なぐり合い

WIE JAPPE UND DO ESCOBAR SICH PRUGELTEN

トオマス・マン Thomas Mann

実吉捷郎訳




 ジョニイ・ビショップがおれに、ヤッペとド・エスコバアルとがなぐり合いをするから、見物に行こうじゃないかといった時、おれは大いに心をうごかした。
 それは、夏休にトラアヴェミュンデに行っていた時のことで、ある蒸暑い日だった。陸軟風が吹いて、海は干潮でずっと引いていた。おれたちは小一時間ばかり水につかったあと、梁や板を組み合わせた水浴小屋の下の堅い砂の上に、船持ちの息子ユルゲン・ブラットシュトレエムと一緒に、ねそべっていたのである。ジョニイとブラットシュトレエムは、丸裸であおむけになっていたが、おれはそれよりもタオルを腰にまきつけたほうが気持がよかった。ブラットシュトレエムはおれに、なぜそんなことをするのかと問うた。そしておれがうまい返事をしかねていると、ジョニイは持前の心をうばうようなかわいい微笑をもって、君はもう裸でねるには、すこし大人すぎるんだろうといった。実際おれはジョニイよりも、ブラットシュトレエムよりも、大きかったし、発達もしていた。それにすこしは年上でもあったろう。たしか十三だった。だからおれはジョニイの説明を黙って受け容れた。実をいうと、そこにはおれに対するある侮辱がこもっていたのだが。いったいジョニイと一緒にいて、彼よりも小さく上品で、からだつきが子供っぽくないと、誰でもすぐに、なんだかみっともなく見えてしまうのだった。彼はそういう性質を、実にゆたかに備えていたのである。そんな時彼は、きれいな、碧い、優しいけれど、ひやかし気味の微笑を含んだ、少女のような眼で、人の顔を見上げることがよくあった。――「君はもうずいぶんのっぽなんだねえ。」とでもいいたそうな表情を浮かべながら。大人とか長ズボンとかいう理想は、彼のそばに来るとなくなってしまった。しかもそれが戦争後まもない頃で、力だの勇気だの、なんでも荒くれた美徳が、おれたち少年の間では非常にもてはやされて、そのほかのものは、ことごとくめめしいとせられていた時分のことだったのである。ところが、ジョニイは外国人もしくは半外国人だったので、そうした気分の影響は受けなかった。それどころか、かえってどこかに、努めて容色を保ちながら、自分よりその心がけのすくない者をばかにする女といったようなところがあった。それにまた彼は、上等な、どこまでも若様らしいなりをしている点では、たしかに町中第一の少年だった。すなわち純イギリス式水兵服に、青いリンネルのカラア、水夫ネクタイ、飾り紐、胸の隠しには銀の呼子が入り、手首で詰まっているふっくらした袖には、錨のしるしがあるというわけである。もしだれでもほかの者が、こんな身なりをしていたら、きっとおしゃれだといって冷かされたり、制裁を加えられたりしただろう。が、ジョニイはいい恰好に、当り前な顔をして、着こなしていたので、それが決してなんの障りにもならなかった。だから、そのために苦しんだことなんぞ、一度だってなかったのである。
 彼がいま腕をあげて、かわいい、明色の、柔かく縮れた、細長いイギリス風の頭の下に、細い両掌をあてがったなり、そこに横になっているところは、なんだか小さいやせたアモオルのような観があった。ジョニイのお父さんというのは、ドイツの商人だったが、イギリスに帰化して、もう何年も前になくなっていた。が、お母さんのほうは生粋のイギリス人だった。穏かな落ち着いたものごしの、面長な婦人で、子供たち――ジョニイと彼に劣らずかわいい、少し意地の悪い小柄な女の子とを連れて、おれたちの町に住み着いていたのである。彼女はたえず良人の喪に服していて、いつまでも黒装束でばかり歩いていた。子供たちをドイツで育てていたのも、おそらく亡き人の遺言を重んじてのことだったのだろう。彼女はたしかに気楽な身分だったに違いない。郊外に宏大な邸と、海岸に別荘とを持っていたうえ、ときおりはジョニイとジッシイを連れて、遠くの温泉へ出かけたりした。社交界へは、出ようと思えば出られたのだろうに、彼女は加わらなかった。喪にいたためか、あるいは町の上流家庭の視野を狭すぎると思ったせいか、むしろひとりですっかり引っ込んで暮していた。でも、ほかの子供たちを招いて一緒に遊ばせるやら、ジョニイとジッシイを、舞踏や礼式の稽古に加わらせるやらして、自分の子供たちの社交ということには、注意を払った。自分でその交際をきめはしなくとも、まあ、ひそかに気をつけて監督していたのである。しかもその結果、ジョニイとジッシイは、必ず裕福な家の子供たちとばかり仲よしになった――もちろん明確な主義に基づいてではないが、しかしともかく、単なる事実の上でそうなったのである。このビショップ夫人は、他人から尊敬せられるには、ただ自分で自分を重んずればいいのだということを、おれに教えてくれた点で、間接におれの教育に貢献した人である。男の首長をうばわれてしまいながら、この小家庭は、普通こんな場合によく世間の疑惑の種になる、あの荒廃や衰微の徴候を、ただの一つも示さなかった。別に親戚のつながりもなく、称号も伝統も権力も、また社会的地位もないこの家族の存在は、きり離されていながらも、威張ったものだった。しかもそれが非常に安定な、ほかを埋め合わせるくらい威張ったもので、みんなこの家庭になら、文句なしに安心して、いかなる承認でも与えたし、その子供たちの友情は、少年少女の間で大いに尊重せられていたほどだったのである――ついでにユルゲン・ブラットシュトレエムのことをいえば、その父親の代になって、ようやく富と公職とに昇ってきたわけで、父親は自分と家族とのために、赤い沙岩石の家をブルクフェルトの原に建てた。それがビショップ夫人の家と隣り合わせだった。そこでユルゲンはビショップ夫人の快諾のもとに、ジョニイと家でも一緒に遊べば、学校へも一緒に通っていたのである。――このユルゲンは、鈍重で人なつっこい、手足の短かい、別に際立った特色もない少年で、ひそかにもう、無邪気な恋のまねごとをはじめていた。
 前にもいった通り、おれはジョニイから、ヤッペとド・エスコバアルがこれから決闘をするという話を聞いて、大いに驚愕した。決闘は今日十二時、全く真剣に、ロイヒテンフェルトの原で遂行せられるのだそうであった。これはおそろしいことになりかねなかった。なぜといって、ヤッペもド・エスコバアルも、騎士的名声をになう精悍勇猛の連中で、それが敵として相まみえるとなれば、きっと見ていて胆が冷えるだろうと思われたのである。今なお追憶の中では、二人とも当時のごとく、偉大なおとなびた姿をしている。その実、十五より上だったわけはないのだが。ヤッペは町の中流の出であった。別段やかましくいう人もなかったので、ほんとうはもうほとんど、おれたちが当時「ブッチャア」(ごろつきという意味だが)と名づけていた者になっていた。ただしそれに、幾分か遊冶郎ゆうやろうめいたところがあった。ド・エスコバアルは生れつき係累がなく、外国種の風来坊で、学校にさえきちきちとは通わず、ただ校外生として聴講しているだけだった。(だらしのない、しかし楽園のような生活!)――どこか中流の家に下宿しながら、完全な独立を享受していた。彼等は二人とも夜ふかしをしたり、料理店に入ったり、晩がた本通りをぶらついたり、娘たちの跡をつけたり、向うみずな運動競技をやったり――まあ、要するに騎士だったのである。このトラアヴェミュンデでは、二人とも海浜ホテルでなく――もちろんそんなところへ来るがらではなかったが――どこか町の中に宿を取っているのに、よくホテルの庭に出て来ては、ひとかどの紳士なみに横行していた。そして晩がた、ことに日曜の晩がた、もうおれなんぞは、貸別荘の一つで、とうに寝床に入って、海浜音楽隊の奏楽をききながら、おとなしく寝ついてしまった頃に、二人ともほかの若い遊び仲間と一緒に、事あれかしと浴客や遊山客の流れにまじって、喫茶店の長いテント張りの前を、あちこちぶらつきながら、大人らしい楽しみを探し歩いては、それを見つけ出すのだ――ということをおれは知っていた。こういうおりに二人は衝突したのである。――どんな風に、またどんなわけで衝突したか、それはだれも知らない。大方ただ通りすがりに、肩でもぶつかり合ったところが、名誉を重んずる両人のことだから、それだけでもう、果し合いをすることになったのであろう。ジョニイはもちろんおれと同様とうに眠っていて、またきにこの喧嘩の話を知っただけなのだが、れいの気持のいい、少しこもったような、子供らしい声で、これはきっと「娘」がもとなのだろうといった。ヤッペとド・エスコバアルとが、ずうずうしくませていることを思えば、その察しはわけなくついた。要するに二人は、人中では別に大騒ぎをせず、ただ証人を前にして、簡単なつっけんどんな言葉で、この名誉係争を解決する場所と時刻とを、約定したのである。明日十二時に、ロイヒテンフェルトのどこそこで会おう。さよなら。という調子だったのである。海浜ホテルの娯楽係兼親睦会長で、ハンブルグから来ている舞踏の師匠クナアクも、その場に居合わせて、決闘場に臨むことを約束した。
 ジョニイはこの戦いを、この上なく楽しみにしていた。ジョニイにしても、ブラットシュトレエムにしても、おれのいだいていた不安はともにしてくれなかった。何度も繰り返してジョニイは、れいの通りかわいらしくRの音を、前歯のすぐうしろで出しながら、あの二人はしんから本気で、かつ敵としてなぐり合うに違いないと請け合った。それから今度は楽しげな、多少嘲弄的な客観性をもって、どっちに勝味があるかを考慮した。ヤッペもド・エスコバアルも、両方ともおそろしく強い。どうして、どうして。どっちもすでに獰猛な荒くれ男だ。どっちが最も獰猛か、それをとうとうこれほど本気になってきめることになったのは、おもしろい。ヤッペは、ジョニイのいうところによると、毎日海水浴の時に見ればわかる通り、胸幅も広く、腕や脚の筋肉も申しぶんがない。だが、ド・エスコバアルは大変な力持ちで、おまけに乱暴である。だからどっちが優勝するかを、前もっていうことはむずかしい。ジョニイがこんな風に威張りくさって、ヤッペとド・エスコバアルの力量を評しているのを聞きながら、同時に、決してなぐることもなぐられるのを防ぐこともできなそうに、へなへなした、子供っぽい彼自身の腕を見ていると、妙な気がした。おれ自身はどうだったかというに、もちろんこのなぐり合いを見にゆく仲間からはずれようなんぞとは、夢さら思わなかった。そんなことをしたら、笑いものになっただろうし、それにまたこれからおころうとしている事件は、ひどくおれの心をひきつけたのである。ともかく一度聞き知ったからには、ぜひとも出かけて行って、なにからなにまで見て来なければならぬ――これは一種の義務感だった。が、この感じは、いろんな反対の気持と悪戦苦闘していたのである――非尚武的で、あまり勇気もなかったおれは、雄々しい事業のおこなわれる場面へ、思い切って出かけるというのが、大いに気おくれでかつ恥かしかった。真剣な、いわば生死を賭しての、殺気立った争闘を見れば、きっと心が震撼せられるだろうと思うと――実際おれは見ないうちから、その気持を味わっていたのだが、これがまたおれの神経をおののかせた。そこへ行けば、つい係り合いになって、おれの本性と相容れぬような請求にぶつかる羽目になりはしまいか、という単純な卑屈な心配もあった。――つまり渦中に引き込まれて、おれ自身もまた敏捷な若者だということを、いやでも応でも証明させられはしまいか、という心配だった。こんな証明ほど、おれの嫌いなものははかになかったのである。が、一面には、ヤッペとド・エスコバアルの位置に我が身を置いて、二人が感じているはずの、心をむしばむような感情を、おれは我が事のごとく胸中に味わわざるを得なかった。おれはホテルの庭における侮辱と挑戦とを想像に浮かべた。おれは彼等とともに、その場で鉄拳をふるって格闘したい衝動を、紳士的な反省から抑圧した。憤激した正義感、怨恨、燃え立つような、脳髄をかきむしるような憎悪、物狂おしい焦躁と復讐との発作――二人が終夜感じつづけたに違いないこれらの心持を、おれは一々しみじみと味わった。捨て鉢になって、あらゆる臆病心をむりやりに超越させられた揚句、おれは想像の中で、こっちと同様、人間離れのしてしまった相手と、めくらめっぽうに血を流しながら、なぐり合った末に、満身の力をこめて、憎らしい口の中へ拳骨を叩き込んだら、相手の歯が一枚残らず砕けてしまった。その代りおれも下腹をこっぴどく蹴りつけられて、赤い波の中に沈んでしまった。やがて目をさましてみると、気も鎮まっていて、氷をあてられたまま、家の者たちの優しい非難をききながら、自分の寝床にねている。――結局、十一時半になって、着物を着るためにみんな起き上った時には、おれは興奮のあまり、半分へとへとになっていた。そして更衣所の中でも、それからすっかり身支度をして、水浴小屋を出かけた時にも、おれの心臓は、正におれ自身が、ヤッペかド・エスコバアルかどっちかと、公衆の面前で、大変な条件のもとに、なぐり合いをしにでも行くように、どきどきしていた。
 おれは今でも、渚から水浴小屋へ坂になって昇っている木の釣橋を、おれたちが三人づれで降りて行った時のことを、ありありと覚えている。いうまでもなく、おれたちはぴょんぴょん跳ねて、橋をできるだけゆらせながら、跳板からでも飛び上るように飛び上って行った。しかし下に着いてからは、亭や籃椅子の間を渚沿いに走っている、その木橋を渡りつづけないで、陸のほうへむかって、ほぼ海浜ホテルの方角を、というよりはもっと左のほうをめざして、進んで行った。砂浜には日光が焼きついて、乏しく枯々に草の生えた地面から、脚を刺す浜薊はまあざみや燈心草から、乾いた、むっとする匂いを発散させていた。聞えるものは、青黒い蝿のたえまないうなり声ばかりだった。蝿は重苦しい暑さの中に、じっと動かぬように見えると思ううちに、突然場所を換えて、ほかのところで、また鋭く単調に歌いはじめるのだった。水浴で涼しくなった効能は、もうとうになくなっていた。ブラットシュトレエムとおれとは、汗を拭くために、かわるがわる帽子を脱いだ。ブラットシュトレエムは、防水布のひさしの突き出たスウェエデン式の水夫帽を、おれは丸いヘルゴランド風の毛の鳥打――いわゆる大黒頭巾というやつを。ジョニイはやせているおかげで、殊にまた着物がおれたちのよりは上等で、夏向きに出来上っていたせいもあったろう、別段暑さには苦しめられなかった。例の洗いのきく縞の布地の、軽い楽な水兵服で、頸と脛がむき出しである。短かいリボンがついて、イギリス字で銘の入った青い縁無し帽を、きれいな小さな頭にいただいている。長い細い足には上等な、かかとのほとんどない白革の半靴をはいている。――こういうなりのジョニイは、大股に昇るような足どりで、膝を少し曲げ加減に、ブラットシュトレエムとおれとにはさまって歩きながら、持前の優雅なふしまわしで、その頃盛んにはやっていた「小さい海女あまさん」という俗謡を歌った。しかも早熟な少年たちが案出したある淫猥な替え唄をつけて歌った。ジョニイはいつもこうだった。まだほんの子供のくせに、もういろんなことを知っていて、そのうえ、平気でそれを口にのぼせるのである。が、歌ってしまうと、急にちょっといい児ぶった顔つきをして、「ちぇっ。誰だい、そんな悪い唄を歌う奴は。」といいながら、あの小さな海女にあんなみだらなことを話しかけたのは、まるでおれたちだったかのような風をした。
 おれはどう考えても、唄を歌うような気持にはなれなかった。なにしろもう会戦の地点、すなわち運命の決する場所が、間近に迫っていたからである。砂浜のちくちくする草は、砂まじりの苔ととぼしい草生に変っていた。おれたちの歩いているのはロイヒテンフェルトだった。これはずっと遠く、左のほうにそびえ立つ、黄色い丸い燈台ロイヒトトゥルムにちなんで、そう名づけられたものである。――と、いつのまにかおれたちは歩きつくして、もう目的地に来ていた。
 そこは暑い静かなところだった。ほとんどだれも踏み込んだことのない、白楊の樹立こだちのために、外からは見えないところだった。そうしてこの樹立の中の空地には、生きた柵のように、若者たちが輪になって坐ったり、ねそべったりしていた。みんなたいがい、おれたちよりも年上で、さまざまな階級の人間だった。見物人の中では、おれたちがたしかに一番おそく来たらしかった。ただ行司兼審判官として決闘に臨むべき、舞踏の師匠クナアクだけは、まだ来ていなかった。しかしヤッペもド・エスコバアルも、ちゃんと顔を見せていた――おれはすぐに二人を見た。二人はずっと離れ合って、輪の中に坐ったなり、お互いに見ないふりをしていた。無言でうなずきながら、二三の知った顔に挨拶してから、おれたちもまた、暖かい地面へ腰をおろして、両膝を立てた。
 みんな煙草をのんでいた。ヤッペとド・エスコバアルも、巻煙草を口の隅にくわえて、煙に眉をしかめながら、めいめい片方の眼を閉じていた。それを見ると、なぐり合いを前に控えて、そんな風に坐ったまま、世にも何気ない様子で巻煙草をふかすというえらさを、二人ともかなり自覚しているのがよくわかった。両方とも、もう紳士然たる服装だったが、ド・エスコバアルのほうが、ヤッペよりもはるかに当世風だった。薄鼠の夏服に、ひどく尖った黄靴、淡紅とき色のワイシャツに、はでな絹のネクタイ、それからまるい、つばの狭い麦藁帽子をあみだにかぶっている。だから分けた髪の、額のはずれで、濃い固い、油で黒光りのする小山になで上げたのが、帽子の下からはみ出していた。折々、右の手をあげては振った。はめている銀の腕輪を、カフスの中へゆり戻そうとするのである。ヤッペのほうはずっとみすぼらしかった。脚は上着やチョッキよりも色の薄い、きっちりしたズボンに入っている。ズボンは並の黒靴の下で、革紐でとめてある。それから明色の縮れ髪にかぶさった格子柄の運動帽は、ド・エスコバアルと反対に、ぐっとまぶかに引き下げてある。しゃがむような恰好で、両腕を膝にまいているが、よく見ると、第一にシャツの袖口に、カフスがただ乗っかっているだけなのと、第二に、組み合わせた指の爪が、余り短かくきりすぎてあるか、またはそれをかみ切る悪癖が彼にあるか、どっちかだということがわかった。ところで、みんな軽快な納まった様子で、煙草をふかしているにもかかわらず、一座の気分はきまじめで、いや、堅くなっていて、おもに黙りがちだった。これに反抗を試みたのは、実をいうと、ド・エスコバアル一人だけだった。鼻から煙を吐き出し吐き出し、彼はたえまなく、大きなしゃがれ声で、しかも巻き舌で、そばの連中に話しかけていた。このから騒ぎがおれはいやだった。そして爪が短かすぎてもなんでも、ヤッペのほうに加勢してやりたい気がした。ヤッペはほんの時々、肩越しに隣近所へ言葉をかけるくらいで、そのほかは、見たところ、全く落ち着き払って、自分の煙草の烟を見送っていた。
 そのうちにクナアク先生が来た――薄青い縞のネルの普段着で、海浜ホテルの方角から大急ぎでやって来て、麦藁帽をとりながら、おれたちの円座の外に立ちどまったその様子は、今でもおれの眼に残っている。クナアクが喜んで来たとは、おれは思わない。むしろなぐり合いなんぞに立ち合いを約束したのは、いやなのをむりに我慢してのことだったと、おれは確信している。ところがその位置なり、喧嘩早い、明瞭に男性的な意気の青年たちに対するその厄介な関係なりが、きっと余儀なくそうさせたのであろう。浅黒くてきれいでふとった(ことに腰のあたりがふとっている)クナアクは、冬になると、内輪の家庭的な集まりでも、また公開的に集会所でも、舞踏と礼式を教え、夏はこのトラアヴェミュンデの海浜ホテルで、宴会幹事兼水泳監督という役を勤めていた。きどった眼付、波打つような、うねるような歩き振り――ひどく外輪にした爪先を、まずそろりと地につけておいて、それから足の残りを落すのである――得意げな、せりふめいた言葉づかい、芝居じみて納まり返った態度、類もなくこれ見よがしに念入りなしぐさ――そういうもので彼は女性を夢中にさせた。しかし一方、男の連中、ことに批評的な半大人の連中は、彼の価値を疑っていた。おれはしばしば、このフランソア・クナアクの人生における地位について、考察してみたが、いつも、それは特殊な架空的なものだと思った。生れのいやしかった彼は、最高の生活様式を保育しながら、手もなく宙に浮いているようなものだった。そして社交界には加わらずにいて、しかも社交界から、その儀礼的理想の擁護者兼師匠として報酬を受けていたのである。ヤッペも、ド・エスコバアルも彼の弟子だった。ただしジョニイやブラットシュトレエムやおれなんぞのように、内弟子格ではなく、集会所で公開的に教えを受ける組だった。そしてクナアク先生の人物が、若い人たちから最も苛酷な品評をこうむるのは、そういう授業の際なのであった。(おれたち内弟子どもは、その連中よりはおとなしかったのである)――小さな娘たちとの優雅な交際法を教える男、コルセットをつけているという打ち消しがたいうわさの立っている男、フロックコオトの裾を指先でつまんで、女のするようなお辞儀をしたり、とんぼ返りをしたり、不意に高く飛び上って、空中で足をこまかくばたつかせては、またどすんとはめ木の床の上へ落ちて来て、はずんだりする男、いったいこんなのが男といわれるだろうか。というのが、クナアク先生の人物性行にかかっている疑惑だった。それに彼があまりに納まり返って、えらそうにかまえているのが、かえってこの疑惑をそそったのである。おれたちとの年の違いは莫大なもので、うわさによると(なんだか滑稽に思われるが)ハンブルグには妻子があるということだった。この大人という特質と、いつもみんなが舞踏室でばかり逢うという事情とのために、クナアクはとっちめられて、化けの皮をはがれる憂目を免れていた。クナアクには運動競技ができるか。今までに一度でもできたことがあったか。勇気があるか。力があるか。要するに、男児の面目を備えているといえるか。彼はその座敷芸と釣り合うべき、さらに剛健なる特色を立証して、尊信を博し得るような場合には、出会ったことがないのである。しかし中には、彼のことを臆面もなく、猿だとか卑怯者だとかいってまわる少年たちもあった。クナアクは大方それを知っていたのだろう。だからこそ、今日は本当のなぐり合いに興味を持っていることを示し、かつは同輩として若い人たちの仲間入りをするために、ここへやって来たのである。本来なら、水泳監督という職掌柄、こんな違法の名誉係争を許してはならぬはずなのに。だが、おれの確信に従えば、彼はいい気持でこの事に当っていたのではなく、あぶないところへおびきよせられたと、明らかに自覚していたのである。冷たい眼で彼をじろじろ見る者が、大分あった。そして彼自身は、大人も来ているかと思って、そわそわとあたりを見まわした。
 慇懃な調子で、彼は遅刻をわびた。土曜日の集会のことについて、ホテルの幹部と評議していたのでおそくなったといった。ついで「闘技者はそろっているのか。」ときっぱりした口調で問うた。「それなら、もうはじめてもいいだろう。」彼はステッキに身を支えて、足を組み合わせたなり、おれたちの円座の外に立って、柔かな鳶色の口ひげを下唇でおさえながら、陰気な玄人らしい眼付をした。
 ヤッペとド・エスコバアルは、立ちあがって巻煙草を投げ捨てると、戦闘準備にかかった。ド・エスコバアルは大急ぎで、あっといわせるような速さではじめた。帽子と上着とチョッキを地面へ投げる。ネクタイやカラアや胴締までも外して、前の品々のところへ投げる。それから例の淡紅色のワイシャツさえ、ズボンの中から引きずり出して、すばやく袖を抜くと、紅白の柄のメリヤスの肌着一つになった。黄ばんだ、もう黒々と毛の生えた腕が、上膊の中ほどからあらわれている。「それじゃ願いましょうか。」と巻き舌でいいながら、まんなかへ歩み出ると、彼は胸を張って肩をゆすり上げた。――例の銀の腕輪は、はめたままである。
 まだ仕事のすまぬヤッペは、ド・エスコバアルのほうへ顔を向けて、眉をあげながら、眼はほとんど閉じたなりで、一刹那、相手の足もとを見つめた。なんだか「まあ待てよ。そんなにべちゃくちゃいわなくったって行かあな。」とでもいいたそうな様子だった。ヤッペのほうが肩幅はひろいのに、相手とむかい合って立ったところを見れば、ヤッペはとうていド・エスコバアルほど運動家らしくもなく、戦闘的にも見えない。革紐つきの、きっちりしたズボンをはいた両脚は、X形になりかかっているし、手首をボタンで締めた、ゆるい袖の、少しもう黄色くなった柔かなシャツといい、そのシャツの上にかかった灰色のゴムのズボンつりといい、どうもそのいでたちは、えらそうに見えなかった。これに反して、ド・エスコバアルの縞のメリヤス襦袢と、ことに腕に生えている黒い毛とは、ひとかたならず勇壮凄絶な印象を与えた。二人とも顔色は蒼かったが、ヤッペは平生紅い頬をしているだけに、それが余計目立った。彼の顔は元気な、少し乱暴な金髪の男によくある顔で、獅子鼻の上にそばかすが一むら乗っている。一方ド・エスコバアルの鼻は、短かく真直で先が垂れている。そしてまくれた唇の上には、口ひげが薄黒く生えかかっている。
 二人は両腕をさげたなり、ほとんど胸と胸を突き合わせるぐらいに立って、陰気な侮蔑的な顔色で、互いに胃のあたりを見合っていた。明らかに彼等は、互いに相手をどうしたらいいのか、よくわからなかったのである。そしてこれはおれ自身の気持にぴったり合っていた。二人の衝突以来、もうまる一晩と半日も経っている。だから、なぐり合いをしたいという気持は、昨晩こそ非常に旺盛で、ただ騎士かたぎによって、やっとせきとめられていたのだが、そのひまに冷却してしまったのである。ところが今になって、昨日なら溌剌たる衝動から、勇んでしたに違いないことを、一定の時刻に、淡々たる気持で、しかも集まった観衆の面前で、号令に応じてしなければならないことになった。しかしなんといっても、二人はものをわきまえた少年であって、昔の格闘士とは違う。誰だって冷静な頭でいる時には、人のすこやかな肉体を鉄拳でなぐりつけることに、人間的な逡巡を感ずるものである。そうおれはひそかに考えた。実際またそうだったのだろうと思う。
 しかし体面上、ともかくなにかしないわけにはいかないので、二人はまず五本の指先で、互いに胸もとを突きはじめた。さながら両方で軽蔑し合っていて、相手をそれほど造作なく打ち倒し得るとでも思っているように見えた。一つにはまた、たしかに相手をおこらせる目的でもあった。しかるに、ヤッペの顔がゆがみ出したとたん、ド・エスコバアルは急にこの前哨戦を打ち切った。
「失敬します。」というと、二歩あとへ下って、くるりとうしろを向いた。それは背中にあるズボンのしめがねを、固く締め直すためだった。さっき胴締を取ってしまったので、胴まわりが細いために、ズボンがずり出したものらしい。きちんと締め直してしまうと、なにやら、がらがらと上顎にかかったスペイン語らしいことをいった。だれにもわからなかったが、おそらく、さあこれでやっとすっかり用意ができたぞ、とかなんとかいう意味だったのだろう。そしてもう一度肩をゆすり上げて、ふたたび進み出た。たしかに彼は法外な見栄坊らしい。
 肩や平手をぶつけ合う小ぜりあいが、さらにはじまった。と、たちまちまったくだしぬけに、短かいめくらめっぽうな物狂おしい接戦が起った。互いの拳骨が渦巻くように入り乱れたのである。それが三秒ほどつづいたと思うと、また同じく突然止んでしまった。
「いよいよ油が乗って来たね。」とジョニイがいった。おれのわきに坐ったまま、枯草の茎をくわえている。「君たちと賭をしてもいい。きっとヤッペはあいつをやっつけるよ。ド・エスコバアルはあんまりきどりすぎてるもの。ほらね、ほかのやつらのほうをちらちら見てばかりいるだろう。ヤッペはほんとに気を入れてるぜ。たしかにド・エスコバアルをめちゃくちゃに叩きつけちまうね、どうだい、賭けようか。」
 二人は互いにぱっと飛びすさると、胸を波打たせて、拳を腰にあてたまま突っ立った。うたがいもなく彼等はもう、柔かい気持なんぞは失っていた。なぜなら、二人の顔は怒気をふくんでいるし、二人の唇は「なんだってこんな痛い目にあわせやがる」とでもいうように、いまいましげに尖っているからである。ふたたびぶつかりはじめた時、ヤッペの眼は真赤で、ド・エスコバアルは白い歯をむき出していた。
 さあ、そこで二人は全力を尽して、かわるがわるちょっとの間をおいては、肩といわず、二の腕といわず、胸もとといわず、互いになぐり合った。「あれじゃだめだ。」とジョニイがまた、例のかわいい抑揚でいった。「あんなことをしたって、誰がへたばるものか。顎の下をなぐらなけりゃあね。こういう風に、下から顎の骨をさ。そうすればすぐにきまるよ。」ところが、そのうちこういうことになってきた――ド・エスコバアルが、左の腕でヤッペの両腕をつかまえて、それを万力にかけたように、ぎゃっと自分の胸におしつけておきながら、右の拳を、つづけざまにヤッペの横腹にくらわせたのである。
 大きなどよめきが起った。「つかまえちゃいかん。」とおおぜいが叫んで飛び起きた。クナアク先生は驚いてまんなかへかけつけた。「つかまえちゃいかん。」と先生も叫んだ。「君はつかまえてるじゃないか。そりゃまったく規則違反だよ。」クナアクは二人を引き分けた上、つかまえることは絶対に禁ぜられているのだと、もう一度ド・エスコバアルに教えてから、また円陣のうしろへ引きさがった。
 ヤッペは怒りたけっていた。それはだれの眼にも明らかだった。真っ蒼な顔をして横腹をさすりさすり、今に見ろといわんばかりに、ゆっくりうなずきながら、ド・エスコバアルを見つめていた。そして次の回に入った時、ヤッペの顔には、今度こそ断然たる行動に出るだろうとみんな期待したほど、ありありと決心の色が現われていた。
 すると果して、新しい会戦がはじまるが早いか、ヤッペはある突撃を遂行した――あらかじめ工夫しておいたらしい奇計を用いたのである。左手で上の方を突くと見せかけたから、ド・エスコバアルは顔を防いだ。ところがその際に、ヤッペの右手はいやというほど相手の胃を突いたので、ド・エスコバアルは前かがみに身をまるめて、顔が黄蝋のような色になってしまった。
「あれは利いたね。」とジョニイがいった。「あそこは痛いもんだよ。これでド・エスコバアルはもりかえして、本気になって仕返しをするかもしれないな。」しかし今の胃の一撃が、あまり猛烈に命中したので、ド・エスコバアルの神経組織は、明らかに震撼せられてしまったらしい。なぐろうとしても、もう拳骨がちゃんと握れないのが、見ていてよくわかった。それに眼つきで見ても、なんだかもう気をうしないかけているような風だった。しかし筋肉が利かなくなったことを感ずると、虚栄心は彼をすすめて、次のようにふるまわせた。――すなわち彼はすばしこく立ち廻って、ドイツの熊をからかった末、やけにならせるという、軽快な南国人のふりをしはじめたのである。小刻みな足どりで、いろいろと無益に向きをかえながら、ヤッペの廻りに狭い円を描いて、踊り廻っている。おまけに強いて豪放な微笑を浮かべようとする。これは、なにしろ彼が弱りきっている際なので、おれには英雄的な感銘を与えたものだった。ところが、ヤッペはちっともやけにならない。それどころか、相手の動く通りに、簡単にかかとでぐるぐる廻っては、左手で相手の弱々しくじゃらすような攻撃を防ぎながら、右手で何度も手痛い打撃を与えた。しかしド・エスコバアルの運命を封じてしまったのは、ズボンがたえずずるっこけることだった。例のメリヤスの肌着も、ズボンを抜け出て、上へまくれてしまって、むきだしの黄色い肌が、ちらっとその間から現われた。それを見ると、三四人声を立てて笑う者があった。どうして彼は胴締までとってしまったのだろう。体裁なんぞ構わなければよかったのに。なぜといって、今になってズボンが邪魔をする――いや、格闘のはじめから、ずっと邪魔をしつづけているではないか。たえず彼はズボンを引っぱって、肌着を中へ突っ込もうとする。旗色が悪いくせに、だらしのない、みっともない様子を見せるという気持には、耐えられないのである。だからとうとうヤッペは、ド・エスコバアルが片手だけで戦って、片手で身仕舞を直そうとしている暇に、うんとひどく相手の鼻がしらをなぐりつけた。よく鼻がめちゃくちゃにつぶれてしまわなかったものだと、おれは今日でもまだふしぎに思っているくらいである。
 ところで、血が盛んに流れ出すので、ド・エスコバアルは身を転じて、ヤッペのそばをはなれると、右の手で出血をとめようとしながら、左の手で、うしろへむかって意味深長な合図をした。ヤッペはX形の脚をひらいて、拳をおさめたなり、まだ突っ立ったままで、ド・エスコバアルがまた来るだろうと思って、待っている。しかしド・エスコバアルはもう相手をつとめなかった。もしおれの推測が正しいならば、二人のうちでは、ド・エスコバアルのほうがよりよくものをわきまえているので、もうこの喧嘩にけりをつけていい時だと、思ったのであろう。これがヤッペだったら、もとより鼻血をたらしながら、戦いつづけたにちがいない。が、その場合でも、ド・エスコバアルはやっぱり疑いもなく、そのうえ相手になることをこばんだに相違あるまい。いわんや今の場合は、血を流しているのが彼自身なのだから、いよいよ決然と拒絶したわけである。彼は鼻血を出させられた。なんたることだろう。彼の考えによれば、決してこんなにひどくなるまで戦ってはならなかったのである。血は指の間から着物へ落ちて、薄いろのズボンをよごしたうえ、黄靴の上にしたたっている。尾籠千万びろうせんばんだというよりほかはない。――こういう次第だから、彼はこれ以上なぐり合いをするのは人間的でないとして、はねつけたのである。
 ところでド・エスコバアルの解釈は、同時にまた大多数のそれでもあった。クナアク先生は円陣のまんなかに歩み出て、戦いは終ったと宣告した。「これでもう面目は充分立ったわけだ。」と彼はいった。「両君とも実によく持ちこたえたものだね。」事がこう穏かに片づいたので、彼はどんなにほっとした気持でいるか、それが彼の様子で誰にもわかった。「だってまだどっちも倒れやしないじゃないか。」と、ジョニイはあきれてがっかりしていった。だがヤッペもまた、これで事がすんだと見なすことには全く同意して、安堵の息を吐きながら、着物のところへ歩いて行った。決闘が無勝負のままだという、クナアク先生の微妙な仮設は、みんなに承認せられた。ヤッペはただこっそりと祝辞を述べられただけだった。ほかの連中は、ド・エスコバアルにハンケチを貸してやった。彼自身のは血でびっしょりになってしまったからである。すると、「もっとやれ。」といい出した者がある。「今度は誰かほかのやつがなぐり合う番だ。」
 これは会衆の胸底から出た叫びだった。ヤッペとド・エスコバアルの喧嘩は、ほんのわずかしかつづかなかった。やっと十分間ちょうどぐらい――それより長くはなかった。せっかくやって来た以上、まだひまもあることだし、ぜひなにか試みなければならぬ。それではもう二人出るがいい。そのほか、いやしくも男児の名を辱しめぬことを、自分もまた示そうと思うほどの者は、誰でもかまわないから、闘技場の中へ進み出るがいい。
 だれ一人名乗り出る者はなかった。ところが、どういうわけでおれの心臓は、この布告と同時に、小さな太鼓のように鳴り出したのだろう。おれの恐れていたことが到来したのである。――請求が見物人にまで及んできたのである。が、なぜおれは今になって、さっきからずっと、この偉大なる瞬間を恐れながらも、楽しみに待っていたかのような気さえするのかしら。しかも、なぜその瞬間が来るとともに、争い逆らう感情の渦中へおちいってしまったのだろう。おれはジョニイを眺めた。――あくまでも落ち着き払った無関心な様子で、彼はおれのそばに坐っている。草の茎を口の中でぐるぐる廻しながら、もっとほかに、剛健な荒くれ男どもが出て来て、特に彼だけの慰みのために、鼻を打ち割ってはくれないかと思って、無遠慮に物見高く一座を見廻しているのである。なぜおれは、自分一個がめざされ挑まれているように感ぜざるを得ぬのか。――むりに夢中でふんばって、気おくれを征服しなければ、英雄として闘技場のただなかへ進み出て、皆の注目を一身に集めなければ、おれ自身に対してすまないと、はげしい昂奮のうちになぜ感ぜざるを得ぬのか。事実、うぬぼれからにもせよ、過度の臆病からにもせよ、おれはまさに手をあげて、戦いに名乗り出ようとした。と、ちょうどその時、円陣のどこからかずうずうしい声がひびいた。
「今度はクナアク先生がなぐり合う番だ。」
 一座の眼は残らず、鋭くクナアク先生に向けられた。先生はけんのんなところへおびきよせられた、度胸だめしという危険に身を挺している、とおれはいわなかったか。ところが、先生はこう答えた。
「いや、わたしはもう若い時分に、充分なぐられたのだから。」
 先生は救われた。うなぎのようにわなから抜け出した。自分の年齢を引き合いに出して、昔は正々堂々のなぐり合いを決して避けたことはないという意味を悟らせながら、それでいて自慢もせず、感じのいい自嘲をもって、自分はなぐられたのだと白状して、もってその言葉に真実のひびきをこめることをわきまえていたのである。みんなは彼から手を引いた。彼をわなにかけるのは――もし不可能といえなければ――むずかしいと悟ったのである。
「じゃ相撲を取るがいい。」と誰かが要求した。この提議にはあまり賛成者がなかった。ところが、その相談のまっただなかへド・エスコバアルが(おれはこの時のの悪い印象を決して忘れない)血にそまったハンケチの下から、例のしゃがれたスペイン流の声をひびかせた。――「相撲なんぞ卑怯だ。相撲はドイツ人のすることだ。」――これは彼の立場として、とんでもない失言だった。それは実際またすぐさま、それ相応にやっつけられてしまった。クナアク先生が彼に、みごとな返答を与えたのは、この時だったのである。――
「そうかもしれない。しかしまたドイツ人が時々スペイン人をひどくなぐりつけることもあるようだな。」喝采するような哄笑が、クナアクをねぎらった。クナアクの位置は、このやり返し以来、非常に堅固になった。が、ド・エスコバアルは、これで今日のところはついに葬られてしまった。
 しかし相撲がともかく多少退屈だという意見は、やっぱり一番勢力があったので、今度は木馬の代りに、そばのやつの背中を飛び越すとか、逆鉾立ちをするとか、手で歩くとか、そのほかいろいろそういったような芸当をして、時を消すことになった。――「さあ、もう行こう。」とジョニイは、ブラットシュトレエムとおれとにいいながら立ち上った。これはいかにもジョニイ・ビショップらしかった。流血に終るなにか真剣なものが見られるというので、彼はやって来た。それが遊戯に堕したから、彼は去るのである。
 おれが後年大いに嘆賞するにいたったイギリス国民性の、一種独得な優越についての第一印象を、おれはジョニイを媒介として得たわけである。





底本:「トオマス・マン短篇集」岩波文庫、岩波書店
   1979(昭和54)年3月16日第1刷発行
   2003(平成15)年5月24日第33刷発行
※原題の「WIE JAPPE UND DO ESCOBAR SICH PR※(ダイエレシス付きU)GELTEN」は、ファイル冒頭ではアクセント符号を略し、「WIE JAPPE UND DO ESCOBAR SICH PRUGELTEN」としました。
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校正:酒井裕二
2015年3月31日作成
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