みずぐるま

山本周五郎





 明和五年の春二月。――三河のくに岡崎城下の西のはずれにある光円寺の境内で、「岩本新之丞一座」というのが掛け小屋の興行をした。弘田和次郎は友人の谷口修理にさそわれて、或る日それを見物にいった。弘田家は六百五十石の老職で、家柄は国許くにもとの交代次席家老であるが、二年まえに姉の自殺したことがたたって、父の平右衛門は職を辞して隠居し、和次郎は十八歳で家督を継いだが、現在まだ無役のままであった。谷口修理は三百石の中老の子で、和次郎より二歳年長であり、和次郎にとっては母方の従兄に当っていた。
 興行の掛け小屋は、丸太で組みむしろと幕で囲ったもので、楽屋と舞台は床があげてあり、客席の半分も桟敷になっているが、大半は立ったまま見物するようになっていた。番組は数種の舞踊と、唄、犬や猿の芸当、手品、曲芸などで、十二人いる座員は男より若い女のほうが多かった。ほぼ満員の客にまじって、座がしら岩本新之丞の槍踊りと、犬と猿の芸当、それに岩本操太夫という娘の手品まで見ると、和次郎は退屈になって「出よう」と云った。
「まあ待てよ、あそこに書いてある美若太夫というのを見せたいんだ」と修理はひきとめて云った、「もう二番くらいだから、もう少し辛抱してくれ」
 和次郎は、やむなく承知した。
 まもなくその美若太夫の「みずぐるま落花返し」という芸が始まった。太夫は十五六の少女であった、五尺二寸ばかりあるからだはよくひき緊って、胸なども娘らしく発達しているが、しもぶくれの、どちらかというとまるっこい顔だちは、まだほんの少女のようにあどけなく、ものに驚いたような大きな眼や、うけくちのおちょぼ口などは、乳の匂いがするような感じであった。――派手な色柄の武者ばかまに水浅黄の小袖を着、たすき、鉢巻をして、赤樫あかがしの稽古薙刀なぎなたを持っている。口上が済むと、舞台の一方に三人の男があらわれ、紅白のまりを取って美若太夫に投げる。太夫は薙刀を巧みに使って、それをみごとに打ち返すのであるが、三人が続けざまに投げるのを、一つも誤たず打ち返す技は、ちょっと水際立ったものであった。
「――外山のこずえ風立ちて、瀬に舞い狂うさくら花、打っては返すみずぐるま……」
 口上がそんなはやし言葉を入れると、小屋いっぱいに破れるような拍手と歓声があがった。
「どうだ、――」と修理が云った、「よく似ているだろう」
「うまいね」和次郎がうなずいた、「旅芸人の芸じゃない、筋のとおった稽古をしている」
「なんだって」
「筋のとおった腕だ、旅芸人には惜しいよ」
「そうじゃない」修理が云った、「おれが云うのは、深江さんに似ているだろうというんだ」
 和次郎は振返って修理を見た。痛む傷にでも触られたような、どきっとした表情であったが、修理は気がつかないようであった。和次郎はすぐに舞台へ眼を戻した、そうして、眉をひそめながら首を振った。
「いや、そうは思わないね」と和次郎は云った、「姉はもっと細かった、もっと沈んだ、憂い顔をしていたよ」
 そして彼は、さらに強く眉をひそめた。


 若尾が舞台からさがって来ると、葛籠番つづらばんの久助爺さんが手招きをした。若尾は鉢巻と襷をとり、額の汗を拭きながら、刀架へ薙刀を架けてそっちへいった。
「若ぼうにお客さんだよ」と久助が楽屋のほうへあごを振った、「ここの御家中のお武家らしい、さっきから親方と話してるが、どうやらおめえに好い運が向いて来たらしいよ」
「また、いやらしい話でしょ」若尾は鼻の頭へしわをよせた、「この頃っていえば、どこの町へいってもいやらしい話ばかりよ、さすがの美若太夫も、うんざりだわ」
「好い運が向いて来たらしいよ」と久助は云った、「おらあ、ちょっと小耳にはさんだばかりだが、なんでも若ぼうを養女に貰いてえような口ぶりだった」
「そんなこと云って本当はおめかけよ、きまってるんだから」
「若ぼう、――」久助は眼をぱちぱちさせた、「おめえも、そんなことがわかるようになったのか」
「あたしだって、もうまる十四よ」
 若尾は楽屋のほうへはゆかず、そこから一段下ったところの蓆をあげて、梯子はしごづたいに外へおりていった。
「どこへゆくんだ」爺さんが云った、「もうすぐ親方に呼ばれるぜ」
「いないと云っといてよ、そんな話、まっぴらだわ」と若尾が答えた。
「あたし庄太夫を見にいってるけど、誰にも教えないでね」
 梯子をおりたすぐ裏に、やはり蓆で囲った掛け小屋がある。幾台かの荷車や、馬や、道具類の置場であるが、若尾が蓆の垂をあげて中へ入ると、その薄暗い一隅に、小菊太夫という女が(かがんで)なにかしていた。
「どう、小菊さんのねえさん、産れた」
 若尾はこう云いながら、そっと近よっていってのぞいた。
「まだなのよ」と小菊太夫が答えた、「初めてのお産だから骨が折れるらしいわ」
 藁を敷いた箱の中に犬が横になっていた。二歳になる雌犬で「庄太夫」といい、小菊太夫の使う芸犬の一ぴきである。小菊太夫に腹をでてもらいながら、「庄太夫」は苦しそうに舌を垂らし、激しくあえぎながら若尾を見あげて、くんくんと悲しげにいた。
「しっかりするのよ庄ちゃん」と若尾は云った、「あんた赤ちゃんを産むんでしょ、そんなあまったれ声を出してるような場合じゃないじゃないの、うんと力みなさい、うんと」
 小屋のほうからひときわ高く、調子の早い囃しの音が聞え、観客の喝采かっさいする声がどよみあがった。
「常盤さんの曲芸だわね」
「そうよ」と若尾が云った、「こんど、ねえさんの出番でしょ、あたしが庄ちゃんをみているわ」
「頼むわ、終ったらすぐ来るから」
 小菊太夫は立ちあがって若尾と代った。若尾は跼んで、左手を犬の首の下へ入れ、右手で静かに腹を撫でた。小菊太夫は、暫くその手もとを見ていたが、やがて出てゆきながら云った。
「あまり強くしないでね、若ぼう、――袴の裾がひきずってるよ」
 若尾は、さっと袴の裾をたくしあげ、ひどくいきごんだ顔つきで犬の介抱を続けた。
「お産のときは青竹をつかみ割るくらい力むんだってよ、庄ちゃん」若尾は休みなしに話しかけた、「まだまだそんなことじゃだめ、いざっていうときは障子の桟が見えなくなるんですってさ、此処ここには障子はないけれど、蓆の目だって同じことよ、蓆の目をしっかり見ているといいわ、さ、うんと力んで」
 しかし、まもなく権之丞という若者が来た。二十歳になる背の低い男で、綱渡りを芸にしている。男ぶりもぱっとしないし、ひどいどもりで、身ぶり手まねなしには話ができなかった。
「だめよ来ちゃあ」若尾が振返って云った、「男なんかの見るもんじゃないわ」
「親方が呼んでるよ」吃りながら権之丞が云った、「客が来たんだ、楽屋で、若ぼうをれってさ、お侍だぜ」
「たくさんだわ、いないって云ってよ」
「すぐに来いってさ」権之丞は顔を赤くし、唇を筒にして吃った、「お侍は帰った、三日も若ぼうの舞台を、続けて見に来たんだってよ、三日も続けてよ、それから養女に貰いてえって来たんだってよ、おめえゆくのかい」
「知るもんですか、そんなこと」
「ゆかねえでくれよ」権之丞は手を振り、唾をとばしながら云った、「若ぼうがいっちまうと、おれたちが淋しくなる、ほんとだぜ、おめえは、みんなの大事な若ぼうだからな、頼むからどこへもゆかねえでくれよ」
「ごしょうだから黙っててよ、庄ちゃんの気が散って産めやしないじゃないの」若尾は、もっと前へ跼んだ、「――さ、もうひと辛抱よ、おなかの中で赤ちゃんが動いてるでしょ、もうすぐだからがまんして」
「親方が呼んでるよ」と権之丞が云った、「いかねえと怒られるよ」
 若尾は振返った。うるさいわね、そうどなろうとしたのだが、そこへ手品の操太夫が入って来た。舞台へ出る姿のままで、飴玉あめだまをしゃぶっていた。
「若ぼう、親方が呼んでるよ」と操太夫は近よりながら云った、「そんなもの、うっちゃっといて早くいきなさい、怒られるよ」
「だって、もうすぐ産れそうなのよ」
「いいからいきなさいってば、そんなことしなくったって犬は独りで産むわよ」
「あたし小菊さんのねえさんに」
 そう云いかけたとき、また二人、丹前舞の仙之丞と、操太夫の後見をする縫之助とがとびこんで来た。
「ほんとか、若ぼう」と仙之丞がとびこんで来るなり云った、「おめえ、お侍の家へ貰われていくんだって、本当の話か」
「親方はそう返辞をしてたよ」と縫之助がまだるっこい調子で云った、「あとからすぐにれてまいりますってさ、当人の出世のためですからって、ちゃんと約束していたよ」
 若尾は立ちあがった。立ちあがって振返って、そこにいる四人の顔を順に見た。
「ほんとだよ」と縫之助が云った。
「でたらめよ、そんなこと」と若尾がきっとした声で云った、「みんなだって知ってるじゃないの、酒の相手に出せとか、お妾に欲しいとかって、いやらしいことばかり云って来るじゃないの、わかってるよ、もう」
「そんな話なら親方が断わる筈だぜ」と仙之丞が云った、「親方が承知したところをみると、そんなんじゃねえと思う」
「そうだとも」縫之助が大きくうなずいた、「本人の出世のためですからって、親方がちゃんと云ったんだから」
「ゆかねえでくれよ、若ぼう」権之丞が吃りながら云った、「親方だっておめえを手放すのは辛いんだ、本当の娘のように可愛がってるんだからな、おれたちみんなが、みんな自分の本当の妹のように大事に思ってるんだから」
「あたし、ゆきゃあしないわ」
 若尾は胸を張って云った。
「大丈夫、どこへもゆきゃあしないから、あたし岩本一座の美若太夫よ、その話が、もしか本当だとしたってゆくもんですか、誰がくそだわ」
 そのとき入口の垂をあげて、親方の孫右衛門が入って来た。白髪の六十ばかりの老人で、固肥りのたくましい躯に布子と胴着を重ね、片手をふところへ入れたまま、そこに立って、静かな細い眼で、じっと若尾を見まもった。――他の四人は固唾かたずをのみながら脇へどいた、親方は少し、しゃがれた低い声で云った。
「おいで、若尾、でかけるんだ」
 四人は若尾を見た。若尾は黙って、箱の中の庄太夫のほうへ眼をやった。犬は彼女を見あげ、悲しげに鼻でくんくんと啼いた。


 若尾は弘田家に養女分として引取られた。
 弘田の屋敷は黒門外といって、城の外濠そとぼりに面していた。門の外の濠端道に立つと、左のほうに菅生曲輪くるわ、右に備前曲輪、そして菅生曲輪の向うに本丸の天守閣が眺められた。天守閣は屋敷の庭からも見えるし、若尾の部屋からも見ることができる。引取られて来て五日ばかりのあいだ、若尾は自分に与えられたその部屋で、天守閣を眺めては独りでよく泣いてばかりいた。
 若尾を弘田家へ伴れて来た日、平右衛門夫妻のいる前で、親方が初めて彼女の身の上を語った。
 ――若尾は侍の子だ。と親方は云った。ちょうど十二年まえ、東海道の清水でなが雨にみまわれ、一座は木賃旅籠はたごとやについた。そのとき赤児を抱えた浪人者が同宿していたが、三月以上も病み続け、もう恢復かいふくの望みはなかった。浪人は河内伊十郎といい、どういうわけか孫右衛門をひどく信頼したようすで、この赤児を引取って育ててくれと云いだした。当時、孫右衛門はまだ妻が生きていたし、浪人の信頼するようすがしんけんなので、たしかに引受けたと云って承知し、赤児といっしょに臍緒書ほぞのおがきや系図なども受取って、雨が晴れると同時に宿を立った。そのときは東へ下る途中だったが、小田原城下で興行しているところへ、頼んでおいた宿からの手紙で、河内伊十郎の死んだことを知らせて来た。
 ――その赤児が若尾なのだ。と親方は云った。これまで詳しい話をしなかったのは、もし旅芸人のまま終るとすれば、侍の子などということは知らせないほうがいいと思ったからであるが、幸い弘田家へ引取られることになったので話す。これからは生れ変ったつもりで、弘田家の名を辱しめないように、りっぱな娘にならなければいけない。
 臍緒書や系図は弘田家へ預けた。岩本一座とは、これで絶縁したと思え、そう云って孫右衛門は帰っていった。
 ――せめていちど、みんなに別れを告げさせてくれ。
 若尾はそういって頼んだ、庄太夫のお産を見てからにしたい、とも云ったが、孫右衛門はこわい眼でにらみつけ「侍のお子が、そんなみれんなことでどうしますか」と叱りつけたまま、振向きもしないで帰っていった。
 それから殆んど部屋にこもりきりで、食事も満足にとらず、若尾は独りで泣いてばかりいたが、七日めの朝、妻女の豊が来て、自分といっしょに朝餉あさげべようと云った。
「もう泣くのはたくさんでしょ」と豊は云った、「あちらにいるときは冗談がうまくって、みんなをよく笑わせたというではないの、さあ、機嫌を直していっしょにゆきましょう」
 豊は四十一になる、せた小柄な躯つきで、顔色が悪く、眼にも力がなく、いかにも弱そうにみえた。
 ――お弱そうな方だわ。
 若尾はいま初めて発見したような気持で、そう思いながら頬笑みかけた。
 ――お世話をやかせては悪いわ。
 そして元気に頷いて立ちあがった。
「はい、御心配をかけて済みません、もう泣きませんから堪忍して下さい」
「それで結構よ、さあ、まいりましょう」
 豊は眼を細めながら、やさしくなんども頷いた。若尾は少し尻下りの眼で笑いかけ、豊のそばへ寄りながら云った。
「奥さま、あたし負っていって差上げましょうか」
「え――」豊は眼をみはった。
「あたし力があるんですよ」と若尾は自慢そうに云った、「葛籠番の久助爺さんは足が悪いでしょ、ですからはばかりへゆくときはあたしが負ってあげるんです、奥さまは久助爺さんよりかも軽そうだから楽に負えますわ」
「まさかねえ」豊は笑いだした、「――でも有難う、わたしは大丈夫よ」そうして若尾をやさしく見て云った、「それから奥さまなんて云わないのよ、あなたは弘田の娘分になったんですからね、旦那さまのことは父上、わたしのことはお母さまと呼んでいいのよ」
「はい、お、お――」
 若尾はそう云いかけたとたん、豊をみつめたまま急にべそをかき、ぽろぽろと手放しで涙をこぼした。豊は驚いて若尾の顔を覗いた。
「どうなすったの若さん」
「なんでもありません」涙をこぼしながら若尾は首を振った、「なんでもないんです、済みません、ただ――お母さまって呼ぶのは生れてから初めてだもんで、うまく口から出てこないんです」
「いいのよ」豊は眼をそらしながら云った、「もうすぐに馴れますよ、さあ、まいりましょう」
 豊は、そっと若尾の手を握ってやった。
 若尾は元気になり、家人と馴れていった。着物や帯が出来て来、髪も武家ふうに結うと、自分から努めて言葉を改め、行儀作法も習うようになった。もちろん長い習慣がそうすぐに直る筈はない、うっかりすると廊下を走ったり、乱暴な口をきいたり、庭で樹登りをしたりした。平右衛門も豊もあまり小言は云わなかった。和次郎もそんな若尾が好ましいようすで、いつも笑いながら見ているだけであった。
 弘田家には家扶かふの渡辺五郎兵衛と、ほかに家士が七人と、下僕と下婢とで五人、馬を三頭飼っていた。若尾は侍長屋のほうへは近よるなと云われ、内庭の仕切からそっちへは決してゆかなかった。それは彼女が岩本一座にいたことを知られたくないためらしく、もし誰かにかれたら、「江戸から来た親類の者だ」と答えるように云われていた。
 二月下旬になった或る日。――和次郎が精明館の稽古から帰って来ると、若尾が眼を輝かせながら部屋まで追って来た。
「わたくしうかがいましたわ」若尾は昂奮こうふんした声で云った、「お母さまから、すっかりうかがいましたわ、若尾はみんな知っていますわ」
「ばかに力むね、なにを聞いたんだ」
「若尾をみつけて下すったのが誰かっていうことですわ、お兄さまですってね」若尾はきらきらするような眼で和次郎を見た、「――お兄さまがわたくしを見にいらしって、それからお父さまを伴れて来て、そうして若尾をぜひ貰うようにって、熱心におせがみなすったんですってね」
「つまり私を恨むっていうわけか」
「恨むですって、若尾がですか」
「だって、あんなに泣き続けるほどいやだったんだろう」
「あらいやだ」若尾は足踏みをし、すぐに気がついて云い直した、「あらいやですわ、わたくし泣いたりなんかしはしませんわ、もしか泣いたとすれば、いやだからじゃなく、ただ泣いただけですわ」
「へえ、ただ泣いただけですかね」
「ねえお兄さま、聞かせて、――」
 若尾は、ちょっと声をひそめた。


「お母さまがおっしゃるんだと、若尾は亡くなったお姉さまに似ているんですって」こう云って彼女は和次郎の眼を見た、「――お姉さまがいらしったってことも、二年まえにお亡くなりになったということも、初めて今日うかがったんですけれど、若尾がその方に似ているからお貰いになったんですって、本当でございますか」
 和次郎は強く眉をひそめた。
「それは母が自分から話したのか」
「ええ、――」と若尾は頷いた、「なぜ若尾を貰って下すったのかと、うかがったら、そう仰しゃっていらっしゃいました」
「断わっておくが、これからは姉の話は決してしてはいけないよ」と和次郎が云った、「母はひどく弱ってみえるだろう、もとは、あんなではなかった、姉の死んだことが、あんなにひどくこたえたんだ、この家ではその話はしないことになっているんだからね」
「はい、――わかりました」
「それから」と和次郎は続けた、「若尾は姉には似ていないんだ、谷口修理という私の友達がひどく似ていると云うし、父もよく似ていると云った、それで、母にもよかろうというので貰うことになったんだが、私には、ほかに考えることがあったんだよ」
 若尾は、じっと和次郎の口もとを見つめ、緊張した表情で、こくっと唾をのんだ。
「それはね」と和次郎が云った、「若尾の薙刀の腕にみこみをつけたんだ」
「まあ、いやですわ」
「本当なんだ、もちろん客に見せる芸だから、これまでのようではいけないが、生れつきの才分というか、若尾の薙刀には本筋のものがある、あとで武家の血をひいていると聞いて、みっちり稽古をすれば相当な腕になると思った」
「お兄さまも薙刀をなさいますの」
「私はやらないが姉が上手だった」和次郎の眉が、またしかめられた。が、こんどはそうきつくではなかった、「この家中には磯野萬という女史がいて、正木流の薙刀では江戸にも聞えた達者なんだ、姉も女史の教えを受けたのだが、若尾もそのうちに入門させよう、免許でも取るようになれば河内の家名が立つからね」
「わたくし云いませんわ」若尾が思いいったように唇をひき結んだ、「わたくし、できるでしょうかなんて申しませんわ、きっとやりとげますって云いますわ、きっとですわ」
「いまからそういきまくことはないよ、入門は、もっとさきのことだ、そのまえによく行儀作法を覚えなければね」
 若尾は唇をひき結んだまま、黙って、こっくりと大きく頷いてみせた。
 若尾は弘田家の生活に慣れていった。元気すぎるほど元気で、にぎやかな性分だから、母の心持もまぎれるらしい、その部屋からよく笑い声が聞えて来るし、顔色もよくなるようであった。これは平右衛門にとってかなり意外だったようで、あるとき彼は和次郎に云った。
「おまえの云うとおりだったな、私はまた深江に似ているので、かえって悲しがりはしないかと思ったのだが」
「母親というものは娘を欲しがるそうですから」
「あの娘もいい気性だ」と平右衛門が云った、「ことによるともうけものかもしれないね」
 和次郎はそのとき父に質問しようとして、口まで出かかったのだが、ついに云いだす勇気はなかった。
 ――姉さんは、どうして自殺したのですか。
 彼はそう訊きたかったのである。
 姉の自殺した理由は不明であった。ふだんからおとなしく、無口で、ひっそりとした人であった。そんな性質に似あわず、芸ごとは不得手で、学問と武芸が好きであった。ことに磯野門の薙刀では、三人の一人に数えられていた。それが二年まえの五月、十九歳で遺書も残さずに自殺したのである。――そのちょっとまえに縁談があった。相手は中老の伊原要之助という者で、老職の松平主膳を仲介に申込んで来た。深江はもう年も十九歳になっていたし、良縁なので父も母も乗り気だったが、いやなものを無理にというのではなかった。
 ――伊原さまにはお断わり下さい。
 自殺する前の日に、深江は母にそう云ったという。とすれば縁談のためではないだろうが、ほかには思い当ることは(少なくとも和次郎には)なにもなかったのである。彼がひそかにみるところでは、母はなにか知っているようであった。それは、姉が死んだあとのまいりかたも尋常ではなかったし、死躰をみつけたときに殆んど狂乱して、
 ――なぜ母さんに相談してくれなかったのか。
 と、かきくどいていた。
 そんなことはそのとき限りで、あとは病気になるほどまいってしまい、深江という名を聞いても顔色が変るくらいであった。彼は慥かに母がなにか知っていると思い、母が知っているとすれば、父も知っているのではないかと想像した。それで、いちどは訊いてみたいと思っているのだが、いざとなると、つい気がくじけてしまう。理由がわかったところで、死んだものが生き返るわけでもなし、古傷に触ることもあるまい、と思い直してしまうのであった。
 秋八月になって、若尾は磯野の道場へ入門した。
 弘田一家でなにより案じたのは、若尾が岩本一座にいたということであった。世間には江戸の親族から養女に貰ったといい、藩へもそう届け出てある。本当のことを知っているのは弘田の家族三人と、交渉に当った家扶の渡辺五郎兵衛だけであった。もう一人、彼女を舞台でみつけて、和次郎を見物にさそった谷口修理も、若尾を見ればそれとわかるだろうが、運の好いことに彼は江戸詰になって岡崎から去った。若尾が、弘田家へ引取られてからまもなくのことで、弘田へも別れの挨拶に来たが、もちろん若尾には会わせなかった。任期は三年ということだから、そのうちには若尾のようすも変るであろうし、帰藩するじぶんにはもう美若太夫とはわからなくなるに違いない。よほど偶然なことが起こらない限り、彼女の前身は知れずに済むといってよかった。
 若尾は元気に道場へかよった。
「わたくし今日は怒られてしまいました」かよい初めて半月ほどすると、若尾は和次郎の部屋へ来てそう云った、「お師匠さまってお婆さんのくせをして、ずいぶん大きな声が出るんですよ、わたくし耳が、があんとなってしまいましたわ」
「なにか悪戯いたずらでもしたんだろう」
「あらいやだ、――あらいやですわ、もうわたくし、まさか子供じゃあるまいし、悪戯なんか致しませんことよ」
「それじゃあ、なんで怒られたんだ」
「お稽古がまどろっこしかったんです」と若尾は云った、「もう半月も経つのに薙刀の持ちかたばかりやかましくって、あとは型しか教えてくれないんですの、わたくし、いいかげんうんざりしてしまったから、もうそろそろお稽古を始めて下さいって云ったんです」
「あのかみなり婆さんにか」と和次郎は笑いだした、「それは驚いた、それは大した度胸だよ」


「そうしたらいきなり、わんわんわんって、こんな眼をしてどなるんです、およそ武の道に基礎ほど大事なものはない、基礎は精神のかためである、おまえのような者は型ばかりで三年かかると思え、わんわんわんって、わたくし耳が裂けちゃったかと思いましたわ」
「基礎は大切だよ」和次郎は笑いやめて云った、「ことに若尾は癖のある技を覚えてるんだから、それをすっかりこわして、かからなければならない、本当に三年かけるつもりで、基礎をしっかりやるんだよ」
 若尾は少し考えてから大きく頷いた。
「はいわかりました、悪い癖をすっかり毀すようにやります、大丈夫きっとやります」
 そして、ぺこっとおじぎをした。
 その年末のことであるが、和次郎が(束脩そくしゅうを持って)磯野へ挨拶にいったところ、萬女史はよろこんで座敷へあげ、案じていたのとは反対に、若尾のことをしきりに褒めた。――ほかの門人にひいきがあると思われては悪いから、これまでなにも云わなかったのであるが、じつは良い門人ができたので、弘田家へ礼にゆきたかったのだ、などと云った。
「あの人はものになります、これまでずいぶん門人も育てましたけれど、あんなに恵まれた素質を持った者はありません、もしできるなら、わたしが養女に貰いたいくらいです、しかし」と女史は意味ありげな眼をした、「――あれはこなたさまが嫁になさるのでしょう」
 和次郎はどぎまぎした。思いもよらない不意打ちで、まごついたうえにちょっと赤くなった。
「私がですか、いや、とんでもない」
「よろしい、よろしい」女史は心得顔に手を振った、「あれは道場へ来ると、こなたさまのことばかり饒舌しゃべります、誰彼なしにつかまえては、こなたさまの自慢ばなしです、わたくしにまでですよ、――あれは惚気のろけというものです」
 こんどこそ和次郎は赤くなった。女史は男のようにからかい笑いをして云った。
「だがよくしつけないといけませんね、まだ若いからでしょうが、おそろしいくらい乱暴な悪戯者です、どんな家庭に育ったか見当がつかない、真実ですよ」と女史は眼を光らせた、「――秋のうちは専門に隣り屋敷の柿を取って同門人に配っていました、高塀たかべいの上を渡って柿の木へとび移って取るのです、この頃は柿がなくなったものだから、屋根へあがって雀を追いまわしています、まるであなた、猿か猫の生れ変りみたようなものです」
「それはなんとも申し訳がありません」和次郎は驚くと同時に恐縮した、「そんな悪戯をするとは、まったく気がつきませんでした、これからよく申しつけますから」
「そうして下さい、わたくしも折檻せっかんします」と女史は頷いて、そしてふと声をひそめた、「――なにしろ困るのはですね、あなた、隣り屋敷の柿は、また、ばかに美味いのですよ」
 和次郎が黒門外の家へ帰ると、若尾は巧みに隠れて彼の近よるのを避けた。磯野でなにか聞いて来て、叱られるものと勘づいたらしい。和次郎は苦笑しながら知らん顔をしていた。すると案の定、夜になって若尾のほうから彼の部屋へやって来た。
「お師匠さまが、なにか仰しゃったでしょ」
 さぐるように彼を見、ささやき声でこう訊いた。和次郎はむっとした顔で頷いた。
「ああ仰しゃった、すっかり聞いたよ」
「嘘なんです、大袈裟おおげさなんです」と若尾はせかせかと云った、「お師匠さまはとても大袈裟で、これっぽっちの事をこんなにすごいように仰しゃるんです、ほんとですのよお兄さま」
「すっかり聞いたよ」と和次郎は云った、「なにを聞いたかは云わないがね、私は恥ずかしくて顔が赤くなったよ」
 若尾はじっと和次郎を見た。彼が本気かどうかを慥かめるように、――和次郎は硬い表情で黙っていた、彼は本気のようであった。すると若尾の(大きくみはった)眼から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「ごめんなさい、お兄さま」と若尾は涙のこぼれる眼で、和次郎をまともに見つめながら云った、「わたくしが悪うございました、もうこれから悪戯は致しません、堪忍して下さい」
 いっぱいにみひらいた眼から、ぽろぽろ涙をこぼしながら、真正面に和次郎を見つめたまま、少しも視線を動かさないのである。姿勢も正しく、手をひざに置いて、上躰をしゃんと立てたなりであった。いかにもはっきりとした悪びれない態度だし、そう真正面から見つめられるので、和次郎のほうが眼をそらさずにいられなくなった。
「それでいいよ」と彼は頷いた、「――悪戯をするのもいいが、度を越えないようにね」
「はい、お兄さま」
「それから、私のことなんぞ、あまり話すんじゃないよ」
 若尾は不審そうに和次郎を見返したが、すぐにぼっと赤くなり、(こんどは)たもとでいきなり顔を押えると、すばらしい早さで立ちあがって、障子やふすまにぶっつかりながら、自分の部屋のほうへ逃げていった。
 ――あれは惚気というものです。
 和次郎はそっといった。逃げてゆく若尾を見送りながら、磯野女史の言葉が鮮やかに耳の中で聞えた。あれは惚気というものです。そして、もう一つの言葉も思いだされた。
 ――こなたさまが嫁になさるのでしょう。
 和次郎は、すばやくあたりを見まわした。その言葉が現実のように高く聞えたかに思われ、誰かに聞かれはしないかという気がしたからである。
「ばかなことを云う人だ」彼は苦笑しながら、こうつぶやいた、「どういうつもりだろう」
 そして和次郎は口をへの字なりにした。
 年が明け、年が暮れて、明和七年になった。まる十六年の春を迎えた若尾は、磯野女史の秘蔵弟子として、門人中五席という上位にのぼり、新しい入門者に初歩を教える役についた。背丈はさして伸びず、稽古を続けているので脂肪も付かないが、ぜんたいに柔軟なまるみを帯びてきて、躯つきが娘らしくなった。――道場では相変らずで、活溌にはねまわったり、思いもつかないような悪戯をして、みんなを仰天させたり笑わせたりするらしい。しかも門人全部に好かれているし、先輩たちにまで頼りにされているようであった。ただ一人、中老の娘で緒方せいというのがおり、門中の首席で代師範も勤めていたのが、若尾のにんきのよいのに反感をもったとみえ、ひと頃ひどく意地の悪いことをした。若尾は辛抱づよく(まったく辛抱づよく)気づかないようすで、うけながしていた。そのため、ついには緒方せいのほうが居た堪らなくなり、やがて自分から磯野門を去ってしまった。
 道場ではそんなふうであったが、弘田家における彼女はかなり変っていた。
 明るい顔つきや、はきはきした挙措は元のとおりであるが、身だしなみに気を使うし、言葉少なになり、特に、和次郎に対してひどく臆病になった。まえにはよく彼の部屋へやって来たし、すすんで話しかけもしたものであるが、いつかしら、そんなこともなくなり、たまに和次郎が話しかけたりすると、顔を赤くし、身を縮めて、眼をあげることもできないといったようすをみせる。
 ――おかしなやつだ。こう思いながら、しかし和次郎のほうでも、なにやらまぶしいような気持になるのであった。


 その年(明和七年)の五月、藩主の松平周防守康福は所替えになり、石見のくに浜田へ移封された。もともと石州は松平家にとっては本領の土地で、康福の曽祖父に当る周防守康映は浜田五万石余の領主であったし、その後も津和野の亀井氏と交代で、ながく同地を治めていたことがある。そしてこんどの移封も、周防守自身が、かねてから希望していたのを、かなえられたものであった。
 移封の事が公表されるのと殆んど同時に、若尾が江戸邸へ召し出されることになった。これは磯野女史の推薦で、姫君の薙刀の手直し役に選ばれたのである。――初め若尾は頑としてきかなかった、病気だといって部屋にこもり、三日ばかり断食もしたが、和次郎がよくよく話して聞かせたうえ、ようやく承知させた。
「これは若尾のためばかりではない」と和次郎は云った、「――亡くなった若尾のお父さんや、河内という家名のためでもあるんだ、こんどのお役を無事にはたすことができれば、河内の家も再興できるかもしれないんだよ」それからまた云った、「これは私にとっても、また父や母にとっても、のがしたくない絶好の機会なんだ」
 若尾は納得した。弘田の人たちを失望させたくないために承知した、ということが明らかにわかるような納得のしかたであった。
「浜田という処は遠いのでしょうか」
 若尾は承知したあとで、和次郎の顔を見あげながら訊いた。
「ああ遠いね」と和次郎が頷いた、「この岡崎が江戸から七十七里、石州浜田は二百五十里ばかりある」
「二百五十里、……」若尾の大きくみひらいた眼から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。その涙のこぼれ落ちる眼で、くいいるように和次郎をみつめながら、若尾は云った、「――そんなに遠くでは、もし若尾が急病で死にそうになっても、お兄さまに来て頂くことはできませんわね」
「若尾が急病で、ああ」和次郎は首を振った、「ばかな、なにをつまらないことを云いだすんだ」
「お兄さまが急病になったときも若尾はお側へゆけませんわ、ねえ」若尾は指ですばやく両方の眼を拭いた、「ねえお兄さま、もしそんなことがあったら、どうしたらいいでしょうか」
 和次郎は微笑した。若尾の心配がつまらないものだということを証明しようとするかのように。だが、――そのとき彼の胸にも二百五十里という距離の大きさが、まざまざと感じられた。そして、若尾の心配が決してつまらないものではなく、もしどちらかがそんなふうになるとすると、もう生きて逢う方法はないということが、まるで病気の発作のように激しく彼を緊めつけた。
「そうだ、若尾の云うとおりだ」と和次郎は、自分の感情を隠して云った、「しかしそんなことを考えたらきりがない、病気の性質によっては、同じ土地にいても死に目に逢えないことだってある、そうじゃないか、――急病になることなど考えるよりも、病気にならないように注意することが肝心だ」
 若尾はおとなしく頷いたが、眼にはまだ、あとからあとから涙があふれて来た。
「大丈夫、私たちは必ずまた逢えるよ」和次郎は穏やかに話を変えた、「――江戸へいったら気をつけて、仮にも岩本一座にいたなどということを悟られないようにするんだよ、今日までは幸い無事にやって来たし、ほかに知っている者はないんだから、若尾の性分だと、どんなとき自分から云いだすかもしれないからね、わかるだろう」
「若尾だって、もう子供じゃあございませんわ、そんなこと決して申したりしませんわ」
「それを忘れないように頼むよ」
 和次郎は、なお何か云いたそうであった。云わなければならない大事なことがあって、それが口に出せないというふうであった。若尾にはそれがよくわかった。彼女にも云うべきことがあった、ひと言だけたずねて、和次郎の気持を慥かめておきたいことが、――しかし、彼女にもそれを口に出すことはできなかった。
 若尾は五月二十七日に江戸へ着いた。
 初め大名小路の上邸へ入り、まもなく木挽町五丁目の中邸へ移った。そこは二の橋の袂にある角地で、一方に広い堀があり、庭の中へその堀から水を引いた池があった。邸内はさして広くはないが、すぐ裏が加納備中守の本邸で、どちらも庭境に樹が多く、市中とは思えないほど閑静であった。――若尾の住居は新しく建てたもので、小さいながら道場が付いていた。姫の手直しには御殿へあがるのであるが、その道場で家中の娘たちにも稽古をつけるのであった。そして、若尾のために弥兵衛という老僕夫妻と、滝乃という侍女が付けられた。
 若尾は三日に一度ずつ上邸へあがる。手直しをするのは周防守の四女で、十五歳になる菊姫であった。
 周防守には男子がなく、姫ばかり四人いた。長女には前田家から婿(左京亮康定)を迎え、二女は田沼大和守へ嫁し、三女は松平河内守乗保へ嫁していた。菊姫もすでに石川家と婚約ができていたが、婚約者の吟次郎総純(下野守総英の嫡男)が病弱なため、当分延期されるだろうということであった。
 姫への教授は一回に半刻はんときと定っていた。磯野女史によく注意されたが、ほんの型を教えるだけで、それもごく控えめにやらなければならない。その場には、いつも奥家老や老女たちが七、八人、ものものしく眼を光らせていて、ちょっとでも教えかたが厳しいとみると、あとでやかましく文句をつけるのであった。
 ――姫君は御生来ひよわであらっしゃる。
 ――姫君は御気性がやさしくあらっしゃるから、荒あらしい御教授はあいならぬ。
 ――姫君は昨夜御不眠であらっしゃった。
 ――姫君は今日は御倦怠けんたいであらっしゃる。
 そんなふうに文句だの故障だのが多い。したがって御殿へあがるのは面白くなかったが、中邸ではかなり気を吐くことができた。
 中邸の道場には、十七人の弟子がかよって来た。年は十二歳から十八歳までが多く、なかに二十歳と二十二歳になるのが二人いた。彼女たちはみな中以上の家柄の娘で、みんな気位が高く、田舎者の若尾を軽蔑けいべつしていた。彼女たちはそれぞれ薙刀の使いかたぐらいは知っていたし、若尾が田舎育ちでありそんなにも若いので、軽蔑のしかたもかなり露骨であった。初めのうち若尾はその扱いかたに迷った。いつか緒方せいにやったように、徹底的にそ知らぬふうでうけながすか、それとも実力で降参させるか、どちらがいいか見当がつかなかった。そうしてやがて第二の手段をとることにきめ、それを遠慮なく実行した。本当のところはその手段よりも若尾の人柄のためのようだったが、弟子たちは、しだいに軽蔑的な態度をやめ、しだいにおとなしく服従するようになった。そして、その年の冬が来るまえに、若尾は自分の位地を慥かなものにした。


 和次郎からは六月と八月と十月に手紙が来た。六月のは浜田への到着と、殿町という処に住居の定ったこと、八月のは父の平右衛門が病気になったこと、十月の手紙には松原という海辺に、父の養生所を賜わったが、その家は座敷から松原湾の美しい海が眺められる、などということが書いてあった。
 若尾もむろん手紙を出した。彼女は仮名文字しか知らなかったし、思っていることをうまく表現する方法も知らなかったが、それでも、できるだけ正直にしっかりと、自分の暮しぶりや、周囲の出来事や、今なにを考えているかということなどを書いた。その幾通かのなかで「正直に」と思ったあまり若尾はつい筆が走り、自分ではまったく気づかずに大胆極まることを書いてしまったらしい。年が明けて、明和八年になった二月のことであるが、和次郎から来た四度めの手紙に、そのことがたしなめてあった。
 ――若尾のいうとおり、河内の家名は若尾に子供が生れたら継がせればよい、それはそのとおりであるが、いまからそんなことを考える必要もないし、また若尾の考えることでもない、「そのとき」が来たら私がいいようにやるから、若尾はただ自分のことに出精すべきである。
 文面はそういう意味であったが、「若尾がこんなことをいって来ようとは予想もしなかった、私はすっかり驚かされてしまった」と書き添えてあり、若尾は恥ずかしさのあまり躯じゅうが火のように熱くなった。
「あたし、そんな手紙を書いたかしら」彼女は自分に云った、「――そうだわ、書いたような気がするわ、きっと書いてしまったんだわ、いつも書くときには夢中になってしまうから、心にあることが、つい筆に出たんだわ、どうしましょう」
 書いたという意識はまったくなかった。むろんそのことは考えていた。弘田の人たちは河内の家名再興ということを心配している。そして和次郎は一人息子だから、自分が彼と結婚する場合には河内家の跡継ぎということが必ず問題になる。それが若尾の頭にいつもひっかかっていた。ふしぎなことには、和次郎と結婚できるかどうかという点は疑ぐってもみなかった。それは若尾のなかで、もう既定の事実になっているようであった。
「でも書いたのだとしたら、却ってそのほうが、よかったかもしれないわ」若尾は肚をきめたようにそう呟いた、「こういう事は早くはっきりさせるに越したことはないんだもの、そうよ、そうですとも」
 若尾はすぐに筆を取って、――手紙の趣はよく了解した。仰しゃるとおりすべてをあなたにお任せし、自分は安心して勤めに出精する。そういう返事を書き、和次郎に送った。その返事を出したあとで、若尾は自分のやりかたを反省し、首を振りながら呟いた。
「あたしって、かなりずるいらしいわね」
 だが、それからまもなく、若尾は思いもかけない人物と、好ましからぬかかわりができた。
 三月にはいってすぐのことであるが、上邸へあがって姫の手直しを済ませ、昼食(それは初めからのことであるが)を頂だいして御殿をさがると、中の口のところで一人の侍に呼びとめられた。年は二十四、五歳、背が高く色が白く、いやにやさしい声を出すにやけた男であった。ちょうど昼食刻のことで、あたりには誰もいなかったが、それでも彼は神経質に眼をきょろきょろさせながら口早に云った。
「貴女が姫のお手直しにあがる河内若尾さんですね」
 若尾は黙って頷いた。
「弘田の家から来たんでしょう」彼はこう云ってにやりとした、「私は貴女を知っていますよ」
 若尾は不審そうに相手を見た。
「私は貴女を知っている」と彼はうちとけた口ぶりで云った、「弘田よりもまえからね、弘田を貴女のところへ伴れていったのは私なんだ、まさかと思ったが、弘田から来たというし、薙刀を教えるというのでそれとなく気をつけていたんですよ、たいした出世で、弘田もよろこんでいるでしょう」
 若尾は警戒の眼で彼を見た。
「仰しゃることがよくわかりませんけれど」と若尾は云った、「いったいあなたはどなたですか」
「いや心配しなくともいい、私は誰にも云やあしない、こんなことを誰に云うもんですか」と彼は言葉を強めて云った、「もし心配なら弘田に手紙をやってごらんなさい、私は彼の古くからの友達で谷口修理という者です、弘田や貴女のためになら、よろこんでお役に立つ人間ですよ、本当に問合せてごらんなさい、そうすれば私という者がよくわかりますから」彼は別れるまえに、なにか困ることがあったら相談してくれ、と繰り返し云った。
 若尾は数日のあいだ気が重かった。谷口修理は口に出しては云わなかったが、若尾が岩本一座にいたのを知っているらしい。自分が弘田を伴れていった、――というのは、若尾の舞台をみせにという意味であろう。和次郎はどうしてそのことを注意してくれなかったのか、谷口修理という人間が江戸にいること、その人間はかつて若尾の舞台を見ているということを、和次郎は忘れたのであろうか。
「手紙で訊いてみよう」若尾は自分に云った、「どういうふうに応対したらいいか、教えてもらうほうがいいかもしれないわ」
 けれども手紙は出さなかった。二百五十里も離れているのに、なにも和次郎に心配させることはない、と思ったからである。谷口修理は和次郎の古い友人だといったし、見たところはへんににやけているが、そう悪い人間でもないらしい。とにかく気をつけて、なりゆきをみてからにしよう。若尾はそう思った。
 十日ばかりすると修理から呼び出しの手紙がきた。若尾はでかけていった。中邸からはほんのひとまたぎの、木挽町五丁目の河岸に森田座がある。修理はそこの茶屋で待っていた。若尾はその芝居茶屋の混雑する店先へ修理を呼んでもらった。
「よく来られましたね」修理は女性的なあいそ笑いをした、「使いをあげたが、どうかと思っていたんです、いちどゆっくり話したかったのでね、さあ、あがって下さい」
「なにか御用なんですか」若尾は云った、「わたくし稽古がありますから、御用をうかがったら帰らなければなりませんの」
「ああそうか、貴女は中邸で道場を預かっているんでしたね」修理は恐縮したように、自分の額を指で突いた、「そう聞いていたのに、つい忘れてしまいましたよ、しかしどうですか、ひと幕ぐらいつきあえるんじゃないんですか」
「いいえ、そんな時間はございませんの、どうぞ御用を仰しゃって下さい」
「では改めてお逢いすることにしましょう、べつに用があるんではないので、よければ市中も見物させてあげたいし、ときどき逢って貴女のようすを弘田に知らせてやりたいと思うのです」こう云って修理はまた微笑した、「――私は弘田の親友なんだから、そのくらいのことをする義務があると思うんですよ」


 修理の口ぶりがあまり自信たっぷりなので、若尾はその申し出を拒むことができなかった。そうして、月のうち「七」の付く日が稽古休みであることを告げて、その芝居茶屋を出た。
 すぐにも逢いたいように云いながら、約ひと月のあいだ、彼からなにも云って来なかった。そして、こちらが忘れかけていると、四月の二十七日に、また森田座の茶屋から使いが来た。若尾はでかけてゆき、いっしょに芝居をひと幕だけ見たあと、食事の馳走になって帰った。次には五月十七日と二十七日、六月は十七日に一度、――そんなふうに逢っているうちに、若尾は修理に対する警戒をすっかり解いてしまった。
「ただの己惚うぬぼれ屋じゃないの、つまらない」
 そうして二度ばかり続けて、修理の呼び出しを断わったりした。
 たぶん修理が書いてやったのだろう、九月になって和次郎から手紙が来た。修理は友人ではあるし悪い男ではないが、いかに江戸が繁華だといっても、やはり人目というものがあるだろうし、修理もまだ独身のことだから、あまりしげしげ逢うことはよくない。ということが書いてあった。
 若尾はすぐに承知したという返事を出し、それからは、なるべく修理と逢わないようにした。
 すると明くる年(明和九年)の二月に大火があった。目黒の行人坂と本郷丸山との二カ所から出た火が、西南の烈風にあおられてひろがり、長さ六里、幅一里にわたって江戸の市街を焼いた。江戸城も虎ノ門はじめ、日比谷、馬場先、桜田、和田倉、常盤橋、神田橋、などの諸門が焼け、その各門内にある諸侯の藩邸は灰燼かいじんとなった。
 松平家でも木挽町の中邸は残ったが、それは風上に堀があったからで、邸内の者はひと晩じゅう堀から水を汲みあげては、ふりかかる火の粉を防ぎとおした。大名小路の本邸も焼け、浜町の下邸も焼けたので、藩侯の家族と側近の人々が中邸へ移って来た。若尾の道場もむろんその人たちの宿所に当てられ、稽古は中止されて、若尾自身も災害のあと始末のための、雑多な用事に駆け廻らなければならなかった。こうしているうちに、或る日、――谷口修理と侍長屋の脇で出会った。彼は顔と頭の半分をさらし木綿で巻き、右手もやはり晒木綿で巻いて、くびからっていた。
「逢いたかった、ずいぶん心配しましたよ」と修理は云った、「無事だということは、こっちへ来るとすぐ人に聞いたけれど、自分の眼で見るまでは安心できなかった、けがもなにもしなかったんですね」
「ええ、髪を少し火の粉で焦がしただけですわ」若尾はまともに修理を見た、「あなたはどうなさいましたの、火傷ですか」
「なに、たいしたことはないんですよ、それより」と彼はすばやく左右へ眼をやった、「ぜひ貴女に話したいことがあるんです。一刻も早いほうがいいんですが、あの築山の裏まで来てくれませんか」
「さあ、――夜にでもならないと暇がございませんけれど」
「結構です、あの築山のうしろの林の中で待ってますから」
「でも、――御用はなんでしょうか」
「そのとき話します」修理はもう歩きだしていた、「待っていますからね、今夜でなければあすの晩、八時ごろから待っていますよ」
 そして彼は侍長屋のほうへ去っていった。
 若尾はちょっと迷ったが、すべてものごとは、はっきりさせるに越したことはない、こう思ってその夜でかけていった。築山というのは、堀から水を引いた泉池の奥にあり、そのうしろは隣りの加納家へ続く林になっている。隣り屋敷も庭境には樹立があるので、そこは昼でも暗いほど樹が繁っていた。――少し時刻には早いと思ったが、修理はもう来て待っていた。築山をまわってゆくと、まっ暗な林の入口のところに、彼の巻き木綿が白くぼんやりと浮いて見え、それが、若尾が近づいてゆくと、林の中へと静かに入っていった。若尾はすぐに追いついた。すっかり曇った暖たかい晩で、林の中はつよく土の香が匂った。
「雨になりそうですね」修理はそう云って振返った、「降られると焼け出された連中は困りますね」そして急に荒い息をした、「簡単に云います、もう貴女もお察しのことだろうから単刀直入に云います、若尾さん、どうか私と結婚して下さい」
 若尾は半歩うしろへさがった。
 ――やっぱりそんなことか。
 彼女はそう思った。これまで逢うたびに、彼がなにも云わないのに拘らず、いつかそれが話に出そうだという予感があった。それも自分から云いだすのではなく、若尾のほうから云いだすのを待っているような、――なんと己惚れの強い人だろう。若尾はそう思って、おそれるよりはむしろ幾らか軽侮していた。
 ――この人は辛抱をきらしたのだ。
 若尾の気持がいつまでも動かないので、彼はついにがまんできなくなったのだろう、しかもいま、彼は火傷をして晒木綿を巻いている。そういう申込みをするには、究竟くっきょうの条件だと思っているようでもあった。
「突然こんなことを云いだして、貴女はぶしつけだと怒るかもしれませんが」
「いいえ」と若尾は首を振った、「そういうふうに、はっきり仰しゃって下さるほうが気持がようございますわ」
「有難う、では返事を聞かせてもらえますね」
「わたくしも飾らずに申上げますわ、せっかくですけれど、お受けできませんの」
「待って下さい、そう云わないで下さい」修理は自由なほうの手を振った、「いきなりそう云い切ってしまわないで下さい、私はながいあいだ貴女を想っていた、貴女はむろん気がつかなかったかもしれない、また本来なら、火傷をしてこんな醜い躯になったのだから、結婚のことなど云いだしてはいけなかったかもしれないが、私はどうしても黙っていることができなくなった、黙っていることが苦しくって耐えられなくなったんです」
「火傷なんかなんでもありませんわ」若尾は反抗するように云った。修理のそういう云いかたは女の情にもろいところを衝いている。それは卑怯ひきょうだと若尾は思った、「――たとえ不具になったとしても、良人として恥ずかしくない方なら、女はよろこんで一生をささげますわ、それで、はっきり申上げますけれど、わたくしには、もう約束をした方がございますの」
「貴女に、――」修理はどきっとしたような声で反問した、「約束した者があるんですって、貴女に」
「はい、それもずっとまえからですわ」
「ちょっと待って下さい」彼はせきこんで云ったが、その調子には、かなりわざとらしいところがあった、「遠慮なしに訊きますが、それはまさか、まさか、――弘田じゃあないでしょうね」
「どうしてですの」
「だって彼は、――いや、それはだめです」
 修理は激しく首を振った。


「貴女も知っているだろうが」と修理は続けた、「弘田の家は交代家老で、彼もやがては家老職になる筈です、いや、やがてではない、うわさによるとまもなくそうなるらしい、それなのに貴女が彼と結婚するというのは、またしても弘田を醜聞に巻きこむことになりますよ」
「それは、わたくしの素性のことを仰しゃるのですか」
「いまは誰も知らないかもしれない」修理は云った、「だが弘田の人たちが知っているし、貴女自身が知っている、私はべつですよ、私はどんなことがあったって口外するような人間ではないが、弘田の家人が知り貴女自身が知っている以上、完全に隠しきるということは不可能だと思う、ただそれだけならいい、貴女だけの問題ならまだいいが、弘田ではまえにも、いちどつまずきがあったのです」
 若尾はかたく顔をひき緊めた。
「貴女も聞いているだろうと思うが、弘田の姉に深江という人がいて、いまから六、七年まえに自殺しました、聞いたことがあるでしょう」
 若尾は暗がりの中で息を詰めた。
「これは貴女だから云うのだが、あの人は、こともあろうに懐妊して、懐妊三月の躯を恥じて自害したんです」
「懐妊ですって、――」
「三月だったんです」修理はいたましげに云った、「弘田さんはすぐに職を辞されたが、他の問題とは違って、これはそう簡単に忘れられてしまうものではない、現に弘田はまる二期ちかくも次席家老の職から除外されていたのですからね」
「それは本当のことですの」と若尾はふるえながら云った、「あの方のお姉さまが身ごもっていらしったというのは」
「云わないほうがよかったかもしれない、しかしなぜ云ったかという意味はわかるでしょう」
 若尾は下唇をぎゅっと噛んだ。弘田家では深江という人の話は禁制のようになっていた。和次郎までが、その話に触れることを固く避けていた。
 ――そんな事実があったのか。
 若尾は眼をつむった。もの思わしげな、沈んだ和次郎の顔が見えた。自分が引取られた頃の、陰気でひっそりとした家の中、平右衛門夫妻のわびしげな、疲れたような姿などが、現実のようにありありとおもい返された。
「これでもし若尾さんのことがわかったらどうだろう」と修理は云った、「――まえにそんな事のあったあとで、またしても、妻の前身がじつは軽業一座の女太夫だった、などということがわかったとしたら」
 若尾はぞっと身ぶるいをした。
「そこをよく考えて下さい」と修理は続けた、「これが私の場合なら問題ではない。私くらいの身分なら、人はそんなことにまで関心はもたない。だが次席家老となるとべつです、まして深江という人の事があるから、周囲の眼はいっそう厳しいでしょう、――若尾さん、私の云うことが間違っていると思いますか」
「わたくしにはわかりません、考えてみますわ」若尾はふるえながら云った、「あなたの仰しゃるとおりかもしれませんけれど、でもわたくし、よく考えてみますわ」
 修理はのどの詰ったような声で、なにか云いかけながら、ふと若尾の肩へ手をまわそうとした。きわめて自然な、こだわりのない動作であったが、若尾は傷にでもふれられたようにびくりとし、すばやくその手を避けて脇へどいた。
「わたくし帰ります」と若尾は云った、「――失礼いたします」
 修理は呼びとめた。けれども若尾はもう走りだし、闇の中で幾たびか躓きながら、自分の住居のほうへ駆け去った。
 その夜半から降りだした雨が、明くる日いっぱい降り続けた。霧のようにこまかい静かな降りかたで、気温も高く、いかにも春雨という感じであった。若尾はその雨の中を歩いていた。朝早く、ふらふらと中邸から出て、そのままずっと歩いていたのである。――まえの夜は殆んど眠れなかった。修理には「よく考えてみる」と云ったが、考えてみる余地はなかった。考える余地などは少しもないように思えた。
 ――あの人はみんなに話すわ、あの人はみんなに触れまわるに違いないわ。
 頭の中で絶えずそういう声がした。自分の声ではなく、誰かがそこにいて、そっと呼びかけているようであった。それは慥かなことであった。谷口修理は若尾の素性を話すに相違ない、「私はそんな人間ではない」という言葉がそれを証明している。修理は必ず饒舌るだろう、必ず。
 ――出てゆくんだ、あたしがいてはあの方が不幸になる、邸にいてはならない、出てゆくんだ、誰の眼にもつかないところへ。
 雨がさっと顔にかかった。若尾は立停って傘を傾けた。風が出たかと思ったが、いますれちがった人に呼びとめられたのであった。それは若い男の二人伴れで、そろいの双子唐桟のあわせに角帯をしめ、蛇の目傘をさしている二人は、すれちがった処で足を停め、若尾のほうへ振返っていた。
「ああ、――」若尾は眼をみはった、「あんたは、あんたは仙之丞のにいさんじゃないの」
「若ぼう、――やっぱりおめえだったか」
「あんたは権之丞のにいさんね」
 若尾は殆んど叫んだ。それは岩本一座で綱渡りをする権之丞と、笠踊りの仙之丞であった。二人もなつかしそうに、微笑しながら若尾の姿を眺めたが、寄って来ようとはしなかった。
「無事にやってるらしいな」と権之丞が云った、「仕合せかい」
「ああよかった、江戸へ来て打ってたのね」若尾は二人のほうへ近よりながら云った、「どこなの、両国の広小路、それとも浅草の奥山、さあ、いっしょにゆきましょう、伴れてってちょうだい」
「いやいけねえ、それはだめだ」
「それはだめなんだ、若ぼう」と仙之丞も云った、「そんなことをしたら親方にどやされる。途中で見かけても声もかけちゃあならねえって云いわたされているんだ」
「あたしが薄情に出ていったからなの」
「若ぼうの身のためだからさ」と権之丞が云った、「おめえは薄情で出てったんじゃねえ、おめえが泣いていやがったことは、みんなが知ってるよ」
「そんなら伴れてって」若尾は云った、「あたしはお邸を出て来たの、ゆくところもないしお邸へ帰れもしないのよ」
「冗談じゃねえ、いきなり、なにを云うんだ」
「本当なのよ、蛙の子は蛙、あたしはやっぱり岩本一座の人間だわ、詳しいことは親方に会って話してよ、さあ伴れてって」若尾は涙のあふれている眼で笑った、「あたし宿無しになるところだったのよ」


 岩本一座は両国広小路で興行していた。若尾は五日のあいだ一座にいて、弘田和次郎のために伴れ戻された。
 一座には殆んど変化がなかった。雌犬の庄太夫が死んで、あのとき庄太夫の産んだ仔犬が母の名を継ぎ、やはり芸を仕込まれて小菊太夫に使われていた。手品の操太夫がいなくなり、代りに美千太夫という若い太夫が入っていた。――一座の人たちは若尾を迎えて歓声をあげた。みんな親身の妹が帰りでもしたようによろこんだが、親方はひどく怒り、若尾が事情をすっかり話すまではこっちを見ようともしなかった。そしてなにもかも(深江という人のことまで)うちあけ、和次郎のために邸にはいられないのだ、ということを知ると、ようやく「そんなら此処にいろ」と云った。若尾のほうは見ないで、火のついている煙管きせるをみつめたままそう云って、ながいことなにか考えているようであった。
「あたし、また舞台へ出るわ」若尾は元気に云った、「薙刀の腕が違ったから、新しい水車の手を編みだすの、あしかけ五年修業して来たんですもの、あっといわせるような手を考えてみせるわ」
 だが五日めに和次郎が迎えに来た。
 あとでわかったのだが、彼は若尾の出奔した日に江戸へ着いたのであった。災害の急報に続いて出府の命令が届き、馬を乗り継いで来た。命令はとつぜんのものではなく、一月中旬に非公式の予告があり、三月じゅうには出府の命があるだろうといわれていた。したがってその準備をするかたわら、谷口修理にその旨を知らせておいた。(その知らせのなかで、和次郎は近く自分が若尾と結婚する予定だということを書いた)それで修理は、和次郎の出府するまえに若尾をくどきおとそうと決心したのであろう。江戸邸へ着いた和次郎に、若尾が出奔したということを告げたのは修理であった。
 ――自分のような者が和次郎の妻になっては、和次郎の将来のためにならない。
 そう云って出奔した、というふうに告げたそうである。和次郎は人を頼んで岩本一座を捜させた、そのほかに身を寄せるところはない筈である。どこかで一座が興行していはしまいか、こう思ったのであった。
 若尾は彼が来たのを知らなかった。そのとき彼女は小屋の裏で、稽古薙刀を持って新しい手法のくふうをしていた。このあいだに和次郎は親方と会い、親方の口から詳しい事情を聞いたのであるが、話の済むまで若尾には知らせず、すっかり終ってから、親方と二人で小屋の裏へやって来た。
 彼の姿を見ると、若尾は赤樫の薙刀を頭上にふりあげたまま、あっと口をあけて立竦んだ。躯が石にでもなったようで、表情も消え、すっと額から白くなった。
「迎えに来たよ」と和次郎は云った、「――おいで、いっしょに帰るんだ」
 若尾の(薙刀をふりあげていた)手が、ゆっくりと下におり、その眼はなにかを訴えるように、親方のほうを見た。
「お帰り」と親方が云った、「弘田の旦那にすっかり話した、旦那の話もうかがった、若尾は河内伊十郎という武士の娘で、りっぱに家の系図も持っている、不幸なまわりあわせでこの一座にいたが、武士の娘という歴とした素性は消えはしない、誰に恥じることもないし、誰にだって若尾を辱しめることはできないんだ」
「私もひと言だけ云っておく」と和次郎が云った、「おまえは私のために自分を犠牲にするつもりだったそうだが、もしも逆に、私がおまえのためにそうしたとしたらどうだ、おまえはそれを嬉しいと思うか、私の犠牲をよろこんで受取ることができるかね」
 若尾は頭を垂れた。和次郎は続けた。
「まして私は男だ、仮に妻の素性のことが問題になったとしても、その処理をするくらいの力は私にだってあるよ、そう思わないかね、若尾」
「悪うございました」と若尾がうなだれたまま云った、「わたしが悪うございました、堪忍して下さい」
 そして薙刀をそこへ置き、端折っていた着物の裾をおろした。力のぬけたような動作で、鉢巻をとりたすきをとりながら、若尾はぽろぽろと涙をこぼした。
「では、ゆこう」和次郎が云った、「駕籠かごが待たせてあるから、泣くなら駕籠の中でお泣き」
 若尾は涙を拭きながら親方を見た。
「そのままおいで」と親方はその眼に答えて云った、「みんなに会うことはない、みんな知っているよ」それから首を振ってこう云った、「もう二度と軽はずみなことをするんじゃあないよ」
 若尾は泣きだしながら頷いた。和次郎は寄っていって、その肩へ手をまわし、抱えるようにして小屋の表のほうへと伴れだした。小屋の中では賑やかな鳴物の音と、喝采する客のどよめきが聞え、木戸口では呼び込みが景気のいい叫び声をあげていた。
 若尾は駕籠の中で泣いていた。
「ひどいことを仰しゃるわ、あの方」と泣きながら口の中で呟いた、「――あたし犠牲になるなんて考えたことはないのに、犠牲になるなんて、そんなおもいあがったことはこれっぽっちも考えやしない。ただ、そうせずにいられないからしただけだわ。あたし、いつかそう云ってあげるからいい」
 でもそんなこと云ってもむだかもしれない。と若尾は思った。こういう女の気持は男にはわからないかもしれない。男なんて女のこまかい感情なんか理解できやしないんだから。――若尾は自分が怒っているものと思おうとした。しかし実際にはそんなことはどっちでもよかった。彼女はよろこびと幸福に包まれていた。彼がこんなにも自分を大事に思ってくれること、また彼といっしょにいる以上、もはや、なにも怖れるものはない、という大きな安堵感あんどかんのなかで。――若尾は涙を拭き、独りでべそをかきながら、またそっと口の中で呟いた。
「あんな谷口なんていう人のことを、どうして怖れたりしたのかしら、あんないやらしい己惚れ屋のことなんぞを」それからふと眉を寄せて、しかつめらしく自分に云った、「でも気をつけなければいけないわ、ああいう人ほど狡猾こうかつなんだから、自分が困ってくると、どんな悪企みをするかもしれないわ。そうよ、決して油断はできないわ」

十一


 その夜十時少しまえ、――中邸の侍長屋にある谷口修理の住居で、修理と和次郎が対座していた。そこは焼け出された人たちの合宿で、ほかに同居者が二人いるのだが、話をするために、よそへいってもらったのであった。
 修理は半面を晒し木綿で巻いた顔を伏せ、片手で膝を掴んでいた。肩から吊っている腕と、半面を巻いた木綿の白さが、行燈の光りを吸ってさもいたましげにみえた。和次郎は眉をしかめ、怒りよりもむしろ深い悲しみのために硬ばった表情で、俯向うつむいた修理の(蒼白く乾いた)額を強くにらんでいた。
「むろん遠慮することはない、若尾の素性を饒舌りたければいくらでも饒舌るさ。だが、うかつに饒舌っては悪いこともあるんだぜ」と和次郎は云い続けた、「――谷口、おまえはまた若尾に、おれの姉のことも話したそうだな、姉が懐妊して、それを恥じて自害したということを」
「おれは」と修理は慌てて云った、「それは弘田の将来ということを案じたから」
「わかった、それはもうわかった、問題は姉のことだ」と和次郎は云った、「――姉が懐妊していたこと、懐妊して三月めだったということを、おまえ、どうして知っているんだ」
「それは、だって、――」修理は不安そうに眼をあげた、「それは、おれはそう聞いたように思ったもんだから」
「誰に、誰に聞いたんだ」
「誰にって、それは、人の名は云えないが」
「そうだろう、云えないだろう」と和次郎はゆっくり云った、「――姉がなぜ自害したか、その理由を知っている者は一人しかなかった、その一人というのは母だ、母は父にも云わなかった、こんど初めて、七年忌に当ってうちあけてくれたんだ、それまでは父もおれも、もちろん親族や姉の友達も知らなかった、こんどの七年忌で、初めて母から父とおれだけが聞いたんだ、しかも姉は、母にもなにも云わなかった。母のほうで姉のからだの変調に気づいて、どうするつもりかと案じているうちに、姉は黙って死んでしまったんだ、……谷口、おまえはこのことを知っていた、母のほかにおまえだけが知っていた、なぜだ、どうして知っていたんだ、谷口、おれから説明してやろうか」
 修理は折れるほど低く首を垂れ、黙ったまま肩で息をしていた。居竦んだようなその姿勢と、はっはっという激しい呼吸とは、絶体絶命という感じをそのまま表わしているようにみえた。和次郎の呼吸も荒かった。膝の上にある彼のこぶしは震えていた。
「おれはきさまを斬ろうと思った」と和次郎は云った、「しかし、――おれは考えた、きさまは憎いやつだが、いちどは姉が愛した人間だ、どんな事情があったかおれは知らない、たぶん、その愛があやまちであったと気づいて姉は死んだのだろう、だが、ともかくも、いちどは愛したんだ、だからおれは斬ることを断念した、わかるか谷口」
 語尾はするどく、刺すようであった。修理はぴくりと身を縮め、膝を掴んでいた片手を畳へすべらせた。その不自然に傾いた修理のみじめな姿から、和次郎は眼をそらしながら、刀を取って立ちあがった。
「自分の罪は自分でつぐなえ、おまえも武士なら、このつぐないくらいはする筈だ、谷口修理、――見ているぞ」
 そして彼はそこを去った。
 外へ出ると雨が降っていた。暖たかい静かな夜の闇をこめて、殆んど音もなく、霧のようにけぶる雨であった。昂奮した頬にその雨をこころよく打たれながら、侍長屋を通りぬけてゆくと、うしろから人が追って来た。和次郎が振返ると若尾であった。
「どうしたんだ、こんな処へ」
「心配だったんです」若尾はなにやらうしろへ隠しながら、追いついて来て云った、「――谷口さんてあんな人でしょ、なにをするかわからないと思って、それでようすをみに来たんです」
「薙刀まで持ち出してか」
 和次郎は苦笑した。若尾は慌てて、うしろに隠していた薙刀をもっと隠そうとしながら赤くなった。
「いいえ、これは、これはいま、ちょっと稽古をしようと思って、それで」
「新しい手の稽古か」と和次郎は笑いながら云った、「おまえ新しい水車の手を編みだすと云って、たいそう張切っていたそうじゃないか」
「親方は、そんなことまで申上げましたの」
「編みださないまえでよかったと思うね」と和次郎は云った、「若尾はどうかすると、姫君にまでそれを教えかねないからな」
「まあそんな、いくらわたくしだって、そんな、――まさかと思いますわ」
 若尾はつんとして薙刀を肩へかついだ。和次郎は振向いて見ながら静かに笑った。二人は並んで、雨の中を住居のほうへ去っていった。





底本:「山本周五郎全集第二十五巻 三十ふり袖・みずぐるま」新潮社
   1983(昭和58)年1月25日発行
初出:「面白倶楽部」大日本雄辯會講談社
   1954(昭和29)年5月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:栗田美恵子
2022年8月27日作成
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