仮面の恐怖王

江戸川乱歩




ロウ人形館


 東京上野公園の不忍池しのばずのいけのそばに、ふしぎな建物がたちました。両国りょうごくのもとの国技館をぐっと小さくしたような、まるい建物で、外がわの壁も、まる屋根も、ぜんぶ、まっ白にぬってあるのです。そして窓というものが、ひとつもありません。
 正面に小さな入口があって、その入口の上に「中曾ちゅうそ夫人ロウ人形館」というかんばんがかかっています。
 イギリスのロンドンにタッソー夫人のロウ人形館というのがあって、世界じゅうに知られています。この不忍池のロウ人形館は、それをまねたものなのです。タッソーという夫人の名をフランス読みにすると、チュッソーとなります。「中曾夫人」というのはチュッソーをもじったものにちがいありません。そのまるい建物は二階だてに地下室があり、その中を見物人の歩く道がぐるぐるまわっていて、道のかたがわ、または両がわに、いろいろなロウ人形の場面がつくってあるのです。
 ロウ人形はみんな人間とおなじ大きさで、それに服がきせてあるのですが、ロウでできた顔がまるで生きているように見えるので、じつにきみがわるいのです。
 ロンドンのタッソー夫人ロウ人形館には、歴史上のおそろしい場面や、血なまぐさい場面がいろいろこしらえてあって、女の人などは、ひとりでははいれないということです。
 東京の中曾夫人ロウ人形館も、それをまねたものですから、やっぱり、ものおそろしい場面がおおくて、女の人や、子どもをつれた人は、きみわるがって、めったにはいりません。せっかくつくったロウ人形館もいっこうはんじょうしないのでした。
 ある土曜日の午後三時すぎのことでした。ふたりの少年が、この中曾夫人ロウ人形館へやってきて、入口でキップを買って中にはいりました。
 ひとりは井上二郎いのうえじろう君という中学一年生、もうひとりは野呂一平のろいっぺい君という小学六年生で、ふたりとも胸に少年探偵団のB・Dバッジをつけています。
 井上君は、がっしりとした体格で背もたかく、柔道をならっている強い少年です。野呂君は、少年探偵団員のなかでも、いちばんおくびょうものですが、すばしっこくて、ちゃめで、みんなを笑わせることがうまいので、人気者です。ノロちゃんという愛称でよばれています。
 ふたりは、ロウ人形館のうわさを聞いて、きょうはじめてやってきたのです。探偵団員のことですから、きみのわるいようなものは、一度見ておきたいのでしょう。おくびょうもののノロちゃんも、こわいもの見たさで、力の強い井上君にくっついて、やってきたのです。
 ロウ人形館の入口をはいりますと、うすぐらい廊下がつづいています。見物人の姿はひとりも見えません。なんだか、あき家の中へはいっていくようで、きみがわるいのです。
「いやだなあ。どうして、こんなにさびしいのだろう。見物人は、ぼくたちだけじゃないか。」
 ノロちゃんが、井上君に、からだをくっつけるようにして歩きながら、いいました。
「いや、もっとむこうへいったら、見物人がいるかもしれないよ。だが、だれもいなくったって、いいじゃないか。ふたりきりのほうが、かえっておもしろいぜ。」
 井上君は、さびしいことを、よろこんでいるようです。
 そのとき、うすぐらい廊下の右がわに、ぱっと四角な光がさしました。そこのドアがひらかれたのです。ドアの中には、あかるい電灯がついているのです。
 その電灯の光を背中にうけて、まっ黒な人の姿がドアから出てきました。
「あなたがた、よく来てくれましたね。わたしが、そこまで案内してあげましょう。」
 女の声でした。ドアをしめると、その人のようすがわかるようになりました。三十五―六の、うつくしい女の人です。スカートの長い、まっ黒な服をきて、かみをみょうなゆい方にして、その上にちょこんと帽子をのせています。井上君もノロちゃんも、本で見た明治時代の西洋婦人の絵を思いだしました。
「おばさんは、中曾夫人じゃありませんか。」
 ノロちゃんが、ふと気がついて、ぶえんりょにたずねました。
「ええ、わたしが中曾夫人です。わたしがこのロウ人形館をたて、中にかざってあるロウ人形も、みんなわたしがつくったのです。」
 夫人はとくいらしくいって、さきにたって、ふたりをおくのほうへ案内しました。

鉄仮面


「ごらんなさい。これは世界各国の代表者が集まって、戦争をなくする相談をしているところですよ。」
 廊下の右がわがぱっとひろくなって、そこに、りっぱな広間があらわれました。てんじょうからはギラギラひかる水晶玉すいしょうだまのついたシャンデリアがさがり、ゆかにはまっかなじゅうたんがしきつめられ、壁には大きなだんろ、その上には二メートル四方しほうもあるような鏡がはめこみになっています。
 そのりっぱな部屋のまん中に大きなだ円形のテーブルがおかれ、そのまわりに十人ほどの世界の有名な政治家が、おもいおもいの服装で安楽いすにこしかけています。
 その中には、アメリカのアイゼンハワー大統領の顔が見えます。ソ連のフルシチョフ首相の顔が見えます。それから、中国の毛沢東もうたくとう主席の顔も、インドのネール首相の顔も、それから日本の岸首相の顔もならんでいます。
 それらのロウでできた顔が、あるものはニヤニヤ笑い、あるものはしかめっつらをし、あるものは口をひらいて、なにかしゃべっているのです。
 人間とおなじ大きさのロウ人形です。顔と手足がロウでできていて、からだには、それぞれの国の服がきせてあります。
 ほんとうに生きているようです。いまにも動きだしそうです。
 ふたりの少年はびっくりして、くいいるように、この場面を見つめました。
「どうです。みんな生きているでしょう。しかし、こんな世界会議は、まだひらかれていません。まだ戦争をなくする相談は、なりたっていないのです。この場面はわたしの空想ですよ。こうして、世界の大きな国の代表者たちが一室に集まって、もう、けっして戦争をしないという、もうしあわせをしたら、どんなにいいかとおもうのです。」
 中曾夫人はそういって、なおも説明をつづけるのでした。
 このロウ人形館の中には、こういう場面が二十以上あります。むろん、政治家ばかりではありません。有名などろぼうや名探偵の人形もあります。アルセーヌ=ルパンが、奇岩城きがんじょうの階段をかけおりているところや、シャーロック=ホームズが、悪漢モリアーティとたたかっているところもあります。
 それから、石の牢屋ろうやにとじこめられている鉄仮面、たかい塔の屋根を金色こんじきのヤモリのように、はいあがっている黄金仮面、夜の銀座を四つんばいになって走っている青銅の魔人、地下室の石の階段をおりてくるどくろ仮面、劇場の廊下にあらわれた笑いの面、そのほか、たくさんの仮面の怪人や、人造人間の場面がつくってあります。
「この道を歩いていけば、それらの場面がみんな見られるのです。では、ゆっくりごらんなさい。わたしは仕事がありますから事務室へかえります。」
 中曾夫人はそういって、二少年を、その場におきざりにしたまま立ちさってしまいました。
 ふたりは、しかたがないので、そのまま、おくのほうへ歩いていきました。
 中曾夫人のいったとおり、つぎつぎと、いろいろな場面がありました。怪盗ルパンや、名探偵ホームズのいる、いくつかの場面もありました。そして、つぎの場面には……、
「あっ、小林こばやしさん。」
「あっ、明智あけち先生。」
 井上君とノロちゃんは口々にさけんで、その方へ、かけよろうとしました。そこに名探偵明智小五郎こごろうと、その助手の小林少年が立っていたからです。小林少年は少年探偵団の団長でもあります。
 かけよろうとすると、すぐに、木のてすりにぶつかりました。明智先生と小林少年は、そのてすりのむこうがわに立っているのです。
 よびかけても、なにもこたえません。こちらを見ようともしません。ただ身動きもしないで、つっ立っているばかりです。
「あっ、これもロウ人形だよ。……おどろいたなあ。先生や小林さんと、そっくりの顔をしている。よくこんなににせたものだなあ。」
 井上君がすっかり感心して、うなるようにいいました。
 それから、すこしいくと、鉄仮面の部屋でした。
 石でくんだ、ふるい牢獄です。たかいところに鉄棒のはまった小さな窓があるきりの、くらい牢屋です。そこに、あの有名な鉄の仮面で顔をつつまれた人物が立っています。
 フランスのルイ十四世の時代ですから、今から三百年近くも昔のことです。バスチーユの牢獄に仮面をかぶせられた罪人がおりました。その罪人は牢獄で病死したのですが、死ぬまで仮面をかぶせられたまま、一度も顔を見せたことがないのです。
 いったい、この仮面の囚人は何者だったのでしょうか。それはだれも知らない秘密でした。フランスの小説家たちは、この秘密をいろいろに想像して鉄仮面の小説を書きました。そのために、いっそう鉄仮面の名は有名になったのです。日本にも二つの鉄仮面の小説がほんやくされています。デュマ原作のものと、ボアゴベ原作のものです。
 井上君とノロちゃんが見ているのは、バスチーユの石牢にとじこめられた鉄仮面です。その前に五十歳ぐらいの、がっしりした男が腰をかがめて、なにかしゃべっているところです。牢番なのでしょう。
 鉄仮面は、口のところがちょうつがいでひらくようになっていて、食事をさせるときには、牢番がかぎで、それをひらいてやるのでした。そうして口をふさいでおくのは、むやみにものをいわせないためなのでしょう。
 井上君もノロちゃんも、「鉄仮面」の小説をよんでいたので、このロウ人形の場面を、いっそう、ものおそろしく感じました。
 ふたりは、その場面のまえに立ちつくして、ながい間ながめていました。
「鉄仮面って、いったい、だれだったのだろうね。」
「王さまの兄弟だったともいうし、大臣だったともいうし、僧正そうじょうだったともいうし、まだいろいろの説があるんだよ。とにかく、顔をかくしておかなければならないというのは、世間によく知られた、えらい人だったにちがいないよ。」
 井上君がノロちゃんに話してきかせました。
「あの鉄仮面の中に、どんな顔があるんだろうね。」
「これは人形だから、鉄仮面の中は、からっぽだよ。それとも……。」
 井上君は、そこまでいって、だまってしまいました。
 もしあの鉄仮面の中にロウでつくった人間の顔があるとしたら、それはどんな顔だろうとおもうと、なんだか、こわくなってきたからです。
「つぎの場面へいこうよ」
 井上君はノロちゃんの手をひっぱって、むこうへ歩いていきました。ひとつかどをまがると、そこに、つぎの場面があるのですが、そのかどをまがったとき、ノロちゃんが井上君の手をぐっとひっぱって、あいずをしました。
「あいつに気づかれるといけない。そっと、のぞいてみるんだよ。ほらね、動いているだろう。」
 ノロちゃんは、井上君の耳に口をつけるようにして、ささやきました。
 井上君が、まがりかどから、そっと顔をだして、鉄仮面の場面をのぞいてみますと、そこには、じつにふしぎなことがおこっていたのです。
 ロウ人形の鉄仮面が歩き出したのです。どこにかくしてあったのか、黒いマントのようなものを取り出して肩からはおり、木のてすりをのりこして通路に出ると、そのままスタスタと、むこうへ歩いていくではありませんか。

怪自動車


「ノロちゃん、あいつのあとを尾行しよう。さあ、来たまえ。」
 井上君がノロちゃんの手をひっぱって、鉄仮面のあとを追いました。
 鉄の仮面は目も口もふさがれているように見えますが、鉄板のあわせめに細いすきまがあって、そこから外がのぞけるのでしょう。そうでなければ、鉄仮面があんなにはやく歩けるはずがありません。
 それにしても、じつに異様なできごとでした。ロウ人形とばかり思っていた鉄仮面が、いきなり歩きだしたのです。むろん人形ではなくて、生きた人間にちがいありません。
 鉄仮面は、ふたりが尾行しているとも知らず、通路をグングン歩いていきましたが、ヒョイと立ちどまって、いっぽうの壁をおしますと、そこに秘密のドアがあって、鉄仮面はすいこまれるように中へはいっていきました。
 二少年も、すぐそこへいって、ドアをおしますと、しまりを忘れたらしくスーッとひらきましたので、ふたりとも中へはいりました。
 うすぐらい細い通路があります。一本道なので、そのまま歩いていきますと、ロウ人形館のよこての裏口のようなところへでました。
 外はもう夕ぐれどきでした。むこうに不忍池がひろがっています。うしろには電車通りのネオンがひかっていました。
 見ると、すぐむこうに一台の黒い自動車がとまっています。鉄仮面はマントをひるがえして、そこにかけつけ、自動車の後部席へとびこみ、パタンとドアをしめました。
 すると、それがあいずだったように、車はすぐに走りだし、むこうに遠ざかっていって、やがて夕やみの中にとけこむように、見えなくなってしまいました。
 あいにく、そのへんに、ほかに自動車はなく、二少年は怪人のあとを追うことができませんでした。
 それにしても、なんというへんてこなことが、おこったものでしょう。ロウ人形館の人形が、とつぜん動きだし、館の外に待たせてあった自動車にのって、どことも知れず逃げだしてしまったのです。
 二少年は、あまりのふしぎさに、しばらくは、ぼんやりと、そこに立ちつくしていましたが、やがて気を取りなおすと、このことを中曾夫人に知らせるために、正面の入口へといそぐのでした。
 ふたりはキップ売場からはいって、廊下にあるさっきのドアをノックしました。
「おはいりなさい。」
 中から中曾夫人の声がこたえました。
 二少年はドアをひらいて、中にはいりました。
 そこは夫人の事務室らしく、まんなかに大きなデスクがあり、その上に、いろいろな書類がつみかさねてあります。夫人がこしかけているうしろには大きな本だながあって、西洋の本や日本の本がぎっしりつまっています。
「ああ、さっきのぼうやたちですか。ひどくあわてているじゃありませんか。」
 明治時代の洋装をして、帽子をかぶったまま、中曾夫人はいすから立って、二少年のほうへ近寄ってきました。
「鉄仮面が逃げだしたんです。」
「裏口から出て、自動車にのって、どっかへいってしまいました。」
「え、なんですって?」
 夫人は、びっくりしたように、聞きかえします。
「あのロウ人形の鉄仮面が逃げたのです。」
 それを聞くと、夫人は笑いだしました。
「あなたがた、ゆめでも見たのですか。ロウ人形が歩きだすなんて、そんなばかなことがあるもんですか。」
「いいえ、ほんとうです。うそだと思うなら、鉄仮面の場面を見てください。あそこには牢番が残っているばかりです。」
「よろしい。では、見にいきましょう。あなたがたも、いっしょに来てください。」
 夫人はそういって、さきにたって部屋の外へ出ると、グングンそのほうへ歩いていきました。二少年もそのあとにしたがいます。
 いろいろな場面をとおり過ぎて、鉄仮面の場面にたどりつきました。
「やっぱり、あなたがた、ゆめでも見たのでしょう。鉄仮面は、あそこにいるじゃありませんか。」
 少年たちは「あっ。」とおどろきました。
 夫人のいうとおり、鉄仮面はいつのまにか、ちゃんと、そこへもどっていたではありませんか。もう黒マントはぬいで、どこかへかくしてしまったらしく、もとのとおりの姿です。
「ふしぎだなあ、ゆめじゃありませんよ。ぼくたちふたりが、この目で見たんです。自動車にのって逃げてしまった鉄仮面が、どうして、ここへもどったのでしょう。ぼくには、なにがなんだか、さっぱり、わけがわかりません。」
 井上君はそういって、しばらく考えていましたが、ふと気がついたように、
「ぼく、あの人形にさわってみてもいいでしょうか。」
「ええ、よろしいとも、ふたりとも、中にはいって、さわってごらんなさい。」
 そこで、井上君とノロちゃんは、木のてすりをまたいで石の牢屋の中にはいり、鉄仮面のそばに寄って、そのからだにさわってみました。
 からだをたたくと、コツコツ音がしました。両手は、たしかに、つめたいロウでできていました。足もよくしらべましたが、やっぱり、ズボンの中には、木のようにかたいものがあるばかりでした。
「へんだなあ。これはたしかに人形です。でも、こいつは、さっき歩いてここから出たのです。そして自動車にのって、逃げていったのです。」
 井上君が、ふしぎでたまらないという顔で、つぶやきました。

星の宝冠


 おはなしはかわって、その日の夜のことです。みなと区の有馬大助ありまだいすけ君という少年のおうちに、おそろしいことがおこりました。鉄仮面はやっぱりロウ人形館からぬけだして、有馬君のおうちへ、しのびこんでいたのです。有馬君のおうちは大きな西洋館で、おとうさんは、ある会社の社長さんでした。大助君は、その長男で、小学六年生なのです。
 大助君は、そのばん十一時ごろ、ふと目がさめて、お手洗いへいきたくなったので、パジャマのままベッドを出て、用をすませ、廊下をもどってきました。
 その広い廊下のすみに、西洋のむかしのよろいがかざってあります。銀色にみがいた鉄のよろいです。おなじ銀色の西洋のかぶととほおあてをつけているので、まるで人間が、よろい、かぶとをきて、立っているように見えます。
 夜なんか、その前をとおると、きみがわるいようです。大助君は、なれているので、べつに、こわいとは思いませんでしたが、とおりがかりに、ふと、そのよろいを見ますと、どこかしら、いつもとは、ちがっているような気がしました。
 へんだなとおもって、じっと見なおしました。
 ああ、そうです。かぶととほおあてがいつもとちがっているのです。色はおなじ銀色ですが、形がちがうのです。
「あっ! 鉄仮面だっ。」
 大助君は、おもわず、心の中でさけびました。
 大助君は、「鉄仮面」という小説を読んだことがあります。いま、目の前にあるよろいの頭のところは、その小説のさしえにかいてあった鉄仮面と、そっくりではありませんか。
 きみがわるくなったので、大助君は、そのまま、廊下のかどをまがりましたが、やっぱり気になるものですから、そのかどから、そっと、目だけだして、よろいのほうを見ていました。
 すると、ク、ク、ク、ク……という、みょうな音が、どこからか聞こえてきました。人間が声をたてないで、笑っているような音です。
 もしかしたら、あの鉄仮面をかぶったよろいの中に、人間がかくれているのではないか、と思うと、大助君はゾーッと、かみの毛がさかだつような気がしました。
 そのときです。こんどは、もっとおそろしいことがおこりました。
 鉄仮面の頭をもった西洋のよろいが動きだしたのです。
 はじめは、ゆらゆらと、からだを前後に、ゆりうごかしていましたが、やがて、銀色のよろいがノッシ、ノッシと歩きだしたではありませんか。
 大助君はびっくりして、逃げだそうとしましたが、あいては、そのまがりかどに大助君がかくれているのを、はやくも、さとったらしく、ぱっと、こちらへ、とびかかってきました。
 そして、銀色にひかった鉄仮面が、大助君の目の前いっぱいにひろがり、銀色のよろいの手が、ギュッと、大助君の肩をつかみました。
「たすけてくれーっ……。」
 さけぼうとしましたが、その口を、いきなり、怪物の鉄の手でふさがれてしまいました。
 それから、鉄仮面は大助君をだきあげて、寝室の中にはこび、ベッドのシーツをひきさいて、大助君にさるぐつわをはめ、手足をしばり、外に出てドアにかぎをかけると、そのまま、どこかへ立ちさってしまいました。
 それから、しばらくして、鉄仮面は、有馬家の美術室に、そのぶきみな姿をあらわしました。
 大助君のおとうさんの有馬さんは、まだおきていて、書斎で手紙を書いていましたが、美術室の仏像をしらべてみなければならないことがおこりましたので、美術室へやっていきました。
 そして、ドアをひらくと、美術室の中に、みょうなものが動いているのが見えましたので、いそいでドアをしめ、ごくほそいすきまを残して、そこから部屋の中をじっとながめました。
 美術室には、たくさん棚があって、そこにいろいろの美術品がならべてあるのですが、壁ぎわに金庫がおいてあります。それには、美術品のなかでも、いちばんだいじなものが、しまってあるのです。
 その金庫の前に西洋のよろいが、うずくまって、ダイヤルをまわしているではありませんか。廊下においてあったよろいが、ここまで歩いてきて金庫をあけようとしているのです。
 有馬さんは、よろいの頭が鉄仮面にかわっているとは、気がつきませんが、いずれにしても、よろいの中に人間がはいっていることはたしかです。
 どろぼうが昼間のうちに、やしきにしのびこみ、よろいの中にかくれていて、夜がふけるのを待って、金庫の中のものをぬすもうとしてやってきたのです。
 有馬さんは、そっとドアをしめて、いそいで書斎へひきかえしました。そして、そこの卓上電話の受話器を取りあげると、知りあいの私立探偵明智小五郎の事務所をよびだすのでした。
「明智先生ですか。わたし、いつかおせわになりました有馬です。いま、わたしのうちに、へんなことが、おこっているのです。廊下にかざってあった西洋のよろいの中に、だれかがはいって、美術室の金庫をあけようとしているのです。金庫の中には『星の宝冠』というわたしの家の宝物が、はいっています。すぐに来てくださいませんか。……むろん警察に知らせます。しかし、これはどうも、ふつうのどろぼうじゃありません。やっぱり、あなたに来ていただかないと、安心できないのです……。」
 そこまで話したとき、書斎のドアがスーッとひらきました。そして、そこに銀色にひかる西洋のよろいがたっていたではありませんか。
「明智小五郎に電話をかけたな。明智をよぼうというのか。そうはさせないぞ。」
 鉄仮面のすきまから、しわがれた、ふとい声がもれてきました。
 有馬さんは、あまりのことに、ぼうぜんと、立ちすくんだまま、ものをいう力もありません。
 鉄仮面は、ツカツカと有馬さんのそばに寄ってきました。そして有馬さんの手から受話器をひったくると、それを左手に持ち、右手にはピストルをかまえて、有馬さんが声を立てないようにおどしつけながら、電話口の明智探偵に話しかけるのでした。
「明智君だね。おれはどろぼうだ。てごわいどろぼうだ。せけんでは、おれのことを恐怖王きょうふおうとよんでいるよ。このうちへは『星の宝冠』をもらいにきた。金庫のあけかたも、ちゃんと研究しておいたので、わけなく宝冠を手にいれることができたよ。ハハハハ……。だから、もうきみは来なくてもよろしい。来ても、しかたがないのだ。きみがここへつくころには、おれは遠くへ立ちさっているからね。」
 すると、電話のむこうから、明智探偵のおちついた声がそれに答えました。
「きみが来るなといっても、ぼくは有馬さんにたのまれたのだから、いかなければならない。きみは逃げだすだろうが、どこへ逃げても、きっと、つかまえてみせるよ。きみは、そのうちに、なにかてがかりを残している。指紋なんか、いくらふきとってもだめだ。もっとほかの、目に見えないてがかりが、いくつも残っているはずだ。ぼくはそれをさがす。そしてきみが何者であるかを、つきとめ、かならず、とらえてみせる。ハハハ……。それが、ぼくの仕事だからね。」
 名探偵の自信ありげな声を聞くと、鉄仮面はいらいらしてきました。
「よしっ、それじゃあ、かってにしろ。おれのほうにも、考えがある。いまに、こうかいするんじゃないぞ。きさまは、おれが、どれほどの力を持っているか、まだ知らないのだからな。ワハハハハ。」
 そこで、いきなり電話をきると、こんどは、べつの番号をまわして、だれかをよびだし、暗号のようなことばで、なにかしばらく話していましたが、そばに立っている有馬さんにも、そのいみは、すこしもわかりませんでした。そのあいては、おそらく、どろぼうの手下かなんかだったのでしょう。

ふしぎな部屋


 おはなしかわって、ここは明智探偵事務所の一室です。
「ハハハハ……、おもしろくなってきたぞ。てごわいどろぼうが、あらわれたぞ。小林君、有馬さんの有名な『星の宝冠』がぬすまれてしまった。そいつから、いま電話がかかったのだ。ぼくに来ちゃいけないって、いったよ。やっぱり、ぼくがこわいんだね。だから、すぐいくことにする。自動車をよんでくれたまえ。」
 明智探偵が、そばにいる助手の小林少年にいいつけました。
「先生ひとりですか。ぼくは、いかなくていいのですか。」
 小林少年が、ふふくそうにいいます。
「きみは、留守番だ。ぼくに万一のことがあったとき、ぼくをたすけるのが、きみの役だからね。きみとぼくとは、なるべく、はなれているほうがいい。」
 そういわれると、小林少年も、かえすことばがありません。すなおにハイヤーの会社へ電話をかけました。
 しばらくすると、明智の事務所のある高級アパートの入口で、自動車のクラクションがなりました。「おむかえにきました。」というあいずです。明智探偵は小林少年に留守をたのんで、ひとりで玄関から出てきました。そして、そこの大通りにとまっている自動車のほうへ歩いていきます。すると、そのとき、へんなことがおこったのです。アパートの前のくらやみの中から、ひとりの男が、とびだしてきました。三十ぐらいの、よたもののようなやつです。その男が明智探偵のうしろへ、そっと近寄っていくのです。自動車のドアはあいていました。明智はその中へはいろうとしましたが、なにを感じたのか、はっとしたように身をひきました。いつもの自動車とちがっていることがわかったからです。運転手もへんなやつだし、うしろの席に、見かけたことのない男が腰かけていたのです。
 身をひこうとすると、うしろから、どんと、ぶつかってくるものがありました。さっき、やみの中からあらわれた、よたものみたいなやつです。
 そいつは、明智のからだをグングン自動車の中へ、おしこもうとします。すると、中にいたやつも腰をあげて、明智の首に腕をまきつけ、ちからいっぱい、車の中にひっぱりこむのです。
 あいてはふたりのうえ、ふいをつかれたので、さすがの名探偵もどうすることもできません。もう十二時に近い夜ふけですから、人どおりもなく、だれもたすけにきてくれるものはありません。
 しかたがないので、大きな声でさけぼうとしました。すると悪者は、はやくも、それをさっして、白いハンカチのようなもので、明智探偵の口と鼻をふさいでしまいました。
 ツーンと頭にひびくような、いやなにおいがしました。麻酔ますい薬です。……まもなく、名探偵は、自動車の中で気をうしなっていました。
     ×  ×  ×  ×
 明智探偵は、ゆめからさめたように、ふと目をひらきました。
 見まわすと、なかなか、いごこちのいい部屋です。せまい部屋ですが、一世紀もまえのフランスの客間を思いだすような、ぜいたくな、うつくしい部屋でした。
 てんじょうからは水晶玉でかざったシャンデリアがさがり、白くぬった、きゃしゃなテーブル、ふかぶかとしたクッションの、りっぱな長いす。
 明智は、やっと思いだしました。
「ああ、ぼくは、悪者につかまえられたのだ。そして、麻酔薬をかがされて、気をうしなってしまったのだ。」
 まだしばられているのではないかと、手足を動かしてみましたが、まったく自由でした。ただ長いすの上によこになって、グッスリねむっていたらしいのです。
 そのとき、明智が目をさますのを待ちかねていたように、ドアがあいて、ひとりのうつくしい少女がはいってきました。高校生ぐらいの年ごろです。手にはコーヒーをのせた銀のぼんをささげています。
「お目ざめになりまして?」
 少女は銀のぼんをテーブルの上において、やさしく明智探偵に話しかけました。
「ほんとうに、たいへんでしたわね。でも、どこもおいたみになりません。」
 明智探偵は、ゆめみたいな気持で、しばらくぼんやりしていましたが、どうもわけがわかりません。
「ここは、いったいどこの、おうちなんでしょう? そして、あなたは?」
と、たずねてみました。
「あなたを、おたすけしたひとのうちですわ。あたしは、そのうちのむすめです。」
「そうでしたか。ぼくは悪者のために自動車におしこまれ、麻酔薬をかがされて気をうしなってしまったのですが、あれから、どのくらい時間がたったのでしょう。そして、ここは、やっぱり東京なのでしょうか。」
「ええ、まあ、そうですの。でも、あなたは、まだ、いろいろなこと、お考えにならないほうがよろしいですわ。」
「なあに、もう、だいじょうぶですよ。どこも、なんともありません。すこし、頭がフラフラするぐらいのものです。」
 明智はそういって、長いすの上に、おきなおってみせました。しかし、そうして身をおこしてみると、やっぱり、からだがほんとうでないのか、部屋ぜんたいがグラグラゆれているように感じて、おもわずいすの上に手をつきました。
「まだ、だめです。めまいがします。なんだか、この部屋がフワフワと、宙にういているような気持です。」
「ほら、ごらんなさい。むりをしてはいけませんわ。」
「しかし気分はなんともないのです。どうか、ご主人にあわせてください。おれいをいわなければなりません。」
「そんなことはいいんですの。それに、いま主人はおりませんし……。」
 そのとき、明智は、この小部屋のつくりかたが、どうも、ふつうでないことに、やっと気がつきました。
「おやっ、この部屋には窓がひとつもありませんね。だから、昼間でも、こうして電灯をつけておくのですか。みょうな部屋ですね。いったい、いまは昼ですか、夜ですか。」
「夜ですの。いま八時ですわ。」
「いく日の?」
「十六日。」
 少女はそう答えて、口に手をあててクスクス笑いました。
「ぼくが自動車におしこめられたのは、十五日のばんだから、あれから、まる一日たっているわけだな。」
と、ひとりごとをいったものの、なんだかへんな感じです。この少女の、みょうになれなれしい口のききかた、窓のひとつもない部屋、それに、いつまでたっても、部屋がユラユラゆれているような感じ。
「この部屋は、いったい、何階にあるのです。なんだか、いつもユラユラしていて、高い塔の上にでも、いるような気持ですね。」
「そうかもしれませんわ。」
 少女は、心の中で笑っているような口ぶりです。
「でも、いごこちは、わるくないでしょう。しばらく、おとまりになる間、できるだけ、お心持ちのいいようにと、いいつけられていますのよ。お気にめさないことがありましたら、なんでも、おっしゃってくださいまし。」
 少女はなかなか、おせじがいいのです。
「しばらく、おとまりですって? じょうだんじゃありません。ぼくは、だいじな用件があるんですよ。」
 明智探偵は、あきれかえってしまいました。まるでキツネにつままれたような気持です。
「いいえ、そんなにおあせりになっては、だめですわ。なにもお考えなさらないほうがいいわ。」
 少女は、まるで、きのどくなきちがいでもなぐさめるような調子で、
「では、のちほど、またまいりますわ。さめないうちにコーヒーを、めしあがってくださいまし。」
 少女はそういいすてて、逃げるようにドアのほうへいきますので、明智は、「まってください、まってください。」と、よびかけながら、いすから立ちあがって少女のあとをおいかけようとしましたが、二―三歩あるくと、なにかに足をとられて、バッタリたおれてしまいました。
「ホホホホ……、ほらごらんなさい。ですから、じっとしていらっしゃるほうがいいのよ。」
 少女はあざけるようにいって、ドアのほうへ歩いていきました。
 気がつくと、明智探偵の足くびに、鉄の輪がはめてあって、それについた鉄のくさりが、長いすのあしに、くくりつけてあることがわかりました。まるで動物園のクマのように、そのくさりののびるだけしか、動けないのです。

道化の仮面


「きみ、きみ、ぼくはお手洗いにいきたいんだ。このくさりを、はずしてくれたまえ。」
 明智は、ドアをしめようとしている少女に、大きな声でよびかけました。
 それを聞くと、少女は、しぶしぶもどってきました。
「ほんとうですか。ほんとうに、お手洗いにいらっしゃるのですか。」
「ほんとうです。どうか、くさりをといてください。」
 それをきくと、少女は明智の足もとにうずくまり、ポケットから小さなかぎをだして、足くびの鉄の輪をパチンとはずしてくれました。
 ドアのそとの廊下にある手洗い所へいって、そこから出ますと、明智はニコニコして、いうのでした。
「これで、ぼくは自由の身になったわけだね。逃げようと思えば逃げられるね。」
 すると、少女は、びっくりして、いきなり服のうしろから小さいピストルを取りだし、明智にねらいをさだめました。
「逃げてはいけません。どうしたって、逃げられないのです。どうか、逃げないでください。おねがいです。」
 少女は、かなしそうな顔で、ほんとうに、たのんでいるのです。明智は、にわかに笑いだして、
「じょうだんだよ、じょうだんだよ。逃げたりなんかするものか。」
と、安心させておいて、少女がゆだんするのをみすまして、あいてにとびつき、そのピストルをうばいとってしまいました。
「あっ、いけません。あなたは、なにもごぞんじないのです。いけません、いけません……。」
と、とりすがる少女をふりはらって、走っていこうとしますと、とつぜん、明智の背中に、コツンと、かたいものがあたりました。
「手をあげろ。ピストルをなげろ。でないと、きみの背中にあながあくぞ。」
 背中のかたいものは、ピストルのつつ口でした。そして、ふたりのふくめんの男が、そこに立っていたのです。
 明智探偵は、もとの部屋につれもどされ、こんどは長いすではなくて、ふつうのいすに、なわでぐるぐるまきに、しばりつけられてしまいました。
「ハハハハ……、おとなしくしていれば、足の鉄の輪でよかったのだが、つまらないまねをするもんだから、身動きもできなくなってしまった。ざまあみるがいい。」
 ふたりの男は、にくにくしげに、いいすてて、少女といっしょに外へ出ていってしまいました。そして、ドアにはパチンとかぎがかけられたのです。
 明智探偵はいすにしばりつけられたまま、しばらくは、ジッとしていました。
 なかなか、てごわいあいてです。少女ひとりと思ってゆだんしたのが、いけなかったのです。
「それに、この部屋は、どうもへんだ。」
 だいいち、窓というものが一つもありません。それに、まるで高い塔のてっぺんにでもいるように、部屋ぜんたいがフワフワとたえず、ゆれているのです。
「いや、それだけじゃない。この部屋には、なにか、しかけがしてあるような気がする。さっき目をさましたら、すぐに少女がはいってきたのも、ふしぎだ。どこかから、だれかが、のぞいているのかもしれない。」
 明智探偵はそう思って、しばられたまま、ぐるっと部屋の中を見まわしました。
 壁にはいろいろな油絵や、南洋の土人のつくったお面や、おかしな道化師のお面などがかけてあります。
 明智探偵は、その壁を、あちこちとながめていましたが、やがて、その目は道化師の面の上に、ぴたりと、とまってしまいました。
 壁のようにおしろいをぬった顔、まっかな、まんまるい鼻、両方のほっぺたに、あかい日の丸、糸のようにほそい目の、上下のまぶたに、たてに黒い線がかいてある。そして、白赤だんだらのとんがり帽子をかぶった西洋道化師の土でできたお面です。
 明智探偵は、そのお面を、なぜか、あなのあくほど見つめているのです。
 探偵の目とお面の目とが、まっ正面にむきあって、まるで、にらめっこでもしているようにみえました。
 しばらく、そうしているうちに、明智探偵の顔がニコニコと笑いの表情になりました。すると、ああ、ごらんなさい。壁にかけてある道化師のお面もニヤッと笑ったではありませんか。
「アハハハハ……、おい、そこの、ピエロ君。きみは生きた人間だね。壁のあなから顔を出して、お面のようにみせかけているんだね。そうして、ぼくを見はっているんだろう。」
 明智に見やぶられて、壁のお面がかっと目を見ひらき、口をうごかして答えました。
「やっと、わかったね。だが、名探偵明智小五郎にしては、ちと、おそすぎたよ。」
 その壁には、もともと、土でできた道化師のお面がかけてあったのですが、悪者は、じぶんの顔に、そのお面とおなじけしょうをして、ときどき壁のあなからお面をひっこめ、そのあとへ自分の顔をつきだして、明智のようすを見はっていたのです。
「しかし、そんなことをしていては、きみもくたびれるだろう。どうだ、こちらへ、はいってこないか。」
 明智が、まるで、友だちにでもいうように話しかけました。
「そりゃ、くたびれるがね。だが、いくらくたびれたって、きみのさしずはうけないよ。」
 道化仮面が、あつい、まっかなくちびるを動かして答えます。
「いや、じつは、きみにたのみがあるんだよ。」
「たのみ? ずうずうしいやつだな。まあ、いってみるがいい。どんなたのみだ。」
「タバコがすいたいんだ。」
「フフン、タバコがすいたいから、なわをとけというのか。そうはいかない。」
「いや、なわはとかなくてもいい。ぼくのポケットのシガレットケースから、タバコを一本だして、ぼくの口にくわえさせ、火をつけてくれればいいんだ。まる一日タバコをすっていないので、食事よりなにより、まずタバコがほしいのだよ。」
「アハハハ……、そうか。おれもタバコずきだから、その気持はわかるよ。よし、それじゃ、そこへいって、タバコをすわせてやろう。」
 そういったかとおもうと、道化仮面がひっこんで、そのあとへ、ほんとうの土のお面がいれかわりました。

名探偵の冒険


 やがて、ドアがひらき、顔だけ道化師で、からだはぴったり身についた黒シャツと黒ズボンの男が、部屋にはいってきました。
「シガレットケースは、どこにはいっているのだ。」
「ここだよ。右の内ポケットだよ。」
 男が探偵の胸に手をいれてケースを取りだすと、パチンと、それをひらきました。
「なんだ、一本しかないじゃないか。」
「一本でもいいよ。ともかく、すわせてくれ。」
「さあ、それじゃ、これをくわえるがいい。ライターをつけてやるからな。」
 道化仮面の男が、一本のタバコをくわえさせ、火をつけてくれました。
「まあ、ゆっくりやりたまえ。おれもあっちで、ひとやすみするからな。」
 道化仮面はそういって、外へでていきました。
 あとにのこった明智探偵はいすにしばりつけられたまま、さもうまそうに、タバコをすいながら、壁の道化師の面をジッと見つめました。
 土でできたお面です。まだ人間の顔とは、いれかわっていないのです。
 いつまでたっても、いれかわるようすがありません。道化仮面の男は、ほんとうに、ひとやすみしているのでしょう。
 明智探偵はタバコをくわえたままニヤリと笑い、スパスパとおおいそぎで、タバコをすいだしました。なにかわけがありそうです。
 タバコが、くちびるのそばまで、もえていきました。ふしぎなことに、もえた灰はパラパラとおちますが、タバコの長さはすこしもかわらないのです。しかも、もえたあとが、銀色にピカピカひかっているではありませんか。
 明智探偵は、タバコをくわえたまま、グッとうつむいて、胸をしばってあるなわに、タバコの銀色のところを近づけました。
 タバコの火で、なわを焼ききるつもりでしょうか。それはだめです。新しいあさなわですから、とてもタバコの火をつけることはできません。
 明智は、タバコの火のところを、そのあさなわに、こすりつけて消してしまいました。すると、あとには銀色の細いナイフの刃のようなものが残りました。
 明智はその刃でゴシゴシと、あさなわをこすりはじめたのです。
 ナイフの刃にはがついていて、その柄を歯でぐっとかみしめ、顔ぜんたいを上下に動かして、あさなわをこするのです。
 タバコの中に、ほそいナイフがかくしてあったのです。それを一本だけ、シガレットケースに入れておいて、悪者に、そのタバコを口にくわえさせてもらったのです。
 悪者のほうでは、明智がほんとうにタバコがすいたいのだと思って、べつにうたがいもせず、それをくわえさせて火をつけてやりました。
 ああ、なんという、うまい考えでしょう。このナイフ入りのタバコをもっていれば、いくらしばられても、平気です。それで胸のなわを一本だけきってしまえば、あとは、なんなく、なわをとくことができるからです。
 二分間ほど、ゴシゴシやっていますと、なわがプッツリきれました。それから、からだをゆり動かすと、いくえにもまいたなわが、だんだんとけていって、とうとう手も足も自由になりました。
 いすをはなれて、そっとドアに近寄り、そとのようすに耳をすましたうえで、しずかにひらきました。だれもいないようです。廊下に出ました。まっすぐに、すすんでいきます。
 廊下のつきあたりに、せまい階段がありました。足音をしのばせて、それをのぼると、ドアにつきあたりました。また耳をすましてから、そっとそれをひらきました。
 外はまっくらです。そして、ふしぎなことに、海のにおいがしました。
「おーい、にげたぞーっ。明智探偵がなわをきって、にげたぞーっ。」
 どこからか、さけび声が聞こえてきました。
 明智は、まっくらな中をかけだしました。足もとがユラユラとゆれているような気がします。
 うしろから、パン、パンと、ピストルの音がしました。おどかしに、わざとねらいをはずしてうったのでしょう。
 明智探偵は、むちゅうになって走りました。十メートルほどいくと、なにか、かたいものにぶつかりました。階段のてすりのようなものです。
「ワハハハハ……、おどろいたか、明智先生。ここをどこだと思っているんだ。きみはおよぎができるのか。いやさ、この広い海がおよぎきれるとでもいうのか。」
 道化仮面の声です。はっとして、てすりの下をのぞくと、星あかりに、それとわかる水、水、水。まっ黒にうねる、はてしもしらぬ広い海です。
 ああ、ここは船の上だったのです。どこともしれぬ広い海をすすんでいる汽船の上だったのです。さっきの部屋に窓のなかったのも、ユラユラゆれているように感じたのも、そのためでした。
 まさか汽船の上とは、気がつきませんでした。ゆうべ自動車の中で、ねむらされてから、東京港で汽船にのせられ、その汽船がこの広い海へすすんで来たのでしょう。
 じぶんで「恐怖王」となのっている怪盗は、こんな大きな汽船までもっているのです。よほど大じかけな盗賊団にちがいありません。その首領の「恐怖王」とは、いったいどんなやつでしょう。もしかしたら、さっき、船室の壁から顔を出していた道化仮面の男が、その「恐怖王」なのではないでしょうか。
 明智探偵は盗賊のために、汽船の甲板かんぱんのてすりまで追いつめられたのです。もう海へとびこむほかに逃げみちはありません。
 探偵は水泳はよくできました。しかし、この広い海へとびこんで、陸地までおよぎつくなんて、とてもできることではありません。さすがの名探偵も、ぜったいぜつめいです。
 明智は、とっさに、いそがしく頭をはたらかせました。こういうときこそ、おちつかなければいけない。そして、うまい知恵をしぼりださなければならない。
「ワハハハ……、どうだ、明智先生、この海がおよげるかね。ワハハハハ……。」
 道化仮面の声が、近づいてきました。
 そのとき、明智の頭にチラッと名案がうかんだのです。
「このくらいの海が、およげないで、どうするものかっ。」
 そうさけんでおいて、足もとにころがっていた小さなたるを、海の中へけるがはやいか、てすりをのりこし、さかさまになって、海へとびこんだように見せかけました。
 そのとき、海面におちたたるがボチャーンと、まるで人間がとびこんだような水音をたてました。
 しかし、とびこんだのはたるばかりで、明智探偵は船のふなべりにぶらさがって、身をかくしていました。いのちがけの、はなれわざです。
「やっ、とびこんだぞ。ボートを出せ、ボートを出せ。」
 道化仮面のわめき声が聞こえ、二―三人が船のトモ(うしろ)のほうへ走っていく足音。
 汽船のトモに、ふつうのボートが一そうつないであり、盗賊たちはそのボートをたぐりよせ、なわばしごをつたって、それにのりこむとオールをあやつって、そのへんの海面をしきりにさがしはじめました。
 明智探偵はふなべりからぶらさがっているのですが、黒い服をきているので、遠くからは気がつきません。そのまま、はんたいがわへ、こぎさっていきました。もうだいじょうぶです。明智はふなべりをはいあがって、まっくらな甲板に身をふせました。
 そこに、なにかの箱がおいてあったので、その箱のかげにかくれてじっとしていました。
 すると、コトコトと、甲板を歩いてくる足音が聞こえます。むろん船の上には、まだ賊のなかまが残っているはずです。そいつが海をこぎまわっているボートを見るために、やって来たのかもしれません。
 箱のかげの明智は、あいてのやって来るはんたいがわにまわって、そこにねそべってじっと息をころしていました。
「おーい、明智はみつかったかあ……。」
 おやっ、聞きおぼえのある声です。もしかしたらと、そっと箱のかげから顔を出してのぞいてみますと、そいつは道化仮面のあの男でした。どうも、こいつが首領らしいのです。首領とすれば鉄仮面にばけたやつ、そして「恐怖王」となのる、あの悪人にちがいありません。
 明智探偵は、じっと、そいつのうしろ姿を見つめました。右手にピストルをにぎっています。星あかりに、それがぼんやりと見えるのです。
「かしらあ……、どこへ、もぐっちゃったのか、どうしても、みつかりませんよう……。」
 下のボートからさけんでいるのが聞こえました。
「そんなはずはないぞう……。船のそこに、くっついているかもしれんから、船のまわりを、ぐるっと、まわってみろよう……。」
 道化仮面が、さけびかえしました。
 そのときです。
 明智探偵は、箱のかげから、ぱっと、とびだして、道化仮面にぶつかっていきました。そして、まずピストルを、たたきおとしてしまったのです。
「やっ、きさま、だれだっ……。」
 道化仮面は、いきなりくみついてきました。そして、ふたりは、とっくみあったまま、まっくらな甲板の上に、ころがってしまいました。

名探偵の変装


 それから、大格闘がはじまったのです。上になり、下になり、ふたりは、まっくらな甲板の上をゴロゴロと、ころがりまわっていましたが、とうとう明智が上になり、道化仮面はくみしかれたまま動かなくなってしまいました。明智は柔道の手で、あいてののどをしめ、きぜつさせてしまったのです。
 あたりを見まわしましたが、甲板には人かげもありません。ふたりは、だまってとっくみあっていたので、船室にいる部下たちはなにも知らないのです。
 明智探偵は、ぐったりとなった道化仮面のからだを、甲板のものかげへひっぱっていって、じぶんの服をぬいで、あいてにきせ、あいての道化仮面をはずして、じぶんの顔にかぶり、とんがり帽子もとって、じぶんの頭にかぶりました。
 人間のいれかわりです。ぐったりとたおれているのが明智探偵で、立っているのが道化仮面の恐怖王としか思われません。
 明智探偵は、なにか冒険をやらなければならないようなときには、ワイシャツの下に、ぴったり身についた黒シャツと黒のズボン下をつけて出ることにしていました。きょうも、それを着ていたので、仮面さえつけて、服やワイシャツをぬぎさえすれば、賊の首領になりすますことができるのでした。
 それから、ながいなわをもってきて、首領の手足をぐるぐるまきにしばり、さるぐつわをはめたうえで、首領のからだの急所をぐっとついて、息をふきかえさせました。
 息をふきかえしても、賊は手足をしばられているうえに、さるぐつわをはめられているので、どうすることもできません。
 明智は、そのへんにまるめてあったズックのきれをひろげて、首領のからだにかぶせました。そして、じぶんは甲板におちていた、さっきのピストルをひろいとると、賊の首領になりすまして、船室へはいってくるのでした。
 そして、いちばんりっぱな部屋へはいっていき、あたりを見まわして、つくえの上のよびりんのボタンをおしました。
 すると、ひとりの部下があらわれ、
「かしら、なにかごようで……。」
と、たずねました。
「うん、おまえは知っているだろう。れいの『星の宝冠』を、おれがどこへしまったか、いってみろ。」
 明智は賊の首領のドラ声をまねて、わざとらんぼうにいいました。
「へっ、かしらは、じぶんで、しまっておいて、忘れちゃったんですかい。」
 部下は、へんな顔をして、聞きかえします。
「いや、おれはむろん知っているよ。だが、おまえが知っているかどうか、ためしてみるんだ。さあ、どこだ。いってみろ。」
「きまってるじゃありませんか。いつも、かしらが、いちばんだいじなものをしまっておく、その戸棚とだなですよ。」
「うん、そうか、ここだな。だが、かぎがかかっている。おまえはかぎがどこにあるか知っているか。」
「つくえのひきだしですよ。右がわのいちばん上のひきだしの、手帳の間にはさんであるのを、かしらは忘れたんですかい。」
「忘れるもんか。ちょっと、おまえを、ためしてみたんだよ。よしっ、それじゃあ、もう用はない。あっちへいってよろしい。」
 部下の男は、そのまま、ひきさがっていきました。道化仮面をかぶって、首領とそっくりのかっこうをしているので、これが明智探偵の変装だなどとは、うたがってさえみなかったのです。
 明智はそのかぎをだして、戸棚をひらき、むらさきのふろしきにつつんだ「星の宝冠」の箱を取りだし、それをひらいて中をあらためました。
 キラキラと星のようにきらめく、無数の宝石をちりばめた黄金の宝冠です。さすがの名探偵も、そのうつくしさに、しばらくは、ぼんやりと見とれているばかりでした。
 明智はそれをもとどおりにつつんで、こわきにかかえると、また後部甲板へとびだしていきました。とちゅうで、部下たちの船室の窓の前をとおりましたが、だれも首領をうたがうものはありません。
 甲板のはずれにたって、まっくらな海を見おろしますと、ちょうどボートが汽船をひとまわりして、帰ってきたところでした。明智は道化仮面の顔を、ふなべりからつき出すようにして、ボートの部下たちに見せました。
「かしらあ、だめですよう。いくらさがしても、なんにもいませんよう。明智のやつ、サメにでも、くわれちゃったんでしょう。」
 ボートから、部下のさけぶ声が聞こえてきました。
「よろしい。それじゃあ、もうさがすのをやめて、あがってこい。」
 明智は首領の声をまねて、命令しました。
 すると、三人の部下はボートを船尾からさがっているつなにくくりつけて、なわばしごをつたって甲板へあがってきました。
「やあ、ごくろう。部屋にはいって、いっぱいやるがいい。……明智先生、とうとうおだぶつとはいいきみだ。これでもう、じゃまものが、なくなってしまったから安心して仕事ができるというもんだ。」
 明智はあくまで賊の首領になりすまして、ふてぶてしく、こんなことをつぶやいてみせるのでした。
 部下たちが船室へはいってしまうと、明智は、さっき、かれらがあがって来た、なわばしごをつたって、下のボートへとおりていきました。
 名探偵はこうして、まんまと、目的をはたしたのです。敵にとらわれの身となりながら、賊の首領だけをそっとたおして、首領になりすまし、有馬さんの「星の宝冠」をとりもどして、ボートにのりうつることができたのです。
 ボートにのりうつると、綱をといて、まっくらな海の上を、東京の方角にむかってこぎはじめました。さいわい、波はありません。大きなうねりが、のたりのたりと、うってくるばかりです。
 大きなオールを、ひとりで二本あやつるのはむずかしいので、明智はくふうをして、一本のオールを和船わせんのようにつかって、ボートをこぎました。
 みるみる、汽船との間がへだたっていきます。
 二百メートル、三百メートル、そして、五百メートルもへだたったころには、大きな汽船の姿さえ夜のやみにとけこんで、はっきりとは見えなくなってしまいました。

まけた恐怖王


 そのとき、汽船では、大さわぎがおこっていました。
 首領の姿がどこにも見えないのです。船じゅうさがしまわっても、どうしてもみつかりません。
 もしやと思って明智探偵をしばりつけておいた部屋へいってみるとなわがバラバラにとけて、もちろん明智の姿はかげも形もありません。
 いよいよたいへんです。
 首領も、どっかへ消えうせてしまったのです。
 手わけをして、もういちど船の中をさがしまわりました。
 ひとりの部下が懐中電灯をてらして、後部甲板をあちこちと歩きまわっていました。
 すると、どこかで、コトコト、と音がするのです。
「だれだっ……。」
と、どなってみても、なんの答えもなく、ただコトコトとおなじ音がつづくばかりです。
「へんだぞ。」とおもいました。じっと耳をすまして、音のする方角を聞きさだめておいて、そこを懐中電灯でてらしてみました。
 ズックのきれが動いています。その下に、なにか生きものが、かくれているのかもしれません。
 部下の男は、こわごわ、そばに近づくと、ズックをつかんで、ぱっと、はねのけました。
「やっ、明智だなっ……。」
 そこには、黒い背広をきた男が手足をしばられて、ころがっていました。部下はそれを見て、てっきり明智探偵と思いこんだのです。さるぐつわで口のへんをしばられているのですし、服が明智の背広ですから、ひとめ見て、明智と思ったのはむりもありません。
 その部下は、いきなり船室のほうへかけだしていって、みんなをよびましたので、たちまち六―七人の部下のものが集まってきました。
「どうした、どうした。」
「なに、明智のやろうが、しばられているって?」
「すると、かしらが明智をしばったのかな。」
 くちぐちに、そんなことをいいながら、たおれている男に近づきました。
「おやっ、これは明智じゃないよ、明智は、もっとモジャモジャの頭をしていたはずだぜ。」
「なんだとう。これが明智でなけりゃ、いったい、だれだっていうんだ。」
「それが、わからねえんだよ。へんだなあ。」
 そのとき、たおれていた男が、くくられた両足を高くあげて、ドカンと床板をたたきつけました。かんしゃくをおこしているようです。
「もうすこし、顔をよく見てやろうじゃねえか。これをとってね。」
 ひとりの部下が近よって、男のさるぐつわのきれを、とりはずしました。
 おお、その下から、あらわれた顔は!
「ひゃあっ、かしらだっ。かしらだぜ、こりゃあ。」
「はやく、なわをとかねえか。みんな、なにをぐずぐずしてやがるんだ。」
 てれかくしのように、そんなことをいいながら、部下たちは、首領のなわを、ときほどきました。
「ばかやろう。なんてドジなやろうどもだっ。明智のやつは、おれの道化仮面をかぶって、おれとそっくりの姿になって、どっかにかくれているんだ。手わけをして、あいつをさがしだせっ。」
「ところが、かしら、船の中は、もうすっかり、さがしちゃったんです。しかし、あいつの姿はどこにもありませんよ。」
「おやっ、おかしいぞっ。」
 部下のひとりが、とんきょうな声をたてました。
「かしら、かしら。かしらはさっき、甲板から、ボートにのっているおれたちに、もういいから、あがってこいって、よびかけましたかい。」
「そんなこといやあしない。それは、おれじゃあないよ。」
「するってえと、あれが明智だったかな。たしかに、道化仮面をかぶってましたよ。」
「いや、まてまて。かしら、たいへんなことになりましたぜ。」
 またべつの部下が、いきせききって、いうのです。
「なんだ、なにがたいへんだ。」
「かしらは、さっき、かしらの部屋へおれをよんで、『星の宝冠』はどこにはいっているかって、聞きゃあしないでしょうね。」
「そんなこときくもんか。おれは『星の宝冠』をしまったところを忘れやしねえ。」
「あっ、それじゃあ、あいつだ。あれが明智のやろうだったんだ。」
「おいっ、なにをいっているんだ。明智にそんなこと聞かれたのかっ。」
「へえ、あれが、まさか明智だとは知らねえもんだから、かしらは、へんなことを聞きなさると思ってね。」
「き、きさまっ、それじゃあ、もしや……。」
「かしら、すみません。『星の宝冠』は、あいつが持っていったんです。」
「おれにばけた明智のやろうがか?」
「へえ。」
 ピシャン……首領の平手ひらてが、その部下のほおにとびました。まぬけな部下はほおをおさえて、うしろへひきさがります。
「さあ、みんな、明智をさがせ。どっかにかくれているはずだ。せっかくぬすんだ『星の宝冠』を取りかえされたんじゃあ、おれの顔がたたねえ。どんなことがあっても、明智のやろうを、つかまえなけりゃあ……。」
 それから、また、船の中の大捜索だいそうさくがはじまりました。
 しばらくすると、さっきボートにのった三人の部下は、なにかコソコソささやきながら、後部甲板のはずれのほうへやって来ました。
「おい、のぞいてみろよ。ひょっとしたら、あのボートで。」
「うん、おれも、そんなことじゃないかとおもうんだ。」
 三人はてすりにもたれて、まっくらな海をのぞきました。
「あっ、ないよ。ボートがなくなっている。」
 なわをひくと、ズルズルとあがってきます。そのさきにくくりつけてあったボートはかげも形もないのです。
 三人は首領にこれを知らせるために、船室へ走りこみました。
「なにっ、ボートがなくなったって。」
 首領もかけだしてきました。おおぜいの部下が、そのあとにつづきます。そして、みんなが後部甲板のてすりにもたれて、くらい海を見おろすのでした。
 もし、ひるまなら、まだ明智ののったボートが見えていたのかもしれませんが、このくらさでは、どうすることもできません。
 首領は船を東京のほうへすすませて、ボートをさがしましたが、ついに明智探偵を発見することはできませんでした。東京に近づきすぎては、こっちの身の上があぶないので、思うぞんぶんに、さがしまわることができなかったからです。
 それから一週間ほどたったある日のことです。明智探偵事務所へ、みょうな電話がかかってきました。
 明智が電話口に出ますと、いきなり、ウフフフフ……という、きみのわるい笑い声が聞こえてきました。
「ウフフフフ……、明智先生かね。おれは恐怖王といわれているどろぼうだ。このあいだは明智先生のうでまえを、つくづく見せてもらったね。あれはおれのまけだった。たしかにまけたよ。だが、おれは、まけっきりではすまさない。このしかえしは、きっとしてみせる。先生、ようじんするがいいぜ。おれはまだ恐怖王のほんとうのおそろしさを見せていないのだ。ゆだんをしたら、とんでもないことになるぜ。
 だが、『星の宝冠』はもうあきらめた。やりそこなったら、すっぱりあきらめて、ほかの、もっと大きなえものをねらうのが、おれのやりかただ。そこで、こんどは、おれがなにをねらうとおもうね。ウフフフフ……、いくら名探偵の明智先生でも、こればっかりはあてられまい。世間をあっといわせてみせるよ。いや、世間よりも明智先生をあっといわせたいね。こんどは道化仮面のようなやさしいものじゃないぜ。おそろしい仮面だ。東京じゅうが、ふるえあがるような恐怖の仮面だ。」
 それをきくと、明智探偵は笑いだしました。
「ハハハハ、電話で挑戦というわけだね。よろしい。いつでも挑戦におうずるよ。このあいだの汽船では、きみの部下がおおぜいいたので、『星の宝冠』を取りもどすだけでがまんしたが、こんどこそ、きみをとらえてみせるぞ。きみこそ、ようじんするがいい。」
「ウフフフフ……、おもしろくなってきたね。明智大探偵対仮面の恐怖王か。巨人対怪人というやつだね。それじゃ、そのときまで、明智先生、からだをだいじにしたまえ。じゃあ、あばよ。」
 そして、プツンと電話がきれました。

黄金仮面


 それから一月ほどは、なにごともなく過ぎさりました。そして、ある日のことです。京都市の三十三間堂げんどうに、ふしぎな事件がおこりました。
 三十三間堂の細長いお堂の中には、おまいりの人の通路を残してお堂いっぱいに、ピカピカひかる金色の、人間とおなじぐらいの大きさの仏像が何百というほど、びっしりならんでいます。
 その夕方、小学校六年生のふたりの少年、高橋たかはし君と丸山まるやま君とが、お堂の中の通路を歩いていました。もう、うすぐらくなっているので、おまいりの人もみんな帰ってしまい、ガランとしたお堂の中には、ふたりの少年のほかには人の姿もないのでした。
 しかし、人間はいなくても、人間とおなじ大きさの金色の仏像が、いくえにも、かさなりあって、かぞえきれないほど立ちならんでいるのです。
 その何百という金色の仏像が、だまりこんで、身動きもしないで、夕やみの中にむらがっているようすは、なんともいえないぶきみさです。
「もう、帰ろうよ。だれもいなくなってしまったじゃないか。」
 丸山君が、心ぼそそうにいいました。
 すると高橋君は、ふっと立ちどまって、びっくりしたような顔で、むらがる仏像のまんなかへんを見つめました。
「高橋君、どうしたの? なにをそんなに見つめているんだい?」
 丸山君が聞きますと、高橋君は、シーッというように口の前に指を立てて、目で、そのほうを、さししめしました。
 丸山君は高橋君の目を追って、仏像のむれの中を見ました。
 おやっ! これはどうしたのでしょう。ウジャウジャ集まっている仏像のまんなかに、一つだけ、まったくちがったすがたの仏像が立っているではありませんか。
 それは、ほかの仏像よりもからだが大きいので、よく見れば、すぐわかるのですが、頭にはインド人のターバンのような金色のぬのをまきつけ、金色のダブダブのマントのようなものを着ています。顔はむろん金色ですが、ほかの仏像より大きな顔で、おのうの面のように、うすきみがわるいのです。
 気のせいか、そのへんな仏像は、黄金の顔で、じっとこちらを見かえしているようです。二少年はその仏像と、長い間にらめっこをしていました。
 すると、ゾーッとするようなことがおこったのです。へんな仏像のからだがユラユラと動きました。そして、黄金の顔のくちびるがキューッと三日月形にめくれあがって、ほそい黒いすきまができました。笑ったのです。黄金の顔が、ニヤニヤと笑ったのです。
 二少年は、あまりのおそろしさに、からだがすくんだようになってしまいましたが、高橋君は勇気をだして、丸山君の手をひっぱって、へんな仏像の見えないところまで、つれていきました。そして耳に口をあてるようにして、ささやくのでした。
「あいつ、見たかい。仏像じゃないよ。生きているんだよ。身動きしたじゃないか。そして、ぼくらのほうを見て笑ったじゃないか。」
「うん、そうだよ。あやしいやつだねえ。おばけかしら?」
「おばけなんて、この世にいるはずないよ。あいつ、悪者にちがいないよ。金色の姿をして仏像の中にかくれて、なにか、わるだくみをしているんだよ。ぼくたち、ここから、のぞいていよう。あいつ、もっと動くかもしれないからね。」
 二少年は、ものかげに身をかくして、そっと、のぞいて見ることにしました。
 少年たちの考えは、あたりました。そのへんな仏像みたいなやつは、動きだしたのです。
 その怪人はむらがる仏像をかきわけて、おまいりの人の通路へ出て来ました。それで全身があらわれたのですが、金色のマントの下には、ぴったり身についた金色のシャツと、金色のズボンをはき、くつまで金色でした。
 怪人は、通路のまんなかを、ゆうゆうと歩いていきます。二少年は遠くはなれて、そのあとをつけました。
「おい、あいつ、黄金仮面だよ。」
 高橋君は、尾行をつづけながら、丸山君にささやきました。
「ぼく、いつか、『黄金仮面』という本を読んだことがある。その本についていた写真が、あいつと、そっくりだったよ。その黄金仮面は、フランスの大どろぼうのアルセーヌ=ルパンがばけていたんだが、ルパンはもう死んじゃったから、あいつはルパンじゃないよ。きっと、むかしのルパンのまねをして、黄金仮面にばけているんだよ。」
 ああ、黄金仮面。そのむかし、日本じゅうをふるえあがらせた、あの怪人黄金仮面が、もう一度あらわれたのです。そして、いま、目前をむこうへ歩いていくのです。
 二少年は、なんだか、おそろしいゆめを見ているような気がしました。
 お堂の入口には、番人がいるのですが、黄金仮面は平気な顔で、その前をとおりすぎました。
 番人は、ギョッとして、立ちすくみ、あまりのことに口をきく力もありません。
 怪人はお堂を出ると、一度も、ふりむかないで、ゆっくり歩いていましたが、二少年が、ついゆだんをしてそのうしろへ近づいたとき、ヒョイとこちらをふりかえりました。
 そして笑ったのです。あのきみのわるい三日月形の口で、ニヤニヤと笑ったのです。
 二少年は、そこに立ちすくんだまま、身動きもできません。まっさおになって、あいての金色の顔を見つめているばかりです。
 すると、みょうな、しわがれ声が聞こえてきました。黄金仮面が、ものをいったのです。
「ウフフフフ……、おい、きみたち、おれをつけてくるとは、なかなか、勇気があるねえ。だが、だめだよ。おれは人間じゃないんだからね。鳥のようにじゆうじざいに、空がとべるんだからね。きみたちにはどうすることもできないよ。ウフフフフ……。」
 そういったかとおもうと、怪人は、クルッと、むこうをむいて、サーッとかけだしました。金色のマントを、うしろになびかせて、まるで魔物のような早さで走るのです。そして、あっとおもうまに、うすぐらい夕やみの中へ、姿を消してしまいました。
 あいてが見えなくなると、二少年は、やっと正気をとりもどして、そのあとを追いました。すこしいくと、高さ三十メートルもあるような、大きなシイの木が立っていました。
 見あげると、風もないのに、シイのこずえがユラユラと、ゆらいでいます。
「へんだねえ。あいつ、この木の上へ、のぼっていったんじゃないだろうか。」
 高橋君がいいました。
 すると、そのとき、お堂のほうから、白いきものに、腰ごろもをつけた番人の若いぼうさんが、いきせききってかけつけてきました。
「おい、きみたち、いまの金色のばけものは、どこへいった。おまわりさんをよんで、とっつかまえなけりゃあ……。」
 高橋君はシイの木のてっぺんをゆびさして、答えました。
「あれ、あんなに木がゆれているでしょう。あいつが、あそこへのぼったのかもしれない。」
 ぼうさんは手をかざして、シイのこずえを見あげましたが、夕やみにつつまれているので、はっきりはわかりません。
 そのときです。木のてっぺんが、ひときわはげしくざわめいたかと思うと、そこから空中に、サーッと金色のものが、とびだしたではありませんか。
 ああ、あいつです。黄金仮面が、空をとんでいくのです。
 怪人は、高い空中を、からだをよこにして、両手をまっすぐに前にのばし、まるで水の中を泳ぐような形で、とんでいます。金色のマントが、ヒラヒラとはためいて、映画のスーパーマンと、そっくりです。金色のスーパーマンが夕やみの空を高く、高く、とんでいくのです。
 二少年とぼうさんとは大きな口をあいて、あっけにとられて、それを見あげていましたが、黄金仮面はみるみる、遠ざかっていき、だんだん、そのすがたが小さくなり、ついには、一つの金色の星のようになって、そのままスーッと、夕やみの空に消えていってしまいました。
 あくる日の新聞が、その怪事件を大きく書きたてたことは、いうまでもありません。
 高橋、丸山の二少年は、学校でみんなにとりかこまれ、黄金仮面の話を、なんどとなく、せがまれるのでした。

三日月の笑い


 それから一週間ほどのち、舞台は東京にうつって、またしても、おそろしい事件がおこりました。
 ある夜、少年探偵団員の木下きのした君と宮島みやじま君が、世田谷せたがや区のクイーンという小さな映画館の客席に、腰かけていました。
 このふたりは小学校六年生で、まだ少年探偵団にはいったばかりでしたが、正式の団員ですから、むねには、とくいそうにB・Dバッジをつけていました。
 なぜそんな小さな映画館にはいったかといいますと、そこには「むかしなつかしき、おもいでの映画週間」というかんばんが出ていて、こんやは十年も前に大ひょうばんだった「黄金仮面」の古い映画が上映されていたからです。
 あの京都の高橋少年が読んだという、ルパンのばけた「黄金仮面」の本が映画になったものです。ふたりの少年は、その本を読んでいましたけれど、映画は一度も見ていなかったので、クイーン映画館のかんばんを見ると、さっそく見物することにしたのです。
 まず上野公園の博覧会にちんれつしてあった、何千という真珠の玉を集めてこしらえた、三十センチほどの小さい塔を黄金仮面がぬすみだすところから始まって、だんだん場面がすすんでいきましたが、ある場面で、黄金仮面の顔だけがスクリーンいっぱいに大うつしになりました。
 ふつうの人間の何千倍もあるような、とほうもなく大きな顔です。しかもそれが金の顔で、お能の面のように、うすきみわるい形をしているのです。
 その顔が口を三日月形にキューッとまげて、ニヤニヤと笑いました。口のところが三日月形の、ほそい穴になって、そのおくに歯や舌があるのでしょうが、なにも見えず、まっ黒なのです。
 そこでは音楽もやんでしまって、なんの音も聞こえません。見物席はかたずをのんで、シーンと、しずまりかえっています。
 そのしずけさをやぶって見物席のすみから、キャーッという、ひめいがおこりました。女の人があまりのおそろしさに、おもわず、さけび声をたてたのです。
 見物人たちは、その声にゾーッとふるえあがりましたが、てれかくしのように、ほうぼうに笑い声とざわめきがおこりました。見物人というものは、こわいときに笑うものです。
 つぎのしゅんかん、その笑い声がピタリと、とまってしまいました。画面におそろしいことがおこったからです。
 黄金仮面がスクリーンいっぱいに笑っている、その三日月形の口の右のすみから、まっかな液体がタラタラとながれおちたのです。その映画はカラー映画でなくて、白黒の映画なのです。その色のない画面に、とつぜん、まっかな色の液体がながれたのです。
 血です。
 うすきみのわるい三日月形の口から、血がながれおちたのです。そして、その血だけが、まっかな色をしていたのです。
 黄金仮面はまだ笑っています。声のない笑いを、笑っています。そして、その口から血をはいているのです。
 カラー映画でなくても、フィルムの一枚一枚を虫めがねで見ながら、小さく色をぬれば、こんなふうに見えるかもしれません。しかし、色が出したければカラー映画をとればいいのですから、いまどき、そんなてまのかかることをするはずがありません。
 じじつ、その映画には色はまったくついていなかったのです。それが、こんやにかぎって、まっかな血がながれだしたのです。
 見物人はギョッとして逃げごしになって、席から立ちあがりました。それより、もっとおどろいたのは映写技師です。
 血を見るとびっくりして、機械をとめてしまったのです。そしてフィルムをはずして、よくしらべるために、そのあいだ場内の電灯をつけました。
 スクリーンの大うつしがぱっと消えて、見物席があかるくなりました。
 見物人のひとりひとりが、じぶんは気がちがったのではないかと思いました。あんなおそろしい映画があるはずはないからです。
 ですから、スクリーンの画面が消えて、場内があかるくなったときには、ゆめからさめたような気持でした。
 少年探偵団員の木下君と宮島君も見物席の前のほうで、この怪映画を見たのですが、これはなにか犯罪にかんけいがあるかもしれないと思ったので、こわさもわすれて、キョロキョロと場内を見まわすのでした。
 そのときです。
 見物席にワーッというような、どよめきがおこりました。そして、てんでに席を立って、映画館の入口のほうへ逃げだそうとしました。
 それもむりはありません。スクリーンの前の舞台のうえに、おそろしいことがおこっていたのです。
 ああ、ごらんなさい。スクリーンの前に、なんともえたいの知れぬ怪物が、のこのこと、あらわれてきたではありませんか。
 それは映画の中の黄金仮面とそっくりのやつでした。スクリーンからぬけだして実物になって、あらわれたとしかおもわれませんでした。
 金色の顔、頭には金色のターバン、金色のマント、金色のズボン、金色のくつ。そいつがスクリーンの前にたちはだかって、見物席を見おろしているのです。
 映画館の人は客席のうしろから、それを見ると、あおくなって、一一〇番へ電話をかけました。
 すると、三分とたたないうちに近くをまわっていたパトロールカーがかけつけ、ふたりのおまわりさんが、映画館の中へとびこんできました。
 それからのさわぎは、どう書いたらいいのか、わからないほどでした。
 ふたりの警官は廊下をとおって、舞台にかけあがりました。
 それといきちがいに、黄金仮面はヒラリと客席にとびおり、いすのあいだを入口のほうへ走るのです。
 まだ残っていた見物人たちは、黄金仮面につかまったらたいへんだと、身をよけて通り道をあけてやります。そのためにうしろにいた人たちがころんでしまい、こどものなき声、女の人たちのひめいで、なんともいえないさわぎです。
 木下、宮島の二少年もその中にいましたが、いくら少年探偵団でも、この怪物にであっては、どうすることもできません。ただ、さわぎをながめているばかりです。
 黄金仮面は客席をつっきると、おもてへは出ないで、二階の見物席への階段をかけのぼり、二階のおもてがわの窓をやぶって、ひさし屋根に出ました。
 おもての道路は、逃げだした見物人たちと通りがかりの人たちで、いっぱいになり、自動車が何台も動けなくなっているのです。
 黄金仮面はその群衆を見おろして、あの三日月形の口でニヤニヤと笑いました。そして、ひさし屋根の一方のすみまでいくと、そこにさがって来ている大屋根のはしに手をかけ、ヒラリととびのって、いまにもすべりおちそうな大屋根の上を金色のトカゲのように、はいあがっていくのです。
 ふたりのおまわりさんは窓のそとに出て、ひさし屋根まで来ましたが、とても大屋根へはのぼれません。黄金仮面はかるわざ師のように身がかるいので、ふつうの人間に、そのまねができるはずはないのです。
 それから、しばらくすると、映画館の前に集まって、屋根を見あげていた群衆の中から、ワーッという声がわきあがりました。
 みんな、夜の空を見あげて、さけんでいるのです。大屋根よりも、もっと高い空を見ているのです。いったい、なにがおこったのでしょう。
 おお、またしても、空中飛行です。黄金仮面は金色のマントをひるがえして、夜の大空を、南をさして一直線にとんでいくのです。スーパーマンのように、とんでいくのです。
 空には、かずしれぬ星が、またたいていました。その下を、星よりもうつくしくひかる黄金の鳥人ちょうじんが、おそろしい早さでとんでいくのです。
 そして、あれよあれよと見るまに、黄金仮面の姿は、たちまち小さくなり、またたく星の間にまぎれこんで見えなくなってしまいました。

黄金の魔術師


 恐怖王は黄金仮面の怪物にばけて、映画館の屋上から星のきらめく大空へ、とびさってしまいました。
 そのまえに映画館のスクリーンに血をはく黄金仮面の顔が大写しになりました。白黒の映画に、仮面の三日月形の口からながれる血の色だけが、まっかにうつったのです。
 あとでしらべてみますと、恐怖王は映画のフィルムをぬすみだして、その一こま一こまを虫めがねで見ながら、赤いえのぐをぬって、また、もとの映写室へもどしておいたことがわかりました。赤いえのぐを一こまずつ、だんだんのばして、ぬっておいたので、それを映写すると、タラタラと血がながれるように見えたのです。
 それはわかりましたが、黄金仮面の恐怖王が、どうして鳥のように空をとぶのか、その秘密は、だれにもわかりません。あいつは魔法つかいなのでしょうか。
 さて、映画館の事件があってから一週間ほどたって、目黒めぐろ区の片桐かたぎりさんのおうちに、おそろしいことがおこりました。
 片桐さんのおうちは、さびしいやしき町にある、ひろい西洋館でしたが、そこには一郎君とミヨ子ちゃんという、ふたりの子どもがいました。兄の一郎君は小学校六年生、妹のミヨ子ちゃんは小学校三年生でした。
 あるばんのこと、ふたりが勉強部屋で、つくえをならべて本を読んでいますと、カーテンのひらいたガラス窓の外でチカッとひかったものがあります。本を読んでいても目のすみで、それが見えたのです。
「あらっ、なんでしょう。」
「うん、へんだね。なんだか、ピカッとひかったね。」
 しかし窓の外にはもうなにも見えませんので、ふたりは、また本を読みはじめました。
 しばらくすると、またしても、チカッとひかりました。一郎君はいすから立って窓のそばへいって、外をのぞいてみました。そこには、まっくらな、ひろい庭が、ひろがっているばかりで、なにもありません。そのとき、怪物は窓のすぐ下にうずくまっていたのですが、部屋の中からは、そこまで見えなかったのです。
 また本を読んでいますと、三度めに、チカッとひかりました。そして、こんどは、もう消えないのです。ひかったものは窓の外にじっとしているのです。
 ミヨ子ちゃんが、なんともいえないさけび声をたてて、一郎君にしがみついてきました。一郎君もいすから立って、おもわず逃げ腰になりました。
 窓ガラスに顔をくっつけて、おそろしいものがのぞいていたのです。
 それは金色にひかる、お能の面のような、きみのわるい顔でした。その顔が口をキューッと三日月形にひらいて、笑っているではありませんか。
 一郎君は、このごろ新聞でさわがれている黄金仮面という怪物のことを、とっさに、思いだしました。
 黄金仮面です。あいつにちがいありません。あいつが窓のそとに立っているのです。
「ワーッ……。」
 一郎君は、おそろしいさけび声をたてて、ミヨ子ちゃんの手をひっぱって、廊下へかけだしました。そして、おとうさんの部屋へとびこんでいったのです。
「パパ、たいへんです。黄金仮面が……。」
「えっ、黄金仮面だって。」
「ぼくたちの勉強部屋の窓の外から、のぞいていたのです。はやく、警察へ……。」
 おとうさんの片桐さんは、ふたりの書生をよんで、庭をしらべるようにめいじました。そして、じぶんは、電話のダイヤルを一一〇番にまわすのでした。
 ふたりの書生は、懐中電灯と、木刀ぼくとうを持って、まっくらな庭へとびだしていきました。
 庭には大きな木が、たくさんしげっています。ゆうかんな書生たちは、懐中電灯をてらして、木のしげみの間をさがしまわりました。
「あっ、あそこにいる。」
 書生のひとりが小声でいって、そのほうへ懐中電灯の光をむけました。
 すると、木のかげにかくれていた怪物が、ヌーッと、光の中へ全身をあらわしたではありませんか。
 金色のターバン、金色の顔、金色のマント、金色のズボンとくつ。口が三日月形にキューッとひろがって、ニヤニヤと笑っているのです。
 ふたりの書生はそれを見ると、タジタジと、あとずさりをしました。
「ウフフフ……、いいか、主人によくつたえるのだぞ。きょうから三日あと、十三日の午後十時きっかりに片桐家の宝ものをちょうだいする。わかったかね。ここのうちの美術室には国宝のぼさつ像がある。あれをちょうだいするのだ。きっと約束はまもるからゆだんなく見はっていたまえ。」
 黄金仮面は、それだけいってしまうと、サッとむきをかえて庭のおくのほうへ走りだしました。
 ふたりの書生は、あいてが逃げだすのを見ると、きゅうに元気になり、
「こらっ、まてっ、もう逃がさんぞっ。」
と、いきなり怪物のあとを追っかけました。
「あっ、へいにとびついたっ。」
 そうです。黄金仮面は、高いコンクリートべいにとびついて、スルスルと、その上にのぼりつき、一度、こちらをむいて、
「ワハハハハ……。」
と、あの三日月形の口で笑ったかと思うと、そのままへいのむこうへとびおりてしまいました。
 書生たちは、そのあとを追って、へいにのぼりつこうとしましたが、たかくて、とてものぼれません。黄金仮面はかるわざ師のように身がかるいのですから、ふつうの人間に、そのまねはできないのです。
「ここでぐずぐずしてるより、門からまわったほうが、はやいよ。」
 ひとりがそういって、かけだすと、もうひとりの書生も、そのあとにつづきました。
 門を出ると、ちょうどそこへパトロールカーがやって来て、中からふたりのおまわりさんがとびおりました。
「あっ、警察のかたですか。黄金仮面はへいのそとへ逃げだしました。こちらです。はやく来てください。」
 書生たちは、おまわりさんのさきにたって、へいのそとの横町へかけつけました。
「このへんから、とびおりたのです。まだ、遠くへいくはずはないのですが……。」
 見ると、むこうのくらやみの中から、何者かがこちらへ近づいてきます。
 書生のひとりが、ぱっと懐中電灯でそのものをてらしました。
 腰のまがった七十ぐらいのおじいさんです。カーキ色の、きたない服を着て、こわきにふろしきづつみをかかえ、杖にすがってとぼとぼと歩いてきます。ながくのばしたかみの毛がまっ白で、口やあごにも、ごましおの、ぶしょうひげがのびています。
「おい、おじいさん、いま、金色のやつを見なかったかね。このへいからとびおりたんだが。」
 書生がたずねますと、おじいさんは、やっこらしょと腰をのばして、まぶしそうに、懐中電灯を見ながら、
「ああ、そいつなら、むこうへかけていったよ。頭から足のさきまで、金ぴかのやつだった。」
と、うしろのほうを、さししめすのでした。
「ありがとう。じゃあ、あっちへ逃げたんだなっ。」
 四人のものは、いちもくさんに、そのほうへかけだしていきました。
 すると、おじいさんは、また杖にすがって歩きだしながら、
「ウフフフフ……。」
と、ひくい笑い声をもらすのでした。
 なぜ笑うのでしょう。なにがおかしいのでしょう。ああ、ひょっとしたら……。
 ふたりの警官とふたりの書生は、ずいぶんとおくまでさがしまわりましたが、黄金仮面の姿はどこにも見えませんでした。そこでとうとう、あきらめて、片桐さんの門のほうへひきかえしました。
「へんだなあ。いくらあいつが足がはやくても、あの大通りに姿が見えないのは、おかしいな。あんなに、むこうまで見とおしなんだからなあ。」
 書生のひとりがつぶやきますと、もうひとりが、はっとしたように立ちどまって、こんなことをいうのでした。
「あっ、そうだ。さっきのじいさんが、あやしいぞっ。黄金仮面は魔法つかいみたいなやつだから、ばけるのも、じょうずにちがいない。あいつ、さっきのじいさんに、ばけていたんじゃないかな。金色のマントやなんかは、あのふろしきにつつんで……。」

屋根裏の少年たち


 それから三日め、黄金仮面が片桐さんの国宝の仏像をぬすんでみせると予告した十三日の午後のことです。
 ここは麹町こうじまちの明智探偵事務所です。明智探偵は、たのまれた事件のために、福井県へでかけ、少年助手の小林君と、少女助手の花崎はなざきマユミさんとが、るす番をしていました。午後三時半ごろ、電話がかかってきたので、小林君が受話器をとりますと、それは明智探偵からでした。
「ぼくは、昼ごろ東京にかえった。ぼくがたのんでおいた男が新宿駅に待っていて、報告してくれたので、黄金仮面のゆくえがわかった。いま、それをたしかめたところだ。黄金仮面はきょう午後七時に、渋谷しぶや区の一軒のあき家へやってくることがわかった。そこで、きみたち少年探偵団の手を、かりたいのだ。電話でよびだせるだけよび集めて、午後六時までに、そのあき家へきてくれたまえ。チンピラ別働隊も、なるべくたくさん、つれてくるのだ。わかったね。」
 そして、その渋谷区のあき家への道じゅんを、くわしくおしえてくれました。
「マユミさん、先生からだ。黄金仮面のいるところがわかったんだって。」
「え、いつのまに帰っていらしったの。」
「きょうの昼ごろだって。それから、いままでのあいだに、もう黄金仮面のゆくえを、つきとめておしまいになったんだよ。」
 小林君は、まるで、じぶんがてがらをたてたように、じまんらしくいうのでした。
 ふたりは新聞で黄金仮面の事件をよく知っていました。片桐さんの仏像をねらっていること、きょうがその約束の日であることなども知っているのです。
 それから、小林君は、ほうぼうへ電話をかけて、少年団員をよび集めました。すると電話のある団員から電話のない団員や、チンピラ隊の少年に知らせ、たちまち十人の少年団員と七人のチンピラ別働隊員が集まり、午後五時にはみんな明智探偵事務所へやってきました。
 小林少年は、マユミさんにるす番をたのんでおいて、その十七人の少年たちをつれて、都電と地下鉄で渋谷につき、おしえられたあき家へといそぐのでした。
 そのあき家は渋谷駅から一キロほどの、さびしいやしき町の中にありました。少年たちは近くまでバスにのって、約束の六時には、ちゃんとあき家の門の前についていました。
 それはレンガべいでかこまれた、木造三階だての洋館でした。なんだか、きみのわるいふるい建物です。
 もう、あたりはうすぐらくなっていましたが、そのあき家の門の前に、黒い背広の明智探偵が待ちかまえていたのです。
「先生。」
といって、小林君がかけよりますと、明智探偵は、シッというように、口に指をあてて、目でついてくるようにとあいずをして、門をくぐり、しき石道を歩いて、正面のドアをひらき、西洋館の中へはいっていきました。ドアにはかぎもかけてないようでした。
 うちの中は、まっくらでした。電灯も、とめてあるとみえて、スイッチをさがして、おしてみても、あかりはつきません。
「懐中電灯を持ってきたろうね。」
 明智探偵のことばに、小林君はすぐに、ポケットから万年筆型の懐中電灯をだして、スイッチをいれました。それをみならって、少年たちも、てんでに、万年筆型の懐中電灯をつけるのでした。この懐中電灯は少年探偵団の七つ道具のひとつなのです。
 おおぜいが懐中電灯をつけたので、家の中は、にわかにあかるくなりました。
「感心、感心。みんな、七つ道具を忘れなかったね。」
 明智探偵はそういって、さきにたち、廊下を通って階段をのぼり、二階から三階へあがりましたが、そこがおわりかと思うと、まだもうひとつ階段があるのでした。階段というよりは、はしごです。せまい、きゅうなはしごです。
 そのはしごをのぼったところに、大きなあげぶたがついていて、それを、上におしあげると、ポッカリと黒い口がひらきました。その上は三階の屋根裏なのです。
「ぼくたち、この屋根裏に、かくれているんですか。」
 小林君がききますと、明智探偵は、
「うん、そうだよ。」
と、答えました。
 十七人の少年が、ぜんぶ、屋根裏にあがりました。
 てんじょうは屋根の形のままで、はしのほうは頭がつかえるほど、ひくくなっています。屋根をささえている材木が、そのまま、むきだしになっていて、いっぽうには、あかりとりの小さな窓がついています。
 明智探偵は、少年たちを、おくのほうへすすませて、じぶんは入口のあげぶたのそばに立ちはだかっていましたが、そのとき、なにを思ったのか、クスクスと笑いだしました。
「ウフフフ……、おもしろいねえ。きみたちは、この屋根裏に、とじこめられてしまったんだよ。」
 探偵が、みょうなことをいうのです。
 なんだか、へんです。いったい、どうしたというのでしょう。
「先生、なぜお笑いになるのです。なにがおかしいのです。」
 小林君が、ふしぎそうに、たずねました。
「ウフフフ……、わからないかね。」
「えっ、わからないかって?」
「きみは、いま、おれを先生ってよんだね。なぜ、おれが先生なんだね。」
 いよいよ、へんです。それに、明智先生が、「おれ」なんていうのは、おかしいではありませんか。
「ウフフフ、きみたち、うまくだまされたね。おれをだれだと思う。おれは変装の名人だよ。明智探偵にだって、だれにだって、ばけることができるんだ。」
 もう声も明智先生の声ではありません。だれとも知れない、しわがれ声です。それでは、この人は明智先生ではないのでしょうか。すると、もしや……。
「ウフフフ……、へんな顔をしているね。やっとわかったかね。そうだよ。おれは明智探偵じゃない。あいつは、いまごろは、まだ福井県で、まごまごしているころだよ。」
「じゃあ、さっきの電話も……。」
「そうさ、あれも、おれが明智の声をまねた、にせ電話だよ。」
「えっ、それじゃあ、きみは……。」
「恐怖王というどろぼうだよ。このごろは黄金仮面ともよばれている。こん夜、片桐のもっている国宝の仏像をぬすみだすので、ひょっとして、片桐が明智の事務所へ電話でもかけて、きみたちにじゃまされるといけないので、こうして先手をうって、とじこめておくのだよ。ハハハハ、おれも、なかなか用心ぶかいだろう。じゃあ、きみたちは、ここで、ゆっくりやすんでいたまえ。……あばよ。」
 そういったかとおもうと、明智にばけた怪人は、ヒラリと入口の下のはしごにとびおり、バタンと、あげぶたをおろして、下からカチンとじょうをかけてしまいました。そのために、まえもって、あげぶたに錠がとりつけてあったのです。
 小林少年は、
「あっ。」
と、さけんで、あげぶたのところへかけつけ、両手でそれをあげようとしましたが、びくとも動くものではありません。
「みんな、てつだってくれ。この板戸をやぶるんだ。」
 そこで、みんなが、あげぶたの板戸のまわりに集まって、たたいたり、けったりして、それをやぶろうとしましたが、ひじょうにあつい板でできた、がんじょうな戸ですから、とても、やぶるみこみがないことがわかりました。
 それに、たとえ、このあげぶたをやぶったとしても、あいては、どこかにかくれて、ようすを見ているかもしれません。それよりも、このままじっとしていて、あいてをあっといわせるような、うまい計略はないものでしょうか。
 小林君はうでぐみをして、じっと考えていましたが、しばらくすると、はっとなにかに気づいたように、目をかがやかせました。
「あっ、いいことがある。みんな七つ道具はそろえているだろうね。黒い絹糸のなわばしご、あれを腹にまいているはずだね。」
 それをきくと、少年団員たちは、
「持っています。」
「持っています。」
と、口をそろえて答えました。
「よし、それじゃ、そのなわばしごを三本もつなぎあわせれば、地面までとどくだろう。みんなが、じゅんばんに、それをつたって、おりればいいんだ。あの窓からなわばしごをさげるんだよ。」
「うん、そうだ。それがいいや……。」
 みんなは、すぐに、さんせいしました。
「でも、いますぐじゃない。まだ、あいつが、どっかに、かくれているかもしれないから、すこし待ってからにしよう。」
 小林君はそういって、窓に近づくと、ガラス戸をそっとひらいて、下をのぞいてみました。
 そとにはまだ夕やみのうすあかりが残っていますので、はるか下のほうに、地面がおぼろげに見えています。
 草ぼうぼうの、ひろい庭です。
 西洋館ですから、ちゅうとに屋根もなく、まっすぐにきりたった、おそろしい高さです。
 なわばしごといっても、少年探偵団のは、絹糸をよりあわせた一本のひもで、三十センチごとにむすび玉ができていて、それを足の指にはさんでおりるのですから、まるでかるわざのような冒険です。
 少年たちは、まっくらな中で、これから、その冒険をやらなければならないのです。

大格闘


 少年探偵団のなわばしごは、小さい子がむやみにつかうとあぶないので、小林団長と中学生の団員だけが、いつも上着の下の腰にまきつけて、持ち歩いているのです。絹のひもですから、まとめると細くなって、腰にまいても、外からはわからないのです。
 そのとき、中学生の団員がふたりいましたので、小林団長のと、三つのなわばしごをつなぎあわせ、窓の外へたらして、それをつたって、つぎつぎと、みんなが地面におりることになりました。
 絹ひものはしについている鉄のかぎを、窓わくに、しっかり、くいこませ、さがったなわばしごをつたって、まず中学生の団員がさきにおりました。
 絹ひもには三十センチごとに、大きなむすび玉ができているので、それを足の指ではさみながら、おりるのです。ですから、みんな、くつしたをぬぎ、くつの中におしこんで、そのくつは腰にさげておりるのです。
 それから、小学生の団員やチンピラ隊が、ひとりずつ、おりていき、もうひとりの中学生は、そのなかほどにはいって、小さい団員をたすけながらおり、さいごに小林団長がおりました。
 そのころは、もう、まっくらになっていましたから、へいのそとから見られるようなことはありません。恐怖王の部下も、庭を見はってはいないらしく、十七人の少年たちは、ぶじに門の外へ出ることができました。
 なわばしごは窓からさげたままで、残してきました。一本だけなら、下からひもをゆすって、かぎをはずすことができるのですが、三本もつないであっては、とても、はずせません。おしいけれども、なわばしごは残したままにしておきました。
 少年たちは、それからすぐにバスにのって、目黒の片桐さんのうちへいそぎました。恐怖王は今夜の十時に片桐さんの美術室から、国宝の仏像をぬすみだすといったのですから、少年探偵団は、そのじゃまをしなければなりません。明智先生がるすなので、先生にかわって怪人とたたかうのです。
 みんなが、片桐さんのおうちのへいの外についたのは、もう八時半ごろでした。十時には、間があります。けれども恐怖王は、そのまえに片桐さんのうちへしのびこむかもしれません。
 そこで少年たちは、ばらばらにわかれて、片桐さんのへいのまわりのやみの中に身をかくして、見はっていることにしました。
 門の近くには、小林少年と中学生の団員ふたりとが、町かどや電柱のかげからじっと門のほうを見まもっていました。門の中には、ふたりの警官が、いったり、きたりしています。
 三十分あまりしんぼうしてみはっていますと、警官が通りすぎるすきを待っていたように、片桐さんの門の中から黒い影法師かげぼうしが四人、ひとかたまりになって、いそぎ足に出てきました。
 三人は、まっ黒なシャツとズボンのすがたで、その中に金色のやつが、ひとりいます。
「あっ、黄金仮面だっ。」
 小林君は、おもわず、心の中でさけびました。
 しかし、なんだか、へんです。金色のやつはけがでもしたのか、ぐったりして、三人の黒いやつによりかかり、三人は、三方から、それをだきかかえて歩いているのです。
 四人が門を出たかとおもうと、そのうしろから、小さな、まっ黒なやつが、もうひとり、とびだしてきました。そして、四人のあとから、ついていくのです。なんだか、尾行しているような感じです。
「あっ、ポケット小僧だ。やっぱり、すばしこいな。」
 小林君が、ひとりごとを、いいました。それはチンピラ隊のポケット小僧だったのです。ポケットにはいるほど小さいというので、そういうあだながついているのですが、じつにだいたんで、すばしっこい少年です。これまでもたびたび、少年探偵団のために、てがらをたてています。
 小林団長は、そのポケット小僧ひとりだけ門の中にいれて、見はりをさせておいたのですが、それが、いま、あやしい四人のあとをつけているわけです。
 黄金仮面の一団とポケット小僧が、むこうの、くらい町かどをまがったとき、門の中から、ふたりの警官がとびだしてきました。
 今夜は黄金仮面の恐怖王がやってくるというので、片桐さんのうちには、三人の警官が見はり番をつとめていたのですが、その中のふたりが、怪人が逃げだしたのを知って追っかけてきたのです。
 警官たちは、きょろきょろと、あたりを見まわしましたが、もうそのへんには、あやしい人かげはありません。どうしようかと、ためらっているところへ、こちらの電柱のかげから、小林少年がとびだしていきました。
 それを見ると、警官たちは、あやしいやつと、身がまえましたが、小林君は、つかつかと、そのそばに寄って警官たちになにかささやきました。
「うん、そうか。よし、どっちへ逃げた。」
「こっちですよ。」
 小林少年はそういって、ふたりの警官のさきにたって、さっき、怪人の一団がきえた町かどへいそぎました。
 町かどをまがって、しばらくいきますと、せまい路地ろじの入口に、まっ黒な姿のポケット小僧が立っていました。そして、小林少年を見ると、すぐに、そばによってきて、耳に口をつけるようにして、なにごとかささやきました。
「この路地のおくに、一軒の、小さなあき家があるそうです。四人のやつはその中にはいっていったということです。」
 小林君が説明しますと、ふたりの警官はうなずいて、
「よし、それじゃ、表とうらにわかれて両方から、そのあき家にふみこむことにする。きみたちはあぶないから、なるべく近寄らないがいい。」
 警官はそういって、ポケット小僧の案内で路地の中へかけこんでいきました。
 小林少年は、路地の入口に立ったまま、ポケットからよびこの笛をとりだすと、ピリピリピリピリ……と、ふきならしました。少年探偵団員を、よび集めるためです。このよびこの笛も、探偵七つ道具の一つなのです。
 だれかのよびこが聞こえたら、団員は、てんでに、じぶんのよびこをふきならして、みんなに知らせることになっていました。
 小林君がよびこをふいたので、片桐さんのへいのそとに見はりをしていた団員たちが、つぎつぎとよびこをならす音が遠くから聞こえました。
 そして、しばらくすると、小林君のまわりに、おおぜいの団員が集まってきました。
 小林少年は団員たちに、ことのしだいを話してきかせ、二隊にわかれて、あき家の表口とうら口へ、おしかけることにしました。
 そのときです。まっくらな路地の中から、ぱっと風のように、とびだしてきたものがあります。
「あっ。」とおもって、よく見ますと、さっきの黒シャツの三人です。黄金仮面はどこへいったのか、すがたが見えません。
「おい、こいつらだよ。みんな、ひっつかまえるんだっ。」
 小林君は、そうさけんで、三人のうちのひとりに、とびついていきました。
 それをみると、十数名の団員たちも三人にとびかかり、くらやみの中の大格闘となりました。
 あいては三人、こちらは十数人です。ひとりに四人か五人がくみついていくのですから、いくら子どもでも、ばかにはできません。
 うしろからとびついて、首にぶらさがるもの、腕にからみつくもの、なかには、手首にくいつくものさえあります。
「あっ、いたいっ。ちくしょうめっ。」
 力いっぱいふりはなして逃げようとすると、もうひとりの少年に足をすくわれて、ぱったりたおれるというありさま。
 さすがに、力のつよい悪者たちも、さんざんなやまされましたが、こちらはまだ小さい小学生がおおいのですから、いつまでも悪者をひきとめる力はありません。ひとりずつなげとばされて、なかなか、おきあがれないでいるうちに、黒シャツの三人は、とうとう、やみの中へ逃げさってしまいました。
 それにしても、さっきの、ふたりの警官はどうしたのでしょう。少年たちは、こんなに、たたかっているのに、たすけにこないのは、ふしぎです。
 ああ、そうです。あき家には、まだ黄金仮面の恐怖王が残っているはずです。警官たちは、ふたりがかりで、黄金仮面とたたかっているのではないでしょうか。
 三人の悪者を取り逃がした少年たちは、がっかりして、路地の入口にうずくまっていました。ころんだまま、おきあがれないものもいます。やっとおきあがって、おしりをさすっているものもいます。でも、さいわいなことに、ひどいけがをしたものは、ひとりもありません。
 そこへ、路地の中から、小さな、まっ黒なものがころがるように、とびだしてきました。ポケット小僧です。
 ポケット小僧は、やみの中で小林団長の姿をさがすと、そのそばによって、なにかボソボソとささやきました。
「えっ、黄金仮面が……。」
 小林君は、びっくりして、たちあがりました。
「うん、そうだよ。だから、おまわりさんが、みんなに、くるようにって。」
 それは、じつに、おどろくべき知らせでした。いったい黄金仮面が、どうしたというのでしょう。
「よし、それじゃ、みんなで、いってみよう。」
 小林団長は少年たちを集めて、路地の中へはいっていくのでした。
 ああ、あき家の中には、なにが待っているのでしょう。なにか、おそろしいことが、おこるのではないでしょうか。それとも……。

午後十時


 こちらは、片桐さんのおうちの美術室の中です。
 主人の片桐さんと、ふたりの書生が、美術室のまん中にいすをおいて、それに腰かけ、部屋の中をじろじろと見まわしていました。いうまでもなく、恐怖王にねらわれている国宝の仏像をまもるためです。
 片桐さんの子どもの一郎君とミヨ子ちゃんは、おかあさんといっしょに茶の間で、まだおきていました。背広をきた警官が、そのそばについています。ふたりの子どもが、恐怖王にさらわれるようなことがあっては、たいへんだからです。
 この背広の警官は、ふたりの制服の警官が、黄金仮面の一団を追って門の外へ出ていったことは、気づかないでいました。ですから、美術室の三人も、そのことはすこしも知らなかったのです。
 それにしても、約束の十時のまえに、黄金仮面や部下のものが片桐さんのうちから逃げだしたのは、なぜでしょう。これには、いったい、どんなわけがあったのでしょうか。
 美術室の中では、片桐さんとふたりの書生が、しんぼうづよく見はりをつづけていました。
 もう十時が近づいてきました。シーンとしずまりかえった部屋の中に棚の置き時計の音だけが、カチカチ、カチカチ聞こえています。その時計のはりが十時十分前をさしました。カチカチ、カチカチ、時間は休みなく、すすんでいきます。
 五分前です。……三分前です。
 三人はいいあわせたように、むこうの壁ぎわに立っている、おとなのからだほどの大きさの金色の仏像をみつめました。
 国宝のぼさつ像です。奈良朝ならちょうの傑作ということですが、まるで生きているように、よくできています。やさしくおだやかな顔、ふっくらしたからだ、それが金色に、こうごうしく、かがやいているのです。
 恐怖王は、こんな大きな重い仏像を、どうしてぬすみだそうというのでしょう。もう時間は一分しかありません。いま十時一分前なのです。
 カチカチ、カチカチ、時間の秒をきざむ音は、休みなくすすみます。
 三十秒前……二十秒前……十秒前。
 そして、チン、チン、チン、チン……と、置き時計が十時をうちました。
 しかし、なにごともおこりません。恐怖王はとうとう、ぬすみだすことを、あきらめたのでしょうか。
 三人は、まだ仏像を見つめたまま、ほっと安心のといきをもらしました。
 すると、そのときです。
 三人が見つめている仏像の、金色の顔が、ニヤッと笑ったではありませんか。
 三人はゾーッとして、身動きもできなくなりました。たしかに、笑いました。千年もたった仏像が、生きているように笑ったのです。
 しかし、そんなことがあるはずはありません。目のまよいでしょう。まぼろしでしょう。
 でも三人がそろって、おなじまぼろしを見るなんてことがあるものでしょうか。
 すると、またもや、おそろしいことが、おこりました。
 金色の仏像が、ユラユラ動いたのです。
「ワハハハ……。」
 ああ、仏像が、おそろしい声で笑いだしたではありませんか。からだをゆすって、笑っているのです。
「ワハハハハ……、どうだ、おどろいたか。きみたちは、おれが、なににでも、ばけられることをわすれていたね。どうだ、この変装は、みごとだろう。まさか、おれが仏像にばけるとは、気がつかなかっただろうな。ハハハハ……。」
 そういいながら、台の上からおりて、のっしのっしと、こちらへ歩いてくるのです。金色の仏像が、歩きだしたのです。
 こちらの三人は、あまりのおそろしさに、口をきく力もありません。いすにこしかけたまま、ぼんやりと仏像を見つめているばかりです。
「どうだ、恐怖王のおてなみが、わかったか。おれが仏像にばけているからには、ほんとうの仏像は、とっくにぬすみだされているのだ。
 おれは、ゆうべ、こっそりしのびこんで、仏像をぬすみだし、庭のものおきの中にかくしておいた。そして今夜、おれの部下のものが庭にしのびこみ、ものおきの仏像をとりだして、はこびさってしまったのだ。
 だが、約束は今夜の十時だから、それまでは、ここに仏像がなくてはならない。十時前に仏像が消えてしまったのでは、約束にそむくからな。おれは約束にそむくのが、だいきらいだ。
 そこで、おれがこうして、仏像の身がわりになって、きみたちを、安心させておいたというわけだよ。
 ハハハハ……、そして、十時ちょうどに正体をあらわしたのだから、やっぱり、約束をまもったことになるんだ。仏像はいまのいままで、ちゃんと、ここに立っていたのだからね、ハハハ……。」
 怪人恐怖王は、もう、とくいのぜっちょうです。仏像にばけて、みんなをだましたことが、ゆかいでたまらないのです。
 こちらの三人が、もし勇気をだして、恐怖王にとびかかっていけば、ひとりに三人ですから、とらえることができたかもしれません。しかし、片桐さんも、書生たちも、仏像がおばけのように動きだしたのに、びっくりしてしまって、とても、そんな元気はありません。
 そのとき、またしても、ふしぎなことがおこりました。
 恐怖王の仏像の笑い声が消えたかとおもうと、そのこだまのように、どこからか、べつの笑い声がひびいてきたのです。
「ワハハハハ……。」
 それは、恐怖王の声より、ずっと小さくて、まるでこだまのようでしたが、こんな家の中でこだまがおこるはずはありません。
 三人は、おどろいて、仏像の口をながめました。しかし、その口は、ぐっとむすばれていて、すこしも笑っていないではありませんか。
 では、この笑い声は、いったい、どこから、ひびいてくるのでしょう。
「ワハハハハ……。」
 笑い声は、にわかに大きくなってきました。どうやら、うしろから聞こえてくるようです。
 三人は、うしろをふりむきました。
 入口のドアがひらいて、そこにひとりの少年が笑いながら立っていました。少年探偵団長の小林君です。
「やっ、きさま……。」
 仏像にばけた恐怖王が、おどろいて、小林君の顔を見つめました。
「ハハハ……、きみは、明智先生にばけて、ぼくたちを屋根裏にとじこめたつもりだろうが、とっくに、ぬけだしてしまったんだよ。そして、きみの計略のうらをかいてやったのさ。ハハハ……、わかるかい。
 きみは、せっかく苦心をして、仏像にばけたけれども、それは、なんの役にもたたなかったんだよ。ハハハ……、わかるかい。」
 小林少年は、さもゆかいそうに笑うのでした。

物おき小屋


「なんだと、なんの役にもたたなかったと?」
 黄金仮面はびっくりしたように、立ちどまりました。小林少年の知恵のあることを、よく知っているので、なんだか、きみがわるくなってきたのです。
「ハハハ……、そうだよ。きみの部下が仏像をぬすみだして、左右からだくようにして、門の外へ出ていった。それをぼくたち少年探偵団がまちぶせしていて、追っかけたんだよ。そして、きみの部下が仏像をあき家のなかに、かくしたのを見つけ、それを、ちゃんと取りかえしてしまった。ふたりのおまわりさんが、いまに、ここにはこんでくるんだよ。
 きみはせっかく仏像にばけて、みんなをごまかしていたが、ほんとうの仏像が取りかえされてしまったのだから、きみの変装はなんの役にもたたなかったのさ。わかったかい。ハハハ……。」
 恐怖王はそれを聞くと、ほんとうに、おどろいてしまいました。あの仏像が、はやくも取りかえされたとは、ゆめにも知らなかったのです。仏像に変装したのは、まったく、むだぼねおりになってしまいました。
 恐怖王は、しばらくだまって、つっ立っていましたが、しかし、このくらいのことで、まけてしまうやつではありません。
 やっと、気をとりなおすと、ひとをばかにしたように笑いだしました。
「ワハハハ……、小林のチンピラは、なかなか、あじなことをやるねえ。だが、おれのほうには、いつも、おくの手が用意してあることを知っているだろうな。ハハハ……、チンピラが、いくら、いばったって、おれは、びくともするもんじゃないよ。」
 小林君は、このどたんばになって、恐怖王がピストルでも出すのではないかと、からだをかたくしました。すると、あいては、はやくもそれをさっして、
「ハハハ……、おれは、とび道具のような、やばんなものは持っていないよ。血を見るのは大きらいだからな。それより、知恵だよ。おれの武器はおくそこの知れない知恵なのだ。」
「フフン、まけおしみをいってらあ。で、どんな知恵があるんだっ。」
 小林君もまけてはいません。
「それはね、こうするんだっ。」
と、さけんだかと思うと、仏像にばけた恐怖王は、いきなり、小林君めがけて突進してきました。
 そのいきおいが、あまりはげしくて、つきたおされそうなので、小林君は思わず、一方へ身をかわして、かたすかしをくわせました。
 そして、いまにも、こちらへつかみかかってくるかと、身がまえていますと、恐怖王はかたすかしをくったまま、小林君のそばを通りぬけて、玄関のほうへ矢のように、かけだしていってしまったではありませんか。逃げたのです。
「みんな、来てください。あいつが逃げたから、つかまえてください……。」
 小林君は、家じゅうにひびきわたるような声で、さけびながら、あとを追いました。
 その声を聞きつけて、片桐さんとふたりの書生もかけだしてきました。
 玄関をでると、まっくらな庭です。小林君はキョロキョロとあたりを見まわしましたが、金色の仏像はどこへかくれたのか、姿が見えません。
 すると、そのとき、表門のほうから、ふたりの警官がほんものの仏像をかかえて、はいってきました。そのあとから少年探偵団員やチンピラ隊の少年たちがぞろぞろとついてくるのです。
「仏像にばけた恐怖王が逃げたのです。あいつの姿を見かけませんでしたか。」
 そこへ出て来た片桐さんが、警官に声をかけました。
「いや、あやしいやつには、であいません。あいつが逃げたのは、いつごろのことですか。」
「たったいまです。門から出たとすれば、あなたがたと、すれちがったはずです。」
「それなら、門から逃げたのではありません。ぼくたちは、だれにもであわなかったのです。」
「それじゃあ、まだ庭の木の間に、かくれているのかな。」
「さがしてみましょう。みんなで、てわけをして、さがしてみましょう。」
 片桐さん、書生ふたり、警官ふたり、少年探偵団員とチンピラ隊十七人のうちの七―八人(あとの八―九人はへいのまわりをとりかこんで、見はりをしているのです)。これだけの人数があれば、どこにかくれていても、さがしだせないはずはありません。それに少年たちも警官も、みんな懐中電灯を持っているのです。
 それから、まっくらな、ひろい庭に懐中電灯の光が大きなホタルのように、あちこちと、木の間をとびちがい、どんなすみずみまでも、さがしまわるのでした。
 ひとりの警官は、五人の少年をひきつれて、建物のよこを、うら口のほうへ、すすんでいきましたが、むこうのほうから、ひとりのおとなが歩いて来るので、もしや恐怖王ではないかと、サッと懐中電灯をむけました。しかし、それは、あやしいやつではなくて、いままで、うら口の番をしていた、もうひとりの警官でした。警官は三人来ていて、そのひとりは、ずっと、うら口にがんばっていたのです。
 そこで、こちらの警官は仏像にばけた恐怖王が逃げたことをはなし、あやしいやつを見なかったかと、たずねましたが、なにも見なかったという答えでした。
 さあ、わからなくなってきました。いったい、あいつは、どこへ、すがたをくらましたのでしょう。
 そのとき、小林君が懐中電灯をふりながら、かけつけてきました。
「へいをのりこして、逃げたものも、ないそうです。少年探偵団員とチンピラ隊の残りのものがへいをとりかこんで、見はりをしていましたから、見のがすはずはありません。あいつは、きっと、まだ庭の中にいるのです。」
 小林君は、そこで、いきなり、声をひそめて、ひとりのおまわりさんの耳に、なにごとか、ささやきました。
「うん、そうかもしれないね。いってみよう。」
 おまわりさんはそういって、もうひとりのおまわりさんにも、なにか、ささやきました。
 ここにいるのは、ふたりのおまわりさんと、五人の少年と小林君です。
 小林君は、みんなのさきにたって、庭のむこうのほうへ歩いていきました。
 おもやから、すこしはなれて、木のあいだに物おき小屋が立っています。そのそばまで来ると、小林君は、足音をしのばせながら、入口の戸に近寄って、耳をすまして中のようすを、うかがいました。
 ひょっとしたら、恐怖王はこの物おき小屋のなかに、かくれているのではないかと、思ったのです。
 すると、そのときです。
 いきなり、物おき小屋の戸が、なかからガラッとひらきました。そして、ひとりのへんな男が、ヌーッと出てきたではありませんか。
 少年たちは思わず逃げ腰になりましたが、よく見ると、それは、まったくべつの人間でした。
 カーキ色のズボンにジャンパーをきた、顔じゅうに、ごましおひげのはえた、きたない男です。
「き、きみは、だれだっ。」
 小林君がつよい声で、たずねました。
「ここのうちの庭番のじじいですよ。べつにあやしいものじゃありません。」
 そういえば、片桐家には庭番のじいさんがいたはずです。
「いまごろ、物おき小屋なんかで、なにをしていたんだっ。」
 警官のひとりが、たずねます。
「なあにね、昼間、ここへタバコをおきわすれたので、取りにきたのですよ。ほら、これですよ。」
 じいさんは、そういって、手に持っていたタバコの「しんせい」を見せました。
 そして、そのまま、ふりむきもしないで、どこかへ立ちさってしまいました。
 じいさんが、なかへはいったからには、物おき小屋に、あやしいやつがかくれているはずはありません。
 そこで、みんなは、もっとべつのところを、さがそうと、歩きかけましたが、そのとき小林君は、なにを考えたのか、「あっ。」といって立ちどまりました。

木の上の人


「ねえ、おまわりさん。恐怖王は変装の名人ですねえ。だから、ひょっとしたら……。」
「えっ、それじゃあ、いまの庭番のじいさんが、あやしいというのか。」
「ええ、ひょっとしたら、あいつ、恐怖王が、ばけていたのかもしれませんよ。ああ、いいことがある。たしかめてみるんですよ。」
「えっ、たしかめてみるって?」
 ふしぎそうな顔をしている警官には、かまわず、小林君は、いきなり戸をひらいて、物おき小屋の中へはいっていきました。
 そして、懐中電灯で、小屋の中をさがしましたが、すぐに、それが見つかりました。
「あっ、やっぱりそうだ、おまわりさん、これをごらんなさい。」
 その声に、ふたりの警官が、小屋の中にはいってきました。
「ほら、これですよ。」
 小林君は金色の仮面と、金色のころもと、金色のシャツやズボン下を、手にもっていました。金色の仏像にばけた変装の衣装です。
「あっ、それじゃあ、いまのじいさんが……。」
「そうですよ。ここに、じいさんのつけひげや服をかくしておいて、きかえたのです。金色の仏像から庭番のじいさんに、早がわりしてしまったのです。」
「しまった。それじゃあ、とうとう、逃げられたか。」
「いや、だいじょうぶです。へいのまわりには少年探偵団が見はっています。もし逃げだしたら、よびこの笛をふきならすはずです。だから、あいつは外へは出られないのですよ。まだ庭の中にいるにちがいありません。」
「よしっ、それじゃ、ほかのれんじゅうにもいって、もう一度、さがすんだっ。」
 警官のひとりが、かけだしていきました。ほかの人たちに、このことを知らせるためです。
 それから、またしても、まっくらな庭のあちこちを、大きなホタルのような懐中電灯の光が、いそがしく、とびちがいました。
「あっ、あそこだっ、あそこにいる。」
 それをみつけたのも小林少年でした。
 懐中電灯の光がかすかにてらす、むこうの木の間を、さっきのじいさんが走っていました。
 ピリピリピリリ……と、よびこの笛が、ひびきわたりました。
 どこからともなく、「ワーッ。」という声がして、庭をさがしていたみんなが集まってきました。片桐さん、ふたりの書生、三人の警官、それに七―八人の少年たちです。
 みんなは、なにか口々にわめきながら、じいさんのあとを追いかけました。
「あっ、いけない。あの高いシイの木にのぼりはじめたぞっ。」
 ああ、ごらんなさい。庭番のじいさんは、十メートルもある高い木の、ふといみきにしがみついて、まるでサルのように、のぼっていくではありませんか。
 みんなはその木の下に集まって、たくさんの懐中電灯でじいさんの姿をてらしましたが、まもなく、その姿はしげった葉の中にかくれて、見えなくなってしまいました。
「ここで見はってれば、だいじょうぶだよ。木のてっぺんまで、のぼったって、どこへもいけやしないんだから、そのうちに、つかれて、おりてくるにきまっているよ。こっちは、気ながに待っていればいいんだ。」
 おまわりさんが、のんきらしく、そんなことをいいました。
 しかし、あいては魔法使いの恐怖王です。ほんとうにだいじょうぶなのでしょうか。
 そのとき、少年たちのうちにまじっていた、あのちっちゃなポケット小僧が小林少年のそばによって、なにかささやきました。
「あっ、そうだ、そうかもしれない。」
 小林君もすぐにそれに気づいて、おまわりさんに話しかけました。
「たいへんです。あいつは、空がとべるんですよ。ほら、あいつは、いつか京都の三十三間堂のそばの木のてっぺんから、空へとんでいったじゃありませんか。それから、ついこのあいだは、クイーン映画館の屋根から、夜の空へ、とんでいきました。あいつは、空をとべるのですよ。」
 小林君にいわれて、警官たちも、やっと、そこに気がつきました。ああ、空をとぶあいてにかかっては、どうすることもできません。
 それなら、あいつが、とびたたないまえに、木のぼりをして、つかまえればいいようなものですが、とても恐怖王みたいに、木のぼりができるものではありません。枝もなにもない太い幹を、あんなにスルスルのぼるなんて思いもよらないことです。
 警官たちは、「ちくしょうっ。」といって、くやしがりましたが、どうすることもできません。

 こちらは、木の上のできごとです。
 庭番のじいさんにばけた恐怖王は、かるわざ師のような身がるさで、枝や葉のしげった中をグングンのぼっていきました。もう、てっぺんの近くまできたのです。
 そのとき上のほうで、なにかゴソゴソと動いているような音が聞こえました。この木のてっぺんには、鳥でもいるのでしょうか。いや、鳥の羽音ではなかったようです。なにか、もっと大きなものの動く音でした。
 恐怖王ははっとしてのぼるのをやめると、きき耳をたてました。
 あいては、まだゴソゴソ動いています。
「だれだっ、そこにいるのは、だれだっ。」
 恐怖王はおもわず、どなりつけました。
 すると、ああ、これはどうしたというのでしょう。いきなり、上のほうから、
「ワハハハ……。」
という人間の笑い声が、ひびいてきたではありませんか。
 恐怖王はギョッとして、身をすくめました。
「ワハハハ、おい、そこのやつ、おまえの道具どうぐは、こわしてしまったよ。もう、とぶことはできないぜ。」
 恐怖王は、いよいよ、おどろいて、しばらく、だまっていましたが、木のてっぺんで待ちぶせているやつがあるなんて、くやしくてしかたがありませんので、思わずどなりかえしました。
「き、きさま、いったい、なにものだっ。」
 すると、上のほうから、また、笑い声がして、
「きみのいちばん、おそれている人間さ。ハハハ……、わからないかね。ぼくは明智小五郎だよ。」
「えっ、明智だって……。」
 ああ、なんという、いがいなことでしょう。片桐さんの庭のシイの木のてっぺんに、名探偵明智小五郎がかくれていたのです。それは小林君さえもすこしも知らないことでした。
「ハハハ……、さすがの恐怖王も、びっくりしているね。きみが魔法使いなら、ぼくだって魔法使いだよ。
 きみは、ぼくが福井県から帰ったといって、ぼくにばけて小林をだました。そして少年たちを屋根裏にとじこめたね。ところが、きみよりすこしあとで、ぼくはほんとうに帰ってきたんだよ。
 それから事務所に帰って、るす番のマユミからこんどのことを聞き、すぐに片桐さんに電話をかけて、いっさいのいきさつがわかったのだ。
 そこで、片桐さんに、ぼくの帰ったことは、だれにもいわないように口どめしておいて、夜になるのを待ってこの庭にしのびこみ、高い木のてっぺんを、つぎつぎと、さがしてみたのだ。
 なにをさがしたとおもうね。ヘリコプターを小さくしたような背中にとりつけるプロペラだよ。ハハハ……。ぼくはそれを知っていたのさ。いまから五年ほど前に、あるどろぼうが、フランスで発明された小型プロペラを手にいれて、つかったことがある。機械を背中にくくりつけて、空をとぶことができるんだ。ぼくはその機械を見たことがあるので、きみが空をとぶと聞いたときに、すぐそれを思いだしたんだ。
 そして、このシイの木のてっぺんに、その機械がかくしてあるのをみつけたんだよ。
 ハハハ、これだけいえば、もうわかるだろう。
 きみは、いざというときの用意にそのプロペラを、ここの木の上にかくしておいたのだ。それを、ぼくがさきまわりをして、動かないように、こわしてしまったというわけだよ。」
 明智のながい説明がおわると、恐怖王はくやしそうに、「ちくしょう……。」といって、逃げだしそうにしました。
 しかし、下におりれば、木の幹のまわりを、おおぜいの人が取りかこんでいるのです。といって、上にのぼって、たとえ明智をつきおとすことができても、かんじんのプロペラがこわれているのでは、どうすることもできません。
 さすがの恐怖王も、にっちもさっちも、いかなくなってしまいました。

きみは二十面相だ!


「アハハハ……、どうだね、まさか木のてっぺんに、ぼくがかくれていようとは思いもかけなかったろう。そして、きみのさいごの切札きりふだ、空中飛行のプロペラを、こわしてしまったとはね。ハハハハ……、おい、恐怖王君、なんとかいわないかね。」
 明智の声が上のほうから、木の葉をとおして聞こえてきました。
「まいったよ。ここまでさきまわりしているとは知らなかった。で、どうしようっていうんだ。」
「きみを、びっくりさせようというのさ。」
「びっくりさせる? まだ、このうえにか。」
「うん、このうえにだよ。」
「いったい、なんだ?」
「きみの正体さ。」
「えっ、正体?」
「きみの正体は、怪人二十面相だっ!」
 明智の声が木の葉のしげったやみの中から、かみなりのようにひびきました。
 恐怖王はだまりこんでいます。明智の声が、つづきました。
「れいによって、きみは、かえだまをつかって、うまく脱獄した。それから二月ふたつきほどたつと、仮面の恐怖王があらわれたのだ。変装のしかたで、きみが二十面相だということは、だいたいわかっていた。だが、はっきり、それとわかったのは、きみが空をとんでからだ。
 小型のヘリコプターのような機械を背中にくっつけて、空をとぶやつはきみのほかにはいない。いつか、きみが宇宙怪人にばけたときに、フランスの発明家から買いいれたプロペラだ。そんな機械をもっているのは、日本では二十面相ひとりだからね。」
 ところが、こうして明智がしゃべりつづけているあいだに、恐怖王の二十面相は、みょうなことをやっていたのです。
 庭番のじいさんにばけた二十面相は、木の枝の上にこしかけて、左手で上の枝をつかみ、右手でふところから懐中電灯をとりだすと、その手をぐっとのばして、へいの外のほうにむかって、パッ、パッと、なんども、光を出したり、とめたりしたのです。
「おい、二十面相、だまっていないで、もう、かぶとをぬいだらどうだ。」
 明智が、とどめをさすように、いいますと、いきなり笑い声がかえってきました。
「ワハハハハハ……、明智君、おれは、おとなしく下におりるよ。だがね、おれは、いつでも、おくの手の、そのまたおくの手を用意しているんだぜ。
 黄金仮面にばけ、仏像にばけ、庭番のじいさんにばけ、さいごは、プロペラでとぼうとしたが、きみにじゃまされてしまった。だが、おくの手は、これでおしまいというわけじゃない。まだまだ、おくのおくのおくの手が、かくしてあるかもしれないぜ。ハハハハ……。」
 二十面相の声が、だんだん小さくなっていきました。しゃべりながら、木のみきをつたって下へおりていくらしいのです。
「オーイ、あいつが、いまおりていくぞうっ。逃がさないように用心してくれっ。」
 明智は、そうさけんでおいて、じぶんも、おりはじめました。
 下には、十数人の人たちが、てぐすねひいて待ちかまえています。
 二十面相は、なにか考えがあるらしく、すなおに木の幹をつたいおりると、みんなの前に両手をさしだしました。三人の警官がすすみでて、そのうちのひとりが二十面相の両手にパチンと手錠をかけてしまいました。
 それからパトロールカーをよんで警視庁へつれていくことになり、十数人の人たちは二十面相をとりかこんで、門のそとの大通りへ出ていきました。すると、そのときです。
 ブルルルルン……という爆音が聞こえたかと思うと、なにか大きなものが、みんなのあいだに、おそろしいいきおいで、つっこんできたのです。
 スクーターです。
 みんなは「あっ。」といって、道をあけました。すると、おそろしい早さで走っているスクーターへ、まるでかるわざ師のように、ぱっと、とびついたやつがあります。
「あっ、あいつだ。あいつが逃げたぞっ。」
 おまわりさんが口々にさけびました。
 スクーターのうしろにとびのったのは、二十面相でした。かれは、いつのまにか、手錠をはずしてしまっていたのです。手錠ぬけなんて、奇術師の二十面相にはわけもないことでした。
 そして魔物のような怪スクーターは、みんなのさけび声をあとにして、まっくらな大通りを矢のように走りさってしまいました。
 ひとりの警官は、片桐さんのうちの中へとびこんでいって、警察署に電話をかけ、非常線をはるようにたのみました。
 残るふたりの警官は、むこうに待っているパトロールカーにとびのって、怪スクーターのあとを追いかけました。
 それから二十分ほどのち、パトカーは、はるかはなれた町のさびしい原っぱの草むらの中に、怪スクーターが横だおしになって、すてられているのを発見したのです。
 しかし、スクーターにのっていたやつも、二十面相も、どこへいったのか、いくらさがしても、みつけることはできませんでした。
 そのあくる日の新聞には、この事件がデカデカとのったものですから、世間は、二十面相のうわさで持ちきりです。電車の中でも、バスの中でも、とこやさんでも、喫茶店でも、人間がふたり以上あつまれば、かならず二十面相の話がでるのでした。
 ああ、二十面相が、またやってきたのです。あいつは、いくど、つかまったことでしょう。しかし、つかまっても、つかまっても、まるで不死鳥ふしちょうのように脱獄をして、世間にあらわれてくるのです。そして、東京はもちろん、日本じゅうの人びとをふるえあがらせてしまうのです。
 二十面相は、いったい、どこにかくれてしまったのでしょう。なにしろ、変装の大名人です。どんな姿になって、どんなところに、かくれているか、警察の大きな力でもなかなか発見することはできないのでした。

トランクの中


 それから一週間ほどのちの、どんよりとくもった日の夕方のことでした。
 小林少年とポケット小僧が、世田谷区のさびしい大通りを歩いていました。両がわには、ふつうの住宅と商店とがまじりあって、ならんでいるのですが、商店街というほど、にぎやかではありません。
 人どおりも、ごくまばらでしたが、そのとき、むこうから一台の大型自動車が走ってきて、小林君たちの前を通り過ぎました。
「あっ、あの自動車、あやしいぞっ。」
 ポケット小僧が、さけびました。
「えっ、なぜ、あやしいんだい。」
 小林君が、たずねます。
「だって、ひかったんだよ。金色に、ひかったんだよ。」
「なにが、ひかったのさ。ぼく、気がつかなかった。」
「顔が、ひかったんだよ。自動車を運転しているやつの顔が、金色だったよ。」
「えっ、それじゃ、黄金仮面……。」
「そうかもしれないぜ。あっ、自動車がとまった。見なよ。あいつおりてくるよ。」
 そうです。
 その自動車は、百メートルほどむこうでとまって、中から、みょうな男がおりてきました。
 フワフワした黒いマントのえりをたてて、黒いソフトを、まぶかに、かぶっています。
 夕方のことですから、はっきりは見えませんが、ひさしをぐっとさげたソフトの下から、キラッとひかる金色のものが見えました。たしかに黄金仮面です。
 黄金仮面は、すなわち二十面相なのです。
 その黒マントの男は、そこに店をひらいている、りっぱな美術商の中にはいっていきました。
「いってみよう。」
 小林少年はポケット小僧をひきつれて、そっと美術商の前に近づきました。
 とまっている自動車は、からっぽです。二十面相がじぶんで運転してきたのです。
 美術商には、りっぱなショーウィンドーがありました。中には片桐さんのよりはずっと小さいけれども、やっぱり古い鍍金仏ときんぶつが立っていて、そのまわりに、小さい仏像や、土の中からほりだした古代の人形などが、いっぱい、ならんでいました。
 店の中をのぞいてみますと、黒マントの男はショーウィンドーの鍍金仏をゆびさして、店員になにかいっています。
「ねえ、小林さん、あいつは、あの鍍金仏を買うか、ぬすむかして、自動車にのせて、うちへもって帰るつもりだぜ。だから、いつものようにして、ぼくたち、あとをつけようじゃないか。そうすれば、あいつのすみかが、わかるよ。」
 ポケット小僧がささやきました。
「うん、それがいい。ぼくも、そうおもっていたんだ。じゃあ、あの自動車のトランクが、ひらくか、どうか、ためしてみよう。」
 小林君はそういって、店の中の黒マントに気づかれぬよう自動車のうしろへ近づいていきました。ポケット小僧も、そのあとについていきます。
「あっ、うまいっ。かぎがかかっていないよ。」
 小林君はあたりを見まわして、人通りのないことをたしかめると、トランクのふたをひらいて中にもぐりこみました。そのあとから、ポケット小僧ももぐりこみました。
 さいわい、トランクの中にはなにもはいっていなかったので、ふたりはからだをまげて、よこになることができました。
 しかしだいじょうぶなのでしょうか。なにか、あとで、こまったことが、できるのではないでしょうか。
 ふたりは、あるだいじなことをわすれていました。そこに気がつけば、トランクなんかにかくれないで、赤電話で、明智先生なり、中村警部なりに知らせて、おとなの手で二十面相をとらえてもらうことにしたでしょう。それがいちばん安全なやりかたなのです。
 小林君も、ポケット小僧も、おとなのたすけをかりないで、じぶんで、てがらをたてたいとおもったのが、いけなかったのです。ふたりは、やがて、おそろしいめにあわなければならない運命でした。
 それはさておき、こちらは美術商の店の中です。
 店員はやっと黒マントの男の金色の顔に気づいて、あっとおどろき、まっさおになって身動きもできないでいました。
 店には店員ひとりで、だれもたすけてくれるものはありません。人をよぼうにも、おそろしさに声をだす力もないのです。
 黄金仮面の二十面相は、ツカツカと、ショーウィンドーのうしろにはいっていって、そこのガラス戸をあけ、鍍金仏を取りだすと、そのままぱっと、おもてに出ていってしまいました。
 二十面相は大通りに出ると、あたりを見まわしてから、鍍金仏をマントの中にかくして自動車に近づきました。
 あっ、いけない。二十面相は運転席のドアをひらくまえに、自動車のうしろにまわったではありませんか。
きまっています。鍍金仏を後部のトランクの中にいれるためです。
 小林君たちは、どうして、そこに気がつかなかったのでしょう。
 二十面相が仏像をぬすめば、それをトランクの中にいれるかもしれないことは、まえもって、わかっていたことです。小林君たちは、それをうっかりしていました。
 トランクのふたがスーッとひらきました。そして、そこに金色の顔のやつが立っていたのです。
「あっ、きさまたちは、小林と、ポケット小僧だな。よしっ、それほど、おれのあとがつけたいのなら、おのぞみどおり、つれていってやる。そのかわり、とちゅうで、逃げだすことはできないぞ。いいか。」
と、いったかとおもうと、仏像を小林君たちのあいだにおしこみ、パタンとトランクのふたをしめて、カチッとかぎをかけてしまいました。
 ああ、とんだことになりました。小林君とポケット小僧は、二十面相のとりこになったのです。どこへつれていかれるかわからないのです。そして、それから、どんなおそろしいめにあうか、わからないのです。
 自動車は走りだしました。トランクの中で、いくらさけんでも外には聞こえません。だれもたすけてくれるものはないのです。
 自動車はどこまでも、走りつづけています。一時間もたったでしょうか。そのころから、きゅうに道がわるくなってきました。ゴトンゴトンとゆれるので、ふたりは両手で頭をかかえるようにしました。そうでないと、鉄板に頭をぶちつけるのです。
 道がデコボコなばかりでなく、やがて、のぼりの坂道にさしかかったらしく、自動車の速度がにぶくなりました。
 どこかの山道に近づいたのではないでしょうか。もう美術商の前を出発してから、二時間もたっています。
 それから、また三十分も走ったころ、やっと車はとまりました。いよいよ、二十面相のすみかについたのでしょうか。
 しばらくすると、カチッと、かぎの音が聞こえ、トランクのふたがひらかれました。こわごわ、そとをのぞいてみると、黒マントの男ではなくて、二十面相の部下らしい、あらくれ男がふたり、目をひからせて立っていました。
 外はもう、まっくらです。つめたい風がサーッと、ふきこんできました。山のにおいです。森のにおいです。ここは東京に近い、どこかの山の中にちがいないのです。
「チンピラども、出てこいっ。」
 部下のやつが、大きなだみ声で、どなりました。
 しかたがないので、小林君とポケット小僧は、トランクの外へはいだしました。
 部下のひとりは鍍金仏をこわきにかかえました。それからふたりで、小林君とポケット小僧の手をつかんで、どこかへ、ひっぱっていくのです。
 やみの中にボーッと黒い建物が見えました。レンガづくりの二階だてです。古い西洋館です。こんな山の中に、どうして西洋館があるのか、ふしぎでしたが、あとになって、そのわけがわかりました。
 四人は、入口の鉄のドアをひらいて中にはいりました。自家発電をやっているのか、ひろい廊下にはうすぐらい電灯がついていました。
 その廊下をいくつもまがって、二少年はおくまった一室につれこまれたのです。
 そこは、りっぱな広い部屋で、てんじょうからきりこガラスのシャンデリアがさがり、部屋じゅうをあかるくてらしていました。
 まるで、宝石をちりばめたような、うつくしい部屋でした。
 というのは、部屋のまわりに、りっぱなガラスのちんれつ箱がずらっとならんでいて、その中に、あらゆる美術品がおさめてあったからです。古い仏像のかずかず、ピカピカひかる刀剣類とうけんるい、宝石をちりばめた王冠、首かざり、うつくしい手箱や花びんなど、目を見はらせる美術品でした。
 二少年は、それを見まわして、あっけにとられていますと、正面のドアがひらいて、二十面相があらわれました。黄金仮面の変装です。
 金色のターバン、金色のお能の面のようなぶきみな顔、金色のマント、金色のズボン、金色のくつ。
 怪物は、金色の口を、キューッと、三日月形にひらいて笑いました。
「どうだ、たいしたものだろう。これが、おれの集めた宝ものだ。きみたちに奇面城をみつけられて、あそこの美術館がだめになってしまったので、ここに新しい美術館をつくったのだ。いや、ここばかりじゃない。おれの美術館は、ほかにもたくさんあるのだ。ここはその一部にすぎないのだ。
 奇面城の事件では、きみたちに、ひどいめにあった。ことにポケット小僧には、うらみがある。そこで、きみたちを、ここにつれてきて、思い知らせてやろうと考えたのさ。ころしはしない。おれは人ごろしがだいきらいだ。しかし、おそろしいめにあわせてやる。二十面相に、はむかうやつは、だれでも、こういうめにあうのだということを、はっきり知らせてやるのだ。」
「おれたちを、ごうもんする気だなっ。」
 ポケット小僧が、さけびました。
「いや、ごうもんなんかしない。いたいめにはあわせない。ただ、おそろしいめに、あわせてやるのだ。」
「だが、ぼくたちを、ながくここに、とじこめておけば、明智先生がたすけに来てくださる。明智先生には、なんでもわかるのだからね。そうすれば、きみははめつだよ。せっかくつくった美術館もだめになってしまうんだよ。」
と、小林君が、自信ありげにいいました。
「だまれ、きみのおどかしなんか聞きたくない。すぐに、地獄ゆきだっ。どんなにおそろしいめにあうか、見るがいい。そらっ……。」
と、いったかと思うと、小林君とポケット小僧の立っている床板がパッと、なくなってしまいました。
 二少年は、いきなりちゅうにういて、そのままスーッと下におちていきました。
 そこの床が、おとしあなになっていたのです。
 二十面相がどこかのボタンをおすと、おとしあなの口が、ひらくようになっていたのです。
 ふたりは、まっくらな、ふかい地の底で、ひどくしりもちをつきました。
 しばらくは、おきあがる力もありませんでしたが、ふと気がつくと、くらやみのむこうのほうに青く光るものが二つならんで、あらわれていたではありませんか。
 それは、なにかおそろしい怪物の目のように思われました。

ゴリラ


「ね、小林さん、懐中電灯をつけてみようか。」
 ポケット小僧がそっとささやきました。
 あかるくしたら、ふたりのいる場所がわかるので、かえって、あぶないと思いましたが、しかし、あいての正体がわからないのは、いっそうぶきみですから、小林君は思いきって、懐中電灯をつけてみることにしました。
「うん、それじゃ、ぼくもつけるからね。いいかい。一、二、三っ……。」
 そして、ふたりは、それぞれポケットから七つ道具の一つの万年筆型懐中電灯を取りだして、ぱっとむこうをてらしました。
「あっ、いけないっ。消すんだ。」
 ふたりは、おおいそぎで、懐中電灯を消しました。
 電灯の光にてらしだされたのは、何者だったのでしょう。
 それは一ぴきの大きなゴリラでした。動物園で見おぼえのある、あのものすごいゴリラでした。しかも人間ほどもある、でっかいやつです。
 そいつが、へんな歩きかたでヨタヨタと、こちらへ、やってくるではありませんか。
 電灯を消すと、もとのくらやみの中に、二つの青くひかる目がジリジリと、こちらへ近づいてきます。
 ふたりは、なにを考えるひまもなく、手をとりあって、はんたいの方へ逃げだしました。
 地下室はひろいけれども、四方に壁があります。壁まで逃げたら、もう、どこへもいけないのです。
 ふたりは、つめたいレンガの壁に、ぴったり身をよせて、ゴリラの目から、すこしでも遠くなるように、よこのほうへ、にじりよっていきました。
「あっ、ここにドアみたいなものがあるよ。」
 壁をなでていたポケット小僧が、さけびました。
「え、どこに。あっ、そうだ。ドアだよ。あくかどうか、ためしてみよう。」
 小林君が、ちからをこめて、そのドアらしいものを、おしてみました。
 すると、そのあつい木の戸が、ギイ――といって、むこうへ、ひらいたではありませんか。
「いいかい。とびだして、すぐ、しめるんだよ。あいつがでてきたら、たいへんだからね。」
 小林君はそういって、ポケット小僧の手をひっぱって、そとへとびだすと、すぐに、ぴったり戸をしめて、中からひらかないように、からだをもたせかけました。
 ふたりが背中を戸にあてて、足をふんばっているのです。
 この建物は、山の中の坂道にたっているので、おもてからいえば地下室でも、うらに出れば、そこは山の地面とおなじ高さなのです。
「そのへんに、棒きれか、大きな石が、ないかしら。そうすれば、戸がひらかないようにできるんだがな。」
 小林君はそういって、懐中電灯で、あたりをてらしてみましたが、なにもみつかりません。森の中ですから、たくさん木ははえていますけれど、つっかい棒にするような、てごろの木ぎれなんか、どこにもないのです。また、地面には石ころがころがっていますが、戸をひらかなくするほどの大きな石はありません。
 そのうちに、ふたりが背中でおしている板戸が、ギシギシとうごきはじめました。中からゴリラがおしているのです。
「しっかり、ちからをいれるんだ。もし、この戸をひらかれたら、ぼくらの命はないんだよ。」
 小林君がポケット小僧をはげましましたが、なにしろ、ポケットにはいるような小さな子どもですから、ちからはありません。それに、小林君も、少年探偵団の団長とはいっても、まだ少年です。
 うんうんいって、足をふんばっているのですが、どうやら、中のゴリラのほうが、ちからが強そうです。ふんばっている足が、ジリッジリッと、前のほうへすべっていくではありませんか。

どうくつのなか


「もう、とてもだめだよ。逃げよう。あっちへ逃げるんだ。」
 小林君は、ポケット小僧の手をひっぱると、やにわに、戸からはなれて、かけだしました。
 中からは、ちからいっぱい、おしていたので、はずみをくって、ぱっと戸をひらき、茶色の大きなかたまりが、ゴロンと、ころがり出てきました。
 ふたりの少年は、かけだしながら、うしろをふりかえって、それを見ました。くらやみに目がなれたので、あたりのようすが、ぼんやりと見えるのです。
 大きなゴリラが、いきおいあまって、ゴロゴロところがるのが見えました。どこかをうったとみえて、ころがったまま、しばらくは、おきあがることもできません。
「さあ、このまに逃げるんだ。はやく、はやく……。」
 小林君はポケット小僧の手をひっぱって、死にものぐるいで走りました。ポケット小僧は足がみじかいので、とても、そんなにはやくは走れません。まるで、ひきずられるようにして、ついていくのです。
 そこは、両がわに、きりたったような岩山のそびえた谷底みたいな、せまい道でした。
 むちゅうになって、走っていましたが、百メートルもいくと、とつぜん道がなくなってしまいました。
 ゆくてにも、たかい岩山がそびえて、ふくろ小路のようになっていたのです。道は、そこで、いきどまりなのです。
 小林君はうしろをふりむきました。すると、ああ、もうだめです。あの大きなゴリラが、谷底の道いっぱいにひろがって、ヨタヨタとこちらへ歩いてくるではありませんか。
「ゴウウウ……。」
 おそろしい、うなり声が谷にこだまして、ひびいてきました。
 ゴリラは、ながい両手をブランブランさせながら、ねこ背になって、首を前につきだし、おそろしいきばのある口をガッとひらいて、うなっているのです。
「チンピラども、逃がすもんか。」というように、うなっているのです。
 ふたりは、もう生きたここちもありません。前と両がわは、きりたったような岩山にふさがれ、うしろにはゴリラです。まったく逃げ場がなくなってしまいました。
 ゴリラは、あいかわらず、ヨタヨタと歩いてきます。四つんばいになって走れば、一とびで、ここまでこられるのですが、そうはしないで、あと足だけでぶきみなかっこうで歩いているのです。ひょっとしたら、さっきころんだので、どこか、けがをしたのかもしれません。
「あっ、こんなとこに、ふかいほらあながあるよ。」
 ポケット小僧がそれに気づいて、さけびました。
 くらいので、よく見えなかったのですが、たしかに、そこに、ほらあなの口がひらいていました。人間が立って歩けるほどの大きな洞くつです。
 なにも考えるひまもありません。逃げ場は、ここ一つです。ゴリラはもう、すぐそこまで近づいているのです。ふたりは、いきなり、その洞くつの中へはいっていきました。
 むちゅうになって、かけこみましたが、考えてみれば、きみのわるいほらあなです。おくに、なにがすんでいるか、わかったものではありません。
 かびくさい、ひやっとした土のにおいがして、上から、ポトン、ポトンと、つめたいしずくが、ふたりの首すじへたれてくるのです。でも、かまわずに、三メートルほどすすみました。
「ゴリラのやつ、このほらあなに気がつくだろうか。」
 ポケット小僧が、しんぱいそうに、ささやきました。
「うん、きっと気がつくよ。あいつは夜だって目が見えるだろうし、ぼくたちのにおいを、かぎわけるからね。いまにやってくるにちがいないよ。しかし、そのまえに、このほらあなが、どんな場所だか、しらべてみなくっちゃ……。」
 小林君はそういって、懐中電灯をつけると、あたりをてらしてみました。
 入口をはいって、しばらくは岩山ですが、そのおくは土の山で、あなの両がわに、ふといまるたの柱が立っていて、その上に、おなじようなまるたがよこたえてあるのです。土がおちるのを、ふせぐためです。おくのほうを、てらしてみると、そういう柱と横木が二メートルおきぐらいに、ずっと、つづいているようです。
「これは、なにかの鉱山だよ。鉱石をほりだすために、こんなあなをつくったんだよ。ぼくは鉱山のあなにはいったことがあるから、よくわかるんだ。しかし、これは、いまはもう、ほるのをやめた古いあなだよ。みたまえ、あの木の柱や横木がぼろぼろにくさって、いまにも、くずれそうになっているだろう。気をつけないとあぶないよ。」
 小林君は説明しながら、だんだん、おくのほうへ、はいっていきました。
 あとになって、わかったのですが、このほらあなは、ずっとむかし、鉱石ではなくて、徳川時代の金貨である大判小判をほりだすために、つくられたものでした。
 明治維新いしんのとき、徳川幕府のご用金をこの山の中にかくしたという、いいつたえがあり、そのかくし場所をおしえる暗号文を手にいれた人が、ばくだいな費用をかけて、こんなあなを、ほったのです。
 このあなは、ひじょうにおくぶかく、また、いくつも枝道があって、うっかりすると道にまよって、出られなくなるほどです。
 二十面相のすみかになっているあの赤レンガの西洋館も、金貨をほりだそうとした人が、ここに腰をすえて仕事をするために、わざわざたてたものだといいます。
 しかし、それはもう三十年も前のことで、いくらほっても金貨はみつからず、とうとう費用がなくなって、やめてしまい、西洋館もそのまま、すむ人もなく、うちすてられていたのです。
 二十面相はその古い西洋館を見つけだして、いろいろ手入れをして、じぶんのすみかにしたのでした。
 さて、小林君とポケット小僧が洞くつの中へ、十メートルも逃げこんだときです。
「ゴウウウ……。」
 なんともいえない、おそろしいうなり声が洞くつにこだまして、ひびきわたりました。
「あっ、ゴリラだっ。ゴリラがはいってきたんだ。」
 ポケット小僧が、ふるえ声を出しました。
 小林君は、すばやく洞くつの入口のほうへ、懐中電灯をふりむけました。
 やっぱりそうです。十メートルほどむこうに、あの大きなゴリラが立ちはだかっているではありませんか。
 小林君は、いそいで懐中電灯を消しました。消したところで、あいては、くらやみでも目のきくやつですから、なんにもならないかもしれませんが、といって、あかるくしていれば、いっそうあぶないのです。
 そうして、また五―六歩前にすすんだときでした。
 バタバタバタという、おそろしい音がして、なにか大きなものが、ふたりの頭の上を、かすめていきました。

怪物の目


「あっ、大きな鳥のようだったよ。なんだろう。」
 ポケット小僧が、小林君に、しがみついてきました。
「きっとコウモリだよ。こういうほらあなには、たいてい、コウモリがすんでいるもんだよ。」
 小林君が、いってきかせました。
 そのとき、うしろのほうで、「ギャーッ。」という、ものすごいさけび声がして、パタパタと羽をはばたく音が聞こえてきました。
「あ、わかった。ゴリラがコウモリをつかまえて、くっているんだよ。……これであいつがこっちへくるのが、すこしおくれるだろう。さあ、このまに逃げるんだ。」
 小林君はポケット小僧をひっぱって、おくへ、おくへと、すすんでいきました。まっくらな、でこぼこ道ですから、ときどき、パッ、パッと、懐中電灯をてらさないと、あぶなくて歩けません。しかし、懐中電灯はすぐに消してしまうのです。いつまでもつけていては、ゴリラのめじるしになるからです。
 二十メートルも、おくへすすんだでしょうか。パッと懐中電灯をつけてみると、あたりのようすが、かわっていました。
 上からたれる水のしたたりは、ますますおおくなり、土がじめじめとやわらかくなって、両がわから道にながれおちています。
 そのへんはまるたの柱もおおくなり、一メートルごとに立ててあるのですが、それがくさって、なかには、おれてしまっているのもあります。
 いつ、頭の上から、土がくずれおちてくるかわかりません。それに、道にながれおちた土に、足がつっかかるので、歩くのにも、ひどく、ほねがおれるのです。
「ゴウウウ……。」
 またしても、ゴリラのうなり声がひびいてきました。しかし、それは、ずっとうしろのほうからです。
 なぜゴリラは、すぐに、ふたりにとびかかってこないのでしょう。やっぱり、どこかに、けがをしていて、はやく走れないのでしょうか。
 それとも、ネコがネズミをすぐにたべないで、おもちゃにして、よろこぶように、ゴリラもふたりの少年を、おもちゃにして、たのしんでいるのでしょうか。
 そのとき、小林君が、うれしそうな声をたてました。
「あっ、枝道だっ。」
 パッと懐中電灯をつけたとき、それをみつけたのです。ほらあなが右と左にわかれていました。右のほうが、左よりひろいような気がしました。
「よし、右へいこう。電灯をつけるんじゃないよ。ぼくたちが、どっちへいったか、わからせないようにするんだ。そうすれば、ゴリラは左のあなへはいっていくかもしれない。そして、ぼくらは、たすかるかもしれないのだよ。ぼくは、さっきから、枝道へくるのを待ちかねていたんだ。」
 小林君は、そういって、ポケット小僧の手をひいて、右のほらあなへすすんでいきました。
 すこしいくと、道がまがっていて、うしろから見えないようになりましたので、いそいで懐中電灯をパッとつけて、パッと消しました。
 そのしゅんかん、一目で見たところでは、ほらあなのようすは、いままでと、あまり、かわっていないことがわかりました。
 やっぱり、いまにもくずれそうな、やわらかい土、道にながれだした土の山、くさったまるたの柱。
「そっと歩くんだよ。ぼくらの歩く地ひびきでも、土がくずれるかもしれないからね。」
 小林君はそういいながら、なおも、おくへすすんでいきましたが、五―六歩あるくと、ふと立ちどまって、耳をすましました。
 ゴソッ、ゴソッと、とおくから、土の中を歩く音が聞こえてきます。
「おやっ、こっちへ、やってきたのかな。左のあなへはいったとすれば、こんなに足音が聞こえるはずはないんだ。」
 小林君は、ささやくようにいって、じっと、やみの中を見つめました。
 しかし、すぐむこうに、まがりかどがあるので、見とおしがきくわけはないのです。
 ゴソッ、ゴソッ、ゴソッ……、足音はだんだん、こちらへ、ちかづいてきます。そして、やみの中に、チラッと青く光るまるいものがあらわれました。まず一つあらわれ、そして、もう一つ。
 目です。ゴリラの目です。ゴリラの目が、まったくのやみの中で光るものかどうか、小林君は知りませんでしたが、このゴリラの目は、たしかにリンのように光っているのです。これには、なにか、わけがあるのではないでしょうか。
 そのおそろしい目を見ると、ふたりは、おもわず、「ワッ。」といって、ほらあなのおくへ、かけだしました。もう、地ひびきで、土がおちることなど、考えているひまはありません。
 すこし走ったと思うと、またしても、「ワッ……。」という、さけび声がおこりました。
 なにかにつまずいて、たおれたのです。そして、ふたりは、つめたい土の中へ、顔をつっこんでしまいました。
 そこに、ながれおちた大きな土の山があったのです。その山が、道の左がわを、ふさいでいたのです。
 ふたりは、一時はびっくりしましたが、それとわかると、そのままたおれているわけにはいきません。すぐうしろにゴリラがせまっているからです。
 あの青い二つの目が、つい五メートルほどむこうに光っているのです。
 ふたりは、あわてて立ちあがると、手で土の山をさぐって、右がわのきれめを見つけ、そこを通って山のうしろがわにまわりました。
 ゴリラのやつは、土の山のすぐむこうまできていました。ふりむくと、リンのように光る二つの目がいかりにもえて、いっそう、かがやきをましたように見えました。
 ああ、そのときです。天地もひっくりかえるような、おそろしいことがおこったのです。

落盤らくばん


 とつぜん、ザーッという音が、どこからか聞こえてきたかと思うと、ふたりの頭の上から、やわらかくなった土が、バラバラと夕立のようにふりそそいできました。
 とっさに、小林君は、ゴリラが手で土をすくって、ふたりにぶっかけているのではないかと思いましたが、そうではありません。もっとおそろしいことだったのです。そのとき、あなの中に大異変がおこったのです。
 ゴーッと、地ひびきのような音が聞こえてきました。そして、やにわに、頭の上から、大きな岩や土のかたまりが、ダダーッとおちてきて、あっというまに、洞くつをすっかりふさいでしまいました。
 落盤です。鉱山のあなをほっているときに、よくおこる、あの大きな土くずれです。鉱山では、落盤のために、何人も、何十人も、生きうめになることがあります。そういう新聞記事が、よく出ているのをごぞんじでしょう。
 天地もひっくりかえるような、おそろしい音と、地ひびきがつづいたあとに、きゅうに、あたりはシーンとしずまりかえってしまいました。
 ああ、小林君たちは、とうとう土くずれの下じきになって、おしつぶされてしまったのでしょうか。
 いや、そうではなさそうです。すくなくとも、すばしっこいポケット小僧だけは生きていました。かれは、おそろしいもの音がおこると、パッと、あなのおくへ身をかわして、たすかったのです。
 ポケット小僧も、小林団長のことがしんぱいでした。さっき、土くずれの音にまじって、なんともいえない、ものすごいさけび声が聞こえました。それは人間とも動物ともわけのわからない、ギャーッというようなさけび声でした。もし、あれが小林団長のさいごのさけびだったとしたら……。
 ポケット小僧はいそいで懐中電灯をつけて、そのへんをてらしてみました。ああ、よかった。小林団長は土の下じきにならないで、ただたおれているだけでした。あぶないところでした。もう五十センチむこうにいたら、おしつぶされているところでした。
 しかし、たおれたまま身動きもしません。ポケット小僧は、また、しんぱいになってきました。もしや、おちてくる岩で頭をうって、死んでしまったのではないでしょうか。
 小僧は、小林君のそばへいって、口に手をあててみました。たしかに、息をしています。だいじょうぶ、命はたすかったのです。でも、ひどいけがをしているのではないでしょうか。
 小僧は、小林君をだきおこそうとしました。しかし、ポケットにはいるような小さな子どもですから、なかなか、だきおこせません。苦心をして、いろいろやっているうちに、小林君が目をひらきました。
「あっ、ぼく、気をうしなっていたのかい。」
「うん、そうだよ。けがはしなかった?」
 小林君は、からだじゅうを、さすってみました。
「なんともないよ。なにかで頭をうったのかな。」
「おやっ、ひたいから血が出ているよ。」
「うん、そうだ。ここをうったんだ。それで、気がとおくなったんだよ。」
 小林君はハンカチを出して、きずをおさえていましたが、ふと、しんぱいそうな顔になって、
「ぼく、どのくらい気をうしなっていた?」
「ちょっとだよ。一分ぐらいだよ。」
「それじゃあ、落盤があってから、時間はたっていないのだね。で、あいつはどうしたんだい。」
「あいつって?」
「きまってるじゃあないか。ゴリラだよ。」
「ああ、あいつかあ。あいつね、土がおちたとき、すごいさけび声をたてたよ。でも、ぼくたちのかくれていた土の山より、ずっとむこうにいたから、うまく逃げたかもしれないよ。あっ、小林さん、ぼくたち、たすかったね。土がくずれて、道がとまってしまって、あいつ、こっちへこられなくなったからね。」
 ポケット小僧は、よろこびましたが、ふたりは、ほんとうにたすかったのでしょうか。ゴリラより、もっとおそろしいことが、待ちかまえているのではないでしょうか。
「とにかく、こっちからは出られないのだから、おくへはいっていくほかはない。おくへいけば、どっかで道がもとにもどって、あなの外へ出られるかもしれない。」
 そこで、ふたりとも懐中電灯をつけて、それをふりてらしながら、あなのおくへすすんでいきました。そして二十メートルも歩いたときです。
「あっ、いけないっ。こっちも土がくずれている。」
 小林君がさけびました。
 あながいきどまりのように、土でふさがれていました。ふるい落盤らしく土がかわいています。柱や横木がくさっているので、ほうぼうに、こんな落盤があるのかもしれません。
 洞くつの両方がふさがっているのですから、二少年は二十メートルほどの長さのあなの中に、とじこめられてしまったわけです。
 もう、たすかるみこみはありません。
「おれたち、そのうちに、息ができなくなるんじゃないだろうか。」
 ポケット小僧は、はやくも、そこに気がついて、心ぼそそうにいいました。
 そうです。二十メートルあるといっても、せまいあなの中です。やがて空気の中の酸素がなくなってしまったら、ふたりは、このまっくらな地の底で死ななければなりません。
「だいじょうぶだよ。懐中電灯の電池がきれるよりは、ながくもつよ。そのあいだに、ぼくたちは頭をしぼって考えるんだ。」
 小林君が、ポケット小僧を安心させるようにいいました。
「おれたち、この土をほって、外へもぐりでるよりないね。」
「うん、だが、いまの落盤は、だめだよ。水でグショグショになっているから、いくらほっても、上から土がおちてくるばかりだからね。うっかりすると、第二の落盤がおこるかもしれない。そして、こんどこそ、ぼくたち、うずまってしまうかもしれないんだぜ。」
「そうだなあ。こまったなあ。」
 ポケット小僧は小さな腕をくんで、さもこまったように、首をふるのでした。
 ああ、いったい、ふたりの運命はどうなるのでしょう。小林君の頭に、なにかうまい考えがうかぶでしょうか。(もし、うかばなかったら……。)

がんばる力


「じゃあ、あっちのほうの土を、ほってみようか。ずっとまえにおちたんだから、もう、かわいているかもしれない。」
「うん。やってみよう。そのほかに、たすかるみちはないよ。」
 そこで、小林君は、古いほうの落盤のところへいって、両手で土をとりのけてみました。そんなにかたくない土ですから、なんとかして、手でほることができます。
 くさった材木の柱が、ななめにたおれて、土にうずまっていますが、その下の土をほっても、それ以上たおれてくるようすはありません。なにかにつかえて、動かなくなっているのです。第二の落盤がおこるしんぱいはないようです。
 小林君は両手で土をすくいだして、五十センチぐらいのあなをつくりました。すくいだした土をうしろにおしやると、ポケット小僧がその土を、じゃまにならない場所にはこぶのです。
 ふたりはまっくらな中で、せっせとはたらきました。懐中電灯は電池をけんやくするために、消してしまっていたのです。
 そのうちに小林君は指のつめのあいだに土がくいこんで、いたくてたまらなくなってきました。
「おい、きみ、ちょっと、かわってくれよ。なにか、ほるものをさがすから。」
 そういって、ポケット小僧にかわってもらって、そのあいだに懐中電灯をつけて、あたりを見まわしました。
「あっ、あった。これがいい。」
 三角形のひらべったい石です。それを土の中からほりおこして、つかってみますと、けっこう、シャベルのかわりになることがわかりました。
 この石のシャベルをみつけてから、きゅうに仕事がはかどって、土をほりだしたあなが、だんだんふかくなり、やがて、せまいあなの中にもぐりこんで、仕事をしなければならなくなりました。くるしい仕事です。そんなにかたくない土ではありましたが、一メートルあまりほりすすむと、すっかりくたびれてしまいました。
「きみ、ひとりでやってては、とてもくたびれてだめだよ。交替制にしよう。ぼくときみとで、かわりあって、ほる役をやるんだよ。」
 ひとりがほれば、もうひとりは、その土をあなのそとに、はこびだすのです。三十回土をはこびだしたら、交替ときめました。そして、また、いっしょうけんめいに仕事をつづけるのでした。
「ねえ、小林さん、こんなに苦心してここをぬけだしても、このむこうがわがどうなっているか、わからないね。」
 ポケット小僧がくらやみの中で、土をはこびながら話しかけてきました。
「うん、そりゃあ、そうさ。」
「もし、これからさきのあなが、ぜんぶうずまってたら、どうする? ほっても、ほっても、どこへも出られないじゃないか。」
「そりゃあ、そうだよ。」
「もし、むこうのあなが、ふさがっていないとしてもね、そのあなを歩いていくと、つきあたりになってしまうんじゃないだろうか。おれたちは、どっちにしたって、たすからないのかもしれないぜ。」
 ポケット小僧は、べそをかくような声でいいました。
「おい、おい、いくじのないこというんじゃないよ。ぼくは、いろんな冒険談を読んだけどね、こういうときにはしんぼう強くがんばるのが、いちばんだいじなんだ。あくまで、がんばりぬくんだよ。そうすれば、ひとりでに、運がひらけてくることがある。神さまがたすけてくださるんだ。
 もうだめだなんて、あきらめてしまったら、おしまいだよ。神さまだって、そんなよわむしは、たすけてくれやしない。ね、ポケット君、がんばるんだよ。がんばりさえすれば、きっといいことがあるよ。」
 ところが、小林君が、がんばれ、がんばれといって、はりきったので、とんでもないことが、おこってしまいました。
 二メートルもほりすすんだときです。土の中にあるくさった柱がじゃまになるので、それをとりのけようとして、ぐっとひっぱったかとおもうと、ダダダダ……と音がして、そこの土が小林君の頭の上から、くずれおちてきました。そして腰から上のほうが、ぜんぶうずまってしまったのです。
「う、う、う、……。」
と、いいましたが、さけぶことも、どうすることもできません。顔がびっしり土につつまれてしまって、さけぶどころか、息をすることもできないのです。このまま、ほうっておけば、死んでしまいます。
 ポケット小僧は大きなものおとにびっくりして、懐中電灯をつけて、あなのおくをてらしてみました。
 小林団長の両足が、くるしそうに、もがいています。頭のほうは土にかくれて見えません。
「わっ、たいへんだっ。」
 ポケット小僧は、いきなり両手で小林君の足をつかんで、エンヤラ、エンヤラ、ひっぱりだそうとしました。
 土が重いので、なかなかうごきません。でも、大すきな小林団長が死んだらたいへんですから、ポケット小僧は顔をまっかにして、しんぼう強く足をひっぱりつづけるのでした。
 土にうずまっている小林君にも、それがわかりましたので、土の中で、両手を力まかせに動かして、からだをうしろへずらすようにしました。
 こうして、ふたりの力があわさったので、小林君のからだは一センチずつ、一センチずつ、土の中からぬけだすことができました。
 しかし、それには、ながい、がまん強い努力をつづけなければなりませんでした。ほんとうに、一センチずつ、一センチずつです。からだをぜんぶ、ひきだすまでには、ずいぶん時間がかかりました。
「ああ、ひどいめにあった。」
 小林君はどろだらけになった顔をハンカチでふきながら、ハアハアと、肩で息をしています。よほどくるしかったのでしょう。
「いったい、どうしたっていうの。」
 ポケット小僧が、懐中電灯で団長のみじめな顔をてらしながら、たずねました。
「ぼくがいけなかったんだよ。ほっていくと、土の中に木の棒がじゃましていたので、力まかせに、ひっぱりだそうとしたんだ。そのはずみに、上から土がおちてきたんだよ。落盤というほど大きな土くずれじゃないけどね。これからは、気をつけてほるよ。」
「じゃあ、まだ、ほるつもりかい、こんなことがあっても。」
 ポケット小僧は、小林君の勇気におどろいているのです。
「もちろんだよ。こうなったら、運を天にまかすのだ。そして、人間の力で、できるかぎりのことをやってみるんだ。さいごまでがんばるんだよ。」
 ふたりは、しばらくやすんでから、また、あなの中にはいりました。小林君は懐中電灯で、さっきくずれたところをしらべていましたが、
「だいじょうぶだよ。上のほうに、もう一本、材木が横になっていて、これはビクとも動かない。その下をほれば、あぶないことはないよ。」
といって、さっそく仕事をはじめるのでした。
 やっぱり、交替をして、かわるがわる、ほるのですが、それからの、ふたりのはたらきは、じつにめざましいものでした。ゆっくりしていたら、酸素がなくなって、死んでしまうのですから、いそがないわけにはいきません。
 もう、真夜中でした。腕時計を見ると、一時になっていました。
 ポケット小僧も、よくはたらきました。小林君は、小僧のがんばりのきくのに、すっかり、おどろいてしまったほどです。
 もう、あなのふかさが三メートルをこしていました。しかし、このくるしい仕事は、いったい、いつまでつづくのでしょう。もう、腕も、肩も、腰もしびれたようになって、いうことをきかないのです。ふたりは、ときどきあなの外へでて、やすみました。そして、しびれた腕や肩をさすって、力をとりもどすのでした。
 ポケット小僧は、もう、すこしもぐちをいいません。死ぬまでほりつづけるのだと決心しているようでした。
 それから、ふたりはまた、あなの中へはいって、仕事をはじめました。そしてシャベルがわりの平べったい石で、三度か四度、土をすくいだしたときです。
 ぐっと石をおすと、なんの手ごたえもなく、石がむこうへぬけてしまったではありませんか。
 そこに、ポッカリとあながあいたのです。そのあなから、つめたい、おいしい空気がサーッとながれこんできたではありませんか。
 小林君はドキンとして、懐中電灯で、そのあなの外をのぞいてみました。
「あっ、とうとう、つきぬけたぞっ。」
 おどりあがるような、さけび声でした。
 あなの外には、ひろいほらあなが、ずっとむこうまで、つづいていたのです。ふたりのがんばる力で、あつい落盤の壁をうちぬいてしまったのです。
 さっき、小林君がいったとおり、神さまはさいごまでがんばるものの味方でした。
 ふたりは、つきぬけたあなを大きくほりひろげて、そこから、おくのひろいあなへ、はいだしました。
 しかし、これで、ほんとうに、たすかったのでしょうか。このあなが、また、どこかで、いきどまりになっていたら、どうすればいいのでしょう。
 やがて、懐中電灯の電池がつきてしまうにきまっています。そうすれば、まったくのくらやみの中を手さぐりで、さまよわなければならないのです。
「小林さん、ぼくたち、たすかるだろうか。ひょっとしたら、このまま生きうめになってしまうんじゃないだろうか。」
 ポケット小僧が、また、べそをかくような声を出しました。

土の中のゴリラ


「なあに、運を天にまかして、いけるところまでいってみるんだよ。そのうちに、なにか、いいことがあるかもしれない。ただしんぼうして、じっとしていたんじゃ、ぼくたちは死んでしまうんだからね。」
 小林君は、ポケット小僧の手をひいて、はげましながら、まっくらなほらあなを歩いていきました。懐中電灯は持っていますが、むやみにつかっては電池がなくなってしまうので、ときどき、パッパッとつけて、あなのようすを見ると、すぐ消してしまうのです。
 さっきからの、はたらきで、ふたりとも、つかれはてていました。そのへんに、うずくまってしまいたいのを、やっとがまんして、ヒョロヒョロと歩いているのです。
 いきどまりになるのではないかと、びくびくしていましたが、そのようすもありません。あなはうねうねまがりながら、どこまでもつづいています。
「むかしの金貨が、うずめてあるというので、ほれるだけほってみたんだろうね。そして、なんにも見つからなかったというんだから、よっぽど運がわるかったのだね。たいへんなお金をつかったにちがいないよ。」
 小林君が、ひとりごとのようにいいました。まえにもかいたように、この山には徳川幕府のご用金がうずめてあるといううわさがあって、あるお金持ちが、それをさがすために、こんな鉱山のようなあなをほらせたのです。
「よくばるから、そんするんだよ。小判がうめてあるなんて、うそっぱちにきまってらあ。」
 ポケット小僧は、おこったような声でいいました。
「こんなあながあるもんだから、おれたち、ひどいめにあったじゃないか。」
「おいおい、ポケット君、きみは、このあなのおかげで、ゴリラからたすかったことを、わすれたのかい。」
「うん、そりゃそうだけどさ。」
 しばらくだまって歩いていましたが、ポケット小僧がかなしそうな声を出しました。
「おら、はらがペコペコだよ。もう、歩けないよ。」
「ぼくだってそうさ。がまんしなきゃ、しかたがないよ。はらがへるどころか、じっとしてたら、死んでしまうんだからね。歩くほかに、たすかるみちはないんだよ。」
 小林君はポケット小僧をはげましながら、なおも、すすんでいきました。
 しばらくすると、
「なんだか道がへんだよ。懐中電灯をつけてみよう。」
 そういって、万年筆型の懐中電灯をつけ、前をてらしました。
「あっ、枝道だ。どっちへいったらいいだろう。」
「ほんとだ。このあなは長いんだなあ。左のほうが、すこしひろいよ。」
「うん、そうだね。じゃあ左のほうへいくことにしよう。」
 ふたりは左のあなへすすんでいきましたが、十メートルもいくと、また枝道がありました。
「わあ、また枝道だ。やっぱり左にしよう。右へいったり、左へいったりすると、あともどりになるかもしれないからね。左ときめたら、左ばかりにしよう。」
 そういって、ふたりは左へまがりました。それから、すこしいくと、また、枝道にぶつかりましたが、やっぱり、そこでも、左のほうの道をえらびました。
 そして、しばらく歩いているうちに、あたりのようすが、ちがってきました。空気がじめじめして、息がつまるようなかんじです。小林君はへんだなと思って、懐中電灯をつけてみました。
「あっ、いきどまりだっ。」
 ポケット小僧が、さけびました。あなのむこうに、土の壁がたちふさがっているのです。
 とうとう、いきどまりへ、来てしまいました。ふたりは、もう、いよいよ、たすからないのでしょうか。そのとき、どこからか、
「ウーン、ウーン……。」
という、うなり声が聞こえてきました。
 ふたりは、おどろいて、キョロキョロと、そのへんを見まわしました。
「あっ、あれだ。ゴリラだよ。あいつ、はんぶん、土にうずまって、くるしんでいるんだよ。」
 みると、いきどまりの土の下から、ゴリラの首と背中が見えています。上から土がおちてきて下じきになったらしいのです。
「あっ、わかったっ。」
 小林君が、びっくりするような声で、さけびました。
「ポケット君、わかったよ。これは、さっき、ぼくらが落盤にであった場所の、はんたいがわなんだ。ゴリラは、ぼくらをおいかけて、ここまで来ていたんだよ。そこへ、落盤がおこったものだから、下じきになってしまったんだ。あいつけがしていたので、逃げることができなかったんだよ。」
「だが、へんだね。どうして、おれたち、はんたいがわへ出られたんだろう。」
「枝道が三つもあったし、道がぐっと、まがっているので、いつのまにか、もとのところへ、もどってきたんだよ。」
「じゃあ、小林さん、おれたち、さっきの枝道を、左へまがらないで、右へまがれば、あなの外へ出られたんだね。」
 ポケット小僧が、それに気づいて、うれしそうにいいました。
「そうだっ。きみのいうとおりだ。ここから、もとへもどるんだったら、あの枝道を、やっぱり左へまがればいいわけだよ。そうすれば、ぼくたちは、あなの外へ出られるのだ。」
 小林君も、あかるい声でいうのでした。
「ウーン、ウーン……。」
 うなり声がつづいています。しかし、あの大ゴリラにしては、へんなうなり声です。人間のうなり声に、にているのです。
「あっ、ゴリラの背中がわれているよ。」
 ポケット小僧は、じぶんの懐中電灯で、それをてらしながら、さけびました。
 見ると、うつぶせになって、半分土にうずまっているゴリラの背中が、たしかに、われているのです。落盤のときに石にうたれて、大けがをしたのでしょうか。
 いや、けがではありません。背中の毛皮が、さけるようにわれて、その下から赤い血ではなくて、黒いものが見えているのです。二少年は、おずおずと、そばに寄って手でさわってみました。
「あっ、これ人間だよ。人間が、ゴリラの皮をきているんだよ。」
 ポケット小僧がさけびました。われたところから見えているのは、黒いシャツのようでした。
「それじゃあ、頭も、ゴリラの頭をかぶっているんだろうか。」
 小林君が、大きなゴリラの頭を動かしてみました。手ざわりがへんです。ゴリラのはくせいの頭らしいのです。
「ポケット君、これをぬがせてみよう。」
 そういって、ふたりが、力をあわせて、ゴリラの頭を、まわしたり、ひっぱったりしていますと、だんだん、胴体からはなれてきて、やがてスッポリとぬけてしまいました。
「なあんだ、こんなものかぶっていたのか。ごらん、目のところにガラスをはめて、中に豆電球がとりつけてあるよ。」
 小林君は、中のからっぽになったゴリラの頭の内がわを見せました。あの青くひかる、おそろしい目は青い豆電球だったのです。
 ゴリラの頭を、ひきぬいた下には、三十ぐらいの男の顔がよこたわっていました。その顔が、さも、くるしそうに、ゆがんで、「ウーン、ウーン。」とうなっているのです。
 この男がゴリラの毛皮をきてゴリラにばけて、ふたりの少年をおどかしていたのでした。

大発見


「こいつ、二十面相の部下かしら。」
 ポケット小僧が、にくにくしそうに、その顔を見おろしていいました。
「そうかもしれない。だが、ひょっとしたら……。」
 小林少年が、そういいかけて考えています。
「えっ、ひょっとしたら、なんなの?」
 ポケット小僧は、びっくりして、小林君の顔を見つめました。
「こんな大役を、部下にやらせるだろうか。こいつが、きっと二十面相だよ。ぼくたちは、だれも二十面相のほんとうの顔を知らない。いつでも、へんそうしているんだからね。だからきっと、こいつが二十面相だよ。」
 ふたりは、しばらく顔を見あわせて、だまりこんでいました。
 あのおそろしい二十面相の顔を、こんなに近くで見られようとは、思いもよらないことでした。しかし、そいつは、土の下じきになって、うなっているのです。このまま、ほうっておけば、死んでしまうにきまっているのです。小林君は、いくら悪者でも、ころしてしまうことはできないと思いました。たすけてやらなければなりません。そして、警察にひきわたすのです。それには、まず、こいつが二十面相かどうかを、たしかめなければなりません。
「おい、きみは二十面相だろう。ほんとうのことをいうんだ。」
 そうよびかけると、ウーン、ウーンという、うなり声がとまりました。そして、くるしそうな声で、かすかに口をききました。
「た、たすけて、くれるか?」
「きっと、たすけてやる。そのかわり、ほんとうのことをいいたまえ。きみは二十面相だね。」
「うん、そ、そうだ。」
「よし、わかった。だが、ぼくたちの力では、どうすることもできない。いま、おとなの人を、よんでくるからね、すこしのあいだ、がまんしているんだ。」
 小林君はそういって、あなの外へ、ひきかえそうとしました。そのときです。
「わあっ、たいへんだあ。」
 ポケット小僧の、とんきょうなさけび声が、洞くつの中にひびきわたりました。
「ど、どうしたんだ。ポケット君。」
 小林少年が、びっくりして、たずねました。
「小判だよ。小判がウジャウジャあるよ。ほら、ここにも、あっちにも……。」
 懐中電灯の光の中に、ピカピカひかっているのは、たしかにむかしの金貨の小判でした。それが落盤の土の中にいっぱいまじっているのです。
 小林君は、その一枚を手にとってみました。たしかに重い黄金の小判です。かぞえてみると、土の中から頭をだしているのだけでも、百枚以上ありました。上のほうの土の中に、木の箱のくさってこわれたのが見えています。小判をつめた箱が、こわれて、小判がちらばったのでしょう。
「ああ、わかった。このあなのてんじょうの上に、小判の箱がうずめてあったんだ。それが、落盤でここへおちてきたのだ。この上には、まだどれだけ小判の箱が、うずまっているかしれないぞ。」
 じつに大発見でした。むかし、お金持ちの人が、これだけ大じかけなあなをほっても見つけることのできなかった、幕府のご用金が、落盤のおかげで、小林少年とポケット小僧によって発見されたのです。
「だけど、これはぼくたちのものには、ならないね。」
「むろんだよ。このあなをほらせた人の子どもか孫が、きっとまだ権利を持っているよ。とにかく、はやく、このことを警察に知らせなければ……。」
 小林君はポケット小僧の手をひっぱって、その場を立ちさろうとしました。すると、土にうずまっている二十面相が、
「おい、こ、こばやし君。お、おれをはやく、た、たすけてくれ……。」
と、くるしそうな声でよびかけました。このまま、ほうっておかれては、たいへんだとおもったのでしょう。
「よし、わかっているよ。じきに、たすけだしてやるから、しばらくがまんしているんだ。」
 そういいすてて、ふたりは、あなの入口のほうへいそぎました。ながい道ですが、前に一度とおったところですから、もう、しんぱいはありません。
 まもなく、はるかむこうに、パッとあかるいあなの入口が、小さく見えてきました。やっと太陽の光を見て、いきかえった気持です。おいしい空気が、そよそよとながれてきました。
 その小さな、あかるいあなが、すすむにつれて、だんだん大きくなり、ふたりは、とうとう、さわやかな夜あけの光の中に出ました。ゆうべおそくから、ひとばんあなの中でくらしたのです。時計を見ると午前五時でした。
「西洋館の門の中に、二十面相の自動車がおいてあるはずだよ。あれをとばして、ちかくの町の警察へ知らせよう。ついでに医者もつれてくるんだよ。二十面相はひどくやられているから、手あてをしてもらわなくちゃ。」
 小林君がいいますと、ポケット小僧は、しんぱいそうな顔をしました。
「このままいっちゃって、だいじょうぶかい。西洋館の中には二十面相の部下がいるよ。あいつらが、あなの中にはいって、二十面相をたすけだし、小判を持って逃げちゃったら、たいへんだぜ。」
「だいじょうぶだよ。あいつたち、まだグウグウねているよ。それに、たとえ、あの洞くつに気がついたところで、二十面相のうずまってるところまでいくのが、たいへんだよ、そこへいったとしても、よういに、たすけだせやしないよ。
 部下のやつが二十面相を見すてて、小判をぬすむ気になったとしても、あのあなのてんじょうをほって、たくさんの小判の箱を取りだすだけでも、三時間や四時間はかかるからね。だいいち、ぼくらが自動車にのっていってしまえば、やつら、どうすることもできやしないよ。この山を歩いて逃げだしたら、うろうろしてるうちに、つかまってしまうよ。」
 小林君の説明をきいて、ポケット小僧も安心しました。
 小林君は自動車の運転がじょうずでした。ふたりは、二十面相の自動車にのると、しずかにスタートさせて山をくだっていくのでした。
 それから四時間ほどたったときには、山の西洋館は十八人という人数で、ごったがえしていました。ちかくの町の警察から八名の警官と、その町の医師、それから電話れんらくによって、明智探偵と警視庁の中村警部、その部下の刑事が五名もやってきました。それに小林少年とポケット小僧です。西洋館の門の前には五台の自動車がとまっていました。
 まず、落盤の下じきになっていた二十面相をたすけだし、西洋館のベッドにねかせて、医師がてあてをしましたが、二十面相はとうぶん身動きもできないだろうということでした。
 西洋館にいた四人の部下は、ぜんぶ手錠をはめられ、自動車で警察へつれていかれました。
 洞くつのてんじょうにかくされている小判の箱をぜんぶ、ほりだしたのは、それから二日のちのことでした。小判の箱は五十個出てきました。ばくだいな金額でした。幕府のご用金がうずめてあるという、いいつたえは、やっぱり、ほんとうだったのです。
 その大金は、山の権利を持っている人にひきわたされましたが、その人は小林少年とポケット小僧に、ぜんたいの百分の一にあたる五百万円の現金を、お礼としてくれることになったのです。
 ふたりは、おとうさんも、おかあさんも、死んでしまっていませんので、お金をあげる人もありません。五百万円ぜんぶを明智先生にあずかってもらって、探偵事務所と少年探偵団のためにつかうことにしました。
 しばらくして、少年探偵団の集まりがあったとき、団員たちは、小林団長にたずねました。
「明智先生は、あのお金を、なににつかうつもりだろうね。」
「それはまだわからないよ。探偵の仕事に、いちばんためになることに、つかおうといっていらっしゃるんだ。」
「じゃ、小林団長なら、なににつかいますか。」
「ぼくなら、けいたい無線電話機がほしいね。五つでも六つでもいい、ぼくらがそれをもって、探偵事務所と話ができるようになれば、どんなにべんりかしれないよ。わるものにつかまって、とじこめられても、そこから、平気で事務所の先生と話ができるんだからね。」
「わあっ、すてきだ。それにしよう。明智先生に、それをそなえてくださるように、たのもうよ。」
「それがいい、それがいい。」
「わあい、少年探偵団、ばんざあい。」
 少年たちのあいだに、さかんな拍手がおこりました。
 この計画は、明智探偵も、きっと、さんせいするでしょう。そして、少年探偵団がけいたい無電機をもつ日も遠くないかもしれません。そうなったら、かれらは、いままでみられなかったような大活躍をするでしょう。その日がまちどおしいではありませんか。





底本:「仮面の恐怖王/電人M」江戸川乱歩推理文庫、講談社
   1988(昭和63)年8月8日第1刷発行
初出:「少年」光文社
   1959(昭和34)年1月号〜12月号
入力:sogo
校正:茅宮君子
2017年12月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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