海底の魔術師

江戸川乱歩




沈没船の怪物


 日東にっとうサルベージ会社の沈没船引きあげのしごとが、房総ぼうそう半島の東がわにある大戸おおと村の沖あいでおこなわれていました。
 その海の底に、東洋汽船会社の千五百トンの貨物船「あしびき丸」が沈没しているのです。ひと月ほどまえのあらしの晩に、「あしびき丸」は航路をまちがえて、海の中の大きな岩にぶつかり、船の底がやぶれて、そこへしずんだのです。
 この沈没船の引きあげをたのまれたサルベージ会社の作業船は、「あしびき丸」のしずんでいる海面に行って、どんなふうにして引きあげたらよいかをしらべるために、まず、ふたりの潜水夫を海の底へおろしました。
 あついゴム製の服をきて、まるい鉄のかぶとをかぶり、おもいなまりのついたくつをはいて、ふたりの潜水夫は、作業船の外がわについた鉄ばしごを、つたいおり、ブクブクとあわをたてて、青い海の中へ、はいっていきました。空気を送るくだと、いのちづなが、グングンのびていきます。
 そこは、海の中の岩山のようなところで、大きな岩がもりあがっていて、底はあんがい浅いのです。水面から三十メートルぐらいで、もう海の底へついてしまいます。
 三十メートルもおりると、海の中は夕やみのように暗いので、潜水夫はつよい光の水中電灯をさげています。電線は、いのち綱にからませて作業船の上につづいているのです。かれらは、その電灯をふりてらしながら、コンブなどの海草が、人の背よりも高くはえしげって、ヒラヒラと、ゆれている中を、かきわけるようにして進みました。
 むこうの方に、どす黒い巨大な怪物のようなものが、ボンヤリ見えています。それが沈没船なのです。ふたりの潜水夫は、鉄かぶとのうしろから、送気管そうきかんといのち綱を、ゆらゆらとあとに引きながら、その黒い船体へ、近づいていきました。鉄かぶとについている、まるいガラスののぞきまどの、すぐ前を、いろいろなさかなが、すいすいと泳いでいきます。大きなサメなどが、ヌーッとあらわれて、鉄かぶとに、ぶつかってくることもあります。
 ふたりは、やがて、沈没船にたどりついて、きずついた場所をしらべはじめました。横だおしになった黒い船体のそばを、ともの方からへさきにむかって、水中電灯をてらしながら、歩いていくのです。沈没船は、海の底の大きな鉄の家のようでした。その長い長い鉄の壁にそって歩いていくのです。
 しばらく歩くと、先にたっていた潜水夫が、電灯を上下に動かしてあいずをしました。きずついている場所を見つけたのです。
 船の底の鉄板が巨人の舌のようにペロッとめくれて、人間がふたりも通れるほどの大きな穴があいていました。こんな穴から、水が滝のように流れこんでは、どうすることもできなかったでしょう。
 ふたりの潜水夫は、そのやぶれ穴の大きさをはかるために、水中電灯を近づけました。すると、穴の中から、チラッとのぞいたものがあります。とっさに、大きなさかなが、いるのではないかとおもいましたが、さかなではありません。なんだか人間ににているのです。それも、ふつうの人間ではなくて、おそろしく大きな人間の顔のように感じられました。
 しかし、この沈没船には、人間の死体がのこっているはずはないのです。乗組員はぜんぶ、すくいだされていたからです。しかも、いまチラッとのぞいたのは、死体の顔ではありません。いきた人間、いや、人間ににた、へんなものでした。
 潜水夫たちは、海の底で、いろいろなおそろしいものに出あっていますから、ちょっとぐらいのことには、おどろかないのですが、いまチラッとのぞいたやつは、なんだか、ひどくうすきみのわるいものでした。さすがの潜水夫たちも、こわくなってきました。
 ふたりは、そこに立ちすくんで、しばらく顔を見あわせていましたが、ひとりが水中電灯の光の前で右手をヒラヒラと動かしました。ことばのかわりの手まねなのです。潜水かぶとの中には、電話そうちがあって、作業船の上の人たちと話ができますけれど、潜水夫どうしが電話で話しあうことはできません。おたがいの手に電線をしかけて、手をにぎりあえば電話が通じるしかけもあるのですが、ふつうは、そういうしかけをしていないのです。
 日本の潜水夫は、いまのような、すすんだ潜水服ができないむかしから、海の底にもぐることがじょうずでしたから、水の中で手まねで話すことにも、なれているのです。ちょうどおしが手まねで話をするように、潜水夫も手まねだけで、なんでも話すことができるのです。
「きみはこわいのか。」
 ひとりの潜水夫の手まねは、そういっていました。そんなふうにきかれると、いじにも「こわい。」などとはいえません。
「こわいもんか。中へはいってみよう。」
 もうひとりの潜水夫が手まねでこたえました。
「きみ、さきにはいれ。」
「いや、きみの方が、穴に近いじゃないか。きみ、さきにはいれ。」
 ふたりが、さきをゆずりあっているのは、じつはこわいからです。しかし、日本の海難救助員が勇敢なことは世界じゅうに知られています。その日本潜水夫の名誉にかけてもこわいなどとはいえません。あやしいものを見て、にげだしたことがわかれば、なかまの、もの笑いです。
「それじゃ、手をつないで、いっしょにはいろう。」
「うん、それがいい。」
 ふたりは、手をつないで、船体のやぶれ穴の中へ、はいってみることになりました。
 穴の中は、荷物を入れる大きな部屋のようでしたが、水中電灯の光は、それほどつよくないので、部屋の中のむこうの方はまっ暗で、なにがかくれているかわかりません。
 ふたりは、穴のふちをまたいで、すべるように、ふわっと船の中にはいっていきました。そして、ひどくかたむいている船倉の床を、だんだん、おくの方へ歩いていくのでした。
 箱づめや、コモづつみの荷物が、ゴロゴロしています。かるい荷物は浮きあがって、部屋のてんじょうにくっついています。また、フワフワと、目の前にただよっているものがあります。
 そのあいだを、大きいのや小さいのや、いろいろのさかなが泳ぎまわっているのです。それが水中電灯のそばに近よると、うろこが、赤みがかった金色や、青みがかった銀色に、キラキラと、うつくしく光るのです。
 このふたりは、ながいあいだ潜水夫をやっている人たちでしたから、こういう船倉の中にただよっている人間の死がいも、かずしれず見ていました。水ぶくれになった死体、もう骨ばかりになった死体など、きみのわるいものには、なれっこになっていたのです。ですから、さっきチラッとのぞいたやつが、人間の死体でないことは、よくわかっていました。むろんさかなでもありません。なんだか、えたいのしれないものでした。いまにも、むこうの荷物のかげから、さっきのやつが、ヌーッとあらわれるのではないかとおもうと、ものなれた勇敢な潜水夫たちも、気味がわるくて、背中が、ぞくぞくしてきました。
 しかし、その船倉の中には、べつにあやしいものも見えません。一方の壁に船倉からつぎの部屋へ行くドアが、ひらいたままになっています。そのむこうは、どうやら機関室らしいのです。
「ここへ、はいってみようか。」
「うん、よかろう。」
 手まねで話しあって、ふたりはそのドアのむこうへ、ふみこんでいきました。
 大きな蒸気機関が、よどんだ水の中に、しずまりかえっていました。機械の死がいというかんじです。機械でも動いているときは生きているのですから、それが死にたえたようにじっとしているのは、なんとなくぶきみなものです。
 ふたりが、そこへはいって、二―三歩あるいたときです。じつにふしぎなことが、おこりました。死んでいる機械の一部分が、ゴトゴト動きだしたのです。
 ふたりは、ギョッとして立ちすくみました。沈没して一ヵ月もたった機械が動きだすはずがないからです。しかし、じっと見ていますと、機械の一部が、たしかに動いているではありませんか。
 そのうちに、機械の一部が、機関をはなれて、スーッと、こちらへただよってくるように見えました。機械のおばけのようなものです。ふたりの潜水夫は、鉄かぶとの中で、「ワーッ。」とさけんで、にげだしました。両手で水をかきながら、死にものぐるいで、にげだしました。
 そのとき、ふたりははっきりと、ばけものの姿を見たのです。それは、なんともいえない、おそろしいかっこうをしていました。
 生きている機械でした。いや、機械のような生きものでした。そいつには頭があり、両手があり、それからワニのようなしっぽがありました。それがみんな、機械のように鉄でできているらしいのです。
 黒い鉄の頭は、人間の倍ほどもありました。ちょうど潜水服の鉄かぶとと、おなじぐらいの大きさです。その顔に、大きなくぼんだ目がふたつ、海底のうすやみの中でも、ギラギラ光っていました。口は耳までさけていて、するどいきばがはえていました。その怪物は、ふとい鉄の棒のような両手で、「こちらへおいで。」というような、手まねきをしていましたが、その鉄のゆびのさきには、ワシのようなするどいツメがはえていました。胴体もしっぽも鉄でできているらしく、背中からしっぽにかけて、鳥のトサカのような、動物のタテガミのような、とんがったギザギザのものが、ずっと、つづいていました。人間とワニとのあいの子で、しかもそのからだが鉄でできているという、なんともいえない、いやらしい怪物でした。
 ふたりの潜水夫は、生きたここちもなく、船倉のやぶれ穴から、外へにげだすと、かぶとの中の電話で、
「たいへんだ。はやく、引きあげてくれ!」
 と、作業船によびかけるのでした。
 ふたりの潜水夫が作業船に引きあげられ、海底の怪物のはなしをしますと、それから大さわぎになって、あくる日は、海上自衛隊まで出動して、海底の大捜索がはじめられたのですが、沈没船の中をいくらさがしても、怪物はふたたび、姿をみせませんでした。
 そこで、おしまいには、ふたりの潜水夫が、海の底でまぼろしを見たのだろう、ということになってしまいました。
 潜水夫たちは、
「あれがまぼろしであって、たまるものか。われわれは、そいつの姿をはっきり見たのだ。ふたりがそろって、まぼろしを見るなんてことがあるもんか。」
 と、いいはりましたが、だれも信用してくれません。
 ふたりの潜水夫は、それでは、おれたちが、もう一度もぐって、しらべてみるといって、沈没船の中を、くまなくさがしたのですが、二度と怪物に出あうことはできませんでした。

鉄の人魚


 やはり、そのころ、潜水作業のおこなわれていた近くの海岸にある大戸村に、ふしぎなことがおこっていました。
 大戸村は漁師ばかりのすんでいる、さびしい村でしたが、その村の漁師の子に、真田一郎さなだいちろうという少年がおりました。
 おとうさんは、発動機のついた漁船をもっていて、村いちばんの漁の名人でした。一郎君は近くの町の中学校の一年生で、ゆくすえは、おとうさんよりも、りっぱな漁師になって、遠洋漁業をやりたい希望でした。そのために、専門の学校へ入れてもらうやくそくが、ちゃんとできているのです。
 そういう少年ですから、海が、なによりもすきでした。泳ぎもじょうずで、四キロぐらいは、へいきで泳げましたし、やすみには、おとうさんの船にのって、漁のおてつだいに出るのが、いちばんのたのしみでした。船にものれないし、泳ぎもできないときには、学校から帰ると、村はずれの高い岩山の上から、太平洋をながめるのが、日課のようになっていました。
 たったひとりで、岩山のてっぺんに腰をおろして、ひざの上にほおづえをついて、じっと、いつまでも、海をながめているのです。はるかむこうのアメリカ大陸まで、無限にひろがっている広大な海、なんとのびのびとした、美しいけしきでしょう。同じ海でも、その美しさは、時によって、びっくりするほど、ちがって見えるのです。まるでかがみのような静かななぎのとき、海一面があわだち、にえたぎるような、あらしのとき、朝日、夕日にまっかにいろどられた海、満月の光で銀色にかがやく海、そのひとつひとつが、みんな、たましいもとろけるように、美しいのです。
 その夕方も、一郎君は、学校から帰ると、いそぎの宿題をすませてから、うちをかけだして、岩山の上にのぼり、そのてっぺんに腰をおろして、なつかしい巨大なおかあさんのような海に、じっと見いっていました。
 しばらくすると、大空にたなびいている長い雲が、黄色くなり、やがて、だんだん赤くなって、まるで色ガラスのようなまっかな色になり、それがひろい海にまでそまって、見わたすかぎりの水が、えのぐをとかしたように、美しくかがやくのでした。ふりむくとたらいのように大きなまっかな太陽が、いま、うしろの山にかくれようとしているのです。
 そのときでした。一郎君はふと岩山の下の波うちぎわを、見おろしましたが、そこの岩の上に、なんだか黒いみょうなものが、うごめいているのを発見し、はっとして、目をこらしました。
 二十メートルも下の海岸ですから、こまかいことはわかりませんが、いままで、一度も見たことのない、ふしぎなものが、そこの岩の上にうずくまっているのです。
「あっ、黒い人魚だ!」
 一郎君は、おもわず声をたてました。そのものは、さかなのしっぽの上に人間のからだがついているような形をしていました。からだはまっ黒で、ゴツゴツしていますけれど、その形は、なにかの絵で見た人魚とよくにていました。
 絵の人魚はウロコのあるさかなのしっぽの上に、美しいはだかの女の人が、長い黒髪を、うしろにたらしているのですが、いま目の下にいる人魚は、まっ黒で、なんだか鉄ででもできているように、四角ばって、がんじょうに見えるのです。また、さかなのようなしっぽも、ウロコが銀色にひかっているのではなくて、ワニのように、かたいいかめしいしっぽのようです。
 一郎君は、人魚なんて、じっさいにあるものではないと信じていました。その、この世にいないはずの人魚が、しかも鉄のようにいかめしい人魚が、いま、目の下の岩の上に動いているのを見たのですから、じぶんの目を、うたがわないでいられません。頭がどうかしたのではないかと、おそろしくなってきました。
 しかし、一郎君は勇気のある少年でした。おそろしいものを見たからといって、びっくりして、にげかえるような弱虫ではありません。にげるどころか、はんたいに、もっと近くから、あの怪物の姿をはっきり見きわめてやろうと決心したのです。
 うらみちづたいに、岩山をかけおりて、海岸にあるトンネルのような岩のかげから、そっと怪物をのぞきました。怪物のこしかけている岩は、つい目のさき十メートルほどのところにあるのです。
 もう太陽がすっかりしずんで、空はネズミ色に、海はどす黒くなっていました。岩のならんだ波うちぎわに、白い波がはげしくうちよせています。そこのひとつの岩の上に、黒い鉄のような生きものが、むこうをむいて、じっとしていました。十メートルのちかさで見る怪物は、ぞっとするほど、おそろしい姿でした。背中のトサカみたいなものは、まるでつるぎをならべたように、するどくとがっています。大きなしっぽは鉄のワニのようで、動くとガチャガチャと音がしそうです。
 一郎君のいきづかいが、はげしくなってきました。いったい、こんなおそろしい怪物が、太平洋にすんでいたのでしょうか。ふかいふかい海の中の谷ぞこには、動物学者も知らないような怪物がいると、きいていましたが、それがひょっこり、この日本の海岸へ、姿をあらわしたのでしょうか。
 ドキドキする胸をおさえて、そんなことをかんがえていたとき、怪物が身動きをしました。そして、とつぜんぐるっとこちらをふりむいたのです。
 一郎君は、心臓がのどまでとびあがるような気がしました。ああ、その怪物の顔! 一郎君は一生がい、わすれることはできないでしょう。背中の、するどいトサカが、頭の上までつづいていました。ほら穴みたいに、くぼんだ、大きなふたつの目が、リンのように青く光っていました。口は耳までさけてそのくちびるのあいだから、ニューッと牙がつきだしていました。
 一郎君は、それを見たしゅんかんに、岩かげに身をかくしましたが、怪物の方ではもうちゃんと気づいていました。
「ジャ、ジャ、ジャ、ジャ……。」という、鉄と鉄がすれあうような、気味のわるい大きな音がひびいてきました。あとでわかったのですが、それは怪物の笑い声だったのです。
「カクレテモ、ダメダ。オレハ、シッテイルゾ。デテコイ、ソシテ、オレノイウコトヲキケ。」
 怪物の声でした。この海底のばけものは、日本語をしゃべるのです。しかし、発音はひどくあいまいで、やっぱり鉄のすれあうような音で、よほど注意しないとききとれないのです。
 一郎君はもうだめだとおもいました。この怪物につかまえられて海の底につれていかれるのだと、決死のかくごをきめました。そして、勇敢にも岩かげから顔を出して、怪物とにらみあったのです。
「キミハ、ツヨイネ、エライコドモダ。キミナラ、オレノイウコトヲ、ミンナニ、ツタエテクレルダロ。イイカ、ヨクキケ。オレハ、ウミノソコノ、マモノダ。コノムラニハ、モウコナイ。シカシ、マモナク、ニッポンジュウガ、オオサワギニナルダロ、オレガ、シゴトヲ、ハジメルカラダ。ミンナニ、ソウイッテオケ、ウミノソコノ、マモノガ、イヨイヨ、ニッポンニ、ジョウリクシタト、ソウイッテオケ。ワカッタカ。」
 そして、また、「ジャ、ジャ、ジャ、……。」と鉄のすれあう笑い声をたてたかとおもうと、ドブンという音がして、たちまち、怪物の姿は見えなくなってしまいました。白波しらなみさかまく海の中へ、とびこんだのです。

鉄の小箱


 お話かわって、こちらは東京のできごとです。大戸村に鉄の人魚があらわれてから十日ほどのちのことでした。
 世田谷せたがや区に住んでいる、中学二年生の宮田賢吉みやたけんきちという少年が、ある夜、友だちのところからおうちへ帰るのに、近みちをして、神社の森の中を歩いていました。外は、夜になるとだれも通らないさびしい道で、ふつうの子どもでしたら、こわくて、とても近みちなどできないのですが、宮田賢吉君は、少年探偵団の団員でしたから、暗い森の中をひとりで歩くのが、かえっておもしろいくらいでした。
 神社の森は、たいへん広くて、大きな木が立ちならび、その枝が空をおおって、ひるまでもうす暗いほどですから、夜は星も見えない、まっ暗やみです。ところどころに街灯が立っているのですが、その光は木の葉にさえぎられて、遠くまではとどきません。道ばたにならんでいる石どうろうが、大入道のおばけのように見えて、じつに、うすきみがわるいのです。
 賢吉君は、口笛をふきながら足ばやに歩いていましたが、森のまんなかほどまでくると、じぶんの足音のほかに、もうひとつべつの足音が聞こえるような気がしました。おやっとおもって、口笛をやめて、耳をすましながら歩いていますと、たしかに、べつの足音がしています。じぶんの足音が、森にこだまして、二じゅうに聞こえるのではありません。もうひとつの足音はパタパタと、ひじょうにはやく、走っているように聞こえるのです。
 賢吉君は、ためしに立ちどまってみましたが、それでもパタパタという足音はつづいています。
 やっぱり、だれかが、うしろから走ってくるのです。
 ふりむくと、たちならぶ石どうろうのあいだから、黒いものがパッとこちらへとびだしてくるのが見えました。おとなの人です。悪ものかもしれません。賢吉君をおっかけてきたのかもしれません。そして、お金をとろうとするのではないでしょうか。
 しかし、賢吉君はにげだしもしないで、じっと、もとのところに立っていました。
 男は、たちまちそのそばに近づいて、
「おい、きみ、たのみがある。だいじなたのみがある。きいてくれ。」
と、息せききって、いうのでした。
「ぼくにですか。」
「うん、そうだ。おれは、いま、悪ものにおっかけられているんだ。これをあずかってくれ。おれの命よりもだいじなものだ。きみのうちはこの近くか?」
「ええ、すぐ近くです。」
「それじゃ、これをきみのうちに持って帰って、うちの中のだれにもわからぬ場所へ、かくしておくのだ。この箱の中には、おそろしい秘密がふうじこんである。悪ものどもが、その秘密をぬすみだそうとして、おれを殺すかもしれない。もし、おれが死んだら、この箱は川の中へでもすててくれ。だが、おれが生きているあいだは、けっしてすてるんじゃない。きっとかえしてもらいにいくから、それまで、だれにも気づかれない場所へ、かくしておいてくれ。わかったな。おれにとっちゃ、命よりもだいじな品物だからね。いいか。」
 暗やみながら、そうして話しているうちに、男の顔かたちが、おぼろげに見わけられました。黒い背広をきています。しわになった、きたない背広です。としは五十以上でしょう。しわの多い、ヒゲむじゃの顔です。ヒゲをのばしているわけではなく、いく日も、かみそりをあてないので、ぶしょうヒゲでほおがまっ黒になっているのです。そのうすきみのわるい男が、小さな黒い箱をだいじそうに両手でさしだしているのです。
 賢吉君は、小箱をうけとっていいのかどうか、決心がつきかねて返事もしないでいますと、男はしきりにうしろをふりかえって見ながら、
「はやく。はやく、これをうけとってくれ。おれは、悪ものにおっかけられているんだ。いまにも、ここへやってくるかもしれない。そうすれば、もうおしまいだ。悪ものは、この小箱をねらっているんだ。さ、はやく。」
 男はそういって、またうしろをふりむいていましたが、なにか遠くの音を聞きつけたらしく、ハッとなって、
「来た。やって来た。もうだめだ。一生のおねがいだ。これを持っていって、かくしてくれ。けっして悪ものにとられるんじゃないぞ。さ、うけとってくれ。そして、そこの大きな木のうしろにかくれているんだ。にげだしちゃいけない。あいてはおとなだから、にげたら、すぐつかまってしまう。いいか、わかったね。」
 小箱はいつのまにか、賢吉君の手にわたっていました。鉄でできているらしく、小さいわりにはひどく重い箱でした。男が賢吉君の背中をつきとばすようにしましたので、賢吉君は、おもわずよろよろとして、一本の大きな木のみきのうしろにかくれました。そこは、街灯の光が、まったくとどかない、まっ暗やみですから、けっして、悪ものに見つかる心配はないのです。
 賢吉君がかくれたのを見さだめると、男はやにわに走りだしましたが、よほどつかれているらしく、あまりはやくは走れません。うしろの方からは、いきおいのよい足音がせまってきました。パッパッパッパッと、おそろしく早いくつ音です。
 そっと木のみきからのぞいている賢吉君の目の前に、風をきってひとりの若ものの姿があらわれました。なんだか、はでなしまの背広をきた、ヨタモノみたいなやつです。
 たちまち、にげる男に追いつきました。
「まてっ、さあ、もうにがさんぞ。きさまが鉄の箱を持ってにげたことは、ちゃんとしっているんだ。あれをこっちへよこせ。」
 若もののふてぶてしいどなり声に、五十男は、よわよわしく答えています。
「鉄の箱なんておれはしらない。さあ、見るがいい。おれはどこにも、そんなもの持ってやしない。」
 若ものは、五十男のからだじゅうをさがしているようすでした。しかし、鉄の箱は、とっくに賢吉君の手にわたっているのですから、どこからも出てくるはずはありません。
「ちくしょう。どこかへかくしたな。さあ、はくじょうしろ。どこへかくした。いわないと、いたいめをさせるぞ。」
 若ものは、五十男の手をにぎって、背中の方へねじあげています。しかし、男は一言いちごんも答えません。そればかりか、いまは死にものぐるいになって、パッとその手をふりきると、いきなり、若ものにつかみかかっていきました。
 おそろしい格闘がはじまったのです。
 ふたりは、暗やみの中で、くんずほぐれつとっくみあい、そのままたおれて、上になり下になり、地面をゴロゴロころがりまわっていましたが、五十男が若いヨタモノにかなうはずはありません。いつのまにか、若ものにくみしかれて、気味のわるいうなり声を出していました。
 若ものは、五十男の上に馬のりになって、両手でその首をしめつけているのです。下の男は死んでしまうかもしれません。もうぐったりとなって、声をたてることもできないようすです。
 賢吉君は、木のかげから飛びだしていって、助けてやろうかと思いましたが、そんなことをしても、ヨタモノにかてるはずはないのですから、鉄の小箱をとられてしまうかもしれません。とられては男にすまないのです。命をすてても、かくしたいと思っている小箱ですから、どんなことがあっても、ヨタモノにわたすことはできません。
 そんなことをいそがしく考えて、ためらっているうちに、若ものが手をはなして立ちあがったようすです。
「命はたすけてやる。鉄の箱を手にいれるまでは、きさまを生かしておかなくちゃ親分にしかられるからな。これから帰って、親分とそうだんして、また出なおしてくる。鉄の箱はどうしたって手にいれるつもりだから、そのつもりでいろ。」
 若ものは、そんなことをいって、どこかへさってしまいました。
 たちさったと見せかけて、どこかにかくれているのではないかと、賢吉君はしばらく、ようすを見ていましたが、いつまでたってもなにごともおこらず、ほんとうに帰ってしまったらしいので、おずおずと木のかげから出て、たおれている男に近づきました。男はまるで死んだようになっていましたが、賢吉君が顔をのぞいて、だきおこそうとすると、やっと目をひらいて、くるしそうな声を出しました。
「あ、きみか。おれはやられた。もうだめだ。箱をたのんだよ。おれが死んだら、川へすててくれ。それから、どうせ警察ざたになるだろうが、箱のことだけは、だまっててくれ。警察にも知られたくないんだ。きみのうちの人にもいっちゃいけないよ。おれはなにも悪いことはしていない。きみにめいわくがかかるようなことは、けっしてないのだから。いいか、たのんだよ。」
 それだけいうのが、せいいっぱいでした。男は、そのまま、また目をふさいで、ぐったりとなってしまいました。
 賢吉君は、じぶんひとりではどうにもならないと思ったので、いきなりかけだして、神社の森をぬけ、近くのおうちへ帰って、おとうさんに、いままでのできごとをつたえました。鉄の箱はじぶんの勉強部屋の本箱のひきだしの中へかくし、おとうさんにも、そのことはいわなかったのです。おとうさんは、警察へ電話をかけておいて、じぶんも、賢吉君のあんないで森の中へ行ってみることにしました。

窓の顔


 賢吉君に鉄の小箱をあずけた五十男は、それから四―五日のちに、警察の病院で息をひきとりました。しらべてみると、この男は、船員あがりの宿なしで、家族もしんせきもない、ひとりぼっちの男とわかりましたので、警察の手で病院に入れて手あてをしたのですが、もともとからだが弱かったので、とうとう死んでしまったのでした。
 さて、その男が死んだとなると、賢吉君は約束にしたがって、鉄の小箱を川へすてなければならないのですが、なにか大きな秘密がかくされているというその箱を、すててしまう気には、どうしてもなれません。そっとかくしておいて、じぶんでその秘密をさぐってみたいのです。それで、約束にはそむくけれども、しばらくすてないで、かくしておくことにしました。
 その箱は長さ十五センチ、はば九センチ、厚さ六センチほどの、から草もようの彫刻のある黒い鉄の箱で、どこにもわれめがなく、どうしてひらくのか、すこしもわかりません。中にはなにがはいっているのか、ふってみてもなんの音もしないのです。
 賢吉君は、その中にとほうもない宝ものでもはいっているようで、いそいで箱をこわすのが、おしいような気がしました。あとでゆっくりしらべることにして、どこかだれにも知られないような場所へ、かくさなければなりません。そこでいろいろ考えたすえ、庭のつき山の、てごろな石の下へかくすことにきめ、森の中の格闘のあった夜、みんなが寝しずまったころ、そっと部屋の窓からぬけだして、おもちゃのシャベルで石の下をほって、そこへ鉄の箱をうずめておいたのです。
 男が病院で死んだという知らせをうけた晩にも、その石をあげてのぞいてみましたが、鉄の箱はちゃんとそこにありました。
 しかし、賢吉君には、ひとつ心配なことがあったのです。森の中の格闘のあとで、うちに帰ったときうわぎのポケットに入れておいたナイフが、なくなっていたのです。
 えんぴつをけずる小さなナイフですが、あのとき木のかげにかくれていて、格闘を見ているあいだにおもわずそのナイフを手に握っていたのです。べつにそれで、ヨタモノをきずつけようというわけではなく、ただ、ひとりでに手がそこへいってナイフを握りしめていたのです。そのときは、もとのポケットに入れておいたつもりでしたが、あわてていたので、うっかりおとしてしまったのかもしれません。
 そのナイフは、外がわにシカのつのがはりつけてあるのですが、わるいことには、そのシカの角の表面に、じぶんの名がローマ字でK・MIYATAと、ほりつけてありました。
 もし、あのナイフを悪ものにひろわれたら、賢吉君が鉄の箱をかくしていることを、さとられるかもしれません。それで、あくる日、昼の間に森の中へいって、そのへんをくまなくさがしたのですが、ナイフは、どこにもおちていませんでした。あのヨタモノが、あとからやって来て、ひろっていったのではないでしょうか。賢吉君には、それがただひとつの心配でした。
 さて、男が病院で死んでから十五日ほどたった、ある晩のことです。
 賢吉君は勉強部屋の机にむかって、学校の宿題をやっていました。もう夜の九時ごろでした。その日も、夕方だれも見ていないのをたしかめて、つき山の石の下をのぞき、鉄の箱がちゃんともとの場所にあることをたしかめておきました。そして、安心して、勉強していたのです。このぶんでは、ナイフをひろったのは悪ものではなさそうです。あれから半月もたつのに、賢吉君の身辺に、なにごともおこらないのですから、もうだいじょうぶという気がしていました。
 ところが、そうではなかったのです。
 宿題のむずかしいところにさしかかったので、賢吉君はそれを考えるために、えんぴつをおいて目の前の空間を見つめていました。すると、目の前になんだか、もやもやと動いているものがあるのです。おやっとおもって、目をさだめてそこを見ました。
 机のむこうに、ガラス窓があります。カーテンがひいてないので、そこからまっ暗な庭が見えています。そのまっ暗な中に、なにか黒いものがもやもやと、動いているのです。
 やみの中に黒いものですから、よく見わけられませんが、なにかいることはたしかでした。人間かと思いましたが、人間ならば顔は白く見えるはずです。どうも人間ではなさそうです。人間ではなくて人間ほどの大きさのものです。
 ゾーッと、背中がさむくなりました。
 その黒いものは、だんだんこちらへ近づいて来ます。もう窓ガラスのすぐそばまで来ました。ぼんやりとかたちが見えます。それはいままで一度も見たことのないような、うすきみのわるい、へんてこなものでした。
 ギョッとして、心臓がのどのところまで、とびあがるような気がしました。
 そのものが窓ガラスにぴったり顔をくっつけて、賢吉君をにらみつけたからです。
 ひたいの下がゴリラのようにくぼんでいて、そのおくから、リンのように青白く光る、ふたつの目がのぞいていました。口は耳までさけて、そのくちびるのあいだから、二本の牙が、ニューッと、のびていました。それは人間の顔ではありません。動物の顔でもありません。なんだかえたいのしれないものです。顔ぜんたいが、まるで鉄のように黒びかりに光っているのです。
 賢吉君はにげだそうとしました。しかし、リンのように光る目でにらみつけられると、ちょうど、ヘビににらまれたカエルのように、もう身動きができなくなって、いすにかけたまま、じっとしているほかはないのでした。
 それから、もっとおそろしいことがおこりました。ガラス窓が、ジリジリと、下から上へひらきはじめたのです。怪物が外から、おしあげ窓をひらいているのです。
 それでも、賢吉君は、まだにげる力がありません。まるで、いすにしばりつけられたように、まったくからだが動かないのです。そして、目は怪物の方にひきつけられ、見まいとしても、その方からそらすことができないのです。
 窓はすこしずつ、すこしずつ、上の方へひらいていきました。そして四十センチほどひらいたとき、怪物の顔がニューッと窓の中へはいって来ました。ふたつの目は青いほのおのようにもえています。頭の上には、気味のわるいトサカのようなものが、するどくつっ立っています。それから口が……。
 その耳までさけた口が、キューッと三日月形にひらいて、
「ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ……。」
 と笑ったのです。鉄と鉄がすれるような、おそろしい音をたてて、笑ったのです。

怪物のゆくえ


 賢吉君は、おもわず「ワーッ。」とさけんで、いすから立ちあがり、ドアの方へにげようとしましたがそのとき、頭がフラフラして、目の前がスーッと暗くなり、そのまま気をうしなって、たおれてしまいました。
「なんだか、いまへんな声がしたようだね。」
 賢吉君のおとうさんが、おくの部屋から茶の間に出てきました。
「賢吉の部屋のようですわ。どうしたんでしょう。あなた、行って見てくださいませんか。」
 おかあさんも心配そうな顔で立ちあがっていました。
「行ってみよう。戸田とだ君も、いっしょにきたまえ。」
 おとうさんは、廊下にいた書生の戸田君をつれて、賢吉少年の勉強部屋にいそぎました。
「賢ちゃん、今、なにかいったかい。」
 ドアの外から声をかけてもなんの返事もありません。そして、部屋の中では、なにかゴトゴトと、みょうな音がしています。
「だれだっ、そこにいるのは?」
 書生の戸田君が、どなって、ドアをひらこうとしましたが、中からかぎがかけてあることがわかりました。
「へんですね。賢ちゃんは、めったにかぎなんかかけたことがないのに。……おなじかぎが、もうひとつ茶の間にありましたね。ぼく取ってきます。」
 戸田君は、そういってかけだしていきましたが、すぐにひきかえしてきて、そのかぎでドアをひらきました。
 そして、ひと目部屋の中を見ると、ふたりは、おもわず「あっ。」と、声をたてないではいられませんでした。
 賢吉少年が、たおれているばかりではありません。本箱や机のひきだしが、ぜんぶひきぬかれて、その中のものが、部屋いっぱいにちらかっていたからです。
 おとうさんは、賢吉君のそばにかけよって抱きおこし、「賢ちゃん、賢ちゃん。」とよんで、そのからだをゆり動かしました。すると、賢吉君は、やっと気がついて、目をひらき、いきなりおとうさんのからだにしがみつきました。
「どうしたんだ。いったい、どうしたというんだ。」
 おとうさんは、ちらばった部屋の中や、ひらいた窓を見て、ふしんらしくたずねました。
 賢吉君は、おとうさんにしがみついたまま、そっと部屋の中を見まわしましたが、さっきのおそろしいやつは、もう、どこにもいないことがわかりました。
「窓から、おばけが、はいってきたのです。からだにウロコのはえた、牙のある、おそろしいやつです。ぼく、そいつに食われてしまうかと思った。きっと、窓から出ていったのです。まだ庭にいるかもしれない。」
 賢吉君は、そういって、ガタガタふるえていました。
 おとうさんは、そんな怪物がこの世にいるとは思いませんので、賢吉君がゆめかまぼろしでも見たのではないかと、うたがいましたが、それにしては、部屋の中がひっかきまわしたように、ちらかっているのがへんです。
 おとうさんは、ひらいたガラス窓にかけよって、まっ暗な庭を見まわしました。しかし、庭にはなにもいるようすがありません。
「おやっ。」
 おとうさんは、そのとき、窓のしきいに、おそろしいかききずが、できているのに気がつきました。それは大きな、するどい五本のツメで、ぐっとひっかいたような、なまなましいあとでした。
「おい、戸田君、このきずを見たまえ。なんだか動物のツメのあとのようじゃないか。」
「そうですね。けさまで、こんなあとはついていませんでした。ひょっとしたら、ほんとうに、あやしいやつが、はいってきたのかもしれませんね。」
 書生の戸田君も、顔色をかえていました。
「よし、庭へ出てみよう。足あとがあるだろう。きみ、懐中電灯をもってきたまえ。」
 賢吉君は、さっきから、そこへようすを見にきていた、おかあさんにしがみついて、ふるえていました。おとうさんと戸田君は、部屋を出て、庭のほうへまわっていきました。
 ふたりが庭におりて、懐中電灯でしらべてみますと、土のやわらかいところに、じつにぞっとするような怪物の足あとが、のこっていることがわかりました。それは、するどいツメのある巨大な動物の足あととしか、かんがえられないようなものでした。
 こういう証拠を見ては、もう、ほうっておくわけにはいきません。おとうさんは、すぐに警察へ電話をかけて、ことのしだいを知らせました。
 その電話をきいて、警察でもへんだと思いましたが、賢吉君のおとうさんは、大きな会社の重役をつとめている、町でも有名な実業家でしたから、まさかでたらめではあるまいと、とりあえず三人の警官が自動車をとばして賢吉君のうちへやってきました。そして、うちの中と庭とを、くまなくしらべましたが、窓のツメのあとと、庭の足あとのほかには、なにも発見できませんでした。
 それでは、うちの外まわりを、しらべてみようというので、三人の警官がへいの外の、暗い町を歩いていますと、むこうのほうから、おそろしいいきおいで、かけて来る男の姿が見えました。なにものかに追いかけられているように、いちもくさんに走ってくるのです。
「きみ、どうしたんだ。」
 ふしんに思って声をかけると、その男は三人の前で立ちどまりました。
「あ、おまわりさんですね。たいへんです。おそろしいやつが、マンホールの中から、出てきたのです。」
 息をきって、またにげだしそうにしています。どこか近くの店の店員らしく、ジャンパーを着た若い男です。
「きみはいったい、なにを見たんだ。」
「ばけものです。」
 それをきくと警官たちは、この男は、もしや賢吉君をおそった怪物にであったのではないかと思い、あわててたずねました。
「そのマンホールっていうのは、どこだ。」
「あそこです。この町のかどをまがったところです。」
 警官たちはそこまできくと、よしっとさけんで、いきなりその町かどへかけだしました。
 かどをまがると、すぐにマンホールが見えました。しかし、べつにあやしいものも見あたりません。マンホールには、ちゃんと鉄のふたがしまっています。
「おい、このマンホールかい。なにもいやしないじゃないか。」
 おずおずついてきた若ものに、たずねますと、さもこわそうにゆびさしながら、
「それです。そのふたがスーッともちあがって、中からおそろしいばけものが出てきたのです。」
「おそろしいばけものって、どんなやつだった?」
「牙がはえていました。それからウロコがはえていました。目がリンのように光っていました。」
 やっぱりそうでした。賢吉君をおそった怪物です。
「そいつは、マンホールから出たのでなくて、マンホールへにげこんだのかもしれないぞ。」
 警官のひとりが、さすがに気味わるそうに、目の前のマンホールのふたを見ました。
「よし、それじゃ、しらべてみよう。手をかしたまえ、そして、きみはピストルを出してかまえていてくれ。危険と見たらぶっぱなすんだ。」
 三人の中でせんぱいらしい警官が、そういって懐中電灯をつけると、マンホールのふたのそばにしゃがみこみました。もうひとりの警官が、それに手をかします。のこるひとりは、腰のサックからピストルをぬきだして、いざといえば、発射する身がまえをしました。
「そら、いいか。」
 ふたりの警官が力をあわせて、マンホールの鉄のふたをひらいて、わきにのけました。穴の中は、まっ暗です。懐中電灯の光が、さっとそこをてらしました。
 その中に、鉄のウロコの怪物が、うずくまっていたのでしょうか。いや、そうではありません。中はからっぽだったのです。警官たちは、ひょうしぬけしてしまいました。
「なあんだ。なんにもいないじゃないか。」
 それは下水のマンホールでしたが、ほそい下水道ですから、そこから下水をつたってにげることはとてもできません。
 怪物は、いちじマンホールの中へかくれて、それからまた、にげだしたのでしょう。さっき店員の見たのは、やっぱり、出てくるところだったのでしょう。
 この店員は賢吉君とおなじ怪物を見たのです。ふたりも見た人があるからには、もう、ゆめやまぼろしとはいえません。すててはおけないのです。そこで、警官は電話でこのことを本署にしらせ、本署から警視庁にれんらくしました。
 それからは、たいへんなさわぎです。パトロールカーが三台もやってきました。警視庁や警察署から何台も自動車がきました。それに新聞記者です。賢吉君のおうちは、りんじの捜査本部になって、門の前には十何台の自動車がならび、近所の人たちが、なにごとかと集まってくるものですから、たちまち黒山の人だかりです。
 何十人という警官による大捜索がはじまりました。その近くの家という家は、かたっぱしからしらべられ、町という町は警察の自動車が巡回し、非常線がはられ、アリのはいだすすきまもない、捜査のあみがはられました。
 しかし、あくる朝になっても、どこからも、あやしいものは発見されませんでした。鉄の人魚は、煙のように消えうせてしまったのです。
 そのよく日の新聞は、鉄のウロコの怪人の記事でいっぱいでした。賢吉君のうちの窓じきいにのこったツメのあとと、庭の大きな動物の足あとが、写真になって新聞にのったのです。日本全国の人がその新聞をよんで、ふるえあがってしまいました。そして、人が集まれば、このおそろしい怪物の話でもちきりでした。

大金塊


 賢吉少年は、そのあくる朝、警察の人たちがひきあげていくのをまって、そっと庭へ出ました。庭の石の下にかくしておいた、あの小さい鉄の箱をしらべてみるためです。ゆうべの怪物が、鉄の箱を持っていったのではないかと心配でたまらなかったのです。
 目じるしの石をもちあげてみますと、ああよかった。鉄の箱は、そこにありました。ちゃんと、もとの場所にのこっていたのです。賢吉君は、もうじぶんひとりで、かくしておいてはいけないと思いました。それで箱をとりだすと、いそいでうちにかけこみ、それをおとうさんに見せて、このあいだの夜、神社の森の中で格闘があったとき、顔じゅうにヒゲのはえた、きたないおじさんに、この箱をあずけられたこと、そのおじさんは、もしおれが死んだら、鉄の箱を、川の中へすててくれといったけれども、おじさんが警察病院で死んでからも、すてる気になれないので、庭の石の下へうずめておいたことを、くわしく話しました。
 おとうさんは、鉄の箱を手にとってひらこうとしましたが、どうしてもあけることができません。書生の戸田君もやってみましたが、やっぱりだめです。
 そのとき、賢吉少年は、ふと思いついたように、声をはずませていいました。
「いいことがあります。ぼく、その箱を明智探偵事務所へ持っていって、ぼくらの少年探偵団の小林団長に見せましょう。そして、明智先生の知恵をかりれば、きっとこの箱の秘密がわかりますよ。」
「うん、それはいい思いつきだ。戸田君に送ってもらって、いつもよびつけのハイヤーに乗って行ってくるがいい。運転手と戸田君と、ふたりもごえいがついてれば、だいじょうぶだろう。それに昼間のことだしね。」
 おとうさんも賛成だったので、まず明智の事務所へ電話をかけますと、明智先生も小林少年も、事務所にいることがわかりましたので、顔見知りの運転手の自動車をよんで、賢吉少年は鉄の箱をだいじにかかえて、書生の戸田君といっしょに、それに乗りこみました。
 事務所につくと、小林少年が出てきて、ふたりを応接室にとおしました。そして、賢吉君から話をきき、鉄の箱を手にとって、いろいろやってみましたが、小林少年にもひらくことができません。
「ちょっと待っていたまえ。明智先生に、この箱を見せてくるから。」
 小林少年はそういって、箱を持ってドアの外へ出ていきましたが、十分ほどすると、明智先生といっしょに、にこにこしてもどってきました。
「先生は、わけなくおひらきになったよ。ほら、こうするんだ。箱根細工はこねざいくの秘密箱とおなじだよ。から草もようの、ここのところをおすんだよ。すると、こちらがわがひらくようになる。それから、ここをおすと、ね。二―三度、おなじことを、くりかえせばいいんだよ。そうすると、すっかり、ひらいてしまう。
 だが、それよりも、もっとたいへんなことがあるんだ。この箱の中には、何十億円というすばらしいねうちのものが、はいっていたのだよ。」
 小林少年の説明にびっくりしていると、明智探偵がいすにかけて、にこにこしながら話しはじめました。
「それはこういうわけだよ。この鉄の箱の中には、三つの書きものがふうじこめてあった。ひとつは福永ふくながという、もと遠洋航路の大洋丸の船長をしていた人の遺言書。ひとつは、紀伊きい半島の南の海路図。もうひとつは保険会社の証書なのだよ。」
 明智はそういって、手に持っていた何枚かの書きつけを見せました。
「その、もと船長の遺言書は、むずかしい文章なので、くだいて話すとね、今から二十年ばかりまえに、紀伊半島のしおみさきの沖で、大洋丸という汽船が、暴風のために沈没した。そのときは、何十年に一度というひどいあらしで、大洋丸が無電で助けをもとめても、海岸から助けの船を出すこともできなかったほどで、多くの船客や乗組員が死んでしまった。
 流れたボートにすがって、やっと海岸にたどりついたのは、十数人の乗組員だけで、その中に、船長の福永という人もはいっていた。じぶんだけ助かるというのは、あまりえらい船長じゃないね。
 大洋丸が無電で助けをもとめるとき、今どこにいるかという位置を知らせたのはいうまでもないが、福永船長の遺言書には、そのとき、じぶんはあわてていたので、たいへんなまちがいをしたと書いてある。経度けいどの数字をまちがえて無電技師につたえたので、あとで大洋丸がまるでけんとうちがいの場所に沈んだようになってしまって、保険会社が、船会社に保険金をはらったあとで、沈んだ場所をしらべると、そこはひじょうに深いところで、船はもちろん、荷物も引きあげられないことがわかって、あきらめてしまった。
 福永船長は、それから一年ほどたって、やっと無電で送った沈没の位置がちがっていたことに気づいたというのだが、これはどうもおかしいね。船長は、わざと気づかないことにしておいたのかもしれない。そして、それからまた一年ほどたって、船長は、保険会社から沈没した大洋丸の権利を買いとった。そのころのお金で、二十何万円、今にすれば一億円ぐらいになるがね。そのお金をこしらえて、沈没船をじぶんのものにしてしまった。どうせ引きあげられない船だから、保険会社もやすく売ってしまったのだね。
 引きあげの見こみもない船に、どうしてそんな大金を出したかというと、その船には、香港ホンコンからアメリカに送る金塊がたくさんつんであったのだ。遺言書には、そのころのねうちで四百万円とあるから、今では二十億円ほどのものだ。船長は、それを引きあげて、大金持ちになろうとしたのだよ。保険会社から権利が買ってあるので、だれにもえんりょすることはないのだ。
 保険会社は、世界じゅうのどんな潜水技術でも、どうしても引きあげられない深いところにあると思ったので、権利を売ったのだが、船長は大洋丸が、無電で知らせた場所からは五マイルもへだたった、もっとあさいところに沈んでいることを、ちゃんと知っていた。そこなら潜水作業もできるだろうと考えたのだよ。
 そこでいよいよサルベージ会社にたのんで、金塊の引きあげをやろうと、いろいろな準備をしているうちに、この福永船長は大病たいびょうにかかって、なにもできないようになり、三ヵ月ほどで死んでしまった。天罰があたったのだろうね。それで、まだ字のかけるあいだに、この遺言書をかいて、鉄の秘密箱をつくらせて、保険会社の証書と、ほんとうに大洋丸の沈んでいる場所をしるした海図といっしょにふうじこんで、じぶんのひとりむすこにのこした。
 そのむすこが、賢吉君に鉄の箱をあずけたというわけだ。このむすこは、いくじのない男で、じぶんで引きあげて作業をはじめることもできず、いく人かのお金持ちに、引きあげの権利を売りつけようとしたが、そのころは、もうびんぼうになってしまって、きたないふうをしていたので、そんな男の『海底の大金塊』なんて、ゆめみたいな話は、だれも信用してくれなかったのだね。そして、いつのまにか二十年がたってしまった。そのことが、むすこの手で遺言書のはじに書きつけてあるのだよ。」
 明智探偵の長い説明が、やっとおわりました。賢吉少年には、まだよくわからないところもありましたが、ともかく、二十億円の金塊が、潮ノ岬の沖に沈んだままになっていることは、なんだか、ほんとうらしく思われてくるのでした。

白昼の怪物


 明智探偵は、そういう説明をしたあとで、賢吉少年と書生の戸田に、こんなことをいいました。
「この小箱をねらっているやつは、おそろしい悪ものだ。賢吉君のおうちへおくのは、心配なくらいだ。しかし、それは、わたしが、まもってあげる。だいじょうぶだから、安心してお帰りなさい。そして、またもとの石の下へかくしておくんだね。」
 そういって、部屋のすみの、事務机の前にいって、小箱の中へ書きつけを入れ、もとのとおりふたをしめて、賢吉君に手わたしました。
 賢吉君と書生の戸田は、明智探偵と小林少年に、あつくおれいをいって、いとまをつげ、おもてに待っていた自動車に乗りました。
 自動車は世田谷の賢吉君のおうちに向かって走りだし、十五分ほどすると、大きなやしきのならんださびしい道にさしかかりました。両がわに、高いコンクリートのへいが百メートルもつづいて、そのへいの中には、大きな木がたちならび、ひるまでも、うす暗いようなところです。
 そのコンクリートべいの谷間のような場所にきたとき、自動車がキーッというブレーキの音をたててとまりました。
「おや、へんなところで、とめるじゃないか。どうしたんだ。故障がおこったのかい。」
 書生の戸田が、運転手に声をかけました。すると、むこうをむいていた運転手が、ひょいと、こちらをふりむいて、ニヤリと笑ったのです。
「あっ、きみはさっきの運転手とちがうじゃないか。いつのまに、いれかわったんだ。そして、きみはいったい、だれだっ!」
「こういうもんさ。」
 運転手はふてぶてしい声で答えて、ニューッと、ピストルをさしつけました。
「あっ、それじゃ、きさまは……。」
 戸田はびっくりして、となりの賢吉少年をだくようにして、まもりました。あいてがピストルを持っているのでは、どうすることもできません。
「なあに、きみたちの命をもらおうとはいわない。鉄の小箱さえだせばいいのだ。さあ、はやくだせ。」
 戸田は、すきがあれば、自動車からとびおりて、にげようと、そっとドアのとってに、ゆびをかけました。
 すると、あいては、はやくもそれをさっして、にくにくしく笑うのでした。
「ハハハ……だめだめ、にげようたって、にげられるものじゃない。ドアの外をよく見るがいい。」
 はっとして、ガラス窓の外を見ますと、いつのまにあらわれたのか、窓のすぐそばに、ものすごい顔の男が立ちはだかっていました。手には、やっぱりピストルをかまえて、にやにや笑っているのです。それじゃ、こちらからと、はんたいがわの窓を見れば、これはどうでしょう。そこにも、おなじようなあらくれ男が、ピストルをかまえて、にらみつけているではありませんか。
 三方からピストルを向けられては、もう、どうすることもできません。戸田は賢吉少年に、鉄の小箱をわたすように手まねであいずをしました。賢吉君も、しかたがないので、それを、前の運転手にさしだしました。
 あいては、ひったくるように、それをうけとると、また、にくにくしく笑うのでした。
「ワハハハ……、かんしん、かんしん、きみたちは、よくいうことをきくねえ。それじゃ、これでゆるしてやるよ。きみたちの運転手は、うしろのトランクにおしこめてある。おれたちの姿が見えなくなったら、トランクをあけて、だしてやるがいい。そうすれば、また自動車を運転してくれるよ。」
 にせ運転手は、自動車からとびだして、パタンとドアをしめました。そして、三人の男は、まるで短距離の選手のように、おそろしいいきおいで、むこうへ、かけだしていきました。
「ああ、とりかえしのつかないことをしてしまった。あのだいじな鉄の小箱をとられてしまった。賢ちゃん、あいつらは、いつかの悪ものの手下ですよ。……それにしても、明智さんは、ぼくがまもってやるから、だいじょうぶだとうけあってくれたのに、どうしたというんでしょう。こんなに、はやく、とられてしまうようでは、明智さんも、あてになりませんね。じつに、ざんねんです。」
 戸田は、くやしそうに、ぶつぶついっていましたが、三人の男の姿が、見えなくなって、しばらくすると、自動車をおりて、うしろのトランクのふたをひらきました。そこには、あの知りあいの運転手が、さるぐつわをはめられて、まるくなって、おしこめられていました。
 賢吉君も車をおりて、てつだいました。そして、トランクからだして、さるぐつわをはずしてやりましたが、運転手は、頭をさすりながら、
「明智さんの事務所の前に、車をとめてうっかりしていると、いきなり、うしろから、ここをガンとやられ、さるぐつわをはめられてしまいました。おそろしく力のつよいやつで、どうすることもできませんでした。もうしわけありません。それじゃ、やつがわたしにばけて、ここまで運転してきたのですね。」
「そうだよ。きみとおなじような上着をきていたので、うしろ姿では、見わけがつかなかった。まさか、ひるまから、こんなだいたんなまねをするとは思いもよらないのでね。さあ、いそいで運転してくれ。もううちに近いんだから、帰ってから警察に電話をかけよう。ぼくらは、だいじなものを、ぬすまれてしまったんだよ。」
 そこで、三人は自動車に乗りこみましたが、車が走りだそうとするとき、賢吉少年が、「あっ。」と声をたてました。まっさおな顔になって、目がとびだすほど大きくなっています。そして、窓の外をじっと見つめているのです。
 戸田と運転手は、おどろいて、賢吉君の見つめているところを見ました。
 高いコンクリートべいの上から、なにかがのぞいていました。うしろには、大きな木の枝が青黒くしげっています。その前のへいの頂上に、なにか黒いものが見えるのです。
 それは、えたいのしれぬ、へんてこなものでした。黒い顔の中に、リンのように青く光るふたつの目がありました。耳までさけた口がありました。その口から、ニューッと白い牙がつきだしているのです。頭には、するどい鉄のトサカがはえています。
 鉄の人魚です。あの怪物が、コンクリートべいの内がわをよじのぼって、首だけだして、こちらをにらみつけているのです。
「はやく、はやく……。」賢吉君は、一度出あったことがあるので、そのおそろしさを、よく知っていました。いまにも、怪物がへいをのりこして、追っかけてでもくるように、運転手をせきたてるのでした。
 運転手も、このおそろしい怪物には、すっかり、おびえてしまって、やにわに速力をだしました。車は人通りのない谷間の町を、きちがいのように突進しました。

ハヤブサ丸


 賢吉少年たちは、うちに帰ると、自動車をとびおりて、おとうさんの部屋へかけこんでいきました。そして、息をはずませて、いまのできごとを伝えるのでした。
 おとうさんは、すぐに警察へ電話をかけて、このことをしらせ、それから明智探偵事務所をよびだしました。
「なに、鉄の小箱をとられた? やっぱりそうでしたか。」
 電話口の明智探偵は、そういって、ちょっと、考えているようでしたが、すぐに、ことばをつづけました。
「それじゃ、これからすぐに、おたくへうかがいます。電話ではお話しできないことがあるのです。しかし、ご安心ください。わたしは賢吉君に、かならず、まもってあげると、約束しました。その約束はちゃんとまもっているのです。」
 そして、電話がきれたのですが、明智探偵は、いったい、なにをいっているのでしょう。鉄の小箱をまもるという約束だったではありませんか。その小箱はとっくに盗まれてしまったのです。いまごろになって、どうしようというのでしょう。おとうさんは、ふしぎそうに首をかしげました。
 しばらくすると、明智探偵が、自動車でかけつけてきました。おとうさんと賢吉君は、明智を応接間にとおしてもてなしました。
「さっきの電話は、よくわからなかったのですが、鉄の小箱はあくまでまもってやると、おっしゃったようですね。」
 おとうさんが明智をせめるように、たずねました。
「そうです。たしかにおまもりしています。」
 名探偵は、にこにこして答えました。
「え、それは、いったい、どういうわけですか。鉄の小箱は、悪ものにとられてしまったのですよ。」
「いや、ご心配にはおよびません。とられたのは、箱だけです。なかみは、ちゃんとここにありますよ。」
 明智はポケットから、大きな封筒をとりだして、その中から、船長の遺言書と、航海図と、保険会社の証書をだして見せました。
「あっ、それじゃ、先生は……。」
「そうですよ。こんなこともあろうかと思って、小箱のなかみを、すりかえておいたのです。悪ものが盗んでいった鉄の小箱には、白い紙がはいっているばかりですよ。」
 賢吉君もおとうさんも、名探偵のぬけめのないやりくちに、すっかり感心していました。
「ああ、そうとは知らないものですから、しつれいなことを、もうしました。おゆるしください。さすがは明智先生です。これですっかり安心しました。」
 おとうさんは、くりかえし、おれいをいうのでした。明智は、ことばをあらためて、
「宮田さん、悪ものどもは、このうえ、まだどんなたくらみをするかわかりません。金塊を、はやくこちらで引きあげることにしてはどうでしょう。遺言書に書いてあることは、うそではありますまい。わたしは、さっき賢吉君が帰られてから、しらべてみたのですが、いまから二十年まえに潮ノ岬の沖で、東洋汽船会社の大洋丸が、沈没したことは、たしかです。また、そのとき、引きあげ作業をやろうとして、できなかったことも、まちがいありません。
 やってみるだけのねうちはあります。東洋汽船会社と保険会社に相談して、費用をだしてもらって、もし金塊が見つかったら、あなたと、汽船会社と、保険会社でわけるということにして、政府にもことわって、海の底を、さぐって見られてはどうでしょう。」
 賢吉君のおとうさんは、しばらく考えていましたが、やがて、決心したようにいうのでした。
「それじゃ、ひとつ海底の冒険をやってみましょうか。さいわい、この汽船会社と保険会社の重役に友人がおりますし、沈没船ひきあげのサルベージ会社にも、したしい人がありますから、わたしが相談すれば、きっと承知してくれます。
 じつは、わたしは、こういう冒険がだいすきなのですよ。」
 それから、いろいろ、金塊ひきあげのことについて話しあっているところへ、電話がかかってきました。おとうさんが立っていって、受話器を耳にあてますと、なんだか、みょうな音が聞こえてきました。ジャ、ジャ、ジャ、ジャという鉄をこすりあわせているような、気味のわるい音です。電話の故障かと思いましたが、そうではありません。なにかいっているのです。
「ソコニ、アケチガイルダロ。ハナシタイコトガアル、ヨンデクレ。」
 それは人間の声とは、思えないような、ぶきみな音でした。
「あなたは、だれですか。」
「アケチノ、トモダチダ、ハヤク、ヨンデクレ。」
 しかたがないので、明智をよんで、受話器をわたしました。
「ぼくは明智だが、きみはどなたです。」
「シッテルダロ、オマエノテキダ。ヨクモテツノハコノナカノモノヲ、カクシタナ。オボエテイロ、キット、トリカエシテヤルゾ。アケチ、オボエテイロ。」
 そしてガチャンと電話がきれました。明智は賢吉君のおとうさんと、顔を見あわせました。
「鉄の人魚です。やっぱり、あいつが、大金塊をねらっているのです。ゆだんはなりません。いっこくもはやく引きあげ作業をしなければなりません。」
 それから二週間ほどは、なにごともなくすぎさりました。そして、ある日のこと、日東サルベージ会社のハヤブサ丸が、大阪港から潮ノ岬にむかって出発したのです。
 ハヤブサ丸は、六百トンの引きあげ作業船です。この船には、サルベージ会社の技師や潜水夫や船員のほかに、賢吉君と、おとうさんの宮田さんと、小林少年が乗りこんでいました。東京から大阪まで電車できて、この船に乗ったのです。小林君は明智探偵の代理として同行しました。そしてもし、むずかしいことがおこったら、無電で明智先生にしらせるという約束でした。
 ときは春、空は青々とはれて、たたみのように静かな海を、ハヤブサ丸はすべるようにすすんでいます。たのしい航海でした。小林少年と賢吉少年は、上甲板じょうかんぱんに出て、船尾にあわだつ白い波を見ながら、かたをくんで、たからかに歌をうたいました。
 その夜は、美しい月夜でした。夜がふけるにつれて、ますます月はさえかえり、波にそのかげをうつして、海はいちめんに銀ぱくをまきちらしたようです。
 こうたいでもち場についている船員のほかは、みんな船室にはいって、ねむりについていました。トントントントンという機関のひびき、サーッ、サーッと船が波をきる音、こうこうと照る月の下には、そのほかに、なんのもの音もありませんでした。
 ひとりの船員が、甲板をコツコツと、歩いていました。一時間ごとの見まわりです。中央船室のよこの、ほそい通路をとおって、船首のほうにでました。つりあげた救命ボートの下をくぐって、ひょいと、むこうを見ると、船首のとっぱなに、黒いものが、うずくまっていました。
「おやっ、あんなところに、だれかが寝ているのかしら。」へんだと思って、そのほうへ近づいていきましたが、どうも人間ではなさそうです。からだじゅうに大きなウロコが、はえています。それが月の光をうけて、キラキラとひかっているのです。長いしっぽがあります。頭から、背中にかけて、ギザギザのトサカのようなものが、つづいています。なんだか大きなワニのようでした。しかし、このへんにワニがすんでいるはずはありません。
 船員は、背中がゾーッと、さむくなってきました。どんな動物の本にも書いてないような、へんに気味のわるいものです。でも、こわいもの見たさで、足音をぬすむようにして、なおも近づいていきますと、その黒いやつが、首をあげて、ぐーっと、こちらをむきました。
 それを、一目見ると、船員は、からだがしびれたようになって、にげることも、さけぶことも、できなくなってしまいました。
 黒い鉄のような大きな顔に、くぼんだ目が、リンのようにかがやいていました。耳までさけた三日月がたの口から、白い牙がニューッと、つきだしていました。
「ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ……。」
 怪物が口を大きくひらいて、笑っているのです。その笑い声は、まるで鉄をすりあわせるような、気味のわるい音でした。
「ワーッ。」
 とうとう、声がでました。船員は、死にものぐるいの声をふりしぼって、助けをもとめました。
「だれかきてくれ……。」
 その声に、どこからか、人の走る音がして、ひとり、ふたり、三人と、船員が、かけつけてきました。
 船首の怪物は、ひときわ大きな声で笑いながら、さっと、身をひるがえすと、ウロコをキラキラひからせながら、ふなばたの手すりをこして、ドボーンと海の中へ、とびこんでしまいました。
 いそいで、ふなばたにかけよって、のぞいて見ると、鉄のワニのようなやつが、船とならんで泳いでいましたが、あっと思うまに水中ふかく沈んで、海面から姿を消していきました。
 鉄の人魚です。鉄の小箱の海図をぬすむことができなかったので、ひそかに賢吉君らのあとを追い、この船まで、つけてきたのでしょう。海中にとびこんだといっても、あいつは、もともと海の怪物です。船とおなじはやさで、泳いでいるのかもしれません。そして、どこまでも、しゅうねんぶかく、賢吉君たちのあとを追ってくるのかもしれません。

船室のがい骨


 小林少年は、このできごとを、無電で東京の警視庁に知らせ、そこから明智探偵事務所へ伝えてもらいました。
 それからは、べつだんのできごともなく、ハヤブサ丸は潮ノ岬の沖につきました。宮田さんの手にいれた海図には、大洋丸の沈んだ位置の緯度と経度が、ちゃんとしるしてありますから、その位置の海底を、水中探測機でさぐればよいのです。
 水中探測機というのは、船から超短波を発して、それが海底にぶつかって、もどってくる時間がグラフになって、紙のうえにあらわれるようになっている機械です。そのグラフの曲線で、海の深さがわかるのですが、もし沈没船があれば、そこだけ、きゅうにふくらんだ線になってあらわれるので、それとさっしがつくわけです。
 ハヤブサ丸は、海図にしるしてある海面を、行ったり来たりして、くりかえし水中探測機のグラフをしらべました。そして、その曲線のふくらみが、海底の岩やなんかでなくて、沈没船にちがいないことをたしかめたのです。
 海面から沈没船の上部までは、わずかに三十メートルほどでした。これなら、金塊だけでなく、大洋丸そのものも、引きあげることができるかもしれません。大洋丸の船長が、正しい沈没の位置をかくしていたばっかりに、貴重な金塊や鉄材が、二十年も海底にねむっていたのです。
 沈没船の位置がわかると、いよいよ、潜水夫をもぐらせてみることになりました。金塊が、大洋丸のどこにつんであったかは、船長の遺言書にも書いてありませんので、それをさがすだけでも、たいへんです。ですから、すぐに金塊を引きあげるわけではなく、まずその沈没船が、はたして大洋丸かどうかを、しらべるための潜水です。
 その日は、空が青々とはれわたった、よい天気で、風もなく、波もなく、潜水にはもってこいの日よりでした。
 サルベージ会社の人たちは、ふたりのくっきょうな潜水夫を、えらび出して、ゴムの潜水服をきせ、真鍮しんちゅうの潜水カブトをかぶせてやり、カブトの中へ空気をおくる、送気エンジンのよういをしました。
 ふたりの潜水夫は、ハヤブサ丸の外がわにとりつけてある、直立の鉄ばしごをおりて、タコのおばけのような丸い頭をふりながら、いのち綱とゴムホースのような送気管と、それにまきついている電話線を引きずるようにして、つめたい水の中へ、はいっていきました。
 船の上では、船長や汽船会社の人たちや、この引きあげ作業の団長である宮田さんなどにまじって、賢吉少年と、小林少年とが、海中に異様な姿を沈めていく潜水夫たちを、じっと、見まもっていました。
 ふたりの潜水夫は、右手には、なにかをこじあけるための鉄棒のようなものを持ち、左手には、暗い沈没船の中をてらすための、水中電灯をさげていました。
 潜水夫たちは、足のうらにつけた、大きなナマリのおもりや、胸にさげたナマリのおもりの力で、ぐんぐん水の中を沈んでいきます。沈むにつれて、下の方から巨大な船体が見えてきました。二十年もたっているので、水の中のゴミがつもり、そこから海草がはえ、また貝がらが、いっぱいついていて、鉄の船というよりは、海の底の大きな岩山のように見えるのでした。船体は三十度ぐらいによこにかしいで沈んでいました。甲板がきゅうな坂のように、かたむいているのです。ふたりの潜水夫がおりたのは、沈没船の船首に近いところでした。かれらは船首の外がわにたどりついて鉄棒で貝がらなどを、けずりとり、水中電灯をふりてらして、船の名が書いてある場所をさがしました。そして、なんなく、それが大洋丸にちがいないことを、たしかめたのでした。
 それから、ふたりは、かたむいた甲板をよじのぼるようにして、ハッチ(甲板から船の中へおりる出入り口)をさがしました。それも、じき見つかったので、ふたりはそこから、せまい階段をおりて、下の船室へはいっていきました。その鉄の階段にも、いちめんに、貝がらがくっついているので、まるで岩のほら穴の中へでも、はいっていくようなかんじです。
 階段をおりたところに、広い部屋がありました。いや、部屋というよりは、大きなほら穴です。かたむいた床には、二十年のゴミがたまり、そこから人間の胸までもあるような、長いコンブのような海草が、いっぱいはえていて、歩くこともできないほどです。
 そこは上甲板の下で、貴重品室などのあるところですから、潜水夫たちは、それをさがすために、おりてきたのですが、壁は、すっかり貝がらにおおわれていて、どこにドアがあるかもわからないほどで、とても、金塊のありかをみつけだす見こみはありません。
 船室の床も、三十度かたむいているのですから、ナマリのくつで歩くたびに、ずるずるとすべります。しかし、陸上とちがって、すべっても、ころぶようなことはありません。水の中でからだが軽くなっているからです。
 足がすべると、海草の根に十センチもたまっているゴミが、むらむらと目の前にわきあがり、むこうが、見えなくなってしまいます。また、海草のあいだに、かくれていたさかなが、むれをなして逃げだします。それが水中電灯の光の中をとおると、ウロコが金色、銀色にかがやいて、じつにうつくしいのです。
 潜水夫は、手くびまではゴムの潜水服ですが、ゆびには軍手をはめていました。そのほうが仕事がしやすいからです。ひとりの潜水夫が、かたむいた床にすべって、どろどろしたゴミのなかに手をつきました。すると、その手に、なにかみょうな、かたいものがさわりました。
「おい、ほとけさまだぜ。」
 陸上ならば、そういって、なかまにしらせるのですが、潜水服では、おたがいに話もできません。水中電灯を、二―三度、よこにふって、こちらを見よというあいずをしました。そして、ゴミの中のかたいものを、ひろいあげ、電灯の前に持ちあげました。
 それはがい骨の頭でした。黒いほら穴のような目、くいしばった長い歯のれつ、潜水夫は、沈没船のがい骨には、なれていたのですが、やっぱり、ぶきみです。すると、もうひとりの潜水夫が、電灯の光の前に手を出しました。その手は、がい骨の足の骨を、にぎっていたではありませんか。
 それから、水中電灯を、床のゴミのそばに近づけて、さがしてみると、手や足や、あばらの骨が、つぎつぎと、あらわれてきました。大洋丸の船員が、この部屋で死んでいたのです。それが、いまではバラバラの骨ばかりになって残っていたのです。

怪物! 怪物!


 ふたりの潜水夫は、がい骨を見て、気味わるくおもいましたが、こわがるというほどではありませんでした。かれらは力の強いくっきょうの若もので、ちょっとぐらいのことに、おどろくような弱虫ではなかったのです。
 ところが、その勇敢な潜水夫が、あまりのおそろしさに、ガタガタふるえだすようなことが、おこりました。
 ふたりが、がい骨をみつけたあとで、なおもおく深く進もうとしていますと、水中電灯の光が、かすかにてらしている、むこうの方の海草が、ゆらゆらと動いているのに気づきました。さっきからふたりが歩くたびに、そのまわりの海草が、ゆれ動いてはいましたが、そんな遠くの方の海草が、動くのはへんです。なにか大きなさかなでもかくれているのではないでしょうか。そのへんの海には、ずいぶん大きなさかながいます。また、びっくりするような巨大なカニなども、すんでいるのです。ふたりは、海草のうしろから、なにがとびだしてくるのかと、おもしろはんぶんに、水中電灯をてらしながらその方へ近づいていきました。
 見ると、ゆらゆらゆれている、コンブのような海草のあいだから、ニューッと、黒っぽいものが出てきました。カニの足かもしれません。それにしても、おそろしく大きなふとい足です。
 その黒っぽい足のようなものは、さきがいくつにもわかれて、キューッとまがっていました。そのひとつひとつに、するどいツメのようなものがついています。まるで人間のゆびのようです。しかし、こんな黒い人間のゆびがあるでしょうか。
 潜水夫たちは、そこに立ちすくんでしまいました。なんだか、こわくなってきたからです。
 その黒いうでが、ぐーっとのびて、黒い肩があらわれ、それから、顔のようなものが、ひょいとのぞきました。
 それを見ると、こちらは、潜水カブトの中で、「あっ。」と声をたてました。
 リンのように、まっさおに光っている、大きな二つの目、耳までさけた、おそろしい口、その口から白い牙が二本、ニューッとつき出しています。そして、鉄のような黒い頭の上には、するどくとんがった、トサカのようなギザギザがあるのです。
 潜水夫たちは、まだ鉄の人魚を見てはいないのです。しかし、そいつがハヤブサ丸の甲板に寝そべっていたという話はきいていました。こいつこそ、その鉄の人魚にちがいありません。やっぱり、怪物はハヤブサ丸のあとをつけて、潮ノ岬までやってきたのです。そして、はやくも大洋丸の船室の中へはいりこんでいたのです。
 潜水夫たちが、ふるえあがって逃げだそうとしていますと、怪物は、もう全身をあらわして、パッとこちらへとびかかってきました。ああ、そのおそろしさ! それは映画のなかで、機関車がばくしんしてくるのににていました。
 青く光る二つの目が、白い牙が、水の中を、とびつくように、ばくしんしてきたのです。
「人魚だあ! 鉄の人魚だあ! 引きあげてくれえ、はやく、引きあげてくれえ!」
 潜水夫たちは、カブトの中で、声をかぎりにさけびました。その声は、むろん、電話線でハヤブサ丸の上につうじるのです。
 そして、もがくようにして、船室から逃げだそうとしました。怪物は、そのうしろから、おそろしい手をのばして、せまってきます。
 逃げおくれた、ひとりの潜水夫は、あっというまに足をつかまれました。するどい五本のツメが、ぐっと潜水服に、くいこんだのです。
 もう死にものぐるいでした。右手の鉄棒をふりあげて、めちゃくちゃに、怪物をたたきつけ、もがきにもがいて、やっと足をはなしました。
 そして、ふたりとも、船室からハッチへと浮きあがることが、できたのです。怪物はなぜか、そこまでは追いかけてきませんでした。

魚形ぎょけい潜航艇


 潜水夫たちがハヤブサ丸にかえって、怪物のことを報告しますと、船の中は、大さわぎになりました。宮田さんをはじめ、おもだった人たちが、いそいで船長室に集まり、相談をはじめました。
「やっぱり、この船についてきたのですね。むろん金塊をぬすみだすつもりでしょう。なんとかして、それをふせがなければなりません。」
 宮田さんが、あおざめた顔で心配そうにいいました。すると、船長もうなずいて、
「こんな怪物は、われわれの手では、どうすることもできません。場合によっては、海上自衛隊の応援をたのまなければなりますまい。海の中へ、大砲でもうちこんで、ころしてしまうほかはありません。いずれにしても、無電で本社へ相談します。そして大阪から、応援隊を送ってもらいます」
 すると、そのせきにいたサルベージ会社の技師が、口をひらきました。
「それにしても、時間がかかりますね。怪物はもう金塊のありかを、さがしだしたかもしれませんよ。そして、ぬすみだされてしまったら、もうおしまいです。……船長、あれをつかってみたら、どうでしょう。」
「ダイビング=ベルかね。」
「そうです。あれにぼくがはいって、怪物を見まもっているんです。いくら鉄の人魚でも、あの機械なら、どうすることもできないでしょう。」
「うん、そうでもするほかはないね、じゃあ、きみがはいってくれるか。」
 ダイビング=ベルというのは、あつい鉄でできた大きな玉のような潜水機です。その中に人間がはいって、海の底へ沈むのです。
 鉄の玉には、あついガラス窓があり、その上にサーチライトのような強い水中電灯がついていて、海の中がよく見えるのです。
 また、その鉄の玉には二本の鉄のうでがあって、そのさきは、ものをはさむ大きなツメになっています。鉄のツメです。
 サルベージ会社では、潜水夫がもぐれないような深い海底の仕事をするときに、この潜水機をつかうのですが、船長は、まんいちのことをかんがえて、その機械を船につんできたのです。
 ハヤブサ丸には、重い潜水機をあつかうための小型のクレーン(起重機きじゅうき)がそなえてありました。数名の船員が、クレーンを動かして、ワイヤーロープで、船倉から潜水機をつりあげ、その中へ、技師がはいりました。それから、機械を密閉すると、クレーンのむきをかえて、海面につき出し、そろそろと、潜水機を海の中へおろすのでした。
 潜水機の中は、ちょうど飛行機の操縦室のように腰かけたまま、なんでもできるようになっていました。席の前に、いくつもボタンがついていて、それをおせば、外の鉄のうでや、鉄のツメを自由に動かすことができるのです。
 技師は、ガラスののぞき窓から、じっと海の中を見ていました。機械はぐんぐんさがっていきます。窓の上の強い電灯の光で、十メートルさきまでも、はっきり見えます。その光の中を、大小さまざまの魚類が、右に左に泳いでいるさまは、じつに美しいけしきでした。
 潜水機は、沈没船のハッチの中へははいりませんから、ハッチの入口のそばまでいって、そこで見はっているつもりなのです。
 窓から見ていると、海底の沈没船が、だんだん大きくなってきます。つまり、こちらがその方へ近づいていくのです。
「おや、おそろしく大きなさかなだぞ。」
 技師はおもわず、ひとりごとをいいました。電灯の光もとどかない、ずっとむこうの方から、クジラの子どもとでもいうような、でっかいさかなが、こちらへやってくるのが見えたからです。
 このへんにもクジラがこないとはいえませんが、どうもクジラともちがっていました。それに、おかしいのは、目がおそろしく大きくて、自動車のヘッドライトみたいに、ギラギラ光っていることです。まるでメダカのように目が大きくて、しかもメダカの何万ばいもあるずう体をしているのです。こんなへんなさかなが、ほんとうにいるのでしょうか。
 そんなことを考えているうちに、その巨大なさかなは、だんだんこちらへ近づいてきました。目が大きいばかりでなく、口が五月のぼりのコイのように、まんまるです。そして、その口がすこしも動かないのです。目の光は、ますます強くなってきました。まるでサーチライトのように、その前の水が、パッと明るくてらされているではありませんか。巨大なさかなの背中には、すきとおった空気ぶくろのようなものがついています。ひらべったいふくろです。
「や、や、あれはさかなじゃない。潜航艇だっ。魚形潜航艇だっ。」
 技師はおもわず、とんきょうな声で叫びました。それは鉄でできていたのです。二つの目と見えたのは、潜航艇のヘッドライトだったのです。あのまるい口は、ひょっとしたら、大砲のつつ先なのかもしれません。
 それにしても、このへんてこな潜航艇は、いったい、どこの国からやってきたのでしょう。いやいや、どこの国でもない。これはきっと、悪魔の国からやってきたのにちがいありません。

海底の大闘争


「おやっ、へんなものがいるぞ、いったい、あれはなんだろう。」
 技師はギョッとして、潜航艇の背中を見つめました。前についている二つの目だまの光が、あまり強いので、背中の方は、よく見えなかったのですが、そこに、おそろしいものが、うずくまっていたのです。
 鉄の人魚です。鉄の顔、鉄のトサカ、耳までさけた口から、二本の牙がニューッとつき出していて、からだはワニのような怪物です。そいつが、魚形潜航艇の背中に、ヤモリのようにペッタリくっついて、青く光る目で、じっと、こちらをにらんでいるのです。
 技師は、鉄の玉の中にはいっているのですから、どんな怪物がやってきても、へいきなのですが、しかし、かれは、鉄の人魚の姿のおそろしさに、ゾーッとして、からだがすくんでしまいました。
 魚形潜航艇は、すぐ目の前にきていました。むこうは、自由じざいに動けるのに、こちらはハヤブサ丸からロープでつりさげられているのですから、にげることもできません。技師は潜水機の中にある電話機をとって叫びました。
「はやく引きあげてくれえ……。おそろしい潜航艇がやってきた。その背中に、鉄の人魚がのっている……。」
「なに、潜航艇だって? それはほんとうかっ。」
 ハヤブサ丸の船長の声が、ききかえしてきました。
「そうだ。さかなのかたちをした、おそろしい潜航艇だ。もう目の前に近づいてきた。あぶない。はやく、はやく、引きあげてくださいっ。」
 すると、ハヤブサ丸では、引きあげ作業をはじめたらしく、潜水機はすこしずつ、上の方へのぼっていきます。
 そのとき、ギョッとするようなことが、おこりました。
 目の前の、魚形潜航艇の、まるい口のような穴から、ヘビの舌みたいな、長い黒い棒が、パッと、とびだしてきたのです。その棒のさきは二つにわれていて、ものをはさむようになっていました。そして、そのハサミが、技師の乗っている潜水機の上の方へ、のびてきたのです。
 技師はいそいで、上にひらいている小さなガラス窓からのぞきました。あっ、怪物の鉄のハサミは、潜水機をつりあげているロープを、はさもうとしているではありませんか。
「たいへんだあ。敵はロープを、きろうとしている。はやく、はやく、もっとぐんぐん、引きあげてくれっ。」
 ハヤブサ丸では、ロープまきとりのエンジンを、いっそうはやく回転させました。その力で、潜水機がグラッとゆれて、真上にいる魚形潜航艇にぶっつかりそうです。
 技師は、前にあるハンドルを、めちゃくちゃに、まわしました。すると、潜水機の外につき出している鉄の腕が、左右にグッグッと動いて、潜航艇のよこはらを、たたきつけました。艇の背中に、しがみついている鉄の人魚が、ぐっと、こちらに首をのばして、リンのように光る目で、にらみつけました。
 技師は、またハンドルを、ガチガチやります。鉄の腕が怪物の方にのびて、ワニのようなしっぽを、つかみそうになりました。
 潜航艇の鉄の舌と、潜水機の鉄の腕の、おそろしいつかみあいです。機械と機械の、たたかいです。
 海の底の水はうずをまいて、あわだち、さかなどもは逃げまわり、まるい鉄の潜水機は、ブランブランとゆれ動き、潜航艇はロープをはなすまいと、右に左にしっぽをふり、鉄の人魚は、その背中の上で、あばれまわり、命がけのたたかいが、つづけられました。
 しかし、ついに、鉄のハサミの力よりも、ハヤブサ丸のまきあげ機の力が強かったのです。ロープはぐんぐんまきあげられ、潜水機は鉄のハサミをふりはなして、海面へと引きあげられてきました。
 潜水機から出て、ハヤブサ丸の甲板にあがった技師は、ぜんしんびっしょりのあせで、まっかになった顔から、ボトボトと、あせがしたたっていました。かれは、ひとやすみすると、船長や賢吉君のおとうさんなどに、海底のたたかいのもようを、くわしく話してきかせました。
「敵が潜航艇をもっていようとは、思いませんでした。鉄の人魚には、たくさんのなかまがあるのです。これではとても、かないっこありません。こちらは、自由のきかない潜水機しかないのに、敵は海の底を走りまわる、潜航艇をもっているのです。いよいよ爆雷ばくらいでもなげこむほかはないですね。」
 もう海上自衛隊のおうえんをたのむしかありません。船長は大阪の支社へ無電をうって、ことのしだいをしらせました。するとそれにこたえて、支社から、みんなをびっくりさせるような無電が返ってきたのです。
「アケチタンテイ、ユウリョクナブキヲモチ、ケサ、シュッパツシタ、ゴゴ五ジ、ソチラニツクハズ」
 ああ、明智探偵が来るというのです。しかも、有力な武器をもって、やって来るというのです。人びとはこおどりして、思わずばんざいをさけびました。

明智探偵きたる


 午後五時といえば、もう一時間あまりのちです。みんなは、そのまま甲板に立ちつくして、明智の乗っている船が来るのを待っていました。
「有力な武器って、いったいなんだろうね。いくら名探偵でも、敵が魚形潜航艇をもっているとは知らなかっただろうから、あれに勝てるような武器をもってくるかどうか、心配だね。」
 船長は技師にむかって、そんなことを、ささやいていました。無電で問いあわせても、武器のことはなにもこたえないのです。
 こちらでは小林少年と賢吉少年が、明るい顔で話しあっていました。
「小林さん、さすがは明智先生だねえ。きのう、この船から、きみがうった無電で、鉄の人魚がついてきたことを知って、先生はすぐに大阪へこられたんだね。きっと飛行機だよ。そしてけさはやく、大阪港を出発されたんだね。それにしても、有力な武器って、なんだろう?」
「ぼくもしらないよ。先生はいつも、ぼくたちよりも、ずっとさきのことを考えていらっしゃる。だから、この事件をひきうけられたときに、ちゃんと武器の用意ができていたのかもしれないよ。もうだいじょうぶだ。先生がきてくだされば、もうしめたもんだよ。」
 小林君は、うれしそうに、にこにこしていうのでした。
 やがて、はるか水平線のかなたに、ひとすじの煙が見え、双眼鏡をのぞくと、そこに白い汽船の小さな姿があらわれました。商船会社のカモメ丸という快速船です。それは潮ノ岬を通る定期客船ですが、ひじょうに速力のはやい船なので、明智はそれに乗ってくるということが、無電でわかっていたのです。
 船体をまっ白にぬったカモメ丸は、見る見る大きくなってきました。ハヤブサ丸の甲板の人たちはハンカチをふり、ばんざいをとなえて、これをむかえました。
 美しいカモメ丸は、五十メートルほど、むこうの海面にとまり、ボートがおろされています。むこうの甲板にも、船客たちがすずなりになって、こちらを見ています。きっと金塊引きあげのうわさをきいていたのでしょう。
 おろされたボートは、四人の水夫がオールをこいで、一直線にこちらへ近づいてきました。ばんざいの声が、ハヤブサ丸の甲板にどよめきました。
 ボートの中に、すっくと立っているのは、われらの名探偵明智小五郎でした。せいの高いからだに、よくにあう黒の背広、モジャモジャ頭を、風になびかせ、右手を高くあげて、あいさつしています。
「おやっ、あれはなんだろう。海ぼうずみたいなものが、やってきたぞ。」
 だれかが、どなりました。見ると、カモメ丸の船尾の方から、黒い大きな怪物が、ボートのあとをおって、こちらへやってくるではありませんか。背中に大きなコブのある、クジラのような黒いやつです。よく見ると、背中のコブの上に、ほそい鉄の棒のようなものが立っています。小林君がさけびました。
「賢ちゃん、あれペリスコープだよ。潜航艇の中から海の上を見る潜望鏡だよ。だから、あれは潜航艇なんだ。ワーッ、すてき。ぼくたちの潜航艇がきたんだよ。」
「ほんとだ。もうだいじょうぶだね。あれで、敵の魚形潜航艇をやっつけちゃうんだ。ねえ小林さん、明智先生はえらいねえ。」
 ふたりの少年は、おどりあがって、よろこぶのでした。甲板の人たちも、みかたの潜航艇がきたというので、大さわぎです。またしてもばんざい、ばんざいの声が、わきあがりました。
 やがてボートはハヤブサ丸に横づけになり、明智は鉄ばしごをのぼって、甲板に姿をあらわしました。そして、すがりついていく小林君の肩をだきながら、賢吉君のおとうさんと船長と技師とに、あいさつし、おたがいの報告をとりかわすのでした。おおぜいの船員たちが、そのまわりをぐるっととりまいて、名探偵の姿に見いっています。
「そうでしたか。敵も潜航艇をもっていたのですか。ぼくはそこまでは考えなかったけれども、鉄の人魚をやっつけるのには、潜航艇がなくてはだめだと思ったので、さいしょからその用意をしていたのです。いま日本には、むかし海軍がつかったような潜航艇はないけれども、民間でつくった海底遊覧用の小型潜航艇が、東洋汽船会社に保管されていることを知ったので、それに手入れをして、いつでも動くように、用意させておいたのです。そういう潜航艇ですから、水雷すいらいを発射することはできませんが、かたちは海軍の潜航艇をそのまま小さくしたようなものです。敵をおどかすのにはじゅうぶんです。
 その潜航艇は神戸から大阪湾にまわしてあったので、それをカモメ丸にひかせて、ここまでもってきたのです。」
 それから、しばらく相談したあとで、明智は、つぎのような案をだしました。
「あの潜航艇には、うでのある操縦士がふたりのっています。やりかたをよくおしえたうえ、あれを大洋丸のそばへ沈めるのです。そして、敵の魚形潜航艇を、遠くの方へ、おびきだします。三十分ぐらいはかならず、大洋丸から遠ざけておきます。われわれの潜航艇には無電装置がありますから、刻々その報告をうけることができます。そして、その三十分のあいだに、この船から潜水夫がもぐり、大洋丸の中をさがして、金塊のありかを、さがすのです。三十分ずつにくぎって、なんどでも、それをくりかえすことができます。」
 そこで、ともかく、その方法でやってみることになり、操縦士をよんで、くわしくさしずをしたうえ潜航艇を沈めることになりました。いよいよ、明智の潜航艇と敵の魚形潜航艇とのたたかいがはじまるのです。

だんだら怪人


 大洋丸の沈んでいる海底には、魚形潜航艇がゆうゆうと泳ぎまわっていました。その背中には、やっぱり、鉄の人魚がうずくまっています。この怪物は、潜航艇の上部のガラス窓から、中の手下たちにさしずをしているのでしょう。まるで将軍が馬にまたがるように、潜航艇にまたがっているのです。
 そこへ、ふいに水がさわいで、上の方から、スーッと大きな黒いものがおりてきました。明智の潜航艇です。この潜航艇は遊覧用のものですから、前と横とに、あついガラスの窓がついています。その窓から艇内の電灯の光がもれているのです。それを遠くから見ると、へんなところに三つ目のある怪物のようです。
 鉄の人魚はそれに気づくとギョッとしたように、身がまえをして、じっとその方をにらんでいます。
 潜航艇は魚形艇とおなじ深さまで沈むと、そこにとまって、いきなり、艇内の電灯をパッパッと、つけたり消したりしはじめました。そのたびに、三つのガラス窓が、またたきでもするように、暗くなったり、明るくなったりするのです。
 これは、明智探偵にいいつけられたとおり、光によるモールス信号を発しているのです。トン・トン・ツーという、あの電信のモールス信号を、光によって、やっているのです。怪物団の方にも、モールス信号ぐらい、わかるやつがいるだろうと、それをためしているのです。
 すると、魚形潜航艇の二つの目が、パチパチとまたたきはじめました。モールス信号が、わかるという答えです。そこで、こちらは、ほんとうの通信をおくりました。
「スグニココヲ、タチノケ、タチノカナケレバ、スイライヲ、ハッシャスルゾ」
 水雷なんかもっていないのですが、こちらは海軍の潜航艇とおなじかたちですから、そういえば、敵はおどろくにちがいないのです。
 あんのじょう、魚形潜航艇は動きだしました。大洋丸のそばをはなれて、どこかへにげていくのです。
 こちらは、すかさず、それを追っかけます。二せきの小型潜航艇は海底競走です。二つ目玉の小クジラを追う、三つ目の怪物、それの通過するみち、海水はさかまき、さかなどもは、はねとばされ、長い海草は、あらしにふきつけられたように、みだれさわぎ、すさまじい海の底の追っかけっこです。
 明智の方の潜航艇は、なんといっても遊覧用ですから、それほどの速力はありません。ざんねんながら、魚形艇の速力には、かなわないのです。だんだん、あいだがへだたっていくばかりでした。
 そして、五分ほど追っかけているうちに、あいてを見うしなってしまいました。あいては、二つ目玉のようなヘッドライトを消したのです。そして、海の底の暗やみにまぎれて、どこかへ見えなくなってしまったのです。こちらの操縦士たちは、なんだか敵が、パッとかきけすように見えなくなったような気がしました。忍術でもつかったようなかんじでした。しかしともかく、敵を追っぱらったのですから、あとは、大洋丸のまわりをぐるぐるまわって、けいかいさえしていればよいのです。そこで、ハヤブサ丸の明智探偵に、無電をうちました。
「テキテイモ、テツノニンギョモ、ニゲサッタ、ホンテイハ、フキンノ、ケイカイニアタル、スグ、センスイフヲイレヨ」
 その無電をうけたハヤブサ丸では、ちゃんと用意をしてまっていた、ひとりの潜水夫を、すぐに大洋丸へと、もぐらせました。いちばん、うでききの潜水夫です。
 右手に鉄棒、左手に水中電灯をさげた潜水夫は、一度はいったことのある船室へと、ハッチをくだっていきました。鉄の人魚はにげさったというのですから、なにもこわいものはありません。金塊のありかさえ、さがしだせばよいのです。
 水中電灯をふりてらしながら、広い船室の中をあちこち見まわっていますと、一方の壁に、大きな四角な穴があいているのに気づきました。「おやっ。」と思って、よく見ると、貝がらがいっぱいついていて、よく見わけられなかったのですが、そこにドアがあって、それがひらいていたのです。
 ひとりでにひらくわけはありません。何者かが、じぶんよりさきにきてドアをひらいたのです。潜水夫はそこまで考えると、ギョッとして、たちすくんでしまいました。鉄の人魚は、もういないはずです。では、何者がひらいたのでしょう。
 それとも、もしかしたら、怪物団のやつが、ここをひらいて、とっくに金塊をぬすみだしてしまったのではないでしょうか。いずれにしても一大事です。かれはそれをたしかめるために、電灯をふりかざして、そっと、ドアのむこうを、のぞいて見ました。
 すると、その小さい部屋の中に、ぼんやりと光っているものがあるのです。水中電灯が、部屋の床においてあるのです。ハッとして、なおよくみると、おお、そこには、じつに気味のわるいへんなやつが、うごめいていたではありませんか。
 そいつは人間のかたちをしていました。しかし、ふつうの人間ではありません。からだじゅうに、太いまっ黒なしまがあるのです。白黒ダンダラぞめの怪物です。美しいしまのあるタイがいますね。あれとそっくりのダンダラぞめの怪人です。
 顔は人間ですが、まるでゴリラみたいな、おそろしいやつです。その顔が、ガラスでもかぶせたように、ギラギラ光って、それから、頭のうしろに、まっ黒なギザギザのトサカみたいなものがついているのです。足の先にはアザラシのヒレのような大きな水かきがついています。
 その怪物が、ひとつの木の箱を、こわきにかかえて、ひょいとこちらをむきました。そのうしろの、壁ぎわには、おなじような木箱が、うすだかくつんであります。
「ああ、わかった。金塊はここにあったのだ。この木の箱にいれて、ここにつんであったのだ。」
 潜水夫は、とっさに、それをさとりました。ダンダラぞめの怪物は、やっぱり金塊どろぼうだったのです。潜水夫は潜水カブトの中の電話口にむかって、どなりました。
「金塊どろぼうを見つけました。ダンダラぞめの怪物です。ひっとらえてやります。すぐ応援をよこしてください。」
 そうどなっておいて、かれはいきなり、ダンダラ怪人に、つかみかかっていきました。

おばけガニ


 深い水の中ですから、パッと、とびつくことはできません。ふわりふわりと、泳ぐようにして、あいてにくみついたのです。
 ダンダラぞめの怪人は、それを見ると、びっくりして、金塊の箱をすてて逃げだそうとしましたが、もうまにあいません。そこで、しまダイのような怪物と、西洋のよろいのおばけみたいな潜水夫との、おそろしい、とっくみあいが、はじまったのです。
 外の部屋ほどではありませんが、その部屋にも、二十年のあいだの海のゴミがたまっていました。ふたりの格闘につれて、そのゴミがもやもやとたちのぼり、あたりは、まるで、煙につつまれたようになってしまいました。
 ダンダラぞめの怪人は、逃げよう、逃げようとしているので、ふたりは、とっくみあいながら、いつのまにか、ドアの外に出て、それから甲板にのぼる鉄の階段の下まできていました。
 そのへんには、コンブのような、大きな葉の海草が、たくさんはえています。逃げおくれた魚もおよいでいます。そのなかで、よろいのおばけと、ダンダラぞめとが、よこになったり、さかさまになったりして、とっくみあっているのです。陸上のけんかとちがって、海の底の格闘は、映画のスローモーションのように、のろのろした、じつにうす気味わるいものでした。
 階段の下までくると、ダンダラぞめの怪人が、にわかに、いきおいよくなりました。そして、まるで魚のように、ピチピチとはねまわるものですから、潜水夫の、つかんでいた手が、すべって、はなれてしまいました。
 すると、怪人は、足のさきについている、大きな水かきで、サーッと水をけって、みるみる階段の上へ浮きあがっていきました。潜水夫は重いナマリのついたくつをはいているのでとても、そのまねはできません。一だんずつ、階段をのぼっていくほかはないのです。ざんねんながら、とうとう敵を逃がしてしまいました。
 潜水夫は、おおいそぎで、もとの船室にもどり、水中電灯をもって、甲板にあがりました。
 すると、大洋丸の大きな船体から、すこしはなれた海底を、白い光がぐんぐんむこうの方へ動いているのが見えました。水中電灯です。怪人は水中電灯をもたないで逃げたのですから、それは怪人ではありません。いったい、なにものでしょう?
「ああ、わかった。ぼくの友だちが、あとからもぐってきたんだ。そして、怪人をみつけて追っかけているのだ。」
 潜水夫は、そうおもったので、いそいで、そちらへ近づいていきました。さっき潜水カブトの中の電話で、ハヤブサ丸に「おうえんをたのむ。」と、よびかけておいたので、もうひとりの潜水夫が、もぐってきたのです。
 怪人は電灯がないので、方角がわからなくなり、コンブ林の中で、まごまごしているうちに、ふたりの潜水夫に、はさみうちになってしまいました。怪物の目玉のような水中電灯が、右と左から、ぐんぐんせまってくるのです。
 怪人はやっとのことで、コンブ林をぬけだし、ゴツゴツした岩ばかりの海底を逃げていきます。ふたりの潜水夫は、五メートルほどあとから、それを追っかけてくるのです。
 怪人のダンダラぞめの姿が、大きな岩かげに、かくれました。ふたりの潜水夫は、そこへいそぎましたが、陸上のように、はやくは、はしれません。やっと岩かげにたどりついてみると、そこにはもう、なにもいませんでした。
 どこへ逃げたのかと、水中電灯をふりてらして、四方八方をすかして見ましたが、どこにも敵の姿がありません。
 たった、あれだけのひまに、遠くへ逃げられるはずはないのです。といって、この大岩のほかには、かくれるような場所もありません。ふたりの潜水夫は、「へんだなあ!」というような身ぶりをして、潜水カブトの顔を見あわせました。
 ふたりが、なおも、あたりをさがしていますと、大岩のねもとに、なにかもぞもぞと動いているのに気がつきました。青ぐろい岩が、うごめいているのです。ふたりはおどろいて、その方へ水中電灯をさしつけました。
 いや、岩ではありません。岩とそっくりの、なんだか、えたいのしれない大きなものが、岩のねもとをはなれて、こっちへやってくるのです。
「あっ、カニだっ!」
 ひとりの潜水夫が、かぶとの中で、おもわずさけび、その声がハヤブサ丸の受話器に、けたたましくひびきました。
 岩と見えたのは、一ぴきの巨大なカニでした。人間の二倍もある、おそろしいカニでした。一メートルもあるような大きなハサミを、ぐっともちあげて、ひらいたり、しめたりしながら、八本の足で、ごそごそと、はってくるのです。
 ゴムまりほどの、白っぽい目玉が、ニューッと、とびだしています。その目玉をぐるぐるまわしながら近づいてくるのです。
「ワーッ!」というような、さけび声が、二重になって、ハヤブサ丸の受話器にひびきました。ふたりの潜水夫が、一度に、さけんだのです。そして、いきなり逃げだしたのです。
 おばけガニは、逃げる潜水夫たちを、五―六メートル追っかけましたが、なにをおもったのか、そのまま向きをかえて、むこうの方へ、とおざかっていきます。そして、やみの中へとけこむように、見えなくなってしまいました。
 ふたりの潜水夫は、潜水カブトの中の電話で、すぐに、引きあげてくれるように、たのみました。
 ハヤブサ丸の甲板にもどると、みんなにとりかこまれて、海底のできごとをくわしく話しましたが、それをきいた明智探偵は、小首をかしげながら、こんなことをいいました。
「そんな大きなカニが、このへんにいるはずはない。ひょっとしたら、悪人の手品かもしれないぞ。カニのいしょうをかぶって、逃げだしたのかもしれないぞ。そのいしょうは、うすい金属かビニールで、できているのかもしれない。そして、それを小さくおりたたんで、岩の穴の中に、かくしておいたのかもしれない。」
「えっ、すると、あのカニの中に、金塊どろぼうが、はいっていたのでしょうか。」
 潜水夫のひとりが、びっくりしていいました。
「どうも、そうとしかかんがえられない。岩のかげにかくれたまま消えてしまうなんて、人間わざではできないことだからね。金塊どろぼうの怪人団は、魔術師だよ。いよいよ、その本性をあらわしてきたんだ。おもしろくなってきたね。ぼくは、こういう魔術師みたいなあいてでないと、はりあいがないのだよ。」
 名探偵は、そういって、モジャモジャの頭を、指でかきまわしながら、にっこり笑うのでした。

とびちる金塊


 そのころは、もう西の空が、夕やけ雲で、まっかにそまっていました。太陽は目に見えて、沈んできます。やがて、東の空がまっ暗になり、それが西の方にひろがっていって、とうとう夜がきました。
 しかし、敵に金塊のありかがわかったとすると、夜だからといって、やすんでいるわけにはいきません。明智探偵と、船長と、賢吉少年のおとうさんの宮田さんなどが、ひたいをあつめて相談しました。そして、夜でもかまわないから、大きなしかけで、いっぺんに、金塊を引きあげてしまおうということになりました。
 ハヤブサ丸には、太い鉄のくさりでできた大きな網のようなものが、用意してありました。重い荷物をまきあげる道具です。
 それにワイヤーロープをくくりつけて、クレーンで海の底におろし、金塊の箱を鉄のくさりの網にいれて、引きあげようというのです。
 それがきまると、敵の魚形艇をけいかいしている潜航艇に、無電で、一度浮きあがるように伝えました。そして、じゅうぶん用意をしたうえで、鉄の網といっしょにもう一度沈み、引きあげがおわるまで、けいかいにあたらせるわけです。
 鉄の網には、三人の潜水夫がついていくことになりましたが、それだけでは安心ができないので、あの巨大な鉄の玉の潜水機も、いっしょに海底に沈み、大洋丸の甲板のハッチの外で、見はりをすることにしました。
 ぜんぶの船員が力をあわせて、それらの用意をしているとき、小林少年が、明智探偵にすがりつくようにして、しきりとなにかをたのんでいました。
「ねえ、先生、ぼくを潜水機にのせてください。潜水夫のまねなんか、ぼくみたいな子どもには、とてもできませんけれど、潜水機ならだいじょうぶでしょう。技師さんの前に乗ればいいんです。そのくらいのすきまはあります。ねえ、先生、たのんでください。」
 明智探偵は、小林少年をじぶんの子どものように愛していましたから、そんなにせがまれると、いやとはいえないのです。にが笑いをしながら、技師に相談してみました。すると、技師もにこにこして、
「そんなに乗りたいのなら、いっしょに乗ってもいいですよ。すこしきゅうくつですが、からだの小さい小林君なら、乗れないこともないでしょう。かわいらしい小林君といっしょなら、ぼくもたのしいですよ。」
 と、しょうちしてくれました。
「小林さん、潜水機に乗るんだって? ぼくも乗りたいなあ。」
 賢吉少年が、うらやましそうにいいました。
「きみは、とてもおとうさんが、ゆるしてくれないよ。ぼくより小さいんだし、冒険になれていないからね。でもさいしょ、ぼくが乗ってみて、だいじょうぶだったら、このつぎに、きみが乗ればいいじゃないか。」
 小林君はそういって、賢吉少年をなぐさめるのでした。
 三十分ほどで、すべての用意がととのいました。まず潜航艇が沈んで大洋丸のまわりをけいかいし、つぎに潜水機が沈み、さいごに鉄の網と三人の潜水夫が沈んでいきました。
 小林君はうれしくてたまりません。技師のひざにだかれるようになって、からだを小さくして、まえのガラス窓をいっしんにのぞいていました。
 潜水機には、電車のヘッドライトのような、強い電灯がついていますから、夜の海のなかがよく見えます。
 窓の外を魚が泳いでいます。カンテンみたいな、すきとおったクラゲが、ふわふわしています。それらが、スーッと、上の方へ、あがっていくのです。つまり潜水機の鉄の玉が、ぐんぐんさがっていくのです。ちょうどエレベーターに乗っているような気持です。
「ほら、あれが大洋丸だよ。でっかいだろう。」
 技師のことばに、下を見ますと、貝がらのいっぱいについた巨大な船体がよこたわっていました。それが、スーッと近づいて、潜水機は、大洋丸のはすになった甲板の、ハッチの近くにとまりました。
 むこうの方を、目玉のように光るものが、スーッと、とおりすぎました。
「あれ、なんです? 自動車のヘッドライトみたいなもの。」
「潜航艇だよ。ああして、大洋丸のまわりを、ぐるぐるまわっているんだ。いつ、敵の魚形潜航艇があらわれるかもしれないからね。」
 そのうちに、空中から、いや、海中の上の方から、きみょうなものが、スーッとさがってきました。鉄の網と、それにとりついた三人の潜水夫です。
 鉄の網は、甲板のハッチのすぐそばにおろされ、三人の潜水夫は、水中電灯をふって、こちらへあいさつをおくりながら、つぎつぎと、ハッチの中へおりていきました。
 おりていったあとには、三本のロープと送気管が、長いフジづるかなんかのように、ゆらゆらとゆれていましたが、しばらくすると、その一本が、ピンとはりきって、つまり、上からひきあげられて、ひとりの潜水夫が、四角な木の箱をかかえて、ハッチから出てきました。そして、その箱を、鉄の網の中へいれました。いれておいて、またハッチの中へもどっていくのです。
 すると、つぎの潜水夫があらわれ、おなじような箱を、鉄の網にいれ、もどっていくと、また、つぎの潜水夫というぐあいに、三人の潜水夫がハッチから出たり、はいったりしているうちに、鉄の網の中には、だんだん、箱の数がふえていきました。
 金塊の箱は、ぜんぶで三十個ありましたが、一度にはむりなので、半分の十五個を、鉄の網にいれると、潜水夫が電話でしらせて、引きあげることにしました。
 十五箱で、ふくらんだ鉄の網は、それをさげている太い鉄のロープがピンとはって、ゆらゆらと引きあげられていきます。三人の潜水夫は、はすになった甲板に立って、それを見あげています。
 ところが、鉄の網が十メートルほどあがったときです。潜水夫のひとりがとびあがるような、へんなかっこうをして、鉄の網の上の方を、両手でゆびさしているのです。
 すると、あとのふたりの潜水夫も、おなじように、両手をあげて、きちがいのようにおどりはじめました。
「おや、へんだぞ。もしもし、潜水機を、十二メートルほど、引きあげてください。鉄の網のロープがどうかしたようです。はやく、あげてください。」
 技師が電話口にどなりました。
 潜水機がガクンとゆれて、スーッと上にあがっていきます。鉄の網を、おいこして、ロープのところにきました。
「そのまま、鉄の網と潜水機と、おなじ速度で、引きあげてください。」
 電話でいっておいて、まえのハンドルを動かすと、潜水機の窓が、ロープの方をむき、強い電光がそこをてらしました。
「あっ、カニだっ、カニがロープにぶらさがっている。」
 小林君が、おもわずさけびました。人間の二倍もある、あのおばけガニです。そいつが鉄の網のロープにすがりついて、なにかモガモガやっているのです。
「あっ、たいへんだ。あいつはロープをきろうとしている。大きなヤスリを、ノコギリのように動かしている。」
 こんどは、技師がさけびました。そして電話口へ、
「もしもし、潜水機を、鉄の網に近づけてください。ロープをきろうとしているやつがいるのです。こちらは鉄のツメで、攻撃します。」
 スーッと、ロープへ近づいていきました。巨大なカニが、すぐ目の前にうごめいています。
「さあ、たたかいだっ。見ててごらん。いまに鉄のツメで、あいつを、やっつけてやるから。」
 技師は、いさましくさけぶと、まえのハンドルに手をかけました。ギーッという音がして、潜水機のよこについている、巨大な鉄のはさみが動きはじめました。
 カニの背中は、すぐまえにあるのです。鉄のツメは、その方へ、ニューッと、のびていきました。しかし、潜水機そのものが、上からぶらさがっているのですから、おもうようになりません。いまひといきというところで、とどかないのです。
「もっと、近づけて、もっと、もっと。」
 電話口にどなりながら、技師は、歯ぎしりをして、ハンドルをうごかしています。
「あっ、とどいたっ、しめたぞ。」
 ハンドルをガチンとやると、鉄のツメがグッとはさみました。カニの足を二本はさんで、ぐいと、もぎとってしまったのです。
 しかし、あいては、へいきです。つくりものの足をきりとられたって、なんでもありません。
 ヤスリの動きは、ますますはげしく、キーキーという音が、潜水機の中まで聞こえてくるような気がしました。
 鉄の網も、潜水機も、全速力で、引きあげられています。
 ロープがきれないうちに、あげてしまおうというのです。
 もう、ハヤブサ丸から十メートルほどになりました。いまひといきです。
 しかし、ああ、そのときです。とうとうロープがきれたのです。おばけガニはロープからはなれて、スーッと、むこうへ消えていきました。
 鉄の網は、おそろしいいきおいで下へ落ちていきます。網がひろがって、十五の箱が、バラバラにちらばって落ちていきます。そして、あるものは、大洋丸の甲板にぶつかり、あるものは海底の岩にぶつかり、くさった木の箱はこわれて、とびちり、ピカピカひかった金塊が、八方に散乱しました。

賢吉少年の危難


 それがわかると、ハヤブサ丸では、おおさわぎになりました。すぐに、五人の潜水夫をもぐらせて、金塊を集めることにしましたが、五人も潜水させるためには、いろいろの用意をしなければなりません。それにまっ暗な夜のことですから、いっそう仕事がむずかしいのです。
 ハヤブサ丸の甲板には、明るい電灯が、いくつも、つりさげられ、そのしたで、おおぜいの船員たちが右に左に、かけまわって、潜水の用意をしているのです。
 賢吉少年は、おとうさんのそばで、そのいさましいありさまを、ながめていましたが、ちょっと、じぶんの船室に用事があったので、そこへおりるハッチの方へいきますと、むこうの、暗い甲板から、ひとりの水夫が、しきりに手まねきしているのに、気づきました。
 船のなかの、おもだった人びとや、船員たちは、みんな、一方のふなばたにあつまって、潜水夫をおろす仕事をしていました。電灯もそのへんだけについていて、ほかの甲板はまっ暗なのです。そのまっ暗な甲板から、水夫が手まねきしているので、賢吉少年はふしぎに思いました。
「なんですか。」
 とたずねますと、その水夫はにこにこして、
「小林さんが、あっちに待っているんです。ぼっちゃんを、よんできてくれと、いわれましたのでね。」
 と答えました。小林さんというのは、むろん、明智探偵の助手の、小林少年のことです。小林少年は、まるい鉄の潜水機にはいって、海底に沈んでいましたが、さっき潜水機が引きあげられ、その中から出て、じぶんの部屋でやすんでいるはずです。それが、どうして、いまごろ賢吉君をよぶのでしょうか。
「小林さんは、どこにいるのですか。」
 賢吉少年が、また、たずねますと、水夫は、船尾の方をゆびさして、
「あちらです。ぼっちゃんに、急用があると、いっています。」
 と答えて、まっ暗な船尾の方へ歩いていきます。賢吉少年は、へんだなとおもいましたが、まさか、ハヤブサ丸に、敵がいるなんて、おもいもよらず、少年探偵団長の小林君がよんでいるとあっては、団員として、命令に、そむくわけにいきませんから、つい、うっかりと、その水夫のあとについていきました。
 船尾の甲板は、気味がわるいほどまっ暗でした。すかして見ても、人かげらしいものは見あたりません。
「小林さんはどこにいるんですか。だれもいないじゃありませんか。」
 すこし、こわくなって、そういいますと、水夫は、
「ほら、そこですよ、あのタルのむこうですよ。」
 といって、賢吉少年の手をとりました。
 見ると、三メートルほどむこうに、大きなビールのタルのようなものが、おいてあります。ふつうのビールダルよりは、ずっと大きなやつです。
 小林さんはタルのかげなんかでなにをしているんだろうと、ふしぎにおもって、いそいで、そこへ近づきましたが、タルのむこうを見ても、だれもいないのです。タルのふたがとれていましたので、もしタルの中にいるのではないかと、のぞいて見ましたけれど、タルの中は、酒も水もはいっていない、からっぽでした。
「あっ、なにをするんです……。」
 と、いおうとしたとき、大きな手が、賢吉君の口をぐっと、おさえてしまいました。もがこうとしてももうひとつの手が、からだをだきしめているので、どうすることもできません。
 水夫は、賢吉君をだきあげて、なんのくもなく、その大ダルの中へおしこみ、上からふたをして、ポケットから、とりだしたクギとカナヅチで、コンコンと、うちつけてしまいました。
 あっというまのできごとでした。船の人たちは、みんな潜水作業の方に集まっているので、だれも気づいたものはありません。それにしても、この水夫は、いったい何者なのでしょう。賢吉君をタルづめにして、どうしようというのでしょう。
 もしかしたら、この水夫は、鉄の人魚の怪人団の、まわし者だったのではないでしょうか。ハヤブサ丸が、大阪を出るときから、水夫にばけて、乗りこんでいたのではないでしょうか。
 水夫は、そこにおいてあった長いロープを、タルにまきつけてかたくむすび、タルをもちあげると、船尾のふなばたまではこびました。そして、じっと、くらい海を見おろしているのです。
 すると、そのとき、ハヤブサ丸から三十メートルはなれた海面に、パッと光ったものがあります。海の上にガラスのような、まるいものが浮いていて、その中に電灯がついたのです。ついたかとおもうと、すぐ消えてしまいましたが、ひとめで、それがなんであるかが、わかりました。それは、あのおそろしい魚形潜航艇だったのです。
 クジラのような黒い船体が、はんぶんほど浮きあがって、その背中に出っぱっている、まるいガラスのようなものの中の電灯が光ったのです。きっと、ハヤブサ丸の水夫へ、あいずをしたのにちがいありません。
 それから、じつにおそろしいことが、おこりました。水夫は両手でロープをにぎって、賢吉君をとじこめたタルを、ふなばたから、海面におろしたのです。タルは、うちよせる波の上に、ゆらゆらと浮いています。
 水夫は、うわぎをぬいで、シャツ一枚になると、ながいロープの一方のはしを、ふなばたのてすりにとおして、それを持って、じぶんも海面におりていきました。そして立ちおよぎをしながら、てすりにかけたロープを、たぐりよせ、それを、じぶんのからだにまきつけて、しずかにおよぎはじめました。いうまでもなく、魚形潜航艇をめざしているのです。
 水夫が、およぐにつれて、ロープにつながれたタルも、その方へ引かれていきます。そして、見るまに、魚形潜航艇のそばへ近づいていきました。
 すると、それをまっていたように、魚形艇の背中の、まるいガラスが、パッと、上にひらいて、そこから、人の顔があらわれました。
「うまくいったか。」
「うん、子どもはタルの中にいる。このロープを、しっぽの方へ、くくりつけてくれ。」
 海の中の水夫が、そう答えて、魚形艇にのぼりつき、ガラスぶたの入口から中へすべりこみました。
 すると、中にいた男が、いれかわって、魚形艇の背中にあらわれ、ロープのはしをもって、艇のしっぽの方へ、走っていきました。
 しばらくすると、その男が帰ってきました。
「しっかり、くくりつけた。これでもう、だいじょうぶだよ。」
 そういって、魚形艇の背中の入口へすべりこむと、まるいガラスのふたが、パタンとしまり、魚形艇は、そのまま、しずかに海中に沈んでいきました。あとにはロープにひかれたタルが、プカプカと波にただよっているばかりです。

洞窟どうくつの怪異


 タルにつめこまれた賢吉少年は、あまりのおどろきに、しばらくは、気をうしなったようになっていましたが、やがて、じぶんのはいっているタルが、ゆらゆらと、はげしくゆれていることが、わかりました。
「きっと海へなげこまれたんだ。そして、波のまにまにただよっているんだ。」
 と、さとりました。
 ああ、なんという、心ぼそい身の上でしょう。タルには少しのすきまもないのですから、ないてもわめいても、だれにも聞こえるはずはありません。
「おとうさん! おかあさん! 小林さーん!」
 聞こえないとわかっていても、ひとりでに、口から出てくるのです。賢吉君は、いくどもいくども、声をかぎりに、叫びました。
 そのうちに、とつぜん、タルのゆれかたが、かわってきたのに気づきました。いままでは、ゆらゆらとただよっていたのですが、それが、きゅうに、一方へ走りだしたようなかんじがするのです。波をのりこえ、おそろしい、いきおいで、進んでいるのです。なんだかひじょうなスピードの快速艇に、ひっぱられているような気持です。
 ひっぱられるにつれて、タルはくるくるまわるのです。賢吉君のからだも、上をむいたり、横をむいたり、たえずくるくるとまわっています。そのたびに、からだのどこかが、タルにぶつかるので、その苦しさといったらありません。
 賢吉君は、こんな苦しいおもいをするぐらいなら、はやく死んでしまったほうがいいとおもいました。
 そのうち、からだが、むちゃくちゃに、ゆれるだけでなく、なんだか、いきが苦しくなってきました。水もしみこまないほど、しっかり、ふたをしたタルですから、空気が悪くなってきたのです。つまり、酸素がすくなくなって、いきぐるしいのです。このまま、ながくタルの中にいたら、ほんとうに死んでしまうでしょう。
 それから、どれほど時間がたったのか、もう、むがむちゅうでした。ふと気がつくと、タルがすこしも動かなくなっていました。いままで、ゆれにゆれていたのが、ピッタリとまったので、耳がジーンとして気味がわるいほど、しずかになりました。すると、またタルがスーッと、もちあげられでもしたように動いて、それから、ゆらゆらとゆれましたが、波に浮いているのと、ちがったかんじでした。
 それから、頭の方で、ガン、ガンと、おそろしい音がしたかとおもうと、サーッと、つめたい空気が、流れこんできました。タルのふたが、ひらかれたのです。賢吉君は、その空気をすったとき、じつに、おいしいとおもいました。空気が、こんなにおいしいものだとは、ゆめにも知りませんでした。
 だれかが賢吉君をだきあげて、タルの外に出してくれました。見ると、それは、服はちがっていましたけれど、さっきの、悪ものの水夫でした。
 それよりも、びっくりしたのは、いまいる場所です。そこは、山の中の、ほら穴のようなところでした。でこぼこの、黒っぽい岩のトンネルのようなかんじです。賢吉君は、どろぼうのいわやの中へ、つれこまれたのではないかとおもいました。
 逃げだすことは、むろんできません。そばに、悪ものの水夫が、がんばっているし、それに、からだが、くたくたにつかれてしまって、もう、なにをする元気もないのです。賢吉君は、タルのそばへうずくまって、ただ、ぼんやりと、あたりをながめるばかりでした。
 そのときです。ふかいトンネルのようになった、ほら穴のむこうから、ちらっとへんなものが見えました。うす暗いほら穴の中ですから、はっきりはわかりませんが、なんだか、ギョッとするよな、おそろしいものでした。
 びっくりして、その方を見つめていますと、そのへんなものの姿が、岩かどから、ヌーッと、あらわれてきました。賢吉君は、あっとさけんで、おもわず逃げだそうとしました。すると、水夫が、おそろしい力で賢吉君のかたをおさえて、そこへすわらせてしまいました。
「ウフフフ、きみをとってくうわけじゃない。じっとしてればいいんだ。あれらは、いそぎの用事があって、これから出かけるんだからね。」
 そのものが、もう全身をあらわして、こっちへ近づいてきます。それは、あのおそろしい鉄の人魚でした。人間とおなじぐらいの大きさの、鉄のウロコの怪物、頭から、背中にかけて、鉄のトサカのような、するどいギザギザがあり、目は青く光って、口は耳までさけ、そこから二本の牙が、ニューッとのぞいています。
 その怪物が、鉄の手で、岩の上を、はってくるのです。ワニのような長いしっぽがついていますが、そのしっぽの下に、みじかい足のようなものがあり、二本の手と、その足とで、自由に、はいまわるのです。
 賢吉君は、岩壁に、ピッタリ身をつけて、おびえきって怪物を見ていましたが、怪物のほうでは、賢吉君など、見むきもせず、そのまえをとおって、ほら穴の外へ出ていってしまいました。
 すると、またほら穴のおくに、なにか物の動くけはいがしました。はっとして、その方を見ますと、さっき出ていったのと、まったくおなじ鉄の人魚が、もう一ぴき、のっそりと、そこから出てきたではありませんか。
 いや、一ぴきではありません。つぎからつぎと、おなじ怪物が、まるでアマゾン川のワニの行列のように、ぞろぞろと出てくるのです。賢吉君は、あまりのことに気がとおくなって、それをかぞえることもできませんでした。ほんとうは、八ぴきの鉄の人魚が、賢吉君の前をとおって、ほら穴の外へ出ていったのです。
 まるで、おそろしいゆめを見ているようでした。鉄の人魚は一ぴきだとおもっていたのに、こんなにたくさん、ほら穴の中に、かくれていたのです。そして、ぞろぞろと、どこかへ出ていったのです。
 いったい、なにごとがおこるのでしょう。
 あの怪物どもは、もしや、ハヤブサ丸の金塊ひきあげ作業を、じゃましに、出かけたのではないでしょうか。あんなたくさんの怪物が、海の中で、あばれまわったら、いったい、どんなことになるのでしょう。
 賢吉君はもう、ものを考える力もなくなって、ぼんやりしていますと、水夫がかたをつついて、
「さあ、おくへいくんだ。首領が、お待ちかねだ。」
 と、みょうなことをいいました。「首領」とは、いったい、何者でしょう。
 賢吉君は、そのまま、水夫につれられて、ゴツゴツした岩の上を、ほら穴のおくへ、あるいていきました。
 まがりくねったほら穴をしばらくいくと、にわかにパッと明るくなりました。そこは、ほら穴がひろくなって、岩にかこまれた部屋のようなところでした。りっぱな、ほりもののあるテーブルがあり、その上に、西洋の燭台しょくだいがおかれ、三本のローソクが、もえていました。
 テーブルのよこに、これも、ほりもののある大きないすがあって、全身まっ黒のおそろしい人が腰かけていました。
 黒ビロードのずきんを、頭から、スッポリかぶっています。そのふくめんの目と口のところだけが、三角がたに、切りぬいてあり、その穴の中から、ぶきみに光る目が、じっと、こちらを見ています。からだには、やはり黒ビロードの、だぶだぶのマントのようなものを、きていました。これが、「首領」なのでしょう。
「宮田賢吉をつれてきました。」
 水夫が、うやうやしく、おじぎをしていいました。
「うん、よくやった。やっぱりタルにつめたのか。」
 まっ黒な怪物が、太いしわがれ声でたずねるのです。
「はい、ハヤブサ丸の水夫にばけて、こいつをタルにつめて、それから潜航艇にしばりつけて、ここまでひっぱってきたのです。船のやつらは潜水作業にむちゅうで、だれも気づいたものはありません。」
「よし、よし、うまくやった。もうこれで、だいじょうぶだ。……おい、賢吉君、なにも、そんなにこわがることはない。きみは、だいじな人じちだからね。ここであそんでいてくれればいいのだ。きみのおとうさんが、わしのいうことを、しょうちしたら、きみをかえしてやるよ。」
 黒い怪物は、ふくめんを三角に切りぬいた口から、ネコなで声で、いうのです。
 賢吉君は、おもいきって聞きかえしました。
「おとうさんに、なにをさせるのですか。どうしたら、ぼくをかえしてくれるのですか。」
 すると、黒い怪物は、ウフフフと気味わるく笑いました。
「それがききたいのか。なかなか勇気のあるぼうやだね。それはね、大洋丸の金塊をぜんぶ、わしによこせというたのみだよ。そのたのみをきいてくれたら、きみをかえしてやるのだ。それまでは、ここにじっとしているんだよ。」
 ああ、賢吉君は、おそろしい人じちにされてしまったのです。それにしても、この黒い怪物は、何者でしょう。そして、賢吉君の運命は、これからどうなっていくのでしょう。また、さっき、ほら穴を出ていった八ぴきの鉄の人魚は、いったい、どんなおそろしいことを、はじめるのでしょう。

消える魚形艇


 ハヤブサ丸では、やっと、準備がおわって、五人の潜水夫が、ちらばった金塊をあつめるために、海の底へおりていきました。もう夜の八時ごろでした。海はまっくらです。
 鉄の網も、ロープをとりかえて、潜水夫といっしょに、しずめました。水中電灯をさげた五人のものは、海底の金塊の箱を見つけだしては、その鉄の網の中へはこぶのです。
 一時間もかかって、やっと八つの箱を、鉄の網にいれました。さいしょ、網にいれた箱は、十五でしたが、そのうちの七つは、落ちるときに、こわれてしまって、中の金の棒がバラバラになり、海底の砂の中にうずまってしまったので、きゅうにさがしだすことができません。それで、八つの箱を網にいれると、潜水夫のひとりが、潜水カブトのなかの電話で、ひとまず、それを引きあげてくれるように、ハヤブサ丸につたえました。
 ハヤブサ丸の甲板では、その電話をきくと、鉄の網のロープを、機械でぐんぐん引きあげました。こんどは、さっきのような大ガニもあらわれず、八つの箱は、ぶじに甲板についたのです。
 海底にのこった五人の潜水夫は、つぎに、バラバラになって、砂にもぐっている金の棒をさがしはじめました。砂ばかりではありません。海底には、コンブのような海草が、たくさんはえていますから、その中へ沈んだ金塊をさがすのは、ひどくほねがおれるのです。
 しかし、五人のものは、ひとつでも多くさがしだそうと、むちゅうになって、まっ暗な海底を歩きまわりました。
 水中電灯は、いくら明るくても、三―四メートルしか、てらしませんので、まるで、墨汁ぼくじゅうの中を歩いているようなものです。なかまの潜水夫の姿さえ、少しも見えません。ボーッと光った水中電灯が、あちこちに動いているばかりで、人の形までは見わけられないのです。
 ふと気がつくと、むこうの方から、二つのまるい光が、ひじょうなはやさで近づいてきました。水中電灯ではありません。もっと強い光です。それが、またたくまに、すぐ目の前にせまってきました。
「あっ、魚形潜航艇だっ。」
 ひとりの潜水夫が、おもわずさけびました。その声が、ハヤブサ丸の甲板の受話器にひびきました。
 甲板では、ひとりの技師が受話器を耳にあてていましたが、そのさけび声をきくと、すぐに、船長につたえました。船長は無電技師に、みかたの潜航艇へ、そのことをしらせるように命じました。敵の魚形艇を追っぱらうためです。
 海底では、魚形艇は、潜水夫たちの、すぐまえに、近づいていました。ギラギラ光る二つの目玉が、あたりをぽーっとてらしているので、魚形艇の全体の姿が、おぼろげに見わけられるのです。
 潜水夫たちは、それを見たとき、あまりのおそろしさに、からだがしびれたようになって、さけぶことも、にげだすことも、できなくなってしまいました。魚形艇の長い背中に、見るもぶきみなばけものが、かさなりあって、とりついていたのです。それは八ぴきの鉄の人魚でした。まったくおなじ形の、あのおそろしい怪物が、ウジャウジャと、かたまっていたのです。
 魚形艇は、スーッと、頭をさげて海の底とすれすれまで、おりて来ました。するとその背中にかたまっていた八ぴきの怪物が、ぴょいぴょいと、海底にとびおりたのです。そして巨大なワニのようなかっこうで、潜水夫たちの方へ、はいよってくるではありませんか。
「わー、引きあげてくれえ! 鉄の人魚がやってきた。はやく、はやく。」
 五人の潜水夫たちが、口々に、わめきました。その声が、ハヤブサ丸の受話器にガンガンとひびくのです。
 技師はいそいで、機械係に、引きあげのあいずをしました。ガラガラとロープがまきあげられます。
 やがて、五人の潜水夫は、ほうほうのていで、ふなばたにはいあがって来ました。そしてカブトをぬがせてもらうと、海底のおそろしいありさまを、くわしく報告するのでした。
 いっぽう、みかたの潜航艇は、ハヤブサ丸から無電の命令をうけて、すぐさま、潜水夫のもぐっている場所へ、いそぎました。
 そこへついたときには、ちょうど、八ぴきの鉄の人魚が海底におりたところでした。敵の魚形艇は、はやくも、こちらの潜航艇に気づいて、いきなり逃げだしました。
 ギラギラひかる二つ目玉の怪魚と、それを追う三つ目玉の潜航艇、両方とも、全速力で、海の底を走るのです。海底のさかなどもは、時ならぬ巨大な怪物の襲来にあわてふためいて、逃げまどう。それが二つの潜航艇のヘッドライトにてらされて、金色に、銀色に、チラチラと、美しくひらめくのです。
 二つの艇のあいだは、五十メートルほど、へだたっていました。にげる魚形艇は、みさきの海岸の方へ、まっしぐらに走っていたのですが、もうすこしで、海岸にとどきそうになったところで、ふっと、その姿が見えなくなってしまいました。
 二つの目玉の電灯を消したのだろうと、こちらのヘッドライトで、そのへんいったいを、くまなくさがしました。でも、あの大きな魚形艇が、かげも形も見えないのです。海の水にとけてしまったようにあとかたもなく、消えうせたのです。
 そのへんの海底は、でこぼこした岩ばかりで、なかには小山のような大きな岩もあります。敵はその岩のかげに、かくれているのではないかと、ながいあいだ、ぐるぐるまわってさがしましたが、どこにもいません。
 そんな大きな魚形艇が、そんなにうまく、かくれられるものではありません。ゆうれいのように消えてしまったとしか、かんがえられないのです。
 しかたがないので、そのことを、ハヤブサ丸に無電でしらせておいて、味方の潜航艇は、そこをひきあげることにしました。
 それにしても、魚形艇は、いったいどうしたのでしょう。あんな大きなものが、海底の砂の中へもぐるわけにはいきません。コンブなどの林も、魚形艇をかくすほど大きくはありません。もしや海面に浮きあがったのではないかと、こちらも、浮きあがってみましたが、やっぱり、かげも形もないのです。
 海底の魔術です。鉄の人魚の怪物団は、ふしぎな魔術をこころえていたのでしょうか。

明智探偵の変装


 ハヤブサ丸の無電室は、味方の潜航艇から、魚形艇が消えうせたという知らせをうけましたが、それにおどろくひまもなく、やがて、どこからか、みょうな無電がはいって来ました。「ハヤブサマル、ハヤブサマル」と、なんども、よびだしをかけてから、おなじもんくを、くりかえし、うってきました。
「ミヤタケンキチクンハ、アズカッテイル、タイヨウマルノ、キンカイゼンブト、ヒキカエニ、ケンキチクンヲカエス。ショウチシナケレバ、ケンキチクンノイノチハ、ナイモノトオモエ、ヘンジマツ」
 無電技師は、それをかきつけた紙を持って、甲板の船長のところへ、とんできました。
「なに、賢吉君をあずかっているだって? 宮田さん、賢吉君はどこにいるんです。へんな無電がきましたよ。」
 そこにいた宮田さんと明智探偵が、船長の手から、その紙をうけとって、おそろしいもんくを読みました。
「賢吉は、じぶんの船室へいくといって、さっき、おりていったままですが。」
 宮田さんが、まっさおになって、つぶやきました。
「じゃ、船室へいってみましょう。」
 明智はそういって、いきなり船室へおりるハッチの方へ、とんでいきます。宮田さんも、そのあとから走りだしました。
 しばらくすると、明智探偵と宮田さんが、甲板にかけあがってきました。
「船室にはいません。みなさん、賢吉少年がいなくなったのです。手わけをして、船の中を、さがしてください。」
 明智がさけびました。それから、おおさわぎになって、船員たちは、いく組にもわかれて、船の中のあらゆる場所をさがしましたが、少年の姿はどこにもありませんでした。
「へんですよ。水夫の北川もいなくなってます。もしやあいつが……。」
 ひとりの船員が、報告しました。
「そうだ。あいつが、敵のまわしものだったかもしれない。賢吉君がひとりで、船から姿を消すはずはないのだ。」
 船長が、くやしそうに、さけびました。
「魚形潜航艇の中へ、さらわれたのかもしれませんよ。われわれは、みんな潜水の仕事のほうに集まっていたので、反対がわに、潜航艇が浮きあがって、賢吉君を乗せていっても、だれも気がつかなかったでしょうからね。」
 技師がじぶんの考えをはなすと、みんなも、たぶんそうだろうと思いました。
「しかし、無電の返事をうたなければ、賢吉がどんなめに、あうかもしれません。といって、金塊をわたすわけにはいかないし、明智さん、どうしたものでしょうね。」
 宮田さんが、青い顔をして明智に相談しました。
「あすまで、返事を待ってくれという無電をうっておくのですね。そのあいだに、ぼくは、ちょっとやってみたいことがあるのです。ひょっとしたら、うまく賢吉君をとりもどすことができるかもしれません。」
 明智は、なにか、自信ありげに、いうのでした。
 そこで、船長は技師をよんで、あしたまで、返事をまってくれという無電をうたせました。
「明智さん、やってみたいとおっしゃるのは、どういうことですか。」
 船長がたずねますと、明智は、おもいもよらぬことを、いいだしました。
「今夜のうちに、そっと上陸しようとおもうのです。ボートでは、敵にさとられる心配がありますから、やはり、潜航艇に乗って海岸に近づき、あとは、岸まで泳げばよいのです。小林をつれていきます。あすの昼まえにはかえるつもりですが、もっとおそくなるかもしれません。ぼくの帰るまで、無電の返事は、のばしておいてください。」
 みんなが、いくらたずねても、明智は、それ以上は、なにもいいませんでした。しかし、宮田さんも船長も、名探偵のうでまえを、よくしっていましたから、ふかくもたずねないで、明智の上陸にさんせいしました。
 それをきいた小林少年は、大よろこびです。先生とふたりで、潜航艇に乗り冒険にでかけるのかとおもうと、うれしくてたまりません。
 それから、ふたりが出発したのは、もう、真夜中すぎでした。ハヤブサ丸からボートをおろし、すぐそばに浮きあがっている潜航艇に乗りうつりました。艇はすぐに潜水して、出発し、十分もかからないで海岸につきましたが、そのへんはさびしい岩ばかりの海岸で、さんばしもありませんから、よこづけにすることはできません。岸から百メートルもはなれたところに、浮きあがりました。
 明智探偵と小林少年は、服もシャツもぬいで、くつといっしょに小さくまるめ、それを頭の上にくくりつけて、海の中にとびこみました。
 そのへんは、見あげるばかりの岩のきり岸で、その下に、荒波がおしよせ、まっしろに、あわだっています。きり岸にかこまれた中に一ヵ所だけ、岩のひくくなったところがあり、小さい漁船などは、そこへつくようになっていました。ふたりは、その船つき場にむかって、ぬきてをきって泳ぎだしました。
 明智探偵はもちろん、小林少年も水泳はとくいでしたから、荒波をものともせず、グングン泳ぎきって、岩の岸に、よじのぼりました。そして、そこで、からだをふいて、シャツと服をきると、だんだんになった岩を、上までのぼり、まっ暗なあれ地を、近くの漁師の部落にむかっていそぎました。そのへんは、田も畑もない、あれ地で、漁師の家が、五―六けん、かたまっているばかりの、ほんとうにさびしい部落でした。その五―六けんの家も、みんな、寝しずまって、まっ暗で、シーンと、しずまりかえっているのです。
 ふたりは、その一けんの家を、たたきおこして、たくさんのおかねをだして、漁師の服をゆずってもらい、着ていた服をぬいで、それときかえました。つまり、漁師の親子に変装したのです。きたないカーキ色のズボン、やぶれてつぎのあたったシャツ、頭にはてぬぐいのはちまきという、いでたちです。
「どうも、顔が白すぎるね。すこし、おけしょうをしたほうが、いいだろう。」
 明智は、そんなことをいって、漁師の家のかべにたまっていたススを手につけて、じぶんの顔と、小林少年の顔に、ベタベタぬりつけました。これで、ふたりは、すっかり漁師らしくなったのです。
 それから、そこにこしかけて、そのへんの地理を、くわしくたずねました。こんどの冒険には、やはり、土地のようすを、よくしっておかねばならないからです。
 そうして話しているうちに、東の空が、ボーッと、明るくなってきました。太陽が出るまえのうす明かりです。
 そこで、ふたりは漁師に、おれいをいって外に出ました。もう、足もとが見えないほどではなく、いくら歩いてもあぶなくはありません。ふたりは、海岸にそって、テクテクと歩きだしました。
 一直線に歩くのではなくて、松の林があれば、その中をしらべ、こだかくなった丘があれば、そのまわりをしらべ、地面に穴があれば、その中をのぞくというふうに、なにかをさがしながら歩きまわるのでした。
 海の方をながめると、ハヤブサ丸の船体が、ボーッと黒く見えています。そのハヤブサ丸が、いちばん近くに見えるところにきますと、明智探偵は、いままでよりは、いっそう注意ぶかく、そのへんの地面をしらべていましたが、ふと立ちどまって、むこうの松の林を見つめました。
 そこには大きな松の木が五―六本はえて、その下に、せいのひくい木が、いっぱいしげっていました。名探偵は、そのしげみの中に、なにかをみつけたのです。
「しずかに、音をたてないように。」
 小林少年に、そっとささやいて、そこに近づくと、松の木の太いみきのかげに、からだをかくして、むこうのしげみを、すかして見るのでした。
 まだうす暗い夜あけまえでしたが、じっと見ていると、だんだん目がなれて、そのへんがはっきり見えてきました。
「おや、こんなところに、モグラがいるのかしら?」
 小林少年は、おどろいて、そこを見つめました。しげみの中の草が、グラグラと動いているのです。猟犬のようにするどい明智探偵は、さっきから、それに気づいていたのでしょう。
 草は、ますますひどく動きだしました。六十センチ四方ほどの地面が、草といっしょに、グーッと、もちあがってくるのです。そして、あっとおもうまに、その草のはえた土が横に動いて、そのあとに、まっくらな四角い穴がひらきました。
 それから、じつにふしぎなことが、おこったのです。その四角な穴から、なにものかがニューッと、首をだしたではありませんか。それはモグラではなくて人間の首でした。
 その人間の首は、用心ぶかく、キョロキョロと、あたりを見まわしていましたが、こちらのふたりには、すこしも気づかず、だれもいないとおもったのか、そのまま、穴からはいだしてきました。その男は、やっぱり、そのへんの漁師のようなふうをしていました。三十五―六の強そうな男です。
 これはいったい、どうしたわけなのでしょう。海岸の地面の中から、ひとりの人間が、わきだしてきたのです。この男は、ツチグモのように、土のなかに住んでいるのでしょうか。あの黒い穴の下には、なにがあるのでしょう。そこは防空壕ぼうくうごうのようにひろくなって、人間のすまいになってでもいるのでしょうか。
 穴から出たあやしい男は、草のはえた土を、もとにもどして、穴のふたをしました。それから、もう一度、よくあたりを見まわして、どこへいくのか、いそぎ足に歩きだしました。
 明智探偵は、それを見ると、小林少年のうでを突っついて、あいずをしました。そして、あいてにさとられぬように、そっと、男のあとを尾行しはじめたのです。
 あやしい男は、海岸の反対の方角へ、どんどん歩いていきます。そちらには、さっきの部落とちがって、もっと大きな漁師村があるのです。
 その道に、こだかい丘が、そびえていました。男はテクテクと、その丘の下を歩いています。そのとき、明智探偵はまた小林少年のうでを突っつきました。そして、いきなりかけだしたのです。
 おそろしい早さです。まるで、くろい風が吹きすぎるようでした。小林君もつづいて、いっしょうけんめいにかけだしました。
 明智の黒いかげが、パッと、あやしい男のうしろからとびかかりました。そしてあっというまに、男は、そこへねじふせられてしまいました。

はだかの勇士


 明智探偵は、なんのために、その男をとらえたのでしょうか。また、その男をどこへつれていって、なにをしたのでしょうか。それはしばらく、おあずけにしておいて、お話はそれから五―六時間たった、その日のおひるごろのできごとに、うつります。
 沖にてい泊しているハヤブサ丸では、宮田さんや、船長や、サルベージ会社の技師や、そのほかおおくの船員が、甲板にあがって、海面を見つめていました。
 岸の方から、一そうの小船が、ハヤブサ丸をめがけて近づいてきたからです。その船には、おとなと子どもと、ふたりの漁師が乗っています。おとなのほうが、ろをこいでいるのです。
 まもなく、小船はハヤブサ丸のすぐ下まできました。そして、甲板の人たちにむかって、手をふりながら、大きな声でどなっています。
「はしごを、おろしてくれ。」
 見もしらぬ漁師が、ハヤブサ丸に、乗せてくれといっているのです。
「おまえは、だれだ……。なんの用事があるんだ……。」
 甲板から、だれかが、大声でたずねました。
「ぼくは明智だ。よく顔を見てくれ。ここにいるのは小林だよ……。」
 甲板の人たちは、明智探偵ときいて、びっくりしてしまいました。しかし、よく見ると、顔は黒くよごれているけれど、明智にちがいないことがわかりましたので、いそいで、はしごをおろしました。
 漁師姿の明智と小林少年とは、はしごをのぼって、甲板にあがり、宮田さんや船長や技師などといっしょに、下の船室へはいりました。そして、三十分ほど、なにか相談をしていましたが、それがおわると、明智探偵は、なにか大きな黒いふろしきづつみを、こわきにかかえて、甲板にあがってきました。そして、小林少年といっしょに、また、もとの小船に乗りうつって、そのまま岩ばかりの海岸にむかっていきました。
 ふたりが帰ってしまうと、ハヤブサ丸の中は、にわかにさわがしくなってきました。船長が、船員や水夫たちを呼びあつめて、ある命令をくだしました。すると、船員や水夫は、いそがしそうに、あちこちと歩きまわってなにかのよういをはじめたのです。まるで戦争でもはじまるようなさわぎです。
 無電技師は、みかたの潜航艇を無電で呼びかえし、まもなく、あの小型潜航艇が、ハヤブサ丸のすぐそばに、浮きあがりました。すると、ハヤブサ丸のボートがおろされ、十三人の、はだかの船員や水夫たちが、そのボートに乗りこみました。ズボン下ひとつのまっぱだかです。みんな、肩のきん肉がリュウリュウともりあがり、うでには大きな力こぶのある強そうな人たちばかりです。
 そのはだかの人たちはみんな、背中に酸素のボンベをつけ、水中めがねをもち、足のさきには、大きな水かきをはめ、手には、みょうな形の水中銃を持っていました。
 ボートはロープで潜航艇のうしろにつながれ、やがて、潜航艇は、海面に浮きあがったまま、ボートをひっぱって、どこかへ出発するのでした。
 それから二十分ほどたったころ、潜航艇は、みさきのすぐそばの、岩ばかりの海底にしずんで、ヘッドライトの三つ目を、ギラギラとひからせていました。
 そのむこうの断崖のようになった岩に、大きなほら穴があるのです。ゆうべ、敵の魚形潜航艇が、とつぜん、消えてしまったのは、このへんでした。そのときは、ほら穴の前にそびえている岩山に、へだてられて、ほら穴が見えなかったのです。
 さっき、明智探偵は、敵の魚形艇が消えたへんに、きっとほら穴があるから、さがすようにと、いいのこしていきましたので、みかたの潜航艇が、それをさがしまわって、やっとみつけたのでした。そのほら穴は、魚形艇が、やっとはいれるほどの大きさです。おくの方はまっくらで見えませんが、ひじょうにふかい洞窟のようです。ボートに乗って、みかたの潜航艇にひかれてきた、十三人のはだかの勇士はボートから海底にもぐって、洞窟の入口のまわりを、泳ぎまわっています。
 ゆうべ、ハヤブサ丸のそばの海岸にあらわれた、鉄の人魚たちは、そのへんにちらばっていた金の棒をひろいあつめて、やはりこのほら穴の中へ、もどっているにちがいないのです。その鉄の人魚どもが、いつまた出てくるかもしれません。もし出てきたら、水中銃でうってやろうと、はだかの勇士たちは待ちかまえているのです。
 十三人のはだかの勇士が、水中めがねをつけ、ボンベをせおい、足には大きな水かきをつけ、水中銃をかまえて、ほら穴の上下左右を、じゅうおうに泳ぎまわっているありさまは、じつにいさましい光景でした。あるものは、洞窟にもぐりこんで、中のようすを、しらべようとしています。
 明智探偵の報告によって、賢吉少年も、この洞窟の中に、つれこまれていることがわかりましたので、あわよくば、洞窟のおくふかく泳ぎこんで、賢吉少年をさがしだそうとしているのです。
 それにしても、賢吉君は、洞窟の中で、怪物団のために、どんなひどいめにあっているのでしょうか。

洞窟のろうごく


 そのとき、賢吉少年は、洞窟の中のろうごくにおしこめられていました。
 はだかの勇士たちが、泳ぎまわっているほら穴は、おくへ行くほど広くなっていて、そこに敵の魚形艇がかくれているのですが、さらにおくへ進みますと、穴がだんだん上の方へむかって、やがて海面よりも高くなり、もう水のない洞窟になっています。そして、しょうにゅう洞のように、いりくんだぬけ道があり、ところどころに、部屋のような広い場所もあります。鉄の人魚の怪物団は、この、人の知らない洞窟をみつけて、そこを、根城ねじろにしていたのです。
 まがりくねった枝道のひとつに、二畳ほどの部屋のようなくぼみがあって、そのまえに、スギ丸太をたてよこに組みあわせたろうやのこうしのようなものが、たちふさがっています。洞窟の中のろうごくなのです。
 そのまっくらなろうごくの中に、学生服をきた、ひとりの少年が、しょんぼりとうずくまっていました。それが賢吉少年でした。たべものは、ちゃんと、はこんでくれますし、べつにひどいめにあうわけではありませんが、こうしの中に、とじこめられているのですから、どこへも行くことができません。はなしあいてもなく、なにも見えないまっくらな中に、じっとしているほかはありません。じつにさびしいこころぼそい身のうえです。
「いまごろ、小林さんや明智先生は、どうしているのかなあ。ぼくがここへつれられてきたことは、だれもしらないにきまっている。いくら名探偵の明智先生でも、気がつかないだろう。ああ、おとうさんにあいたいなあ。ぼくはなぜハヤブサ丸なんかに乗りこんだのだろう。よせばよかった。そうすれば、いまごろは、東京のおうちに、おかあさんといっしょにいられたのだ。」そうおもうと、賢吉君はいきなり、「おとうさん、おかあさん……。」と大きな声でさけびたくなりました。そして、両方の目から、あつい涙が、あふれだしてきて、ポロポロと、ほおをつたい落ちるのでした。
 ふと気がつくと、こうしの外の岩壁に、チロチロと光がさしていました。だれかが懐中電灯をてらして、こちらへやってくるらしいのです。「賊の手下が、たべものを持ってきたのかしら。」とおもいましたが、それにはまだ時間がはやいのです。
「ひょっとしたら、こうしの外へつれだされて、ひどいめにあわされるのではあるまいか。」
 ふと、そう考えると、賢吉君は、もう、おそろしくてしかたがありません。おもわず、ほら穴のすみっこへ身をちぢめて、ブルブルふるえていました。
 でこぼこの岩壁に、反射する光はだんだん強くなり、やがて、むこうから、怪物の目玉のような懐中電灯が、ユラユラとゆれながら近づいてきました。
 それを見ると、賢吉君の心臓は、まるでたいこでもたたくように、おそろしい早さで、うちはじめました。
 懐中電灯は、賢吉君のいるろうごくのこうしのまえで、ピッタリとまりました。そして、岩のろうごくの中を、ズーッとひとわたり、てらしてから、そこへきた男は、じぶんの顔の方へ、光をあてて見せました。いつも、たべものをはこんでくれる、賊の手下です。
 その男は、右手で懐中電灯を持ち、左手では、子どものからだぐらいもある大きな黒いふろしきづつみを、かかえていました。それは、なんだか、えたいのしれない、気味のわるいかたちのものです。
 賢吉君は、あの黒いふろしきづつみの中には、いったい、なにがはいっているのだろうとおもうと、いっそうおそろしくなって、からだがブルブルふるえてくるのでした。
「賢吉君……。」
 その男が、よびかけました。やさしい声です。賢吉君は、「おやっ、へんだな。」とおもいました。いつもの男の声とは、まるでちがっていたからです。
「わしだよ、わしだよ。悪ものに変装しているけれど、よくごらん、わたしは明智だよ。」
 それをきくと、賢吉君は、ハッとしておもわず立ちあがりました。そして、こうしのそばによって、男の顔を見つめました。賊の手下とそっくりに変装していましたが、よく見ると、明智先生でした。うすぐろくぬった顔の中から、あのなつかしい明智先生のおもかげが、スーッと、うきだすように見えてくるのでした。
「あっ、先生!」
 賢吉君は、こうしにとりすがって、おもわずさけびました。
「そんな大きな声を出しちゃ、いけない。わたしはきみを、たすけだしにきたのだ。いまに小林も、ここへくるからね。」
 明智探偵は、そういって、懐中電灯を高くあげて、トンネルのようになった、ほら穴の向こうの方にむかって、二―三度ふりてらしました。
 すると、それがあいずだったらしく、まっくらな向こうの方から、何者かが近づいてきましたが、それが明智の懐中電灯の光の中にはいると、漁師のような着物をきた、ひとりの少年でした。
「おやっ、へんな子どもがきたな。」とおもって、よく見ますと、その子どもも顔を黒くぬっていましたが、どこかに小林君のおもかげがありました。やっぱり小林少年の変装姿だったのです。
「あっ、小林さん……。」
 賢吉少年は、また、さけばないではいられませんでした。
 明智探偵は、よういしていたかぎをとり出して、ろうごくのこうしの戸をひらき、小林少年とふたりで中へはいってきました。
「賢吉君、ぶじでよかったね。」
 小林少年は、いきなり賢吉君にだきついていきました。賢吉君も小林少年にとりすがって、まるで、ひさしぶりにであった兄弟のように、だきあったまま、いつまでもはなれないのでした。
「賢吉君、これから、きみをたすけだすのには、いろいろトリックをつかわなければならない、なかなかむずかしい仕事なんだよ。それに、ぐずぐずしていて敵にみつかったら、たいへんだから、おおいそぎでやらなければならない。くわしい話はあとですることにして、すぐにトリックにとりかかるよ。まず、きみは小林君と服をとりかえるんだ。」
 明智探偵はそういって、じぶんも手つだって、手ばやく、ふたりの服をとりかえさせました。つまり小林君は学生服をきて賢吉君になりすまし、賢吉君は小林君のきてきた漁師の子どもの着物をきたのです。
 きがえがすむと、明智はふところから、ぬれた手ぬぐいを出して、ススをぬった小林君の顔を、きれいにふきとり、そのよごれた手ぬぐいで賢吉君の顔を、なでまわしました。すると、いままで、きたなかった小林君の顔がきれいになり、きれいだった賢吉君が、日にやけた漁師の子どもに、早がわりしてしまいました。
「賢吉君は、わたしといっしょに、陸のほうにひらいている穴から逃げだして、船に乗ってハヤブサ丸に帰るんだ。わたしも、この服をぬいで、漁師の着物をきるから、漁師の親子が船に乗っているとおもって、だれもうたがわないのだよ。」
 明智はそういって、さっき、左手にかかえていた、大きなふろしきづつみを、賢吉君になりすました小林少年にわたしました。
「いいかい。これでうまくやるんだよ。わたしは、じきに帰ってくるからね。それまで、きみのうでまえで、うまく敵をあやつっておくのだよ。」
「はい、だいじょうぶです。きっとうまくやります。」
 小林君は、げんきよくこたえました。
 それから、明智探偵は、こうしの外に出て、そのちかくの岩あなの中にかくしておいた漁師の着物ときかえ、賢吉少年をつれて、岩のトンネルをグルグルまわりながら、陸地にひらいている、れいの小さな穴の方へいそぐのでした。
 それからしばらくすると、賊の洞窟の中に、なんだか、えたいのしれない、きみょうなことが、おこりました。
 賊の手下のひとりが、懐中電灯を持って、岩のトンネルの中を歩いていますと、向こうの方に、黒い人かげのようなものが、チラッと動くのが見えました。なんだか、ひどくせいのひくい、子どもみたいなやつです。賊の手下は、おやっとおもって立ちどまりました。
「あんな小さなやつは、なかまにはいないはずだ。ひょっとしたら、賢吉のやつが、こうしをやぶってにげだしたのじゃないかしら。」
 もしそうだとすれば、たいへんです。その男はキッとなって、いきなり、その黒い人かげをおっかけました。
「おい、そこにいるのは、だれだ。まてっ、またないか。」
 懐中電灯をふりてらして走りましたが、小さな人かげは、まるでリスのようにすばやくて、迷路の洞窟の中を、グルグル逃げまわるので、とうとう見うしなってしまいました。
「チェッ、すばしっこいやつだ。だが、もしあれが賢吉だったとすれば、ろうのこうしの中が、からっぽになっているはずだ。よしっ、それをたしかめてみよう。」
 男は、そうおもって、ろうごくの方へいそぎました。そして、こうしの外に立つと、懐中電灯で中をてらして見ましたが、ふしぎなことに、賢吉少年は、ちゃんとそこにいたではありませんか。岩べやの向こうのすみっこに、首をうなだれて、じっとうずくまっているのです。
 男は、中にはいってしらべてみようとおもいましたが、こうしの戸には、大きな錠がついていてかぎがなくてはひらくことができません。そのかぎは明智探偵のばけている、あのジャンパーをきた賊の手下が持っているのです。そこで、男は、その手下をさがすために、みんなのいる広い洞窟の方へ、かけだしました。
 岩のトンネルをかけていますと、またしても、向こうのやみの中に、小さい黒い人かげが、チラッと見えました。いそいで、その方に懐中電灯をむけました。すると、パッと、まがりかどのむこうへ、姿をかくしましたが、そいつは、賢吉少年とそっくりの学生服をきていました。せいのたかさもおんなじです。
 男は、ゆめでも見ているような、へんな気持になりました。賢吉少年がふたりになったのです。ひとりはかぎのかかったこうしの中にうずくまっている。ひとりは、洞窟の中を、自由じざいにかけまわっている。こんなふしぎなことはありません。男はなんだか、気味がわるくなってきました。そこで、その男は、いきなり、黒ふくめんの首領の部屋へかけこんで、ことのしだいをつげますと、首領は、みんなで、かぎを持っているジャックを、さがすように命令しました。
 しかし、賊の手下たちが手わけをして、三十分ほども洞窟の中をさがしまわっても、きみょうな子どもも、ジャックも、どうしても、みつからないのでした。
 その捜索がむだにおわって、また三十分もたったころでした。ひとりの手下が、首領の部屋にかけこんできて、あわただしく報告しました。
「首領、きました、きました。賢吉のかかりのジャックのやつが、どこからか、ヒョッコリ帰ってきました。いまここへやってきます。」
 ジャックというのは、ろうごくのこうしのかぎを持っている男のあだなです。
 その報告が、おわるかおわらないうちに、首領の部屋の入口へ、ジャックがスーッと、姿をあらわしました。ジャンパーにカーキズボンの、あの男です。

怪少年


 首領はジャックを、テーブルの前によびつけて、しかりつけました。
「ジャック、どこへ行ってたのだ。おまえをさがしだしてから、もう一時間にもなるぞ。いったい、そんな長いあいだ、どこへ、あそびにいっていたんだ。」
 首領の前に立ったジャックは、にやにや笑って、頭をかきました。
「村へ行って、漁師のうちで、ごちそうになったもんだから、つい、おそくなって……。」
「なんだと? 村へあそびにいった? ようじをすませたら、すぐ帰れと、あれほどいってあるじゃないか。漁師なんかとつきあって、このかくれがを感づかれたら、どうするんだ。」
「へえ、もうしわけありません。これから、気をつけます。」
 ジャックは、うつむいて、しんみょうにしています。
「おまえは、ろうやのかぎを、あずかっているんだろう。そのろうやに、へんなことがおこったのだ。賢吉のやつが、ろうやをぬけだしたらしい。洞窟の中に、チョロチョロと姿をあらわすのだ。だが、あの子どもは、いつのまに、そんなにすばしっこくなったのか、みんなが、おっかけても、どうしても、つかまらないのだ。
 ところが、ろうやへいって、こうしの中をのぞいて見ると、賢吉はちゃんと、その中にうずくまっている。なんだかわけがわからないのだ。みんなは、賢吉がふたりになったといっている。だが、そんなばかなことはない。どちらかが、にせものなんだ。それで、ろうやにいる賢吉をしらべようとしたが、ろうやの戸をひらくかぎがない。かぎはおまえがもっているからだ。さあ、すぐにろうやをしらべてみよう。まさか、かぎをなくしはしまいな。」
「へえ。それは、ちゃんと、ここに持っております。じゃあ、ろうやへ、おともしましょう。」
 ジャックは、そういって、さきにたちました。ふくめんに黒マントの首領は、そのあとからついてきます。
 ふたりは、まっ暗な岩のトンネルをとおって、ろうやの前に来ました。ジャックがかぎで、ろうやの戸をひらき、ふたりはその中に、はいりました。
 みると、賢吉少年は、いわやのすみっこに、うつむいて、うずくまっています。ふたりが、はいってきても、身うごきもしません。眠っているのか、それとも、死んでしまったのではないかと、思われるほどです。
 首領はツカツカと、そのそばによって、うつむいている賢吉君の頭をおさえて、グッと顔を、あおむけましたが、その顔を、一目みると、
「あっ。」
と、声をたてて、タジタジと、あとじさりをしました。それは人間の顔ではなかったからです。ジャックも、それを見てびっくりしています。
 ふたりは、なぜそんなに、おどろいたのでしょうか。それは生きた人間の顔ではなくて、マネキンの顔だったからです。洋服屋のショーウインドーにかざってある、子ども人形の顔だったからです。
 首領は、人形だとわかると、はらだたしげに、ひきちぎるように、うわぎをぬがせましたが、からだはワラのたばでできていることがわかりました。ワラたばに洋服をきせて、賢吉少年に見せかけてあったのです。
「賢吉のやつ、こんな人形でごまかしておいて、やっぱり逃げだしたんだな。ちくしょうめ。」
 いきなり、ワラたばをひきだして、ふみにじりました。そのひょうしに、人形の首がとれて、コロコロところがり、まるで少年が、首をきられたように見えました。
 それにしても、人形の首や、ワラたばは、いったい、だれが持ってきたのでしょう。また、人形に服をきせて逃げだした賢吉少年は、いったい、なにをきているのでしょう。
 首領は、ふしぎでたまらないという顔つきで、首をかしげました。
 しかし、読者諸君は、よくごぞんじです。賊の手下のジャックにばけた明智探偵が、ハヤブサ丸から人形の首や、ワラたばをろうやの中にもちこみ、賢吉君の服をそれにきせ、賢吉君には小林少年がきていた漁師の子どものをきせ、明智じしんも漁師の着物をきて、ほんとうの賢吉君は、船にのせてハヤブサ丸へつれてかえったのです。
 ですから、洞窟の中にチラチラと、姿を見せている子どもは、賢吉君ではなくて小林少年なのです。小林少年が賢吉君の服をきて、ばけているのです。
 しかし、賊の首領は何もしりません。洞窟の中がくらいのと、明智の変装のうまいので、首領は、ほんとうのジャックだと、思いこんでいるのです。
「よし、おれが、じぶんで、賢吉をつかまえてやる。まだ洞窟の中にいるにちがいない。ジャック、おまえも、てつだえ。」
 首領はろうやを出ると、まっ暗な岩のトンネルの中を、グルグルと歩きはじめました。ジャックがうしろから懐中電灯をてらして、ついていきます。
 しばらく歩いていきますと、むこうのほうを、小さな黒いかげが、サッとよこぎるのが見えました。
「や、いたぞ。あれが賢吉にちがいない。もう、のがさないぞ。」
 ふくめんの首領は、黒いマントをひるがえして、そのほうへ走りだしました。ジャックも、あとにつづきます。
「いる、いる。あすこを走っている。たしかに賢吉のやつだっ。」
 首領は、いっそう足をはやめました。子どもとおとなですから、かけっこには、かないません。追うものと、追われるもののあいだは、みるみるせばまっていきました。ああ、あぶない、賢吉君にばけた小林少年は、いまに、つかまってしまうのではないでしょうか。
「あっ、あいつ階段をのぼっている。洞窟の外へ、逃げだす気だなっ。」
 首領が、走りながら、いまいましそうに、いいました。その石の階段の上には、れいの陸上にひらいている、小さな穴があるのです。
 首領は、とぶように、階段にかけつけ、下から少年の服をつかもうとしました。もう三十センチぐらいで、手がとどきそうです。
 しかし、少年のほうが、すばやかったのです。かれは地上への出口の、草のはえたかたい土のかたまりをおしのけて、パッと穴の外へ、とび出してしまいました。
 ふくめんの首領は、すぐそのあとから、穴の外へ、顔を出しましたが、そこをひと目みると、ハッとして首をひっこめてしまいました。
 穴の外に、おそろしいものがいたからです。どうして、いつのまに、やってきたのか、穴の外の林の中に、制服の警官が五―六名、ズラッとならんで、こちらをにらんでいたのです。賢吉君になりすました小林少年は、その警官のまんなかにはさまれて、にこにこして立っていました。
「たいへんだっ。警官が来た。ジャック、にげるんだ。はやく、にげるんだ。」
 首領は、おおいそぎで、石の階段をかけおり、ジャックをおすようにして、洞窟のおくのほうへかけだしました。
 ふたりは、グルグルまがっているトンネルの中を、死にものぐるいで走りました。そして、ついたところは、海のほうに近いひろい洞窟でした。そこには、あのおそろしい八ぴきの鉄の人魚が、ウジャウジャかたまって、すんでいるのです。

怪獣の秘密


 ひろい洞窟の中を八ぴきの鉄の人魚が、オリの中の野獣のようにかたまっていました。
 鉄でできた、おそろしい顔に、リンのように青くひかる大きな目、口は耳までさけて、そのくちびるのあいだからニューッと牙がつきだしています。全身に、鉄のウロコがはえ、頭から、背中にかけて、するどい鉄のトサカのようなギザギザがつづいています。胴体としっぽは、ワニとそっくりで、それが、やっぱり鉄でできています。大きさは、人間のおとなよりも大きいのです。
 一ぴきでもおそろしいのに、そういう怪物が八ぴきもウジャウジャかたまっているのですから、そのぶきみさは、想像もできないほどです。
 ふくめんの首領は、ジャックの持つ懐中電灯の光をたよりに、その怪獣のいわやへ、はいっていきました。そして、鉄の人魚たちにむかって、大きな声で、命令しました。
「おまえたち、よくきけ。陸の入口から、いまに警官がふみこんでくる。おまえたちは、とちゅうまでいって、あいつらを、攻撃するんだ。ひとりのこらず、穴の外へ、おい出してしまえ、そして、穴には中から大石をつめて、二度と、はいってこられないようにするんだ。わかったか。さあ、みんないっしょに、でかけるんだ。」
 鉄の怪物どもは、首領の命令を、だまって聞いていました。そして、しばらくのあいだ、シーンと、しずまりかえっていたかとおもうと、やがて、「ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ。」というたくさんの鉄が、一度にすれちがうような、おそろしい音がおこりました。鉄の人魚どもが、声をそろえて笑っているのです。
「こらっ、おまえたち、どうしたというのだ。おれがわからないのか。なぜ笑うのだ。なぜ、おれの命令にしたがわないのだっ。」
 首領が、おそろしい声でどなりました。しかし、鉄のすれあう音は、しずまるどころか、ますます、はげしくなっていきます。怪獣は、首領をばかにして、いつまでも、笑いつづけているのです。
「きさまたち、気がちがったなっ。よし、おもいしらせてやる。」
 首領はいきなり、くつばきの足をあげて、すぐそばにいた、一ぴきの人魚の顔をパッとけりました。
 すると、にわかに、「ジャ、ジャ、ジャ、ジャ。」という音が、ものすごいちょうしにかわって、八ぴきの鉄の人魚が、四方から、首領をめがけて、おそいかかってきました。
 かれらの目のリンのような光は、パッと、もえたつように強くなり、するどい牙を、ガチガチと、かみならし、するどいツメのはえた、両手をひろげて、首領のまわりをとりかこみ、いまにもくいつきそうな、ものすごい形相ぎょうそうをしめしました。
 さすがの怪物団の首領も、それを見ると、ゾッとしたように立ちすくんでしまいました。どうして、こんなことがおこったのか、さっぱりわけがわかりません。部下の人魚どもが、にわかに首領にそむくとは、いったい、どうしたわけなのでしょう。
 すると、そのとき、またしても、ふしぎなことがおこりました。
「ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ……。」と笑っていた怪獣の声が、とつぜん、「ワハハハハ……。」という人間の声にかわったのです。八ぴきの人魚が、人間のように笑いだしたのです。洞窟もゆれるばかりの、おそろしい笑い声でした。
 それから、ガチャンガチャンというやかましい音がしたかとおもうと、人魚どもの腹のところが、二つにわれて、その中から、はだかの人間がとび出してきました。
「ワハハハ……、どうだ、おどろいたか。おれたちは、きみの部下じゃないぞ。ハヤブサ丸からやってきた、八人の勇士だ。」
 鉄の人魚の中から、まっさきにとび出した、ひとりの若ものが、どなりつけました。なるほど部下ではありません。八人が八人とも、まったく見しらぬ人間ばかりです。それを見ると、ふくめんの首領は、あっと立ちすくんで、口をきく力もなくなってしまいました。
「アハハハ……、びっくりしているな。鉄の人魚なんて、おもちゃみたいなもんだ。鉄板でこんな形をつくって、中に酸素のボンベが三本もとりつけてある。だから、長いあいだ水中にいても、へいきなんだ。その中へ、きみの部下がはいって、われわれを、おどかしていたんだ。目がリンのように光るのは、乾電池で青い豆電灯がついているんだ。
 明智先生が、ちゃんと、それを見ぬいてしまった。そして、おれたち、はだかの勇士を海のそこへ、おくってよこしたんだ。おれたちはボンベをしょって、海のそこの洞窟の入口から、しのびこんだ。そして、水中銃で八人のきみの部下をおどかし、人魚の鉄の皮をぬがせて、おれたちがいれかわったんだ。きみの八人の部下は、手足をしばり、さるぐつわをはめて、むこうのほうの岩あなに、ころがしてあるよ。ワハハハハ……、どうだ、おどろいたか。」
 ふくめんの首領は、こんなひどいめにあったことは、いままでに一度もありません。おそろしい敗北です。しかし、ぐずぐずしている場合ではありません。八人のはだかの勇士が、いまにも、こちらへ、とびかかってきそうに見えるからです。
「ジャック、ついてこい。」
 首領は、そうさけぶと、パッと身をひるがえして、矢のように走りだしました。しかしこんどは、いったい、どこへ逃げようというのでしょう。
 かれは黒いマントをひるがえして、海のそこへの、出口のほうへ走りました。ジャックもそのあとからつづきます。
 しばらく走ると、パッと、目のまえが、ひろくなりました。そこには、海底からはいってきた水が、池のようになっているのです。ひろい洞窟の中の池です。海底からの入口は、水面のずっと下にあるのですが、洞窟がななめに上のほうへつづいているので、そのへんは、もう水面の上にあり、海水は池のように、洞窟のそこにたたえられているのです。
 その池の岸に、小さいクジラほどもある、まっくろなものが、浮いていました。賊の魚形潜航艇です。その背中に、すきとおったコブのようなものがあります。それはプラスチックのガラスでできた展望まどです。また、それはちょうつがいで上にひらくようになっていて、艇への出入り口もかねています。
 ふくめんの首領は、ジャックをひきつれて、その岸へ走っていきました。
「さあ、これにのるんだ。そして、海のそこへ逃げだすんだ。」
 そういって、水岸においてあった長い板を、魚形艇の背中にわたし、その上を歩いて、ガラスの展望まどのところへ行って、それをひらくと、いきなり、艇内へすべりこんでいきました。
「ジャック、おまえもはいれ。そして、これを運転するんだ。」
 首領によばれて、ジャックも板をわたり、艇内にすべりこんだのです。そして、展望まどを、しっかりしめ、運転席についたかとおもうと、とんきょうな声をたてました。
「あ、首領、たいへんだ。機械がメチャメチャにこわれています。」
「えっ、機械が?」
 首領もそこへとんできて機械をしらべましたが、何者かが、かなづちで、たたきこわしたらしく、とても、きゅうに修繕することはできません。
「しかたがない。さいごの逃げ場所だ。」
 首領が、したうちをして、どなりました。
「えっ、さいごの逃げ場所とは?」
「このむこうに、おれだけが知っている洞窟の枝道がある。そこへ、逃げこむんだ。」
 ふたりは、いそいで展望まどをひらき、もとの岩ぎしにもどりました。
 そして、洞窟のうしろのほうを見ると、八人のはだかの勇士と警官たちが、懐中電灯をてらして、こちらへ、いそいでくるようすです。
「さあ、はやく、こっちだ。」
 首領はジャックに声をかけて、かけだしました。そして、かどを一つまがると、岩のくぼみに立ちどまりました。そして、そこの岩のさけめに手をかけると、力まかせにひっぱって、はば約六十センチほどの岩をうごかしました。すると、そのうしろに人ひとり、やっと通れるほどの穴がひらいていたのです。
「はやく、ここへはいれ。そして、岩をもとのとおりにしておくんだ。そうすれば、だれも気がつきやしない。おれたちはたすかるのだ。」
 ふたりは、その穴の中にはいり苦心をして、岩をもとの場所にもどして、ふたをしてしまいました。

巨人と怪人


「この穴は、おくが深いし、いくつも枝道がある。もうだいじょうぶだ。けっして、見つかる心配はない。」
 ふくめんの首領は、岩あなを、おくのほうへ、歩きながら、じしんありげに、いうのでした。
「だが、ふしぎですね。陸のほうの出口からは、おまわりが、はいってくるし、鉄の人魚の中には、敵のやつらがはいっているし、魚形潜航艇は、いつのまにか機械がこわれているし、いったいどうしたというのでしょうね。」
 うしろから、首領のあとを追いながら、ジャックが声をかけました。
「うん、どうも、みんな、明智小五郎のしわざらしい。あいつが、どうかして、この洞窟を見つけたのだ。そして、いろんなことを、たくらんだのにちがいない。それにしても、わけがわからないのは、賢吉のやつだ。あのおとなしい子どもが、いつのまに、あれほど、すばしっこくなったのか、じつに、ふしぎだ。」
 岩あなのてんじょうが、グッと、ひくくなってきたので、首領は、背をかがめて歩きながら、うしろのジャックに話しかけます。すると、ジャックは、なにがおかしいのか、クスクス笑って、
「あんたは、まだ、そのわけが、わからないのですかい?」
 と、みょうなことを、いいました。首領はその声を聞くと、びっくりしたように立ちどまって、ジャックの声のするほうを、ふりむきました。
「なんだって? それじゃ、おまえには、わかっているのか。」
「わかってますよ。あの子どもは賢吉じゃないのです。」
「えっ、賢吉じゃない。それじゃ、あれは何者だっ。そして、賢吉はどこへ行ったのだ。」
「賢吉は、おきのハヤブサ丸へ帰りましたよ。」
「どうして、帰ったのだ、まさか、泳いでいったわけじゃなかろう。」
「小船にのって行きました。」
「その小船はどこにあったのだ。そして、だれが、こいだのだ。」
「明智小五郎が、こぎました。船は漁師から、かりたのですよ。明智と賢吉は、親子の漁師のようなふうをして、われわれの目をくらましたのです。」
 それをきくと、首領は、暗やみのなかで、グッとジャックのうでをつかみました。
「きさま、それを知っていて、なぜ、いままで、だまっていたのだ。なぜ、おれに、知らせなかったのだっ。」
「これには、わけがあるのです。あとで説明します。それより、ここはどうも、きゅうくつですね。もっと広いところへ出ましょう。」
「うん、すこしおくへ行けば、また広くなる。こっちへ、くるがいい。」
 首領はそういって、さきにたって、からだをまげながら前にすすみます。十メートルも行くと、広い洞窟に出ました。
「さあ、ここなら、いいだろう。で、賢吉がハヤブサ丸へ逃げたとすると、さっき、おれが追っかけた子どもは、いったい何者だ?」
「明智小五郎の少年助手の小林です。」
「えっ、あれが小林だって?」
「そうですよ。賢吉では、とても、あんなに、すばしっこく働けませんからね。つまり、こういうわけです。明智小五郎は、小林と、マネキンの首と、ワラたばを持って、洞窟にしのびこんだのです。そして、ワラたばに賢吉の服をきせ、人形の首をすげて、ろうやのすみにすわらせておき、賢吉には漁師の子どもの着物を着せて、ハヤブサ丸へつれて帰った。そのあとで、小林が洞窟の中を走りまわって、賢吉がふたりになったように、見せかけたというわけです。」
「だが、待てよ。いったい明智は、どうして、ろうやの戸をひらいたんだ。こわれていないのを見るとかぎでひらいたとしか考えられないが。そのかぎはおまえのほかには持っていないはずだ。おまえ、まさか、明智にかぎを、かしたわけじゃあるまいな。」
「そうですよ。かしたおぼえはありませんよ。」
「それじゃ、明智はどうして、ろうやの戸をひらいたんだ。」
「首領、なぞですよ。ちょっと、おもしろいなぞですよ、とけませんかね。」
 このバカにしたようなことばに、首領はおこり出しました。
「こらっ、ジャック、きさまは、おれをなぶる気か。なぞなぞあそびをやってる場合じゃないぞ。きさまは、なにかまだ、おれに、かくしているな。」
 ジャックは、へいきで、しゃべりつづけます。
「つまり、こういうなぞですよ。かぎは一つしかない。そのかぎは、このジャックが持っていた。ところが、ろうやの戸をひらいたのは明智小五郎だった。この算数のこたえは、どういうことになるのでしょうね。」
 暗やみのなかで、首領はだまりこんでいました。ギョッとして、ことばも出ないのです。やがて、首領のふるえ声が聞こえてきました。
「それじゃあ、きさまは……。」
「ハハハ……、わかったようだね。そのこたえは、ジャックと明智とが、おなじ人間だったというのさ。おなじ人間だから、かぎをかりなくても、よかったのさ。」
 パッと洞窟の中が、明るくなりました。ジャックが、懐中電灯をつけて、じぶんの顔をてらしたのです。そのまるい光のなかに、ジャックではなくて、あのモジャモジャ頭の明智小五郎の顔が、にこにこ笑っていたではありませんか。
 やみの中でカツラをとり、つけまゆげをはがし、顔のけしょうをふきとって、もとの明智に、もどっていたのです。
「きさま、やっぱり、明智だったなっ。」
 懐中電灯の光が、首領のほうへ向けられました。黒ふくめんの怪人は、両手をひろげ、いまにも明智につかみかかろうとする、おそろしい姿をしていました。
「やっとわかったね。きみにしては、ずいぶん、気づくのが、おそかったじゃないか。だが、まだなぞがのこっている。それじゃあ、ほんもののジャックはどこへ行ったのか。いつ、ジャックとぼくとが、いれかわったのか。きみはそれを知りたいだろう。
 ぼくは、この洞窟には、きっと、陸上へのぬけ道があるとおもった。それで土地の漁師に変装して、海岸のがけの上をさがしていると、あの林のなかのぬけあなから、ジャックがはいだしてきた。
 ぼくはジャックのあとをつけていって、ふいに、うしろから、おそいかかって、しばりあげてしまった。そして、むこうの村の警察へ、つれていったのだ。そのときから、警察とは、ちゃんと、うちあわせがしてあったのだよ。
 ぼくは一度ハヤブサ丸に帰って、十三人のはだかの勇士を、海底の洞窟の入口から、しのびこませた。鉄の人魚の中にはいっていたきみの部下を、やっつけたのは、その勇士たちだ。
 それから、ぼくはジャックに変装し、小林をつれて、陸のほうから洞窟にはいり、賢吉君をたすけ出して船に乗せ、ハヤブサ丸に、おくりとどけた。そしてまた、ここへ帰ってきた。ジャックの姿がしばらく見えなかったのは、そのためだよ。
 ハハハヽヽヽ、気のどくだが、鉄の人魚怪物団もこれで全滅だね。」
 懐中電灯のまるい光は、さっきから、ずっと、ふくめんの首領をてらしていました。かれは、まるで黒い石にでもなったように、身動きもしないで、だまりこんでいるのです。明智は、なお、ことばをつづけました。
「きみは鉄の人魚を発明して、世間をあっといわせようとした。うすい鉄のよろいのなかに、酸素のボンベをとりつけて、中にはいった人間が、水のそこでも、へいきでいられるようにした。
 そういうおそろしいやつが、海の中から、ヌーッとあらわれてきたので、それを見た人は、ほんとうの怪物だとおもった。新聞でも、さわぎたてた。
 きみはどうかして、大洋丸の金塊の秘密を、かぎ出して、船長の遺言書を、ぬすもうとしたが、失敗した。そして、賢吉君のおとうさんの宮田さんが、金塊ひきあげをやることになり、ハヤブサ丸が、このおきへ、やってきた。
 きみは、それを知ると、この洞窟に、ねじろをかまえて、金塊をよこどりしようとした。そこで、海底のたたかいがはじまったのだ。それから、いろいろ、きみょうなことがおこった。ぼくたちは、この洞窟の秘密を知らなかったので、ひじょうにふしぎな気がした。
 だが、とうとう、ぼくがこの洞窟を見つけた。そして、ジャックにばけて、ここへはいって、さぐってみると、きみのたくらみや、鉄の人魚の秘密が、すっかりわかってしまった。
 そして、ぼくが勝ったというわけだよ。ところで、いよいよ、きみのそのふくめんを、ぬいでもらおうか。ふくめんの下に、ほんとうのきみの顔が、あるかどうかわからないがね。」
 そういったかとおもうと、明智はサッと首領にとびかかって、黒ビロードのふくめんを、引きちぎるように、はぎとってしまいました。
「二十面相だ! やっぱりきみだったねえ。」
 懐中電灯の光の中に、あらわれたのは、怪人二十面相、あるいは怪人四十面相の、見おぼえのある顔のひとつでした。それが、ほんとうの顔かどうかは、わかりませんが、まえの事件のとき、一度見たことのある顔でした。
 そういわれて、二十面相は、いちじはギョッとしたようですが、すぐ、気をとりなおして、ふてぶてしく笑いました。
「ウフフフ……、明智先生、しばらくだったなあ。で、きみはこれから、どうするつもりだね。」
「きまっているじゃないか。きみを警察にひきわたすのさ。」
「ウフフフ……、いい気なもんだねえ。おれが、おとなしく、きみにつかまるとでも思っているのかい。」
「こうするのさ!」
 明智がパッと、二十面相に、くみつこうとすると、あいては、スルリと、その手の下をくぐって、いきなり洞窟のおくの方へ逃げ出しました。

おばけガニのさいご


 明智は、懐中電灯をふりてらして、そのあとをおいました。が、二十面相の足は、ひじょうにはやく、むこうの岩かどを、まがって、見えなくなってしまいました。
 明智が、その岩かどまで走っていきますと、岩あなが、ふたつに分かれていました。二十面相は、どちらへ逃げたのか、わかりません。明智がそこで、ちょっとためらっていたので、ふたりのあいだは、ますます、へだたってしまいました。
 しかたがないので、一方の岩あなを、懐中電灯でてらしながらすすんでいきましたが、二十メートルもいくと、そこが、いきどまりになっていました。
 おおいそぎで、ひきかえし、もとの分かれみちに、もどりました。そして、もうひとつの岩あなへ、はいっていきました。しばらくすすみますと、むこうの方に、なにかもやもやと、うごめいているものがあります。
 ひどく大きな、気味のわるいものでした。明智は電灯の光を、その方にさしつけました。すると、もやもやしたものの姿が、はっきり見えてきました。
 それは、人間の二倍もある、巨大なカニだったのです。それが、とび出した二つの目で、こちらをにらみつけ、大きなハサミを、ふりたて、ぶきみな八本の足で、ガサガサと、むこうのほうへ、はっていくのです。
 おばけガニです。明智は、じぶんの目では見ていないのですが、いつか、ハヤブサ丸の金塊ひきあげのロープを切ってしまった、あのおばけガニです。
 ほんとうに、そんな大きなカニが、いるわけはありません。鉄板でつくったカニです。そして、その中に二十面相がかくれているのでしょう。
 明智が、その方へ近づくと、おばけガニは、サッとにげ出し、こちらが立ちどまると、カニも、とまって、とび出した目玉を、クルクルまわし、巨大なハサミをふりたてて、「ここまでおいて。」というような、かっこうをします。
 おばけガニは、八本の足で、よこばいをするのですから、とても、にげあしがはやくて、さすがの明智にも、なかなかつかまりません。
 ほら穴は、のぼり坂になり、だんだん、それが、きゅうになってきました。明智は、大ガニを、どこまでも追っていきます。
 こちらがパッと、とびつくと、カニのほうは、ガサッとにげる。そのはやいこと、どうしても、つかまりません。
 ふと、きがつくと、むこうのほうが、ボーッと、明るくなってきました。おやっ、へんだなと思って、よく見ますと、このほら穴には出口があって、そこから、外の光がさしこんでいるのでした。ずいぶん、坂道をのぼったのですから、その出口は、よほど、高いところにひらいているものでしょう。
 おばけガニは、おそろしい、はやさで、その出口にむかって、つきすすんでいきました。そこには、ちょうどトンネルの出口のように、まるい穴がひらいていて、まぶしいほどの明かるさです。
 巨大なカニの、みにくい姿が、その出口に、まっ黒なかげになって、立ちふさがったかとおもうと、穴の外へ、サッと、消えてしまいました。
 明智は、おどろいて、その穴にかけより、外をのぞいたのですが、ひと目みると、クラクラッと目まいがして、おもわず、首をひっこめました。
 その出口は、たかいたかい断崖の上にひらいていたのです。きりたったような岩が、はるか下の方までつづいて、そこに、あわだつ海がありました。海面から何十メートルという高さです。
 そっと、首を出して見ますと、おばけガニは、そのまっすぐの岩はだに、八本の足でつかまって、下へ下へと、おりていきます。ほんとうのカニではありませんから、そんなにうまく、岩がつかめるものではありません。いまにも、すべりおちそうで、見ているだけでも、おしりのへんが、くすぐったくなるようです。
「あっ!」
 明智は、おもわず、声をたてました。おばけガニが、ズルズルと、すべったのです。一度すべりだせば、とても、とまるものではありません。八本の足が、岩はだから、はなれてしまって、大ガニは、サーッと、下へ落ちていきました。そして見る見る、かたちが小さくなり、あわだつ海の中へ消えてしまいました。
 海に落ちても、大ガニのなかの二十面相は、死ぬようなことはなかったでしょう。いつかもあの大ガニは、海の底を、へいきで歩いていたのです。きっと、カニの中にも、酸素のボンベがついていて、二十面相は、それでいきをして、海の底を、はいまわることができるのでしょう。
 かれは、そうして、どこかへ、逃げてしまうのではないでしょうか。しかし、用心ぶかい明智探偵は、こういう場合も、ちゃんと、考えにいれていました。
 さっき、入口の岩を動かして、この岩あなにはいったとき、大いそぎで、手帳の紙をやぶって、鉛筆でなにか書いて、それを岩のすきまから、外へ落としておいたのです。
 首領を追っかけてきた八人の勇士や、小林少年が、それを見つけたに、ちがいありません。そして、そこに書いてある、さしずに、したがって、八人のはだかの勇士は、水中メガネと、ボンベと、水かきをつけて、海底の洞窟の外へ泳ぎだし、そこに待っていた五人の勇士と、いっしょになって、敵が海底に、姿をあらわすのを待ちかまえていることでしょう。
 それは、明智が考えたとおりにはこびました。十三人のはだかの勇士は、洞窟の入口のあたりを、かっぱつに泳ぎまわっていたのです。
 そこへ、海の上のほうから、大きなものが、はげしいいきおいで落ちてきて、スーッと海底に沈んできました。見おぼえのある、おばけガニです。
 十三人の勇士は、それを見ると八方から泳ぎよって、おばけガニに、くみついていきました。
 うす暗い海底の、大格闘です。大ガニは巨大なハサミをふりたて、八本の足を、めちゃくちゃに動かして勇士たちをふりほどこうとしましたが、一ぴきと十三人では、いくらおばけガニでも、かなうはずがありません。長い時間の、おそろしいたたかいののち、おばけガニは、とうとうグッタリとなってしまいました。
 十三びきのアリがコオロギの死がいを、はこぶようなぐあいに、勇士たちはてんでに、おばけガニの足を、ひっぱって、海面に浮きあがってきました。
 すると、そこに、みかたの潜航艇が、ハッチのふたをひらいて、まちかまえていたのです。十三人の勇士は、潜航艇にのぼりつき、おばけガニをかついで、ハッチの中へ落としこみました。
 それから一時間ほどのち、ハヤブサ丸の甲板には、明智探偵と小林少年と十三人の勇士が、もどっていました。そして、甲板の床には、おばけガニのからが、なげだされ、そのそばに、怪人二十面相が、息もたえだえに、よこたわっていました。
 そこには宮田さんや賢吉少年の顔も見えました。それをとりまく、おおぜいの船員は、両手を高くあげて、ばんざいを、さけんでいました。
 そののち、大洋丸の金塊が、のこらず、宮田さんの手にはいったことは、もうすまでもありません。





底本:「鉄塔の怪人/海底の魔術師」江戸川乱歩推理文庫、講談社
   1988(昭和63)年2月8日第1刷発行
初出:「少年」光文社
   1955(昭和30)年1月号〜12月号
入力:sogo
校正:大久保ゆう
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード