金魚は死んでいた

大下宇陀児





「おやおや、しいことしちまつたな」
 おもわずくちからたひとりごとだつたが、それをきとがめた井口警部いぐちけいぶが、ふりむいて、
「なんだい。なにしいことしたんだね」
 というと平松刑事ひらまつけいじが、さすがにかおあからめひどくこまつたつきになつて、
「いえ……その……金魚きんぎょですよ。こいつは三びきともかなり上等じょうとうのランチュウです。んでしまつているから、どうもしいことしたとおもいまして」
 とこたえたから、捜査そうさ連中れんちゅう鑑識かんしき連中れんちゅうもあぶなくぷッときだすところだつた。
 まえに、人間にんげん死体したいがあつた。
 庭先にわさきのつちなかに、おおぶりな瀬戸物せともの金魚鉢きんぎょばちが、ふちのところまでいけこんであつて、そのはちのそばで、セルの和服わふく片足かたあしにだけ庭下駄にわげたをつつかけた人間にんげん死体したいが、べたにいつくばつている。
 のちにわかつたが、原因げんいん青酸加里せいさんかりによる毒殺どくさつだつた。死体したい両手りょうてがつきのばされて、はちのふちにつかみかかろうという恰好かっこうをしている。多分たぶん被害者ひがいしゃは、くるしみもがき、金魚鉢きんぎょばちのところまでいよつてきて、くちをゆすぐか、または、はちなかみずもうとしたのだろう。そのとき、まだくちのこつていたどく水中すいちゅうへしたたりおちたために、金魚きんぎょんだのだとおもわれる。しかし、問題もんだいはこの毒殺死体どくさつしたいだつた。だんじてまきぞえをくつた金魚きんぎょではない。だのに、人間にんげん死体したいのことではなくて、んだ金魚きんぎょのことをきにいつたから、いかにもそれは滑稽こっけいかんじがしたのであつた。
 事件じけんは五がつあさ発見はっけんされた。
 場所ばしょは、岡山市おかやまし郊外こうがいちかいMまちで、被害者ひがいしゃは、四ねんほどまえまで質屋しちやをやつていて、かたわら高利貸こうりかしでもあつたそうだが、目下もっか表向おもてむ無職むしょくであつて、それもたつた一人ひとりきりでくらしていた刈谷音吉かりやおときちという老人ろうじんである。
 発見者はっけんしゃは、老人ろうじんうちのすぐとなりにんでいて、去年きょねんあたり開業かいぎょうした島本守しまもとまもるという医学士いがくしだつたが、島本医師しまもといしは、警察けいさつ事件じけん通報つうほうすると同時どうじに、大要たいようつぎのごとく、その前後ぜんご事情じじょうべた。
わたし今朝けさ急患きゅうかんがあつて往診おうしんかけました。ところがきにもかえりにも、老人ろうじんうちもんが五すんほどひらきかかつていたから、へんなことだとおもつたのです。近所きんじょでもよくつていることですが、老人ろうじんはかなりへんくつな人物じんぶつです。ひどく用心ようじんぶかくて、昼日中ひるひなかでも、もん内側うちがわしまりがしてあり、門柱もんちゅう呼鈴よびりんさないと、もんをあけてくれません。わたしになりました。となり同士どうしだから、時々ときどきくちをききなかで、ことに一昨日おとといは、わたし丹精たんせいしたぼたんのはないたものですから、それを一鉢ひとはちわけてつてつてやり、にわでちよつとのうち、立話たちばなしをしたくらいです。わたし老人ろうじんには、そのときつたきりですけど、どうもになつてなりません。それで、帰宅後きたくご三十ぷんほどしてから、老人ろうじんうちつてたのですが、……」
 そこは医師いしだから、すぐにもう毒死どくしらしいとがついたのだという。
 そのとき、すでに体温たいおんがなかつた。
 島本医師しまもといし意見いけんでも、またあとできた市警しけい医師いし意見いけんでもんだのは前日ぜんじつ夕方ゆうがたからかけて九時頃じごろまでのあいだらしい。大輪たいりんはなをつけたぼたんのはちが、金魚鉢きんぎょばちにほどちか庭石にわいしうえにのせてあつた。そのはなは、のめずりたおれた老人ろうじん死体したいを、わらつておろしているというかたちで、いささかひとをぞつとさせるような妖気ようきただよわしている。
 うちなかは、昼間ひるまなのに、電灯でんとうがついていたが、これはむろん、事件発生当時じけんはっせいとうじからつけつぱなしになつていたのだろう。にわいたえんばな――金魚鉢きんぎょばちから六しゃくほどのへだたりがあつたが、そのえんばなにウィスキイのかくびんと、九たにらしいさかずきが二つおいてあつた。一つのさかずきからは、ハッキリした被害者ひがいしゃ指紋しもん検出けんしゅつされたが、ほかの一つには、なにかでふいたものとえて、全然ぜんぜん指紋しもんがついていない。しかしこれで大体だいたい推測すいそくはついた。
 すなわち老人ろうじんは、多分たぶんえんばなに、庭下駄にわげたをはいてこしをかけだれかとウィスキイをんでいたものであろう。
 しらべると、びんに半分はんぶんほどのこつたウィスキイに青酸加里せいさんかり混入こんにゅうしてあつた。だから老人ろうじんは、それを一口ひとくちか、せいぜい二口ふたくちむとくるしくなり、金魚鉢きんぎょばちのそばまでつてつてんだのにちがいない。犯人はんにんはウィスキイの相手あいてをしていたが、むろん、自分じぶんまずに老人ろうじんにだけませた。そして、老人ろうじんんだのをとどけてから、自分じぶんさかずきのウィスキイをびんにもどし、かつ指紋しもんをぬぐいとつておいて、悠々ゆうゆうと……もしくはいそいで、この立去たちさつたのである。
 係官かかりかんたちは、捜査そうさ専念せんねんしだした。
 屋内おくないはべつに取乱とりみだされず、犯人はんにんなにかを物色ぶっしょくしたという形跡けいせきもないから、盗賊とうぞく所為しょいではないらしく、したがつて殺人さつじん動機どうきは、怨恨えんこん痴情ちじょうなどだろうという推定すいていがついたが、さて現場げんばでは、とくに目星めぼしい発見はっけんなにもない。
 このとき、またおかしかつたのはれい平松刑事ひらまつけいじが、相変あいかわらず金魚きんぎょのことをにしていたことである。よほどの金魚好きんぎょずきにちがいない。かれは、んだ金魚きんぎょが三びきで一万円まんえんはしたろうということや、自分じぶん月給げっきゅうすくなく、とてもあんなのはえないということを、くりかえし同僚どうりょうはなしたし、また事件発見者じけんはっけんしゃ島本医学士しまもといがくしにまで、おなじことをいつた。
わたしは、おんなより金魚きんぎょほううつくしいとおもうんですよ。あなたはにわ老人ろうじん立話たちばなしをしたつていいましたね。そのとき金魚きんぎょは、どんな恰好かっこうしてました?」
「さア、とくに注意ちゅういしてたわけじやありませんからね。しかしうつくしい金魚きんぎょだとはおもいましたよ。ひらひらおよいでいましてね」
「そうでしような。わたしもそれはたかつたですよ」
 刑事けいじは、真実しんじつ残念ざんねんそうに、ためいきをしているのであつた。


 被害者ひがいしゃ刈谷音吉老人かりやおときちろうじんは、もと高利貸こうりかしでへんくつで、昼日中ひるひなかでももんしまりをしていて、よびりんをさないと、ひと門内もんないとおさなかつたというほどに用心ようじんぶかく、それに妻子さいしはなく女中じょちゅうもおかず、たつた一人ひとりきりでくらしていたというのだからそういう特徴とくちょうから判断はんだんしてみて、捜査そうさ手懸てがかりは、かえつてつけやすいほどのものであつた。
 当局とうきょくは、ならずして、三にん容疑者ようぎしゃつけだすことができた。
 三にんともに、老人ろうじんうち時々ときどき出入でいりしているという事実じじつがある。そこから着目ちゃくもくしてある程度ていど内偵ないていすすめて、その容疑者ようぎしゃを、べつべつに任意出頭にんいしゅっとうかたち警察けいさつし、井口警部いぐちけいぶ直接ちょくせつ訊問じんもんしてみた。
 だい一の容疑者ようぎしゃは、青流亭せいりゅうていというかなりおおきな料亭りょうてい女将おかみであつて、進藤富子しんどうとみこというおんなだつた。ほんとうのとしはもう五十にちかく、しかし、みがげたうつくしさで、三十をすこしたぐらいにしかえない。その訊問じんもん模様もようは、大略たいりゃくつぎごときものであつた。
「あなたは五がつよる夕方ゆうがたから十二時頃じごろまで、どこにいましたか」
「べつにどこへもきませんわ。ちやんと自分じぶんのうち、青流亭せいりゅうていのお帳場ちょうばにいましたよ」
「ちがうでしよう。女中じょちゅうから板前いたまえまで調しらべてある。夕方ゆうがたかけて、十二ごろ、タクシーでかえつたことがわかつている」
「おやおや、たいそうくわしいんですこと。――じや、もうしますわ。あたしは女手おんなでひとつで、青流亭せいりゅうてい切廻きりまわしていますからね、ひとにはえぬ苦労くろうもあるんですよ。ハッキリいうと、パトロンがあります。その、パトロンのところへつていたんですわ」
「パトロンというのが、ころされた刈谷音吉かりやおときちじやないですか。こちらはあなたがあの老人ろうじんのところへ、つきに一かいか二かいよるになつてからくということをちやんとたしかめてあるのですが」
「いやらしいこと、おつしやらないでください。刈谷かりやさんはつています。むかしからの知合しりあいです。でも、あんなケチンボでへんくつなおとこに、どうして世話せわになんかなるものですか」
「すると刈谷老人かりやろうじんのところへつきに一かいか二かいく、その用件ようけんなんですか」
用件ようけんは……それはもうせませんわ。ぜつたいにあたし、もうしませんから」
 申立もうしたて拒否きょひしたとなつたら、それをいてわせる権限けんげん警察けいさつにもない。訊問じんもんはこれ以上いじょうにはあまりすすまなかつた。
 だい二の容疑者ようぎしゃは、金属きんぞくメッキ工場こうじょう技師ぎしけん重役じゅうやくであり、中内忠なかうちただしという工学士こうがくしだつたが、この人物じんぶつは、刈谷老人かりやろうじん高利こうりかねりていて、かなりくるしめられていたはずである。訊問じんもんすると、案外あんがいにも老人ろうじんのことを、借金しゃっきん取立とりたてがきびしくへんくつだが、面白おもしろいところのある人物じんぶつだといつたし、また借金しゃっきんのことで、べつに怨恨えんこんなどいだいてはいないのだとこたえたが事実じじつとしては青流亭せいりゅうてい女将おかみおなじく、いつもよるになつてから老人ろうじんたずねるのがつねで、あるとき、ひどくはげしい口調くちょうで、二人ふたりもんまえ口争くちあらそいをしていたのをみたという、近所きんじょひとからの聞込ききこみもないではない。かれは、人柄ひとがらとしては、まことに温和おんわ風貌ふうぼう分別盛ふんべつざかりの紳士しんしである。趣味しゅみがゴルフと読書どくしょだという。そして、井口警部いぐちけいぶとのあいだに、つぎのような会話かいわがあつた。
工場こうじょうでやるメッキは、どんな種類しゅるいのものですか」
「なんでもやります。ちいさなものでもおおきなものでも」
技術ぎじゅつはとくに優秀ゆうしゅうだそうですね。むろん、電気でんきメッキもやるのでしような」
「やりますよ」
「メッキの薬品やくひんは、どんなものを使つかいますか」
「いろいろですね。金銀きんぎん、ニッケルやコバルトなどの化合物かごうぶつ、そしてさんやアルカリです」
真鍮しんちゅうもやるのでしよう」
「ええ、もちろん……」
「その真鍮しんちゅうぎんのメッキではとくにどんな薬品やくひん使つかいますか」
 そのとき中内工学士なかうちこうがくし顔色かおいろがかすかに動搖どうようしたのを、警部けいぶはすばやくがついていた。それらの電気でんきメッキでは、青酸加里せいさんかり溶液ようえき使用しようされる。その予備知識よびちしきがあつて、ことさらにたずねてみたのだから、自然しぜんにこちらも、注意ちゅういぶかくこの重役じゅうやく態度たいど観察かんさつしていたわけである。
 工学士こうがくしは、ゴクンとつばをのんだ。
 そしてたばこにをつけ、ゆつくりと、
「いけませんよ。老人ろうじん毒殺どくさつもちいられた青酸加里せいさんかりが、うちの工場こうじょうにもあるつてことを、わたしくちからわせようとしているんでしよう。ハッハッハ、たしかにあります。しよつちゆう使つかつていますよ。しかし、門外不出もんがいふしゅつ取扱とりあつかいには、十ぶん注意ちゅういしていましてね。わたしにしても、そうみだりに持出もちだすことはできない仕組しくみになつているんですから」
 と、平静へいせい顔色かおいろもどつてこたえた。
 五がつよるのアリバイについてたずねてみる。
 すると当夜とうやは、映画えいがつたのだとこたえたが、映画えいが題名だいめいをきくと、すぐにこたえられない。たん西部劇せいぶげきだといつたが、テクニカラーかどうか、の質問しつもんではすらすらと、
「テクニカラーでした。すばらしくうつくしいものでした。すじはありきたりの平凡へいぼんなものでしたが……」
 とこたえている。
 警察けいさつから、市内しない全部ぜんぶ映画館えいがかん電話でんわ問合といあわせをした。
 その返事へんじだと、五がつよる着色ちゃくしょくにしろ無色むしょくにしろ、西部劇せいぶげき上映じょうえいしていたかんひとつもない。
「あの技師ぎしさんに張込はりこみをつけておけ!」
 井口警部いぐちけいぶは、するど部下ぶか命令めいれいした。


 青流亭せいりゅうてい女将おかみ進藤富子しんどうとみこも、工学士こうがくし中内忠なかうちただしも、刈谷音吉かりやおときち毒殺犯人どくさつはんにんとしての容疑ようぎは、かなり濃厚のうこうだとてよいのだろう。
 ただし、当局側とうきょくがわ見解けんかいでは、まだ十ぶんなきめがない。監視かんしつきでひとまず帰宅きたくゆるしたのであつた。
 やがて井口警部いぐちけいぶは、だい三の容疑者ようぎしゃしたが、それは皮肉ひにくなことに、あのんでいたランチュウを、刈谷老人かりやろうじんうちつてきたという金魚屋きんぎょやである。
 四十五さい名前なまえ笹山大作ささやまだいさくだつた。
 その容疑ようぎのもとは、中内工学士なかうちこうがくし場合ばあいていて、金魚屋きんぎょや老人ろうじんとのあいだ貸借関係たいしゃくかんけいがあり、裁判沙汰さいばんざたまでおこしたという事実じじつからである。金魚屋きんぎょやは、その住宅じゅうたく土地とちとを抵当ていとうにして老人ろうじんられて、さいさい立退たちのきをせまられている。怨恨えんこんがあるはずだと、当局とうきょくにらんだのであつた。
 金魚屋きんぎょやは、たところまことに好人物こうじんぶつらしいおとこで、つぎのような申立もうしたておこなつた。
刈谷老人かりやろうじんころされたことはつているね」
つてますよ。いい気味きみでさ」
「おどろいたな。よつぽどにくんでいたとえるね」
「そりやわたしは、ひどいにあつているんですから――あのおやじくらい、ごうつくばりでケチンボで、人情にんじょうなしの野郎やろうはないですよ。あいつは税金ぜいきんがかかるから、表向おもてむきの金貸かねかしをやめたが、相変あいかわらずもぐりの金貸かねかしでした。多分たぶん、一おくや二おくかねはためていたとおもうですが、これをまた、銀行ぎんこうにもあずけず、株券かぶけんにもせず、どこかにかくしてつていやがつたにちがいないです。ころされたあとで、うちなかから、札束さつたばやまたんでしようね」
「ちがうよ。なにない。そのてんはこつちでも不思議ふしぎおもつているくらいだ。なにつていることはないのかい」
「さア、財産ざいさんをどう処分しょぶんしていやがつたか、そいつはわたしにやわかりませんや。が、ともかくたいへんなおやじでした。こないだ、ひよつくりきましてね。わたし利息りそくがたまつている。利息りそくの一としてなるつたけ上等じょうとう金魚きんぎょをもつてこいつて、いやがるんです。わたしは、しゃくだから、三びきでせいぜい五千円せんえんというランチュウを、三万円まんえんだとふつかけてつてつたんですが……」
老人ろうじん金魚きんぎょきだつたのかね」
「どうですかね。あんまりきでもなかつたでしよう。しかし、つてみると、しゃくすんほどの瀬戸せとはちが、にわつちにいけてあつて、そのはちは、からつぽだけれど、みずだけはつてあるし、ぐるりに、しろすなをきれいにまいてあつて、かなり大切たいせつにして金魚きんぎょうつもりだつてことはわかりました。なんでも、ものというものは、一もまだつたことがない、この金魚きんぎょがはじめてものだなんていいましてね。わたしは、これじやいけない。雨水あまみずがはいらないようにしたり、よけもつくり、ねこ用心ようじんで、金網かなあみもあつたほうがいいつてこと、注意ちゅういしておいてやつたんですが、どうしました、あの金魚きんぎょは、まだ元気げんきですか」
元気げんきじやないよ。老人ろうじんといつしよにんでしまつた。老人ろうじんくちからきだした青酸加里せいさんかりんだのさ」
「あんれま、もつてえねえことしましたね。それじや、あの金魚きんぎょわたしつてつてから、まる一にちとたたねえうちに、んでしまつたことになりますね」
「まる一にち……というと、金魚きんぎょをもつてつたのはいつのことだね」
「五がつあさのうちですよ。金魚きんぎょをよこせといつてきたのが、そのまえ夕方ゆうがたでしてね。どうしてだか、ひどくいそいでもつてこいつていうんでした。あいにくと、わたしのところには、利息代りそくがわりになるほど金魚きんぎょがいねえ。同業どうぎょうのところへつて、そこからつていかなくちやならねえから、二ばかりつてくれといつたんですが、どうでも、いそいでもつてこいつていうんです。五がつは、お節句せっく子供こどもでしよう。ちよつとしたあてこみので、わたし公園こうえんほう商売しょうばいくつもりだつたんですが、しかたがない、方角ほうがくちがいのおやじのところへ、あのランチュウをつてつたというわけでさ」
 老人ろうじんころされたのは、その五よるだつたから、あさよるとのちがいはあつても、おな金魚屋きんぎょやつて老人ろうじんつたというてんが、なんとなく意味いみありかんじられる。
 アリバイについてたずねてみた。
 すると金魚屋きんぎょやは、そのころ時刻じこくだつたら、パチンコにいたとこたえたから、井口警部いぐちけいぶはその実否じっぴを、平松刑事ひらまつけいじめいじてたしかめさせることにした。あの金魚好きんぎょずきなおとこに、金魚屋きんぎょやのことを調しらべさせるのも、ちよつと面白おもしろい、とおもつただけのことである。
 平松刑事ひらまつけいじは、ほかの方面ほうめんでの聞込ききこみをあさりにかけていたから、しょかえつてすぐに、井口警部いぐちけいぶまえばれた。
「どうだつた? なにつかんだかね」
「はァ、ちよつとしたすじでして……」
「ふーん、どんなこと?」
刈谷音吉かりやおときちは、最近さいきんのことだが、だいぶたくさんに金塊きんかいいこんでいたそうですよ。ふる小判こばんなどもあるそうで、これは地金屋ぢがねやからの聞込ききこみですが」
「そうかい。そいつは初耳はつみみだな。よしきた。そのけんもなお念入ねんいりにあらつてみろ。それからきみには、金魚屋きんぎょやとパチンコのことを調しらべてきてもらいたいんだがね」
 警部けいぶはなしたのは、金魚屋きんぎょや笹山大作ささやまだいさく申立もうしたてについてである。途中とちゅうまで平松刑事ひらまつけいじはだまつていた。そして、ランチュウが老人ろうじんうちとどけられたのは、お節句せっくあさだとわかつたとたんに、
「えッ! なんですつて、ランチュウは……」
 さけぶようにいつてかがやかした。


「オイ、どうしたんだ。ランチュウがどうかしたのかい。んでいたランチュウだよ」
 警部けいぶほうもびつくりしたかおになつてきかえしたが、平松刑事ひらまつけいじは、
「え、そうですよ。んでました。しかし、まえには、きていたんです」
 そういつてなにかのかんがえを、あたまなかでまとめようとするつきになつている。
「ばかだな。まえに、きていたのはあたりまえだろう」
「ええ……そうですね。それはたしかに、あたりまえですが……そのきていたときには、元気げんきにひらひらおよいでいたといいましたから……」
「ちよッ! なにいつてるんだ。ものが金魚きんぎょだろう。きていたら、ひらひらおよぐのだつてあたりまえだぞ。それともランチュウつてやつは、およがずに、しやつちよこちでもしているのかな」
「あッ、そうか、それも……そうでした。ランチュウはあたまおもいせいか、およぎながらでも、しやつちよこちになることがおおいんですよ。――ええと、しかし、へんですねえ」
「どうもこまつたおとこだな。いつたいなにがどうしたというんだね」
「そうでした。すみません。わけをハッキリとはなさなくちやいけなかつたんです。じつは、この事件じけん発見者はっけんしゃは、島本守しまもとまもるというわかいお医者いしゃさんでしたね」
「そうだよ。そのとおりだよ」
「ところが、その島本しまもとが、わたしに、金魚きんぎょはひらひらしていてうつくしかつたといつたんですよ。――いや、そんなふうにいつたのじや、わかりませんね。事件現場じけんげんばでのはなしです。わたしは、金魚きんぎょのことばかりにしていました。それから島本しまもとに、きていたとき金魚きんぎょはどんなだかつていたんです。島本しまもとは、ぼたんのはち老人ろうじんのところへつてきて、にわ老人ろうじん立話たちばなしをしたというのですから、そのときに、金魚きんぎょたはずだとおもつたからです。はたして島本しまもとは、とくに注意ちゅういはしなかつたけれど、金魚きんぎょたつていいました。そして、ひらひらしていてうつくしかつた、といつたんです」
「わかつたよ。わかつたが、それがどうしたんだね」
島本しまもとはなしでは、ぼたんのはちつてきたのが、事件発見じけんはっけんのあの日、つまり五がつからいうと、一昨日おとといだといつたんじやないでしようか。そのとき以来いらい老人ろうじんにはわなかつたということもいつたはずです。ところが金魚きんぎょがあのつちにいけたはちなかれられたのは五がつ、お節句せっくあさだということがわかつたんでしよう。六からいつて一昨日おとといは、つまり、五がつにあたりますね。そのときには、はちなかに、金魚きんぎょがいなかつたのじやないでしようか。
 いない金魚きんぎょを、島本しまもとは、なぜたんですか。いや、たしかに、たはずはないんです。それを、わたしに、ひらひらしていたなんていつて……」
 まわりくどいはなしぶりだつたが、はじめて井口警部いぐちけいぶにも、このことの重大じゅうだい意味いみがわかつてきた。
 島本医師しまもといしは、うそをいつている。
 金魚きんぎょんでいたのをて、多分たぶんその金魚きんぎょは、まえからつてあつたものだとかんがえたのであろう。まだはちれられていない金魚きんぎょを、たといつてはなしたのである。
「なあるほどね。こりや、おかしくなつた」
 と警部けいぶくびをかしげた。
「でしよう? かんちがい、ということもあります。しかし全然ぜんぜんいなかつたものをたというのは……」
大至急だいしきゅうあのお医者いしゃさんをあらおうじやないか。なにるよ。すぐとなりにんでいるのだ。しかも医者いしゃだ。毒物どくぶつ知識ちしきもあるはずだし、青酸加里せいさんかりだつて入手にゅうしゅできるのだろう。……よし! やれ! パチンコなんか、あとまわしでいい!」
 そうして二人ふたりは、いつしよに椅子いす立上たちあがつてしまつた。
 配下はいかのほとんど全員ぜんいん手配てはいめいじておいて、はじめはしかし、島本守しまもとまもるには見張みはりだけをつけ、事件現場じけんげんば金魚鉢きんぎょばち調しらべた。
 がついたとなると、あとからあとからとあたらしい着眼点ちゃくがんてんがひらけてくる。
 小鳥ことりつたこともないという、ごうつくばりの因業いんごうおやじが、なぜ金魚きんぎょになつたか、そのてんにも問題もんだいがないことはない。
 調しらべると、はたしてあつた。
 金魚鉢きんぎょばちは、ぐるりに、しろすなをしきつめてある。すなをはらいのけると、めたとせたはちが、すぽりとつちからきとれるようになつているのがわかつた。そして、はちしたは、みかんばこおおきさの空洞くうどうで、つまり、はちしたなにかをかくしておく場所ばしょができているのであつた。
 残念ざんねんながら、その空洞くうどうは、文字通もじどおりの空洞くうどうなにもない。が金魚屋きんぎょや申立もうしたちゅうにあつた老人ろうじん財産ざいさんについてのはなしと、平松刑事ひらまつけいじ地金屋ぢがねやから聞込ききこみとをらしあわせてみて、だれむねにもピーンとひびくものがあつた。いこんだ金塊きんかい古小判ふるこばんである。それがまえにはかくされていて、いまはないというだけのことである。
 金魚鉢きんぎょばち位置いちから、にわかえでがくれではあるが、島本医院しまもといいん白壁しらかべえていて、もしそのかべあながあると、こつちをおろすこともできるはずである。多分たぶん老人ろうじんは、しばしば金魚鉢きんぎょばちしたのぞきにきたことにちがいない。はちみずがあつただけでは、まん一の場合ばあいひとあやしまれるとがついて、きゅう金魚きんぎょれることにしたが、島本医院しまもといいんからは、まえからして不思議ふしぎおもい、老人ろうじん挙動きょどうながめていたものとかんがえられる。これでもうなぞは、大体だいたいけてしまつたのとおなじになる。
「だいじようぶだ。やつつけろ!」
 と井口警部いぐちけいぶは、りきつてさけんだ。


 医師いし島本守しまもとまもるは、はじめは頑強がんきょう犯行はんこう否認ひにんした。
 が、家宅捜索かたくそうさくをすると、時価じか概算がいさん億円おくえん相当そうとうする金塊きんかい白金はくきん、その地金ぢがね居室きょしつ床下ゆかしたから発見はっけんされたため、ついにつつみきれずして、刈谷音吉かりやおときち毒殺どくさつのてんまつを自供じきょうするにいたつた。
 自供じきょう内容ないようは、ほとんどあらかじめ当局側とうきょくがわ想像そうぞうしていたのとおなじである。
 が、そのなかで、とくに興味深きょうみぶかおもわれたのは、金魚鉢きんぎょばちかんしてのかれ述懐じゅっかいであつた。
わたしは、医師いしとして、老人ろうじん神経痛しんけいつうをみてやつたことがありそれがくちをききあつたはじめです。にわ金魚鉢きんぎょばちに、なにかかくしているとがついてからは、近所きんじょからもつまはじきされている老人ろうじんたいし、ことさら親切しんせつにしてやつて、そのかくしているものがなにかということをるのにつとめたのでした。あるとき老人ろうじんくちをすべらし、きん売買ばいばい自由じゆうになつたはなしをしたものだから、ハッキリとそれは金塊きんかいだろうということがわかつたわけです。――ウィスキーは、時々ときどき老人ろうじんが、縁側えんがわ一人ひとりきりで、たのしそうにチビチビとやつているのをていましたから、ぼたんのはちつてつたとき、わざと半分はんぶんみかけのやつを、とくべつにあじがいいのだからといつて、いつしよにつてつておいてきました。にわ立話たちばなしをしたというのはほんとうで、そのときに、金魚鉢きんぎょばちをよくておいたら、まだ金魚きんぎょがはいつていなくて、みずがはつてあるだけだとわかつたのでしようけれど、じつわたし金魚鉢きんぎょばちには、いつもわざとけぬようにこころがけていました。というのは、そんな挙動きょどうせて老人ろうじんわたし警戒けいかいしたら、という心配しんぱいがあつたからです。むろん、金魚鉢きんぎょばちだから、金魚きんぎょがいるのだとばかり、はじめからおもいこんでいたのでして、だから、んだ金魚きんぎょも、ぼたんのはちつてつたとき、ひらひらおよいでいたはずだとかんがえ、はなしかけてきた刑事けいじさんに、ばつをあわせるような返事へんじをしたわけです。あとでかんがえてみたとき事件発見者じけんはっけんしゃとしてのわたしは、何一なにひとつやりそこないをしなかつたという自信じしんがありました。容疑ようぎはぜつたいにかからないものときめていたのですが、そんなちいさな不注意ふちゅういがもとで、とうとううたがいがかかつたというのは、正直しょうじきなところ、まことに残念ざんねんでもあり、またわるいことは、やはりできないものだということを、しみじみかんがえさせられた次第しだいです……」
 これで事件じけん完全かんぜん解決かいけつされたといつてよいのであろう。
 ほかに、三にん容疑者ようぎしゃがあることはあつたが、むろんこうなれば、問題もんだいとするところはなにもない。
 それらのひとについて調査ちょうさ結果けっかは、ついに発表はっぴょうされなかつたが、事件解決後じけんかいけつご青流亭女将せいりゅうていおかみ進藤富子しんどうとみこは、つてはらてた口調くちょうになつて、やはり、ある料亭りょうてい女将おかみである女友達おんなともだちむかい、
「ばかにしてるのさ、あたしはね。ほんとうはあの高利貸こうりかしに、むかしおかねりて、ひどいにあつたことがあるの。しかえしをしてやろうとおもつていたわ。しかえしに、色仕掛いろじかけで、たらしこんでしこたまかねさせてやろうとかんがえたつてわけ。ところが、ほんとうに因業いんごうおやじでどうにもならない。おまけに、嫌疑けんぎまでかけられてさ。警察けいさつで、いろいろたずねられたとき色仕掛いろじかけのはなしなんかできやしないし、つくづく、いやになつちやつた……」
 とかたつたし、メッキ工場こうじょう中内技師なかうちぎしは、自宅じたくでそのつまたいし、
「いや、もう、ぜつたいにやらんよ。後楽園こうらくえんこいりにつてたなんてこと、まりがわるくてひとはなせやしない。だから、映画えいがていたなんていつちまつたのだが、ともかく、コリゴリだ[#「コリゴリだ」は底本では「コリコリだ」]平生へいぜいからきみがよせといつたのをきけばよかつた。これはわたし失敗しっぱいはなはだすみませんでした。あやまります」
 いささかおどけたかおになつて、たたみをついてあやまつたが、一ぽう犯人逮捕はんにんたいほだい一の殊勲者しゅくんしゃ平松刑事ひらまつけいじは、あるのこと、金魚屋きんぎょやさん笹山大作ささやまだいさくの、おもいがけぬ訪問ほうもんをうけた。
「あとでよくわかつたんだが、わたしもおどろきましたね」
「ふーん、なにをだね」
「このわたしにまで嫌疑けんぎをかけていたんじやねえですかい。とんでもねえことですよ。わたしはあのおやじをにくんでいたにやにくんでいた。しかし、ころすのだつたら、青酸加里せいさんかりなんてやさしいころかたはしませんよ。てんびんぼうかなんかで、なぐころしにでもしなきや、はらむしがいえねえんですからね――。が、まア、ころされやがつて、天罰てんばつというところでしよう。ありがてえとおもいます。旦那だんなにも、おれいいてえとおもいましてね」
冗談じょうだんじやないぜ。それじやまるで、ぼくが刈谷かりやを、ころしてやつたというふうにきこえるじやないか」
「ああ、そうか。こいつはわたしいそこないだ。が、ともかく、おれいのつもりで、いいものをつてきましたよ。旦那だんな金魚きんぎょきだそうですね。ランチュウのがありまして、こいつは、うまくそだてりや、たいしたものになるでしよう。いえ値段ねだんはいいです。さしあげるんですよ。えさは、当分とうぶんのうち、たまご黄身きみにしてください。青酸加里せいさんかりだけは、禁物きんもつということにしましてね」
 までえて、数匹すうひき仔魚しぎょを、親切しんせつにもつてきてくれたのである。
 人間にんげん死体したいよりさきに、金魚きんぎょんだことをにした平松刑事ひらまつけいじは、有頂天うちょうてんになつてよろこんで、そのしょ早帰はやがえりしてしまつた。
 自宅じたくには、金塊きんかいこそないけれど、でめきん、りゆうきん、しゆぶんきん、各種各様かくしゅかくよう金魚きんぎょつてある。ランチュウを木製もくせいはちにいれてながいことながめて、うれしそうに口笛くちぶえをふきだした。
(終)





底本:「宝石九月号」岩谷書店
   1954(昭和29)年9月1日発行
初出:「宝石九月号」岩谷書店
   1954(昭和29)年9月1日発行
※底本は新字新仮名づかいです。なお平仮名の拗音、促音が並につくられているのは、底本通りです。
入力:sogo
校正:大野裕
2017年6月25日作成
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