今は亡しわが犀星

告別式で述べたことのあらまし

佐藤春夫




 中野重治君が友人代表としてわたくしに弔辞を述べさせてくれるのは適当な人選かどうかは知らないが、思へば故人の東京での最もふるい友人には相違ないし、せつかくの指名は固辞すべき筋合ひのものでもなし、お引受けした。
 ところが指名を受けた日から一昼夜、それから実は今日も午前十一時ごろまで弔辞の文案をねつていたのに、どうしても文はまとまらない。
 わたくしは医者のせがれのせいか、死といふものはほんの生理的現象とあつさりドライにかたづける側で、今までそれですぎてゐたのに、今度ばかりはほかに理由があるのかどうかは知らないが、何か体じゆうを不消化な物があちらこちらと移動しているやうな気がして落ちつけず、弔辞一つ満足に書けない。仕方がないから訥弁をかえりみず言葉で述べさせていただくことにします。
 回顧すれば明治四十二年上京したわたくしは本郷界隈でぐすぐすしてゐる間で友人広川松五郎のところではじめて、さうして度々故人のうわさを聞いた。彼がほとんど毎晩のやうに根津権現裏の酒場に出没して、撲つたとか撲られたとかいふやうな話ばかりであつた。お互に名を知り合つたのはそのころ、お互の二十歳前後からであつた。もう五十年あまり前のことになる。
 その後彼は盟友萩原朔太郎とめぐり合つてパンフレットのやうな詩誌「感情」を出すに到つて毎号寄贈を受けて彼の詩を愛誦した。
 彼の詩は熱情的で純粋なさうして色情の匂ひのおびただしい、すべての実感を世俗を憚らない思ひ切つた強い表現を持つたもので、その独自の表現は原始人のやうな生気といふより蛮気に満ちたものであつた。この詩精神と蛮気のある表現とは、後年詩から散文に移つて後も生涯一貫したものであつた。
 その詩に感心しながらも社交性のないわたくしは彼のところへたずねて行つたり手紙を書いたりすることもなく数年過ぎた。
 偶々彼が散文の第一作を発表した時、それに共鳴するところのあつたらしい谷崎潤一郎に誘はれて、当時たしか田端だか滝の川だかそのあたりにあつた植木屋のうら木戸からすぐ出入りする離れへ彼を訪問したのが彼とはじめて話した機会であつた。それまで名は知り顔も途上で見かけて互に黙礼したことぐらゐはあつたが口を利いたことはなかつたのである。
 彼は大に喜んだ様子で我々を迎へてくれた。机上には新潮社の近代文学全集版らしいドストエフスキーのカラマゾフの兄弟だか何かが置かれてゐて、彼はそれを読んでゐたところらしかつた。
 その時、どんな話をしたのかおぼえていないが、ただ一つ印象に深いのは、部屋の片隅にみかん箱を横倒しにして並べ積み重ねたなかに、遠眼には九谷か伊万里かとも思へる陶器が大切げに飾られてゐることであつた。
 およそ三十分ばかり話して外に出ると、谷崎は室生の無邪気に熱のあるところが気に入つたげな様子であつたが、それにしてもあのみかん箱はおかしいと悪意なく笑つたものであつた。
 我々は手にとつて見たわけでもなく、見てもわかりもしなかつたが当時の彼の生活から考へてみて、わざわざ飾り立てるほどの品々とは思はなかつたからである。
 思へばそれから、かれこれ四十年あまりその間にあのみかん箱が、黒檀や紫檀のわくのケースに変つて内みも唐三彩か何かまで進歩して行つたのであつた。進歩したのはただその愛玩品だけではなく、彼の文学も同じやうな歩調でぐんぐん進んで行つた。彼はその出自、その無教育、さうしてその風貌など、すべて何らの恥じるところのないものを自ら好んで自らの劣等感に仕立て上げて、その幻に対してドン・キホーテのやうに闘ひつづけた結果でもあつたらう。
 中国の昔の話に「天から来た男」といふのがあつてこの男は村の労働者にまじつて貧乏暮しをしてゐたが、船が顛覆すると片手に抱きかかへて船をおこし、落ちた荷物は微細なものまで一つ残らず水底から捜し出す。光が必要なら手を差しのべては天上の星を任意に摘み取るといふやうな超人的な力を持つた巨人の話であるが、室生はいつの間にかさういふ巨人となつて我々の前に突つ立つてゐた。
 それが今我々の視界からかすかに一点のやうな後姿を遠く見せて消えて行かうとしてゐるのは、何とも心ぼそく切ないことである。しかし、或は雲となり風となり、また野山の花々や街を行く女人の胸や腰の線となつて彼はいつまでもわれわれの身辺の世界にいつまでも生きてゐるやうな気もする。
 わたくしは彼とは性情の相似たやうなそれでゐて非常にくひ違つたところがあつて、そのため心と心とふれ合ふやうな真の友情を結ぶには到らなかつた。それもお互の老いとともに、追々と相互の理解が深まつて真の友情に到着する喜ばしいきざしが年々はつきりしてゐた折から今不意に君を失ふことはまことに恨事である。或はあまりに率直に君に対して、時にそのつもりもなく君の自尊心を傷つけたやうなこともあつたのではないかと、わが身のふつつかを省み、君に対してもの言ふ、この最後の機会にこれらもおわびして置かう。しかし、わたくしこそ真に君を理解するよき友のつもりである。では安らかに永き眠りを眠り給へ。





底本:「定本 佐藤春夫全集 第26巻」臨川書店
   2000(平成12)年9月10日初版発行
底本の親本:「心 第一五巻第五号」生成會
   1962(昭和37)年5月1日発行
初出:「心 第一五巻第五号」生成會
   1962(昭和37)年5月1日発行
入力:朱
校正:持田和踏
2023年2月18日作成
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