原民喜君を推す

佐藤春夫




 數年前から漠然とこの頃の三田文學には人材が集つてゐるやうな氣がしてゐた。戰爭中で外の雜誌に文學の色彩が薄れてゐる時に、これがあまり時勢に追從せずにゐたためかと思ふ。終戰後山の中から文壇といふものを遠く見てゐると、だいぶんいろいろの新人が出て文壇の樣相が新らしくなつて行くのがよく判つた。さて三田の人々をこれ等の文壇と見くらべると、みなそれぞれの特色がありながら文壇の新人といふものと違つてゐるものを自分は面白く思つた。文壇といふものに關係なく自分たちの文學を書いてゐるふうに見えるのである。或はとり殘されてゐるといふのかも知れない。文壇にとり殘されても文學に置き忘れられさへしなければ一向かまはない。恐ろしいのはその逆の場合であらう。三田の人々は、しかしその心配はない。彼等は文壇にはとり殘されながらにも文學だけは忘れてゐないやうな頼もしさを感じて文壇にとり殘されてゐるおかげでせめて文學だけはといふ氣持になつてゐるのかも知れないが、何にしても好もしい現象と思つて見てゐた。
 そのうちに水上瀧太郎賞といふものが出來たのは、どういふ目的なのだか。或は文壇の郊外にゐる三田の人々に盛裝をさせて文壇の混雜のなかへ送り入れようといふのかとも思ふが、よく知らつい[#「知らつい」はママ]。しかし自分としては文壇ずれのしない三田の人々の持つてゐる氣風を文壇に送る事は文壇に新風を吹き入れる事を目的とすべきで、三田の人材を文壇的にする目的であつてはいけないやうな氣がする。これは自分だけの考へであるが自分としてはその考へに立脚してこの文學賞の候補者を物色する外に致し方も無いわけであつた。
 受賞候補者の作品を幾つか讀んでみて、自分は近年の三田には人材がゐるといふ年來の自分の漠然たる見方の大して誤つてゐなかつた事をはつきりと見た。なかなか書ける人が二三ならずゐる。それが必ずしも時代には沒交渉ではなく相當な文學になつてゐながら文壇とは縁の遠いところのあるのも自分には頼もしく思へた。それ等の幾人かの間から自分が特に原民喜をひとり選ばうとしたのは、どういふ理由か。
 實は自分は十年あまり前であつたと思ふ坪田讓治君の紹介で原君の來訪を一二度受けて君とは面識がある。他の見も知らぬ人々の間に一人の知り人がゐるといふ事が特に自分をして原君に注目させてゐるといふ事實はあらう。現に自分は原君の作品は候補になる以前から一つ殘らず注意して讀んでゐた。人を知つてゐるといふ事は作品を味ふに便利の多いものであり、作品に親しみを感じさせるものである。だから自分は他の作者のものと讀み比べる場合にはいつもこの事實を念頭に置いて不公平に陷らないやうにといふ注意はしたつもりである。さうして十分冷靜に見たうへで、他の候補者の作品と對比しても、原君の作品が最も個性的であり、最も完成の域に近いものだといふ安心を持つてこれを推擧し得ると信じた。飜つて考へてそのあまりに個性的なところや完成に近づいてゐる事を受賞候補として一度は不安に思つた程である。といふのは折角、推擧してみても原君の文學はあまり個性的だから一部の人々にしか理解されないのではあるまいか。選者があまりに自分の趣味に執してゐるといふ難はないであらうか。又、既に相當な程度に完成してゐる原君に受賞するよりは、まだ目安のついてゐない才能のある人に受賞する方が奬勵の意味では適當なのではあるまいか。自分は神經質に、かういふ風にも考へてみないではなかつたが、その思ひ返しの結果も、最初の考を覆す事にはならなかつた。あまりに狹く出來上つてゐるからこそこの人に受賞しなければいけないといふ考へ方も出來るではないか。かういふ特殊なものなればこそ表彰して衆目をここに向けさせる要もあらう。
 原君の文學は一言で云へば神經質な文學をその特長として幻想的なものと知的學ものとがなひ交ぜになつてゐる。原君の文學である神經質な文學がさういふ内面的なものと一緒にその神經質なところが外面の事象にも注意深く向けられて行きとどいた觀察とも批判ともなつてゐる。神經質な文學の内面性の外にこの知的に外面的な即物性を具へてゐるところが原君の文學の尊重すべく新らしい個性である。「夏の花」は原君にうつてつけの素材でそのために特に效果を納めたと云ふべきであらう。あの驚天動地(それこそ文字通りに)の事實を冴え切つた文字に寫してあの落ちついてゆきとどいた文章を成したのは壯觀とも稱すべく、十分に賞せらるべきであらう。近日、また雜誌「個性」の「災厄の日」を一讀して自然主義的、プロレタリヤ文學的ともいふべき素材を見事に彼自身の詩の世界としてゐる原民喜を見て彼の文學の世界必ずしも狹からずと思つた、餘は安心して原君の今一しほの奮起を望むばかりである。





底本:「三田文學 第二十三卷 第一号」三田文學會
   1949(昭和24)年1月1日発行
初出:「三田文學 第二十三卷 第一号」三田文學會
   1949(昭和24)年1月1日発行
入力:竹井真
校正:藤保弥
2021年2月26日作成
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