鉄道事故

DAS EISENBAHNUNGLUCK

トオマス・マン Thomas Mann

実吉捷郎訳




 なにか話せ? しかしなんにも知らないのだがね。まあいいや。じゃなにか話すとしよう。
 もう二年になるが、一度僕は汽車の事故に出くわしたことがあるのだ――一々のこまかいことまで、みんなありありと眼に残っているよ。
 そりゃ決して最大級のやつじゃなかった。「弁別しがたき無数の死者」とかなんとかいうような、大げさなやつじゃなかった。そんなのとは違う。でもやっぱり、あらゆる附録の備わった、正真正銘の鉄道事故でね、しかもおまけに夜あったんだ。こんな目にあった人はそうざらにはあるまい。だから、それをひとつお聞かせしよう。
 僕はその時、ドレスデンへむかう途中だった。文学奨励者たちに招待せられてね。つまり芸術行脚、名匠行脚という、僕が今でも時々出かけるのにやぶさかでないやつさ。代表者になる。演壇に昇る。喝采する群衆に姿を示す。ヴィルヘルム二世の臣たるに恥じずというわけだ。それにまたドレスデンは全くいいところだからな(ことにあの牙城はね)。そして僕は用がすんだら、十日か二週間ぐらい、いささか英気を養うために、「ワイセル・ヒルシュ」へ行って、摂生の結果、霊感でも得られたら、また仕事もしてみるつもりだった。という次第で、鞄の一番底には、原稿を入れておいた。備忘録と一緒にしてね。茶色の包み紙でくるんだ上を、バイエルンの国色の太い紐でしばった、どうどうたるひと包みさ。
 旅行は贅沢にするのが僕はすきだ、ことに旅費がむこう持ちならね。そこで寝台車を利用することにして、前の日に一等の車房を予約してしまった。だから、もう大丈夫なのだ。それだのに、こういう場合いつもそうなのだが、なんだかわくわくしてしまってね。なぜといって、旅立ちというものは、いつだって一つの冒険だもの。どうも僕はいつになっても、交通機関に対して全然平気になりきることはなさそうだよ。ドレスデン行の夜汽車が、毎晩きまって、ミュンヘンの中央停車場を出て、毎朝ドレスデンに着くということは、わかりきっているのだが、さて僕自身がその列車に乗ってだね、僕の大事な運命を、その列車の運命に結びつけるとなれば、そりゃやっぱり正に大事件だからな。そうなると僕は、その列車がただその日だけ、しかもひとえに僕のために出るんじゃないかというような考えを、どうしても禁じ得ないのだ。そしてこの不合理な迷誤の結果として、いきおい或るひそかな深い興奮がおこってくる。出発についてのあらゆる面倒――鞄を詰める、荷物を乗せた辻馬車で停車場にかけつける、停車場に着く、荷物を預ける――それがみんなすんでしまったうえ、とうとうちゃんと座席について、これで安心と思うまでは、その興奮はおさまらないのだね。もちろんそうなれば、緊張が快く解けてくる。頭は新しい事物にむかう。ガラス屋根のまるく張ったむこうには、大きな異境がひらけている。そうして喜ばしい期待が、心を占めるというわけだ。
 この時もやっぱりそうだった。手荷物を運んでくれた運搬夫に、どっさり金をやったので、その男は帽子をぬいで、ごきげんよう行ってらっしゃいましと挨拶した。それから僕はいつも晩に吸う葉巻をくわえながら、寝台車の廊下の窓にって、歩廊のいとなみを眺めていた。そこにはしゅうしゅうごろごろいう音や、あわただしい足音や告別の言葉や、新聞と食品の売子たちの、歌うような呼び声なんぞがきこえる。そしてすべての上には、大きな電気の月が、十月の夜霧を浴びながらかがやいている。たくましい男が二人、荷物を満載した手車を、列車ぞいに前部の貨物車のほうへ引いてゆく。ある見なれた目じるしで、僕には自分の鞄がよくわかった。それは多数の中の一個としてそこにある。そしてその底には、あの貴重な包みが鎮座しているのだ。もうこれで心配はない、と僕は思ったね。あれは確実な手に渡っている。まあ、あの車掌をよく見るがいい。革帯を締めて、いかめしい曹長ひげをはやして、むっつりと油断のない眼つきをしているじゃないか。その車掌が、古ぼけた黒い肩掛の婆さんを、もうすこしで二等に乗りそうにしたというので、どなりつけている、あの様子を見るがいい。あれがわれわれの父なる国家なのだ。あれが権威というもの、安全というものなのだ。あの男とかかり合うのはだれでもいやがる。あの男は厳格だ。いや苛酷かもしれない。だが、信用はできる、信用は。だから、僕の鞄はアブラハムのふところに預けたも同様なのだ。
 紳士が一人、歩廊をぶらついている。半ゲエトルをはいて、黄色い秋外套を着て、綱をつけた犬を一匹連れている。僕はこんなかわいい小犬を、まだ見たことがない。ずんぐりしたブルドックでね、つやがあって、肉がしまっていて、黒いぶちで、そのうえ、よく曲馬団で見る小犬のように栄養がよくって、おどけている――小さなからだ一ぱいの力を出して、曲馬場の廻りをかけまわっては、見物を喜ばせる、あの小犬のようにだね。この犬は銀の首輪をはめていて、つないである紐は、五彩の皮を編み合わせたものなのだ。しかしその持主、すなわち半ゲエトルの紳士を見れば、そんなことはふしぎでもなんでもない。紳士はたしかに最も高貴な生れに違いないのだからね。片眼鏡を眼にはめているが、それが顔立ちをへんに見せないで、きりっとさせている。それに口ひげが傲然とはね上っているので、そのために口の端にも顎にも、なんとなく人を見くだしたような、剛愎ごうふくそうなおもむきが現われているのだ。紳士は例の勇壮な車掌になにか尋ねる。するとこの朴直な男は、相手がだれだということをはっきり感じているから、手を帽子にあげたまま答える。そこで紳士は自分の人格の効果に満足して、なおもぶらぶら歩いてゆく。半ゲエトルの足で、従容として歩いてゆく。顔つきはつめたい。人や物に鋭く眼をつける。旅の興奮なんということは、夢にも知らないのが、見ただけではっきりわかるのだね。旅立ちというような平凡な事柄は、この男にしてみれば、冒険でもなんでもない。この男は人生を我家のごとくに心得ていて、この世の制度や暴力を、ちっともこわがっていない。自分自身その暴力に属しているのだもの。一言でいえば強者なのだもの。僕はこの男の様子をいくら見ても見あきないのだ。
 もう時間が来たと思うと、その男は乗り込んできた(車掌はちょうど背中を向けていたっけ)。廊下で僕のうしろを通りすぎる時、僕にぶつかったくせに、「失礼」ともなんともいわない。なんという紳士だろう。しかしそれにつづいて起ったことに比べれば、そんなことは物の数でもないのだ。その紳士は平気の平左で、例の犬を寝室の中へ連れ込むじゃないか。それは疑いもなく禁制なのだ。もし僕だったら、犬を寝台車へ連れ込むなんて、そんな思いきったまねがどうしてできよう。ところがこの男は、人生における強者の権利をふるって、連れ込んでしまったのだ。そうして入ったあと、扉をしめてしまった。
 警笛が鳴って、機関車がそれに応ずる。汽車はそろそろ動きはじめた。僕はなおしばらく窓際にたたずんだなり、取り残されて別れの合図をしている人たちを眺めたり、鉄橋を眺めたり、燈火がゆれて動いてゆくのを眺めたりしていた。……やがて車の中へ引っ込んだ。
 寝台車はそうひどく込んではいなかった。僕の隣の車房はからっぽで、寝る用意もしてなかったから、僕はそこへ行ってゆっくりくつろぎながら、静かな読書のひとときをすごすことにきめた。そこで書物を取ってきて、いろいろ身の廻りを整えたのだ。長椅子には絹の亜麻色の布が張ってある。畳み込みのできる小卓の上には、灰皿がのせてある。ガスは明るく燃えているというわけさ。で、僕は煙草をふかしながら、本を読んでいたのだね。
 そこへ寝台車の車掌が役目で入って来て、夜行乗車券を見せてくれというので、僕はそれをその男の黒ずんだ手に渡してやった。口の利きかたは丁寧だが、純粋に職務的で、人間同士としての「おやすみなさい」という挨拶は省いている。そしてすぐに隣の小房の扉を叩きに行ってしまった。だが、それはやめたほうがよかったのだ。なぜなら、そこにはあの半ゲエトルの紳士が住んでいるのだからね。犬を見られまいと思ったのか、あるいはもう寝床に入っていたのか知らないが、ともかく紳士は、自分の安静をふとどきにも妨げようとしたやつがあるというので、おそろしく腹を立てた。実際、列車がごうごういっているのに、僕には紳士が直截に猛烈に癇癪を破裂させたのが、薄い壁越しに聞えたのだ。「いったい何事だ。」と紳士は叫ぶのだね、「うっちゃっといてもらおう。――この山猿め。」紳士は、「山猿」という言葉を使ったのだ――強者の使う言葉だ。騎者や騎士の使う言葉だ。懦夫だふをして起たしめるひびきがある。ところが、車掌はどこまでも談じつけようとする。なにしろ、この紳士の乗車券を調べないわけには、実際いかないのだろうからね。で、僕は様子を残らずくわしく見てやろうと思って、廊下へ出たので、しまいに紳士の扉がぐいと細目にひらいて、乗車券の綴じ込みがさっと車掌の顔のまんなかへ――じゃけんにはげしく、顔のまっただなかへ飛んで来たのを、目撃したのだ。車掌はそれを両手で受け止めると、綴じ込みの片端が眼に入って、涙が出たほどなのに、きちんと両脚をそろえて、手を帽子にあげたまま礼をいうじゃないか。ひどく感動して、僕は自分の書物のところへまた帰って来たのさ。
 もう一本葉巻を吸ってはいけないかしら、と考えてみたが、べつになんの差支えもなさそうに思ったので、そこで車輪のとどろきを聞きながら、本を読みながら、もう一本ふかして、愉快な、思想に富んだ気持になった。時はすぎてゆく。十時になり十時半――あるいはもっとになる。寝台車の乗客たちはみんな眠りについてしまった。結局、僕もそれにならうことに、異議を認めなくなったのだね。
 そこで立ちあがって寝室へ入る。正銘の豪奢な小寝室で、壁は圧搾した革で張ってあるし、服を掛ける釘もあれば、ニッケルめっきの洗面器もある。下段の寝台が雪白に整えられて、掛布は人をいざなうように折り返してある。おお、偉大なる現代よ、と僕は考えたね。まるでうちでねるようにこの寝台に横になる。寝台は夜っぴてすこしずつふるえつづけるが、その結果として、あしたの朝はもうドレスデンにいるのだからな。僕はすこし身仕舞を直すつもりで、網棚から手鞄を取った。両腕を伸ばしたなり、僕はそれを頭の上に支えていた。
 この瞬間に事故は起ったのだ。僕は今日のことのように覚えている。
 まず、どんと来たのだ。いや、「どん」といったばかりじゃ、とても足りない。その「どん」は、絶対にたちの悪いものだということが、すぐにわかるような「どん」なのだ。ものすごい爆音のこもった「どん」なのだね。しかもその猛烈なことといったら、例の手鞄は僕の両手からけしとんで、どこかへ行ってしまって、僕自身はいやというほど、壁に肩をぶつけたくらいだったよ。なにをどう考えるひまもありはしないのさ。ところがその次には、車体がおそろしくゆれ出した。で、そのゆれがつづいている間に、やっとこわいと思う余裕ができたわけだ。いったい汽車がゆれるということはよくあるさ。転轍器のところや、急な曲り角なんぞでね。そりゃだれでも知っている。ところが、この時のゆれかたときたら、立っていることができないどころか、壁から壁へ投げかわされてね、こりゃもう車体が顛覆するかと思ったくらいだったよ。僕はその時、ある大いに単純なことを考えていた。しかし一心不乱に、そればかり考えていたのだ。「こりゃいかん。こりゃいかん。こりゃとてもいかん。」とね。言葉通りそうなのだ。それからまたこうも考えた。「とまれ。とまれ。とまれ。」とね。なぜといって、列車がとまりさえすれば、事態が大いによくなるだろうということは、僕にはわかっていたのだもの。するとどうだろう。僕の無声の、熱誠こめた命令に応じて、列車はとまってしまったじゃないか。
 その時まで、寝台車は死んだようにしずまり返っていたのが、そうなると、恐怖の声がほとばしりはじめた。婦人連のかんだかいわめきが、男たちの低い驚きの叫びにまじってひびくのだ。隣の室で「助けてくれ」という叫びが聞える。それはたしかにさっき「山猿め」という言葉を使った、あの声だ。あの半ゲエトルの紳士の声だ。おそれでうわずった声なのだ。「助けてくれ」と紳士は叫ぶのだね。で、僕が乗客のおおぜい馳せ集まった廊下へ出た、ちょうどそのとたんに、紳士は絹のねまきのまま、車房から飛び出して来て、狂おしい眼つきで、そこに突っ立っている。「大変だ。おそろしいことだ。」と紳士はいうのだ。そのうえ、わざと自分にひどい屈辱を与えよう、そうしておいて、あわよくば滅亡を免れようというつもりで、なおおまけに、嘆願的な調子でこういうのだ――「ああ、弱ったなあ。」が、突然考えを変えて、紳士は自衛の策を講じた。壁際に小さな棚があって、中に非常用として斧と鋸とが一本ずつかけてある。そこへ飛びかかると、拳を固めてガラスを叩き割ったが、すぐには手がとどかないので、その道具はそれなりにして、今度は、半裸体の婦人たちがまたもや悲鳴をあげたほど乱暴に、ぐいぐい旅客の群を突きのけて道を開きながら、それなり外へ飛び出してしまった。
 これはほんの一刹那の出来事だった。僕はこの時になって、ようやく自分の驚愕を実感した――背中がなんだかしびれたようになっているし、一時的にだが、つばをのみくだすことができなくなっているのだね。赤い眼をして、同じく駈けつけて来た、あの黒い手の寝台車の車掌を、みんなはわいわいいって取りまいた。腕や肩をあらわした婦人たちは両手をもみ合わせている。
 脱線だ、脱線したのだ、と車掌は説明した。あとでわかった通り、それはうそだったのだ。しかしどうだろう、車掌はこのさい饒舌になってね、官僚的な厳正なんぞ、どこかへやってしまったのだよ。この大事件で舌がほぐれて、親密な調子で、自分の細君のことまで話すのだからね。「わたしはまったく女房にこういったんです。ねえ、おい、今日はきっとなにか持ち上りそうな気がするよってね。」どうだ、なんにも持ち上らなかっただろうか、というわけさ。なるほどそうだ、とみんなその点じゃ、車掌のいうことをもっともだと思ったね。が、車の中には、どこからともなく濃い煙がもくもく湧いてくる。そこで僕等は、外の闇の中へ出たほうがいいということになった。
 それには、かなり高い踏段から、路盤の上へ飛び降りるよりほかはない。歩廊なんぞはないのだし、おまけに僕等の寝台車は、反対のがわへずっと斜めに傾いていたのだからね。でも婦人連は、急いであらわなところを蔽い隠すと、すてばち気味で飛び降りてね、まもなく僕等は、一人残らず線路の間に立っていたのさ。
 あたりはほとんどまっくらだった。が、それでも僕等の乗っていた後部の車は、みんな斜めに傾いてはいるものの、実はどうもなっていないのが見えた。ところが前のほう――そう、そこから十五歩か二十歩ぐらい先のほうが、大変なのだ。さっきの「どん」に、なるほどたまらない爆音がこもっていたわけさ。そこは一面に破片の沙漠だ。――近づいてゆくと、沙漠のへりが見える。そして車掌たちの小さなカンテラが、沙漠の上を右往左往している。
 いろんな知らせがそこから来る。事態についてのいろんな報道を持って、興奮した人たちがやって来るのだね。僕等はレエゲンスブルグからすこし手前の、ある小駅のすぐそばにいたのだ。そして転轍器の故障から、僕等の急行列車は、違った線路に乗り込んでしまって、そこにとまっていた貨物列車に、全速力で追突すると、その列車を停車場のそとへ突き飛ばしたうえ、その後部を粉砕して、こっちもひどく損害をこうむったというわけだったのさ。ミュンヘンのマッファイ製の急行機関車が、まっぷたつにこわれてしまった。その価額七万マルク。それから前部の車は、みんなほとんど真横に倒れていて、中には、腰掛が両方から組み合わさってしまったのもある。いや、人死にはありがたいことに、まあなかったらしい。婆さんが一人「引きずり出された」とかなんとかいうことだったが、誰もその婆さんを見たものはなかった。なんにしても、入口はみんなごちゃごちゃにぶつかり合って、子供なんぞは、荷物の下にうずまってしまったというのだから、驚愕は大したものだった。貨物車はこなごなになってしまった。貨物車がどうなったって? こなごなになってしまったのだ。
 僕はそこに突っ立っていた……
 役人が一人、帽子もなしで、列車に沿うて走ってゆく。駅長だ。乱暴に、しかも泣きそうな声で、旅客に命令をくだしている。みんなを制御して、線路から車内へ入れてしまおうというのだ。しかし帽子もなければ威厳もないので、だれ一人、耳をかす者はない。あわれむべき男じゃないか。責任はおおかたこの男にかかるのだろう。この男の経歴はこれでおしまいかもしれない。生活は破壊せられてしまったのかもしれないのだ。この男にあの大荷物のことを聞くのは、どうもぐあいが悪い気がした。
 また一人役人がやって来た。――びっこを引きながらやって来た。その曹長ひげを見れば、だれだということはわかる。あの車掌さ。晩にいた、あのむっつりと油断のない車掌さ。われわれの父なる国家なのさ。身をかがめて、片手を膝に突張ったまま、びっこを引いている。そしてその片膝よりほかには、なにごとも眼中にないのだ。「ああ、痛い、痛い。」と車掌はいう。――「おやおや。いったいどうしたんですか。」――「いやはや、どうも。あいだにはさまれたんですよ。胸をうんとやられたんですよ。なにしろ屋根を越してのがれて来たんですからな。ああ痛い。」――この「屋根を越してのがれて来た」には、新聞記事めいた味があったね。この男は平生決して「のがれる」なんという言葉は使わないにきまっている。だからこの男は、不慮の難を経験したというより、むしろその災難に関する新聞記事を経験したわけなのだよ。しかし僕にとって、そんなことがなんの役に立とう。この男はぼくの原稿がどうなったか、それを知らせてくれるような心持じゃいないのだからね。そこで僕は、破片の沙漠から元気よく、もったい振って、はしゃぎながらやって来た一人の若い人間に、あの大荷物のことをきいてみた。
「さあね、そんなものがあそこでどんなになっているか、そりゃだれにもわかったものじゃありませんよ。」しかもその口吻は、けがもしないで助かったのを喜ぶがいいじゃないかと、あんにいっているのだ。「なにもかもごちゃごちゃでさあ。女の靴がね……」とその男は乱暴な、打ちこわすようなしぐさをしながらいって、鼻にしわを寄せた。「その荷物は取り片づけの時でなけりゃ、わかりますまいよ。女の靴がね……」
 僕はそこに突っ立っていた。全くひとりぼっちの気持で、よる夜中、線路の間に突っ立っていたのさ。そして自分の心を吟味してみたのだね。取り片づけか。僕の原稿の取り片づけがおこなわれるわけなのだな。じゃ、もうだめになっているのだな。おおかたずたずたに、もみくちゃになっているのだろう。僕の蜜蜂の巣。きれいに織り上げた織物。上手に作った狐の穴。僕の誇りと辛苦。僕の最上の作。もしほんとうにそうなってしまったのなら、僕はどうしたものだろう。あそこにすでに書いてあるもの、もうちゃんと組み合わせてきたえ上げてあるもの、すでに生きてひびいているもの――それの写しは一つも取ってないのだ。それからいろんな覚え書や研究、何年もかかって、山鼠のようにかき集め、苦しんで獲得し、ひそかに聞き取り、そっと手に入れ、悩んで求めた、あの多くの貴重な材料――まあ、それは措くとしてもだね。さてどうしたものだろう。僕は自分の気持を仔細に調べてみて、またはじめから書きなおす気でいることがわかった。そうだ。僕は動物的な根気で――ある下等動物が、小さな聡明と勤勉とで作り上げたふしぎな複雑な労作をこわされた時の、あのねばり強さでもって、迷乱と困却の一瞬間の後には、全体をふたたびはじめからやりなおすだろう。そしてもしかすると、今度は前よりもすこしはらくに行くかもしれない……
 ところが、そのうちに消防隊が到着した。たいまつを持ってね。それが破片の沙漠の上に、赤い光を投げている。で、僕は貨物車の様子を見ようと思って、前のほうへ行ってみると、それはほとんど無事で、大鞄はどれもどうもなっていないのがわかった。そのへんにちらばっているいろんな荷物や商品は、例の貨物列車にのっていたものなのだね。中でもからげなわのもつれたのが、数限りもなく海のようになって、あたり一面を蔽っていたっけ。
 それを見ると、僕は気が軽くなってね、そこに突っ立ったりしゃべったり、この不運をきっかけに友だちになったり、大げさなことをいったり、もったいぶったりしている人たちの仲間入りをしてしまったのだ。機関手が立派な働きをした、大事を未然に防いだ――危機一髪というところで、非常ブレエキを引いたのだということだけは、たしからしかった。みんなの話じゃ、もしそうでなかったら、それこそかならず大変なことに立ち至ったに違いない、列車は左手のかなり高い崖から、ころがり落ちたろうというのだね。なんと賞讃に値する機関手じゃないか。機関手はどこにも見えない。だれもその姿を見た者はない。しかしその名声は全列車を通じてひろまった。
 僕等はみんなその男のいないところで、その男をほめそやしたのだ。「あの男が、」と、ある紳士はいいながら、手を伸ばして、闇の中をどこともなく指さした。「あの男がわれわれすべてを救ってくれたのですな。」それを聞くと、一人残らずうなずいたのさ。
 ところで、僕等の列車は、入ってはならない線路に、入っているのだから、ほかの列車が追突しないように、後ろのほうを守っておく必要がある、そこで、消防隊の人たちは瀝青れきせいのたいまつを持って、最後の客車のそばに並んだ。すると、さっき女の靴、女の靴といって、僕をあんなに不気味がらせた、あのはしゃいだ若い男も、たいまつを一本引っつかんで、信号のように振り廻しているのだ。どこを見ても、列車なんぞは見えないのにね。
 やがてだんだんと、いったいの様子に、秩序らしいものが立ってきた。われわれの父なる国家は、ふたたび面目と威厳を恢復したわけなのだ。電報が打たれて、あらゆる対策が講ぜられた。レエゲンスブルグからの救援列車が、用心深く停車場へ進み入ると、反射鏡のついた大きなガス照明器が、いくつも荒れ跡に建てられた。ところで、僕たち旅客は宿換えをさせられて、先へ行けるようになるまで、駅の構内で待っていろというお達しだ。そこで、手荷物をたくさんかかえたり、ある者は頭に繃帯をしたりしたまま、僕等は物見高い土地の人たちの、ずらりと並んだ中を抜けて、小さな待合室へ入っていって、その中へできるだけぎゅうぎゅうづめに押しつまった。そうしてさらに一時間の後には、みんなでたらめに臨時列車の中へつみ込まれたのだ。
 僕は一等の切符を持っていたが(旅費はむこう持ちなのだからね)、しかしそれはなんの役にも立たない。なぜといって、だれでも一等が一番いいものだから、一等の箱は、ほかのところよりも、なおいっぱいになってしまったわけさ。それでも、どうやら席をみつけてね、見ると……筋むこうの隅っこに押し込められて、だれがいたと思う? あの半ゲエトルの、いばった言葉づかいの紳士だ。わが主人公なのだ。小犬はもう連れていない。取り上げられてしまったのだね。今じゃ強者の権利もすっかりだいなしで、犬は機関車のすぐ次の、暗い穴蔵みたいなところに坐って、鳴いているのだ。紳士もやっぱり、役に立たない黄色い切符を持っている。そしてぶつぶついいながら、共産主義に対して、災難の尊厳を前にしての大きな均等に対して、反抗を試みようとした。ところが、一人の男がりちぎな声で、こう答えたのだね。――「坐ってられるんなら、あんた、いいじゃないかね。」するとにがわらいをしながら、紳士はこのけたはずれの状態に甘んじてしまった。
 そこへ二人の消防夫にたすけられながら、だれが入って来たろう。小さな老婦人だ。ぼろぼろの肩掛けをしたお婆さんだ。ミュンヘンであやうく二等に乗りかけたのと同じお婆さんなのだ。「これが一等ですかい。」と、しきりにくり返して尋ねている。「これがあの、ほんとうに一等なんですかい。」そうしてみんながその通りだと受け合って、席を譲ってやると、「やれやれ、ありがたい。」といいながら、あらビロオドのクッションの上に、ぺったり腰をおろした。今やっと助かったという風でね。
 ホオフに来た時は、もう五時で、明るくなっていた。この駅で朝飯をすませて、この駅で急行列車に乗り換えて、僕は僕の荷物と一緒に、三時間おくれてドレスデンに着いたのさ。
 そう。これが僕の経験した汽車の事故だ。一度はこんな目にもあわなければならなかったのだろうね。これで僕は、論理学者は異議をとなえても、そうすぐには二度とこんなことにぶつからないだけの幸運を持っていると思うよ。





底本:「トオマス・マン短篇集」岩波文庫、岩波書店
   1979(昭和54)年3月16日第1刷発行
   2003(平成15)年5月24日第33刷発行
※原題の「DAS EISENBAHNUNGL※(ダイエレシス付きU)CK」は、ファイル冒頭ではアクセント符号を略し、「DAS EISENBAHNUNGLUCK」としました。
入力:kompass
校正:酒井裕二
2015年3月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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