吉右衛門の第一印象

小宮豊隆




 吉右衛門に初めて会つた時の印象を書いてくれといふ注文を受けたのであるが、その後引き続いてずつと会つてゐるせゐか、今私の頭の中にある「吉右衛門」の内のどの部分が第一印象の「吉右衛門」で、どの部分がその後の印象の「吉右衛門」であるか、どうも判然と区別をつける事が出来ない。古い日記のやうなものを引張り出して、あれこれ探して見たけれども、会つた日と、会つた時の連れの名前と、その他会ひに行く迄の段取のあらましとが書いてあるだけで、肝腎の吉右衛門の第一印象に就いては、何所にも何も書き留めたものがない。思ふに、当時吉右衛門に会ふといふ事は、私にとつては一つの「事件」だつたのだから、吉右衛門に会つて私の頭はその印象で一杯になつてしまひ、それが幾日か続いた為、筆をとつて書き残して置かうと企てても、旨くその整理をつける事が出来ないので、尻切れのまま途中でめてしまつたものらしい。それでも今、かうしてその記述の断片を前に置いて眺めてゐると、晴れて行く霧の朝かなぞのやうにさまざまな光景が、ぽつりぽつりとその姿を現はしてくる。
 日記の初めに「十二月五日」とある。吉右衛門が『光秀』をやって[#「やって」はママ]、菊五郎が『実盛』を出してゐる時の事である。――私が『中村吉右衛門論』なるシュレックリッヒな論文を書いた時には、私はまだ吉右衛門に会つてゐなかつた。さうして是を私は、森川町の下宿屋の二階で、大きな氷のかたまりを机の傍に据ゑて、汗を拭き拭き書いた記憶があるから、是はなんでも七月か八月かの、暑い時分に出来上がつたものである。従つて「十二月五日」といふのは、年号が書いてないからよくは分からないけれども、多分その年の十二月か、それでなければ、その翌年の十二月かであるに違ひない。さうすると、それは明治四十四年か、大正元年かの事だといふ事になる。私はその日に、市村座に見物に出かけてゐるのである。
「勘弥の治兵衛が実につまらない。それで『紙治』の幕をつちやの二階に敬遠する事にする。阿部と伊藤と柏木と四人きりで雑談してゐると、播磨屋連の幹事らしい男がやつて来て、いろいろ話をする。芝居は大抵変り目毎にはお出になりますか、と聞くから、いや此所だけは、一興行にどうかすると三度位は来る事もあると答へたら、へえと言つて驚いてゐた」と書いてある。阿部は無論、阿部次郎の事、伊藤といふのは、今独逸にゐる慶大教授の伊藤吉之助で、柏木とあるのは、最近紐育から帰つて来た日本銀行の柏木純一である。当時、私達四人はよく一緒に市村座へ見物に出かけた。この「十二月五日」は、なんでも阿部の知つてゐる銀座辺の呉服屋の若旦那の紹介か何んかで、初めて『播磨屋連』といふ連中に這入つて見物したのであつた。「幹事らしい男」といふのは、後になつて知つたのであるが、小石川だか本郷だかの、宮村さんといふ連中屋さんである。私達はその後この宮村さんの「連中」の定連のやうなかたちになつた。漱石先生の晩年、私が先生を引張り出して、幾度も市村座を見物させた時にも、私達は多くこの宮村さんの厄介になつた。さうして私を吉右衛門に会はせたのも、実はこの宮村さんなのである。宮村さんは、恐らく吉右衛門贔屓の張三李四として、私達を楽屋に連れて行く気になつたものだらう。当時の感情だけについて言へば、少くとも私だけは、それに大して不服を唱へる権利もなかつたやうな気もする。――
 その時話の序に、柏木が宮村さんに、吉右衛門は今何をしてゐるかと聞いた。すると宮村さんは、今越路が来て、一緒に御飯を食べてゐますと答へた。柏木は急に会ひたくなつたと見えて、どうだ、これから会ひに行かないかと、私に向つて言つた。私も会ひたかつた。然し楽屋のやうな所でせはしなく会ふ事は、余り好ましい事ではなかつた。それにし会つて、自分の「夢」がこはれるやうだとり切れないといふロマンティシズムが、私の会ひたくて燃え上がる心に水をした。私は煮え切らない返事をした。
 すると其所へ、吉右衛門の番頭が上つて来た。是は誰だつたか、今ではまるで思ひ出せない。宮村さんがその男を捉まへて、おい、吉ちやんの所に何か御馳走はないかい、と聞いた。その男は、へえ、何かありませう、と答へた。宮村さんは急に私の方を振り向いて、どうです、一つ楽屋へ行つて御覧なすつちや、と云つた。
 柏木が行きたさうな顔をして、どうする、と訊く。阿部も伊藤も行きたさうな顔をしてゐる。私も元元行きたいのだから、恐らく同じやうに行きたさうな顔をしてゐたらうと思ふ。それでも何となく愚図愚図しながら、楽屋はごたごたしてゐるんだらうから、とか何とか言つてみた。なあに、ちつとも忙しい事なんかありやしませんよ、と宮村さんが受けた。今は一人つきりでゐますから、と番頭も宮村さんの言葉に裏書きした。それで此方のオブジェクションが除かれた訳でも何んでもなかつたが、当時の私には美事にり去られたもののやうな気がしたと見えて、それぢやといふので、いよいよ会ひに行く事にする。
「妙に黴臭い、暗くて、冷めたくて、じめじめした奈落を通つて、梯子段を三つか四つか上る。此所は二階だか三階だか分からない。是が大方、大部屋といふのだらう。真ん中に三尺程の途を明けて、板の間に縁のない畳を敷いて、右と左に穢い顔をした男がうぢやうぢやゐる。その突き当りが吉右衛門の部屋である。暖簾を潜つて這入つた所に、小穢い三畳程の小さな部屋がある。隣の部屋との仕切の壁に窓があけてあつて、竹の格子が箝つてゐる。壁の釘には白木綿の半襦袢のやうなものがごちやごちやとぶら下げてある。何がなし、撃剣の道場に這入つたやうな気がする。隣の部屋に吉右衛門がゐると見える。番頭と宮村さんとは、いきなり其所へ這入つて行つたが、暫くすると出て来て、どうぞこちらへと案内する。その部屋がどんな部屋で、中にどんな調度が置いてあつたか、まるで覚えてゐない。ただ孫右衛門に扮した歌六が鏡台の前に坐つて」――日記は此所で切れる。恐らく舞台の上のみで、或るロマンティックな気分の中のみで、動いたり、話したりする筈の「人間」が、思ひも掛けず、現実的な人間の出たり這入つたりしてゐる現実的な部屋の中で、鏡台の前に座布団の上に坐つて、何かしら現実的な会話を取交はしてゐるのを見て、私は一種異様な、また斬新な刺戟を受けたものらしい。私は先づそれを書く積りでゐたのであるが、すぐその次に来る出来事を思ひ返す度に、感情が盛り上がり、たぎり立つ為に、心の平静が破れて、先を書き続ける気になれなかつたものに違ひない。
 ――想ひ出の緒口は此所で切れる。先がないから、大事な事の方は細かに想ひ出す手懸りがない。ただ然し三つの事だけは、今でも判然はつきり頭に残つてゐる気がする。
 第一は、吉右衛門の素顔が気に入つた事である。吉右衛門の素顔には、「芸人」とか「役者」とかいふ社会階級には到底発見する事の出来ない、大きな aspiration がある。特にそれを示現するものは彼の眼である。彼の眼は鷹の眼のやうに鋭い。然し、鋭さと同時にやさしみもある。また深みもある。この眼の閃めきは、どうしても天才的な芸術家のみが持ち得る「美しさ」である。――さういふ感じを、何よりも先にまづ受けた。
 第二に、彼は『吉右衛門論』を拝見しましたと言つた。分かつたかと、私は失礼な事をいた。どうもむづかしくて分からなかつた、分からなかつたが有難かつた、と吉右衛門は答へた。それが私には嬉しかつた。若し分かつたと言つたら、吉右衛門は――嘘をいたのである。あの文章は他人ひとに分かる筈がない。なぜなら、私にさへよく分からないのだから。あれはシモンズの書くもののやうな、純主観的な、今の流行の言葉を借りれば、吉右衛門の芸術に対する礼讚に外ならない。吉右衛門の芸術の長所を指摘して、他人を説得する「論文」ではなくて、吉右衛門の芸術から受けた感激をその儘べとべとと紙になすりつけた「詩」である。分からなかつたが有難かつたといふ言葉は、かういふ種類の「詩」の作者が受け得る唯一の、そして最上の感謝でなくてはならない。
 第三に、最後に頭に残つてゐる事は、吉右衛門の神経が鋭敏にびりびり動いてゐるといふ事である。打てば響くといふ言葉がある。吉右衛門は、打たなくても響くとさへも言ひたいやうな、又は剃刀の刃を振り廻してでもゐるやうな、恐ろしく溌剌とした、従つて此方も始終気を張りつめてゐなくてはならないやうに鋭敏な動く心を持つてゐる。それを何所となく無精な、不器用な肉体で包んでゐるのが吉右衛門である。恐らくこのくらゐ気むづかしい人間はゐないに違ひない。さうしてその気むづかしさは、自分で自分を扱ひあぐむやうな心持になる事も屡あるに違ひない。是は、歌舞伎芝居では到底盛り込む事の出来ない「心」である。この「心」の為に完全なる安全弁の役目を努めるものは、結局近代劇をいて外のものではあり得ない。――この後半の歌舞伎芝居と近代劇とのくだりは、或は後に受けた印象も交つてゐるかも知れないといふ懸念がある。然し一方では又、その時に感じた事に違ひないといふ気もするから、但書ただしがきをつけて置く事にする。
 兎に角、私が吉右衛門から受けた印象は、最初に受けた印象を段段広げ且つ深めて行く方に進化や発展はあつても、それを覆へしたり、改めたり、変へたりする必要には、その後一度も出会つた事がないやうである。





底本:「日本の名随筆 別巻10 芝居」作品社
   1991(平成3)年12月25日第1刷発行
底本の親本:「中村吉右衛門」岩波書店
   1962(昭和37)年11月
入力:大久保ゆう
校正:noriko saito
2018年8月28日作成
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