〔憲政本党〕総理退任の辞

大隈重信




 諸君、今日は憲政本党の大会に際しまして、諸君に向って私の意見を吐露することは最も喜ぶところであります。例年の大会に於ては誠に寂寥せきりょうでありまして、少しく物足らぬような感じを起しました。しかるに当年の大会に於て、諸君が党に対する熱心の度がよほど増したと存じますのであります。あるいは党則の改正、あるいは党勢の拡張、あるいは宣言に於ける種々の意見に付いて、盛んなる討論があった。これは皆諸君が党に対する赤誠の致すところであると信じまして、深く私は喜ぶのであります。

〔戦後の国勢と政党の責任〕

 さて戦後に於ける日本の国勢は隆々として旭日の昇るが如くなると同時に、国民の責任は国勢に比例して益々ますます重きを加えるのであります。国家のために、君国のために、おおやけに奉ずるところの党派はかくの如き時機に於て大活動なかるべからず。然るに諸君、我が国の前途ははなはだ遠し。既に世界の強国となったが、将来に於ける日本の世界に於ける地位は、なかなか一朝にして定まるものではないのである。国が盛んになれば、なるほど国際的関係は益々困難になるもので、東洋の一大強国として世界の国際場裡じょうりに重きをなさんとするには、まだなかなか前途遼遠である。ことに欧羅巴ヨーロッパ風の思想は、諸君のご承知の通りに、世界は白人の世界と思うておる。白人以外の勃興に対してはすこぶる奇異の感を抱いておるのである。それでいやしくも乗ずべき機会があらば、あるいは猜疑心さいぎしん、嫉妬心、もしくは人種的感情、宗教的感情とにより、我が国の勃興を妨げんとするものが起らないとは言えないのである。かの最も日本の友国たるところの対岸の「カリホルニャ」に於ては、今日こんにち既にすでに日本人排斥が起っておるのである。なかなかこれは重大な問題である、国家として、民族として、世界的に将来活動する上に付いてはこれは重大な問題である。この問題が解決されぬ以上は、日本が世界に於て、最も強大なる国家、最も強大なる民族と同等の地位を占むることはなかなか出来ないのである。それで諸君の任は甚だ重いといわねばならぬ。
 かくの如き重大なる責任はこれを誰が持つかといえば、無論むろん諸君である。諸君は国民の代表者である。政党そのものはかかる国利民福の発展を目的として存在しておるものである。しからば我々の地位は決して権力によって成立つものではない。国民の意思に依って成立つものである。我々の土台が国民である。将来に於ける我々の立脚地は国民である。然らば国民の輿望よぼうを収むるや否やということは最も大いなる問題である。いたずらに多数を頼み、強を頼んで私を営むという訳ではない。強を頼んで政権に近づくという訳のものでもない。我々は国家に対し、ことに主権者に対して大責任がある。その責任をまっとうするは、我々の任務である。かく私は信ずるのである。それ故に、昨年の総会に於て私は第一に選挙権の拡張を主張したのである。これは憲法の大義から割出した事である。我々の第一の目的は完全なる憲法を得よう、それから憲法を得た以上は完全にこの憲法を施行し、発達せしめようというのが我々の終極しゅうきょくの目的である。然るにこの代表的政治、委任的政治なるものは決して国民を度外視して成り立つものではないのである。然らば我々は国民の信用を得るという事は最も必要である。大体は宣言にありますから宣言に譲りますが、私は諸君にご注意致したい。諸君のみならず全国民に私は警告致したい一事がある。その警告は何であるかと言えば、早晩我が国民は非常なる困難に陥る時が必ず来るということを予言するに、私ははばからぬのである。今日は戦い勝って、光栄ある戦捷せんしょうの余威は産業の勃興、商売の繁昌、誠に国家太平の有様である。かくの如き時に将来困難が来るという予言を為すのは誠に不祥の言葉である。もし困難が来らなければ実に国家の幸いである。我輩は切に予言の適中せないことを望むのである。
 およそ古今の歴史は我々に如何いかなる訓戒を与えておるかというに、戦勝国も、戦敗国も、必ず大疲労が来るということは、歴史が証明しておるのである。まず第一に予算の上について言えば、軍費とかその他の事業とかということに付いては、諸君に於て十分なご成案のある事と信ずるが、今日財政の上にどういう結果が起っておるかといえば、ほとんど二億万円という巨額の歳入不足という運命に陥っておる訳であって、これは結局国民の頭上に臨んでおるところの大問題である。なるほど明年度には幾らかの剰余金があるが、この剰余金は決して永久的のものではない。然らばこの次に来るところのものは増税かはた国債かの二つにでない。しかし国債は無限に募集し得られるものではない。増税これまた無限に出来るものではないのである。一朝国家の信用が下がったならば、外国から金を借りて来るということは甚だ困難になって来るのである。人のふところを当てにするという如き薄弱なる財政は甚だおそるべきものである。然らば国家必要の入費は国民がこれを払うのが原則である。今度の予算がこのままで確定されたならば、少なくとも一億五千万円の増税がなければならぬ。老若男女を問わず、国民一般に三円宛の負担をしなければならぬということになるのである。戦時税が三円以上、これは永久のものである。このたび三円以上、そうすると、これを合して六円乃至ないし七円という頭割りの国民の負担はこの予算から必ず生ずるということは、国民が十分承知しなければならぬことである。なるほど今日我が国の富はよほど進んでおる。それ故にあるいはこの負担にえ得られるかも知れない。しかしながらかくの如き急激なる大負担は、欧米の如き富国に於ても随分困難を感ずるものである。いわんや我が国の如き幼稚なる富は果してくこれに堪え得るや否やということは、これは大なる疑問である。今日を日清戦役前と較べれは歳出の増したことはおよそ七倍、しかしてこれに対する歳入は四倍半しか増していない。数字の上から三という不足が生じておる。その不足が即ち二億万円である。而して経常費は年々増して往くのである。行政費は年々増して往くのである。而して今日物価の騰貴とうきは非常なもので、ほとんどとどまるところを知らずという有様であるから、国民生活は早晩非常な困難に陥ることと思う。
 諸君は国民を代表しておるものであるから、国民の苦痛は顧みるに足らぬということは決して言えないのである。政治的に働く者は普通国民より一層智識が進んでおらなければならぬ。然らばその進んだ智識を以て国民を代表するということは、諸君の責任の一つであると思う。しかしながら、段々国家というものは良好の方に向っておるに依って漸次ぜんじに国の富は増す。従って国家の歳入も増して来る。増税もしくは外債という如きものを繰返さぬでもいけるかも知れない。そう往けることを望むのである。しかしながら日清戦役が我々に与えておるところの訓戒はどうであるかといえば、初めて十年計画というものを立てたが、わずか二年の内にそれが破れてしまったのである。三億五千万円の償金を取ったけれども、ただちに外債を起した。直ちに増税をした。即ち増税を三度繰返して外債を三度繰返したというのである。即ち日清戦役の後、僅か七、八年の内に外債を三度、増税を三度繰返したのである。しかして最後にどういう訳になったかというと、とうとう税も取る事が出来ぬ、借金も出来ぬという有様になった。もはや増税も外債も頗る困難である。一度四分利付の公債を発行したが、もう今日は五分利付きでなければ貸手がない。五分利も大いなる割引をしなければ貸手がないという訳になったのである。
 今日兵器の独立ということは国防の上に最も必要である。軍艦を日本で製造する、銃砲を製造する、火薬を製造する、その他の軍器は国内でこしらえなければならぬ。あるいは平時に必要なる鉄も今日では拵えなければならぬ。一朝戦いが起れば、それらのものを外国に頼んでおれば皆戦時禁制品として輸入を止められる。必要なる軍器は直ぐ破損する。新たにそれを補充しなければならぬ。更に造らなければならぬという時にこの兵器の独立が出来ないとなると、不利益なる和を講じなければならぬという不幸が来るのである。それ故に軍器の独立は全力を用いてらねばならぬ。この節では既に世界第一等という強固なる戦闘艦も出来るようになったのであります。鋼鉄も出来るようになった。速射砲も機関砲も海岸砲も大なる大砲も、皆出来るようになったという訳である。実にこれは結構な事である。然るに、これを動かすに必要の金は外国に依らなければ出来ないという有様であれば、一朝外国の圧迫を受けて、むを得ず兵器を取らなければならぬ時が来ても、金がないために涙を呑んで不利益なる条約に調印しなければならぬという不幸に陥るのである。そこで私は早晩畏るべき反動が来るということを警告するのは、私の義務として沈黙することが出来ないのである。この警告を私は今日諸君の前におおやけにしたいと思う。

〔退任にあたっての情願〕

 それから私は最後に、諸君に向って私の情願を一つ述べたいと思うのである。それは少しくくどいが、十分あまりどうぞ御聴きを願いたいと思う。明治三十三年にご承知の通り、我々の同志たる政党は、到頭とうとう我々のみになって、自由党というものが消滅してしまったのである。真正の党派というものは進歩党の以外に消滅してしまったという、不幸なる時が三十三年に来ったのである。主義に依り、国民の意思に依り、輿論に依って成り立つところの政党というものが、その時によほど性質を一変したのである。この日本の憲法史、日本の政党史に大なる関係を持つところの年は三十三年である。その時に自由党は自滅して、高名なる大政治家の伊藤いとう博文ひろぶみ〕侯〔爵〕の下に、自由党、国民協会の一部、官吏の一部、その他中立、実業家というものが集って、政友会というものが生れたのである。その時には伊藤侯の声望と、つ伊藤侯の政治的才略に依ってほとんど天下響きの如く応じた。その時に我が党はどういう有様であったかというと、ご承知の通りに、我が党の最も有力な数人は、不幸にも我が党を脱して伊藤侯の下に馳せ加わり、これがために進歩党は非常に動揺したのである。もし放擲ほうてきすれば、ほとんど進歩党は瓦解し尽し、自由党の如く政友会の下に加わらなければならぬという運命に出遇であったのである。
 諸君は必ずご記憶であろう。その時までは進歩党党則に総理というものはなかったのである。その時に此処ここ御出おいでになっておる鳩山はとやま和夫かずお〕君その他、その時分の矢来倶楽部やらいくらぶその他の御方が、私に向って是非ぜひ伊藤侯が自ら陣頭に立つ以上はどうか私に陣頭に立って党の動揺を防いでもらいたい、もしそれが出来なければ党が瓦解するという事で、私に再三御勧めになったが、実はご承知の通り私は身体も不具ではあり、甚だ迷惑でありますから、よほどご辞退をしたが、党の興廃ということを聞いては沈黙する訳にはいかないのである。もし党が私を推すならば止むを得ず陣頭に立とうということになって、ついに諸君が私を総理にご推薦くだすったのである。まず政友会の勃興に付いて進歩党の破裂は止ったが、それ以来前後七年、私は党の総理として事に当ったが、その間に於て少しも党勢は振わ無いのである。諸君に対して甚だ面目もない次第である。畢竟ひっきょう私の微力の致すところである(ノウノウ)。甚だ慚愧ざんきに堪えない(ノウノウ)。
 然るに諸君が今日大いに活動を始め、党勢拡張もしくは種々の規則の改正、また先刻の討論を聴いても甚だ鋭気勃々ぼつぼつたる有様を見て、私は喜びに堪えぬのである。それ故に私は諸君に向って、どうか御別れをしたいと思う(ノウノウ)。私のただいまの言葉は諸君に対する告別の言葉と、どうぞご承知を下されたい(ノウノウ)。如何なんとなれば、今日は既にすでによほど活動を要する時機である。活動は青年にある。私が今日総理を辞するというのは、私はもはや政治に飽いた、今日の窮境に疲れたかというと、決してそうではない。老いたりといえどもなかなか奮闘する(ヒヤヒヤ)。我輩は国家に対し、おそれながら陛下に対して、死に至るまで政治を止めはしない(ヒヤヒヤ)。政治は我輩の生命である(大隈伯万歳と呼ぶ者あり)。たとい諸君が我輩を党から退しりぞけようとも、無論むろん我輩の活動する天地は日本到る処にあるのである。決して止めないのである。これは国家に対する私の大なる義務である。憲法の上からいえば権利である。我輩の権利を曲げる事は、如何いかなる力も出来ないのである。我輩は君主の命令に従い、法律の命令に従う以上、如何なる権力も我輩の個人の自由を制限する力は世界何処どこにもないのである(ヒヤヒヤ)。
 それでちょっと私が今日党の総理を辞するというと奇異な感じを起すか知らぬ。此処ここにも新聞記者が沢山たくさん御出おいでであるが、新聞記者は早く既に私は総理を辞するだろうという予言をされた。新聞記者は無遠慮に命令をやる。しかし私は人の命令を聞くような男でない。頑固である。これは誠に善い性質ではない。けれどもどうも七十になってもこの性質を止めることは出来ない。死に至るまで頑固剛情で一生を終るつもりである。しかしそんなことは我輩のこの演説に関係はない。我輩は党に対して一点の不平もない。ただ諸君をしてもう少し責任を重んじて、活動の余地を与えると共に、我輩も自由の働きを許してもらう方が、党の将来の発展のためにも利益なりと、こう考えるのである。私は決して労を辞せぬ。困難をいとわぬ。困難が来れば愈々いよいよ我輩は奮闘し活動する(ヒヤヒヤ)。困難は我が友なり。少しもそんなことには頓着しない。しかしながら党全体のために計るに、まず諸君はもう少し責任を重んじ、しかしてもう少し諸君の活動を望みたいと思う。どうせ無邪気の国民は政治上の思想は乏しいものである。どうしても指導者がこれを教育し指導して立憲的国民をこしらえなければ、真の立憲政治は行われないのである。これは諸君の責任である。
 さきほど高橋たかはし秀臣ひでおみ〕君の建議があったが、私は至極ご同意である。もしそういう場合に、高橋君のような若い人達が遊説に出れば、――私は足が悪い。私は旅行をしても何時も大名旅行をするから年中くことが出来ぬが、共に行く時には一緒に演説者になって何時でも御手伝いをしよう。どうか私の歎願である。我輩に自由を与えてもらいたいと、こう考える。しかしながら、我輩が総理を辞したためにこの党を去る訳でもなければ、辞したために我輩の政治に於ける活動が止まる訳でない。益々ますます盛んにるのである。諸君に向って断言するが、私は終身決して政治を止めないのである。
 それで明治三十三年は私は決して党の役人ではなかったのである。しかしながら世間も政府も、もくして大隈というものが悪い、若いものを煽動して誠に困ると、こういっておる。私は総理というものには、初め改進党の成立つ時にわずかに二ヵ年、今度はよほど辛抱強く六ヵ年、前後八ヵ年、二十五年の間に八ヵ年しかやっていない。やっていないが、この大隈というものを政府も社会も、やはり改進党、進歩党の仲間ということに思って何としても許さぬ。それ故にこれから看板を掛け直して、少しもっともらしくなって、御役人などに近付いて何かやろうということは世の中が許さぬ。世の中が許しても我輩が許さぬ(ヒヤヒヤ)。これは私は正直に諸君の前に白状するのである。どうかこのただ形式上の名はどうでもいが、これはどうかご免を願いたい。これは私が諸君に向って平素の剛情なるにかかわらず、実は哀訴歎願するゆえんであります(拍手大喝采)。





底本:「大隈重信演説談話集」岩波文庫、岩波書店
   2016(平成28)年3月16日第1刷発行
底本の親本:「大隈伯演説集」早稲田大学出版部
   1907(明治40)年10月22日発行
初出:「憲政本党党報 第八号」
   1907(明治40)年2月
※表題の〔憲政本党〕は、底本編集時に与えられたものです。
※中見出しの〔〕は、底本編集時に与えられたものです。
※〔 〕内の補足・注記は、編者による加筆です。
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
※本文冒頭の編者による解題は省略しました。
入力:フクポー
校正:門田裕志
2018年12月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード