感傷主義

X君とX夫人

辰野隆




 感傷主義――サンチマンタリスム――にも、ぴんからきりまである。最も通俗なのは『金色夜叉』や『不如帰』をはじめ、所謂大衆小説と呼ばるる無数の小説を貫く甘い涙ぐましさとかいうものであろうが、高級なサンチマンタリスムには、『ボヴァリイ夫人』や『感情教育』の如き、凡そ大衆的な涙の味とは逆行する苦笑や憐憫、さては『エディポス王』や謡曲『隅田川』の如き、一つは酷烈な、一つは哀切な運命悲劇の醍醐味もあるだろう。
 リイル・アダンの『残酷篇コント・クリュエル』という短篇小説集に『感傷主義サンチマンタリスム』と題する一話が収められている。

 春の一夜、巴里シャンゼリゼエ大通りの並樹の下で、青年貴族マキシミリヤンと佳人リュシエンヌが極めて物静かに語り合っている。二人は既に半年ほど前からの恋仲であったが、リュシエンヌには、徹底的に芸術家であるマキシミリヤンの、二重にも三重にも綾のある心理が徒らに複雑に思われ冷やかにさえ感じられるのに漸く不安と恐怖の念を抱くようになって、その夜、彼女は男に、分れ話を持ちだす決心をしたのであった。彼女は自分の決心を語る準備として、「芸術は宿命的に感情硬化に到達するのではなかろうか」という質問に事寄せて、彼女の焦慮とアンニュイとをほのめかした。この質問に対して、マキシミリヤンは極めて穏やかな諷刺的な実話を以て答えるが、その答えがこの短篇の骨子なのである。マキシミリヤンが言う。
 ――リュシエンヌよ、私は或る声楽家を知っていた。彼が許嫁の死の床に侍して、その臨終に立合った時、傍らに、彼の許嫁の妹が身を慄わせ、声をあげて泣きむせぶのを聴きつつ、彼は心から許嫁の死を悲しみながらも、許嫁の妹の涕泣に発声法上の欠陥のある事に気付いて、その涕泣に迫力を添えるには、適度の訓練を必要とするのではなかろうか。と不図考えたのであった。而もこの声楽家は許嫁との死別の悲しみに堪えずしてそしてその後間もなく死んでしまったが、許嫁の妹は、世間の掟に従って、忌の果てには、心置きなく喪服を脱いだのであった。

 マキシミリヤンの実話にちなんだ答えは、リュシエンヌの心を慰めずに、却って愈々いよいよ不安をつのらせた。彼女は遂に覚悟をきめて、分れ話をきり出したが、而も彼女の気紛れから、ド・ロスタンジュという貴族に心を惹かれて、今宵は会合の約束までしてしまった、と告げる。マキシミリヤンは之を聞いて、悲痛な思いをするが、表面は至極冷静に女の申出を甘受した。斯くて、彼は女に常と変らぬ平かな語調で、芸術家の心理を説明した後、女を馬車に乗せてきれいに訣れた。彼は徐ろに家へ帰ると、部屋を閉め切って、卓に向い、その時たまたま記憶に甦って来た曾遊のスコットランドの風景を偲ぶ詩を二三行書くともなく書きとどめ、新刊の書物の数頁を読むともなく読み終ると、再び立上って、「いやに胸騒ぎがするな」と呟きながら、小机の抽斗から拳銃を取り出したが、傍のソファに悠然と腰を卸してから、胸に銃口を当てて引金を引いた。之がマキシミリヤンの最後であった。
 この短篇の終りに、作者は数行の結びの句を添えた。それは、「この時以来、リュシエンヌは、常に黒ずくめの喪服を身に纏う理由を訊ねられると、彼女は陽気に、恋人達に答えるのであった。『でも、私には黒が似合うのですもの!』と。然し、その時、喪の扇は彼女の胸の上で、墓石に休らう黒胡蝶の翼のように慄えていた」という言葉である。
 この美しい『感傷主義』という物語を僕は繰返して読んだ。而も読む度毎に新たに思い出される一つの事件がある。

 X君が帝大仏蘭西文学科の学生となって、仏蘭西文学に親しむようになったのは、大正の終りか昭和の初め頃でもあったろうか。彼は高等学校時代から兎角健康の勝れなかったため幾年か休学したので、他の学生より四五歳長じていた。彼は家庭的には孤独な、不幸な人であったらしい。大学に来てからも、彼の健康は依然として勝れなかったにも拘らず、彼は真面目に勉強した。アルフレッド・ド・ミュッセの制作と生涯に深く傾倒して、その偽らざる感傷主義には心から動かされていた。三年の課程の終りに提出す可き卒業論文にも、彼はミュッセを択んだ。
 首尾よく文学士になって、間もなく、彼は嘱託として、文部省に勤務することになった。彼はその日その日を楽しく迎え且つ送っている様子であった。或日、僕は久し振りで、彼の訪問を受けた。その顔には包み切れぬ悦びがあふれていたので、僕は直ちに、彼が近く結婚するのではないかと察したから、此方から先に質して見ると、果してその通りであった。少数の知己を招いて、ささやかな披露の宴を張り度いから、僕にも是非出席して呉れという彼の頼みに、僕も快諾した。彼の話に拠ると、新妻となるべき婦人も彼と同じく、家庭的には、孤独な、不幸な女であるらしかった。が然し、僕はひそかに、此の一対は恐らく最も幸福な夫婦になるかも知れぬと思って、彼等の前途を祝した。楽しみにしていた彼の結婚披露の日には、僕は扁桃腺の発熱のために、残念ながら出席する事が出来なかった。
 新夫婦の家庭は、予想に違わず頗る幸福であった。然るに、間もなく、新婦は病に罹って病院生活をするようになった。新婦が退院したかと思うと、此度は彼の方が患って入院しなければならなくなった。漸く病癒えたばかりの新婦の看護ぶりのこまやかさは、他の見る目にもいじらしかった。彼女の献身的な看護を受けながらも彼の病は段々重くなっていった。若し彼に万一の場合が到来したら、彼女は果して独りで生きて行けるだろうか、と彼の親友達が憂えたほど、彼女の看護は殊勝であった。彼はとうとう病院で永眠した。
 X君の屍を家に連れ戻ってから彼女は夫の屍に対して、尚お生ける人にかしずくが如く、既に口を開かぬ夫を横たえて、優しい言葉をかけ続けていたそうである。彼女の極めてしとやかな挙措、言辞には些の狂的な変調も見られなかったが、生前X君に親しかった草野貞之、中島健蔵、佐藤正彰の三君は、X夫人のつつましやかな言動の底に異常な決心が固められているのを早くも、感得して、異口同音に、彼女は死を決しているらしい、と僕に告げて、一同暗然とした。僕は三君と協力して、X夫人の覚悟を翻えさせる途は無いものかと思い煩った。然し三君ともX夫人の覚悟らしいものを直感しただけで、証拠を見極めたわけでもなく決意を親しく聴かされたわけでもなかったので、彼女に単刀直入に話を切り出すすべもなかった。唯、心から彼女の看護ぶりに動かされた事、ゆるゆる静養して健康を取戻し、児童の訓育に――彼女は結婚前からその方面で働いていた――再び尽されるようにと、懇切に慰め励ます他に途はなかった。
 X君を染井に葬ってから旬日を経た或午後、僕は未亡人の訪れに接した。その時僕は庭で、シャツ一枚になって末の男の子とキャッチ・ボオルをやっていた。彼女を客間に案内するように家の者に命じたが、彼女は急ぐ用事もある故、玄関で一寸お目にかかり度いと言う事であった。そこで、已むを得ず僕もシャツだけの乱暴な風体のままで、玄関先で彼女に会った。長い看護のつかれも多少癒えたと見えて、彼女の血色も良く、黒い喪服姿ではあったが、X君在りし日と同じように極めて柔和な面持に還っていた。彼女は一時東北の郷里に帰省して来ると述べて生前亡夫に対する僕等の好意を厚く謝した。そのものごしの静かさ、落ちつきには何等の陰翳をも認め得なかった。僕は漸く安心する事が出来た。杞憂が晴れると、徒らに事件を小説的に眺めようとした僕等の態度が却って浅はかに思い做され、省みて忸怩じくじとした。僕は熱心に彼女に静養をすすめ、他日の幸運を希望して訣れた。
 彼女は鈴木信太郎君を訪れて同じ態度で鈴木君の厚志を謝したそうである。

 それから十数日の後、僕は突然、郷里に帰った彼女の訃に接して思わず愕然とした。病死でない事は直ちに感じられたが、自殺という言葉よりも寧ろ殉死という言葉が脳裡を掠めた。「やったな!」と思うと同時に「偉いものだ!」という感激に胸を打たれて、眼の中が一時に熱くなった。僕は即座に妻を呼んでX夫人が亡くなられた、と告げると妻も粛然しゅくぜんとして「何んて、いさぎよい方なのでしょう」と涙とともに感嘆した。
 郷里に帰ったX夫人はその夜、催眠薬の致命量を服したまま翌朝は竟に再び覚めなかったのであった。

 X君夫妻の夫婦生活は僅々半歳にすぎなかったろう。而も夫人の入院に次ぐX君の入院の期間を除けば、彼等の楽しい家に、二人して味わった幸福な日数は三カ月にも充たなかった。二人は夫婦生活に潜む幾多の危機は一度も経験しなかったのみならず、共同生活に伴うアンニュイの一滴だも嘗めずに、短くはあったが、至幸な生活を満喫したのであった。二人の生涯の与えた印象が、僕に於いては、正にリイル・アダンの『感傷主義』を読んだ後の印象に酷似している。作者リイル・アダンの生涯は、極度の貧困と苦悩とに苛まれながらも、壮大な夢を以て貫かれた一生であった事を考えずにはいられない。X君夫妻の短い生涯も亦羨むに足る夢を以て貫かれていた。
 一昔前、巴里に遊んだ頃、或日仏蘭西社会党の一首領の訃が伝えられた。而もその翌日更にその夫人の訃が伝えられた。夫人は日頃仏訳された近松の悲劇を愛読して愛する男の死に欣然として従う日本婦人の志に深き憧憬の念を抱いていたという噂が新聞に掲げられた。帰朝して数年の後、僕ははしなくもX夫人の死に会して、祖国の女性に内在する古き伝統の生ける実例をまざまざと提示されたのであった。
(昭和九年冬)





底本:「日本の名随筆 別巻61 美談」作品社
   1996(平成8)年3月25日第1刷発行
底本の親本:「忘れ得ぬ人々」講談社文庫、講談社
   1991(平成3)年2月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2015年1月16日作成
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