幸福への意志

DER WILLE ZUM GLUCK

トオマス・マン Thomas Mann

実吉捷郎訳




 老ホフマンはその金を、南アメリカの耕地の持主として、儲けたのであった。彼地で家柄のよい土着の娘と結婚してから、まもなく妻を連れて、故郷の北ドイツへ引き移った。二人は僕の生れた町で暮していた。ホフマンのほかの家族たちも、そこに住みついていたのである。パオロはこの町で生れた。
 その両親を僕は、しかしあまりよく知らなかった。が、ともかくパオロはお母さんに生き写しだった。僕がパオロをはじめて見た時、つまり両方の父親たちが僕等をはじめて学校に連れて行った時、パオロは黄ばんだ顔色の、やせこけた小僧だった。今でも眼に浮かんでくる。彼はその時、黒い髪の毛を長くうねらせていたが、それがもじゃもじゃと水兵服の襟に垂れかかって、小さな細面ほそおもてをふちどっていた。
 僕等は家では非常に仕合せに暮していたのだから、新しい周囲――殺風景な教室や、なかんずく僕等にぜひともABCを教えようとする、赤髯の小汚ない人間どもには、どうしても不服だった。僕は帰って行こうとする父親の上着を、泣きながらつかんで放さなかったが、パオロのほうは、まるで忍従の態度を取っていた。身動きもしないで壁によりかかって、薄い唇をきっと結んだなり、涙で一ぱいの大きな眼で、景気のいいほかの少年たちを眺めていたのである。その連中は横腹を突つき合いながら、冷酷ににやにや笑っていた。
 こんな調子で怪物どもに取り囲まれていたので、僕等ははじめから、互いに惹きつけられるような気がした。だから、赤紫の教育家が僕等を隣同士に坐らせてくれた時には、嬉しかった。それ以来、僕等は団結してしまって、共々に教育の基礎を築いたり、毎日、弁当のパンの交易を営んだりした。
 思い出して見れば、彼はしかしもうその時分から虚弱だった。時々かなり長く学校を休まされたが、再び出てくると、いつも彼のこめかみと頬には、平生よりなお明らかに、薄青い脈管が現われていた。かぼそい、浅黒い肌の人に限って、よくあるやつである。彼のはその後もずっと消えなかった。このミュンヘンで再会した時にも、それからあとロオマで逢った時にも、第一番に僕の眼についたのはそれだった。
 僕等の友情は、それが成立したのとほぼ同じ理由で、ずっと学校時代を通じて継続した。理由とは、同級生の大多数に対する「距離の感激」である。十五歳でひそかにハイネを読み、中学三四年ぐらいで、世界人類の上に断乎たる批判をくだすほどの者なら、誰でも知っているあの感激である。
 僕等はまた――二人とも十六だったと思うが――一緒に踊の稽古にも行って、その結果、共々に初恋を経験した。
 彼を夢中にさせた小娘は、金髪の快活な子で、彼はその子を、年の割にはいちじるしい、僕には時々ほんとに気味悪く思われたほどの、沈鬱な激情であがめていた。
 僕は特に或る舞踏会のことを思い出す。その少女があるほかの少年に、ほとんど立て続けに、二度もコチリオンを踊ってやりながら、彼には一度も踊ってやらなかった。僕ははらはらしながら、彼の様子を見ていた。彼は僕と並んで壁にもたれたまま、じっと自分の塗革靴をにらんでいたが、不意に気を失ってぶったおれてしまった。家に帰されてから、彼は一週間病床についていた。その時分――この事件のおりだったと思う――彼の心臓の決して健全でないことがわかったのである。
 すでにこの時以前、彼は画を描くことをはじめていて、そのほうでは並々ならぬ才能を発揮していた。木炭の走り描きで、あの少女の風貌が如実に現わしてあって、下に「なれは花にも似たるかな――パオロ・ホフマン作之」と書いてある一枚を、僕はまだ蔵している。
 いつのことだったか、はっきり覚えていないが、ともかく僕等がかなり上級にいた頃、彼の両親は町を去って、カルルスルウエに住みついた。老ホフマンはそこにいろんなつづき合いを持っていたのである。パオロは学校を換えないことになって、ある老教授のところに預けられた。
 ところが、この状態も長くはつづかなかった。パオロがある日両親のあとを追って、カルルスルウエに行ったのには、次の事件が、まあ直接の動機ではなかったにしても、ともかくあずかって力があったのである。
 というのは、ある宗教の時間、不意にくだんの教授が、物凄い眼付をして、つかつかと彼のところへ歩み寄るなり、彼の前にあった旧約聖書の下から、紙を一枚引っ張り出した。それには、左足だけまだ出来上っていない、きわめて女性的な姿が、なんら羞恥の色もなく、現われていたのである。
 こういうわけで、パオロはカルルスルウエに行った。そして僕等は時々はがきを交換していたが、その交渉も次第次第にまったく絶えてしまった。
 ミュンヘンでふたたび彼に出会ったのは、別れてから五年ばかり経った後だった。あるうららかな春の午後、アマアリエン街を下って行くと、アカデミイの入口の石段を、だれかが降りて来るのが見えた。遠くから見ると、まるでイタリア人のモデルかなんぞのようだった。近づいて見れば、それはまさしく彼だったのである。
 中背で、やせぎすで、ゆたかな黒い髪に帽子をあみだにのせて、青筋の浮いている黄ばんだ顔色で、贅沢だけれども自堕落な身なりで――例えばチョッキのボタンが二つ三つ外れている短かい口髭を軽くひねり上げて……といった様子をしながら、持前のうねるような面倒臭そうな足どりで、彼は僕のほうへやって来た。
 二人はほぼ同時に気がついた。そしてほんとうに心からの挨拶を交した。カフェエ・ミネルヴァの前で、互いに最近何年間かの動静を尋ね合っていた間、彼は昂然とした、ほとんど熱狂的な気分でいるらしく思われた。眼はきらきらと輝き、身振りは雄大荘重であった。そのくせ顔色はすぐれず、実際どこか悪そうな様子をしていた。今になれば僕はもちろんなんとでもいえるわけだが、でもほんとに、それは僕の目をひいたのである。それどころか、僕は構わずそういってやった。
「そうか。相変らずか。」と彼は問うた。「うん、そうだろうとも。ずいぶん病気をしたからなあ。つい昨年も、長い間それこそ大病をやってね。ここが悪いんだ。」
 彼は左手で胸を指さした。
「心臓さ。昔からいつもこれだったんだ。――でも近頃はよほどいい。非常に工合がいいんだ。まったく健康だといっても差支えないくらいなんだよ。それに僕もまだ二十三だからね――あんまりかわいそうだろうじゃないか……」
 彼は実際上機嫌だった。快活にいきいきと、一別以来の生活を語った。僕と別れてからまもなく、画家になることをやっとのことで両親に許してもらって、九カ月ほど前にアカデミイを終ると、――今しがたは、偶然アカデミイに寄ったのである――しばらく旅で、なかんずくパリで暮して、約五カ月以来このミュンヘンに住みついている……「多分まだずっと長くいるかも知れない――そりゃわからない。あるいは永久にね……」
「そうなのかい。」と僕は問うた。
「まあさ。つまりその――そうなってもいいわけじゃないか。この町が気に入ってるんだもの。特別に気に入ってるんだもの。全体の調子といい――ねえ、どうだい――人間といいさ。それにこりゃなかなか肝腎なことだがね、画家としての……まったく無名でもだよ……社会的地位は実際すてきなものなんだ。こんなにいいところがほかにあるもんか……」
「気持のいい知り合いでもできたかい。」
「うん、たくさんじゃないが、その代り非常にいいのがね。たとえばあるうちなんぞは、君に勧めずにはいられないな……謝肉祭の時に知り合いになったんだ……ここの謝肉祭は実に愉快なんだぜ。――シュタインという家だ。おまけにシュタイン男爵なんだ。」
「そりゃいったいどういう貴族なんだろう。」
「金力貴族という奴さ。男爵というのはもと相場師でね、昔はウィインでおそろしい勢力があって、全皇族と交際したりなんかしていたんだよ。……それから急に衰えちまってね、百万ばかり残して――といううわさだがね――事業から手を引いて、今じゃこの町で、地味だけれど貴族的に暮しているんだ。」
「ユダヤ人かね。」
「男爵はそうじゃあるまい。細君のほうはもしかするとね。でも、僕はみんな実に気持のいい上品な人たちだというよりほかはないな。」
「あの――子供はあるのかい。」
「ない。――いや実は――十九になる娘が一人ある。ふたおやはごく愛想のいい人たちでね……」
 彼はちょっとの間てれたが、やがてこうつけ加えた。
「僕は本気で君に勧めるがね、僕があのうちに紹介してやろうじゃないか。そうさせてくれりゃ僕は嬉しいがな。不服かい。」
「不服なものか。感謝するよ。その十九の娘さんと知り合いになるためだけでもね――」
 彼は横眼で僕を眺めたが、やがていった。
「じゃ、そうしよう。そうなると早いほうがいいな。君の都合がよければ、あした一時か一時半頃、さそいに行くぜ。シュタインのところは、テレエジェン街二十五番地の二階だ。学校友だちを引き合わせてやるのは、楽しみだな。じゃ、そうきめたよ。」
 僕等は実際、その翌日の正午頃、テレエジェン街のある立派な家の二階で、ベルを鳴らしたのである。ベルのわきには、太い黒い字で、男爵フォン・シュタインという名が書いてあった。
 パオロはみちみちずっと興奮しつづけていて、乱暴に近いほど陽気だった。ところが、今二人で扉の開くのを待っている間に、僕は彼の様子に奇妙な変化を認めた。僕と並んで立っている彼は、瞼を神経的に慄わせているほか、どこもかしこも完全に静かだった――それは無理強いの緊張した静けさだった。首を少し差し伸べている。額の皮が張り切っている。その様子は、耳をぴくぴくと尖らせて、あらゆる筋肉を緊張させながら、物音をうかがっている獣かなにかのような感じがした。
 僕等の名刺を受け取って引っ込んだ召使が、また出て来て、奥様はすぐお見えになりましょうから、しばらくおかけ下さいと勧めながら、かなり大きな、黒っぽい家具の置かれた部屋の扉を開けてくれた。
 僕等が中へ通ると同時に、往来に面した出窓のところで、薄色の春の衣裳を着た若い婦人が立ち上って、探るような顔つきで、一瞬間たたずんでいた。「十九の娘だな。」と僕は思わず連れのほうへ、ちょっと横眼をつかいながら考えた。すると「男爵令嬢アダ。」と彼が僕にささやいた。
 令嬢はすらりとした姿の、しかし年の割には成熟した輪郭を持った人で、きわめて柔かな、ほとんどものうげな身のこなしを見ると、そんなに若い娘さんとはちょっと思えないほどであった。こめかみを覆いながら、二つの捲毛になって、額まで出ている髪の毛は、つややかな黒で、顔色のほの白さとくっきり映り合っている。顔にはゆたかな、濡れた唇と分厚な鼻と巴旦杏はたんきょう形の黒い眼と、その眼の上に弓なりにかかっている濃い柔かい眉とがあるので、彼女に少くともある程度まで、ユダヤ種のあることは疑う余地がなかったけれど、しかしその顔は実に異常な美しさを持っていた。
「あら――お客様なの。」と僕等を数歩立ち迎えながら、令嬢は問うた。少しふくみ声である。なおよく見ようとするつもりか、片手を額にかざすとともに、片手を壁際にあるグランド・ピアノの上に突いた。
「それにまあ、大変嬉しいお客様のようね――」と令嬢は同じ語調で、今はじめて僕の友だちを、それと認めたかのようにつけ加えた。それから僕のほうへ、問うような一瞥を投げた。
 パオロは令嬢のそばへ歩み寄ると、えりぬきの享楽に身を任せる人の、ほとんど眠たそうなゆるやかさをもって、さし伸べられた令嬢の手の上へ、無言のまま身をかがめた。
「お嬢さん。」と、やがて彼はいった。「失礼ですが、私の友だちを紹介いたします。一緒にABCを習った小学時代の同輩です。」
 令嬢は僕にも手を差出した。柔かな、骨がなさそうに思われる、ひとつも飾りのない手である。
「嬉しゅう存じます――」と、微かなふるえを特有とする暗いまなざしを、僕の上に据えながら、令嬢はいった。「それに両親も喜ぶでございましょう……おとりつぎいたしたのだとよろしゅうございますが。」
 令嬢がトルコ椅子に座を占めると、僕等二人は令嬢と相対して椅子についた。彼女の白い力のない両手は、雑談の間、膝にのっていた。寛やかな袖は、やっと肱を越すぐらいだった。手首の柔かなふくらみが僕の眼をひいた。
 数分の後、隣室に通ずる扉が開いて、両親が入って来た。男爵はしゃれた身なりの、ずんぐりした、頭の禿げた人で、灰色の八字髭を生やしている。太い金の腕輪をカフスの中へ押し込む様子に、誰にもまねのできない趣きがある。男爵に叙せられた当時、彼の苗字が二綴か三綴、犠牲になったかどうか、それは判然とは見きわめられなかった。これに反して夫人のほうは、無趣味な灰色の衣裳を着ている、醜い小さなユダヤ婦人、というにすぎなかった。その両耳には、大きなダイヤモンドが輝いていた。
 僕は引き合されて、ごく慇懃な挨拶を受けた。一方僕の連れは、この家の心安い友だちの格で、みんなと握手したのである。
 僕の身の上について、しばらく問答があった後、みんなはパオロの画が――女の裸体画が出ている展覧会のうわさをはじめた。
「実によく出来ていますな。」と男爵がいった。「わしはこの間、半時間もあの画の前に立っていましたよ。赤い絨毯の上の肉の色合いなんぞ、すばらしく見栄えがしますな。いやまったく、このホフマン君はねえ。」そういいながら、男爵はさもパトロンらしくパオロの肩を叩いた。「だが、勉強しすぎちゃいかんぜ、君。後生だから過ぎんようにな。君はぜひともからだを大事にする必要があるよ。いったいからだの工合はどんなかね。」
 パオロは、僕が主人夫婦に自分の一身について、必要な説明を与えていた間、彼のすぐ向い合いに坐っている令嬢と、低い声で数語を交していた。さっき僕が彼の様子に認めた、妙に緊張した静けさは、ちっとも失われていなかった。どこがそうだったと、はっきりはいえないが、彼は今にも飛び掛かろうとしている豹のような印象を与えた。黄ばんだ細面にある黒い眼は、きわめて病的な輝きを帯びていたので、彼が男爵の問に対して、世にもたのもしげな調子で、次のように答えた時には、僕は聞いていて、なんだか気味が悪くなったほどだった。
「いや、実に申しぶんなしです。どうも恐れ入ります。非常に工合がいいのです。」
 ――十五分ばかりして、僕等が席を立った時、男爵夫人は、二日するとまた木曜日だから、例の五時のお茶を忘れないようにと、僕の友だちに注意した。夫人はそのついでに、僕もまた、その日をどうか覚えていてくれと乞うた。
 往来に出ると、パオロは巻煙草に火をつけた。
「どうだい、」と彼は問うた。「感想は?」
「いや、非常に感じのいい人たちだね。」と、僕は急いで答えた。「あの十九の娘さんには敬服させられたくらいだ。」
「敬服させられた?」と、彼は短かい笑い声をあげて、首をそむけた。
「そうか、君は笑うんだね。」と僕はいった。「そのくせさっきあそこじゃ、時々なんだか君の眼が――秘密なあこがれで曇ったような気がしたよ。でも、僕の勘違いだったんだね。」
 彼はちょっと黙った。が、やがておもむろに首を振った。
「僕にはわからないね。どういうわけで君が――」
「おい、ごまかすなよ。――問題はもう僕にとっちゃ、ただ、アダ嬢のほうからも……」
 彼はまたちょっと口をつぐんだなり、じっと足もとを見つめていた。それから小声で、自信ありげにいった。
「僕は幸福になるだろうと思っているよ。」
 心から彼の手を握って、僕は別れを告げた。実は内々、ある危惧を制することができなかったのだけれども。
 それから数週間すぎた。その間僕は、時々パオロと一緒に、男爵の客間で午後の茶を飲んだ。そこにはいつも、小人数ながらずいぶん感じのいい連中が集っていた。若い宮廷劇場附の女優、医者、将校――僕はもう一々覚えてはいない。
 パオロの態度には、別に変ったところも見えなかった。例の気がかりな外貌にもかかわらず、常に昂然とした嬉しそうな気持でいて、男爵令嬢のそばにいると、いつも必ず、僕が最初認めた、あの不気味な落ち着きを見せていた。
 するとある日――パオロには偶然二日の間逢わずにいた――ルウドウィヒ街で、僕はフォン・シュタイン男爵に、ふと出会った。男爵は馬に乗っていたが、馬をとめて、鞍の上から僕に手をさし出した。
「いい所でお目にかかりました。明日の午後は宅へおいで下さるでしょうな。」
「そちらさえお差支えなければ、間違いなく上ります、男爵。友だちのホフマンが、毎木曜のように誘いに来てくれるかどうか、それがもしかはっきりしないような場合でも……」
「ホフマンが? おや、あなた御存じないのですか――ホフマンは出立してしまったのですよ。あなたには知らせたろうと思っていましたが。」
「なに、一言半句知らせはしません。」
「じゃまったく ※(グレーブアクセント付きA小文字) b※(サーカムフレックスアクセント付きA小文字)ton rompu(気まぐれ)なんですね……いわゆる芸術家気分というやつですか……それでは明日の午後に――」
 そういったなり、男爵は馬を進めて、あっけに取られた僕を取り残して、行ってしまった。
 僕はパオロの住居へと急いだ。――はあ、お気の毒ですが、ホフマンさんはお立ちになりました。所書ところがきは残していらっしゃいませんでした。というわけである。
 男爵が「芸術家気分」なんということ以上に、深く知っているのは明らかであった。彼の娘自身が、僕のはじめからきっとそうだろうと察していたことを、たしかめてくれた。
 それはみんなの企てた、そして僕も誘われた、イイザルの谷への散策の時に、起ったことだった。みんなは午後になってから、ようやく出発した。そしてもう晩方になったその帰り道で、男爵令嬢と僕とは、偶然にも最後の一組として、一行のあとについて行った。
 令嬢の様子には、パオロが姿を消してからも、なにひとつ変ったところは見えなかった。完全にいつもの平静を保っていて、両親のほうはパオロの急な旅立ちについて、しきりに遺憾の意を述べたのに、彼女はその時まで、まだ一言も僕の友だちのことを、言い出したことがなかったのである。
 その時僕等は相並んで、ミュンヘン近郊中の、あの最も優雅な箇所を歩いていた。月光が茂みをもれて、ちらちら輝いた。そしてしばらくのあいだ、僕等は、そばを泡立ってゆく水のざわめきと同じくらい単調な、ほかの連中の雑談に、無言のまま耳を傾けていた。
 すると令嬢は、不意にパオロのことを話しはじめた。しかも、きわめて静かな、きわめてしっかりした調子で、話しはじめたのである。
「あなたはずっとお小さい時分から、あのかたのお友だちでいらっしゃるのね。」と令嬢は僕に問うた。
「はあ、そうです。」
「あのかたの秘密も打ち明けられていらっしゃるのでしょう。」
「一番大事なのまで知っているつもりです。僕に話しはしなくても。」
「じゃ、私あなたをお信じ申してもいいわけですわね。」
「どうか、それはお疑いにならないように願いたいものです。」
「それなら申しましょう。」といいながら、令嬢は決然として首をあげた。「あのかたは私に結婚をお申し込みになりましたの。そしたら両親はおことわりいたしました。あのかたはおからだが悪い、大変悪いと両親は私に申しましてね――でも、お悪くてもなんでも、私あのかたを愛しておりますのよ。こんな風にあなたにお話ししてもかまいませんのね。私――」
 令嬢はちょっとまごついたが、また前と同じく、きっぱりした調子でつづけた。
「あのかたが今どこにいらっしゃるか、私存じません。でも、あのかたにお逢いになり次第、あのかたが前に私自身の口からお聞きになった言葉を、また繰り返して聞かせてお上げになってもかまいませんの。あのかたのおところがおわかりになり次第、私がもうあのかたよりほかのかたのところには決して参らないと、そう書いてお上げになってもかまいませんのよ。ああ――今にわかりますわ。」
 この最後の叫びの中には、反抗と決断とのほかに、きわめて心細げな苦痛がこもっていた。僕は思わず令嬢の手を取って、無言のまま握りしめずにはいられなかったくらいである。
 僕はそのおり、ホフマンの両親に手紙を出して、息子の居所を知らせてくれと頼んだ。すると、南チロオルのある宿所を教えてくれたが、そこへ出した僕の手紙は、受信人が行先を知らせずに、その地をまた去ってしまったという、ことわりがきがついて、僕のところへもどって来た。
 彼はどの側からも煩わされたくなかったのである。どこかでたったひとりで死のうとして、いっさいから逃れ去ったのである。そうとも、たしかに死ぬために違いない。なぜなら、こうなった以上、もう二度と彼に逢わぬだろうということは、僕にとっては、すでに悲しい見込みになってしまったからである。
 この不治の病にかかっている人間が、あの若い娘を、音立てぬ、火を吐くような、燃えるばかり肉感的な情熱で――その少年期の、同じ種類の最初の衝動に釣り合った情熱で恋しているのは、明らかなことではないか。病人の自主的な本能は、花咲くような健康と合一したい欲望を、彼のうちにあおり立てていた。この熱望がみたされぬために、それは彼の最後の生活力を、瞬時に消耗してしまうに違いないではないか。
 こうして五年経ったが、そのあいだ僕は彼からなんらの消息をも聞かなかった。といってまた、訃報にも接しなかったのである。
 さて昨年、僕はイタリアに――ロオマとその近郊に滞在していた。暑い二三カ月を山間ですごした後、九月の末にこの町へ帰って来て、ある暖い晩、カフェエ・アラニョオで一碗の紅茶を飲みながら、坐っていた。新聞を拾い読みしたり、灯の明るい室内を領している、にぎやかな営みを、ぼんやり眺めたりしていたのである。客が往来する。給仕がかけまわる。そして開け放された方々の扉から、時々、新聞売子の尾を長く引いた呼び声が、広間の中へひびいてくる。
 と、不意に僕は、僕と同年配ぐらいの紳士が一人、ゆっくり卓の間をぬって、出口の一つへと進んで行くのを見た。……あの歩きつきは――? と思った時には、しかしもうその人もまた、僕のほうへ顔を向けて、眉をあげると、嬉しく驚いたように、「ああ」と声を立てながら、僕のほうへやって来た。
「こんなところに来ているのか。」と、僕等はほとんど一緒に同じことをさけんだ。そして彼はこうつけ加えた。
「じゃ、二人ともまだ生きていたわけだね。」
 そういいながら、彼は眼を少しわきのほうへそらせた。――この五年の間に、彼はほとんど変っていなかった。ただ顔がおそらくはなお細くなったのと、眼が前よりもっとくぼんだぐらいなものである。ときおり、彼は深い溜息をついた。
「もう長いことロオマにいるんだね。」と、彼は問うた。
「町にはまだわずかばかりだ。田舎に二三カ月いたんだよ。君は?」
「僕は一週間前まで海岸にいた。知ってるだろう。僕はもとから山より海のほうがすきなんだ。……そうさ、君と会わなくなってから、世界中ずいぶんいろんな土地を見て歩いたよ。」
 そして彼は、僕と並んで一杯のソルベットオをすすりながら、この年月どう暮していたかを、物語りはじめた。――旅をして、たえず旅をして暮していたのだという。チロオルの山々をへめぐって、イタリアの中を端から端まで、ゆっくり行きつくして、シシリアからアフリカへ渡ったという。そしてアルジイルやチュニスやエジプトの話をした。
「しまいにしばらくドイツにいたよ。」と、彼はいった。「カルルスルウエにね。両親がぜひ逢いたいっていったのさ。それからまた立つ時も、いやがってなかなか立たせてくれなかったっけ。イタリアに来てから、もう三カ月ばかりになる。どうも南国にいると、気が落ち着くんだね。ロオマはひどく気に入ったよ。」
 僕はまだ一言も、彼のからだの工合を尋ねなかった。で、この時こういった。
「そうしてみると、君の健康はずっと快復したと思っていいわけだね。」
 一瞬間、僕の顔をいぶかるように眺めた後、彼はこう答えた。
「というのは、僕がこうやって、元気に歩き廻っているからという意味かい。なに、ほんとをいうとね、歩き廻るのはごく当然な要求なんだよ。だってどうすればいいんだ。酒も煙草も恋も禁じられてしまったんだもの――なにか麻酔剤がなくちゃ、やりきれないじゃないか。そうだろう。」
 僕が黙っているので、彼はこうつけ加えた。
「五年以来だからな――とてもやりきれやしないよ。」
 僕等は今まで両方で避けていた点に到達したのである。その時はじまった沈黙で、二人とも困りきっているのがよくわかった。――彼はビロオドのクッションに背をもたせたまま、大きな燈架を見上げていた。やがて不意にいった。
「それよりも――ねえ君、許してくれるだろうね、僕がこんなに長い間、なんにもたよりをしなかったのを……それはわかってくれるね。」
「わかっているとも。」
「僕のミュンヘンの事件は知っているんだろう。」と、彼はじゃけんなくらいの口調でさらにつづけた。
「この上なく完全に知っている。それにね、僕は今までずっと、君への伝言を持ち廻っていたんだぜ。ある婦人からの伝言をね。」
 彼のものうげな眼が、ぱっと燃え上った。が、しばらくすると、前と同じうるおいのない鋭い調子で、彼はいった。
「新しいことかどうか、まあ聞かせて見たまえ。」
「新しいとはいえないな。君が前に、その人から直接聞いたことのたしかめにすぎないんだ……」
 そういって僕は、大勢の客がしゃべったり、手まねをしたりしているただなかで、あの夕方男爵令嬢が僕に語った言葉を、彼のために繰り返した。
 彼はおもむろに額をなでながら、じっと聞いていたが、やがて、なにひとつ感動した色もなくこういった。
「どうもありがとう。」
 彼の口調は、僕をまごつかせはじめた。
「だけど、この言葉が話されてから、もう何年も経っているんだぜ。」と、僕はいった。「五年という長い月日だ。あの人も君も、二人ともすごしてきた月日だ……いろんな新しい印象や感情や思想や願望や……」
 僕はふと言葉をきった。彼がきっと坐り直して、ちょっとの間消えたと思ったあの情熱に、また声をふるわせながら、こういったからである。
「僕は――その言葉を尊重するよ。」
 そしてこの刹那、僕は彼の顔と全体の態度とに、いつか僕がはじめて男爵令嬢に逢うことになった時、彼に認めた、あの表情を読んだ。あの無理強いの、ひきつるように張りきった静けさ、猛獣が飛びかかる前に示す、あの静けさである。
 僕は話をそらせた。話はふたたび彼の旅行のこと、旅中に描いた習作のことになった。そうたくさんは描かなかったらしく、彼の口ぶりはかなり冷淡なものだった。
 真夜中すこし過ぎに、彼は身を起した。
「もう寝たくなった。せめてひとりでいたくなった。――あしたの午前中は、ガレリア・ドリアにいるよ。サラチェニの模写をやっているんだがね、あの楽を奏でている天使に、僕はほれちゃったのさ。ぜひやって来てくれないか。君がこの土地へ来たのは実に嬉しいよ。お休み。」
 それなり彼は出ていった――ゆっくりと落ちついて、力の抜けただるそうな歩きかたで。
 次の月じゅう、僕は彼と一緒に市中を廻って歩いた。あふれるばかりゆたかな、いっさいの芸術の博物館であり、南国の近代的大都市であるロオマを、さわがしい、めまぐるしい、熱い、さかしい生活にみちていながら、それでもあたたかい風が、東洋の蒸暑いけだるさを送ってくるこの都会を、廻って歩いたのである。
 パオロの挙止はいつも同じだった。たいていはむっつりしているが、時には力の抜けた倦怠に沈んでしまうかと思うと、やがて眼をきらめかせながら、急にきりっと坐り直して、とどこおっていた会話を、熱心にまたつづけるようなこともあった。
 僕は彼が数言を洩らしたある一日のことを、ここに述べなくてはならない。その言葉は今ようやく、僕にとってほんとうの意味を備えてきたのである。
 ある日曜日のことだった。僕等は美しい晩夏の朝に乗じて、アッピア街道に散策を試み、この古代的な往還を、ずっと郊外までたどって行った後、糸杉の樹立にかこまれた、小さな丘の上で休んだ。丘からはあの大溝渠のある、明るいカムパニアと、柔かいもやに包まれたアルバノの山々とが、実に美しく見渡された。
 パオロは半分横になって、あごを手で支えたなり、僕と並んで暖かい草生にいこいながら、ものうげな曇った眼で、遠くを眺めていた。するとまたまた、完全な無感覚から例の通り急に振い起つようにして、彼はこう僕に話しかけた。
「この外気の情調さ。外気の情調というものがすべてなんだよ。」
 僕はなにか決定的なことを答えた。それなりまた二人とも黙った。すると突然、まったくやぶから棒に、彼はこういった。やや押し迫るように、僕のほうへ顔を向けながら、いったのである。
「ねえ君、ほんとは妙に思いやしなかったのかい、僕がまだ相変らず生きているのを。」
 僕ははっと思って、黙っていた。彼はまた考え込むような顔つきで、遠くのほうを眺めた。
「僕は――妙に思うね。」と彼はおもむろにつづけた。「実をいうと、毎日それがふしぎでならないんだ。いったい君は僕のからだがどんな風なんだか、知っているのかい。――アルジイルにいたフランス人の医者がね、僕にこういったっけ。『どうしてあなたが、そういつまでも旅行して廻れるんだか、さっぱりわかりませんな。悪いことはいわないから、国へ帰って寝床につきたまえ』ってね。その医者は毎晩僕と一緒に、ドミノをやっていたもんだから、それでいつもそんなに遠慮がなかったんだよ。
「僕はやっぱり依然として生きている。が、ほとんど毎日のようにだめになるんだ。晩、まっくらな中に横になっているね――右を下にしてだよ、いいかい――すると、動悸がのどもとまで響いてくる、めまいがして冷汗が出る、と思うと、たちまち死の手にさわられるような気がする。一刹那、からだ中のものがすっかりとまって、心臓の鼓動が絶えて、息ができなくなってしまう。そこで、ぱっと起き返って、あかりをつけて、ほっと溜息をついて、あたりを見廻して、いろんな物を眼で吸い込むようにするんだね。それから水を一口飲んで、またもとの通り横になる。いつも右を下にしてだよ。それでそろそろ寝つくんだ。
「僕は非常に深く、非常に長く眠る。いったいに、絶えず死ぬほど疲れているんだからね。僕はそうしようと思えば、このままここに横になって、死んでしまうこともできるんだ。ほんとだよ。
「この何年間、僕はもう何度も何度も、死と直面したことがあると思う。が、死にはしなかった。――なにかに支えられているんだね。はっと起き直って、なにかを考える。ある文句にかじりついて、それを二十ぺんも繰り返す。そのあいだ僕の眼は、廻りにあるいっさいの光と命とを、むさぼるように吸い込む……僕のいうことがわかるかい。」
 彼は凝然と横たわっていて、ほとんど、返事なぞを予期してはいないらしい。その時なんと答えたか、僕はもう忘れてしまった。しかし彼の言葉が僕に与えた印象は、決して忘れることはあるまい。
 それから今度は、あの日である――おお、僕にはその日の経験が、まるで昨日あったことのように思われる。
 それはあの灰色の、気味悪く暖かい初秋の一日であった。アフリカから来るしめっぽい、胸を押しつけるような風が、往来を吹き抜けて、宵になると、空いっぱいに絶えず稲妻がきらめく、あの初秋である。
 その朝、僕は散歩に誘うつもりで、パオロのところに行った。すると、彼の大鞄が部屋の真中に出ていて、戸棚も箪笥も、思い切り開け放してあった。ただ東洋で描いた水彩のスケッチと、バティカンにあるユウノオの首の石膏の模像だけが、まだもとのところに置いてあった。
 彼自身はまっすぐに身を伸ばして、窓際に立っていたが、僕が驚きの叫びとともに立ちどまった時にも、じっと外を眺めていて動かなかった。やがて、くるりと振り返ると、僕に一通の手紙を差し出して、ただ一言いった。
「読んで見ろよ。」
 僕は彼の顔を見た。黒い、熱に燃えた眼のある、この細い黄ばんだ病人らしい顔には、だいたい死だけが呼び起し得るような表情――すさまじい厳粛さが浮かんでいた。それが僕の眼を、受け取った手紙の上に落させてしまった。そして僕は読んだ――
『敬愛するホフマン兄。
 貴兄の御宿所を知ることができたのは、小生の依頼に御親切にも応じて下さった、御両親様のおかげです。貴兄がこの手紙を快く受け納れて下さるよう願っています。
 敬愛するホフマン兄、小生はこの五年間、常に至誠の友情をもって、貴兄の上を想っていたと断言することを、どうかお許し下さい。もし貴兄にも小生にも心苦しかったあの日の急な御出立が、小生および小生の家族に対する御憤激を表わしていたものと推定せねばならぬとすれば、それについての小生の悲しみは、貴兄が小生に娘を懇望せられた時、小生の感じた驚愕と深い意外の念よりも、さらにさらに大きいでありましょう。
 あのおり小生は、男子として男子たる貴兄に語りました。なぜ小生が――これはいくら強調しても足りないのですが――あらゆる点で大いに尊敬している人に、自分の娘を上げるのをおことわりせねばならぬかというわけを、小生は腹蔵なく正直に、残酷と思われる危険を冒してまでも、貴兄にお伝えしました。それからまた、一人娘の恒久の幸福を念頭に置いていて、もしも娘が例の願望の可能性を考えるようなことでもあったら、双方におけるその願望の萌芽を、あくまで摘み取ったに違いないところの父親として、小生は貴兄に語りました。
 同じ資格で、敬愛するホフマン兄、小生は今日も貴兄に語るのです。友だちとしてまた父親としてです。――御出立以来五年も経ちましたが、小生はこれまで、貴兄の能く娘に注がれた愛情が、いかに深く根を張ってしまったか、それを認める暇なくして過ぎてきたところ、最近に至って、小生の眼を全くひらかずにはおかぬような一事件が起りました。その事実をなんで貴兄に隠しておくいわれがありましょう。すなわち小生の娘は、貴兄のことを想っているために、父たる小生が、その求婚をせつに推挙せざるを得ぬような、ある優秀な男を、きっぱりとはねつけたのです。
 娘の感情と願望に対しては、歳月も力を振うことなくして流れ去りました。そしてもしも――これは腹蔵なき謙虚な問であります――貴兄においても、敬愛するホフマン兄よ、また同じ御事情であるならば、然らば小生等両親は、今後わが子の幸福の邪魔はすまいと思っていることを、小生はここに貴兄にむかって言明いたします。
 お返事をお待ちしています。どんな意味のお返事であろうと、小生は大いに感謝するでしょう。そしてこの手紙には、衷心からの尊敬の言葉をつけ加えるだけで足りると思います。
敬具。
男爵オスカアル・フォン・シュタイン』

 ――僕は眼をあげた。彼は両手を背に廻したなり、また窓のほうに向いていた。僕はただこれだけ問うた。――「立つんだね。」
 すると僕のほうは見ないで、彼は答えた。
「あしたの朝までに、荷物をまとめなくちゃならないんだ。」
 その日は、いろんな用達しや荷造りで暮れた。僕も手伝った。そして晩方僕の発議で、僕等は一緒にお名残の散歩をして、市街を廻った。
 その時も、まだほとんど耐えきれぬ蒸暑さで、空には、一秒ごとにぱっぱっと燐光がきらめいた。――パオロは静かなものうげな様子だった。しかし息づかいは深く重かった。
 無言のままか、またはとりとめもない話をかわしながら、一時間ばかりもぶらぶら歩いた後、僕等はフォンタナ・トレヴィの前に足をとめた。疾走する海神の車駕しゃがを表わしている、あの有名な噴水である。
 僕等は今日もまた長い間、感歎しながら、この美しくも雄渾な群像を眺めつくしていた。それはたえず真青な閃光を浴びるので、なんだか不可思議なもののような感じがした。僕の連れはいった。
「まったくだ。ベルニニなら、その弟子の作でもたまらなくいいね。敵があるなんて、僕にはわからないよ。――そりゃ、もしあの最後の審判が、絵よりも彫刻に近いとすれば、ベルニニの作はどれだって彫刻よりも絵に近いさ。だけど、これ以上の偉大な装飾家があるだろうか。」
「いったい君は、」と僕は問うた。「この噴水にどういういわれがあるか、知っているのかい。誰でもロオマに別れる時、この水を飲めばね、その人はまた帰って来られるというんだよ。さあ、これが僕の旅行コップだ――」といって、僕はほとばしる水条の一つで、それをみたした。「君はぜひ君のロオマに再会しなけりゃね。」
 彼はコップを取って唇へ持って行った。と、その刹那に、空一面がまばゆいばかりの長くつづく火光で、ぱっと燃えあがった。と思うと、がちゃんと音がして、その薄い器は水盤の角に当って、粉々に砕け散った。
 パオロはハンケチで、服についた水をぬぐった。
「気がたかぶっていてへまをやった。」と彼はいった。「もう行こうじゃないか。あのコップは別に大したものじゃなかったんだろうね。」
 翌朝になると、天気は恢復した。僕等が停車場へ馬車を駆った時には、水色の夏空が頭上に笑っていた。
 告別は短かかった。僕が幸福を祈ると、くれぐれも幸福を祈ると、彼は黙って僕の手を握った。
 胸を張って、大きな展望窓に立っている彼の姿を、僕は長い間、見送っていた。彼の眼には、深いまじめさがあった――そうして勝利が。
 僕はこの上、なにをいうことがあろう。――彼は死んだ。婚礼の翌朝――いや、ほとんどその当夜に死んだのである。これはそうなるのが当然だった。彼がこんなに長い間、死を征服してきたのは、ただひとえに意志の――幸福への意志のおかげではなかったのか。その幸福への意志が充足させられた時、彼は死ぬよりほかはなかった。争闘も抵抗もなく、死ぬよりほかはなかった。彼はもはや生きるための口実を失ってしまったのである。
 僕は彼が悪いことをしたのではないか、縁を結んだ女に対して、知りながら悪いことをしたのではないか、と自ら問うてみた。しかし彼の葬式の時、彼女が棺の枕がみに立っているところを見たら、彼女の顔にもまた、彼の顔に見出したと同じ表情――勝利のおごそかな強いまじめさが認められた。





底本:「トオマス・マン短篇集」岩波文庫、岩波書店
   1979(昭和54)年3月16日第1刷発行
   2003(平成15)年5月24日第33刷発行
※原題の「DER WILLE ZUM GL※(ダイエレシス付きU)CK」は、ファイル冒頭ではアクセント符号を略し、「DER WILLE ZUM GLUCK」としました。
入力:kompass
校正:酒井裕二
2015年2月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード