだの、たつのおとしごだの、くらげだの、それから横に走るかにだのを見せてやるために。かれの話すことは、たとえどんなに平凡なことでも、一言もアッシェンバッハにはわからなかった。それはかれの耳には、ぼんやりとした諧音であった。そこで耳なれぬということが、少年の語る言葉を音楽にまで高め、一つの奔放な太陽がおしげもなく、少年のうえに輝きをそそぎかけ、そして海のけだかい、奥行のふかいながめが、たえずかれのすがたのはくとなり、背景となっていた。
 ほどなくこの観察者は、かくも高められ、かくもあからさまに表わされているこの肉体の、あらゆる線と姿態に通じ、すでに見おぼえたあらゆる美しさを、さらにまた喜ばしく迎えて、嘆賞とせんさいな官能の楽しみとのきまるところを知らなかった。少年は、婦人たちが小屋のそばでかしずいている一人の訪客にあいさつするようにと、呼びよせられる。かれはかけてくる。うしおのせいであろう、ぬれたままでかけてくる。かれは捲毛の頭をゆする。そして片脚で身を支えて、片方の足をつまだてながら、手をさしのべると同時に、かれはからだをかわいらしくまわしたりよじったりする――優雅な弾力を見せて、愛嬌からくるはじらいをこめて、貴族的な義務からくる媚態びたいをおびて。かれはタオルを胸にまきつけ、せんさいな彫刻のような腕を砂について、あごをてのひらにうずめたまま、ながながと横になっている。「ヤアシュウ」と呼ばれる男が、かれのそばにしゃがんで、かれのきげんをとっているのだが、このすばらしい少年が、格の低い、奉仕するこの男を見あげる時の、目とくちびるの微笑ほど、こわく的なものはあり得なかった。少年は波打ちぎわに立っている――ひとりで、家族の者たちから離れて、アッシェンバッハのすぐ近くに、胸を張って、両手をうなじのところで組み合わせて、足をつまだてたなりゆっくりとからだをゆすりながら。そしてうっとりと紺碧こんぺきのいろを見つめている。同時に、打ちよせる小さな波がかれの足の指をひたしているのである。蜜いろの髪は、捲きながらこめかみとうなじにまつわりつき、日光はくびに近いせきついのうぶ毛を光らせ、ろっこつのほそいりんかくと胸の均整とは、胴体がきっちりと引きしまっているためにきわだって見え、わきの下はまだ塑像そぞうと同じようにすべすべしているし、ひかがみはきらきらと光って、そのうす青い脈管は、かれのからだを、なんだか普通よりも清澄な物質でできているように見せた。なんという規律、なんという思想の精密さが、このまっすぐに伸びた、若々しく完全な肉体のなかに、表現されていることか。とはいえ、暗黙のうちにはたらきながら、この神々しい彫刻を生み出すことのできた、あの厳格で純粋な意志――それは芸術家たるアッシェンバッハにとって、既知の、なじみふかいものではないのか。自分が頭の中で見た、そして精神的な美の立像とかがみとして人々に表示した、あのなよやかな形態を、かれが冷徹な情熱にあふれながら、言語という大理石塊から解き放つとき、その意志は常にかれのうちにもはたらいてはいないのか。
 立像と鏡! かれの目は、そこの蒼海そうかいのへりに立つ姿を抱いた。そしてもりあがる狂喜を覚えながら、かれはこの一べつで、美そのものを、神の思想としての形態を、かの唯一の純粋なかんぺきを会得えとくするように思った。それは精神の中に生きているかんぺきであり、それの人間的な模写と似姿が、ここに軽くやさしく、礼拝のために打ち建てられているのである。それは陶酔とうすいであった。そしてためらわずに、いや、むさぼるように、この初老の芸術家はこれをよろこび迎えた。かれの精神は陣痛の苦しみを味わった。かれの教養はわき立ちはじめた。かれの記憶は、かれの青春にのこされた、そしてこれまで一度もかれ自身の火で生気を与えられたことのない、古い古い思想をほりひらいた。太陽はわれわれの注意を、理知的な事物から官能的な事物へ向ける、と書かれてはいないのか。太陽が知性と記憶をはなはだしく混迷させ魅惑してしまう結果、たましいは愉悦ゆえつのあまり自分の本来の状態を忘れつくして、唖然あぜんとして嘆賞しながら、日に照らされた物体のうちの最も美しいものに、すがりついて離れない――それどころか、そうなると肉体の助けを借りなければ、たましいはもっとけだかい観照にまで高まることはできない、と言ってあるのだ。たしかにアモオルの神は、低能な子供たちに、純粋な形態の具象的な像を見せてやる数学者と張り合う。つまり同じようにこの神も、われわれに精神的なものを見せるために、このんで若い人間の姿と色を用いて、それを美のあらゆる反映でかざっては、追憶の道具とするのだ。そしてそれを見るとき、われわれはたしかに苦痛と希望にもえ立つのだ。
 熱中した男はそう考えた。かれはそう感じることができたのである。そしてしおざいと烈日の中から、かれにとって一つの魅惑的な光景がつむぎ出された。それはアテネの外郭に近い、すずかけの老木であった――森厳でかげのふかいあの個所、にんじんぼくの花のかおりにみたされたあの個所であった。そこは水精ニンフたちやアヘロオス河の徳をたたえるために、奉納像や敬虔けいけんなささげ物でかざられている。小川がこの上もなく清らかに、枝を張ったあの樹の根もとの、なめらかな小石のうえを流れてゆく。こおろぎがすだいている。ところで、なだらかに傾斜した芝生の上に――それは横たわったまま頭を立てていることができるほどの傾斜である――ふたりの人間が、真昼の炎熱をここにさけながら、ねそべっている。初老の男と若い男、みにくい男と美しい男であり、あの哲人があのやさおとこと並んでいるのである。そうしてうれしがらせを言ったり、巧妙に愛を求めるような冗談じょうだんを言ったりしながら、ソクラテスはファイドロスに、あこがれと美徳について教えていた。感ずる者が、永遠の美の似姿を目にするときに受ける、あのはげしい驚愕きょうがくのことを、かれは語りきかせた。美の模像を見て美を考えることのできぬ、そして畏怖をいだくことのできぬ、あの不浄にして邪悪なる者の、さまざまな欲情のことを語りきかせた。高貴なる者が、一つの神にひとしい顔、完全な肉体の出現に会っておそわれる、あの神聖な恐怖のことを語りきかせた。――そのときかれがどんなに烈しくおののいて、度を失って、ほとんど見やる勇気がないか、そして美をもつ者を崇敬するか、いや、もし人々におろかしいと思われる心配がいらないとしたら、一つの彫像にささげるごとく、その美しい者に供物くもつをささげるだろう、と話したのである。なぜなら美というものは、わたしのファイドロスよ、ただ一つ愛に値すると同時に、目に見えるものなのだ。よくおぼえておくがいい。美とは、われわれが感覚的に受けとり得る、感覚的にたえ得る、精神的なものの唯一の形態なのだ。それとも、もしそのほかの神的なもの、理性と徳性と真理が、われわれに感覚的に姿を見せようとしたら、われわれはどうなるだろう。むかしゼメエレがツォイスを見てそうなったように、われわれは愛情のために消え失せ、もえつくしてしまわないだろうか。だから美は、感じる者が精神へゆく道なのだ。――ただ道にすぎない。ほんの手段なのだよ、小さいファイドロス。……それからかれは、このこうかつな求愛者は、最も微妙なことをのべた。つまり、愛する者は愛せられる者よりも一層神に近い、なぜなら前者のなかには神があるが、後者のなかにはないからだ――という、かつて考えられたうちでおそらく最もせんさいな、最も冷笑的な思想、愛慕のもつあらゆるずるさと最もひそかな歓楽との源泉となっている、あの思想をのべたのである。
 作家の幸福は、感情になりきり得る思想であり、思想になりきり得る感情である。そういう脈打つような思想、そういう精密な感情が、当時この孤独な男に所属し服従していた。すなわち、自然は精神がうやうやしく美のまえに頭をさげるとき、うっとりとしておののく、という思想、感情なのである。かれは突然書きたくなった。なるほど、エロスの神は遊惰ゆうだをこのみ、そして遊惰のためにのみ造られている、と言われる。しかし危機のこの点では、このおそわれた男の興奮は、生産にむかっていた。動機なぞはほとんどどうでもよかったのである。文化と趣味の或る大きな焦眉しょうびの問題について、所信を明かにしながら語ってくれぬかという問合せが、勧誘が、精神界の人たちに発せられて、この旅先にある男のもとへ到着していた。この題目はかれの熟知のものだった。かれには体験となっていたのである。それを自分の言葉の光りで輝かせたいという熱望が、突然不可抗になった。しかもかれの欲望は、タッジオのいる前で仕事をすること、書くときにこの少年のからだつきを手本にすること、自分の文体を、自分に神々しく思われるこの肉体の線に従わせること、そしてむかしわしがあのトロヤの牧童を大空へのせて行ったごとく、少年の美しさを精神の境へのせて行くことをめざしていたのである。アッシェンバッハは、日よけの下の粗製のテエブルについて、偶像の面前で、その声のかなでる音楽を耳にしながら、タッジオの美にもとづいて小論文を書いたのだが、この危険をふくんだ快美ないくとき以上に、かれは言葉の喜びを甘く感じたことはなかったし、エロスは言葉のなかにあると自覚したことはなかった。――それは洗練された一ペエジ半の散文で、その清純と高貴と振動するほど緊張した感情とは、近いうちに、多くの人々の嘆賞をひきおこすはずになっていたのである。世間が美しい作品を知っているだけで、その根源を、発生条件を知らぬのは、たしかにいいことだ。なぜなら、芸術家にわいてくる霊感の源泉を知ったら、世間はしばしばまごつかされ、おびやかされるであろうし、従って優秀なもののもつ効果が消されてしまうであろう。奇妙ないくとき! 奇妙に精根しょうこんを疲らせる辛労しんろう! 精神と肉体のふしぎに生産的なまじわり! 原稿をきちんとしまって、なぎさから立ちかけたとき、アッシェンバッハは疲れきったような、いや、ぼうっとしてしまったような気持だった。そしてなんとなく良心が、ある放埓ほうらつののちのように、苦情を言っているような気がした。
 それは次の朝のことだったが、まさにホテルを出かけようとしていたかれは、タッジオがすでに海へ行こうとしながら――しかもひとりきりで――ちょうどなぎさのさくに近づいてゆくのを、外の階段から見かけた。この機会を利用しよう、そして無意識のうちにおびただしい高揚と感動を自分に与えてくれた者と、かろやかな、ほがらかなまじわりを結ぼう、かれに話しかけよう、かれの返事とかれのまなざしを楽しもうという願いが、単純な考えが、当然起こって来て、強く押しせまった。美しい少年はぶらぶら歩いている。追いつくのにわけはない。そこでアッシェンバッハは足を早めた。かれは小屋のうしろの板橋の上で、少年に追いすがった。少年の頭に、肩に、手をのせようとした。そして何かある言葉が、やさしいフランス語の文句がくちびるに浮かんでいた。そのときかれは自分の心臓が、早く歩いたせいもあるのだろうが、ハンマアのように鼓動するのを感じた。こんなに息が切れていては、押し出したような、ふるえ声でしか話せなかろう、と感じた。かれはためらった。気をしずめようと試みた。もうあまりにも長くこの美しい少年のあとをつけていはしないか、と急に心配になり、かれがさとりはしないが、いぶかしさにふり返りはしないか、と気づかい、もう一度身がまえ、力がぬけ、あきらめ、そうしてうつむいたまま通り越してしまった。
 もう間に合わない、とそのせつなにかれは思った。――もう間に合わない! しかし間に合わないのだろうか。かれが取ることを怠ったこの処置、これは十中八九、いい軽快な楽しい結果を、有効な覚醒かくせいを持ちきたらしたであろうに。しかし、この初老の男はその覚醒を欲しなかった、陶酔はかれにとってあまりにもとうといものだった、というのがおそらく事実であろう。芸術家気質の本体と特徴とのなぞを、解く者があろうか。その気質のもとを成している、規律と放漫との深い本能的融合を、会得えとくする者があろうか。なぜといって、有効な覚醒を欲し得ないというのは、放漫なのである。アッシェンバッハは、もはや自己批判をする気持がなくなっている。かれの年齢のもつ趣味と精神状態、自尊心、円熟、そして晩期の単純性というものが、かれに、動機を分析して、自分が自分の意図を良心にもとづいて遂行したか、それともだらしなさと弱さから遂行したか、それを決定する気を起させないのである。かれはまごついた。だれかある人が、たとえたかが浜の番人にもせよ、自分の走ったのを、自分の失敗したのを見ていたかもしれぬ、と怖れ、そのはじさらしを大いに怖れた。が、それはそれとして、かれは自分のこっけいで神聖な恐怖について、心中ひそかに冗談を言った。「度を失っているな。」とかれは考えたのである。「けんかの途中で、おびえてつばさをたれてしまうおんどりのように、度を失っているな。愛すべき者を見るとき、これほどわれわれの勇気をくじき、われわれの毅然きぜんたる心を、これほど完全に押しつぶしてしまうのは、たしかにあの神なのだ……」かれはたわむれた。空想にふけった。そしてひとつの感情を怖れるには、あまりにも自負心がありすぎた。
 すでにかれは、自分自身に許したひまな時間の経過を、監視しなくなっていた。帰郷の考えは、かれの心にふれさえもしなかった。金は充分とりよせてあった。かれの気づかいはただひとえに、あのポオランド人の家族が旅立つかもしれぬ、ということにかかっていた。それでもかれは内々で――ホテルの理髪師にそれとなくたずねて見て、あの一行はかれ自身の到着したほんの少し前に、ここへ投宿したのだ、と聞き知っていたのである。太陽がかれの顔と手をやき、刺激のつよいしおかぜが、かれを感情へと強めた。そしてこれまでは、眠りや栄養やまたは自然のさずけてくれた、あらゆる新鮮な力を、すぐに一つの作品に消費してしまうのが常であったのに、こんどは、太陽と余暇と海風の供給する、毎日の元気を、おうような不経済なやりかたで、ことごとく陶酔と感覚に使いつくしてしまうのだった。
 かれの眠りは浅かった。こころよく単調な日々が、幸福な動揺にみちた短かい夜で仕切られていた。なるほどかれはいちはやく引きこもった。タッジオがぶたいから消えてしまう九時に、かれにとっては一日は終ったような気がするからである。しかし夜がやっと明けかかるころに、やわらかく心をつらぬくようなおどろきが、かれをよびさます。かれの心臓はかれの冒険を思い起こす。かれはもう寝床の中にいる気がしなくなる。かれは起きなおる。そしてあかつきの寒気をふせぐために軽くからだを包んだまま、あけ放した窓ぎわに腰をおろして、日の出を待つのである。このすばらしい事象は、眠りできよめられたかれのたましいを、敬虔けいけんな気持でいっぱいにする。まだ天と地と海は、不気味にガラスめいた薄明の蒼白そうはくさのなかに横たわっている。消えかけの星が一つ、ぼうばくたるなかにまだ浮かんでいる。しかし微風が吹いてきた。それはあけぼのの女神エエオスが良人のそばから身を起こしたということ、そしてはるかかなたの空と海との幾部分が、今はじめてほのかに赤らみはじめて、天地万物の感覚化を表わしているということの、近づきがたいすみかからきた、じんそくな知らせなのである。あの女神は近づく。クライトスとケファロスを強奪し、オリンポスのあらゆる神々のねたみに反抗しつつ、美しいオリオンの寵愛ちょうあいをうけている、あの少年ゆうかいを事とする女神である。かなたに、世界の果に、ばらの花がまかれはじめた。言いようもなく優美な光輝と開花である。あどけない雲が、きよめられ、光をにじませながら、奉仕する愛の童神たちのように、ばらいろの、うす青いもやのなかに浮動している。深紅しんくが海の上へおちる。海はわき立ちながら、それを前へ前へと流し進めてゆくように見える。黄金のやりが下から空の高みまでさっと走る。かがやきは火となる。音も立てず、神々しい絶大な力で、白熱と烈火と炎々えんえんたるほのおとが、もくもくと立ちのぼってくる。そしてひずめを[#「ひずめを」はママ]かいこみながら、女神の兄弟の御する神聖な駿馬しゅんめが、高く地をこえて昇ってくる。この神の壮麗な光りで照らされたまま、ひとりめざめた男はすわっていた。かれは目をとじた。そして栄光をまぶたにせっぷんさせた。昔のさまざまな感情――かれの生活への厳格な奉仕のうちに死滅して、今いかにも奇妙に形を変えてもどってきた、かれの心の早期の貴重ななやみ――それをかれは、うろたえた、いぶかしげな微笑を浮かべながら認知したのである。かれは沈思した。夢想した。かれのくちびるは徐々に一つの名前を形成して行った。そして相変らず微笑しながら、顔をあおむけて、両手をひざにおいたなり、かれはその安楽いすでもう一度寝入ってしまった。
 しかしかくも火のようなはれがましさではじまったこの日は、総じてふしぎにたかめられ、神秘的に変形されていた。突然、けだかいささやきにも似て、いかにもやわらかくまた意味ふかく、こめかみや耳のあたりにまつわるこのいぶきは、どこからきて、どこに源をもっているのであろう。白い羽のような小さい雲が、神々にかわれている畜群のように、空いちめんにむらがり浮かんでいた。一段と強い風が立った。そして海神ポザイドンの馬どもが、はねあがりながら走ってきた。それからこの青い捲毛の神に属している雄牛どももやってきた――ほえたけってはやがけしながら、つのをさげたままで。さらに遠いなぎさの岩石のあいだでは、しかし波がはねおどるやぎになって、とびまわっていた。あわただしい生活にみちた、神々しくゆがめられた世界が、このうっとりとした男をとりかこみ、そしてかれの心はやさしい寓話を夢みていたのである。ヴェニスのむこうに日が落ちるとき、かれは幾度か、タッジオの様子を見守るために、遊園のベンチに腰かけていた。タッジオは白い服にはでな色のバンドをしめて、砂利のしいてある平坦な広場で、まりあそびに興じている。そしてかれはまさにヒアキントスを見るような気がした。そしてヒアキントスこそは、ふたりの神々に愛されたがゆえに、死なねばならなかったのだ。全くアッシェンバッハは、ツェフィイルがそのこいがたきに対していだいたねたみを感じた。たえず美しいヒアキントスと遊ぶために、神託をも弓をもキタラをも忘れてしまったこいがたきである。アッシェンバッハは、投げられた円盤が、残忍なねたみにあやつられて、そのかわいらしい頭にあたるのを見た。かれは――青ざめながらかれもまた――くずおれるその肉体を受けとめた。そうしてその甘美な血から咲き出た花は、かれの限りない悲嘆のめいを帯びていた……
 たがいにただ見知り越しというだけで――毎日、いや、毎時間、たがいに出会ってながめ合いながら、そのくせあいさつもせず言葉もかけずに、冷淡なよそよそしさの外観を維持するべく、儀礼の強制か自己の気まぐれかによって、余儀なくされている人間――そういう人間同士の関係ほど、奇妙なやっかいなものはない。かれらのあいだには、動揺といらだたしい好奇心があり、みたされぬ、不自然に抑圧された認識欲と交換欲とのヒステリイがあり、そして特にまた、一種の緊張した尊敬がある。なぜなら人間は、人間を批判し得ないうちは、かれを愛しかつうやまうものであるし、あこがれというものは、不足した認識の所産だからである。
 アッシェンバッハとおさないタッジオとのあいだには、なんらかの関係となじみが、どうしても作り出されずにはいなかった。そしてしみとおるような喜びとともに、年上の男は、関心と注意がまるでむくいられぬままではないのを、たしかに認めることができた。たとえば、この美しい少年は何に動かされて、朝、なぎさに現われるとき、もう小屋のうしろの板橋を渡らずに、いつもただ前方の道をとおって――砂地を横ぎって、アッシェンバッハの居場所のそばをすぎて、しかも時には不必要にすぐ近くをすぎて、かれのテエブル、かれのいすとほとんどすれすれになるくらいにして、自分の一家のいる小屋まで、ぶらぶら行くようになったのだろう。ある優越した感情の牽引けんいん眩惑げんわくが、その感情のせんさいな無思慮な対象へむかって、それほど働きかけるのだろうか。アッシェンバッハは毎日、タッジオの登場を待ちかまえていた。そしてその登場が実現するとき、かれは時折、仕事に気をとられているようなふりをする。そして美しい少年を、表面上は気にもとめずに、やりすごしてしまう。時にはしかし目をあげることもある。するとふたりの視線がぶつかる。そういうとき、かれらはふたりともきわめて厳粛である。年上の男の、教養のあるいかめしい顔いろには、何一つ内心の感動をもらしているものはない。しかしタッジオの目のなかには、一つの探求が、一つの考えぶかい質問があった。かれの歩みはためらいはじめる。かれは目をふせる。ふたたびかわいらしく目をあげる。そして通りすぎたあとでは、いつも、かれの姿勢のなかのあるものが、自分はただ教育にさまたげられてふり返らないだけだ、と言い表わしているように見えるのである。
 ところが一度、ある夕方、その経過が変った。ポオランド人のきょうだいたちは、女家庭教師ともども、大食堂での主要な食事のときに出てこなかった――アッシェンバッハは、不安な気持でそれに気づいた。かれは食事がすむと、かれらのゆくえをひどく気にしながら、夜の社交服とむぎわら帽子のままで、ホテルの前のテラスの下をさまよっていた。すると突然、あの尼僧めいた姉妹と女家庭教師、そしてその四歩あとからタッジオが、アアク灯のかげに浮かび出てくるのをかれは見た。たしかにかれらは、何かの理由から市中で食事をすませたのち、棧橋さんばしのところから歩いてきたものだった。水の上はきっとつめたかったのであろう。タッジオは金ボタンのついた濃紺の短かい水夫式外套がいとうを着て、頭にはそれとそろいのふちなし帽をかぶっていた。太陽もしおかぜもかれをやかなかった。かれのはだは最初のころのとおり、大理石のような黄味を失わなかった。とはいえきょうは、冷気のせいか、それとも青く見せる月に似た灯火の光のせいか、常より血色が悪いように見えた。つりあいのとれた眉はいっそうくっきりときわだち、目はふかい黒味をたたえている。かれは口でのべ得る以上に美しかった。そしてアッシェンバッハは、すでに度々感じたように、言葉というものは、感覚的な美をほめたたえることができるだけで、それを再現する力はない、と苦しい気持で感じたのであった。
 かれはこのとうとい姿を予期していなかった。それは思いがけなく現われた。かれは自分の顔いろをおちつけて、平静と威厳をもたせるだけの余裕がなかったのである。かれの視線がしたわしい者の視線とぶつかったとき、かれの顔いろには、喜悦と意外と嘆賞とがあきらかにえがかれていたであろう。――そしてこのせつなに、タッジオが微笑するという事件が起こったのである。語るように、うちとけて、愛嬌あいきょうをこめて、そしてあからさまに、タッジオはかれにむかってほほえみかけた――微笑しはじめてからやっとしだいにくちびるをほころばせて。それは水かがみの上に身をかがめているナルチッスの微笑だった。おのれ自身の美の反映にむかって両腕をのばしながら浮かべる、あの深い、うっとりとした、吸いよせられたような微笑だった。――ほんの少しゆがめられた微笑、自分の影のかわいいくちびるにせっぷんしようという、そのくわだてのむなしさにゆがめられた、なまめかしい、物めずらしげな、そしてかすかに苦痛をおびた、眩惑げんわくされていながら眩惑する微笑なのであった。
 この微笑を受けとったその男は、何か宿命的なおくり物のようにそれをいだいて、急いでそこを立ち去った。かれはテラスと前庭の灯をさけずにはいられなかったほど、そしてあわてた足どりで、うしろの遊園のやみを求めたほど、それほどひどく心をゆすぶられたのである。奇妙にふんげきした、しかも愛情のこもった訓戒が、かれの胸から押し出された。――「きみはそんなふうに微笑してはいけない。いいかね、だれにだって、そんなふうに微笑して見せるものではないのだよ。」かれはベンチに身を投げかけた。無我夢中で、植物の夜はくにおいを呼吸した。そうしてうしろへもたれて、両腕をだらりとたらして、圧倒されて、たびたび全身をおののかせながら、かれは愛慕あいぼのきまり文句をささやいた――この場合にはとんでもない、ばかげた、背徳の、あわれむべき、それでいて神聖な、この場合にもなお尊厳な文句を。――「わたしはおまえを愛している。」
[#改丁]

第五章


 リドに滞留してから四週間目に、グスタアフ・フォン・アッシェンバッハは、外界についていくつかうすきみのわるいことを知覚した。第一にかれには、季節が進むにつれて、このホテルの客の出入が、ふえるよりもむしろへってゆくように思われた。そしてことに、ドイツ語がかれのまわりでれて、音をひそめてゆくように思われた。その結果、食卓でもなぎさでも、しまいにはただもう外国のおんだけが、かれの耳を打つようになった。やがてある日かれは、ちかごろよくたずねてゆく理髪師のところで、話のあいだに、おやと思うような一語をききとった。その男はほんのしばらく滞在したあとで旅立って行ったばかりの、あるドイツ人の一家のことを話していたのだが、そのあと雑談的なおもねるような調子で、こうつけ加えたのである。――「だんなはこのままご滞在ですね。あの病気はちっとも気になさらないんですね。」アッシェンバッハはかれをみつめた。「病気?」とかれはおうむがえしに言った。饒舌家じょうぜつかは黙った。仕事に気をとられているふりをした。その問いを聞き流してしまったのである。そうしてその問いが一段とせまるようにかけられたとき、かれは自分はなんにも知らぬ、と宣言して、まが悪そうに能弁をふるいながら、話をそらそうとした。
 それは正午ごろのことだった。午後、アッシェンバッハは、無風と息苦しい烈日のなかを、ヴェニスへ渡った。なぜなら、あのポオランド人のきょうだいが例の女家庭教師といっしょに、さんばしへゆく道を取ったのを見たかれは、そのあとを追おうという偏執へんしゅうにかり立てられたのである。かれはその偶像を、サン・マルコには見いださなかった。しかしこの広場の日かげのがわにある、小さな鉄の丸テエブルに席を占めて、茶を飲んでいるとき、かれは突然空気のなかに、一種異様な芳香をかぎつけた。するとそれが、すでに数日前から、意識の中へは突き入らぬながら、感覚にはふれていたかのような気がした。――それは悲惨と創傷とあやしげな清潔とを思い起こさせる、甘ったるい、薬品めいたにおいだった。かれはそれを吟味して、考え考えその正体をつかんで、軽い食事をすませると、寺院の反対側から、その広場を去った。狭いところへくると、においは濃くなった。街のかどかどに、印刷された掲示がはってある。それは住民たちに対して、こういう時候には胃の系統のある病気がよくはやるから、かきや貝類を食べぬよう、そして運河の水も飲まぬようにと、市の官憲が警告しているものなのであった。この布告のごまかしめいた性質はあきらかだった。人々は群をなして、無言で橋や広場の上によりあつまっていた。そして旅の男は、さぐりながら、考えこみながら、その群にまじって立っていた。
 さんごの首飾りと模造の紫水晶の装身具とのあいだにはさまって、自分の売店の戸口によりかかっていたひとりの店主に、かれはこの不吉なにおいの説明を求めた。男はだるそうな目でかれをじろじろ見ていたが、あわてて気を引き立てた。「一種の予防手段ですよ、だんな。」とかれは手まねをしながら答えた。「警察のやることですから、文句を言うわけには行きません。このとおり天気はおもくるしいし、熱風シロッコというやつはからだによくありませんからな。つまり、おわかりでしょう――ちょっとまあ大げさな用心というところで……」アッシェンバッハはかれに礼を言って、そこを去った。リドまでかれをつれもどした汽船の上でも、かれはそうなると、さっきんざいのにおいを感じるのであった。
 ホテルに帰ってくると、すぐロビイの新聞台のところへ行って、かれはいろんな新聞をしらべてみた。外国語のにはなんにも出ていなかった。故郷のはさまざまな風評をのせ、不安定な数字を引用し、官辺からの否認をのべ、そしてその否認の真実性を疑っていた。これでドイツとオオストリアの連中の引き揚げたことは、説明がついた。ほかの国籍をもつ人たちは、たしかになんにも知らず、なんにも予覚せず、まだ不安を感じていないのである。「黙っているべきだ。」とアッシェンバッハは、新聞をテエブルの上へ投げ返しながら、昂奮した気持で考えた。「これはひみつにしておくべきだ。」しかし同時にかれの心は、外界のいまおちいろうとしている危険についての満足感でみたされていた。なぜなら、犯罪にとってと同じく、情熱にとっては、日常生活の確保された秩序と安寧あんねいは意にかなわぬものであって、市民的な組織が少しでもゆるんだり、世の中が少しでも混乱したり災難にあったりするのは、喜ばしいことにちがいないのである。情熱はそんな場合、自分の利益を見つけることを、漠然ばくぜんと望み得るからである。そういうわけでアッシェンバッハは、ヴェニスの不潔な裏町での、官憲に伏せられている事件について、ぼんやりした満足をおぼえた。――この都市のこのやっかいなひみつ――これはかれ自身の最も固有なひみつととけ合っているし、これを守ることは、かれにとってもまた大いに肝要だったのである。何しろこの恋におぼれた男は、タッジオが旅立つかもしれぬということだけしか心配していなかった。そしてもしそうなったら、自分はもう生きてゆくすべを知らぬだろう、とさとって、かなり愕然がくぜんとしてしまったのである。
 かれは近ごろでは、あの美しい者の近くにいてその姿をながめることを、日々のきまりと好運とに負うているというだけでは、満足しなかった。かれは少年のあとを追い、少年をつけまわした。たとえば日曜には、あのポオランド人たちは、決してなぎさに現われなかった。かれはかれらがサン・マルコ寺院のミサに列席するものと推測して、急いでそこへ出かけた。そして広場の灼熱から、聖域の金の薄明へと歩み入りながら、かれはあのしたわしい者が、礼拝の途中で祈祷机の上に身をかがめているのを見いだした。やがてアッシェンバッハは、うしろのほうの、ひびの入ったモザイクのゆかの上に、つぶやいたりひざまずいたり十字を切ったりしている群衆のまんなかに立っていた。するとこの東洋ふうの寺院の簡潔な華麗さが、ずっしりとかれの五官の上にのしかかってきた。前のほうでは、おもたく着飾った僧侶が、ゆっくり歩いたり、立ちはたらいたり、歌を歌ったりしていた。香煙がもくもくと立ちのぼって、祭壇のろうそくの弱々しい小さなほのおを、もうろうと押しつつんだ。そしてむっと甘い供物くもつのにおいのなかに、もう一つ別のにおいがかすかにまじっているらしかった――この病んだ都会のにおいが。しかしうすい煙と閃光せんこうをぬって、アッシェンバッハには、あの美しい少年がむこうの前のほうで、首をふりむけ、かれをさがし、かれを認めたのが見えた。
 やがて群衆が開かれた玄関から、はとのむれている明るい広場へ流れ出すと、この目のくらんだ男は、車よせのところにかくれる。かれは身をひそめる。待ちぶせるのである。かれはあのポオランド人たちが寺院を立ち去るのを見る。きょうだいたちが儀式ばった調子で母親に別れを告げ、そして母親が宿へ帰るべく小さい広場のほうへ足を向けるのを見る。かれは美しい少年と修道院ふうのきょうだいたちと女家庭教師とが、右へ折れて、時計台の下の門をくぐって、小間物店のほうへ道をとるのをたしかめ、そしてかれらをいくらかやりすごしてから、そのあとについてゆく。かれらがヴェニス中を散歩するあとに、こっそりとついてゆくのである。かれらが足をとめるたびに、かれは立ちどまらねばならなかった。あともどりしてくるのをやりすごすためには、小料理屋や中庭へ逃げこまねばならなかった。かれらを見失って、のぼせて、へとへとになりながら、橋を渡ったり、汚ないふくろ小路へはいりこんだりしてさがし求めては、かれらがいきなり、さけようのないせまい有蓋街路アアケエドでむこうからきかかるのを見ると、死ぬような苦悩の数分間をたえしのんだ。それでも、かれがなやんだ、とはいうことができない。頭と心はよっていたし、歩みは、人間の理性と品位を足下にふみにじるのをこころよしとする、あの魔神のさしずに従っていたのである。
 タッジオとその一行は、さてそれからどこかしらで、ゴンドラをやとう。するとかれらがのりこむあいだ、建物の突き出たところなり、井戸のかげなりにかくれていたアッシェンバッハは、かれらが岸をはなれたすぐあとで、かれらと同じことをする。かれが船頭に、酒手をどっさりやるという約束のもとに、今ちょうどあのかどを曲ったゴンドラのあとを、目だたぬように少しはなれてついてゆけ、と命ずるとき、かれはせかせかと、おさえたような調子で話す。そしてその男が、ぜげんのような悪がしこいまめまめしさを示しながら、かれのために用をつとめる――忠実に用をつとめることを、かれと同じ口調でうけ合うとき、かれはぞうっとするのである。
 こうしてかれは、やわらかい黒いクッションにもたれたまま、もう一つの、船首の突き出た黒い小舟のあとを、すべりながら、ゆれながら、追って行った。その舟ののこす跡に、情熱がかれをしばりつけているのである。時々小舟はかれの目から消えた。するとかれは憂悶と不安をおぼえる。しかしかれの案内者は、まるでこういう使命には馴れきってでもいるように、かならずたくみな操縦によって――急いでななめに走ったり、近道を取ったりして、望みのものをふたたびかれの眼前に持ってくることを心得ていた。空気はしずかで、においをふくみ、太陽は、空をスレエトいろに染めるもやをつらぬいて、はげしくもえ立った。水はぴたぴたと音を立てながら、木と石にあたった。なかば警告を、なかばあいさつをあらわす船頭の呼び声に、遠くのほうから、迷路の静けさのなかから、奇妙な合意にしたがって、あいさつがあった、高いところにある庭園のなかから、白や深紅の花のふさが、はたんきょうのかおりをさせながら、くちかけた塀越しにたれさがっている。アラビアふうの窓べりが、もうろうとしたなかにくっきりと浮かんでいる。ある寺院の大理石の踏段が、水のなかまで降りている。こじきがひとり、その上にうずくまって、自分の窮状を断言しながら、帽子を突き出し、まるでめくらのように、白眼を見せている。ひとりの古物商が、自分の汚ない店の前で、卑屈な身ぶりをしながら、通りかかるアッシェンバッハに――かれをだまそうと望みつつ――滞留をすすめる。これがヴェニスである。おせじのうまい、あやしげな美女である。――なかば童話で、なかば旅客をとらえるわなにひとしいこの都なのである。ここのくさったような空気のなかで、芸術はかつてほしいままに繁茂はんもし、音楽家たちはこの都から、かるくゆすってはこびるように寝入らせるひびきを吹きこまれたのだ。われわれの冒険者は、なんとなく自分の目がそういう繁栄を吸い、耳がそういった韻律いんりつに言い寄られているような気持だった。それにかれは、この都が病んでいること、そしてそれを利欲のために秘していることをも思い起こした。そして一段とほしいままに、前をゆれ進むゴンドラのほうをうかがった。
 こんなわけで、このまよった男は、自分をもえ立たせる対象を、間断なく追跡すること、その対象が見えぬときには、それを夢にみること、そして恋する者たちの流儀どおり、その対象の単なる影法師にやさしい言葉をかけること――それ以外にはもうなんにも知らず、なんにも願わなかった。孤独と異境と、晩期の深い陶酔の幸福とに勇気づけられ、説得されて、かれはどんな風変りなことをも、はばかるところもなく、顔を赤らめることもなしに、みずからに許した。そこでこんなことも起ったわけである。――つまり、かれは夜ふけにヴェニスからもどってきて、ホテルの二階で、あの美しい少年の部屋の戸口に足をとめると、全くよいごこちになって、ひたいを戸のちょうつがいのところにおしあてたなり、長いことそこからはなれることができなかったのだ――こんなきちがいじみたかっこうのまま見つかってつかまえられる、という危険をおかしながら。
 とはいえ、休止と、ある程度の反省との瞬間がないわけではなかった。なんという道にいることか、とかれはそういう折、あきれて考える。――なんという道に。自然の功績によって、自分の血統に対するある貴族的な関心を抱かせられる人は、だれでもそうだが、かれはいつも、自分の生活の業績や成功にさいして、祖先のことを思い、かれらの賛同、かれらの満足、かれらの否応なしの尊敬を、頭の中で確保するというくせがあった。今ここでもかれは、かくも許しがたい閲歴のなかにまきこまれながら、感情のかくも異国的なほうらつにひたりながら、かれらのことを思った。かれらの人物の毅然きぜんたるきびしさと端正な男らしさとを思った。そしてゆううつな微笑をうかべた。かれらならなんと言うであろう。しかしいうまでもなく、かれらはかれの生活全体に対して、はたして言うことがあっただろうか――かれらの生活とは種類を異にするほどかけはなれているこの生活、芸術にみいられたこの生活――これについてはかれ自身が昔、祖先と同じ市民的な気持で、いかにも冷笑的な、青年としての認識を発表したことがある――そして要するにかれらの生活にじつによく似ていたこの生活に対して。かれもまた勤務したのである。かれもまた、かれらの多くと同様、やはり兵士であり軍人であったのだ。――なぜなら、芸術とは一つの戦争、骨身をけずるような闘争であって、こんにち、長く続けてこの役をはたす人はないのである。それは克己こっきと、にもかかわらずとの生活であり、厳格な、確乎かっことした、禁欲的な生活であって、かれはこれをせんさいな、時代的な英雄精神の象徴として形成してきたのだが――おそらくかれはこの生活を男性的と名づけ、勇敢と名づけてさしつかえないであろう。そしてほとんどかれは自分をとりこにしているエロスの神が、こういう生活にどうやら特に合っているような、心をよせているような気がした。この神は最も勇敢な民族にさえも、大いに尊信されていなかったか。いや、かれは勇気によってかれらの都市で栄えた、といわれてはいないのか。昔の幾多の勇士たちは、唯々いいとしてかれのかせに服した。なぜならこの神のくだすはずかしめは、一つとして妥当しないからだ。そしてほかの目的のためになされたとしたら、臆病の標識として非難されたでもあろうような行為――平伏とか、誓言とか、切願とか、奴隷じみたふるまいとか、そういったものも、恋する者にとっては、はじとはならず、むしろかれはそのためになお賞讃を博するのである。
 目のくらんでいるアッシェンバッハの考えかたは、そんなふうに規定されていたし、かれはそんなふうにして自分をささえ、自分の品位をたもとうと努めた。しかし同時にかれは、さぐるような強情な注意を、ヴェニスの都心での不潔なできごとに、たえまなくふりむけていた。かれの心の冒険と暗々に合流して、かれの情熱を漠とした無法則な希望ではぐくんでいる、あの外界の冒険に対してである。災厄さいやくの情勢と進展について、新しい確実なことを知ろうと熱中して、かれは市中のコオヒイ店で、故郷の新聞にすみからすみまで目を通した。そういう新聞は数日以来、ホテルのロビイにある新聞台から姿を消していたからである。紙上にはいろんな主張と取消がかわるがわる出ていた。病と死亡の数字が、二十、四十、いや百以上にも及ぶ、とあるかと思うと、そのすぐあとで、えき病のいっさいの出現が、きっぱりと打ち消されていないまでも、すくなくとも全くまれな、外部から持ちこまれた場合だとされていた。イタリア官憲の危険な遊戯に対する、警告的な危惧きぐや抗弁が、ところどころにはさんであった。確実なことはつかめないのである。
 それでもこの孤独な男は、このひみつに参与する特別な権利を自覚していた。そして除外されていながらも、かれは、ひみつを知っている人たちにいじのわるい問いをかけること、そして沈黙を申し合わせているかれらに、しいてあきらかなうそをつかせることに、奇怪な満足をおぼえた。そういうわけで、ある日、大食堂での朝食のとき、かれは支配人に――あのフランスふうのフロックコオトを着た、小柄な、静かなものごしの男に詰問きつもんした。男はあいさつしたり監督したりしながら、食事中の客のあいだを動きまわっていて、アッシェンバッハの小卓のそばにも、二言三言しゃべるために、足をとめたのだった。一体全体どういうわけで、と客はなげやりな、さりげない調子でたずねた。――ほんとにどういうわけで、ヴェニスはしばらく前から消毒されているのだろう。――「それはその、」と足音を立てぬ男は答えた。「警察で講じた対策なのでございまして、このむすような、特別に暑いお天気では、一般の健康状態にいろいろと不利益な故障が起こるかもしれませんので、それを義務どおりに、早いうちにふせぎとめるはずのものなのでございます。」――「警察はほめられていいね。」とアッシェンバッハは応じた。そして気象について二三の言葉を取りかわしたあと、支配人はいとまを告げた。
 まだその同じ日のうちに、夕方、ばんさんのあとで、市中からきた大道歌手の小さな一団が、旅館の前庭で声をきかせるというできごとがあった。かれらは――男ふたりに女ふたりだったが――アアク灯の鉄柱のそばに立って、白く照らし出された顔を、大きいテラスのほうへあおむけていた。テラスでは浴客たちが、コオヒイだのつめたい飲物だのをのみながら、甘んじてこの通俗的な演芸をきいているのであった。ホテルの従業員たち――エレベエタア・ボオイ、給仕、事務員などが、ロビイへ通ずる戸口に、じっときき入りながら姿を見せていた。例のロシア人の一家は、享楽となると熱心でぬけめがなく、演技者たちのいっそう近くにいようとして、とういすを庭へおろさせたうえ、そこに半円をなしてうれしそうにすわっていた。主人たちのうしろには、巻頭巾タアバンのようなずきんをかぶって、かれらの老いたる女奴隷が立っていた。
 マンドリンとギタアとハアモニカと、そしてかぼそくふるえるバイオリンとが、このまずしい名人たちの手でかなでられていた。楽器の演奏に歌曲が入れ代った。つまり、鋭い、かえるのなくような声の、若いほうの女が、甘ったるい裏声のテノオルといっしょになって、欲情的な恋の二重唱を歌ったわけである。しかし本格的な才人として、この同盟の頭領とうりょうとして、あきらかに腕を見せたのは、もうひとりの男だった。これはギタアの持ちぬしで、役どころからいうと一種の喜歌劇のバリトンで、そのくせ声はほとんど立たないのだが、しかし身ぶりはうまいし、いちじるしい喜劇的な活気をもっていた。かれはなんども、大きな楽器をかかえたまま、ほかの連中のかたまりからはなれて、なにかの役を演じてみせながら、階段の近くまで進み出てくる。すると人々はかれのおどけたしぐさを、励ますような笑声でねぎらった。とりわけ、例の平間にいるロシア人たちは、かくもゆたかな南国ふうの軽快さを見て、夢中で喜んでいる様子だった。そしてかっさいや呼びかけでかれを勇気づけて、いよいよ大胆に、いよいよ自信を以て、率直なふるまいをするように仕向けた。
 アッシェンバッハはらんかんのわきにすわって、前にあるコップのなかで、ルビイのように赤くきらめいている、ざくろの汁とソオダとをまぜたもので、時折くちびるを冷やしていた。かれの神経は低級な音や、卑俗な、やるせなさそうな韻律いんりつを、むさぼるように受け容れた。なぜといって、情熱というものは、ぜいたくな感覚をなえさせるし、冷静な気持だったら、おどけたきもちで受け容れるか、憤然としてしりぞけるだろうような刺激に、大まじめでかかり合うからである。かれの顔つきは、道化師のちょうやくのために、こわばったような、すでに痛みを感じさせるような微笑にまで、ねじまげられていた。かれはだらけた様子ですわっていたが、その一方、かれの内心は極度の注意で緊張していた。かれから六歩はなれて、タッジオが石のらんかんにもたれていたからである。
 タッジオは、主要な食事の時に折々着る、白い、バンドのついた着物で、さけがたい天成のしなやかさを見せながら、左の前膊ぜんぱくを胸壁にのせ、足を交差させたまま、ささえになっている腰へ右手をあてて立っていた。そしてほとんど微笑ではなくて、かすかな好奇心、儀礼的な受容にすぎぬくらいの表情をうかべながら、大道歌手たちのほうを見おろしていた。折々かれは背をまっすぐにのばして、胸を張ると同時に、両腕を美しく動かしながら、白い上衣を皮帯ごしに、下へ引っぱった。時にはしかしまた――そして初老の男は、勝利と理性のよろめきと、なおまたおどろきとをおぼえながら、それに気づいたのだが――ためらいがちに、用心ぶかく、あるいはまた、不意をおそわねばならぬかのように、すばやくだしぬけに、頭を左の肩越しにかれの求愛者の席のほうへ向けることもあった。かれはアッシェンバッハの目に出会わなかった。このまごついた男は、不面目な心配にいられて、自分の視線をびくびくしたきもちで制御せざるを得なかったからである。テラスの奥のほうには、タッジオをまもる婦人たちがすわっていたのだが、恋におぼれた男は、注目をひいて疑いをかけられたかもしれぬ、と心配せずにいられないまでになっていた。じっさい、かれはなんとなく心がこわばるのをおぼえながら、幾度も、なぎさで、ホテルのロビイで、それからサン・マルコの広場で、みんながタッジオを自分の近くから呼びもどすのを、自分から遠ざけておこうと努めているのを、認めさせられたことがある――そしてそのことから、かれはある恐るべき侮辱ぶじょくを見て取らずにはいられなかった。その侮辱を受けて、かれの自尊心はかつて知らぬ苦悩にのたうちながらも、その侮辱をしりぞけることは、かれの良心が許さなかったのである。
 そのあいだに例のギタアひきは、自分で伴奏しながら独唱をはじめた。数節からなる、ちょうど今イタリア全土に流行しつつある俗謡で、折り返しのところでは、かならずかれの一座が歌と楽器全部で加わったし、かれは例の彫塑ちょうそ的戯曲的なやり方で、それを歌ってきかせることを心得ていた。貧弱な体格で、顔もやせこけて精気がなく、仲間からかけはなれて、ぼろぼろのフェルト帽をあみだにかぶったまま――だからその赤い髪がひとふさ、つばの下からはみ出している――ずうずうしい豪胆さの見える姿勢で、かれは砂利の上に立っていた。そして絃をかきならしながら、押しせまるような叙唱じょしょうで、諧謔かいぎゃくをテラスへむかって投げあげる。と同時に、かれのひたいの静脈じょうみゃくは、力演のためにふくれあがっているのだった。かれはヴェニス種ではなく、むしろナポリの喜劇役者の種族から出ているらしかった――なかば賤業婦の情夫で、なかば道化師で、残忍でむこう見ずで、危険でおもしろい人間らしかった。文言もんごんからいえば愚劣一方のかれの歌が、かれの口にかかると、その手ぶり身ぶりや、からだのこなしや、意味ありげにまたたいたり、舌を口のすみでいやらしく動かしたりするしぐさによって、どことなくみだらな、なんともつかずいかがわしいおもむきをおびた。どうやら都会ふうの服に合わせて着ている、運動シャツのやわらかいえりから、目立って大きくむきだしに見えるのどぼとけのついた、やせたあごが突き出ている。蒼白な、鼻の低い顔――ひげのないそのおもざしから、年齢を推量するのはむずかしかった――その顔は、渋面じゅうめんと悪徳でくまなくすき返されたように見え、赤茶けた眉と眉とのあいだに、強情ごうじょうな、おうへいな、ほとんど乱暴な表情できざまれているふたすじの深いしわは、よく動く口が歯をむき出すのと、奇妙に釣合いがとれているようだった。しかし孤独な男の深い注意を、ほんとうにかれへむけさせたものは、このあやしげな人物も、かれ独特のあやしげなふいんきを身につけているらしい、という認知であった。つまり、例の折り返しがふたたびはじまるたびに、この歌手はおどけて見せたり、あいさつの握手をしたりしながら、怪奇な巡回行進をくわだてて、その途中、アッシェンバッハの席のすぐ下を通りすぎたのだが、通りすぎる度ごとに、かれの衣裳とかれのからだから発する、つよい石炭酸のにおいが、むうっとテラスのところまで吹きつけてきたのである。
 ざれうたを終ると、かれは金を集めはじめた。ロシア人たちのところから取りかかったが、かれらの進んで喜捨きしゃするのが、みんなに見えた。それからかれは階段をのぼってきた。演技のときにずうずうしくふるまっただけ、それだけこんどこの高いところにくると、かれはうやうやしい様子を見せた。背中をまるめたり、すり足をしたりしておじぎしながら、テエブルのあいだをぬき足で歩きまわったのである。そして腹黒い屈従の微笑が、かれの大きな歯をむき出させると同時に、やはり相変らずあの深いしわが二本、赤い眉のあいだにものすごく出ていた。みんなはこの異様な、自分の生計の資をもらい集めている人物を、ものめずらしい、そしていくらか不愉快な気持で、じろじろながめた。みんな指先で貨幣をつまんで、かれのフェルト帽に投げこみながら、その帽子にさわらないように用心していた。道化役者と端正な人たちとのあいだの、有形的な距離がとりのぞかれると、たとえ楽しみはいくら大きかろうとも、常に一種の当惑が生じてくる。道化役者はそれを感じた。そして卑屈なものごしでいいわけを立てようとしていた。かれはアッシェンバッハのところへきた。するとかれといっしょに、あたりではだれひとり気にしていないらしい、あのにおいがやってきた。
「おい。」と孤独の男は、声を低めて、ほとんど機械的に言った。「ヴェニスは消毒されているな。なぜだ。」――ひょうきん者はかすれた声で答えた。「警察の命令でさあ。こう暑かったり、熱風シロッコが吹いたりする時にゃ、これが規則なんですよ、だんな。熱風シロッコというやつぁ重苦しい。からだにゃよくありませんからね……」かれは、こんなことをたずねるなどとはふしぎだ、というような口調だった。そして熱風がいかに重苦しいかを、平手で表わして見せた。――「それじゃヴェニスには、なんにもやっかいなことはないんだね。」とアッシェンバッハは、ごく小声で、つぶやくようにたずねた。――おどけ者の筋肉質の顔つきは、こっけいな当惑の渋面じゅうめんになった。「やっかいですって。しかしどういうやっかいのことでしょう。熱風シロッコがやっかいなんですか。ひょっとしたら当地の警察がやっかいなんですか、ご冗談をおっしゃる。やっかいだなんて。そんなことがあるもんですか。一種の予防策ですよ、まったく。重苦しい天気の影響をふせぐための、警察のさしずでさあね……」かれは手まねをしてみせた。――「もういい。」とアッシェンバッハはまた短かく小声で言うと、不相応に多額の貨幣を帽子の中へ落した。それからその男に、むこうへ行けと目くばせをした。男はにやにやして、なんども腰をかがめながら、目くばせに従った。しかしかれがまだ階段に達しないうちに、ホテルの使用人がふたり、かれにおそいかかって、かれの顔に顔をぐっと近づけたまま、ささやき声でかれを訊問した。かれは肩をそびやかした。いろいろ断言した。ちかってひみつは明かさなかったといった。見ていてそれがわかったのである。放免されると、かれは庭へもどって行った。そしてアアク灯の下で、なかまと手短かに相談をきめてから、感謝と告別をかねた歌をうたうために、もう一度前へ出た。
 それは、孤独の男がまだ一度も聞いたおぼえのない歌だった。わけのわからない方言の、あつかましい流行歌で、笑い声の折り返しがついていた。そこへくると一隊が、きまってありったけの声で加わるのであった。そのときは歌詞も楽器の伴奏も中止されて、あとには、リズムとしてどうやらととのえられた、しかしごく自然のままに取り扱われた笑い声以外に、なんにも残らない。それを特に独唱者は、すばらしい手腕で、きわめて真にせまった生き生きした笑い声にすることを心得ていた。自分と紳士淑女たちとのあいだに、ふたたび芸術的間隔ができたので、かれは持ち前の鉄面皮をすっかり取りもどしていたのである。そしてずうずうしくテラスまで投げあげられるかれの技芸的な笑い声は、あざけりの哄笑こうしょうであった。すでに、歌の一節のきわだった部分が終るころになると、かれはたえがたいくすぐったさと戦っているふうだった。かれはしゃくりあげた。かれの声はよろよろした。かれは手を口におしつけた。肩をひねった。そして定めの瞬間になると、とどめがたい笑いがかれの胸の中から、ほとばしり、ほえたけり、爆発した。それがいかにも如実なので、笑いは伝染的にはたらいて、聴衆にまでつたわって行き、テラスの上でも、対象のない、それ自身だけをかてにしている笑いの波が、あたりにはびこった。これがしかし、まさに歌手のはしゃぎかたを倍加したらしかった。かれはひざを折りまげた。ふとももをたたいた。横腹をおさえた。笑って笑って笑いぬこうとした。かれはもう笑うのではなくて、さけんでいるのだった。かれは指で上のほうをさした――まるでその上のほうの笑っている一座よりもこっけいなものはない、とでもいうように。そして結局、庭にいる人もベランダにいる人も、戸口にいる給仕人やエレベエタア・ボオイや小使までも、ことごとく笑ってしまった。
 アッシェンバッハは、もういすにおちついてはいなかった。ふせぐか逃げるかする身がまえのように、からだを立ててすわっていた。しかし哄笑と、吹きあげてくる病院のにおいと、美しい少年の近さとが織りまぜられて、夢の魔力となり、それが引きさきがたく、のがれがたく、かれの頭とかれの心をじっとくるんでしまった。一座の動揺と放心のなかで、かれは思いきってタッジオのほうをながめやった。そしてながめると同時に、かれは美しい少年が、かれのまなざしを見返しながら、かれと同様にまがおのままでいるのを、認めることができた。その様子はまったく、少年がおのれの態度と顔いろを、相手のそれに準じてきめているかのような、そして一座の気分は、相手がそれをさけているゆえに、かれになんの力も及ぼし得ないかのような観があった。この子供らしい、意味のふかい従順さは、いかにも防衛力をうばってしまうような、圧倒的なものを持っていた。そのため白髪の男は、両手に顔をうずめることを、やっと自ら制したほどであった。それに、タッジオが時々からだをのばしたり、深い息をついたりするのが、アッシェンバッハには、なんとなくためいきか胸苦しさを表わしているように思われた。「タッジオは病身なのだ。たぶん長生きはしないだろう。」とかれはまたしても、陶酔とうすい思慕しぼが時々奇妙に解放された結果おちいる、あの客観的な気持で考えた。そして純粋な心づかいと、ほしいままな満足感とが、同時にかれの心をみたした。
 ヴェニス人たちは、そのあいだに演技を終って、引き揚げた。かっさいがかれらを送った。するとかれらの頭領とうりょうは、なお自分の引込みを冗談でかざることを忘れなかった。かれが足を引いておじぎをしたり、接吻を投げたりすると、みんなは笑った。だからかれはそういうしぐさをくり返した。なかまの者たちがもう外へ出てしまってからも、かれはまだ、うしろむきにいやというほど灯火の柱にぶつかるような振りをした。そして苦痛で身をまるめるように見せかけながら、門のほうへしのび足で歩いて行った。門までくるとついにかれは、突然、こっけいな不幸者という仮面をぬぎすてて、からだをまっすぐにのばして――いや、はね返るようにぴんとのびあがって、テラスの上の客人にむかって、ぺろりと舌を出してから、するりとやみに消えた。浴客たちの一座はちりぢりになった。タッジオはもうとっくにらんかんのところには立っていなかった。しかし孤独の男は、給仕人たちのふしぎに思ったことには、まだ例のざくろ水の残りを前にして、長いことかれの小卓についていた。夜はふけまさった。時はくずれて行った。かれの両親の家に、もう何年も前のことだが、砂時計が一つあった。――かれにはそのこわれやすい、意味の深い小さな器具が、まるで目の前におかれてでもいるように、不意にふたたび見えた。音もなく、こまかく、あかさびいろに染まった砂が、せまいガラスの管をとおってしたたっている。そして上のほうのくぼみのなかで砂がつきかけたので、そこには小さな、急速なうずまきができていた。
 早くも次の日の午後、この強情な男は、外界を吟味ぎんみするための新しい処置を取った。しかもこんどは、ありったけの成果をおさめたのだった。つまり、かれはサン・マルコの広場から、そこにあるイギリスの旅行案内所へはいって行って、帳場でいくらかの両がえをしたあと、かれに応待している店員に、疑っている旅行者の顔つきで、例の宿命的な問いをかけたのである。その店員というのは、厚い服を着たイギリス人で、まだ若く、髪をまんなかから分けて、目がくっつき合っていて、そのものごしには、あくらつにすばしこい南国ではじつにそぐわない、じつに変な気のする、あのおちついた誠実さがあった。かれは言いはじめた。――「御心配なさるいわれは少しもございません。たいして意味のない処置でございますよ。こういったさしずは、暑気や熱風シロッコのからだに悪い影響を予防するために、たびたび行われますので……」しかしかれは、その青い目をあげたとき、旅行者のまなざしに――疲れた、少し悲しそうなまなざしに出会った。それは軽いさげすみをこめて、かれのくちびるに向けられていたのである。するとイギリス人は赤くなった。「と申しますのが、」とかれは小声で、多少動揺しながらつづけた。「公式の説明でございまして、これを言い張りますのが、ここではよいとなっているのでございます。これから申し上げますが、この裏にまだ別のことがかくれておりますので。」そう言ってからかれは、持ち前の誠実な便利な国語で、真相を話しはじめたのであった。
 数年前からすでに、インドのコレラは、まんえんと移動のいよいよいちじるしい傾向を現わしつつあった。ガンジス河の三角州の熱い湿地からうまれ、人のよりつかぬ、うっそうとして無益な、原始のままの荒野と島の荒野――そこの竹やぶにはとらがうずくまっているのだ――その荒野の毒気をふくんだいぶきとともに立ちのぼって、このえき病は、持続的にかつ異常にはげしく、全インドに猛威もういをふるった上、東のほうはシナへ、西の方はアフガニスタンとペルシアへ進入して、隊商の交通の主要路にそいながら、その恐怖をアストラカンにまで、いや、モスコオにまでも伝えたのである。しかしその妖怪ようかいがそこから陸路を取ってのりこんでくるかもしれぬ、とヨオロッパがおののいていたあいだに、妖怪はシリアの商船で海上を引かれて行って、地中海の諸港にほとんど同時に出現し、ツウロンとマルガで首をもたげ、パレルモとナポリでたびたび顔を見せ、そしてもうカラブリアとアプリアの全土から、立ちのこうとしない様子だった。この半島の北部は災害を受けずにすんだ。ところがことしの五月なかば、ヴェニスで、全く同じ日に、ある船頭の下ばたらきとある青物売の女との、やせおとろえた黒ずんだ死体の中に、おそるべき螺旋菌らせんきんが見いだされた。この事件はひみつに付された。しかし一週間後には、それが十件になり、二十件、三十件になって、しかもさまざまな区域に及んだ。オオストリアのいなかからきて、自分の楽しみのために、数日ヴェニスに滞在していた男が、故郷の小さい町へ帰ると、うたがわしい徴候をあらわして死んだ。こうして潟の都ヴェニスの災禍についての最初の風評が、ドイツの新聞に出ることになったのである。ヴェニスの官憲は、市の健康状態がかつてこれほど良好だったことはない、と答えさせた。そして最も必要な駆除法を講じた。しかしおそらく食料品が――野菜か肉類か牛乳かが、感染を受けたのであろう。なぜといって、否定されもみ消されながらも、死は裏町のせまいなかにはびこって行ったのである。そして不時にはじまった夏の炎熱――そのために運河の水はなまあたたかくなってしまったのだが――それがとりわけまんえんを助けた。それどころか、なんとなく疫病がその力をさらに強められたような、その病源体のねばりと繁殖力が倍加されたような模様であった。回復した病例はまれだった。病者の八割は死んだ――しかもおそるべき死にかたで。なぜならこの災厄さいやくは極端な狂暴さで現われてきて、あの「乾性」と名づけられている、最も危険な形態をしばしば示したからである。その場合肉体は、血管から多量に分泌される水分を排出することさえできない。わずか数時間のうちに患者はひからびてしまって、瀝青れきせいのように濃くなった血液のため、けいれんとかすれた悲鳴のうちに、ちっそくしてしまうのである。発病が、軽い不快ののちに、ふかい失神の形で起こる場合には――これは時折あることで、患者はその失神から二度とさめないか、またはほとんどさめることはない――かれはしあわせなのである。六月はじめには、市民病院オスペダアレ・チビコの隔離病舎が、人しれず満員になった。ふたつの孤児院が手ぜまになりはじめた。そして新しい礎壁の波止場と墓地のある島、サン・ミケレとのあいだには、おそるべくひんぱんな交通がいとなまれた。しかし一般的損害への恐怖、公園に開かれたばかりの絵画展覧会へのおもわく、恐慌とボイコットの場合に、ホテルだの商店だの、雑多な旅客営業全体をおびやかす大きな損失へのおもわくのほうが、この都では、真理愛よりも、そして国際協定の尊重よりも、さらに力強く示された。それは官憲を動かして、沈黙と否認の政策をねばりづよく維持させたのである。ヴェニス最高の衛生官吏は――功績のある男だったが――ふんがいしてその職をしりぞいてしまった。そしてもっと従順な人物が、こっそりその後任になった。大衆はそれを知っていた。そして上位者たちの腐敗ふはいは――一般の不安――跳梁ちょうりょうする死によってこの都市のおちいった非常事態――と相まって、下層の人たちのある道徳的荒廃をひき起した。つまりそれは、明るみをきらう反社会的な本能をはげますことで、これが不節制、厚顔無恥、増大する犯罪性となって現われてきたのである。例になく、宵には多くの酔漢が見受けられた。夜ふけには、凶悪な無頼の徒が街路を不安にするといううわさであった。おいはぎとそれから殺人さえもくり返された。というのは、疫病のぎせいになったと称せられた人たちが、かえってかれら自身の親類によって、毒薬であの世へ送られたのだということが、すでに二度も判明していたのである。そして営業上のだらしなさは、平生この土地では知られていないような、ただこの国の南部と東洋とでのみなれているような、押しつけがましいほうらつな形を取っていた。これらの事柄について、そのイギリス人は、こういう決定的なことをのべた。――「みょうにちよりも、」とかれは結んだのである。「むしろこんにちお立ちになるほうが、ご得策だと思います。交通しゃ断がしかれるのは、あと数日を出ないうちでしょうから。」――「どうもありがとう。」とアッシェンバッハは言って、その事務所を出た。
 広場は太陽のないむし暑さのなかに横たわっていた。なんにも知らぬ遊覧者たちは、カフェの前に腰かけたり、すっかりはとにうずまったまま、寺院の前にたたずんで、鳥たちが密集しながら、はばたきながら、押しのけ合いながら、くぼめたてのひらにのせてさし出されるとうもろこしのつぶをついばんでいる様子を、見物したりしていた。熱病めいた興奮のうちに、真相をかくとくして勝ちほこりつつ、そのくせ舌の上にむかつきの味を、心のなかにとほうもない恐怖を感じながら、孤独の男は豪華な中庭を行ったりきたりしていた。かれは一つの浄化的な礼儀正しい行動を考慮していたのである。――自分は今夕、ばんさんのあとで、あの真珠でかざられた淑女に近づいて、自分が逐語的に立案している言葉を、かの女に告げてもいいわけだ。――「奥さん、見ず知らずの男が、あなたにひとつの忠告を、ひとつの警告をご用立てすることをお許しください。これは利己心というものが、あなたにさし上げることをおしんでいるものなのです。御出立なさい、即刻、タッジオさんとお嬢さんがたをつれて。ヴェニスは疫病にかかっています。」かれはそう言ってから、ある皮肉な神の道具に使われている者の頭に、告別のために手をのせて、身をひるがえして、この泥沼から逃げ出してもいいわけである。しかし同時にかれは、自分が本気でそういう行動に出ようなぞと、それこそ夢にも思っていないのを感じた。その行動はかれをつれもどすかもしれない。かれをかれ自身に返却するかもしれない。しかしだれでも自分のそとへ出てしまったものは、自分の中へふたたびはいることを、もっともいみきらうものである。かれは、夕日にかがやく銘にかざられたひとつの白い建物を思い起こした。その銘のもつ透明な神秘の中へ、かれの心の目は没入していたのであった。その次には、あのふしぎなさまよいびとの姿を思い起こした。それはこの初老の男に、遠国と異郷への青年めいた思慕しぼをめざめさせた姿であった。すると、帰郷、分別、冷静、辛苦しんく練達れんたつなどの考えは、かれの顔が肉体的なむかつきの表情にまでゆがめられたほどに、かれを不愉快でたまらなくした。「だまっているべきだ。」とかれははげしい調子でささやいた。「わたしはだまっていることにする。」みずからの共謀きょうぼう連累れんるいという意識が、ちょうど少量のぶどう酒が疲れた脳を酔わせるように、かれを酔わせた。災禍にみまわれた、放任されたこの都市の光景が、陰惨いんさんにかれの精神のまえに浮動しながら、かれのうちにいろんな希望を――不可解な、理性を乗り越えた、そして奇怪な甘さをもつ希望を、もえ立たせた。さっき一瞬間、かれのゆめみたあの弱々しい幸福なぞ、これらの期待にくらべれば、かれにとってなんであろう。こんとんの利得と対照するとき、芸術とか美徳とかいうものが、かれにとってなおなんの価値があろう。かれはだまった。そしてとどまった。
 その夜、かれはおそろしい夢をみた――もしも次のような肉体的でかつ精神的な閲歴えつれきを夢と呼ぶことができるとすれば。その閲歴は最も深いねむりと、最も完全な独立と、感覚的な現在とのなかで、かれにおこってきたものだが、しかしかれは、自分がいろんな事象の外側にいて、空間のなかに歩みかつ存在しているのを見たわけではない。それらの事象のぶたいは、むしろかれのたましいそのものであって、それらはかれの抵抗――深刻な精神的な抵抗を、しゃ二無二打ちくじきながら、外部から進入してきて、通りぬけて、かれの存在を、かれの生活の文化を、ふみにじりうちくだいたままに残して行ったのである。
 発端ほったんは恐怖であった。恐怖と歓喜と、これから起ころうとすることへの、驚愕きょうがくした好奇心とであった。夜がふけわたって、かれの官能はじっと様子をうかがっていた。なぜなら遠くのほうから雑踏、どよめき――まざり合った騒音が近づいてきたからだ。それはがらがらいう音、高調子のひびき、にぶい雷鳴、それにけたたましい歓呼と、尾を引いた「U」の音をもつ一定した咆哮ほうこうで、そのすべてが、低いはとの鳴声のような、むやみとしつっこい笛の音でつづられ、身の毛のよだつほど甘美にひびき勝たれている。その笛の音が鉄面皮におしつけがましく、はらわたを魅了みりょうするのである。しかしかれは、おぼろげな言葉ながらも、今そこへきたものを名づける一つの言葉を知っていた。――「かの見知らぬ神!」煙に包まれたほのおが、ぼうっとかがやいた。するとかれは、自分の別荘のまわりにあるような高原地帯を認めた。そして寸断された光のなかに、森でおおわれたいただきから、樹幹じゅかんとこけのはえた岩石とのあいだを、人間と動物が、ひとつの集団が、荒れ狂った群衆が、ころがりながら、うずをまきながら、どっとなだれ落ちてきて、その山腹を肉体とほのおと狂乱と、そしてよろめく輪舞りんぶとで氾濫はんらんさせた。女たちは、おびからさがった長すぎる毛皮のすそにつまずきつまずき、うめいてはのけぞらせる頭の上で、タンボリンをふったり、火の子の散るたいまつのほのおや、抜身の短刀をふるったり、舌をはくへびの胴なかをつかんでかざしたり、わめきながら両手でちぶさをかかえたりしている。ひたいにつのをはやし、毛皮のまえだれをかけ、毛深いはだをした男たちは、うつむいたまま、腕とももを高くあげて、黄銅のにょうはちをなりひびかせ、物狂わしく太鼓たいこをたたいている。同時に裸体の少年たちが、おすやぎのつのにしがみついて、雄やぎのはねるままに、歓呼して引きずられてゆきながら、葉のまきついた棒で、雄やぎを突きさしている。そしてこの熱狂した群は、やわらかな子音しいんと、末尾の「U」のさけびからなる呼声を――かつて聞かれたどの呼声よりも、さらに甘くまた荒々しい呼声を、ほえるようにひびかせていた。――こっちではその呼び声が、しかのなき声のように、空高くひびき渡ると、むこうではそれが合唱になって、粗暴なかちどきでくり返され、みんなはその呼び声でたがいにけしかけ合っておどったり、手足を投げ出したりしながら、そのさけびを片時もたやさないのである。しかし例の低いさそうような笛の音は、一切をつらぬき支配していた。それはかれをも――しぶしぶ体験しているかれをも、あつかましくがんこに、この極端な供物くもつの祭典と無節制へ、いざなってはいないのか。かれの嫌悪は大きく、かれの恐怖は大きく、この見知らぬ者にさからって、沈着な尊厳な精神の敵にさからって、最後まで自分のものを守り通そうとする、かれの意志は誠実であった。しかし喧騒、咆哮ほうこうは、よく反響する絶壁に当って、何倍にもされながら、たかまりひろがり、眩惑げんわく的な狂気にまでふくれあがった。もやもやとしたけはい――おすやぎの鋭い体臭や、あえぐ肉体のいきれや、くさった水から立つような臭気や、それともうひとつ別の、かぎなれた、傷と流行病の臭気などが、感覚をさいなんだ。たいこのひびきとともにかれの心臓はとどろき、かれののうずいはぐるぐるまわり、狂暴と眩惑と、しびれさせるような肉欲とがかれをつかんだ。そしてかれのたましいは、この神の輪舞りんぶに加わりたいと渇望かつぼうした。巨大な、木製のみだらな象徴が、むき出しにされて高くかかげられた。それを見るとみんなはなおさらめちゃくちゃに合言葉を怒号どごうした。くちびるにあわをふきながら、かれらは荒れくるって、みだらな身ぶりとじゃれるような手つきで、笑いながら、うめきながら、たがいにいどみ合い、とげのついた棒をたがいに肉に突きさし、そうして手足から血をなめ取った。ところが夢を見ている男は、このときかれらとともに、かれのなかにいて、かの見知らぬ神のものとなっていた。それどころか、かれらが引きさいたりさつりくしたりしながら、けものどもにおそいかかって、ゆげの立つ肉片をのみくだしたとき、ふみ荒された沼地のうえで、かの神への供物くもつとして、果てしない混合がはじまったとき、かれらはかれ自身であった。そしてかれのたましいは、滅亡のかんいんと狂乱とを味わったのである。
 おそわれた男は、この夢から、やつれはてて混乱して、ぐったりと魔神の手にとらえられたまま、目をさました。かれは人々のじろじろ見るのを、もはや恐れなくなった。かれらの容疑に身をさらそうとさらすまいと、かれは平気だった。それにかれらはじっさい逃げて行った。旅立って行った。おびただしい浜小屋がからになっていたし、食堂の座席もいっそう大きなすきまを見せていたし、そして市中ではもうめったに遊覧客は見られなかった。真相がそとへもれたらしく、関係者たちの根強い団結にもかかわらず、恐慌きょうこうはこれ以上おさえがたい形勢だった。しかし真珠の飾りをつけたあの婦人は、いろんなうわさがかの女のところまではとどかぬせいか、それともそんなうわさにおびえるには、かの女はあまりにも尊大で勇敢でありすぎたせいか、一行とともに留まっていた。――タッジオは留まっていたのである。そしてアッシェンバッハは、相変らず心をとらわれているので、時々なんとなく、逃亡と死が、周囲のうるさい生命を残らず遠ざけ得るかのような、そして自分があの美しい少年とただふたり、この島に残り得るかのような気がした。――事実、ひるまえ海辺で、かれの視線がおもたく、無責任に、じっと、あのしたわしい者のうえにすえられるとき、日の沈むころ、いとわしい死のこっそりとさまよう街路を通って、かれがあさましくもあのしたわしい者のあとをつけてゆくとき、かれには、奇怪なことが有望に、道徳のおきてがもろいものに思われるのであった。
 恋をする男の例にもれず、かれは気に入られることを願った。そして気に入られることが不可能かもしれぬという、にがい不安を感じた。かれはその服装に、若々しく晴れやかに見せるいろんな細目さいもくをつけ加えた。宝石を身につけたり、香水を使ったり、日になんども化粧けしょうのために、長い時間をかけたりして、装飾し興奮し緊張しながら、食卓にあらわれた。自分を魅了みりょうしているあの甘美な年少者に直面すると、かれは自分の老いかけた肉体がいやでたまらなかった。自分の白い髪、とがった顔つきをながめると、はじらいと絶望におちいるのであった。肉体的に自分を活気づけ、再生させようという衝動がかれをかり立てた。かれはしばしばホテルの理髪師をおとずれたのである。
 理髪衣を着て、その多弁家の愛護の手のもとで、いすによりながら、かれは苦しそうなまなざしで、自分の鏡像きょうぞうをつくづく見た。
「白い。」とかれは口をゆがめながら言った。
「ちょっとですよ。」とその男が答えた。「つまり少し手入れをなさらないせいで――うわべのことを気になさらないせいですな。そういうのは、りっぱなかたがたになると、ごむりもないことですが、と言っていちがいにほめるわけにもまいりますまい。しかもそういうかたがたこそ、自然か人工かという問題で偏見へんけんをお持ちになるのは、あまり似合わないことなのですから、なおさらそれはほめるわけにはまいりませんよ。もしも美粧術に対するある人たちの道徳上の厳格というものが、りくつでおして行って、その人たちの歯にまで及ぼされるとしたら、ずいぶん物議をかもすことでしょうね。つまるところ、わたくしたちの年齢というものは、わたくしたちの頭と心がどう感じているか、その程度できまるものなのですから、時と場合によっては、白い髪の毛のほうが、悪く言われる修正よりも、もっとほんとうの意味のうそになることがあろうというものです。あなたの場合で申しますと、自然のままの髪のいろを当然お望みになってよろしいわけです。失礼ですが、あなたのをそういう自然のいろにあっさりもどしてさしあげましょう。」
「もどすとはどうするのかね。」とアッシェンバッハはたずねた。
 そこでこの能弁家は、客の髪を、澄んだのと、黒ずんだのと、ふたとおりの液で洗った。すると髪は若いころのように黒くなった。それからかれは、それをやきごてでやわらかくいくつにもうねらせた上、あとへさがって、手を加えられた頭を点検した。
「さあ、これであとはもう、」とかれは言った。「お顔のはだをいくらか直すだけでよろしいでしょう。」
 そうしてやめることのできない、気がすむということのない人のように、かれはあとからあとからいきおいづけられるせわしなさで、いろんな操作へ次々に移って行った。アッシェンバッハは、ゆったりとやすらいながら、ふせぐ力もなく、むしろこうされることにたのもしい興奮を感じつつ、自分の眉がかがみのなかで、いっそうくっきりとかつつりあいよく弓形をえがくのを、まなじりが長くなるのを、まぶたの地がうすくそめられたために、目のかがやきが高まるのを見た。もっと下のほうの、はだが淡褐色でかわのようだったあたりに、ほんのりぬられて、あわい臙脂えんじがめざめるのを、今の今まで血のけのなかったくちびるが、いちごいろにもりあがるのを、頬と口のふかいしわが、目の小じわが、クリイムと青春のけはいとに会って消えてゆくのを見た。――胸をときめかせながら、かれはひとりの生き生きとした青年を見たのである。美容師はようやく満足の意を表すると同時に、こういう人間の流儀で、自分のかしずいた者に、卑屈なほど丁重に礼を言った。「ささいなおぎないをいたしただけです。」とかれは、アッシェンバッハの外観に最後の手を加えながら言った。「さあ、これで心おきなく恋をなさることができますよ。」うっとりとしたアッシェンバッハは、夢のように幸福な、まごついた、びくびくした気持で、そこを出た。かれのネクタイは赤く、広いかげをつくるむぎわら帽には、多彩たさいなリボンがまきつけてあった。
 なまあたたかい暴風が吹きはじめていた。雨は時たま、わずかにふるだけだったが、空気はしめって、よどんで、腐敗物のにおいにみちていた。はたはたいう音、ぴちゃぴちゃいう音、そしてごうごういう音が、聴覚をおし包んだ。そうして化粧したまま熱に浮かされている男は、たちの悪い風の精霊どもが――こののろわれた者の食物をかきまわしたり、突っつきちらしたり、汚物おぶつでけがしたりする、いじの悪い海鳥どもが、空中を横行しているように思った。それはむしあつさが食欲をさまたげるし、それに食物が伝染病菌で毒されているという観念が、おさえがたく起こってくるからであった。
 美しい少年の足跡を追って、アッシェンバッハはある午後、病んでいる都のごたごたした中心地へ没入して行った。この迷宮の裏町や河や橋や小さい広場が、あまりたがいに似通っているために、かれは見当がつかなくなったうえ、方位さえも不確かになって、ただひとえに、したいつつ追い求めているその姿を見失うまいとのみ念じていた。そしてあさましいほどの用心をいられて、へいに身をおしつけたり、前を行く人たちの背にかくれて避難したりしながら、感情と不断の緊張が、かれの肉体、かれの精神に加えた疲労こんぱいを、かれは長いあいだ意識せずにいた。タッジオは同伴者たちのうしろから歩いて行った。せまいところにくるといつも、女家庭教師と尼僧めいた姉たちを先に行かせて、ひとりきりでゆっくり足を運びながら、時々頭をめぐらしては、かれの求愛者があとからついてくるのを、肩ごしに、例の妙に灰いろにくもった目の一べつで、たしかめるのだった。タッジオはかれを見た。しかもかれのことを明かさなかった。それがわかったのでうちょうてんになり、タッジオの目に前へ前へとおびきよせられ、あほうを引っぱるつなで、情熱の手によって引かれながら、この恋におぼれた男は、その不穏当な希望のあとをひそかにつけて行ったが――しかし結局、その希望のすがたをうばわれてしまった。ポオランド人たちは、短かい弓なりをしたひとつの橋を渡った。その弓なりの頂点が、かれらを追跡者の目からかくしてしまったのである。そしてかれは自分もその上までのぼったのだが、かれらはもう見つからなかった。かれは三方へむかってかれらをさぐった。まっすぐ前と、細いよごれた岸壁に沿うて両側へ。しかしむなしかった。疲労と衰弱に強いられて、かれはついにさがすことをやめた。
 かれの頭はもえ、からだはじとじとするあせでおおわれ、うなじはふるえ、これ以上たえがたいほどのかわきにさいなまれて、かれは、なんでもいいから今すぐにのどをうるおすものはないか、とあたりを見まわした。小さな青物屋の店先で、いくらかの果物――いちごの熟しすぎたやわらかなのを買って、歩きながらそれをたべた。ひっそりした、魔法にかけられたような気のする小さい広場が、かれの前にひらけた。そこは見おぼえがあった。かれが何週間か前に、むなしくなった逃亡の計画を立てたのは、ここだったのである。かれはこの場所のまんなかに、水槽すいそうの階段のうえに、くずれるように腰をおろして、石の丸味のところへ頭をもたせた。あたりはしずかで、しきいしのあいだに草がはえていて、ごみが一面にちらばっていた。くずれかけた、高さの不ぞろいなぐるりの家々のうち、宮殿めいて見えるのがひとつあって、奥に空虚の住んでいる尖頂窓せんちょうそうと、獅子の飾りのある小さな露台がついていた。もう一けんの家の一階に薬屋があった。暑い突風がときどき石炭酸のにおいを運んできた。
 かれはそこにすわっている――あの巨匠、権威をかちえた芸術家、じつにもはんてきに純粋な形式で、放浪生活やにごった深味と絶縁し、奈落ならくに対して共感をこばみ、道ならぬものをだんがいしてきた、「みじめな男」の著者、おのれの知を克服こくふくして、あらゆる諷刺ふうし以上に生長しながら、大衆の信頼にともなう義務になれきっている、あの出世した男、その栄誉は公式のものであり、その名は貴族に高められ、そしてその文体にもとづいて修養すべく少年たちがすすめられている――その男がそこにすわっているのだ。かれのまぶたはとざされていた。ただ時折、あざけるような、おどろいたような視線が、その下からわきのほうへすべり出ては、すばやくまたかくれてしまう。そして美容術でくっきりとなった、たるんだくちびるは、なかばまどろんでいるのうずいの生み出す、ふかしぎな夢の論理から、ひとつひとつの言葉をつくり出した。
「なぜなら美というものは、ファイドロスよ、よくおぼえておくがいい――美というものだけが、神々しいと同時に目に見えるものなのだ。そういうわけだから、美は感覚的な者のゆく道であるし、小さいファイドロスよ、芸術家が精神へ行く道なのだ。そこで君はしかし、愛する友よ、精神的なものへゆくために感覚を通らねばならぬ人間が、一度でも英知と真の人間の品位をかくとくすることができると思うかね。それともきみはむしろ(わたしはその決定をきみの自由にまかせるが)これは危険でかつ愛すべき道であり、真に邪道であり、罪の道であって、かならず人を邪路にみちびくものだと思うかね。なぜといって、これはぜひ言っておかねばならぬが、われわれ詩人たちが美の道を進んでゆけば、かならずエロスの神が道づれになって、得々と道案内をするにきまっているのだ。じっさいわれわれは、たとえわれわれ一流の英雄であるにしても、また規律正しい戦士であるにしても、やはりそれでも女のようなところがある。というのは、われわれを高めるものは情熱であり、われわれの思慕しぼは常に恋愛ならざるを得ないからだ。――これがわれわれの喜びでもあり、はじでもある。われわれ詩人が聡明でも尊厳でもあり得ないということが、これできみにもわかっただろう。われわれが必らず邪路にふみ入らねばならぬし、必らず常にほうらつで、感情の冒険家たらざるを得ないということが、わかっただろう。われわれの文体の優秀な調和は虚偽と愚行で、われわれの名声とかがやかしい地位は茶番で、われわれに対する大衆の信頼はこの上なくこっけいで、芸術による国民教育、青年教育は、むこう見ずな禁ずべき企図なのだ。なぜなら、奈落へむかっての是正しがたい自然の傾向を生みつけられている者に、一体どうして教育者がつとまるべきだろう。われわれは奈落を否定したいし、品位をえたいとは思うのだが、しかしわれわれがどう身を転じようとも、奈落はわれわれをひきつけるのだ。そこでわれわれはまず大体、分解させる認識というものと絶縁する。なぜと言って認識には、ファイドロスよ、なんの品位もおごそかさもないからだ。それは物を知り、理解し、許すもので、品性も形態もない。それは奈落に共感をもつ。それはまさに奈落なのだ。この認識というものを、われわれはそれゆえ断乎として排撃する。そしてこんごわれわれの努力は、ひとえに美を――言いかえれば簡素と偉大と新らしいおごそかさとを、第二の無私とそして形態とをめざすのだ。ところが形態と無私は、ファイドロスよ、陶酔と欲情へつれてゆく。けだかい人を、かれ自身の美しいおごそかさがはずべきものとして排撃する、あのおそるべき感情の罪悪へつれてゆくかもしれぬ。奈落へつれてゆくのだ。これさえも奈落へ。――こういうものがたしかに、われわれ詩人をそこへつれてゆくのだ。われわれにはまいあがる力はなくて、ふみまよう力だけしかないからだ。さあ、わたしはもう行く、ファイドロスよ、きみはここにいるがいい。そしてわたしの姿が見えなくなってから、きみも行くがいい。」


 それから数日ののち、グスタアフ・フォン・アッシェンバッハは、気分がすぐれなかったので、いつもよりおそい朝の時刻に、水浴ホテルを出かけた。一種の肉体的だけでないめまいの発作ほっさと、かれは戦わねばならなかった。それははげしくこみあげてくる不安の念――逃げ道も見込みもないという感じをともなっていた。その感じが外界に関したものか、それともかれ自身の存在に関したものか、そこははっきりしなかった。かれはロビイで、もう運ぶばかりになっている大量の荷物をみとめて、一人の門衛に、旅立つのはだれだとたずねると、かれがひそかにかくごしていたポオランドの貴族の名を、返事として聞かされた。やつれた顔つきを変えることなしに、頭をちょっとあげただけで――これは別に知る必要もないことを、事のついでに知っておくときのしぐさである――かれはその名を受けとった。そしてなおたずねた。「いつだね。」返事はこうだった。――「中食後でございます。」かれはうなずいた。そして海へ行った。
 そこは荒涼こうりょうとしていた。なぎさと最初の長い砂州とをへだてている、広い浅い水の上には、さざなみのおののきが、前からうしろへ走っていた。かつてはあれほど色とりどりににぎわっていた、今ではほとんど見すてられてしまって、その砂ももうはき清めてないこの行楽地のうえには、秋らしさとおとろえとがよどんでいるように見えた。持主のないらしい写真機がひとつ、三脚にのったまま、波打ちぎわに置かれていて、その上にかぶせてある黒い布が、小寒い風にぱたぱたとひるがえっていた。
 タッジオは、かれに残された三四人の遊びなかまといっしょに、かれの家族の小屋の右手前で動いていた。そしてアッシェンバッハは、ひざに毛布をかけて、海と浜小屋の列とのほぼ中間に、例の寝いすによりながら、もう一度かれの様子を見守っていた。監督を受けていないその遊びは――婦人たちは旅行の準備にかかっていたらしいからである――無秩序なものらしく、しだいに悪化していった。バンドのついた着物で、ポマードをつけた黒い髪の、「ヤアシュウ」とよばれる例のたくましい若者は、顔に砂をぶつけられたのに、かっとなって、目をくらまされて、タッジオを格闘にいた。格闘はたちまち、弱いほうの美しい少年の転倒に終った。ところが、この別離のひとときに、いやしいほうの男の奉仕的な気持が、残忍なやばん性に変って、長いあいだの奴隷生活のうらみを晴らそうとでもするように、勝者はそうなってもなお、敗者を手から放さないで、相手の背の上にひざをついたなり、相手の顔を長いこと砂におしつけていたので、もともと格闘で息をきらしているタッジオは、今にもちっそくしそうな様子だった。のしかかっている者をはねのけようとするかれの試みは、けいれん的だった。それは数瞬のあいだ全く中絶した。そしてもうひきつるような動きとなってくり返されるだけになった。はっと思ってアッシェンバッハが、救助にとび立とうとしたとき、暴行者はようやくそのぎせいを釈放した。タッジオはまっさおな顔をしてなかば身を起こすと、片手をついたなり、数分間、身動きもせずに、乱れた髪とくもった目をして、坐っていた。やがてすっかり立ちあがると、ゆっくり遠ざかって行った。みんなはかれを呼んだ――はじめはいきおいよく、やがて心配そうに、哀願あいがんするように。かれは耳をかさなかった。黒い髪の男は、自分の乱暴ざたをたちまち後悔する気になったらしく、タッジオに追いすがって、かれのきげんをなおそうとした。肩のひとゆすりが、その男をはねつけてしまった。タッジオは斜めに水ぎわへおりて行った。かれははだしで、赤いネクタイのついた、しまのある、例のリンネルの服を着ていた。
 波打ちぎわでかれは、うつむいたなり、片方の爪先でぬれた砂に何かかきながら、しばらくためらっていたが、やがて浅い潟のなかへ歩み入ると――そこは最も深いところでも、かれのひざまではぬらさなかった――ぶらぶら進みながら、そこを通り越して、砂州まで達した。そこにかれは一瞬、顔を沖合へ向けたまま、たたずんでいた。それからこんどは、その浮き出た地面の長いせまい直線を、左のほうへゆっくり歩測しはじめた。幅のひろい水によって大陸からへだてられ、尊大な気分によって僚友たちからへだてられたまま、かれは、極度に分離した、連絡のない姿となって、髪をひらめかせながら、ずっと向うの海のなかを、風のなかを、きりのごとく無際限なものの前をそぞろ歩いていた。しばしばかれは、ながめ渡すために足をとめた。そして突然、何か思い出したように、ある衝動を受けたように、片手を腰にあてたなり、上体を基本の姿勢から美しくまわしながらふりむけて、肩ごしに岸のほうへ目をやった。こっちの見つめている男は、はじめその灰いろにくもった視線が、砂州からうしろへ送られてきて、かれの視線と出会ったとき、もとすわっていたとおりすわっていた。かれの頭はいすの背にもたれたまま、むこうを歩いている少年の動きを、ゆっくり追っていたのである。このときその頭は、いわばその視線を迎えるように挙げられた。と思うと、がっくり胸の上へたれた。だからかれの目が下から見やっている一方、かれの顔には深いねむりのときの、ぐったりした、ふかく沈湎ちんめんしたような表情があらわれていた。しかしかれは、ずっとむこうにいる青白いかわいらしい、たましいのみちびき手が、自分にほほえみかけ、自分をさしまねいているような気がした。なんとなくそのみちびき手が、手を腰からはなして、遠くのほうをゆびさしているような、望みにみちた巨大なもののなかへ、先に立ってかけてゆくような気がした。そして、今まで幾度もしたように、そのあとを追うべく立ちかけた。
 何分か過ぎてからようやく、人々は、いすの上で横むきにつっぷしてしまったこの男を救いにかけつけた。かれは自分の部屋へ運ばれた。そうしてまだその日のうちに、うやうやしく心を打たれたひとつの世界が、かれの訃報ふほうに接したのであった。
[#改丁]

解説


 トオマス・マン(Thomas Mann, 1875-1955)は、ゆたかな天分を、きびしい不断の自己たんれんによって、みごとにみがきあげた結果、多くのすぐれた作品に開花させた芸術家として、近代ドイツ文学の最高峰とみなされている。一九二九年度のノオベル文学賞をさずけられたことでもわかるように、かれのねうちは、ずっと前から国際的にみとめられたものであり、かれを知ることは、ドイツ文学のエッセンスを知ることになると同時に、もっとひろく、文学そのものの人生におけるやくわりを知ることにもなるし、ひいては、芸術と人間とのあいだの、ふくざつでげんしゅくな関係を知ることにもなると思う。
 本書の原名は“Der Tod in Venedig”で、書かれたのは一九一三年、作者が三十八のときである。前々からたえずかれの追求してきた、芸術と実生活、芸術家と普通人との二元性というテエマを、かれはこの作で、独自のすみきった具体性と、円熟しためんみつな技法によって、いっそうはっきりと、いっそうてってい的に展開してみせた。その展開のあざやかさ、構図の整然せいぜんとしたおもむき、なだらかな描写にこもるはりつめた気力という点で、この一編はたしかに、かれの長い作品系列のなかでも、一種特別な位置をしめていると言っていい。
 初老の小説家、つよい意志で自分の生活を律しながら、芸術との安定したバランスのなかで、すでに世間的な名声をも確保している男が、ふと息ぬきをする気になって出た旅さきで、心のゆるみから、ギリシャ美を象徴するような、端麗無比たんれいむひな少年のすがたにみいられて、いっさいの実生活的な節度と自制をうしないつくしたあげく、まるでわざとのように、伝染病のおそろしい毒に染まったなり、その少年と空想のなかでひとつになろうとしながら、あっけなくほろび去ってしまう――この特異ないきさつのなかに、われわれは、芸術と生活との宿命的な相互関係を、まざまざと見せられる気がする。結局、この関係のアンバランスが、主人公の時ならぬ破局をまねいたのである。
 ふとはげしい旅ごころをそそられて、かれが栄誉と精進しょうじんとしずけさにみちた生活を、みすてたせつなに、バランスはくずれた。そしてそれ以後、かれは何物かにかりたてられるようにして、一路、滅亡の方角へすすんで行った。どんよくな神である芸術は、ひたすらかれに仕えている、この芸術家自身を、なおあきたらず、このましいいけにえとして、みずから祭壇にそなえたのであろう。
 芸術という神のおそろしさが、ここにある。作者は、まともな、ひたむきな芸術家として、それをだれよりもよく知っていた。そしてその恐怖をつたえるために、同時にまた、それをやがては克服こくふくして、一段と高い境地へすすむために、この作を成したものと思われる。
 その境地では、おそらく、芸術と生活との対立が解消されて、両者の渾然こんぜんとした融合ゆうごうが、実現されることになるのではあるまいか。じじつ、作者のその後の芸術活動にかんがみると、この推定は当っているようである。つまり、この作が書かれたのは、第一次大戦の直前だが、あの戦争をさかいとして、それ以後のかれの諸作には、芸術の完成をめざすのに、ただせまい意味の芸術的修練だけにたよらず、生活的な視野をひろめ、人間性をほりさげることにも、精進しようとする意欲が、あきらかにみとめられる。そしてその努力のゆたかな収穫しゅうかくとして、かれの芸術は、そのあと一作ごとに、ますますはばと厚味を加えて行って、ついに世界的なかがやきをおびるに至ったのだと思う。
 なお、同性愛というものが、重要なモメントとして、とりあげられているのも、この小説を特にきわだたせる点のひとつであろう。ギリシャふうの感覚によると、同性にひかれるきもちは、異性間の愛情よりも、さらに精神的な要素がつよく、さらに純粋無雑な力をもっていることになる。精神をたっとび、純粋を愛する初老の作家アッシェンバッハに、異国の美童タッジオをしたいもとめさせたのは、作者のギリシャへの共感にもとづくものかもしれない。ともかくこの特殊性が、この作全体に、一種独特の高いかおりと、すがやかなあじわいとを与えていることは、決していなめない気がする。(訳者)





底本:「ヴェニスに死す」岩波文庫、岩波書店
   1939(昭和14)年1月10日第1刷発行
   1960(昭和35)年3月5日第12刷改版発行
   1988(昭和63)年7月5日第44刷発行
入力:kompass
校正:荒木恵一
2015年5月24日作成
2015年10月26日修正
青空文庫作成ファイル:
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