乱歩分析

大下宇陀児




 畏友江戸川乱歩は、還暦のお祝いをしてもらうことを、たいそう喜び楽しんで待っている。そのお祝いに、彼は、
「ぼくも一つ力作を書く。君も書いてくれ。」
 と直接私にいった。
 めったに書かない彼が、本気に書く気になっていることは、私を少し驚かせもしたし、よし、それならば私も書かねばなるまいぞ、という気持にならせもした。たしか、木々高太郎が、探偵作家クラブ会長を引受けてくれる、という意思表示をし、そのための打合せで、私たち三人が会った夜のことであったと思う。
 ところが、私は書けなかった。彼への祝意と敬意とを併せ含めたような作品を、と私なりに、欲の深いことを考えたせいかも知れない。同時に、乱歩好みの本格的なものをと思ってみたり、いや、それではうまく行きそうもないから、ユーモア小説にして、など思っているうちに締切りが来てしまって、どうにもならない。
 この記念すべき「作品展示会」ともいうべきものに、私が参加できないのは、乱歩及び宝石編輯部へ対し、相すまぬという以上に、自分でもまことに残念だけれども、創作の代りに私の観た乱歩を語ることによって、責任の一部を果させてもらいたいと思う。私はずいぶん長く彼とつきあってきている。でも、本気になって彼を語ったことは一度もない。この機会に、それをやらせてもらおうとも考えるわけだ。

 私が乱歩について、オヤと眼を瞠る気持になったのは、あの戦争の最中、これもかなり形勢が逼迫してきた頃のことだった。
 彼が三田から、今の住居の池袋三丁目、土地では駅を中心にしてそれら一帯を西口と呼ぶが、その西口の立教前へ移転してきたのは昭和九年の六月三十日、雨のパラつく薄曇りの日であったが、その同じ日に私の方は、大塚から、今の住所の雑司ヶ谷五丁目、池袋東口の鬼子母神近くへ移転してきた。
 この同じ日の移転は、申合せをしたのでもなんでもなく、全く偶然の一致だった。位置は、国電の線路をはさんで、東西に対照的になっている。歩いて、十五分ほどの距離である。私はブルドッグやグレートデンを飼っていて、それが自慢だったから、立教の構内をぬけて彼を訪ねて見せに行き、彼もまたこちらへやってきて将棋をさした。あいにくなことに彼は生き物を飼うことに趣味をもたない。グレートデンを見ても、一向ほめてくれず、また私が白い鸚鵡を飼っていて、これも自慢して見せたけれども、鸚鵡のとまり木にとまっている姿を見て、ただ、「たいくつだろうな。」と、さもさも鳥に同情したようにいっただけである。
 二人が探偵小説について語り合ったことは、ほとんどない。へんなことだが、ほんとうである。考えが、ずいぶん違うのだということを、互いにはっきり知っているせいかも知れない。彼がほめるものを、私の方は、そんなに感心しないということがよく起る。
「赤毛のレッドメイン」に、彼はたいそう感激し、井上良夫君から借りたのだといったようだが、その本をわざわざ私に持ってきて読ませた。私の方は、英語で読むのがめんどうくさくて、それでも、ほどたってから読み上げて本を返しに行ったが、彼ほどの感激はなかったから、彼は大いに不服だったにちがいない。今でも、それは同じだろう。彼は、探偵小説が、はじめのうち、どんなに退屈であっても、解決篇の出来栄え如何により、十分に満足するようだ。退屈な部分を読むのが、面白くてたまらない、といったこともある。私は、退屈だと、投げてしまうか、途中を飛ばして、解決篇だけを読んでしまうかする。この点で、私は「探偵小説の鬼」にはなれそうもない。乱歩は大きな鬼なのだろう。探偵小説につき、こんなにありがたい読者は、そう沢山にはあるまい。こういう工合で、話が合うはずはなく、従って、互いに往来しつつも、会えば、探偵小説以外のことを話し合い、そして将棋をさしたのであった。

 ついでにいうと、梅崎春生君が乱歩を訪ねたことがあり、その時梅崎君は、探偵小説を書きたい気持があったが、梅崎君がフレッチャーをほめると、乱歩はその意見に不同意で、そのため梅崎君は探偵小説への意欲を失ったということを、私は直接、梅崎君から聞いた。私は、それは梅崎君のためには却ってよかったと思ったものである。数ある探偵小説のうちで、とくにフレッチャーに感心する、というのだったら、森下雨村は例外だが、まず探偵小説の鬼にはなりがたい。私の場合は、フレッチャーには感心しながらも、ルルウにもっと感激し、ルパンをもっと面白く思った。そこでどうやら、鬼ではなくとも、探偵作家のうちにはいっていられる、というわけなのだろう。
 さて、戦争は、次第に苛烈な様相を帯び、「一億一心」とか「欲しがりません勝つまでは」というような標語が現われてきた。
 その頃、町会の隣組が結成されていて、私は自分の住む雑司ヶ谷五丁目で町会長をやらされたが、同時に乱歩は池袋三丁目で、町会長小笠原三九郎氏の下に、町会副会長をやらされたものである。副会長とはいいながら、小笠原氏のような政界の大物は、名前だけの町会長で、実質は乱歩が町会長だった。少なくとも、その町会の実務は、乱歩が全部引受けてしたことにちがいない。
 そこで、ある時私が乱歩を訪ねると、彼は大判の洋罫紙に、数字をいっぱい書きこんだものを、灯火管制用の覆いのついた電灯の下で、私にひろげて見せた。
「町会費の負担についてゴタゴタがあるんだ。今までの仕来りで、負担額の大きい世帯もあれば小さすぎる世帯もある。こいつを公正に割当てるために、町会員の住宅の畳数を全部調べた。そして町会計費の全額を、その畳数に案分したわけだよ。こうすると、各世帯が自分の家の畳数に応じた負担をするのだから、甚だ公正妥当な割当てになるだろう。」
 彼はさも満足そうに、この町会割当額一覧表を眺めつつ説明したが、世帯数はおそらく三百以上あったのではなかったのではなかろうか。彼はその計算から表の作製までを、自分一人でやったのであった。
 私が、オヤ! とおどろき、ハテナ? と首をかしげたのは、その時である。
 私の方の町会でも、各世帯から、町会費負担額につき、いろいろと不平不満が出たことは出た。ところが、誰もそれを公正な割当てにする方法を考えなかった。町会長としての私は、常会の席で、多く負担のできる家は多く負担して下さい。できない家は、できるだけのことで結構ですから、というようなぼんやりした希望を述べただけで、つまり各世帯の町会に対する好意に期待する、という甚だ根拠のないやり方で、その紛糾しそうな問題を片づけてしまったのであるが、乱歩の方は、先ず負担額の理論的根拠を割り出しておき、さてその上で、各世帯の実状に応じての割当てをしたのであろう。むろん、この方が、より公正であって、より理論的な方法にちがいなく、しかも乱歩は、自分でそのやっかいな計算をやって一覧表を作成した。ここに私は今まで気がつかずにいた乱歩の一面を発見したわけである。
 彼については、土蔵の中で、深夜ろうそくをつけて、原稿を書くのだ、というような噂が流布されていた。
 オスカア・ワイルドと同系統の耽美派だ、とも考えられただろう。
 原稿の締切りには遅れるし、時には、全然中断したりすっぽかしたりするし、ひどくずぼらな性格のように見えた。
 これらの感じ方は、彼の初期の作品に満ち溢れている、あのおどろおどろしさ、ねばねばしさ、そして妖麗さなどから来ている。私も、それらの作品が与えたイメージからして長いうちぬけきれず、従ってただ一図に彼を、芸術家肌の人間だとばかり考えていた。
 ところがそれは、修正を要することだったと、迂闊といえば迂闊だったが、その時になってやっと気がついたのであった。
 ずぼらどころか、彼は人一倍に丹念で刻明な気質で、人一倍に努力家で勤勉で、人一倍に几帳面で、そして人一倍に理論的な人間だったのである。
 それ以来、私は別の眼で、乱歩を眺めるようになった。そしてこのずぼらとは正反対な彼の素質を立証するに足るような、彼の生活や仕事や、その他一般の言動を、しばしば目撃してきた。

 ここらで、ちょっと、彼の作品にふれる。
 処女作「二銭銅貨」では、あの暗号を作り出し、表を使ってあるところに、作家の驚嘆すべく丹念で几帳面で刻明な性格が、まず現れている。他の作品も、彼の特異な怪奇美への憧れで、いとも絢爛たる彩色が施こされてはいるものの、構成の上では、比類のない努力の積み重ねが見られる。私は、「鏡地獄」を彼の最高作の一つだと思うが、球の内面を鏡とした時、中心へ反射されてきた光が、いかなる像を結ぶかということを、自分でも考えに考えぬいてみて、それから物理の本などをも調べてみたことではなかったろうか。
 初期のこれらの作品は、読者に与える感銘を、可能な限り強烈なものにするために、十分な用意のもとに書き進められた。事件やサスペンスの配列、テムポの緩急、盛上りかたなどと、周到に綿密に考慮してあり、はじめに、実に注意深い設計をおいて、さて筆を執ったのである。
 どんな作家でも、執筆前に、一通りの設計をすることはする。けれども、彼ほどに綿密な設計をしたかどうかは疑わしい。この綿密な設計をさせるものが、彼の大きな素質でもある。芸術家としての肌合に、プラスされるその素質を、私は学究的肌合だと断定してよいと思う。
 作品では、それが内在していても、ぼかされていた。
 町会費負担額決定表で、チラリとこれが見えてきた。
 そして、「幻影城」や「続・幻影城」になると、これはもうたいそう明瞭な形をとって出てきたのである。
 誰も知るように、彼は夥しく多数の海外探偵小説を読破するが、学者が実験のデータを記録しておくのと同じに、それらの小説について必ずメモを取っておく。実際には、これがどんなに煩雑なことだかを、よく推察することができるだろう。のみならず、トリックの分類を企て、また、その時に読み返したこともあるにちがいない。そもそも、トリックの分類をしようなどということを、ずぼらな人間が思いつくはずがない。その仕事の文学的価値は別問題としておき、これも甚だしく根気を要し、また短い時間ではできぬことである。一方「探偵小説三十年」の回顧では、あらゆる新聞や雑誌から、乱歩のことにつき言及してある記事は、片言隻語と雖も、怠らずこれを切り抜いて保存してあることを示しているし、まだ驚くべきことがある。彼は知友との間の通信文を、先方から来たものを保存してあるのは勿論のことだが、なおまた自分が書いて出したものも、ちゃんとコピーをとっておいてあるらしい。これこそは、めったにやる人のないことだが、それほどにも彼は、几帳面なことができるのである。
「〔続・〕幻影城」では、巻末に、人名・社名・作品名・書名・新聞名・雑誌名の項目に分けての索引をつけた。
 こんなにもこまかい分類の索引をつけた書物というものは、めったに見当らず、ことに文学関係では、希有のことに属する。
 たしかに彼は、学究的肌合が多分にある。
 もしかして、一つの科学の領域に彼が住んでいたとしたら、そこでも、かなり大きな業績を示したにちがいない。
 むしろ、本質の平井太郎は学者だったのかも知れない。たまたま、怪奇な大人のお伽話の世界に足を踏み入れると、忽ちそこへ耽溺してしまった。結果として学究の道をそれて、平井太郎から江戸川乱歩の誕生となったのであろうと思われる。
 アメリカでは、エラリイ・クヰーンが、乱歩と同じく探偵小説についての大書誌学者であるということを、乱歩が私たちに教えてくれているが、エラリイ・クヰーンもきっと同じように学究肌であるにちがいなく、しかし怪奇美への耽溺は、乱歩独自のものであり、いったいがこの耽溺ということも、乱歩の特質の一つではあるのだろう。
 耽溺ということは、芸術家肌の人間にはよく有り勝ちなことで、耽溺とか陶酔とかがある時に、芸術的に優れた収穫が上げられることが多いのだから、この点では、クヰーンよりも乱歩の方が、芸術的に優れた作品を書くチャンスが多いということになり、その初期の作品で乱歩は既にそれを示しているが、なお附言するならば、乱歩は何か一つの事柄に耽溺熱中しはじめた時、その熱中のし工合、つまり身の入れ方が並々でなく、ここでまた、学者と同じような献身的な研究にとりかかるのだということがわかる。
 その対照は、怪奇美とは限らない。
 たとえば彼の長唄だ。
 彼は三味線の調子の合せ方もできなかった時から習いはじめて三年目、もう「勧進帳」をやるまでになっている。年が年だから、習ってもすぐに忘れるようだが、譜面を前にし、わきからお師匠さんに応援してもらうと、どうにかやれるのであろう。短時日にそこまで行き得たのは、舌を捲くほどの進歩であり、それも彼の学究的素質のせいであると私は解釈している。芸事では、本来は彼はぶきっちょだ。得意とする彼の「槍さび」を、私は詩吟だといって悪評したことがある、しかし、長唄をはじめて三年目、今はたしかに「槍さび」になった。また長唄で最初に習った「岸の柳」は、お師匠さんの介添なしの一人歩きでやれ、お世辞ぬきにいって、一年間に三べんまでは、感心して聴いてやれる芸になっている。
 かようにして江戸川乱歩は、学者肌にプラス芸術家肌である。
 この二つの素質の複合からして、彼の探偵小説本格論も生まれてくるし、同時に、よい小説を書かれたし、一方では、一つの悩みも生れてきたのだ、と私は見る。

 長いこと、彼は、快心の作を発表しない。
 この還暦の祝いに「ぼくも力作を書く。」といったのだから、それに大きい期待はするけれども、前述しておいたように、彼は並外れて丹念に注意深く設計をしておかないと、創作にとりかかれないたちであるから、執筆前の労苦が、たいへんなものであるにちがいない。
 十数年の昔になるだろう。当時新青年の編集をやっていた水谷準が、少し腹を立てた顔で、私に愚痴をいったことがあった。
「乱歩は、驚天動地の傑作ばかり書こうとするからいけないんだよ。もっと気軽に、乱作でいいから、どしどし書いてくれたら、こっちは助かるのだが。」
 どうやらこれは、例の「悪霊」が中絶した頃のことではなかったろうかと思われる。
 私も水谷準の意見に同意したが、今にして思うと乱歩は必らずしも、それほどに野心的であったのではないかも知れない。その野心というのは、築き上げた名声を、より以上高からしめようという野心だが、それは有っても決して悪いことでなく、むしろ、自然に有るべきはずのものではあるが、実のところは彼は、いつもの丹念な設計に疲れ果てたのであろう。中絶は、不義理であり不面目であり、しかし、欲も得もなかった。そして、長いうち、それと同じ状態を持続したのである。探偵小説は、他の種類の小説と違って、常にその小説の最後の場面までの設計なしでは始められない。だから探偵作家は、その負担はいつでも覚悟していなければならないけれども、乱歩ほどの綿密な設計をするのだったら、疲れてしまうのもあたりまえだろう。彼の作品は、それだけの設計があればこそ、燦然として光を放つが、設計しないと、まったく筆が執れないという、よく言えば良心的、悪く言えば、融通のきかない、頑固でぶきっちょな性格を彼はもっているわけだ。

 悪口も少し言っておこう。
 ぶきっちょなことは、ほんとうだ。
 彼は、設計に従って筆を進める。そして、作中人物の性格も、設計してあるから、書くことができる。
 しかし、それだけにリアリズムからは遠ざかる。そもそも、実在の事物や人間を、ありのままに文章で書き現わすというようなことになると、どうやらあまり得意ではないらしいのである。
「随筆がどうも苦手でね。」
 と、最近私に向っていったことがある。探偵小説についての随筆が、あんなに沢山あるじゃないか、という人があるかも知れない。が、あれは随筆とは申せない。与えられた一つの主題についての説明であり解説である。その説明と解説とは、まことに立派であるけれども、やはり学者としての文章だろう。「探偵小説三十年」は随筆と見るべきものであり、実に詳しく三十年間の回顧が述べられているが、せっかくのそれらの思出が、十分に躍動していない感がある。私だけの欲かも知れないが、も少し滋味のある回顧文であったら、なおよかったのではあるまいか。
 悪口のついでに、彼は何かの会合でもあって外出すると、その会合の席だけではたんのうしないで、都内のあちこちと飲み歩き、なかなか帰宅しない悪癖のあることをつけ加えておくが、これはそうやっている間に、何か変った珍奇なものにぶつかりたいという、彼の特別な好みのためであろう。べつに、大して酒を飲むのではない。醜態を演ずることもなく、ただ無意味にだらだらと、帰宅の時刻を遅らせているように見える。そういう時につき合っていると、例の「槍さび」か「岸の柳」を、必らず聞かされることを覚悟しなければならない。
 こんな外出の時に、近頃の彼は、なかなか上等の仕立の服を着るようになった。
 最近作の「兇器」で、
「明智小五郎は、お洒落だった。顔はいつもきれいにあたっていたし、服も彼一流の好みで、凝った仕立のものを、いかにも無造作に着こなしていた……」
 と書いたが、実はこれは彼自身のことだと見てよいだろう。つまり、文中の明智小五郎を江戸川乱歩と書きかえればよいわけである。彼は、ひとかどの伊達男に変貌しつつある。昔は、主として和服だった。しかも、たいそう渋い好みの高価なものを着ていた。終戦後、服が多い。はでなアロハを着ていたこともあり、それがこのごろは、英国風のガッチリした伊達男になりつつある、というわけである。
 ――某誌の座談会で江戸川乱歩のことを、作家活動をしないでいるのに、その属する探偵文壇の王座にいるのが、まことに不思議だとしてあった。
 はたから見るとそうだろう。
 けれども彼は、書かなくても、探偵小説を離れたことがなかった。海外探偵小説を刻明に解説紹介し、飽くことなく、本格探偵小説の主張を叫び続けてきた。
 小酒井不木、甲賀三郎、浜尾四郎、夢野久作、小栗虫太郎、海野十三などはいなくなったが、彼はますます元気で、なお長く探偵文壇の王座に坐り続けるだろう。但し、小説を書くかどうか、ということは、実をいうと、彼が金を持っているかどうかによってきまるという見方もないではないようだ。彼は、金づかいがある程度に荒っぽいという、人に好まれる素質をもっているが、金がなくなったら、いやでも働かねばならないから、その時は例の綿密な設計をやり、そして小説を書くのだろうと思う。実に寡作なのに、全集を二回出して、二回ともに大当りだった。そのほか、同じ作品を何回となく形を変えて出版して、これがいつもよく売れる。だから、今のところ、お小づかいに困るようなことはなくて、従って、還暦祝いの力作を書いたにしても、あと続けて書くかどうかは、大いに疑わしいということにもなる。
 趣味は、将棋、長唄、観劇などというところだろうか、
 観劇とはいっても、ほとんど歌舞伎の一点張りで、歌舞伎に知友が多く、とくに中村勘三郎氏とは親友だ。長唄については前述の通り。将棋は初段の免状をもち、その免状をもてあましている。面白いことに、将棋というものは、観戦者が助言をすると、その助言に従ってさすことが、なんとなく不面目な気がして、助言に従いたくないものだが、乱歩は大いに助言に従う。時には、助言を催促するような顔つきになる。探偵小説についての議論では、なかなか強情で気が強いが、将棋はめっぽう気が弱くて何回となく、負けた負けたという。負けたと称して敵の気持を油断させる、というのではない。真実形勢が悪いのだと思いこみ、さてほんとうに敗けてしまうのである。麻雀を、私が教えてやって鴨にしたいところだが、習う気がないからしかたがない。二十年ほど前に、花をやって、これはコリた。やろうといってすすめると、甚だ迷惑そうにして面白くない顔をしてはじめた。そのくせ、手がついてかなわない。花は、乱歩とは、やらぬ方がよい。
 遮莫さもあらばあれ、乱歩が還暦の祝いを喜び楽しむのは、近来甚だしく賑やかなことが好きになり、腹の底では、文士劇の一幕でも出して、河内山宗俊でもやりたいという気持があるのかも知れない。困ったことだと思わないでもないが、その元気はまことに嬉しい。
 それは、伊達男への変貌と合せて、気持の若い証拠でもあろう。大いに若返り、活躍することを、我人ともに、切望するところである。
『別冊宝石』(四十二号)昭和二十九年十一月、『釣・花・味』(養神書院)昭和四十二年八月





底本:「江戸川乱歩 日本探偵小説事典」河出書房新社
   1996(平成8)年10月25日初版発行
底本の親本「釣・花・味」
   1967(昭和42)年8月
初出:「別冊宝石 四十二号」
   1954(昭和29)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※〔 〕内は、底本編集者による加筆です。
入力:sogo
校正:noriko saito
2017年10月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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