ある死、次の死

佐佐木茂索





 花嫁が式服を替えて、再座に著いた頃には、席は既に可なりな乱れやうであつた。
 隆治夫妻は、機会さへあれば、もう帰りたいと思つてゐた。そこへ、廊下伝ひに来た女中が、彼等の背後の障子を静かに開けた。
「吉田さん、でいらつしやいますね。」と確めるやうに一つ微笑してから、「御電話で御座います。」
「おい。」
 隆治が気軽に起たうとすると、妻の綾子が「私が参りませう。」と、女中のあとを、廊下へ出てしまつた。
 隆治は、いゝ機会だから、これで帰らうと思つた。それで、床の前に坐つてゐる当夜の花嫁花婿を眺めながら、ぼんやりと腹の中で帰る口上を考へてゐると、
「あなた!」と不意に背後の障子が開いた。妻は、息をはづませてゐる。「あなた、孝ちやんが死んだのですつて!」
 思ひきり障子に掴まつた右の手先が、おかしいほど震えてゐた。
「なに!」
「たつた今。」ぐつと声を落した。「毒を嚥んだのですつて!」
「ほ!」
 思はず隆治も声を低めた。
「で、すぐいらして頂けないかつて。孝ちやんのお母様が電話口に出てらつしやるの。」
 隆治は、すつかり聞き終らない中に、起ち上つた。障子の外へ辷り出ると、その儘そつとあとを閉めて、夫妻は近々と顔を見合せた。綾子は驚いた時の癖の、左の眉を心もちひきつるやうにあげてゐた。
 廊下から、廂を通してみた空は、雨催ひの、しつとりと押へつける様な空だつた。庭木は、灯の光りの及ぶ限りの葉を照らされて、深々と黝ずんでみえたが、みづ/\した苔の庭土は、妙に明るい色だつた。
「さあ、おい。」
 椿の葉だなと、鉢前の一むらの繁みを見て、何のかゝわりもない事を、ぼんやりした心の片隅で確めながら、隆治は妻を促した。


「まあ、なにしろお芽出たのお席なんですからと、電話を借りに参ります前にも、よつぽど、思案致しましたのですけれど、どうにも私たちだけぢや、只うろ/\するばかりで、何とも仕様が御座いませんので、誠にどうも、…………お騒がせ申しまして。」
 確りしたなかに、何処か隠し切れない人のよさを持つてゐる死んだ孝一郎の母親は、隆治夫妻が俥から降りて玄関にかゝつた時、すぐかうしたことを口早に、しかも可なりな明晰さで云ひ告げながら、ぺつたりと其処へ両手を突いて、ゆつくりしたお辞儀をした。
「まあ、それは、あとで。」
 隆治が、帽子をとつて、挨拶をしやうとすると、すつかり興奮し切つてゐる妻の綾子はかたはらからさう云つて、ずん/\座敷の方へ行きかけた。隆治は、妻の思ひつめたさまを見ると、微かな笑ひともつかない笑ひが、不意に場所柄でなく現はれた。母親も淋しい微笑を示した。
「では。」
「どうぞ。」
 これだけの事を、無言で応答して立ち上りながら、帽子を掛けやうとすると、母親が手を出したので、そのまゝ渡した。腰をかゞめて、隆治もすぐ妻のあとを、奥へ続いた。
 八畳の座敷の、床をやゝ左手に除けたところに死んだ孝一郎が寝かせてあつた。
 綾子は、もう思ひ切りよく泣いてゐた。
「こんなに、こんなに。」
 隆治が続いてはいつて来たのを認めると、彼女は、孝一郎の死顔を震へる手で指しながら、ぐつと言葉を詰めてむせかへつた。隠すやうに深々と掛けてある蒲団をはねると、死顔には、やゝ紫がゝつた赤い斑点が、数限りなく現れてゐた。
 隆治も、妻のそばへ腰を下して、ぢつと死顔に眺入つた。――疑ひもなく、二十四になつたばかりの青年が死んでゐた。今更のやうに、改まつた悲しみが襲つて来た。泣きさうだと隆治が不意に思ふと、すぐ追ひ落すやうに涙がぱらぱらとこぼれた。
「あなた!」
 綾子は、隆治が畏つてゐる袴の膝に、力の籠つた手をついた。埃のうへにかゝつたぱらぱら雨のやうに、涙のしみがむらについた妻の手を眺めおろしながら、隆治はまた頬を伝ふ涙を覚えた。――
 母親は、二人からやゝ離れたところに坐つて、泣き脹らした瞼をしばたゝいてゐた。
 更に離れたところに、手伝ひに来てゐる隣家の、未だ赤い手柄をかけた若い細君が坐つてゐて、その膝の中から、切れ切れの泣きじやくりが、洩れて来た。――死んだ孝一郎の十二になる妹が、しつかりと其若い細君の膝に抱かれてゐるのだつた。
 膝に手を突いたまんま、まつ黒に濡れた大きな目で、じつと自分を見上げた妻を見返しながら、隆治は妻の口の中から、金属性の響きを、かすかに聞きとつた。歯が慄えて、打ち当るこまかな音だつた。
 電燈が、どこまでも明るくともつてゐた。


 孝一郎は、ストリキニーネを嚥んだといふ事だつた。
 いつもの通り夕餉を済ましてから孝一郎は、書斎にはいつて行つたが、暫くすると、誰にともなく、
「綾子姉さんは、やはりあす名古屋へ帰るのかなア。」と云ひ乍ら、茶の間へやつて来たので、母親が、
「さうださうだね。」と何心なく云ふと、
「つまんない。もううちへ寄つて行く暇もないんだらうな。」と云ひさして、再び茶の間を出てしまつたのださうである。が、暫くすると、――それでもおそらくは三十分も経つてゐたらうか、――こんどは、次の間まで来て、
「頭が痛いから寝る。」
 さう云ひながら、押入れから蒲団を出しかけたが、どうしたのか、暫く柱に掴まつたまゝ動かなかつたさうである。
「どうおしなのだい?」
 が、母親が、さう問ふた時には、それには答へないで、蒲団を無理に引きづり出して、引きづり出すが早いか、頭からだらりと引つ冠つて、書斎兼居間の方へ歩き出したさうである。――
「それが、あれの一番しまひの力だつたので御座いました。」と母親はさう云つた。
 ――蒲団をだらりと頭から引つ冠つた孝一郎は、次の間へ一歩踏み込まうとする時に、ひよろりと一つよろけると、片手をかけた襖をずるずる/\と、止るところまで押して行つて、そこで背一ぱいのびて、ばつたり敷居越しに倒れたのださうである。
 一瞬の間、そのあり得べからざるやうな出来事を、息をのませられて、眺めさせられてゐた母親は、孝一郎の倒れるのと同時に、長火鉢の前から飛び出したさうである。
「孝一郎、孝一郎!」
 蒲団を、べたりと向ふへはねて、蒼白になつた伜の顔を睨むやうに見入つて、母親は思ひ切り声高に呼んだつもりだつたが、後で聞くと、咽喉にひつかゝつたしやがれ声しか出てゐなかつたさうである。
 孝一郎が倒れて、母親が飛び出して、その母親の口から恐ろしい喚き声が叫ばれるや否や、十二になる妹は、今迄眺めてゐた雑誌を投り出して、はだしで庭へ飛び下りると、その儘、
小母おばさん!」と金切声を上げながら、隣りのうちへ駆け込んだのださうである。
 すぐ隣りのうちからは若い細君が来てくれて、それから町医が来て、駄目だと分ると、警察へといふ町医を無理に待つて貰つて、隆治夫妻へ電話をかけたのださうである。
「――まあ何と思つたもので御座いませう。孝一郎を抱き起さうとしますと、右の手に、私としたことが、この聖書をしつかりと握つてゐたので御座いますよ。長火鉢の猫板の上にいつも載せてあるので御座いますが、うろたへて飛出す時に、夢中で掴んだので御座いませうね。あはてゝ擲り出して……。」
 さう云つて母親は、隣家の細君や、十二になる女の子を見た。
 血も何も汚ないものは少しも吐かず、非常に綺麗な死様だつたさうである。町医も、
「分量が驚くべく正確だつたのです。」と感心してゐたさうである。


 厳封した隆治夫妻宛の遺書が、すぐ発見された。
 第一に隆治が黙読して妻に手渡した。読んでゐるうちに顔色を激しく変へてゆく妻が、読み了るのを待つてから隆治はやゝ改まつた口調で云つた。
「本人の遺志を尊重して、この遺書は公表しません。お母様、あなたにさへも申上げませんよ。――只遺骸を灰にして、高い山から、西風の吹く日に吹き飛ばして呉れといふ子供みた申状と、遺稿のうち、採るべきものがあつたら出版して欲しいといふ希望だけを、発表しておきます。」
 さうして、遺書は、母親の何か云ひたげなのに関はずに、すぐさま隆治の内ふところに奥深く納められてしまつた。その手許を綾子は、目に涙を一ぱいためたまんま、ぢつと見つめてゐた。今にも、あるだけの涙が流れ出しさうな目だつた。隆治はすぐ声を柔げて、妻に云ひかけやうとした。――
「綾子!」
 だが、綾子は返事をする代りに、立上つて障子に手をかけた。
「おい!」
 追ひかけるやうに、隆治は片膝を立てゝ、やゝ険しく呼びかけたが、彼女は向ふ向ひたまゝ、かすかに首を振つて、そのまゝ次の間へ廊下伝いに駈け込んでしまつた。
 隆治の心を、ある予感を持つた不安が、鋭く掠つた其一瞬のあとへ、同じやうにその場の異常を感じた母親が、つと立ち上つた。隆治が手を挙げて制するのを拘はずに、母親は綾子のあとを廊下へ出たが、次の間で折り崩れて泣き入つてゐる綾子を一目見ると、その儘足音を忍ばせて座へ戻つて来た。さうして何も云はずに座について、べたりと隆治にお辞儀をした。
 受く可からざるものを受ける当惑を、どきりと胸に感じ乍ら、隆治は母親を見返した儘、黙つてゐた。ひたすら、綾子の情誼に感じ入り切つてゐるやうな母親を見るのが、遺書を読んだ彼にはつらかつた。


 翌日、電報に驚かされた孝一郎の兄が、名古屋の熱田から上京して来た。
 その午後、故人の所属してゐた教会堂で、ささやかな告別式が挙行された。
 雨だと思つた空からは、一旦の暖かさを忘れたやうに、細かな雪が、傘のいらない程に降り出して来た。そのなかを、淋しい行列が、柩車を護つて行つた。
 教会堂には、死者の「兄弟姉妹達」がもう大ぜい、つゝましやかに待ち構えてゐた。
 祭壇の傍に安置された遺骸に、人々は地上で最後のさようならを告げた。
 元々は黄色に塗られた教会堂の、今は汚れて灰白色になつた中から、讃美歌が太く立ち揚つた。――

 水が引いたやうに、取り残された極く僅かの内輪だけが、また淋しい話を始め出した。
 とうたう、一旦かけられた白金巾の覆が、再はがされた。寝棺の、顔のあたりだけを切り抜いて、其処は硝子張りにした蓋を透して、死人の顔は飽かず見守られた。――
「まあ綺麗!」
 綾子は低いがはつきりした声で隆治を驚かせた。
 実際、死顔は綺麗だつた。死んだ日に見たやうな赤い斑点は、もう何処にもなかつた。自殺が重い罪である此教会で、毒を嚥んだ形跡が少しでも他人に感づかれるやうな事があつてはと、隆治等が尠からず心配してゐたのは、杞憂といつて、もうよかつた。母親は、有難い奇蹟だとした。
「それでは火葬場へ――。」
 誰かがさう注意した時には、沢山な花の中に埋まつてゐる安らかな死顔に、ステインドグラスを通して、もう夕日が赤く落ちるほど時が経つてゐた。


 この不意の出来事で、予定よりも二日余計に滞在した隆治夫妻は、もうこれ以上帰任を延す事が出来なかつた。また都合をつけて、出来るだけ早く出京して来るといふ事にして、告別式の翌日、皆が骨あげに出かける前に、東京を立つ事にした。
 故人の乏しい遺稿のやうなものを、すつかり一まとめにして荷造りをしながら、
「名古屋で、また逢ひませう。」と隆治は孝一郎の兄に云つた。熱田で手広く商売をしてゐる傍ら、万葉振りの歌を詠む故人の兄は、商人らしくない神経質な蒼白い顔を伏せて、御礼を云つた。

 隆治は名古屋へ帰り著くと、商業学校長としての事務が山積してゐた。
 忙しい学校での半日が終ると、午後はY・M・C・Aへ寄つて書記から報告を聴取したり、市の教育課へ出頭したりするので時間が潰れてしまつた。
 東京へは一寸行けさうもなかつたし、遺稿の整理も当分手が著けられさうになかつた、[#「なかつた、」はママ]
 そのうち或夕方、東京から帰つて来たといふ孝一郎の兄の訪問を受けた。兄は半月ばかり滞在して、いろ/\とあと形づけをして、帰りに母親と末妹を連れて箱根へ寄り、そこで或日、西の風が註文通りに吹く時、山の上から灰になつた弟を、吹き飛してしまつた事を隆治に細かく話してきかせた。東京の家は、もと/\故人の為めに今まで構えてあつたのだから、母親と末妹は近く熱田へ引取るのだといふことも話した。悲傷してゐる母親と末妹とは、暫く箱根に置くことにして来たのださうであつた。――

 この孝一郎の兄を送り出してから、隆治と綾子とは、今更のやうに、孝一郎のことをお互の胸に持つた目で、凝と見合つたまゝ、動かなかつた。
 ――東京から帰つて以来、げつそりと弱り入つたやうな妻の姿を見ると、隆治は何も云ひ出す気にはなれなかつた。綾子の方も、寛大そのものかのやうに、何でも素直に受け入れてゆく夫の顔を仰ぐと、一語も口にする前に、自づと伏目になり勝ちだつた。
 この晩も、隆治が二階の書斎へ上つてゆくと、綾子は取り残されたまゝ、ぢつと坐つてゐるより仕方がなかつた。


 それから暫くしたある晩だつた。
 隆治は晩く迄書斎に腰かけて、孝一郎の遺稿を読んでゐた。殆ど感想ばかりと云つていゝ日記が最も多かつた。感想の処は、ほんの拾ひ読みに止めて、主として事実の記述に注意を払ひ乍ら読んで行つた。

 その晩は、綾子も遅くまで起きてゐた。十時頃に書斎へ、ココを運んで来たつきり、姿を見せなかつたが、隆治には綾子が何時までも起きてゐる事が、分りきつてゐた。
 夜中の三時頃に、隆治が小用に下りた時には、綾子は明かに其居室に目覚めてゐた。お前の起きてゐるのは、俺にはよく分つてゐるよと知らせるやうに、隆治は故意わざとらしい咳払ひをして二階へ上つた。
 ――自分が校長になつて二年、其前たゞの教師で四年半、その長い間に孝一郎ほどに好意と親愛とを両方から感じた生徒は只の一人もゐなかつたことを、彼は考へた。どうした時からこんなに親しくなつたのかは、はつきり想ひ浮べられなかつたが、孝一郎が学校からの帰りに、殆毎日のやうに彼の家へ寄るやうになつたのは、土地の教会で始めて生徒と先生として以外の言葉を交してから、ほんとに間のないことであつただけは確かであつた。
 隆治を兄さんと呼び、綾子を姉さんといふやうになつたのも、見てゐるうちだつた。流石に隆治だけは「山添君。」と姓を呼んでゐたが、綾子はぢき「孝ちやん。」と親しい弟のやうに呼びかけた。

 隆治は、何程の遺稿も読まないうちに、夜がしらけて来るのを知つた。弱々しい外光が、戸のすきだけの巾の白い線を、うつすりと障子に筋つけるのを見ると、電燈が消えるのも、もうすぐだといふ事が分つた。
 彼はステップを静かに下つて廊下へ出た。雨戸を開けて庭へ出て、新鮮な――と云ふよりも、痛々しいほど寒い早春の暁の気に、暫く触れてみやうためであつた。
 と、彼は既に傍らの窓が開かれて、そこから澄み切つた空気が、光るやうに流れ入つてゐるのを認めた。同時に、意外にも妻の綾子が廊下にべつたり膝を突いて、肘をやゝ張つて両手を窓にかけて、庭先へ顔を突き出してゐる姿を、寂しく見てとつた。一瞬、妻が窓の上へのめつてゐるやうに思つたのだが、それはさうでない事がすぐ分つた。隆治は、自分の下りて来たことに少しの気もついてゐない妻の、やゝ離れた背後に、凝と立つてゐた。

 夜は、見る間に明けていつた。一寸わきを見てゐると、幾段かの層を飛越して、朝が近づいてゐた。横手の障子の中で、電燈がすつと消えてしまつた、[#「しまつた、」はママ]
 明るさと共に、綾子の姿がはつきりと浮び上つて来た。腰から下へは今まで向けられてゐなかつた注意が、あたりの明るさと共に自然向けられて、隆治の眼にはつきりと映り出した。するとそこに、夥しい手紙が散乱してゐることが分つた。
 隆治が一歩前へ出やうとしたとき、綾子が不意に身動きをして、唾を吐いた。悲しさを唾にしたやうに、庭先へつゞけさまに吐いた。その拍子に彼女が一握りの手紙を、右手にも持つてゐる事が分つた。
 隆治は静かに足音を立てた。
 綾子は存外驚かなかつた。思つた程蒼い顔もしてゐなかつた。夜を徹しての興奮が、寧ろ両頬に微かながら赤味を帯びさせてゐた。
「その手紙をお見せ。」
 妻に近づいて只それだけ云つた。ぴたりと隆治の視線を自分の涙の目で受け乍ら、綾子は右の手をそのまゝ彼の前に延べた。あらがふ力さへ無いもののやうに弱々しかつた。

 隆治は、片つ端から手紙に目を通し出した。
 雨戸を締め切つたうちのなかへ、窓からの光線が廊下を流れ込んだ。ぐいぐいと明るくなつてゆく窓のところで、べつたり二人は手紙の中に坐つてゐた。
 読み終つた頃に、隆治は激しい身慄ひをした。徹夜した肌に、朝風が冷たかつた。つゞけさまに大きな嚏みをした。
「風を[#「風を」はママ]ひいたかな。」
 やゝ寒さを帯びた声で静かにさうに云ひ乍ら立ち上つた。


 それからまた暫く経つた或る昼であつた。
 隆治は、感冒から来た急性肺炎で臥てゐた。枕許に坐つてゐる綾子だけが、彼の死を医者から警告されてゐた。
 今迄天井を凝と見つめてゐた隆治は、
「お前が声楽が好きだから、山添も声楽を習ひ始めたと、あの手紙には書いてあつたね。」
 右の手で額の氷嚢が目の上にづりかけるのを止めながら、さう綾子に云ひかけた。綾子は、これで三度目だつた。
「えゝ。」
 さう答へるより仕方がなかつた。
「フランス語もお前が好きだつたのだな。」
「えゝ。」
「――海商法を研究してゐるといふのは、…………さうだ、あれは俺が勧めたのだつた。」
 弱々しい微笑が暫く漾つて再消えると、
「まあいゝや。死ななくともよかつたのになあ。――お前なぜキスしてやらなかつたのだい。去年来たときさ。――」
「そんなこと、もうどうぞ――」
「いゝさ。いゝよそんな事。――名古屋まで遊びに来たらキスしてあげるて書いてやつたのだらう?……姉さんは嘘吐きです。……か。あの手紙では山添少し怒つてゐたね。それからあの遺書だね……………おい……」
 ――綾子は黙つて泣いてゐた。看護疲れの身体全体を揺り動かしながら。

 目をあけるとまた云つた。
「あの手紙は、やはり遺稿に入れない事にしやう。――焼いてしまつてもいゝよ。あの朝、お前がもう少し早く焼いてゐればよかつたのだね。なぜ愚図愚図してゐたのだい。――愚図愚図。――うん、唾ばつかり吐いてゐたぢやないか。」
 云つてしまふと、隆治は荒い息つかひになつた。綾子は細々とした頸をのべて、隆治の目の上へ自分の目を持つて行つた。しかし、大きな涙が目の蓋をしてゐた。崩れ落すやうにあとからあとからの涙が、綾子の胸を揉みしだいた。
(「新潮」大正10年5月号)





底本:「編年体 大正文学全集 第十巻 大正十年」ゆまに書房
   2002(平成14)年3月25日第1版第1刷発行
親本:「新潮 第三十四巻第五号」新潮社
   1921(大正10)年5月1日発行
初出:「新潮 第三十四巻第五号」新潮社
   1921(大正10)年5月1日発行
入力:富田晶子
校正:日野ととり
2017年1月1日作成
2018年1月21日修正
青空文庫作成ファイル:
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