パリの散策

辰野隆




 およそ都らしい都といえば、先ずパリとウィーンだろう。小都会なら、ニュルンベルグもリュツェルンも面白く、ブリュージュにもヴェネチアにも、惚れ惚れするような、独得の旨味があるが、真に一国の首府としての美観と情味とを兼ね備えた大都会は、何といっても、パリとウィーン、これが両大関のように思われる。
 一昔前、地震学の石本巳四雄君と二人で、屡々パリの街を、あてもなく、さすらいながら、「パリという都は、大した都だなあ!」「全くだね、作りあげたと云うよりも、自然に出来あがったという感じだね。急に拵えたんでは、この、しっとりとした味は出せない。」と二人で、感心したものだ。全くパリの美は都市美ではあるが、フランス人の高い趣味と時代の力とに依って、一個の自然美、ペイザージュになっている。
 都市美の第一の要素は調和に在る。その都会の自然と人工との調和でもあり、その街の形式と住民の生活との調和でもある。震災後の東京は漸次に近代都市の面影を加えてはいくようだが、だ未だ東京市街と住民との生活の間にはパリに於けるが如きアルモニーがない。
 一体、都市は自然の地域に人間の意志を以て建立するものなのだが、あまりに意志の目立つ都は情操の自らなる発露を妨げて、たまたまその都を訪れる客に何となくとげとげしい感じを与えるものである。僕は嘗てベルリンで、そういうぎごち無さを体験した。ベルリンには、一体に、パリに負けるものか、ロンドンに負けるものか、と反抗的プロシア精神が漲っていて、客を慰和する趣きが著しく欠けている。ローマという都が、やっぱり、ひどく力んだところがあって優雅な趣きがない。
 総じて、勃興の途を歩む国の都は何処となく浅薄な凄じさがあって、人を落ちつかせない。寧ろ、文化が一定の限度に達してしまって、既に頽廃期に入った国の都の方が如何にもしっとりとして懐しくもある。だから、僕等はニューヨークの殷賑いんしんを想像しながら無数の摩天閣の聳ゆる市街を眺めても、近代主義の墓地のようで、石塔や塔婆の林立する墓所を観ているようにも思えるのである。寧ろ、ほんものの墓地の方が遥かに審美的には活きていて、ニューヨークの方が死んでいる。

 パリのパンテオンの裏の方にコントル・スカルプという汚らしい辻がある。辻の中央には共同便所ヴェスパシエンヌがあり、一軒の珈琲店があるきりで、周囲の細民の家屋で取りまかれている。夏などはこの狭い辻が小便臭くて、ひどく不潔な感じがするが、それでいて、やっぱり絵になる辻なのだ。夕方、下宿に帰る途すがらこの辻を横ぎると、少し傾きかけた、古く黒ずんだ壁面に赤い斜陽がさして、何とも言えない色彩を染め出している。そぞろにユトリロの絵を想い起させるほどである。
 グラン・ブールヴァールの大通りを歩いていると、いつもラファエロの絵が目に浮んで来る。ルーヴル博物館からチュイルリー宮、コンコルドの広場、シャンゼリゼの大通りを見渡して遥かに凱旋門を眺めると、さすがにパリだなあと感服する。モンマルトルの丘の起伏に富んだ街並やヴォージラールの帯のように長い通りも、とりどりに面白い。

 エッフェル塔や凱旋門の上から見下した初夏のパリの景色も見事だが、ノートル・ダム寺院のてっぺんに昇って、有名な中世紀の怪石像の間に自分の東洋的にグロテスクな面をならべながら、パリ全市を馬鹿にしたように見下すのもまたなかなかに興が深い。
 ノートル・ダムは絵や写真にもあるように、セーヌ河を隔てて斜めうしろから眺めた形が最も美しいようである。
 パリの街をぶらりぶらりと歩いていると、往々、壁や塀に、大きく「禁広告デファンス・ダフィシュ、千八百何年の法規」と書いてあるのが目につく。或る日、ふと、そういう「禁広告」という文字の真下に、白いチョークで、何たる広告だケル・アフィシュ! と、落書のあるのに気がついて、一寸面白いと思った。
 落書で思い出すのは、パリに移る前にリヨン大学の聴講生として時々聴講に出かけた頃、大学の玄関に近い廊下に落書禁止の掲示板を見たことである。掲示板には、「学生諸君は文字或は図画を以て机、椅子、壁等を装飾せられざらんことを」と誌してあった。ところが、教室に入って見ると、落書は相当なものであった。たまたま僕の占めた上には、ナイフで丁寧に「ランドリュー万歳」と彫ってあった。ランドリューというのは一九二〇年頃、フランス全土を慄えあがらせた殺人、強盗、強姦の犯人で、恰も僕がリヨンにいた頃、死刑に処せられたのであった。

 凡そ日本ほど、正々堂々と花柳病の広告を新聞や雑誌に掲載する国はあるまい。これは殊に少年少女の教育の為に是非とも当局の三省を促したいものである。フランスの新聞雑誌には斯ういう広告は非常に稀れなように思われる。パリではこの種の広告は概して、街の共同便所内に限られている。「尿道専門ヴォワ・ユリネール快癒迅速ゲリゾン・ラピッド、何々街何番地」と云ったような広告がべたべた貼ってある。ところが、時々、尿道専門何某という医者の名の下に、盗人比処に行くべからずヴォルール・エ・アレ・パなんて、落書がしてある。

 モンパルナス街の珈琲店ロトンドであったか、クポールであったか忘れたが、そこの便所の中の落書は最も猛烈で、而も甚だ芸術的で、便所で用を足すよりも展覧会にゆく気分の方が強くなるそうである。もっとも、人伝てに聴いたのだから、真偽のほどは保証の限りでない。





底本:「日本の名随筆 別巻23 広告」作品社
   1993(平成5)年1月25日第1刷発行
底本の親本:「辰野隆随想全集4 ふらんすとふらんす人」福武書店
   1983(昭和58)年8月15日初版発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2015年1月28日作成
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