旧友の死

辰野隆




志田文雄


 去月二十七日の朝六時頃、僕は夢を見た。広い原にぼんやり佇んでゐると、向ふから一群の中学生が四列縦隊で元気よく進んで来る、先頭に立つて何か旗やうなものを捧げてゐるのが、紛ふ方なき旧友志田文雄なのだ。稍反り身になつて、白い布を肩から斜に懸けてゐた。彼の歩調は如何にも活溌だつたが、近づいて来るに従つて、その衰へ果てた蒼白の顔色に、僕ははつと驚いて、叫んだ。「文雄さん、そんなに歩いていいのか。」文雄さんは何とも答へずに、僕の目の前をぐんぐん歩いてゆく……そこで目が覚めた。

 数日前からこの旧友の軽からぬ病がしきりに気にかかつてゐたので、「厭な夢だ」と不図独語した。折から夜具をたたんでゐた妻が「どんな夢」と訊ねた。僕は只「文雄さんの夢だ」とばかり、多く語らずに起きてしまつた。その日、午後三時頃、帰宅すると、妻が玄関に待ちうけて、今、研究室から電話がかかつて大阪からの電報で、志田さんが今朝九時半に亡くなられたと云ふので驚いてゐるところだ、と。僕は朝の夢の始終を妻に語つた。
 志田文雄は我が国電気工学の泰斗故志田林三郎博士の嗣子で、父君と専攻を同じくした。日本電気の専務取締として、最近、北支視察の帰途、悪性の肺炎に侵され、大阪府の甲南病院で加養の甲斐もなく、日支共栄の大望を抱きつつ寿に先つて逝いたのである。彼と僕とは府立一中の五年間、学業を怠る競争をして、互にスポーツに精進した。二人の交友ではその期間の印象が特に深かつたので、彼の最後の朝に、当年の思ひ出が僕の夢裡に悲しく甦つたのであらう。

 志田君今や我等旧友に先じて逝く、茲に此岸の別離を深く悲しむと雖、はた彼岸の再会を期する望みを捨つる能はず、知己は互に生死の隔てを撤して時に談笑し痛飲せずんば巳まざらんとす。

したたるよ若葉の雫酒かとも

昭和十三年五月三日

友田恭助(その一)


 新劇壇一方の重鎮友田恭助君が、伴田工兵伍長として上海に戦死した。友田君との交りは未だ数年にすぎぬが、僕は彼に対して終始清い感情を以て対することが出来たのを嬉しく思つてゐる。もし彼が死なずに生きて還つたら、今後も永い交友を続け得たらうと思ふ、それほど彼には人の信頼に値する飾らぬ純良さが自ら備つてゐた。
 彼は何となく淋しい人だつた。僕は今迄度々彼の舞台を眺め、舞台以外の彼に接する度毎に、その顔を視ながら、その声を聴きながら、時に、「この人は短命ではなからうか」と打消しつゝ考へたことがあつた。彼の為人にも芸風にも地味で浪曼的な暗さが離れなかつたのである。それが彼の持味であつた。
 最近の戦ひに於いても、彼は飽くまで持味を発揮してゐるやうに思へる。最も難くして地味な工兵の作業に決死隊として加はり、歩兵部隊を渡らせるために幾度かクリークを往復してその大任を果した瞬間、敵弾に殪れたのであつた。「運命の命ずる道に刻苦して任務を果し、黙して死ね」といふアルフレッド・ド・ヴィニイの詩句は我が友田君にぴつたり当てはまつてゐる。
 彼が一粒種英司君の写真をひしと胸に抱きしめながら戦つてゐるといふ新聞記事を読んで、さもありなんと思ふ間もなく、翌日の記事では、更に彼の粛然として壮烈な戦歿が伝へられた。記事を読む眼が幾度か曇つて、涙がとめどなく流れるのを押し拭ひつつ、僕はもはや帰らぬ友を沁々と悼んだ。彼の余栄の永く秋子夫人と英司君の上に絶えざらんことを。

友田恭助(その二)


 赤羽の学士会ゴルフ場の堤から眺めると、時々、放水路の水上を、工兵隊の兵士が勇ましい掛声をかけながら、組立艀の櫓を押してゐる光景を見かけることがある。その激しい練習はこの前の上海事変以来、工兵隊でも、特に力を入れてゐるやうに思はれた。
 先日、久しぶりにゴルフ場を訪ねて、三番コオスに立つて、左側の川面を眺めると、向ふ岸に近いところを、数名の工兵を乗せた組立艀が流れを溯つてゐた。艫に立つた一人が力かぎりに櫓を押してゐた。僕はその姿を眤と眺めてゐるうちに涙が出て来た。それは、去る十六日の読売新聞所載、真柄・藤沢両記者の決死的な撮影にかかる、友田恭助君の戦死直前の勇姿――一つは浮袋を肩から胸に懸けて塹壕に暫しやすらうてゐる凜然たる肖像と、他の一つは呉淞クリイクを背景として、豆のやうに小さく映つてゐる彼の戦闘ぶりと――をまざまざと想ひ出したからであつた。クリイクの写真では、友田君がぐつと取舵を引いて艀を敵の岸辺に著けようとしてゐる。他の四名の兵士は背を丸くして舷に手をかけ、脚は既に岸に降りてゐるらしい。唯、友田君だけが未だ艫に踏張つて、櫓を握りしめてゐるので、敵の目標になりやすい位置に居る。彼の周囲には敵弾がしぶきを散らしてゐるのを、此岸で息もつかずに見守つてゐる真柄・藤沢両君の胸中は察するにあまりある。漸く対岸にしがみ付いた友田君に、両君が「オオイしつかりしろ」と声を涸らして叫んだ時、友田君は横なぐりの雨のやうにそそぐ弾の中で、手を挙げて合図したといふ。死に直面して奮闘しながら、何たる余裕だらう。あの温厚な友田君が舞台度胸を末期まで、報国の丹心を以て塗り上げたと思ふと、「偉いぞ、友田!」と心の底から叫ばずにはゐられない。而も、手を挙げて合図した彼の胸のポケットには、幼い英司君の写真が収められてゐたのだと思ふと、たしても、涙を誘はれるのである。

 目を上げると、放水路の艀は依然として勢よく溯つてゆく。櫓を押す兵士が疲れると、他の兵士が交替して力漕を続けつつ、やがて僕の視界から遠ざかつて行つた。

 友田君もゴルフが好きだつたが……。霞の春に、狭霧の秋に、鷹の台のリンクスで、両三度手合せをした楽しい思出も、その人既に逝いて、今や寂寞たる別離の悲しみが一しほ身に沁みる。

時雨るるや主なきクラブ錆びにけり





底本:「日本の名随筆55 葬」作品社
   1987(昭和62)年5月25日第1刷発行
底本の親本:「忘れ得ぬ人々」角川文庫、角川書店
   1950(昭和25)年5月
※「クリーク」と「クリイク」、「スポーツ」の「ー」と「コオス」「オオイ」の「オ」の混在は、底本通りです。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2015年1月28日作成
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