死の淵より

高見順




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死の淵より



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※(ローマ数字1、1-13-21)


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 食道ガンの手術は去年の十月九日のことだから早くも八ヵ月たった。この八ヵ月の間に私が書きえたものの、これがすべてである。まだ小説は書けない。気力の持続が不可能だからである。詩なら書ける――と言うと詩はラクなようだが、ほんとは詩のほうが気力を要する。しかし持続の時間がすくなくてすむのがありがたい。二三行書いて、あるいは素描的なものを一応書いておいて、二三日おき、時には二三週間、二三ヵ月おいて、また書きつゞけるという工合にして書いた。
 千葉大の中山外科から十一月末に退院した。手術後の病室で書かれた形の詩をこの※(ローマ数字1、1-13-21)に集めた。形のというのは病室で実際に書いた詩ではないからだ。手術直後にとうてい書けるものではない。気息えんえんたる状態のなかでそれは無理だ。しかし枕もとのノートに鉛筆でメモを取った。それをもとにして退院後書いたのが、これらの詩である。そこでやはり病室での詩ということにした。
 肋膜の癒着もあったせいか、手術はよほどヘビイなものだったらしく三時間近くかかった。爪にガクンとあとが残り、それが爪がのびるとともに消えるのに半年近くかかった。詩が書けはじめたのは(さきに退院後と書いたが実際は)その半年すこし前のことである。
「死の淵より」という題の詩をひとつ書こうと思ったのだが、できなかった。できたら、それを全体の詩群の題にしようと思っていた。それはできなかったのだが、全体の題に残すことにした。
(昭和三十九年六月十七日、再入院の前日)
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死者の爪






つめたい煉瓦れんがの上に
つたがのびる
夜の底に
時間が重くつもり
死者の爪がのびる
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三階の窓






窓のそばの大木の枝に
カラスがいっぱい集まってきた
があがあと口々にわめき立てる
あっち行けとおれは手を振って追い立てたが
真黒な鳥どもはびくともしない
不吉な鳥どもはふえる一方だ
おれの部屋は二階だった
カラスどもは一せいに三階の窓をのぞいている

何事かがはじまろうとしている
カラスどもは鋭いクチバシを三階の部屋に向けている
それは従軍カメラマンの部屋だった
前線からその朝くたくたになって帰って
ぐっすり寝こんでいるはずだった
戦争中のラングーンのことだ
どうかしたのだろうか
おれは三階へ行ってみた

カメラマンはベッドで死んでいたのだ
死と同時に集まってきたのは
枝に鈴なりのカラスだけではなかった
アリもまたえんえんたる列を作って
地面から壁をのぼり三階の窓から部屋に忍びこみ
床からベッドに匍いあがり
死んだカメラマンの眼をめがけて
アリの大群が殺到していた

おれは悲鳴をあげて逃げ出した
そんなように逃げ出せない死におれはいま直面している
さいわいここはおれが死んでも
おれの眼玉をアリに襲われることはない
いやなカラスも集まってはこない
しかし死はこの場合も
終りではなく はじまりなのだ
なにかがはじまるのである
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ぼくの笛






烈風に
食道が吹きちぎられた
気管支が笛になって
ピューピューと鳴って
ぼくを慰めてくれた
それがだんだんじょうずになって
ピューヒョロヒョロとおどけて
かえってぼくを寂しがらせる
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帰る旅






帰れるから
旅は楽しいのであり
旅の寂しさを楽しめるのも
わが家にいつかは戻れるからである
だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり
どこにもあるコケシの店をのぞいて
おみやげを探したりする

この旅は
自然へ帰る旅である
帰るところのある旅だから
楽しくなくてはならないのだ
もうじき土に戻れるのだ
おみやげを買わなくていいか
埴輪や明器めいきのような副葬品を

大地へ帰る死を悲しんではいけない
肉体とともに精神も
わが家へ帰れるのである
ともすれば悲しみがちだった精神も
おだやかに地下で眠れるのである
ときにセミの幼虫に眠りを破られても
地上のそのはかない生命を思えば許せるのである

古人は人生をうたかたのごとしと言った
川を行く舟がえがくみなわを
人生と見た昔の歌人もいた
はかなさを彼らは悲しみながら
口に出して言う以上同時にそれを楽しんだに違いない
私もこういう詩を書いて
はかない旅を楽しみたいのである
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汽車は二度と来ない






わずかばかりの黙りこくった客を
ぬぐい去るように全部乗せて
暗い汽車は出て行った
すでに売店は片づけられ
ツバメの巣さえからっぽの
がらんとした夜のプラットホーム
電灯が消え
駅員ものこらず姿を消した
なぜか私ひとりがそこにいる
乾いた風が吹いてきて
まっくらなホームのほこりが舞いあがる
汽車はもう二度と来ないのだ
いくら待ってもむだなのだ
永久に来ないのだ
それを私は知っている
知っていて立ち去れない
死を知っておく必要があるのだ
死よりもいやな空虚のなかに私は立っている
レールが刃物のように光っている
しかし汽車はもはや来ないのであるから
レールに身を投げて死ぬことはできない
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死の扉






いつ見てもしまっていた枝折戸しおりどが草ぼうぼうのなかに開かれている 屍臭がする
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泣きわめけ






泣け 泣きわめけ
大声でわめくがいい
うずくまって小さくなって泣いていないで
膿盆のうぼんの血だらけのガーゼよ
そして私の心よ
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赤い実






不眠の
樹木の充血
患者の苦しみの
はじまる暁
赤いザクロの実が割れる
(「赤い風景画」1)
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突堤の流血






突堤の
しぶきの白くあがる尖端せんたん
灰色のコンクリートにこびりついた
アミーバ状の血

寄せてはくだける波も
それがいくら努力しても
そこを洗うことはできない
そこに流された血は
そこでなまぐさく乾かされる
波にかこまれながら
ゆっくりと乾かされねばならぬ
(「赤い風景画」2)
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渇水期






水のない河床へ降りて行こう
水で洗ってもよごれの落ちない
この悲しみを捨てに行こう
水が涸れて乾ききった石の間に
何か赤いものが見える
花ではない もっと激烈なものだが
すごく澄んで清らかな色だ
手あかのついた悲しみを
あすこに捨ててこよう
(「赤い風景画」3)
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不思議なサーカス






病室へ来る見舞い客は
だれでも、口のところに口があり
鼻のところに鼻があり
眼のところに二つの眼がある
当り前とは言え不思議である
悲しみとのつきあいに私はあきた
当り前すぎるつきあいがいやになった
そのためこんな当り前でないことを考えるのか
人間の顔はどうしてこうみんな当り前なのだ
眼が一つで口が二つの人間はいないのか

当り前でない死 あるいは殺人
不思議でない殺人 あるいは死が
今どこかで行われていることを考える
私のガンはそのいずれに属するか
私という人間が死ぬのに不思議はないが
私のガンは当り前でない殺人とも考えられる
私もさんざいろんなことをしてきたが殺人は
不思議でないそれも当り前でないそれもいずれもしていない
人を殺すことのできなかった私だから
むしろ不当に殺されねばならぬのか

私に人殺しはできぬ
しかし自分を殺すことはできそうだ
ほとんどあらゆることをしてきた私も
自殺だけはまだしていない
自殺の楽しみがまだ残されている
どういうふうに自殺したらいいか
あれこれ考える楽しみ
不思議な楽しみに私はいま熱中している
当り前でない楽しみだが
私にとっては不思議でない楽しみだ

病室の窓にわたした綱に
悲しみが
ほし物バサミでつるされている
なんべんも洗濯された洗いざらしの悲しみが
ガーゼと一緒にゆれている
ガーゼよりももっと私の血を吸った悲しみ
私はいま手に入れたばかりの楽しみを
あの悲しみのように手離すことを
ここしばらくは決してすまい
それは手離しがたい楽しみだからでもある

あらゆることをしてきた私は
いろいろの楽しみの思い出がある
玉の井の女にほれてせっせと通ったのは二十いくつの時だったか
あれは今から思うと悲しみを買いに行ったようなものだ
楽しみと思っていたものがすべて
実は悲しみだったとも考えられる
今度こそほんとの楽しみだ
自殺を考えることが
悲しみでなくほんとの楽しみであるようにするために
不思議な自殺法をあれこれと考えよう

私の友人は何人かすでに自殺している
思想に破れ首つりをした友人小沢
私たちの心を暗くした悲惨な自殺だった
奇型みたいに頭でっかちの男だった
自分の独特さ非凡さを誇るために
ひとのできない自殺をしてみせた友人久木村
軍人の息子でびっこだった
これは惨めな自殺でなかったとは言え
自殺の方法は独特ではなかった
独特でなくてもせめて不思議な方法はないか

窓ガラスをぶちこわし
黒いカラスの群を呼び入れようか
鞭を鳴らして実験用の犬どもを
サーカスの白い馬のように
窓をくぐらせこの部屋に闖入させようか
もはや鞭をして私自身を鞭打つことに使わせてはならぬ
狂乱の犬をぞくぞくと走りこませ
屍肉をついばむカラスと一緒に
私の自殺と一見関係がないような
不思議なサーカスをやらせたら面白いが

人生がすでに不思議なサーカスだ
人生のサーカスは誰の場合もすべて
不思議な人生でも当り前の人生でも死をもって閉じられる
そこにサーカスのような拍手はない
不思議な自殺で私は拍手をもとめようとしているのか
当り前でない死を自分でそうして慰めようとしているのか
耳が左右二つでもそれで人間の耳であるように
殺人といえどもその死はすべてひとつの当り前の死なのだ
当り前の死になってしまう前に
せめて自殺の楽しみをひとりで楽しまねばならぬ
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魂よ






魂よ
この際だからほんとのことを言うが
おまえより食道のほうが
私にとってはずっと貴重だったのだ
食道が失われた今それがはっきり分った
今だったらどっちかを選べと言われたら
おまえ 魂を売り渡していたろう
第一 魂のほうがこの世間では高く売れる
食道はこっちから金をつけて人手に渡した
魂よ
生は爆発する火山の熔岩のごとくであれ
おまえはかねて私にそう言っていた
感動した私はおまえのその言葉にしたがった
おまえの言葉を今でも私は間違いだとは思わないが
あるときほんとの熔岩の噴出にぶつかったら
おまえはすでに冷たく凝固した熔岩の
安全なすきまにその身を隠して
私がいくら呼んでも出てこなかった
私はひどい火傷やけどを負った
おまえは私を助けに来てはくれなかった
幾度かそうした眼に私は会ったものだ
魂よ
わが食道はおまえのように私を苦しめはしなかった
私の言うことに黙ってしたがってきた
おまえのようなやり方で私をあざむきはしなかった
卑怯とも違うがおまえは言うこととすることとが違うのだ
それを指摘するとおまえは肉体と違って魂は
言うことがすなわち行為なのであって
矛盾は元来ないのだとうまいことを言う
そう言うおまえは食道がガンになっても
ガンからも元来まぬかれている
魂とは全く結構な身分だ
食道は私を忠実に養ってくれたが
おまえは口さきで生命を云々するだけだった
魂よ
おまえの言葉より食道の行為のほうが私には貴重なのだ
口さきばかりの魂をひとつひっとらえて
行為だけの世界に連れて来たい
そして魂をガンにして苦しめてやりたい
そのとき口の達者な魂ははたしてなんと言うだろう
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※(ローマ数字2、1-13-22)


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 ここの詩は入院直前および手術直前に属するもので、本当は※(ローマ数字1、1-13-21)の前に掲げるべきものである。順序が逆なのだが、それをなぜ※(ローマ数字1、1-13-21)の次にしたか、自分でもよくわからない。自分の気持としてそうしたかったからだが、詩のできが※(ローマ数字1、1-13-21)のほうがいいと思えるのでそれをさきに見てもらいたいという虚栄心からかもしれぬ。
「みつめる」「黒板」「小石」「愚かな涙」「望まない」などは当時ほとんど即興的に書き流したままの詩で、のちの手入れがほどこされてないので、発表のはばかられる稚拙と自分で気がさしているのかもしれぬ。
「青春の健在」「電車の窓の外は」などは車中でのメモにもとづいて、のちに書いたものである。これは当時の偽らざる実感で、死の恐怖が心に迫ってきたのはあとからのことである。
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青春の健在






電車が川崎駅にとまる
さわやかな朝の光のふりそそぐホームに
電車からどっと客が降りる
十月の
朝のラッシュアワー
ほかのホームも
ここで降りて学校へ行く中学生や
職場へ出勤する人々でいっぱいだ
むんむんと活気にあふれている
私はこのまま乗って行って病院にはいるのだ
ホームを急ぐ中学生たちはかつての私のように
昔ながらのかばんを肩からかけている
私の中学時代を見るおもいだ
私はこの川崎のコロムビア工場に
学校を出たてに一時つとめたことがある
私の若い日の姿がなつかしくよみがえる
ホームを行く眠そうな青年たちよ
君らはかつての私だ
私の青春そのままの若者たちよ
私の青春がいまホームにあふれているのだ
私は君らに手をさしのべて握手したくなった
なつかしさだけではない
遅刻すまいとブリッジを駆けのぼって行く
若い労働者たちよ
さようなら
君たちともう二度と会えないだろう
私は病院へガンの手術を受けに行くのだ
こうした朝 君たちに会えたことはうれしい
見知らぬ君たちだが
君たちが元気なのがとてもうれしい
青春はいつも健在なのだ
さようなら
もう発車だ 死へともう出発だ
さようなら
青春よ
青春はいつも元気だ
さようなら
私の青春よ
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電車の窓の外は






電車の窓の外は
光りにみち
喜びにみち
いきいきといきづいている
この世ともうお別れかと思うと
見なれた景色が
急に新鮮に見えてきた
この世が
人間も自然も
幸福にみちみちている
だのに私は死なねばならぬ
だのにこの世は実にしあわせそうだ
それが私の心を悲しませないで
かえって私の悲しみを慰めてくれる
私の胸に感動があふれ
胸がつまって涙が出そうになる
団地のアパートのひとつひとつの窓に
ふりそそぐ暖い日ざし
楽しくさえずりながら
飛び交うスズメの群
光る風
喜ぶ川面かわも
微笑のようなそのさざなみ
かなたの京浜工場地帯の
高い煙突から勢いよく立ちのぼるけむり
電車の窓から見えるこれらすべては
生命あるもののごとくに
生きている
力にみち
生命にかがやいて見える
線路脇の道を
足ばやに行く出勤の人たちよ
おはよう諸君
みんな元気で働いている
安心だ 君たちがいれば大丈夫だ
さようなら
あとを頼むぜ
じゃ元気で――
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生と死の境には






生と死の境には
なにがあるのだろう
たとえば国と国の境は
戦争中にタイとビルマの国境の
ジャングルを越した時に見たけれど
そこには別になにもなかった
境界線などひいてなかった
赤道直下の海を通った時も
標識のごとき特別なものは見られなかった
否 そこには美しい濃紺の海があった
泰緬たいめん国境には美しい空があった
スコールのあとその空には美しい虹がかかった
生死の境にも美しい虹のごときものがかかっているのではないか
たとえ私の周囲が
そして私自身が
れはてたジャングルだとしても
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みつめる






犬が飼い主をみつめる
ひたむきな眼を思う
思うだけで
僕の眼に涙が浮ぶ
深夜の病室で
僕も眼をすえて
何かをみつめる
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小石






蹴らないでくれ
眠らせてほしい
もうここで
ただひたすら
眠らせてくれ
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愚かな涙






耳へ
愚かな涙よ
まぎれこむな
それとも耳から心へ行こうとしているのか
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望まない






たえず何かを
望んでばかりいた私だが
もう何も望まない

望むのが私の生きがいだった
このごろは若い時分とちがって
望めないものを望むのはやめて
望めそうなものを望んでいた

だが今はその望みもすてた
もう何も望まない
すなわち死も望まない
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カトレアだとか
すてきなバラだとか
すばらしい見舞いの花がいっぱいです
せっかくのご好意に
ケチをつけるようで申しわけありませんが
人間で言えば庶民の
ごくありきたりの でも けなげな花
甘やかされず媚びられず
自分ひとりで生きている花に僕は会いたい
つまり僕は僕の友人に会いたいのです
すなわち僕は僕の大事な一部に会いたいのです
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夢に舟あり






夢に舟あり
純白の帆なり
美しいかな
涙あふれる

風吹き来り波立ちて
そが美しき舟
波間に傾き没すると見えつつ
夢の外へと去りゆくをいかんせん
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黒板






病室の窓の
白いカーテンに
午後の陽がさして
教室のようだ
中学生の時分
私の好きだった若い英語教師が
黒板消しでチョークの字を
きれいに消して
リーダーを小脇に
午後の陽を肩さきに受けて
じゃ諸君と教室を出て行った
ちょうどあのように
私も人生を去りたい
すべてをさっと消して
じゃ諸君と言って
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文士というサムライ






豪傑という者がいたと
中野重治は詩に書いて
むかしの豪傑をたたえた
余もまた豪傑を礼讃する
余は左様 豪傑にあらず
されど文士というサムライなれば
このに及んで
ジタバタ卑怯未練の振舞いはできぬ
さあ来い 者ども
いざ参れ 死の手下ども
殺したくば殺せ 切りたくば切れ
いさぎよく切られてやらあ
余は剣豪小説の主人公のごとくに
汝らをエイヤアと退治たいじることはできぬ
逆に悪玉あくだまのようにバッサリと切られるであろう
そのいさぎよさを貴しとする
ただし切られても切られても
註文通りには死なないで
ハッタと汝らをにらみつけてくれよう
死神よ 汝のすることなすことを
余は執念しゅうねく見つづけるであろう
ここがむずかしいところだ
ただのサムライと違う文士の文士たるゆえんである
ざまア見ろ
これは汝でなく余が言うのである
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ハヤクオイデヨ






オジサン ハヤクオイデヨ
イッショニ アソボウヨ
タケリンヤ クラサンナンゾガ
イナイカラ ツマンナイカナ
デモ ココニハ ニンゲンハ イナインダ
ボクカイ?
クレバ ワカルヨ
ニンゲンナゾ イナイホウガ
ウルサクナクテ ズットイイヨ
オジサンノスキナ オケラガマッテルヨ
テントウムシヤ カナブンブンモ イッパイイルヨ
シンデテモ ミンナ ピンピンシテイル
ハヤクオイデヨ オジサン

*親友の故武田麟太郎、詩人の故倉橋弥一
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巻貝の奥深く






巻貝の白い螺旋らせん形の内部の つやつや光ったすべすべしたひやっこい奥深くに ヤドカリのようにもぐりこんで じっと寝ていたい 誰が訪ねてきてもふたをあけないで眠りつづけ こっそり真珠を抱いて できたらそのままちぢこまって死にたい 蓋をきつくしめて 奥に真珠が隠されていることを誰にも知らせないで
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荒磯






ほの暗い暁の
目ざめはおれに
おれの誕生を思わせる
祝福されない誕生を

喜ばれない
迎えられない
私生子の
ひっそりとした誕生

死ぬときも
ひとしくひっそりと
この世を去ろう
妻ひとりに静かにみとられて

だがしーんとしたそのとき
海が岸に身を打ちつけて
くだける波で
おれの死を悲しんでくれるだろう

おれは荒磯ありその生れなのだ
おれが生れた冬の朝
黒い日本海ははげしく荒れていたのだ
怒濤に雪が横なぐりに吹きつけていたのだ

おれが死ぬときもきっと
どどんどどんととどろく波音が
おれの誕生のときと同じように
おれの枕もとを訪れてくれるのだ
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※(ローマ数字3、1-13-23)


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 自宅に帰ってからの詩である。はじめはベッドに寝たきりだったが、だんだん庭に出たり近くを散歩するようになった。気持や考えもすこしずつまた変ってきた。一方、心境の明暗の度合いのはげしくなったところもあり、自己から離れた詩の書ける時もあった。
 安東次男は詩は老年の文学であると書いていた。私にとって詩は正に老年の文学である。私の詩の実際は、安東次男の言う老年の文学とは違うかもしれぬが、詩が青春の文学だけでないのは、私のためにも詩のためにも仕合わせである。
 ごく若い頃に私も詩を書いたが、小説を書きはじめるようになってから、ふっつりやめた。散文精神に有害であり有毒であると思ったからだが、やがてその間違いに気づき四十になってからふたたび自己流の詩作に戻り、今日に至っている。正に老年の文学である。
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陽気な鬼






茶碗のふちを箸でたたくな
餓鬼がきがやってくる
大事なごはんを餓鬼に食われる
幼児の私に祖母が言った

食後静かに横たわった
今は年老いた私のところへ
奇妙な鬼どもがやってきた
なんの物音も立てはしなかったのに

外には雪が降っている
雪に足跡を残さず
足も濡らさずに庭から
私の部屋にはいってきた

小肥りした鬼どもは
顔の色艶もよく餓えてなどいない
きっと私なんかよりずっといい暮らしをしているのだ
病み衰えた私のほうが餓鬼のようだ

何をしに来たのだろう
私を慰めに来たのか
こんな陽気な鬼のほうが
骨と皮の餓鬼よりむしろ気味が悪い

私のベッドのまわりでツイストをはじめた
箸で私の肋骨をシロホンがわりにたたいて
音が悪いと
食道のない私の胸に耳を当てたりした

するうちなににおびえたのか
鬼どもは一斉にキャーッと叫んで
部屋からあたふたと飛び出した
否 私から一目散に逃げ出した
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黒くしめった






黒くしめった雲の影が芝生をよぎった
そのとき私の眼の前を
スッポンのごときものがよこぎった
それはなぜスッポンであらねばならぬのか
間もなく室内のベッドの上の私の胸の上を
差すはずのない雲の影がゆっくりとよぎった
みるみる私はえて行った
あれはやっぱりスッポンだったのだ
直ちに首をちょん切られ血をしぼられるスッポンだったのだ
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円空が仏像を刻んだように






円空が仏像をきざんだように
詩をつくりたい
ヒラリアにかかったナナ(犬)が
くんくんと泣きつづけるように
わたしも詩で訴えたい
カタバミがいつの間にかいちめんに
黄色い花をつけているように
わたしもいっぱい詩を咲かせたい
飛ぶ鳥が空から小さなふんを落とすように
無造作に詩を書きたい
時にはあの出航の銅鑼どらのように
詩をわめき散らしたい
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洗えと言う






洗えと言う
くさい息をふっかけて
けだものが
毛もくじゃらのノミだらけの足を出して
人間のおれに命令する

よろしい
やってやる
なんでも言うことをきいてやる
そのかわり けだものよ
おれもたけだけしいけだものにしてくれ
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庭で(一)






草の実
小さな祈りが葉のかげで実っている

祈り
それは宝石のように小さなはこにしまえる 小さな心にもしまえる

カエデの赤い芽
空をめざす小さな赤い手のむれ 祈りと知らない祈りの姿は美しい
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過去の空間






手ですくった砂が
痩せ細った指のすきまから洩れるように
時間がざらざらと私からこぼれる
残りすくない大事な時間が

そのかわり私の前にいくら君が立ちはだかっても
死の世界にしては明るすぎる向うの景色が丸見えだ
そのかわり君が敵か味方か私にはわからないが
なぜ君は君の見ている景色を私に見せまいとするのか

たしかに死の世界ではないのだ
しかしそこに人はひとりも存在しない
かつては客が大勢いたらしいのに今は去って
そのかわりたくさんのさかずきがにぎやかに残されている

飲み残しの酒を今なおたたえた盃
その周囲にからの盃が倒れている
杯盤はいばん狼藉ろうぜきのわびしい華やかさ
ころがっている盃のほうが多いのだ

私にははっきりわかるのだが
からの盃は盃が倒れたので酒がからになったのではない
人がぞんぶんに飲みほしたのち盃を投げたのだ
乾盃のあと床にたたきつけられた盃もある

なぜあと片づけをしないのだろう
宴のはじめはさぞかし楽しかったにちがいない
楽しさがまだ消えやらず揺曳ようえいしているのを
その場に残すためそのままにしてあるのか

その楽しさはすでに過去のものだ
しかし時間が人とともに消え去っても
過去が今なお空間として存在している
私という存在のほかに私の人生が存在するように

楽しそうでほんとは惨憺たる過去の景色を
君は私の味方として私に見せまいとするのか
それとも私の敵として過去の楽しさすら拒みたいのか
君は私の過去とは別に存在する私の作品なのか

景色は次第に夕闇に包まれて行く
砂上に書かれた文字が崩れるように
すべての盃も姿を消して行き
時間の洩れる音だけがいそがしく聞えてくる
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車輪






日当りのいい
しあわせな場所で
車輪が赤く錆びて行く
小さい実がまだ熟さないまま枝から落ちたがっている
球根はますます埋没したがっている
(「赤い風景画」4)
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血だらけの手






赤インキでよごれている手 過去の校正ばかりしている手

赤インキのかわりに彼はいま彼みずからの血を使っている
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耳のある自画像






ピエールはピギャール広場で友人を刺した
近頃羽ぶりをきかせいばっていた友人を
二人はモンマルトルのやくざだった
ピエールは一躍男をあげた
同じときパリから離れた田舎のアルルで
ゴッホは自分の耳をかみそりで切りとった
友人のゴーギャンと口争いをして負けたのだ
ゴッホの傑作が一番生れたアルル時代のことだ
ピエールのようにゴーギャンを刺すことはできなかった
ピエールとちがって卑怯なめめしさだと笑われ
狂気のせいだとも診断されたが
ゴッホはやくざでなく画家だったのだ
のちにゴッホは片耳のない自分をみつめて自画像を描いた
卑怯な男ではなかった証拠だ
ゴッホの画は生涯に一度しか売れなかった
売れる画を描こうとしなかったのも卑怯でなかったせいだ
T君よ 君は好運だ
君の耳は健在だし
ノイローゼになってもゴッホのように死なないですんだし
小説を売って今日まで生きながらえることができた
さらに幸いなことに君はやくざのピエールでもなかった
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明治期






旗行列の小学生が手に手に振っている日の丸の赤インキが雨ににじみ よそゆきのハカマのうしろに泥がいっぱいはねあがっていた
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大正末期






少女の髪は火薬のにおいがして わがテロリストの手のスミレがしおれていた
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昭和期






ねえさんはこう言ってました 芸は売っても 身は売らぬ あたしはオヒゲのお客に言いました 身は売っても 芸は売りません
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讃歌






あなたの頭上に飾られた讃歌がいまタンポポの種子のように飛び散って行く
春が来たからである
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巡礼






人工食道が私の胸の上を
地下鉄が地上を走るみたいに
あるいは都会の快適な高速道路のように
人工的な乾いた光りを放ちながら
のどから胃に架橋されている
夜はこれをはずして寝る
そうなると水を飲んでももはや胃へは行かない
だから時には胃袋に睡眠薬を直接入れる
口のほかに腹にもうひとつ口があるのだ
シュールリアリズムのごとくだがこれが私の現実である

私にまだ食道があった頃
東パキスタンのダッカからB・O・A・C機で
インドのカルカッタへ飛んだ
機上から見たガンジス河のデルタ地帯は
超現実派の画のように美しかった
太古から流れてやまない大河の
河口のさまざまな支流が地上に描く
怪奇でモダンな線
現実の存在とは思えぬさまざまな微妙な色
自然はひと知れずその内部にシュールリアリズムを蔵しているのだ

カルカッタから私はブッダガヤへ行った
釈迦がその木かげで悟りを開いた
菩提樹が今なおうっそうと繁っていた
その葉を一枚私はみやげにつんだ
チベットから歩いて来たという巡礼団がいた
暑いインドなのに黒衣をきつく身にまとっていた
黄色いころもを着たビルマの僧侶もいた
私にはなつかしいヒナヤーナ僧の姿だ
私は戦争中ビルマに一年いた
しばしば私はラングーンのシュウェ・ダゴン・パゴダに詣でた

金色にかがやく仏塔の下で
大理石の仏像に合掌して眼をとじていると
暑さのためもうろうとなった頭が
日かげの風で眠けをもよおし
ノックアウトされたボクサーの昏睡に似た
一種の恍惚状態に陥ったものだ
暑熱がすごい破壊力を発揮しているそこの自然は
眼に見える現実としての諸行無常を私に示し
悟りとは違うあきらめが私の心に来た
蓮の花の美しさに同じ私の心が打たれたのもこの時だ

仏に捧げるその花はこの世のものと信じられぬ美しさだった
人工的な造花とは違う生命の美
しかも超現実の美を持っている
まさに極楽の花であり仏とともにあるべき花だ
それが地上に存在するのだ
涅槃ねはんがこの地上に実現したように
おおいま私は見る
涅槃を目ざして
私の人工食道の上をとぼとぼと渡って行く巡礼を
現実とも超現実ともわかちがたいその姿を私は私の胸に見る
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おれの食道に






おれの食道に
ガンをうえつけたやつは誰だ
おれをこの世にうえつけたやつ
父なる男とおれは会ったことがない
死んだおやじとおれは遂にこの世で会わずじまいだった
そんなおれだからガンをうえつけたやつがおれに分らないのも当然か
きっと誰かおれの敵の仕業にちがいない
最大の敵だ その敵は誰だ

おれは一生の間おれ自身をおれの敵としてきた
おれはおれにとってもっとも憎むべき敵であり
もっとも戦うに値する敵であり
常に攻撃しつづけていたい敵であり
いくらやっつけてもやっつけきれない敵であった
倒しても倒しても刃向はむかってくる敵でもあった
その最大の敵がおれに最後の復讐をこころみるべく
おれにガンをうえつけたのか

おれがおれを敵として攻撃しつづけたのは
敵としてのおれがおれにとって一番攻撃しやすい敵だったからだ
どんな敵よりも攻撃するのに便利な敵だった
おれにはもっともいじめやすい敵であった
手ごたえがありしかも弱い敵だった
弱いくせに決して降参しない敵だった
どんなに打ちのめしても立ち直ってくるのはおれの敵がおれ自身だったからだ
チェーホフにとって彼の血が彼の敵だったように

アントン・チェーホフの内部に流れている祖先の農奴の血を彼は呪った
鞭でいくらぶちのめされても反抗することをしない
反抗を知らない卑屈な農奴の血から
チェーホフは一生をかけてのがれたいと書いた
おれもおれの血からのがれたかった
おれの度しがたい兇暴は卑屈の裏がえしなのだった
おれはおれ自身からのがれたかった
おれがおれを敵としたのはそのためだった

おれは今ガンに倒れ無念やる方ない
しかも意外に安らかな心なのはあきらめではない
おれはもう充分戦ってきた
内部の敵たるおれ自身と戦うとともに
外部の敵ともぞんぶんに戦ってきた
だから今おれはもう戦い疲れたというのではない
おれはこの人生を精一杯生きてきた
おれの心のやすらぎは生きるのにあきたからではない

兇暴だったにせよ だから愚かだったにもせよ
一所懸命に生きてきたおれを
今はそのまま静かに認めてやりたいのだ
あるがままのおれを黙って受け入れたいのだ
あわれみではなく充分にぞんぶんに生きてきたのだと思う
それにもっと早く気づくべきだったが
気づくにはやはり今日までの時間が
あるいは今日の絶体絶命が必要だったのだ

敵のおれはほんとはおれの味方だったのだと
あるいはおれの敵をおれの味方にすべきだったと
今さらここで悔いるのでない
おれ自身を絶えず敵としてきたための
おれの人生のこの充実だったとも思う
充実感が今おれに自己肯定を与える
おれはおれと戦いながらもそのおれとして生きるほかはなかったのだ
すなわちこのおれはおれとして死ぬほかはない

庭の樹木を見よ 松は松
桜は桜であるようにおれはおれなのだ
おれはおれ以外の者として生きられはしなかったのだ
おれなりに生きてきたおれは
樹木に自己嫌悪はないように
おれとしておれなりに死んで行くことに満足する
おれはおれに言おう おまえはおまえとしてしっかりよく生きてきた
安らかにおまえは眼をつぶるがいい
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庭で(二)






草の一

天が今日は実に近い 手のとどきそうな近さだ 草もそれを知っている だから謙虚に葉末はずえを垂らしている


草の二

光よ
山へのぼって探しに行けぬ
光よ
草の葉の間にいてはくれぬか


草の三

私はいま前後左右すべて生命にかこまれている 庭はなみなみと生命にみちあふれている 鳥の水あびのように私はいま草上で生命のゆあみをする
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「死の淵より」拾遺



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「死の淵より」拾遺は、「死の淵より」の下書きノートに書き残された詩篇である。何か意にみたないもの、のちにもっと手を加えたいものといった理由からはぶいたが、このまま陽の目をみることもなく、捨て去られそうなのでここに収めることにした。ただし「水平線の顔」「夜の水」「ケシの花」の三篇は、『近代文学』終刊号から原稿を求められたとき、散文の代りに、下書きノートの中から抜き出して(千葉から退院後、一時、七里ヶ浜恵風園に入院中の作である)おくったものである。
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おそろしいものが






おそろしいものが
背後から迫った
逃げると追いかけてきた
夢中で逃げているうちに
背後のものがおれのなかを通り抜けて
おれの前を去って行った
なんだろうそいつは
そいつはおれに追いかけられているかのように逃げて行く
おれに追いかけられるのを恐れるかのように駈けて行く
あいつはなんだろう
道ばたの人におれは聞いてみた
あれはなんでしょうか
あれは死だと総入れ歯の男が荘重に言った
キザなことを言うとおれは思った
死を知らぬ者にかぎって死を云々する
しかしおれだって死は知らぬのだ
おれは宿屋に入った 古いおれの常宿だ
お帰りなさいと白髪の番頭がびっくりしたように言った
帰ってきたのが意外なような声だ
女中もおれの蒼い顔を見て不気味そうに
どこへおいででしたと言った
おれはスリッパをぴたぴた言わせて廊下を歩いた
しめった地面をあいつが歩いて行った足音を思い出す
おれの部屋は遠く
永久にたどりつけないみたいだ
いやな臭いがする廊下でおれはつぶやく
あれは生だったのではないか
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この埋立地






この埋立地はいつまでも土が固まらない
いつまでもじくじくしていて
草も生えない
生き埋めにされた海の執念を
そこにみるおもいがする
たとえ泥んこのきたなさ醜さでも
しつこい執念は見事だ
雨あがりの一段とひどい泥濘の
今朝の埋立地に足跡がついている
危険な埋立地を歩いたやつがいる
その勇ましさも見事だ
なんの執念だろうか
がぼっと穴になって残っている足跡は
まっすぐ海に向っている
それはそのまま海のなかに消えている
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心のけだもの






けだものよ
眠りから早くさめて
兇暴に駆けめぐれ
私の心のなかのけだものよ
おまえの猟場を駆けめぐれ
死の影の下で眠りこけている間に
たちまちそこが占領されたようだ
ほかのけもの
死となんらかかわりのない獣たちに
おまえのナワ張りは荒らされてしまった
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心の部屋






一生の間
一度もひらかれなかった
とざされたままの部屋が
おれの心のなかにある
今こそそれを開くときが来た
いや やはりそのままにしておこう
その部屋におれはおれを隠してきたのだ
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抜け毛






歩いて歩いて
川岸にやっとたどりついたら
頼みの橋が落ちていた
向う岸に渡れないということは
もはや逃げられないということだ
氾濫のあとの逆に水量の減った川のまんなか
ぽつんと立った橋脚に
毛髪がひっかかっている
あれは ひと目で分る 女の抜け毛だ
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執着






ハナクソを丸めていると
なかなかこれが捨てられぬ
なんとなく取っておいた手紙のように
このつまらぬものが
生への執着のように捨てがたい
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近くの円覚寺に本堂ができた
杖をついて見に行った
大正十二年の大地震で
旧本堂がこわれて以来
ずっと空地のままだった
終戦の年の冬 ひとげのないそこへ
ある朝散歩に行ったら
礎石の間の砂地から
チチチと小さな声が聞えてきた
かすかな声なのに だからかえって私の耳をとらえた
地面に白くおりた霜が朝日にとけて
砂が虫のように鳴いていたのだ
砂のささやきのようであり
つぶやかれた砂上の文字のようであった
再建された本堂の前でいま私は
異様で可憐なその音を思い出した
砂の空地だった方がよかったとも思う
同時に最近のある思い出がよみがえった
私がガンになる前のこと
安房鴨川の春のことだ
ある午後 浜辺を行くと
小鳥が砂の上をつんつんと飛びながら歩いていた
モミジのような足あとを
文字のように砂上に書きつらねた
たしかにそれは何事かを伝えんとする文字に相違ない
波音に消されて小鳥の声は聞えなかったが
円覚寺の砂の声が
小鳥の声として連想された
それほどこの小鳥にふさわしい声はない
二つは不思議に調和していた
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水平線の顔






水平線から
顔がのぞいている
不気味な不可解な顔だが
私には分っている
知った顔ではないが
私が知らねばならぬ顔だ
夏の入道雲みたいに大きくはないが
そのようにあっけなく消えはせぬ
消えたと見えてまた顔を出す
私が死ぬのを待っているのか
それほど私もうぬぼれてはいないが
私が死ぬまでそれはのぞきつづけるだろう
ちょうど私の心から血が流れつづけるように
(七里ヶ浜K病院で)
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夜の水






くらい夜の水の
静かな表面が
にわかに泡立ち
眼前の一点がもくもくとふくれあがる
明らかにそれは怒っているのだ
闇のなかで黒く光りながら
水は激怒している

鬱積した悲しみが
遂に怒りになったのだ
しかしそれもながくはつづかないのだ
怒りは無慙むざんに崩され
水の高まりが次第に衰える
渦はあえなく消え去って
前にも増しておだやかな表面になる

見ている私に悲しみがどっと
波のように迫ってくるのはこの時だ
生と死とをそれは思わせる
ほんとうの悲しみとはどういうものかが
私に知らされるのも正にこの時だ
怒りのごとくにくだかれる生よ
そのもろさと短かさと激しさ
くらい夜の水よ
死もまたかくのごときか
(七里ヶ浜K病院で)
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ケシの花






すでに私は地下に横たわっている
おでこのあたりに犬がうんこをする
いいんだ いいんだ
鳥が小さなくちばしで地虫をついばむ
土中の私もなんとなくくすぐったい
今にそれどころか私の胸に
木の根が容赦なく侵入してくるだろうが
私は私の死体の上の
楽しい景色を夢想したい
ゴッホの墓のように
花を植えてはくれないか
私がオーベールへ詣でたときは
三色スミレが咲いていた
墓のそばのゴッホが描いた麦畑には
おさない麦穂の間に赤いケシが咲いていた
私の頭上にこのケシを植えてくれ
白い花のケシの実からは
阿片がとれる
麻薬のヘロインがとれる
(七里ヶ浜K病院で)
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「わが埋葬」以後



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 詩集『わが埋葬』(思潮社)を昭和三十八年一月に出してから「死の淵より」(「群像」昭和三十九年八月号)までの間に、いろいろの機会に発表した詩をここに集めておくことにした。最後の「老いたヒトデ」(「風景」昭和三十八年十一月号)が発表されたのは、私の入院直後だったので、この詩はすでにガンの手術を覚悟してのことと、多くの人に思われたようだが、事実はなんの予感も自覚もなしに書かれた詩なのである。そういえば、『わが埋葬』のなかには死に思いをいたした詩が多く、今から思うと不気味である。
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奴の背中には






奴の背中には
斜めに
タイヤの跡が黒々とついている
奴は口笛なんか吹いているが
奴の心は重いトラックのタイヤに
思いきり景気よくひかれたのだ
その証拠が陽気な口笛だ
あの気楽な足どりだ

ひかれた跡が背中に出ているのに
奴はそれに気づかない
だから奴は陽気なのだが
君は初めからすべて承知の上ひかれるがいい
君だっていっぺんひき殺されれば
奴のように陽気になれる
おれの女は
顔に斜めに
タイヤの跡をつけている
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まだでしょうか






まだでしょうかと そいつがうしろから
猫撫で声で おれにささやく
まだ? まだとはなんだ
おれは何も共同便所で小便をしているのではない
まだ達者で歩いているおれのあとを
足音を忍ばせてこそこそつけてくるのはよせ

なまぐさいそいつは何物だろう
そいつはどんな面をしているか
そいつの正体を見とどけてやりたいが
振り向いたおれに
眼鼻のないずんべら棒の顔を
そいつは見るにちがいない
そしてそいつは一向に驚かないで
すぐですねと言うかもしれぬ
そいつにそんなことを言わせたくないから
おれは振り向かないで我慢しているのか

そいつはそいつ自身のことを
おれに聞いているのかもしれないのだ
まだなまぐさいそいつは
おれのことを何かカンちがいしている
そう思うことがおれの口をとじさせている
おれをすたすたと脇目もふらず足早やに歩かせている
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揺れるブランコ






夕暮の空地で
ブランコが揺れている
今し方まで子供が乗っていたのだろうが
駈け去った子供の姿はもう見えない
それはほんとは子供ではなくて
すべてを心得ている
しかし人の眼には見えない何物かなのだ
そうだ ブランコだってその何物かと一緒に
ほんとはここから消えたいのだ
揺れているのはそのせいだ
夜がその姿を隠してくれる前に
自分からここを立ち去りたいのだ
ここ 人がきっと立ちどまって
暗い眼つきでブランコを見るここ
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醜い生






あなたは私から去って行く
闇のかなたにやがてあなたは消える
闇のなかにあなたが溶解するとき
私はここでこのまま溶解する
まぶしいぎらぎらする光のなかで
私はすべてを失うのだ
それは決してあなたのせいではない
美しいあなたが私のなかから出て行って
私に残されたものが何もないからではない
ひとえにこのすばらしい光のせいだ
醜い生にも惜しみなく注がれるこの光のなかで
生きられるだけは生きたいのだ
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告白






あたりを見廻し
ものかげに隠れて
猫がこっそりゲロを吐いていた
それをうっかり
おれは見てしまった

まずいな まずかった
猫とおれは同時に言った
君はこのどっちを
おれのつぶやきと思うか
君――告白の好きな作家よ
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みんなぶっ殺されて
自分だけ殺されないで
取り残された病牛が
屠場の隅で恥じていた

生きろと言えないおれに
そいつはこう言やがった
お前さんもおいらと同じか
いやな眼つきだねえ

そいつを殺せ
と言えないおれは
キーキーと悲鳴をあげている豚を
卑怯未練な奴だとさげすんでいた
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オルガン






初夏の
夕暮の
どこかの

オルガンがやむと
遠くの犬が
吠え出した

オルガンがやむと
それまで外をのぞいていた
おれのたましいが
窓から立って
病んで寝ているおれの所へ戻ってきた
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ラムネの玉






忘れた頃に出てきた可憐なせ物のように
おとなには無意味でも
子供には貴重ながらくたのように
みんなに親切にしたい気持がおれの胸にもどってきた
ところがそいつが古風なラムネのガラス玉のように
おれののどにひっかかって息ができぬ
誰か親切な人よ おれを叩き割ってくれ
ぶざまなラムネのびんを割るように
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とびきり上等なレッテル






あれがこれから君の行くところだ
病院みたいに清潔な自慢の設備だ
おとなしくはいって行きたまえ
君があの建物を出るときは
君は美しい商品になっている
とびきり上等なレッテルまで貼ってある
あのデザインには実に苦心した
その印刷にはうんと金がかけてある

もちろん君はむごたらしい死に方はしたくないだろう
当世ふうの残酷好きの君
自分が残酷な目に会わされるのは嫌いだが
ひとの残酷なら舌なめずりする君
安心してあすこへはいって行くがいい
それとも君は脳天を丸太でぶち割られ
皮をひんむかれ さかさにつるされ
小さく切りきざまれて肉屋で売られるほうがいいか

缶詰にされるのがいやならそれでもいい
どちらでも君の希望をいれてさしあげたい
君はどういうふうにして殺されたいか
われわれは自由を尊重するのだ
君は自由にどちらかを選ぶことができる
早く返事をしたまえ
なんでも食いたがる思想の豚
やい 早く 返事をしねえか
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失われたタヌキ






おれの幼い頃には
タヌキが徳利をさげて
大ギンタマをぶらさげて
町の酒屋へ酒を買いに来たものだ
しょっちゅう会っているうちに友だちになったのだが
おれがおとなになったら
タヌキはどこかへ消えてしまった

そのタヌキは酔払うと
カッポレを踊ったり
キレイな娘に化けたりして
幼いおれを喜ばせたものだ
うまいうまいとおれは手をたたいた
これなら人間のおとなもころりとだませる
人をだますのは面白いだろうな

ふとタヌキはまじめな顔をして
幼いおれを相手にこう言ったものだ
坊や それは違うよ
人間さまをだますために化けるんじゃない
だまそうとしてだませるもんじゃない
これはおいらの楽しみなのさ
おいらひとりのケチな楽しみさ

坊や あのサクラをごらん
あれだってひとさまのために咲いてるんじゃない
普段ずいぶんとつらいおもいをしているのに
苦労を花に出してないのもえらいもんだ
あんなきたない枝から
あんなキレイな花を咲かせている
上手に化けたもんじゃないか

タヌキの言うことが幼いおれには分らなかった
今は分る
あのタヌキもやっぱりずいぶんさびしい気持だったのだ
今のおれにはそれが分るが
分ると告げたいタヌキが今はいない
すでにおれから失われてしまったタヌキは
もはやふたたびおれに戻ってはこないのだ
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老いたヒトデ






踏みつぶすのも気持が悪い
海へ投げかえそうとおっしゃる
その慈悲深い侮蔑がたまらない
一時は海の星とうたわれたあたしだ

ハマグリを食い荒す憎い奴と
あなた方から嫌われ
食用にもならぬとうとまれたあたしが
今は憎まれも怨まれもしない

あたしも福徳円満
性格も丸くなって
すっかりカドが取れ
星形の五本の腕もボロボロだ

だのにうっかりアミにひっかかった
しまったと思ったが
いや待て これでいいのだ
このほうがいいと思い直したところだ

年老いて
歯がかけて好きな貝も食えず
重油くさい海藻などしゃぶって
生き恥をさらしていた

炎天の砂浜で
のたうち廻る苦しみのなかで
往年の栄光を思い出しながら
あたしはあたしの瀕死を迎えたい

宝石のような星が
夜空に輝いていたのも昔のことだ
今は白いシラミのような星が
きたない空にとっついている

海の星の尊厳も昔のことだ
海にかえさないでくれ
老いたヒトデに
泥まみれの死を与えてほしい





底本:「死の淵より」講談社文芸文庫、講談社
   1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「詩集 死の淵より」講談社文庫、講談社
   1971(昭和46)年7月刊
初出:死の淵より「群像」
   1964(昭和39)年8月号
   老いたヒトデ「風景」
   1963(昭和38)年11月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:酒井裕二
2016年1月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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