烏帽子岳の頂上

窪田空穂




 眼が覚めると一しょに、私はテントから這い出した。着ものは夜も昼も一つものである。着がえといえば、靴下を脱いで、甲掛足袋こうがけたび草鞋わらじとを穿くだけであった。
 昨日、朝から夕方まで、殆ど四つ這いになり通してこの烏帽子岳の乗越のっこしまで登った、その疲れはほぼぬけてしまっていた。寝しなには、「眠れるか知ら……」とあやぶんだが、気を落ちつかせていると、いつか寒さを忘れて眠ってしまったらしく、今は、眠りの足りたあとにだけ感じる一種の快ささえある。
 三つのテントの側に、それぞれ焚火をしていた。人夫が朝飯の用意にかかっているのである。私たちの側には、三人の人夫が火を焚いたり、鍋をあつかったりしていた。案内はまだ起きて来ないらしい。「お早う、」といって私は焚火の側へ寄って行った。太い枯木と偃松はいまつとの積み重ねは、煙りながらも赤黒い炎を吐き立てている。
「お早うござんす、」と人夫は笑顔で迎えながら、簡単に挨拶をかえした。
「寒いね、」と私は双手もろてを火の上に翳して暖まろうとした。
「ええ、でもお天気で何よりです、」と年寄の人夫は、その細い眼に嬉しそうな笑みを浮べながら云った。
「降られちゃ大変だろうね」と、私は昨日の登りを思い出した。
「そりゃ話になりません。全く命懸けですからね。」
 そう云って人夫は何か話し出しそうにしたが、眼が鍋の蓋に動くと、慌てて、燃えあがる炎のなかに手を入れた。その手は鍋の蓋を取り上げた。鍋のなかには米が煮え立っていたが、そこには細かい炭がかなりまじって一しょに躍っていた。
 私は朝の習慣になっている煙草へ火を移した。そして、
「これから出懸けるまで何をしよう……」と思った。煙草をすいながら次ぎにすることを考える、これは私が、昨日からの経験で覚えさせられた、この旅での楽しみの一つである。
 私のような足弱は、案内に歩き出されたが最後、余裕と云うものは全く奪われてしまう。遅れまい、一行の厄介者になるまいと思うと、歩行三昧になって、一歩一歩に、心身の全体を集めて、弛みなく、しかしゆっくりと歩くより外はない。その時には殆ど外界との交渉をもつことはできない。眼をやったら離すに惜しいようなもの、余裕があったらそこに坐り込んでしまうような場所が、限りないまでに続き拡がっていると思いながらも。
 それに案内は、朝と夕方と昼飯後とは、ゆっくりと休むものだということを知った。今も、これから出懸けるまでには、少くとも二時間くらいの時間はあるはずである。
「何をしよう、この自分の自由に楽しめる二時間の時間を。」
 しかしそれは、実は考えて見るまでもなくきまっていることであった。昨日の夕方、平地から初めてこの山の乗越に登った時、その快さに乗せられて、私は疲れてはいるが一と思いに烏帽子岩まで行って見ようと思った。そして案内に相談すると、「朝になすったがいいでしょう、」と止められたのであった。今朝はどうでもその烏帽子岩を見なくてはならない。
「ここからは見えないが、見当は付いている。一人で行ける。いや、一人でゆっくり行って来よう。」
 私は焚火から離れた。すると仲間の本居もとおり君が、すぐ向うの小高い傾斜の上に立って、あちこちと見廻しているのを認めた。私がそちらへ行くと、本居君も歩み寄って来た。
昨夜ゆうべは眠れたかい?」
「いや、眠れませんでね、」と本居君は、癖の、眼に陰鬱な色を浮べて答えた。
 眠るということは、私たちにとっても大事件であるが、私よりも山馴れない、この年下の友だちに取っては一層の大事件に感じられた。
「今朝は早く起きてしまったが、いや、いい月でしたよ。もう頂上の方へも行って来ましたよ。」
 九州に育って、山らしい山へは登ったことのない本居君は、大町から見える小高い山を、端から名前を尋ねて困らせた。あれほどの山は名をもっていないというと、不思議なようにしていた。この烏帽子の頂上に対して、今何んな感じを起しているかは、私の思量の外らしい。
「頂上まで行ったのかい?」
「行きましたよ。高山植物が何とも云えませんね。ずっと向うのほうに、槍ヶ岳のような山が見えましたが、あれは何ていうんだろうな……」
「僕も行こうと思っているんだ。」
「何ならもう一度行ってもいい。」
「顔洗った?」
「ええ。」
「僕も顔洗ってにしよう。」
 そう云いながらも私は、そこに本居君と一しょに立って、周囲の展望を始めた。
 薬師岳、それが第一に目に付く。私たちのこれから縦走しようとしている山脈は、この烏帽子を起りとしているが、薬師のあるのはそれとはちがった山脈で、こちらと平行している。そして深い谿谷を隔てて、その全容の望まれるだけの距離をもっている。
 昨日の夕方、初めてここへ来た時、途中から同行することになった大阪の新聞記者で、登山家である小林君が、
「薬師! 何て大きいでしょう!」と感嘆の声を放って見とれていたのが思い出される。その時の薬師には、夕雲のちぎれがまつわり付いていた。今は、一ひらの雲もとどめない、輝きを含んだ青空の前に、その全部をあらわしている。それは茶色をもった岩山である。誠に、大きいといって形容する外、云い方のない山である。限りなく襞をもった、襞毎に雪渓をもった山である。襞と雪渓とは、互に輝き合って、一部一部変化を保ちつつ、全体としては強い落ちつきと安らかさをもった山である。
 私の眼は、これから向って進んでゆくべき山脈のほうへ移った。
 それは薬師をもった山脈と、つばくろ、常念などをもった山脈とのあいだに挟まって、一万尺に近い峰の幾つもをもって、遠く南へとうねり伸びている山脈である。私たちの踏んで行くのは、その両側りょうそくに何千尺と、千尺を単位にして数えるべき谿谷をもった、高まりつくした頂上を貫いている一線の上である。
「野口五郎はれだろう? 赤岳は?」と心のうちで思った。それは二つとも今日越すべき山である。だが私の眼にはいって来るのは、茶いろに輝いている山肌が、そのところどころに黒い色をまだらにまじえて、高く低くうねっているだけである。そして、それを越したあなたには、さまざまな形をした山の頂上が、その頂上を空の上に浮べているだけである。その頂上の、輝きの強いのは近く、弱いのは遠いと思われるだけで、そこにれだけの距離があるかの見当もつかない。
「あの山がみんな、この自分の草鞋の底に続いているのだ。これからあの上を通るのだ。」
 そう思うと私は、心が張って来るのを覚えた。それに対して軽い心を動かすのは、はばかるべきことのような気がした。
 私は振り返って、眼に近い露営地のほうを見た。テントはまだ手が着けられずに、昨夜ゆうべのままになっている。焚火は燃えている。人夫と一行の者とは、それぞれのことをしている。二三の人夫は、テントの向うの、やや低くなったところの雪渓のところへ行って屈んでいる。一人の人夫は、薬鑵に水を汲んで、それをこぼすまいとするらしい恰好をして上って来る……。そうした光景が全体となってすっきりと見えている。
 それを見ていると、私は一種の気分に捉えられて来た。それは、からだのひどく疲れた時に、ともすれば起る、人を厭わしいものに感じて来るのと似ていた。しかし、そういう時には、こちらから人を避けたくなるのであるが、今は、それとはちがって、そこに見えている人も、見ている自分も、云うべくもない醜い、値いのない、ここにこうしているのが不適当なものに感じられて来たのであった。私はこの思い懸けない気分に捉われて、暫くその光景を眺めつづけていた。
「とにかく、顔を洗おう。」
 私はそこを離れた。そして焚火の側をぎって、雪渓のほうへ行った。
 雪渓は、へりのところだけ雪が溶けて、浅い池のようになっていた。生えたまま枯れている草の葉や、こぼれた米などが底に見えた。手をひたすと冷たくて、まさしく冬の水だった。
 焚火のところへ帰って来ると、案内は起きて、火にあたって煙草をすっていた。
「頂上へ行って来ますよ。」
「飯をしまってから入らしたほうがいいでしょう。」
 案内はおだやかには云ったが、私を見上げた眼には、明らかに命令する色があった。私は黙って随わざるを得なかった。
 山の食事が始まった。焚火をめぐって、土の上へ胡座あぐらをかいてする食事である。本居君と私とは適当な食器を用意することを知らなかった。二人はいつも、アルミニュームの小さな水飲で、飯も食べ味噌汁も吸うのであった。
 飯が済むと、私はすぐに頂上へ行こうとした。
「行かない?」と私は横山君に勧めた。横山君はそろそろ登山家のうちへ数えられようとする人で、私たちを連れ出した人である。
「僕は……」と、横山君は若い顔に極り悪るそうな笑みをみなぎらして、拒絶の意を示した。
 本居君はと見ると、何所へ行ったかもう見えなくなっていた。
 私は一人で出懸けた。
 露営地とそちらとのあいだには、岳樺たけかんばの低い林があった。そのほうの傾斜の急な細路は、露にぬれた草で蔽われていた。林の下生えの草は、雨のあとのようだ。林を抜けると、すぐに山の脊梁せきりょうである。おぼろげな、しかし間違わせない一すじの線が、眼をとめて見ると認められる。
 脊梁のあちら側には、高山植物の密生した一区画がある。それは昨日見て、立ちどまって見たものである。丈の一二寸ほどの、檜葉ひばのような葉をした木に、薄黄な花が、蕾は大きな雫のような、開いたのは桜のような形をした花が、一面に群らがって、そして露に濡れそぼっている。
 その下には、昨日その一角を掠めて登って来た大崩れが、山腹が崩れて、山の腸ともいうべき岩の積み重ねの、乱雑に露出しているのが、真っ直というよりもむしろ、※(「宛+りっとう」、第4水準2-3-26)えぐり込んだようになっているのが見おろされる。白い、茶の岩肌は、静かな、しかしそれぞれの光をあらわして、三百尺、五百尺と続いて、下は一つの色に煙っている。その谷を隔てて、唐沢山と餓鬼岳とは、一つは高い峰を、一つは長い、ひだの多い峰を捧げている。緑の山は、今、薄い靄を帯びて、濃い、しかし柔かな色をしている。
 昨日見たこれらのものの、今重ねて見て、ちがった美しさをあらわしていることが、妙に親しい感じを起させた。
「あの大きな白樺は?」
 そう思って私は、歩みを移してそちらを見た。乗越の目じるしだというその白樺は、二た抱えくらいもある珍らしい老木であった。それは岩の上に根をおいていた。昨日の夕方その木を見た時の嬉しさが胸にかえって来て、もう一度見たくなったのである。
 その白樺は、ここからは一部が見えるだけで、木下こしたから仰いで見た感じとは遠いものであった。
「見ない方へ、」と思って、私は脊梁の線を、まだ見ない、烏帽子岩のある方へと、辿って行った。
 辿って行く脊梁は、次第にがけふちとなった。脊梁を境に、半分は崩れ落ちてしまったのである。崩れは、次第に深く、次第に広くなった。そしてそちらを見おろすと、岩のもつ光りでまぶしさを感じる。こちらの半面は偃松に蔽われていて、渡るには、幹から幹へと足を移さなければならない。
 一つづきの偃松は、緩やかにうねりくだって、又うねり上って、その果てに小高い岩山をもっている。
「あれが頂上だろう」
 私はそう思って、静かに歩みを移して行った。
 岩を伝って下ると、そこには偃松が絶えて、低い草と花の咲いている高山植物の生えつづいたところとなった。そして、崖と反対の側には、この峰のこぶとも見えるような小さな丘が並んでいた。
 その丘のほうを見た私は、見た一点を見詰めさせられた。
 私の脚もとから、細い、一本の竿の曳く影とも見える影が、草生くさふの上を伸び伸びして、四五間、六七間も伸びて、その丘の斜面を這い上っている。そしてそこに一つの円を映して尽きている。その円を中心に、径一間もあろうかと思われる虹が立っている。空に見るような色彩の多種なものではなく、僅かに青と赤ぐらいではあるが、それは丘の斜面の青い、幾分の靄を含んだ上に、持って行って置いたかのように、じっと、にじみ加減になって映っているのである。
「何だろう?」と私は一と目見た時には怪しんだが、すぐに、自分の影の外の何物でもないと心付いた。しかし、そうした影を眼にしたことのない私には、珍しいというよりは不思議なものであった。
 私はその影を眺めていた。薄れもせず、消えもせず、いつまでも映っている。
「仏像の光背は、多分これを取ったのだらう」
 私はそう思ってそこを離れた。少し歩みを移して、又そちらを見ると、そこにも同じものが映っている。又行って見ると又映っている。
 離れまいとするように見える、虹を負った自分の影を、私は何回見たことであろう。
 遠く望んだ岩山へ、私は一人で登って行った。赤い岩の積み重ねであった。ところどころに偃松があり、高山植物が咲いていた。
 登りつくして見ると、私はその先に、今一つ、前よりもやや深い偃松の下りがあって、俄に高まっているその高まりの頂点に、一つの大きな岩の立っているのを発見した。それはここへ来るまで、全く見なかったものである。
「あれが烏帽子岩だ、」と心付いた。「行って見たい、」と思うと共に、それに要する時間が、この場合私に許されるものか何うかを考えなければならなくなった。
 私は暫く岩山の頂に立っていた。
「あ!」と私は声を立てた。思い懸けなくも雷鳥らいちょうが一羽、私の直ぐ前のところにあらわれた。茶色の、鳩ほどの、丸い形をした、今は飛ぶことを忘れた鳥は、偃松の実をついばんでいたが、啄み飽きて遊んでいるところと見える。
 雷鳥は私を見たようだ。だが、逃げようとはしない。高山の偃松のなかにばかり住んでいる鳥は、人間という生物の、どういう感情をもっているものかを知らないようだ。その烏は[#「烏は」はママ]、偃松に沿った岩のあいだを、無器用な恰好をして、歩きながら、下のほうへ、ほうへと、見えなくなって行った。
 立ちつくしている私の眼の前に、今度は小さな獣があらわれて来た。それは二銭銅貨ほどの大きさの顔をもった、茶色の毛をもったものであった。その獣は、偃松の下から走り出ると共に、その顔をまともに私に向けた。痩せた、眼ばかりの顔のように私には見えた。見えると直ぐに隠れてしまった。
栗鼠りすのようだった、」と思ったが、しかしからだは見えなんでしまった。
 この二つの小さい生物いきもののあらわれは、私を微笑させた。私は消え去った形を眼の前に保って、一人で微笑していた。
 後ろから人が声を懸けた。それは堀君という、東京の学生であった。小林君と同じく、案内を共通にしているところから同行している人である。堀君も烏帽子岩へ登ろうとして来たらしかった。
 無口な、それが似合わしいような表情をもった堀君は、今も微笑をたたえながら後ろを振り返った。私もそちらを見ると、小林君と案内と一しょに、偃松の上を渡ってこちらへ来る姿がかっきりと見えた。
 堀君も、小林君と同じように立派な登山家であった。私はさっき見た影のことを堀君に話した。
「それが本当の御来迎ごらいごうってものだそうです。めいめい自分の影を見るだけで、側にいても人の影は見えないんですってね。」
 堀君はそう云って説明してくれた。
 躊躇していた私は、この人たちが来たので、烏帽子岩へと向った。
 岩の肩までの登りが困難であった。木立にさえぎられている岩の面は、殆ど直立していた。怪我をしないように注意して登ってゆくと、私は最後になってしまって、堀君の姿は見えなくなった。
 肩まで這い上ると、岩のそちらの面は、崩れになって、深さはすぐには測り難いものに見えた。烏帽子形の一つ岩は、その肩の上に、かなりな高さをもって立っているのである。
「あちら側から見ると、この岩が『槍の穂』のように見えます。」
 案内はそう云って、四つ這いになって、攀じ登ってゆく。
 小林君は、這うことは出来なかった。鞍にまたがった形になって、手と尻でいざりながら進んだ。
 私は小林君のするようにする外はなかった。
 案内は或点に立ちあがって、私たちのいざるのを見ていた。いざりながら案内を見あげると、その赤黒い顔は、真っ青な空のなかに浮んでいた。
 そこをいざり尽すと、私たちは崩れの上に直立している、なめらかな花崗岩の面を伝わらなければならなくなった。
「ここをどうして伝うだろう?」と私は怪しんだ。
 先に立った案内は、岩の面にからだを擦りつけて、両手を一ぱいに拡げて岩に抱きつくようにした。岩の面は広くて、拡げた手も向うへは廻らない。又、岩の面は滑らかで、指の懸かるほどの突起も窪みもない。足はと見ると、そこには、岩の面に一と筋の筋がついている。その筋の上へ、屈めた足の指を吸いつかせつついざらせつつ進むのであった。案内のからだの下には、足の下には、深い深い崖が空に向って拡がっている。
 案内が伝わってしまうと、小林君が伝わって行った。
 私も伝わらなくてはならなくなった。私は、今眼に見た光景と、心に感じた不安から離れようと思った。草鞋をその筋の上に踏みかけ、両手を拡げて岩の面に抱きついた時、私は眼を、その向った一点に注いで、それより外は何もない場所と思おうとした。私の下腹したばらには力がはいって来た。私の足の爪先は、静かに、伸び屈みしつつ進んで行った。それと共に、岩に擦りつけていた腹もいざって行った。
 手の指が岩の曲り目を捉えた。
 堀君は、岩の絶頂の、僅かに尻を据えうるような所に馬乗りになって、例の微笑をたたえていた。
 私たちは、下りはちがった面を取った。上るとしては、前の面よりも困難に見えた。
 露営地へ帰って来ると、一切の荷造りは出来て、人夫は待ちくたびれたような顔をしていた。今一つのテントを使っている学生の一組は、学生も人夫ももう見えなかった。
 案内は腹掛から時計を出して見た。
「ちょうど一時間半かかりました。」そう云って、案外時間のかかったのがおかしいように微笑した。
「よかったよ、」と私は横山君と本居君とに、一しょに行かなかったのを惜しむ心で云った。そして本居君に、「君の槍が岳のようだって云った、あれが烏帽子岩なんだ。」
 荷を背負いながら、それを聞いた案内は、
「知らない方は、大抵あの前の山で帰ってしまいます。――この人夫だって、行った者はないでしょう、」と云った。
 一行は一列になって歩み出した。向って行く山の、朝の光に輝いているのを見ると、心のすべてがそちらへ流れ出すのであった。





底本:「紀行とエッセーで読む 作家の山旅」ヤマケイ文庫、山と溪谷社
   2017(平成29)年3月1日初版第1刷発行
底本の親本:「日本アルプス縱走記」摩雲巓書房
   1923(大正12)年7月22日発行
初出:「早稻田文學 第二百三號」早稻田文學社
   1922(大正11)年10月1日発行
※「槍ヶ岳」と「槍が岳」の混在は、底本通りです。
入力:富田晶子
校正:雪森
2020年5月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について


●図書カード