UV

石塚浩之




 このごろくり返し見る夢がある。数ミリずつじわじわと体を切り刻まれていく夢だ。


 ぼくには生活がない。しなければならないことも、したいこともなにもない。ただ毎日を死んでいるみたいに生きている。生活というのは一種の保護膜のようなものだ。それが身を守るためにこれほど有用なものだったとは、失ってみるまで気づかなかった。保護膜を失い生活圏の外の世界に直接出ることは成層圏の外に出て太陽を肉眼でみる以上に危険なことだ。この世界の光は直射日光よりもまぶしく、紫外線よりも毒性が高い。なにかの拍子に炎天下の地上に出てしまったミミズの運命。自分の身に何が起きたのかも理解できず、不意の光線を逃れるすべもなく、ただ灼熱のアスファルトの上をのたうちまわるしかないのである。
 どこでどう間違えてこんなことになってしまったのか。誰かがぼくに強制したわけではない。ぼくはいつも自分自身で選択してきた。それは確かなことだ。けれども今の状況がぼくの望んでいたものだったのだろうか。大学を卒業したあと職に就かなかった。それだけのことだ。あのときは他にしたいことがあったのだ。しかし今ではもう自分がなにをしたかったのかさえ忘れてしまった。ありもしない未来に形のない希望を感じていたころが遠い昔のことのような気がする。追い求めていた夢がガスのように消えてしまうものでしかなかったのなら、もともと大した動機など持っていなかったのだろう。そういわれたとしても仕方のないことだ。
 ぼくは一体何に夢中になっていたのか。きっとそれは死ぬまで見続けなければならない夢だったのだ。その夢から目を覚ますことになった一番の原因は自分自身の弱さだったとわかっている。でも眠りが浅くなった一瞬につい夢から目を覚ましてしまったのは、君のせいでもあるんだよ。ひとりで生きていくことのむなしさをぼくに教え、一緒に暮らすことが唯一の正しい生き方のように思わせたのは君だったはずだ。その君がいなくなってしまい、ぼくは途方に暮れている。もっともぼくがこんな状態になってしまったのと、君があっさりと他の男と暮らすようになったのとはどちらが先だったのか、今となっては思い出せない。
 一体ぼくがなにを失ったというのだ。君と出会う前に戻っただけではないか。住む場所に不自由しているわけでもない。ぼくが小学生のころ両親が建てた二階建ての家。彼らはここには住んでいない。夫婦で海外に暮らしている。衣食にも全く不自由しない。向こうでは円も必要ないから、こちらでの財産はすべてぼくが管理している。管理というと聞こえはいいが、実際は勝手に使って少しずつ喰いつぶしているだけだ。毎日を過ごす上でぼくに不足しているものはなにもない。むしろ必要以上に満たされている。
 そもそもぼくに失うものなんてあったのだろうか。君がいなくなって初めて、ぼくはもともとひとりだったことに気づいた。そんなことはぼくだけが特別なわけではない。今さらそんなことを言い出すのは反則かもしれない。確かなことはぼくには今なにもすることがなくなったということだ。これが小説なら、もう最後の一行まで書かれ、あるいは読まれてしまい、一つの虚構の世界が閉じているはずだ。しかしぼくはまだここにいる。郊外の住宅地にある二階建ての家に閉じこもり、ひとりで漠然とした日々を過ごしてもうどのくらいになるだろう。そしてぼくは脱ぎ捨てられたままの下着さながらの自堕落な生活のなかで、少しずつ蝕まれていく自分を目新しい玩具のように眺めている。言うなればそれが今のぼくのただひとつの楽しみだ。
 一日が二十四時間であることは今のぼくにとってはあまり意味のないことだ。するべきこともしたいこともなくなってしまった人間は地球の自転周期を基準にして寝起きする必要がない。人間の体内時計の周期は地球の自転周期とずれているという話を聞いたことがある。きっとそれは本当のことだ。雨戸を閉め切って、昼夜を問わず蛍光灯の光で暮らし、自分の生理的要求のみに従って寝起きしてみればいい。少しずつ昼夜の交代と自分の営みがずれてくるのがわかる。昨日の起床時間が十時だとすると、今日は十時半、明日は十一時、という具合だ。
 今日目が覚めたのは朝の五時半だった。珍しく雨戸を開けてみた。今の季節、この時間、外はもう明るい。ひさしぶりの自然光に緊張し、全身に鳥肌が立った。町はまだひっそりとしている。建物や道路が人々の生活のなかで意味を持ち、息づき始める直前の時間。
 ぼくはすっかり町に出るのが嫌いになってしまった。町にいる人々はみな忙しい。みなそれぞれの暮らしに夢中なのだ。ぼくも自分なりの目的をもって歩いているようなふりをしなくてはならない。さもなくば世のなかのあちこちにあいた裂け目から暗い闇の底へ落ちてしまいそうだ。ぼくは自分が自分であることを悟られないように、びくびくしながら歩かなくてはならない。生活という保護膜は、それを持たないものから見れば、無数の棘の突き立った鎧のようなものだ。それはある意味で紫外線以上に危険だ。うかつに近寄ると大怪我をしかねない。せめてもの救いはその鎧が目に見えるものではないことだ。ぼくが鎧をまとっていないことに気づくものは誰もいない。自ら墓穴を掘るようなまねさえしなければいい。もっともいつどんな拍子に鎧を持っていないことがばれるかしれない。いつでもビザのない不法入国者の心境だ。
 しかし今ならもっと気楽な気持ちで町に出られるのではないか。町にはまだ荒々しい生活の渦ができていない。下手な歩き方をとがめる視線も気にせずにすむ。


 まだ紅葉の季節には早いのに、公園の樹木は真っ赤な色をしている。今年の夏の異常な水不足で、立ち枯れ寸前なのだ。
 人気のない町を歩くうち、この公園に来てしまった。ジョギングをする男性は苦痛に堪える充実した表情。噴水は止まっている。水は一滴もなく、コンクリートの底はひび割れ、蟻が出入りしている。砂漠のようだ。けれども日差しは強くない。
 ベンチに腰掛けて煙草に火をつけてみる。この公園に来たのは今日が初めてではない。子供のころは頻繁に遊びに来ていた場所だ。それなのに何か落ち着かない。まるで旅行のついでに見つけた公園に立ち寄ったように他人の生活のなかに間借りしている感じだ。
 この位置からだと立ち並ぶ樹木に遮られて見えないが、この公園は大通りに面している。団地を抜けて駅前に通じる道だ。バスの音が聞こえる。そろそろ勤め人が家を出る時間なのだ。町が目を覚ましてしまった。もうそこは鎧なしでうろつく場所ではない。
 しかし公園のなかは外から隔離されている。外の喧噪とは無関係に時が流れている。人影もまばらだ。今頃の時間には通勤電車につめこまれているべき年齢のはずのぼくが、漠然とした表情でここに座っていられる事情を無言のうちに追求されることもない。抜け道として公園を使うことにしているらしいスーツ姿がときどき急ぎ足で過ぎていく。それだけがおそらく外で繰り広げられているであろう喧噪を伝える。帰りの道のりはそんな町のなかを場違いな仕草で歩くことになるのだ。
 一人の老人が近寄ってきて、隣のベンチに腰を下ろした。そしてぼくと同じ銘柄の煙草を吸い始めた。その振る舞いは先ほどぼくがしたこととなにも変わらないはずなのに、全く違った雰囲気に感じられた。その老人の様子にはぼくのようなぎこちなさがなく、習慣になってしまった動作の安心感があった。
 この違いはいったいどのようにして生まれるのだろう。ぼくは意識しないうちに老人を見つめていた。老人はぼくの視線に気づき、無言のままぼくに会釈した。何でもないささやかな交流。そのはずだ。しかしその何気なさにぼくは緊張した。長いあいだひとりで家に閉じこもっていたため、人間らしい交流を自然なものとして受け入れることができなくなっているのだ。それがささやかなものであるほどぼくの心は警戒を始める。
 老人はすでに何事もなかったかのように自分の時間に戻り、あいかわらず煙草をふかしている。だがぼくのまぶたにはあのあたかも自然につくられたかのような老人の微笑みが貼りついて離れない。おたがいの人生のすみずみまで知り尽くしたかのような思いやりのある表情。けれどもそんなことはありえない。ぼくと彼は今ここで初めて会ったのだから。老人が立ち去ってからしばらくのあいだぼくは二人分の吸い殻を見つめていた。
 家に戻ってからもあの老人の微笑が頭から離れなかった。公園で見知らぬ人に向けた会釈にたいした意味があるはずがない。それにしてもその意味を好意と悪意の天秤にかければ、その針は間違いなく好意の側に振れるはずだ。もっともその針の揺れはよほど注意して観察しなければ気づかない程度のものかもしれない。それでもぼくはまるで初めて恋を見つけた少年のようにその微笑みに魅せられた。ひさしぶりに全く利害のない他人からの微笑みに触れることができたのだ。それも当然のこととわかってもらえるだろうか。
 その日以来、ぼくはただあの老人と会釈を交わすためだけに毎朝公園に通うようになった。
 毎朝決まった時間にここへくるうち出会う人も知った顔ばかりになる。しかしぼくの目当てはあの老人だけだった。毎朝老人はぼくに会釈してあの微笑みを見せた。
 その微笑みはいつも全く同じだった。老人にとっては特別な意味のない社交辞令なのだ。そんなことははじめからわかっていたはずではないか。それなのにその微笑みが毎日寸分も違わないことが次第にぼくの焦りを引き起こすようになった。
 今朝も老人がやってきた。体の一部になってしまっているような杖をつきながら踏み出した右足に左足を寄せるような独特の歩き方で。動作のリズムにも歩幅にもわずかな狂いさえない。ぼくは腕時計を見た。やはり七時三十二分。老人はきっと毎朝まったく同じ時間に目を覚まし、まったく同じ時間に家を出ているのだ。散歩の道も決して変わらないのだろう。もしかすると老人が家を出てから戻るまでにその足が置かれる位置までも毎日まったく同じかもしれない。
 老人の顔の皮膚が自動的に動いていつもの会釈の表情になる。ここには必ずぼくがいる。そして老人は必ずその表情をつくる。この仕種も彼の散歩のプログラムに組みこまれているのだ。
 ぼくと老人の関係はこの朝の公園での会釈だけだ。彼はただ長年の習慣でそれをくり返しているだけだ。それでよかったはずだ。ところがぼくはこうした関係にある種の焦りを感じてきた。ぼくがひとりきりの生活のなかでささやかな交流を持つ唯一の他人。その相手とはただ毎朝言葉のない微笑みを交わすだけなのだ。乾きの極限で与えられた一滴の水分はかえって苦しみを増す。ぼくはその老人の声も知らない。言葉を話すことができるのかどうかさえ知らない。もちろん名前も住んでいる場所も知らない。
 毎朝七時三十二分に中途半端な距離まで近寄ってくるこの老人。その会釈があまりにも完璧に再現されるために、実はその会釈はぼくがここにいることと関係なくくり返されているのではないかという考えを引き起こすようになった。もしぼくが消えてしまってもこの世界は何事もなかったかのようにいつもの営みを繰り返すだろう。この老人だってそれは同じことかもしれない。老人はたとえぼくがここに座っていなくてもまったく同じように虚空にその表情を向けるのではないか。そんな疑惑が日毎に募り不安が急速にふくらんでいった。
 ある日ついにぼくは老人に声をかけた。
「だんだん涼しくなってきましたね」
 ほとんど何の意味もない無難なひとことのはずだ。その言葉を発したぼくの意図はかなり悲壮な種類のものだったのだが、その言葉自体は陳腐なまでにさりげない決まり文句ではないか。それなのに老人の表情は微笑みの形のままで凍りついた。顔面の表皮こそ見慣れたいつもの形だが、もはやその目からは自然な親しみは失せていた。老人は信じられないことが起こったという眼差しを向けて足を止めかけたが、すぐにまったくの無表情になり、ひとことも発しないままいつもの足取りで歩み始めた。ぼくの発した言葉は生まれるべきではなかった胎児のようないたたまれなさでその空間に穴をあけた。
 たしかにぼくが口を開くということは老人の頭にはないことだっただろう。ずっと朝の会釈だけの関係を続けてきたのである。その均衡を破ることで一瞬こわばった空気が生まれるかもしれないとはぼくも予測できたことだ。しかしぼくの様子はそれほどまでに不自然で異様なものだったのだろうか。しばらく人との交流を失っているあいだにどろどろと腐ってしまったぼくの心は、自分では気づかなくても他人には我慢のできない腐臭をまき散らしているのだろうか。
 ぼくは老人の後を追いその腕をつかむこともできた。そうでなくとも、彼の動揺にはまったく気づかないようなふりをしながら、もしかすると極端に恥ずかしがりやなだけかもしれないその老人にむかって「ではまたあした」ということもできた。しかしぼくはただ自分の言葉が目の前の空間に開けた空洞を見つめていた。裂け目の向こうに広がる空洞はどことも知れない黒々とした闇の世界への入り口のように思えた。
 次の日から老人は姿を見せなくなった。あやまってあの空洞のなかに落ちてしまったのかもしれない。


 眠れない夜、頭のなかをとりとめもない空想が果てしなくくり返して止まらなくなってしまうことがある。眠ろうと思いながら何度か寝返りをうってみて疲れてしまい、ああ今夜は眠れないんだと思う。
 目を開けてみる。月あかりが差しこんでいて部屋のなかの様子がぼんやりとうかがえる。掌を顔の前にかざしてみる。自分の掌のはずなのにそれはどことなくよそよそしい形をしている。それがぼくの眼からどれくらいの距離にあるのかよくわからない。
 たしかにすぐ目の前にあるようでもあるが、ずっと向こうにあるようにも感じられる。これは自分の手なのだ。そんな遠くにあるはずがない。とは考えてみても自分の体がいったいどれくらいの大きさなのかわからない。自分の体の大きさがわからないのだから、遠いとか近いとか大きいとか小さいとかいう感覚の基準もなくなってしまう。すごく大きいのだとすればそれは遠くにあることになるし、小さいのだとすれば近くにあるのだ。実際そんなに遠くにあるはずはないだろう。それはぼくの手なのだから。しかしぼくの手とはいったいどれくらいの大きさだっただろうか。ただ目の前には見たことのあるようなないような物体が暗がりのなかに浮かんでいる。
 握ったり開いたりしてみる。それは完全にぼくの念じた通りに動く。目覚し時計。これもすぐそこにあるはずだけれども見た感じではどのくらいの距離にあるのか実感できない。その方向に手を伸ばしてみる。届く。握ってみる。手応えがある。しかしその感触と時計を握っているぼくの手の見かけがどういうふうにつながっているのか不安になる。
 アー
 声を出してみる。何の特別な感情もともなわない単なる発声。聴き慣れたようなそうでないような音が虚ろに響く。声を出すのをやめるとそれまで以上の静けさが戻ってくる。耳の奥では今聞こえたはずの音が残っている。けれどもその音が本当に聞こえたのか錯覚だったのか確かめることはもうできない。
「ボクニハソノ声ガ聞コエタ」
 ぼくはそう口に出してみた。体の内側と外側からその声が聞こえた。その声は大きくはなかったが部屋の空気を十分に震わせた。ぼくにはその声が聞こえた。もしもこの部屋に誰かがいたならばそいつも間違いなくこの声を聞き取ったはずだ。けれどもこの部屋には誰もいない。その声はぼくにしか聞こえない。それを確かめる術もない。決して他人に受け取られることのない言葉が深夜の暗い部屋のなかで風化していく。この世の手前まで来ていながら生まれることも死ぬこともできない水子のように。
「コロシテヤル」
 いったい誰を殺すというのか。ぼくから離れていった君を。かつては「最愛の」という言葉をためらいなく使えた君を。あるいは君と暮らしているあいつを。かつてはお互いに親友だと信じていたはずのあいつを。
 ばかげたことを考えるのはよそう。そんな気は全くないのだから。この言葉は誰に向けられたものでもない。いない人に向けられたのだ。この言葉を聞く人がここにいたならばぼくはそいつを殺そうとは思わない。ぼくが殺してやりたいのはいない人だ。いない人というのはここではないどこかにいる人ではない。それはいる人だ。いない人というのはいかなる場所にもいかなる時間にもいない人だ。ぼくが殺してやりたいと思うとすればそれはそういう人だ。
 しかしぼくには本当に殺意があるのだろうか。ふいに口をついて出た「殺してやる」という言葉はぼくの殺意の表われなのか。殺意はその言葉の意味にまとわりついているだけではないのか。殺してやるという言葉がどこから降ってきたのかぼくは知らない。対象を持たない殺意の衝動が正当な理由もなしに湧き起こりそれがこのような言葉となって噴き出したのだろうか。ふとした拍子にこぼれ落ちた自分の言葉の意味を自分の意志と取り違えていつの間にかその気になる。きっとそのようなことはよくあることだ。
 目覚し時計の秒針の音が耳につく。本当に一秒毎に進んでいるのだろうか。一回毎の間隔にむらがあるような気がする。しかし確かめる方法は何もない。他の時計と比べてみたってその時計が正常だという確信は持ちようがない。ひょっとすると世のなかの時計はすべておかしいのではないか。地球の自転の仕方だって一定ではないのかもしれない。それどころか分子の振動から天体の運行までなにもかもが狂っているのかもしれない。
 もうたくさんだ。頼むから休ませてくれ。
 何時間かたてばまた目を覚まし、無限にも近く思われる無為を見つめなくてはならなくなるということはわかっている。ほんのつかの間でもかまわないから、眠りのなかに引きこもりたい。真空のなかにあらわれたただひとつの意識のように、否応なく自我を押しつけられ、闇雲に自分であり続けなければならないことから逃れたいのだ。死なせてくれなどといっているわけではない。自分であることを少しのあいだだけ休みたいのだ。
 ぼくは右手で目覚し時計をつかみ拳をつくった左手に目茶苦茶に叩きつけた。文字盤のカバーが割れ、針がねじ曲がり、拳を傷つけた。左手の拳を開いて手の甲を眺めてみた。明るいところで見ればそろそろ血がにじんできているのが観察できただろう。薄暗がりのなかでは様子がよくわからない。ただ熱を持った痛みの感覚は意識を自分自身から自分の手へと分散させた。これでなんとか眠りにつくことができそうだ。


 その夜、七時三十二分の老人はぼくの夢のなかを訪れた。
 老人はいつもと同じ杖をつき、ぼくの座るベンチのほうへ歩いてきた。ぼくは今朝と同じように老人に声をかけようとした。おはようございます。だんだん涼しくなってきましたね。しかしぼくの言葉は声にならない。頭のなかにはたくさん言葉があって、普通に声を出しているつもりなのに、それは喉元で生まれた瞬間に別の空間に飲みこまれてしまうようだ。何とか声を出そうとするがどうしても言葉が音にならない。大気圏外で叫んでいるようだ。そういえばさっきからぼくは息を吐くばかりで、まったく吸っていない。いつもぼくはどういうふうに声を出していたのだろう。あんまりひとりでいたためにもうぼくは声の出し方を忘れてしまったのだろうか。もう一度慎重に声帯を震わせてみる。しかしそれは声になるかわりに目の前の空間に黒い裂け目をつくるばかりだ。
 ああ。もう老人がすぐここまで近づいてきた。老人はいつもとかわらない会釈の表情を浮かべる。ぼくが必死になればなるほどその裂け目は大きくなった。老人はぼくの焦りを知っているはずだ。それなのに何食わぬ素振りでその裂け目を迂回し、そのまま立ち去ろうとする。
 そういうつもりか。
 ぼくは立ち上がって老人の腕をつかんだ。老人は声も出さず顔を引きつらせた。ぼくは老人を抱えて持ち上げた。紙でできているように軽い体だった。老人は何とか逃れようとしきりに手足を動かして抵抗した。あまり暴れるので老人の顔が顎の辺りからめくれあがってずれてきた。ぼくは和紙のような老人の顔の皮を剥いだ。その下から現われたただならぬ形相のあまりの生々しさにぼくはたじろいだ。それはほかでもないぼくの顔だった。
「コロシテヤル」
 その顔が言った。何の感情もともなわない抑揚のない言い方だった。他人の声のようだが間違いなくぼくの声だ。こいつはぼくの心のなかの自分でも気づかない意志を口にしているのか。違う。ぼくはそんなことを考えてはいない。あわてて相手の体を突き放すとその顔は熟柿のようなあっけなさで地面に転げ落ちた。
 すかさずぼくはそれを忌むべきもののように力まかせに踏みつけた。肉の感触が靴底を通して伝わってくる。その顔の頬の辺りに靴底の跡が黒く刻印され、下唇が裂けて血があふれてきた。そこにあるのは自分の顔のはずだがぼくは全然痛くない。そのためか転がった顔のほうも、血まみれになっているくせに、まるで自分がどんな仕打ちを受けたのか気づかないように平然とした表情をしている。
「コロシテヤル。コロシテヤル。コロシテヤル。コロシテヤル」
 それは地面を転がりながらわめき続けた。


 車内は空席が目立つ。郊外へ向かう電車である。平日の昼食どきにそれほど混み合うことはない。正確な時刻はわからない。皮のベルトがちぎれてしまった腕時計がポケットに入っている。けれどもわざわざ取り出してみる気もない。日が高くなってきたので特に行く先のあてもなく家を出てこの電車に乗ってみただけだ。
 先ほど幼児を連れた若い主婦のグループが降りていってからは乗客の大半は年寄りだ。通路をはさんで向かい側に座る人々の顔は深く皺が刻まれており一様に暗く見える。彼らの表情のせいではない。そこには何の表情もない。彼らの背にしている車窓から差しこむ陽光が明るすぎるのだ。彼らは死体のようにならんで腰を下ろしている。その影がぼくの足もとまで延びてきている。
 この路線の途中にはぼくが十年ほど前に通っていた高校がある。ぼくは毎日この電車に乗って通学していた。当時その駅は終点のひとつ手前であった。今は路線が延びて学園都市の開発計画地まで続いている。見慣れた沿線の風景は当時とほとんど変わっていないはずだ。けれども車内の様子も外の景色も自分とは関係のないよそよそしいもののように思える。こんな中途半端な時間だからか。
 車窓には同じ形をした建て売り住宅群が流れて行く。主婦が二階の窓から身をのりだし窓枠に二つ折りに干してある布団を叩いている。見慣れたはずの住宅地のごくありふれた光景だ。
 こんなふうに考えてみることもできる。
 実はとっくに気づいているのだ。この電車も、この風景も、よく似ているけれども別のものだ。ぼくは洞窟のなかに紛れこんでしまったのだ。恐ろしく巨大な洞窟のなかに。これだけ明るいのではここが洞窟のなかだということに気がつかなくても当然だ。それでもよく耳をすませば羽虫のうなるような蛍光灯の音が聞こえるはずだ。いつでもどこでも聞こえ続けているこの低い振動音は耳鳴りではない。今だって電車の騒音の背後にかき消されてしまいそうな静粛を注意深く探ってみれば、その音が決して途切れることなく続いているのがわかる。
 この洞窟は外の世界とそっくりにつくられている。ここで生まれて育ったものがここが洞窟のなかだということに気づかないまま一生を終えたとしても不思議ではないほどに。外に出て行かなくてもここには必要なものは何でもそろっている。足りないものは何もないのだ。一方、なくなって困るものもほとんどない。さしあたってそういうものの例として真っ先にあげられるのはぼく自身だろう。
 ここは外の世界とほとんど変わらないように見える。この洞窟と外の世界とはいつでも自由に行き来することができるという錯覚すら覚える。たしかに電車にでも飛行機にでも乗ることはできる。けれども着いた先が目指していた目的地だとはどのようにして保証されるというのだ。それどころかいつの日か乗った電車がトンネルを抜けたときにこの洞窟にもぐり込んでしまっていたのかもしれないのだ。
 電車に乗っている間に気づかないうちにこの洞窟に入りこんだのだとしたら、逆に電車で外に出ることもできるかもしれない。何かわけのわからない仕掛けでぼくがこの洞窟に入ってしまったのだとすれば、その逆の作用が働くこともありえるだろう。ここに入った理由がわからない以上、出るための対策は立てようがない。それならばあれこれと試みるよりはいつの間にか出口を通過してしまうのを待ったほうがいいのではないか。
 しかし結局こんなことは何の根拠もない空想に過ぎない。ぼくが閉じこめられているというのが本当だとしても、ぼくを閉じこめているのは洞窟ではなくぼく自身だ。
 問題なのはぼくが時間の流れから切り離されてしまっているということだ。過去はもう今のぼくとはまったく関係のない他人事のようで、思い出らしい思い出はすべてはるか遠い昔のことに感じられる。そのために未来を見通すための文脈もすっかり失われてしまった。ただ断片的な現在が無雑作にくり返されていく。明日はただ今日と同じ無為の一日。今日は空虚な瞬間の積み重ね。大海に浮かんだ小さな板きれだけがぼくの居場所だ。その板きれにしがみついて時の流れを漂うだけ。しかしこの板きれだっていつまで持ちこたえてくれるだろうか。
 電車はいつしかかつての終点を通過し、開発地域を走っている。切り崩した山肌にはまだ雑草も生えておらず土がむき出しになっている。ブルドーザーや大型トラックが何台か目にはいる。乗客はますます減って、この車両にいるのはぼくのほかにはあと二人だけだ。一人は競輪の予想紙を小さくたたんで握っている。ぼくの切符ではもう乗り越してしまっているだろう。車掌がまわってきたら精算しよう。しかしぼくはまだ目的地を知らない。


 切れかかった蛍光灯が不規則な点滅を繰り返す街灯。あの角に立つ白い壁の建物がぼくの家だ。
 自分の部屋に入ろうとして扉の把手を握った瞬間に、その手触りが今までとは違ったひどくグロテスクなものに感じられた。驚いて思わず手を放してしまう。錆びた金属がところどころはげ落ちている。今まで気にも留めなかった細部が拡大されむきだしになっている。郵便受けには電力の検針票が挟み込んである。扉の下には粉っぽい埃が固まっている。ひとり暮らしのだらしなさだ。おそるおそるもう一度手をかけて回してみると少しだけ遊びがあってそのあと留め金に連動する感触が伝わる。
 カーテンは出かける前と同じように開いてあり、明かりのついていない部屋の様子がうかがえるのは外から街灯の弱い光が入っているせいだ。ぼくはそのまま散らかった部屋の真んなかに立ちつくしていた。何をするべきかまったくわからないのだ。
 じっとしているとまわりのものが次々にばらばらになってしまう。ありふれた身の回りのものがいつもの手触りを失ってビニールでできているようなつるつるの表面になってしまうのである。なじみの薄いものよりはよく知っているはずのあたりまえのものほどそう感じやすいようだ。
 ぼくの体はこんなにのっぺりとしていただろうか。自分の皮膚というものはそこにあるということすら感じないほどなめらかで自分と同質のものだったはずだ。ぼくが今何かに触れたとき最初に感じるのは自分の肌の弾力だ。朝起きて歯を磨こうとコップをつかめばぼくがそのコップをつかんでいる感触よりも自分の掌を意識してしまう。ガラスの表面のほうがぼくに接触しているのを感じているようなのだ。自分の体の表面の弾力なんてこんなにあらたまった感触ではないはずだ。これではまるでゴム人形だ。だとすると歯や骨はきっとプラスチックでできているのだ。今ぼくの体を鋸で切断したとしてもきっと血なんて一滴も出ず、断面の具合は消しゴムの切り口と区別がつかないだろう。
 よく知っているはずのコップ。けれどもそれを覚えているのはぼくではなくてコップのほうなのだ。ぼくの身の回りのものはみなぼくのふだんの暮らしをすべて覚えているから、ぼくはあたかも今までと変わらないかのように生活することができる。けれども本当はぼく自身の内側は空っぽで自分のしようとしていることさえよくわからない。そしてぼくの外側にはばらばらになったぼく自身が記憶の断片になって散らばっている。そういう記憶がその時々のぼくのふるまいを支配する。過去のパターンの反復だけでは何も新しいものは生まれない。身の回りの場所の記憶だけがぼくのそのときをつくる。記憶の断片はどこに散らばってしまったかもわからないので起こったことの時間の順序さえ曖昧になってしまった。
 自分のことを高速で回転するコマにたとえて考えてみたことがある。何かに必死に取り組んでいたが自分が前に進んでいるのかどうかの確信が持てなかったころのことだ。何に必死になっていたのか。もう忘れてしまった。ただそのころの焦りだけははっきりと覚えている。高速で回転するコマはそれ自体強い緊張をはらんでいる。しかし傍から見ればそれは止まっているも同然なのだ。ただ同じ場所でいたずらな運動を続けているのだ。いったい自分は何をやっているのだろう。そう考えるたびにぼくの頭には高速で回転するコマの虚像があらわれた。だがコマの回転の勢いというものは案外傍目にはわからないものだ。いかにも安定して回転しているように見えるその静けさが実は軸の重心がずれて横転するほんの数秒前かもしれないのだ。コマのひとり相撲のように思えたあのころのぼくこそそうだったようだ。ぐらつき始めてからそのことに気づいてもすでに遅すぎる。たとえわずかでも軸がぶれ始めたコマは決して体勢を立て直すことはなく、あっという間に横転して完全に止まってしまう。そうなってしまえば自力では微動だにできない。次に誰かに拾ってもらえる時をじっと待つだけだ。ただコマと違うのは、こんな状態でもぼくは食ったり寝たりしなくてはならないということだ。
 ぼくは不幸になったのだろうか。君はそう思うのかい。君と一緒に暮らしていたときのほうが幸福なように見えたかい。そんな早とちりはやめて欲しい。
 本当のことを言おう。ぼくは今、幸福でも不幸でもない。すべてのものが何の意味も持たずにただあるだけの零度の地点。
 ただ叶わぬ願いを言葉にすることが許されるならば、自分が幸福なのか不幸なのか考えずにすむ暮らしを送ってみたかった。
 ぼくの人生はすでに終わっているのだろうか。それともまだ始まっていないのだろうか。
 いつしかこんな状態にも慣れる日がくるのかもしれない。そして自分がばらばらになってしまっているということさえ忘れてしまうのかもしれない。このままではいけない。今のままではきっと生きることも死ぬこともできないまま朽ち果てていくしかない。こんなふうに考えられるのもきっと今のうちだけだ。まだわずかでもぼくの内側に核のようなものが残っているあいだに手立てを探らなくてはいけない。必要なことはばらばらになってしまった自分自身をもう一度集め直すことだ。どうやって。記憶をたどり直すことか。もはや自分自身のものとは思えないほどよそよそしくなってしまった記憶をたどりなおすことにどんな意味があるというのだ。しかし開き直っていられる身分でもなかろう。枯れたはずの井戸の底にひとすくいの水が残されていることだってあるだろう。もっともそれっぽっちの水でどのくらい生き延びられるかはわからない。それでも水を飲むのは生き延びるためとは限らない。少なくともその水は今の喉の渇きをいやしてくれるだろう。果たして今のぼくに思い出せることといえば。
 あの七時三十二分の老人はどうなったのだろう。いや。あんなじじいのことを考えたってどうにもならない。それよりも君とぼくはどのように過ごしていたのだったろう。そもそも君と出会う前のぼくは何を感じて暮らしていたのだろう。断片的な思い出の向こう側に見え隠れする何人かの顔。あの顔は誰のものだったろう。吹けばとぶ埃のような記憶を息を凝らして集めてみよう。
 ふと散らかった床の上に座り込み、ああ自分は今まで立っていたのだな、と感じた。


 目を覚ますと電車はとうとう終点についてしまっていた。いつのまにか眠ってしまったようだ。すでに乗客はぼくしかいなくなっている。ぼくはしかたなく腰をあげた。汗ばんだ尻に下着が張りついて気持ち悪い。
 かろうじて地名を知っているだけの一度も来たことのない場所だ。駅は新しいことは新しいのだが、仮設で営業しているのではないかと思うほどいい加減な作りだ。売店はしまっていて煙草すら買うことができない。喉が乾いたが自動販売機も見当たらない。ホームにも改札にも人影はまったくない。乗り越しているはずだが精算せずに外に出た。小さな駅前はバスの発着所をかねているようだったが、広場から続く道は乗用車が一台ようやく通れるくらいの農道でとてもバスなど通れそうにない。前方に集落が見える。その向こうを軽トラックが走っているのが見える。人が住んでいる以上、米屋を兼ねた雑貨屋くらいはあるだろう。ぼくは収穫前の米の匂いの立ちこめる田圃の間に敷かれたまあたらしいアスファルトの上を歩いて行くことにした。
 建物の陰に農婦が働いている姿が見えてきた。大きな樽で大量の青菜を洗っている。農婦は人の気配に気づいて顔をこちらに向けじろじろとぼくを見回した。その視線は露骨な疑いを隠そうともせず、今にも傍らにおいてある鎌に手をのばしかねない様子だった。ぼくが我ながらぎこちない微笑みをつくると彼女はさっと視線を戻し、二度とこちらに顔を向けようとはしなかった。
 近くによって見ると農婦は意外に若いことがうかがえた。一見したところ色黒だが、袖をたくしあげた二の腕の内側は食用蛙の腹のようになまめかしい白さである。手拭で巻いてある頭からはみ出してみえる髪の毛は艶やかに黒く光り、しなやかな弾力のあるカーブを描いている。作業の手を休めない彼女の背なかには決してぼくの相手をするまいという決意があらわれていた。彼女との間の距離が縮まるほど息詰まる空気が育つ。彼女が背なか全体を耳にして気配をうかがっていることがわかる。
 慣れた手つきで青菜を洗う規則正しい音に混じるぼくの足音が異物のように感じられる。絶叫とともにいきなり後ろから抱きついてやったら彼女はどうするだろうか。大声をあげて助けを呼ぶだろうか。しかし家にいるのは労働力にならない老人だけだ。もちろんとっさに彼女はそのことに頭をめぐらせるだろう。そして極度の緊張から反射的にそばの鎌を手に取るのだ。
 女とはいえ毎日力仕事をしている彼女の力は強い。もみ合っているうちにぼくの背なかに鎌が突き刺さる。一瞬、下半身が凍りついて脱力するが、ぼくはひるまない。彼女の顔面を正面から力まかせに殴りつける。折れた歯が数本、ぼくの拳に突き刺さる。彼女は闇雲に鎌を振り回しぼくの体も自分の体も区別なく切りつけてしまう。鎌が身を切るたびに心臓が跳ね上がる。火傷をしそうなほど冷たい刃の感触はその時ごとに新たな衝撃を生み、けっして麻痺することのない痛みにぶるぶると震える。彼女の体もぼく以上に震えている。ぼくは彼女の衣類をむしり取り彼女の体を背骨が砕けるほど強く抱きしめる。血まみれの皮膚がじかに滑り合う。二人の血は互いの皮膚のあいだで混じりあって鉄の匂いのする湯気をたてる。それでもまだ抵抗をやめようとしない彼女の首に手をかける。ぼくの爪は彼女の首の皮膚を切り裂き食道と首のまわりの筋肉のあいだにめりこんでいく。頸動脈をまさぐり、それが激しくのたうつのを直接感じる。
 漂白したような顔色をした彼女はようやくおとなしくなり彼女の血を被って赤く濡れそぼったぼくの顔を自分の良人にも見せたことがないほどうっとりした瞳で見つめる。彼女が目を閉じるのを待ってからぼくは彼女の胸に顔をうずめる。かつてないほど激しい眠気が襲ってくる。穏やかな陽光に包まれ、おびただしい量の血を流しながらおたがいに見知らぬものどうし抱き合って死んでいく。
 甘美な空想に耽るうち、農婦との距離はふたたび開きはじめた。別の農婦が青菜を洗っている農婦に話しかける。誰かの腰の具合を尋ねている。きのう誰かがぎっくり腰になったらしい。緊迫した空気が急速に弛緩していく。農婦どうしの会話がふいに途切れた。二人がそこにいる気配はそのままだ。きっとぼくのことを知り合いかどうか身振りと目配せで確認しているのだ。振り返らなくても眉をひそめ目を見開いて首をふる様子が見えるようだ。よそ者としてのぼくの立場はこれで決まってしまった。この辺りに店があるかどうか尋ねそこなった。ぼくはまたあてもなく歩き続けることにする。車道に出たからそのうち自動販売機くらいあるだろう。
 歩きながら、農婦とここで死ぬという空想を実行していた場合のことを考える。そんなふうにうまくいくならそれでも別に構わない。身分証明のできるものは何も持っていない。そもそもぼくには証明すべき身分もない。この辺りにはぼくのことを知る人もいないから、死体の身元はなかなか判明しない。ぼくには一緒に暮らす家族もないので、当面だれも悲しませずにすむ。


 仮にぼくが死んだら。昔の友人たちは気の毒に思ってくれるかもしれないし、少しは残念に感じてもくれることだろう。だがそのことが彼らの生活に支障をきたすことはないだろう。ただ自然に疎遠になっていくよりは特別な印象を残してしまう。それは望ましくない。あまり親しくなかった高校時代の旧友などは早すぎる知人の死に興奮して同窓会を開いてしまうかもしれない。
 久島が死んだときがそうだった。三年間浪人して医学部に入った彼は在学中に肝臓癌が見つかり、卒業まであと半年というときに死んだのだ。かつての旧友たちはもとの担任と一緒に墓参りに行った。彼とさほど親しくなかったはずのものまでがやってきて、昔話に花を咲かせたり、互いの名刺を交換したりしていた。
 まさか久島の死んだことをうれしく思っていたものはいなかっただろうが、あのときの皆の表情は異様だった。懐かしさにこみ上げてくる感情が増幅しないように耐えながら、立ち並ぶ墓石の間を歩き、うわずった声で互いの記憶の引き出しを開きあうのだ。それは自分も同じことで、ぼくはどうしていいのかわからなかった。
 誰とも口をきかずに歩くぼくの耳に誰かの声が聞こえた。
 次は誰だろうな。
 何のこだわりもない何気ない言い方だった。ぼくはぎくりとした。自分のなかの気づかない悪意が形になって噴出したように感じられたのだ。それが誰の言葉だったのか確かめようとしてまわりを見回したがわからなかった。ただそんな言葉が口にされたことはなかったかのようにとりとめのない話題が続いていた。
 ぼくは一時期、久島と同じ小学校に通っていたことがあり、高校だけの級友よりは縁があったといえる。だが正直なところ、高校を卒業して以来、久島が同じクラスにいたということを思い出したことはほとんどなかった。小学校の頃も一緒に遊んだことはほとんどなかった。ただ久島の肝臓癌は末期には大腸にも転移していて最後は人工肛門を使っていたと聞いたとき、記憶の底に埋もれていた光景を思い出した。
 夏の終わりの沼地。食用蛙の鳴き声が断続的に響いている。一緒に遊んでいた仲間とはぐれてしまったのか、ぼくはひとりで湿原をさまよっている。辺りには自分より背の高い植物が生えている。ガマだ。それをかき分けながら進んでいく。視界がきかず自分がどちらを向いているのか不安になる。どちらに進めば沼地から出られるのだろう。上を向けばフェルトでくるんだフランクフルトのようなガマの穂が頭の上にならんでいる。真っ青な空に黒い雲が出てきた。もうすぐ雨が降りだすのかもしれない。胸に焦りが広がる。早く誰かを見つけなくては。みんなはぼくを置いて帰ってしまったのだろうか。ズック靴を履いた足はくるぶしの辺りまで沼のぬかるみに飲みこまれている。
 一瞬、誰かのささやき声が聞こえたようだ。声の方向の見当をつけ、ガマをかき分けながら進んでいく。声はすぐ近くから聞こえた気がしたがなかなか相手は見つからない。
 ようやく声の主のもとにたどり着いてみるとふたりのうちひとりがぬかるみに両手をついて四つ這いになっている。久島だ。彼の下半身は裸で何も着けていなかった。もうひとりは久島の姉である。
 こんなに近くで彼女と目を合わすのは初めてだった。おまけにこんな異様な状況を見せられてぼくは言葉がなかった。久島に姉がいることは知っていたし何度か見かけたこともあった。当時七歳か八歳だったぼくには並みの中学生よりも背の高い彼女が大人の女性に見えた。ひとりっ子だったぼくは自分にもあんなお姉さんがいればいいのにと久島をうらやましく思っていた。仲間のうちには平気で自分の姉のようにじゃれついているものもいたが、ぼくにはそんなまねはできなかった。
 久島の姉は何本かのガマの穂を手にしていた。
「じっとしているのよ」
 そういうと彼女は表情も変えずにガマの穂を久島の肛門につっこんだ。うっと呻き声を漏らし久島は頬を紅潮させた。久島の姉はそれを引き抜くとまたもう一本挿入し何度かそれをくり返した。ぼくの口には大量の唾液があふれてきていた。久島は四つ這いになったままぼくを見上げるとはにかんだような表情を見せた。そばには排泄物にまみれた久島の下着が落ちていた。ぼくは初めて異臭に気づいた。彼女は粗相した弟の世話をしていたのである。
 その光景は前後の記憶と切り離されていて、今となってはいつどこで起こったことだったのかわからない。ぼくは何をしにそこへ行ったのだろう。なぜ久島とその姉があそこにいたのだろう。あの沼はどこにあるのだろう。ガマの穂を肛門につっこむなんて本当にあったことだったのだろうか。


 どうしても眠れず、ぼくは思いきって体を起こした。小さな窓にはちょうど満月が見える。雲の速度が早い。水のなかに墨を流したような雲の動きをじっと見つめる。窓枠の外の光景と部屋のなかの様子との遠近感があやふやになる。このままでいるとまたいつもの感覚に捕らわれるのだ。ぼくはベッドの上に立ち上がり窓硝子を開けて鉄格子をつかんだ。
 夜の大気に冷やされた鉄の感触が掌から伝わってくる。この窓には以前から鉄格子がはまっていただろうか。黒光りのする頑丈そうな円柱がほどよい間隔で並んでいる。自分の部屋の窓のはずなのにまるで初めて見たような気がするのだ。その鉄の棒の一本に額を当ててみた。火照った頭の芯まで冷やす冷たさがここちよい。ぼくは目を閉じて鉄格子にまぶたを当てた。
 顔のすぐ下の窓枠のあたりに昆虫の動くような乾いた音を感じて目をあけた瞬間、何かが部屋のなかに落ちた。ざりがにのようだ。二階にあるぼくの部屋の窓までわざわざよじ登ってきたのだ。しかしどことなく普通のざりがにと違う。よく見ると全身を蛇のような細かい鱗で覆われているうえ、足はむかでのように数十本はある。動きも普通のざりがによりずっとすばやい。未知の生物に遭遇した不気味さに緊張し、ただ部屋のなかを動きまわるそいつを眺めるうち、窓枠のほうでまた何かが落ちる気配がした。
 窓のほうに視線をやるとざりがにが次々と部屋のなかにこぼれ落ちてくるのが目に入った。ぼくはとっさに床の上を這いずりまわっている一匹をつかんで窓の外に放り投げた。このざりがにの皮膚はぬらぬらと湿っていて気持ち悪い。しかしそんなことに構ってはいられない。ぼくは途切れることなく部屋のなかに入ってくるざりがにを片っ端からつかんで外に放り投げた。
 ぼくは片時も手を休めずにざりがにを投げ出しつづけた。その機敏さは少なくともここ数ヶ月の間にはなかったものだ。それでも部屋のなかのざりがには増える一方だ。ぼくがつかんで放り出すざりがにの数よりも新たに入ってくるざりがにの数のほうがずっと多いのだ。窓からはほとんど流しこまれるような勢いでざりがにがこぼれ落ちてくる。他によりよい方法があるのかもしれないが、そのための準備をする暇などないし、そんなことを考える余裕もない。窓を閉めればこれ以上は入ってこないが、そうすると窓が一つしかないこの部屋にすでに入りこんでいるざりがにを外に出す手立てもなくなる。床一面に足の踏み場もないほどのざりがにがうごめいている。その殻は脱皮したばかりのように柔らかく簡単につぶれてしまう。もう何匹踏みつぶしたか知れない。
 足の裏に感じるざりがにの体液はねっとりとしていて滑りやすい。気をつけていないとすぐに平衡を失って転びそうになる。そうなったら全身ざりがにの体液にまみれることになる。ぼくは下半身の体勢に神経を使いながらひたすらざりがにを拾っては放り出す作業をつづける。そうしながらぼくはいつになく充実した気持ちになっている自分を発見した。
 こんなに一途にひとつの作業に没入したのは久しぶりだ。自分の居場所を確保するという基本的で重大な作業が自分の行動を意味のあるものにしているのだ。しかもこのことはぼくが自分の意志でしていることだが、他に選択の余地のないことでもある。今このうす気味悪い生物を自分の部屋から追い出さなくてはならないということは、食事をしたり眠ったりすること以上に否応のないことである。この暗闇のなかでは紫外線に冒されることもない。ぼくは単純な癖に厄介で不快なこの作業をある種の満足感を覚えながらいつまでもつづけた。

10


 山手のほうに向かって歩き続けたのがいけなかったようだ。それはもうとっくに気づいていたことなのにぼくは引き返そうとしなかった。歩きつづける足をいったん止めて方向を変更するということができなかった。もともとどこへ行こうとしていたわけでもないため、立ち止まる理由がなかったのだ。それにしても辺りの田圃が階段状の幅の狭いものになってくるとさすがにこのまま山の上に向かって歩くことが不安になってきた。
 もう何時間歩きつづけているのだろう。くるぶしの辺りが痛んできた。唾液がねばついて感じるほど喉の乾きも激しくなってきている。先ほどようやく一台見つけた自動販売機は煙草のものだったのだ。煙草では飲み物のかわりにはならないのに、ぼくはそこで煙草を買ってしまい三本吸った。ヤニの苦さがべっとりと口のなかに残りよけいに飲み物が欲しくなった。足首から先はすっかりむくんで靴が破裂するほどに膨張している。機械仕掛けのように交互に足を前に出すのを停止すれば、ふたたび歩き出すことはできないかもしれない。辺りには人家がまったくなくなったかわりに、道は松林のなかに通じ、風が吹くと木々のざわめく音が聞こえるのがせめてもの救いだ。
 曲がりくねった道はいつしか山の反対側に通じていた。意外なことに眼下には海が広がっている。太陽が傾き日差しが弱まってきていた。
 防砂林をぬけると海岸のほうにつづいているらしい太い道路に当たったが、その道にも車はまったく通っていなかった。おそらく海水浴客のためにつくられた道路でそれ以外の時期にはほとんど使われていないのだろう。バス停があったので近寄ってみたが時刻表はほとんど空欄で運行は一日に五便しかない。きっと夏場だけ臨時便を走らせるのだ。立ち止まったせいで足の疲れは倍になって感じられる。しかしどうせここまで歩いたのだ。海岸まで出てみよう。そう思いぼくはふたたびふくれあがった足を引きずり始めた。
 曇り空の下の人影のない浜辺は脱色したようにしらじらしい。砂に足を取られて歩きにくい。下半身が油の切れた機械仕掛けのようにぎくしゃくする。地面に両膝をつくとそのまま砂の上にうつ伏せになってしまった。砂にはまだ日中の日差しの名残りがありなまぬるい。こうしていると自分には見当もつかないほど巨大な生物の皮膚に取りついているようだ。はるか上の視点から自分を見下ろしているところを想像してみた。砂浜に一人でうつ伏せになっている男は行き倒れの死体のようには見えないだろうか。ぼくは死体になったつもりで頬を砂につけ全身の力を抜いた。
 ただ目を開きそのままの姿勢で視界にはいるものだけを眺めていた。落ちているごみはどれも数ヶ月前のものだ。硝子はくもり、空き缶は変色している。ふいに、置き去りにされた存在という言葉を思い出し、それらのがらくたが何か感動的で愛しい物に思えてきた。このごみたちはもとはと言えば誰かが何かの目的があってつくりだしたものだ。それがこの浜辺で何の秩序も持たずばらばらのまま徐々に朽ち果てていくのだ。それら自身はそのことに一片の感傷すらもたない。感傷はそれらを見ているぼくがつくりだしただけだ。それらはあらゆる意味とは無関係になっており、いまやごみですらない。捨てられているのではなく単に置き去りにされているのだから。ぼくが見ていようが見ていまいがじっとそこにあるだけだ。ぼくはふたたび立ち上がると目につくがらくたを容赦なく踏みつぶして歩きながら波打ち際に近づいていった。コーヒーの空き缶を蹴るとなかに入っていた濁った海水が足首にかかり靴に入った。
 急に辺りが暗くなった。山際から黒い雲が迫り太陽を隠したのだ。ひとつぶ、ふたつぶと顔に当たるものを感じるうち雨足が強まってきた。雲には稲妻まで見える。このまま浜に突っ立っていては危ない。雨宿りのできそうな避難場所をさがして見回すと営業していない浜茶屋が潮風に吹きさらされて寒々としている。ぼくはそこまで走った。
 浜茶屋の軒下に入ると雨の音がひどく拡大されて聞こえた。走っている最中に感じていた以上の雨足だ。大つぶの雨滴が目に見える。たしかに全身が先ほど足もとにかかった海水など気にならないほど濡れている。髪も地肌までぐっしょり濡れてしまった。
 もうすっかり暗くなった海に高波がうねっている。さっきまでからからに乾燥していた砂浜は雨に濡れて色が変わった。どのくらいで止むだろうか。頭の上では雷鳴がとどろいている。別に急ぎの用事があるわけではないが足止めを食うというのは気の滅入ることだ。ぼくは浜茶屋の入口の段になっているところに腰を下ろした。歩きつづけたため自分の体重が砂袋のように感じられた。
 色あせたビールのポスターが破れて水着を着た女がまっぷたつになってほほえんでいる。コーラのマークのついた業務用の冷蔵庫にかぶせてある青いシートが風にまくれてはためいている。その音があまり荒々しくなるのでここにいることを咎められているような気になる。煙草を取り出して吸おうとしたが、雨に濡れた手でライターを触ってしまったため火がつかなかった。いったんくわえた煙草をまたパックのなかに戻そうとしたが途中で折れた。
 浜茶屋の建物の角のところに茶色の毛の動物が体の一部をのぞかせているのが見えた。近づいてみると犬だった。親犬らしい一匹にそれよりも体の小さいのが三匹寄り添っている。一目で雑種とわかる中型犬だ。それも洋犬と和犬の雑種のようだ。子のほうは柴犬に近いが親のほうはもっと毛足が長い。
「こら。おとなしくしなさい」
 ふいに若い女の声がした。自分が言われたのではないはずだが誰もいないものと思っていたので身がまえた。建物の裏手のほうから聞こえたようだった。少しためらったがぼくは声のほうへ足を向けた。
 恐る恐る建物の裏手をのぞいてみるとショートカットの女が犬を押えつけて何かしようとしているところだった。底を上にしたビールのケースの端に犬の尻のほうを固定しようとしているらしい。いったい何をしようとしているのだろう。犬のほうもわけがわからないらしく、おちつかない様子だ。
「よしよし。いい子だから」
 女は何とかして犬をなだめようとしている。ビールケースの上にはどこかで見たことのある道具がおいてある。あれは裁断機だ。学校の職員室においてあった。高校のころ仲間とつくった同人誌を綴じてから不揃いな天地などを整えるために使ったものだ。束になった紙を切り落とす見事な切れ味は指の一本や二本くらい容易に切断しそうだった。
 犬がビールケースの端に尻をつけ、しっぽが裁断機の上にのった。その瞬間を逃さず女は裁断機のレバーを一気に押し下げた。ぼくは思わず声を出しそうになったが必死に息を殺した。犬も自分の身に起こった異常を理解できないからか、まったく鳴き声をあげずしっぽのない尻から血を流しながらぎこちなく何歩か歩いてみている。女は裁断機の上に残されたしっぽを取り上げるといかにも慣れた手付きで血を絞った。
 ぼくは陰からのぞき見ていた手前いまさら彼女に声をかけることもできずそのままじっと身を潜めていた。空が光るのとほぼ同時に雷鳴がとどろいた。雨足が一層強くなってきたようだ。

11


 今夜もまたあの夢だ。数日ごとにくり返すあの夢。
 ぼくはいつものとおり広場のような場所にいる。強烈な陽光が照りつけている。まがまがしいほどに青い空。いつ墜落してきてもおかしくないほど巨大な太陽。全裸の皮膚が焼けつくようだ。しかしぼくは全身を金網で簀巻きにされ身動きもできない。汗が金網の編み目に沿ってつたい、ペニスの先から地面に落ちる。ぼくはこれから処刑されるのだ。首をまわすことができないので、眼球だけを動かして辺りをうかがってみる。人影はない。だがどこからか大勢の人間に眺められている視線をはっきりと意識できる。
 キリキリキリキリ。
 金網に連動する装置がじわじわと動き始めた。処刑が始まったのだ。締めつけられた自分の体の弾力を感じる。犬のように舌を出し鼻先の酸素をむさぼろうとする。しかしもう息を吸い込むことはできない。少しでも苦痛を先に延ばすために体をできるだけ細く保とうと無駄な努力をする。右側の腰の痛みをやわらげようとして下手に動いたため、かえって左側に金網が喰い込む。その拍子に大きく息を吸い込んでしまう。全身に金網が喰い込む。激痛が通り抜ける。このときを待ちかまえていたかのように再び装置が作動する。
 キリキリキリキリ。
 もうこれ以上は締めつけようがないはずなのにまだわずかに突きだしている部分があったらしく、腕の位置が変わる。肘が脇腹に喰い込む。それでもさらに金網が締まる。ソーセージの皮がはじけるような感触を我が身で感じる。とうとう皮膚が破れたのだ。それまで皮膚の弾性で必死になって金網に抵抗していた肉体が、一線を越えると急に弛緩して金網に刻まれるままになる。一方神経は直接ヤスリでこすられたように興奮し、異常に鼓動が速くなる。少しずつ自分の肉が金網からはみだしていく。脂汗と混じった血が目の前の地面に落ちる。それを見て一瞬気が遠くなる。これからゆっくりと挽肉にされていくのだ。
 キリキリキリキリ。
 新たな痛みは気絶したままでいることすら許してくれない。ぼくはいったいどんな罪を犯したのだろうか。それを具体的に知る術はない。ぼくはどんな法で裁かれるのだろうか。それを知る権利すらない。ぼくはおぞましい異人なのだ。彼らはぼくの話す言葉を理解しなかった。ぼくも彼らの言葉を理解しようとしなかった。それなのにぼくはここを出ていこうとはせず、彼らと同じような顔をして暮らそうとした。だから捕らえられ見せ物の処刑にされるのだ。もちろんぼくはひとりで暮らしていくつもりだった。けれどもそのことがぼくをますます異人にしたのだ。
 キリキリキリキリ。
 肘の辺りで太い血管が切れたらしい。勢いよく血が流れて水溜まりをつくる。ぼくが正気を保ったままでいることだけは誰にも強制できない。いっそ狂ってしまえれば。あるいはもう発狂しているのか。発狂したかどうかなんて自分で判断できることではなかろう。だとすればもしかするとここに縛りつけられる前からすでに狂っていたのかもしれない。そろそろ骨と金網のぶつかる感触が始まった。強すぎる日差しが金網の編み目から浸みとおる。もう汗は出ない。今はむしろ寒いくらいだ。どこからか舞い降りた小鳥が、ぼくの血がつくった水溜まりにくちばしを入れている。
 おもむろに仮面をつけた司祭が広場にあらわれた。見覚えのある独特の歩き方で。自分の背丈より長い杖をつき、いったん右足を出してからそこに左足を添えるようなあの歩き方。あの七時三十二分の老人の歩き方だ。この男は司祭である以上、今行われつつある処刑についてのすべての権限を持っている。この長い杖が何よりの証拠だし、だからこそ権限の象徴としての仮面をつけて顔を隠しているのだ。想像を絶する苦痛を与えられながらも、ぼくはその男に懺悔もしなければ、呪詛の言葉も吐かない。なぜ。今さら許されるはずがないと諦めているからか。絶望に打ちひしがれて声も出ないのか。死ぬことこそ本望だと思っているのか。それとももうそんな体力は残っていないだけなのか。そうではない。ぼくがその男の仮面の下の素顔を知っているからなのだ。どんな懺悔も呪詛も受けつけるはずのないその素顔を。
 司祭はあの老人ではない。その男の仮面の下に隠された顔はぼく自身だ。
 合図の杖が天に向かって振りかざされた。陽光がいっそう強まる。また処刑装置の作動する音が物音ひとつしない広場に響きわたる。

12


「あら。ひさしぶりね」
 女はぼくがいることに気づくと、切断したばかりの犬のしっぽを握ったまま近づいてきた。この女は何者だ。なぜぼくのことを知っているのだ。ぼくがこの浜辺に来たのは今日が初めてだし、この女に会ったことはない。
 だがこの振る舞いは誰かに似ている。でも誰に。まさか君に。そんなことはないはずだ。細い首と薄い肩が似ている。どうせそんなことはこじつけだ。でも確信は持てない。なぜならぼくは君の顔をはっきりと思い出すことができないんだ。こんなにも早く思い出せなくなるなんてぼく自身驚いている。あれだけいつも一緒にいてこんなことを言うとは薄情だと思うだろう。まったくそのとおりだ。今になって見ればぼくは君のことをじっくり見つめたことなんて一度もなかったようにさえ思えるんだ。
「あーあ。今日はたったこれだけ」
 この女はきっとぼくのことを知人の誰かと間違えているのだ。ぼくはどう反応したものか判断できない。
「どうしたのよ。そんなところに黙って突っ立って」
「いや。べつに」
 よほど目が悪いのだろうか。女はまだ人違いに気づかない。ぼくは彼女の態度につられて、思わず知人のような返事をしてしまった。
「こっちへ来て今日の分を見てよ」
 ぼくは女の導くほうへ歩いていった。
「ほら」彼女は箱を差し出して中身を見せた。ぼくは思わず口に手を当てた。箱の中身は彼女が切断した犬や猫のしっぽだった。なかには完全に血が絞られておらず、まだ血が滴っているものもあった。
「どう?」女の声は誇らしげだった。
 ぼくは女の目をのぞき込んだ。その目には知性の輝きが欠けていて人間のものとは思えなかった。髪の毛だっていつ櫛を通したのかわからないほど乱れてばさばさだ。べっとりとした毛の束が無秩序に頭の上で跳ね上がり、埃にまみれている。おそらく以前のぼくならば彼女を一目見ただけで、不用意に近づくべきではない異人だと判断できただろう。しかし幸か不幸か、今のぼくは何がごく普通の意味での人間らしさなのか判断できなくなっている。
「これ、どうするの」ぼくは女に尋ねた。我ながら見事なくらい何気ない口調だった。
「工場に持っていって、ガマの穂にしてもらうのよ」
 ガマの穂は動物のしっぽを材料にして工場でつくられると思っているようだ。
「そのガマの穂をどうするの」ぼくの口調からは何気なさが消えてしまった。久島の姉弟のことを思いだしていたのだ。
「ガマの穂はとっても気持ちいいのよ」
 ぼくははっとなった。自分の無意識をのぞかれているような気がしたのだ。やはりこの女はぼくのことを知っているのだろうか。
 またすぐ近くで雷鳴がとどろいた。空が割れるような凄まじさだ。
「ああ。いい天気」
 女はしらじらしいほどの大声で叫ぶと急に立ち上がって建物の表のほうへ行った。後を追ったが、ぼくが浜茶屋の正面にまわったときには女は土砂降りの浜辺を海に向かって走っていくところだった。雷が鳴っているのが聞こえないのか。こんなときに浜辺に出ては避雷針になるようなものだ。ぼくは慌てて彼女のほうへ走った。
 砂に足を取られる。彼女のほうはそんなことはまったく苦にならないらしく素晴らしい足取りで駆けていく。二人の距離は開く一方だ。
 女は波打ち際にたどりつき、洋服を着たまま水のなかに入っていった。さすがに速度は落ちたが腰の辺りまで水に浸かっても、女はまだ前に進むことをやめない。そのまま肩の辺りまで水に浸かると、そのうちとうとう頭まで見えなくなった。ぼくはようやく波打ち際に着き、彼女が見えなくなったほうに向かって泳いだ。
 やがて浮かび上がってきた女はかなり沖まで進んでおり、平泳ぎでさらに先へ進もうとしている。黒い海面は荒れており、突然の大波にぼくは何度も海水を飲んだ。女に目をやると、いつのまにか彼女は着ているものをすべて脱ぎ捨てていた。大声を出して女を振り向かせようとしたが、聞こえているのかいないのか、彼女はひたすら水平線を見つめて進んでいく。ぼくも泳ぎながら洋服を脱ぎ、クロールで女のほうへ急いだ。
 やっとのことで追いついたとき女は立ち泳ぎをしながら笑っていた。波がかかるたびに彼女の口のなかにも水が大量に入っていた。もうずいぶん海水を飲んだことだろう。ぼくの口も苦い味がしている。女を押さえようと手を伸ばすと、激しく水しぶきをあげて抵抗した。雷は相変わらず鳴っているし雨も激しい。しかしこんなに沖まで出てしまうと急いで彼女を浜に戻す必要もないかもしれない。
 と思いきや、今度は女は潜り始めた。ぼくも頭を沈めて様子をうかがうと、彼女はほとんど垂直に海底に向かって潜水しようとしている。一度水面に顔を出し大きく息を吸ってから、ぼくは再び女の後を追って潜っていった。水面から少し潜っただけでもこの季節の海水は痺れるような冷たさだ。この海は雨のせいもあって水の透明度が低い。それでも彼女の白い体の行方はなんとかつかめた。
 薄暗い海中で彼女は待っていた。十メートルも潜ってはいないだろう。それでもずいぶん深く潜ったように感じる。彼女が上を見ろと合図する。はるか上のほうに水面がぼうっと明るい。あの上では土砂降りの雨が降っているのだ。ふいに水面が銀色に光る。稲妻が海面に反射しているのだ。電気の光できらきらと光る海面の天井が頭上に果てしなく広がっている。恐ろしいような美しさだ。女は目を輝かせてぼくに抱きついてきた。彼女はすべてを承知の上でこれを見るためにここへ来たのだろうか。女がさっきこの雷雨をいい天気だと言ったのはあながち戯言ではなかったのだ。ぼくは女を抱き返した。
 吸いついてくるほどなめらかな女の肌。ぼくの体はともすると浮かび上がりそうになるのだが、女と抱き合っていると不思議と自然に沈んでいられる。あまり視界がきかない。まわりの光景はぼんやりとかすんで見える。ただ女の顔だけが目の前にはっきりと見える。このままこうしていられたらどんなにいいだろう。体が空気を吸いたがって悲鳴をあげている。放っておこう。このままでいると死んでしまうかもしれない。いや。間違いなく死ぬだろう。ここでこうして死ぬのもいいじゃないか。できればこんな浜辺の近くではなく、もっと沖に出たかった。これでは魚の餌になる前に死体が浜に打ち上げられてしまう。でも贅沢は言うまい。今日まで死ぬつもりなんてなかった。成り行きでこうなったのだ。
 女はすっかり安心した表情をしている。呼吸せずに苦しくないのだろうか。わからない。どうでもいいことだ。むしろ苦しむ顔を見せられることと比べればこれは幸いだ。ぼくの意志とは裏腹に肉体は非常事態を警告している。呼吸器官が外界との扉を開けようと必死になっている。扉を開いても無駄だよ。外に空気はない。あるのは海水だけだ。肺まで吸い込むとよけいに苦しくなるんだよ。その気になれば人間は洗面器に顔をつけて溺死することだってできるんだ。よけいな苦しみを味わうくらいならもう少し我慢しようよ。
 また稲妻が光っている。綺麗だ。ほら。今までに見たどんな花火よりも素敵だ。そういえば君と一緒に花火を見たこともあったね。人混みを避けふたりだけで幹線道路の歩道橋に腰を下ろして。だんだん意識が薄れてきた。もうすぐ楽になる。
 突然女がぼくの肩に噛みついた。
 急な衝撃にこらえきれず、ぼくはがぶりと水を飲んだ。そのすきに自分の意志とは無関係に体が反応し、女から離れ水面に上がろうともがく。ところが女はにやにやしながらぼくに足まで絡ませて離そうとしない。苦しくないのか。無理矢理彼女の腕をふりほどこうとしたが、女はもともと水のなかの生物であるかのように力が強く、容易なことでは逃してくれない。あなたはここで私と一緒に死ぬのよ。嬉しいでしょ。だってあなたはそれを望んでいるはずでしょ。女のそんな声が聞こえる気がする。私は知ってるわ。あなたはここで私と死ぬために生きてきたのよ。もがいた拍子にまた海水を飲んでしまった。
 このままではこいつに殺されてしまう。ぼくは女の首を絞めた。女の目がみるみるうちに真っ赤になった。その口からはまったく空気が漏れなかった。さらに女の首を絞め続けた。女の細い首にぼくの指がどこまでも食い込む。ぼくを捕らえる女の手から力が抜けた。ようやく自由になり、女を振り返りもせず、がむしゃらに上を目指した。もう手遅れかもしれない。とにかく水面にたどり着くこと。猛烈な生への衝動が爆発していた。
 水面に近づくと水温が急に上がり、頭を水面から出せた。土砂降りのなか、空気をむさぼった。雨と海水が一緒になって口のなかに入るがまったく気にならない。寒さに加えてひどい頭痛がする。しかしその震えも痛みもむしろ快感だ。生きている。生きてはいるが何の感情もわいてこない。肉体だけが無制限に吸える空気をむさぼり、快感に酔いしれている。やはりぼくは生きたかったのだろうか。なぜ急に生きていたくなったのか。自分の人生を肯定することも否定することもできなくなった人間のどこにこれほど強い生への欲求が残っていたのか不思議だ。きっと生きたいとか生きたくないとかいうことは実際に生きることとあまり関係がないのだ。
 浜のほうをうかがってみると、あの浜茶屋はまるで見当はずれな方角に小さく見えた。ずいぶん流されたようだ。海中の流れもかなり速かったのだ。これでは脱ぎ捨てた洋服を見つけるのも大変だ。海面一面に雨の花が咲いている。体の水面上に出た部分が寒い。足もとの水も冷たい。わざとらしいほど体が震える。はやく浜に上がりたい。女はどうしたのだろう。いくら何でも生身の人間がこんなに長く海に潜っていられるだろうか。
 女はいつまでたっても水面に浮かんではこなかった。
(了)





底本:「三田文学 第七十五巻 第四十四号 冬季号」三田文学会
   1996(平成8)年2月1日発行
入力:大久保ゆう
校正:石塚浩之
2016年4月22日作成
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